この項目 こうもく では、事実 じじつ とはことなる言葉 ことば 、などの一般 いっぱん 的 てき な概念 がいねん について説明 せつめい しています。その他 た の作品 さくひん 名 めい などについては「嘘 うそ (曖昧 あいまい さ回避 かいひ ) 」をご覧 らん ください。
「嘘 うそ つき 」はこの項目 こうもく へ転送 てんそう されています。その他 た の用法 ようほう については「ウソツキ 」をご覧 らん ください。
フェイクニュースの見分 みわ け方 かた 。
嘘 うそ (うそ)は事実 じじつ ではないこと[1] 。人間 にんげん をだますために言 い う、事実 じじつ とは異 こと なる言葉 ことば [1] 。偽 いつわ り とも。
「嘘 うそ 」は拡張 かくちょう 新 しん 字体 じたい であり、印刷 いんさつ 標準 ひょうじゅん 字体 じたい は「噓 」である。
この節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "嘘 うそ " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2013年 ねん 9月 がつ )
そもそも嘘 うそ に定義 ていぎ を与 あた えることは難 むずか しい。
言語 げんご 哲学 てつがく 者 しゃ の和泉 いずみ 悠 ゆう は嘘 うそ とは何 なに かについて次 つぎ のように述 の べている。
「いや、噓の
定義 ていぎ なんて
簡単 かんたん に
与 あた えられるよ。
嘘 うそ とは、
正 ただ しくないことをいうことだ。
嘘 うそ は
人 ひと をだますことだ。」などと
皆 みな さんは
思 おも われるかもしれません。
しかし、これらは大 おお まかな特徴 とくちょう であって、正確 せいかく な定義 ていぎ には程遠 ほどとお いのです。
(中略 ちゅうりゃく )
誤解 ごかい や間違 まちが いや証拠 しょうこ 不足 ふそく により、事実 じじつ と異 こと なる発言 はつげん をした人 ひと に「あなたは嘘 うそ をついた」と評価 ひょうか することはできません。
(中略 ちゅうりゃく )
では、「嘘 うそ は人 ひと をだますことだ」という提案 ていあん はどうでしょうか。
誰 だれ かが嘘 うそ をつくとき、その人物 じんぶつ [注 ちゅう 1] は間違 まちが ったことを言 い っていることを自分 じぶん で分 わ かっています。
嘘 うそ つきは、発言 はつげん が事実 じじつ と一致 いっち しないにもかかわらず、それを承知 しょうち の上 うえ で、相手 あいて にはその間 あいだ 違 ちが った内容 ないよう を信 しん じさせようと発言 はつげん しています。
人 ひと をだます、
欺 あざむ くために
何 なに かをいう、これはまさに
典型 てんけい 的 てき な
嘘 うそ だと
考 かんが えられるでしょう。
—
和泉 いずみ 悠 ゆう 、悪 わる い言語 げんご 哲学 てつがく 入門 にゅうもん 、[2]
アウグスティヌスは次 つぎ のような定義 ていぎ を与 あた えている
アウグスティヌスによる欺瞞 ぎまん としての噓の定義 ていぎ
「AがBにpだと嘘 うそ をついた」は次 つぎ のように定義 ていぎ される。
AがBにqだといった。
Aはqが偽 にせ であると認識 にんしき している。
Aはqが真 しん であるということにより、Bをだましてqが真 しん であると思 おも わせようと意図 いと した。
以上 いじょう 3
項目 こうもく を
満 み たしたとき。
嘘 うそ とは事実 じじつ に反 はん する事柄 ことがら の表明 ひょうめい であり、特 とく に故意 こい に表明 ひょうめい されたものを言 い う。
嘘 うそ の意 い を含 ふく む「ガセ」とは、一部 いちぶ の業界 ぎょうかい で使用 しよう されていた元 もと 隠語 いんご が一般 いっぱん に普及 ふきゅう したものであり、もともとは「偽物 にせもの 」のことである。
アウグスティヌス は『嘘 うそ をつくことについて』(395年 ねん )と『嘘 うそ をつくことに反対 はんたい する』(420年 ねん )の二 に 論文 ろんぶん において、嘘 うそ について「欺 あざむ こうとする意図 いと をもって行 おこな われる虚偽 きょぎ の陳述 ちんじゅつ 」という定義 ていぎ を与 あた えている。この古典 こてん 的 てき 定義 ていぎ は中世 ちゅうせい ヨーロッパの言論 げんろん ・思想 しそう 界 かい に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えた[5] 。
嘘 うそ の歴史 れきし について語 かた るとき、欧米 おうべい 圏 けん では、旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ に登場 とうじょう する話 はなし 、カイン が弟 おとうと アベル を殺 ころ した後 のち 、アベルの行方 ゆくえ を問 と われたカインが「知 し りません。私 わたし は永遠 えいえん に弟 おとうと の監視 かんし 者 しゃ なのですか?」と答 こた えたことに言及 げんきゅう され、それが「人類 じんるい の最初 さいしょ の嘘 うそ 」などと語 かた られることが多 おお い。
日本 にっぽん の古事記 こじき では天 てん 探 さがせ 女 おんな と呼 よ ばれる神 かみ が嘘 うそ をつき、結果 けっか 派遣 はけん された神 かみ が死 し ぬという話 はなし が載 の っている。
日本語 にほんご の「嘘 うそ 」の語源 ごげん は古語 こご の「ウソブク」という言葉 ことば が転化 てんか したものである[6] 。ウソブクという言葉 ことば は口笛 くちぶえ を吹 ふ く、風 ふう や動物 どうぶつ の声 こえ といった自然 しぜん 音 おん の声帯 せいたい 模写 もしゃ 、照 て れ隠 かく しにとぼける、大言壮語 たいげんそうご を吐 は く、といった多義 たぎ 的 てき な使 つか われ方 かた をしていた。また、独 ひと り歌 か を歌 うた うという意味 いみ もあり、目 め に見 み えない異 こと 界 かい の存在 そんざい に対 たい し個人 こじん として行 おこな う呪 のろい 的 てき な行為 こうい を指 さ した。中世 ちゅうせい に入 はい って呪 のろい 的 てき な意味 いみ が薄 うす れ、人 ひと を騙 だま すといった今日 きょう 的 てき な「嘘 うそ 」が一般 いっぱん に使 つか われるようになったのは中世 ちゅうせい 後期 こうき になってからのことである[6] 。
偽 いつわ りと嘘 うそ には古 ふる くは明確 めいかく な区別 くべつ があり現在 げんざい の東京 とうきょう 近郊 きんこう 地域 ちいき でのみ嘘 うそ を偽 いつわ りの意味 いみ で使 つか っており、その他 た の地域 ちいき ではおどけ戯 じゃ れの意味 いみ であったとされる。また、嘘 うそ と似 に た言葉 ことば に欺 あざむ くというのがあるがあれは仇 かたき と元 もと は同 おな じであったとされる。[7]
鷽 うそ (うそ)という鳥 とり の名前 なまえ は鳴 な き声 ごえ から来 き ており、人間 にんげん が嘘 うそ をつくときに真面目 まじめ らしくない作 つく り声 ごえ をしていてその声 こえ に似 に ているということで名前 なまえ となった[8]
多 おお くの文化 ぶんか に於 お いて、基本 きほん 的 てき に、嘘 うそ は悪 わる いこと、とされる。嘘 うそ をつくことは信用 しんよう 、信頼 しんらい を失 うしな う。だが、嘘 うそ の中 なか には文化 ぶんか 的 てき に許容 きょよう されるものがある。どのような嘘 うそ が文化 ぶんか 的 てき に許容 きょよう されるかは、その文化 ぶんか ごとに異 こと なる。どこの文化 ぶんか でも我欲 がよく や虚栄 きょえい 心 しん によってつく嘘 うそ は悪 わる いものとされている。
人 ひと を救 すく うため、人 ひと を傷 きず つけないためにつく嘘 うそ もある。仏教 ぶっきょう では「人 ひと に矛盾 むじゅん したことを吹 ふ き込 こ み争 あらそ いを煽 あお ること」は「両舌 りょうぜつ 」(嘘 うそ つきの別名 べつめい である二枚舌 にまいじた の語源 ごげん )という十悪 じゅうあく の罪 つみ になるが、人 ひと を救 すく うため、人 ひと を悟 さと りへと導 みちび くために当面 とうめん の嘘 うそ をつく、という方法 ほうほう もとられることがある。大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう 国 こく である日本 にっぽん では「嘘 うそ も方便 ほうべん 」ということわざ もあり、人 ひと を救 すく うためということならばおおらかに許 ゆる そうとすることがある。
イギリス等 とう では、他人 たにん を喜 よろこ ばせるための嘘 うそ は 「white lie (白 しろ い嘘 うそ )」とする。
相手 あいて に気 き に入 い られようとして、自分 じぶん が本当 ほんとう に思 おも っているよりも相手 あいて を良 よ いと思 おも っているかのように言 い うことをお世辞 せじ と言 い うが、お世辞 せじ を許容 きょよう する文化 ぶんか もあるが、そういうことは極力 きょくりょく 言 い うべきではない、とする文化 ぶんか もある。
嘘 うそ をつかず本 ほん 当 とう のことだけを話 はな してもコミュニケーション は可能 かのう ではあるが、まったく嘘 うそ をつかない、という制約 せいやく があると、人間 にんげん 関係 かんけい はむしろギクシャクする。こうして嘘 うそ は人間 にんげん 関係 かんけい の維持 いじ に役立 やくだ つ面 めん がありはするが、やはり、人 ひと に対 たい して悪意 あくい のある嘘 うそ が頻繁 ひんぱん に語 かた られるような状況 じょうきょう では、嘘 うそ をつかれた人 ひと は疑心暗鬼 ぎしんあんき になり、一般 いっぱん 的 てき に人間 にんげん 関係 かんけい は悪化 あっか する傾向 けいこう がある。
[注 ちゅう 2]
嘘 うそ をつく動機 どうき や技術 ぎじゅつ 、事実 じじつ との関係 かんけい などによって、嘘 うそ は正負 せいふ 、両方 りょうほう の効果 こうか を及 およ ぼしうる。
得 とく をしようとして数字 すうじ をごまかすことを「サバを読 よ む」と言 い う[9] 。
自分 じぶん の年齢 ねんれい について嘘 うそ を言 い うことは「年齢 ねんれい 詐称 さしょう 」と言 い う。
財務諸表 ざいむしょひょう に嘘 うそ の数字 すうじ を記載 きさい することは粉飾 ふんしょく 決算 けっさん と言 い う。
政治 せいじ 資金 しきん 収支 しゅうし 報告 ほうこく 書 しょ に嘘 うそ の数字 すうじ を記載 きさい することは虚偽 きょぎ 記載 きさい と言 い う。
欧米 おうべい の大人 おとな では、き手 きて が聞 き いたとたんに明 あき らかに本当 ほんとう ではないと判 わか ること、つまり明 あき らかな嘘 うそ を聞 き かせて、それが嘘 うそ だと互 たが いに十分 じゅうぶん に知 し っていることを確認 かくにん しあって楽 たの しむことがある。一緒 いっしょ に笑 わら うために、ユーモア として嘘 うそ を話 はな すことが多々 たた あるのである。日本 にっぽん の会話 かいわ では、欧米 おうべい に比 くら べると、こうした話 はな し方 かた は少 すく ないようである。
嘘 うそ の中 なか には規模 きぼ の大 おお きな集団 しゅうだん が組織 そしき 的 てき に行 おこな うものもあり、内容 ないよう 次第 しだい では社会 しゃかい に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた える。
政府 せいふ による嘘 うそ ;「全 すべ ての政府 せいふ は嘘 うそ をつく」
アメリカのジャーナリスト、I. F. ストーン (英語 えいご 版 ばん ) は、「全 すべ ての政府 せいふ は嘘 うそ をつく All Governments Lie」との信念 しんねん を持 も ち、特定 とくてい の報道 ほうどう 組織 そしき などに属 ぞく さず、自力 じりき で地道 じみち な調査 ちょうさ を行 おこな うことによってベトナム戦争 せんそう をめぐる嘘 うそ などを次々 つぎつぎ と暴 あば いていった。アメリカ政府 せいふ は、ベトナム戦争 せんそう を行 おこな っている間 あいだ ずっと、アメリカ国民 こくみん に対 たい して嘘 うそ を流 なが しつづけて、政府 せいふ にとって都合 つごう の悪 わる い出来事 できごと やデータを隠 かく しつづけ、本当 ほんとう の出来事 できごと やデータをアメリカ国民 こくみん に隠 かく すことで、アメリカの世論 せろん を操作 そうさ し、アメリカ国民 こくみん の判断 はんだん を狂 くる わせていたのである。また大手 おおて マスコミも戦争 せんそう の間 あいだ 、嘘 うそ の情報 じょうほう ばかり流 なが していた。
(I.F.ストーンが指摘 してき しているように、嘘 うそ をつくのはアメリカ政府 せいふ だけではなく、全 すべ ての政府 せいふ である。たとえば西側 にしがわ の諸国 しょこく に属 ぞく する人々 ひとびと は、ロシア政府 せいふ が嘘 うそ ばかりついていること、ロシア大統領 だいとうりょう みずからやロシアの報道 ほうどう 官 かん が嘘 うそ の内容 ないよう の発言 はつげん をし、政府 せいふ 系 けい のマスメディアでそれを垂 た れ流 なが しにしていることをよく知 し っている。また第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう の日本 にっぽん について研究 けんきゅう したことのある人 ひと ならば誰 だれ でも、日本 にっぽん の軍部 ぐんぶ や日本 にっぽん 政府 せいふ が大本営 だいほんえい 発表 はっぴょう という嘘 うそ 満載 まんさい の発表 はっぴょう および報道 ほうどう を行 おこな い、日本 にっぽん 国民 こくみん を騙 だま していたことを知 し っている。)政府 せいふ というのは、どこの政府 せいふ であれ、とんでもない嘘 うそ つきだ、例外 れいがい など無 な い、というのがジャーナリスト I.F.ストーンの確信 かくしん しているところなのである。
イソップ童話 どうわ では猿 さる の王様 おうさま と二人 ふたり の旅人 たびびと という話 はなし が載 の っている。こんな話 ばなし である
『ある所 ところ に二 に 人 にん の旅人 たびびと がいた。ひとりは嘘 うそ を全 まった くつかない正直 しょうじき 者 しゃ でもうひとりは口 くち を開 あ けば嘘 うそ ばかりの嘘 うそ つきだった。そんな二人 ふたり はある日 にち 猿 ざる ばかりいる猿 さる の国 くに にたどり着 つ く、見慣 みな れぬ者 もの が来 き たと猿 さる たちはざわつきついに王様 おうさま が出 で てきた。そして王様 おうさま は「私 わたし がどんな風 ふう に見 み えるか」と聞 き いた。嘘 うそ つきは「立派 りっぱ な王様 おうさま でございます」と答 こた え、正直 しょうじき 者 しゃ は「立派 りっぱ なお猿 さる さんですね」と答 こた えた。王様 おうさま は嘘 うそ つきには多 おお くの褒美 ほうび を与 あた え正直 しょうじき 者 しゃ は処刑 しょけい してしまったということである。』
他人 たにん を嘘 うそ を用 もち いて欺 あざむ き錯誤 さくご に陥 おとしい れることを詐欺 さぎ といい、財産 ざいさん 上 じょう 不法 ふほう の利益 りえき を得 え ることは詐欺 さぎ 罪 ざい である。悪徳 あくとく マルチ商法 しょうほう や悪徳 あくとく キャッチセールス などの詐欺 さぎ で使 つか われる嘘 うそ 、また交通 こうつう 事故 じこ の被害 ひがい 者 しゃ を装 よそお う当 あ たり屋 や なども悪質 あくしつ であり、利己 りこ 的 てき な利益 りえき のための嘘 うそ (虚偽 きょぎ )により他人 たにん に不利益 ふりえき をもたらすことは、法律 ほうりつ において罰 ばっ せられる。また、法律 ほうりつ により宣誓 せんせい した証人 しょうにん が虚偽 きょぎ の陳述 ちんじゅつ をした場合 ばあい は、偽証罪 ぎしょうざい とされる。
ピノキオ の鼻 はな は、嘘 うそ をつくほど伸 の びる、とされた。
年少 ねんしょう 者 しゃ 、とくに幼児 ようじ における嘘 うそ は大人 おとな の嘘 うそ とは事情 じじょう を異 こと にしており、その多 おお くは誤認 ごにん 、追想 ついそう 錯誤 さくご 、空想 くうそう と現実 げんじつ との混同 こんどう 、ないしは言語 げんご 遊戯 ゆうぎ としての作 さく 話 ばなし であって、成人 せいじん の嘘 うそ とは質的 しつてき に相違 そうい する。
自己 じこ 決定 けってい 権 けん と嘘 うそ [ 編集 へんしゅう ]
世界 せかい 的 てき には、ひとりひとりの人 ひと が自分 じぶん 自身 じしん の生 い き方 かた を選 えら ぶ権利 けんり (残 のこ された時間 じかん をどのように使 つか うか選 えら ぶ権利 けんり 、自分 じぶん が思 おも うように生 い きる権利 けんり )が重視 じゅうし されており、病名 びょうめい は正直 しょうじき に伝 つた えられている。1960年代 ねんだい 、米国 べいこく での患者 かんじゃ へのガン告知 こくち 率 りつ は12%であったが、政治 せいじ 運動 うんどう 及 およ び訴訟 そしょう の増加 ぞうか に伴 ともな い告知 こくち 率 りつ は増加 ぞうか した。フランス、スペイン、イタリア、ギリシアなど南欧 なんおう 、また東欧 とうおう では、社会 しゃかい 通念 つうねん や宗教 しゅうきょう 的 てき 事由 じゆう から概 おおむ ね50%台 たい の告知 こくち 率 りつ とされている。かつて日本 にっぽん でも社会 しゃかい 通念 つうねん から末期 まっき ガン 等 ひとし の病気 びょうき の本当 ほんとう の名前 なまえ が告知 こくち されず、医師 いし から患者 かんじゃ へ嘘 うそ の病名 びょうめい が告知 こくち されることが多 おお かったが、2009年 ねん のガン告知 こくち 率 りつ は90%台 だい に達 たっ している。親族 しんぞく などは「本人 ほんにん に真実 しんじつ を伝 つた えることが辛 つら 過 す ぎるため」と(自分 じぶん にも一種 いっしゅ の嘘 うそ をつきつつ)、患者 かんじゃ に対 たい して嘘 うそ をつくことが多 おお かった[注 ちゅう 3] [注 ちゅう 4] 。だが日本 にっぽん でもインフォームド・コンセント や、自己 じこ 決定 けってい 権 けん という概念 がいねん が理解 りかい されるようなって、嘘 うそ はつかずに真実 しんじつ が伝 つた えられることが次第 しだい に増 ふ えてきていて、すでに事実 じじつ を伝 つた える人々 ひとびと の割合 わりあい が8~9割 わり ほどになっている。
神経 しんけい 科学 かがく 的 てき 研究 けんきゅう [ 編集 へんしゅう ]
嘘 うそ は心理 しんり 学 がく 的 てき 、社会 しゃかい 学 がく 的 てき 、精神 せいしん 医学 いがく 的 てき に研究 けんきゅう されることが多 おお かった[10] だが、最近 さいきん になって、嘘 うそ の研究 けんきゅう に神経 しんけい 科学 かがく 的 てき 研究 けんきゅう も加 くわ わり、京都大学 きょうとだいがく の研究 けんきゅう グループは世界 せかい で初 はじ めて、側 がわ 坐 すわ 核 かく が活発 かっぱつ に活動 かつどう する人 ひと ほど嘘 うそ をつく割合 わりあい が高 たか いことを発見 はっけん した。京都大学 きょうとだいがく の阿部 あべ 修士 しゅうし 特定 とくてい 准 じゅん 教授 きょうじゅ [1] らは、アメリカ人 じん 男女 だんじょ 28人 にん にコイン の表裏 ひょうり を予想 よそう させ、「予想 よそう が当 あた った」と自己 じこ 申告 しんこく すれば報酬 ほうしゅう がもらえるゲームを行 おこな い脳 のう の活動 かつどう を測定 そくてい 、その結果 けっか 、側 がわ 坐 すわ 核 かく が活発 かっぱつ に活動 かつどう する人 ひと ほど嘘 うそ の申告 しんこく をする割合 わりあい が高 たか いことを突 つ き止 と め、2014年 ねん 8月 がつ 7日 にち 、アメリカ の科学 かがく 誌 し ジャーナル・オブ・ニューロサイエンス (英語 えいご 版 ばん ) (電子 でんし 版 ばん )に発表 はっぴょう された[11] 。またこの研究 けんきゅう では、嘘 うそ をつかなかった人 ひと は、理性 りせい 的 てき な判断 はんだん や行動 こうどう をつかさどる脳 のう の領域 りょういき である背 せ 外側 そとがわ 前頭 まえがしら 前野 まえの が活発 かっぱつ に活動 かつどう していた[12] 。
心理 しんり 学 がく 的 てき 研究 けんきゅう [ 編集 へんしゅう ]
統計 とうけい 的 てき な文献 ぶんけん 分析 ぶんせき (メタ分析 ぶんせき )によれば、人 ひと は相手 あいて の嘘 うそ を見破 みやぶ ることができると、その人 ひと を無能 むのう と判断 はんだん する傾向 けいこう があるが、そもそも人 ひと は嘘 うそ を見破 みやぶ るのが苦手 にがて であることは、何 なん 十 じゅう 年 ねん にもわたる学問 がくもん の研究 けんきゅう から常 つね に示 しめ されている。専門 せんもん 家 か でさえ、嘘 うそ を見破 みやぶ る能力 のうりょく は一般人 いっぱんじん より優 すぐ れていないのだから、嘘 うそ を簡単 かんたん に見破 みやぶ れると思 おも い込 こ んで、相手 あいて に誤 あやま った非難 ひなん で汚名 おめい を着 き せることは慎 つつし むべきである[13] 。また、Valerio (2018)によれば、悪意 あくい のある嘘 うそ をつくのは女性 じょせい より男性 だんせい のほうがはるかに多 おお いという結果 けっか が出 で ている[14] 。とはいえ、嘘 うそ をつく人 ひと がより否定 ひてい 的 てき な用語 ようご を使 つか い、出来事 できごと から距離 きょり を置 お き、感覚 かんかく や知覚 ちかく に関連 かんれん する言葉 ことば をあまり使 つか わず、認知 にんち 負荷 ふか が重 おも く、認知 にんち プロセスへの言及 げんきゅう が少 すく ないという傾向 けいこう は、統計 とうけい 的 てき 文献 ぶんけん 分析 ぶんせき でも示 しめ されており、質 しつ の高 たか い証拠 しょうこ と考 かんが えられる[15] 。
嘘 うそ 発見 はっけん 技術 ぎじゅつ の嘘 うそ [ 編集 へんしゅう ]
「嘘 うそ をつくとき人 ひと は(その人 ひと から見 み て)右 みぎ 上 じょう を見 み る」という嘘 うそ を見破 みやぶ るテクニックが広 ひろ く知 し られており、右 みぎ 利 き きの人 ひと が右 みぎ を向 む いた場合 ばあい 、脳 のう の創造 そうぞう 的 てき な部分 ぶぶん である右 みぎ 半球 はんきゅう が活性 かっせい 化 か し、嘘 うそ を作 つく っていることがわかり、一方 いっぽう 、左 ひだり を向 む いた場合 ばあい は、理性 りせい 的 てき な左 ひだり 半球 はんきゅう の活動 かつどう を示 しめ しており、話 はな し手 て が真実 しんじつ を語 かた っていることを示 しめ しているため、眼球 がんきゅう の動 うご きで嘘 うそ を見抜 みぬ けると言 い われる[16] 。この考 かんが えは、警察 けいさつ の取調 とりしら べの訓練 くんれん に使 つか われたと言 い われるほど常識 じょうしき として定着 ていちゃく しており、ウェブ上 じょう でもあちこちで見 み かけるようになった。しかし、複数 ふくすう の実験 じっけん 的 てき 検証 けんしょう により、完全 かんぜん に誤 あやま りであることが分 わ かっており、研究 けんきゅう 者 しゃ の一人 ひとり のハートフォードシャー大学 だいがく 心理 しんり 学 がく 教授 きょうじゅ リチャード・ワイズマンは、この考 かんが えは「狂気 きょうき の沙汰 さた である」と述 の べている[16] 。この間 あいだ 違 ちが った心理 しんり 学風 がくふう の理論 りろん は、1970年代 ねんだい -80年代 ねんだい に作 つく られたセルフヘルプ 哲学 てつがく のNLP(神経 しんけい 言語 げんご プログラミング )の文献 ぶんけん に端 はし を発 はっ していると言 い われ[16] 、NLPでアイ・アクセシング・キューと呼 よ ばれるテクニックに起因 きいん する。ワイズマンは、元々 もともと NLPの文献 ぶんけん では、再 さい 構築 こうちく された記憶 きおく と生成 せいせい された記憶 きおく 、つまり想像 そうぞう と実際 じっさい に起 お こった出来事 できごと の違 ちが いについての話 はなし であったが、これが時間 じかん をかけて、嘘 うそ と事実 じじつ に関 かん する話 はなし にすり替 か わっていったと指摘 してき している[16] 。この考 かんが え方 かた が広 ひろ まるにつれ、厳密 げんみつ な検証 けんしょう もされないまま、研修 けんしゅう のマニュアルに組 く み込 こ まれ、多 おお くの組織 そしき で面接 めんせつ 官 かん は、採用 さいよう 志望 しぼう 者 しゃ が自分 じぶん の過去 かこ について話 はな す際 さい には、嘘 うそ を見抜 みぬ くために、眼球 がんきゅう 運動 うんどう のパターンに注意 ちゅうい するように指導 しどう されていた[16] 。
文学 ぶんがく ・娯楽 ごらく と嘘 うそ [ 編集 へんしゅう ]
フィクション であることを前提 ぜんてい とする小説 しょうせつ や映画 えいが 、漫画 まんが や漫才 まんざい など、芸術 げいじゅつ や娯楽 ごらく の分野 ぶんや では、表現 ひょうげん 技法 ぎほう の一 ひと つとして嘘 うそ が用 もち いられる。
一 いち 例 れい として、NHK の大河 たいが ドラマ などの時代 じだい 劇 げき においては、実在 じつざい した歴史 れきし 上 うえ の人物 じんぶつ や史実 しじつ をドラマに取 と り入 い れると共 とも に、台詞 せりふ を現代 げんだい 口語 こうご に近 ちか づけたり、殺陣 さつじん や効果 こうか 音 おん などを専用 せんよう のスタジオで収録 しゅうろく する、といった「表現 ひょうげん 技法 ぎほう の一 ひと つとしての嘘 うそ 」が用 もち いられている。また、文学 ぶんがく の分野 ぶんや では、嘘 うそ をつく事 こと 「そのもの」を、ストーリーとして描 えが いた『ほら男爵 だんしゃく の冒険 ぼうけん 』などの作品 さくひん がある。
他 ほか にも、漫才 まんざい やコント では、「表現 ひょうげん 技法 ぎほう の一 ひと つとしての嘘 うそ 」を、あたかも事実 じじつ かのように披露 ひろう することで、作品 さくひん の効果 こうか を高 たか める方法 ほうほう が用 もち いられる。
これらを鑑賞 かんしょう する際 さい には、悪意 あくい を伴 ともな わない「表現 ひょうげん 技法 ぎほう の一 ひと つとしての嘘 うそ 」が作品 さくひん に含 ふく まれている事 こと を論理 ろんり 的 てき に理解 りかい し、楽 たの しむ姿勢 しせい (いわゆるメディア・リテラシー )が必要 ひつよう である。
人間 にんげん 以外 いがい の嘘 うそ [ 編集 へんしゅう ]
ヒト 以外 いがい の動物 どうぶつ が嘘 うそ をつく場合 ばあい もある。
いわゆる擬態 ぎたい は他 た のもののふりをして他 た の生 い き物 もの を騙 だま すことである。その意味 いみ では植物 しょくぶつ にも例 れい がある。より嘘 うそ に近 ちか いものは鳥類 ちょうるい における擬 なずらえ 傷 きず (英語 えいご 版 ばん ) という例 れい もある。
もっともこれらは本能 ほんのう 行動 こうどう や習性 しゅうせい と考 かんが えられ、ヒトの付 つ く嘘 うそ とは根本 こんぽん 的 てき に異 こと なるものと見 み た方 ほう がよい。しかしヒトと同 おな じ意味 いみ の嘘 うそ をつくものもあり、ほ乳類 にゅうるい ではいくつかの例 れい が知 し られる。コンラート・ローレンツ はその著書 ちょしょ 『人 ひと イヌにあう』(en )の中 なか で、一章 いっしょう を費 つい やしてこれに触 ふ れている。たとえば帰 かえ ってきた飼 か い主 ぬし に対 たい して、誤 あやま って吠 ぼ えついてしまったイヌ が、主人 しゅじん の顔 かお を認 みと めた後 のち に、隣家 りんか のイヌに吠 ほ えかかった例 れい があり、これは「飼 か い主 ぬし に吠 ほ えていたんじゃなく、隣 となり のイヌに吠 ほ えていたんだ」というポーズを取 と ることで、寸前 すんぜん の自分 じぶん の行動 こうどう を説明 せつめい しようとする嘘 うそ であるという。また、ネコ は嘘 うそ をつかないと言 い い、これはむしろネコの方 ほう がイヌより知能 ちのう が低 ひく いためとの判断 はんだん を示 しめ した。さらに、霊長 れいちょう 類 るい での例 れい を挙 あ げ、彼 かれ らは嘘 うそ をつくだけでなく、それが嘘 うそ であることを自覚 じかく していること、またヒトの嘘 うそ に騙 だま されたり、それを見抜 みぬ いて怒 おこ ったり することを述 の べている。
嘘 うそ をつく人 ひと の言 い うことが信用 しんよう できるかどうかは、ややこしい問題 もんだい (パラドックス )を生 う む。
クレタ人 じん が『クレタ人 じん は嘘 うそ つきだ』と言 い ったが、これは信用 しんよう できるかどうか、というのは、嘘 うそ つきのパラドックス と呼 よ ばれる。詳 くわ しくはエピメニデスのパラドックス を参照 さんしょう のこと。同様 どうよう な例 れい は他 ほか にも数多 かずおお く。たとえば以下 いか のようなクイズがある。そのバリエーションも幾 いく つか存在 そんざい する。
道 みち が天国 てんごく 行 い きと地獄 じごく 行 い きに分 わ かれている。天国 てんごく に行 い きたいが、どちらかはわからない。分 わ かれ道 みち には正直 しょうじき 者 しゃ と嘘 うそ つきがいて、どちらかに1回 かい だけ質問 しつもん が可能 かのう 。さて、何 なん と尋 たず ねればいいか。
また、フレドリック・ブラウン の『火星 かせい 人 じん ゴーホーム 』では、火星 かせい 人 じん への対応 たいおう に苦慮 くりょ した学者 がくしゃ が、ふと「彼 かれ らは嘘 うそ をつけないのではないか」という仮定 かてい を思 おも いつくが、途端 とたん に出 で てきた火星 かせい 人 じん が言 い う。「俺 おれ たちは嘘 うそ がつける。さあ、これをどう考 かんが える?」。
嘘 うそ から出 で たまこと
嘘 うそ も方便 ほうべん
嘘 うそ つきは泥棒 どろぼう の始 はじ まり
嘘 うそ も追従 ついしょう も世渡 よわた り
嘘 うそ も誠 まこと も話 はなし の手管 てくだ
嘘 うそ をつかねば仏 ふつ になれぬ
^ 以下 いか 、便宜上 べんぎじょう 、「嘘 うそ つき」と呼 よ ぶ。
^ 事実 じじつ に反 はん することがき手 きて にあらかじめ了解 りょうかい されている場合 ばあい は、嘘 うそ ではなくフィクションや冗談 じょうだん といったものに分類 ぶんるい される。
^ 心理 しんり 学者 がくしゃ の研究 けんきゅう では、患者 かんじゃ がかわいそう、と言 い いつつ実 じつ は、本当 ほんとう のことを伝 つた えないことで、患者 かんじゃ の残 のこ された人生 じんせい まで支配 しはい してしまおうとする動機 どうき 、最後 さいご まで本人 ほんにん の好 す きなようには絶対 ぜったい にさせないようにしようとする動機 どうき が、家族 かぞく の側 がわ に無意識 むいしき に潜 ひそ んでいることがあるという。
^ 「ある高僧 こうそう がガンになった際 さい 、あれほどの高僧 こうそう なら大丈夫 だいじょうぶ だろうとガンを告知 こくち したところめっきり気落 きお ちして予想 よそう より早 はや く死去 しきょ した」というお話 はなし 、お噺 はなし 、がしばしば引 ひ き合 あ いにだされた。
コンラート・ローレンツ 著 しる 、小原 おはら 秀雄 ひでお 訳 わけ 、『人 ひと イヌにあう』、(1966)、至誠 しせい 堂 どう
ダレル・ハフ 著 しる 、高木 たかぎ 秀 しげる 玄 げん 訳 やく 、『統計 とうけい で嘘 うそ をつく法 ほう 』、(1968)、講談社 こうだんしゃ ブルーバックス
「プロが教 おし える決算 けっさん 書 しょ の嘘 うそ を見抜 みぬ く術 じゅつ : その財務諸表 ざいむしょひょう は巧妙 こうみょう に粉飾 ふんしょく されていないか?」 経理 けいり woman、16(198), 99-106, 2012-09
越智 おち 啓 あきら 太 ふとし 『すばらしきアカデミックワールド: オモシロ論文 ろんぶん ではじめる心理 しんり 学 がく 研究 けんきゅう 』北大路 きたおおじ 書房 しょぼう 、2021年 ねん 。