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この項目では、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線について説明しています。その他の用法については「山手線 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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山手線(やまのてせん)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営する鉄道路線(幹線)である。駅ナンバリングで使われる路線記号はJY。
「山手線」には、次の4つの意味合いがある。
- 正式路線名(線路名称)としての「山手線」:東京都港区の品川駅を起点に、渋谷駅、新宿駅、池袋駅を経由して北区の田端駅を結ぶ全長20.6 kmの鉄道路線の名称[1][2]。東海道本線の支線。国鉄分割民営化時運輸省(現・国土交通省)に提出された事業基本計画および国土交通省監修の『鉄道要覧』に記載された山手線の区間でもある[1][新聞 1]。駒込駅と田端駅間の一部区間を除き、ほぼ全線複々線であるが、このうちの埼京線電車、湘南新宿ライン列車や特急列車、貨物列車の走る線路を通称「山手貨物線」と呼ぶ[3]。
- 運転系統としての「山手線」:上記 1. に東海道本線の一部および東北本線の一部区間を合わせて東京都区部内で環状運転を行う近距離電車の運転系統。実際にはこの系統のみが使用する専用の線路があり、それが「山手線」と呼ばれる[4]。
- マルスのシステム上の経路表示における「山手線」:上記1.から、代々木駅 - 新宿駅間を除外し、田端駅 - 日暮里駅間を含む(代々木駅 - 新宿駅間は「中央東線」と表示される)。
- 運賃計算上の「東京山手線内」:東京駅からの営業キロ程が100 km超200 km以内の範囲に所在する駅に発着する乗車券(または1 km超200 km以内の範囲に所在する駅に発着する一部の特別企画乗車券)に表示されることがある運賃計算上の名称。上記2.の区間に加え、環状線内側にある中央本線神田駅 - 代々木駅間および総武本線秋葉原駅 - 御茶ノ水駅間を含む。また、この区間内相互の近距離運賃は区間外よりも低額に設定されている[5]。
以降、特記のない場合は、2. の運転系統としての山手線を指すものとする。
山手線は、日本の首都である東京の都心部で環状運転を行い[4]、多くの駅において、都心から各方面へと伸びるJR東日本(在来線・新幹線)や私鉄各社の放射路線および都心部を走る地下鉄各線に接続している[6]。上野駅・東京駅・品川駅・渋谷駅・新宿駅・池袋駅など世界トップクラスの利用者数を持つターミナル駅を多数抱え、東京における最重要の公共交通機関として機能している。またその路線の性格から、東京のみならず全国的に高い知名度を誇る。1周の長さは34.5 km、1周の所要時間は内回り、外回りとも標準で59分[注釈 1]、朝ラッシュ時は61分、夕方ラッシュ時は60 - 61分(いずれも大崎駅での停車時間を除く)である[7]。ラインカラーは1963年登場の103系電車の車体の色に使用されたウグイス色(■、国鉄黄緑6号)であり[注釈 2]、以降登場したステンレス車両の帯の色や[8]旅客案内(路線図・サインシステムなど)にも使用されている。
山手線は、日本の文明開化期に私鉄の日本鉄道が当時国内有数の貿易港であった横浜港と関東地方内陸部の各地(埼玉県、群馬県、栃木県)さらに東北地方および北陸地方方面を結ぶ貨物線として建設した、赤羽駅 - 品川駅(および大井町駅)間を結ぶ鉄道路線(当初は品川線と呼称)である。当時の東京の人口密集地域であった下町を避け、街外れだった山手に建設された[9]。その後、同じく日本鉄道が現在の常磐線方面と横浜港方面間の接続を目的として建設した池袋駅 - 田端駅間(当初は豊島線と呼称)を加え現在の山手線の線路の原型が完成[10]、国有化ののち、太平洋戦争後の高度経済成長期に池袋駅 - 赤羽駅間を現行の赤羽線として分離した[11]。開業以来、武蔵野線が開通するまでは、関東北部および東北方面から横浜港方面に向けの輸出品輸送、逆方向の輸入品輸送の大動脈であった。現在も少数であるが東北本線方面と東海道本線方面を結ぶ貨物列車が毎日運行されている[注釈 3][12]。
旅客輸送は、開業当初は新橋駅 - 品川駅 - 渋谷駅 - 新宿駅 - 板橋駅 - 赤羽駅間を往復する列車が1日数往復のみ運行され[9]、その後、東京山手の人口増に伴い上野駅を起点として池袋駅、新宿駅、渋谷駅、品川駅、新橋駅を経て東京駅方面に至る環状運転が開始され[3]、その後、上野駅 - 東京駅間の開通により京浜線と東北本線の相互直通運転が開始された時期と同じくして現在の運行形態へと移行、定着した。
明治後期から昭和期にかけての私鉄各社は、地下鉄道であれば東京地下鉄道や東京高速鉄道のように東京15区内に路線を敷設できたが、地上線となると東京15区内が東京市電の路線網内だったこともあり敷設が難しく、山手線の各駅に隣接して都心側のターミナル駅を設置することとなった。戦後も引き続き山手線内に新設する路線はすべて地下鉄道であることが条件となったため、私鉄の資本力では山手線内に直通することは実現不可能となった。山手線の各駅は都内交通への乗り継ぎ・中継地となり、やがて各私鉄が自力で都心延伸するよりもターミナルに自社の商業施設を集中した方が利益になると判断し始めて、西武百貨店や東急百貨店などの電鉄系百貨店を開業させた。大手私鉄のターミナル駅周辺にある渋谷、新宿、池袋などの副都心は発展を遂げていき、旧東京市の中心市街地を凌ぐ繁華街にまで成長した。
こうした新都心を相互に連結する山手線は、東京の交通網の基本路線として機能しており、太平洋戦争後、私鉄が営団地下鉄(現在の東京地下鉄〈東京メトロ〉)や都営地下鉄と相互直通運転を開始し、郊外から電車が直接都心に乗り入れるようになっても、依然として東京山手の副都心間を結ぶ路線等として機能している。朝ラッシュ時の混雑率が250%を越えていた時期もあったが、地下鉄網の発達や並行する山手貨物線の旅客化(埼京線・湘南新宿ラインの開業)[13]、山手線自身の6扉車導入による11両化[14]、上野東京ラインの開業など、新線開業が相次いだことにより混雑は大幅に緩和された。2015年度以降の朝ラッシュ時混雑率は外回り、内回りとも170%を下回っている(利用状況の節も参照)。
通勤などビジネスや通学、買い物といった日常生活のほかに、訪日外国人を含めた観光目的での利用も多い。JR東日本も観光での利用者開拓に力を入れており、2017年に山手線プロジェクトチームを設置。山手線を「東京感動線」と称して、2018年から沿線の文化や店舗を紹介するフリーマガジン『TOKYO MOVING ROUND』を配布するなどしている[15][16]。
なお、環状運転系統としての平均駅間距離は1.15 kmである[注釈 4]。
路線名の読み方[編集]
山手線の読み方は、対義語である山の手と下町からの「やまのてせん」であり、太平洋戦争前も「やまのてせん」と読んでいた。開業時の申請書には表記を「山ノ手線」とする旨が書かれており、開業時表記は「山手線」となったが、読みは「やまのてせん」だった。ところが終戦直後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の指示により、鉄道施設や道路標識などにローマ字併記が進められた際、山手線には国鉄部内での通称だった「ヤマテ」につられて「YAMATE=Loop=Line」とローマ字を振ったことがきっかけとなり、その後「やまてせん」という読み方が一般に定着してしまった[17]。
読み方が「やまのてせん」に戻ったのには2つの理由がある。1つは1970年から始まったディスカバー・ジャパンキャンペーンで、駅名や路線名を分かりやすいようにしようとする動きが起こったためである。もう1つは、群馬県の長野原線が大前駅まで延伸開通した際に路線名を「吾妻線(あがつません)」に改称したことである。吾妻線が「あづません」と読み間違えられるのを防ぐため、[要出典]国鉄では全路線の線路名称にふりがなをつけることを決定。山手線には「やまのてせん」というふりがなを振り、吾妻線が大前駅まで開通した1971年3月7日から実施した[18]。国鉄当局が「やまのてせん」を選択して復活させた理由は、線名の由来・発祥からして、「やまのてせん」の方が伝統的に正しいことと[19]、田端駅 - 品川駅で並走する京浜東北線の直通先の根岸線にある山手駅(やまてえき 1964年5月開業)との混同を避ける(京浜東北・根岸線の「山手行き」と勘違いさせない)ためである。これに伴い、その趣旨を徹底させるため、電車に掲出される方向幕の行先表示は、漢字表記は「山手」を「山手線」に、ローマ字表記は「YAMATE」を「YAMANOTE LINE」と改めた[17]。
1925年に
環状運転を
開始したときの
山手線。
上野駅に
進入する
外回り
電車。
山手線はもともと、日本鉄道が現在の東北本線および東海道本線を連絡するために品川駅 - 赤羽駅間の山の手に敷設した線路であった。東京市街地の拡大に伴い、市街をめぐる大都市の基幹交通路線に性格を変えていった。電車が運行を開始したのは1909年(明治42年)[20]、現在のように環状運転が実施されるようになったのは関東大震災後の1925年(大正14年)のことである[3]。
日本鉄道品川線と呼ばれたこの路線は、港があった品川・横浜方面と東京の北側を結ぶ日本鉄道第一区線の一部として計画された路線であった[21]。しかし起伏地である山の手に線路を敷くには技術的にも資金的にも困難であったことから、まずは日本鉄道第一区線の開業を優先し、1883年(明治16年)7月28日に江戸下町の北部にあたる現在の上野駅の地を起点として開業[22]、その後の1885年(明治18年)3月1日、当初の計画に準じ、日本鉄道第一区線と官設鉄道(現在の東海道本線)とを連絡する品川駅 - 赤羽駅間(現在の山手線品川駅 - 池袋駅間と赤羽線池袋駅 - 赤羽駅間)が開業した。当時、日本鉄道の南端は上野駅、官設鉄道の北端は新橋駅(後の汐留駅)で、この両駅を結べば建設距離は短くて済んだが、両駅間の土地は江戸の下町に当たるため鉄道を敷設することは難しかった[9]。一方で山の手を通すと遠回りにはなるものの、当時の山の手の居住人口は少なく、鉄道敷設への理解も得られやすく、この経路が選ばれた[20]。開業後の1886年(明治19年)7月1日時点では、新橋駅 - 品川駅 - 赤羽駅間には毎日4往復の直通旅客列車が運行されていた[23]。1891年(明治24年)9月1日に日本鉄道第一区線から第五区線が全通し、横浜・新橋・品川・上野方面と、高崎・宇都宮・福島・仙台・盛岡・青森方面が鉄路で結ばれた[23][24][25]。
一方、同じ日本鉄道の路線である土浦線(1901年に海岸線に改称、現在の常磐線)と品川・横浜方面の連絡線の建設も計画された。土浦駅 - 南千住駅 - 田端駅間を結ぶ日本鉄道土浦線は、1896年(明治29年)12月25日、日本鉄道第一区線上に田端駅を開業すると同時に開通、土浦、水戸方面と東京の北側を直結させた[26]。この海岸線と山手線を結ぶ短絡線(山手線枝線、当初は豊島線と呼称)は、1903年(明治36年)4月1日に日本鉄道品川線に池袋駅を開業し[27]、同時に田端駅と池袋駅間を結ぶ線路の開通によって営業を開始した[23][25]。この短絡線の建設に当たっては、当初は目白駅を分岐点とする計画もあったが、同駅周辺に十分な用地の確保が困難だったため、現在の池袋駅が開設され分岐点となった。駒込駅 - 巣鴨駅間で線路が南西を向いているのは、当初は目白駅を分岐点としていた名残といわれる。この短絡線は当初、豊島線と呼称されていたが[10]、開業に先立つ1901年(明治34年)11月16日、日本鉄道は逓信大臣の認可のもと、定款の区線名称を変更し品川線と豊島線(当時未成線)を合わせ山手線とした[28]。
開業後、東北・信越・常磐線のみならず中央線と東海道線を結ぶ役割も担うようになり、また、日露戦争の勃発などで貨物輸送量が大幅に増え、1904年の新宿駅 - 池袋駅間を皮切りに1910年まで複線化が行われた[21]。この際、池袋駅 - 赤羽駅間は複線化から取り残され、支線的性格を強めた[3]。
日本鉄道が国有化された1906年(明治39年)11月1日[21]時点では、品川駅 - 赤羽駅間に貨物列車のほかこの区間を単純往復する旅客列車も運行された(毎日9往復)。1909年(明治42年)10月12日の各鉄道路線に路線名が付与された際は、池袋駅 - 赤羽駅間も含め現在の山手線区間(品川駅 - 池袋駅 - 田端駅間)と合わせて東北線の部 山手線となった[25][29]。この当時は、池袋駅より北側は現在の赤羽線を経由して赤羽駅までが山手線本線、旧豊島線区間は山手線の支線であった[30]。その後、同年12月16日に烏森駅(現・新橋駅)が開業し、烏森駅 - 新宿駅 - 上野駅間が電化され、電車の「C」の字形運転が開始された[21]。このとき、品川駅 - 烏森駅間は京浜線(現在の京浜東北線)に乗り入れる形をとっていた。東海道本線が東京駅まで延伸開業し、中央線も同駅まで延伸されると、中央線と山手線を接続し、中野駅 - 新宿駅 - 東京駅 - 品川駅 - 新宿駅 - 池袋駅 - 田端駅 - 上野駅間で「の」の字運転が開始され、このころから現在の赤羽線区間が山手線枝線の運行形態になった。1923年の関東大震災で一時中断したが、1924年4月25日までこの形態は続いた。1925年(大正14年)11月1日に東北本線の秋葉原駅 - 神田駅間が完成し、東京 - 上野間が高架で複線化されたときに中央線への乗り入れは中止され、環状運転が開始された。このとき、京浜線も田端まで延伸されている[3]。
環状運転開始当時のダイヤは、基本的に毎時5本(12分間隔)で運転され、一周の所要時間は72分、池袋駅‐赤羽駅間(現在の赤羽線)の所要時間は10分であった。このほか、通勤時間帯には臨時電車が運転されたほか、田端駅 ‐ 田町駅間は京浜線電車も運転されていた[31]。
戦後、復興に伴う輸送量の増大で山手線、京浜線とも増発が行われ、1956年11月19日から共有だった両者の線路(田端駅 - 田町駅間:11.7 km)を分離し、内側を環状運転を行う山手線、外側を往復運転を行う京浜東北線(分離時に改名)が走るようになった[32]。
1972年(昭和47年)には、当初山手線本線であった赤羽駅 - 池袋駅区間の線路名称が赤羽線に変更された。赤羽線は山手線の本線として運営されてきたため、池袋駅では10両編成化に伴う新ホーム設置(現行3・4番線)までは山手線外回り始発電車ホーム(現行8番線)を発着していた。ラインカラーもかつて山手線で使われていた「カナリア(黄色)」が、山手線が「ウグイス(黄緑色)」に塗装変更されたあとも使われた。1985年(昭和60年)9月30日、赤羽線は埼京線の一部として運行される現在の形態に移行した[33]。
車両は1960年代初めまでは72系が使用されていたが、1961年(昭和36年)からカナリア色の101系が使用された。その後、1963年(昭和38年)からウグイス色の103系が主力となったが、老朽化のため1988年(昭和63年)6月で運行を終了し、205系にすべて置き換わった。このとき導入されたサハ204形が6扉車の初めである[34]。この後、E231系500番台に置き換わったが[8]、6扉車はサハE230形500番台として継承された。しかし、ホームドア設置のため6扉車は2011年(平成23年)9月4日に全車運用を離脱し[35]、廃車となった。2015年(平成27年)からはE235系が運行を開始した[新聞 2]。
日本鉄道国有化前[編集]
*が付いている駅は、のちに路線分離により赤羽線の駅となった駅。
- 1872年(明治5年)
- 6月12日:官設鉄道 品川駅 - 横浜駅間鉄道仮営業。品川駅開業。
- 10月14日:新橋駅 - 横浜駅間本開業。新橋駅(初代)開業。
- 1883年(明治16年)7月28日:日本鉄道 上野駅 - 熊谷駅間開業。上野駅開業。
- 1885年(明治18年)
- 3月1日:日本鉄道品川線 品川駅 - 赤羽駅間(12 M75 C50 L≒20.83 km)開業。渋谷駅・新宿駅・板橋駅*開業。
- 3月16日:日本鉄道品川線 目黒駅・目白駅開業。
- 1890年(明治23年)
- 1月25日:MCL表示からMC表示に簡略化(12M75C50L→12M76C)。
- 11月1日:日本鉄道 上野駅 - 秋葉原駅間貨物線開通。秋葉原駅(貨物駅)開業。
- 1894年(明治27年)8月:のちの大井聯絡所とのちの大崎駅を結ぶ軍用線が竣工開業(1901年貨物線となる)。
- 1896年(明治29年)4月1日:日本鉄道 田端駅開業。
- 1901年(明治34年)
- 2月25日:日本鉄道山手線 大崎駅・恵比寿駅(貨物駅)開業。
- 3月15日:官設鉄道 大井聯絡所 - 大崎駅間で貨物列車運行開始。
- 8月1日:官設鉄道 大井聯絡所 - 大崎駅間(72 C≒1.45 km)が正式に開業。
- 8月8日:日本鉄道が定款を変更し、品川線(品川駅 - 赤羽駅間)と豊島線(池袋駅 - 田端駅間、このとき未開業)を統合し山手線とする[28][注釈 5]。
- 1902年(明治35年)
- 5月10日:日本鉄道山手線 目白駅 - 板橋駅間に池袋信号所を開設[27]。
- 11月12日:MC表示からマイル表示に簡略化(品川駅 - 赤羽駅間 12 M76 C→13.0 M、大井駅 - 大崎駅間 72 C→0.9 M)。
- 1903年(明治36年)4月1日:日本鉄道山手線 池袋駅 - 田端駅間(3.3 M≒5.31 km)開業(複線)。池袋信号所を駅に変更し池袋駅開業[27]。大塚駅・巣鴨駅開業。
- 1904年(明治37年)11月:日本鉄道山手線 新宿駅 - 池袋駅間複線化。
- 1905年(明治38年)
- 4月1日:日本鉄道 日暮里駅開業。
- 6月10日:日本鉄道山手線 赤羽駅 - 板橋駅間に十条駅(貨物駅)開業。
- 10月:日本鉄道山手線 渋谷駅 - 新宿駅間複線化。
- 1906年(明治39年)
- 2月7日:日本鉄道山手線 十条駅(貨物駅)廃止。
- 9月23日:甲武鉄道 代々木駅開業(山手線には駅が設置されず通過。10月1日国有化)。
- 10月:日本鉄道山手線 大崎駅 - 渋谷駅間複線化。
- 10月30日:日本鉄道山手線 原宿駅開業。恵比寿駅が旅客営業開始。
国有鉄道時代[編集]
- 1906年(明治39年)
- 1909年(明治42年)
- 10月12日:国有鉄道線路名称制定。赤羽駅 - 品川駅間、池袋駅 - 田端駅間、貨物支線 大崎駅 - 大井聯絡所間を山手線(東北線の部)とする。
- 11月30日:大崎駅 - 品川駅間複線化。
- 12月16日:東海道本線 品川駅 - 烏森駅(現在の新橋駅)間開業。山手線 田端駅 - 池袋駅間、赤羽駅 - 品川駅間電化。上野駅 - 新宿駅 - 品川駅 - 烏森駅、赤羽駅 - 池袋駅間に電車運転開始。代々木駅停車開始(中央本線の駅として1906年にすでに開業)。
- 1910年(明治43年)
- 4月1日:田端駅 - 池袋駅間複線化。
- 6月25日:東海道本線 烏森駅 - 有楽町駅間開業。
- 9月15日:山手線 高田馬場駅開業。東海道本線 有楽町駅 - 呉服橋駅(のちに廃駅)間開業。
- 11月1日:十条駅*開業。
- 11月15日:駒込駅開業。
- 1911年(明治44年)10月15日:五反田駅開業。
- 1912年(明治45年)7月11日:鶯谷駅開業。
- 1914年(大正3年)
- 5月24日:代々木練兵場(現在の代々木公園)にて昭憲皇太后の大葬が行われたのに伴い、葬場殿仮停車場を開設、引き込み線の形で原宿駅 - 葬場殿仮停車場間(0.4 M≒0.64 km)開業(同月26日廃止)。
- 11月15日:新大久保駅開業。
- 12月20日:東海道本線 東京駅開業。大井聯絡所を駅に変更して大井町駅開業。新橋駅を汐留駅と改称し、烏森駅を新橋駅とする。
- 1916年(大正5年)4月16日:貨物支線 大崎駅 - 大井町駅間(0.9 M≒1.45 km)廃止。
- 1918年(大正7年)12月20日:品川駅 - 大崎駅間複々線開通、山手線複々線化の開始。
- 1919年(大正8年)
- 3月1日:中央本線と接続し中野駅 - 東京駅 - 品川駅 - 池袋駅 - 上野駅間で“「の」の字運転”を開始。神田駅開業。
- 3月10日: 五反田駅 - 目黒駅間に上大崎仮信号所を開設。
- 1922年(大正11年)4月1日:信号所を信号場に変更。
- 1923年(大正12年)9月1日:関東大震災で有楽町駅、新橋駅、浜松町駅、鶯谷駅、上野駅焼失。
- 平常時の運転に復旧(東京駅への乗り入れは1924年1月13日以降)。
- 1925年(大正14年)
- 3月28日:品川駅 - 池袋駅 - 田端駅間の電車専用線複線化完成(客貨分離)。
- 4月26日:山手線複々線開業式、新宿駅新駅舎落成式挙行。
- 11月1日:東北本線 神田駅 - 上野駅間開業。秋葉原駅が旅客営業開始。御徒町駅開業。環状運転開始。
- 1927年(昭和2年)
- 2月25日:山手線電車区間(池袋駅 - 赤羽駅間は除く)荷物専用電車運転開始。
- 4月20日:高田馬場駅 - 新大久保駅間に戸山ヶ原信号場開設。
- 1929年(昭和4年)8月21日:品川駅 - 大崎駅間に目黒川信号場を開設。
- 1930年(昭和5年)4月1日:マイル表示からメートル表示に変更(赤羽駅 - 品川駅間 13.0 M→20.9 km、池袋駅 - 田端駅間 3.3 M→5.2 km)。
- 1935年(昭和10年)
- 11月1日:上大崎仮信号場廃止。
- 11月15日:戸山ヶ原信号場廃止。
- 1945年(昭和20年)
- 4月13日:太平洋戦争下の空襲により田端駅・鶯谷駅・駒込駅・高田馬場駅・池袋駅などの駅と池袋電車区焼失。
- 5月24日:空襲により五反田駅・恵比寿駅など焼失。
- 5月25日:空襲より東京駅など焼失。山手線全線不通。
- 5月29日:運転を再開。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道発足。
- 1956年(昭和31年)11月19日:田端駅 - 田町駅間線増、朝夕に限って京浜東北線と分離運転開始。
- 1961年(昭和36年)9月:101系を投入。車体色はカナリア・イエロー。
- 1963年(昭和38年)12月:103系を投入。車体色をウグイスに変更。
- 1965年(昭和40年)
- 1968年(昭和43年)10月1日:10両編成運転開始。
- 1969年(昭和44年)4月:車体をウグイス色に統一。
- 1970年(昭和45年)7月31日:国電山手線初の103系冷房車運行開始。
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)7月15日:山手線を東北線の部から東海道線の部に移し、区間表示を品川駅 - 新宿駅 - 田端駅間 (20.6 km) に変更。池袋駅 - 赤羽駅間 (5.5 km) は赤羽線として分離。
- 1981年(昭和56年)12月6日:自動列車制御装置 (ATC)・列車無線使用開始。
- 1985年(昭和60年)3月25日:国電初のステンレス通勤形車両、205系が山手線で使用開始。
JR東日本の発足後[編集]
山手線に導入された6扉車(2003年2月2日)
車内広告が1
社で
統一された
ADトレイン(2003
年8
月3
日 高田馬場駅)
- 1987年(昭和62年)
- 4月1日:国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道(JR東日本)の路線となる。
- 8月:アートコーヒーの主催によるイベント列車「RAIL TRAIN YAMANOTE」運転。
- 1988年(昭和63年)
- 1990年(平成2年)
- 3月10日:6扉車サハ204形900番台試作車を1編成に2か所連結[36]。6扉車は平日の朝10時まで座席を収納。
- 4月21日:翌年導入する予定のイオカード対応の自動改札機を東京駅・駒込駅に設置し、供用開始[新聞 4]。以後、順次山手線各駅に導入される[新聞 4]。
- 6月8日:6扉車で文字放送サービス開始[37]。
- この年、山手線で初めて車内広告が1社で統一されるADトレイン運転開始(先頭車の正面にヘッドマークを掲出)。1995年に2編成あるうちの1編成のヘッドマークを変更(のちに再変更)。205系のADトレインの歴代ヘッドマーク4個はすべて消滅。
- 10月20日:国際鉄道安全会議を記念して「TECH TRAIN」を11月4日までの土・日曜日に運転[37]。1日3往復で、運転終了後は池袋駅で展示された。使用車両は103系で、先頭車に京浜東北線から、中間車に埼京線からの車両を組み込んだ編成で運転された。車内にはJR東日本の安全への取り組みや鉄道に関する資料、模型などが展示された。なお、このときは山手線はすべて205系で運転していたため、2年4か月ぶりに山手線に103系が運転されることになる。
- 1991年(平成3年)12月1日:6扉車サハ204形0番台量産車の10号車への連結を開始し、一週間ほどで全編成が11両編成となる[38][注釈 6]。11両化された編成の先頭車前面には「11CARS」のステッカーが貼り付けられたが[38]、ステッカーは1997年までに全編成から取り外された。
- 1992年(平成4年)
- 1994年(平成6年)12月3日:土曜ダイヤを廃止し、土曜・休日ダイヤへ移行[39]。
- 1998年(平成10年)7月4日[JR 1][40]:東京圏輸送管理システム (ATOS) 使用開始。
2000年代以降の動き[編集]
E231系500番台引退記念ヘッドマークつきトウ506編成
(2020年1月)
- 2000年(平成12年)12月31日:20世紀から21世紀へのカウントダウンとして臨時列車「21GO」を翌年1月1日まで運転。使用車両は列車名にちなみ215系。
- 2001年(平成13年)
- 3月21日:「みんなの地球をみんなで考えるエコロジーキャンペーン」の一環として「エコトレイン2001」を、通常はADトレインで使用されている48番編成で4月20日まで運転。両端の車両全面にステッカー貼付。
- 12月1日:山手線で初めて「側面車体広告車」を開始。
- 2002年(平成14年)4月21日:E231系500番台が山手線で使用開始。
- 2005年(平成17年)4月17日:E231系500番台増備完了に従い、205系が山手線での使用終了。
- 2006年(平成18年)7月30日:D-ATC使用開始。
- 2007年(平成19年)
- 3月18日:D-ATC化後初のダイヤ改正[注釈 7]で、1周最速59分(起終点駅での停車時間を除く)に所要時間短縮。朝ラッシュピークに外回りを1本増発。平日日中の運転本数を4分おきにするなど、全体的に運転間隔を見直し。
- 8月26日: JRの在来線として初めてデジタル列車無線を導入。
- 2009年(平成21年)9月7日 - 12月4日:「山手線」の命名100周年[注釈 8]を記念して、E231系500番台トウ502編成に、昭和30年代に運転されていた旧形国電カラーリング(ぶどう色2号)を模したラッピング編成が登場した。なお、このラッピング編成は明治製菓の車体広告車も兼ねていた。
- 2010年(平成22年)
- 2月19日:平日朝ラッシュ時の6扉車での座席収納を終了。22日以降は終日座席が使えるようになる[新聞 7][42]。
- 6月26日:恵比寿駅でホームドアの使用を開始[43]。ただし7・10号車部分は4扉車と6扉車が混在していたため設置されず。
- 8月28日:目黒駅で7・10号車部分を除いてホームドア使用開始。
- 2011年(平成23年)
- 9月4日:全編成が全車4扉車となる[35]。
- 10月29日:恵比寿駅・目黒駅の7・10号車部分でホームドア使用開始。
- 2012年(平成24年)12月22日:大崎駅でホームドア使用開始。
- 2013年(平成25年)3月2日:池袋駅でホームドア使用開始。5・8番線は発車本数が少ないため設置対象外。
- 2015年(平成27年)
- 4月12日:神田駅 - 秋葉原駅間で、用途廃止となり撤去工事中であった架線柱が建築限界を超えて線路内に倒れ込む事故が起こる(重大インシデント)[44]。当該架線柱の傾斜は、同月10日の深夜から現場では認識されていたが、情報の取り扱いとその後の判断が悪く倒壊を防げなかった。この影響で山手線と京浜東北線が長時間にわたって運転見合わせとなり、41万人に影響が及んだ[45]。
- 11月30日:E235系が山手線で運用開始[新聞 2][JR 2]。
- 2016年(平成28年)8月20日:目黒駅から駅ナンバリングの使用を開始。路線記号は「JY」。その数日後からほかの複数駅でもナンバリングの使用を開始。
- 2018年(平成30年)5月19日:車内に防犯カメラを設置したE235系の運行を開始[新聞 8][新聞 9]。
- 2019年(平成31年・令和元年)
- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)
- 1月20日:新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の発出および国・関係自治体からの要請に伴い、以下の列車を運休[JR 4]。
- 外回り:池袋駅を0時28分以降に発車する列車を運休。終電が池袋駅 - 品川駅間で14分程度(土休日ダイヤは19分程度)、大崎駅 - 池袋駅間で19分程度繰り上げ。
- 内回り:池袋駅を0時37分以降に発車する列車を運休。終電が池袋駅 - 大崎駅間で28分程度繰り上げ。
- 10月23日・24日:渋谷駅山手線内回り線路切換工事実施のため、2日間に渡り特別ダイヤで運転[JR 5]。
- 内回り:池袋駅 - 渋谷駅 - 大崎駅間を運休。大崎駅 - 東京駅 - 池袋駅間は本数を大幅に減らして運転(池袋駅で上野方面に折返し運転)。
- 外回り:大崎駅 - 渋谷駅 - 池袋駅間で本数を減らして運転(一部、大崎駅で東京方面に折返し運転)。
- 京浜東北・根岸線:快速運転を中止(終日、各駅停車で運転)。
- 埼京線・りんかい線:新木場駅 - 大崎駅 - 赤羽駅間を増発。
- 湘南新宿ライン:通常運転。
- 相鉄線直通列車:新宿駅 - 池袋駅間を延長運転。
- 山手貨物線:品川駅 - 新宿駅間で臨時列車を運転(停車駅は、品川・恵比寿・渋谷・新宿)。
- 2023年(令和5年)
- 1月7日・8日:渋谷駅山手線外回り線路切換工事実施のため、2日間に渡り特別ダイヤで運転[JR 6][48]。
- 内回り:池袋駅 - 渋谷駅 - 大崎駅間で本数を減らして運転(一部、池袋駅で上野方面に折返し運転)。
- 外回り:大崎駅 - 渋谷駅 - 池袋駅間を運休。池袋駅 - 東京駅 - 大崎駅間は本数を大幅に減らして運転(大崎駅で東京方面に折返し運転)。
- その他の措置は2021年10月の体制を概ね踏襲。但し山手貨物線臨時列車は品川駅発着から大崎駅発着に変更。
- 11月18日(外回り)・19日(内回り):渋谷駅山手線線路切換工事実施のため、2日間に渡り特別ダイヤで運転[JR 7]
- 11月18日:2023年1月と同様、外回り・大崎駅 - 渋谷駅 - 池袋駅間を運休。池袋駅 - 東京駅 - 大崎駅間は大幅減便。内回りも一部、池袋駅で上野方面に折返し運転。
- 11月19日:2021年10月と同様、内回り・池袋駅 - 渋谷駅 - 大崎駅間を運休。大崎駅 - 東京駅 - 池袋駅間は大幅減便。外回りも一部、大崎駅で東京方面に折返し運転。
- その他の措置は2023年1月の体制を概ね踏襲。
路線名称の変遷[編集]
時期
|
品川 - 池袋
|
池袋 - 赤羽
|
池袋 - 田端
|
田端 - 上野
|
上野 - 秋葉原
|
秋葉原 - 東京
|
東京 - 品川
|
-1901年
|
品川線
|
豊島線(未開業)
|
第一区
|
秋葉原線
|
(未開業)
|
東海道線 (烏森 - 品川)
|
1901年-
|
山手線(本線)
|
山手線(支線・未開業)[28]
|
1903年-
|
山手線(支線)
|
1906年2月-
|
本線南区
|
1906年11月-
|
日本線(山手線 本線)
|
日本線(山手線 支線)
|
日本線
|
1909年-
|
山手線(本線)
|
山手線(支線)
|
東北本線
|
東海道本線 (有楽町 - 品川)
|
1914年-
|
東北本線
|
東海道本線
|
1972年-
|
山手線(本線)
|
赤羽線
|
山手線(本線)
|
1985年-
|
赤羽線(埼京線)
|
東京駅の発着本数(平日朝)
山手線と中央線快速の比較
時間帯 |
山手線 |
中央線快速
|
内回り |
外回り |
東京駅発着
|
7時台 |
17本 |
14本 |
17本
|
8時台 |
19本 |
16本 |
26本
|
9時台 |
18本 |
15本 |
20本
|
山手線は、首都から放射状に伸びる鉄道網の起終点となる主要ターミナル駅を結ぶ首都内完結路線として[49]、高頻度の運転を実施している[50]。
複数の線区(山手線・東北本線・東海道本線)を走ることや、運行形態が環状運転であるため、運行方向は上り・下りではなく外回り・内回りという表現が旅客案内に用いられる。環状線路の複線外側を左側走行する列車が外回り(時計回り:品川駅 → 渋谷駅 → 新宿駅 → 池袋駅 → 上野駅 → 東京駅 → 品川駅)、複線内側を左側走行する列車が内回り(反時計回り)である[51]。
運転本数は都心部の旅客需要を満たすため多く、平日朝ラッシュ時は約3 - 4分間隔、土休日日中時間帯は約4分間隔、平日日中は5分間隔、平日夕ラッシュ時間帯は約4 - 5分間隔で運行されている。ただし、始発・最終付近(早朝・深夜)は運行間隔が広がる。非常に高頻度のダイヤとなっているが[50]、平日朝の本数は中央線快速よりも少ない。これは、新宿駅など利用者の多い駅での乗降に時間を要し、山手線の運転間隔を短縮できないためである。中央線快速でも新宿駅では乗降に時間を要しているが、一方向につき1面2線のホームを設け、先行列車と後続列車を別々の番線に振り分けて乗降を行う相互発着を行うことで運転間隔を短縮している。
当路線には列車種別設定がなく、すべての電車で停車駅パターンは一定で、平行ダイヤが組まれている。1周34.5 kmにかかる時間は日中(b速)の場合は59分(起・終点駅での停車時間を除く)である[7]。当路線自体には列車種別設定がないが、京浜東北線が快速運転する日中の時間帯には並行区間で山手線が各駅停車の役割となる緩急分離運転が実施されている[52]。快速停車駅間、特に田端駅 - 上野方面間、上野駅 - 東京方面間、秋葉原駅 - 浜松町方面間、東京駅 - 浜松町方面間の各区間乗車の場合、京浜東北線快速を利用した方が速いが、運転間隔が異なるため京浜東北線を利用しても必ずしも早く到着するとは限らない[注釈 9]。同様の環状運転を行う大阪環状線や名古屋市営地下鉄名城線とは異なり、他線区から環状運転系統の線路に乗り入れたり、種別が変わったり、途中駅で折り返して反対方向に運転したり[53]、大阪環状線のように優等列車として運転したりする電車はない。
一度運用についた電車は、基本的には終日同じ方向への環状運転を行っている。途中駅が終点となる電車は、平日午前中の池袋行きと毎日夜間の品川・大崎行きのみである。また、途中駅が始発となる電車は、毎日朝方の田町発と、平日午後の池袋発がある[54]。
環状運転する電車の各駅での行き先案内は、主要6駅(東京駅、上野駅、池袋駅、新宿駅、渋谷駅、品川駅)から直近の2駅を挙げて「○○・△△方面行き」としている(たとえば、有楽町駅での外回り電車は品川・渋谷方面行きと案内する)。
列車番号は、ダイヤ上の分界駅である大崎駅を基準としている。外回りは奇数、内回りは偶数で、「大崎駅発時(24時間)」+「当該編成の当日の運用番号」として、末尾に「G」をつけている。したがって、山手線を約1時間かけて1周した電車は、大崎駅で列車番号の「大崎駅発時」部分を変えて引き続き運転される(ただし、大崎行きの電車を除く)。なお、ほかの駅が始発となる電車で大崎駅を00分以前に発車する電車は「始発駅発時(24時間)」を-1する[55]。
山手線は平日には外回りが328本、内回りが322本、計650本が1日に運行されている。土曜・休日には外回り297本、内回り286本の計583本になる。2007年3月18日の改正で外回りでは平日の朝ラッシュ時に1本増発、夕方ラッシュ時に1本削減し全体での運行本数は変わらず、休日も変動はなかったが、内回りは平日は4本、土曜・休日は5本の削減となった。この改正以降、2分20秒間隔で1時間25本を運行している。改正前日の17日までは2分30秒間隔で24本の運行であった。これは車両が205系からE231系になり、アナログATCがデジタルATCになったことで1分 - 1分40秒短縮することができたためである[56]。
山手線 始発・終着電車数 各駅・各時間帯別の内訳(2007年3月18日改正)
項 目 \ 時 間 帯
|
平日ダイヤ
|
土曜・休日ダイヤ
|
内回り
|
外回り
|
内回り
|
外回り
|
始発
|
終着
|
始発
|
終着
|
始発
|
終着
|
始発
|
終着
|
大崎 |
池袋 |
田町
|
大崎 |
池袋 |
品川
|
大崎 |
池袋 |
田町
|
大崎 |
池袋 |
品川
|
大崎 |
池袋 |
田町
|
大崎 |
池袋 |
品川
|
大崎 |
池袋 |
田町
|
大崎 |
池袋 |
品川
|
04-05
|
7 |
2 |
0
|
0 |
0 |
0
|
4 |
1 |
2
|
0 |
0 |
0
|
6 |
2 |
0
|
0 |
0 |
0
|
3 |
1 |
2
|
0 |
0 |
0
|
06-07
|
8 |
5 |
2
|
0 |
0 |
0
|
17 |
0 |
1
|
0 |
0 |
0
|
3 |
2 |
0
|
0 |
0 |
0
|
5 |
0 |
1
|
0 |
0 |
0
|
08-10
|
0 |
0 |
0
|
7 |
2 |
0
|
0 |
0 |
0
|
8 |
2 |
0
|
2 |
2 |
2
|
0 |
0 |
0
|
7 |
0 |
0
|
0 |
0 |
0
|
11-14
|
0 |
0 |
0
|
0 |
0 |
0
|
0 |
0 |
0
|
0 |
0 |
0
|
0 |
0 |
0
|
0 |
0 |
0
|
0 |
0 |
0
|
0 |
0 |
0
|
15-17
|
3 |
2 |
0
|
0 |
0 |
0
|
4 |
1 |
0
|
0 |
0 |
0
|
0 |
0 |
0
|
0 |
0 |
0
|
0 |
0 |
0
|
0 |
0 |
0
|
18-22
|
0 |
0 |
0
|
7 |
0 |
0
|
0 |
0 |
0
|
3 |
1 |
0
|
0 |
0 |
0
|
7 |
3 |
0
|
0 |
0 |
0
|
7 |
0 |
0
|
23-01
|
0 |
0 |
0
|
6 |
2 |
5
|
0 |
0 |
0
|
7 |
4 |
5
|
0 |
0 |
0
|
3 |
1 |
5
|
0 |
0 |
0
|
4 |
3 |
5
|
小計
|
18 |
9 |
2
|
20 |
4 |
5
|
25 |
2 |
3
|
18 |
7 |
5
|
11 |
6 |
2
|
10 |
4 |
5
|
15 |
1 |
3
|
11 |
3 |
5
|
計
|
29
|
29
|
30
|
30
|
19
|
19
|
19
|
19
|
例外的な運用として、後述のリフレッシュ工事の日で田端駅 - 田町駅間を京浜東北線と線路を共有する時間帯は、この区間の運転本数を削減するために池袋駅と大崎駅の間を往復する電車が5本に1本程度設定される。このため、大崎駅 - 田町駅間および池袋駅 - 田端駅間は運転間隔が少し長くなる[57]。
また、1956年11月19日に山手線と京浜東北線の線路が分離され、両線とも運転本数が増やされたが、増えた車両数に対応する車庫の建設が追いつかなかったため、一部編成を京浜東北線の蒲田電車区や下十条電車区(現在の下十条運転区)に留置させる必要が生じ、特に後者は山手線車両の配置も一時的に実施された。この関係で、早朝・深夜のみ、山手線 - 京浜東北線間を直通する蒲田発着列車や東十条発着列車が運転されていた[注釈 10]。この列車は1967年に品川電車区(現・東京総合車両センター東エリア)が完成したことにより廃止された[58]。
毎年10月の休日(ほとんどは体育の日)に途中無停車の団体専用臨時列車が運行されている。これは大崎周辺まちづくり協議会主催によるイベント「しながわ夢さん橋」の企画として運行されるもので、大崎駅から出発し山手線を1周して大崎駅に戻るものである。2006年までは内回り方向、2007年以降は外回り方向で走っている[59]。2016年10月の運行では、当時1本しかなかった最新鋭のE235系トウ01編成を使用。また2017年の運行で通算30回目を超え、2020年10月11日[注釈 11]の運行が通算33回目となった。これ以外にも、8月最後の土曜日の東京総合車両センター一般公開と合わせて、びゅうが企画するツアーの申込者を限定とした団体列車が運転されることがある。これも「しながわ夢さん橋」企画と同じく、大崎駅出発で途中駅をすべて通過し、大崎駅へ戻る臨時列車である。このほかにも2005年に運行された「山手線開業120周年」記念列車も途中ノンストップであった[52]。
大晦日から元旦にかけての終夜運転は、外回りが10分間隔、内回りが12分間隔で運転される。このとき、原宿駅では明治神宮参拝客用臨時ホームが利用されていた[60]。その後臨時ホームを拡幅する常設化工事を実施していたが、2020年3月21日に新駅舎とともに供用開始され、原宿駅は変則相対式の2面2線のホーム体制となった[JR 8]。
現在の使用車両[編集]
東京総合車両センター所属のE235系電車が使用されている。11両編成で統一されており、E235系は先頭部と側面ドア部分がウグイス色(■)となっている。
E235系電車は、2015年11月30日から運用を開始した[新聞 2][JR 2]。2020年1月20日を最後にE231系500番台が営業運転を終了し[47]、E235系に統一された。
E231系以降の導入車両では、車内に旅客案内装置としてVISが設置されるようになった。各ドア上部にはVIS表示用の液晶ディスプレイ (LCD) が2つずつ設置されている。右側の画面は次駅案内や所要時間(半周分のみ、目安30分以内)、近隣自社および主要他社・局路線の遅延状況・工事予告などが表示される。左側の画面は、ニュースや天気予報、CM、ナイター速報、エンターテインメント情報が流れる(トレインチャンネルを参照のこと)[61]。液晶ディスプレイ自体は205系時代からあったが、文字と録画映像しか放送できなかった。
-
E231系車内の液晶ディスプレイ(次は代々木・英語)
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E231系車内の運行情報画面
-
現行車両のE235系車内の運行情報画面
山手線トレインネット・山手線チェックイン機能[編集]
2014年3月から、スマートフォン向け情報配信サービス「山手線トレインネット」が「JR東日本アプリ」のコンテンツとして始まった。対応列車内では音波ビーコンによって、スマートフォンで号車別混雑率や室温、次の駅のホーム出口位置など、号車・乗車位置に応じた情報を受け取れる。2014年度内に山手線全列車で対応するよう車両の改造工事が進められた[62]。
また、1年後の2015年3月には、音波ビーコンにより号車・乗車位置を特定する機能を「山手線チェックイン機能」と称し、他社のスマートフォンアプリに開放することが発表された。発表段階では、NTTドコモとサントリービジネスエキスパートが当該機能を利用するサービスを展開することを表明している[63][JR 9]。
2018年5月19日から車内に防犯カメラが設置されたE235系の運行が開始された。2020年現在全車両に設置されている。防犯カメラはドアの上のディスプレイの右側に設置され、片側に2台、1車両で合わせて4台設置され車内全体を監視することができるようになっている[JR 10]。
過去の使用車両[編集]
以下はすべて電車。
-
デハ6340系
(写真は京浜東北線用 1914年ごろ)
-
63系電車
(山手線用 1947年ごろ)
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103系
(1978年1月)
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205系
(2002年6月1日)
-
E231系500番台
(2019年12月20日 恵比寿駅 - 目黒駅間)
キセル編成とは、103系時代に存在した、中間車が非冷房車で、先頭車が自動列車制御装置 (ATC) が搭載されている冷房車でありながら冷房が使えなかった編成のことである。冷房を使用するためには大きな出力の電動発電機 (MG) が必要だが、中間車の非冷房のモハ102には冷房に対応するMGが搭載されていなかった。一方で当時山手線ではATCの整備が進められており、両端の先頭車は(ATCを搭載した)冷房つきの新車であることが多かった。このため先頭車は冷房車であるが、MGが対応できていないために冷房が使えないということが発生した[65]。
205系の10号車、E231系の7・10号車には片側が6扉の車両が連結されていた。平日の始発から朝10時までは混雑緩和のため座席が収納され使用できないが、朝10時を過ぎた時点で座席を使用することができた[38]。土・休日は終日座席を使用できた[38]。しかし、山手線の混雑緩和が進んだことから2010年2月19日からは座席収納を取りやめ、座席の利用が終日可能になった。なお、後述のホームドアの設置に伴い、2011年9月4日までに6扉車が4扉車へ完全に置き換えられた[35]ほか、ホームドア対応機器の設置が予定されている。この置き換えのため、4扉の付随車104両が新造されている。この付随車は1人あたりの座席幅を既存車より10 mm広い460 mmとし、台車や空調、VISなどは廃車流用品を用いている[66]。
ラッピング車両・ADトレイン[編集]
山手線では以下のようなラッピング車両・ADトレインが運行された。
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ゲームセンターCXラッピング車(541編成)
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旧型国電風ラッピング車(502編成)
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みどりの山手線ラッピングトレイン(545編成)
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赤レンガラッピングトレイン(514編成)
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伊右衛門のラッピング車
沿線概況[編集]
停車場・施設・接続路線
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- 「山手線区間」とは、線路名称上の「山手線」の区間を指す。
- 地下鉄線・路面電車・一部の鉄道は経路表記を省略し、記号で記載。
- は、対面乗り換え可能な方向別複々線となっている駅を表す。
- 交差する道路は、首都高速道路および国道のみ記載する。
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