徳 仁
2019 於 | |
2019 於 | |
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1960 | |
1960 | |
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1980 | |
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( 1993 | |
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His Majesty the Emperor[1]/ His Imperial Majesty(H.I.M.) |
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概要 [編集 ]
-
1961
年 (昭和 36年 )2月 の徳 仁 親王 (満 1歳 直前 ) -
皇太子 徳 仁 親王 の立太子 の礼
1991年 (平成 3年 )2月 23日 -
燕尾服 (テールコート)姿 の徳 仁
2019年 (令 和 元年 )5月 撮影
1960
1989
1993
2019
来歴 [編集 ]
皇孫 時代 [編集 ]
1960
「 | 肫肫たる |
」 |
—『 |
それまでの
1964
1966
1982
1983
1988
皇太子 時代 [編集 ]
1989
1993
小和田 雅子 との成婚 までの経緯 [編集 ]
1986
こうして
また、
皇太子 妃 雅子 との成婚 以降 [編集 ]
2004
2007
2009
2013
2016
2017
天皇 時代 [編集 ]
2019
なお、
5月9
5月9
5
5月25
2019
-
天皇 徳 仁 と皇后 雅子 (即位 前 の2018年 撮影 ) -
即位 礼 正殿 の儀 (2019年 10月 22日 ) -
饗宴 の儀 (2019年 10月 31日 ) -
祝賀 御 列 の儀 (2019年 11月10日 ) -
祝賀 御 列 の儀 に集 まった観衆
2019
2020
4
2021
2021
2021
2021
2022
-
2020
年 東京 オリンピック開会 式 (2021年 7月 23日 ) -
学制 150年 記念 式典 にて(2022年 9月 5日 )
2023
年譜 [編集 ]
- 1960
年 (昭和 35年 )2月 23日 16時 15分 [6]、東京 都 千代田 区 千代田 の皇居 ・宮内庁 病院 にて誕生 。父 の皇太子 明仁 親王 と母 の同妃 美智子 (いずれも当時 )の間 の2男 1女 のうち、第 1皇 男子 (第 1子 )。 - 1964
年 (昭和 39年 )- 4
月 13日 、学習 院 幼稚園 に入園 。 - 10月29
日 、着 袴 の儀 。
- 4
- 1966
年 (昭和 41年 )4月 8日 、学習 院 初等 科 に入学 。 - 1972
年 (昭和 47年 )4月 8日 、学習 院 中等 科 に入学 。 - 1975
年 (昭和 50年 )4月 7日 、学習 院 高等 科 に入学 。 - 1980
年 (昭和 55年 )- 2
月 23日 (成年 :20歳 )、加冠 の儀 (皇居 宮殿 ・春秋 の間 )。 - 11月30
日 、大 勲 位 菊花 大 綬章 を親 受。
- 2
- 1982
年 (昭和 57年 )4月 8日 (22歳 )、学習院大学 文学部 史学 科 を卒業 (文学 士 )。 - 1983
年 (昭和 58年 )10月 15日 、英国 オックスフォ ード大学 マートン・カレッジに入学 。 - 1988
年 (昭和 63年 )、学習院大学 大学院 人文 科学 研究 科 博士 前期 課程 を修了 (文学 修士 )。 - 1989
年 (昭和 64年 )1月 7日 (28歳 )、祖父 ・昭和 天皇 崩御 、日本国 憲法 及 び皇室 典範 に基 づき父 の明仁 親王 (当時 )が第 125代 天皇 に践祚 したことに伴 い、皇太子 (皇位 継承 順位 第 1位 、法定 推定 相続 人 )となる。 - 1991
年 (平成 3年 )2月 23日 (31歳 )、立太子 の礼 (宮殿 正殿 ・松 の間 )。壺 切 御剣 を親授 される(宮殿 表 御座所 ・鳳凰 の間 )。 - 1993
年 (平成 5年 ) - 2001
年 (平成 13年 )12月1日 (41歳 )、第 1皇 女子 の敬 宮 愛子 内親王 が誕生 。 - 2019
年 (令 和 元年 )
皇子 女 [編集 ]
系譜 [編集 ]
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系図 [編集 ]
122 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
123 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
124 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
125 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
126 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第 126代 天皇 の男系 (父系 )直系 祖先 [編集 ]
1 |
2 綏靖 |
3 |
4 懿徳 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
14 |
15 |
乎非 |
彦主 |
26 | |||
29 欽明 |
30 |
押坂彦人 |
34 舒明 |
38 |
49 |
50 |
52 |
54 | |
58 |
59 |
60 |
62 |
64 |
66 |
69 |
71 |
72 |
73 |
74 |
77 |
80 |
82 |
83 |
88 |
89 |
92 |
93 |
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102 |
103 |
104 |
105 |
106 |
107 | ||||
108 |
112 |
113 |
119 |
120 |
121 |
122 |
123 | ||
124 |
125 |
126 |
家系 図 形式 [編集 ]
各 囲 みの一段 目 は、 /諱 生年 -没年 /性別 の形式 で表記 。各 囲 みの二 段 目 と三 段 目 の下部 の数字 は即位 年 と退位 年 である。年 は西暦 で記 し、「前 」は紀元前 、「?」は不 詳 を表 す。- 「(
諡 )」記号 は名称 が (漢 風 諡号 生前 の行跡 に基 づいて死後 に贈 られた名 )であることを意味 する。 - 「(
第 ~代 )」は天皇 の代数 [要 出典 ]。 記紀 による初代 天皇 (神武 天皇 )以前 の系図 については、皇室 、皇室 の系図 一覧 を参照 。
瓊瓊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
彦火 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
彦波瀲武 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
彦火 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( 綏靖 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( 懿徳 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
彦坐/?-?/♂ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
71-130( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
131-191( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
192-200( | 201-269( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
270-310( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
313-399( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
400-405( | 406-410( | 413-453( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
454-456( | 456-479( | 乎非/?-?/♂ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
488-498( | 484-487( | 484-484(臨朝秉政) | 480-484( | 彦主 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
498-507( | 507-531( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
欽明 540-571( | 勾/465-536/♂ 531-536( | 536-539( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
572-585( | 593-628( | 585-587( | 587-592( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
押坂彦人/?-?/♂ | 593-622( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
645-654( | 642-645( 654-661( | 舒明 629-641( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
661-672( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
672( | 鸕野 690-697( | 672-686( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( | 707-715( | ( | ( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
715-724( | 珂瑠/683-707/♂ 697-707( | 758-764( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
724-749( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
770-781( | 749-758( 764-770( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( 781-806( | ( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( 806-809( | 809-823( | ( 823-833( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( 833-850( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( 850-858( | ( 884-887( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( 858-876( | 887-897( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
876-884( | 897-930( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
930-946( | 946-967( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
967-969( | 969-984( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
984-986( | 1011-1016( | 986-1011( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1036-1045( | 1016-1036( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1068-1073( | 1045-1068( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1073-1087( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1087-1107( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1107-1123( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1123-1142( | 1155-1158( | 1142-1155( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1158-1165( | 1168-1180( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1165-1168( | 1180-1185( | ( | 1185-1198( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1221-1232( | 1198-1210( | 1210-1221( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1232-1242( | 1242-1246( | 1221( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1252-1266( | 1246-1260( | 1260-1274( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1266-1289( | 熈仁/1265-1317/♂ 1287-1298( | 1289-1308( | 1274-1287( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1298-1301( | 1308-1318( | 1308-1333( | 1301-1308( | 1318-1339( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1332-1334( | 1336-1348( | 1339-1368( | 1333-1334( | 1334-1338( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1348-1351( | 1352-1371( | 1368-1383( | 熙成/1350?-1424/♂ 1383-1392( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1371-1382( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( | 1382-1392( 1392-1412( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
彦仁/1419-1471/♂ 1428-1464( | 躬仁/1401-1428/♂ 1412-1428( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1464-1500( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1500-1526( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1526-1557( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1557-1586( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1586-1611( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1611-1629( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1629-1643( | 紹仁/1633-1654/♂ 1643-1654( | 1655-1663( | 識仁/1654-1732/♂ 1663-1687( | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1687-1709( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1709-1735( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1735-1747( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( | 遐仁/1741-1762/♂ 1747-1762( | 1762-1771( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1771-1779( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1780-1817( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1817-1846( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1846-1867( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1867-1912( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1912-1926( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1921-1926( 1926-1989( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( 1989-2019 ( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( 2019-( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国事 行為 の臨時 代行 歴 [編集 ]
2016
1987 |
1987 |
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1991 |
1991 |
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1992 |
1992 |
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1993 |
1993 |
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1993 |
1993 |
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1994 |
1994 |
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1994 |
1994 |
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1997 |
1997 |
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1998 |
1998 |
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2000 |
2000 |
|||||
2002 |
2002 |
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2003 |
2003 |
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2005 |
2005 |
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2005 |
2005 |
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2006 |
2006 |
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2007 |
2007 |
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2009 |
2009 |
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2011 |
2011 |
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2012 |
2012 |
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2012 |
2012 |
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2013 |
2013 |
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2016 |
2016 |
- 「
委任 年月日 」は、『官報 』に掲載 された代行 開始 期日 。 明仁 (上皇 、第 125代 天皇 )の訪問 国 は、「明仁 #世界 各国 訪問 歴 」を参照 。
世界 各国 訪問 歴 [編集 ]
2022 ( |
イギリス | ||||
2023 ( |
インドネシア |
発言 [編集 ]
- 「
美 しいものを見 たときに、それを美 しいと評価 できる人 」 - 「これからはある
程度 の外国 語 が話 せたほうが良 い」 - 「ニューヨークのティファニーに
行 ってあれやこれや買 うような方 では困 る」 - 「
誰 とでも気軽 に話 が出来 る人 。人 と会 った時 でも話 し合 える環境 を自然 に作 り出 せる女性 。話 す時 は控 えめではあっても、必要 な時 は自分 の意見 をしっかり言 える女性 」以上 、1985年 (昭和 60年 )、留学 先 のイギリスから帰国 後 の記者 会見 で、「(自身 の結婚 相手 として)どのような方 を妃 として望 むか」という質問 に対 して。
- 「
人 の心情 、悩 み、苦 しみを推 し量 って、思 いやれる人 が良 い」以上 、1986年 (昭和 61年 )、誕生 日 記者 会見 でお妃 の理想 像 を聞 かれて。
- 「すぐ
手 の届 くところに中世 が存在 する」- 1983
年 (昭和 58年 )留学 した、オックスフォード大 マートンコレッジ(1264年 創立 )について。
- 1983
- 「
自分 の意見 をはっきり述 べ、服装 も(日本 の女性 と比 べて)気取 らず地味 なのに感心 しました」留学 して半年 後 、昭和 58年 12月の記者 懇談 で、英国 の女子 学生 について。
- 「
寮 の部屋 ごと、記念 に持 って帰 りたい心境 です」- 1985
年 (昭和 60年 )10月 オックスフォード大 での留学 を終 えての感想 [68]。
- 1985
- 「
心 から祝福 いたします。川嶋 紀子 さんは以前 からよく遊 びに来 ており、妹 のような気持 ちで接 しておりました(中略 )弟 と紀子 さんとは非常 によく合 うと思 います」 - 「
川嶋 家 に色々 問 い合 わせが来 て、二人 の間 が不安定 になっているのはよくないということもありました。二人 の結婚 は私 も強 く勧 めたところです。私 についてはマイペースでやっていきたいと考 えております」 - 「
立太子 宣明 の儀 が行 われ、誠 に身 の引 きしまる思 いであります。皇太子 としての責務 の重大 さを思 い、力 を尽 くしてその務 めを果 たしてまいります」- 1991
年 (平成 3年 )2月 23日 、立太子 の礼 にて[70]。
- 1991
- 「
皇室 に入 られるということには、いろいろな不安 や心配 がおありでしょうけれども、雅子 さんのことは僕 が一生 全力 でお守 りしますから」- 1992
年 (平成 4年 )11月 後半 に交際 中 の小和田 雅子 (当時 )にかけた言葉 、婚約 内定 の記者 会見 にて雅子 妃 が披露 した[71]。
- 1992
- 「
外交 官 としての雅子 のキャリアや人格 を否定 するような動 きがあったことも事実 です」[72]- 2004
年 (平成 16年 )、訪欧 前 の記者 会見 で。いわゆる人格 否定 発言 。
- 2004
- 「
皇室 典範 に関 する有識者 会議 が最終 報告 書 を提出 したこと、そしてその内容 については、私 も承知 しています。親 としていろいろと考 えることもありますが、それ以上 の発言 は控 えたいと思 います」[73]- 2006
年 (平成 18年 )2月 21日 、誕生 日 に際 する記者 会見 にて、皇室 典範 改正 問題 についての質問 に対 して。
- 2006
- 「
昨年 9月 の悠 仁 親王 の誕生 を心 から喜 ばしく思 います。御所 で、また、秋篠宮 邸 で、そしてまた、この赤坂 御 用地 を弟 夫妻 が散歩 で連 れている折 などに会 うことがありますけれども、健 やかに成長 しているようで嬉 しく思 っております」[74]- 2007
年 (平成 19年 )2月 21日 、誕生 日 に際 する記者 会見 にて、悠 仁 親王 誕生 についての質問 に対 して。
- 2007
- 「
両 陛下 のこれまでの歩 みについては、常 に深 くご尊敬 申 し上 げており、両 陛下 のご活動 の一 つ一 つから多 くを学 んでまいりました」 - 「
花園天皇 の言 われる『学問 』とは、単 に博学 になるということだけではなくて、人間 として学 ぶべき道義 や礼儀 も含 めての意味 で使 われた言葉 です。私 も五 十 歳 になって改 めて学 ぶことの大切 さを認識 しています」- 2010
年 (平成 22年 )2月 、誕生 日 に際 する記者 会見 にて『誡太子 書 』に言及 して[76]。
- 2010
- 「
若 い世代 が国 の内外 で自信 を持 って活躍 し、女性 ・高齢 者 ・障害 者 を含 め全 ての人々 が、社会 に積極 的 に参画 できるような活力 のある社会 を構築 するために、(中略 )私 自身 、今年 も、国 の内外 で若者 やボランティアの方々 など多 くの方 にお会 いしたいと思 っています」 - 「
過去 の天皇 が歩 んでこられた道 と、そしてまた、天皇 は日本 国 、そして国民 統合 の象徴 であるとの日本国 憲法 の規定 に思 いを致 して、国民 と苦楽 を共 にしながら、国民 の幸 せを願 い、象徴 とはどうあるべきか、その望 ましい在 り方 を求 め続 けるということが大切 であると思 います。同時 に、これまで行 われてきている公務 を踏 まえつつ、将来 にわたり生 じる日本 社会 の変化 に応 じて、公務 に対 する社会 の要請 に応 えていくことが、重要 であると考 えております。私 としても、常 に学 ぶ姿勢 を忘 れずに、他人 への思 いやりの心 を大切 にしながら、世 の中 のためにできることを心掛 けてやっていきたいと思 っております」同 記者 会見 にて、将来 天皇 となる立場 から、公務 をどのようなものと考 えているのかという質問 に対 して。
- 「
私 、それから秋篠宮 が折 に触 れて、陛下 の所 で、陛下 のご意見 を伺 ったり、あるいはいろいろな意見 交換 をするということは、非常 に私 自身 も大切 なことだと思 いますし、私 自身 も大変 有意義 な一時 を過 ごさせていただいております。陛下 と折 に触 れてご質問 の象徴 天皇 の在 り方 について、具体 的 にどういうことを話 しているかは申 し上 げられませんけれども、陛下 ご自身 がいろいろ思 われていること、あるいは体験 されてきたことなどをお話 しくださるので、私 としても本当 にいろいろと参考 にさせていただいておりますし、大変 有 り難 いことだと思 っております」同 記者 会見 にて、御所 での第 125代 天皇 明仁 と皇太子 徳 仁 親王 と秋篠宮 文 仁 親王 との懇談 についての質問 に対 して
- 「
平成 28年 8月 8日 の天皇陛下 のおことば以来 、これから私 が担 うこととなる重責 について、改 めて思 いを巡 らせる機会 も増 えてきましたが、その度 に、両 陛下 のこれまでの御 苦労 と御 努力 に感謝 と尊敬 の念 を覚 えます。また、両 陛下 から、様々 な機会 に、多 くのお話 を伺 わせていただいていることも、今後 公務 に取 り組 んでいく際 の大 きな道標 となるものであり、大変 有 り難 いことと思 っております。 - これからのことを
思 うと、とても厳粛 な気持 ちになりますが、引 き続 き自己 研鑽 に努 めながら、過去 の天皇 のなさりようを心 にとどめ、国民 を思 い、国民 のために祈 るとともに、両 陛下 がなさっておられるように、国民 に常 に寄 り添 い、人々 と共 に喜 び、あるいは共 に悲 しみながら、象徴 としての務 めを果 たしてまいりたいと思 います。また、以前 も述 べたとおり、私 が長年 携 わってきました「水 」問題 についても、そのことを切 り口 に、豊 かさや防災 など、国民 生活 の安定 と発展 について考 えを巡 らせることもできると思 います。日本 の変化 に富 む豊 かな国土 は、同時 に、自然 災害 、例 えば台風 や豪雨 、津波 などの影響 を受 けやすいことから、「水 」問題 への取組 で得 られた知見 も、これからの務 めの中 で、国民 生活 の安定 と発展 を願 い、また、防災 ・減 災 の重要 性 を考 えていく上 で、大切 にいかしていきたいと思 います。 皇室 の将来 像 についての御 質問 については、男性 皇族 の割合 が減 り、高齢 化 が進 んでいること、また、女性 皇族 は結婚 により皇 籍 を離脱 しなければならないということは、将来 の皇室 の在 り方 とも関係 する問題 です。ただ、制度 に関 わる事項 については、私 からこの場 で言及 することは控 えたいと思 います。皇室 の在 り方 に関 しては、国民 と心 を共 にし、苦楽 を共 にする皇室 、ということが基本 であり、これは時代 を超 えて受 け継 がれてきているものだと思 います。過去 の天皇 が歩 んでこられた道 と、天皇 は日本 国 及 び日本 国民 統合 の象徴 であるとの日本国 憲法 の規定 に思 いを致 し、国民 と苦楽 を共 にしながら、国民 の幸 せを願 い、象徴 とはどうあるべきか、その望 ましい在 り方 を求 め続 けることが大切 であるとの考 えは、今 も変 わっておりません。同時 に、その時代 時代 で新 しい風 が吹 くように、皇室 の在 り方 もその時代 時代 によって変 わってくるものと思 います。私 も、過去 から様々 なことを学 び、古 くからの伝統 をしっかりと引 き継 いでいくとともに、それぞれの時代 に応 じて求 められる皇室 の在 り方 を追 い求 めていきたいと思 います。」- 2019
年 (平成 31年 )2月 21日 、皇太子 として迎 える最後 の誕生 日 (59歳 )に際 する記者 会見 にて(場所 :東宮御所 )、「(自身 が)新 天皇 として即位 するまで残 り2か月 余 りとなり、皇太子 としての歩 みを振 り返 るとともに、即位 を控 えた現在 の心境 や、新 たな時代 に臨 む決意 及 び皇室 全体 で皇族 の減少 や高齢 化 が進 んでいることを踏 まえつつ、どのような皇室 の将来 像 を描 こうとしているのか」という質問 に対 して[78]
- 2019
- 「
日本国 憲法 及 び皇室 典範 特例 法 の定 めるところにより、ここに皇位 を継承 しました。この身 に負 った重責 を思 うと粛然 たる思 いがします。顧 みれば、上皇 陛下 には御 即位 より、三 十 年 以上 の長 きにわたり、世界 の平和 と国民 の幸 せを願 われ、いかなる時 も国民 と苦楽 を共 にされながら、その強 い御 心 を御 自身 のお姿 でお示 しになりつつ、一 つ一 つのお務 めに真摯 に取 り組 んでこられました。上皇 陛下 がお示 しになった象徴 としてのお姿 に心 からの敬意 と感謝 を申 し上 げます。ここに、皇位 を継承 するに当 たり、上皇 陛下 のこれまでの歩 みに深 く思 いを致 し、また、歴代 の天皇 のなさりようを心 にとどめ、自己 の研鑽 に励 むとともに、常 に国民 を思 い、国民 に寄 り添 いながら、憲法 にのっとり、日本 国 及 び日本 国民 統合 の象徴 としての責務 を果 たすことを誓 い、国民 の幸 せと国 の一層 の発展 、そして世界 の平和 を切 に希望 します。」- 2019
年 (令 和 元年 )5月 1日 、「即位 後 朝見 の儀 の天皇陛下 のおことば」[79]
- 2019
- 「さきに、
日本国 憲法 及 び皇室 典範 特例 法 の定 めるところにより皇位 を継承 いたしました。ここに『即位 礼 正殿 の儀 』を行 い、即位 を内外 に宣明 いたします。上皇 陛下 が三 十 年 以上 にわたる御 在位 の間 、常 に国民 の幸 せと世界 の平和 を願 われ、いかなる時 も国民 と苦楽 を共 にされながら、その御 心 を御 自身 のお姿 でお示 しになってきたことに、改 めて深 く思 いを致 し、ここに、国民 の幸 せと世界 の平和 を常 に願 い、国民 に寄 り添 いながら、憲法 にのっとり、日本 国 及 び日本 国民 統合 の象徴 としてのつとめを果 たすことを誓 います。国民 の叡智 とたゆみない努力 によって、我 が国 が一層 の発展 を遂 げ、国際 社会 の友好 と平和 、人類 の福祉 と繁栄 に寄与 することを切 に希望 いたします。」- 2019
年 (令 和 元年 )10月 22日 、「即位 礼 正殿 の儀 の天皇陛下 のおことば」[80]
- 2019
- 「
上皇 陛下 の御 退位 を受 け、昨年 5月 に即位 して以来 、国民 の幸 せを願 いながら日々 の務 めを果 たし、今日 まで過 ごしてきました。即位 関係 の諸 行事 を無事 に終 えることができ、安堵 するとともに、国内外 の多 くの方々 とお会 いし、折々 に温 かい祝福 を頂 く機会 も多 かったこの1年 は、私 にとっても皇后 にとっても誠 に感慨深 いものでした。その一方 で、昨年 も台風 や大雨 により、多 くの尊 い命 が失 われたことに心 が痛 みます。寒 さも厳 しい折 、住 まいを失 い、いまだ御 苦労 の多 い生活 をされている多 くの方々 の身 を案 じております。本年 は、災害 がない1年 となることを祈 ります。新 しい年 が、日本 と世界 の人々 にとって幸 せな年 となることを心 より願 いつつ、務 めを果 たしていきたいと考 えています。」- 2020
年 (令 和 2年 )1月 1日 、天皇陛下 のご感想 (新年 に当 たり)[81]
- 2020
- 「
御 指摘 のように、近年 は特 に変化 の激 しい時代 です。例 として挙 げられたAI(人工 知能 )が数 年 前 には今 のように話題 になっていなかったことや、今 では当 たり前 に使 われ、我々 の生活 を大 きく変 えているスマートフォンの普及 、その一方 で、各地 で大 きな被害 をもたらす気候 変動 による自然 災害 の脅威 が更 に深刻 になっていることなど、平成 の初期 と比 べても、人々 の生活 環境 は異 なってきていると思 います。このような変化 の激 しい時代 にあって、社会 の変化 や時代 の移 り変 わりに応 じた形 でそれに対応 した務 めを考 え、行動 していくことは大切 なことであり、その時代 の皇室 の役割 でもあると考 えております。そのためにも、多 くの人々 と触 れ合 い、直接 話 を聞 く機会 を大切 にしていきたいと考 えています。同時 に、先 に述 べましたとおり、常 に国民 を思 い、国民 に寄 り添 い、象徴 としてあるべき姿 を模索 しながら務 めを果 たし、今後 の活動 の方向 性 についても考 えていきたいと思 っております。」 - 「
即位 の年齢 については、歴代 天皇 の中 では、より高齢 で即位 された天皇 もおられますが、還暦 を迎 えるのに当 たっては、もう還暦 ではなく、まだ還暦 という思 いでおります。」 - 「この
度 の感染 症 の拡大 は、人類 にとって大 きな試練 であり、我 が国 でも数 多 くの命 が危険 にさらされたり、多 くの人々 が様々 な困難 に直面 したりしていることを深 く案 じています。今後 、私 たち皆 がなお一層 心 を一 つにして力 を合 わせながら、この感染 症 を抑 え込 み、現在 の難 しい状況 を乗 り越 えていくことを心 から願 っています。」- 2020
年 (令 和 2年 )4月 10日 、尾身 茂 新型 コロナウイルス感染 症 対策 専門 家 会議 副 座長 御 進講 時 [82]。
- 2020
- 「
今年 の正月 は、新型 コロナウイルス感染 症 の感染 拡大 により、残念 ながら一般 参賀 の場 で皆 さんに直接 お話 をすることができなくなりました。そこで、今回 は、ビデオで新年 の御 挨拶 をしようと思 います。(中略 )私 たち人類 は、これまで幾度 も恐 ろしい疫病 や大 きな自然 災害 に見舞 われてきました。しかし、その度 に、団結 力 と忍耐 をもって、それらの試練 を乗 り越 えてきたものと思 います。今 、この難局 にあって、人々 が将来 への確固 たる希望 を胸 に、安心 して暮 らせる日 が必 ずや遠 くない将来 に来 ることを信 じ、皆 が互 いに思 いやりを持 って助 け合 い、支 え合 いながら、進 んで行 くことを心 から願 っています。即位 以来 、私 たちは、皆 さんと広 く接 することを願 ってきました。新型 コロナウイルス感染 症 が収 まり、再 び皆 さんと直接 お会 いできる日 を心待 ちにしています。そして、今年 が、皆 さんにとって、希望 を持 って歩 んでいくことのできる年 になることを心 から願 います。ここに、我 が国 と世界 の人々 の安寧 と幸 せ、そして平和 を祈 ります。」- 2021
年 (令 和 3年 )1月 1日 、皇后 雅子 同席 での新年 ビデオメッセージの内容 抜粋 。
- 2021
- 「
昨年 も述 べたとおり、皇室 の在 り方 や活動 の基本 は、国民 の幸 せを常 に願 って、国民 と苦楽 を共 にすることだと思 います。そして、時代 の移 り変 わりや社会 の変化 に応 じて、状況 に対応 した務 めを果 たしていくことが大切 であると思 います。皇室 を構成 する一人 一 人 が、このような役割 と真摯 に向 き合 い、国民 の幸 せを願 いながら一 つ一 つの務 めを果 たし、国民 と心 の交流 を重 ねていく中 で、国民 と皇室 との信頼 関係 が築 かれていくものと考 えております。同時 に、皇室 に関 する情報 をきちんと伝 えていくことも大事 なことと考 えています。」 - 「
週刊 誌 報道 やインターネット上 の書 き込 みについては、人々 が自分 の意見 や考 えを自由 に表現 できる権利 は、憲法 が保障 する基本 的 人権 として、誰 もが尊重 すべきものですし、人々 が自由 で多様 な意見 を述 べ合 える社会 をつくっていくことは大切 なことと思 います。その中 にあって、一般 論 になりますが、他者 に対 して意見 を表明 する際 には、時 に、その人 の心 や立場 を傷 つけることもあるということを常 に心 にとどめておく必要 があると思 います。他者 の置 かれた状況 にも想像 力 を働 かせ、異 なる立場 にあったり、異 なる考 えを持 つ人々 にも配慮 し、尊重 し合 える寛容 な社会 が築 かれていくことを願 っております。」- 2022
年 (令 和 4年 )2月 21日 、自身 の62歳 の誕生 日 (2月 23日 )に際 しての皇居 ・宮殿 での記者 会見 での発言 抜粋 [83]。
- 2022
人物 [編集 ]
逸話 [編集 ]
幼少 時 (2歳 頃 )の徳 仁 親王 は、身体 は活発 だが器用 な方 ではなかった。しかし、何事 にも非常 に粘 り強 く頑張 る性格 で服 のボタン留 めなども丁寧 にやりとげていた。学習 院 幼稚園 時代 、自転車 をマスターする時 にも、倒 れて涙 を見 せても自分 の力 で立 ち上 がり自転車 を起 こしていた。しかし、4歳 の時 、「なぜ自分 には苗字 がないのか」と寂 しそうに尋 ねた。7歳 の時 には自分 の立場 を自覚 し、一人 で歓迎 の人達 に向 かって挨拶 をした。「男 の子 は泣 くものではありません」としつけられていたが、弟 の秋篠宮 文 仁 親王 が誕生 しベビーベッドで泣 いていたとき「アーヤは赤 ちゃんだから泣 いてもいいんだよね」と言 ってかばった[84]。趣味 は、スポーツと音楽 を中心 に幅広 く、特 に日本 各地 の登山 とヴィオラの演奏 はしばしば国民 の目 をひく。登山 に関 しては、登山 専門 誌 『岳人 』や『山 と渓谷 』などに、幾度 かエッセイも寄稿 している。このエッセイでは、父 と山 に登 ったときの思 い出 なども書 かれ、文中 では一般 の敬語 の原則 に従 い、上皇 を「父 」、上 皇后 を「母 」と呼 んだ。登山 のほかにはテニスとジョギングを好 む。普段 は赤坂 御 用地 内 を走 っているが、皇居 を周回 するジョギングコースで市民 ランナーとともに走 ったことが過去 に3回 ある。2007年 (平成 19年 )は約 10km(2周 )を51分 前後 で走破 し、その健脚 ぶりを披露 している。- ヴィオラは、
友人 知人 や演奏 家 を招 いた際 などに私邸 で演奏 するほか、学習 院 OB演奏 会 のオーケストラなどで演奏 することもある。元来 ヴァイオリンを弾 いていたが、学習院大学 入学 を機 にヴィオラに転 じた。 皇太子 になる前 には、ファンだったアイドル歌手 の柏原 芳恵 コンサートに赴 いたことが話題 となった。1986年 (昭和 61年 )10月 19日 、東京厚生年金会館 ホール(新宿 区 新宿 )でのコンサートで、出迎 えた柏原 がレコードと写真 集 をプレゼントした。そのお礼 に彼女 にバラ「プリンセスサヤコ」を贈 っており、柏原 はそのバラを永久 保存 している。カラオケで柏原 の曲 「ハロー・グッバイ」を歌 うこともあった。石川 さゆりやサザンオールスターズのファンでもあることが理髪 を担当 していた人物 の証言 によって明 かされている[85]。学生 時代 にカラオケで「氷雨 」を得意 としていた[86]。学習院大 卒業 後 、オックスフォード大 に留学 する年 に参加 した歌会 始 で叔父 の常陸宮 正 仁 親王 (父 ・明仁 上皇 の皇 弟 )が「能登島 にかかりし虹 の消 えしあとたちまちにしてまた氷雨 ふる」という歌 を詠 っている[87]。小学生 の頃 は読売 ジャイアンツのファンで、そのユニフォームを着 て野球 に興 じる姿 を映 した映像 も残 っている。末次 利光 を贔屓 にしており、観戦 した1971年 の日本 シリーズ第 4戦 で末次 が満塁 本塁打 を放 った際 には大 いに喜 んだ[88]。元 は長嶋 茂雄 のファンであった[89]が、観戦 した1970年 の日本 シリーズ第 3戦 で末次 が放 った三塁打 を見 てファンになり、自 らが着 るユニフォームの背番号 も長嶋 の「3」から末次 の「38」に変 えたとされる[90]。1988年 (昭和 63年 )の夏 の甲子園 の第 70回 全国 高等 学校 野球 選手権 大会 では開会 式 後 の始球 式 を務 めた[注釈 8] この大会 については良 い思 い出 として記憶 していると語 っていたことが雑誌 記事 に掲載 され、21年 後 の2009年 (平成 21年 )夏 の甲子園 の第 91回 全国 高等 学校 野球 選手権 大会 では開会 式 に親 覧 し、おことばを読 み上 げた。阪神 ・淡路 大震災 に際 しては被災 者 を見舞 い、「春 になればいいことがありますよ」と言葉 をかけたと伝 わる。地震 の発生 メカニズムについても興味 を示 し、地震 研究所 を訪問 したと伝 わる。この直前 には中東 (クウェート、アラブ首長 国 連邦 、ヨルダン)を訪問 中 であり、外国 訪問 を継続 する予定 であったが、訪問 先 のヨルダンのフセイン国王 の勧 めで急遽 予定 を切 り上 げ、帰国 した。ハーシミーヤ宮殿 で会見 し「訪問 の約束 は果 たさなければと思 っていましたが、はざまで難 しかった」と語 っている。その後 、2010年 (平成 22年 )までに、阪神 ・淡路 大震災 被災 地 訪問 を12回 行 い[91]、15周年 の追悼 式典 には療養 中 の妃 雅子 を伴 って夫妻 で臨席 した[92]。
研究 者 として[編集 ]
歴史 学 (交通 史 、流通 史 )を専門 としたきっかけは、「幼少 時 、母親 の皇太子 妃 美智子 (当時 )と共 に御 用地 を散策 中 に石碑 を見 つけたことだ」という。のちに「そもそも私 は、幼少 の頃 から交通 の媒介 となる「道 」について大変 興味 があった。ことに、外 に出 たくともままならない私 の立場 では、たとえ赤坂 御 用地 の中 を歩 くにしても、道 を通 ることにより、今 までまったく知 らない世界 に旅立 つことができたわけである。私 にとって、道 はいわば未知 の世界 と自分 とを結 びつける貴重 な役割 を担 っていたといえよう」と回想 している[93]。小学生 時代 、赤坂 御 用地 内 にある道 の一部 がかつての鎌倉 時代 の古道 であったことを知 って交通 への興味 が募 り、高学年 で松尾 芭蕉 『奥 の細道 』を母 とともに読破 。学習院大学 での中世 瀬戸内海 海運 、オックスフォード大学 でのテムズ川 水運 の研究 へと発展 した[94]。第 5回 世界 水 フォーラムトルコでの開会 式 では、トルコ語 で最後 の呼 びかけを行 い、会場 は割 れるような拍手 に沸 いた。一方 、基調 講演 では、弥生 時代 の唐古 ・鍵 遺跡 (奈良 県 )の環 濠 集落 や、徳川 家康 が治水 上 の安全 を根本 的 に向上 させるために実施 した利根川 東遷 事業 の事例 を引 いて水 問題 を歴史 の視点 から語 った。「殿下 は水 と人 との関係 を、開催 国 の歴史 と日本 の伝統 を踏 まえて具体 的 な事例 を示 して講演 されるので、開催 国 と日本 の間 に「伝統 の継承 」という美 しい橋 を架 ける」と尾田 栄 章 (建設省 河川 局長 、世界 水 フォーラム事務 局長 ほか)は[95]、補足 解説 している。
外国 滞在 ・訪問 [編集 ]
- 1984
年 (昭和 59年 )、英国 オックスフォ ード大学 への留学 中 、ロンドンサミット出席 のため訪英 していた中曽根 康弘 首相 (当時 )に、エリザベス2世 英 女王 の夫 エディンバラ公 フィリップは「浩宮 殿下 は完全 にロイヤル・ファミリーの一員 となっています」と伝 えた[96]。 - 2007
年 (平成 19年 )の モンゴル訪問 においては、到着 翌日 に日本人 抑留 者 の慰霊 碑 に供花 した。「(ソビエト連邦 による)シベリア抑留 被害 者 のうち1万 4000人 がモンゴルに移送 され、約 2,000人 が死亡 していることに思 いを寄 せたため」という。このことに感謝 した日本 モンゴル協会 の人々 は、「大 きな日 の丸 の旗 を振 って皇太子 の車列 を迎 え、見送 った」という[97]。 - 2017
年 (平成 29年 )のデンマーク訪問 のときには、同国 首都 コペンハーゲン市民 の自 撮 りに応 じた[98]。
公務 (国内 )[編集 ]
- 1986
年 (昭和 61年 )石川 県 金沢 市 における全国 高校 相撲 選手権 大会 で、原稿 なしで堂々 たるスピーチをしたことで大 きな拍手 が沸 き起 こった。「お言葉 」を読 み上 げる以上 の熱意 を観衆 が感 じたためと思 われる[99]。 沖縄 県 からの子 ども達 による記者 「豆 記者 」の受 け入 れを、平成 時代 になってからは皇太子 徳 仁 親王 と同妃 雅子 (いずれも当時 )が引 き継 いでおり、毎年 8月 に東宮御所 で会見 し、一人 一 人 に声 をかけ会話 を重 ねたという[100]。
皇族 として[編集 ]
高円宮 家 とは、家族 ぐるみで親 しく交際 していた。高円宮 憲仁 親王 は自身 とも年齢 が近 く、徳 仁 親王 にとっては兄 のような存在 で、結婚 後 も二 人 の心 の支 えとなった。夫妻 は結婚 当日 、赤坂 御 用地 で家族 揃 って成婚 祝賀 パレードを終 えた二人 を迎 えた。憲仁 親王 は「皇太子 夫妻 の待望 の第 1子 であった愛子 内親王 の誕生 をことのほか喜 び、出産 時 の見舞 いに先 に妃 たちだけが行 くことになったのを非常 に悔 しがった」という。皇太子 夫妻 が憲仁 親王 と最後 に会 えたのは、憲仁 親王 が薨去 する1週間 前 に愛子 内親王 を連 れて高円宮 邸 を訪問 した時 だった[101]。- 2006
年 (平成 18年 )9月 6日 、秋篠宮 妃 紀子 が愛育 病院 で、今上 天皇 にとっての甥 である第 3子 の悠 仁 親王 を出産 した際 は、弟 の秋篠宮 からの電話 連絡 を受 け、「ご無事 のご出産 おめでとう。妃殿下 の手術 が無事 に終 わることを祈 っています。両 殿下 も親王 殿下 もお身体 をお大切 に」と祝意 を述 べた。北海道 で公務 中 だった両親 の天皇 皇后 の還幸 (同月 9日 )と見舞 い(同月 10日 )の後 、自 らは11日 に妃 雅子 と愛子 内親王 を伴 って一家 で見舞 いに訪 れた。 徳 仁 親王 は2007年 (平成 19年 )の誕生 日 会見 で、「(愛子 内親王 が、)(自身 の祖父母 にあたる)両 陛下 とお会 いする機会 を作 っていきたい」と表明 したが[102]、翌 2008年 (平成 20年 )2月 13日 の定例 会見 で羽毛田 信吾 宮内庁 長官 (当時 )に「天皇 皇后 両 陛下 への参内 (訪問 )の回数 が増 えていないこと」を指摘 された[103]。その直後 の誕生 日 会見 では羽毛田 長官 の発言 に対 し、「参内 を心 がけたい」として、「それ以上 の内容 は“プライベートな事柄 ”」として発言 を控 えた[104]。
親族 [編集 ]
姻族 [編集 ]
2000
栄典 ・称号 [編集 ]
勲章 [編集 ]
日本 [編集 ]
- -
大 勲 位 菊花 章 頸飾:2019年 (令 和 元年 )5月1日 [67] - -
大 勲 位 菊花 大 綬章 :1980年 (昭和 55年 )11月30日 - -
桐 花 大 綬章 :2019年 (令 和 元年 )5月 1日 [67] - -
文化 勲章 :2019年 (令 和 元年 )5月 1日 [67] - -
日本赤十字社 特別 社員 - -
日本赤十字社 金色 有功 章 - - ボーイスカウト
日本 連盟 きじ章 :1989年 [105]
外国 [編集 ]
- オーストリア: オーストリア
功労 勲章 - (1999年 ) [106] - バーレーン: カリフ
勲章 - - ドイツ:
連邦 共和 国 功労 勲章 - - ベルギー: レオポルド
勲章 - [107] - デンマーク: エレファント
勲章 - (2004年 )[108] - ギリシャ : 贖主
勲章 - - ハンガリー: ハンガリー
共和 国 功労 勲章 - (2000年 ) - イタリア : イタリア
共和 国 功労 勲章 - (1982年 〈昭和 57年 〉3月 9日 )[109] - ルクセンブルク:ナッサウ
家 金 獅子 勲章 - - マレーシア:
王冠 勲章 - (2012年 )[110] - オランダ: ネーデルラント
獅子 勲章 - (1991年 ) - ノルウェー:
聖 オーラヴ勲章 - (2001年 ) - フィリピン: シカツナ
勲章 - (2002年 )[111] - ポルトガル : キリスト
騎士 団 大 十 字 章 - (1993年 12月2日 )[112] - カタール :
独立 勲章 - - スペイン : カルロス3
世 勲章 - (2008年 )[113] - スウェーデン :
熾 天使 勲章 - (2007年 )[114] - トンガ :
- アラブ
首長 国 連邦 : ザーイド勲章 (1995年 ) - [117] - ヨルダン: ルネッサンス
勲章 大 綬章 (1995年 ) -
名誉 博士 [編集 ]
名誉 職 [編集 ]
日本赤十字社 名誉 副 総裁 ( - 2019年 〈平成 31年 〉4月 30日 )[118][119]公益 財団 法人 東京 オリンピック・パラリンピック競技 大会 組織 委員 会 「東京 2020オリンピック・パラリンピック競技 大会 」名誉 総裁 (2019年 〈令 和 元年 〉7月 24日 - 2021年 〈令 和 3年 〉9月 5日 )[120][121]- 「
日 デンマーク外交 関係 樹立 150周年 」日本 側 名誉 総裁 (2017年 〈平成 29年 〉1月 1日 - 12月31日 )[122] 国際 連合 事務 局 「水 と衛生 に関 する諮問 委員 会 」名誉 総裁 (2007年 〈平成 19年 〉11月1日 - 2015年 〈平成 27年 〉)[123]- 「
日本 ・スイス国交 樹立 150周年 」日本 側 名誉 総裁 (2014年 〈平成 26年 〉2月 1日 - 12月31日 )[124] - 「
日本 スペイン交流 400周年 」日本 側 名誉 総裁 (2013年 〈平成 25年 〉6月 1日 - 2014年 〈平成 26年 〉7月 31日 )[125] - 「
日 独 交流 150周年 」日本 側 名誉 総裁 (2010年 〈平成 22年 〉10月 1日 - 2011年 〈平成 23年 〉12月31日 )[126] - 「
日本 メキシコ交流 400周年 」日本 側 名誉 総裁 (2009年 〈平成 21年 〉 - 2010年 〈平成 22年 〉)[127] - 「
日本 ブラジル交流 年 (日 伯 交流 年 )」日本 側 名誉 総裁 (2008年 〈平成 20年 〉1月 11日 - 12月31日 )[128] - 2007
年 ユニバーサル技能 五輪 国際 大会 名誉 総裁 (2007年 〈平成 19年 〉1月 18日 - 2007年 〈平成 19年 〉11月21日 )[129] - 「
日本 におけるドイツ2005/2006」日本 側 名誉 総裁 [130] - 2005
年 日本 国際 博覧 会 名誉 総裁 (2002年 〈平成 14年 〉6月 29日 - 2005年 〈平成 17年 〉9月 25日 )[131][132] - 「Japan 2001」
名誉 総裁 [注釈 9][133] 国際 花 と緑 の博覧 会 名誉 総裁 (1989年 〈平成 元年 〉 - 1990年 〈平成 2年 〉9月 30日 )[注釈 10][132]
著作 [編集 ]
- 『テムズとともに -
英国 の二 年間 -』学習 院 総務 部 広報 課 〈学習 院 教養 新書 〉、1993年 2月 。各 「徳 仁 親王 」名義 - 『テムズとともに :
英国 の二 年間 』紀伊國屋 書店 、2023年 4月 。ISBN 978-4314012003。 -新版
- 『テムズとともに :
- 『
水運 史 から世界 の水 へ』NHK出版 、2019年 4月 。ISBN 978-4140817728。 -講演 集
以下 は寄稿 、講演 録 ほか
- 「
兵庫 北関 入船 納 帳 の一 考察 -問 丸 を中心 にして」、『交通 史 研究 』第 8号 、交通 史 学会 、1982年 - H.I.H PRINCE NARUHITO THE THAMES AS HIGHWAY (
交通 路 としてのテムズ川 )、Oxford University Press、1989年 - 「
室町 前 中期 の兵庫 関 の二 、三 の問題 」、安田 元久 先生 退任 記念 論集 刊行 委員 会 編 『中世 日本 の諸相 ・下巻 』、吉川弘文館 、1989年 、ISBN 4642026290 - 「18
世紀 テムズ川 における輸送 船舶 及 び輸送 業者 について」、『地学 雜誌 』第 100巻 第 1号 p. 3-18、公益社 団 法人 東京 地学 学会 、1991年 , doi:10.5026/jgeography.100.1_3 - 「
皇太子 さまが綴 られた野 の花 ,山 の花 への思 い山 の花 随想 」、『岳人 』1997年 6月 号 (通 号 600) - 「
西園寺 家 所蔵 「河瀬 清 貞山 城 国 美 豆 牧 代 官職 請文」について」、『学習院大学 史料 館 紀要 』第 10号 、学習院大学 史料 館 、1999年 - (
木村 真美子 共著 )「史料 紹介 西園寺 家 所蔵 『公 衡公記 』」「『西園寺 家 車 図 』諸 本 の研究 —附 、宮内庁 書 陵 部 所蔵 九 条 本 『西園寺 家 車 図 』翻刻 」、『学習院大学 史料 館 紀要 』第 11号 、学習院大学 史料 館 、2001年 3月 - 「
関 銭 -兵庫 関 兵庫 北関 代 官職 請文」、『東大寺 文書 を読 む』堀池 春 峰 監修 ・綾 村 宏 :編 、思文閣出版 、2001年 5月 、ISBN 4-7842-1074-1 - (
木村 真美子 共著 )「忘 れられた車 図 :陽明 文庫 所蔵 『納言 大将 車 絵 様 』および『車 絵 』について」、『学習院大学 史料 館 紀要 』第 12号 、学習院大学 史料 館 、2003年 , hdl:10959/4092 - (
木村 真美子 共著 )「『九 条 家 車 図 』の成立 をめぐって :附 、学習院大学 史料 館 所蔵 飛鳥 井本 『九 条 家 車 図 』解題 および翻刻 」、『学習院大学 史料 館 紀要 』第 14号 、学習院大学 史料 館 、2007年 , hdl:10959/4093 - (
木村 真美子 共著 )「東山 御 文庫 所蔵 「立 倚子政 記 」」、『学習院大学 史料 館 紀要 』第 15号 、学習院大学 史料 館 、2009年 , hdl:10959/4094 - 「
史料 館 講座 講演 録 目白 キャンパスの思 い出 」、『学習院大学 史料 館 紀要 』第 16号 、学習院大学 史料 館 、2010年 - 「
水 災害 とその歴史 」、『東日本 大震災 復興 を期 して-知 の交響 (ハーモニー)』学習 院 女子 大学 編 、東京書籍 、2012年 、ISBN 978-4-487-80729-1 - 「
江戸 と水 」『地学 雑誌 』2014年 123巻 4号 p. 389-400、- 2009年 日本 アジア協会 総会 で行 なった講演 の日本語 訳 。 - 「
前 近代 の「御料 車 」-牛車 と鳳輦 ・葱 華 輦-」、『御料 車 と華族 の愛車 』(非売品 、800部 限定 )霞 会館 、2019年 [94]。
脚注 [編集 ]
注釈 [編集 ]
- ^ マスメディアの
皇室 関連 報道 や政府 系 機関 などでは主 に、地位 ・称号 である「天皇 」に敬称 「陛下 」を付 した「天皇陛下 」(てんのうへいか)の呼称 が用 いられる[3]。この他 、過去 歴代 天皇 と区別 するための、在位 中 の天皇 に対 する呼称 である「今上 天皇 (きんじょうてんのう)」の呼称 が用 いられることもある[4]。 - ^
明仁 が4月 30日 午後 12時 (=5月1日 午前 0時 )を以って退位 し、同時 に徳 仁 が即位 した為 、空位 は生 じていない。 - ^ 「
浩宮 」は御 称号 であり、名 は「徳 仁 」のみ。 - ^ 1993
年 (平成 5年 )に、留学 記 『テムズとともに英国 の二 年間 』(学習 院 教養 新書 )を出版 している。 - ^
皇室 典範 第 1条 :「皇位 は、皇統 に属 する男系 の男子 が、これを継承 する。」及 び同 第 8条 :「皇嗣 たる皇子 を皇太子 という。(後略 )」と規定 されており、徳 仁 の第 1皇 女子 である敬 宮 愛子 内親王 は男系 女子 の皇族 であり、皇位 継承 権 を有 さないため。 - ^ なお
当初 は、同年 10月22日 の即位 礼 正殿 の儀 を終 えた同日 に実施 する日程 であったが、令 和 元年 東日本 台風 (台風 19号 )の発生 とその被災 からの復旧 支援 に政府 が注力 して取組 をするために、延期 された。 - ^ この
日 の記者 会見 で内閣 官房 長官 菅 義 偉 は、「天皇陛下 には、重要 な儀式 ・儀礼 の際 には大 勲 位 菊花 章 頸飾(だいくんいきっかしょうけいしょく)及 び桐 花 大 綬章 (とうかだいじゅしょう)を、文化 勲章 の親授 式 には文化 勲章 を、佩用 (はいよう)していただく必要 があります。この度 、これらの勲章 を陛下 にお持 ちいただくことになりましたので、御 報告 いたします。」と発表 した。 - ^
打者 は第 一 試合 に出場 した茨城 県 代表 の常総学院 高等 学校 (対戦 相手 は長崎 県 代表 の長崎 県立 小浜高等学校 )で1番 打者 であった仁志 敏久 (元 横浜 ベイスターズ)である。 - ^
英国 で開催 された日本 紹介 行事 - ^
名誉 総裁 であった皇太子 明仁 親王 が即位 に伴 い退任 したため就任
出典 [編集 ]
- ^
宮内庁 公式 サイト英語 版 - ^
皇室 典範 第 二 十 三 条 第 一 項 「天皇 、皇后 、太皇太后 及 び皇太后 の敬称 は、陛下 とする。」 - ^
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関連 項目 [編集 ]
明仁 から徳 仁 への皇位 継承 水 の危機 -国際 連合 「水 と衛生 に関 する国連 諮問 委員 会 」の主題 。- ウィキメディア・コモンズには、
徳 仁 に関 するカテゴリがあります。
外部 リンク[編集 ]
天皇 皇后 両 陛下 -宮内庁 天皇 皇后 両 陛下 のご活動 -宮内庁 皇太子 徳 仁 親王 の結婚 の儀 の行 われる日 を休日 とする法律 ( ウィキソース)皇太子 徳 仁 親王 の婚姻 を記念 するための五 万 円 の貨幣 の発行 に関 する法律 誕生 時 のニュース映像 - British Pathe美智子 さま男子 をご出産 - NHK放送 史 - 1960
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