日本国にっぽんこく憲法けんぽう

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日本国にっぽんこく憲法けんぽう
日本国政府国章(準)
基本きほん情報じょうほう
施行しこう区域くいき 日本の旗日本にっぽん
正式せいしき名称めいしょう 日本国にっぽんこく憲法けんぽう
通称つうしょう略称りゃくしょう 昭和しょうわ憲法けんぽう
現行げんこう憲法けんぽう
制定せいてい主体しゅたい みんてい憲法けんぽう/日本にっぽん国民こくみん
効力こうりょく 現行げんこうほう
成立せいりつ 1946ねん昭和しょうわ21ねん10月29にち
枢密院すうみついん可決かけつ昭和しょうわ天皇てんのう裁可さいか
公布こうふ 1946ねん昭和しょうわ21ねん11月3にち
施行しこう 1947ねん昭和しょうわ22ねん5月3にち
施行しこう期間きかん 1947ねん5がつ3にち -
おも内容ないよう 天皇てんのう戦争せんそう放棄ほうき国民こくみん権利けんりおよ義務ぎむ国会こっかい内閣ないかく司法しほう財政ざいせい地方ちほう自治じち改正かいせい最高さいこう法規ほうき
元首げんしゅ 規定きていし(諸説しょせつあり)
原本げんぽん
署名しょめい 吉田よしだしげる内閣ないかく総理そうり大臣だいじんけん外務がいむ大臣だいじん
ぬさはら喜重郎きじゅうろう国務大臣こくむだいじん男爵だんしゃく
木村きむら篤太郎とくたろう司法しほう大臣だいじん
大村おおむら清一せいいち内務ないむ大臣だいじん
田中たなかこう太郎たろう文部もんぶ大臣だいじん
和田わだ博雄ひろお農林のうりん大臣だいじん
斎藤さいとう隆夫たかお国務大臣こくむだいじん
一松いちまつ定吉さだきち逓信ていしん大臣だいじん
ほししま二郎じろう商工しょうこう大臣だいじん
河合かわい良成よしなり厚生こうせい大臣だいじん
植原うえはら悦二郎えつじろう国務大臣こくむだいじん
平塚ひらつか常次郎つねじろう運輸うんゆ大臣だいじん
石橋いしばし湛山たんざん大蔵おおくら大臣だいじん
金森かなもり徳次郎とくじろう国務大臣こくむだいじん
ぜんかつらすけ国務大臣こくむだいじん
制定せいてい内閣ないかく だい1吉田よしだ内閣ないかく
起草きそうしゃ GHQ
日本にっぽん政府せいふなど
以前いぜん憲法けんぽう 大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう
関連かんれん法令ほうれい 皇室こうしつ典範てんぱん
国会こっかいほう
内閣ないかくほう
裁判所さいばんしょほう
人身じんしん保護ほごほう
国際こくさいほう
国籍こくせきほう
日本国にっぽんこく憲法けんぽう改正かいせい手続てつづきかんする法律ほうりつ
公職こうしょく選挙せんきょほう
政党せいとう助成じょせいほう
宗教しゅうきょう法人ほうじんほうなど
構成こうせい条章じょうしょう 上諭じょうゆ
前文ぜんぶん
だい1しょう
だい2しょう
だい3しょう
だい4しょう
だい5しょう
だい6しょう
だい7しょう
だい8しょう
だい9しょう
だい10しょう
だい11しょう
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(にほんこくけんぽう[1]、にっぽんこくけんぽう、きゅう字体じたい日本にっぽん國憲こっけん󠄁ほうえい: Constitution of Japan)は、草案そうあん作成さくせいから議会ぎかい審議しんぎまで一貫いっかんしてGHQ統制とうせいがおよんだ(後述こうじゅつ[注釈ちゅうしゃく 1]現在げんざい日本にっぽんにおける国家こっか形態けいたい統治とうち組織そしきひとし規定きていしている憲法けんぽう[2]

この憲法けんぽう国民こくみん主権しゅけん基本きほんてき人権じんけん尊重そんちょう平和へいわ主義しゅぎみっつを基本きほん原理げんりとしており、その原理げんりとく前文ぜんぶん明確めいかく宣言せんげんされている[3]。(ほう前文ぜんぶんはそのほう目的もくてき精神せいしんべる文章ぶんしょうであり、憲法けんぽう前文ぜんぶん憲法けんぽう制定せいてい由来ゆらい目的もくてき決意けついなどを表明ひょうめいするれいおお[3][注釈ちゅうしゃく 2]。)

概要がいよう

日本国にっぽんこく憲法けんぽうは、法学部ほうがくぶ教授きょうじゅ芦部あしべ信喜しき[4]の『憲法けんぽう』によると硬性こうせい憲法けんぽうひとつであり、「ほとんどすべてのくに憲法けんぽう硬性こうせいである」[5][注釈ちゅうしゃく 3]百科ひゃっか事典じてんによると日本国にっぽんこく憲法けんぽうは「ブルジョア憲法けんぽう[7][8]・「みんてい憲法けんぽう」にも分類ぶんるいされる[9]

法学ほうがく修士しゅうし社会しゃかい科学かがく教授きょうじゅ荻野おぎのつよし[10]学術がくじゅつ論文ろんぶんによると、近代きんだい現代げんだい国民こくみん主権しゅけんでは一般いっぱんに、政治せいじてき権威けんい国民こくみん由来ゆらいするとなされている[11][注釈ちゅうしゃく 4]日本国にっぽんこく憲法けんぽう前文ぜんぶんにも「そもそも国政こくせいは、国民こくみん厳粛げんしゅく信託しんたくによるものであつて、その権威けんい国民こくみん由来ゆらいし」ているとある[13]

この憲法けんぽう前文ぜんぶんは、リンカーン大統領だいとうりょう言葉ことばよりも明確めいかくに「人民じんみんによる指導しどう人民じんみん代表だいひょうしゃによる指導しどう」であることをしめしている[13]。ただし日本にっぽんアメリカなどの憲法けんぽうさだめる立憲りっけん主義しゅぎしたでは、代表だいひょうしゃ権力けんりょく乱用らんようは、人権じんけん保障ほしょう権力けんりょく分立ぶんりつ三権分立さんけんぶんりつ)により防止ぼうしされている[14]

この憲法けんぽうは、4998の文字数もじすう構成こうせいされる[15]日本にっぽん法体ほうたいけいにおける最高さいこう法規ほうき明記めいきされ、この憲法けんぽう規定きてい違反いはんする一切いっさい法令ほうれいとう無効むこうとされる(日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい10しょう)。

歴史れきしてき概要がいよう

憲法けんぽう改正かいせい指示しじとGHQ草案そうあん要求ようきゅう

日本にっぽん政府せいふ1945ねん9月2にちに、民主みんしゅ主義しゅぎてき傾向けいこう復活ふっかつ強化きょうか日本にっぽん国民こくみん自由じゆう表明ひょうめいする意思いししたがっての平和へいわてき傾向けいこう平和へいわ主義しゅぎ)をゆうする責任せきにんある政府せいふ確立かくりつはしらとする日本にっぽん政府せいふゆう条件じょうけん降伏ごうぶく日本にっぽんぐん無条件むじょうけん降伏ごうぶくもとめたポツダム宣言せんげん受諾じゅだくし、日本にっぽん連合れんごう国軍こくぐんそう司令しれい(GHQ)の占領せんりょうになった[16][17][18]。ポツダム宣言せんげん日本にっぽんぐん無条件むじょうけん降伏ごうぶく要求ようきゅうしているだけであり、日本にっぽん政府せいふにはゆう条件じょうけん降伏ごうぶくもとめている[16][17][18]米国べいこくがわも、国務省こくむしょう覚書おぼえがきではゆう条件じょうけん降伏ごうぶくという位置いちづけをしている[16][17][18]

1945ねん11月、GHQはポツダム宣言せんげん実行じっこうのために必要ひつようだとして当時とうじぬさはら喜重郎きじゅうろう内閣ないかくたい憲法けんぽう改正かいせい指示しじした[19]。しかし、憲法けんぽう学者がくしゃ美濃部みのべ達吉たつきち佐々木ささき惣一そういちはポツダム宣言せんげんには憲法けんぽう改正かいせい要求ようきゅうする条項じょうこうはなく、大正たいしょうデモクラシー復活ふっかつ強化きょうか要求ようきゅうこたえられるとして憲法けんぽう改正かいせい反対はんたいした[16][20][21][22]

1946ねん2がつ日本にっぽん政府せいふ改正かいせいあんをGHQに提出ていしゅつすると、GHQはそれを拒否きょひし、みずから1週間しゅうかんつくった草案そうあんれるよう日本にっぽん政府せいふきびしくせまった[16][23][24]産経新聞さんけいしんぶんによると、官邸かんてい周辺しゅうへんB29爆撃ばくげきばし、「われわれは戸外こがい原子力げんしりょくこすだんたのしんでいるのです」とって威嚇いかくした[24]日本にっぽん政府せいふはこれをれると決定けっていし、日本語にほんごやくしたものを政府せいふあんとして公表こうひょうした[23]

独立どくりつこく憲法けんぽうはそのくに議会ぎかい政府せいふ国民こくみん自由じゆう意思いしによってつくられる[16][25][26]。したがって、外国がいこく占領せんりょうされているような時期じきにはつくるべきものでない[16][25][26]。それゆえ、戦時せんじ国際こくさいほう占領せんりょうぐん占領せんりょう現行げんこう法規ほうき尊重そんちょうすべきとしている[注釈ちゅうしゃく 5][25][27][28]おなかんがえから占領せんりょうぐんがそのくに憲法けんぽうえることは国際こくさい慣習かんしゅうほう禁止きんしされている[29]。しかし、日本にっぽん政府せいふ日本国にっぽんこく憲法けんぽう現在げんざい有効ゆうこうなものとしてあつかっている[30]

おなかんがえからフランスは、1958ねん制定せいていフランス憲法けんぽうだい89じょうだい5こうで「領土りょうどおかされている場合ばあい改正かいせい手続てつづき着手ちゃくしゅし、またはこれを追求ついきゅうすることができない」と規定きていしている[33][34][35]日本国にっぽんこく憲法けんぽうおなじく占領せんりょうにあったドイツでは憲法けんぽうではなく基本きほんほうとしてつくられた[36][37]。このボン基本きほんほうだい146じょうで「ドイツ国民こくみん自由じゆう決定けっていによって決議けつぎする憲法けんぽう施行しこうされるに、その効力こうりょくうしなう。」と規定きていした[37][38][39][40]。それゆえ、成立せいりつ過程かていからして日本国にっぽんこく憲法けんぽう無効むこうであり、あらたな憲法けんぽう大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう改正かいせいしてつくるべきという議論ぎろん根強ねづよ存在そんざいする(日本国にっぽんこく憲法けんぽう無効むこうろん[16][26][36][37]

日本国にっぽんこく憲法けんぽう無効むこうろんでは、日本国にっぽんこく憲法けんぽう無効むこうであっても、そのした成立せいりつする法律ほうりつ判決はんけつ無効むこうとならないよう対策たいさくされている[26][41][42][43][18]たとえば、ほとんどの無効むこうろんは、推定すいてい有効ゆうこうという公法こうほうがくかんがかた使つかって日本国にっぽんこく憲法けんぽうした成立せいりつする法律ほうりつ判決はんけつ有効ゆうこうだとしている[26][41][42][43]。また、推定すいてい有効ゆうこう同等どうとう程度ていど有力ゆうりょく講和こうわ条約じょうやくせつにおいては日本国にっぽんこく憲法けんぽう大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうだい14じょうもとづく講和こうわ条約じょうやくとして有効ゆうこうであり、「憲法けんぽうとして」のみ無効むこうだとする[18]

推定すいてい有効ゆうこうとは、本来ほんらい無効むこう法令ほうれいであっても、一旦いったん形式けいしきてき有効ゆうこう法令ほうれいとして成立せいりつした以上いじょうは、それをしん有効ゆうこうなものだと認識にんしきする立法りっぽう機関きかんなどの善意ぜんい真実しんじつらない)の第三者だいさんしゃ法律ほうりつ制定せいてい判決はんけつなどの行為こういまで無効むこう効力こうりょくはおよばないというかんがかたであり、民法みんぽうにおける無効むこうちがいに着目ちゃくもくして、善意ぜんい第三者だいさんしゃ行為こういすことができるとする場合ばあいもある[26][36][42][43]

統制とうせいされた議会ぎかい審議しんぎ

政府せいふあん公表こうひょうされると、衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ実施じっしされた[21]。この選挙せんきょはGHQ草案そうあんをもとにした政府せいふあん(3がつ6にちあん)にたいする国民こくみん投票とうひょう役割やくわりたせさせようとしておこなわれたものだったが、国民こくみんだいいち関心かんしん当面とうめん生活せいかつ安定あんていにあり、憲法けんぽう問題もんだいたいする関心かんしんはほとんどなかった[16][20][44]

なお、1946ねん1がつ4にちにGHQは公職こうしょく追放ついほう指令しれいしていた[45]。そのため、この選挙せんきょのときは現職げんしょく議員ぎいんの83%は公職こうしょく追放ついほうにより立候補りっこうほできなかった[45]あらたに立候補りっこうほしようとしたもののうち、93めい公職こうしょく追放ついほうされ、立候補りっこうほできなかった[45]。さらに、5月から7がつにかけて議会ぎかい審議しんぎちゅうにも、貴族きぞくいん議員ぎいん172めい衆議院しゅうぎいん議員ぎいん10めい公職こうしょく追放ついほうされた[45]

また、当時とうじプレスコードによりあらゆる出版しゅっぱんぶつがGHQによる事前じぜん検閲けんえつ対象たいしょうとなった[20][46]とくに「GHQが日本国にっぽんこく憲法けんぽう起草きそうしたことへの言及げんきゅう成立せいりつでの役割やくわりへの批判ひはん」をおこなうことはかたくきんじられた[20][46]

このような状況じょうきょうなか政府せいふあん6がつから10月にかけて帝国ていこく議会ぎかい審議しんぎされた[21]議会ぎかい審議しんぎでは、日本にっぽんがわによる修正しゅうせいにはすべてGHQの承認しょうにん必要ひつようだった[26]。さらに、議会ぎかい審議しんぎちゅうにもGHQによる修正しゅうせい命令めいれいつづけられ、さからうことができなかった[26]。このような議会ぎかい審議しんぎでは、おも衆議院しゅうぎいん憲法けんぽう改正かいせい特別とくべつ委員いいんかいしょう委員いいんかい審議しんぎつうじて若干じゃっかん修正しゅうせいおこなわれた[21]

たとえば、原案げんあん前文ぜんぶんには「ここに国民こくみん総意そうい至高しこうなものであることを宣言せんげんし」とあったが、国民こくみん主権しゅけん明記めいきせよというGHQの指示しじがあり「ここに主権しゅけん国民こくみんそんすることを宣言せんげんし」と修正しゅうせいされた[16][21][25][47]。このしょう委員いいんかい審議しんぎ秘密ひみつかいとしてひらかれ、議事ぎじろく1995ねんまで秘密ひみつされた[48][49]

また、だいじょうだいこう冒頭ぼうとうに「前項ぜんこう目的もくてきたっするため」をくわえるいわゆる芦田あしだ修正しゅうせいあん提示ていじされると、自衛じえい戦力せんりょく肯定こうていされたと解釈かいしゃくした極東きょくとう委員いいんかい貴族きぞくいん帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせいあん特別とくべつ委員いいんしょう委員いいんかいでの審議しんぎのさいにGHQをつうじて文民ぶんみん条項じょうこう追加ついか指示しじし、そのとおりに修正しゅうせいすることで芦田あしだ修正しゅうせいあん承認しょうにんされた[21][50][51][52]。このしょう委員いいんかい審議しんぎでは議員ぎいん以外いがい傍聴ぼうちょうみとめられず、議事ぎじろくは1996ねんまで秘密ひみつにされた[53][54]

このほか普通ふつう選挙せんきょかんする条文じょうぶん修正しゅうせいなどGHQがわ指示しじもとづく修正しゅうせいおこなわれた[21]。このような若干じゃっかん修正しゅうせいて、日本国にっぽんこく憲法けんぽう貴族きぞくいん衆議院しゅうぎいん賛成さんせい多数たすうにより採択さいたくされた[21]

その日本国にっぽんこく憲法けんぽう1946ねん11月3にち公布こうふされ、翌年よくねん5月3にち施行しこうされた。

日本国にっぽんこく憲法けんぽう理念りねん基本きほん原理げんり

日本国にっぽんこく憲法けんぽう理念りねん

日本国にっぽんこく憲法けんぽうみっつの基本きほん原理げんり詳細しょうさい後述こうじゅつ)の根底こんていには、「個人こじん尊厳そんげん」(だい13じょう)の理念りねんがあるとする学説がくせつがある[55]

樋口ひぐち陽一よういちの1992ねん著述ちょじゅつでは、ジョン・ロック思想しそう国民こくみん信託しんたくによる国政こくせい)では人権じんけん思想しそうもとには個人こじん尊厳そんげんがあり、ロックの思想しそうによれば日本国にっぽんこく憲法けんぽうさんだい原理げんり根底こんてい個人こじん尊厳そんげん理念りねんがある、とされている。
また、芦部あしべ信喜しきの2007ねん著述ちょじゅつでは、国民こくみん主権しゅけん基本きほんてき人権じんけんはともに「人間にんげん尊厳そんげん」というもっと根本こんぽんてき原理げんり由来ゆらいする、とされている[56]
宮澤みやざわしゅんよしは、個人こじん尊厳そんげん基本きほん原理げんりとしてさんだい原理げんりしめした(詳細しょうさい後述こうじゅつ)。

日本国にっぽんこく憲法けんぽうさんだい原理げんり目的もくてき

日本国にっぽんこく憲法けんぽうには基本きほんてき人権じんけん尊重そんちょう国民こくみん主権しゅけん民主みんしゅ主義しゅぎ)・平和へいわ主義しゅぎみっつの基本きほん原理げんり[57]日本国にっぽんこく憲法けんぽうさんだい原理げんり)があるとする学説がくせつがある。このせつこりは、制定せいていされた日本国にっぽんこく憲法けんぽうたいして宮澤みやざわ理論りろんてき体系たいけいてき基礎きそづけを考案こうあんしたことである。宮澤みやざわ日本国にっぽんこく憲法けんぽう基本きほん原理げんりを「個人こじん尊厳そんげん」にもとめ、そこから導出どうしゅつされる原理げんりとして、「基本きほんてき人権じんけん尊重そんちょう」、「国民こくみん主権しゅけん」、「平和へいわ国家こっか」をしめした。宮澤みやざわのこの考案こうあんは、戦後せんご日本にっぽん憲法けんぽうがくいしずえとなった[58]

また宮澤みやざわは、日本国にっぽんこく憲法けんぽう目的もくてきについてもべている。宮澤みやざわの1947ねん著述ちょじゅつによると、日本国にっぽんこく憲法けんぽうは、ポツダム宣言せんげん条項じょうこう履行りこうし、民主みんしゅ政治せいじ確立かくりつおよび平和へいわ国家こっか建設けんせつおこなうことを、その目的もくてきとする、とされている[59]
宮澤みやざわの1959ねん著述ちょじゅつでは、個人こじん尊厳そんげんについては、だい13じょう個人こじん尊重そんちょう同意どういであり、個人こじん主義しゅぎ原理げんり表現ひょうげんしており、基本きほんてき人権じんけん概念がいねんはこの個人こじん主義しゅぎ立脚りっきゃくする、とされている[60]

平和へいわ主義しゅぎ戦争せんそう放棄ほうき

平和へいわ主義しゅぎとは、平和へいわ状態じょうたい至上しじょう価値かちとし、暴力ぼうりょく軍事ぐんじ否定ひていし、いかなる紛争ふんそうも、合議ごうぎ協調きょうちょうによって対応たいおうしようとするものである。憲法けんぽう前文ぜんぶんの「政府せいふ行為こういによってふたた戦争せんそう惨禍さんかこることのないようにすることを決意けつい」という文章ぶんしょうとともに、恒久こうきゅうてき平和へいわ志向しこうし、政府せいふくに)による戦争せんそう行為こうい再発さいはつ防止ぼうしするという要素ようそ日本国にっぽんこく憲法けんぽうふくませている[61]。また、これらの平和へいわ主義しゅぎてき理念りねんを、日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい9じょう具体ぐたいしている[62]。9じょう1こうで「国際こくさい平和へいわ誠実せいじつ希求ききゅう国際こくさい紛争ふんそう解決かいけつする手段しゅだんとしての武力ぶりょくによる威嚇いかくやその行使こうし永久えいきゅう放棄ほうき」するとし、2こうで「軍隊ぐんたいその戦力せんりょく保持ほじ交戦こうせんけん否認ひにん」を規定きていしている。正式せいしきには以下いかとおりである。

だいしょう 戦争せんそう放棄ほうき

だいきゅうじょう 日本にっぽん国民こくみんは、正義せいぎ秩序ちつじょ基調きちょうとする国際こくさい平和へいわ誠実せいじつ希求ききゅうし、国権こっけん発動はつどうたる戦争せんそうと、武力ぶりょくによる威嚇いかくまた武力ぶりょく行使こうしは、国際こくさい紛争ふんそう解決かいけつする手段しゅだんとしては、永久えいきゅうにこれを放棄ほうきする。
② 前項ぜんこう目的もくてきたっするため、陸海空りくかいくうぐんその戦力せんりょくは、これを保持ほじしない。くに交戦こうせんけんは、これをみとめない。

憲法けんぽう9じょう解釈かいしゃくについて学説がくせつには、「国際こくさい紛争ふんそう解決かいけつする手段しゅだん」ではない戦争せんそうというものはありえず憲法けんぽう9じょうだい1こうすべての戦争せんそう放棄ほうきされていると解釈かいしゃくする立場たちば峻別しゅんべつ不能ふのうせつ[63]憲法けんぽう9じょうだい1こう規定きていは「国際こくさい紛争ふんそう解決かいけつする手段しゅだん」としての戦争せんそう放棄ほうきさだめたもので自衛じえい戦争せんそうまでは放棄ほうきされていないが、憲法けんぽう9じょうだい2こう戦力せんりょく保持ほじ交戦こうせんけん否認ひにんさだめられた結果けっかとしてすべての戦争せんそう放棄ほうきされたと解釈かいしゃくする立場たちば遂行すいこう不能ふのうせつ[64]憲法けんぽう9じょうだい1こう規定きていは「国際こくさい紛争ふんそう解決かいけつする手段しゅだん」としての戦争せんそう放棄ほうきさだめたものであり自衛じえい戦争せんそうまでは放棄ほうきされておらず、憲法けんぽう9じょうだい2こうにおいても自衛じえい戦争せんそうおよ自衛じえいのための戦力せんりょく放棄ほうきされていないとする立場たちば限定げんてい放棄ほうきせつ[65]がある[66]。このうち限定げんてい放棄ほうきせつは、憲法けんぽう9じょう自衛じえい戦争せんそう放棄ほうきしておらず自衛じえい戦争せんそうのための「戦力せんりょく」も保持ほじしうると解釈かいしゃくする[65]

これにたいして政府せいふ見解けんかいは、以下いかのように解釈かいしゃくしている。

  • 憲法けんぽう9じょうだい2こうは『戦力せんりょく』の保持ほじ禁止きんししているという解釈かいしゃくのもと、これは自衛じえいのための必要ひつよう最小さいしょう限度げんど実力じつりょく保持ほじすることを禁止きんしする趣旨しゅしのものではなく、これをえる実力じつりょく保持ほじすることを禁止きんしする趣旨しゅしである[67][68][69]
  • 交戦こうせんけんともな自衛じえい戦争せんそう個別こべつてき自衛じえいけんもとづく自衛じえい行動こうどうとはべつ概念がいねんで、後者こうしゃについては憲法けんぽうじょう許容きょようされている[70][71]

れいとして、以下いか国会こっかい答弁とうべんがある[71][72]

自衛じえい戦争せんそうさい交戦こうせんけんというのも、自衛じえい戦争せんそうにおけるこのような意味いみ交戦こうせんけんというふうにかんがえています。このような交戦こうせんけんは、憲法けんぽうきゅうじょうこうみとめないものとかれているところでございます。一方いっぽう自衛じえい行動こうどうもうしますのは、くに憲法けんぽうきゅうじょうのもとで許容きょようされる自衛じえいけん行使こうしとしておこな武力ぶりょく行使こうしをその内容ないようとするものでございまして、これは外国がいこくからの急迫きゅうはく不正ふせい武力ぶりょく攻撃こうげきたいして、ほかに有効ゆうこう適切てきせつ手段しゅだんがない場合ばあいに、これを排除はいじょするために必要ひつよう最小限さいしょうげん範囲はんいないおこなわれる実力じつりょく行使こうしでございます。 — 平成へいせい11ねん3がつ15にち 参議院さんぎいん外交がいこう防衛ぼうえい委員いいんかい秋山あきやまおさむ内閣ないかく法制ほうせいきょくだいいち部長ぶちょう
個別こべつてき自衛じえいけんもとづくくに防衛ぼうえいするために必要ひつよう最小さいしょう限度げんど自衛じえい行動こうどうというものは憲法けんぽう否定ひていしていないということをもうげたのでございまして、いわゆる戦争せんそうさん分類ぶんるいによる自衛じえい戦争せんそうができるんだということをもうげたわけではないと。自衛じえい戦争せんそうという場合ばあいには当然とうぜん交戦こうせんけんともなうんでしょうけれども、さきほどくにがなしるともうげましたのは、自衛じえい戦争せんそうという意味いみよりももうすこ縮減しゅくげんされた、あるいは次元じげんことなる個別こべつてき自衛じえいけんもとづく自衛じえい行動こうどうというふうにおききとりいただきたいとおもいます。 — 平成へいせい11ねん9がつ13にち 参議院さんぎいん予算よさん委員いいんかい大森おおもりまさし内閣ないかく法制ほうせいきょく長官ちょうかん

平和へいわ主義しゅぎという言葉ことば多義たぎてきである。ほうはなれた個人こじん信条しんじょうなどの文脈ぶんみゃくにおける平和へいわ主義しゅぎは(一切いっさいの)あらそいをこのまない態度たいど意味いみすることがおおい。一方いっぽうで、憲法けんぽう理念りねんとしての平和へいわ主義しゅぎは、平和へいわ価値かちき、その維持いじ擁護ようご政府せいふ努力どりょくはらうことを意味いみすることがおおい。日本国にっぽんこく憲法けんぽうにおける平和へいわ主義しゅぎは、通常つうじょう憲法けんぽう理念りねんとしての平和へいわ主義しゅぎくわえて、戦力せんりょく放棄ほうき平和へいわつながるとする絶対ぜったい平和へいわ主義しゅぎとして理解りかいされることがある。これは、だい世界せかい大戦たいせんでの敗戦はいせん疲弊ひへい記憶きおく終戦しゅうせん平和へいわもとめる国内こくない世論せろん形式けいしき文理ぶんりじょう憲法けんぽう前文ぜんぶんだい9じょう一切いっさい戦力せんりょく武力ぶりょく行使こうし放棄ほうきしたと解釈かいしゃくできること、だい世界せかい大戦たいせん以降いこう日本にっぽん武力ぶりょく紛争ふんそう直接ちょくせつまれることがなかったことによってささえられた、世界せかいてきにも希有けう平和へいわ主義しゅぎだとされる。この絶対ぜったい平和へいわ主義しゅぎについては、安全あんぜん保障ほしょう観点かんてん皆無かいむなのではないかという意見いけんがある一方いっぽうで、世界せかいさきんじて日本にっぽん絶対ぜったい平和へいわ主義しゅぎはたやくとなり、率先そっせんして世界せかい武装ぶそう方向ほうこう転換てんかんしていこうと努力どりょくすることが、より持続じぞく可能かのう安全あんぜん保障ほしょうであるとの意見いけんがある。なお、これらとはべつ自衛じえいけん自明じめいであり、自衛じえいけん行使こうし戦争せんそうには該当がいとうしないとする意見いけんがある。[よう出典しゅってん]

上記じょうき議論ぎろんから、日本にっぽん政府せいふ編成へんせいした防衛ぼうえいしょうきゅう防衛庁ぼうえいちょう)の管轄かんかつにある防衛ぼうえい組織そしきである自衛隊じえいたい陸上りくじょう自衛隊じえいたい海上かいじょう自衛隊じえいたい航空こうくう自衛隊じえいたい)は外国がいこくからは事実じじつじょう軍隊ぐんたい陸軍りくぐん海軍かいぐん空軍くうぐん)と認識にんしきされており憲法けんぽう違反いはんとする学説がくせつもあるが、日本にっぽん政府せいふ見解けんかいでは「自衛隊じえいたい戦力せんりょくには該当がいとうせず、憲法けんぽうじょう許容きょようされている」としている[73]。2023ねん3がつ現在げんざい最高裁判所さいこうさいばんしょによる憲法けんぽう判断はんだんくだされていない。

原本げんぽん

日本国にっぽんこく憲法けんぽう原本げんぽん上諭じょうゆ」(1ぺーじ
日本国にっぽんこく憲法けんぽう原本げんぽん御名ぎょめい御璽ぎょじ大臣だいじん副署ふくしょ」(2ぺーじ
日本国にっぽんこく憲法けんぽう原本げんぽん大臣だいじん副署ふくしょ」「前文ぜんぶん」(3ぺーじ

日本国にっぽんこく憲法けんぽう原本げんぽんは、国立こくりつ公文書こうぶんしょかん保管ほかんされており、不定期ふていき公開こうかいされている[74]

日本国にっぽんこく憲法けんぽう構成こうせい

日本国にっぽんこく憲法けんぽう本文ほんぶんは、11しょう103じょうから構成こうせいされている。大別たいべつして、人権じんけん規定きてい統治とうち規定きてい憲法けんぽう保障ほしょうみっつからなる。とくに、だい3しょう人権じんけん規定きていには「人権じんけんカタログ」という別称べっしょうがある[75]

日本国にっぽんこく憲法けんぽうは、本文ほんぶんほかに、上諭じょうゆ前文ぜんぶんそなわっている。

上諭じょうゆ、あくまでたんなる公布こうふぶんであって憲法けんぽう構成こうせい内容ないようではない。しかし、制定せいてい法理ほうりとの関係かんけい問題もんだいとなり、注目ちゅうもくされる。この上諭じょうゆには、「日本にっぽん国民こくみん総意そういもとづいて」という国民こくみん主権しゅけんてき文言もんごんと、天皇てんのう主権しゅけん帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせい手続てつづき並列へいれつして明記めいきされているからである(下記かき成立せいりつ法理ほうり参照さんしょう)。

前文ぜんぶんとは、法令ほうれい条項じょうこう先立さきだってべる文章ぶんしょうであって、その法令ほうれい趣旨しゅし目的もくてき理念りねんなどを明示めいじするものである。日本国にっぽんこく憲法けんぽう前文ぜんぶんには、国民こくみん主権しゅけん基本きほんてき人権じんけん尊重そんちょう平和へいわ主義しゅぎという日本国にっぽんこく憲法けんぽうさんだい原理げんりしめされている。とくに、だい世界せかい大戦たいせん直後ちょくごという歴史れきしてき背景はいけいから、平和へいわ主義しゅぎ強調きょうちょうされ、これを根拠こんきょ個人こじん人権じんけんとして平和へいわてき生存せいぞんけんみちび見解けんかいもある。もっとも、権利けんり内容ないよう主体しゅたい明白めいはくではないため、理念りねんてき権利けんりとしてはともかく、裁判さいばん主張しゅちょうできるような具体ぐたいてき法的ほうてき権利けんりせい前文ぜんぶんから直接ちょくせつみちびすことは困難こんなんであると一般いっぱんてきには認識にんしきされている(参照さんしょう恵庭えにわ事件じけん)。

条章じょうしょう構成こうせい

条章じょうしょう構成こうせい以下いかとおり。全文ぜんぶんはウィキソースを参照さんしょうのこと。かく条章じょうしょう詳細しょうさいについては条章じょうしょうべつ記事きじ参照さんしょうのこと。

上諭じょうゆ前文ぜんぶん

日本国にっぽんこく憲法けんぽう統治とうち機構きこう

本文ほんぶん

人権じんけん規定きてい

人権じんけん規定きていは、おもだい3しょうにまとめられている。人権じんけんは、包括ほうかつてき自由じゆうけんほうした平等びょうどう精神せいしんてき自由じゆう経済けいざいてき自由じゆう人身じんしん自由じゆう受益じゅえきけん社会しゃかいけん参政さんせいけんなどに大別たいべつされる。

包括ほうかつてき自由じゆうけんほうした平等びょうどう

まず包括ほうかつてき人権じんけん規定きてい包括ほうかつてき自由じゆうけんである生命せいめい自由じゆう幸福こうふく追求ついきゅうけん13じょう)がある。プライバシー権利けんり自己じこ決定けっていけんなどのあたらしい人権じんけんは、どうじょうにより保障ほしょうされる。

また、14じょうではぜん国民こくみんほうした平等びょうどうおよ人種じんしゅ信条しんじょう性別せいべつ社会しゃかいてき身分みぶんまた門地もんちによる政治せいじてき経済けいざいてきまた社会しゃかいてき関係かんけいにおける差別さべつ禁止きんしさだめられる。どうじょう2こうでは華族かぞくその貴族きぞく制度せいど禁止きんしおよ栄誉えいよ勲章くんしょうその栄典えいてん授与じゅよによる特権とっけん付与ふよ禁止きんし栄典えいてん授与じゅよ世襲せしゅう禁止きんしさだめる。

どうじょうのほか、24じょう婚姻こんいん両性りょうせい合意ごういのみにもとづいて成立せいりつし、夫婦ふうふ同等どうとう権利けんりゆうすることを基本きほんとした相互そうご協力きょうりょくによる維持いじ必要ひつようせいどうじょう2こう配偶はいぐうしゃ選択せんたく財産ざいさんけん相続そうぞく住居じゅうきょ選定せんてい離婚りこんならびに婚姻こんいんおよ家族かぞくかんするその事項じこうにおける個人こじん尊厳そんげん両性りょうせい本質ほんしつてき平等びょうどう男女だんじょ同権どうけん)、44じょう国会こっかい議員ぎいんおよびその選挙せんきょじん資格しかくにおける人種じんしゅ信条しんじょう性別せいべつ社会しゃかいてき身分みぶん門地もんち教育きょういく財産ざいさんまた収入しゅうにゅうによる差別さべつ禁止きんしさだめられている。

精神せいしんてき自由じゆう

精神せいしんてき自由じゆうのうち、内面ないめん自由じゆうとしては、思想しそう良心りょうしん自由じゆう19じょう)、信教しんきょう自由じゆう20じょう)、学問がくもん自由じゆう23じょう)がある。20じょう1こう後段こうだんおよび3こう89じょうともに、政教せいきょう分離ぶんり原則げんそくさだめる。学問がくもん自由じゆうからは、大学だいがく自治じちおよび学校がっこう自治じちみちびされる。表現ひょうげん自由じゆう21じょうさだめられる。どうじょうでは、明文めいぶんにある集会しゅうかい自由じゆう結社けっしゃ自由じゆう出版しゅっぱん自由じゆう言論げんろん自由じゆうのほか、権利けんり報道ほうどう自由じゆう取材しゅざい自由じゆう選挙せんきょ運動うんどう自由じゆうなど、重要じゅうよう人権じんけん保障ほしょうされている。また、どうじょう2こうでは、検閲けんえつ禁止きんし通信つうしん秘密ひみつ保障ほしょうされている。

経済けいざいてき自由じゆう

経済けいざいてき自由じゆうとしては、まず22じょう1こうでは、職業しょくぎょう選択せんたく自由じゆう保障ほしょうしている。ここからは営業えいぎょう自由じゆうみちびされる。また2こうともに、居住きょじゅう移転いてん自由じゆう外国がいこく移住いじゅう自由じゆう海外かいがい渡航とこう自由じゆう国籍こくせき離脱りだつ自由じゆう保障ほしょうされている。29じょうでは、財産ざいさんけん保障ほしょうされている。

人身じんしん自由じゆう

人身じんしん自由じゆうは、まず18じょうで、奴隷どれいてき拘束こうそくからの自由じゆうさだめられる。31じょうでは適正てきせい手続てつづき保障ほしょう規定きていされる。刑事けいじ手続てつづきかんする詳細しょうさい規定きていは、日本国にっぽんこく憲法けんぽう特徴とくちょうとされる。これには、不当ふとう身柄みがら拘束こうそくからの自由じゆう34じょう)、住居じゅうきょとうへの不可侵ふかしん35じょう)など被疑ひぎしゃ権利けんりと、公務員こうむいんによる拷問ごうもんおよ残虐ざんぎゃく刑罰けいばつ禁止きんし36じょう)、公平こうへい裁判所さいばんしょ迅速じんそく公開こうかい裁判さいばんける権利けんり証人しょうにん審問しんもんけん喚問かんもんけん弁護人べんごにん依頼いらいけん37じょう)、自己じこまけざい拒否きょひ特権とっけん38じょう黙秘もくひけん)、刑罰けいばつ遡及そきゅう39じょう)、じゅう危険きけん禁止きんし一事いちじさい39じょう)など被告人ひこくにん権利けんりがある。

大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう体制たいせいからの経験けいけんそくとして、えいべいほう経験けいけんそく導入どうにゅうされた経緯けいいがある。大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうでは、法律ほうりつらなければ、逮捕たいほ監禁かんきん審問しんもん処罰しょばつけないとさだめていたが、実際じっさいには警察けいさつによる拷問ごうもんなどがおこなわれ、人身じんしん自由じゆう保障ほしょう不十分ふじゅうぶんだった。

なお、人身じんしん自由じゆうかんする憲法けんぽう直接ちょくせつ付属ふぞくほう人身じんしん保護ほごほう昭和しょうわ23ねん法律ほうりつだい199ごう)である。この人身じんしん保護ほごほうかんする細則さいそくは、最高さいこう裁判所さいばんしょ規則きそくである、人身じんしん保護ほご規則きそく昭和しょうわ23ねん最高裁判所さいこうさいばんしょ規則きそくだい22ごう[76]さだめられる。どうほうおよどう規則きそくによれば、人身じんしん保護ほご事件じけん審理しんりは、原則げんそくとして民事みんじ訴訟そしょう手続てつづきあつかわれる(規則きそく33じょう、46じょう)。人身じんしん保護ほごほうは、人身じんしん自由じゆう拘束こうそく人身じんしん自由じゆううばったり制限せいげんすること) するものを、公務員こうむいん公的こうてき機関きかんだけに限定げんていしていない。

受益じゅえきけん

受益じゅえきけんとは、国務こくむ請求せいきゅうけんともいう。国民こくみん国家こっかたいし、行為こうい給付きゅうふ制度せいど整備せいびなどを要求ようきゅうする権利けんりである。受益じゅえきけんには、請願せいがんけん16じょう)、裁判さいばんける権利けんり32じょう)、国家こっか賠償ばいしょう請求せいきゅうけん17じょう)、刑事けいじ補償ほしょう請求せいきゅうけん40じょう)などがある。

社会しゃかいけん

社会しゃかいけんとは、個人こじん生存せいぞん教育きょういく維持いじ発展はってんなどにかんする給付きゅうふを、国家こっかたい要求ようきゅうする権利けんりである。社会しゃかいけんには、生存せいぞんけん25じょう)、教育きょういくける権利けんり26じょう)、勤労きんろう権利けんり労働ろうどう基本きほんけん27じょう28じょう労働ろうどう三権さんけん)などがある。

参政さんせいけん

参政さんせいけんとは、国民こくみん政治せいじ参与さんよする権利けんりである。15じょうで、選挙せんきょけん被選挙権ひせんきょけん国民こくみん投票とうひょうけんなどの参政さんせいけん保障ほしょうしている。

選挙せんきょけんは、普通ふつう選挙せんきょ平等びょうどう選挙せんきょ自由じゆう選挙せんきょ秘密ひみつ選挙せんきょ直接ちょくせつ選挙せんきょいつつの要件ようけん原則げんそく)をそなえなければならない。

普通ふつう選挙せんきょとは、財力ざいりょく教育きょういくなどを選挙せんきょけん要件ようけんとしない選挙せんきょをいい、15じょう3こう44じょう保障ほしょうされる。

平等びょうどう選挙せんきょとは、選挙せんきょけん価値かち平等びょうどうとして一人ひとり一票いっぴょう原則げんそくとする選挙せんきょをいい、14じょう1こう44じょう保障ほしょうされ、投票とうひょう価値かち平等びょうどう保障ほしょうされると解釈かいしゃくされる。

自由じゆう選挙せんきょとは、投票とうひょう罰則ばっそくなどの制裁せいさいによって義務ぎむづけない選挙せんきょをいい、15じょう1こうなどにより保障ほしょうされるとほぐされている。

秘密ひみつ選挙せんきょとは、投票とうひょう内容ないよう秘密ひみつにする選挙せんきょをいい、15じょう4こう保障ほしょうされる。

直接ちょくせつ選挙せんきょとは、選挙せんきょじん公務員こうむいん直接ちょくせつえら選挙せんきょをいい、国政こくせい選挙せんきょでは直接ちょくせつこれを保障ほしょうする条項じょうこうはないが、地方ちほう選挙せんきょでは93じょう2こう保障ほしょうする。国民こくみん投票とうひょうけんは、憲法けんぽう改正かいせいについてのみみとめている(96じょう1こう)。地方ちほう自治じち特別とくべつほうかんする住民じゅうみん投票とうひょうけんや、最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん国民こくみん審査しんさもこの権利けんり一種いっしゅとされる。

統治とうち規定きてい

日本国にっぽんこく憲法けんぽうは、国民こくみん主権しゅけん原則げんそくとした象徴しょうちょう天皇てんのうせい権力けんりょく分立ぶんりつせい三権分立さんけんぶんりつせい)をる。権力けんりょく分立ぶんりつとは、国家こっかしょ作用さよう性質せいしつおうじて区別くべつし、それをことなる機関きかん分離ぶんりし、相互そうご抑制よくせい均衡きんこうたもつことで権力けんりょく一極いっきょく集中しゅうちゅう恣意しいてき行使こうし防止ぼうしするものである。権力けんりょく分立ぶんりつせいは、自由じゆう主義しゅぎをその背後はいご原理げんりとする。通常つうじょう立法りっぽうけん行政ぎょうせいけん司法しほうけん権力けんりょく区別くべつする。

日本国にっぽんこく憲法けんぽうでは、立法りっぽうけん国会こっかい41じょう)に、行政ぎょうせいけん内閣ないかく65じょう)に、司法しほうけん裁判所さいばんしょ76じょう)にはいされる。

以上いじょうことから日本にっぽんは、立憲りっけん君主くんしゅせい議院ぎいんないかくせい政治せいじ体制たいせい国家こっかとされる。

天皇てんのう

日本国にっぽんこく憲法けんぽうは、だい1しょう天皇てんのうかんする事項じこうさだめる。

天皇てんのうは、「日本にっぽんこく象徴しょうちょうであり日本にっぽん国民こくみん統合とうごう象徴しょうちょう」であって、この地位ちいは、主権しゅけんそんする日本にっぽん国民こくみん総意そういもとづくと規定きていされる(1じょう)。

皇位こうい継承けいしょうは、世襲せしゅうのものであって、国会こっかい議決ぎけつした皇室こうしつ典範てんぱん規定きていによりおこなわれる(2じょう)。

天皇てんのう国事こくじかんするすべての行為こういには、内閣ないかく助言じょげん承認しょうにん必要ひつようとし、内閣ないかく責任せきにんう(3じょう)。

天皇てんのうは、憲法けんぽうじょう国事こくじかんする行為こういのみをおこない、国政こくせいかんする権能けんのうゆうしない(4じょう)。法律ほうりつ規定きていにより、その国事こくじかんする行為こうい委任いにんすることが可能かのう(4じょう2こう)。

皇室こうしつ典範てんぱん規定きていにより摂政せっしょう設置せっちするとき摂政せっしょう天皇てんのうでその国事こくじかんする行為こういおこなう。この場合ばあいには、4じょう1こう規定きてい準用じゅんようする(5じょう)。

天皇てんのうは、国会こっかい指名しめい内閣ないかく総理そうり大臣だいじん指名しめい選挙せんきょ)にもとづいて内閣ないかく総理そうり大臣だいじん任命にんめいし(6じょう)、内閣ないかく指名しめいもとづいて最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん最高裁判所さいこうさいばんしょちょうである裁判官さいばんかん)を任命にんめいする(6じょう2こう)。

天皇てんのうは、内閣ないかく助言じょげん承認しょうにんにより、国民こくみんのために、憲法けんぽう改正かいせい法律ほうりつ政令せいれいおよ条約じょうやく公布こうふ(7じょう1ごう)・国会こっかい召集しょうしゅう(2ごう)・衆議院しゅうぎいん解散かいさん(3ごう)・国会こっかい議員ぎいんそう選挙せんきょ衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょ)の施行しこう公示こうじ(4ごう)・国務大臣こくむだいじんおよ法律ほうりつ規定きていするその官吏かんり任免にんめんならびに全権ぜんけん委任いにんじょうおよ大使たいしおよ公使こうし信任しんにんじょう認証にんしょう(5ごう)・大赦たいしゃ特赦とくしゃ減刑げんけいけい執行しっこう免除めんじょおよ復権ふっけん認証にんしょう(6ごう)、栄典えいてん授与じゅよ(7ごう)、批准ひじゅんしょおよ法律ほうりつ規定きていするその外交がいこう文書ぶんしょ認証にんしょう(8ごう)・外国がいこく大使たいしおよ公使こうし接受せつじゅ(9ごう)・儀式ぎしき執行しっこう(10ごう)といった国事こくじ行為こういおこなう(7じょう)。

皇室こうしつ財産ざいさんゆずわたし、また皇室こうしつ財産ざいさんゆずしくはたまものくみすることは、国会こっかい議決ぎけつもとづく必要ひつようがある(8じょう)。

国会こっかい

国会こっかいは、国権こっけん最高さいこう機関きかんとされ、唯一ゆいいつ立法りっぽう機関きかんとされる(41じょう)。

国会こっかいは、衆議院しゅうぎいん下院かいん)と参議院さんぎいん上院じょういん)の二院にいん構成こうせいされる(42じょう)。りょう議院ぎいんは、ぜん国民こくみん代表だいひょうして選挙せんきょ衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょ)により選出せんしゅつされた議員ぎいん組織そしきされる(43じょう)。

衆議院しゅうぎいん議員ぎいん任期にんきは、4ねんとする。ただし、衆議院しゅうぎいん解散かいさん場合ばあいには、その期間きかん満了まんりょうまえ終了しゅうりょうする(45じょう)。参議院さんぎいん議員ぎいん任期にんきは、6ねんとし、3ねんごとに議員ぎいん半数はんすう改選かいせんする(46じょう)。

りょう議院ぎいん議員ぎいんは、法律ほうりつさだめる場合ばあいのぞいては、国会こっかい会期かいきちゅう逮捕たいほされず、会期かいきまえ逮捕たいほされた議員ぎいんは、その議院ぎいん要求ようきゅうがあれば、会期かいきちゅう釈放しゃくほうする必要ひつようがある(50じょう)。

国会こっかい常会じょうかいは、毎年まいとしいちかい召集しょうしゅうする(52じょう)。

内閣ないかくは、国会こっかい臨時りんじかい召集しょうしゅう決定けっていすることが可能かのう衆参しゅうさんいずれかの議院ぎいんそう議員ぎいんの4ぶんの1以上いじょう要求ようきゅうがあれば、内閣ないかく臨時りんじかい召集しょうしゅう決定けっていする必要ひつようがある(53じょう)。

衆議院しゅうぎいん解散かいさんされたときは、解散かいさんから40にち以内いない衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょおこない、その選挙せんきょから30にち以内いない国会こっかい召集しょうしゅうする必要ひつようがある(54じょう)。衆議院しゅうぎいん解散かいさんされたときは、参議院さんぎいん同時どうじ閉会へいかいとなる。ただし、内閣ないかくは、くに緊急きんきゅう必要ひつようがあるときは参議院さんぎいん緊急きんきゅう集会しゅうかいもとめることが可能かのう(54じょう2こう)。参議院さんぎいん緊急きんきゅう集会しゅうかいにおいてられた措置そちは、臨時りんじのものであって、つぎ国会こっかい開会かいかいのち10日とおか以内いない衆議院しゅうぎいん同意どういがない場合ばあいには、その効力こうりょくうしなう(54じょう3こう)。

りょう議院ぎいんは、各々おのおのその議員ぎいん資格しかくかんする争訟そうしょう裁判さいばんする。ただし、議員ぎいん議席ぎせきうしなわせるには、出席しゅっせき議員ぎいんの3ぶんの2以上いじょう多数たすうによる議決ぎけつ必要ひつようとする(55じょう)。

りょう議院ぎいんは、議事ぎじひら議決ぎけつするには、かく議院ぎいんそう議員ぎいんの3ぶんの1以上いじょう出席しゅっせき必要ひつようとする(56じょう)。りょう議院ぎいん議事ぎじは、憲法けんぽうじょう特例とくれいのぞいて、出席しゅっせき議員ぎいん過半数かはんすう賛成さんせい可決かけつし、賛成さんせいひょう反対はんたいひょう同数どうすうときは、議長ぎちょう採決さいけつしたがう(56じょう2こう)。

りょう議院ぎいん会議かいぎは、公開こうかいとする。ただし、出席しゅっせき議員ぎいんの3ぶんの2以上いじょう多数たすう議決ぎけつしたときは、秘密ひみつかい開会かいかい可能かのう57じょう)。りょう議院ぎいんは、各々おのおのその会議かいぎ記録きろく保存ほぞんし、秘密ひみつかい記録きろくなかとく秘密ひみつようするとみとめられるもの以外いがいは、これを公表こうひょうし、かつ一般いっぱん頒布はんぷする必要ひつようがある(57じょう2こう)。出席しゅっせき議員ぎいんの5ぶんの1以上いじょう要求ようきゅうがあれば、かく議員ぎいん表決ひょうけつは、これを会議かいぎろく記載きさいする必要ひつようがある(57じょう3こう)。

衆議院しゅうぎいん議長ぎちょう参議院さんぎいん議長ぎちょう、その役員やくいん選任せんにんする(58じょう)。りょう議院ぎいんは、各々おのおのその会議かいぎその手続てつづきおよ内部ないぶ規律きりつかんする規則きそくさだめ、また院内いんない秩序ちつじょみだした議員ぎいん懲罰ちょうばつすることが可能かのう。ただし、議員ぎいん除名じょめいするには、出席しゅっせき議員ぎいんの3ぶんの2以上いじょう多数たすうによる議決ぎけつ必要ひつようとする(58じょう2こう)。

法律ほうりつあんは、憲法けんぽうじょう特例とくれいのぞいては、りょう議院ぎいん可決かけつしたとき法律ほうりつとなる(59じょう)。衆議院しゅうぎいん可決かけつされ、参議院さんぎいんことなった議決ぎけつをされた法律ほうりつあんは、衆議院しゅうぎいん出席しゅっせき議員ぎいんの3ぶんの2以上いじょう多数たすうさい可決かけつされたときは、法律ほうりつとなる(59じょう2こう)。前項ぜんこう規定きていは、法律ほうりつ規定きていにより、衆議院しゅうぎいんりょう議院ぎいん協議きょうぎかい開会かいかい要求ようきゅうをすることをさまたげない(59じょう3こう)。参議院さんぎいんが、衆議院しゅうぎいん可決かけつした法律ほうりつあんったのち国会こっかい休会きゅうかいちゅう期間きかんのぞいて60にち以内いない議決ぎけつしないときは、衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいんがその法律ほうりつあん否決ひけつしたものと做すことが可能かのう(59じょう4こう)。

二院にいんのうちでは、衆議院しゅうぎいん優越ゆうえつさだめられている(予算よさん先議せんぎけん60じょう1こう内閣ないかく不信任ふしんにん決議けつぎけん69じょう決議けつぎ優越ゆうえつ59じょう2こう60じょう2こう61じょう67じょう2こう)。それ以外いがい対等たいとうであり、法律ほうりつあんは、りょう議院ぎいん可決かけつしたとき法律ほうりつとなり(59じょう1こう)、予算よさんあん条約じょうやく承認しょうにん国会こっかい権能けんのうである(60じょう61じょう)。また、りょう議院ぎいんには各々おのおの内部ないぶ規律きりつかんする規則きそく制定せいていけんがある(58じょう2こう)。

けんとの関係かんけいでは、まず、内閣ないかくたいしては、国会こっかい内閣ないかく総理そうり大臣だいじん指名しめいけんがあり(67じょう)、衆議院しゅうぎいんには内閣ないかく不信任ふしんにん決議けつぎけんがある(69じょう)。また、いん権能けんのうである国政こくせい調査ちょうさけん62じょう)を行使こうしして、内閣ないかくおこな行政ぎょうせい事項じこうかんして調査ちょうさ監視かんしする。裁判所さいばんしょたいしては、裁判官さいばんかん弾劾だんがい裁判所さいばんしょ設置せっちして、非行ひこうとうにより罷免ひめん訴追そついけた裁判官さいばんかん裁判さいばんする(64じょう)。もっとも、裁判官さいばんかん弾劾だんがい裁判所さいばんしょ自体じたい国会こっかいから独立どくりつした機関きかんである。また、ぜん裁判官さいばんかん良心りょうしんしたが独立どくりつして職権しょっけん行使こうしするにあたって、国会こっかい制定せいていした憲法けんぽうおよ法律ほうりつにのみ拘束こうそくされる(76じょう3こう)。

内閣ないかく

内閣ないかくは、行政ぎょうせいけんになう(65じょう)。

内閣ないかくは、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん国務大臣こくむだいじんにより組織そしきされる合議ごうぎせい機関きかんである(66じょう)。内閣ないかく総理そうり大臣だいじんその国務大臣こくむだいじんは、文民ぶんみんである必要ひつようがある(66じょう2こう)。内閣ないかくは、行政ぎょうせいけん行使こうしについて、国会こっかいたい連帯れんたいして責任せきにんうという議院ぎいんないかくせい規定きていされている(66じょう3こう)。

内閣ないかく首長しゅちょうである内閣ないかく総理そうり大臣だいじんは、国会こっかい議員ぎいん衆議院しゅうぎいん議員ぎいん参議院さんぎいん議員ぎいん)のなかから国会こっかい議決ぎけつ内閣ないかく総理そうり大臣だいじん指名しめい選挙せんきょ)により指名しめいされ(67じょう1こう)、(親任しんにんしきによって)天皇てんのう任命にんめいされる(6じょう1こう)。

国務大臣こくむだいじん内閣ないかく総理そうり大臣だいじん任命にんめいするが、その過半数かはんすう国会こっかい議員ぎいん衆議院しゅうぎいん議員ぎいん参議院さんぎいん議員ぎいん)のなかからえらばなければならない(68じょう1こう)。

衆議院しゅうぎいん内閣ないかく不信任ふしんにん決議けつぎあん可決かけつされるか内閣ないかく信任しんにん決議けつぎあん否決ひけつされたときは、10日とおか以内いない衆議院しゅうぎいん解散かいさんされないかぎり、内閣ないかくそう辞職じしょくをする必要ひつようがある(69じょう)。内閣ないかく総理そうり大臣だいじんけたとき、また衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ実施じっしはじめて国会こっかい召集しょうしゅうがあったときは、内閣ないかくそう辞職じしょくをする必要ひつようがある(70じょう)。ぜん2じょう場合ばあいには、内閣ないかくあらたに内閣ないかく総理そうり大臣だいじん任命にんめいされるまでつづきその職務しょくむおこなう(71じょう)。

内閣ないかく総理そうり大臣だいじんは、内閣ないかく代表だいひょうして議案ぎあん国会こっかい提出ていしゅつし、一般いっぱん国務こくむおよ外交がいこう関係かんけいについて国会こっかい報告ほうこくし、ならびに行政ぎょうせい各部かくぶ指揮しき監督かんとくする(72じょう)。

内閣ないかくは、一般いっぱん行政ぎょうせい事務じむおこなうほか、法律ほうりつ誠実せいじつ執行しっこう国務こくむ総理そうり外交がいこう関係かんけい処理しょり条約じょうやく締結ていけつ事前じぜんまたは事後じごに、国会こっかい承認しょうにん必要ひつようとする)、法律ほうりつさだめる基準きじゅんしたがっての官吏かんりかんする事務じむ掌理しょうり予算よさんあん作成さくせい国会こっかいへの提出ていしゅつ憲法けんぽうおよ法律ほうりつ規定きてい実施じっしするため政令せいれいとくにその法律ほうりつ委任いにんがある場合ばあいのぞいての、罰則ばっそくもうけることの禁止きんし)の制定せいてい大赦たいしゃ特赦とくしゃ減刑げんけいけい執行しっこう免除めんじょおよ復権ふっけん決定けっていなどの事務じむおこなう(73じょう)。また、内閣ないかくは、天皇てんのう国事こくじ行為こういたいし、助言じょげん承認しょうにんおこなう(7じょう)。

内閣ないかくは、天皇てんのうへの助言じょげん承認しょうにんとおして衆議院しゅうぎいん解散かいさんすることができる(7じょう3ごう)。内閣ないかくは、最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん指名しめいし(6じょう2こう)、その下級かきゅう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん最高さいこう裁判所さいばんしょ作成さくせいした名簿めいぼより任命にんめいする(79じょう1こう)。

裁判所さいばんしょ

すべての司法しほうけん裁判所さいばんしょぞくし、日本にっぽん裁判所さいばんしょ最高裁判所さいこうさいばんしょとその下級かきゅう裁判所さいばんしょ高等こうとう裁判所さいばんしょ地方裁判所ちほうさいばんしょ家庭かてい裁判所さいばんしょなど)により構成こうせいされると規定きていされている(76じょう)。

特別とくべつ裁判所さいばんしょ設置せっちすることおよ行政ぎょうせい機関きかん終審しゅうしんとして裁判さいばんおこなうことが禁止きんしされている(76じょう2こう)。

裁判官さいばんかんのうち最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん内閣ないかく指名しめいもとづき、天皇てんのう任命にんめいする(6じょう2こう)。その裁判官さいばんかんは、内閣ないかく任命にんめいする。とくに、下級かきゅう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかんは、最高さいこう裁判所さいばんしょ指名しめいしたもの名簿めいぼにより、内閣ないかく任命にんめいする。最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかんは、任命にんめいはじめて執行しっこうされる衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょとその10ねんごとの衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょにおいて、国民こくみん審査しんさける(最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん国民こくみん審査しんさ)。下級かきゅう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかんは、任期にんきを10ねんとし、再任さいにんされることができる。裁判所さいばんしょには、訴訟そしょうかんする手続てつづき弁護士べんごし裁判所さいばんしょ内部ないぶ規律きりつおよ司法しほう事務じむ処理しょりかんする事項じこうについて、規則きそく制定せいていけんがある(77じょう1こう)。

裁判所さいばんしょは、法令ほうれい審査しんさけん違憲いけん立法りっぽう審査しんさけん違憲いけん審査しんさけん)を行使こうしする(81じょう)。どうじょうは、最高さいこう裁判所さいばんしょを「一切いっさい法律ほうりつ命令めいれい規則きそくまた処分しょぶん憲法けんぽう適合てきごうするかしないかを決定けっていする権限けんげんゆうする終審しゅうしん裁判所さいばんしょ」と規定きていするが、これは下級かきゅう裁判所さいばんしょ法令ほうれい審査しんさけん行使こうししうることをしめしている(判例はんれいもそれをしめしている。「警察けいさつ予備よびたい違憲いけん訴訟そしょう昭和しょうわ27ねん10月8にちだい法廷ほうてい判決はんけつ昭和しょうわ27ねん(マ)だい23ごう日本国にっぽんこく憲法けんぽう違反いはんする行政ぎょうせい処分しょぶん取消とりけし訴訟そしょう)。この法令ほうれい審査しんさけんは、裁判所さいばんしょ裁判さいばんおこなうにあたって適用てきようする法令ほうれい違憲いけん憲法けんぽう違反いはん)であるか判断はんだんする権限けんげんとされる(附随ふずいてき違憲いけん審査しんさせい)。ドイツ憲法けんぽう裁判所さいばんしょイタリアオーストリアひとし裁判所さいばんしょられる、具体ぐたいてき事件じけんからはなれて抽象ちゅうしょうてきにある法令ほうれい違憲いけんであるか審査しんさする権限けんげん抽象ちゅうしょうてき違憲いけん審査しんさせい)は、日本国にっぽんこく憲法けんぽうさだめられていない。

財政ざいせい

だい7しょうは、財政ざいせいかんする事項じこうさだめる。

国家こっか財政ざいせい処理しょりする権限けんげんは、国会こっかい議決ぎけつもとづいて行使こうしされる(財政ざいせい国会こっかい中心ちゅうしん主義しゅぎ83じょう)。また、租税そぜい法律ほうりつ主義しゅぎ84じょう)、内閣ないかく予算よさんあん作成さくせいけん86じょう)、くに収入しゅうにゅう支出ししゅつ決算けっさん会計検査院かいけいけんさいんかんする事項じこうなどがさだめられる(90じょう)。

なお、皇室こうしつ経済けいざいかんしては、皇室こうしつ費用ひよう予算よさん計上けいじょう88じょう)はだい7しょうに、皇室こうしつへの財産ざいさんゆずわたし、皇室こうしつ財産ざいさんゆずけ、もしくはたまものあずかかんする国会こっかい議決ぎけつだい1しょう8じょうさだめる。

地方ちほう自治じち

だい8しょうは、地方ちほう自治じちかんする事項じこうさだめる。

地方ちほう自治じちは、住民じゅうみん自治じち団体だんたい自治じちをその本旨ほんしとする(92じょう)。地方ちほう公共こうきょう団体だんたいには、そのなが首長しゅちょう)と議会ぎかいかれ、住民じゅうみん首長しゅちょう議員ぎいん直接ちょくせつ選挙せんきょ選出せんしゅつする(93じょう)。地方ちほう公共こうきょう団体だんたいは、その財産ざいさん管理かんりし、行政ぎょうせい執行しっこうする権能けんのうゆうするほか、法律ほうりつ範囲はんいない条例じょうれい制定せいていする権限けんげんゆうする(94じょう)。また、いち地方ちほう公共こうきょう団体だんたいのみに適用てきようされる特別とくべつほう地方ちほう自治じち特別とくべつほう)は、その地方ちほう公共こうきょう団体だんたい住民じゅうみん投票とうひょうにおいてその過半数かはんすう同意どういなければ、国会こっかい制定せいていすることができない(95じょう)。

憲法けんぽう保障ほしょう

憲法けんぽう保障ほしょうとは、憲法けんぽう秩序ちつじょ存続そんぞく安定あんてい保持ほじすることである。そのため規定きてい制度せいどとしては、まず憲法けんぽう最高さいこう法規ほうきせいげられる。

98じょうは、明文めいぶん憲法けんぽう最高さいこう法規ほうきせいさだめる。この形式けいしきてき最高さいこう法規ほうきせいさだめを、97じょう最高さいこう法規ほうきせい実質じっしつてき根拠こんきょと、96じょう硬性こうせい憲法けんぽう規定きていささえる。また、99じょう天皇てんのうまた摂政せっしょうおよ国務大臣こくむだいじん国会こっかい議員ぎいん裁判官さいばんかんその公務員こうむいん憲法けんぽう尊重そんちょう擁護ようご義務ぎむしている。さらに、権力けんりょく分立ぶんりつせい違憲いけん審査しんさせい憲法けんぽう保障ほしょうはか制度せいどである。

憲法けんぽう改正かいせい

憲法けんぽう改正かいせい手続てつづきは、96じょう規定きていされている。

まず、憲法けんぽう改正かいせいあんは「かく議院ぎいん衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいん)のそう議員ぎいんさんぶん以上いじょう賛成さんせい」により「国会こっかい」が発議はつぎする。この発議はつぎされた憲法けんぽう改正かいせいあん国民こくみん提案ていあんし、国民こくみん承認しょうにんなければならない。この承認しょうにんには「特別とくべつ国民こくみん投票とうひょうまた国会こっかいさだめる選挙せんきょさいおこなわれる投票とうひょうにおいて、その過半数かはんすう賛成さんせい」を必要ひつようとする。

この憲法けんぽう改正かいせいあん国民こくみん承認しょうにんのち天皇てんのうは、国民こくみんで、この憲法けんぽう一体いったいすものとして、ただちにこれを公布こうふする(96じょう2こう)。

この改正かいせい手続てつづき規定きていする国民こくみん投票とうひょうほう正式せいしき名称めいしょう日本国にっぽんこく憲法けんぽう改正かいせい手続てつづきかんする法律ほうりつ平成へいせい19ねん法律ほうりつだい51ごう)が、2007ねん平成へいせい19ねん5月14にち可決かけつ成立せいりつして同年どうねん5月18にち公布こうふされ、2010ねん平成へいせい22ねん)5がつ18にち施行しこうされた。

その論点ろんてんについては、「日本にっぽんにおける憲法けんぽう改正かいせい議論ぎろん」の記事きじ参照さんしょう

成立せいりつ

大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう制定せいてい

明治維新めいじいしんにより、近世きんせい江戸えど時代じだい)のまくはん体制たいせい封建ほうけんせい社会しゃかいから復古ふっこてき天皇てんのうせい国民こくみん国家こっかへと脱皮だっぴした日本にっぽんこくは、大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう明治めいじ憲法けんぽう)の制定せいてい実現じつげんし、近代きんだい市民しみん国家こっかへと変貌へんぼうした。1889ねん明治めいじ22ねん2がつ11にち明治天皇めいじてんのうより「だい日本にっぽん憲法けんぽう発布はっぷ詔勅しょうちょく」がされることで大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう発布はっぷされた。この憲法けんぽう明治天皇めいじてんのう黒田くろだ清隆きよたか首相しゅしょう手渡てわたすという欽定きんてい憲法けんぽうかたち発布はっぷされ、日本にっぽんひがしアジアはじめて近代きんだい憲法けんぽうゆうする立憲りっけん君主くんしゅせい国家こっかとなった。 神権しんけんてき天皇てんのうせい古典こてんてき自由じゆう主義しゅぎ民主みんしゅ主義しゅぎ理念りねん共存きょうぞんし、国家こっか統治とうちけん天皇てんのうにあることとともに国民こくみん臣民しんみん)の権利けんりさだめられ、議会ぎかい政治せいじみちひらかれた。

大正たいしょう時代じだいには、都市とし中間なかまそう政治せいじてき自覚じかく背景はいけいに、明治めいじ以来いらい藩閥はんばつ官僚かんりょう政治せいじ反対はんたいして護憲ごけん運動うんどう普通ふつう選挙せんきょ運動うんどう展開てんかいされた。民主みんしゅ主義しゅぎ民本主義みんぽんしゅぎ)、自由じゆう主義しゅぎ社会しゃかい主義しゅぎ思想しそう高揚こうよう帝国ていこく議会ぎかい衆議院しゅうぎいん貴族きぞくいん)に基礎きそ政党せいとうないかく誕生たんじょう結実けつじつした。政党せいとうないかくは、制限せいげん選挙せんきょにおける投票とうひょう条件じょうけん徐々じょじょ緩和かんわ1925ねん大正たいしょう14ねん)に25さい以上いじょう男子だんしによる普通ふつう選挙せんきょ実現じつげんさせた。この時期じき大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう民主みんしゅてき運用うんようされ、日本にっぽん実質じっしつてき議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎこくであったと指摘してきされる(「大正たいしょうデモクラシー」も参照さんしょう)。

大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうだい11じょうには、天皇てんのう大権たいけんとして陸海りくかいぐん大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん)の統帥とうすいけんについての規定きていがあった。この規定きていは、天皇てんのう直接的ちょくせつてきぐん統帥とうすい念頭ねんとういた規定きていではない。実質じっしつてきには、ぐん統帥とうすい政府せいふ管轄かんかつから独立どくりつさせ、陸海りくかいぐん当局とうきょく管轄かんかつとしたところに意味いみがあった。しかしこの条項じょうこう解釈かいしゃくめぐり、ロンドン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく会議かいぎ締結ていけつさいにいわゆる統帥とうすいけん干犯かんぱん問題もんだいき、政府せいふ介入かいにゅう天皇てんのう大権たいけん侵害しんがいするものとの主張しゅちょうがなされた。こののち政府せいふ議会ぎかいぐん管理かんり徹底てっていされず、文民ぶんみん統制とうせいかず民主みんしゅてき基盤きばんたないぐん国政こくせい強大きょうだい関与かんよすることになる。1931ねん昭和しょうわ6ねん)にはまんしゅう現在げんざい中国ちゅうごく東北とうほく)の奉天ほうてん現在げんざい中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく遼寧りょうねいしょう瀋陽しんよう近郊きんこうやなぎじょうみずうみ付近ふきんでの関東軍かんとうぐんによるみなみまんしゅう鉄道てつどう線路せんろ爆破ばくはやなぎじょうみずうみ事件じけん)をきっかけとするまんしゅう事変じへん1937ねん昭和しょうわ12ねん)には盧溝橋ろこうきょうでの部隊ぶたい衝突しょうとつ盧溝橋ろこうきょう事件じけん)をきっかけとするにちちゅう戦争せんそうささえ事変じへん)が勃発ぼっぱつし、1941ねん昭和しょうわ16ねん)には太平洋戦争たいへいようせんそうだい東亜とうあ戦争せんそう)に突入とつにゅう戦時せんじ体制たいせいにおいて軍部ぐんぶ主導しゅどう国政こくせい運営うんえいがなされた。

1945ねん昭和しょうわ20ねん)のだい世界せかい大戦たいせんにおける日本にっぽん降伏ごうぶくころアメリカ政府せいふ大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうを「プロシア(プロイセン)の専制せんせい政治せいじちちに、イギリスの議会ぎかい政治せいじははにもつ、両性りょうせい具有ぐゆうもの」とひょうしている[77]法体ほうたいけいは、その成立せいりつ歴史れきしによって、ドイツフランス代表だいひょうされる(ヨーロッパ)大陸たいりくほうと、イギリスアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく代表だいひょうされるコモン・ローともばれるえいべいほう大別たいべつするのが、一般いっぱんてきだからである[78][79]

日本国にっぽんこく憲法けんぽう成立せいりつ

ポツダム宣言せんげん受諾じゅだく占領せんりょう統治とうち

1945ねん昭和しょうわ20ねん)7がつべいえいさんこく首脳しゅのう(アメリカのハリー・S・トルーマン大統領だいとうりょう、イギリスのウィンストン・チャーチル首相しゅしょうソ連それんヨシフ・スターリン共産党きょうさんとう書記しょきちょう)は、だい世界せかい大戦たいせん戦後せんご処理しょりについて協議きょうぎするため、ドイツ首都しゅとベルリン郊外こうがいポツダム会談かいだんおこなった(ポツダム会談かいだん)。このせきさんしゃは、「日本にっぽん降伏ごうぶく機会きかいあたえる」ための降伏ごうぶく条件じょうけんさだめ、中華民国ちゅうかみんこく国民こくみん政府せいふ蔣介せき主席しゅせき同意どういて、同月どうげつ26にちべいえいちゅうさんこく首脳しゅのうで「ポツダム宣言せんげん」として発表はっぴょうした[80]

この「ポツダム宣言せんげん」のうち、とく憲法けんぽうかんするてんつぎてんである。

ろくわれとう無責任むせきにんナル軍国ぐんこく主義しゅぎ世界せかいヨリ駆逐くちくセラルルニいたりまで平和へいわ安全あんぜん正義まさよししん秩序ちつじょせいとくサルコトヲ主張しゅちょうスルモノナルヲ以テ日本国にっぽんこく国民こくみん欺瞞ぎまんヲシテ世界せかい征服せいふくきょツルノ過誤かごおかせサシメタルしゃ権力けんりょく勢力せいりょく永久えいきゅう除去じょきょセラレサルヘカラス

ななみぎノ如キしん秩序ちつじょ建設けんせつセラレ且日本国ほんごく戦争せんそう遂行すいこう能力のうりょく破砕はさいセラレタルコトノ確証かくしょうアルニいたりルマテハ聯合れんごうこく指定していスヘキ日本国にっぽんこく領域りょういきないしょ地点ちてんわれとうノ茲ニ指示しじスル基本きほんてき目的もくてき達成たっせい確保かくほスルタメ占領せんりょうセラルヘシ

じゅう 前記ぜんきしょ目的もくてき達成たっせいセラレ且日本国ほんごく国民こくみん自由じゆう表明ひょうめいセル意思いししたがえ平和へいわてき傾向けいこうゆうシ且責任せきにんアル政府せいふ樹立じゅりつセラルルニ於テハ連合れんごうこく占領せんりょうぐんちょく日本国にっぽんこくヨリ撤収てっしゅうセラルベシ

当時とうじ鈴木すずき貫太郎かんたろう内閣ないかく鈴木すずき貫太郎かんたろう首相しゅしょう)は、ずこれを「黙殺もくさつ」すると発表はっぴょうし、態度たいど留保りゅうほした。アメリカぐんよく8がつ6にち広島ひろしまどう9にち長崎ながさき原子げんしばくだん投下とうかし、ソ連それんぐん8がつ8にちたいにち参戦さんせんした。ここにいたって日本にっぽん政府せいふ戦争せんそう終結しゅうけつ決意けついし、8がつ10日とおか連合れんごうこくにポツダム宣言せんげん受諾じゅだくすると伝達でんたつした。日本にっぽん政府せいふはこのさい、「天皇てんのう国家こっか統治とうち大権たいけん変更へんこうスルノ要求ようきゅう包含ほうがんきょラサルコトノ了解りょうかいしも受諾じゅだく」するとの条件じょうけんした(8がつ10にちづけさんこく宣言せんげん受諾じゅだくせきスルけん[81])。これは、受諾じゅだくはするものの、天皇てんのう中心ちゅうしんとする政治せいじ体制たいせい維持いじするといういわゆる「国体こくたい護持ごじ」を条件じょうけんとすることを意味いみした。

連合れんごうこくは、このもうれにたいして、よく11にち回答かいとうつたえた。この回答かいとうは、当時とうじアメリカ国務こくむ長官ちょうかんジェームズ・F・バーンズって「バーンズ回答かいとう」とばれる。この「バーンズ回答かいとう」で連合れんごうこくは、つぎの2てん明示めいじした。[82]

1. 降伏ごうぶくときより、天皇てんのうおよ日本国にっぽんこく政府せいふ国家こっか統治とうち権限けんげんは、降伏ごうぶく条項じょうこう実施じっしのためその必要ひつようみとめる措置そちる「連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかん」(SCAP) に従属じゅうぞくする (subject to)。
1. From the moment of surrender the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander of the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate the surrender terms.

2. 日本にっぽん最終さいしゅうてき統治とうち形態けいたいは、ポツダム宣言せんげんしたが日本国にっぽんこく国民こくみん自由じゆう表明ひょうめいする意思いし決定けっていされる。
2. The ultimate form of Government of Japan shall in accordance with the Potsdam Declaration be established by the freely expressed will of the Japanese people.

日本にっぽん政府せいふはこの回答かいとうり、御前ごぜん会議かいぎにより協議きょうぎつづけた結果けっか8がつ14にち昭和しょうわ天皇てんのうのいわゆる「聖断せいだん」をてポツダム宣言せんげん受諾じゅだく決定けっていし、連合れんごうこく通告つうこくした。ポツダム宣言せんげん受諾じゅだくは、日本にっぽん国民こくみんたいしては、よく15にち正午しょうごからのラジオつうじて昭和しょうわ天皇てんのうが「だい東亜とうあ戦争せんそう終結しゅうけつ詔書しょうしょ」をげるといういわゆる「玉音ぎょくおん放送ほうそう」でらせた。この詔書しょうしょなかでは、「国体こくたい護持ごじとく」たとしている。9月2にち日本にっぽん政府せいふ全権ぜんけんが、横浜よこはまこう停泊ていはくするアメリカ戦艦せんかんミズーリごううえで、降伏ごうぶく文書ぶんしょ署名しょめいした。

降伏ごうぶくにより、日本にっぽん独立どくりつこくとしての主権しゅけん事実じじつじょう喪失そうしつし、その統治とうちけん連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかん(GHQ)の制約せいやくしたかれ。連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんは、「ポツダム宣言せんげん」を実施じっしするために必要ひつよう措置そちることができるものとされた。8月28にち連合れんごう国軍こくぐん先遣せんけん部隊ぶたい厚木あつぎ飛行場ひこうじょう到着とうちゃくし、どう30にちには連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんダグラス・マッカーサー元帥げんすい神奈川かながわけん厚木あつぎ到着とうちゃくした。マッカーサーは、ただちにそう司令しれい(GHQ)を設置せっちし、日本にっぽんたいする占領せんりょう統治とうち開始かいしした。この占領せんりょう統治とうちは、原則げんそくとして、日本にっぽん既存きそん統治とうち機構きこうつうじて間接かんせつてき統治とうちする方式ほうしきり、例外れいがいてきとく必要ひつよう場合ばあいにのみ、直接ちょくせつ統治とうちおこなうものとした。

日本にっぽん政府せいふおよび日本にっぽん国民こくみん憲法けんぽう改正かいせい動向どうこう

降伏ごうぶく直後ちょくごから、日本にっぽん政府せいふないでは、いずれ連合れんごうこくがわから、大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう改正かいせいもとめられるであろうことを予想よそうしていた。しかし、憲法けんぽう改正かいせい緊急きんきゅう課題かだいであるとはかんがえられていなかった[83]。だが、この、マッカーサーは、ひがし久邇くに宮内くないかくひがし久邇くにみや稔彦としひこおう首相しゅしょう)の国務大臣こくむだいじんであった近衛このえ文麿ふみまろもと首相しゅしょうに、憲法けんぽう改正かいせい指示しじした[84]。しかし、憲法けんぽう学者がくしゃ美濃部みのべ達吉たつきち佐々木ささき惣一そういちはポツダム宣言せんげんには憲法けんぽう改正かいせい要求ようきゅうする条項じょうこうはなく、大正たいしょうデモクラシーの復活ふっかつ強化きょうか要求ようきゅうこたえられるとして憲法けんぽう改正かいせい反対はんたいした[16][20][21][22]

なおこのそう司令しれい治安ちあん維持いじほう廃止はいし政治せいじはん即時そくじ釈放しゃくほう天皇てんのう皇室こうしつ批判ひはん自由じゆう思想しそう警察けいさつ全廃ぜんぱいなど、いわゆる「自由じゆう指令しれい」の実施じっし日本にっぽん政府せいふめいじた。よく5にちひがし久邇くに宮内くないかくは、この指令しれい実行じっこうできないとしてそう辞職じしょくし、10月9にちぬさ原内はらうちかくぬさはら喜重郎きじゅうろう首相しゅしょう)が成立せいりつする。どう11にちぬさげん首相しゅしょう新任しんにん挨拶あいさつのためマッカーサーをたずねたさいにも、マッカーサーから口頭こうとうで「憲法けんぽう自由じゆう主義しゅぎ」を指示しじされた[85][注釈ちゅうしゃく 6]

さきにマッカーサーから憲法けんぽう改正かいせい指示しじけた近衛このえひがし久邇くに宮内くないかくそう辞職じしょく内大臣ないだいじん御用ごようかけ)は、政治せいじ学者がくしゃ高木たかぎはちしゃく憲法けんぽう学者がくしゃ佐々木ささき惣一そういち(10がつ13にち内大臣ないだいじん御用ごようかけ任命にんめい)、ジャーナリストの松本まつもと重治しげはるらとともに、憲法けんぽう改正かいせい調査ちょうさ開始かいしした。10月8にちには、近衛このえ高木たかぎらとともにそう司令しれい政治せいじ顧問こもんジョージ・アチソン会談かいだんして助言じょげんい、「個人こじんてき非公式ひこうしきなコメント」として12項目こうもくおよ憲法けんぽう問題もんだいてん指摘してき改正かいせい指示しじけた。また、近衛このえらの作業さぎょう並行へいこうして、ぬさ原内はらうちかくは、松本まつもと烝治国務大臣こくむだいじん委員いいんちょうとする憲法けんぽう問題もんだい調査ちょうさ委員いいんかい松本まつもと委員いいんかい)を設置せっちして、憲法けんぽう改正かいせい調査ちょうさ研究けんきゅう開始かいしした[注釈ちゅうしゃく 7]

こうして、内閣ないかく内大臣ないだいじん双方そうほうで、それぞれ憲法けんぽう改正かいせい調査ちょうさ活動かつどうすすめられることとなった。このうち、近衛このえらの調査ちょうさたいしては、近衛このえ自身じしん戦争せんそう責任せきにんや、閣外かくがいであり憲法けんぽうがい機関きかんである内大臣ないだいじん憲法けんぽう改正かいせい作業さぎょうおこなうことにたいする憲法けんぽうじょう疑義ぎぎなどが問題もんだいされて、批判ひはんたかまった[だれ?]。11月1にちそう司令しれいは「近衛このえ憲法けんぽう改正かいせいのために選任せんにんされたのではない」として、マッカーサーが近衛このえつたえた憲法けんぽう改正かいせい作業さぎょう指示しじは、近衛このえ個人こじんたいしてではなく、日本にっぽん政府せいふたいしてったものであるとの声明せいめい発表はっぴょうした。これにより、近衛このえらの調査ちょうさ活動かつどう頓挫とんざした。それでも近衛このえらは作業さぎょうをつづけ、11月22にち近衛このえあん(「帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせいせき考査こうさシテとくタル結果けっか要綱ようこう[86])、11月24にち佐々木ささきあん(「帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせい必要ひつよう[87])をそれぞれ天皇てんのう奉答ほうとうした(なお、そう司令しれい指示しじにより、11月24にち内大臣ないだいじん廃止はいしされた)。

憲法けんぽう問題もんだい調査ちょうさ委員いいんかい松本まつもと委員いいんかい)のメンバー[88]
 委員いいんちょう  松本まつもと烝治国務大臣こくむだいじん
顧問こもん 清水しみずきよし学士がくしいん会員かいいん)、美濃部みのべ達吉たつきち学士がくしいん会員かいいん)、野村のむらあつし東大とうだい名誉めいよ教授きょうじゅ
委員いいん 宮澤みやざわしゅんよし東大とうだい教授きょうじゅ)、清宮きよみや四郎しろう東北大とうほくだい教授きょうじゅ)、河村かわむらまたかい九大きゅうだい教授きょうじゅ)、石黑いしぐろ武重たけしげ枢密院すうみついん書記官しょきかんちょう法制ほうせいきょく長官ちょうかん)、なら橋渡はしわたし法制ほうせいきょく長官ちょうかん内閣ないかく書記官しょきかんちょう)、入江いりえ俊郎としお法制ほうせいきょくだいいち部長ぶちょう)、佐藤さとう達夫たつお法制ほうせいきょくだい部長ぶちょう
のちに、小林こばやし次郎じろう貴族きぞくいん書記官しょきかんちょう)、大池おおいけしん衆議院しゅうぎいん書記官しょきかん)、奥野おくの健一けんいち司法省しほうしょう民事みんじ局長きょくちょう)、中村なかむらけんじょう大蔵省おおくらしょう主計しゅけい局長きょくちょうのち後任こうにん野田のだ卯一ういち交替こうたい)、諸橋もろはしじょう枢密院すうみついん書記官しょきかんちょう石黑いしぐろ後任こうにん)らがくわわった。
補助ほじょいん 刑部おさかべそう東大とうだい助教授じょきょうじゅ)、佐藤さとういさお東大とうだい講師こうし)、くぼたに直光なおみつ大蔵おおくら書記官しょきかん
嘱託しょくたく 古井ふるいもと内務ないむ次官じかん

かかる経緯けいい辿たどって、憲法けんぽう改正かいせい作業さぎょうは、内閣ないかくした設置せっちされた松本まつもと委員いいんかい一本いっぽんされることになる。松本まつもと委員いいんかいは、美濃部みのべ達吉たつきち清水しみずきよし野村のむらあつし顧問こもんとし、憲法けんぽう学者がくしゃ宮沢みやざわしゅんよし東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅ河村かわむらまたかい九州きゅうしゅう帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅ清宮きよみや四郎しろう東北とうほく帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅや、法制ほうせいきょく幹部かんぶである入江いりえ俊郎としお佐藤さとう達夫たつおらを委員いいんとして組織そしきされた。松本まつもと委員いいんかいは、10月27にちだい1かい総会そうかい開催かいさいし、どう30にちだい1かい調査ちょうさかい開催かいさいした。以後いご総会そうかいは1946ねん昭和しょうわ21ねん)2がつ2にちまで7かい調査ちょうさかいしょう委員いいんかい)はどう1がつ26にちまで15かい開催かいさいされた。

1946ねん昭和しょうわ21ねん1がつ9にちだい10かい調査ちょうさかいしょう委員いいんかい)に、松本まつもと委員いいんちょうは「憲法けんぽう改正かいせい私案しあん」を提出ていしゅつした。[89]この「私案しあん」は、前年ぜんねん12月8にち衆議院しゅうぎいん予算よさん委員いいんかいで、松本まつもと委員いいんちょうしめした「憲法けんぽう改正かいせいよん原則げんそく」をその内容ないようとしており、委員いいんかい立案りつあん基礎きそとされた。「憲法けんぽう改正かいせいよん原則げんそく」の概要がいようつぎとお[90]

1. 天皇てんのう統治とうちけん総攬そうらんするという大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう基本きほん原則げんそく変更へんこうしないこと。
 1. 天皇てんのう統治とうちけん総攬そうらんセラルルトうんだい原則げんそくハ、何等なんら変更へんこうスル必要ひつようモナイシ、また変更へんこうスルこうヘモナイトうんフコト

2. 議会ぎかい権限けんげん拡大かくだいし、その反射はんしゃとして天皇てんのう大権たいけんかかわる事項じこうをある程度ていど制限せいげんすること。
 2. 議会ぎかい協賛きょうさんトカ、ある承諾しょうだくうんフヤウナ、議会ぎかい決議けつぎ必要ひつようトスル事項じこうハ、これ拡充かくじゅうスルコトガ必要ひつようデアラウ、そく言葉ことばかわヘテさるセバ、従来じゅうらい所謂いわゆる大権たいけん事項じこうナルモノハ、其ノ結果けっかトシテある程度ていどニ於テ制限せいげんセラルルコトガ至当しとう

3. 国務大臣こくむだいじん責任せきにん国政こくせい全般ぜんぱんおよぼし、国務大臣こくむだいじん議会ぎかいたいして責任せきにんうこと。
 3. 国務大臣こくむだいじん責任せきにん国政こくせい全般ぜんぱんわたリマシテ、而シテ国務大臣こくむだいじん帝国ていこく議会ぎかいたいシ、そく言葉ことばかわヘテさるセバ、間接かんせつニハ国民こくみんたいシテ責任せきにんフトうんフコト

4. 人民じんみん自由じゆうおよび権利けんり保護ほご拡大かくだいし、十分じゅうぶん救済きゅうさい方法ほうほうこうじること。
 4. 民権みんけんさるシマスカ、人民じんみん自由じゆう権利けんりうんフヤウナモノニたいスル保護ほご確保かくほ強化きょうかスルコトガ必要ひつようデアラウ

委員いいんかいは、この「憲法けんぽう改正かいせいよん原則げんそく」にもとづいて憲法けんぽう逐条ちくじょうてき検討けんとうした。宮沢みやざわ委員いいんが「私案しあん」を要綱ようこうして松本まつもとがこれにくわえ、「憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう」とした。1月26にちだい15かい調査ちょうさかいでは、この「憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう」(かぶとあん)と「憲法けんぽう改正かいせいあん」(おつあん)を議論ぎろんした。[91]内閣ないかくは1がつ30にちから2がつ4にちにかけて連日れんじつ臨時りんじ閣議かくぎ開催かいさいして、「私案しあん」「かぶとあん」「おつあん」を審議しんぎ。2月7にち松本まつもとは「憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう」(松本まつもと試案しあん)を天皇てんのう奏上そうじょうし、よく8にち説明せつめい資料しりょうとともにそう司令しれい提出ていしゅつした。この「憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう」は内閣ないかく正式せいしき決定けっていたものではなく、まずそう司令しれい提示ていじして意見いけんいたうえで、正式せいしき憲法けんぽう草案そうあん作成さくせい着手ちゃくしゅする予定よていであった。

他方たほう近衛このえ松本まつもと委員いいんかいによる憲法けんぽう改正かいせい調査ちょうさ活動かつどうすすむにつれ、国民こくみんあいだにも憲法けんぽう問題もんだいへの関心かんしんたかまった。近衛このえ松本まつもと委員いいんかいうごき、各界かくかい各層かくそう人々ひとびと憲法けんぽうかんする意見いけんなどもひろ報道ほうどうされ、政党せいとう知識ちしきじんのグループなどを中心ちゅうしんに、多種たしゅ多様たよう民間みんかん憲法けんぽう改正かいせいあん発表はっぴょうされた。しかし、そのおおくは大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう若干じゃっかんくわえたものであって、だい改正かいせいおよぶものは少数しょうすうであった(「国内こくない世論せろん」を参照さんしょう)。

政党せいとうその団体だんたいによる憲法けんぽう改正かいせい試案しあん[88]
表題ひょうだい 作成さくせい団体だんたい構成こうせいいんとう 概要がいよう特徴とくちょう 発表はっぴょう
憲法けんぽう草案そうあん要綱ようこう[92] 憲法けんぽう研究けんきゅうかい
高野たかの岩三郎いわさぶろう鈴木すずき安藏あぞう室伏むろふし高信たかのぶ杉森すぎもり孝次郎こうじろう森戸もりと辰男たつお岩淵いわぶち辰雄たつおら)
象徴しょうちょうてき天皇てんのうせいのこしつつ国民こくみん主権しゅけん原則げんそく直接ちょくせつ民主みんしゅせいてきしょ制度せいど採用さいよう 1945ねん昭和しょうわ20ねん)12月26にち
日本にっぽん共和きょうわこく憲法けんぽう私案しあん要綱ようこう[93]
改正かいせい憲法けんぽう私案しあん要綱ようこう
高野たかの岩三郎いわさぶろう 憲法けんぽう研究けんきゅうかい主軸しゅじくであったにもかかわらず天皇てんのうせい残存ざんそんさせたことにかんして不満ふまん表明ひょうめいし、単独たんどく高野たかの構想こうそうした。大統領だいとうりょう元首げんしゅとする共和きょうわせい提示ていじ 同年どうねん12がつ28にち
自由黨じゆうとう 憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう[94] 日本にっぽん自由党じゆうとう
鳩山はとやま一郎いちろう総裁そうさい
どうとう憲法けんぽう改正かいせい特別とくべつ調査ちょうさかい浅井あさいきよし慶大けいだい教授きょうじゅ)と金森かなもり徳次郎とくじろう中心ちゅうしんとなって作成さくせい 1946ねん昭和しょうわ21ねん)1がつ21にち
進歩しんぽとう 憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう[94] 日本にっぽん進歩しんぽとう
町田まちだ忠治ただはる総裁そうさい
天皇てんのう大権たいけん一部いちぶ削除さくじょ廃止はいしするが、天皇てんのうは「臣民しんみんの輔翼に憲法けんぽう条規じょうきしたがえ統治とうちけんくだりふ」。 同年どうねん2がつ14にち
社会黨しゃかいとう 憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう[94] 日本にっぽん社会党しゃかいとう
片山かたやまあきら書記しょきちょう
高野たかの岩三郎いわさぶろう森戸もりと辰男たつおらが起草きそう委員いいんとなる。「主権しゅけん国家こっか天皇てんのうふく国民こくみん協同体きょうどうたい)にり」。統治とうちけん分割ぶんかつし、主要しゅよう議会ぎかいに、一部いちぶ天皇てんのう帰属きぞく天皇てんのう大権たいけん大幅おおはば制限せいげん)。生存せいぞんけん保障ほしょう死刑しけい廃止はいしとう 同年どうねん2がつ14にち
日本國にっぽんこく憲法けんぽう草案そうあん[95] 憲法けんぽう懇話こんわかい
尾崎おざき行雄ゆきお岩波いわなみ茂雄しげお渡辺わたなべいく治郎じろう石田いしだ秀人ひでと稻田いなだ正次まさつぐ海野うみのすすむきち
立法りっぽうけん天皇てんのう議会ぎかいみとめ、地方ちほう議会ぎかい議員ぎいん職能しょくのう代表だいひょう学識がくしき経験けいけんしゃからなる参議院さんぎいん設置せっちする。司法しほう裁判所さいばんしょ違憲いけん審査しんさけん付与ふよする。 同年どうねん3がつ5にち
 日本人にっぽんじんみん共和きょうわこく憲法けんぽう草案そうあん[94] 日本にっぽん共産党きょうさんとう
德田とくた球一きゅういち書記しょきちょう
天皇てんのうせい廃止はいしして(天皇てんのうせい廃止はいしろん)、人民じんみん主権しゅけん原則げんそく採用さいよう自由じゆうけん生活せいかつけんとうについて、社会しゃかい主義しゅぎ原則げんそくもとづいて保障ほしょう 同年どうねん6がつ29にち
骨子こっし前年ぜんねん11がつ11にち発表はっぴょう
憲法けんぽう草案そうあん要綱ようこう

憲法けんぽう研究けんきゅうかいは1945ねんの10がつから12がつにかけて活動かつどうし、憲法けんぽう草案そうあん要綱ようこう作成さくせいして、12月26にち首相しゅしょう官邸かんてい提出ていしゅつした。GHQはただちにこれを英訳えいやくし、翌月よくげつ1がつ2にちには、その内容ないよう注目ちゅうもくするとの書簡しょかん作成さくせいした。米国べいこくでは国民こくみん主権しゅけん軽視けいしされていたため、この「要綱ようこう」にもとづき国民こくみん主権しゅけんがGHQあんまれたとされる。一方いっぽうで、象徴しょうちょう天皇てんのうせいというあんは、これ以前いぜん存在そんざいした。しかし、「要綱ようこう」とはべつに、よりはや時期じき憲法けんぽう研究けんきゅうかいのメンバーがGHQの要人ようじん接触せっしょくしているため、憲法けんぽう研究けんきゅうかい象徴しょうちょう天皇てんのうせい発案はつあんし、GHQ要人ようじんかいしてGHQあん反映はんえいさせたのだと、小西こにし豊治とよじ主張しゅちょうしている[96]

マッカーサー草案そうあん

そう司令しれいは、当初とうしょ憲法けんぽう改正かいせいについては過度かど干渉かんしょうをしない方針ほうしんであった。しかしそう司令しれいは、1946ねん昭和しょうわ21ねん)の年明としあごろから、民間みんかん憲法けんぽう改正かいせい草案そうあんとく憲法けんぽう研究けんきゅうかいの「憲法けんぽう草案そうあん要綱ようこう」に注目ちゅうもくしながら、憲法けんぽうかんするうごきを活発かっぱつさせた。それでも、同年どうねん1がつちゅうは、日本にっぽん政府せいふによる憲法けんぽう改正かいせいあん提出ていしゅつ姿勢しせいをとりつづけた。

マッカーサーの憲法けんぽう改正かいせい権限けんげん(ホイットニー・メモ)

この1がつ時点じてんで、マッカーサーが日本にっぽん憲法けんぽう改正かいせいについて、いかなる権限けんげんつのかという法的ほうてき根拠こんきょ法的ほうてき論点ろんてんそう司令しれいない問題もんだいとなっていた。このてんにつき、そう司令しれい民政みんせい局長きょくちょうコートニー・ホイットニーは1946ねん2がつ1にちに「現在げんざいかくは、日本にっぽん憲法けんぽう構造こうぞうたいしてかく適当てきとうかんがえる変革へんかく実現じつげんするためにいかなる措置そちをもとりうるという、制限せいげん権限けんげんゆうしておられる」と結論けつろんづけるリポートを提出ていしゅつした[注釈ちゅうしゃく 8]。ただしこのレポートでは、2がつ26にちせまった極東きょくとう委員いいんかい発足ほっそくは、マッカーサーの権限けんげん無制限むせいげんでなくなることもあわせて指摘してきしている。

毎日新聞まいにちしんぶんによるスクープ報道ほうどう波紋はもん

どう2がつ1にち毎日新聞まいにちしんぶんが「松本まつもと委員いいんかいあん」なるスクープ記事きじ掲載けいさいしたが[97]、この記事きじった「松本まつもと委員いいんかいあん」とは、宮沢みやざわ委員いいん提出ていしゅつした「宮澤みやざわかぶとあん」であった[注釈ちゅうしゃく 9]。この「宮澤みやざわかぶとあん」の内容ないようは、松本まつもと委員いいんかい提出ていしゅつされた草案そうあんなかでは比較的ひかくてきリベラルなもので、内閣ないかく審議しんぎきょうされた「おつあん」にちかかった。政府せいふただちに、このスクープ記事きじの「松本まつもと委員いいんかいあん」は実際じっさい松本まつもと委員いいんかいあんとはまった無関係むかんけいであるとの談話だんわ発表はっぴょうした。

しかし、この記事きじ分析ぶんせきしたホイットニー民政みんせい局長きょくちょうは、それがしん松本まつもと委員いいんちょう私案しあんであると判断はんだん[98]、また、このあんについて「きわめて保守ほしゅてき性格せいかくのもの」と批判ひはんし、世論せろん支持しじていないとも分析ぶんせきした。

そう司令しれいによる意思いし決定けってい
しん憲法けんぽうかんするシークレット対象たいしょうとされたGHQのメモ(1946ねん1がつ11にちづけ

そこでそう司令しれいは、みずか草案そうあん作成さくせいすることを決定けっていした。そのさい日本にっぽん政府せいふそう司令しれいの「がたあん」を提出ていしゅつされたのちに、そのつくなおしを「強制きょうせいする」より、その提出ていしゅつけるまえそう司令しれいから「指針ししんあたえる」かたが、戦略せんりゃくてきすぐれているとも分析ぶんせきした。

2がつ3にち、マッカーサーは、そう司令しれい憲法けんぽう草案そうあん起草きそうするにさいしてまもるべきさん原則げんそくを、憲法けんぽう草案そうあん起草きそう責任せきにんしゃとされたホイットニー民政みんせい局長きょくちょうしめした(「マッカーサー・ノート」)。さん原則げんそく内容ないよう以下いかとおり。[99][100]

1. 天皇てんのう国家こっか元首げんしゅ地位ちいにある。皇位こうい世襲せしゅうされる。天皇てんのう職務しょくむおよび権能けんのうは、憲法けんぽうもとづき行使こうしされ、憲法けんぽう表明ひょうめいされた国民こくみん基本きほんてき意思いしこたえるものとする。
1. Emperor is at the head of the state. His succession is dynastic. His duties and powers will be exercised in accordance with the Constitution and responsive to the basic will of the people as provided therein.

2. 国権こっけん発動はつどうたる戦争せんそうは、廃止はいしする。日本にっぽんは、紛争ふんそう解決かいけつのための手段しゅだんとしての戦争せんそう、さらに自己じこ安全あんぜん保持ほじするための手段しゅだんとしての戦争せんそうをも、放棄ほうきする。日本にっぽんはその防衛ぼうえい保護ほごを、いま世界せかいうごかしつつある崇高すうこう理想りそうゆだねる。日本にっぽん陸海空りくかいくうぐん権能けんのうは、将来しょうらいあたえられることはなく、交戦こうせんけん日本にっぽんぐんあたえられることもない。
2. War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection. No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.

3. 日本にっぽん封建ほうけん制度せいど廃止はいしされる。貴族きぞく権利けんりは、皇族こうぞくのぞき、現在げんざい生存せいぞんするものいちだい以上いじょうにはおよばない。華族かぞく地位ちいは、今後こんごどのような国民こくみんてきまたは市民しみんてき政治せいじ権力けんりょくともなうものではない。予算よさんかたは、イギリス制度せいどならうこと。
3. The feudal system of Japan will cease. No rights of peerage except those of the Imperial family will extend beyond the lives of those now existent. No patent of nobility will from this time forth embody within itself any National or Civic power of government.Pattern budget after British system.

このさん原則げんそくけて、そう司令しれい部民ぶみん政局せいきょくには、憲法けんぽう草案そうあん作成さくせいのため、立法りっぽうけん行政ぎょうせいけんなどの分野ぶんやごとに、条文じょうぶん起草きそう担当たんとうするやっつの委員いいんかい全体ぜんたい監督かんとく調整ちょうせい担当たんとうする運営うんえい委員いいんかい設置せっちされた。2がつ4にち会議かいぎで、ホイットニーは、すべての仕事しごと優先ゆうせんして極秘ごくひうら起草きそう作業さぎょうすすめるよう民政みんせい局員きょくいん指示しじした。以下いかはその会議かいぎにおける議事ぎじろくである。 Summary Report on Meeting of the Government Section, 4 February 1946, Alfred Hussey Papers; Constitution File No. 1, Doc. No. 4

that the only possibility of retaining the Emperor and the remnants of their owm power is by their acceptance and approval of a Constitution that will force a decisive swing to left. General Whitney hopes to reace this decision by persuasive arugument; if this is not possible, General MacArthur has empowered him to use not merely the threat of force, but force itself.[101][102][103]

ホイットニーじゅんしょう憲法けんぽう起草きそうチーム全員ぜんいんたいして「天皇てんのうとその権限けんげん維持いじする唯一ゆいいつ可能かのうせいはGHQ草案そうあん受諾じゅだく以外いがいにない」という恫喝どうかつもちいる権限けんげん恫喝どうかつのみでなく実際じっさい強制きょうせいりょく行使こうしする権限けんげんがマッカーサー元帥げんすいから付与ふよされていることをつたえた。

起草きそう着手ちゃくしゅしたホイットニー局長きょくちょう以下いか25にんのうち、ホイットニーをふくむ4にんには弁護士べんごし経験けいけんがあった。しかし、憲法けんぽうがく専攻せんこうしたもの一人ひとりもいなかったため、世界せかい各国かっこく憲法けんぽう参考さんこうにされた。民政みんせいきょくでの昼夜ちゅうやてっした作業さぎょうにより、かく委員いいんかい試案しあんは、2がつ7にち以降いこう次々つぎつぎ出来上できあがった。これらの試案しあんをもとに、運営うんえい委員いいんかいとの協議きょうぎされたうえ原案げんあん作成さくせいされ、さらに修正しゅうせいくわえられた。2がつ10日とおか最終さいしゅうてきぜん92じょう草案そうあんにまとめられ、マッカーサーに提出ていしゅつされた。マッカーサーは、一部いちぶ修正しゅうせい指示しじしたうえでこの草案そうあん了承りょうしょうし、最終さいしゅうてき調整ちょうせい作業さぎょううえで、2がつ12にち草案そうあん完成かんせいした。マッカーサーの承認しょうにんて、2がつ13にち、いわゆる「マッカーサー草案そうあん」(GHQ原案げんあん[104]れが日本にっぽん政府せいふきびしくせまられた[23][24]産経新聞さんけいしんぶんによると、このとき、官邸かんてい周辺しゅうへんGHQ爆撃ばくげきばし、広島ひろしま長崎ながさき記憶きおくあたらしかったあのころに「原子力げんしりょく」という言葉ことば使つかって脅迫きょうはくした[24]。2月4にち憲法けんぽう起草きそうチームのまえ説明せつめいされた恫喝どうかつ実際じっさいに2がつ13にちのGHQ憲法けんぽう草案そうあん提示ていじ実行じっこうされた。

As you may or may not know, the Supreme Commander has been unyielding in his defense of your Emperor against increasing pressure from the outside to render him subject to war criminal investigation.[105]

It has been asserted that those who recorded Whitney's remarks "were ashamed of the methods employed" by Whitney, in particular, his "threats against the Emperor - against the man - not just the institution - which Hussey in 1958 still wanted Kades and Rowell to conceal from the Japanese Commission on the Constitution."[106][107]

GHQによる情報じょうほう統制とうせい

1945ねんから1952ねんまでのあいだ、GHQはプレスコードにもとづき、新聞しんぶんから手紙てがみまであらゆる出版しゅっぱんぶつたいしてきびしい事前じぜん検閲けんえつおこなった[20][46]。GHQにたいする批判ひはん一切いっさいきんじ、とくに「GHQが日本国にっぽんこく憲法けんぽう起草きそうしたことへの言及げんきゅう成立せいりつでの役割やくわりへの批判ひはん」はかたくきんじられた[20][46]当時とうじ、GHQの日本人にっぽんじん検閲けんえつかんとして手紙てがみ検閲けんえつまかされた甲斐かいつるは、自著じちょにてつぎのようにのこしている[20]

んだ手紙てがみはちわりからきゅうわりまでが悲惨ひさんきわまりないものであった。憲法けんぽうへの反響はんきょうにはとく注意ちゅういせよ、と指示しじされていたのだが、わたしんだかぎりでは、しん憲法けんぽうまんさいしるした手紙てがみなどおにかかった記憶きおくはないし、 日記にっきにもまった記載きさいはない。かえしてうが、どうしてびるかが当時とうじみな最大さいだい関心事かんしんじであった。憲法けんぽう改正かいせいだなんて、当時とうじ一般いっぱん庶民しょみんには別世界べっせかい出来事できごとだったのである。……戦争せんそう悲惨ひさんをこのあじわい、おおくの肉親にくしん友人ゆうじんうしなったわたしなど、平和へいわねんじるてんにおいてはだれにもけないとおもうのだけれども、あの憲法けんぽう当時とうじ国民こくみん総意そういによって、自由じゆう意思いしによって、成立せいりつしたなどというのはやはり詭弁きべんだとだんぜずにはおれない。はっきりってアメリカのしつけ憲法けんぽうである。……戦時せんじちゅう国賊こくぞくのようにわれ、右翼うよく銃弾じゅうだんまでけた美濃部みのべ達吉たつきち博士はかせが、『これでは独立どくりつこくとはえぬ』としん憲法けんぽう最後さいごまで反対はんたいしたこと、枢密院すうみついん議長ぎちょう清水しみずきよし博士はかせめをって入水じゅすい自殺じさつげたこと、衆議院しゅうぎいんでの採決さいけつたって反対はんたいひょうとうじたのは野坂のさかさんさんはじめとする共産きょうさん党員とういんであったことなど、いまおおくの政治せいじ(いや、政治せいじか)や文化ぶんかじんたちははたしてっているのだろうか。(甲斐かい つる『GHQ検閲けんえつかんあし書房しょぼう、1995ねん8がつ1にち

日本にっぽん政府せいふあん作成さくせい

2がつ13にち日本にっぽん政府せいふ提示ていじされた「マッカーサー草案そうあん」は、さき日本にっぽん政府せいふ2がつ8にち提出ていしゅつしていた「憲法けんぽう改正かいせい要綱ようこう」(松本まつもと試案しあん)にたいする回答かいとうというかたちしめされたものであった。提示ていじけた日本にっぽんがわ松本まつもと国務大臣こくむだいじん吉田よしだしげる外務がいむ大臣だいじん通訳つうやく白洲しらす次郎じろうは、そう司令しれいによる草案そうあん起草きそう作業さぎょうらず、このまったはつの「マッカーサー草案そうあん」の手交しゅこうおどろいた[108]

このマッカーサー草案そうあん手交しゅこうされたにおいて「あんまなければ天皇てんのう軍事ぐんじ裁判さいばんにかける」「我々われわれ原子力げんしりょく日光浴にっこうよくをしている」などの恫喝どうかつてき言動げんどうがなされた[24]

「マッカーサー草案そうあん」をった日本にっぽん政府せいふは、2がつ18にちに、松本まつもとの「憲法けんぽう改正かいせいあん説明せつめい補充ほじゅう[109]えて再考さいこうするようもとめた[110]。これにたいしてホイットニー民政みんせい局長きょくちょうは、松本まつもとの「説明せつめい補充ほじゅう」を拒絶きょぜつし、「マッカーサー草案そうあん」のれにつき、20日はつか以内いない回答かいとうせよとべた[110]。2月21にちぬさげん首相しゅしょうがマッカーサーと会見かいけんし「マッカーサー草案そうあん」の意向いこうについて確認かくにん[111]

2がつ26にち閣議かくぎで、「マッカーサー草案そうあん」にもとづく日本にっぽん政府せいふあん起草きそう決定けっていし、作業さぎょう開始かいしした[112]松本まつもと国務大臣こくむだいじんは、法制ほうせいきょく佐藤さとう達夫たつおだいいち部長ぶちょう助手じょしゅ指名しめいし、入江いりえ俊郎としお次長じちょうとともに、日本にっぽん政府せいふあん執筆しっぴつした。3にん極秘ごくひ作業さぎょうにより、草案そうあん3月2にち完成かんせいした(「3がつ2にちあん[113])。3月4にち午前ごぜん10松本まつもと国務大臣こくむだいじんは、草案そうあんに「説明せつめいしょ」をえて、ホイットニー民政みんせい局長きょくちょう提示ていじした。そう司令しれいは、日本にっぽんがわ係官かかりかん手分てわけして、ただちに草案そうあん説明せつめいしょ英訳えいやく開始かいしした[注釈ちゅうしゃく 10]英訳えいやくすすむにつれ、そう司令しれいがわは、「マッカーサー草案そうあん」と「3がつ2にちあん」の相違そういてんづき、松本まつもととケーディス・民政みんせいきょく行政ぎょうせい課長かちょうあいだはげしい口論こうろんとなった。午後ごごになり、松本まつもとは、経済けいざい閣僚かくりょう懇談こんだんかいへの出席しゅっせき理由りゆうに、そう司令しれい退出たいしゅつした。夕刻ゆうこくになり、英訳えいやく作業さぎょう一段落いちだんらくすると、そう司令しれいは、つづいて確定かくていあん作成さくせいする方針ほうしんしめした。午後ごご8時半じはんごろから、佐藤さとう法制ほうせいきょくだいいち部長ぶちょう日本にっぽんがわとともに、徹夜てつや逐条ちくじょう折衝せっしょう開始かいしされた。成案せいあん案文あんぶんは、次々つぎつぎ首相しゅしょう官邸かんていとどけられ、3月5にち閣議かくぎ付議ふぎされた。5にち午後ごご4ごろそう司令しれいにおける折衝せっしょうすべ終了しゅうりょうし、確定かくていあんととのった。閣議かくぎは、確定かくていあん採択さいたく決定けっていして「3がつ5にちあん[114]成立せいりつ午後ごご5ごろぬさげん首相しゅしょう松本まつもと国務大臣こくむだいじん宮中きゅうちゅう参内さんだいして、昭和しょうわ天皇てんのう草案そうあん内容ないよう奏上そうじょうした。よく3月6にち日本にっぽん政府せいふは「3がつ5にちあん」の字句じく整理せいりした「憲法けんぽう改正かいせい草案そうあん要綱ようこう」(「3がつ6にちあん[115])を発表はっぴょうし、マッカーサーもただちにこれを支持しじ了承りょうしょうする声明せいめい発表はっぴょうした。日本にっぽん国民こくみんは、よく7にち新聞しんぶん各紙かくしで「3がつ6にちあん」の内容ないようることとなった。国民こくみんにとっては突然とつぜん発表はっぴょうであり、またその内容ないよう予想よそうがいに「急進きゅうしんてき」であったことから衝撃しょうげきけた[注釈ちゅうしゃく 11][注釈ちゅうしゃく 12]

3月26にち国語こくご学者がくしゃ安藤あんどう正次まさつぐ博士はかせ代表だいひょうとする「国民こくみん国語こくご運動うんどう」が「法令ほうれいかたについての建議けんぎ」という意見いけんしょぬさげん首相しゅしょう提出ていしゅつした。これをしゅたる契機けいきとして、憲法けんぽう口語こうごけてうごした。4月2にち憲法けんぽう口語こうごについて、そう司令しれい了承りょうしょうて、閣議かくぎ了解りょうかいおこなわれ、よく3にちから口語こうご作業さぎょう開始かいしされた。まず、作家さっか山本やまもと有三ゆうぞう前文ぜんぶん口語こうご依頼いらいし、作成さくせいされた素案そあん参考さんこうにして、入江いりえ法制ほうせいきょく長官ちょうかん佐藤さとう法制ほうせいきょく次長じちょう渡辺わたなべ佳英よしひで法制ほうせいきょく事務じむかんらのにより、5にち口語こうごだい1あん閣議かくぎ承認しょうにんされた[116]。4月16にちぬさげん首相しゅしょう天皇てんのう内奏ないそうし、まず憲法けんぽう口語こうごしたのち憲法けんぽう施行しこうには順次じゅんじ法令ほうれい口語こうごすることをつたえた[117]

統制とうせいされた議会ぎかい審議しんぎ

1946ねん昭和しょうわ21ねん4がつ10日とおかだい22かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょおこなわれた[21]。GHQが1946ねん1がつ4にち公職こうしょく追放ついほう指令しれいしていた影響えいきょうで、このときの選挙せんきょでは現職げんしょく議員ぎいんの83%が公職こうしょく追放ついほうにより、立候補りっこうほできなかった[45]内務省ないむしょう調査ちょうさにより、あらたに立候補りっこうほしようとしたもののうち、93めい公職こうしょく追放ついほう対象たいしょうであることがかり、立候補りっこうほできなかった[45]。さらに、そう選挙せんきょの5がつから7がつにかけて議会ぎかい審議しんぎちゅうにも貴族きぞくいん議員ぎいん172めい衆議院しゅうぎいん議員ぎいん10めい公職こうしょく追放ついほうされた。

また、そう司令しれいは、この選挙せんきょをもって「3がつ6にちあん」にたいする国民こくみん投票とうひょう役割やくわりたさせようとかんがえた[44]。しかし、国民こくみんだいいち関心かんしん当面とうめん生活せいかつ安定あんていにあり、憲法けんぽう問題もんだいたいする関心かんしんはほとんどなかった[44][16]

選挙せんきょえた4がつ17にち政府せいふは、正式せいしき条文じょうぶんした「憲法けんぽう改正かいせい草案そうあん」を公表こうひょうし、枢密院すうみついん諮詢しじゅんした[21]枢密院すうみついんほん会議かいぎは、「憲法けんぽう草案そうあん」を美濃部みのべ達吉たつきちつよ反対はんたいなか賛成さんせい多数たすう可決かけつした[21]

これをけて政府せいふは6がつ20日はつか大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう改正かいせい手続てつづきしたがい、帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせいあん[118]帝国ていこく議会ぎかい衆議院しゅうぎいん提出ていしゅつした[21]。なお、大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう改正かいせい手続てつづきにはつぎのようなものがある[119]

だいななじゅうさんじょう 将来しょうらい此ノ憲法けんぽう条項じょうこう改正かいせいスルノ必要ひつようアルトキハ勅命ちょくめいヲ以テ議案ぎあん帝国ていこく議会ぎかいづけスヘシ

2 此ノ場合ばあいニ於テりょう議院ぎいん各々おのおの其ノ総員そういんさんぶんノニ以上いじょう出席しゅっせきスルニサレハ議事ぎじひらけクコトヲとく出席しゅっせき議員ぎいんさんぶん以上いじょう多数たすうルニサレハ改正かいせい議決ぎけつためスコトヲとく

だいななじゅうよんじょうりゃく

2 皇室こうしつ典範てんぱんヲ以テ此ノ憲法けんぽう条規じょうき変更へんこうスルコトヲとく

だいななじゅうじょう 憲法けんぽう及皇しつ典範てんぱん摂政せっしょうおけクノあいだ変更へんこうスルコトヲとく

衆議院しゅうぎいんは6がつ25にちから審議しんぎ開始かいしし、憲法けんぽう改正かいせい特別とくべつ委員いいんかいしょう委員いいんかいいて、若干じゃっかん修正しゅうせいおこなった[21]。しかし、貴族きぞくいんふく議会ぎかい審議しんぎでは、日本にっぽんがわによる修正しゅうせいにはすべてGHQの承認しょうにん必要ひつようだった[26]。さらに、議会ぎかい審議しんぎちゅうにもGHQによる修正しゅうせい命令めいれいつづけられ、それにさからうことはできず、GHQの意向いこう範囲はんいないでのみ修正しゅうせいおこなわれた[26]たとえば、政府せいふあん前文ぜんぶんの「ここに国民こくみん総意そうい至高しこうなものであることを宣言せんげんし」は、審議しんぎちゅう、そのまま承認しょうにんされるはずであったが、国民こくみん主権しゅけん明記めいきせよというGHQの指示しじにより「ここに主権しゅけん国民こくみんそんすることを宣言せんげんし」と修正しゅうせいされた[16][21][25][47]。このとき、笠井かさい委員いいんつぎのようにべた[120]

笠井かさい委員いいん わたしハマダすりぶつわたりシシテアリマセヌカラ、一寸ちょっと説明せつめいサセテ戴キマス、ハ聞イテマスト、相当そうとう英文えいぶんうんフモノガ重要じゅうよう部分ぶぶんトシテざんルトおもえヒマス、「マッカーサー」ノかたデモ、此ノ前文ぜんぶんニハ相当そうとうひつしもシテきょルトうんフコトヲ聞イテきょリマス...ドウカよろしシク御願ごがんヒ致シマス

さらに、前文ぜんぶん修正しゅうせいなどについてきた(れい)委員いいん笠井かさい委員いいんつぎのようにべている[120]

きた(れい)委員いいん じつ貴族きぞくいん有志ゆうしごうツタモサウうん希望きぼうデアリマシタシ、社会党しゃかいとう諸君しょくんモサウうん希望きぼうツテきょラレルヤウデアリマス、ソレカラ協同きょうどう民主党みんしゅとうナドモサウうん意見いけんノヤウデス、わたしきょうモ其ノ希望きぼうニハ共鳴きょうめいスルしょイノデスガ、社会党しゃかいとう諸君しょくんノニ、さん意見いけんヲ聴クト、戦争せんそう抛棄ほうきノ如キハ彼処あそこにゅうレルノハマヅイカラ、国民こくみん権利けんり義務ぎむしょにゅうレルトげんフ、非常ひじょうゆうモデス、わたしどもこうヘデハ、戦争せんそう抛棄ほうきあきらノ如キハ、やすし前文ぜんぶん平和へいわ国家こっか建設けんせつ世界せかい平和へいわまれフ、トうんフコトヲにゅうレタかた体裁ていさいこうイトうん意見いけんゆうモデアリマスガ、前文ぜんぶんしょちょくストうんフコトニナルト、各自かくじ希望きぼう区々くくニナツテちゅう一致いっちてん見出みだしシニクイ、此ノ前文ぜんぶん日本にっぽんぶん出来できあくイケレドモ、英文えいぶん相当そうとう出来できデアルカラ、なりベク日本人にっぽんじんみみおやシミえきイヤウナ言葉ことばへんヘテ、みなサンガ相談そうだん結果けっか共同きょうどう提案ていあんトシテ承認しょうにんシテ戴クトうんフコトニシタラドウカトこうヘテきょリマス 笠井かさい委員いいん 併シ事実じじつニ於テハすんでニ「マッカーサー」ノほうふでにゅうレ、ねりツタモノデスカラ、これ無視むしスルコトハ出来できナイトうんフコトガ最近さいきん段々だんだんぶんツテさんリマシタガ、わたしきたくんせつ賛成さんせいヲ致シマス、英文えいぶん相当そうとうりょくにゅうレテさくツタ文章ぶんしょうデスカラ、日本人にっぽんじんてき性格せいかくにゅうレタ文章ぶんしょうへんヘルコトハ至難しなんデハナイトおもえヒマス、いまおおせシヤルヤウニ、なりほどこれヲ読ンデルト、如何いかニモダラダラシテ冗漫じょうまんデスガ、用語ようごへんヘレバ出来できルトおもえヒマスカラ……

また、芦田あしだ委員いいんちょうはGHQの承諾しょうだくられる内容ないようを3にちいち週間しゅうかんくことのむずかしさについてつぎのようにべた[120]

芦田あしだ委員いいんちょう 森戸もりとくん意見いけんモ、わたし個人こじんトシテハ、サウうんふう簡潔かんけつ日本人にっぽんじんほんとうニピントらいルヤウニシタイトおもえフケレドモ、併シ日本人にっぽんじんデ、而モ進駐軍しんちゅうぐん本部ほんぶ承諾しょうだくラレルヤウナ思想しそう内容ないようツタモノヲしょクトうんフコトニナルト、なかさんにちいち週間しゅうかんデハ出来できナイ仕事しごとダトおもえヒマス、本当ほんとうだい事業じぎょうダトおもえヒマス、ソレデだれニソレヲよりゆきンダラよろしイカトうんツテモ、個人こじんてき印象いんしょうさるじょうゲテ甚ダ恐縮きょうしゅくデスガ、アノじんよりゆきンダラ出来できルダラウトうんじん見付みつけケルコトサヘモ出来できナイ、ドウシテモヲサウうんふうニシヨウトスルナラバ、社会党しゃかいとうナリ無所属むしょぞく倶楽部くらぶアタリカラ、斯ウうんフモノガよろしイダラウトうん具体ぐたいてきあんチヲねがいヘバ、討議とうぎ基礎きそトシテ有力ゆうりょくナモノダトおもえフノデス、サウデナイト、いまだれよりゆきンダラサウうんフモノガ出来できルカ……

こののちだい13かいまでの審議しんぎて、しょう委員いいんかい審議しんぎわった[121]しょう委員いいんかい審議しんぎ秘密ひみつかいとしてひらかれ、議事ぎじろくも1995ねんまで秘密ひみつにされた[48][49]。8月24にち衆議院しゅうぎいんほん会議かいぎ審議しんぎのさいに、日本にっぽん共産党きょうさんとう志賀しが義雄よしお反対はんたい討論とうろんなかだい9じょうについてつぎのようにべ、日本国にっぽんこく憲法けんぽう反対はんたいした[122]

さら󠄁にとう草案そうあん戰爭せんそう一般いっぱん抛棄ほうき規定きていしてります、これたいして共產黨きょうさんとう他國たこくとの戰爭せんそう抛棄ほうきのみを規定きていすることをよう󠄁もとめしました、さら󠄁に他國たこくあいだ󠄁の戰爭せんそう絕對ぜったい參加さんかしないことをあきら󠄁することもよう󠄁もとめしましたが、とうよう󠄁もとめ否定ひていされました、此の問題もんだいくに民族みんぞく將來しょうらいつてきわめて重要じゅうよう󠄁な問題もんだいであります、こと現在げんざいごと國際こくさいてき󠄁不安定ふあんてい狀態じょうたいしたおいとく重要じゅうよう󠄁である、芦田あしだ委員いいんちょう及󠄁びほか委員いいんは、日本にっぽん國際こくさいたいら󠄁ため積極せっきょくてき󠄁に寄與きよすることをよう󠄁もち󠄂されましたが、勿論もちろんよろしいことであります、倂し現在げんざい日本にっぽんつていちそら󠄁ぶん󠄁に󠄁ぎない、政治せいじてき󠄁に經濟けいざいてき󠄁にほとん無力むりょくきん󠄁い日本にっぽんが、國際こくさいたいら󠄁ためなに一體いったい出來できやうか、此のやうな日本にっぽん世界せかい何處どこくに相手あいてにするであらうか、我々われわれは此のやうなたいら󠄁ぬし󠄁そら󠄁ぶん󠄁をろうするかわりに、今日きょう日本にっぽんつて相應ふさわしい、また實質じっしつてき󠄁な態度たいどるべきであるとかんがへるのであります、それはどううんふことかとげんへば、如何いかなる國際こくさいまがえ󠄁そうにも日本にっぽん絕對ぜったい參加さんかしないとうん立場たちば堅持けんじすることである、これづけては自由黨じゆうとうきたくんほん會議かいぎ劈頭へきとうおいもうされました、中立ちゅうりつ絕對ぜったいまもるとうんふこと、すなわ政府せいふいちこくへん󠄁して他國たこくはいするとうんふがごと態度たいどらず、すべての善隣ぜんりん󠄂くにたいら󠄁とう親善しんぜん關係かんけいむすぶとうんふことであります、政府せいふあやま󠄁つていちぽうくにへん󠄁するならば、すなわ日本にっぽん國際こくさいまがえ󠄁そうなか卷込まきこめ󠄁むこととなり、結局けっきょく日本にっぽん獨立どくりつうしなふこととなるにたがえ󠄂ひないのであります、我々われわれ民族みんぞく獨立どくりつを飽󠄁くまで維持いじしなければならない、日本にっぽん共產黨きょうさんとう一切いっさい犧牲ぎせいにして、民族みんぞく獨立どくりつしげる󠄁さかえため奮鬪ふんとうする決意けつい󠄁をつてるのであります、かなめ󠄁するにとうけん󠄁ほうだいしょうは、くに自衞じえいけん抛棄ほうきして民族みんぞく獨立どくりつを危󠄁くする危󠄁けんがある、それゆえとう民族みんぞく獨立どくりつために此のけん󠄁ほう反對はんたいしなければならない、我々われわれ反對はんたいするだいよん理由りゆうであります 以上いじょう共產黨きょうさんとうとうけん󠄁ほう草案そうあん反對はんたいする重要じゅうよう󠄁な理由りゆうであります、かなめ󠄁するにとうけん󠄁ほうは、國民こくみん世界せかい人民じんみんよう󠄁もち󠄂するやうな徹底てっていした完全かんぜん󠄁な民主みんしゅ󠄁おも󠄁けん󠄁ほうではない、羊頭ようとういぬにくけん󠄁ほうである、財產ざいさんけん擁護ようごして、つとむ󠄁ろう人民じんみん權利けんり徹底的てっていてき󠄁に保障ほしょうしないけん󠄁ほうである、民族みんぞく獨立どくりつ保障ほしょうしないけん󠄁ほうである、天皇てんのう特權とっけんである參議院さんぎいん存在そんざいは、あきら󠄁かに官僚かんりょう保守ほしゅ反動はんどう勢力せいりょくよう󠄁ふさがとなるとともに、わざわい󠄀を將來しょうらいに貽すけん󠄁ほうである、我々われわれくに將來しょうらい子孫しそんために、くに民主みんしゅ󠄁おも󠄁たいら󠄁絕對ぜったい保障ほしょうするやうなけん󠄁ほうつくり、將來しょうらい保守ほしゅ反動はんどう勢力せいりょく彼等かれら足場あしばとう利用りようするやうな、特權とっけんてき󠄁機關きかんと危󠄁けんを此のけん󠄁ほうなかに貽すことは出來できない、それゆえ我々われわれは此の草案そうあんとう議會ぎかいつう󠄁󠄁することに反對はんたいしなければならない

こののち日本にっぽん共産党きょうさんとう柄沢からさわとし志賀しが義雄よしお高倉たかくらあきら徳田とくた球一きゅういち中西なかにし伊之助いのすけ野坂のさかさんさん新政しんせいかい穂積ほづみ七郎しちろう無所属むしょぞくクラブのほそさこ兼光かねみつの8めい反対はんたいするなか反対はんたい8ひょう賛成さんせい421ひょう日本国にっぽんこく憲法けんぽう採択さいたくされた[21]つづいて貴族きぞくいん審議しんぎでも、若干じゃっかん修正しゅうせいおこなわれた[21]。しかし、衆議院しゅうぎいん同様どうように、日本にっぽんがわによる修正しゅうせいにはすべてGHQの承認しょうにん必要ひつようであり、議会ぎかい審議しんぎちゅうにもGHQによる修正しゅうせい命令めいれいつづけられ、それにさからうことはできず、GHQの意向いこう範囲はんいないでのみ修正しゅうせいおこなわれた[26]。 こうした状況じょうきょう貴族きぞくいん帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせいあん特別とくべつ委員いいんしょう委員いいんかいでの審議しんぎのさいに、極東きょくとう委員いいんかいはGHQをとおして文民ぶんみん条項じょうこう追加ついか指示しじし、そのとおりに修正しゅうせいすることで芦田あしだ修正しゅうせいあん承認しょうにんされた[21][50][51][52]

だいろくじゅうろくじょう 内閣ないかくは、法律ほうりつさだめるところにより、その首長しゅちょうたる内閣ないかく総理そうり大臣だいじんおよびその国務大臣こくむだいじんでこれを組織そしきする。

ないかく総理そうり大臣だいじんその国務大臣こくむだいじんは、文民ぶんみんでなければならない。

ないかくは、行政ぎょうせいけん行使こうしについて、国会こっかいたい連帯れんたいして責任せきにんふ。

その貴族きぞくいんは10月6にち貴族きぞくいんは10月6にちにGHQの指示しじもとづくものなどをふくめた若干じゃっかん修正しゅうせいくわえた憲法けんぽうあん可決かけつした[21]衆議院しゅうぎいん貴族きぞくいん回付かいふあん可決かけつし、帝国ていこく議会ぎかいにおける憲法けんぽう改正かいせい手続てつづきすべ終了しゅうりょう枢密院すうみついんでも回付かいふあん可決かけつおこなわれたことで、大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう改正かいせい成立せいりつし、「日本国にっぽんこく憲法けんぽう」として公布こうふ施行しこうされた[21]

独立どくりつこく憲法けんぽうはそのくに議会ぎかい政府せいふ国民こくみん自由じゆう意思いしによってつくられる[25][16][26]。したがって、外国がいこく占領せんりょうされているような時期じきにはつくるべきものでない[25][16][26]。それゆえ、ハーグ陸戦りくせん条約じょうやくなどの戦時せんじ国際こくさいほう占領せんりょうぐん占領せんりょう現行げんこう法規ほうき尊重そんちょうすべきとしている[25][27][28]。これらの規定きてい占領せんりょうぐんがそのくに憲法けんぽうえることを禁止きんししているという解釈かいしゃく通説つうせつである[16][28]戦時せんじ国際こくさいほうおなかんがえから国際こくさい慣習かんしゅうほう占領せんりょうぐんがそのくに憲法けんぽうえることを禁止きんししている[29]。しかし、日本にっぽん政府せいふ日本国にっぽんこく憲法けんぽう現在げんざい有効ゆうこうなものとしてあつかっている[30]

国際こくさい慣習かんしゅうほう戦時せんじ国際こくさいほう占領せんりょうぐん憲法けんぽうえることが禁止きんしされているが、日本にっぽん政府せいふ戦時せんじ国際こくさいほうひとつであるハーグ陸戦りくせん条約じょうやくげ、これは交戦こうせんちゅう戦争せんそう状態じょうたい)に適用てきようされ、交戦こうせん占領せんりょうには適用てきようされず、当時とうじ日本にっぽん関係かんけいいと主張しゅちょうしている[25]。しかし、1952ねん4がつ28にち発効はっこうしたサンフランシスコ講和こうわ条約じょうやく日本にっぽん連合れんごうこくとの戦争せんそう状態じょうたいわらせるために締結ていけつされたもので、だい1じょうで「日本にっぽんこくかく連合れんごうこくとの戦争せんそう状態じょうたいは...終了しゅうりょうする」と規定きていされている[31][32]

また、戦時せんじ国際こくさいほう国際こくさい慣習かんしゅうほうおなかんがえからフランスは、1958ねん制定せいてい憲法けんぽうだい89じょうだい5こうで「領土りょうどおかされている場合ばあい改正かいせい手続てつづき着手ちゃくしゅし、またはこれを追求ついきゅうすることができない」と規定きていしている[33][34][35]。また、議会ぎかい審議しんぎまで統制とうせいけた日本国にっぽんこく憲法けんぽう成立せいりつ過程かてい独立どくりつこく憲法けんぽうとはえないという指摘してきもある[16]

さらに、だい世界せかい大戦たいせん占領せんりょうされていたドイツは、憲法けんぽう改正かいせいわりにボン基本きほんほう成立せいりつさせ、だい146じょうで「ドイツ国民こくみん自由じゆう決定けっていによって決議けつぎする憲法けんぽう施行しこうされるに、その効力こうりょくうしなう。」と規定きていした[38][39][40]。それゆえ、成立せいりつ過程かていからして日本国にっぽんこく憲法けんぽう無効むこうであり、あらたな憲法けんぽう大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう改正かいせいしてつくるべきという議論ぎろん根強ねづよ存在そんざいする(日本国にっぽんこく憲法けんぽう無効むこうろん[16][26][36][37]

日本国にっぽんこく憲法けんぽう無効むこうろんでは、日本国にっぽんこく憲法けんぽう無効むこうであっても、そのした成立せいりつする法律ほうりつ判決はんけつ無効むこうとならないよう対策たいさくされている[26][41][42][43][18]たとえば、ほとんどの無効むこうろんは、推定すいてい有効ゆうこうという公法こうほうがくかんがかた使つかって日本国にっぽんこく憲法けんぽうした成立せいりつする法律ほうりつ判決はんけつ有効ゆうこうだとしている[26][41][42][43]。また、推定すいてい有効ゆうこう同等どうとう程度ていど有力ゆうりょく講和こうわ条約じょうやくせつにおいては日本国にっぽんこく憲法けんぽう大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうだい14じょうもとづく講和こうわ条約じょうやくとして有効ゆうこうであり、「憲法けんぽうとして」のみ無効むこうだとする[18]

推定すいてい有効ゆうこうとは、本来ほんらい無効むこう法令ほうれいであっても、一旦いったん形式けいしきてき有効ゆうこう法令ほうれいとして成立せいりつした以上いじょうは、それをしん有効ゆうこうなものだと認識にんしきする立法りっぽう機関きかんなどの善意ぜんい真実しんじつらない)の第三者だいさんしゃ法律ほうりつ制定せいてい判決はんけつなどの行為こういまで無効むこう効力こうりょくはおよばないというかんがかたであり、民法みんぽうにおける無効むこうしのちがいに着目ちゃくもくして、善意ぜんい第三者だいさんしゃ行為こういすことができるとする場合ばあいもある[26][36][42][43]

芦田あしだ修正しゅうせいについて

なお、憲法けんぽう改正かいせい草案そうあん衆議院しゅうぎいんにおける審議しんぎ過程かていでは、芦田あしだ修正しゅうせいばれる修正しゅうせいおこなわれた[123]芦田あしだ修正しゅうせいとは、憲法けんぽう議会ぎかいとなっただい90かい帝国ていこく議会ぎかい衆議院しゅうぎいん設置せっちされた、衆議院しゅうぎいん帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせいしょう委員いいんかいによる修正しゅうせいである[注釈ちゅうしゃく 13]とく憲法けんぽう9じょうかんする修正しゅうせい委員いいんちょうである芦田あしだひとしかんして芦田あしだ修正しゅうせいばれ、9じょうめぐ議論ぎろんではひとつの論点ろんてんとなっている。

まず、だい90かい帝国ていこく議会ぎかい提出ていしゅつされた憲法けんぽう改正かいせい草案そうあんだい9じょう内容ないようは、つぎのようなものであった。

だい9じょう くに主権しゅけん発動はつどうたる戦争せんそうと、武力ぶりょくによる威嚇いかくまた武力ぶりょく行使こうしは、他国たこくとのあいだ紛争ふんそう解決かいけつ手段しゅだんとしては永久えいきゅうにこれを抛棄ほうきする。
陸海空りくかいくうぐんその戦力せんりょく保持ほじゆるされない。くに交戦こうせんけんみとめられない。

衆議院しゅうぎいんにおける審議しんぎ過程かていで、この原案げんあん表現ひょうげんは、いかにも日本にっぽんがやむを戦争せんそう放棄ほうきするような印象いんしょうあたえ、自主じしゅせいとぼしいとの批判ひはんがあったため、このような印象いんしょう払拭ふっしょくし、格調かくちょうたか文章ぶんしょうとする意見いけん支配しはいてきであった。そこで、各派かくはから、様々さまざま文案ぶんあんしめされ、これらをまえて、芦田あしだ委員いいんちょうつぎのような試案しあん芦田あしだ試案しあん)を提示ていじした。

だい9じょう 日本にっぽん国民こくみんは、正義せいぎ秩序ちつじょとを基調きちょうとする国際こくさい平和へいわ誠実せいじつ希求ききゅうし、陸海空りくかいくうぐんその戦力せんりょく保持ほじせず、くに交戦こうせんけん否認ひにんすることを声明せいめいする。
前項ぜんこう目的もくてきたっするため国権こっけん発動はつどうたる戦争せんそう武力ぶりょくによる威嚇いかくまた武力ぶりょく行使こうしは、国際こくさい紛争ふんそう解決かいけつする手段しゅだんとしては、永久えいきゅうにこれを放棄ほうきする。

芦田あしだ試案しあんについて、委員いいんかい懇談こんだんすすめられ、1こう文末ぶんまつ修正しゅうせいや1こうと2こうえなどについて、原案げんあんもとにすることなどがまとまった。芦田あしだ委員いいんちょうは、これらの議論ぎろんをまとめて案文あんぶん調整ちょうせいし、最終さいしゅうてきつぎのように修正しゅうせいすることを決定けっていした。

だい9じょう 日本にっぽん国民こくみんは、正義せいぎ秩序ちつじょ基調きちょうとする国際こくさい平和へいわ誠実せいじつ希求ききゅうし、国権こっけん発動はつどうたる戦争せんそうと、武力ぶりょくによる威嚇いかくまた武力ぶりょく行使こうしは、国際こくさい紛争ふんそう解決かいけつする手段しゅだんとしては、永久えいきゅうにこれを放棄ほうきする。
前項ぜんこう目的もくてきたっするため、陸海空りくかいくうぐんその戦力せんりょくは、これを保持ほじしない。くに交戦こうせんけんは、これをみとめない。

この修正しゅうせいについて、極東きょくとう委員いいんかいにおいて中華民国ちゅうかみんこく代表だいひょうが、日本にっぽんが「前項ぜんこう目的もくてき以外いがい、たとえば「自衛じえいという口実こうじつ」で、実質じっしつてき軍隊ぐんたい可能かのうせいがあると指摘してきしたため、文民ぶんみん条項じょうこう規定きてい追加ついか指示しじし、貴族きぞくいんにおける修正しゅうせいにより、憲法けんぽうだい66じょうだい2こうとして文民ぶんみん条項じょうこう追加ついかされたうえ成立せいりついたった[124]芦田あしだ修正しゅうせいでは、「前項ぜんこう目的もくてきたっするため」という一文いちぶんが、のちに9じょう解釈かいしゃくをめぐる重要じゅうよう争点そうてんひとつとなり、芦田あしだ意図いとなどについても論議ろんぎまととなった。

占領せんりょうにおける日本国にっぽんこく憲法けんぽう効力こうりょく

日本国にっぽんこく憲法けんぽう1947ねん昭和しょうわ22ねん5月3にち施行しこうされたものの、日本にっぽん独立どくりつ回復かいふくする1952ねん昭和しょうわ27ねん4がつ28にち日本にっぽんこくとの平和へいわ条約じょうやく発効はっこう)まで、連合れんごう国軍こくぐん占領せんりょうであったことから完全かんぜん効力こうりょくゆうしていなかった。

最高裁判所さいこうさいばんしょ1953ねん昭和しょうわ28ねん4がつ8にちだい法廷ほうてい判決はんけつけいしゅう7かん4ごう775ページ)において、「日本にっぽんこく統治とうち権限けんげんは、一般いっぱんには憲法けんぽうによっておこなわれているが、連合れんごうこく最高さいこう司令しれいかん降伏ごうぶく条項じょうこう実施じっしするためには適当てきとうみとめる措置そちをとる関係かんけいにおいては、その権力けんりょくによって制限せいげんける法律ほうりつ状態じょうたいにおかれている」として、「連合れんごうこく司令しれいかんは、日本国にっぽんこく憲法けんぽうにかかわることなく法律ほうりつじょうまった自由じゆうみずか適当てきとう措置そちをとり、日本にっぽん官庁かんちょう職員しょくいんたい指令しれいはっしてこれを遵守じゅんしゅ実施じっしすることができるようにあった」と判断はんだんしている。そして、いわゆるポツダム命令めいれい根拠こんきょとなった「ポツダム」宣言せんげん受諾じゅだくともはつスル命令めいれいせきスルけん昭和しょうわ20ねんみことのりれいだい542ごう)について、憲法けんぽうそと効力こうりょくゆうしたものと判断はんだんしている。

その意味いみで、日本国にっぽんこく憲法けんぽう完全かんぜん効力こうりょくゆうするようになったのは、1952ねん昭和しょうわ27ねん4がつ28にちサンフランシスコ講和こうわ条約じょうやく発効はっこうにより、GHQによる日本にっぽん占領せんりょう統治とうち終了しゅうりょうしたときということができる。

さらに、主権しゅけん回復かいふくべいぐん占領せんりょうにあった地域ちいき(すなわち奄美あまみ群島ぐんとう小笠原諸島おがさわらしょとう沖縄おきなわけん)について、憲法けんぽう効力こうりょく完全かんぜんおよぶまではさらに時間じかんようし、その返還へんかんとき、すなわち奄美あまみ群島ぐんとう1953ねん昭和しょうわ28ねん12月25にち小笠原諸島おがさわらしょとう1968ねん昭和しょうわ43ねん6月26にち沖縄おきなわけん1972ねん昭和しょうわ47ねん5月15にちとなった。そして、日本にっぽん政府せいふ実効じっこう支配しはいしていない北方領土ほっぽうりょうどソビエト連邦れんぽうロシア実効じっこう支配しはいおよ竹島たけしま大韓民国だいかんみんこく実効じっこう支配しはい)については、憲法けんぽう効力こうりょくはいまだ完全かんぜんおよんではいない。

国内こくない世論せろん

内閣ないかく情報じょうほうきょく世論せろん調査ちょうさ共同通信社きょうどうつうしんしゃ調査ちょうさ委嘱いしょくしてった「憲法けんぽう改正かいせいかんする輿論よろん調査ちょうさ報告ほうこく」(1945ねん昭和しょうわ20ねん)12月19にちづけ報告ほうこく総数そうすう287けん)では、全体ぜんたいの75%(216けん)が「憲法けんぽう改正かいせいようする」としている[125]以下いかがその調査ちょうさ結果けっかである。

  • 憲法けんぽう改正かいせい必要ひつよう不要ふよう
必要ひつよう 不要ふよう 回答かいとう
財界ざいかい 31 8 2
労働ろうどうしゃ 30 3 8
俸給ほうきゅう生活せいかつしゃ 40 1 1
中小ちゅうしょう商工しょうこう業者ぎょうしゃ 33 4 4
地主じぬし 26 12 3
自作農じさくのう 28 5 8
小作農こさくのう 28 5 8
合計ごうけい 216 38 33
  • 現行げんこう改正かいせい手続てつづきとするか
可能かのう 不可ふか みんてい憲法けんぽう主張しゅちょう
財界ざいかい 20 11 4
労働ろうどうしゃ 8 19 14
俸給ほうきゅう生活せいかつしゃ 19 20 15
中小ちゅうしょう商工しょうこう業者ぎょうしゃ 17 14 7
地主じぬし 16 7 4
自作農じさくのう 14 9 5
小作農こさくのう 7 16 13
合計ごうけい 101 96 62
  • 帝国ていこく憲法けんぽう改正かいせいにあたり積極せっきょくてき主張しゅちょうされているてん
財界ざいかい 労働ろうどうしゃ 俸給ほうきゅう生活せいかつしゃ 中小ちゅうしょう商工しょうこう業者ぎょうしゃ 地主じぬし 自作農じさくのう 小作農こさくのう 合計ごうけい
天皇てんのう大権たいけん制限せいげん

議会ぎかい権限けんげん拡大かくだい

13 8 19 8 7 8 8 71
貴族きぞくいん廃止はいしまたは改革かいかく 10 10 15 8 4 3 7 57
民意みんい尊重そんちょう

濫用らんよう防止ぼうし 天皇てんのう国民こくみん直結ちょっけつ

8 4 10 8 2 6 3 41
人民じんみん権利けんり拡張かくちょう

自由じゆう保障ほしょう

10 5 5 3 0 5 4 32
主権しゅけん在民ざいみん 0 5 0 2 2 1 4 14
イギリスしき憲法けんぽう不文ふぶん憲法けんぽう 0 1 2 3 1 1 1 9
天皇てんのうせい堅持けんじ存置そんち 6 3 3 3 6 7 5 33
天皇てんのうせい廃止はいし 0 1 0 1 0 0 1 3

日本国にっぽんこく憲法けんぽう起草きそうしゃ

民間みんかんのぞく)日本国にっぽんこく憲法けんぽう起草きそうしゃは、つぎのとおりである。

GHQがわ[126]

  • C.L.ケーディス陸軍りくぐん大佐たいさ
  • A.R.ハッシー海軍かいぐん中佐ちゅうさ
  • M.E.ラウエル陸軍りくぐん中佐ちゅうさ
  • R.エラマン
  • F.E.ヘイズ陸軍りくぐん中佐ちゅうさ立法りっぽうけん規定きてい担当たんとう
  • G.J.スウォープ海軍かいぐん中佐ちゅうさ立法りっぽうけん規定きてい担当たんとう
  • O.ホージ海軍かいぐん中尉ちゅうい立法りっぽうけん規定きてい担当たんとう
  • G.ノーマン(立法りっぽうけん規定きてい担当たんとう
  • C.H.ピーク(行政ぎょうせいけん規定きてい担当たんとう
  • J.I.ミラー(行政ぎょうせいけん規定きてい担当たんとう
  • M.J.エスマン陸軍りくぐん中尉ちゅうい行政ぎょうせいけん規定きてい担当たんとう
  • P.K.ロウスト陸軍りくぐん中佐ちゅうさ人権じんけん規定きてい担当たんとう
  • H.E.ワイルズ(人権じんけん規定きてい担当たんとう
  • ベアテ・シロタ・ゴードン人権じんけん規定きてい担当たんとう
  • M.E.ラウエル陸軍りくぐん中佐ちゅうさ司法しほうけん規定きてい担当たんとう
  • A.R.ハッシー海軍かいぐん中佐ちゅうさ司法しほうけん規定きてい担当たんとう
  • M.ストーン(司法しほうけん規定きてい担当たんとう
  • C.G.ティルトン陸軍りくぐん少佐しょうさ地方ちほう行政ぎょうせい規定きてい担当たんとう
  • R.L.マルコム海軍かいぐん少佐しょうさ地方ちほう行政ぎょうせい規定きてい担当たんとう
  • P.O.キーニ(地方ちほう行政ぎょうせい規定きてい担当たんとう
  • F.リゾー陸軍りくぐん大尉たいい財政ざいせい規定きてい担当たんとう
  • J.A.ネルソン陸軍りくぐん中尉ちゅうい天皇てんのう・授権・条約じょうやく規定きてい担当たんとう
  • R.A.プール海軍かいぐん少尉しょうい天皇てんのう・授権・条約じょうやく規定きてい担当たんとう
  • A.R.ハッシー海軍かいぐん中佐ちゅうさ前文ぜんぶん規定きてい担当たんとう
  • S.ヘイズ(秘書ひしょ
  • E.ファーガスン(秘書ひしょ
  • J.ゴードン中尉ちゅうい通訳つうやく
  • I.ハースコウィッツ中尉ちゅうい通訳つうやく

日本にっぽん政府せいふがわ

憲法けんぽうてんべられていない問題もんだい

日本にっぽん憲法けんぽうしゅたるほうげんは、日本国にっぽんこく憲法けんぽう形式けいしきてき意味いみ憲法けんぽう)である。ここでは、日本国にっぽんこく憲法けんぽうにはべられていない憲法けんぽうじょう問題もんだいについてべる。

領土りょうど

ゲオルク・イェリネックのいう国家こっかさん要素ようそのうち、国民こくみん(Staatsvolk)・国家こっか権力けんりょく(Staatsgewalt)にかんして日本国にっぽんこく憲法けんぽうろんじているが、国家こっか領土りょうど(Staatsgebiet)にかんしては、日本国にっぽんこく憲法けんぽう沈黙ちんもくしている(これは比較ひかく憲法けんぽうてきには異例いれいぞくする)。日本にっぽんこく領土りょうど決定けっていするほう規範きはんは、しゅとして条約じょうやくにある。

なお、大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうも、国家こっか領土りょうどについては沈黙ちんもくしていた。このため、帝国ていこく憲法けんぽう施行しこう獲得かくとくされた領土りょうどについては、憲法けんぽう場所ばしょてき適用てきよう範囲はんい問題もんだいとなった。これについては、肯定こうていせつ否定ひていせつ折衷せっちゅうせつ対立たいりつした。

国家こっか自己じこ表現ひょうげん

いわゆる国家こっか自己じこ表現ひょうげん(Selbstdarstellung des Staates)について、日本国にっぽんこく憲法けんぽう規定きていしていないが、比較ひかく憲法けんぽうてきめずらしいケースである。おもほうげんとして、つぎのようなものがある。

憲法けんぽう解釈かいしゃく

日本国にっぽんこく憲法けんぽう解釈かいしゃくは、それぞれの機関きかん権限けんげん範囲はんいないおこなっている。

法律ほうりつ制定せいていにあたっての憲法けんぽう解釈かいしゃくは、国会こっかいおこなうとされている。

内閣ないかくは、法律ほうりつ執行しっこうするにたって必要ひつようとされるかぎりにおいて憲法けんぽう解釈かいしゃくするとされる。

ただし、憲法けんぽう81じょうによって、裁判所さいばんしょ違憲いけん審査しんさけん明記めいきしており、そのため、国会こっかい内閣ないかく司法しほうによる憲法けんぽう解釈かいしゃくなかでも、最高裁判所さいこうさいばんしょおこな解釈かいしゃくもっとつよ効力こうりょくつとされる[131]

GHQ民政みんせいきょく草案そうあんとの比較ひかく

GHQ民政みんせいきょくにて起草きそうされた憲法けんぽう草案そうあんは、1946ねん2がつ10日とおかよるマッカーサー提出ていしゅつされ、GHQ民政みんせい局内きょくないでの対立たいりつ理由りゆうに、基本きほんてき人権じんけん制限せいげんあるいは廃棄はいきする内容ないようでの憲法けんぽう改正かいせい禁止きんしする規定きてい削除さくじょすることを指示しじし、その指示しじうえで、この草案そうあん基本きほんてき承認しょうにんした。その承認しょうにんのち最終さいしゅうてき調整ちょうせいののち、GHQ民政みんせいきょく草案そうあんは2がつ12にち完成かんせいした。あらためてマッカーサーの承認しょうにんて、2がつ13にち日本にっぽん政府せいふ提示ていじされ、2がつ22にち閣議かくぎにおいて、日本にっぽん政府せいふはそのGHQ民政みんせいきょく草案そうあんれを決定けっていした[132]

そして、連合れんごうこく最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ)の民政みんせいきょく主導しゅどうにより起草きそうされた日本国にっぽんこく憲法けんぽう草案そうあん実際じっさい施行しこうされた憲法けんぽうとの条文じょうぶん比較ひかくは(解釈かいしゃくにもよるが)、以下いかとおりである[133]

  • 民政みんせいきょく草案そうあんでは前文ぜんぶん条文じょうぶんに「日本国にっぽんこく人民じんみん」「人民じんみん」としょうしているが、現行げんこう憲法けんぽうでは「国民こくみん」としょうされ、人民じんみんという言葉ことば使つかわれていない。
  • だいじゅうさんじょうに「家族かぞく人類じんるい社会しゃかい基底きていニシテ」とあるが、現行げんこう憲法けんぽう人類じんるい社会しゃかい基底きていしめ条文じょうぶん存在そんざいしない。
  • だいじゅうよんじょうに「ゆうラユル生活せいかつ範囲はんいニ於テ法律ほうりつ社会しゃかいてき福祉ふくし自由じゆう正義まさよし民主みんしゅ主義しゅぎ向上こうじょう発展はってんため立案りつあんセラルヘシ」とあるが、このような条文じょうぶん現行げんこう憲法けんぽう存在そんざいしない。
  • だいじゅうはちじょう 土地とち一切いっさい天然てんねん資源しげん究極きゅうきょくてき所有しょゆうけん人民じんみん集団しゅうだんてき代表だいひょうしゃトシテノ国家こっか帰属きぞく国家こっか土地とちまたハ其ノほか天然てんねん資源しげんヲ其ノ保存ほぞん開発かいはつ利用りようまた管理かんり確保かくほまた改善かいぜんスルため公正こうせいナル補償ほしょうはらいヒテ収用しゅうようスルコトヲとく」とさだめられている民政みんせいきょく草案そうあんだが、現行げんこう憲法けんぽう土地とち国有こくゆうかんする条文じょうぶん存在そんざいしない。
  • だいさんじゅうじょうに「過大かだいナル保釈ほしゃくきん要求ようきゅうスヘカラス」とある民政みんせいきょく草案そうあんだが、現行げんこう憲法けんぽう保釈ほしゃくきんかんする条文じょうぶん存在そんざいしない。

大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうとの比較ひかく

天皇てんのう

大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうでは、天皇てんのうは「くに元首げんしゅニシテ統治とうちけん総攬そうらん」する存在そんざいだい4じょう)であって、神聖しんせい不可侵ふかしん存在そんざいとされた(だい3じょう)。しかしこれらの権限けんげん国務大臣こくむだいじんによる輔弼ほひつ(advice、助言じょげん)にもとづき、国務大臣こくむだいじんによる副署ふくしょがなければ法的ほうてき効力こうりょくゆうしない(だい55じょう)。

日本国にっぽんこく憲法けんぽう現行げんこう憲法けんぽう)では、天皇てんのうは「日本にっぽんこく象徴しょうちょうであり日本にっぽん国民こくみん統合とうごう象徴しょうちょう」(象徴しょうちょう天皇てんのうせいだい1じょう)であり「主権しゅけんそんする日本にっぽん国民こくみん総意そういもとづく」地位ちいとされた(国民こくみん主権しゅけんどうじょう)。また、天皇てんのう憲法けんぽうさだめる国事こくじ行為こういのみをおこない、国政こくせいかんする権能けんのうゆうしないものとされた(だい4じょうだい1こう)。これらの権限けんげん内閣ないかく助言じょげん(advice)にもとづき行使こうしされ、内閣ないかく承認しょうにん必要ひつようとする(だい3じょう)。なお、現行げんこう憲法けんぽうには日本にっぽん元首げんしゅかんする規定きていはない。

天皇てんのう権限けんげんについて新旧しんきゅう憲法けんぽう共通きょうつうしているてんは、天皇てんのう独断どくだん命令めいれいしたりすることは出来でき内閣ないかく構成こうせいいんである大臣だいじん助言じょげんもとづくてん大臣だいじん了承りょうしょうがなければならないてんである。

一方いっぽうことなるてんは、助言じょげん了承りょうしょうともな天皇てんのう行為こうい国政こくせいかかわる行為こういかどうかである。どの大臣だいじんがどのようなことを天皇てんのう助言じょげんするのかという要素ようそ新旧しんきゅう憲法けんぽう両方りょうほうにおいてかれていないが、しん憲法けんぽうでは国政こくせいかかわる行為こうい天皇てんのうかかわらないため問題もんだいにならないこの曖昧あいまいさが、きゅう憲法けんぽうではきわめて重大じゅうだい大臣だいじん同士どうし権限けんげん衝突しょうとつこすうえに、だれ国政こくせい責任せきにんうのかしばしば曖昧あいまいになることがあった。これらの権限けんげん衝突しょうとつ調停ちょうていする仕組しくみは憲法けんぽうそとかれた機関きかん憲法けんぽうがい機関きかん内大臣ないだいじん枢密院すうみついんなど)にゆだねられ、憲法けんぽうがい調停ちょうてい機関きかん少数しょうすう人間にんげん牛耳ぎゅうじることによりおもうままに独裁どくさいてき国政こくせいおこなうことさえ出来でき[134]

立法府りっぽうふ

帝国ていこく憲法けんぽうにおいては、天皇てんのう立法りっぽうけん協賛きょうさん機関きかんとして、衆議院しゅうぎいん貴族きぞくいんからなる帝国ていこく議会ぎかいかれていた。現行げんこう憲法けんぽうでは「国権こっけん最高さいこう機関きかんであって、くに唯一ゆいいつ立法りっぽう機関きかん」たる国会こっかい設置せっちされている。

行政府ぎょうせいふ

きゅう憲法けんぽうには内閣ないかくおよび内閣ないかく総理そうり大臣だいじん規定きていかれず、これらはみことのりれいである内閣ないかく官制かんせいもとづいて設置せっちされた。憲法けんぽうでは国務こくむかく大臣だいじん天皇てんのう輔弼ほひつほひつし、天皇てんのうたいしてのみ責任せきにんうものとされた(だい55じょうだい1こう)。内閣ないかく総理そうり大臣だいじんおよび国務大臣こくむだいじん天皇てんのう任免にんめんするものとされたが(だい10じょう)、実際じっさいには元老げんろう重臣じゅうしん内大臣ないだいじんなど、憲法けんぽうがい機関きかん人選じんせんした。

げん憲法けんぽうでは、内閣ないかくだい65じょうひとし)および内閣ないかく総理そうり大臣だいじんだい6じょうだい1こうひとし)の規定きていかれた。天皇てんのう国会こっかい指名しめいもとづいて国会こっかい議員ぎいんなかから内閣ないかく総理そうり大臣だいじん任命にんめいし(だい6じょうだい1こう)、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん国務大臣こくむだいじん任免にんめんして内閣ないかく組織そしきし(だい68じょうだい66じょうだい1こう)、内閣ないかく行政ぎょうせいけん行使こうしについて国会こっかいたい連帯れんたいして責任せきにんう(だい66じょうだい3こう)。内閣ないかく国会こっかい衆議院しゅうぎいんおよび参議院さんぎいん)との関係かんけいについては様々さまざま説明せつめいされるが、議院ぎいんないかくせい採用さいようしているものと理解りかいされている[135]だい66じょう3こうだい67じょう1こうだい68じょう1こうだい69じょうだい70じょうだい63じょう)。また内閣ないかく外交がいこう処理しょりする権限けんげんとうつことから、学説がくせつおおくは内閣ないかくあるいは内閣ないかく総理そうり大臣だいじん元首げんしゅとする[136]

国務大臣こくむだいじん任命にんめい資格しかく

きゅう憲法けんぽうでは、国務大臣こくむだいじん任命にんめいされる資格しかく任命にんめい資格しかく)については規定きていされていない(だい55じょうだい1こうだい10じょう参照さんしょう)。なお、時期じきにより変遷へんせんがあるものの、みことのりれいにより、軍部ぐんぶ大臣だいじん陸軍りくぐん大臣だいじん海軍かいぐん大臣だいじん)の任命にんめい資格しかく現役げんえきまたは予備よびやく武官ぶかん軍人ぐんじん)にかぎられた(軍部ぐんぶ大臣だいじん現役げんえき武官ぶかんせい参照さんしょう)。

げん憲法けんぽうでは、国務大臣こくむだいじんを「文民ぶんみん」にかぎった(だい66じょうだい2こう)。「文民ぶんみん」の解釈かいしゃくについては諸説しょせつあるが「きゅう職業しょくぎょう軍人ぐんじん経歴けいれきゆうするものであって、軍国ぐんこく主義しゅぎ思想しそうふかまっているとかんがえられるものは、文民ぶんみんではない」とほぐされている[137]。この趣旨しゅしは、軍部ぐんぶ大臣だいじん現役げんえき武官ぶかんせいぐんによる政治せいじへの介入かいにゅうまねき、ぐん統制とうせい困難こんなんにした反省はんせいから、文民ぶんみん統制とうせい明文化めいぶんかすることにある。なお、現職げんしょく自衛じえいかん文民ぶんみんふくまれないものの、もと自衛じえいかん文民ぶんみんふくまれるとほぐされている[138]。また、国務大臣こくむだいじん過半数かはんすうは、国会こっかい議員ぎいんなかからえらばなければならないとされた(だい68じょうだい1こうただ)。

司法しほう

きゅう憲法けんぽうでは、裁判所さいばんしょ天皇てんのうにより裁判さいばんおこなうものとされ、裁判所さいばんしょ構成こうせいほうなどにより最高さいこう司法しほう機関きかんとして位置付いちづけられた大審院だいしんいん存在そんざいした。

げん憲法けんぽうにおいては司法しほうけん独立どくりつおよび裁判官さいばんかん身分みぶん保障ほしょう明記めいきされ、憲法けんぽうにより設置せっちされる機関きかんとしてあらたに最高裁判所さいこうさいばんしょがもうけられた。

文化ぶんか

日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこう記念きねん切手きって

切手きって

記念きねん切手きってとして1947ねん5月3にち日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこう記念きねんとして50せん、1えん、2しゅ切手きって憲法けんぽう前文ぜんぶん印刷いんさつされた額面がくめんの2ばい売価ばいか3えん目打めうち小型こがたシート発行はっこうされた。図案ずあん懸賞けんしょう募集ぼしゅうされたもので、1946ねん10がつ募集ぼしゅうけられ1まん2,000てん応募おうぼさくから一等いっとう1てんとう3てんなどがえらばれた。しかし一等いっとう作品さくひん国会こっかい議事堂ぎじどうえがいていたことから、当時とうじ通常つうじょう葉書はがき印面いんめん酷似こくじしているとして採用さいようになり、とう作品さくひんのうち2てん採用さいようされた。なお、応募おうぼ意匠いしょうは「憲法けんぽう施行しこうにふさわしいもの」とされ、「軍国ぐんこく主義しゅぎ国家こっか主義しゅぎてき神道しんとう象徴しょうちょうするもの、風景ふうけい不可ふか」とされていた[139]。なお、募集ぼしゅうには記念きねん切手きって題名だいめいは「改正かいせい憲法けんぽう施行しこう記念きねん」であったが、発行はっこうには「日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこう記念きねん」に変更へんこうされた。小型こがたシートであるが2がつになって追加ついかされたもので、当初とうしょはB7サイズで予定よていであったが、憲法けんぽう普及ふきゅうかいから余白よはく憲法けんぽう条文じょうぶんれるように要望ようぼうせられ、B6サイズという大型おおがたサイズになった。

1946ねん12月27にち官製かんせい記念きねん絵葉書えはがき額面がくめん15ぜにで3しゅ発行はっこうされている。げられた題材だいざい当時とうじ著名ちょめい日本人にっぽんじん画家がか作品さくひんで、川端かわばた龍子りゅうこの「不二ふじ」、石井いしい柏亭はくていの「平和へいわ」、藤田ふじた嗣治つぐじの「むかえ」が裏面りめんにオフセット印刷いんさつされていた。もともと外貨がいか獲得かくとく手段しゅだんとして著名ちょめい画家がか起用きようして日本にっぽん国内こくない観光かんこうえがく「日本にっぽん絵葉書えはがき」の企画きかく急遽きゅうきょ日本国にっぽんこく憲法けんぽう公布こうふ記念きねんとして題材だいざいをふさわしいものにえて発行はっこうした[140]当初とうしょだいだん発行はっこう計画けいかくされていたが、3まいセットで売価ばいか3えん高価こうかであったため、きがわる結局けっきょくだいいちだんのみで、官製かんせい絵葉書えはがき暑中しょちゅう見舞みまいや年賀ねんが葉書はがきのぞけばすうじゅう年間ねんかん発行はっこうされなかった。

音楽おんがく

橋本はしもと國彦くにひこ交響こうきょうきょくだい2ばんは、日本国にっぽんこく憲法けんぽうささげられた。憲法けんぽう普及ふきゅうかい委嘱いしょくけてかれ、1947ねん帝国ていこく劇場げきじょうにおける「しん憲法けんぽう施行しこう記念きねん祝賀しゅくがかい」にて初演しょえんされた。 なお作曲さっきょく当時とうじ橋本はしもとは、戦時せんじちゅういた戦意せんい高揚こうよう音楽おんがくへの責任せきにんをとり、学科がっか創設そうせつさいからつとめた東京とうきょう音楽おんがく学校がっこうげん東京芸術大学とうきょうげいじゅつだいがく音楽学部おんがくがくぶ作曲さっきょく教授きょうじゅしょくした境遇きょうぐうにあった。 この交響曲こうきょうきょく作曲さっきょく橋本はしもとはかねてからの心労しんろうがたたり体調たいちょうくずし、1949ねんがんで44さい逝去せいきょした。

美術びじゅつ

日本国にっぽんこく憲法けんぽう』(また:『日本国にっぽんこく憲法けんぽう 美術びじゅつ』、松本まつもとつるじんへん、TAC出版しゅっぱん、2019ねん11月[141])。日本にっぽん戦後せんごアート作品さくひんと、憲法けんぽう条文じょうぶんわせてせる形式けいしき国際こくさいデザインしょう東京とうきょうTDCしょう2021」でグランプリを獲得かくとくした[142]

脚注きゃくちゅう

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ ただし、最初さいしょ日本にっぽん政府せいふによる大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう自主じしゅてき改正かいせいをGHQはのぞんでおり、GHQの意向いこう日本にっぽん政府せいふ提案ていあんがそぐわなかったため、GHQの指導しどうによる草案そうあん作成さくせいおこなわれたという経緯けいいがある。
  2. ^ 法学部ほうがくぶ教授きょうじゅ芦部あしべ信喜しき[4]の『憲法けんぽう』による[3]
  3. ^ 樋口ひぐち陽一よういちの1992ねん著作ちょさくによると、日本国にっぽんこく憲法けんぽうおおくのくに憲法けんぽうおなじように硬性こうせい憲法けんぽうである[6]
  4. ^ リンカーン大統領だいとうりょうの「人民じんみん政府せいふ(government of the people)」という言葉ことばはその表現ひょうげんれいであり、人民じんみん権威けんい委任いにんした政府せいふ意味いみしている[12]。このような民主みんしゅてき体制たいせい立憲りっけん主義しゅぎしたにあり、すなわち憲法けんぽうは「最高さいこう権力けんりょくしゃである国民こくみん意志いしあらわれ」として絶対ぜったいてき尊重そんちょうされねばならないと荻野おぎの[12]
  5. ^ このことはハーグ陸戦りくせん条約じょうやくなどの戦時せんじ国際こくさいほう規定きていされている[25][27][28]。これらの規定きてい占領せんりょうぐんがそのくに憲法けんぽうえることを禁止きんししている[16][28]。また、国際こくさい慣習かんしゅうほうにおいては占領せんりょうぐんがそのくに憲法けんぽうえることは禁止きんしされている[29]。しかし、日本にっぽん政府せいふ日本国にっぽんこく憲法けんぽう現在げんざい有効ゆうこうなものとしてあつかっている[30]国際こくさい慣習かんしゅうほう戦時せんじ国際こくさいほう占領せんりょうぐん憲法けんぽうえることが禁止きんしされているが、日本にっぽん政府せいふ戦時せんじ国際こくさいほうひとつであるハーグ陸戦りくせん条約じょうやくげ、これは交戦こうせんちゅう戦争せんそう状態じょうたい)に適用てきようされ、交戦こうせん占領せんりょうには適用てきようされず、当時とうじ日本にっぽん関係かんけいいと主張しゅちょうしている[25]。しかし、1952ねん4がつ28にち発効はっこうしたサンフランシスコ講和こうわ条約じょうやく日本にっぽん連合れんごうこくとの戦争せんそう状態じょうたいわらせるために締結ていけつされたもので、だい1じょうで「日本にっぽんこくかく連合れんごうこくとの戦争せんそう状態じょうたいは...終了しゅうりょうする」と規定きていされている[31][32]
  6. ^ なお、席上せきじょうマッカーサーから要求ようきゅうされたいわゆる「大改革だいかいかく要求ようきゅう」は以下いかとおり。
  7. ^ 1945ねん昭和しょうわ20ねん)10がつ13にち閣議かくぎ了解りょうかい、10月25にち設置せっち
  8. ^ 1946ねん2がつ1にちづけ憲法けんぽう改正かいせい権限けんげんかんするホイットニー・メモ」。どう1946ねん2がつ1にちづけ憲法けんぽう改正かいせい権限けんげんかんするホイットニー・メモ」。なお、訳文やくぶんは「高柳たかやなぎけんさんほか編著へんちょ日本国にっぽんこく憲法けんぽう制定せいてい過程かてい連合れんごうこくそう司令しれいがわ記録きろくによる I』有斐閣ゆうひかく、1972ねん、79ページ」参照さんしょう
  9. ^ 宮沢みやざわ委員いいん委員いいんかいでの議論ぎろんまえてこころみに作成さくせいし、1がつ4にちだい8かい調査ちょうさかい提出ていしゅつした。
  10. ^ なお、GHQ草案そうあん作成さくせい関与かんよしたGHQ民政みんせいきょくチャールズ・ケーディスはのちのインタビュー(インタビュー日時にちじ場所ばしょ、インタビュアーとう不明ふめい。)で、日本にっぽんがわ文語ぶんごたいくことをかたくなに主張しゅちょうしたが、文語ぶんごたいかれれば日本にっぽんがわ内容ないよう巧妙こうみょうにすりえることができ、検閲けんえつ見落みおとすかもしれないと危惧きぐしたため日本にっぽんがわ主張しゅちょう退しりぞけた、とかたったとされる(戦後せんご日本にっぽん高等こうとう教育きょういく改革かいかく政策せいさく: 「教養きょうよう教育きょういく」の構築こうちく土持つちもちゲーリーほういち玉川大学たまがわだいがく出版しゅっぱん, 2006 )。もっとも、このとき作成さくせいされた確定かくていあん(「3月5にちあん」)および「憲法けんぽう改正かいせい草案そうあん要綱ようこう」(「3がつ6にちあん」)は文語ぶんごたいである。
  11. ^ なお、アメリカ国務省こくむしょうおよびその出先でさき機関きかんであるそう司令しれい政治せいじ顧問こもんは、「3がつ6にちあん」の内容ないよう事前じぜんらされていなかった。国務省こくむしょう草案そうあん批判ひはんてき検討けんとうし、起草きそう作業さぎょうにあたったアルフレッド・ハッシー中佐ちゅうさ反論はんろんしている(「憲法けんぽう改正かいせい草案そうあん要綱ようこう」にたいする国務省こくむしょう反応はんのう)。
  12. ^ 3がつ20日はつかには極東きょくとう委員いいんかいが、マッカーサーにたいし、憲法けんぽう草案そうあんたいする極東きょくとう委員いいんかい最終さいしゅう審査しんさけん留保りゅうほと、国民こくみんかんがえるための時間じかんあたえるためそう選挙せんきょ延期えんきすることなどを要求ようきゅうしている。これにたいして3月29にち、マッカーサーは、極東きょくとう委員いいんかいそう選挙せんきょ延期えんき要求ようきゅう拒否きょひする返電へんでんった。 さらに5月13にち極東きょくとう委員いいんかいは、3てんからなる「しん憲法けんぽう採択さいたくしょ原則げんそく」を決定けっていした。その原則げんそくとは、以下いかの3てん
    • (1) 審議しんぎのための充分じゅうぶん時間じかん機会きかいあたえられること
    • (2) 大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうとの法的ほうてき連続れんぞくせいをはかること
    • (3) 国民こくみん自由じゆう意思いし明確めいかくあらわ方法ほうほうによりしん憲法けんぽう採択さいたくすること
  13. ^ しょう委員いいんかい修正しゅうせいされた条項じょうこう憲法けんぽう9じょうだけではなく、現存げんそんする華族かぞくいちだいかぎって身分みぶん保障ほしょうさだめた97じょう削除さくじょとうおこなっている。小田部おたべ雄次ゆうじ華族かぞく』(中公新書ちゅうこうしんしょ

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

関連かんれん項目こうもく

憲法けんぽう制定せいてい過程かてい

用語ようご

事件じけん

全部ぜんぶまたは一部いちぶが、日本国にっぽんこく憲法けんぽう関係かんけいする事件じけん

制度せいど組織そしき

法律ほうりつ条約じょうやく

その

外部がいぶリンク