村田むらた修一しゅういち

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村田むらた 修一しゅういち
千葉ちばロッテマリーンズ 打撃だげきコーチ #71
巨人きょじん選手せんしゅ時代じだい
(2013ねん 横浜よこはまスタジアムにて)
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 福岡ふくおかけん糟屋かすやぐん篠栗ささぐりまち
生年月日せいねんがっぴ (1980-12-28) 1980ねん12月28にち(43さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
177 cm
92 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 三塁手さんるいしゅ一塁いちるいしゅ二塁手にるいしゅ[1]
プロ 2002ねん 自由じゆう獲得かくとくわく
はつ出場しゅつじょう NPB / 2003ねん3がつ28にち
BCL / 2018ねん4がつ7にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう NPB / 2017ねん10がつ1にち
BCL / 2018ねん9がつ9にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど
選手せんしゅれき
コーチれき
国際こくさい大会たいかい
代表だいひょうチーム 日本の旗日本にっぽん
五輪ごりん 2008ねん
WBC 2009ねん
獲得かくとくメダル
日本の旗 日本にっぽん
ワールド・ベースボール・クラシック
きむ 2009 野球やきゅう

村田むらた 修一しゅういち(むらた しゅういち、1980ねん12月28にち - )は、福岡ふくおかけん糟屋かすやぐん篠栗ささぐりまち出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ内野ないやしゅ)。みぎとうみぎ所属しょぞく事務所じむしょはライツ。現在げんざい千葉ちばロッテマリーンズ一軍いちぐん打撃だげきコーチをつとめている[2]

経歴けいれき[編集へんしゅう]

プロまえ[編集へんしゅう]

小学校しょうがっこう時代じだい軟式なんしき野球やきゅうチーム「いきおいもんベアーズ」に所属しょぞくし、中学校ちゅうがっこう時代じだい粕屋かすやまちボーイズリーグ粕屋かすやフェニックス」に所属しょぞく[3]中学ちゅうがく時代じだいからエースで3ばんか4ばんっていた[4]教師きょうしをしていたはは野球やきゅうだけでなく感性かんせいみがくことや勉強べんきょうをすることも重要じゅうようだとかんが[3][5]中学ちゅうがくまでピアノをならい、学校がっこう成績せいせきはオール5とならごと勉強べんきょうにも真剣しんけんんだ[6]高校こうこう野球やきゅうつよ勉強べんきょうができる環境かんきょうだとすすめられ、ひがし福岡ふくおか高等こうとう学校がっこう進学しんがくする[3]

ひがし福岡ふくおか高校こうこう時代じだい投手とうしゅとして3ねんはるなつ甲子園こうしえん出場しゅつじょうはるのセンバツでは横浜よこはま高校こうこう松坂まつさか大輔だいすけってさん回戦かいせん敗退はいたいなつ甲子園こうしえん古木ふるき克明かつあきようする豊田とよだ大谷おおや高校こうこうやぶれて初戦しょせん敗退はいたいだった[7]高校こうこう通算つうさん30本塁打ほんるいだ。また、だい3かいAAAアジア野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかいでは中村なかむらじゅんひきいる日本にっぽん代表だいひょうえらばれ、最優秀さいゆうしゅう防御ぼうぎょりつ(0.00)を記録きろく優勝ゆうしょう貢献こうけんした。

日本にっぽん大学だいがく[8]進学しんがく硬式こうしき野球やきゅう入部にゅうぶ。「投手とうしゅとしては松坂まつさかにはてない。打者だしゃ一番いちばんになろう」とかんが[9]野手のて転向てんこうした。高校こうこう時代じだいからプロのスカウトからも打者だしゃとしての評価ひょうかたかく、大学だいがく打撃だげき守備しゅびみがきプロを目指めざそうとかんがえていた[4]日大にちだい同期どうきには館山たてやま昌平しょうへい堤内つつみうちけん大野おおの隆治りゅうじがおり、とく大野おおのとは高校こうこう大学だいがくともに同僚どうりょうで、とく高校こうこう時代じだいバッテリーんでいた[10][ちゅう 1]大学だいがく時代じだいは3ねんあきに、井口いぐちじん青学大あおがくだい)とならぶ1シーズン8本塁打ほんるいだ記録きろくし、通算つうさん20本塁打ほんるいだ亜大あだい大橋おおはしみのるなら歴代れきだい2タイ)をはなつなどした。リーグ通算つうさん104試合しあい出場しゅつじょう、374打数だすう103安打あんだ打率だりつ.275、20本塁打ほんるいだ、70打点だてん、ベストナイン4かい

2002ねんドラフト会議かいぎにおいて横浜よこはまベイスターズ自由じゆう獲得かくとくわく入団にゅうだん[11]。なお、同期どうきには高校こうこう後輩こうはいである吉村よしむらひろしもとがいる。

横浜よこはま時代じだい[編集へんしゅう]

2003ねん開幕かいまくせんの3がつ28にち阪神はんしんタイガースたたかえ横浜よこはまスタジアム)で9かい古木ふるき克明かつあきわり三塁手さんるいしゅとして守備しゅびはいりプロはつ出場しゅつじょう[12]。4月1にち読売よみうりジャイアンツたたかえ東京とうきょうドーム)で7ばん二塁手にるいしゅとしてはつ先発せんぱつ出場しゅつじょうし、桑田くわた真澄ますみからはつ打席だせきはつ安打あんだ記録きろくすると[13]よく2にちには高橋たかはししょうなりからプロはつ本塁打ほんるいだ記録きろくした[12]本職ほんしょく三塁手さんるいしゅだったがおな守備しゅび位置いち古木ふるきがいたため、シーズン序盤じょばん二塁手にるいしゅ挑戦ちょうせんした[10]。6月までは古木ふるき三塁さんるい村田むらた二塁にるいまもったが、村田むらた打撃だげき不振ふしんにより7がつからぐん降格こうかくし、9月にさい昇格しょうかくすると月間げっかん10本塁打ほんるいだ新人しんじん最多さいた記録きろく)をはなつなど活躍かつやくせ、最終さいしゅうてきには三塁さんるいのポジションをうばった[4][10]。しかし、9月28にちヤクルトスワローズたたかえ明治めいじ神宮じんぐう野球やきゅうじょう)で、石堂いしどう克利かつとしからけた死球しきゅう右手みぎてじゃくこつ骨折こっせつしたため離脱りだつし、1ねんのシーズンは104試合しあい打率だりつ.224(330-74)、25本塁打ほんるいだ、56打点だてんという成績せいせきえた[12]

2004ねんに「5ばん三塁手さんるいしゅ」で開幕かいまくスタメンのつかむが、打撃だげき不振ふしんもあり種田たねたひとし三塁手さんるいしゅのレギュラーをうばわれる。ベンチにまわったのはこれが人生じんせいはじめてで、はなれたところから野球やきゅうたおかげで発見はっけんすることもおおかったという[4]。その石井いしい琢朗たくろう欠場けつじょう出場しゅつじょうすることがおおかった(このとき種田たねたひとし二塁手にるいしゅとして、二塁手にるいしゅのレギュラーであった内川うちかわ聖一せいいち遊撃手ゆうげきしゅとしてまわる)。オフの12月8にち入籍にゅうせきした。

2005ねん打撃だげき不振ふしんつづ[14]、5月28にち[15]たい千葉ちばロッテマリーンズ5回戦かいせん千葉ちばマリンスタジアムセ・パ交流こうりゅうせん)をむかえる[16]。この試合しあい指名しめい打者だしゃ採用さいようされる試合しあいで、村田むらた打順だじゅんを9ばん降格こうかくさせられ、当時とうじ牛島うしじま和彦かずひこ監督かんとくから「9ばんつぎなんばんかわかっているか?」とわれると「1ばんですか?」とこたえたが、牛島うしじまに「アホか、つぎはないんじゃ!」と一喝いっかつされた[14]。この試合しあいで、村田むらたは9かい薮田やぶた安彦やすひこから決勝けっしょう2てん本塁打ほんるいだち、ヒーローインタビューで「生死せいしけてちました」と発言はつげん[15]牛島うしじまに「ずっと9ばんいておこうかな」とわしめ、このエピソードは愛称あいしょうの「おとこ村田むらた」を象徴しょうちょうするものとしてられることとなった[14]

2006ねんのシーズン開幕かいまくまえにはだい1かいワールド・ベースボール・クラシック(WBC)エキシビション試合しあいで、12球団きゅうだん選抜せんばつ選手せんしゅとして出場しゅつじょう日本にっぽん代表だいひょうえらばれた松坂まつさかから決勝けっしょうてんとなる3てん本塁打ほんるいだ左翼さよくせきはなった。シーズンではこのとしの6がつから4ばんつようになり[4][17]故障こしょうしゃおおいチームのなか打率だりつ.266、34本塁打ほんるいだ、114打点だてん活躍かつやくせたが、りょうリーグ最多さいたの153三振さんしんきっした。オフに開催かいさいされた2006 日米にちべい野球やきゅうのNPB選抜せんばつ選出せんしゅつされ、だい4せんきょうセラドーム大阪おおさか)ではNPB選抜せんばつの4ばんすわって適時てきじはなち、だい5せんヤフードーム)ではジョン・ラッキーから本塁打ほんるいだはなった。

2007ねんぜん試合しあいに「4ばん三塁手さんるいしゅ」でスタメン出場しゅつじょう。2ねん連続れんぞくとなる30本塁打ほんるいだ・100打点だてん達成たっせいしたほか、打率だりつ出塁しゅつるいりつ前年ぜんねんより上昇じょうしょうし、三振さんしん減少げんしょうさせた。36本塁打ほんるいだで、はつ打撃だげきタイトルとなる本塁打ほんるいだおう獲得かくとくした。4にんが35ほんならんでいたなか単独たんどくでの本塁打ほんるいだおうめたのは、しくも10がつ6にち広島東洋ひろしまとうようカープたたかえ広島ひろしま市民しみん球場きゅうじょう)、引退いんたい試合しあいとして登板とうばんした佐々岡ささおか真司しんじからの1ほんであった。佐々岡ささおかが3ボール1ストライクの状態じょうたいとうじたたま見送みおくれば四球しきゅうとなるボールだまだったが、村田むらた試合しあいまえ広島ひろしまサイドからつたえられていた「佐々岡ささおか真剣しんけん勝負しょうぶをする。気持きもちよくフルスイングでおくしてほしい」「展開てんかい次第しだいではってもらってかまわない」という言葉ことばおも強振きょうしんした[18][19]同年どうねん12がつ開催かいさいされた、北京ぺきんオリンピックアジア予選よせんねたアジア野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかい日本にっぽん代表だいひょうとして出場しゅつじょう。このとき背番号せばんごう25新井あらい貴浩たかひろゆずり、生年せいねん昭和しょうわ55ねん)でもある55けて出場しゅつじょうした。

2008ねん前年ぜんねんつづ開幕かいまくから「4ばん三塁手さんるいしゅ」で出場しゅつじょう。7がつちゅうに30本塁打ほんるいだ到達とうたつした[ちゅう 2]前半ぜんはんせん終了しゅうりょう時点じてん本塁打ほんるいだすう長打ちょうだりつでトップにつなどの活躍かつやくにより、北京ぺきんオリンピック野球やきゅう日本にっぽん代表だいひょう選出せんしゅつされた。9月14にち、オリンピック招集しょうしゅうなどの影響えいきょうすう試合しあい欠場けつじょうするも、自身じしんはつの40本塁打ほんるいだ到達とうたつ最終さいしゅうてき本塁打ほんるいだすう球団きゅうだんしん記録きろくとなる46までばし、アレックス・ラミレス巨人きょじん)と1ほんで2ねん連続れんぞく本塁打ほんるいだおう獲得かくとくする[ちゅう 3]同時どうじに、自身じしんはつ打率だりつ3わり記録きろくした。吉村よしむら内川うちかわとともにみぎ打者だしゃのクリーンアップは低迷ていめいするチームのなかにあってチームの脅威きょういとされた[21]

横浜よこはま時代じだい(2009ねん

2009ねんからは横浜よこはまベイスターズの選手せんしゅ会長かいちょうつとめた。開幕かいまくまえの3がつ開催かいさいされただい2かいWBC日本にっぽん代表だいひょう選出せんしゅつされた。どう大会たいかいでははつ試合しあいたい中国ちゅうごくせんで2てん本塁打ほんるいだはなつ。その2にちおこなわれたたい韓国かんこくせんは「4ばん三塁手さんるいしゅ」で出場しゅつじょうし、金廣かねひろから2試合しあい連続れんぞくとなる3てん本塁打ほんるいだはなつ。その調子ちょうし安定あんていし、キューバせんでも打点だてんげるが、だい2ラウンドの韓国かんこくとの順位じゅんい決定けっていせん右足みぎあし太腿ふとももうら肉離にくばなれをこして退場たいじょう決勝けっしょうせんかうことができず、途中とちゅう帰国きこくとなった。打率だりつ.320、2本塁打ほんるいだ、7打点だてん成績せいせきで、日本にっぽん代表だいひょう連覇れんぱたすと、グラウンドでの全員ぜんいん記念きねん撮影さつえいのち内川うちかわ優勝ゆうしょうトロフィーに村田むらた背番号せばんごう25のユニホームをかぶせてげた。3月25にち成田空港なりたくうこうおこなわれた帰国きこく会見かいけんさい合流ごうりゅうはらたつとくからおくれてきんメダルを授与じゅよされる。

帰国きこく検査けんさ全治ぜんち6週間しゅうかん診断しんだんされ、同年どうねん開幕かいまくぐんむかえたが、4がつ15にちイースタン・リーグのロッテせんに「4ばん指名しめい打者だしゃ」で出場しゅつじょうだい1打席だせき本塁打ほんるいだはなち、その守備しゅびにもつき、4がつ21にち昇格しょうかくした。7月28にち阪神はんしんタイガースせん通算つうさん200本塁打ほんるいだ達成たっせい[ちゅう 4]からだけられる感覚かんかく苦手にがてなため、サイズにかなり余裕よゆうたせたダボダボのおおきなユニフォームをこのんで着用ちゃくようするが、5月13にち読売よみうりジャイアンツ巨人きょじんせん横浜よこはま)では、9かいうら本来ほんらいならからだたるたまではない内角ないかくだまがユニフォームをかすり、死球しきゅう判定はんていされてサヨナラちとなった。本人ほんにんいわく「ユニフォームをおおきめにつくっておいてよかった」。そのも4ばんとして活躍かつやくしていたが、8がつ7にち中日ちゅうにちドラゴンズたたかえ横浜よこはま)で走塁そうるいちゅう左足ひだりあし太腿ふとももうらいためて途中とちゅう交代こうたい翌日よくじつ降格こうかくした。検査けんさ全治ぜんち6-8週間しゅうかんひだり大腿だいたいとうすじ損傷そんしょう診断しんだんされたが、9月21にち阪神はんしんせんから復帰ふっきした。最終さいしゅうてき規定きてい打席だせきにはとどかなかったものの、25本塁打ほんるいだ記録きろくした。

2010ねん前年ぜんねん怪我けがまえて減量げんりょうしてシーズンにいどぜん試合しあいに4ばん出場しゅつじょうしたが、26本塁打ほんるいだわった。このとし国内こくないFAけん取得しゅとく動向どうこう注目ちゅうもくされたが、FAけん行使こうしせず残留ざんりゅう表明ひょうめい

2011ねん主将しゅしょう就任しゅうにんぜん144試合しあいに「4ばん三塁手さんるいしゅ」として出場しゅつじょうしたほか、このとしオールスターでは代走だいそうでも出場しゅつじょうした。シーズン最終さいしゅうせんで2ほん本塁打ほんるいだはなち、通算つうさん250本塁打ほんるいだと7ねん連続れんぞくとなる20本塁打ほんるいだ達成たっせいした。

巨人きょじん時代じだい[編集へんしゅう]

2012ねん3がつ24にち

2011ねん12月8にち三塁手さんるいしゅあなであった読売よみうりジャイアンツ巨人きょじん)への移籍いせき発表はっぴょう[22][23]、13にちには2ねん総額そうがく5おくえん推定すいてい)で契約けいやく[24][25]背番号せばんごう横浜よこはま時代じだいおな25[24][25]村田むらた巨人きょじん移籍いせき理由りゆうを「やっぱりちたいという目標もくひょうがありますし、来年らいねんから優勝ゆうしょうあらそいをしたいというかんがえをてきれなかった」と説明せつめいした[26]。また、10月18にち最終さいしゅうせん終了しゅうりょうに、愛車あいしゃ球場きゅうじょうのちにするさいにファンからなまたまごげつけられ、その事件じけん横浜よこはまはなれる一因いちいんになったともかたっていた[27]

2012ねん5月1にちだい76だい4ばん打者だしゃく。同年どうねん8がつ30にち中日ちゅうにちドラゴンズせん自身じしん5ねんぶりの盗塁とうるいめた。ただ同年どうねんは、打撃だげき不振ふしんから9がつ7にちのヤクルトせんでは2かい途中とちゅう交代こうたいし、監督かんとくはらたつとくから「強制きょうせい帰宅きたく命令めいれい」がされた[14](この出典しゅってんは「強制きょうせい帰宅きたく命令めいれい」のみ)。最終さいしゅうてきぜん試合しあい出場しゅつじょうたしたものの、打率だりつ.252、12本塁打ほんるいだ、58打点だてん、OPS.690、得点とくてんけんでも打率だりつ.230となった。また、自身じしん2度目どめベストナイン獲得かくとくした。オフの12月4にち発表はっぴょうされた、だい3かいWBC日本にっぽん代表だいひょう候補こうほ選手せんしゅ34にんなかえらばれた[28][29][30]。しかし、2013ねん2がつ20日はつかには、WBCの最終さいしゅうメンバーの28にん選出せんしゅつされなかったことが発表はっぴょうされた[31]。このあいだ契約けいやく更改こうかいでは、現状げんじょう維持いじ推定すいてい年俸ねんぽう2おく2000まんえん更改こうかい[32]

2013ねんシーズン序盤じょばん前年ぜんねんつづ打撃だげき不振ふしんくるしんだ。交流こうりゅう戦中せんちゅうの6がつ12にちオリックス・バファローズたたかえきょうセラドーム大阪おおさか)では8ねんぶりに9ばん打者だしゃとして出場しゅつじょうした。このときは、グリップの位置いちかたまでげるように打撃だげきフォームを改造かいぞうしたことがこうそうし、7がつ自身じしんはつ月間げっかん打率だりつ4わりなどの成績せいせきで、2008ねん7がつ以来いらい5ねんぶり、巨人きょじん移籍いせき以降いこうでははつ月間げっかんMVPを獲得かくとく[33]。8月30にちたい中日ちゅうにちせん東京とうきょうドーム)で当時とうじセ・リーグタイ記録たいきろく月間げっかん45安打あんだ[34]よく31にちどうカードでしん記録きろく月間げっかん46安打あんだ[35]記録きろく[ちゅう 5]した。これで、2かげつ連続れんぞく月間げっかんMVPを獲得かくとくした[36]。シーズン終盤しゅうばんまであらそった最多さいた安打あんだのタイトルこそのがしたが、自己じこ最多さいたの164安打あんだ記録きろくし、3ねんぶりの25本塁打ほんるいだ、5ねんぶり2度目どめ打率だりつ3わり達成たっせいした。また、前年ぜんねんつづベストナイン獲得かくとくした。日本にっぽんシリーズ終了しゅうりょう秋季しゅうき練習れんしゅうでは監督かんとくはらたつとくから「きではないが、おれおさむ修一しゅういち)に(選手せんしゅ会長かいちょうを)たくそうとおもっている。」と4年間ねんかんつとめた内海うつみ哲也てつやのち選手せんしゅ会長かいちょう任命にんめいされ、だい18だい選手せんしゅ会長かいちょう就任しゅうにんした[37]初代しょだい選手せんしゅ会長かいちょうである長嶋ながしま茂雄しげお以降いこうつねきの選手せんしゅつとめてきたが、投手とうしゅ野手やしゅ関係かんけいなく後輩こうはい食事しょくじれてくなどチームメイトの信頼しんらいあつく、リーダーシップを発揮はっきしていたことが抜擢ばってきにつながった。契約けいやく更改こうかいではあらたに3ねん総額そうがく10おくえん出来高できだかばらいをふくむ)で契約けいやくむすんだ[38]。また、自身じしんはじめて三塁手さんるいしゅ部門ぶもんゴールデングラブしょう受賞じゅしょうした。

2014ねんは7がつ5にちまでに11本塁打ほんるいだはなち、通算つうさん300本塁打ほんるいだまであと1ほんとしていたが、3試合しあい連続れんぞく安打あんだなど成績せいせき不振ふしんから7がつ27にちたい中日ちゅうにちせん(ナゴヤドーム)で巨人きょじん移籍いせき以降いこうでははじめて欠場けつじょうし、現役げんえき選手せんしゅでは2としていた横浜よこはま時代じだいの2009ねん9がつ20日はつかからの連続れんぞく試合しあい出場しゅつじょう記録きろくが676でストップした[39]。8月1にちたい広島ひろしません東京とうきょうドーム)で通算つうさん300本塁打ほんるいだ達成たっせいした[40]打撃だげきめんは、りょうリーグワーストの22併殺へいさつきっするなどした1ねんであった。同年どうねんオフの10がつ21にちに、「日本にっぽんプロ野球やきゅう80周年しゅうねん記念きねん試合しあい」の阪神はんしん巨人きょじん連合れんごうチームに選出せんしゅつされたことが発表はっぴょうされた[41][42]同年どうねん11がつ6にち、2ねん連続れんぞくとなる三塁手さんるいしゅ部門ぶもんでゴールデングラブしょう受賞じゅしょうした[43]。3ねん契約けいやくの1ねんえ、現状げんじょう維持いじ推定すいてい年俸ねんぽう3おくえん契約けいやく更改こうかいした[44]

2015ねん開幕かいまくから調子ちょうしがらず、とく得点とくてんけん打率だりつは1わりだい低迷ていめいした。5月20にちみぎ太腿ふとももとう筋肉きんにくばな[45]、9月にもみぎひじ関節かんせつえんで2登録とうろく抹消まっしょう経験けいけんするなどくるしいシーズンとなり、移籍いせきはじめて規定きてい打席だせきにも到達とうたつできず、本塁打ほんるいだすうはプロ最低さいてい打点だてんもプロ2番目ばんめひく数字すうじとなった。3ねん契約けいやくの2ねんえ、現状げんじょう維持いじ推定すいてい年俸ねんぽう3おくえん契約けいやく更改こうかいした[46]

2016ねん開幕かいまくまえに「本塁打ほんるいだてる」と宣言せんげんし、本塁打ほんるいだすうよりも打率だりつ3わり目標もくひょうのぞんだ。オープンせんでは2ねん岡本おかもとかずしんとの三塁手さんるいしゅあらそいからはじまり、岡本おかもと積極せっきょくてき起用きようもあり代打だいだでの出場しゅつじょうおおかったが、岡本おかもと結果けっかのこせなかったことにより開幕かいまくせんに7ばん三塁手さんるいしゅ出場しゅつじょうした。そのもスタメンで出場しゅつじょうつづけ、6月15にち東北とうほく楽天らくてんゴールデンイーグルスせんでは9かい青山あおやま浩二こうじからサヨナラ安打あんだはなった。9月27にちたい中日ちゅうにちせんで10かい田島たじま慎二しんじからった24ごう満塁まんるい本塁打ほんるいだは、3試合しあい連続れんぞく本塁打ほんるいだとなり、2008ねん横浜よこはま時代じだい以来いらいおよそ8ねんぶり、巨人きょじん移籍いせきはつのサヨナラ本塁打ほんるいだとなった[47]最終さいしゅうてきぜん試合しあい出場しゅつじょう打率だりつ3わりだい(ともに3ねんぶり)、25本塁打ほんるいだ81打点だてんはともにチームトップと打棒だぼう復活ふっかつしたシーズンになった。また、2ねんぶり3度目どめのゴールデングラブしょう獲得かくとく、3ねんぶり4度目どめのベストナインにも選出せんしゅつされた。3ねん契約けいやくの3ねんえ、8000まんえんげんとなる推定すいてい年俸ねんぽう2おく2000まんえん契約けいやく更改こうかいした[48]

2017ねん開幕かいまく当初とうしょしん加入かにゅうケーシー・マギー三塁手さんるいしゅとして先発せんぱつ起用きようされるようになり代打だいだでの起用きよう中心ちゅうしんとなっていたが、指名しめい打者だしゃ制度せいどによってスタメン機会きかい交流こうりゅうせん初戦しょせん5がつ30にちに2安打あんだスタート、6月1にちから3試合しあい連続れんぞく本塁打ほんるいだはなった。球団きゅうだんワースト13連敗れんぱいきっするほど低迷ていめいしていたチームが、7がつあたりから打線だせんテコ入てこいれとしてマギーの二塁手にるいしゅへのコンバートを断行だんこうしたため、ふたた村田むらた三塁手さんるいしゅとして先発せんぱつ起用きようされるようになり[22]規定きてい打席だせきには到達とうたつできなかったものの最終さいしゅうてき打率だりつ.262、14本塁打ほんるいだ、58打点だてん記録きろくした。最終さいしゅうてき自身じしん2度目どめとなるFAけん取得しゅとくしたが、オフの10がつ13にち戦力せんりょくがい通告つうこくけた[49]巨人きょじんGMの鹿取かとり義隆よしたかは「チームの若返わかがえりをはかるために苦渋くじゅう決断けつだんをした」「FA移籍いせきでは補償ほしょう発生はっせいする。自由じゆう契約けいやくほう選択肢せんたくしひろがる。これだけ貢献こうけんしてくれた選手せんしゅたいするせめてもの誠意せいい」と説明せつめいし、村田むらた納得なっとくした[50][51]日本にっぽん大学だいがく後輩こうはいである長野ながの久義ひさよし一報いっぽうけてなみだながしたという[22]。12月2にちづけで、自由じゆう契約けいやく選手せんしゅとして公示こうじされた[52]。しかし、鹿取かとりらのおもいとは裏腹うらはらに、所属しょぞくまらない状況じょうきょうつづいていた。

独立どくりつリーグ・栃木とちぎ時代じだい[編集へんしゅう]

2018ねん1がつには、NPBにこだわらず国内こくない独立どくりつリーグでのプレーも視野しやれているとほうじられた[53]四国しこくアイランドリーグplus香川かがわオリーブガイナーズ監督かんとくつとめていた西田にしだ真二しんじは、これにおうじて村田むらたにオファーをしたが、えんはなかったとウェブ連載れんさいコラムでしるしている[54]

3月5にちルートインBCリーグ栃木とちぎゴールデンブレーブス入団にゅうだん決定けっていした[55]背番号せばんごうはNPB所属しょぞく時代じだいわらず25つづ着用ちゃくようする。7がつまつまでのNPB復帰ふっき目指めざ方針ほうしんであるとほうじられた[56]栃木とちぎ球団きゅうだんえらんだ理由りゆうは、栃木とちぎけんつま地元じもとであり、大学だいがく時代じだい恩師おんしである鈴木すずき博識はくしき出身しゅっしんということで、自分じぶんえんのある場所ばしょであったからとかしている[57][58][59]

公式こうしきせんには4がつ7にち開幕かいまくせんから出場しゅつじょうするも[60]右足みぎあしふとももうら負傷ふしょうし4がつ中旬ちゅうじゅんからやく2週間しゅうかん欠場けつじょうした[61][62]。5月11にちから13にちおこなわれた、古巣ふるすきょじん三軍さんぐんとの交流こうりゅうせんでは「おとこ村田むらたまつり」と銘打めいう特別とくべつ企画きかく開催かいさいされたほか[61][63]、5月12にち試合しあいでは移籍いせきだい1ごうとなる逆転ぎゃくてん本塁打ほんるいだはな勝利しょうり貢献こうけんした[64][65][66]。ケガから回復かいふくは、リーグの6がつ月間げっかんMVP野手やしゅ部門ぶもん受賞じゅしょう[67]するなど好調こうちょう維持いじしていたが、NPBの契約けいやく期限きげんである7がつ31にちまでにNPB球団きゅうだんからのこえはかからなかった。8月1にち記者きしゃ会見かいけんひらき、けじめとして同年どうねんいっぱいはブレーブスでプレイするとし、翌年よくねん現役げんえき続行ぞっこうについては「むずかしい」としつつも、シーズン途中とちゅううことで「その文字もじ引退いんたい)はいたくない」と明言めいげんしなかった[68]

9月9にち、シーズン最終さいしゅうせんである群馬ぐんまダイヤモンドペガサスせん終了しゅうりょうのセレモニーで、正式せいしき現役げんえき引退いんたい発表はっぴょう[69]、「しんからBCリーグにて1年間ねんかん野球やきゅうができてよかったとおもっています。今日きょうをもってわたし現役げんえき引退いんたいします」と挨拶あいさつ[70]横浜よこはま時代じだい監督かんとく大矢おおや明彦あきひこ花束はなたば贈呈ぞうていとともにねぎらいの言葉ことばおくられると村田むらたなみだせていた[71]。このとし、リーグベストナイン(三塁手さんるいしゅ)に選出せんしゅつされた[72]

9月28にちにはNPB時代じだい古巣ふるす巨人きょじんたいDeNAせん東京とうきょうドーム)の試合しあいまえ引退いんたいセレモニーがおこなわれた。自身じしん背番号せばんごう25」をいだDeNAのつつよしみさとし巨人きょじん岡本おかもとかずしんから花束はなたばおくられ、りょうチームのファンや関係かんけいしゃ感謝かんしゃ言葉ことばべた。試合しあいには場内じょうない一周いっしゅうし、巨人きょじん時代じだい横浜よこはま時代じだい応援おうえんひびいた。最後さいご自身じしんながらくまもっていた三塁さんるいベース付近ふきんりょうチームの選手せんしゅ胴上どうあげされ、5ちゅうった[73]

引退いんたい[編集へんしゅう]

コーチ時代じだい[編集へんしゅう]

2018ねん11月7にち2019ねんから巨人きょじんのファーム打撃だげきコーチをつとめることが発表はっぴょうされた[74]背番号せばんごう75。その1がつ19にち内野ないや守備しゅびコーチを兼務けんむし、ファーム打撃だげきけん内野ないや守備しゅびコーチと役職やくしょく変更へんこうされ[75]、さらに10がつ16にちには、鈴木すずきなおひろ一軍いちぐん外野がいや守備しゅび走塁そうるいコーチが一身上いっしんじょう都合つごうにより同日どうじつづけ退団たいだんした影響えいきょうで、一軍いちぐん打撃だげきコーチに配置はいち転換てんかんとなった[76]

2020ねんぐん野手やしゅ総合そうごうコーチを担当たんとう[77]。9月16にちから10がつ1にちまでは、元木もとき大介だいすけ一軍いちぐんヘッドコーチが虫垂炎ちゅうすいえんのため緊急きんきゅう入院にゅういんした影響えいきょうで、阿部あべまことこれすけぐん監督かんとく一軍いちぐんヘッドコーチ代行だいこうになったことにより、ぐん監督かんとく代行だいこうつとめた[78][79]

その2021ねんは、一軍いちぐん野手やしゅ総合そうごうコーチを[80]2022ねん一軍いちぐん打撃だげきけん内野ないや守備しゅびコーチをつと[81]同年どうねん10がつ6にち退任たいにん発表はっぴょうされた[82]

11月24にち2023ねんから千葉ちばロッテマリーンズ一軍いちぐん打撃だげきコーチをつとめることが発表はっぴょうされた[2]背番号せばんごう71[83]

選手せんしゅとしての特徴とくちょう[編集へんしゅう]

村田むらた修一しゅういち打撃だげきフォーム(2011ねん 横浜よこはま

広角こうかくほう心得こころえており、みぎ方向ほうこうにも本塁打ほんるいだはな技術ぎじゅつがある[84]。2011ねん本塁打ほんるいだの35パーセントをみぎ方向ほうこうはなった[85]

かまえのさいはあまりあたまうごかさないことを大事だいじにしている[86]

三塁さんるい守備しゅびたくみなグラブさばきや体型たいけい見合みあわぬ軽快けいかいなフットワーク、安定あんていした送球そうきゅう定評ていひょうがあり、名手めいしゅともしょうされる[87][88]巨人きょじん所属しょぞく時代じだい当時とうじ監督かんとくだったはら高橋たかはしゆかりしんりょうからも信頼しんらいされており[87][89]ゴールデングラブしょうを3獲得かくとくした。しかし、巨人きょじん所属しょぞく時代じだい晩年ばんねんの4年間ねんかんセイバーメトリクス指標しひょうUZRじょうではマイナス評価ひょうかしめしている[88]

上原うえはらひろし公式こうしきYouTubeチャンネルに2021ねん7がつ公開こうかいされた動画どうが森本もりもとまれあきらは、松坂まつさか世代せだいなか一番いちばんつよ三塁手さんるいしゅとしてかれげ、「守備しゅびもうまく、ホームランバッターでありながらチームバッティングもできる」とひょうした[90]

横浜よこはま担当たんとうスカウトだった中塚なかつか政幸まさゆき村田むらたについて、もともと打撃だげきあらさはあったが、かんがえる能力のうりょく非常ひじょうたか軌道きどう修正しゅうせい選手せんしゅだったとかたっている[91]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

愛称あいしょうは「おとこ村田むらた[92]、「シュウ[93]など。

おとこ村田むらた」という愛称あいしょうのように、グラウンドでは堂々どうどうとした居振いふいをせる選手せんしゅだったが、野球やきゅうたいしては生真面目きまじめ繊細せんさいいちめんもあった[94][95]強面こわおもてから近寄ちかよりがたいイメージをたれることもあるが、面倒めんどうしたわれる人柄ひとがらでもある[96]。その姿勢しせいはBCリーグにってからもわらなかった[97]

松坂まつさか世代せだいばれた野球やきゅう選手せんしゅ一人ひとりであり、前述ぜんじゅつのとおり高校こうこう投手とうしゅあきら大学だいがくから野手やしゅ転向てんこうしたのも高校こうこう時代じだい松坂まつさか大輔だいすけったことがきっかけで[98]。プロにはいってからも「投手とうしゅ大輔だいすけ野手やしゅ村田むらたわれるようになりたい」と奮起ふんきしてきた[98]。また、だい3かいAAAアジア野球やきゅう選手権せんしゅけん大会たいかい日本にっぽん代表だいひょうころからの親友しんゆう杉内すぎうち俊哉としや[99]高校こうこう時代じだいからなん対戦たいせんした實松さねまつ一成いっせい[100]大学だいがく時代じだいりょうではどう部屋へやごし苦楽くらくともにした館山たてやま昌平しょうへいなど、おおくの松坂まつさか世代せだいばれる選手せんしゅたちとふかきずなきずいてきた[101]

2017ねんオフに巨人きょじん戦力せんりょくがいになり村田むらた獲得かくとくする球団きゅうだんあらわれなかったことから、親分おやぶんはだ村田むらたのイメージがひとあるきし世間せけんでは「素行そこう不良ふりょう」などと悪評あくひょうながされることもあった[102]当時とうじ村田むらた移籍いせきさきとしてヤクルトが有力ゆうりょくされていたが、ヤクルトで当時とうじ監督かんとくだった小川おがわ淳司あつしは「村田むらたがいると、つい使つかいたくなってしまう。しかし、それでは若手わかてそだたない」と若手わかて育成いくせい方針ほうしんから村田むらた獲得かくとく見送みおくった[103]村田むらた引退いんたいするさい野球やきゅう解説かいせつしゃ伊原いはら春樹はるき巨人きょじん球団きゅうだん編成へんせい本部ほんぶシニアアドバイザーをつとめていたとして「野球やきゅうける情熱じょうねつもあり、ほかの球団きゅうだん獲得かくとくしても絶対ぜったいにマイナスになることはなく、若手わかて選手せんしゅ手本てほんにもなるとおもっていただけに、余力よりょくのこしながらの引退いんたい非常ひじょう残念ざんねんだ」としみつつ人物じんぶつひょうかた内容ないよう野球やきゅう雑誌ざっしのこしていた[104]

村田むらた引退いんたい試合しあいでは、おな松坂まつさか世代せだいもとチームメイトの矢野やの謙次けんじ實松さねまつ一成いっせいから「いろいろなことをわれて、つらく、そしてくやしかったとおもいます。でもそんなおとこもとチームメイトから、これだけの賛同さんどう絶対ぜったいあつまりません。これがおれたちの気持きもちです」というメッセージがおくられ、矢野やの實松さねまつ発起ほっきひととなりきょじん総勢そうぜい28めい選手せんしゅたちからもメッセージとフラワーボードがとどけられた[105]引退いんたい試合しあいけた横浜よこはま時代じだい監督かんとく大矢おおや明彦あきひこは「そもそも4ばんなんてつよくないとつとまらない。だれなにっているからないが、おれはずっと村田むらたきだったね。生意気なまいきなぐらいでいいんだよ。事実じじつ、あいつはチームをささえてくれた。大黒柱だいこくばしらだったよ」とひれがついてひろまった世間せけんうわさ一蹴いっしゅうし、村田むらたねぎらった[71]。また、若手わかて時代じだいから村田むらた打撃だげき指導しどうをしてきた田代たしろ富雄とみおは「わかころから無駄口むだぐちをたたかずに黙々もくもく野球やきゅうをしていた。弱音よわねかずにいつも前向まえむきにプレーしていたし、そういう姿勢しせいまわりがていた。」とわらず真面目まじめ野球やきゅうんだその姿勢しせいとなえた[106]

背番号せばんごう『25』[編集へんしゅう]

大学だいがく時代じだいからプロを栃木とちぎゴールデンブレーブスで引退いんたいするまで背番号せばんごうはずっと「25」をけた[107][108]日大にちだい同期どうきだった館山たてやま昌平しょうへいは、プロりするさい村田むらた横浜よこはまでも25をけることをり、館山たてやまにとって日大にちだい時代じだいから村田むらた特別とくべつ存在そんざいだったこともあり、館山たてやまもヤクルトに入団にゅうだんするさいには背番号せばんごう25をえらんだ[108]。また、高校こうこう時代じだいにバッテリーをみ、大学だいがくでもともにプレーした大野おおの隆治りゅうじ入団にゅうだんしたダイエーでは背番号せばんごう25をけ、日大にちだい同期どうき3にんがプロ野球やきゅうそろって背番号せばんごう25をけていた[109]村田むらた横浜よこはまから巨人きょじん移籍いせきした2012ねんからは、横浜よこはまでは村田むらたのことをしたつつよしみさとし背番号せばんごうを8から25に変更へんこう[110]巨人きょじん退団たいだんしてからはおさなころから村田むらたあこがした岡本おかもとかずしんいだ[111]。その2人ふたり活躍かつやく村田むらたよろこび、「選手せんしゅけるときには、『今度こんどはおまえ番号ばんごうになるように頑張がんばれ』とわたしてしいとおもいますね」とかたっていた[112]

応援おうえん[編集へんしゅう]

横浜よこはまベイスターズ時代じだい村田むらた個人こじん応援おうえんとして使用しようされた「きたえたそのパワー」のうたしではじまるうた[113]は、2021ねん横浜よこはま後身こうしん球団きゅうだんである横浜よこはまDeNAベイスターズ入団にゅうだんしたまきしげるさとる個人こじん応援おうえんとして使用しようされている[113][114][115][116]。なお、この応援おうえん球団きゅうだんめいが「横浜よこはま大洋たいようホエールズ」だった1989ねんに「たにしげる元信もとのぶ選手せんしゅのテーマ」(作詞さくしひらタケル、作曲さっきょく杉本すぎもと正毅まさき編曲へんきょく除村よけむら正人まさと[117]として制作せいさくされたものである。また、新人しんじんねんの2003ねん発売はつばいされた球団きゅうだん公式こうしき応援おうえんCDには、そのきょくとはべつ応援おうえんが「村田むらた修一しゅういちのテーマ」として収録しゅうろくされている[118]

慈善じぜん活動かつどう[編集へんしゅう]

長男ちょうなん早産そうざんによる未熟みじゅくNICU(新生児しんせいじ集中しゅうちゅう医療いりょうしつ入院にゅういんした経験けいけんから、横浜よこはま在籍ざいせきの2008ねん新生児しんせいじ医療いりょう支援しえん開始かいし。NICUを病院びょういんへの寄付きふきん贈呈ぞうていや、入院にゅういんちゅう子供こどもたちを慰問いもんしたり球場きゅうじょう招待しょうたいするなど新生児しんせいじ医療いりょう支援しえんつづけてきた[119]

2013ねんまでは、1打点だてんにつき1まんえんててきたが、翌年よくねんからは1安打あんだで1まんえんてるとのこと[120]。2014ねんオフには成績せいせきとはべつやく200まん寄付きふしている[121]

村田むらた引退いんたい試合しあい[編集へんしゅう]

選手せんしゅ引退いんたい試合しあい活躍かつやくすることがおおく、「ミスター引退いんたい試合しあい[19]引退いんたい試合しあいクラッシャー[9]などとばれプロ野球やきゅうファン以外いがいからも人気にんきがある。

前述ぜんじゅつとお佐々岡ささおか引退いんたい試合しあい佐々岡ささおかから本塁打ほんるいだはなったほか、矢野やの燿大引退いんたい試合しあいでは、9かい二死にし時点じてん阪神はんしんがリードしている場合ばあいのみ矢野やの出場しゅつじょうすることになっていたが、9かい逆転ぎゃくてん3てん本塁打ほんるいだはな引退いんたいする矢野やの出場しゅつじょうさせなかった。このさいサンテレビ実況じっきょう担当たんとうした湯浅ゆあさ明彦あきひこが「くな!くな!えるな!」と絶叫ぜっきょう、インターネットじょう話題わだいとなる。引退いんたいフジテレビ系列けいれつの『ジャンクSPORTS』に出演しゅつえんしたさい前述ぜんじゅつ実況じっきょうともにこのシーンをかえり、「三振さんしんするつもりでかるったら(ボールが)たってはいってしまった」「リラックスしすぎて理想りそうてきなスイングになってしまっている」「くなくなヤバイとおもいながら(グラウンドを)はしっていた」とかたった[122]矢野やの試合しあい終了しゅうりょう引退いんたいセレモニーのみをおこない、村田むらた横浜よこはま選手せんしゅ会長かいちょうとして矢野やの花束はなたばわたした。

このほかヤクルトの真中まなかみつる度会わたらい博文ひろぶみ小野おのこうまこと河端かわばたりゅう引退いんたい試合しあいで7かい同点どうてん3てん本塁打ほんるいだはなち、中日ちゅうにちえいさとし現役げんえき最終さいしゅう試合しあいでも4打数だすう3安打あんだ1本塁打ほんるいだ活躍かつやくでチームの勝利しょうり日本にっぽんシリーズ進出しんしゅつ貢献こうけんしている。

一方いっぽう鈴木すずきけん引退いんたい試合しあいでは鈴木すずきったファウルフライをえて見逃みのがし、ヒットをお膳立ぜんだてする配慮はいりょせている(この試合しあいでも9かい本塁打ほんるいだはなった)。背景はいけいには村田むらた熾烈しれつ本塁打ほんるいだおう競争きょうそうひろげていることがあり[122]実際じっさい佐々岡ささおか引退いんたい試合しあいでの本塁打ほんるいだ・ヤクルト4選手せんしゅ引退いんたい試合しあいでの本塁打ほんるいだ村田むらたの(単独たんどくでの)本塁打ほんるいだおう確定かくていさせる一打いちだとなっている。

そののエピソード[編集へんしゅう]

横浜よこはま時代じだいの2008ねん、チームの先輩せんぱいである三浦みうら大輔だいすけとともに『ジャンクSPORTS』(2008ねん11月23にち放送ほうそうかい)に出演しゅつえんしたさい野球やきゅうゲームないでの自分じぶんのキャラクターの守備しゅび能力のうりょくがあまりにもひくく、そのことでゲームのプレーちゅう憤慨ふんがいした後輩こうはい吉村よしむらひろしもとから(自分じぶんのキャラを)「うごけデブ!」と罵倒ばとうされ、ショックをけたむねべている[9]

詳細しょうさい情報じょうほう[編集へんしゅう]

年度ねんどべつ打撃だげき成績せいせき[編集へんしゅう]

とし

たま

だん
ためし

ごう


せき


かず
とく

てん
やす


るい
さん
るい
ほん
るい
るい



てん
ぬすめ

るい
ぬすめ
るい




よん

たま
けい

とお


たま
さん


ころせ


りつ

るい
りつ
なが

りつ
O
P
S
2003 横浜よこはま 104 373 330 48 74 11 0 25 160 56 3 3 3 2 26 0 12 111 6 .224 .303 .485 .788
2004 116 369 326 43 79 17 0 15 141 38 2 3 0 2 30 1 11 84 10 .242 .325 .433 .758
2005 136 539 477 60 120 32 2 24 228 82 1 1 3 4 44 6 11 124 15 .252 .326 .478 .804
2006 145 611 545 83 145 30 3 34 283 114 1 0 4 10 39 0 13 153 11 .266 .325 .519 .844
2007 144 615 526 94 151 30 1 36 291 101 1 1 0 9 65 7 15 117 14 .287 .376 .553 .929
2008 132 554 489 89 158 25 2 46 325 114 0 1 0 3 55 2 7 113 10 .323 .397 .665 1.062
2009 93 369 343 45 94 16 1 25 187 69 0 1 0 0 21 2 5 80 7 .274 .325 .545 .870
2010 144 617 565 75 145 30 0 26 253 88 0 0 0 3 45 3 4 124 19 .257 .314 .448 .762
2011 144 592 530 65 134 28 1 20 224 70 0 0 0 6 44 4 12 103 19 .253 .321 .423 .744
2012 巨人きょじん 144 575 516 49 130 27 0 12 193 58 1 3 2 6 36 3 15 85 16 .252 .316 .374 .690
2013 144 595 519 76 164 26 0 25 265 87 1 1 6 7 50 1 13 74 11 .316 .385 .511 .896
2014 143 575 519 49 133 17 0 21 213 68 2 2 0 4 39 1 13 83 22 .256 .322 .410 .732
2015 103 370 330 33 78 9 0 12 123 39 1 1 2 2 28 2 8 65 12 .236 .310 .373 .683
2016 143 576 529 58 160 32 0 25 267 81 1 3 2 2 38 0 5 83 21 .302 .354 .505 .859
2017 118 424 381 41 100 19 0 14 161 58 0 0 1 2 34 0 6 63 15 .262 .331 .423 .754
通算つうさん:15ねん 1953 7754 6925 908 1865 349 10 360 3314 1123 14 20 23 62 594 32 150 1462 208 .269 .337 .479 .816
  • かく年度ねんど太字ふとじはリーグ最高さいこう

WBCでの打撃だげき成績せいせき[編集へんしゅう]

とし

だい

ひょう
ためし

ごう


せき


かず
とく

てん
やす


るい
さん
るい
ほん
るい
るい



てん
ぬすめ

るい
ぬすめ
るい




よん

たま
けい

とお


たま
さん


ころせ


りつ

るい
りつ
なが

りつ
2009 日本にっぽん 7 29 25 4 8 0 0 2 14 7 0 0 0 1 1 0 2 6 0 .320 .379 .560

年度ねんどべつ守備しゅび成績せいせき[編集へんしゅう]

とし
たま
だん
一塁いちるい 二塁にるい 三塁さんるい
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
ためし

ごう
とげ

ころせ


ころせ
しつ

さく


ころせ
もり

りつ
2003 横浜よこはま - 65 129 191 8 41 .976 41 24 46 6 0 .921
2004 1 1 0 0 0 1.000 - 90 50 148 11 11 .947
2005 - - 136 83 245 15 20 .956
2006 - - 145 94 251 15 16 .958
2007 - - 144 80 249 18 10 .948
2008 - - 132 88 267 16 27 .957
2009 - - 92 52 141 10 11 .951
2010 - - 143 85 229 10 11 .969
2011 - - 144 95 248 13 17 .963
2012 巨人きょじん - - 139 87 252 13 15 .963
2013 - - 144 88 234 11 19 .967
2014 1 2 0 0 0 1.000 - 141 73 229 9 21 .971
2015 10 36 1 0 1 1.000 - 97 57 174 13 10 .947
2016 21 44 4 0 3 1.000 - 143 70 241 15 22 .954
2017 30 224 16 1 20 .996 - 71 63 114 6 13 .967
通算つうさん 62 306 21 1 24 .996 65 129 191 8 41 .976 1712 1015 2814 164 222 .958

タイトル[編集へんしゅう]

NPB

表彰ひょうしょう[編集へんしゅう]

NPB

記録きろく[編集へんしゅう]

NPB[編集へんしゅう]

はつ記録きろく
節目ふしめ記録きろく
  • 100本塁打ほんるいだ:2007ねん4がつ10日とおかたい東京とうきょうヤクルトスワローズ1回戦かいせん横浜よこはまスタジアム)、5かいうら石川いしかわまさただしからひだりえつ逆転ぎゃくてん決勝けっしょう3ラン ※史上しじょう248にん
  • 150本塁打ほんるいだ:2008ねん6がつ9にちたい北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ4回戦かいせん横浜よこはまスタジアム)、5かいうらライアン・グリンからみぎこし2ラン ※史上しじょう147にん
  • 200本塁打ほんるいだ:2009ねん7がつ28にちたい阪神はんしんタイガース13回戦かいせん阪神はんしん甲子園こうしえん球場きゅうじょう)、1かいひょう安藤あんどうゆうからひだりえつ先制せんせい3ラン ※史上しじょう93にん
  • 1000試合しあい出場しゅつじょう:2010ねん9がつ19にちたい広島東洋ひろしまとうようカープ22回戦かいせん横浜よこはまスタジアム)、4ばん三塁手さんるいしゅ先発せんぱつ出場しゅつじょう史上しじょう437にん
  • 1000安打あんだ:2011ねん5がつ18にちたい埼玉さいたま西武せいぶライオンズ2回戦かいせん西武せいぶドーム)、6かいひょう石井いしい一久かずひさから左前ひだりまえ二塁打にるいだ史上しじょう264にん
  • 1000三振さんしん:2011ねん9がつ29にちたい読売よみうりジャイアンツ20回戦かいせん横浜よこはまスタジアム)、4かいうら小野おのあつしたいらまえ空振からぶ三振さんしん史上しじょう52にん
  • 250本塁打ほんるいだ:2011ねん10がつ22にちたい読売よみうりジャイアンツ24回戦かいせん東京とうきょうドーム)、2かいひょう澤村さわむらたくいちからみぎえつ先制せんせいソロ ※史上しじょう57にん
  • 100死球しきゅう:2012ねん8がつ17にちたい広島東洋ひろしまとうようカープ16回戦かいせん東京とうきょうドーム)、8かいうら梅津うめづ智弘ともひろから ※史上しじょう20にん
  • 1500試合しあい出場しゅつじょう:2014ねん6がつ3にちたい福岡ふくおかソフトバンクホークス1回戦かいせん福岡ふくおか ヤフオク!ドーム)、6ばん三塁手さんるいしゅ先発せんぱつ出場しゅつじょう史上しじょう182にん
  • 300本塁打ほんるいだ:2014ねん8がつ1にちたい広島東洋ひろしまとうようカープ12回戦かいせん東京とうきょうドーム)、5かいうら前田まえだ健太けんたから中越なかごえソロ ※史上しじょう40にん
  • 1500安打あんだ:2014ねん8がつ27にちたい阪神はんしんタイガース20回戦かいせん東京とうきょうドーム)、1かいうら岩田いわたみのるからみぎこし3ラン ※史上しじょう117にん
  • 1000打点だてん:2016ねん6がつ25にちたい横浜よこはまDeNAベイスターズ10回戦かいせん横浜よこはまスタジアム)、4かいひょう石田いしだけんだいからひだりこし2ラン ※史上しじょう43にん
  • 350本塁打ほんるいだ:2017ねん6がつ3にちたいオリックス・バファローズ2回戦かいせん東京とうきょうドーム)、6かいうら松葉まつばたかだいからひだりえつ満塁まんるい本塁打ほんるいだ史上しじょう29にん[126]
  • 150死球しきゅう:2017ねん9がつ1にちたい横浜よこはまDeNAベイスターズ21回戦かいせん横浜よこはまスタジアム)、8かいひょう平田ひらたしんわれから ※史上しじょう4にん
その記録きろく
  • 新人しんじん月間げっかん10本塁打ほんるいだ:2003ねん9がつ新人しんじん史上しじょう最多さいた
  • 1イニング2三振さんしん:2004ねん8がつ21にちたい中日ちゅうにちドラゴンズ10回戦かいせんナゴヤドーム)、4かいひょう記録きろく ※セ・リーグ史上しじょう26にん
  • 交流こうりゅうせん史上しじょうはつサヨナラ適時てきじ:2005ねん5がつ6にちたい千葉ちばロッテマリーンズ1回戦かいせん横浜よこはまスタジアム)、9かいうら小林こばやし雅英まさひでから左前ひだりまえ適時てきじ
  • 3打席だせき連続れんぞく本塁打ほんるいだ
  • 5試合しあい連続れんぞく本塁打ほんるいだ:2008ねん7がつ15にち - 19にち(15にち - 17にちたい広島東洋ひろしまとうようカープせん、18・19にち読売よみうりジャイアンツせん
  • ぜん球団きゅうだんから本塁打ほんるいだ:2012ねん8がつ4にちたい横浜よこはまDeNAベイスターズ12回戦かいせん横浜よこはまスタジアム)、5かいひょう福田ふくだたけしようからひだりこし2ラン ※史上しじょう24にん
  • 月間げっかん32得点とくてん:2013ねん8がつ ※セ・リーグ記録きろく広瀬ひろせ叔功よしゆき(1964ねん5がつ)、柳田やなぎだゆう(2020ねん7がつ)となら日本にっぽんタイ記録たいきろく
  • クライマックスシリーズ通算つうさん6死球しきゅう歴代れきだい1
  • オールスターゲーム出場しゅつじょう:5かい(2006ねん、2008ねん、2011ねん、2012ねん、2014ねん

独立どくりつリーグでの打撃だげき成績せいせき[編集へんしゅう]

とし

たま

だん
ためし

ごう


かず
とく

てん
やす


るい
さん
るい
ほん
るい
るい



てん
さん

よん

たま


たま




ぬすめ

るい
しつ

さく

ころせ


りつ

るい
りつ
なが

りつ
O
P
S
2018 栃木とちぎ 60 210 34 72 6 0 14 120 62 24 29 9 0 6 0 5 9 .343 .433 .571 1.004
通算つうさん:1ねん 60 210 34 72 6 0 14 120 62 24 29 9 0 6 0 5 9 .343 .433 .571 1.004
  • かく年度ねんど太字ふとじはリーグ最高さいこう

独立どくりつリーグでのタイトル・表彰ひょうしょう[編集へんしゅう]

表彰ひょうしょう
  • 月刊げっかんMVP:1かい(2018ねん6がつ野手のて部門ぶもん[127]
  • ベストナイン:1かい三塁手さんるいしゅ部門ぶもん:2018ねん[128]

背番号せばんごう[編集へんしゅう]

  • 25(2003ねん - 2018ねん
    • 55(2008ねん北京ぺきん五輪ごりん
  • 75(2019ねん - 2022ねん
  • 71(2023ねん - )

登場とうじょうきょく[編集へんしゅう]

  • 「S&M」Rihanna(2012ねん
  • 「Turn Around (5,4,3,2,1)」Flo Rida(2013ねん - 2015ねん
  • 「Let the Bass Go」Snoop Dogg(2015ねん
  • 「Sugar」Maroon 5(2016ねん - 2017ねん
  • 「My House」Flo Rida(2018ねん[129]

アマチュア時代じだい戦績せんせき記録きろく[編集へんしゅう]

代表だいひょうれき[編集へんしゅう]

連載れんさい[編集へんしゅう]

  • おとこ村田むらた栃木とちぎ便たより(2018ねん4がつ18にち[130] - 、東京とうきょうスポーツ) – 不定期ふていき連載れんさい

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 村田むらた捕手ほしゅ大野おおの投手とうしゅをやっていた時期じきもある。
  2. ^ 3ねん連続れんぞくの30本塁打ほんるいだ達成たっせい球団きゅうだん史上しじょうはつである。
  3. ^ セ・リーグにおいて日本人にっぽんじん打者だしゃが2ねん連続れんぞく本塁打ほんるいだおう獲得かくとくした事例じれいは、1990ねん・1991ねん落合おちあい博満ひろみつ以来いらいである[20]
  4. ^ 846試合しあいでの達成たっせい球団きゅうだん最速さいそくである。
  5. ^ 2018ねん8がつダヤン・ビシエドが47安打あんだ更新こうしん
  6. ^ 2013ねん表彰ひょうしょうめいは「月間げっかんアットホームクラッチヒーローしょう」。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Shuichi Murata Japanese Leagues Statistics & History」Baseball-reference.com。2017ねん7がつ16にち閲覧えつらん
  2. ^ a b コーチ就任しゅうにんのおらせ」『千葉ちばロッテマリーンズ』2022ねん11月24にち。2022ねん11月24にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c 現役げんえき引退いんたい 惜別せきべつインタビュー 原点げんてん回顧かいこ プロ野球やきゅう 村田むらた 修一しゅういち選手せんしゅ日本にっぽん大学だいがく スポーツ日大にちだい。2022ねん2がつ12にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e 村田むらた修一しゅういちさん-プロろん」リクナビNEXT、2008ねん11月26にち。2022ねん2がつ12にち閲覧えつらん
  5. ^ プロをそだてたおやおも」Web日本にっぽん講演こうえん新聞しんぶん、2015ねん3がつ23にち。2022ねん2がつ12にち閲覧えつらん
  6. ^ おとこ村田むらた単独たんどく首位しゅい 豪快ごうかいすりーランのち繊細せんさい決勝けっしょうホーム日刊にっかんスポーツ、2015ねん5がつ1にち。2022ねん2がつ12にち閲覧えつらん
  7. ^ 村田むらたWBCは“二刀流にとうりゅう”サード&打撃だげき投手とうしゅ日刊にっかんスポーツ、2012ねん12月12にち。2021ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  8. ^ 村田むらた復活ふっかつ…3安打あんだダメ押だめおだん/CS日刊にっかんスポーツ、2012ねん10がつ23にち。2012ねん10がつ25にち閲覧えつらん
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  10. ^ a b c 松坂まつさか世代せだい』の最強さいきょうスラッガー村田むらた修一しゅういち選手せんしゅ」『SPAIA』2017ねん4がつ12にち。2022ねん2がつ11にち閲覧えつらん
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  12. ^ a b c 村田むらた先制せんせいすりーランで通算つうさん1500安打あんだ達成たっせい!プロ野球やきゅう史上しじょう117にん」『ベースボールチャンネル』2014ねん8がつ27にち。2024ねん4がつ8にち閲覧えつらん
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  58. ^ 『あきらめない。最後さいご最後さいごまで逆境ぎゃっきょうかった「おとこ村田むらた流儀りゅうぎ」』KADOKAWA、2019ねん、p.4ぺーじISBN 978-4-04-604244-6 
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  90. ^ 【プロり94めい森本もりもとまれあきらえら松坂まつさか世代せだいベストナイン【ホームランつのにフライがれないおとこ?】【なぞ強打者きょうだしゃシャーパってだれ?】【もはや家族かぞく同然どうぜんSP 2/4】【巨人きょじん上原うえはらひろし雑談ざつだんたましい、2021ねん7がつ2にち。2021ねん7がつ5にち閲覧えつらん
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  92. ^ 村田むらた修一しゅういち 引退いんたい惜別せきべつインタビュー【前編ぜんぺん】“おとこ村田むらた”を卒業そつぎょうします 「つぎのステップにすすむだけです。体力たいりょくだったり、技術ぎじゅつ限界げんかいかんじていません」 | 野球やきゅう情報じょうほう」『週刊しゅうかんベースボールONLINE』2018ねん11月15にち。2021ねん3がつ13にち閲覧えつらん
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  95. ^ DeNAドラ2・伊藤いとうひろし 村田むらた修一しゅういちおもわす「男気おとこぎ」ルーキーの横顔よこがおとは」『J-CASTニュース』2019ねん3がつ17にち。2022ねん2がつ12にち閲覧えつらん
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  97. ^ 相次あいつ松坂まつさか世代せだい引退いんたいもと同僚どうりょう加藤かとうけん村田むらた修一しゅういち素顔すがお」『CoCoKARA』2018ねん10がつ3にち。2022ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  98. ^ a b 松坂まつさか大輔だいすけがいたからこそ「松坂まつさか世代せだい」はかがやいた… 藤川ふじかわ球児きゅうじ自分じぶんくるしい。でも、松坂まつさかくるしさはひととはまったちがう」」『Number Web』2021ねん7がつ7にち。2022ねん2がつ9にち閲覧えつらん
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  101. ^ 大輔だいすけだけじゃない! 館山たてやま昌平しょうへい驚愕きょうがくした「松坂まつさか世代せだい」のすごいヤツら。「広島ひろしまの1、2ばんコンビはイヤでした」」『Sprtiva』2019ねん12月9にち。2022ねん2がつ9にち閲覧えつらん
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  107. ^ 村田むらた修一しゅういちなみだ引退いんたい表明ひょうめい「30年間ねんかん野球やきゅう人生じんせいいなし」 球場きゅうじょうにファン6025にん BC栃木とちぎ最終さいしゅうせん」『西日本にしにほんスポーツ』2018ねん9がつ10日とおか。2022ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  108. ^ a b ヤクルト・館山たてやま昌平しょうへい投手とうしゅ村田むらたへのあこがれがつよくて25ばんに」/背番号せばんごう」『週刊しゅうかんベースボールONLINE』2022ねん1がつ26にち。2022ねん2がつ9にち閲覧えつらん
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  111. ^ 巨人きょじん岡本おかもとかずインタビュー がれるスラッガーのたましい絶対ぜったい活躍かつやくしよう――。転機てんきになった“25”」」『週刊しゅうかんベースボールONLINE』2021ねん2がつ19にち。2022ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  112. ^ 村田むらた修一しゅういち後輩こうはい2にんたくした“背番号せばんごう25”へのおも」『ニッポン放送にっぽんほうそうショウアップナイター』2018ねん10がつ18にち。2022ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  113. ^ a b 箭内やない桃子ももこ番長ばんちょう絶賛ぜっさんのDeNAドラ2まきがリーグ2かん 打率だりつ・431&13打点だてん」『サンスポ』産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃ、2021ねん4がつ9にち。2021ねん5がつ26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん5がつ26にち閲覧えつらん応援おうえんには、現役げんえき時代じだいに2本塁打ほんるいだおう獲得かくとくした村田むらた修一しゅういちげん巨人きょじん野手やしゅ総合そうごうコーチ)のきょく継承けいしょうされた。『きたえたそのパワー…
  114. ^ 安藤あんどうひろしふとし【DeNA】まきしげるさとる安打あんだ打点だてん 三浦みうら監督かんとく「すごい」13打点だてん打率だりつ・431リーグトップ2かん」『スポーツ報知ほうち報知新聞社ほうちしんぶんしゃ、2021ねん4がつ9にち。2021ねん5がつ26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん5がつ26にち閲覧えつらん応援おうえん使用しようされるのは、かつて村田むらた修一しゅういちげん巨人きょじん野手やしゅ総合そうごうコーチ)が使つかっていたきょく
  115. ^ 安藤あんどうひろしふとし【DeNA】まきしげるさとる、「おとこ村田むらた修一しゅういちえへ 新人しんじんがつ最多さいた本塁打ほんるいだ更新こうしんまであと2はつ」『スポーツ報知ほうち報知新聞社ほうちしんぶんしゃ、2021ねん4がつ27にち。2021ねん5がつ26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん5がつ26にち閲覧えつらん村田むらた横浜よこはま時代じだい応援おうえんいだまきが、
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  117. ^ たにしげる元信もとのぶ選手せんしゅのテーマ」 - 作詞さくしひらタケル、作曲さっきょく杉本すぎもと正毅まさき編曲へんきょく除村よけむら正人まさと歌詞かし横浜よこはまDeNAベイスターズの公式こうしきホームページに掲載けいさいされているまきしげるさとる個人こじん応援おうえん[116]同一どういつ収録しゅうろくアルバムは以下いかとおり。
  118. ^ 村田むらた修一しゅういちのテーマ」(作詞さくし作曲さっきょく編曲へんきょく:ベイブルース ブラザーズ) - 『横浜よこはまベイスターズ選手せんしゅべつ応援おうえん 2003』ポニーキャニオン、2003ねん4がつ16にち発売はつばいEAN 4988013488908ASIN B00008NX44国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん書誌しょしID:000004086402、PCCH-00090) - #21(うた演奏えんそう:ザ・ベイスターズ)「村田むらた修一しゅういちのテーマ」。ブックレット11ぺーじ歌詞かし掲載けいさい
  119. ^ 村田むらた 「使命しめい背負せおう」新生児しんせいじ医療いりょう支援しえんさらに拡大かくだい」スポーツニッポン、2013ねん12月29にち。2014ねん5がつ1にち閲覧えつらん
  120. ^ 巨人きょじん村田むらた 92まんえん寄付きふ 医療いりょうセンター慰問いもん」スポーツニッポン、2013ねん12月6にち。2014ねん5がつ1にち閲覧えつらん
  121. ^ 巨人きょじん 村田むらた新生児しんせいじ医療いりょう支援しえんに200まんえん寄付きふ」スポーツニッポン、2014ねん12月17にち。2016ねん6がつ17にち閲覧えつらん
  122. ^ a b 村田むらた修一しゅういち 佐々岡ささおか矢野やの引退いんたい試合しあいぶちこわしに「やばい、やばいと…」」デイリースポーツ、2018ねん12月16にち。2022ねん11月18にち閲覧えつらん
  123. ^ 2013ヤナセ・プロ野球やきゅうMVPしょう 表彰ひょうしょう結果けっかのご案内あんない (PDF)」ヤナセ、2013ねん12月25にち。2018ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  124. ^ 巨人きょじん村田むらた年間ねんかんクラッチヒーローしょう日刊にっかんスポーツ、2013ねん11月13にち。2017ねん7がつ24にち閲覧えつらん
  125. ^ 福岡ふくおかスポーツ栄誉えいよしょう」『福岡ふくおか 健康けんこうづくり・スポーツサイト』福岡ふくおか。2017ねん9がつ8にち閲覧えつらん
  126. ^ 巨人きょじん村田むらた350本塁打ほんるいだ 阪神はんしんかけぬの歴代れきだい29日刊にっかんスポーツ、2017ねん6がつ3にち。2021ねん6がつ20日はつか閲覧えつらん
  127. ^ 村田むらた選手せんしゅ「あしたのチームPresents 6がつ月間げっかんMVP」受賞じゅしょうのおらせ”. 栃木とちぎゴールデンブレーブス (2018ねん7がつ14にち). 2024ねん3がつ31にち閲覧えつらん
  128. ^ 村田むらた修一しゅういち選手せんしゅ 2018年度ねんどベストナイン受賞じゅしょうのおらせ”. 栃木とちぎゴールデンブレーブス (2018ねん11月1にち). 2024ねん3がつ31にち閲覧えつらん
  129. ^ 『SPRIDE(スプライド)vol.27 2018ねん11・12がつごう下野新聞社しもつけしんぶんしゃ、2018ねん、p.54ぺーじISBN 978-4-88286-699-2 
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関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]