漢字 かんじ の部首 ぶしゅ については「羊 ひつじ 部 ぶ 」をご覧 らん ください。
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ヒツジ (羊 ひつじ 、綿羊 めんよう 、学名 がくめい Ovis aries )は、ウシ科 か ヤギ亜 あ 科 か の鯨 くじら 偶蹄 ぐうてい 目 め である。角 かく を持 も ち、主 おも に羊毛 ようもう のために家畜 かちく 化 か されている。
螺旋 らせん を描 えが いて伸 の びるラセン角 かく (ハンガリーのラツカ羊 ひつじ ハンガリー語 ご :Racka )
渦巻 うずま き状 じょう のアモン角 かく (フィニッシュ・ランドレース種 しゅ (en ))
ヒツジは反芻 はんすう 動物 どうぶつ としては比較的 ひかくてき 体 からだ は小 ちい さく、側 がわ 頭部 とうぶ のらせん形 がた の角 かく と、羊毛 ようもう と呼 よ ばれる縮 ちぢ れた毛 け をもつ。
原始 げんし 的 てき な品種 ひんしゅ では、短 みじか い尾 お など、野生 やせい 種 しゅ の特徴 とくちょう を残 のこ すものもある。
家畜 かちく のヒツジは54本 ほん の染色 せんしょく 体 たい をもつが、野生 やせい 種 しゅ は58-54本 ほん の染色 せんしょく 体 たい を有 ゆう し、交雑 こうざつ 可能 かのう である。自然 しぜん 状態 じょうたい の雑種 ざっしゅ の中 なか には55本 ほん や57本 ほん の染色 せんしょく 体 たい をもつ個体 こたい も存 そん する。
品種 ひんしゅ によってまったく角 かく をもたないもの、雄 お 雌 めす 両方 りょうほう にあるもの、雄 ゆう だけが角 かく を持 も つものがある。螺旋 らせん を巻 ま きながら直 じき 状 じょう に伸 の びた角 かく をラセン角 かく 、渦巻 うずま き状 じょう に丸 まる く成長 せいちょう する角 かく をアモン角 かく と称 しょう する。角 かく のある品種 ひんしゅ のほとんどは左右 さゆう に1対 たい 1だが、古 こ 品種 ひんしゅ にはヤギ のように後方 こうほう に湾曲 わんきょく しながら伸 の びる2-3対 たい (4-6本 ほん )の角 かく をもつものもいる。
野生 やせい のヒツジの上 うえ 毛 げ の色合 いろあ いには幅広 はばひろ いバリエーションがあり、黒 くろ 、赤 あか 、赤褐色 せきかっしょく 、赤 あか 黄色 おうしょく 、褐色 かっしょく などがある。毛 け 用 よう のヒツジは主 おも に染色 せんしょく に適 てき した白 しろ い羊毛 ようもう を産 さん するように改良 かいりょう が加 くわ えられているが、ほかにも純白 じゅんぱく から黒色 こくしょく まであり、斑 むら 模様 もよう などもある。白 しろ いヒツジの群 む れのなかに有色 ゆうしょく の個体 こたい が現 あらわ れることもある。
ヒツジの体長 たいちょう や体重 たいじゅう は品種 ひんしゅ により大 おお きく異 こと なり、雌 めす の体重 たいじゅう はおよそ45–100kg、雄 ゆう はより大 おお きくて45–160kgである。
成熟 せいじゅく したヒツジは32本 ほん の歯 は を持 も つ。ほかの反芻 はんすう 動物 どうぶつ と同 おな じように、下 しも 顎 あご に8本 ほん の門歯 もんし がある一方 いっぽう 、上 うえ あごには歯 し がなく、硬 かた い歯茎 はぐき がある。犬歯 けんし はなく、門歯 もんし と臼歯 きゅうし との間 あいだ に大 おお きな隙間 すきま がある。
4歳 さい になるまで(歯 は が生 は え揃 そろ うまで)は、前歯 まえば は年 とし に2本 ほん ずつ生 は えるため、ヒツジの年齢 ねんれい を前歯 まえば の数 かず で知 し ることができる。ヒツジの平均 へいきん 寿命 じゅみょう は10年 ねん から12年 ねん であるが、20年 ねん 生 い きるものもいる。
前歯 まえば は齢 よわい を重 かさ ねるにつれ失 うしな われ、食 た べるのが難 むずか しくなり、健康 けんこう を妨 さまた げる。このため、通常 つうじょう 放牧 ほうぼく されているヒツジは4歳 さい を過 す ぎると徐々 じょじょ に数 かず が減 へ っていく。
草 くさ だけでなく、樹皮 じゅひ や木 き の芽 め 、花 はな も食 た べる。食 しょく 草 そう の採 と 食 しょく 特性 とくせい は幅広 はばひろ いとされる[1] 。
ヒツジの聴力 ちょうりょく はよい。また視力 しりょく については、水平 すいへい に細 ほそ い瞳孔 どうこう を持 も ち、優 すぐ れた周辺 しゅうへん 視野 しや をもつ。視野 しや は 270–320°で、頭 あたま を動 うご かさずに自分 じぶん の背後 はいご を見 み ることができる。しかし、奥行 おくゆ きはあまり知覚 ちかく できず、影 かげ や地面 じめん のくぼみにひるんで先 さき に進 すす まなくなることがある。
暗 くら いところから明 あか るいところに移動 いどう したがる傾向 けいこう がある。
通常 つうじょう は、妊娠 にんしん 期間 きかん 150日 にち ぐらいで仔 こ を1頭 とう だけ産 う むが、2頭 とう あるいは3頭 とう 産 う むときもある。
ヒツジにとって、危険 きけん に対 たい する防御 ぼうぎょ 行動 こうどう は単純 たんじゅん に危険 きけん から逃 に げ出 だ すことである。その次 つぎ に、追 お い詰 つ められたヒツジが突撃 とつげき したり、蹄を踏 ふ み鳴 な らして威嚇 いかく する。とくに新生児 しんせいじ を連 つ れた雌 めす にみられる。ストレスに直面 ちょくめん するとすぐに逃 に げ出 だ しパニックに陥 おちい るので、初心者 しょしんしゃ がヒツジの番 ばん をするのは難 むずか しい。
ヒツジは非常 ひじょう に愚 おろ かな動物 どうぶつ であるというイメージがあるが、イリノイ大学 だいがく の研究 けんきゅう によりヒツジのIQがブタ よりは低 ひく くウシ と同 どう 程度 ていど であることが明 あき らかになった。人 ひと や他 た のヒツジの顔 かお を何 なん 年 ねん も記憶 きおく でき、顔 かお の表情 ひょうじょう から心理 しんり 状態 じょうたい を識別 しきべつ することもできる。
ヒツジは非常 ひじょう に食 た べ物 もの に貪欲 どんよく で、いつもエサをくれる人 ひと にエサをねだることもある。羊 ひつじ 飼 か いは牧羊 ぼくよう 犬 けん などで群 む れを動 うご かす代 か わりに、エサのバケツでヒツジを先導 せんどう することもある。エサを食 た べる順序 じゅんじょ は身体 しんたい 的 てき な優位 ゆうい 性 せい により決定 けってい され、他 た のヒツジに対 たい してより攻撃 こうげき 的 てき なヒツジが優勢 ゆうせい になる傾向 けいこう がある。
オスのヒツジは角 かく のサイズが群 む れでの優位 ゆうい を決 き める重要 じゅうよう な要素 ようそ となっていて、角 かく のサイズが異 こと なるヒツジの間 あいだ ではエサを食 た べる順番 じゅんばん をあまり争 あらそ わないが、同 おな じような角 かく のサイズを持 も つもの同士 どうし では争 あらそ いが起 お こる。
羊毛 ようもう の採取 さいしゅ を目的 もくてき に家畜 かちく 化 か された種 たね は、毛 け の生 は え変 が わりがさほど起 お きないため、人為 じんい 的 てき に刈 か り取 と らなければ生命 せいめい に関 かか わることもある。2021年 ねん 、オーストラリアで飼育 しいく 環境 かんきょう から脱 だっ していたヒツジが保護 ほご された際 さい の例 れい では、毛 け の重量 じゅうりょう が30kgを超 こ えており話題 わだい となった[2] 。
群 む れ
ヒツジは非常 ひじょう に群 む れたがる性質 せいしつ をもち、群 む れから引 ひ き離 はな されると強 つよ いストレスを受 う ける。また、先導 せんどう 者 しゃ に従 したが う傾向 けいこう がとても強 つよ い(その先導 せんどう 者 しゃ はしばしば単 たん に最初 さいしょ に動 うご いたヒツジであったりもする)。これらの性質 せいしつ は家畜 かちく 化 か されるにあたり極 きわ めて重要 じゅうよう な要素 ようそ であった。
なお、捕食 ほしょく 者 しゃ がいない地域 ちいき の在来 ざいらい 種 しゅ は、強 つよ い群 む れ行動 こうどう をおこさない。
群 む れの中 なか では、自分 じぶん と関連 かんれん あるもの同士 どうし が一緒 いっしょ に動 うご く傾向 けいこう がある。混 こん 種 しゅ の群 む れの中 なか では同 おな じ品種 ひんしゅ で小 しょう グループができるし、また雌 めす ヒツジとその子孫 しそん は大 おお きな群 む れの中 なか で一緒 いっしょ に動 うご く。
一 いち 匹 ひき の状態 じょうたい では、ゾウやサイなど異種 いしゅ とも群 む れを作 つく ろうとする[3] 。
家畜 かちく 化 か の歴史 れきし [ 編集 へんしゅう ]
南 みなみ アジアの野生 やせい 種 しゅ ウリアル
新 しん 石器 せっき 時代 じだい から野生 やせい の大型 おおがた ヒツジの狩猟 しゅりょう がおこなわれていた形跡 けいせき がある。家畜 かちく 化 か が始 はじ まったのは古代 こだい メソポタミア で、紀元前 きげんぜん 7000-6000年 ねん ごろの遺跡 いせき からは野生 やせい ヒツジとは異 こと なる小型 こがた のヒツジの骨 ほね が大量 たいりょう に出土 しゅつど しており、最古 さいこ のヒツジの家畜 かちく 化 か の証拠 しょうこ と考 かんが えられている[注釈 ちゅうしゃく 1] 。
臀部 でんぶ に脂肪 しぼう を蓄 たくわ えるヒツジ
家畜 かちく 化 か されたヒツジの祖先 そせん は、モンゴル からインド 、西 にし アジア 、地中海 ちちゅうかい にかけて分布 ぶんぷ していた4種 しゅ の野生 やせい ヒツジに遡 さかのぼ ることができる。中央 ちゅうおう アジア のアルガリ 、現在 げんざい の中近東 ちゅうきんとう にいるアジアムフロン 、インドのウリアル [注釈 ちゅうしゃく 2] 、地中海 ちちゅうかい のヨーロッパムフロンがこれにあたる。これら4種 しゅ は交雑 こうざつ が可能 かのう であり、遺伝 いでん 学 がく 的 てき 手法 しゅほう によっても現在 げんざい のヒツジの祖 そ を特定 とくてい するには至 いた っていないが、いくつかの傍証 ぼうしょう からアジアムフロンが原種 げんしゅ であるとの説 せつ が主流 しゅりゅう となっている。
ヒツジを家畜 かちく 化 か するにあたって最 もっと も重要 じゅうよう だったのは、脂肪 しぼう と毛 け であったと考 かんが えられている。肉 にく や乳 ちち 、皮 かわ の利用 りよう はヤギ が優 すぐ れ、家畜 かちく 化 か は1000-2000年 ねん 程度 ていど 先行 せんこう していた。しかし山岳 さんがく や砂漠 さばく 、ステップ など乾燥 かんそう 地帯 ちたい に暮 く らす遊牧民 ゆうぼくみん にとって、重要 じゅうよう な栄養素 えいようそ である脂肪 しぼう はヤギからは充分 じゅうぶん に得 え ることができず、現代 げんだい でもヒツジの脂肪 しぼう が最良 さいりょう の栄養 えいよう 源 げん である。他 た の地域 ちいき で脂肪 しぼう 摂取 せっしゅ の主流 しゅりゅう となっているブタは、こうした厳 きび しい環境 かんきょう 下 か での飼育 しいく に適 てき さず、宗教 しゅうきょう 的 てき にも忌避 きひ されている。こうした乾燥 かんそう と酷寒 こっかん の地域 ちいき では尾 お や臀部 でんぶ に脂肪 しぼう を蓄 たくわ える品種 ひんしゅ が重視 じゅうし されている。それぞれ、脂 あぶら 尾 お 羊 ひつじ 、脂 あぶら 臀 しり 羊 ひつじ と分類 ぶんるい される。
毛 け の利用 りよう については、現代 げんだい [いつ? ] のヒツジと最初 さいしょ 期 き のヒツジとでは様相 ようそう が大 おお きく異 こと なる。
野生 やせい のヒツジの毛 け (フリース)は2層 そう になっている。外側 そとがわ を太 ふと く粗 あら く長 なが い「上 うえ 毛 げ (粗毛 ほぼけ 、ケンプ )」に覆 おお われ、肌 はだ に近 ちか い内側 うちがわ に産毛 うぶげ のような短 みじか く柔 やわ らかく細 ほそ い「下毛 しもげ (緬 はる 毛 げ 、ウール )」がわずかに生 は えている。最初 さいしょ 期 き のヒツジの緬 はる 毛 げ (ウール)は未 み 発達 はったつ で、利用 りよう されていなかった。一方 いっぽう 、野生 やせい のヒツジは春 はる に上 うえ 毛 げ (ケンプ)が抜 ぬ ける(換 かわ 毛 け )性質 せいしつ があり、紀元前 きげんぜん から人類 じんるい は、この抜 ぬ け落 お ちた上 うえ 毛 げ (ケンプ)によってフェルト を作 つく っていたらしい[注釈 ちゅうしゃく 3] 。現在 げんざい われわれが通常 つうじょう に羊毛 ようもう (ウール)として親 した しんでいるのは、主 おも にこの下毛 しもげ を発達 はったつ させるように品種 ひんしゅ 改良 かいりょう された家畜 かちく 用 よう ヒツジの毛 け である。現代 げんだい の家畜 かちく 化 か されたヒツジは換 かわ 毛 け しない。
ギリシアの黄金 おうごん の羊毛 ようもう の伝説 でんせつ
家畜 かちく 化 か されたヒツジは改良 かいりょう によって、上 うえ 毛 げ (ケンプ)を退行 たいこう させる代 か わりに、ヘアー (適当 てきとう な訳語 やくご がない)と呼 よ ばれる中 なか 間 あいだ 毛 げ と緬 はる 毛 げ (ウール)を発達 はったつ させた。紀元前 きげんぜん 4000年 ねん ごろにはヘアータイプやウールタイプのヒツジが分化 ぶんか している。紀元前 きげんぜん 2000年 ねん ごろのバビロニア はウールと穀物 こくもつ と植物 しょくぶつ 油 ゆ の三 さん 大 だい 産物 さんぶつ によって繁栄 はんえい した。バビロンの名 な は「ウールの国 くに 」の意味 いみ であるとする研究 けんきゅう 者 しゃ もいる[4] [注釈 ちゅうしゃく 4] 。
1世紀 せいき ローマのレリーフ
野生 やせい タイプのヒツジの上 うえ 毛 げ (ケンプ)は黒色 こくしょく 、赤褐色 せきかっしょく や褐色 かっしょく であったが、改良 かいりょう によってヘアーやウールタイプのヒツジからは淡色 たんしょく や白色 はくしょく の毛 け が得 え られ、染料 せんりょう 技術 ぎじゅつ と共 とも にメソポタミアからエジプト に伝播 でんぱ し、彩色 さいしき された絨毯 じゅうたん は重要 じゅうよう な交易 こうえき 品 ひん となった。紀元前 きげんぜん 1500年 ねん 頃 ごろ から、地中海 ちちゅうかい に現 あらわ れたフェニキア 人 ひと によって白 しろ いウールタイプのヒツジがコーカサス 地方 ちほう やイベリア半島 はんとう に持 も ち込 こ まれた。コーカサス地方 ちほう のヒツジは、のちにギリシア 人 ひと によって再 さい 発見 はっけん され、黄金 おうごん 羊 ひつじ 伝説 でんせつ となった。このヒツジはローマ時代 じだい には柔 やわ らかく細 ほそ く長 なが く白 しろ いウールを生 う むタランティーネ種 しゅ へ改良 かいりょう された。ローマ人 じん が着用 ちゃくよう した衣服 いふく はウールの織物 おりもの である。一方 いっぽう 、イベリア半島 はんとう では、すでに土着 どちゃく していたウールタイプのヒツジとタランティーネ種 しゅ の交配 こうはい による改良 かいりょう によって、更 さら なる改良 かいりょう が続 つづ けられ、1300年 ねん 頃 ごろ のカスティーリャ で現在 げんざい のメリノ種 しゅ が登場 とうじょう した。
理想 りそう 的 てき なウールだけを産 さん するメリノ種 しゅ は毛織物 けおりもの 産業 さんぎょう を通 つう じてスペインの黄金 おうごん 時代 じだい を支 ささ えた。メリノ種 しゅ はスペイン王家 おうけ が国費 こくひ を投 とう じて飼育 しいく し、数 すう 頭 とう が海外 かいがい の王家 おうけ へ外交 がいこう の手段 しゅだん として贈呈 ぞうてい される以外 いがい は門外不出 もんがいふしゅつ とされた。これを犯 おか した者 もの は死罪 しざい だった。18世紀 せいき になるとスペインの戦乱 せんらん にヨーロッパの列国 れっこく が介入 かいにゅう し、メリノ種 しゅ が戦利 せんり 品 ひん として持 も ち去 さ られて流出 りゅうしゅつ 、羊毛 ようもう 生産 せいさん におけるスペインの優位 ゆうい 性 せい が喪失 そうしつ された。イギリスでは羊毛 ようもう の織物 おりもの と蒸気 じょうき 機関 きかん を組 く み合 あ わせた新 しん 産業 さんぎょう が興 おこ った。1796年 ねん 、南 みなみ アフリカ経由 けいゆ で13頭 とう のメリノ種 しゅ がオーストラリアに輸入 ゆにゅう された。このうちの3頭 とう が現在 げんざい のオーストラリアのメリノ種 しゅ の始祖 しそ になったと伝 つた えられている。この羊 ひつじ を買 か い取 と ったニュー・サウス・ウェールズ州 しゅう のジョン・マッカーサー はヒツジの改良 かいりょう に努 つと め、オーストラリアの羊毛 ようもう 産業 さんぎょう の基礎 きそ を築 きず いた[5] 。
羊 ひつじ 皮 がわ の歴史 れきし [ 編集 へんしゅう ]
ヒツジの皮 かわ の利用 りよう は最古 さいこ のものとしては紀元前 きげんぜん 2500年 ねん 頃 ごろ まで遡 さかのぼ ることができるが、羊皮紙 ようひし としては、紀元前 きげんぜん 2世紀 せいき 頃 ごろ のペルガモン (現在 げんざい のトルコ)で本格 ほんかく 的 てき な加工 かこう が始 はじ まったとされる。
羊 ひつじ 乳 ちち の歴史 れきし [ 編集 へんしゅう ]
羊 ひつじ 乳 ちち はヤギの乳 ちち に比 くら べると、脂肪 しぼう とタンパク質 たんぱくしつ に富 と んでおり、加工 かこう に適 てき する。中近東 ちゅうきんとう やヨーロッパ大陸 たいりく では羊 ひつじ 乳 ちち は伝統 でんとう 的 てき にチーズ やヨーグルト に加工 かこう されており、現在 げんざい でも多 おお くの乳 ちち 用 よう 種 しゅ が飼育 しいく されている。しかし、より遅 おそ く家畜 かちく 化 か に成功 せいこう したウシと比較 ひかく すると単位 たんい 面積 めんせき 当 あ たりの収量 しゅうりょう は劣 おと り、ウシを飼養 しよう できる地域 ちいき ではヒツジの乳 ちち 利用 りよう は主流 しゅりゅう ではない。
日本 にっぽん の羊 ひつじ の歴史 れきし [ 編集 へんしゅう ]
日本 にっぽん 列島 れっとう には古来 こらい より、旧 きゅう 石器 せっき ・縄文 じょうもん 時代 じだい のイヌや弥生 やよい 時代 じだい のブタ ・ニワトリ 、古墳 こふん 時代 じだい のウマ ・ウシ など家畜 かちく を含 ふく め様々 さまざま なものが海 うみ を越 こ えて伝 つた わったが、羊 ひつじ の飼育 しいく 及 およ び利用 りよう の記録 きろく は乏 とぼ しい。寒冷 かんれい な土地 とち も多 おお く防寒 ぼうかん 用 よう に羊毛 ようもう が利用 りよう される下地 したじ はあったが、動物 どうぶつ 遺体 いたい の出土 しゅつど 事例 じれい も報告 ほうこく されていないことから、ほとんど伝 つた わらなかったものと考 かんが えられている。
考古 こうこ 資料 しりょう では鳥取 とっとり 県 けん 鳥取 とっとり 市 し の青谷 あおや 上地 じょうち 遺跡 いせき において弥生 やよい 時代 じだい の琴 きん の部材 ぶざい と考 かんが えられている木 き 板 ばん に頭部 とうぶ に湾曲 わんきょく する二 に 重 じゅう 円弧 えんこ の角 かく を持 も つ動物 どうぶつ が描 えが かれており、ヒツジもしくはヤギ を表現 ひょうげん したものとも考 かんが えられている[6] 。
文献 ぶんけん 史料 しりょう においては、『魏 ぎ 志 こころざし 倭人 わじん 伝 でん 』(『魏 ぎ 書 しょ 』東夷 あずまえびす 伝 でん 倭人 わじん の条 じょう )では弥生 やよい 時代 じだい 末期 まっき (3世紀 せいき 前半 ぜんはん 代 だい )において日本 にっぽん 列島 れっとう にはヒツジがいなかったと記 しる されている[6] 。
8世紀 せいき 初頭 しょとう に成立 せいりつ した『日本書紀 にほんしょき 』では、推古天皇 すいこてんのう 7年 ねん (599年 ねん )に、推古天皇 すいこてんのう に対 たい し百済 くだら (朝鮮半島 ちょうせんはんとう 南西 なんせい 部 ぶ )からの朝貢 ちょうこう 物 ぶつ として駱駝 らくだ (らくだ)、驢馬 ろば (ろば)各 かく 1頭 とう 、白 しろ 雉 1羽 わ 、そして羊 ひつじ 2頭 とう が献上 けんじょう されたという[6] 。これが日本 にっぽん 国内 こくない において、羊 ひつじ について書 か かれた最初 さいしょ の史料 しりょう である[7] 。西域 せいいき の動物 どうぶつ であるラクダやロバとともに献上 けんじょう されていることから、当時 とうじ の日本 にっぽん 列島 れっとう では家畜 かちく としてのヒツジが存在 そんざい していなかったとも考 かんが えられている[6] 。
奈良 なら 時代 じだい 、天武天皇 てんむてんのう の時代 じだい に関東 かんとう で活躍 かつやく した人物 じんぶつ に「多胡 たご 羊 ひつじ 太夫 たゆう (たご ひつじだゆう)」という人物 じんぶつ がいると伝 つた わり、関連 かんれん して群馬 ぐんま 県 けん 安中 あんなか 市 し に羊 ひつじ 神社 じんじゃ (愛知 あいち 県 けん 名古屋 なごや 市 し にも同名 どうめい の羊 ひつじ 神社 じんじゃ がある)などが残 のこ る程度 ていど であり、羊 ひつじ 自体 じたい の存在 そんざい や飼育 しいく 記録 きろく は確認 かくにん できない。
8世紀 せいき には、奈良 なら 県 けん の平城 ひらじろ 宮 みや 跡 あと や三重 みえ 県 けん の斎宮 いつきのみや 跡 あと から羊 ひつじ 形 がた の硯 すずり (すずり)が出土 しゅつど している[8] 。8世紀 せいき 中頃 なかごろ には、正倉院宝物 しょうそういんほうもつ に含 ふく まれる「臈纈 ろうけつ 屏風 びょうぶ (ろうけちのびょうぶ)」にヒツジの図像 ずぞう が見 み られる[8] 。
『日本 にっぽん 紀 き 略 りゃく 』によれば、嵯峨天皇 さがてんのう の治世 ちせい の弘 ひろし 仁 ひとし 11年 ねん (820年 ねん )には、新 しん 羅 ら からの朝貢 ちょうこう 物 ぶつ として鵞鳥 がちょう 2羽 わ 、山羊 やぎ 1頭 とう 、そして黒 くろ 羊 ひつじ 2頭 とう 、白 しろ 羊 ひつじ 4頭 とう が献上 けんじょう されたという[6] 。さらに、醍醐天皇 だいごてんのう の治世 ちせい の延喜 えんぎ 3年 ねん (903年 ねん )には唐 とう 人 ひと が“羊 ひつじ 、鵞鳥 がちょう を献 けんじ ず”とあり、他 た の記録 きろく も含 ふく め何 なん 度 ど か日本 にっぽん に羊 ひつじ が上陸 じょうりく した記録 きろく はあるが、その後 ご 飼育 しいく 土着 どちゃく された記録 きろく はない。故 ゆえ に日本 にっぽん の服飾 ふくしょく は長 なが く、主 おも に植物 しょくぶつ 繊維 せんい を原料 げんりょう とするものばかりであった。
江戸 えど 時代 じだい 、文化 ぶんか 2年 ねん (1805年 ねん )に江戸 えど 幕府 ばくふ の長崎 ながさき 奉行 ぶぎょう の成瀬 なるせ 正 ただし 定 じょう が羊 ひつじ を輸入 ゆにゅう し、唐人 とうじん (中国人 ちゅうごくじん )の牧夫 ぼくふ を使役 しえき して肥前 ひぜん 浦上 うらかみ で飼育 しいく を試 こころ みたが、失敗 しっぱい 。
幕府 ばくふ の奥 おく 詰 つめ 医師 いし であった本草学 ほんぞうがく 者 しゃ の渋江 しぶえ 長伯 ちょうはく は行動 こうどう 的 てき な学者 がくしゃ であったらしく、幕命 ばくめい により蝦夷 えぞ 地 ち まで薬草 やくそう 採集 さいしゅう に出向 でむ いたりしていた。長伯 ちょうはく は幕府 ばくふ 医師 いし だけではなく、江戸 えど 郊外 こうがい にあり幕府 ばくふ の薬草 やくそう 園 えん であった広大 こうだい な巣鴨 すがも 薬園 やくえん の総督 そうとく を兼 か ねていたが、文化 ぶんか 14年 ねん (1817年 ねん )から薬園 やくえん 内 ない で綿羊 めんよう を飼育 しいく し、羊毛 ようもう から羅紗 らしゃ 織 お の試作 しさく を行 おこな った。巣鴨 すがも 薬園 やくえん はゆえに当時 とうじ 「綿羊 めんよう 屋敷 やしき 」と呼 よ ばれていた。
明治 めいじ 期 き に入 はい るとお雇 やと い外国 がいこく 人 じん によって様々 さまざま な品種 ひんしゅ のヒツジが持 も ち込 こ まれたが、冷涼 れいりょう な気候 きこう に適 てき したヒツジは日本 にっぽん の湿潤 しつじゅん な環境 かんきょう に馴染 なじ まず、多 おお くの品種 ひんしゅ は定着 ていちゃく しなかった。日本 にっぽん 政府 せいふ は牛馬 ぎゅうば の普及 ふきゅう を重視 じゅうし したが、外国 がいこく 人 じん ル・ジャンドルが軍用 ぐんよう 毛布 もうふ のため羊毛 ようもう の自給 じきゅう の必要 ひつよう 性 せい を説 と き、1875年 ねん (明治 めいじ 8年 ねん )に大久保 おおくぼ 利通 としみち によって下総 しもうさ に牧羊 ぼくよう 場 じょう が新設 しんせつ された。これが日本 にっぽん での本格 ほんかく 的 てき なヒツジの飼育 しいく の始 はじ まりである。
民間 みんかん では、1876年 ねん (明治 めいじ 9年 ねん )に蛇沼 じゃぬま 政 せい 恒 つね が岩手 いわて 県 けん で政府 せいふ から100余 よ 頭 とう の羊 ひつじ と牧野 ぼくや を借 か りて始 はじ めたのが先駆 せんく で、以後 いご 、数 すう 百 ひゃく 頭 とう 規模 きぼ の牧場 ぼくじょう が東日本 ひがしにっぽん の各地 かくち に開 ひら かれた[9] 。ただ、生産 せいさん された羊毛 ようもう を買 か い上 あ げるのは軍用 ぐんよう の千住 せんじゅ 製絨 せいじゅう 所 しょ に限 かぎ られ、品質 ひんしつ で劣 おと る日本 にっぽん 産 さん 羊毛 ようもう の販売 はんばい 価格 かかく は低 ひく く、羊 ひつじ 肉 にく 需要 じゅよう がないこともあって、経営 けいえい 的 てき には成功 せいこう しなかった[10] 。1888年 ねん (明治 めいじ 21年 ねん )には政府 せいふ の奨励 しょうれい 政策 せいさく が打 う ち切 き りになり、官営 かんえい の下総 しもうさ 牧羊 ぼくよう 場 じょう も閉鎖 へいさ された[11] 。
しかし、国内 こくない の羊毛 ようもう 製品 せいひん 需要 じゅよう は軍需 ぐんじゅ ・民需 みんじゅ ともに旺盛 おうせい で、しだいに羊毛 ようもう 工業 こうぎょう が発達 はったつ した。戦前 せんぜん から戦後 せんご 間 あいだ もない時期 じき までの日本 にっぽん にとって毛織物 けおりもの は重要 じゅうよう な輸出 ゆしゅつ 品 ひん だったが、その原料 げんりょう はオーストラリア とニュージーランド などからの輸入 ゆにゅう に頼 たよ っていた。一 いち 度 ど は失敗 しっぱい を認 みと めた政府 せいふ にも、国産 こくさん 羊毛 ようもう を振興 しんこう したいという意見 いけん が根強 ねづよ くあり、1918年 ねん (大正 たいしょう 7年 ねん )から「副業 ふくぎょう めん羊 ひつじ 」を普及 ふきゅう させた。農家 のうか が自家 じか の農業 のうぎょう 副産物 ふくさんぶつ を餌 えさ にして1頭 とう だけ羊 ひつじ を飼 か い、主 おも に子供 こども が世話 せわ をして家計 かけい の足 た しにするという方法 ほうほう である[12] 。副業 ふくぎょう めん羊 ひつじ は東日本 ひがしにっぽん の山間 さんかん 地 ち の養蚕 ようさん 農家 のうか の間 あいだ に広 ひろ まった[13] 。
1957年 ねん (昭和 しょうわ 32年 ねん )には統計 とうけい 上 じょう で94万 まん 頭 とう 、実数 じっすう ではおそらく100万 まん 頭 とう を超 こ える数 かず が日本 にっぽん 国内 こくない で飼育 しいく されるようになった。しかし、その後 ご は海外 かいがい から安価 あんか に羊 ひつじ 肉 にく 及 およ び羊毛 ようもう が入 はい ってきたことや、化学 かがく 繊維 せんい が普及 ふきゅう したため、国産 こくさん 羊毛 ようもう の需要 じゅよう が急減 きゅうげん し、24年 ねん 後 ご の1981年 ねん (昭和 しょうわ 56年 ねん )になると、国内 こくない の羊 ひつじ の飼育 しいく 数 すう は、100分 ぶん の1程度 ていど の約 やく 1万 まん 頭 とう にまで激減 げきげん した。その後 ご 、肉 にく 利用 りよう を目的 もくてき とした羊 ひつじ の飼育 しいく が再 ふたた び増加 ぞうか し、1991年 ねん (平成 へいせい 3年 ねん )には3万 まん 頭 とう を超 こ える数 かず まで増加 ぞうか した。その8割 わり はサフォーク種 しゅ である[7] 。
アルゼンチン、パタゴニアでの牧羊 ぼくよう
ヒツジは羊毛 ようもう や肉 にく (ラム、マトン)を目的 もくてき として世界中 せかいじゅう で広 ひろ く飼育 しいく され、2008年 ねん には全 ぜん 世界 せかい で10億 おく 頭 とう を超 こ えるヒツジが飼育 しいく されていた。世界 せかい で最 もっと もヒツジを多 おお く飼育 しいく しているのは中国 ちゅうごく で、1億 おく 3000万 まん 頭 とう 以上 いじょう に上 のぼ る。飼育 しいく 頭数 とうすう は漸増 ぜんぞう 傾向 けいこう にあったが、2006年 ねん からは減少 げんしょう に転 てん じている。2位 い はインド で、1992年 ねん から2010年 ねん までに飼育 しいく 頭数 とうすう が約 やく 1.5倍 ばい となり、現在 げんざい も漸増 ぜんぞう 傾向 けいこう が続 つづ く。次 つ いで飼育 しいく 頭数 とうすう が多 おお いのはオーストラリア である。かつては長 なが らく世界 せかい 最大 さいだい のヒツジ生産 せいさん 国 こく であり、1992年 ねん には1億 おく 4800万 まん 頭 とう 以上 いじょう のヒツジが飼育 しいく されていたが、飼育 しいく 頭数 とうすう は急激 きゅうげき に減少 げんしょう しており、1996年 ねん には中国 ちゅうごく に抜 ぬ かれて第 だい 2位 い となり、2010年 ねん にはインドにも抜 ぬ かれて3位 い となった。2010年 ねん の飼育 しいく 頭数 とうすう は約 やく 6800万 まん 頭 とう であり、1992年 ねん の半分 はんぶん 以下 いか にまで減少 げんしょう している。オーストラリアのヒツジはメリノ種 しゅ が主 おも であり、羊毛 ようもう を主 おも 目的 もくてき としていたが、近年 きんねん では食肉 しょくにく 種 しゅ も盛 さか んに飼育 しいく されるようになった。4位 い はイラン であり、1992年 ねん の4600万 まん 頭 とう から2010年 ねん の5400万 まん 頭 とう と微増 びぞう している。5位 い はスーダン であり、1992年 ねん から2010年 ねん までに飼育 しいく 頭数 とうすう は倍増 ばいぞう した[14] 。6位 い のニュージーランド は古 ふる くからのヒツジの大 だい 生産 せいさん 国 こく であり、1834年 ねん にヒツジが本格 ほんかく 導入 どうにゅう されてからすぐに羊毛 ようもう の大 だい 輸出 ゆしゅつ 国 こく となり、さらに1882年 ねん に冷凍 れいとう 船 せん が導入 どうにゅう されてからは羊 ひつじ 肉 にく も輸出 ゆしゅつ できるようになって、産業 さんぎょう 革命 かくめい 期 き にあったイギリス を主要 しゅよう 市場 いちば として発展 はってん していった。ニュージーランドではオーストラリアとは違 ちが い、羊 ひつじ 肉 にく ・羊毛 ようもう 兼用 けんよう 種 しゅ が主 おも に飼育 しいく されている[15] 。
日本 にっぽん のヒツジ飼育 しいく 頭数 とうすう は2010年 ねん に1万 まん 2000頭 とう であり、世界 せかい では第 だい 158位 い である[16] 。都道府県 とどうふけん 別 べつ では北海道 ほっかいどう での飼育 しいく 数 すう が飛 と び抜 ぬ けて多 おお く、他 た は秋田 あきた 県 けん 、岩手 いわて 県 けん 、福島 ふくしま 県 けん などの東北 とうほく 地方 ちほう 、栃木 とちぎ 県 けん や千葉 ちば 県 けん などの関東 かんとう 地方 ちほう で飼育 しいく されている。東日本 ひがしにっぽん ではある程度 ていど 飼育 しいく されているが、西日本 にしにほん ではほとんど羊 ひつじ の飼育 しいく は行 おこな われていない[17] 。
羊 ひつじ 肉 にく
ジンギスカン 用 よう のラム肉 にく
羊 ひつじ 肉 にく は広 ひろ い地域 ちいき で食用 しょくよう とされている。羊 ひつじ の年齢 ねんれい によって、生後 せいご 1年 ねん 未満 みまん をラム (lamb 、子羊 こひつじ 肉 にく )・生後 せいご 2年 ねん 以上 いじょう をマトン (mutton )と区別 くべつ することもある。生後 せいご 1年 ねん 以上 いじょう 2年 ねん 未満 みまん は、オセアニア では「ホゲット」と区別 くべつ して呼 よ ばれているが、日本 にっぽん ではマトンに含 ふく まれる。
日本 にっぽん 国内 こくない では、毛 け を刈 か った後 のち で潰 つぶ したヒツジの大量 たいりょう の肉 にく を消費 しょうひ する方法 ほうほう として新 あたら しく考案 こうあん されたジンギスカン や、ラムしゃぶ 、スペアリブの香 こう 草 そう 焼 や き、アイリッシュシチュー など特定 とくてい の料理 りょうり で使 つか われることが多 おお い。カルニチン を他 た の食肉 しょくにく よりも豊富 ほうふ に含 ふく むことから、体 からだ 脂肪 しぼう の消費 しょうひ を助 たす ける食材 しょくざい とされている。
ラムには臭 くさ みが少 すく なく、こちらは日本 にっぽん で近年 きんねん 人気 にんき が高 たか まりつつある。羊 ひつじ 肉 にく 特有 とくゆう の臭 くさ みは脂肪 しぼう に集中 しゅうちゅう するため、マトンの臭 くさ みを取 と り除 のぞ くには、脂肪 しぼう をそぎ落 お とすと良 よ いと言 い われる。他 た には、「香 かお りの強 つよ い香 こう 草 そう と共 とも に炒 いた める」「牛乳 ぎゅうにゅう に漬 つ けておく」等 とう の方法 ほうほう がある。
海外 かいがい では、飼育 しいく が盛 さか んなオーストラリア 、ニュージーランド をはじめ、特 とく にペルシャ湾 ぺるしゃわん 岸 きし 諸国 しょこく やギリシャ 、イギリス 、アイルランド 、ウルグアイ で盛 さか んに消費 しょうひ される。湾岸 わんがん 諸国 しょこく を除 のぞ いては、いずれも羊 ひつじ が盛 さか んに飼育 しいく される国家 こっか である。これらの国 くに では、羊 ひつじ 肉 にく の年間 ねんかん 一 いち 人 にん 当 あ たり消費 しょうひ 量 りょう が3kgから18kgにのぼる[18] 。湾岸 わんがん 諸国 しょこく で消費 しょうひ が多 おお いのは豚肉 ぶたにく を避 さ けるイスラム教 いすらむきょう が広 ひろ く普及 ふきゅう しているからであり、他 た の中東 ちゅうとう 諸国 しょこく でも羊 ひつじ 肉 にく の消費 しょうひ 量 りょう は多 おお い。マグリブ やカリブ海 かりぶかい 、インド でも多 おお く消費 しょうひ される。また、東 ひがし アジア でも、モンゴル 、中国 ちゅうごく 西北 せいほく 部 ぶ などでは、代表 だいひょう 的 てき な食肉 しょくにく となっており、さまざまな調理 ちょうり 法 ほう が用 もち いられている。ヨーロッパではラムが、中東 ちゅうとう や中央 ちゅうおう アジアではマトンが好 この まれる傾向 けいこう にある[19] 。
インドのマクドナルド には「マハラジャマック」と呼 よ ばれるメニューがあり、これは牛 うし を神聖 しんせい な生 い き物 もの とみなすヒンドゥー教 きょう の信徒 しんと のためにマトンを用 もち いたハンバーガー のことである。
一方 いっぽう 、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく においては羊 ひつじ 肉 にく の消費 しょうひ 量 りょう はわずかである。アメリカ人 じん の年間 ねんかん 羊 ひつじ 肉 にく 消費 しょうひ 量 りょう は0.5kg以下 いか で、牛肉 ぎゅうにく (29kg)や豚肉 ぶたにく (22 kg)に比 くら べてはるかに低 ひく い消費 しょうひ 量 りょう となっている[18] 。これは、アメリカでは牛 うし や豚 ぶた など他 た の食肉 しょくにく が大量 たいりょう に生産 せいさん できるうえに安 やす く、さらにアメリカで食用 しょくよう にされるヒツジは羊毛 ようもう 用 よう ヒツジの廃 はい 家畜 かちく が主 おも であったため、食味 しょくみ などの品質 ひんしつ で他 た の食肉 しょくにく に太刀打 たちう ちできなかったからである。さらに他 た 食肉 しょくにく の価格 かかく 下落 げらく に伴 ともな い、1960年代 ねんだい から1980年代 ねんだい にかけて羊 ひつじ 肉 にく 消費 しょうひ 量 りょう はさらに60%以上 いじょう 減少 げんしょう した[19] 。
羊 ひつじ 乳 ちち
フェタチーズ
ヒツジの乳 ちち は主 おも にヨーグルト やチーズ などの加工 かこう 用 よう に使用 しよう される。生乳 せいにゅう の飲用 いんよう は牛 うし に比 くら べて生産 せいさん 効率 こうりつ が悪 わる いためにほとんど行 おこな われない。特 とく にチーズへの加工 かこう が多 おお く、フランス のロックフォール・チーズ やイタリア のペコリーノ 、ギリシャ のフェタチーズ など羊 ひつじ 乳 ちち を原料 げんりょう としたチーズも多 おお い。
羊毛 ようもう
羊 ひつじ の飼育 しいく 上 じょう もっとも重要 じゅうよう な利用 りよう 対象 たいしょう はメリノ種 しゅ などから取 と る緬 はる 毛 げ (ウール )である。詳細 しょうさい は緬 はる 毛 げ の項目 こうもく を参照 さんしょう 。
羊皮紙 ようひし
羊皮紙 ようひし はヒツジの皮 かわ を原料 げんりょう とするが、ヤギ やウシ など、ヒツジ以外 いがい の生 い き物 もの の皮 かわ が使 つか われることも多 おお かった。
中近東 ちゅうきんとう や中世 ちゅうせい の西洋 せいよう などでは、東洋 とうよう から製 せい 紙 かみ の技術 ぎじゅつ が伝播 でんぱ するまで、羊皮紙 ようひし はパピルス 、粘土 ねんど 板 いた と共 とも に、宗教 しゅうきょう 関連 かんれん の記録 きろく や重要 じゅうよう な書類 しょるい の作成 さくせい に、長 なが い間 あいだ 使用 しよう されていた。
ラノリン
羊毛 ようもう の根元 ねもと に付着 ふちゃく しているワックスエステル を主成分 しゅせいぶん とする油分 ゆぶん をウールオイル (ウールファット、Wool fat )またはウールグリース (Wool grease )という。これを精製 せいせい したものをラノリン といい化粧 けしょう 品 ひん 、軟膏 なんこう の原料 げんりょう にする。また、これとは別 べつ に肉 にく から羊 ひつじ 脂 あぶら をとることができ、調理 ちょうり 用 よう などに使用 しよう される。
革 かわ (羊 ひつじ 革 かわ )
ラムスキン、シープスキン 、ムートン として衣服 いふく に用 もち いられる。
砂漠 さばく や山岳 さんがく 地帯 ちたい など、さまざまな環境 かんきょう に適応 てきおう した固有 こゆう の種 たね がある。家畜 かちく 用 よう のヒツジは、毛 け 用 よう 種 しゅ 、肉用種 にくようしゅ 、乳 ちち 用 よう 種 しゅ に大別 たいべつ されるが、代表 だいひょう 種 しゅ のメリノをはじめ、兼用 けんよう の品種 ひんしゅ も多 おお い。
原種 げんしゅ
アルガリ - 野生 やせい のヒツジで、ヒツジとしては最大 さいだい の種 たね 。体高 たいこう 120センチ、体重 たいじゅう 100-180キロに達 たっ する。毛 け は褐色 かっしょく から赤褐色 せきかっしょく 。角 かく は渦巻 うずま き状 じょう で長 なが い。アジアの高山 たかやま 地帯 ちたい に分布 ぶんぷ する。マルコ・ポーロ の『東方 とうほう 見聞 けんぶん 録 ろく 』でも紹介 しょうかい されている。家畜 かちく ヒツジの原種 げんしゅ の一 ひと つと考 かんが えられている。
ムフロン - 小型 こがた の野生 やせい のヒツジで、最初 さいしょ 期 き に家畜 かちく 化 か されたヒツジの原種 げんしゅ の1つと考 かんが えられている。ヨーロッパ・ムフロン、アジア・ムフロン(レッド・ムフロン)が知 し られ、赤色 あかいろ から赤褐色 せきかっしょく 、赤 あか 黄色 おうしょく の毛色 けいろ をもつ。
現代 げんだい の代表 だいひょう 品種 ひんしゅ メリノ
顔 かお や四肢 しし の黒 くろ いサフォーク
カラクルの子 こ
野生 やせい 種 しゅ のムフロン
アイスランディック
北欧 ほくおう の肉用種 にくようしゅ 。アイスランド原産 げんさん で、アイスランドでは40万 まん 頭 とう 以上 いじょう 飼育 しいく されている。9-10世紀 せいき にバイキングが持 も ち込 こ んだヒツジの子孫 しそん で、地理 ちり 的 てき に隔絶 かくぜつ されていたために交雑 こうざつ が行 おこな われなず、純血 じゅんけつ 家畜 かちく 用 よう ヒツジとしては世界 せかい 最古 さいこ 。
アラゴネセ
スペインの最 さい 高級 こうきゅう 肉 にく 用 よう ヒツジ。スペインでは最古 さいこ の品種 ひんしゅ 。
イースト・フリージャン
ドイツの代表 だいひょう 的 てき な品種 ひんしゅ 。顔 かお 、四肢 しし は白 しろ い。世界 せかい 最高 さいこう の乳 ちち 用 よう 羊 ひつじ として著名 ちょめい で、脂肪 しぼう 分 ぶん の高 たか い羊 ひつじ 乳 ちち からチーズがつくられる。
コーカシアン
ロシアや旧 きゅう 東欧 とうおう 諸国 しょこく の主流 しゅりゅう 品種 ひんしゅ 。毛 け ・肉 にく ともに優 すぐ れる。
サフォーク
顔 かお と四肢 しし が黒 くろ い。イギリス ・サフォーク州 しゅう 原産 げんさん 。戦後 せんご 日本 にっぽん に導入 どうにゅう され、主 おも に肉 にく 用 よう 。国産 こくさん のラム肉 にく の多 おお くは本 ほん 種 しゅ 。原産地 げんさんち のイギリスでもラム肉 にく の5割 わり を占 し める。日本 にっぽん で最 もっと もポピュラーな品種 ひんしゅ で、近年 きんねん は日本 にっぽん 最多 さいた の登録 とうろく 数 すう を占 し める。
シャロレー
フランス原産 げんさん 。繁殖 はんしょく 能力 のうりょく に優 すぐ れ、雑種 ざっしゅ 生産 せいさん 用 よう として人気 にんき がある。ヨーロッパやアメリカで多 おお く飼育 しいく され、ヨーロッパではシャロレーを父 ちち に持 も つ雑種 ざっしゅ はプレミア価格 かかく となる。
チェビオット
イギリスを代表 だいひょう する山岳 さんがく 品種 ひんしゅ で、15万 まん 頭 とう 以上 いじょう が飼育 しいく されている。スコットランドのツイードの原料 げんりょう として知 し られる。
テクセル
オランダ原産 げんさん の肉用種 にくようしゅ 。飼育 しいく が容易 ようい で肉 にく 量 りょう が多 おお く、50万 まん 頭 とう が飼育 しいく されている。ヨーロッパ全域 ぜんいき のほか、アメリカ、アフリカ、オセアニア、アジアの各 かく 大陸 たいりく でも飼育 しいく される。
メリノ
最 もっと も有名 ゆうめい な細 ほそ 毛 もう 品種 ひんしゅ 。イベリア半島 はんとう 原産 げんさん 。原種 げんしゅ は西 にし アジア産 さん で、地中海 ちちゅうかい 経由 けいゆ でイベリア半島 はんとう に持 も ち込 こ まれた。古代 こだい から中世 ちゅうせい にかけて、フェニキア人 じん 、ローマ人 じん 、ムーア人 じん によって、中東 ちゅうとう の褐色 かっしょく のヒツジから白色 はくしょく のヒツジへと改良 かいりょう された。1300年代 ねんだい のカスティリヤで現在 げんざい の原型 げんけい が登場 とうじょう した。きわめて繊細 せんさい な細 ほそ 毛 げ が最大 さいだい の特徴 とくちょう で、スペインの繊維 せんい 産業 さんぎょう の主力 しゅりょく として国費 こくひ によって飼育 しいく ・改良 かいりょう され、近代 きんだい までは国外 こくがい への輸出 ゆしゅつ が禁 きん じられていた。現在 げんざい は世界中 せかいじゅう に輸出 ゆしゅつ されてスペインの独自 どくじ 性 せい が喪失 そうしつ されたのとともに、化学 かがく 繊維 せんい の普及 ふきゅう によって飼育 しいく 頭数 とうすう は激減 げきげん したが、それでもスペインで300万 まん 頭 とう 以上 いじょう が飼育 しいく されている。18世紀 せいき にオーストラリアに持 も ち込 こ まれて普及 ふきゅう ・改良 かいりょう されたオーストラリアン・メリノ種 しゅ は1億 おく 3000万 まん 頭 とう が飼育 しいく され、オーストラリア産 さん の羊毛 ようもう の7割 わり を占 し める。顔 かお や四肢 しし は白 しろ く、メスは無 む 角 かく 。毛 もう 肉 にく 兼用 けんよう 。
ロムニー
イギリスケント州 しゅう のロムニー原産 げんさん 。長毛 ながもう の肉用種 にくようしゅ 。顔 かお や四肢 しし は白 しろ い。ロムニー・マーシュはその名 な の通 とお り沼沢 しょうたく 地 ち を好 この み、湿潤 しつじゅん な気候 きこう に適 てき することから日本 にっぽん にも多 おお く導入 どうにゅう された。改良 かいりょう 種 しゅ のニュージーランド・ロムニーはニュージーランドの飼育 しいく 頭数 とうすう の9割 わり を占 し める代表 だいひょう 種 しゅ で約 やく 2700万 まん 頭 とう 飼育 しいく されている。
コリデール
ニュージーランド原産 げんさん 。メリノ種 しゅ の雌 めす にリンカン種 しゅ 、ロムニー種 しゅ 、レスター種 しゅ の雄 ゆう を交配 こうはい した[20] 。冷涼 れいりょう な気候 きこう を好 この むヒツジの中 なか で適応 てきおう 性 せい に富 と み、世界中 せかいじゅう に広 ひろ まった。温暖 おんだん 湿潤 しつじゅん な日本 にっぽん の環境 かんきょう にも適応 てきおう し、かつて日本 にっぽん で主流 しゅりゅう だった。角 かく はなく、顔 かお や四肢 しし は白 しろ く、長毛 ながもう 。毛 もう 肉 にく 兼用 けんよう だが、戦前 せんぜん の日本 にっぽん では専 もっぱ ら羊毛 ようもう 用 よう に飼育 しいく され、100万 まん 頭 とう 近 ちか く飼育 しいく されていた。毛織物 けおりもの 産業 さんぎょう に化学 かがく 繊維 せんい が登場 とうじょう すると廃 すた れ、1万 まん 頭 とう 弱 じゃく まで減少 げんしょう した。
ドライスデール
ニュージーランド原産 げんさん 。オセアニアで毛 もう 肉 にく 両用 りょうよう として人気 にんき があり、毛 け はカーペットの材料 ざいりょう となる。ニュージーランドだけで60万 まん 頭 とう 以上 いじょう 飼育 しいく されている。
アワシ
中近東 ちゅうきんとう で5000年 ねん 以上 いじょう 飼育 しいく されてきた品種 ひんしゅ で、南 みなみ ・西 にし アジアでは現在 げんざい も主流 しゅりゅう のヒツジ。毛 け はペルシア絨毯 じゅうたん に、肉 にく と乳 ちち は食用 しょくよう になる。顔 かお は黒色 こくしょく 、褐色 かっしょく 、白色 はくしょく と多様 たよう 。
カラクル
中央 ちゅうおう アジアの高級 こうきゅう 品種 ひんしゅ 。中央 ちゅうおう アジアの砂漠 さばく 地帯 ちたい の暑 あつ さと夜 よる の寒 さむ さや乾燥 かんそう に耐 た える。顔 かお 、四肢 しし は黒 くろ い。世界 せかい の代表 だいひょう 的 てき な毛皮 けがわ 品種 ひんしゅ で、幼年 ようねん 時 じ は黒色 こくしょく の毛 け で、成年 せいねん になると灰 はい 褐色 かっしょく となる。子羊 こひつじ の皮 かわ はアストラカンと呼 よ ばれる最 さい 高級 こうきゅう 品 ひん となる。品種 ひんしゅ 名 めい は原産地 げんさんち のウズベキスタンの村 むら の名前 なまえ に由来 ゆらい する。
蔵 ぞう 羊 ひつじ
中国 ちゅうごく の代表 だいひょう 品種 ひんしゅ 。中国 ちゅうごく 内陸 ないりく 部 ぶ の高原 こうげん 地帯 ちたい からインドまで広 ひろ く飼育 しいく され、その数 かず は2800万 まん 頭 とう といわれる。肉 にく ・毛 もう のほか、荷駄 にだ 用 よう にも。
寒 かん 羊 ひつじ
モンゴルの品種 ひんしゅ 。毛 もう 肉 にく 兼用 けんよう で尾 お に脂肪 しぼう を蓄 たくわ える。
文化 ぶんか
キリスト教 きりすときょう での象徴 しょうちょう 性 せい [ 編集 へんしゅう ]
キリスト教 きりすときょう 、またその母体 ぼたい となったユダヤ教 きょう では、ヤハウェ(唯一 ゆいいつ 神 かみ )やメシア (救世主 きゅうせいしゅ )に導 みちび かれる信徒 しんと たちが、しばしば羊 ひつじ 飼 か いに導 みちび かれる羊 ひつじ たちになぞらえられる。旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ では、ヤハウェや王 おう が羊 ひつじ 飼 か いに、ユダヤの民 みん が羊 ひつじ の群 む れにたとえられ(エレミヤ書 しょ ・エゼキエル書 しょ ・詩篇 しへん 等 ひとし )ている。
また、旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ の時代 じだい 、羊 ひつじ は神 かみ への捧 ささ げもの(生贄 いけにえ )としてささげられる動物 どうぶつ の一 ひと つである。特 とく に、出 で エジプト記 き 12章 しょう では、「十 じゅう の災 わざわ い 」の最後 さいご の災 わざわ いを避 さ けるために、モーセ はイスラエル人 じん の各 かく 家庭 かてい に小 しょう 羊 ひつじ を用意 ようい させ、その血 ち を家 いえ の入 い り口 くち の柱 はしら と鴨居 かもい に塗 ぬ り、その肉 にく を焼 や いて食 た べるというたとえ話 はなし がある。のちに、出 いで エジプトを記念 きねん する過 か 越 えつ 祭 まつり として記念 きねん されるようになる。
また、羊 ひつじ の肉 にく はユダヤ教徒 きょうと が食 た べることができる肉 にく として規定 きてい されている。カシュルート を参照 さんしょう のこと。
新約 しんやく 聖書 せいしょ では、「ルカ福音 ふくいん 書 しょ 」(15章 しょう )や「マタイ福音 ふくいん 書 しょ 」(18章 しょう )に「迷子 まいご の羊 ひつじ と羊 ひつじ 飼 か い」のたとえ話 はなし の節 ふし がある。愛情 あいじょう も慈悲 じひ も深 ふか い羊 ひつじ 飼 か いは、たとえ100匹 ひき の羊 ひつじ の群 む れから1匹 ひき が迷 まよ いはぐれたときでも、そのはぐれた1匹 ひき を捜 さが しに行 い くとしている。この箇所 かしょ は隠喩 いんゆ となっており、はぐれた羊 ひつじ は、神 かみ から離 はな れた者 もの 、神 かみ に従 したが わない反抗 はんこう 者 しゃ 、罪 つみ を犯 おか す者 もの を表 あらわ し、また羊 ひつじ 飼 か いについては創造 そうぞう 主 ぬし である神 かみ を例 たと えている。福音 ふくいん 書 しょ では、どのような者 もの であっても同 おな じように愛 あい し、気 き にかけ、大切 たいせつ に想 おも う神 かみ の愛 あい を示 しめ している。
「ヨハネ福音 ふくいん 書 しょ 」では、イエス が「私 わたし は善 よ き羊 ひつじ 飼 か いである」と語 かた るが、イエス自身 じしん も「世 よ の罪 つみ を取 と り除 のぞ く神 かみ の小 しょう 羊 ひつじ 」と呼 よ ばれる(1章 しょう 29節 せつ )。
この「神 かみ の小 しょう 羊 ひつじ 」は、イエスが後 のち に十字架 じゅうじか 上 じょう で刑死 けいし することにより、人間 にんげん の罪 つみ を除 のぞ くための神 かみ への犠牲 ぎせい となる意味 いみ があり、イエスが刑死 けいし したのも前述 ぜんじゅつ の過 か 越 えつ 祭 さい の期間 きかん であったことから、パウロ は第 だい 一 いち コリント 5章 しょう 7節 せつ で、イエスは「過 か 越 えつ の小 しょう 羊 ひつじ として屠 ほふ られた」と表現 ひょうげん する(ミサ ・ミサ曲 きょく )。
また、「ヨハネ黙示録 もくしろく 」において、天上 てんじょう の光景 こうけい のなかで啓示 けいじ されるイエスの姿 すがた は「屠 ほふ られたような」「七 なな つの目 め と七 なな つの角 かく 」を持 も つ小 しょう 羊 ひつじ の姿 すがた である(5章 しょう 他 た )。
イスラム教 いすらむきょう の犠牲 ぎせい 祭 さい [ 編集 へんしゅう ]
イスラム教 いすらむきょう 国 こく においてはヒツジはもっとも重要 じゅうよう な家畜 かちく の一 ひと つであり、特 とく にサウジアラビア や湾岸 わんがん 諸国 しょこく においてはハラール に適応 てきおう するようオーストラリアなどから生 い きたまま羊 ひつじ を輸入 ゆにゅう し、自国 じこく にて屠 ほふ 畜し食肉 しょくにく とすることが行 おこな われる。また、ヒツジはイスラム教 いすらむきょう の祭日 さいじつ であるイード・アル=アドハー (犠牲 ぎせい 祭 さい )においてもっとも一般 いっぱん 的 てき な生贄 いけにえ である。この日 ひ はハッジ の最終 さいしゅう 日 び に当 あ たり、メッカ 郊外 こうがい のムズダリファにおいてヒツジやラクダ 、牛 うし など50万 まん 頭 とう にものぼる動物 どうぶつ が生贄 いけにえ にささげられる[21] 。メッカ以外 いがい の、巡礼 じゅんれい に参加 さんか しなかったムスリム も動物 どうぶつ を1頭 とう 捧 ささ げることが求 もと められており、イスラム教 いすらむきょう 諸国 しょこく においてヒツジが買 か われ、神 かみ に捧 ささ げられる。捧 ささ げられた肉 にく は自 みずか らの家庭 かてい で消費 しょうひ するほか、施 ほどこ しとして貧 まず しい人々 ひとびと に分 わ け与 あた えられる。
犬 いぬ 種 しゅ に Shetland Sheepdog (シェットランド・シープドッグ )の様 よう に sheepdog と付 つ くものがあるが、これは「ヒツジに似 に た犬 いぬ 」ではなく、牧羊 ぼくよう 犬 けん に適 てき した犬 いぬ 種 しゅ であることを示 しめ している(シェパード Shepherd も同様 どうよう )。これらは、英語 えいご 圏 けん を始 はじ めとする欧州 おうしゅう 地域 ちいき でのヒツジが比較的 ひかくてき 身近 みぢか な家畜 かちく である顕著 けんちょ な例 れい でもある。
鳴 な き声 ごえ を日本語 にほんご で書 か き表 あらわ すと「メー」。漢字 かんじ では「咩(万葉仮名 まんようがな :め、呉音 ごおん :ミ、漢音 かんおん :ビ、現代 げんだい 中国 ちゅうごく 語 ご :miē )」。英語 えいご では「バー」。
英語 えいご 圏 けん に、羊 ひつじ を数 かぞ える(英語 えいご 版 ばん ) ことで安眠 あんみん が得 え られるという俗説 ぞくせつ がある。これは、「One sheep, two sheep …」と唱 とな えることでよく似 に た発音 はつおん の「sleep 」(眠 ねむ る)と脳 のう に命 めい じる効果 こうか があること、また「sheep 」という言葉 ことば が安眠 あんみん を促 うなが す腹式呼吸 ふくしきこきゅう を誘 さそ う発音 はつおん であることに由来 ゆらい する、といわれる[22] 。なお、英単語 えいたんご 「sheep 」は、単数 たんすう 形 がた ・複数 ふくすう 形 がた が同形 どうけい である。
黒 くろ 羊 ひつじ (ブラックシープ)は、白 しろ い羊 ひつじ の中 なか で目立 めだ つことや、羊毛 ようもう を染 そ められないため価値 かち が低 ひく いとされたことから、厄介 やっかい 者 しゃ という消極 しょうきょく 的 てき な意味 いみ や型 かた にはまらない変 か わり者 もの など肯定 こうてい 的 てき な用法 ようほう として要 よう いられる。同義語 どうぎご :白 しろ いカラス(ロシア)。
Schafskälte (ドイツ語 ご 版 ばん ) - ドイツ語 ご で「羊 ひつじ が寒 さむ がる」という意味 いみ で、アルプスの6月で急 きゅう に冷 ひ え込 こ む気象 きしょう 現象 げんしょう のこと。
ベルウェザー (英語 えいご 版 ばん ) - 鈴 すず が首 くび につけられた去勢 きょせい された牡 おす 羊 ひつじ である。去勢 きょせい された牡 おす 羊 ひつじ (ウェザー)は羊 ひつじ 飼 か いに従順 じゅうじゅん になり、羊 ひつじ 飼 か いの訓練 くんれん を経 へ て、羊 ひつじ の群 む れを率 ひき いるリーダーとしての役割 やくわり を与 あた えられる[23] 。このことから政治 せいじ リーダーや株式 かぶしき の指標 しひょう 銘柄 めいがら 、先例 せんれい 裁判 さいばん 、トレンドを作 つく る人間 にんげん 、環境 かんきょう の変化 へんか を敏感 びんかん に感知 かんち する動物 どうぶつ などを呼 よ び表 あらわ すのに使 つか われる[24] 。
怒 おこ った雄 お 羊 ひつじ の突撃 とつげき には相当 そうとう な威力 いりょく がある。ここから転 てん じてローマ軍 ぐん で用 もち いられた破 やぶ 城 しろ 槌 づち の先端 せんたん には、鉄 てつ や青銅 せいどう で出来 でき た雄 お 羊 ひつじ の頭 あたま の像 ぞう が取 と り付 つ けられた。
オークション
2009年 ねん 、「デブロンベール・パーフェクション」という名 な の羊 ひつじ が23万 まん ポンド(約 やく 3200万 まん 円 えん )で落札 らくさつ された。
2020年 ねん 8月 がつ にスコットランド のラナーク で行 おこな われたオークションで、「ダブル・ダイヤモンド」という名 な のテクセル種 しゅ の子羊 こひつじ が35万 まん ギニー(イギリスの家畜 かちく の売買 ばいばい では、通貨 つうか の単位 たんい として伝統 でんとう 的 てき にギニー が使 つか われる)(約 やく 5200万 まん 円 えん )で落札 らくさつ された。[25]
^ これとは別 べつ に、紀元前 きげんぜん 11000年 ねん ごろのイラクや紀元前 きげんぜん 7000-5000年 ねん 頃 ごろ のインドの遺跡 いせき からも小 ちい さい羊 ひつじ の骨 ほね や痕跡 こんせき が出土 しゅつど しているが、単 たん に子羊 こひつじ の骨 ほね であるなど、家畜 かちく 化 か の証拠 しょうこ としては疑問 ぎもん がもたれている。
^ ウリアルはアジアムフロンの亜種 あしゅ とする説 せつ もある。
^ 紀元前 きげんぜん の中国 ちゅうごく 、ドイツ、北 きた アジアにその痕跡 こんせき があるが、はっきりしたことはよく分 わ かっていない。
^ 一般 いっぱん 的 てき には「バビロン」は“神 かみ の門 もん ”を意味 いみ するとか、創世 そうせい 記 き に登場 とうじょう するバベル ばべる の塔 とう の逸話 いつわ に因 ちな む“混乱 こんらん ”の意 い であるとかといった説 せつ が主流 しゅりゅう であるが、最古 さいこ 期 き の語源 ごげん は言語 げんご が解読 かいどく されておらず不明 ふめい とされている。
秋篠宮 あきしののみや 文 ぶん 仁 ひとし 『日本 にっぽん の家畜 かちく ・家禽 かきん 』、学習研究社 がくしゅうけんきゅうしゃ 、2009年 ねん 、ISBN 978-4-05-403506-5
賀来 かく 孝代 たかよ 「未 み ヒツジ」、設楽 したら 博己 ひろみ 編 へん 『十二支 じゅうにし になった動物 どうぶつ たちの考古学 こうこがく 』、新泉 しんいずみ 社 しゃ 、2015年 ねん
小林 こばやし 忠太郎 ちゅうたろう 「民営 みんえい 牧羊 ぼくよう 経営 けいえい の成立 せいりつ と崩壊 ほうかい 」、栗原 くりはら 藤 ふじ 七郎 しちろう ・編 へん 『日本 にっぽん 畜産 ちくさん の経済 けいざい 構造 こうぞう 』、東洋経済新報社 とうようけいざいしんぽうしゃ 、1962年 ねん 。
佐々 ささ 倉 くら 実 みのる ・佐々 ささ 倉 くら 裕美 ひろみ 『ひつじにあいたい』、山 やま と渓谷社 けいこくしゃ 、2009、ISBN 978-4-635-23025-4
下総 しもうさ 御料 ごりょう 牧場 ぼくじょう 『下総 しもうさ 御料 ごりょう 牧場 ぼくじょう 概観 がいかん 』、1903年 ねん 。
正田 しょうだ 陽一 よういち 『世界 せかい 家畜 かちく 品種 ひんしゅ 事典 じてん 』、東洋 とうよう 書林 しょりん 、2006年 ねん 、ISBN 4-88721-697-1
正田 しょうだ 陽一 よういち 『品種 ひんしゅ 改良 かいりょう の世界 せかい 史 し ・家畜 かちく 編 へん 』、悠 ゆう 書 しょ 館 かん 、2010年 ねん 、ISBN 978-4-903487-40-3
百瀬 ももせ 正香 まさか 『羊 ひつじ の博物 はくぶつ 誌 し 』、日本 にほん ヴォ ぉ ーグ社 ぐしゃ 、2000年 ねん 、ISBN 978-452-903427-2
クローン 羊 ひつじ のドリー
世界 せかい のめん羊 ひつじ 館 かん ・めん羊 ひつじ 牧場 ぼくじょう (北海道 ほっかいどう 士別 しべつ 市 し ):国内 こくない 最多 さいた の30種 しゅ のめん羊 ひつじ を飼育 しいく する。日本 にっぽん ではここだけでしか見 み ることのできない珍 めずら しい14種類 しゅるい のめん羊 ひつじ もいる。
料理 りょうり
映画 えいが