芸能げいのう

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芸能げいのう(げいのう)とは、芸術げいじゅつしょジャンルのうち人間にんげんをもって表現ひょうげんする技法ぎほうのことである[1]

日本語にほんごの「芸能げいのう」はひろ流通りゅうつうしている表現ひょうげんであり、芸能げいのうかい芸能人げいのうじんなど大衆たいしゅう文化ぶんか大衆たいしゅう芸能げいのう)を想起そうきさせるものをふく一方いっぽうのう歌舞伎かぶきなどの伝統でんとう芸能げいのう枠組わくぐみもふくまれる[2]

芸能げいのうには、おも演劇えんげき舞踊ぶようポピュラー音楽おんがく映画えいが大衆たいしゅう演芸えんげい民俗みんぞく芸能げいのうとうふくまれる[1][3]ふるくはとき場所ばしょ限定げんていした瞬時しゅんじ演技えんぎ演奏えんそうによってあらわされ[1]、それがただちに消滅しょうめつするので瞬間しゅんかん芸術げいじゅつともばれたが[1]近代きんだいには録音ろくおん録画ろくが技術ぎじゅつ発達はったつ[1]、これらによって表現ひょうげんされた作品さくひん芸能げいのうばれるようになった[1]。「芸能げいのう」は英語えいごのパフォーミング・アーツ(performing arts)の訳語やくごとしてもちいられることがある[2]。パフォーミング・アーツ(performing arts)は日本語にほんご直訳ちょくやくすると「上演じょうえん芸術げいじゅつ」となり音楽おんがく舞踊ぶよう演劇えんげきなどをすべてふく概念がいねんである[2]。ただ、日本にっぽんでは「芸能げいのう」というかたりひろ流通りゅうつうしており、「上演じょうえん芸術げいじゅつ」というかたり一般いっぱんてきにはもちいられていない[2]

なお、職業しょくぎょうとして芸能げいのうたずさわるもの芸能人げいのうじんぶ。

芸能げいのう歴史れきし[編集へんしゅう]

西洋せいよう芸能げいのう[編集へんしゅう]

古代こだいギリシャ演劇えんげき西洋せいようにおける芸能げいのう起源きげんといえる。音楽おんがくにおいては、クラシック音楽おんがく狭義きょうぎには古典こてん音楽おんがくすが、ここでは広義こうぎのクラシック音楽おんがく、すなわち芸術げいじゅつ音楽おんがくす)の発祥はっしょうであるため、芸能げいのうとしての音楽おんがくすなわちポピュラー音楽おんがくはそのかげかくれた印象いんしょうがあるが、もりこなてによると、モーツァルト大衆たいしゅうけにいた音楽おんがくがポピュラーの源泉げんせんであるといわれる。フランスシャンソンイタリアカンツォーネ、そしてアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくジャズ西洋せいよう発展はってんしたポピュラー音楽おんがくである。

東洋とうよう芸能げいのう[編集へんしゅう]

芸能げいのう」という言葉ことば元来がんらい中国ちゅうごく言葉ことばであり[3]、「げい」と「のう」の熟語じゅくごであった[1]一般いっぱん修得しゅうとくした才芸さいげい伎芸ぎげい技能ぎのう[3]、「六芸りくげい」としょうしてれい礼儀れいぎ作法さほう)・らく歌舞かぶ音楽おんがく)・しゃ弓術きゅうじゅつ)・馬術ばじゅつ)・しょ学問がくもん)・かず算術さんじゅつ)を芸能げいのうとしていた[3]

日本にっぽん芸能げいのう[編集へんしゅう]

古代こだい[編集へんしゅう]

日本にっぽん芸能げいのうむら々におけるかみまつりの母胎ぼたいとした[4]黎明れいめい芸能げいのうシャーマニズム儀礼ぎれいかたちをとっていたとかんがえられている[4]大和やまと朝廷ちょうていまつりの歌舞かぶをいちはや芸能げいのう[4]さるおんな物部ものべがそれをおこなった[4]。これが神楽かぐらのもととなったとかんがえられている[4]平安へいあん時代じだいにはいると猿楽さるがく田楽でんがくおこなわれるようになった[4]

中世ちゅうせい[編集へんしゅう]

鎌倉かまくら時代ときよには猿楽さるがく田楽でんがく人気にんきあつめたが[4]室町むろまち時代ときよはい猿楽さるがく世阿弥ぜあみらによってのう狂言きょうげん発展はってんさせられると[4]田楽でんがく衰退すいたい地方ちほう寺社じしゃ祭礼さいれい芸能げいのうとして命脈めいみゃくをとどめることになった[4]。ただ中世ちゅうせいまでは中国ちゅうごく影響えいきょう雅楽ががく猿楽さるがく神楽かぐら催馬たのし今様いまよう宴曲えんきょくふえきんといった今日きょうでも芸能げいのう範囲はんいふくまれるもののみならず漢詩かんし和歌わか俳諧はいかい朗詠ろうえい蹴鞠けまり流鏑馬やぶさめ犬追物いぬおうもの双六すごろく囲碁いごといった今日きょうでは芸能げいのうふくまれないものも芸能げいのうふくめていた[3]

近世きんせい[編集へんしゅう]

近世きんせいはいると芸能げいのう歌舞かぶ音楽おんがくかんするものが中心ちゅうしんとなり[3]芸能げいのうという言葉ことば今日きょうとほぼおな範囲はんいすようになった[3]職業しょくぎょうてき芸能人げいのうじんおお登場とうじょうするようになるのも近世きんせいはいってからである[3]江戸えど時代じだいには歌舞伎かぶき浄瑠璃じょうるり人気にんきあつ[4]浄瑠璃じょうるり伴奏ばんそうにして人形にんぎょう舞台ぶたいでまわす人形にんぎょう芝居しばい人気にんきあつめた[4]

きん現代げんだい[編集へんしゅう]

明治維新めいじいしんこう明治めいじ政府せいふ芸能げいのう教育きょういくたいして消極しょうきょくてきとなり[3]学校がっこう教育きょういくにおいても西洋せいよう芸術げいじゅつ音楽おんがく採用さいようされても日本にっぽん伝統でんとう芸能げいのうはほとんど採用さいようされなくなった[3]芸能げいのう本格ほんかくてき脚光きゃっこうびるようになるのはだい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつのことで[3]学校がっこうでも芸能げいのうという課程かてい設置せっちされた[3]マスメディアにおいても芸能げいのう重要じゅうようされるようになり[3]芸能人げいのうじん庶民しょみんおおきな影響えいきょうりょくつようになった[3]一方いっぽう学問がくもん世界せかいにおいても芸能げいのう芸能げいのう研究けんきゅう従事じゅうじする学者がくしゃ増加ぞうか[3]芸能げいのう分野ぶんや学会がっかい組織そしきされるようになった[3]。そして芸能げいのう文化ぶんかにかかわる学術がくじゅつしょ雑誌ざっしさかんに発行はっこうされるようになった[3]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g だい百科ひゃっか事典じてん 4』、1202ぺーじ
  2. ^ a b c d 井上いのうえ 貴子たかこ近代きんだいインドにおける音楽おんがくがく芸能げいのう変容へんよう』2006ねん、24-25ぺーじ 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ 8』、109ぺーじ
  4. ^ a b c d e f g h i j k だい百科ひゃっか事典じてん 4』、1203ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]