陸上りくじょう自衛隊じえいたい

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日本の旗 日本にっぽん行政ぎょうせい機関きかん
陸上りくじょう自衛隊じえいたいりくじょうじえいたい
Japan Ground Self-Defense Force
陸上総隊司令部や東部方面総監部などが 設置されている朝霞駐屯地
役職やくしょく
陸上りくじょう幕僚ばくりょうちょう 森下もりしたやすししん
陸上りくじょう幕僚ばくりょう副長ふくちょう 小林こばやし弘樹ひろき
組織そしき
上部じょうぶ機関きかん 防衛ぼうえい大臣だいじん
防衛ぼうえい大臣だいじん直轄ちょっかつ部隊ぶたい
防衛ぼうえい大臣だいじん直轄ちょっかつ機関きかん
概要がいよう
所在地しょざいち 162-8802
東京とうきょう新宿しんじゅく市谷本村いちがやほんむらまち5ばん1ごう
定員ていいん 陸上りくじょう自衛じえいかん即応そくおう予備よび自衛じえいかん
15まん8481にん
2023ねんれい5ねん)3がつ31にち時点じてん
年間ねんかん予算よさん 予算よさん2ちょう3460おくえん
2024ねんれい6年度ねんど
設置せっち 1954ねん昭和しょうわ29ねん7がつ1にち
前身ぜんしん 大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん[注釈ちゅうしゃく 1]
警察けいさつ予備よびたい
保安ほあんたい
ウェブサイト
陸上りくじょう自衛隊じえいたい
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陸上りくじょう自衛隊じえいたい(りくじょうじえいたい、えい: Japan Ground Self-Defense Force略称りゃくしょう: JGSDF)は、日本にっぽん行政ぎょうせい機関きかんのひとつ。自衛隊じえいたいのうちの陸上りくじょう部門ぶもんにあたる防衛ぼうえいしょう特別とくべつ機関きかん総称そうしょうである。日本語にほんご略称りゃくしょうは、陸自りくじ(りくじ)。しょ外国がいこくからは、Japanese Army日本にっぽん陸軍りくぐん)に相当そうとうするかたり表現ひょうげんされることがある。

概要がいよう[編集へんしゅう]

自衛隊じえいたいもちいられている内閣ないかく総理そうり大臣だいじんはた

陸上りくじょう幕僚監部ばくりょうかんぶならびに統合とうごう幕僚ばくりょうちょうおよび陸上りくじょう幕僚ばくりょうちょう監督かんとくける部隊ぶたいおよび機関きかんからなる。かく部隊ぶたいおよびかく機関きかん防衛ぼうえいしょう特別とくべつ機関きかんである。自衛隊じえいたいほう規定きていによれば、しゅとしてりくにおいて行動こうどうし、日本にっぽん平和へいわ独立どくりつたもつため、直接ちょくせつおよ間接かんせつ侵略しんりゃくたいする防衛ぼうえいおこなうことをおも任務にんむとし、また、必要ひつようおうじて公共こうきょう秩序ちつじょ維持いじたるものとされる。おも陸上りくじょう自衛じえいかん構成こうせいされ、その最上級さいじょうきゅうしゃ幕僚ばくりょう機関きかんである陸上りくじょう幕僚監部ばくりょうかんぶ統括とうかつする陸上りくじょう幕僚ばくりょうちょうである。他国たこくからは陸軍りくぐん(Army)とみなされている。

平成へいせい28年度ねんど以降いこうかかわる防衛ぼうえい計画けいかく大綱たいこうでは、常備じょうび自衛じえいかん150,875にん即応そくおう予備よび自衛じえいかん8,075にん合計ごうけい158,950にん戦車せんしゃやく400りょう火砲かほう[注釈ちゅうしゃく 2]やく400もん定数ていすう設定せっていされている。2023ねんれい5ねん)3がつまつ時点じてんでの陸上りくじょう自衛隊じえいたいかく装備そうび保有ほゆうすうは、戦車せんしゃ450りょう装甲車そうこうしゃ980りょう機動きどう戦闘せんとうしゃ160りょう高射こうしゃ機関きかんほう50りょうロケットだん発射はっしゃなど40野戦やせんほう各種かくしゅ榴弾りゅうだんほう)370もん迫撃はくげきほう1,200もん反動はんどうほう2,600もんである[2]駐屯ちゅうとんひとしかずは163(駐屯ちゅうとん134・ふんたむろ29)である。

れい4年度ねんどまつ人員じんいんは、常備じょうび自衛じえいかん15まん0500めい即応そくおう予備よび自衛じえいかんは7,981めいで、年間ねんかん平均へいきん人員じんいんやく15まん8481めいである[3]れい5年度ねんど陸上りくじょう自衛隊じえいたい予算よさんやく1ちょう9120おくえんである[3]

シンボルマークは「日本にっぽん列島れっとうまもるようにかかえる緑色みどりいろ両手りょうて」、キャッチコピーは「まもりたいひとがいる」[4]

歴史れきし[編集へんしゅう]

防衛ぼうえいしょう陸上りくじょう幕僚監部ばくりょうかんぶはい市ヶ谷いちがや地区ちくAとう左端ひだりはし
山林さんりんでの戦闘せんとう訓練くんれん米国べいこくワシントンしゅうフォートルイス訓練くんれんじょう英語えいごばん
雪原せつげんでのアメリカ海兵かいへいたいとの合同ごうどう訓練くんれん
べい強襲きょうしゅう揚陸ようりくかんペリリュー航空機こうくうき格納かくのう甲板かんぱん訓練くんれんちゅう西部せいぶ方面ほうめん普通ふつう連隊れんたいだい2中隊ちゅうたい小銃しょうじゅう
アメリカ陸軍りくぐんラニーミードきゅう汎用はんよう揚陸ようりくてい乗船じょうせんする陸上りくじょう自衛隊じえいたい車両しゃりょう

組織そしき沿革えんかく[編集へんしゅう]

1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ日本にっぽんポツダム宣言せんげん受諾じゅだく。ポツダム宣言せんげんだい9じょうもとづ大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんおよ大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん解体かいたいされ、わって日本にっぽん防衛ぼうえいアメリカぐん中心ちゅうしんとするGHQ進駐軍しんちゅうぐんになっていた。1950ねん昭和しょうわ25ねん)6がつ朝鮮ちょうせん戦争せんそう勃発ぼっぱつし、ざい日米にちべいぐん大半たいはん朝鮮半島ちょうせんはんとう出動しゅつどうしたことで、日本にっぽん防衛ぼうえいについて空白くうはくまれたため、ダグラス・マッカーサー元帥げんすい書簡しょかんにより国内こくない治安ちあん維持いじ目的もくてきとして、同年どうねん8がつに「警察けいさつ予備よびたい」が創設そうせつされた。

1952ねん昭和しょうわ27ねん)8がつに「保安庁ほあんちょう」が発足ほっそくした。警察けいさつ予備よびたい海上かいじょう警備けいびたいおよ海上保安庁かいじょうほあんちょう航路こうろけいひらけたいとともに保安庁ほあんちょう隷下れいかはいり、それぞれ「保安ほあんたい」、「警備けいびたい」に改組かいそされた。

その順次じゅんじ防衛ぼうえいりょく整備せいびすすみ、1954ねん昭和しょうわ29ねん)7がつ1にち保安庁ほあんちょうは「防衛庁ぼうえいちょう」に、保安ほあんたいおよ警備けいびたいは「陸上りくじょう自衛隊じえいたい」、「海上かいじょう自衛隊じえいたい」にそれぞれ改組かいそされ、あらたに「航空こうくう自衛隊じえいたい」が創設そうせつされた。陸上りくじょう自衛隊じえいたい所管しょかんする防衛庁ぼうえいちょうは、2007ねん平成へいせい19ねん)1がつ9にちに「防衛ぼうえいしょう」へと昇格しょうかくした。

人事じんじ歴史れきし[編集へんしゅう]

警察けいさつ予備よびたい創設そうせつ当時とうじ内閣ないかく総理そうり大臣だいじん吉田よしだしげるにはきゅう陸軍りくぐんたいする反発はんぱつがあり、警察けいさつ予備よびたい創設そうせつたって、国会こっかいで「警察けいさつ予備よびたい創設そうせつ目的もくてきは、国内こくない治安ちあん維持いじのためである。軍隊ぐんたいにあらず」と答弁とうべんしている。一方いっぽうで、吉田よしだしげる知己ちきである辰巳たつみ栄一えいいちもと陸軍りくぐん中将ちゅうじょうが、吉田よしだ軍事ぐんじ顧問こもんとしてかげ警察けいさつ予備よびたい幹部かんぶ人選じんせん関与かんよしている。警察けいさつ予備よびたいそうたい総監そうかん(のちの保安庁ほあんちょうだい1幕僚ばくりょうちょう防衛庁ぼうえいちょう陸上りくじょう幕僚ばくりょうちょう相当そうとうする)の人選じんせんにあたって、服部はっとりたく四郎しろうもと陸軍りくぐん大佐たいさこえがGHQからもあったが、吉田よしだ辰巳たつみ反対はんたいもありきゅう内務ないむ官僚かんりょうであったはやし敬三けいぞうてられた。はやしそうたい総監そうかんだい1幕僚ばくりょうちょうとして4ねん統合とうごう幕僚ばくりょう会議かいぎ議長ぎちょうとしてさらに10ねんけい14ねんちょうきにわた自衛隊じえいたい制服せいふくぐみトップをつとめた。かく自衛隊じえいたい発足ほっそく経緯けいいから、いずれも初代しょだい幕僚ばくりょうちょうきゅう内務省ないむしょうきゅう逓信ていしんしょうといった官僚かんりょう出身しゅっしんしゃむかえたが、海自かいじ空自くうじ初代しょだいのみでわったのにはんし、陸自りくじ戦中せんちゅう出身しゅっしん陸上りくじょう幕僚ばくりょうちょう19めいうち内務ないむ官僚かんりょう出身しゅっしんしゃが5めいもおり、陸自りくじが「内務ないむ軍閥ぐんばつ」とわれるもととなった。しかし、下記かきのように続々ぞくぞく帝国ていこく陸軍りくぐんもと現役げんえき将校しょうこうたちが大量たいりょう復権ふっけん警察けいさつ予備よびたいおよび保安ほあんたい中核ちゅうかくとなっていき、現在げんざい陸上りくじょう自衛隊じえいたいつくられていくことになる。

1945ねん昭和しょうわ20ねん9月2にち降伏ごうぶく文書ぶんしょ調印ちょういんしき日本にっぽん降伏ごうぶく)に日本にっぽんがわ代表だいひょうだん大本営だいほんえい全権ぜんけん随員ずいいんとして出席しゅっせきした陸軍りくぐん大佐たいさ時代じだい杉田すぎた一次かずつぐさい後列こうれつみぎはし)。だい25ぐん参謀さんぼうとして太平洋戦争たいへいようせんそう発端ほったんとなったマレー作戦さくせん従軍じゅうぐんし、以後いご各地かくちぐん方面ほうめんぐん大本営だいほんえい参謀さんぼうとして、また参謀さんぼう本部ほんぶにおいておおくの作戦さくせん指導しどうにあたった杉田すぎたはのちに陸上りくじょう自衛隊じえいたいだい3だい陸上りくじょう幕僚ばくりょうちょう就任しゅうにんする

1950ねん8がつ警察けいさつ予備よびたい創設そうせつ当初とうしょ陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう陸軍りくぐん航空こうくう士官しかん学校がっこう出身しゅっしん士官しかん候補こうほせい)のもと現役げんえき将校しょうこう入隊にゅうたいみとめられず、幹部かんぶ警察けいさつふく内務省ないむしょうとう文官ぶんかんや、陸軍りくぐん予備よび士官しかん学校がっこうとう出身しゅっしん甲種こうしゅ幹部かんぶ候補こうほせいひとし)のもと予備よびやく将校しょうこうからなった。発足ほっそく以後いご矢継やつばやアメリカ陸軍りくぐんからさまざまな兵器へいき供与きょうよけたが、もとより軍事ぐんじ知識ちしきとぼしい文官ぶんかん出身しゅっしんしゃ短期間たんきかん下級かきゅう将校しょうこう教育きょういくしかけていないもと予備よびやく陸軍りくぐん将校しょうこうでは部隊ぶたい指揮しき統率とうそつ兵器へいきかんする教育きょういく不可能ふかのうであった。そのため指揮しき系統けいとうをより強固きょうこなものとすべく、よく1951ねん昭和しょうわ26ねん)6がつには陸士りくしりくわたるだい58そつもと現役げんえき陸軍りくぐん将校しょうこうであったうちの245めいだい1幹部かんぶ候補こうほせいとして入隊にゅうたいしたが、58期生きせい陸軍りくぐん少尉しょうい任官にんかん終戦しゅうせん直前ちょくぜんであったために実務じつむ経験けいけんとぼしく、期待きたいされたほどの効果こうかはなかった。このことから、帝国ていこく陸軍りくぐんにおいて高度こうどかつ長期間ちょうきかん軍事ぐんじ教育きょういく実戦じっせん経験けいけん豊富ほうふ陸軍りくぐん中佐ちゅうさ以下いか佐官さかんきゅうもと現役げんえき陸軍りくぐん将校しょうこうまで募集ぼしゅう拡大かくだいされ、同年どうねん10がつ1にちには竹下たけした正彦まさひこもと陸軍りくぐん中佐ちゅうさ陸士りくしだい42。のちだい4師団しだんちょう陸上りくじょう自衛隊じえいたい幹部かんぶ学校がっこうちょう)、ころもりゅう駿しゅんゆうもと陸軍りくぐん少佐しょうさ陸士りくしだい48だい1空挺くうていだん初代しょだい団長だんちょうたのちだい9だい陸上りくじょう幕僚ばくりょうちょうだい6だい統合とうごう幕僚ばくりょう会議かいぎ議長ぎちょう)やきょく壽郎としおもと陸軍りくぐん少佐しょうさ陸士りくしだい50。のちだい10代陸上りくじょう幕僚ばくりょうちょう)などの405めいもと佐官さかんが、12月5にちには407めいもと尉官いかん採用さいようされ警察けいさつ予備よびたい合流ごうりゅうした。

当時とうじ陸軍りくぐん大佐たいさ入隊にゅうたいみとめられなかったが、1952ねん昭和しょうわ27ねん)7がつ14にち保安庁ほあんちょう保安ほあんたいへの組織そしき改編かいへんまえに、軍事ぐんじてき専門せんもんせいをよりたかめるために陸士りくし陸軍りくぐんだい学校がっこうまたは陸軍りくぐんほうこう学校がっこう高等こうとう卒業そつぎょうし、陸軍りくぐんしょう参謀さんぼう本部ほんぶ中枢ちゅうすうにおいてにちちゅう戦争せんそうささえ事変じへん)や太平洋戦争たいへいようせんそうだい東亜とうあ戦争せんそう)の指導しどうてき立場たちばにあったもの中心ちゅうしんとするもと陸軍りくぐん大佐たいさ10めいもと海軍かいぐん大佐たいさ1めい入隊にゅうたいみとめられた。その11めい内訳うちわけ杉山すぎやましげる陸士りくしだい36。のちだい2だい陸上りくじょう幕僚ばくりょうちょう)・杉田すぎた一次かずつぐ陸士りくしだい37。のちだい3だい陸上りくじょう幕僚ばくりょうちょう)・岸本きしもと重一しげかず陸士りくしだい34。のち幹部かんぶがく校長こうちょう)・松谷まつやまこと陸士りくしだい35。のち北部ほくぶ方面ほうめん総監そうかん)・井本いもとくまおとこ陸士りくしだい37。のち幹部かんぶがく校長こうちょう)・新宮しんぐうふとし陸士りくしだい38。のち幹部かんぶがく校長こうちょう)・高山たかやま信武のぶたけ陸士りくしだい39。のち陸上りくじょう幕僚ばくりょう副長ふくちょう)・細田ほそだひろし陸士りくしだい39。のち東部とうぶ方面ほうめん総監そうかん)・吉橋よしはし戒三陸士りくしだい39。のち幹部かんぶがく校長こうちょう)・松田まつだたけし陸士りくしだい39陸上りくじょう幕僚監部ばくりょうかんぶだい4部長ぶちょうて1956ねん空自くうじてんかん、のちだい4だい航空こうくう幕僚ばくりょうちょう)・さくら義雄よしお海兵かいへいだい52。のち北部ほくぶ方面ほうめんふく総監そうかんけん札幌さっぽろ駐屯ちゅうとん司令しれい[注釈ちゅうしゃく 3][5][注釈ちゅうしゃく 4]となる。同年どうねん同月どうげつには天野あまの良英よしひでもと陸軍りくぐん中佐ちゅうさ陸士りくしだい43。のちだい5だい陸上りくじょう幕僚ばくりょうちょうだい3だい統合とうごう幕僚ばくりょう会議かいぎ議長ぎちょう)・吉江よしえ誠一せいいちもと陸軍りくぐん中佐ちゅうさ陸士りくしだい43。のちだい6だい陸上りくじょう幕僚ばくりょうちょう)が、さらに1955ねん昭和しょうわ30ねん)10がつには陸軍りくぐん中野なかの学校がっこう関係かんけい情報じょうほうせん心理しんりせん担当たんとうしていた藤原ふじわらいわもと陸軍りくぐん中佐ちゅうさ陸士りくしだい43調査ちょうさがく校長こうちょうたのちだい1師団しだんちょう)などが合流ごうりゅうしている。

もと軍人ぐんじん警察けいさつ予備よびたい保安ほあんたい陸上りくじょう自衛隊じえいたい入隊にゅうたいさいして、その階級かいきゅうきゅうぐん時代じだい最終さいしゅう階級かいきゅう相当そうとうするものがあたえられている。れいとしてもと大佐たいさである杉山すぎやま杉田すぎた入隊にゅうたい同時どうじ大佐たいさ相当そうとうの1とう警察けいさつせいとなり、よく1953ねん昭和しょうわ28ねん)に少将しょうしょう相当そうとう保安ほあんかんおぎなえ、さらに1954ねん昭和しょうわ29ねん)7がつ陸上りくじょう自衛隊じえいたい発足ほっそくりくすすむ昇任しょうにんし、いずれもすうねん陸上りくじょう幕僚ばくりょうちょう就任しゅうにんしている。

1957ねん昭和しょうわ32ねん)に、はつ防衛大学校ぼうえいだいがくこうきゅう保安ほあんだい学校がっこう出身しゅっしん隊員たいいん入隊にゅうたいして以降いこう順次じゅんじ防衛大学校ぼうえいだいがくこう出身しゅっしん幹部かんぶ自衛じえいかん増加ぞうかしていった。1986ねん昭和しょうわ61ねん)3がつ中村なかむら守雄もりおりくすすむ陸軍りくぐん航空こうくう士官しかん学校がっこうだい61)が退官たいかんしたことにより、陸上りくじょう自衛隊じえいたいにおけるきゅう陸軍りくぐん出身しゅっしんしゃ皆無かいむとなった。陸海空りくかいくう自衛隊じえいたい最後さいごきゅうぐん出身しゅっしんしゃよく1987ねん昭和しょうわ62ねん)12月に退官たいかんした、空自くうじ森繁もりしげひろし統幕とうばく議長ぎちょうこうだい60)である。なお、きゅう陸軍りくぐん軍人ぐんじん陸上りくじょう自衛隊じえいたい警察けいさつ予備よびたい保安ほあんたい)だけでなく、きゅう陸軍りくぐん航空こうくう部隊ぶたい出身しゅっしんしゃ中心ちゅうしん航空こうくう自衛隊じえいたいにも多数たすう入隊にゅうたいしており、航空こうくう幕僚ばくりょうちょう就任しゅうにんしゃきゅうぐん出身しゅっしんべつけると陸軍りくぐん11めい海軍かいぐん5めいきゅう陸軍りくぐん出身しゅっしんしゃ過半数かはんすうきゅう海軍かいぐん出身しゅっしんしゃ上回うわまわっている。

近年きんねん災害さいがい派遣はけん海外かいがい派遣はけんなど活動かつどう範囲はんいひろげ、国内外こくないがい注目ちゅうもくあつめている。また、自衛隊じえいたいそのものの活動かつどうではないが、カンボジアにおいて、もと陸自りくじ隊員たいいんげたJMAS地雷じらい不発ふはつだん処理しょりおこない、成果せいかげている。

アメリカ陸軍りくぐん陸軍りくぐんさい先任せんにん上級じょうきゅう曹長そうちょう(Sergeant Major of the Army)制度せいど海上かいじょう自衛隊じえいたい先任せんにん伍長ごちょう制度せいど参考さんこうに、2006ねん平成へいせい18ねん)4がつ1にちには、陸上りくじょう幕僚監部ばくりょうかんぶに「陸上りくじょう自衛隊じえいたいさい先任せんにん上級じょうきゅう曹長そうちょう」をいて、じゅんりくじょうりく曹階きゅう能力のうりょく活用かつようにもんでいる(曹士の能力のうりょく活用かつよう)。

きゅう陸軍りくぐんとの関係かんけいせい[編集へんしゅう]

早期そうき海軍かいぐん復活ふっかつ目指めざきゅう海軍かいぐん軍人ぐんじん主導しゅどう創設そうせつされきゅう海軍かいぐん伝統でんとうおもんじる傾向けいこうにある海上かいじょう自衛隊じえいたいとはちがい、陸上りくじょう自衛隊じえいたいきゅう陸軍りくぐんきゅう海軍かいぐんくら戦争せんそう責任せきにんおおきいとられたことにより、陸上りくじょう自衛隊じえいたいきゅう陸軍りくぐんとの関係かんけい神経しんけい使つかっていたが、実際じっさいにはつよむすびつきをっていた[6]

陸上りくじょう自衛隊じえいたい前身ぜんしんである警察けいさつ予備よびたいは、当初とうしょきゅう軍人ぐんじん排除はいじょしてきゅう内務ないむ官僚かんりょう中心ちゅうしんとなってかためられていた。一方いっぽうで、きゅうぐん幹部かんぶはさまざまな団体だんたい機関きかん結成けっせいし、連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ)のG2(参謀さんぼうだい2)と連携れんけいしてぐん再建さいけんけてうごいており、一部いちぶきゅう軍人ぐんじん追放ついほう解除かいじょ警察けいさつ予備よびたいへの入隊にゅうたいへと結実けつじつしていた。1951ねん昭和しょうわ26ねん)には陸士りくし40以上いじょう中佐ちゅうさぐみ先頭せんとう大量たいりょうもと佐官さかんもと尉官いかん入隊にゅうたいしたほか、1952ねん昭和しょうわ27ねん)7がつには指揮しき作戦さくせん管理かんり能力のうりょく評価ひょうかされ、高級こうきゅう幹部かんぶ要員よういんとして特別とくべつ推薦すいせんされた11めいもと大佐たいさきゅう海軍かいぐん航空こうくう関係かんけいのぞけば9にん)が入隊にゅうたいするにいたった。これにより警察けいさつ予備よびたい幹部かんぶ構成こうせい重大じゅうだい変化へんかしょうじたほか、もと大佐たいさぐみ筆頭ひっとうとして、大量たいりょうきゅう陸軍りくぐん将校しょうこう入隊にゅうたいしたことによりきゅう陸軍りくぐんの『歩兵ほへい操典そうてん』『作戦さくせん要務ようむれい』『統帥とうすい参考さんこう』などに代表だいひょうされる用兵ようへい思想しそう流入りゅうにゅうすることになった。警察けいさつ予備よびたい入隊にゅうたいしたきゅう陸軍りくぐん将校しょうこう有末ありすえ機関きかん服部はっとり機関きかんなどのきゅう高級こうきゅう軍人ぐんじん組織そしき密接みっせつ関係かんけいち、きゅう陸軍りくぐん将校しょうこうだん結束けっそく依然いぜんとしてかたかった[7]

きゅう陸軍りくぐん将官しょうかんクラスも陸上りくじょう自衛隊じえいたい関係かんけいしており、陸上りくじょう自衛隊じえいたい幹部かんぶ学校がっこう指揮しき幕僚ばくりょう課程かてい(CGS)における戦史せんし授業じゅぎょうとして、きゅう陸軍りくぐんすめらぎどうのシンボルてき存在そんざいであった荒木あらき貞夫さだおもと陸軍りくぐん大将たいしょうが「にち戦争せんそうおも」とだいする講義こうぎおこなっていたほか、陸上りくじょう自衛隊じえいたい幹部かんぶ学校がっこう機関きかんである『幹部学校かんぶがっこう記事きじ』1962ねん1がつごうに「昭和しょうわさんじゅうななねんみずのえとらとしむかえて」という記事きじ寄稿きこうしている[8]。また、今村いまむらひとしもと陸軍りくぐん大将たいしょう下村しもむらじょうもと陸軍りくぐん大将たいしょう安田やすだ武雄たけおもと陸軍りくぐん中将ちゅうじょうかんはるもと陸軍りくぐん中将ちゅうじょう沼田ぬまた稼蔵もと陸軍りくぐん中将ちゅうじょう防衛庁ぼうえいちょう顧問こもん就任しゅうにんしている[9]

きゅう陸軍りくぐん親睦しんぼく組織そしきである偕行社かいこうしゃ陸上りくじょう自衛隊じえいたい行事ぎょうじ積極せっきょくてき支援しえんしたほか、陸上りくじょう自衛隊じえいたいがわきゅう陸軍りくぐん将官しょうかんクラスを駐屯ちゅうとんさい招待しょうたいしたり、戦史せんし研究けんきゅうとして講演こうえん依頼いらいしていた。2001ねん平成へいせい13ねん)には偕行社かいこうしゃへの陸上りくじょう自衛隊じえいたい航空こうくう自衛隊じえいたいもと幹部かんぶ自衛じえいかん正会員せいかいいん資格しかくみとめられ、正式せいしき入会にゅうかいすすんでいる。なお、偕行社かいこうしゃ相当そうとうするきゅう海軍かいぐんみず交社が、戦後せんご再建さいけんみず交会改称かいしょうしたまま現在げんざいいたるのにたいし、偕行社かいこうしゃきゅう陸軍りくぐん時代じだい名称めいしょう復活ふっかつさせている。

陸上りくじょう自衛隊じえいたいイラク派遣はけんさいには、ささえ事変じへんにちちゅう戦争せんそうきゅう陸軍りくぐんおも中国ちゅうごく大陸たいりくおこなっていた宣撫せんぶ工作こうさく参考さんこうにされている[10]

文化ぶんかめんにおいても、陸上りくじょう自衛隊じえいたい連隊れんたいはたである自衛隊じえいたいはたきゅう陸軍りくぐん連隊れんたいである軍旗ぐんき意匠いしょうたるじゅうろくじょう旭日きょくじつはたをモチーフに、はちじょう旭日きょくじつ変更へんこう制定せいていはちじょう旭日きょくじつ意匠いしょう自体じたいじゅうろくじょう旭日きょくじつはたどう時代じだいころから存在そんざいしている、軍旗ぐんき#自衛隊じえいたいはた意匠いしょう)、事実じじつじょう陸上りくじょう自衛隊じえいたいのシンボルとし、行進曲こうしんきょくのひとつとしてきゅう陸軍りくぐん行進曲こうしんきょく観兵かんぺいしき分列ぶんれつ行進曲こうしんきょく」を採用さいよう行進曲こうしんきょく扶桑ふそう」としていたが、近年きんねんでは「陸軍りくぐん分列ぶんれつ行進曲こうしんきょく」と呼称こしょう発表はっぴょうしている[注釈ちゅうしゃく 5]。また、太平洋戦争たいへいようせんそうだい東亜とうあ戦争せんそう)のパレンバン空挺くうてい作戦さくせん活躍かつやくしたきゅう陸軍りくぐんだい1挺進ていしんだん活躍かつやくうた軍歌ぐんかそらかみへい」は、だい1空挺くうていだんがオリジナルの歌詞かしともいでいるほか、富士ふじ総合そうごう火力かりょく演習えんしゅう各地かくちでの演奏えんそうかい行事ぎょうじにて音楽おんがくたいによりきゅう陸軍りくぐん軍歌ぐんか軍楽ぐんがくさかんに演奏えんそうされている。なお、陸上りくじょう自衛隊じえいたいだい1空挺くうていだんおよび中央ちゅうおう音楽おんがくたいは、戦後せんご予備よびたい入隊にゅうたいしたきゅう陸軍りくぐん将校しょうこうころもりゅう駿しゅんゆうもと陸軍りくぐん少佐しょうさ須摩ようついたちもと陸軍りくぐん軍楽ぐんがく大尉たいい)を筆頭ひっとうとするきゅう陸軍りくぐん軍人ぐんじんによって創設そうせつ発展はってんされたものである。

また、かく職種しょくしゅいろたいしゅ標識ひょうしきしょく)はきゅう陸軍りくぐん兵科へいかしょくじゅんじているほか、駐屯ちゅうとん衛戍えいじゅ)がどう都道府県とどうふけんであるきゅう陸軍りくぐん部隊ぶたい歩兵ほへい連隊れんたいひとし)と、陸上りくじょう自衛隊じえいたい部隊ぶたい普通ふつう連隊れんたいひとし同士どうし連隊れんたい番号ばんごうたいごう)も極力きょくりょく一致いっちさせている。れいとして、静岡しずおかだい34普通ふつう連隊れんたいきゅう陸軍りくぐん歩兵ほへいだい34連隊れんたいたいごうおよび、歩兵ほへいだい34連隊れんたいだい1大隊だいたい軍神ぐんしんたちばな周太しゅうた陸軍りくぐん歩兵ほへい中佐ちゅうさちなむ「たちばな連隊れんたい」の継承けいしょうするとともに、たちばな中佐ちゅうさ胸像きょうぞう銅像どうぞう板妻駐屯地いたづまちゅうとんちうち再建さいけんしている。

大阪おおさかだい37普通ふつう連隊れんたいきゅう陸軍りくぐん歩兵ほへいだい37連隊れんたいたいごうおよび、どう連隊れんたい事実じじつじょう部隊ぶたいマークとして使用しようしていた楠木くすのき正成まさしげの「菊水きくすいもん」と「菊水きくすい連隊れんたい菊水きくすい部隊ぶたい)」の継承けいしょうしている[11]

北海道ほっかいどうだい11戦車せんしゃたいは、うらないもりとうたたかにおいて奮戦ふんせんして北海道ほっかいどうまもったきゅう陸軍りくぐん戦車せんしゃだい11連隊れんたい愛称あいしょう士魂しこん部隊ぶたい」、部隊ぶたいマーク「」)を顕彰けんしょうし、栄光えいこうの「士魂しこん精神せいしん」の伝統でんとう継承けいしょうする意味いみ1970ねん昭和しょうわ45ねん)より「士魂しこん戦車せんしゃ大隊だいたい」とみずかしょうし、公式こうしき部隊ぶたいマーク[12]として装備そうび90しき戦車せんしゃに「士魂しこん」の文字もじえがいている[13]

防衛ぼうえいりょく整備せいび[編集へんしゅう]

訓練くんれんちゅう陸上りくじょう自衛隊じえいたいアメリカ海兵かいへいたい宮城みやぎけん仙台せんだい

陸上りくじょう自衛隊じえいたい志願しがんしゃのみで構成こうせいされ、もろ職種しょくしゅ兵科へいか)をつ。

人件じんけん割高わりだかであることにくわえ、その装備そうび輸出ゆしゅつしないために少量しょうりょう生産せいさんであることがおおく、世界せかい屈指くっし調達ちょうたつがかかっているとわれる。

発足ほっそく当初とうしょ[編集へんしゅう]

発足ほっそく当初とうしょ陸上りくじょう自衛隊じえいたいは、1個いっこ方面ほうめんたいおよび4管区かんくたい編成へんせいであった。武器ぶきべいぐん供与きょうよのものが中心ちゅうしんであり、1960年代ねんだい戦車せんしゃ小銃しょうじゅうなどの国産こくさん装備そうび採用さいようまで、このべいぐん供与きょうよ武器ぶき主体しゅたいである状態じょうたいつづいた。方面ほうめんたいは、ソビエト連邦れんぽう脅威きょうい対応たいおうするため北海道ほっかいどう管轄かんかつする北部ほくぶ方面ほうめんたいのみかれ、北部ほくぶ方面ほうめん総監そうかん札幌さっぽろ所在しょざいした。

管区かんくたいは、アメリカ陸軍りくぐん歩兵ほへい師団しだん参考さんこう編成へんせいされた部隊ぶたいで、管区かんく総監そうかんおよび3大隊だいたいから普通ふつう連隊れんたい3野戦やせんほう6もん中隊ちゅうたい3コで編成へんせいされる大隊だいたい4対空たいくう大隊だいたいからとく連隊れんたい基幹きかんとする所謂いわゆるさん単位たんい編制へんせい師団しだんであり、発足ほっそく当時とうじ15,200めい人員じんいんようしていた。だい1からだい4管区かんくたいまで編成へんせいされ、だい1管区かんく総監そうかんだい1師団しだん司令しれい)は東京とうきょうだい2管区かんく総監そうかんだい2師団しだん司令しれい)は北海道ほっかいどう旭川あさひかわだい3管区かんく総監そうかんだい3師団しだん司令しれい)は兵庫ひょうごけん伊丹いたみだい4管区かんく総監そうかんだい4師団しだん司令しれい)は福岡ふくおかけん筑紫つくしぐん春日かすがまちげん春日かすが)にそれぞれかれた。

だい1防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく:1958年度ねんど昭和しょうわ33年度ねんど) - 1960年度ねんど昭和しょうわ35年度ねんど[編集へんしゅう]

64しき7.62mm小銃しょうじゅう銃剣じゅうけん着剣ちゃっけんささじゅうをする隊員たいいん

昭和しょうわ35年度ねんどまつ実績じっせきでは、自衛じえいかん17まんにん予備よび自衛じえいかん1まん5せんにん平時へいじ地域ちいき配備はいびする部隊ぶたいとして6管区かんくたいおよび3混成こんせいだん体制たいせい確立かくりつされ、上部じょうぶ組織そしきとして5方面ほうめんたい整備せいびされた。そのながらく自衛じえいかん定数ていすう17まんにん前後ぜんこう維持いじされた。

それにくわえて、機動きどう運用うんよう部隊ぶたいとしては、1個いっこ機械きかい混成こんせいだんだい7混成こんせいだんだい7師団しだん)、1個いっこ戦車せんしゃぐん1個いっことくだん1個いっこ空挺くうていだんだい1空挺くうていだん)、1個いっこ教導きょうどうだん編成へんせいされた。

たん年度ねんど計画けいかく:1961年度ねんど昭和しょうわ36年度ねんど[編集へんしゅう]

この1961ねん昭和しょうわ36ねん)4がつ61しき戦車せんしゃ制式せいしき採用さいようされ、国産こくさん戦車せんしゃ嚆矢こうしとなる。

だい2防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく:1962年度ねんど昭和しょうわ37年度ねんど) - 1966年度ねんど昭和しょうわ41年度ねんど[編集へんしゅう]

1962ねん昭和しょうわ37ねん)の師団しだんとう配置はいち

管区かんくたいおよび混成こんせいだんは、1962ねん昭和しょうわ37ねん)に師団しだん編成へんせいとなり、6管区かんくたい4混成こんせいだんが13師団しだん改編かいへんされた[14]かく師団しだん定員ていいん7000めい - 9000めいという規模きぼは、しょ外国がいこく旅団りょだん程度ていどとなる[15]昭和しょうわ37年度ねんどまつ実績じっせきでは、自衛じえいかん17まん1500にん予備よび自衛じえいかん2まん4せんにん基幹きかん部隊ぶたいとして5方面ほうめんたい・13師団しだん対空たいくう誘導ゆうどうだん部隊ぶたい2たい体制たいせい確立かくりつされた。ナイキ・エイジャックスシステムの導入どうにゅうおこなわれたが、これは1964ねん昭和しょうわ39ねん)から航空こうくう自衛隊じえいたいへと移管いかんされた。

このだい2防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかくなかで、1964ねん昭和しょうわ39ねん)に64しき7.62mm小銃しょうじゅう採用さいようされた。この小銃しょうじゅうは1989ねん平成へいせい元年がんねん)に89しき5.56mm小銃しょうじゅう採用さいようされるまで陸上りくじょう自衛隊じえいたい主力しゅりょく小銃しょうじゅうとなっていた。

だい3防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく:1967年度ねんど昭和しょうわ42年度ねんど) - 1971年度ねんど昭和しょうわ46年度ねんど[編集へんしゅう]

昭和しょうわ46年度ねんどまつ実績じっせきでは、自衛じえいかん17まん9せんにん予備よび自衛じえいかん3まん6せんにん基幹きかん部隊ぶたいとして5方面ほうめんたいおよび13師団しだんホーク部隊ぶたい4たい体制たいせい確立かくりつされた。

だい4防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく:1972年度ねんど昭和しょうわ47年度ねんど) - 1976年度ねんど昭和しょうわ51年度ねんど[編集へんしゅう]

1972ねん昭和しょうわ47ねん)5がつ15にち沖縄おきなわ返還へんかんともない、平時へいじ地域ちいき配備はいびする部隊ぶたいとして1個いっこ混成こんせいだんだい1混成こんせいだん)があらたにもうけられ、沖縄おきなわけんへの駐屯ちゅうとん開始かいしした。ながらく主力しゅりょく戦車せんしゃにあった61しき戦車せんしゃ累計るいけい560輛生産せいさん)であったが、このだい4防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかくちゅうの1975ねん昭和しょうわ50ねん)に生産せいさん終了しゅうりょうとなった。

防衛ぼうえい計画けいかく大綱たいこう:1977年度ねんど昭和しょうわ52年度ねんど以降いこう[編集へんしゅう]

1981ねん昭和しょうわ56ねん)の師団しだんとう配置はいち

自衛隊じえいたい創設そうせつ以来いらい、4にわたる「防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく」を実施じっしして、防衛ぼうえいりょく一定いってい水準すいじゅんたっした。そこで、1977ねん昭和しょうわ52ねん以降いこうは、「防衛ぼうえい計画けいかく大綱たいこう」をさだめて、それにもとづいて防衛ぼうえいりょく規律きりつすることになった。

そして、1985年度ねんど昭和しょうわ60年度ねんど以降いこうは、大綱たいこうもとづいて5ねんごと中期ちゅうき防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく実施じっししてきた。

1980ねん昭和しょうわ55ねん)には、対馬つしま警備けいびたい編成へんせいされた。また、1981ねん昭和しょうわ56ねん)には四国しこく地域ちいき警備けいびのため、だい13師団しだん改編かいへんし、だい2混成こんせいだん編成へんせいされている。1990ねん平成へいせい2ねん)8がつ6にち戦後せんごだい3世代せだい戦車せんしゃとなる90しき戦車せんしゃ制式せいしきされた。1992ねん平成へいせい4ねん)に国際こくさい連合れんごう平和へいわ維持いじ活動かつどうとうたいする協力きょうりょくかんする法律ほうりつ制定せいていされ、陸上りくじょう自衛隊じえいたいによる海外かいがいにおける活動かつどうひらかれた。これをけて、陸上りくじょう自衛隊じえいたいはつ海外かいがいじつ任務にんむとなる自衛隊じえいたいカンボジア派遣はけんおこなわれ、国際こくさい連合れんごうカンボジア暫定ざんてい統治とうち機構きこう部隊ぶたい参加さんかしている。

防衛ぼうえい計画けいかく大綱たいこう:1996年度ねんど平成へいせい8年度ねんど以降いこう[編集へんしゅう]

概要がいよう[編集へんしゅう]

90しき戦車せんしゃ

1995ねん平成へいせい7ねん)11月28にち閣議かくぎ決定けっていされた1996年度ねんど平成へいせい8年度ねんど以降いこうかか防衛ぼうえい計画けいかく大綱たいこうについてにもとづく。冷戦れいせん終結しゅうけつともない、ソビエト連邦れんぽうぐんによる北海道ほっかいどうへのだい規模きぼ侵攻しんこう可能かのうせい減少げんしょうし、従来じゅうらい北方ほっぽう重視じゅうしから、軍備ぐんび増強ぞうきょうつづける中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほうぐん朝鮮半島ちょうせんはんとう有事ゆうじそなえての西方せいほう重視じゅうしへと方針ほうしん変更へんこうすることとなる。また、師団しだん一部いちぶおよ混成こんせいだん旅団りょだん改編かいへんすることとなった。また、市街地しがいち戦闘せんとう訓練くんれん充実じゅうじつ日本にっぽん警察けいさつ地方ちほう公共こうきょう団体だんたい連携れんけいした防災ぼうさい訓練くんれん推進すいしんなどもおこなわれた。

編成へんせい定数ていすうは、常備じょうび自衛じえいかん定員ていいんが14まん5せんにん即応そくおう予備よび自衛じえいかんが1まん5せんにん合計ごうけい16まんにんとされる。基幹きかん部隊ぶたいのうち、平時へいじ地域ちいき配備はいびする部隊ぶたいは8師団しだんおよび6旅団りょだん平成へいせい16年度ねんどまつまでに完了かんりょうしたのはその一部いちぶのみ)、機動きどう運用うんようする部隊ぶたい1個いっこ機甲きこう師団しだん1個いっこ空挺くうていだんおよ1個いっこヘリコプターだん対空たいくう誘導ゆうどうだん部隊ぶたいは8高射こうしゃとくぐんとされた。主要しゅよう装備そうびでは、戦車せんしゃやく900りょう主要しゅようとく装備そうびやく900もん/りょうとされた。

これにもとづき、陸上りくじょう自衛隊じえいたいはつとなる「旅団りょだん編成へんせい小型こがた師団しだんがた)が1999ねん平成へいせい11ねん)に発足ほっそくした(だい13旅団りょだん)ただし、元々もともと旅団りょだん規模きぼでしかなかったものをさらに縮小しゅくしょうしたため、実質じっしつてき規模きぼ戦力せんりょく連隊れんたいないし連隊れんたい戦闘せんとうだん程度ていどとなっている[15]

中期ちゅうき防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく:1996ねん平成へいせい8ねん) - 2000ねん平成へいせい12ねん[編集へんしゅう]

中期ちゅうき防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく (1996)もとづく改革かいかく比較的ひかくてき小規模しょうきぼであった。この段階だんかいでは、13師団しだん、2混成こんせいだんで、戦車せんしゃやく1200りょう火砲かほうやく1000もん維持いじされた。

中期ちゅうき防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく:2001ねん平成へいせい13ねん) - 2005ねん平成へいせい17ねん[編集へんしゅう]

当初とうしょ、この2001ねん平成へいせい13ねん)の中期ちゅうき防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく (2001)は2005年度ねんど平成へいせい17年度ねんどまつまでを予定よていしていたが、2005年度ねんど平成へいせい17年度ねんど)からあたらしい防衛ぼうえい大綱たいこうさだめられたことにともない、2004年度ねんど平成へいせい16年度ねんどまつ廃止はいしされた。

基幹きかん部隊ぶたいについては、「陸上りくじょう自衛隊じえいたいについては、装備そうび近代きんだいにもはいしつつ、あらたに4師団しだんおよび2混成こんせいだんについて改編かいへん実施じっしする。そのさい1個いっこ師団しだんおよ1個いっこ混成こんせいだん旅団りょだん改編かいへんするとともに、改編かいへんした師団しだんおよ旅団りょだんのそれぞれについて、その一部いちぶ部隊ぶたいを、即応そくおうせいたか予備よび自衛じえいかん主体しゅたいとして編成へんせいする」とされた。2004年度ねんど平成へいせい16年度ねんどまつ時点じてんで、10師団しだん、3旅団りょだんだい5・だい12・だい13旅団りょだん)、2混成こんせいだんだい1・だい2混成こんせいだん)の編成へんせいであった。

2005ねん平成へいせい17ねん)3がつ31にち現在げんざいで、陸上りくじょう自衛隊じえいたい自衛じえいかん定員ていいんは157,828にん現員げんいんは147,737にん充足じゅうそくりつは93.6%で、定員ていいん削減さくげん結果けっか充足じゅうそくりつ非常ひじょうたかくなっている。これは、部隊ぶたい即応そくおうせい機動きどうせいたかくなっていることをしめしている。ただ、基幹きかん部隊ぶたいはなおかく師団しだん旅団りょだん混成こんせいだん分散ぶんさんされていた。

この中期ちゅうき防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかくしたでは、たいゲリラせん重視じゅうしから防衛庁ぼうえいちょう長官ちょうかん直轄ちょっかつ部隊ぶたいとして特殊とくしゅ作戦さくせんぐん(2004ねん平成へいせい16ねん)3がつ27にち編成へんせい完結かんけつ西部せいぶ方面ほうめん総監そうかん直轄ちょっかつ部隊ぶたいとして2002ねん平成へいせい14ねん)に編成へんせい完結かんけつした西部せいぶ方面ほうめん普通ふつう連隊れんたい新編しんぺんされた。また、2002ねん平成へいせい14ねん)4がつには国民こくみんたいする総合そうごうてき広報こうほう施設しせつとして、朝霞駐屯地あさかちゅうとんち陸上りくじょう自衛隊じえいたい広報こうほうセンター開設かいせつされた。

防衛ぼうえい計画けいかく大綱たいこう:2005年度ねんど平成へいせい17年度ねんど以降いこう[編集へんしゅう]

概要がいよう[編集へんしゅう]

2006ねん平成へいせい18ねん)9がつ18にち
会議かいぎおこな陸上りくじょう自衛じえいかん

2004ねん平成へいせい16ねん)12がつ10日とおか安全あんぜん保障ほしょう会議かいぎ決定けってい閣議かくぎ決定けっていされた、2005年度ねんど平成へいせい17年度ねんど以降いこうかか防衛ぼうえい計画けいかく大綱たいこうについてにもとづくもので、2005ねん平成へいせい17ねん)4がつ以降いこう対象たいしょうである。

編成へんせい定数ていすうは、常備じょうび自衛じえいかん定員ていいんが14まん8せんにん即応そくおう予備よび自衛じえいかんが7せんにん合計ごうけい15まん5せんにんとされる。基幹きかん部隊ぶたいのうち、平時へいじ地域ちいき配備はいびする部隊ぶたいは8師団しだんおよび6旅団りょだん機動きどう運用うんようする部隊ぶたい1個いっこ機甲きこう師団しだんおよ中央ちゅうおう即応そくおう集団しゅうだん対空たいくう誘導ゆうどうだん部隊ぶたいは8高射こうしゃとくぐんとする。主要しゅよう装備そうびでは、戦車せんしゃやく600りょう主要しゅようとく装備そうびやく600もん/りょうとされた。

国際こくさい貢献こうけん災害さいがい派遣はけんなど自衛隊じえいたい活動かつどうする場面ばめんえたことにより、常備じょうび自衛じえいかんが3せんにん増員ぞういんされたものの、公務員こうむいん定員ていいん削減さくげん一環いっかんとして即応そくおう予備よび自衛じえいかん半減はんげんされることとなった。また、機動きどう運用うんようする部隊ぶたいでは、1個いっこ空挺くうていだんおよ1個いっこヘリコプターだん記載きさいされなくなり、わって中央ちゅうおう即応そくおう集団しゅうだんみとめられた。

主要しゅよう装備そうびも、だい規模きぼ地上ちじょうぐん侵攻しんこう危険きけんせい大幅おおはば減少げんしょうし、むしろけい装備そうび工作こうさくいんまたはテロリストの危険きけんせいたかまったことにより、たい機甲きこうせん重視じゅうしあらため、正面しょうめん装備そうび大幅おおはば減少げんしょうさせた一方いっぽう即応そくおうりょく機動きどうせい向上こうじょう目指めざしている。その一環いっかんとして、コア部隊ぶたい即応そくおう予備よび自衛じえいかん中心ちゅうしんとする部隊ぶたい)については、師団しだん旅団りょだんから方面ほうめんたいちょく隷に移管いかん東北とうほく方面ほうめん混成こんせいだんなど)し、だい一線いっせん部隊ぶたいである師団しだん旅団りょだんすべてを常備じょうび自衛じえいかんにより充実じゅうじつさせ、即応そくおうせい向上こうじょうさせた。

演習えんしゅう発砲はっぽうする203mm榴弾りゅうだんほう

この大綱たいこうともなって戦車せんしゃ火砲かほうといったちゃく上陸じょうりく侵攻しんこう対処たいしょ装備そうび大幅おおはば削減さくげん、そして隊員たいいん削減さくげんなども同時どうじおこなわれている。たとえば、戦車せんしゃ保有ほゆうすうは2005ねん平成へいせい17ねん)3がつ現在げんざいで980りょうであるが、防衛ぼうえい計画けいかく大綱たいこう平成へいせい17ねん以降いこう)では、これを600りょう程度ていどまで削減さくげんすることになっている。

師団しだん旅団りょだん体制たいせい[編集へんしゅう]

2005年度ねんど平成へいせい17年度ねんど以降いこう防衛ぼうえい計画けいかく大綱たいこうによると、師団しだんおよ旅団りょだんおおきく2つに分類ぶんるいされた。※大綱たいこう自体じたいには明記めいきはなく、下記かき定義ていぎは2006年度ねんど平成へいせい18年度ねんど防衛ぼうえい白書はくしょによる。

即応そくおう近代きんだい師団しだん旅団りょだん
あらたな脅威きょうい多様たよう事態じたい迅速じんそくかつ効果こうかてき対応たいおうるよう、戦車せんしゃ火砲かほうなどのじゅう装備そうび効率こうりつし、即応そくおうせい機動きどうせい重視じゅうしして編成へんせい配置はいちする部隊ぶたい
総合そうごう近代きんだい師団しだん旅団りょだん
あらたな脅威きょうい多様たよう事態じたいへの対応たいおうから、将来しょうらい本格ほんかくてき侵略しんりゃく事態じたい対処たいしょまで、あらゆる事態じたい対応たいおうるよう、総合そうごうてき能力のうりょく重視じゅうしして編成へんせい配置はいちする部隊ぶたい

さらに、即応そくおう近代きんだい師団しだんにはとく政経せいけい中枢ちゅうすうがただい1師団しだんだい3師団しだんおよ離島りとうがただい15旅団りょだん)が、総合そうごう近代きんだい師団しだんには機甲きこうがただい7師団しだん)がもうけられる。

中期ちゅうき防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく:2005ねん平成へいせい17ねん) - 2009ねん平成へいせい21ねん[編集へんしゅう]

2005年度ねんど平成へいせい17年度ねんど以降いこう防衛ぼうえい計画けいかく大綱たいこうもとづき、中期ちゅうき防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく (2005)さだめられた。ここでは、陸上りくじょう自衛隊じえいたい組織そしき見直みなおしとして、「陸上りくじょう自衛隊じえいたいについては、戦車せんしゃおよ主要しゅようとく装備そうび縮減しゅくげんはかりつつ、即応そくおうせい機動きどうせいとう一層いっそう向上こうじょうさせるため、5師団しだん1個いっこ旅団りょだんおよび2混成こんせいだんについて改編かいへん実施じっしし、このうち1個いっこ師団しだんおよび2混成こんせいだん旅団りょだん改編かいへんする。また、機動きどう運用うんよう部隊ぶたい専門せんもん部隊ぶたい一元いちげんてき管理かんり運用うんようする中央ちゅうおう即応そくおう集団しゅうだん新編しんぺんする」とされた。また、同時どうじに「計画けいかく期間きかんまつ編成へんせい定数ていすうについては、おおむね16まん1せんにん程度ていど常備じょうび自衛じえいかん定員ていいんについてはおおむね15まん2せんにん程度ていど即応そくおう予備よび自衛じえいかん員数いんずうについては、おおむね8せんにん程度ていどをめどとする。なお、陸上りくじょう自衛隊じえいたい常備じょうび自衛じえいかん充足じゅうそくについては、計画けいかく期間きかんまつにおいて、おおむね14まん6せんにん程度ていどをめどとする」とされた。

防衛ぼうえいしょう陸上りくじょう自衛隊じえいたい 航空機こうくうきぐん

この中期ちゅうき防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかくにおける装備そうびひん主要しゅよう整備せいび目標もくひょうつぎとおりである。戦車せんしゃは49りょう火砲かほう迫撃はくげきほうのぞく)は38りょう装甲車そうこうしゃは104りょう戦闘せんとうヘリコプターAH-64D)は7輸送ゆそうヘリコプター(CH-47JA)は11中距離ちゅうきょり対空たいくう誘導ゆうどうだん03しき中距離ちゅうきょり対空たいくう誘導ゆうどうだん)は8中隊ちゅうたいである。

いままで対戦たいせんしゃヘリコプターとして配備はいびされていたAH-1S コブラ退役たいえきする一方いっぽうで、戦闘せんとうヘリコプターとしてAH-64D アパッチ・ロングボウあらたに就役しゅうえきすることになっていたが、防衛ぼうえいしょうは2007ねん平成へいせい19ねん)にAH-64Dの導入どうにゅうりを発表はっぴょうし、それまでの調達ちょうたつすうは10となった。現在げんざいあらたな後継こうけい攻撃こうげきヘリコプターの採用さいよう計画けいかく進展しんてんしている(詳細しょうさいAH-X

なお、この計画けいかくもとづき以下いか部隊ぶたい機関きかんについて新編しんぺん改編かいへん実施じっしされた。

防衛ぼうえい計画けいかく大綱たいこう:2011年度ねんど平成へいせい23年度ねんど以降いこう[編集へんしゅう]

中期ちゅうき防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく:2011ねん平成へいせい23ねん) - 2015ねん平成へいせい27ねん[編集へんしゅう]

当初とうしょほん計画けいかく策定さくていは2009ねん平成へいせい21ねんまつ予定よていされていたが、同年どうねん8がつ30にち実施じっしされただい45かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ結果けっか自由民主党じゆうみんしゅとう公明党こうめいとうによる「自公じこう連立れんりつ政権せいけん」から鳩山はとやま由紀夫ゆきお内閣ないかく民主党みんしゅとう政権せいけん)へと政権せいけん交代こうたいする。これにともない、麻生あそう内閣ないかくした提出ていしゅつされた2010年度ねんど平成へいせい22年度ねんど予算よさん編成へんせい見直みなおしがはかられることとなり、年度ねんどぶん予算よさん編成へんせい防衛ぼうえい大綱たいこう中期ちゅうきぼううらづけのたん年度ねんど予算よさん編成へんせいされた。

また、当初とうしょ概算がいさん要求ようきゅうまれていた組織そしき改編かいへん先送さきおくりとなり、石破いしばしげる防衛ぼうえい大臣だいじん設立せつりつされた防衛ぼうえいしょう改革かいかく会議かいぎ廃止はいしとなった。なお、この民主党みんしゅとう政権せいけん制定せいていされた中期ちゅうきぼうは2012ねん平成へいせい24ねん)12月に発足ほっそくした自由民主党じゆうみんしゅとうだい2安倍あべ内閣ないかくによって廃止はいしされ、2013ねん平成へいせい25ねん)12月17にちあらたな大綱たいこうおよ中期ちゅうきぼうしめされた。本中ほんなかぼうにおいては陸上りくじょうそうたい司令しれい新編しんぺんとく戦車せんしゃ部隊ぶたい集約しゅうやく一元化いちげんかおよ水陸すいりく機動きどうだん新編しんぺんとうそうたい以来いらいだい規模きぼ改編かいへんおこなわれた。

中期ちゅうき防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく:2019ねん平成へいせい31ねん[編集へんしゅう]

防衛ぼうえいりょく整備せいび計画けいかく:2023ねんれい5ねん[編集へんしゅう]

任務にんむ[編集へんしゅう]

陸上りくじょうにおける国土こくど防衛ぼうえいおも任務にんむとする。当初とうしょ冷戦れいせん体制たいせいのもと、おもにソビエト連邦れんぽうによるだい規模きぼ侵攻しんこうそなえ、そのさい国土こくどないで「内陸ないりく持久じきゅう戦闘せんとうおこなって当面とうめんもちこたえ、アメリカぐん来援らいえん共同きょうどう反攻はんこう撃退げきたいおこなうことを想定そうていしていた。しかし1990年代ねんだい以降いこうソビエト連邦れんぽう崩壊ほうかいによる北方ほっぽう脅威きょうい減少げんしょうによって日本にっぽん本土ほんどだい規模きぼ地上ちじょうせんこる可能かのうせい減少げんしょうしたものの、中国ちゅうごく台頭たいとうによるさきとう諸島しょとうとうでの島嶼とうしょ防衛ぼうえい北朝鮮きたちょうせんテロリズム対処たいしょゲリラゆうげき、また、阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさい以降いこうとく活発かっぱつになった災害さいがい派遣はけん海外かいがい派遣はけんなど、陸自りくじ任務にんむ一層いっそうえており、北方ほっぽう重視じゅうしであったこれまでの配備はいび見直みなおして全国ぜんこくてき変革へんかく現在げんざいおこなわれている。

国土こくど防衛ぼうえい[編集へんしゅう]

富士ふじ総合そうごう火力かりょく演習えんしゅう射撃しゃげきをする90しき戦車せんしゃ

日本にっぽん四方しほううみかこまれた島国しまぐにであり、海上かいじょう交通こうつうシーレーン)を封鎖ふうさされては国家こっか存立そんりつあやうくなる。また、日本にっぽん防衛ぼうえい基本きほん方針ほうしん専守防衛せんしゅぼうえいであるために、外国がいこくからの侵攻しんこうけた場合ばあいは、まず海上かいじょう自衛隊じえいたい航空こうくう自衛隊じえいたい主体しゅたいとなって洋上ようじょうでの戦闘せんとうおこなこと想定そうていされている。そのため陸上りくじょう自衛隊じえいたいは、そのにある「最終さいしゅう防衛ぼうえいりょく」と位置いちづけられている。標語ひょうごである『Final Goalkeeper of Defense』はこれをあらわしている。

一般いっぱん先進せんしんこく国防こくぼうにおいてもっと費用ひようかるのが人件じんけん給与きゅうよ糧食りょうしょくとう)であり、日本にっぽん例外れいがいではなく、自衛隊じえいたい全体ぜんたい人件じんけんだけで防衛ぼうえい予算よさんの45%をめる。そして、隊員たいいん圧倒的あっとうてきおおかかえるのが陸自りくじ(15.5まんにん)であり、海自かいじ(4.2まんにん)、空自くうじ(4.6まんにん)をおおきくはなしている。装備そうび維持いじとうくと、ますます装備そうび調達ちょうたつ予算よさんがないのが現状げんじょうである。島国しまぐにである日本にっぽんにとっての現在げんざい陸上りくじょう自衛隊じえいたい存在そんざいは「潜在せんざい防衛ぼうえいりょく」であり、「確固かっこたる陸上りくじょう部隊ぶたい存在そんざいすること」による「上陸じょうりく侵攻しんこう抑止よくし」をだいいち任務にんむとしている。

防衛ぼうえい任務にんむのため、正面しょうめん装備そうびとして戦車せんしゃ装甲車そうこうしゃなどの陸上りくじょう装備そうびヘリコプターなどの航空機こうくうき保有ほゆうしており、これらの装備そうび毎年まいとし8がつ実施じっし一般いっぱん公開こうかいされる富士ふじ総合そうごう火力かりょく演習えんしゅう各地かくち駐屯ちゅうとんまつりなどで公開こうかいされている。

航空機こうくうき柔軟じゅうなん運用うんよう可能かのうヘリコプター中心ちゅうしんであるが、連絡れんらく偵察ていさつとして固定こていつばさ少数しょうすう配備はいびしている。大型おおがたゆうしていないため、長距離ちょうきょり移動いどう大量たいりょう物資ぶっし輸送ゆそうなどは航空こうくう自衛隊じえいたい支援しえん必要ひつようとする。陸上りくじょう自衛隊じえいたいうみそらのような航空こうくう学生がくせい制度せいどたず、入隊にゅうたい適正てきせいしゃ選抜せんばつするりく航空こうくう操縦そうじゅう学生がくせい実施じっししている。

水上すいじょう水中すいちゅう装備そうびとして隠密おんみつせいすぐれたゴムボートや水中すいちゅうスクーターを配備はいびしているが輸送ゆそうかん強襲きょうしゅう揚陸ようりくかんはないため、長距離ちょうきょり海上かいじょう輸送ゆそうだい規模きぼ上陸じょうりく作戦さくせんでは海上かいじょう自衛隊じえいたい支援しえん必要ひつようとする。

最近さいきんでは、南西諸島なんせいしょとうなどの離島りとうへの侵攻しんこうたいする「上陸じょうりく侵攻しんこう抑止よくし任務にんむ重要じゅうようせいしつつある。また、国内こくない潜伏せんぷくする工作こうさくいんによるゲリラコマンド攻撃こうげき、あるいはテロリズムひとしたいする抑止よくしりょくとして重視じゅうしされつつある。日本にっぽんだい規模きぼテロや特殊とくしゅ部隊ぶたいによる攻撃こうげきなどをけた場合ばあい防衛ぼうえい出動しゅつどうまたは治安ちあん警護けいご出動しゅつどういのちにより陸上りくじょう自衛隊じえいたいさい優先ゆうせん防護ぼうごする「重要じゅうよう防護ぼうご施設しせつ」が全国ぜんこくに135箇所かしょ指定していされており、かく方面ほうめんたい担当たんとう施設しせつられている。

なお、「対人たいじん地雷じらい使用しよう貯蔵ちょぞう生産せいさんおよ移譲いじょう禁止きんしならびに廃棄はいきかんする条約じょうやく」により、2003ねん平成へいせい15ねん)2がつ8にちまでに、訓練くんれんようなど一部いちぶのぞすべての対人たいじん地雷じらい廃棄はいき完了かんりょうした。また、2008ねん平成へいせい20ねん)12月にはクラスターばくだん禁止きんし条約じょうやく署名しょめいしたことで、保有ほゆうするクラスターばくだん新型しんがたばくだん調達ちょうたつ中止ちゅうしふく全廃ぜんぱいする。

災害さいがい派遣はけん民生みんせい協力きょうりょく[編集へんしゅう]

陸上りくじょう自衛隊じえいたい衛生えいせい 救急きゅうきゅうしゃ

陸上りくじょう自衛隊じえいたいは、おもだい規模きぼ災害さいがいさいし、救援きゅうえん活動かつどう派遣はけんされる。自衛隊じえいたいほうにおいてしゅたる任務にんむ目的もくてきとはされていないが、世界せかい有数ゆうすう災害さいがい発生はっせいこくである日本にっぽんはん世紀せいきにわたる災害さいがい派遣はけん経験けいけんし、おおくの有事ゆうじ対処たいしょおこなってきた。瓦礫がれきなかから被害ひがいしゃ捜索そうさくするなど人海じんかい戦術せんじゅつ必要ひつよう任務にんむおおく、災害さいがい派遣はけんにおいては大量たいりょう動員どういん可能かのう普通ふつう主力しゅりょくとなる。

地震じしん台風たいふう水害すいがい雪害せつがい火山かざん活動かつどうなど多種たしゅ多様たよう災害さいがい出動しゅつどうしている。2004ねん新潟にいがたけん中越なかこし地震じしんでは、孤立こりつ集落しゅうらくからおおくの被災ひさいしゃヘリコプター救出きゅうしゅつしたほか、新潟にいがたスタジアムまえ野外やがい炊具設置せっちし、毎食まいしょく多数たすう被災ひさいしゃ食事しょくじ提供ていきょうした。被災ひさいこくから出動しゅつどう要請ようせいける機会きかいえており、スマトラ島すまとらとうおき地震じしんパキスタン地震じしんさいにも緊急きんきゅう出動しゅつどうしている。

災害さいがい出動しゅつどう以外いがいにも副次的ふくじてき業務ぎょうむとして、各種かくしゅマラソン大会たいかいさっぽろゆきまつりなどの「民生みんせい協力きょうりょく」にもちかられている。また、がいじゅう駆除くじょりょうともかいなどととも協力きょうりょくすることもある[16]

海外かいがい派遣はけん[編集へんしゅう]

国連こくれん平和へいわ維持いじ活動かつどう紛争ふんそう復興ふっこう上記じょうきのような災害さいがい援助えんじょのために日本にっぽん国外こくがい派遣はけんされることがある。PKO協力きょうりょくほうひとしによって自衛隊じえいたい海外かいがい派遣はけん一般いっぱんてき任務にんむとなり、また、国際こくさい連合れんごう要請ようせい以外いがいにもかぎりほうによる派遣はけん恒常こうじょうしつつある。陸上りくじょう部隊ぶたいとして海外かいがい派遣はけん中心ちゅうしんになこととされている。

部隊ぶたい編制へんせい機関きかん[編集へんしゅう]

陸上りくじょう自衛隊じえいたい大別たいべつして、陸上りくじょう幕僚監部ばくりょうかんぶ大小だいしょう様々さまざま部隊ぶたいおよび機関きかんからなる。 陸上りくじょう幕僚監部ばくりょうかんぶ防衛ぼうえい大臣だいじん幕僚ばくりょう機関きかんとして、防衛ぼうえい警備けいび計画けいかく立案りつあん部隊ぶたいとう管理かんり運営うんえい調整ちょうせいし、大臣だいじん補佐ほさする。 陸上りくじょうそうたい司令しれいかん防衛ぼうえい大臣だいじんいのちけ、有事ゆうじにおいてはJTF陸上りくじょう部隊ぶたい指揮しきかんとして2以上いじょう方面ほうめんたい統合とうごう運用うんようする。

主要しゅよう部隊ぶたい[編集へんしゅう]

師団しだん旅団りょだん配置はいち

部隊ぶたいとは、十分じゅうぶん兵器へいき装備そうびし、戦闘せんとう従事じゅうじするかまたはそれを支援しえんする能力のうりょくゆうする組織そしきをさし、戦略せんりゃく単位たんいとして方面ほうめんたい作戦さくせん単位たんいとして師団しだん旅団りょだん戦術せんじゅつ単位たんいとしてぐん連隊れんたいたい大隊だいたいといった部隊ぶたい編制へんせいゆうする。これらの部隊ぶたいは、それぞれに警備けいび担任たんにん区域くいきゆうしており、平時へいじ防衛ぼうえい警備けいび担任たんにんする。陸上りくじょう自衛隊じえいたいゆうする戦略せんりゃく単位たんい作戦さくせん単位たんい下記かきのとおりである。

部隊ぶたい単位たんい[編集へんしゅう]

師団しだん標準ひょうじゅんてき編制へんせい
旅団りょだん標準ひょうじゅんてき編制へんせい
普通ふつう連隊れんたい標準ひょうじゅんてき編制へんせい
普通ふつう小銃しょうじゅう小隊しょうたい標準ひょうじゅんてき編制へんせい

陸上りくじょう自衛隊じえいたいにおける部隊ぶたい単位たんいは、自衛隊じえいたいほう施行しこうれい昭和しょうわ29ねん政令せいれいだい179ごう[17]および陸上りくじょう自衛隊じえいたい部隊ぶたい組織そしきおよ編成へんせいかんする訓令くんれい平成へいせい12ねん陸上りくじょう自衛隊じえいたい訓令くんれいだい25ごう[18]ひとしによって、つぎのように規定きていされている。

  • 方面ほうめんたい方面ほうめん総監そうかんりくすすむ指定していしょく5ごう方面ほうめん総監そうかん、2 - 4師団しだんまたは旅団りょだん、およびその直轄ちょっかつ部隊ぶたいからなる。
  • 師団しだん師団しだんちょうりくすすむ指定していしょく2ごうまたは1ごう師団しだん司令しれい普通ふつう連隊れんたい3コ、戦車せんしゃ連隊れんたい大隊だいたい)、とく連隊れんたいとくたい)、後方こうほう支援しえん連隊れんたいなどからなる。実質じっしつてき規模きぼ旅団りょだん程度ていど[15]
  • 旅団りょだん旅団りょだんちょうりくすすむいち構成こうせい師団しだんじゅんじており、旅団りょだん司令しれい普通ふつう連隊れんたいけい)3コ、とくたい後方こうほう支援しえんたいなどからなる[注釈ちゅうしゃく 6]実質じっしつてき規模きぼ連隊れんたいないし連隊れんたい戦闘せんとうだん程度ていど[15]
  • だん団長だんちょうりくすすむ)または1とうりくたすくいちだん本部ほんぶおよ数個すうこ連隊れんたいぐん大隊だいたいまたたいとうからなる。方面ほうめん混成こんせいだんとくだん高射こうしゃとくだん施設しせつだん通信つうしんだん富士ふじ教導きょうどうだんおよ開発かいはつ実験じっけんだんがある。
  • 連隊れんたい連隊れんたいちょうは1とうりくたすく連隊れんたい本部ほんぶおよび数個すうこ大隊だいたいまたは中隊ちゅうたいからなる。
  • ぐんぐんちょうは1とうりくたすくしくはさんぐん本部ほんぶおよび数個すうこ大隊だいたいまたは中隊ちゅうたいからなる。
  • 大隊だいたい大隊だいたいちょう2とうりくたすく駐屯ちゅうとん司令しれい兼務けんむする場合ばあいかぎり1さん)がてられる)大隊だいたい本部ほんぶおよび数個すうこ中隊ちゅうたいからなる。
  • 中隊ちゅうたい中隊ちゅうたいちょう3とうりくたすくまたは1とうりくじょう中隊ちゅうたい本部ほんぶおよび数個すうこ小隊しょうたいからなる。
  • 小隊しょうたい小隊しょうたいちょう1とうりくじょうから3とうりくじょう小隊しょうたい本部ほんぶおよび数個すうこ分隊ぶんたいまたははんからなる。
  • はん班長はんちょう2とうりくまたは3とうりく曹。数個すうこくみからなる。10めい程度ていど構成こうせいされる。
  • 分隊ぶんたい分隊ぶんたいちょうは2とうりく曹または3とうりく曹。数個すうこくみまたは4 - 8めい程度ていど分隊ぶんたいいんからなる。
  • くみ組長くみちょうは3とうりく曹、陸士りくしちょうまたは1とう陸士りくし。2 - 4めい程度ていど組員くみいんからなる。
  • たい規模きぼ様々さまざまであり、連隊れんたいよりもだい規模きぼだがだんとするには小規模しょうきぼなもの(西部せいぶ方面ほうめんとくたい北部ほくぶ方面ほうめん施設しせつたい)や連隊れんたい縮小しゅくしょうされて成立せいりつしたもの(だい3とくたいなど)から中隊ちゅうたい相当そうとうのものなど、多岐たきにわたっている。基本きほんてきには、師団しだん旅団りょだんないかれているたい偵察ていさつたいとくたい航空こうくうたい後方こうほう支援しえんたい化学かがく防護ぼうごたいおよび音楽おんがくたい。ただし司令しれいづけたいおよ後方こうほう支援しえん連隊れんたいまたは後方こうほう支援しえんたい隷下れいかたいかんむりしょう番号ばんごうがない)は師団しだんまたは旅団りょだん番号ばんごうかんむりしょうしている。他方たほう独立どくりつ部隊ぶたい場合ばあい部隊ぶたい番号ばんごうが1・2けたのものは連隊れんたい相当そうとう、100番台ばんだいのものは大隊だいたい相当そうとう、300番台ばんだいのものは中隊ちゅうたい相当そうとうとされる。また、「○○方面ほうめん○○たい」のような命名めいめいもある。自衛じえいかん服務ふくむ規則きそくおよ陸上りくじょう自衛じえいかん服務ふくむ細則さいそくにおいては、指揮しきしゃのいる2めい以上いじょう集団しゅうだんたい定義ていぎしている。
  • コア部隊ぶたい):基幹きかん要員よういん常備じょうび自衛じえいかん構成こうせいされ、主力しゅりょく訓練くんれん災害さいがい派遣はけんまたは防衛ぼうえい出動しゅつどうとう招集しょうしゅうされる即応そくおう予備よび自衛じえいかんからなる。

機関きかん[編集へんしゅう]

機関きかんとは学校がっこう病院びょういんとう部隊ぶたい維持いじ運営うんえいするための業務ぎょうむにな組織そしきである。 陸上りくじょう自衛隊じえいたいでは、職種しょくしゅべつ学校がっこう地域ちいきべつ補給ほきゅうしょとうかれている。

まさしくは学校がっこうおよ補給ほきゅう統制とうせい本部ほんぶ防衛ぼうえい大臣だいじん直轄ちょっかつ機関きかん補給ほきゅうしょ方面ほうめんたい直轄ちょっかつ機関きかんである(補給ほきゅうしょ補給ほきゅう統制とうせい本部ほんぶ統制とうせいしたがうのは業務ぎょうむじょう統制とうせいである。自衛隊じえいたいほうだい26じょうだい5こう明記めいき)。

以下いかさん自衛隊じえいたい共同きょうどう機関きかんである。

その陸海空りくかいくう自衛隊じえいたいそれぞれの機関きかんとして捕虜ほりょ収容しゅうようしょ臨時りんじ設置せっちできることをさだめている(自衛隊じえいたいほうだい24じょうだい3こう

職種しょくしゅ[編集へんしゅう]

画像がぞう[編集へんしゅう]

陸上りくじょう自衛じえいかん[編集へんしゅう]

装備そうび[編集へんしゅう]

その[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 帝国ていこく海軍かいぐん海自かいじ関係かんけいせいとはことなり公式こうしきには帝国ていこく陸軍りくぐん前身ぜんしんとしていないが、事実じじつじょう実質じっしつじょう前身ぜんしん
  2. ^ りゅうだんほうおよび多連装たれんそうロケットシステムを「火砲かほう」と区分くぶんしている[1]
  3. ^ さくら義雄よしおきゅう海軍かいぐんからの推薦すいせんにより入隊にゅうたい
  4. ^ ほかにも警備けいびたい海自かいじではなく、保安ほあんたい陸自りくじ入隊にゅうたいしたきゅう海軍かいぐん将校しょうこう少数しょうすうおり、池上いけがみいわお海兵かいへいだい54)・助川すけかわ弘道ひろみち海兵かいへいだい55)・浦部うらべきよし海兵かいへいだい56)・和田わだ曻治うみだい47)などがいる。
  5. ^ 2007ねん10がつ28にち朝霞駐屯地あさかちゅうとんちにおける平成へいせい19年度ねんど自衛隊じえいたい中央ちゅうおう観閲かんえつしきそう行進こうしん直後ちょくごにおける場内じょうないアナウンス。
  6. ^ たびだん規模きぼ特性とくせいによりことなる。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 5 具体ぐたいてき防衛ぼうえいりょく内容ないよう”. 平成へいせい23年度ねんどばん 防衛ぼうえい白書はくしょ だいII だい2しょう だい3せつ. 防衛ぼうえいしょう. 2013ねん12月26にち閲覧えつらん
  2. ^ 資料しりょう10 戦車せんしゃ主要しゅよう火器かきなどの保有ほゆうすう”. れい5年度ねんどばん 防衛ぼうえい白書はくしょ 資料しりょうへん. 防衛ぼうえいしょう. 2023ねん7がつ28にち閲覧えつらん
  3. ^ a b れい年版ねんばん防衛ぼうえい白書はくしょ 資料しりょう編目あみめ” (PDF). 防衛ぼうえいしょう. 2023ねん7がつ28にち閲覧えつらん
  4. ^ 陸上りくじょう自衛隊じえいたい公式こうしきホームページ エンブレム・シンボルマーク
  5. ^ 坂本さかもと祐信すけのぶきん現代げんだい日本にっぽん軍事ぐんじだい3かんさい出発しゅっぱつ』 かや書房しょぼう p.259
  6. ^ 赤澤あかざわ史朗しろう (へんさん) 『高度こうど成長せいちょう史的してき検証けんしょう (年報ねんぽう日本にっぽん現代げんだい) 』 p.39
  7. ^ 山崎やまざきカヲルしん国軍こくぐん用兵ようへいろん批判ひはん序説じょせつ鹿砦ろくさいしゃ p.46-48
  8. ^ 赤澤あかざわ史朗しろう (へんさん) 『高度こうど成長せいちょう史的してき検証けんしょう (年報ねんぽう日本にっぽん現代げんだい) 』 p.37-38
  9. ^ 朝日新聞あさひしんぶん 昭和しょうわ30ねん(1955ねん) 9がつ24にち
  10. ^ "自衛隊じえいたいなにをするのか〜たいテロ支援しえん 現場げんばからの報告ほうこく〜". NHKスペシャル. 4 November 2001. NHK総合そうごう
  11. ^ だい3師団しだん 信太山しださん駐屯ちゅうとん. “駐屯ちゅうとん司令しれいよりご挨拶あいさつ”. 陸上りくじょう自衛隊じえいたい. 2013ねん8がつ22にち閲覧えつらん
  12. ^ だい11旅団りょだん. “シンボルマーク”. 陸上りくじょう自衛隊じえいたい. 2009ねん8がつ12にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2009ねん9がつ7にち閲覧えつらん
  13. ^ だい11旅団りょだん. “だい11戦車せんしゃ大隊だいたい士魂しこん」の由来ゆらい”. 陸上りくじょう自衛隊じえいたい. 2023ねん9がつ7にち閲覧えつらん
  14. ^ 田村たむら尚也なおやおおきくわりつつある戦略せんりゃく任務にんむ 師団しだん改編かいへん旅団りょだん」『軍事ぐんじ研究けんきゅう』2004ねん9がつごうジャパン・ミリタリー・レビュー、144-122ぺーじ 
  15. ^ a b c d 奈良原ならはら裕也ゆうや軍事ぐんじ研究けんきゅう』2018ねん9がつごうジャパン・ミリタリー・レビュー、2018ねん8がつ10日とおか、55ぺーじ 
  16. ^ “シカ捕獲ほかく作戦さくせんこう発進はっしん 初日しょにち24とう : 北海道ほっかいどうはつ”. 読売新聞よみうりしんぶん. (2012ねん2がつ12にち) 
  17. ^ 自衛隊じえいたいほう施行しこうれい”. e-Gov法令ほうれい検索けんさく. デジタルちょう. 2008ねん11月22にち閲覧えつらん
  18. ^ 陸上りくじょう自衛隊じえいたい部隊ぶたい組織そしきおよ編成へんせいかんする訓令くんれい” (PDF). 防衛ぼうえいしょう情報じょうほう検索けんさくサービス. 防衛ぼうえいしょう. 2008ねん11月22にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 防衛ぼうえい産業さんぎょう協会きょうかい へん自衛隊じえいたい年鑑ねんかん 1956年版ねんばん防衛ぼうえい産業さんぎょう協会きょうかい、1956ねん1がつ1にちNDLJP:9577403 
  • 防衛ぼうえい年鑑ねんかん刊行かんこうかい へん防衛ぼうえい年鑑ねんかん 1956(昭和しょうわ31年版ねんばん)』防衛ぼうえい年鑑ねんかん刊行かんこうかい、1956ねんNDLJP:9673926 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

WEBサイト[編集へんしゅう]

SNS[編集へんしゅう]