陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい (りくじょうじえいたい、英 えい : Japan Ground Self-Defense Force 、略称 りゃくしょう : JGSDF )は、日本 にっぽん の行政 ぎょうせい 機関 きかん のひとつ。自衛隊 じえいたい のうちの陸上 りくじょう 部門 ぶもん にあたる防衛 ぼうえい 省 しょう の特別 とくべつ の機関 きかん の総称 そうしょう である。日本語 にほんご 略称 りゃくしょう は、陸自 りくじ (りくじ)。諸 しょ 外国 がいこく からは、Japanese Army (日本 にっぽん 陸軍 りくぐん の意 い )に相当 そうとう する語 かたり で表現 ひょうげん されることがある。
自衛隊 じえいたい で用 もち いられている内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん 旗 はた
陸上 りくじょう 幕僚監部 ばくりょうかんぶ 並 なら びに統合 とうごう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう および陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう の監督 かんとく を受 う ける部隊 ぶたい および機関 きかん からなる。各 かく 部隊 ぶたい および各 かく 機関 きかん は防衛 ぼうえい 省 しょう の特別 とくべつ の機関 きかん である。自衛隊 じえいたい 法 ほう の規定 きてい によれば、主 しゅ として陸 りく において行動 こうどう し、日本 にっぽん の平和 へいわ と独立 どくりつ を保 たも つため、直接 ちょくせつ 及 およ び間接 かんせつ の侵略 しんりゃく に対 たい する防衛 ぼうえい を行 おこな うことを主 おも 任務 にんむ とし、また、必要 ひつよう に応 おう じて公共 こうきょう の秩序 ちつじょ の維持 いじ に当 あ たるものとされる。主 おも に陸上 りくじょう 自衛 じえい 官 かん で構成 こうせい され、その最上級 さいじょうきゅう 者 しゃ は幕僚 ばくりょう 機関 きかん である陸上 りくじょう 幕僚監部 ばくりょうかんぶ を統括 とうかつ する陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう である。他国 たこく からは陸軍 りくぐん (Army)とみなされている。
平成 へいせい 28年度 ねんど 以降 いこう に関 かか わる防衛 ぼうえい 計画 けいかく の大綱 たいこう では、常備 じょうび 自衛 じえい 官 かん 150,875人 にん と即応 そくおう 予備 よび 自衛 じえい 官 かん 8,075人 にん の合計 ごうけい 158,950人 にん 、戦車 せんしゃ 約 やく 400両 りょう 、火砲 かほう [注釈 ちゅうしゃく 2] 約 やく 400門 もん と定数 ていすう が設定 せってい されている。2023年 ねん (令 れい 和 わ 5年 ねん )3月 がつ 末 まつ 時点 じてん での陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の各 かく 装備 そうび の保有 ほゆう 数 すう は、戦車 せんしゃ 450両 りょう 、装甲車 そうこうしゃ 980両 りょう 、機動 きどう 戦闘 せんとう 車 しゃ 160両 りょう 、高射 こうしゃ 機関 きかん 砲 ほう 50両 りょう 、ロケット弾 だん 発射 はっしゃ 機 き など40機 き 、野戦 やせん 砲 ほう (各種 かくしゅ 榴弾 りゅうだん 砲 ほう )370門 もん 、迫撃 はくげき 砲 ほう 1,200門 もん 、無 む 反動 はんどう 砲 ほう 2,600門 もん である[2] 。駐屯 ちゅうとん 地 ち 等 ひとし の数 かず は163(駐屯 ちゅうとん 地 ち 134・分 ふん 屯 たむろ 地 ち 29)である。
令 れい 和 わ 4年度 ねんど 末 まつ の人員 じんいん は、常備 じょうび 自衛 じえい 官 かん 15万 まん 0500名 めい 、即応 そくおう 予備 よび 自衛 じえい 官 かん は7,981名 めい で、年間 ねんかん 平均 へいきん 人員 じんいん は約 やく 15万 まん 8481名 めい である[3] 。令 れい 和 わ 5年度 ねんど の陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の予算 よさん は約 やく 1兆 ちょう 9120億 おく 円 えん である[3] 。
シンボルマークは「日本 にっぽん 列島 れっとう を守 まも るように抱 かか える緑色 みどりいろ の両手 りょうて 」、キャッチコピーは「守 まも りたい人 ひと がいる」[4] 。
防衛 ぼうえい 省 しょう 陸上 りくじょう 幕僚監部 ばくりょうかんぶ の入 はい る市ヶ谷 いちがや 地区 ちく A棟 とう (左端 ひだりはし )
1945年 ねん (昭和 しょうわ 20年 ねん )8月 がつ に日本 にっぽん はポツダム宣言 せんげん を受諾 じゅだく 。ポツダム宣言 せんげん 第 だい 9条 じょう に基 もとづ き大日本帝国 だいにっぽんていこく 陸軍 りくぐん 及 およ び大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん は解体 かいたい され、代 か わって日本 にっぽん の防衛 ぼうえい はアメリカ軍 ぐん を中心 ちゅうしん とするGHQ 進駐軍 しんちゅうぐん が担 にな っていた。1950年 ねん (昭和 しょうわ 25年 ねん )6月 がつ に朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう が勃発 ぼっぱつ し、在 ざい 日米 にちべい 軍 ぐん の大半 たいはん が朝鮮半島 ちょうせんはんとう に出動 しゅつどう したことで、日本 にっぽん 防衛 ぼうえい について空白 くうはく が生 う まれたため、ダグラス・マッカーサー 元帥 げんすい の書簡 しょかん により国内 こくない の治安 ちあん 維持 いじ を目的 もくてき として、同年 どうねん 8月 がつ に「警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい 」が創設 そうせつ された。
1952年 ねん (昭和 しょうわ 27年 ねん )8月 がつ に「保安庁 ほあんちょう 」が発足 ほっそく した。警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい は海上 かいじょう 警備 けいび 隊 たい 及 およ び海上保安庁 かいじょうほあんちょう 航路 こうろ 啓 けい 開 ひらけ 隊 たい とともに保安庁 ほあんちょう 隷下 れいか に入 はい り、それぞれ「保安 ほあん 隊 たい 」、「警備 けいび 隊 たい 」に改組 かいそ された。
その後 ご 、順次 じゅんじ 防衛 ぼうえい 力 りょく の整備 せいび が進 すす み、1954年 ねん (昭和 しょうわ 29年 ねん )7月 がつ 1日 にち に保安庁 ほあんちょう は「防衛庁 ぼうえいちょう 」に、保安 ほあん 隊 たい 及 およ び警備 けいび 隊 たい は「陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 」、「海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい 」にそれぞれ改組 かいそ され、新 あら たに「航空 こうくう 自衛隊 じえいたい 」が創設 そうせつ された。陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい を所管 しょかん する防衛庁 ぼうえいちょう は、2007年 ねん (平成 へいせい 19年 ねん )1月 がつ 9日 にち に「防衛 ぼうえい 省 しょう 」へと昇格 しょうかく した。
警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい 創設 そうせつ 当時 とうじ の内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん 吉田 よしだ 茂 しげる には旧 きゅう 陸軍 りくぐん に対 たい する反発 はんぱつ があり、警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい 創設 そうせつ に当 あ たって、国会 こっかい で「警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい 創設 そうせつ の目的 もくてき は、国内 こくない の治安 ちあん 維持 いじ のためである。軍隊 ぐんたい にあらず」と答弁 とうべん している。一方 いっぽう で、吉田 よしだ 茂 しげる と知己 ちき である辰巳 たつみ 栄一 えいいち 元 もと 陸軍 りくぐん 中将 ちゅうじょう が、吉田 よしだ の軍事 ぐんじ 顧問 こもん として影 かげ で警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい 幹部 かんぶ 人選 じんせん に関与 かんよ している。警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい の総 そう 隊 たい 総監 そうかん (のちの保安庁 ほあんちょう 第 だい 1幕僚 ばくりょう 長 ちょう 、防衛庁 ぼうえいちょう 陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう に相当 そうとう する)の人選 じんせん にあたって、服部 はっとり 卓 たく 四郎 しろう 元 もと 陸軍 りくぐん 大佐 たいさ を推 お す声 こえ がGHQからもあったが、吉田 よしだ や辰巳 たつみ の反対 はんたい もあり旧 きゅう 内務 ないむ 官僚 かんりょう であった林 はやし 敬三 けいぞう が充 あ てられた。林 はやし は総 そう 隊 たい 総監 そうかん ・第 だい 1幕僚 ばくりょう 長 ちょう として4年 ねん 、統合 とうごう 幕僚 ばくりょう 会議 かいぎ 議長 ぎちょう としてさらに10年 ねん の計 けい 14年 ねん の長 ちょう きに渡 わた り自衛隊 じえいたい の制服 せいふく 組 ぐみ トップをつとめた。各 かく 自衛隊 じえいたい は発足 ほっそく の経緯 けいい から、いずれも初代 しょだい 幕僚 ばくりょう 長 ちょう に旧 きゅう 内務省 ないむしょう や旧 きゅう 逓信 ていしん 省 しょう といった官僚 かんりょう 出身 しゅっしん 者 しゃ を迎 むか えたが、海自 かいじ ・空自 くうじ が初代 しょだい のみで終 お わったのに反 はん し、陸自 りくじ は戦中 せんちゅう 派 は 出身 しゅっしん の陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう 19名 めい の内 うち 、内務 ないむ 官僚 かんりょう 出身 しゅっしん 者 しゃ が5名 めい もおり、陸自 りくじ が「内務 ないむ 軍閥 ぐんばつ 」と言 い われる元 もと となった。しかし、下記 かき のように続々 ぞくぞく と帝国 ていこく 陸軍 りくぐん の元 もと 現役 げんえき 将校 しょうこう たちが大量 たいりょう に復権 ふっけん し警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい および保安 ほあん 隊 たい の中核 ちゅうかく となっていき、現在 げんざい の陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい が作 つく られていくことになる。
1945年 ねん (昭和 しょうわ 20年 ねん )9月2日 にち 、降伏 ごうぶく 文書 ぶんしょ 調印 ちょういん 式 しき (日本 にっぽん の降伏 ごうぶく )に日本 にっぽん 側 がわ 代表 だいひょう 団 だん 大本営 だいほんえい 全権 ぜんけん 随員 ずいいん として出席 しゅっせき した陸軍 りくぐん 大佐 たいさ 時代 じだい の杉田 すぎた 一次 かずつぐ (最 さい 後列 こうれつ 右 みぎ 端 はし )。第 だい 25軍 ぐん 参謀 さんぼう として太平洋戦争 たいへいようせんそう の発端 ほったん となったマレー作戦 さくせん に従軍 じゅうぐん し、以後 いご は各地 かくち の軍 ぐん ・方面 ほうめん 軍 ぐん や大本営 だいほんえい の参謀 さんぼう として、また参謀 さんぼう 本部 ほんぶ において多 おお くの作戦 さくせん 指導 しどう にあたった杉田 すぎた はのちに陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 第 だい 3代 だい 陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう に就任 しゅうにん する
1950年 ねん 8月 がつ の警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい 創設 そうせつ 当初 とうしょ は陸軍 りくぐん 士官 しかん 学校 がっこう ・陸軍 りくぐん 航空 こうくう 士官 しかん 学校 がっこう 出身 しゅっしん (士官 しかん 候補 こうほ 生 せい )の元 もと 現役 げんえき 将校 しょうこう の入隊 にゅうたい は認 みと められず、幹部 かんぶ は警察 けいさつ を含 ふく む内務省 ないむしょう 等 とう の文官 ぶんかん や、陸軍 りくぐん 予備 よび 士官 しかん 学校 がっこう 等 とう 出身 しゅっしん (甲種 こうしゅ 幹部 かんぶ 候補 こうほ 生 せい 等 ひとし )の元 もと 予備 よび 役 やく 将校 しょうこう からなった。発足 ほっそく 以後 いご 、矢継 やつ ぎ早 ばや にアメリカ陸軍 りくぐん からさまざまな兵器 へいき の供与 きょうよ を受 う けたが、もとより軍事 ぐんじ 知識 ちしき に乏 とぼ しい文官 ぶんかん 出身 しゅっしん 者 しゃ や短期間 たんきかん の下級 かきゅう 将校 しょうこう 教育 きょういく しか受 う けていない元 もと 予備 よび 役 やく 陸軍 りくぐん 将校 しょうこう では部隊 ぶたい の指揮 しき 統率 とうそつ や兵器 へいき に関 かん する教育 きょういく は不可能 ふかのう であった。そのため指揮 しき 系統 けいとう をより強固 きょうこ なものとすべく、翌 よく 1951年 ねん (昭和 しょうわ 26年 ねん )6月 がつ には陸士 りくし ・陸 りく 航 わたる 士 し 第 だい 58期 き 卒 そつ の元 もと 現役 げんえき 陸軍 りくぐん 将校 しょうこう であったうちの245名 めい が第 だい 1期 き 幹部 かんぶ 候補 こうほ 生 せい として入隊 にゅうたい したが、58期生 きせい は陸軍 りくぐん 少尉 しょうい 任官 にんかん が終戦 しゅうせん 直前 ちょくぜん であったために実務 じつむ 経験 けいけん が乏 とぼ しく、期待 きたい されたほどの効果 こうか はなかった。このことから、帝国 ていこく 陸軍 りくぐん において高度 こうど かつ長期間 ちょうきかん の軍事 ぐんじ 教育 きょういく を受 う け実戦 じっせん 経験 けいけん も豊富 ほうふ な陸軍 りくぐん 中佐 ちゅうさ 以下 いか の佐官 さかん 級 きゅう 元 もと 現役 げんえき 陸軍 りくぐん 将校 しょうこう まで募集 ぼしゅう が拡大 かくだい され、同年 どうねん 10月 がつ 1日 にち には竹下 たけした 正彦 まさひこ 元 もと 陸軍 りくぐん 中佐 ちゅうさ (陸士 りくし 第 だい 42期 き 。のち第 だい 4師団 しだん 長 ちょう 、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 幹部 かんぶ 学校 がっこう 長 ちょう )、衣 ころも 笠 りゅう 駿 しゅん 雄 ゆう 元 もと 陸軍 りくぐん 少佐 しょうさ (陸士 りくし 第 だい 48期 き 。第 だい 1空挺 くうてい 団 だん 初代 しょだい 団長 だんちょう を経 へ たのち第 だい 9代 だい 陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう 、第 だい 6代 だい 統合 とうごう 幕僚 ばくりょう 会議 かいぎ 議長 ぎちょう )や曲 きょく 壽郎 としお 元 もと 陸軍 りくぐん 少佐 しょうさ (陸士 りくし 第 だい 50期 き 。のち第 だい 10代陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう )などの405名 めい の元 もと 佐官 さかん が、12月5日 にち には407名 めい の元 もと 尉官 いかん が採用 さいよう され警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい に合流 ごうりゅう した。
当時 とうじ は陸軍 りくぐん 大佐 たいさ の入隊 にゅうたい は認 みと められなかったが、1952年 ねん (昭和 しょうわ 27年 ねん )7月 がつ 14日 にち 、保安庁 ほあんちょう 保安 ほあん 隊 たい への組織 そしき 改編 かいへん を前 まえ に、軍事 ぐんじ 的 てき 専門 せんもん 性 せい をより高 たか めるために陸士 りくし と陸軍 りくぐん 大 だい 学校 がっこう または陸軍 りくぐん 砲 ほう 工 こう 学校 がっこう 高等 こうとう 科 か を卒業 そつぎょう し、陸軍 りくぐん 省 しょう や参謀 さんぼう 本部 ほんぶ の中枢 ちゅうすう において日 にち 中 ちゅう 戦争 せんそう (支 ささえ 那 な 事変 じへん )や太平洋戦争 たいへいようせんそう (大 だい 東亜 とうあ 戦争 せんそう )の指導 しどう 的 てき 立場 たちば にあった者 もの を中心 ちゅうしん とする元 もと 陸軍 りくぐん 大佐 たいさ 10名 めい と元 もと 海軍 かいぐん 大佐 たいさ 1名 めい の入隊 にゅうたい が認 みと められた。その11名 めい の内訳 うちわけ は杉山 すぎやま 茂 しげる (陸士 りくし 第 だい 36期 き 。のち第 だい 2代 だい 陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう )・杉田 すぎた 一次 かずつぐ (陸士 りくし 第 だい 37期 き 。のち第 だい 3代 だい 陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう )・岸本 きしもと 重一 しげかず (陸士 りくし 第 だい 34期 き 。のち幹部 かんぶ 学 がく 校長 こうちょう )・松谷 まつや 誠 まこと (陸士 りくし 第 だい 35期 き 。のち北部 ほくぶ 方面 ほうめん 総監 そうかん )・井本 いもと 熊 くま 男 おとこ (陸士 りくし 第 だい 37期 き 。のち幹部 かんぶ 学 がく 校長 こうちょう )・新宮 しんぐう 陽 ひ 太 ふとし (陸士 りくし 第 だい 38期 き 。のち幹部 かんぶ 学 がく 校長 こうちょう )・高山 たかやま 信武 のぶたけ (陸士 りくし 第 だい 39期 き 。のち陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 副長 ふくちょう )・細田 ほそだ 煕 ひろし (陸士 りくし 第 だい 39期 き 。のち東部 とうぶ 方面 ほうめん 総監 そうかん )・吉橋 よしはし 戒三 (陸士 りくし 第 だい 39期 き 。のち幹部 かんぶ 学 がく 校長 こうちょう )・松田 まつだ 武 たけし (陸士 りくし 第 だい 39期 き 。陸上 りくじょう 幕僚監部 ばくりょうかんぶ 第 だい 4部長 ぶちょう を経 へ て1956年 ねん に空自 くうじ に転 てん 官 かん 、のち第 だい 4代 だい 航空 こうくう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう )・桜 さくら 義雄 よしお (海兵 かいへい 第 だい 52期 き 。のち北部 ほくぶ 方面 ほうめん 副 ふく 総監 そうかん 兼 けん 札幌 さっぽろ 駐屯 ちゅうとん 地 ち 司令 しれい )[注釈 ちゅうしゃく 3] [5] [注釈 ちゅうしゃく 4] となる。同年 どうねん 同月 どうげつ には天野 あまの 良英 よしひで 元 もと 陸軍 りくぐん 中佐 ちゅうさ (陸士 りくし 第 だい 43期 き 。のち第 だい 5代 だい 陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう 、第 だい 3代 だい 統合 とうごう 幕僚 ばくりょう 会議 かいぎ 議長 ぎちょう )・吉江 よしえ 誠一 せいいち 元 もと 陸軍 りくぐん 中佐 ちゅうさ (陸士 りくし 第 だい 43期 き 。のち第 だい 6代 だい 陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう )が、さらに1955年 ねん (昭和 しょうわ 30年 ねん )10月 がつ には陸軍 りくぐん 中野 なかの 学校 がっこう に関係 かんけい し情報 じょうほう 戦 せん や心理 しんり 戦 せん を担当 たんとう していた藤原 ふじわら 岩 いわ 市 し 元 もと 陸軍 りくぐん 中佐 ちゅうさ (陸士 りくし 第 だい 43期 き 。調査 ちょうさ 学 がく 校長 こうちょう を経 へ たのち第 だい 1師団 しだん 長 ちょう )などが合流 ごうりゅう している。
元 もと 軍人 ぐんじん の警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい (保安 ほあん 隊 たい ・陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい )入隊 にゅうたい に際 さい して、その階級 かいきゅう は旧 きゅう 軍 ぐん 時代 じだい の最終 さいしゅう 階級 かいきゅう に相当 そうとう するものが与 あた えられている。例 れい として元 もと 大佐 たいさ である杉山 すぎやま や杉田 すぎた は入隊 にゅうたい と同時 どうじ に大佐 たいさ 相当 そうとう の1等 とう 警察 けいさつ 正 せい となり、翌 よく 1953年 ねん (昭和 しょうわ 28年 ねん )に少将 しょうしょう 相当 そうとう の保安 ほあん 監 かん 補 おぎなえ 、さらに1954年 ねん (昭和 しょうわ 29年 ねん )7月 がつ の陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 発足 ほっそく 時 じ に陸 りく 将 すすむ に昇任 しょうにん し、何 いず れも数 すう 年 ねん 後 ご に陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう に就任 しゅうにん している。
1957年 ねん (昭和 しょうわ 32年 ねん )に、初 はつ の防衛大学校 ぼうえいだいがくこう (旧 きゅう 保安 ほあん 大 だい 学校 がっこう )出身 しゅっしん の隊員 たいいん が入隊 にゅうたい して以降 いこう 、順次 じゅんじ 防衛大学校 ぼうえいだいがくこう 出身 しゅっしん の幹部 かんぶ 自衛 じえい 官 かん が増加 ぞうか していった。1986年 ねん (昭和 しょうわ 61年 ねん )3月 がつ に中村 なかむら 守雄 もりお 陸 りく 将 すすむ (陸軍 りくぐん 航空 こうくう 士官 しかん 学校 がっこう 第 だい 61期 き )が退官 たいかん したことにより、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい における旧 きゅう 陸軍 りくぐん 出身 しゅっしん 者 しゃ は皆無 かいむ となった。陸海空 りくかいくう 自衛隊 じえいたい 最後 さいご の旧 きゅう 軍 ぐん 出身 しゅっしん 者 しゃ は翌 よく 1987年 ねん (昭和 しょうわ 62年 ねん )12月に退官 たいかん した、空自 くうじ の森繁 もりしげ 弘 ひろし 統幕 とうばく 議長 ぎちょう (航 こう 士 し 第 だい 60期 き )である。なお、旧 きゅう 陸軍 りくぐん 軍人 ぐんじん は陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい (警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい ・保安 ほあん 隊 たい )だけでなく、旧 きゅう 陸軍 りくぐん 航空 こうくう 部隊 ぶたい 出身 しゅっしん 者 しゃ を中心 ちゅうしん に航空 こうくう 自衛隊 じえいたい にも多数 たすう 入隊 にゅうたい しており、航空 こうくう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう 就任 しゅうにん 者 しゃ を旧 きゅう 軍 ぐん の出身 しゅっしん 別 べつ に分 わ けると陸軍 りくぐん 11名 めい ・海軍 かいぐん 5名 めい と旧 きゅう 陸軍 りくぐん 出身 しゅっしん 者 しゃ が過半数 かはんすう を占 し め旧 きゅう 海軍 かいぐん 出身 しゅっしん 者 しゃ を上回 うわまわ っている。
近年 きんねん は災害 さいがい 派遣 はけん 、海外 かいがい 派遣 はけん など活動 かつどう 範囲 はんい を広 ひろ げ、国内外 こくないがい で注目 ちゅうもく を集 あつ めている。また、自衛隊 じえいたい そのものの活動 かつどう ではないが、カンボジア において、元 もと 陸自 りくじ 隊員 たいいん の立 た ち上 あ げたJMAS が地雷 じらい 不発 ふはつ 弾 だん 処理 しょり を行 おこな い、成果 せいか を挙 あ げている。
アメリカ陸軍 りくぐん の陸軍 りくぐん 最 さい 先任 せんにん 上級 じょうきゅう 曹長 そうちょう (Sergeant Major of the Army)制度 せいど や海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい の先任 せんにん 伍長 ごちょう 制度 せいど を参考 さんこう に、2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )4月 がつ 1日 にち には、陸上 りくじょう 幕僚監部 ばくりょうかんぶ に「陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 最 さい 先任 せんにん 上級 じょうきゅう 曹長 そうちょう 」を置 お いて、准 じゅん 陸 りく 尉 じょう ・陸 りく 曹階級 きゅう の能力 のうりょく 活用 かつよう にも取 と り組 く んでいる(曹士の能力 のうりょく 活用 かつよう )。
旧 きゅう 陸軍 りくぐん との関係 かんけい 性 せい [ 編集 へんしゅう ]
早期 そうき の海軍 かいぐん 復活 ふっかつ を目指 めざ す旧 きゅう 海軍 かいぐん 軍人 ぐんじん 主導 しゅどう で創設 そうせつ され旧 きゅう 海軍 かいぐん の伝統 でんとう を重 おも んじる傾向 けいこう にある海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい とは違 ちが い、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい は旧 きゅう 陸軍 りくぐん が旧 きゅう 海軍 かいぐん に比 くら べ戦争 せんそう 責任 せきにん が大 おお きいと見 み られたことにより、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい は旧 きゅう 陸軍 りくぐん との関係 かんけい に神経 しんけい を使 つか っていたが、実際 じっさい には強 つよ い結 むす びつきを持 も っていた[6] 。
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の前身 ぜんしん である警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい は、当初 とうしょ は旧 きゅう 軍人 ぐんじん を排除 はいじょ して旧 きゅう 内務 ないむ 官僚 かんりょう が中心 ちゅうしん となって固 かた められていた。一方 いっぽう で、旧 きゅう 軍 ぐん 幹部 かんぶ はさまざまな団体 だんたい や機関 きかん を結成 けっせい し、連合 れんごう 国軍 こくぐん 最高 さいこう 司令 しれい 官 かん 総 そう 司令 しれい 部 ぶ (GHQ)のG2(参謀 さんぼう 第 だい 2部 ぶ )と連携 れんけい して軍 ぐん 再建 さいけん に向 む けて動 うご いており、一部 いちぶ 旧 きゅう 軍人 ぐんじん の追放 ついほう 解除 かいじょ と警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい への入隊 にゅうたい へと結実 けつじつ していた。1951年 ねん (昭和 しょうわ 26年 ねん )には陸士 りくし 40期 き 以上 いじょう の中佐 ちゅうさ 組 ぐみ を先頭 せんとう に大量 たいりょう の元 もと 佐官 さかん と元 もと 尉官 いかん が入隊 にゅうたい したほか、1952年 ねん (昭和 しょうわ 27年 ねん )7月 がつ には指揮 しき ・作戦 さくせん ・管理 かんり 能力 のうりょく を評価 ひょうか され、高級 こうきゅう 幹部 かんぶ 要員 よういん として特別 とくべつ に推薦 すいせん された11名 めい の元 もと 大佐 たいさ (旧 きゅう 海軍 かいぐん と航空 こうくう 関係 かんけい を除 のぞ けば9人 にん )が入隊 にゅうたい するに至 いた った。これにより警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい の幹部 かんぶ 構成 こうせい に重大 じゅうだい な変化 へんか が生 しょう じたほか、元 もと 大佐 たいさ 組 ぐみ を筆頭 ひっとう として、大量 たいりょう の旧 きゅう 陸軍 りくぐん 将校 しょうこう が入隊 にゅうたい したことにより旧 きゅう 陸軍 りくぐん の『歩兵 ほへい 操典 そうてん 』『作戦 さくせん 要務 ようむ 令 れい 』『統帥 とうすい 参考 さんこう 』などに代表 だいひょう される用兵 ようへい 思想 しそう が流入 りゅうにゅう することになった。警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい に入隊 にゅうたい した旧 きゅう 陸軍 りくぐん 将校 しょうこう は有末 ありすえ 機関 きかん や服部 はっとり 機関 きかん などの旧 きゅう 高級 こうきゅう 軍人 ぐんじん の組織 そしき と密接 みっせつ な関係 かんけい を持 も ち、旧 きゅう 陸軍 りくぐん 将校 しょうこう 団 だん の結束 けっそく も依然 いぜん として固 かた かった[7] 。
旧 きゅう 陸軍 りくぐん の将官 しょうかん クラスも陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい に関係 かんけい しており、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 幹部 かんぶ 学校 がっこう の指揮 しき 幕僚 ばくりょう 課程 かてい (CGS)における戦史 せんし 授業 じゅぎょう として、旧 きゅう 陸軍 りくぐん 皇 すめらぎ 道 どう 派 は のシンボル的 てき 存在 そんざい であった荒木 あらき 貞夫 さだお 元 もと 陸軍 りくぐん 大将 たいしょう が「日 にち 露 ろ 戦争 せんそう の思 おも い出 で 」と題 だい する講義 こうぎ を行 おこな っていたほか、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 幹部 かんぶ 学校 がっこう の機関 きかん 紙 し である『幹部学校 かんぶがっこう 記事 きじ 』1962年 ねん 1月 がつ 号 ごう に「昭和 しょうわ 三 さん 十 じゅう 七 なな 年 ねん 壬 みずのえ 寅 とら の年 とし を迎 むか えて」という記事 きじ を寄稿 きこう している[8] 。また、今村 いまむら 均 ひとし 元 もと 陸軍 りくぐん 大将 たいしょう 、下村 しもむら 定 じょう 元 もと 陸軍 りくぐん 大将 たいしょう 、安田 やすだ 武雄 たけお 元 もと 陸軍 りくぐん 中将 ちゅうじょう 、菅 かん 晴 はる 次 じ 元 もと 陸軍 りくぐん 中将 ちゅうじょう 、沼田 ぬまた 多 た 稼蔵元 もと 陸軍 りくぐん 中将 ちゅうじょう が防衛庁 ぼうえいちょう 顧問 こもん に就任 しゅうにん している[9] 。
旧 きゅう 陸軍 りくぐん の親睦 しんぼく 組織 そしき である偕行社 かいこうしゃ は陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の行事 ぎょうじ を積極 せっきょく 的 てき に支援 しえん したほか、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 側 がわ も旧 きゅう 陸軍 りくぐん の将官 しょうかん クラスを駐屯 ちゅうとん 地 ち 祭 さい に招待 しょうたい したり、戦史 せんし 研究 けんきゅう として講演 こうえん を依頼 いらい していた。2001年 ねん (平成 へいせい 13年 ねん )には偕行社 かいこうしゃ への陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい ・航空 こうくう 自衛隊 じえいたい の元 もと 幹部 かんぶ 自衛 じえい 官 かん の正会員 せいかいいん 資格 しかく が認 みと められ、正式 せいしき 入会 にゅうかい が進 すす んでいる。なお、偕行社 かいこうしゃ に相当 そうとう する旧 きゅう 海軍 かいぐん の水 みず 交社 が、戦後 せんご の再建 さいけん 時 じ に水 みず 交会 と改称 かいしょう したまま現在 げんざい に至 いた るのに対 たい し、偕行社 かいこうしゃ は旧 きゅう 陸軍 りくぐん 時代 じだい の名称 めいしょう を復活 ふっかつ させている。
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい のイラク派遣 はけん の際 さい には、支 ささえ 那 な 事変 じへん (日 にち 中 ちゅう 戦争 せんそう )時 じ に旧 きゅう 陸軍 りくぐん が主 おも に中国 ちゅうごく 大陸 たいりく で行 おこ なっていた宣撫 せんぶ 工作 こうさく が参考 さんこう にされている[10] 。
文化 ぶんか の面 めん においても、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の連隊 れんたい 旗 はた である自衛隊 じえいたい 旗 はた は旧 きゅう 陸軍 りくぐん の連隊 れんたい 旗 き である軍旗 ぐんき の意匠 いしょう たる十 じゅう 六 ろく 条 じょう 旭日 きょくじつ 旗 はた をモチーフに、八 はち 条 じょう 旭日 きょくじつ 旗 き に変更 へんこう 制定 せいてい (八 はち 条 じょう 旭日 きょくじつ 旗 き の意匠 いしょう 自体 じたい は十 じゅう 六 ろく 条 じょう 旭日 きょくじつ 旗 はた と同 どう 時代 じだい の頃 ころ から存在 そんざい している、軍旗 ぐんき #自衛隊 じえいたい 旗 はた の意匠 いしょう )、事実 じじつ 上 じょう の陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい のシンボルとし、行進曲 こうしんきょく のひとつとして旧 きゅう 陸軍 りくぐん の行進曲 こうしんきょく 「観兵 かんぺい 式 しき 分列 ぶんれつ 行進曲 こうしんきょく 」を採用 さいよう 。行進曲 こうしんきょく 「扶桑 ふそう 歌 か 」としていたが、近年 きんねん では「陸軍 りくぐん 分列 ぶんれつ 行進曲 こうしんきょく 」と呼称 こしょう 発表 はっぴょう している[注釈 ちゅうしゃく 5] 。また、太平洋戦争 たいへいようせんそう (大 だい 東亜 とうあ 戦争 せんそう )のパレンバン空挺 くうてい 作戦 さくせん で活躍 かつやく した旧 きゅう 陸軍 りくぐん 第 だい 1挺進 ていしん 団 だん の活躍 かつやく を謳 うた う軍歌 ぐんか 「空 そら の神 かみ 兵 へい 」は、第 だい 1空挺 くうてい 団 だん がオリジナルの歌詞 かし と共 とも に受 う け継 つ いでいるほか、富士 ふじ 総合 そうごう 火力 かりょく 演習 えんしゅう や各地 かくち での演奏 えんそう 会 かい 行事 ぎょうじ にて音楽 おんがく 隊 たい により旧 きゅう 陸軍 りくぐん の軍歌 ぐんか ・軍楽 ぐんがく が盛 さか んに演奏 えんそう されている。なお、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の第 だい 1空挺 くうてい 団 だん および中央 ちゅうおう 音楽 おんがく 隊 たい は、戦後 せんご 予備 よび 隊 たい に入隊 にゅうたい した旧 きゅう 陸軍 りくぐん 将校 しょうこう (衣 ころも 笠 りゅう 駿 しゅん 雄 ゆう 元 もと 陸軍 りくぐん 少佐 しょうさ ・須摩洋 よう 朔 ついたち 元 もと 陸軍 りくぐん 軍楽 ぐんがく 大尉 たいい )を筆頭 ひっとう とする旧 きゅう 陸軍 りくぐん 軍人 ぐんじん によって創設 そうせつ 発展 はってん されたものである。
また、各 かく 職種 しょくしゅ の色 いろ (隊 たい 種 しゅ 標識 ひょうしき 色 しょく )は旧 きゅう 陸軍 りくぐん の兵科 へいか 色 しょく に準 じゅん じているほか、駐屯 ちゅうとん 地 ち (衛戍 えいじゅ 地 ち )が同 どう 都道府県 とどうふけん である旧 きゅう 陸軍 りくぐん の部隊 ぶたい (歩兵 ほへい 連隊 れんたい 等 ひとし )と、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の部隊 ぶたい (普通 ふつう 科 か 連隊 れんたい 等 ひとし )同士 どうし の連隊 れんたい 番号 ばんごう (隊 たい 号 ごう )も極力 きょくりょく 一致 いっち させている。例 れい として、静岡 しずおか の第 だい 34普通 ふつう 科 か 連隊 れんたい は旧 きゅう 陸軍 りくぐん の歩兵 ほへい 第 だい 34連隊 れんたい の隊 たい 号 ごう および、歩兵 ほへい 第 だい 34連隊 れんたい 第 だい 1大隊 だいたい の軍神 ぐんしん 橘 たちばな 周太 しゅうた 陸軍 りくぐん 歩兵 ほへい 中佐 ちゅうさ に因 ちな む「橘 たちばな 連隊 れんたい 」の名 な を継承 けいしょう するとともに、橘 たちばな 中佐 ちゅうさ の胸像 きょうぞう や銅像 どうぞう を板妻駐屯地 いたづまちゅうとんち 内 うち に再建 さいけん している。
大阪 おおさか の第 だい 37普通 ふつう 科 か 連隊 れんたい は旧 きゅう 陸軍 りくぐん の歩兵 ほへい 第 だい 37連隊 れんたい の隊 たい 号 ごう および、同 どう 連隊 れんたい が事実 じじつ 上 じょう の部隊 ぶたい マークとして使用 しよう していた楠木 くすのき 正成 まさしげ の「菊水 きくすい 紋 もん 」と「菊水 きくすい 連隊 れんたい (菊水 きくすい 部隊 ぶたい )」の名 な を継承 けいしょう している[11] 。
北海道 ほっかいどう の第 だい 11戦車 せんしゃ 隊 たい は、占 うらない 守 もり 島 とう の戦 たたか い において奮戦 ふんせん して北海道 ほっかいどう を護 まも った旧 きゅう 陸軍 りくぐん の戦車 せんしゃ 第 だい 11連隊 れんたい (愛称 あいしょう 「士魂 しこん 部隊 ぶたい 」、部隊 ぶたい マーク「士 し 」)を顕彰 けんしょう し、栄光 えいこう の「士魂 しこん 精神 せいしん 」の伝統 でんとう を継承 けいしょう する意味 いみ で1970年 ねん (昭和 しょうわ 45年 ねん )より「士魂 しこん 戦車 せんしゃ 大隊 だいたい 」と自 みずか ら称 しょう し、公式 こうしき の部隊 ぶたい マーク[12] として装備 そうび の90式 しき 戦車 せんしゃ に「士魂 しこん 」の二 に 文字 もじ を描 えが いている[13] 。
防衛 ぼうえい 力 りょく の整備 せいび [ 編集 へんしゅう ]
訓練 くんれん 中 ちゅう の陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい とアメリカ海兵 かいへい 隊 たい (宮城 みやぎ 県 けん 仙台 せんだい 市 し )
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい は志願 しがん 者 しゃ のみで構成 こうせい され、諸 もろ 職種 しょくしゅ (兵科 へいか )を持 も つ。
人件 じんけん 費 ひ が割高 わりだか であることに加 くわ え、その装備 そうび は輸出 ゆしゅつ しないために少量 しょうりょう 生産 せいさん であることが多 おお く、世界 せかい 屈指 くっし の調達 ちょうたつ 費 ひ がかかっていると言 い われる。
発足 ほっそく 当初 とうしょ の陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい は、1個 いっこ 方面 ほうめん 隊 たい 及 およ び4個 こ 管区 かんく 隊 たい 編成 へんせい であった。武器 ぶき は米 べい 軍 ぐん 供与 きょうよ のものが中心 ちゅうしん であり、1960年代 ねんだい の戦車 せんしゃ や小銃 しょうじゅう などの国産 こくさん 装備 そうび の採用 さいよう まで、この米 べい 軍 ぐん 供与 きょうよ の武器 ぶき が主体 しゅたい である状態 じょうたい が続 つづ いた。方面 ほうめん 隊 たい は、ソビエト連邦 れんぽう の脅威 きょうい に対応 たいおう するため北海道 ほっかいどう を管轄 かんかつ する北部 ほくぶ 方面 ほうめん 隊 たい のみ置 お かれ、北部 ほくぶ 方面 ほうめん 総監 そうかん 部 ぶ は札幌 さっぽろ 市 し に所在 しょざい した。
管区 かんく 隊 たい は、アメリカ陸軍 りくぐん の歩兵 ほへい 師団 しだん を参考 さんこう に編成 へんせい された部隊 ぶたい で、管区 かんく 総監 そうかん 部 ぶ 及 およ び3個 こ 大隊 だいたい から成 な る普通 ふつう 科 か 連隊 れんたい 3個 こ 、野戦 やせん 砲 ほう 6門 もん の中隊 ちゅうたい 3コで編成 へんせい される大隊 だいたい 4個 こ と対空 たいくう 大隊 だいたい から成 な る特 とく 科 か 連隊 れんたい を基幹 きかん とする所謂 いわゆる 三 さん 単位 たんい 編制 へんせい の師団 しだん であり、発足 ほっそく 当時 とうじ 15,200名 めい の人員 じんいん を擁 よう していた。第 だい 1から第 だい 4管区 かんく 隊 たい まで編成 へんせい され、第 だい 1管区 かんく 総監 そうかん 部 ぶ (後 ご の第 だい 1師団 しだん 司令 しれい 部 ぶ )は東京 とうきょう 都 と 、第 だい 2管区 かんく 総監 そうかん 部 ぶ (後 ご の第 だい 2師団 しだん 司令 しれい 部 ぶ )は北海道 ほっかいどう 旭川 あさひかわ 市 し 、第 だい 3管区 かんく 総監 そうかん 部 ぶ (後 ご の第 だい 3師団 しだん 司令 しれい 部 ぶ )は兵庫 ひょうご 県 けん 伊丹 いたみ 市 し 、第 だい 4管区 かんく 総監 そうかん 部 ぶ (後 ご の第 だい 4師団 しだん 司令 しれい 部 ぶ )は福岡 ふくおか 県 けん 筑紫 つくし 郡 ぐん 春日 かすが 町 まち (現 げん :春日 かすが 市 し )にそれぞれ置 お かれた。
64式 しき 7.62mm小銃 しょうじゅう と銃剣 じゅうけん で着剣 ちゃっけん 捧 ささ げ銃 じゅう をする隊員 たいいん
昭和 しょうわ 35年度 ねんど 末 まつ の実績 じっせき では、自衛 じえい 官 かん 17万 まん 人 にん 、予備 よび 自衛 じえい 官 かん 1万 まん 5千 せん 人 にん 、平時 へいじ 地域 ちいき 配備 はいび する部隊 ぶたい として6個 こ 管区 かんく 隊 たい 及 およ び3個 こ 混成 こんせい 団 だん の体制 たいせい が確立 かくりつ され、上部 じょうぶ 組織 そしき として5個 こ 方面 ほうめん 隊 たい も整備 せいび された。その後 ご も長 なが らく自衛 じえい 官 かん 定数 ていすう 17万 まん 人 にん 前後 ぜんこう は維持 いじ された。
それに加 くわ えて、機動 きどう 運用 うんよう 部隊 ぶたい としては、1個 いっこ 機械 きかい 化 か 混成 こんせい 団 だん (第 だい 7混成 こんせい 団 だん 、後 ご の第 だい 7師団 しだん )、1個 いっこ 戦車 せんしゃ 群 ぐん 、1個 いっこ 特 とく 科 か 団 だん 、1個 いっこ 空挺 くうてい 団 だん (第 だい 1空挺 くうてい 団 だん )、1個 いっこ 教導 きょうどう 団 だん が編成 へんせい された。
単 たん 年度 ねんど 計画 けいかく :1961年度 ねんど (昭和 しょうわ 36年度 ねんど )[ 編集 へんしゅう ]
この1961年 ねん (昭和 しょうわ 36年 ねん )4月 がつ に61式 しき 戦車 せんしゃ が制式 せいしき 採用 さいよう され、国産 こくさん 戦車 せんしゃ の嚆矢 こうし となる。
1962年 ねん 次 じ (昭和 しょうわ 37年 ねん 次 じ )の師団 しだん 等 とう 配置 はいち
管区 かんく 隊 たい および混成 こんせい 団 だん は、1962年 ねん (昭和 しょうわ 37年 ねん )に師団 しだん 編成 へんせい となり、6個 こ 管区 かんく 隊 たい 4混成 こんせい 団 だん が13個 こ 師団 しだん に改編 かいへん された[14] 。各 かく 師団 しだん の定員 ていいん 7000名 めい - 9000名 めい という規模 きぼ は、諸 しょ 外国 がいこく の旅団 りょだん 程度 ていど となる[15] 。昭和 しょうわ 37年度 ねんど 末 まつ の実績 じっせき では、自衛 じえい 官 かん 17万 まん 1500人 にん 、予備 よび 自衛 じえい 官 かん 2万 まん 4千 せん 人 にん 、基幹 きかん 部隊 ぶたい として5個 こ 方面 ほうめん 隊 たい ・13個 こ 師団 しだん 、地 ち 対空 たいくう 誘導 ゆうどう 弾 だん 部隊 ぶたい 2隊 たい の体制 たいせい が確立 かくりつ された。ナイキ・エイジャックス システムの導入 どうにゅう も行 おこな われたが、これは1964年 ねん (昭和 しょうわ 39年 ねん )から航空 こうくう 自衛隊 じえいたい へと移管 いかん された。
この第 だい 2次 じ 防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく の中 なか で、1964年 ねん (昭和 しょうわ 39年 ねん )に64式 しき 7.62mm小銃 しょうじゅう が採用 さいよう された。この小銃 しょうじゅう は1989年 ねん (平成 へいせい 元年 がんねん )に89式 しき 5.56mm小銃 しょうじゅう が採用 さいよう されるまで陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の主力 しゅりょく 小銃 しょうじゅう となっていた。
昭和 しょうわ 46年度 ねんど 末 まつ の実績 じっせき では、自衛 じえい 官 かん 17万 まん 9千 せん 人 にん 、予備 よび 自衛 じえい 官 かん 3万 まん 6千 せん 人 にん 、基幹 きかん 部隊 ぶたい として5個 こ 方面 ほうめん 隊 たい 及 およ び13個 こ 師団 しだん 、ホーク 部隊 ぶたい 4隊 たい の体制 たいせい が確立 かくりつ された。
1972年 ねん (昭和 しょうわ 47年 ねん )5月 がつ 15日 にち の沖縄 おきなわ 返還 へんかん に伴 ともな い、平時 へいじ 地域 ちいき 配備 はいび する部隊 ぶたい として1個 いっこ 混成 こんせい 団 だん (第 だい 1混成 こんせい 団 だん )が新 あら たに設 もう けられ、沖縄 おきなわ 県 けん への駐屯 ちゅうとん を開始 かいし した。長 なが らく主力 しゅりょく 戦車 せんしゃ の座 ざ にあった61式 しき 戦車 せんしゃ (累計 るいけい 560輛生産 せいさん )であったが、この第 だい 4次 じ 防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく 中 ちゅう の1975年 ねん (昭和 しょうわ 50年 ねん )に生産 せいさん 終了 しゅうりょう となった。
防衛 ぼうえい 計画 けいかく の大綱 たいこう :1977年度 ねんど (昭和 しょうわ 52年度 ねんど )以降 いこう [ 編集 へんしゅう ]
1981年 ねん 次 じ (昭和 しょうわ 56年 ねん 次 じ )の師団 しだん 等 とう 配置 はいち
自衛隊 じえいたい 創設 そうせつ 以来 いらい 、4次 じ にわたる「防衛 ぼうえい 力 りょく の整備 せいび 計画 けいかく 」を実施 じっし して、防衛 ぼうえい 力 りょく が一定 いってい の水準 すいじゅん に達 たっ した。そこで、1977年 ねん (昭和 しょうわ 52年 ねん )以降 いこう は、「防衛 ぼうえい 計画 けいかく の大綱 たいこう 」を定 さだ めて、それに基 もと づいて防衛 ぼうえい 力 りょく を規律 きりつ することになった。
そして、1985年度 ねんど (昭和 しょうわ 60年度 ねんど )以降 いこう は、大綱 たいこう に基 もと づいて5年 ねん 毎 ごと の中期 ちゅうき 防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく を実施 じっし してきた。
1980年 ねん (昭和 しょうわ 55年 ねん )には、対馬 つしま 警備 けいび 隊 たい が編成 へんせい された。また、1981年 ねん (昭和 しょうわ 56年 ねん )には四国 しこく 地域 ちいき 警備 けいび のため、第 だい 13師団 しだん を改編 かいへん し、第 だい 2混成 こんせい 団 だん が編成 へんせい されている。1990年 ねん (平成 へいせい 2年 ねん )8月 がつ 6日 にち に戦後 せんご 第 だい 3世代 せだい 戦車 せんしゃ となる90式 しき 戦車 せんしゃ が制式 せいしき 化 か された。1992年 ねん (平成 へいせい 4年 ねん )に国際 こくさい 連合 れんごう 平和 へいわ 維持 いじ 活動 かつどう 等 とう に対 たい する協力 きょうりょく に関 かん する法律 ほうりつ が制定 せいてい され、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい による海外 かいがい における活動 かつどう の途 と が開 ひら かれた。これを受 う けて、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 初 はつ の海外 かいがい 実 じつ 任務 にんむ となる自衛隊 じえいたい カンボジア派遣 はけん が行 おこな われ、国際 こくさい 連合 れんごう カンボジア暫定 ざんてい 統治 とうち 機構 きこう に部隊 ぶたい 参加 さんか している。
防衛 ぼうえい 計画 けいかく の大綱 たいこう :1996年度 ねんど (平成 へいせい 8年度 ねんど )以降 いこう [ 編集 へんしゅう ]
90式 しき 戦車 せんしゃ
1995年 ねん (平成 へいせい 7年 ねん )11月28日 にち に閣議 かくぎ 決定 けってい された1996年度 ねんど (平成 へいせい 8年度 ねんど )以降 いこう に係 かか る防衛 ぼうえい 計画 けいかく の大綱 たいこう についてに基 もと づく。冷戦 れいせん 終結 しゅうけつ に伴 ともな い、ソビエト連邦 れんぽう 軍 ぐん による北海道 ほっかいどう への大 だい 規模 きぼ な侵攻 しんこう の可能 かのう 性 せい は減少 げんしょう し、従来 じゅうらい の北方 ほっぽう 重視 じゅうし から、軍備 ぐんび 増強 ぞうきょう を続 つづ ける中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん や朝鮮半島 ちょうせんはんとう 有事 ゆうじ に備 そな えての西方 せいほう 重視 じゅうし へと方針 ほうしん を変更 へんこう することとなる。また、師団 しだん の一部 いちぶ 及 およ び混成 こんせい 団 だん を旅団 りょだん に改編 かいへん することとなった。また、市街地 しがいち 戦闘 せんとう 訓練 くんれん の充実 じゅうじつ 、日本 にっぽん の警察 けいさつ や地方 ちほう 公共 こうきょう 団体 だんたい と連携 れんけい した防災 ぼうさい 訓練 くんれん の推進 すいしん なども行 おこな われた。
編成 へんせい 定数 ていすう は、常備 じょうび 自衛 じえい 官 かん 定員 ていいん が14万 まん 5千 せん 人 にん 、即応 そくおう 予備 よび 自衛 じえい 官 かん が1万 まん 5千 せん 人 にん の合計 ごうけい 16万 まん 人 にん とされる。基幹 きかん 部隊 ぶたい のうち、平時 へいじ 地域 ちいき 配備 はいび する部隊 ぶたい は8個 こ 師団 しだん 及 およ び6個 こ 旅団 りょだん (平成 へいせい 16年度 ねんど 末 まつ までに完了 かんりょう したのはその一部 いちぶ のみ)、機動 きどう 運用 うんよう する部隊 ぶたい は1個 いっこ 機甲 きこう 師団 しだん 、1個 いっこ 空挺 くうてい 団 だん 及 およ び1個 いっこ ヘリコプター団 だん 、地 ち 対空 たいくう 誘導 ゆうどう 弾 だん 部隊 ぶたい は8個 こ 高射 こうしゃ 特 とく 科 か 群 ぐん とされた。主要 しゅよう 装備 そうび では、戦車 せんしゃ は約 やく 900両 りょう 、主要 しゅよう 特 とく 科 か 装備 そうび は約 やく 900門 もん /両 りょう とされた。
これに基 もとづ き、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 初 はつ となる「旅団 りょだん 」編成 へんせい (小型 こがた 師団 しだん 型 がた )が1999年 ねん (平成 へいせい 11年 ねん )に発足 ほっそく した(第 だい 13旅団 りょだん )ただし、元々 もともと 旅団 りょだん 規模 きぼ でしかなかったものをさらに縮小 しゅくしょう したため、実質 じっしつ 的 てき な規模 きぼ や戦力 せんりょく は連隊 れんたい ないし連隊 れんたい 戦闘 せんとう 団 だん 程度 ていど となっている[15] 。
中期 ちゅうき 防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく :1996年 ねん (平成 へいせい 8年 ねん ) - 2000年 ねん (平成 へいせい 12年 ねん )[ 編集 へんしゅう ]
中期 ちゅうき 防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく (1996) に基 もと づく改革 かいかく は比較的 ひかくてき 小規模 しょうきぼ であった。この段階 だんかい では、13個 こ 師団 しだん 、2個 こ 混成 こんせい 団 だん で、戦車 せんしゃ 約 やく 1200両 りょう 、火砲 かほう 約 やく 1000門 もん が維持 いじ された。
中期 ちゅうき 防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく :2001年 ねん (平成 へいせい 13年 ねん ) - 2005年 ねん (平成 へいせい 17年 ねん )[ 編集 へんしゅう ]
当初 とうしょ 、この2001年 ねん (平成 へいせい 13年 ねん )の中期 ちゅうき 防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく (2001) は2005年度 ねんど (平成 へいせい 17年度 ねんど )末 まつ までを予定 よてい していたが、2005年度 ねんど (平成 へいせい 17年度 ねんど )から新 あたら しい防衛 ぼうえい 大綱 たいこう が定 さだ められたことに伴 ともな い、2004年度 ねんど (平成 へいせい 16年度 ねんど )末 まつ で廃止 はいし された。
基幹 きかん 部隊 ぶたい については、「陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい については、装備 そうび の近代 きんだい 化 か にも配 はい 意 い しつつ、新 あら たに4個 こ の師団 しだん 及 およ び2個 こ の混成 こんせい 団 だん について改編 かいへん を実施 じっし する。その際 さい 、1個 いっこ の師団 しだん 及 およ び1個 いっこ の混成 こんせい 団 だん は旅団 りょだん に改編 かいへん するとともに、改編 かいへん した師団 しだん 及 およ び旅団 りょだん のそれぞれについて、その一部 いちぶ の部隊 ぶたい を、即応 そくおう 性 せい の高 たか い予備 よび 自衛 じえい 官 かん を主体 しゅたい として編成 へんせい する」とされた。2004年度 ねんど (平成 へいせい 16年度 ねんど )末 まつ 時点 じてん で、10個 こ 師団 しだん 、3個 こ 旅団 りょだん (第 だい 5・第 だい 12・第 だい 13旅団 りょだん )、2個 こ 混成 こんせい 団 だん (第 だい 1・第 だい 2混成 こんせい 団 だん )の編成 へんせい であった。
2005年 ねん (平成 へいせい 17年 ねん )3月 がつ 31日 にち 現在 げんざい で、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の自衛 じえい 官 かん の定員 ていいん は157,828人 にん 、現員 げんいん は147,737人 にん 、充足 じゅうそく 率 りつ は93.6%で、定員 ていいん 削減 さくげん の結果 けっか 、充足 じゅうそく 率 りつ が非常 ひじょう に高 たか くなっている。これは、部隊 ぶたい の即応 そくおう 性 せい ・機動 きどう 性 せい が高 たか くなっていることを示 しめ している。ただ、基幹 きかん 部隊 ぶたい はなお各 かく 師団 しだん ・旅団 りょだん ・混成 こんせい 団 だん に分散 ぶんさん されていた。
この中期 ちゅうき 防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく の下 した では、対 たい ゲリラ 戦 せん 重視 じゅうし から防衛庁 ぼうえいちょう 長官 ちょうかん 直轄 ちょっかつ 部隊 ぶたい として特殊 とくしゅ 作戦 さくせん 群 ぐん (2004年 ねん (平成 へいせい 16年 ねん )3月 がつ 27日 にち 編成 へんせい 完結 かんけつ )西部 せいぶ 方面 ほうめん 総監 そうかん 直轄 ちょっかつ 部隊 ぶたい として2002年 ねん (平成 へいせい 14年 ねん )に編成 へんせい が完結 かんけつ した西部 せいぶ 方面 ほうめん 普通 ふつう 科 か 連隊 れんたい が新編 しんぺん された。また、2002年 ねん (平成 へいせい 14年 ねん )4月 がつ には国民 こくみん に対 たい する総合 そうごう 的 てき な広報 こうほう 施設 しせつ として、朝霞駐屯地 あさかちゅうとんち に陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 広報 こうほう センター が開設 かいせつ された。
防衛 ぼうえい 計画 けいかく の大綱 たいこう :2005年度 ねんど (平成 へいせい 17年度 ねんど )以降 いこう [ 編集 へんしゅう ]
2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )9月 がつ 18日 にち 会議 かいぎ を行 おこな う陸上 りくじょう 自衛 じえい 官 かん
2004年 ねん (平成 へいせい 16年 ねん )12月 がつ 10日 とおか に安全 あんぜん 保障 ほしょう 会議 かいぎ 決定 けってい ・閣議 かくぎ 決定 けってい された、2005年度 ねんど (平成 へいせい 17年度 ねんど )以降 いこう に係 かか る防衛 ぼうえい 計画 けいかく の大綱 たいこう についてに基 もと づくもので、2005年 ねん (平成 へいせい 17年 ねん )4月 がつ 以降 いこう が対象 たいしょう である。
編成 へんせい 定数 ていすう は、常備 じょうび 自衛 じえい 官 かん 定員 ていいん が14万 まん 8千 せん 人 にん 、即応 そくおう 予備 よび 自衛 じえい 官 かん が7千 せん 人 にん の合計 ごうけい 15万 まん 5千 せん 人 にん とされる。基幹 きかん 部隊 ぶたい のうち、平時 へいじ 地域 ちいき 配備 はいび する部隊 ぶたい は8個 こ 師団 しだん 及 およ び6個 こ 旅団 りょだん 、機動 きどう 運用 うんよう する部隊 ぶたい は1個 いっこ 機甲 きこう 師団 しだん 及 およ び中央 ちゅうおう 即応 そくおう 集団 しゅうだん 、地 ち 対空 たいくう 誘導 ゆうどう 弾 だん 部隊 ぶたい は8個 こ 高射 こうしゃ 特 とく 科 か 群 ぐん とする。主要 しゅよう 装備 そうび では、戦車 せんしゃ は約 やく 600両 りょう 、主要 しゅよう 特 とく 科 か 装備 そうび は約 やく 600門 もん /両 りょう とされた。
国際 こくさい 貢献 こうけん や災害 さいがい 派遣 はけん など自衛隊 じえいたい の活動 かつどう する場面 ばめん が増 ふ えたことにより、常備 じょうび 自衛 じえい 官 かん が3千 せん 人 にん 増員 ぞういん されたものの、公務員 こうむいん の定員 ていいん 削減 さくげん の一環 いっかん として即応 そくおう 予備 よび 自衛 じえい 官 かん が半減 はんげん されることとなった。また、機動 きどう 運用 うんよう する部隊 ぶたい では、1個 いっこ 空挺 くうてい 団 だん 及 およ び1個 いっこ ヘリコプター団 だん が記載 きさい されなくなり、代 か わって中央 ちゅうおう 即応 そくおう 集団 しゅうだん が認 みと められた。
主要 しゅよう 装備 そうび も、大 だい 規模 きぼ な地上 ちじょう 軍 ぐん の侵攻 しんこう の危険 きけん 性 せい が大幅 おおはば に減少 げんしょう し、むしろ軽 けい 装備 そうび の工作 こうさく 員 いん 又 また はテロリストの危険 きけん 性 せい が高 たか まったことにより、対 たい 機甲 きこう 戦 せん 重視 じゅうし を改 あらた め、正面 しょうめん 装備 そうび を大幅 おおはば に減少 げんしょう させた一方 いっぽう 、即応 そくおう 力 りょく ・機動 きどう 性 せい の向上 こうじょう を目指 めざ している。その一環 いっかん として、コア部隊 ぶたい (即応 そくおう 予備 よび 自衛 じえい 官 かん を中心 ちゅうしん とする部隊 ぶたい )については、師団 しだん ・旅団 りょだん から方面 ほうめん 隊 たい 直 ちょく 隷に移管 いかん (東北 とうほく 方面 ほうめん 混成 こんせい 団 だん など)し、第 だい 一線 いっせん 部隊 ぶたい である師団 しだん ・旅団 りょだん の全 すべ てを常備 じょうび 自衛 じえい 官 かん により充実 じゅうじつ させ、即応 そくおう 性 せい を向上 こうじょう させた。
演習 えんしゅう で発砲 はっぽう する203mm榴弾 りゅうだん 砲 ほう
この大綱 たいこう に伴 ともな って戦車 せんしゃ や火砲 かほう といった着 ちゃく 上陸 じょうりく 侵攻 しんこう 対処 たいしょ 向 む け装備 そうび の大幅 おおはば 削減 さくげん 、そして隊員 たいいん の削減 さくげん なども同時 どうじ に行 おこな われている。例 たと えば、戦車 せんしゃ の保有 ほゆう 数 すう は2005年 ねん (平成 へいせい 17年 ねん )3月 がつ 現在 げんざい で980両 りょう であるが、防衛 ぼうえい 計画 けいかく の大綱 たいこう (平成 へいせい 17年 ねん 以降 いこう )では、これを600両 りょう 程度 ていど まで削減 さくげん することになっている。
師団 しだん ・旅団 りょだん の体制 たいせい [ 編集 へんしゅう ]
2005年度 ねんど (平成 へいせい 17年度 ねんど )以降 いこう の防衛 ぼうえい 計画 けいかく の大綱 たいこう によると、師団 しだん 及 およ び旅団 りょだん は大 おお きく2つに分類 ぶんるい された。※大綱 たいこう 自体 じたい には明記 めいき はなく、下記 かき 定義 ていぎ は2006年度 ねんど (平成 へいせい 18年度 ねんど )防衛 ぼうえい 白書 はくしょ による。
即応 そくおう 近代 きんだい 化 か 師団 しだん ・旅団 りょだん
新 あら たな脅威 きょうい や多様 たよう な事態 じたい に迅速 じんそく かつ効果 こうか 的 てき に対応 たいおう し得 え るよう、戦車 せんしゃ や火砲 かほう などの重 じゅう 装備 そうび を効率 こうりつ 化 か し、即応 そくおう 性 せい ・機動 きどう 性 せい を重視 じゅうし して編成 へんせい ・配置 はいち する部隊 ぶたい 。
総合 そうごう 近代 きんだい 化 か 師団 しだん ・旅団 りょだん
新 あら たな脅威 きょうい や多様 たよう な事態 じたい への対応 たいおう から、将来 しょうらい の本格 ほんかく 的 てき な侵略 しんりゃく 事態 じたい の対処 たいしょ まで、あらゆる事態 じたい に対応 たいおう し得 え るよう、総合 そうごう 的 てき な能力 のうりょく を重視 じゅうし して編成 へんせい ・配置 はいち する部隊 ぶたい 。
更 さら に、即応 そくおう 近代 きんだい 化 か 師団 しだん には特 とく に政経 せいけい 中枢 ちゅうすう 型 がた (第 だい 1師団 しだん ・第 だい 3師団 しだん )及 およ び離島 りとう 型 がた (第 だい 15旅団 りょだん )が、総合 そうごう 近代 きんだい 化 か 師団 しだん には機甲 きこう 型 がた (第 だい 7師団 しだん )が設 もう けられる。
中期 ちゅうき 防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく :2005年 ねん (平成 へいせい 17年 ねん ) - 2009年 ねん (平成 へいせい 21年 ねん )[ 編集 へんしゅう ]
2005年度 ねんど (平成 へいせい 17年度 ねんど )以降 いこう の防衛 ぼうえい 計画 けいかく の大綱 たいこう に基 もとづ き、中期 ちゅうき 防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく (2005) が定 さだ められた。ここでは、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の組織 そしき の見直 みなお しとして、「陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい については、戦車 せんしゃ 及 およ び主要 しゅよう 特 とく 科 か 装備 そうび の縮減 しゅくげん を図 はか りつつ、即応 そくおう 性 せい 、機動 きどう 性 せい 等 とう を一層 いっそう 向上 こうじょう させるため、5個 こ の師団 しだん 、1個 いっこ の旅団 りょだん 及 およ び2個 こ の混成 こんせい 団 だん について改編 かいへん を実施 じっし し、このうち1個 いっこ の師団 しだん 及 およ び2個 こ の混成 こんせい 団 だん は旅団 りょだん に改編 かいへん する。また、機動 きどう 運用 うんよう 部隊 ぶたい や専門 せんもん 部隊 ぶたい を一元 いちげん 的 てき に管理 かんり ・運用 うんよう する中央 ちゅうおう 即応 そくおう 集団 しゅうだん を新編 しんぺん する」とされた。また、同時 どうじ に「計画 けいかく 期間 きかん 末 まつ の編成 へんせい 定数 ていすう については、おおむね16万 まん 1千 せん 人 にん 程度 ていど 、常備 じょうび 自衛 じえい 官 かん 定員 ていいん についてはおおむね15万 まん 2千 せん 人 にん 程度 ていど 、即応 そくおう 予備 よび 自衛 じえい 官 かん 員数 いんずう については、おおむね8千 せん 人 にん 程度 ていど をめどとする。なお、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の常備 じょうび 自衛 じえい 官 かん の充足 じゅうそく については、計画 けいかく 期間 きかん 末 まつ において、おおむね14万 まん 6千 せん 人 にん 程度 ていど をめどとする」とされた。
防衛 ぼうえい 省 しょう ・陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 航空機 こうくうき 群 ぐん
この中期 ちゅうき 防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく における装備 そうび 品 ひん の主要 しゅよう な整備 せいび 目標 もくひょう は次 つぎ の通 とお りである。戦車 せんしゃ は49両 りょう 、火砲 かほう (迫撃 はくげき 砲 ほう を除 のぞ く)は38両 りょう 、装甲車 そうこうしゃ は104両 りょう 、戦闘 せんとう ヘリコプター (AH-64D )は7機 き 、輸送 ゆそう ヘリコプター(CH-47JA )は11機 き 、中距離 ちゅうきょり 地 ち 対空 たいくう 誘導 ゆうどう 弾 だん (03式 しき 中距離 ちゅうきょり 地 ち 対空 たいくう 誘導 ゆうどう 弾 だん )は8個 こ 中隊 ちゅうたい である。
今 いま まで対戦 たいせん 車 しゃ ヘリコプターとして配備 はいび されていたAH-1S コブラ が退役 たいえき する一方 いっぽう で、戦闘 せんとう ヘリコプターとしてAH-64D アパッチ・ロングボウ が新 あら たに就役 しゅうえき することになっていたが、防衛 ぼうえい 省 しょう は2007年 ねん (平成 へいせい 19年 ねん )にAH-64Dの導入 どうにゅう 打 う ち切 き りを発表 はっぴょう し、それまでの調達 ちょうたつ 数 すう は10機 き となった。現在 げんざい 、新 あら たな後継 こうけい 攻撃 こうげき ヘリコプターの採用 さいよう 計画 けいかく が進展 しんてん している(詳細 しょうさい はAH-X )
なお、この計画 けいかく に基 もと づき以下 いか の部隊 ぶたい ・機関 きかん について新編 しんぺん ・改編 かいへん が実施 じっし された。
防衛 ぼうえい 計画 けいかく の大綱 たいこう :2011年度 ねんど (平成 へいせい 23年度 ねんど )以降 いこう [ 編集 へんしゅう ]
中期 ちゅうき 防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく :2011年 ねん (平成 へいせい 23年 ねん ) - 2015年 ねん (平成 へいせい 27年 ねん )[ 編集 へんしゅう ]
当初 とうしょ の本 ほん 計画 けいかく の策定 さくてい は2009年 ねん (平成 へいせい 21年 ねん )末 まつ に予定 よてい されていたが、同年 どうねん 8月 がつ 30日 にち に実施 じっし された第 だい 45回 かい 衆議院 しゅうぎいん 議員 ぎいん 総 そう 選挙 せんきょ の結果 けっか 、自由民主党 じゆうみんしゅとう ・公明党 こうめいとう による「自公 じこう 連立 れんりつ 政権 せいけん 」から鳩山 はとやま 由紀夫 ゆきお 内閣 ないかく (民主党 みんしゅとう 政権 せいけん )へと政権 せいけん が交代 こうたい する。これに伴 ともな い、麻生 あそう 内閣 ないかく 下 した で提出 ていしゅつ された2010年度 ねんど (平成 へいせい 22年度 ねんど )予算 よさん 編成 へんせい の見直 みなお しが図 はか られることとなり、次 じ 年度 ねんど 分 ぶん の予算 よさん 編成 へんせい は防衛 ぼうえい 大綱 たいこう と中期 ちゅうき 防 ぼう の裏 うら づけの無 な い単 たん 年度 ねんど 予算 よさん で編成 へんせい された。
また、当初 とうしょ の概算 がいさん 要求 ようきゅう に盛 も り込 こ まれていた組織 そしき 改編 かいへん は先送 さきおく りとなり、石破 いしば 茂 しげる 防衛 ぼうえい 大臣 だいじん 下 か で設立 せつりつ された防衛 ぼうえい 省 しょう 改革 かいかく 会議 かいぎ も廃止 はいし となった。なお、この民主党 みんしゅとう 政権 せいけん 下 か で制定 せいてい された中期 ちゅうき 防 ぼう は2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )12月に発足 ほっそく した自由民主党 じゆうみんしゅとう 第 だい 2次 じ 安倍 あべ 内閣 ないかく によって廃止 はいし され、2013年 ねん (平成 へいせい 25年 ねん )12月17日 にち に新 あら たな大綱 たいこう 及 およ び中期 ちゅうき 防 ぼう が示 しめ された。本中 ほんなか 期 き 防 ぼう においては陸上 りくじょう 総 そう 隊 たい 司令 しれい 部 ぶ の新編 しんぺん 、特 とく 科 か ・戦車 せんしゃ 部隊 ぶたい の集約 しゅうやく 一元化 いちげんか 及 およ び水陸 すいりく 機動 きどう 団 だん の新編 しんぺん 等 とう 、創 そう 隊 たい 以来 いらい の大 だい 規模 きぼ 改編 かいへん が行 おこな われた。
中期 ちゅうき 防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく :2019年 ねん (平成 へいせい 31年 ねん )[ 編集 へんしゅう ]
防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく :2023年 ねん (令 れい 和 わ 5年 ねん )[ 編集 へんしゅう ]
陸上 りくじょう における国土 こくど の防衛 ぼうえい を主 おも 任務 にんむ とする。当初 とうしょ は冷戦 れいせん 体制 たいせい のもと、主 おも にソビエト連邦 れんぽう による大 だい 規模 きぼ 侵攻 しんこう に備 そな え、その際 さい に国土 こくど 内 ない で「内陸 ないりく 持久 じきゅう 」戦闘 せんとう を行 おこな って当面 とうめん もちこたえ、アメリカ軍 ぐん の来援 らいえん を待 ま ち共同 きょうどう で反攻 はんこう ・撃退 げきたい を行 おこな うことを想定 そうてい していた。しかし1990年代 ねんだい 以降 いこう 、ソビエト連邦 れんぽう 崩壊 ほうかい による北方 ほっぽう 脅威 きょうい の減少 げんしょう によって日本 にっぽん 本土 ほんど で大 だい 規模 きぼ 地上 ちじょう 戦 せん が起 お こる可能 かのう 性 せい は減少 げんしょう したものの、中国 ちゅうごく の台頭 たいとう による先 さき 島 とう 諸島 しょとう 等 とう での島嶼 とうしょ 部 ぶ 防衛 ぼうえい ・北朝鮮 きたちょうせん のテロリズム 対処 たいしょ やゲリラ の遊 ゆう 撃 げき 、また、阪神 はんしん ・淡路 あわじ 大震災 だいしんさい 以降 いこう に特 とく に活発 かっぱつ になった災害 さいがい 派遣 はけん 、海外 かいがい 派遣 はけん など、陸自 りくじ の任務 にんむ は一層 いっそう 増 ふ えており、北方 ほっぽう 重視 じゅうし であったこれまでの配備 はいび を見直 みなお して全国 ぜんこく 的 てき な変革 へんかく が現在 げんざい も行 おこな われている。
富士 ふじ 総合 そうごう 火力 かりょく 演習 えんしゅう で射撃 しゃげき をする90式 しき 戦車 せんしゃ
日本 にっぽん は四方 しほう を海 うみ に囲 かこ まれた島国 しまぐに であり、海上 かいじょう 交通 こうつう 路 ろ (シーレーン )を封鎖 ふうさ されては国家 こっか の存立 そんりつ も危 あや うくなる。また、日本 にっぽん の防衛 ぼうえい 基本 きほん 方針 ほうしん は専守防衛 せんしゅぼうえい であるために、外国 がいこく からの侵攻 しんこう を受 う けた場合 ばあい は、まず海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい 、航空 こうくう 自衛隊 じえいたい が主体 しゅたい となって洋上 ようじょう での戦闘 せんとう を行 おこな う事 こと が想定 そうてい されている。そのため陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい は、その後 ご にある「最終 さいしゅう 防衛 ぼうえい 力 りょく 」と位置 いち づけられている。標語 ひょうご である『Final Goalkeeper of Defense』はこれを表 あらわ している。
一般 いっぱん に先進 せんしん 国 こく の国防 こくぼう において最 もっと も費用 ひよう の掛 か かるのが人件 じんけん 費 ひ (給与 きゅうよ 、糧食 りょうしょく 等 とう )であり、日本 にっぽん も例外 れいがい ではなく、自衛隊 じえいたい 全体 ぜんたい の人件 じんけん 費 ひ だけで防衛 ぼうえい 予算 よさん の45%を占 し める。そして、隊員 たいいん を圧倒的 あっとうてき に多 おお く抱 かか えるのが陸自 りくじ (15.5万 まん 人 にん )であり、海自 かいじ (4.2万 まん 人 にん )、空自 くうじ (4.6万 まん 人 にん )を大 おお きく引 ひ き離 はな している。装備 そうび の維持 いじ 費 ひ 等 とう を差 さ し引 ひ くと、ますます装備 そうび の調達 ちょうたつ 予算 よさん がないのが現状 げんじょう である。島国 しまぐに である日本 にっぽん にとっての現在 げんざい の陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の存在 そんざい は「潜在 せんざい 防衛 ぼうえい 力 りょく 」であり、「確固 かっこ たる陸上 りくじょう 部隊 ぶたい が存在 そんざい すること」による「上陸 じょうりく 侵攻 しんこう の抑止 よくし 」を第 だい 一 いち の任務 にんむ としている。
防衛 ぼうえい 任務 にんむ のため、正面 しょうめん 装備 そうび として戦車 せんしゃ ・装甲車 そうこうしゃ などの陸上 りくじょう 装備 そうび 、ヘリコプター などの航空機 こうくうき を保有 ほゆう しており、これらの装備 そうび は毎年 まいとし 8月 がつ に実施 じっし ・一般 いっぱん 公開 こうかい される富士 ふじ 総合 そうごう 火力 かりょく 演習 えんしゅう や各地 かくち の駐屯 ちゅうとん 地 ち 祭 まつり などで公開 こうかい されている。
航空機 こうくうき は柔軟 じゅうなん な運用 うんよう が可能 かのう なヘリコプター が中心 ちゅうしん であるが、連絡 れんらく 偵察 ていさつ 機 き として固定 こてい 翼 つばさ 機 き も少数 しょうすう 配備 はいび している。大型 おおがた 機 き を有 ゆう していないため、長距離 ちょうきょり の移動 いどう や大量 たいりょう の物資 ぶっし 輸送 ゆそう などは航空 こうくう 自衛隊 じえいたい の支援 しえん を必要 ひつよう とする。陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい は海 うみ 空 そら のような航空 こうくう 学生 がくせい 制度 せいど を持 も たず、入隊 にゅうたい 後 ご に適正 てきせい 者 しゃ を選抜 せんばつ する陸 りく 曹航空 こうくう 操縦 そうじゅう 学生 がくせい を実施 じっし している。
水上 すいじょう ・水中 すいちゅう 装備 そうび として隠密 おんみつ 性 せい に優 すぐ れたゴムボートや水中 すいちゅう スクーターを配備 はいび しているが輸送 ゆそう 艦 かん や強襲 きょうしゅう 揚陸 ようりく 艦 かん はないため、長距離 ちょうきょり の海上 かいじょう 輸送 ゆそう や大 だい 規模 きぼ な上陸 じょうりく 作戦 さくせん では海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい の支援 しえん を必要 ひつよう とする。
最近 さいきん では、南西諸島 なんせいしょとう などの離島 りとう への侵攻 しんこう に対 たい する「上陸 じょうりく 侵攻 しんこう の抑止 よくし 」任務 にんむ が重要 じゅうよう 性 せい を増 ま しつつある。また、国内 こくない に潜伏 せんぷく する工作 こうさく 員 いん によるゲリラ ・コマンド 攻撃 こうげき 、あるいはテロリズム 等 ひとし に対 たい する抑止 よくし 力 りょく として重視 じゅうし されつつある。日本 にっぽん が大 だい 規模 きぼ テロや特殊 とくしゅ 部隊 ぶたい による攻撃 こうげき などを受 う けた場合 ばあい 、防衛 ぼうえい 出動 しゅつどう または治安 ちあん ・警護 けいご 出動 しゅつどう の命 いのち により陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい が最 さい 優先 ゆうせん で防護 ぼうご する「重要 じゅうよう 防護 ぼうご 施設 しせつ 」が全国 ぜんこく に135箇所 かしょ 指定 してい されており、各 かく 方面 ほうめん 隊 たい に担当 たんとう 施設 しせつ が割 わ り振 ふ られている。
なお、「対人 たいじん 地雷 じらい の使用 しよう 、貯蔵 ちょぞう 、生産 せいさん 及 およ び移譲 いじょう の禁止 きんし 並 なら びに廃棄 はいき に関 かん する条約 じょうやく 」により、2003年 ねん (平成 へいせい 15年 ねん )2月 がつ 8日 にち までに、訓練 くんれん 用 よう など一部 いちぶ を除 のぞ く全 すべ ての対人 たいじん 地雷 じらい の廃棄 はいき を完了 かんりょう した。また、2008年 ねん (平成 へいせい 20年 ねん )12月にはクラスター爆 ばく 弾 だん 禁止 きんし 条約 じょうやく に署名 しょめい したことで、保有 ほゆう するクラスター爆 ばく 弾 だん を新型 しんがた 爆 ばく 弾 だん の調達 ちょうたつ 中止 ちゅうし も含 ふく め全廃 ぜんぱい する。
災害 さいがい 派遣 はけん ・民生 みんせい 協力 きょうりょく [ 編集 へんしゅう ]
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 衛生 えいせい 科 か 救急 きゅうきゅう 車 しゃ
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい は、主 おも に大 だい 規模 きぼ 災害 さいがい に際 さい し、救援 きゅうえん 活動 かつどう に派遣 はけん される。自衛隊 じえいたい 法 ほう において主 しゅ たる任務 にんむ 目的 もくてき とはされていないが、世界 せかい 有数 ゆうすう の災害 さいがい 発生 はっせい 国 こく である日本 にっぽん で半 はん 世紀 せいき にわたる災害 さいがい 派遣 はけん を経験 けいけん し、多 おお くの有事 ゆうじ 対処 たいしょ を行 おこな ってきた。瓦礫 がれき の中 なか から被害 ひがい 者 しゃ を捜索 そうさく するなど人海 じんかい 戦術 せんじゅつ が必要 ひつよう な任務 にんむ が多 おお く、災害 さいがい 派遣 はけん においては大量 たいりょう 動員 どういん が可能 かのう な普通 ふつう 科 か が主力 しゅりょく となる。
地震 じしん 、台風 たいふう 、水害 すいがい 、雪害 せつがい 、火山 かざん 活動 かつどう など多種 たしゅ 多様 たよう な災害 さいがい に出動 しゅつどう している。2004年 ねん の新潟 にいがた 県 けん 中越 なかこし 地震 じしん では、孤立 こりつ 集落 しゅうらく から多 おお くの被災 ひさい 者 しゃ をヘリコプター で救出 きゅうしゅつ したほか、新潟 にいがた スタジアム前 まえ に野外 やがい 炊具 を設置 せっち し、毎食 まいしょく 多数 たすう の被災 ひさい 者 しゃ に食事 しょくじ を提供 ていきょう した。被災 ひさい 国 こく から出動 しゅつどう 要請 ようせい を受 う ける機会 きかい も増 ふ えており、スマトラ島 すまとらとう 沖 おき 地震 じしん やパキスタン地震 じしん の際 さい にも緊急 きんきゅう 出動 しゅつどう している。
災害 さいがい 出動 しゅつどう 以外 いがい にも副次的 ふくじてき な業務 ぎょうむ として、各種 かくしゅ マラソン 大会 たいかい やさっぽろ雪 ゆき まつり などの「民生 みんせい 協力 きょうりょく 」にも力 ちから を入 い れている。また、害 がい 獣 じゅう 駆除 くじょ に猟 りょう 友 とも 会 かい などと共 とも に協力 きょうりょく することもある[16] 。
国連 こくれん 平和 へいわ 維持 いじ 活動 かつどう や紛争 ふんそう 復興 ふっこう 、上記 じょうき のような災害 さいがい 援助 えんじょ のために日本 にっぽん 国外 こくがい に派遣 はけん される事 こと がある。PKO協力 きょうりょく 法 ほう 等 ひとし によって自衛隊 じえいたい の海外 かいがい 派遣 はけん は一般 いっぱん 的 てき な任務 にんむ となり、また、国際 こくさい 連合 れんごう 要請 ようせい 以外 いがい にも限 かぎり 時 じ 法 ほう による派遣 はけん が恒常 こうじょう 化 か しつつある。陸上 りくじょう 部隊 ぶたい として海外 かいがい 派遣 はけん の中心 ちゅうしん を担 にな う事 こと とされている。
部隊 ぶたい の編制 へんせい と機関 きかん [ 編集 へんしゅう ]
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい は大別 たいべつ して、陸上 りくじょう 幕僚監部 ばくりょうかんぶ と大小 だいしょう 様々 さまざま な部隊 ぶたい および機関 きかん からなる。
陸上 りくじょう 幕僚監部 ばくりょうかんぶ は防衛 ぼうえい 大臣 だいじん の幕僚 ばくりょう 機関 きかん として、防衛 ぼうえい 警備 けいび 計画 けいかく の立案 りつあん や部隊 ぶたい 等 とう の管理 かんり 運営 うんえい を調整 ちょうせい し、大臣 だいじん を補佐 ほさ する。
陸上 りくじょう 総 そう 隊 たい 司令 しれい 官 かん は防衛 ぼうえい 大臣 だいじん の命 いのち を受 う け、有事 ゆうじ においてはJTF陸上 りくじょう 部隊 ぶたい 指揮 しき 官 かん として2以上 いじょう の方面 ほうめん 隊 たい を統合 とうごう 運用 うんよう する。
部隊 ぶたい とは、十分 じゅうぶん な兵器 へいき を装備 そうび し、戦闘 せんとう に従事 じゅうじ するかまたはそれを支援 しえん する能力 のうりょく を有 ゆう する組織 そしき をさし、戦略 せんりゃく 単位 たんい として方面 ほうめん 隊 たい 、作戦 さくせん 単位 たんい として師団 しだん ・旅団 りょだん 、戦術 せんじゅつ 単位 たんい として群 ぐん ・連隊 れんたい ・隊 たい ・大隊 だいたい といった部隊 ぶたい 編制 へんせい を有 ゆう する。これらの部隊 ぶたい は、それぞれに警備 けいび 担任 たんにん 区域 くいき を有 ゆう しており、平時 へいじ の防衛 ぼうえい 警備 けいび を担任 たんにん する。陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の有 ゆう する戦略 せんりゃく 単位 たんい ・作戦 さくせん 単位 たんい は下記 かき のとおりである。
師団 しだん の標準 ひょうじゅん 的 てき な編制 へんせい 図 ず 。
旅団 りょだん の標準 ひょうじゅん 的 てき な編制 へんせい 図 ず 。
普通 ふつう 科 か 小銃 しょうじゅう 小隊 しょうたい の
標準 ひょうじゅん 的 てき な
編制 へんせい 図 ず 。
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい における部隊 ぶたい の単位 たんい は、自衛隊 じえいたい 法 ほう 施行 しこう 令 れい (昭和 しょうわ 29年 ねん 政令 せいれい 第 だい 179号 ごう )[17] および陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の部隊 ぶたい の組織 そしき 及 およ び編成 へんせい に関 かん する訓令 くんれい (平成 へいせい 12年 ねん 陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 訓令 くんれい 第 だい 25号 ごう )[18] 等 ひとし によって、次 つぎ のように規定 きてい されている。
方面 ほうめん 隊 たい :方面 ほうめん 総監 そうかん は陸 りく 将 すすむ (指定 してい 職 しょく 5号 ごう )方面 ほうめん 総監 そうかん 部 ぶ 、2 - 4個 こ の師団 しだん または旅団 りょだん 、およびその他 た の直轄 ちょっかつ 部隊 ぶたい からなる。
師団 しだん :師団 しだん 長 ちょう は陸 りく 将 すすむ (指定 してい 職 しょく 2号 ごう または1号 ごう )師団 しだん 司令 しれい 部 ぶ 、普通 ふつう 科 か 連隊 れんたい 3コ、戦車 せんしゃ 連隊 れんたい (大隊 だいたい )、特 とく 科 か 連隊 れんたい (特 とく 科 か 隊 たい )、後方 こうほう 支援 しえん 連隊 れんたい などからなる。実質 じっしつ 的 てき な規模 きぼ は旅団 りょだん 程度 ていど [15]
旅団 りょだん :旅団 りょだん 長 ちょう は陸 りく 将 すすむ 補 ほ (一 いち )構成 こうせい は師団 しだん に準 じゅん じており、旅団 りょだん 司令 しれい 部 ぶ 、普通 ふつう 科 か 連隊 れんたい (軽 けい )3コ、特 とく 科 か 隊 たい 、後方 こうほう 支援 しえん 隊 たい などからなる[注釈 ちゅうしゃく 6] 。実質 じっしつ 的 てき な規模 きぼ は連隊 れんたい ないし連隊 れんたい 戦闘 せんとう 団 だん 程度 ていど [15] 。
団 だん :団長 だんちょう は陸 りく 将 すすむ 補 ほ (二 に )または1等 とう 陸 りく 佐 たすく (一 いち )団 だん 本部 ほんぶ 及 およ び数個 すうこ の連隊 れんたい 、群 ぐん 、大隊 だいたい 又 また は隊 たい 等 とう からなる。方面 ほうめん 混成 こんせい 団 だん 、特 とく 科 か 団 だん 、高射 こうしゃ 特 とく 科 か 団 だん 、施設 しせつ 団 だん 、通信 つうしん 団 だん 、富士 ふじ 教導 きょうどう 団 だん 及 およ び開発 かいはつ 実験 じっけん 団 だん がある。
連隊 れんたい :連隊 れんたい 長 ちょう は1等 とう 陸 りく 佐 たすく (二 に )連隊 れんたい 本部 ほんぶ および数個 すうこ の大隊 だいたい または中隊 ちゅうたい からなる。
群 ぐん :群 ぐん 長 ちょう は1等 とう 陸 りく 佐 たすく (二 に 若 も しくは三 さん )群 ぐん 本部 ほんぶ および数個 すうこ の大隊 だいたい または中隊 ちゅうたい からなる。
大隊 だいたい :大隊 だいたい 長 ちょう は2等 とう 陸 りく 佐 たすく (駐屯 ちゅうとん 地 ち 司令 しれい を兼務 けんむ する場合 ばあい に限 かぎ り1佐 さ (三 さん )が充 あ てられる)大隊 だいたい 本部 ほんぶ および数個 すうこ の中隊 ちゅうたい からなる。
中隊 ちゅうたい :中隊 ちゅうたい 長 ちょう は3等 とう 陸 りく 佐 たすく または1等 とう 陸 りく 尉 じょう 。中隊 ちゅうたい 本部 ほんぶ および数個 すうこ の小隊 しょうたい からなる。
小隊 しょうたい :小隊 しょうたい 長 ちょう は1等 とう 陸 りく 尉 じょう から3等 とう 陸 りく 尉 じょう 。小隊 しょうたい 本部 ほんぶ および数個 すうこ の分隊 ぶんたい または班 はん からなる。
班 はん :班長 はんちょう は2等 とう 陸 りく 曹 または3等 とう 陸 りく 曹。数個 すうこ の組 くみ からなる。10名 めい 程度 ていど で構成 こうせい される。
分隊 ぶんたい :分隊 ぶんたい 長 ちょう は2等 とう 陸 りく 曹または3等 とう 陸 りく 曹。数個 すうこ の組 くみ または4 - 8名 めい 程度 ていど の分隊 ぶんたい 員 いん からなる。
組 くみ :組長 くみちょう は3等 とう 陸 りく 曹、陸士 りくし 長 ちょう または1等 とう 陸士 りくし 。2 - 4名 めい 程度 ていど の組員 くみいん からなる。
隊 たい :規模 きぼ は様々 さまざま であり、連隊 れんたい よりも大 だい 規模 きぼ だが団 だん とするには小規模 しょうきぼ なもの(西部 せいぶ 方面 ほうめん 特 とく 科 か 隊 たい や北部 ほくぶ 方面 ほうめん 施設 しせつ 隊 たい )や連隊 れんたい が縮小 しゅくしょう されて成立 せいりつ したもの(第 だい 3特 とく 科 か 隊 たい など)から中隊 ちゅうたい 相当 そうとう のものなど、多岐 たき にわたっている。基本 きほん 的 てき には、師団 しだん ・旅団 りょだん 内 ない に置 お かれている隊 たい (偵察 ていさつ 隊 たい 、特 とく 科 か 隊 たい 、航空 こうくう 隊 たい 、後方 こうほう 支援 しえん 隊 たい 、化学 かがく 防護 ぼうご 隊 たい および音楽 おんがく 隊 たい 。ただし司令 しれい 部 ぶ 付 づけ 隊 たい 及 およ び後方 こうほう 支援 しえん 連隊 れんたい または後方 こうほう 支援 しえん 隊 たい 隷下 れいか の隊 たい は冠 かんむり 称 しょう 番号 ばんごう がない)は師団 しだん または旅団 りょだん の番号 ばんごう を冠 かんむり 称 しょう している。他方 たほう 、独立 どくりつ 部隊 ぶたい の場合 ばあい 、部隊 ぶたい 番号 ばんごう が1・2桁 けた のものは連隊 れんたい 相当 そうとう 、100番台 ばんだい のものは大隊 だいたい 相当 そうとう 、300番台 ばんだい のものは中隊 ちゅうたい 相当 そうとう とされる。また、「○○方面 ほうめん ○○隊 たい 」のような命名 めいめい もある。自衛 じえい 官 かん 服務 ふくむ 規則 きそく 及 およ び陸上 りくじょう 自衛 じえい 官 かん 服務 ふくむ 細則 さいそく においては、指揮 しき 者 しゃ のいる2名 めい 以上 いじょう の集団 しゅうだん を隊 たい と定義 ていぎ している。
(コア部隊 ぶたい ):基幹 きかん 要員 よういん は常備 じょうび 自衛 じえい 官 かん で構成 こうせい され、主力 しゅりょく は訓練 くんれん や災害 さいがい 派遣 はけん または防衛 ぼうえい 出動 しゅつどう 等 とう で招集 しょうしゅう される即応 そくおう 予備 よび 自衛 じえい 官 かん からなる。
機関 きかん とは学校 がっこう や病院 びょういん 等 とう の部隊 ぶたい を維持 いじ 運営 うんえい するための業務 ぎょうむ を担 にな う組織 そしき である。
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい では、職種 しょくしゅ 別 べつ の学校 がっこう や地域 ちいき 別 べつ の補給 ほきゅう 処 しょ 等 とう が置 お かれている。
正 まさ しくは学校 がっこう 及 およ び補給 ほきゅう 統制 とうせい 本部 ほんぶ が防衛 ぼうえい 大臣 だいじん 直轄 ちょっかつ 機関 きかん 、補給 ほきゅう 処 しょ は方面 ほうめん 隊 たい 直轄 ちょっかつ の機関 きかん である(補給 ほきゅう 処 しょ が補給 ほきゅう 統制 とうせい 本部 ほんぶ の統制 とうせい に従 したが うのは業務 ぎょうむ 上 じょう の統制 とうせい である。自衛隊 じえいたい 法 ほう 第 だい 26条 じょう 第 だい 5項 こう に明記 めいき )。
以下 いか は三 さん 自衛隊 じえいたい 共同 きょうどう の機関 きかん である。
その他 た 、陸海空 りくかいくう 自衛隊 じえいたい それぞれの機関 きかん として捕虜 ほりょ 収容 しゅうよう 所 しょ を臨時 りんじ に設置 せっち できることを定 さだ めている(自衛隊 じえいたい 法 ほう 第 だい 24条 じょう 第 だい 3項 こう )
陸上 りくじょう 自衛 じえい 官 かん [ 編集 へんしゅう ]
^ 帝国 ていこく 海軍 かいぐん と海自 かいじ の関係 かんけい 性 せい とは異 こと なり公式 こうしき には帝国 ていこく 陸軍 りくぐん を前身 ぜんしん としていないが、事実 じじつ 上 じょう ・実質 じっしつ 上 じょう の前身 ぜんしん 。
^ りゅう弾 だん 砲 ほう および多連装 たれんそう ロケットシステムを「火砲 かほう 」と区分 くぶん している[1] 。
^ 桜 さくら 義雄 よしお は旧 きゅう 海軍 かいぐん からの推薦 すいせん により入隊 にゅうたい 。
^ 他 ほか にも警備 けいび 隊 たい ・海自 かいじ ではなく、保安 ほあん 隊 たい ・陸自 りくじ に入隊 にゅうたい した旧 きゅう 海軍 かいぐん 将校 しょうこう も少数 しょうすう おり、池上 いけがみ 巖 いわお (海兵 かいへい 第 だい 54期 き )・助川 すけかわ 弘道 ひろみち (海兵 かいへい 第 だい 55期 き )・浦部 うらべ 聖 きよし (海兵 かいへい 第 だい 56期 き )・和田 わだ 曻治 (海 うみ 機 き 第 だい 47期 き )などがいる。
^ 2007年 ねん 10月 がつ 28日 にち 、朝霞駐屯地 あさかちゅうとんち における平成 へいせい 19年度 ねんど 自衛隊 じえいたい 中央 ちゅうおう 観閲 かんえつ 式 しき 総 そう 行進 こうしん 直後 ちょくご における場内 じょうない アナウンス。
^ 師 し (旅 たび )団 だん の規模 きぼ ・特性 とくせい により異 こと なる。
防衛 ぼうえい 産業 さんぎょう 協会 きょうかい 編 へん 『自衛隊 じえいたい 年鑑 ねんかん 1956年版 ねんばん 』防衛 ぼうえい 産業 さんぎょう 協会 きょうかい 、1956年 ねん 1月 がつ 1日 にち 。NDLJP :9577403 。
防衛 ぼうえい 年鑑 ねんかん 刊行 かんこう 会 かい 編 へん 『防衛 ぼうえい 年鑑 ねんかん 1956(昭和 しょうわ 31年版 ねんばん )』防衛 ぼうえい 年鑑 ねんかん 刊行 かんこう 会 かい 、1956年 ねん 。NDLJP :9673926 。
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