雷電らいでん (航空機こうくうき)

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三菱みつびし J2M 雷電らいでん

試製雷電改(二一型の試作機)

試製しせい雷電らいでんあらためいちがた試作しさく

雷電らいでんらいでん)は、だい東亜とうあ戦争せんそう太平洋戦争たいへいようせんそうだい世界せかい大戦たいせん後期こうき大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん運用うんようした局地きょくち戦闘せんとう[注釈ちゅうしゃく 1]おつせん[注釈ちゅうしゃく 2])。りゃく符号ふごうはJ2M。

帝国ていこく陸軍りくぐん戦闘せんとうとはことなり、「雷電らいでん」の名称めいしょう愛称あいしょうではなく制式せいしき名称めいしょうであり、おつせん場合ばあいは「かみなり」または「でん」のふくむこととさだめられていた。連合れんごうぐんコードネームJack(ジャック)。

にちちゅう戦争せんそうささえ事変じへん)のせんくんにより陸上りくじょう基地きち防空ぼうくうのため、速度そくど上昇じょうしょうりょく火力かりょく重視じゅうしして開発かいはつされたが、はつ飛行ひこう不具合ふぐあい解消かいしょう手間取てまど実用じつようおくれ、生産せいさん縮小しゅくしょうされ生産せいさんすう比較的ひかくてき少数しょうすうにとどまった。しかし南方なんぽう本土ほんどにおける防空ぼうくう戦闘せんとう投入とうにゅうされ、一定いってい戦果せんかげている。

概要がいよう[編集へんしゅう]

大型おおがたばくげき迎撃げいげきおも任務にんむとするきょくせん要求ようきゅうされる性能せいのうは、ばくげき飛行ひこうしている高度こうど短時間たんじかん到達とうたつする上昇じょうしょうりょくてき爆撃ばくげき速力そくりょく、そして一瞬いっしゅんのチャンスにてき爆撃ばくげき致命傷ちめいしょうあた火力かりょくみっつである。これらを重視じゅうしして開発かいはつされたのが雷電らいでんである。雷電らいでん開発かいはつ困難こんなん時間じかんがかかり、任務にんむいたのちでもすべての技術ぎじゅつてき問題もんだい解決かいけつされたわけではなかった。戦歴せんれきとおしてエンジン起因きいんする問題もんだい終始しゅうしかかえており、三菱みつびしで476高座こうざ海軍かいぐん工廠こうしょう神奈川かながわけん高座こうざぐん相模原さがみはらまちげん座間ざま)、跡地あとち現在げんざい日産自動車にっさんじどうしゃ座間ざま事業じぎょうしょ)および日本にっぽんたててつ千葉ちばけん船橋ふなばし、2015ねん1がつ解散かいさん跡地あとちには現在げんざいイオンモール船橋ふなばし存在そんざい)で若干じゃっかんすう[注釈ちゅうしゃく 3]生産せいさんされたのみにわった[2]

開発かいはつ[編集へんしゅう]

ささえ事変じへんとき中華民国ちゅうかみんこく空軍くうぐんばくげきたいにより陸上りくじょう基地きち被害ひがいけた海軍かいぐんは、じゅうためし艦上かんじょう戦闘せんとうれいしき艦上かんじょう戦闘せんとう試作しさくいち号機ごうき領収りょうしゅうした直後ちょくご1939ねん昭和しょうわ14ねん)9がつ三菱みつびし単独たんどく指名しめいで「じゅうよんためし局地きょくち戦闘せんとう」(以下いか、「じゅうよんためしきょくせん」とりゃく)を提示ていじよく1940ねん昭和しょうわ15ねん)4がつに「じゅう四試局地戦闘機計画要求書」を交付こうふした[3]計画けいかくしょ記載きさいされていた海軍かいぐん要求ようきゅうは、おおむ以下いかようなものであったとされる。

最高さいこう速度そくど
高度こうど6,000 m において325ノットやく601.9 km/h以上いじょう。340ノット(やく629.7 km/h)を目標もくひょうとする。
上昇じょうしょうりょく
高度こうど6,000 m まで5ふん30びょう以内いない上昇じょうしょう限度げんど11,000 m 以上いじょう
航続力こうぞくりょく
最高さいこうそく高度こうど6,000 m)で0.7時間じかん以上いじょう正規せいき)。
武装ぶそう
20 mm 機銃きじゅう2てい7.7 mm 機銃きじゅう2てい
その
操縦そうじゅうせき背面はいめん防弾ぼうだんいた装備そうびすること。

これをけた三菱みつびしではれいしき艦上かんじょう戦闘せんとうおなじく堀越ほりこし二郎じろう設計せっけい主務しゅむしゃとした設計せっけいじんみ、開発かいはつんだ。

1940ねん昭和しょうわ15ねん)7がつ下旬げじゅんから設計せっけい作業さぎょう本格ほんかくし、12月26にちだい1木型きがた審査しんさ実物じつぶつだい模型もけいによる審査しんさ)、よく1941ねん昭和しょうわ16ねん初頭しょとうにかけてだい2だい3審査しんさおこなわれた。2月からは実機じっき製作せいさくよう図面ずめんだし部品ぶひん製作せいさくはじまり12がつに1号機ごうきてが完了かんりょう、2構造こうぞう審査しんさて1942ねん昭和しょうわ17ねん)2がつ28にちに1号機ごうき完成かんせいとなった。3月20にちはつ飛行ひこうし、三菱みつびしテストパイロットによる試験しけん飛行ひこうのちに5がつ下旬げじゅんからは海軍かいぐんによる性能せいのう試験しけんおこなわれた。その8がつまつまでにかけて、じゅうよんためしきょくせん(J2M1)の試作しさく合計ごうけい8製作せいさくされている。[4][5]

このなかで、1942ねん昭和しょうわ17ねん)2がつ2にち海軍かいぐん三菱みつびし合同ごうどうじゅうよんためしきょくせん性能せいのう研究けんきゅうかいひらかれている。このかい提出ていしゅつされた性能せいのう推算すいさんしょによれば、火星かせいいちさんがた搭載とうさいする J2M1(じゅうよんためしきょくせん)の最大さいだい速度そくどは 323 ノット(598 km/h)、MK4C性能せいのう向上こうじょうがた火星かせいさんがた相当そうとう[注釈ちゅうしゃく 4])を搭載とうさいする J2M2(じゅうよんためしきょくせんあらため)の最大さいだい速度そくどは 342 ノット(633 km/h)となっており、じゅうよんためしきょくせん1号機ごうきはつ飛行ひこう以前いぜんのこの時点じてん要求ようきゅう性能せいのうひつじたち性能せいのう向上こうじょうがた製作せいさく考慮こうりょされていたことがうかがえる。また同年どうねん4がつ曽根そねよしみねん技師ぎしのノートには J2M2 3号機ごうき以降いこうふくめた表面ひょうめん仕上しあげにかんする記述きじゅつがあり、性能せいのう試験しけんおこなわれる以前いぜんから性能せいのう向上こうじょうがた製作せいさく移行いこうする予定よていだったことがわかる。[6]

1942ねん昭和しょうわ17ねん)5がつおこなわれた性能せいのう試験しけんではじゅうよんためしきょくせん(J2M1)の最大さいだい速度そくどは 310 ノット(574 km/h)程度ていど推算すいさんをさらに下回したまわり、また10がつ完成かんせいしたじゅうよんためしきょくせんあらため(J2M2)1号機ごうき最大さいだい速度そくども 10 ノット(18 km/h)程度ていど向上こうじょうしかられない有様ありさまだった。さらに最大さいだい出力しゅつりょく発揮はっきはげしい振動しんどう発生はっせいしてだい問題もんだいとなった。

振動しんどうてい周期しゅうきのものとこう周期しゅうきのものが指摘してきされたが、前者ぜんしゃ発動はつどう振動しんどうプロペラよん振動しんどうによる「うなり」が原因げんいん判明はんめい、プロペラ減速げんそくを0.54から0.5に変更へんこう振動しんどう周期しゅうき一致いっちさせることで解決かいけつした。しかしこう周期しゅうきのものは原因げんいんがわからず、ぼうゴム改良かいりょうとう対策たいさくにもかかわらず解消かいしょうにはほどとお状態じょうたいであった。また試験しけんちゅう引込ひきこめあし設計せっけい不備ふび整備せいび不良ふりょう起因きいんする帆足ほあしこう大尉たいい殉職じゅんしょくする墜落ついらく事故じこ発生はっせいしたこともあり、この振動しんどう問題もんだい解決かいけつされるまでに1ねん以上いじょうよう雷電らいでん実用じつよう大幅おおはばおくらせることになった。

延長えんちょうじくによる振動しんどう誘発ゆうはつ[注釈ちゅうしゃく 5]発動はつどうとプロペラの共鳴きょうめい発動はつどう機内きないでの共鳴きょうめいなどがうたがわれたが、解析かいせき結果けっか発動はつどういち振動しんどうがプロペラつばさ方向ほうこう振動しんどう共鳴きょうめいして機体きたい前後ぜんご方向ほうこう振動しんどうとなったのではないかと推測すいそくされた。そこでそらりょく特性とくせい犠牲ぎせいにプロペラつばさあつみをし、固有こゆう振動しんどうかずをずらすことによってこれを解消かいしょうした[注釈ちゅうしゃく 6][7]振動しんどう問題もんだい解決かいけつ過程かてい潤滑油じゅんかつゆゆたかのぼりによる潤滑油じゅんかつゆ冷却れいきゃく容量ようりょう増大ぞうだい視界しかい不良ふりょうたいする風防ふうぼう拡大かくだいとう実施じっしされている。

制式せいしき採用さいようたずに1943ねん昭和しょうわ18ねん)9がつから量産りょうさんはじめられ、試製しせい雷電らいでんとして海軍かいぐんへの引渡ひきわたしがはじまったが、部隊ぶたい配属はいぞくこう高度こうどにおいてていかくどおりの出力しゅつりょくない、電動でんどうしき引込ひきこめあしうごかないなど問題もんだいおおかった。こう高度こうどでの出力しゅつりょく低下ていか全開ぜんかい高度こうどげた火星かせいろくがたへのかわそうなどで一応いちおう解決かいけつたが、電動でんどう機構きこう不調ふちょう最後さいごまで解決かいけつしきれないままであった。試製しせい雷電らいでん雷電らいでんいちいちがたとして制式せいしき採用さいようされるのは、計画けいかく要求ようきゅうしょ交付こうふからじつに5ねん1944ねん昭和しょうわ19ねん)10がつである。1944ねん昭和しょうわ19ねん後半こうはんより既存きそん新造しんぞう双方そうほうたいしてこう高度こうど有利ゆうり最高さいこう速度そくどめんでは不利ふり)なまでブレードのふといプロペラに変更へんこうするという対策たいさくほどこされている。

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

エンジン[編集へんしゅう]

プレーンズ・オブ・フェイム航空こうくう博物館はくぶつかん展示てんじされている雷電らいでんいちがた紡錘形ぼうすいけいエンジンカウル。プロペラはブレードがまでひろこう高度こうどよう

速度そくど上昇じょうしょうりょく確保かくほするためにはだい馬力ばりきエンジンが必要ひつようであり、本来ほんらい大型おおがたよう開発かいはつされただい直径ちょっけいではあるがだい馬力ばりきの「火星かせい」が選定せんていされている。だい直径ちょっけいおぎなうために採用さいようされた紡錘形ぼうすいけい胴体どうたい後述こうじゅつ)に適合てきごうするよう延長えんちょうじくとプロペラじく直結ちょっけつ強制きょうせい冷却れいきゃくファンを追加ついかした火星かせいいちさんがた用意よういされている。強制きょうせい冷却れいきゃくファンは機首きしゅしぼったことによるエンジン冷却れいきゃくよう空気くうき流入りゅうにゅうりょう減少げんしょうによる冷却れいきゃく効率こうりつ悪化あっかおぎなうために装備そうびされたが、冷却れいきゃくよう空気くうき流入りゅうにゅうりょう減少げんしょうする上昇じょうしょう冷却れいきゃく効率こうりつげる効果こうか期待きたいされていた[よう出典しゅってん][8]

じゅうよんためしきょくせんあらため(J2M2)以降いこうでは火星かせい三甲さんこうがた装備そうびした。これはみずメタノール噴射ふんしゃ装置そうちによって出力しゅつりょくげたがた延長えんちょうじくぞうそくしき強制きょうせい冷却れいきゃくファンを装備そうび燃料ねんりょう噴射ふんしゃ装置そうちそなえたもの[9]である。また雷電らいでんさんさんがた(J2M5)およびさんがた(J2M7)で装備そうびされた火星かせいろくがたは、きゅうぞうそくして全開ぜんかい高度こうどげたもの[10]である。なお、火星かせいエンジン自体じたい電動でんどう慣性かんせい始動しどう対応たいおうしたエンジンではあるが、雷電らいでんでは発動はつどう搭載とうさい方法ほうほう関係かんけい手動しゅどう慣性かんせい始動しどう装備そうび[11]されている。

プロペラのピッチ変更へんこう機構きこうは、当初とうしょドイツVDMしゃ開発かいはつ電動でんどうしきガバナー搭載とうさいモデルを住友金属すみともきんぞくげん日本にっぽん製鉄せいてつ)がライセンス生産せいさんしたものがもちいられた。これはピッチの変更へんこう速度そくどハミルトン・スタンダード開発かいはつ油圧ゆあつしきおとるが変更へんこう角度かくどおおきいため適応てきおうする高度こうどいきひろくなるという利点りてんがあった。しかし故障こしょう多発たはつしたため、じゅうよんためしきょくせんあらため(J2M2)以降いこうはハミルトンの油圧ゆあつ機構きこうんだ折衷せっちゅうがた使用しようした。[9]

なおプロペラ枚数まいすうじゅうよんためしきょくせん(J2M1)がさん翅(直径ちょっけい3.2m)、じゅうよんためしきょくせんあらため(J2M2)以降いこうよん翅(直径ちょっけい3.3m)である。また後期こうきでは高空こうくう性能せいのう改善かいぜんのため幅広はばひろのものが装備そうびされた。

強制きょうせい冷却れいきゃくファンはじゅうよんためしきょくせん(J2M1)が直結ちょっけつ22まい羽根はねじゅうよんためしきょくせんあらため(J2M2)以降いこうぞうそくしき14まい羽根ばねぞうそくはプロペラじくの3ばい以上いじょうとなり、これをまわぶん馬力ばりきけずられた。[12]

胴体どうたい[編集へんしゅう]

アメリカぐん接収せっしゅうされた雷電らいでん上面うわつら写真しゃしん

火星かせい直径ちょっけいは 1,340 mm と、れいせん搭載とうさいされたさかえくらべて 200 mm ちかおおきい。そこで空気くうき抵抗ていこう可能かのうかぎ減少げんしょうさせるために、エンジンに延長えんちょうじく装着そうちゃくしてプロペラを前方ぜんぽうしたうえ機首きしゅしぼみ、エンジンよりもうしろの操縦そうじゅうせき付近ふきんもっとふとくなる紡錘形ぼうすいけい胴体どうたい採用さいようされた。これはそらわざしょう風洞ふうどう実験じっけんデータにもとづいており、どう時期じき開発かいはつすすんでいたじゅうためし水上すいじょう戦闘せんとうでも採用さいようされているが、実機じっきレイノルズすうではそうりゅう維持いじできず風洞ふうどう模型もけいのような効果こうかなかった。また風防ふうぼう前面ぜんめん曲面きょくめんガラスとしたうえたかさをごくひくくし、形状けいじょうファストバックかたとして抗力こうりょく減少げんしょうはかった。[13][14]

ただし代償だいしょうとしてぜん下方かほうおよ後方こうほうがわ下方かほう視界しかいわるく、曲面きょくめんガラスによって風景ふうけいいがんでえるという問題もんだい発生はっせいしたため、じゅうよんためしきょくせんあらため(J2M2)以降いこうではそれ以前いぜん比較ひかくして機首きしゅを 205 mm みじかく、風防ふうぼうをややたかくして前面ぜんめんガラスの平面へいめんやし、側面そくめんガラスをした方向ほうこうおおきくする設計せっけい変更へんこうおこなわれている。量産りょうさんさんさんがた(J2M5)、さんいちがた(J2M6)でさらに風防ふうぼうたかさをはばし、風防ふうぼうまえ上部じょうぶ胴体どうたいななめにそぎとすあらため設計せっけいおこなわれたものの速度そくど低下ていかをきたし、高座こうざ工廠こうしょう視界しかい改善かいぜんさくおこなわないいちがた(J2M3)の胴体どうたいのまま生産せいさんつづけた。[13][15]

なおさんさんがた(J2M5)、さんいちがた(J2M6)でおこなわれた視界しかい改善かいぜんさくについてみね文三ぶんぞうは、1944ねん昭和しょうわ19ねん基地きち航空こうくうたい主力しゅりょくとして大量たいりょう生産せいさんされる予定よていだったためであり、高座こうざ工廠こうしょう生産せいさん視界しかい改善かいぜんさく導入どうにゅうされなかったのは減産げんさん決定けってい主力しゅりょく断念だんねん)していた状態じょうたいすで稼働かどうしている量産りょうさんラインを阻害そがいしないためであるとしている。[15]

胴体どうたいだけの風洞ふうどう模型もけいもちいた実験じっけんでは、紡錘形ぼうすいけい胴体どうたいそのものの抗力こうりょくひくかった[16]が、実際じっさい飛行機ひこうきではプロペラりゅうしぼむようにながれるため、エンジン後方こうほうから胴体どうたいしぼっていく設計せっけいたとえばしき単座たんざ戦闘せんとうフォッケウルフ Fw190)のほうすこ抗力こうりょくひくかったことこうから判明はんめいしている。[17]

表面積ひょうめんせきひろさに比例ひれいする摩擦まさつ抵抗ていこうにいおいて雷電らいでんふと胴体どうたいそんであり、外気がいきりゅうよりながれがはやいプロペラりゅう圏内けんないではその影響えいきょうつよまる[18]。また主翼しゅよく胴体どうたい干渉かんしょう抵抗ていこうは、正面しょうめんから主翼しゅよく胴体どうたい側面そくめんのなす角度かくどおおきいほど有利ゆうり[19]で、Me262Do17F6FXP67ひとしはこれをんだ設計せっけいだが、楕円だえん断面だんめん胴体どうたいていつばさとした雷電らいでんはこの角度かくどせまつばさどう干渉かんしょう抵抗ていこうおおきい。

プロペラ効率こうりつ抗力こうりょく係数けいすうった数値すうち ηいーた/Cd について、内藤ないとう子生こなじは「高速こうそく飛行ひこう」と[20]山名やまな正夫まさおは「最大さいだい速度そくどηいーた/Cdは高速こうそく性能せいのうから飛行機ひこうきあらい練度れんどしめす」といている[21]。この数値すうちはグラフされており[22][23]雷電らいでん数値すうちえきひや彗星すいせい彩雲さいうんれいせん空冷くうれい彗星すいせい流星りゅうせいおとっている。

主翼しゅよく[編集へんしゅう]

主翼しゅよくつばさがたには1940年代ねんだい当時とうじ高速こうそく有利ゆうりとして着目ちゃくもくされはじめていたそうりゅうつばさ胴体どうたいがわに、そとつばさがわ従来じゅうらいつばさがたとしたはんそうりゅうつばさ採用さいようしている。これは当時とうじそうりゅうつばさ失速しっそく特性とくせいくないとされたためで[注釈ちゅうしゃく 7]そとつばさをより失速しっそく特性とくせい良好りょうこう従来じゅうらいつばさがたとすることでつばさはし失速しっそくふせ意図いとがあった。[24]

ただしそうりゅうつばさ表面ひょうめん凹凸おうとつにデリケートで、塗装とそうまく気泡きほう昆虫こんちゅう衝突しょうとつによる付着ふちゃくぶつでも後方こうほう三角形さんかっけいじょうそうりゅうくずれ、らんりゅう遷移せんいして摩擦まさつ抵抗ていこう増加ぞうかする[25]偵察ていさつ 彩雲さいうんおなじくそうりゅうつばさがた採用さいようしているが主翼しゅよくそとばんあつくしびょうすうらして表面ひょうめん凹凸おうとつ最小限さいしょうげんおさ[26]しゅあしけたまえではなくけたあいだんでぜんえん強度きょうどげている[27]残念ざんねんながら雷電らいでんではこのてん留意りゅういした設計せっけいにはなっていないが重量じゅうりょう増加ぞうかずにんだ。[注釈ちゅうしゃく 8]

主翼しゅよく面積めんせきれいせんいちがたくらべてやく10%ちいさくなっており、全幅ぜんぷくが1.2m短縮たんしゅくされたためになか高速こうそくいきではれいせんよりも横転おうてん性能せいのう良好りょうこうだったといわれる。えに日本にっぽん海軍かいぐんとしてはかなりのこうつばさめん荷重かじゅうとなったため、フラップきゅうろくかんせんれいせん装備そうびした単純たんじゅんなスプリットしきではなく、高揚こうようりょく装置そうちとしての能力のうりょくたか空戦くうせんフラップとしても利用りようできるファウラーしき採用さいようしている。[24]

武装ぶそう防弾ぼうだん[編集へんしゅう]

うえきゅうきゅうしきいちごうみりめーとる機銃きじゅうしたきゅうきゅうしきごうみりめーとる機銃きじゅう

いちいちがたまでの武装ぶそうれいせんおなじくつばさないに20mm機銃きじゅう2てい胴体どうたいに7.7mm機銃きじゅう2ていであったが、いちがた以降いこう胴体どうたいの7.7mm機銃きじゅう廃止はいしし20mm機銃きじゅう4ていつばさない装備そうびしている。しかしいちがた開発かいはつ時期じききゅうきゅうしき20mm機銃きじゅう生産せいさんたん銃身じゅうしんいちごうじゅうからちょう銃身じゅうしんごうじゅう移行いこうする時期じきかさなり、ごうじゅう必要ひつようすう確保かくほ出来できないおそれがあったためにそとつばさがわいちごうじゅううちつばさがわごうじゅう混載こんさいするという妥協だきょうあんられている(紫電しでんいちいちがた初期しょき生産せいさんがたも、ごうじゅうではなくいちごうじゅう装備そうびしている)。いちごうじゅうごうじゅうおなきゅうきゅうしきながら構造こうぞうがかなりことなり、また弾薬だんやくつつみ互換ごかんせいがないため、機銃きじゅうそのものの整備せいび補給ほきゅう支障ししょうをきたし、また弾道だんどうにバラツキがるなどという結果けっかとなった[注釈ちゅうしゃく 9]。なお、B29へのちょく上方かみがた攻撃こうげき視界しかいわるさから目標もくひょう胴体どうたいかくれて照準しょうじゅん困難こんなんになるのを改善かいぜんするため20mm機銃きじゅうを4上向うわむきに調整ちょうせいしたという[28][29]

少数しょうすうではあるが30mm機銃きじゅう装備そうびした機体きたい存在そんざいし、実戦じっせん参加さんかしている。

防弾ぼうだん装備そうびとして操縦そうじゅうせき背後はいごに8mmあつ防弾ぼうだん鋼板こうはん装備そうびしているほかいちいちがた以降いこうつばさないタンクに自動じどう消火しょうか装置そうち装備そうびいちがた以降いこう前部ぜんぶ風防ふうぼうない防弾ぼうだんガラス追加ついか[注釈ちゅうしゃく 10]胴体どうたいタンクを自動じどうぼうしきとしている。

その[編集へんしゅう]

フラップとあし駆動くどうには油圧ゆあつではなく電動でんどう機構きこう採用さいようした。構造こうぞう複雑ふくざつしやすくあぶられの要因よういんにもなるこうあつ配管はいかんはいすることで生産せいさんせい信頼しんらいせい向上こうじょうさせる意図いとがあった。[16]

戦歴せんれき[編集へんしゅう]

だい馬力ばりきエンジンを装備そうびし、さらだい火力かりょく雷電らいでん海軍かいぐんおおきな期待きたいあつめ、1943ねん昭和しょうわ18ねんごろにはれいせんわる海軍かいぐん主力しゅりょく戦闘せんとうとしてだい増産ぞうさん計画けいかくてられた。この計画けいかくでは雷電らいでん増産ぞうさんあわせてれいせん減産げんさんし、1944ねん昭和しょうわ19ねん)には三菱みつびしれいせん生産せいさん終了しゅうりょう中島なかじま飛行機ひこうきでは空母くうぼ搭載とうさいようれいせんわずかに生産せいさん)して雷電らいでんのみを生産せいさんする予定よていであったが、上記じょうきしょ問題もんだいにより実用じつようおくれたことから計画けいかく白紙はくしもどされ、雷電らいでんはほぼどう時期じき実用じつよう実験じっけんおこなわれていた紫電しでんあらため比較ひかくされ、とく紫電しでんあらためくらたい戦闘せんとう戦闘せんとう能力のうりょくひくいことが指摘してきされた。

海軍かいぐんにおける新型しんがた審査しんさ横須賀よこすか航空こうくうたいは、両者りょうしゃ試作しさく比較ひかくテストしたうえ紫電しでんあらためたい戦闘せんとう戦闘せんとう可能かのうだが、雷電らいでんれいせんわせなければ性能せいのうかすのはむずかしい」と結論けつろんし、雷電らいでん生産せいさん中止ちゅうしして紫電しでんあらため生産せいさん集中しゅうちゅうすべきだという報告ほうこくしょ海軍かいぐん航空こうくう本部ほんぶ提出ていしゅつした。しかし、期待きたいされた紫電しでんあらためほまれ発動はつどう不調ふちょうなやまされており、その解決かいけつようする間隙かんげきめる機体きたい必要ひつようであったこと、また雷電らいでんふと胴体どうたいアメリカ陸軍りくぐん航空こうくうぐんB-29ばくげき対抗たいこうするために必須ひっすかんがえられていた排気はいきタービンきゅうターボチャージャー)と中間ちゅうかん冷却れいきゃくインタークーラー)の搭載とうさい有利ゆうりかんがえられたことから、少数しょうすうではあるが生産せいさん改良かいりょうがた開発かいはつ継続けいぞく決定けっていされ、拠点きょてん防衛ぼうえい部隊ぶたい中心ちゅうしん配備はいびされることになった。

最初さいしょ雷電らいでん配備はいび部隊ぶたいとして、バリクパパンにある日本にっぽん油田ゆでん防衛ぼうえい部隊ぶたいであるだいさんはちいち海軍かいぐん航空こうくうたい編成へんせいされたが、雷電らいでん生産せいさんがはかどらないためれいせん装備そうびしてスピンガンに進出しんしゅつしている。のちにスピンガンへ空輸くうゆされた雷電らいでんっただいさんはちいち航空こうくうたいは、製油せいゆしょから豊富ほうふ産出さんしゅつされるこう品質ひんしつ燃料ねんりょう使つかって訓練くんれんみ、短期間たんきかんではあるが油田ゆでん攻撃こうげき飛来ひらいするアメリカぐんや、イギリス空軍くうぐんB-24P-38P-47迎撃げいげきしてすくなくない戦果せんかげた。その部隊ぶたいでは、本土ほんど防空ぼうくう専任せんにん部隊ぶたいとして編成へんせいされただいさん航空こうくうたい厚木あつぎ)、だいさんさん航空こうくうたい岩国いわくに鳴尾なるお)、だいさん航空こうくうたい大村おおむら台湾たいわんたいみなみ航空こうくうたいたいみなみ)にしゅとして配備はいびされ、とく神奈川かながわけん厚木あつぎ飛行場ひこうじょう所属しょぞく小園こぞのやすしめい大佐たいさひきいるだいさん航空こうくうたいおつせん雷電らいでんたいは、東京とうきょう京浜けいひん地区ちく侵入しんにゅうするB-29ばくげき迎撃げいげきもっと戦果せんかげた。雷電らいでんたい赤松あかまつ貞明さだあき中尉ちゅうい厚木あつぎ基地きちでのエース・パイロットであった。

わったところでは、輸送ゆそう部隊ぶたいであっただいいち〇〇一海軍航空隊だい鈴鹿すずか)において、だいいちだい鈴鹿すずか飛行場ひこうじょう併設へいせつされていた三菱重工みつびしじゅうこう三重みえ工場こうじょう製造せいぞう整備せいびされた雷電らいでん実戦じっせん部隊ぶたい空輸くうゆするまでのあいだいち〇〇一空隊員がってB-29爆撃ばくげき迎撃げいげきにあたった[30]。1944ねん昭和しょうわ19ねん)12月に名古屋なごや空襲くうしゅうはじまると臨戦りんせん態勢たいせいき、佐々木ささきはら正夫まさお曹長そうちょうがB-29を1撃墜げきついしたほか、宮田みやた房治ふさじ中尉ちゅういさんごうばくだんによる攻撃こうげきなどの戦闘せんとう記録きろくのこしている。

派生はせいがた[編集へんしゅう]

じゅうよんためし局地きょくち戦闘せんとう(J2M1)
火星かせいいちさんがた搭載とうさいした試作しさくがた初期しょき曲面きょくめんガラスを使用しようしたひく風防ふうぼう装備そうびしていたが、のちたかくして視界しかい改善かいぜん武装ぶそうつばさない20 mm 機銃きじゅう2てい胴体どうたい7.7 mm 機銃きじゅう2てい
じゅうよんためし局地きょくち戦闘せんとうあらため試製しせい雷電らいでん(J2M2)
発動はつどうみずメタノール噴射ふんしゃ装置そうち燃料ねんりょう噴射ふんしゃ装置そうち追加ついかした火星かせい三甲さんこうがたかわそう排気はいきかん集合しゅうごうしきから推力すいりょくしきたん排気はいきかん変更へんこうし、20 mm 機銃きじゅう銃身じゅうしんながきゅうきゅうしきごうじゅうさんがたかわそうしたかた主翼しゅよく上下じょうげめん大型おおがたドラム弾倉だんそうおおうためのなみだしずくがた突出とっしゅつがある。
いちいちがた(J2M2)
じゅうよんためしきょくせんあらため試製しせい雷電らいでん生産せいさんがた生産せいさん途中とちゅうから機首きしゅ下部かぶ潤滑油じゅんかつゆ冷却れいきゃく器用きようそら気取きどり入口いりくちつばさないタンクに自動じどう消火しょうか装置そうち追加ついか。20 mm 機銃きじゅうしき30 mm 機銃きじゅうかわそうした機体きたい少数しょうすう存在そんざいする。
いちがた(J2M3)
武装ぶそうつばさない20 mm 機銃きじゅう4てい(ベルトきゅうだん)に強化きょうか胴体どうたい燃料ねんりょうタンクを自動じどうぼうしき変更へんこうしたしゅ生産せいさんがた試作しさく名称めいしょうは「試製しせい雷電らいでんあらため」。20 mm 機銃きじゅうごうじゅう統一とういつしたいちかぶとがた(J2M3a)も試作しさくされた。もっとおお生産せいさんされた(三菱みつびしだけでやく280)。
さんがた(J2M4)
排気はいきタービンきゅう搭載とうさいしたこう高度こうどがたで、三菱みつびしそらわざしょう試作しさくおこなわれた。
三菱みつびしいちがたをベースとし発動はつどう火星かせいさんがたへい[注釈ちゅうしゃく 11]かわそう発動はつどうを200 mm 延長えんちょう潤滑油じゅんかつゆ冷却れいきゃく発動はつどうくつがえ前部ぜんぶ移動いどう、カウリング開口かいこう拡大かくだいなどかなりくわえられたのにたいし、そらわざしょういちいちがたのちさんいちがたをベースとし最低限さいていげん改造かいぞう排気はいきタービンを搭載とうさいした。だいいち海軍かいぐん航空こうくうしょうでも簡易かんい改造かいぞうがた製作せいさくおこなわれており、排気はいきタービンの搭載とうさい位置いちすべ発動はつどう直後ちょくご胴体どうたい右側みぎがわめんである。
完成かんせいした機体きたい厚木あつぎさんそら大村おおむらさんそらにて実戦じっせん投入とうにゅうされたが、尾翼びよくのバフェッティング(胴体どうたい側面そくめん整流せいりゅうばんけることで解決かいけつ)、重量じゅうりょうバランスの悪化あっか着陸ちゃくりく速度そくど増大ぞうだいなど問題もんだいおお大量たいりょう生産せいさん断念だんねんされた。
さんさんがた(J2M5)
発動はつどう火星かせいろくがたかわそう機首きしゅ下部かぶじゅん冷却れいきゃくようそら気取きどり入口いりくちはんしきとし、風防ふうぼうたかさを50 mm 、はばを80 mm し、風防ふうぼう前部ぜんぶ胴体どうたい上面うわつらななめにそぎとし視界しかい改善かいぜん実施じっししたかたこう高度こうど性能せいのう確保かくほするため、機械きかいしききゅうよう空気くうき吸入きゅうにゅう通路つうろ拡大かくだいされている。大戦たいせん末期まっき少数しょうすうながらさんあきさんさんそらとう配備はいびされた。いちがたさんいちがた同様どうよう、20 mm 機銃きじゅうごうじゅう統一とういつしたさん三甲さんこうがた(J2M5a)も試作しさくされたほか、20 mm 機銃きじゅう4ていしき30 mm 機銃きじゅう2ていかわそうした機体きたい少数しょうすう存在そんざいする。
さんいちがた(J2M6)
いちがたさんさんがたおな視界しかい改善かいぜんだけを実施じっししたかた昭和しょうわ19ねん(1944ねんまつ以降いこう三菱みつびし生産せいさんおもにこの型式けいしきいちがたさんさんがた同様どうよう、20 mm 機銃きじゅうごうじゅう統一とういつしたさんいちかぶとがた(J2M6a)も試作しさくされた。
さんがた(J2M7)
いちがたのエンジンを火星かせいろくがたかわそうしたかた機首きしゅ下部かぶ潤滑油じゅんかつゆ冷却れいきゃく器用きようそら気取きどり入口いりくちはんしきだが、風防ふうぼう胴体どうたい形状けいじょういちがたおなじ。高座こうざ工廠こうしょう生産せいさん予定よていであったが極少きょくしょうすう完成かんせいしたのみ。
キ65
陸軍りくぐん計画けいかくしていた機体きたい。メーカーへの要求ようきゅうてんさんてんするなかで、しょう改造かいぞうによるじゅうよんためしきょくせん陸軍りくぐんがたとなっていた時期じき存在そんざいする[31]

しょもと[編集へんしゅう]

制式せいしき名称めいしょう 雷電らいでんいちがた 雷電らいでんさんさんがた
機体きたい略号りゃくごう J2M3 J2M5
全幅ぜんぷく 10.8 m
全長ぜんちょう 9.695 m 9.945 m
ぜんこう 3.945 m
主翼しゅよく面積めんせき 20 m2
自重じちょう 2,539 kg 2,510 kg
正規せいき全備ぜんび重量じゅうりょう 3,507 kg 3,482 kg
つばさめん荷重かじゅう 175.35 kg/m2 174.1 kg/m2
発動はつどう 火星かせい三甲さんこうがたはなれのぼり1,800馬力ばりき 火星かせいろくがたはなれのぼり1,800馬力ばりき
最高さいこう速度そくど 596.3 km/h(高度こうど5,450 m) 614.5 km/h(高度こうど6,585 m)
上昇じょうしょうりょく 6,000 m まで5ふん38びょう 6000mまで6ふん20びょう/8,000 m まで9ふん45びょう
降下こうか制限せいげん速度そくど 740.8 km/h
航続こうぞく性能せいのう 1,898km(機内きない燃料ねんりょう)2,519 km(ぞうそうあり) 全力ぜんりょく0.5あいだ + 巡航じゅんこう2.4あいだ
武装ぶそう 20mm機銃きじゅう4ていきゅうきゅうしきみりめーとるいち号機ごうきじゅうよんがた190はつ×2 きゅうきゅうしきみりめーとる号機ごうきじゅうよんがた210はつ×2)
ばくそう 30または60kgばくだん2はつ

評価ひょうか[編集へんしゅう]

アメリカぐんによるテスト飛行ひこう。イギリスぐん随伴ずいはんしている(1945ねん
イギリスぐんによるテスト飛行ひこう(1945ねん12がつ

日本にっぽんぐんのパイロットが低速ていそくでの運動うんどうせいたか機体きたいれていたこともあり、着陸ちゃくりくなどの低速ていそくまえれなく失速しっそくする雷電らいでんでは墜落ついらく事故じこ多発たはつし、格闘かくとうせんかない雷電らいでん不評ふひょうであったが、日本にっぽん軍機ぐんきなかでは高速こうそくこう高度こうどでの運動うんどうせい確保かくほされているため爆撃ばくげき迎撃げいげきでは一定いってい評価ひょうかけている。

戦中せんちゅう戦後せんごにテスト飛行ひこうしたアメリカぐんパイロットには好評こうひょうであった。これは紡錘形ぼうすいけい胴体どうたいによって日本にっぽんにしてはコックピットがひろく、大柄おおがらなアメリカじんにとっても心地ごこちかったからとわれる。日本にっぽんでは問題もんだいされた着陸ちゃくりく性能せいのうわるさも、アメリカの基準きじゅんではさして問題もんだいとされなかった。

フィリピンでアメリカぐん接収せっしゅうされたいちがた初期しょき生産せいさん製造せいぞう番号ばんごう3008号機ごうき)である鹵獲ろかく「S12」をもちいたテストの結果けっかとして、鹵獲ろかく調査ちょうさ結果けっか記録きろくしたTAIC Manualには、最高さいこう速度そくど671 km/h(高度こうど5,060 m)、上昇じょうしょうりょく5ふん10びょう/高度こうど6,100 m と日本にっぽんがわしょもと大幅おおはば上回うわまわ数値すうち記載きさいされている。しかしこれはどうマニュアル冒頭ぼうとう記述きじゅつにあるとおり推定すいていであり、実際じっさい飛行ひこうさせてした記録きろくではない。この製造せいぞう番号ばんごう3008号機ごうき元々もともとバリクパパンの381そら配備はいび予定よていだったもので、不調ふちょうのため中継ちゅうけい地点ちてんのマニラ郊外こうがい野戦やせん飛行場ひこうじょう残置ざんちされていたところを鹵獲ろかくされたものだった。修理しゅうりしてクラークフィールド飛行場ひこうじょう飛行ひこう試験しけんおこな前日ぜんじつ地上ちじょうでの運転うんてんちゅう油圧ゆあつけい故障こしょうさら修理しゅうりしたものの予備よび部品ぶひんく、実際じっさいぜんそく飛行ひこう試験しけんおこなわれることはかった。

試験しけん環境かんきょうにおける燃料ねんりょうは、92オクタン燃料ねんりょうみずメタノール噴射ふんしゃわせたものである。試験しけん重量じゅうりょうは、7,320 lb(3,315 kg)であり、これは180 kg ほどかるい。きゅう日本にっぽん海軍かいぐんでいう「けい荷重かじゅうりょう」のデータである。ぞうそう装備そうびした重量じゅうりょう8,130 lb(3,682 kg)のOverload状態じょうたいでも、385 mph じゃく(383 mph として616 km/h)と海軍かいぐん航空こうくう本部ほんぶ公称こうしょう速度そくど上回うわまわ数値すうちしている)[32]

イギリスぐんもフィリピンにのこされた2接収せっしゅうして日本人にっぽんじん操縦そうじゅうさせテスト飛行ひこうおこなっているが、とく興味きょうみかれず本国ほんごくへはかえらなかった。

戦後せんご[編集へんしゅう]

少年しょうねんこう[編集へんしゅう]

2013ねん平成へいせい25ねん)には戦時せんじなか少年しょうねんこうとして雷電らいでん製造せいぞうたずさわった台湾たいわんじんへの叙勲じょくんおこなわれ、少年しょうねんこうたちは2000ねん平成へいせい12ねん)に雷電らいでんをモチーフにあつらえたそろいのネクタイめて式典しきてんたかった[33]

現存げんそんする機体きたい部品ぶひん[編集へんしゅう]

プレーンズ・オブ・フェイム航空こうくう博物館はくぶつかん所蔵しょぞう雷電らいでんいちがた

フィリピンで鹵獲ろかくされただいさんはちいち航空こうくうたい所属しょぞくいちがた「81-124号機ごうき製造せいぞう番号ばんごう3014号機ごうき)」がアメリカ・カリフォルニアしゅうチノプレーンズ・オブ・フェイム航空こうくう博物館はくぶつかん静態せいたい保存ほぞんされている。塗装とそう太平洋戦争たいへいようせんそうのちさい塗装とそうされたもので、胴体どうたいさんそら戦闘せんとうろく〇一小隊長機の稲光いねみつマークをした塗装とそうほどこされているが、ばんさんそら厚木あつぎ所属しょぞくしめす「ヨD-1158」になっている。

高座こうざ海軍かいぐん工廠こうしょう製造せいぞうされたとみられる部品ぶひんが2020ねんれい2ねん)1がつ17にち座間ざま市役所しやくしょ寄贈きぞうされた[34]

アメリカの調査ちょうさだん関係かんけいしゃかえったのち日本にっぽんもどった計器けいきばん現存げんそんしている。[35][36]

登場とうじょう作品さくひん[編集へんしゅう]

漫画まんが[編集へんしゅう]

松本まつもとれい
勇者ゆうしゃ雷鳴らいめい』(戦場せんじょうまんがシリーズ)
りくばく銀河ぎんが護衛ごえいする。
潜水せんすい航法こうほう1まんメートル』(戦場せんじょうまんがシリーズ)
小林こばやしよしのり
しんゴーマニズム宣言せんげん
少年しょうねん石原いしはら慎太郎しんたろうかって機銃きじゅう掃射そうしゃをかけたべい軍機ぐんきはらった戦闘せんとうとしてえがかれている。

ゲーム[編集へんしゅう]

ブレイジング・エンジェル』(Blazing Angels:Squadrons of WWII)
尾翼びよく番号ばんごうヨD-151をつ。スキンを変更へんこうすることができ、いろはデフォルト(みどり)とエース(しろ)の2パターン。
れいしき艦上かんじょう戦闘せんとう
通常つうじょう雷電らいでんほかべいぐん鹵獲ろかく仕様しようのS-12が登場とうじょうする。
War_Thunder
コンバットフライトシミュレーターゲーム。プレイヤーの操縦そうじゅう機体きたいとして、いちいちがた試製しせい雷電らいでん)(20mm機関きかんほうてい、7,7ミリ機銃きじゅうてい
いちがたさんがたさんさんがた(20mm機関きかんほう4てい課金かきん機体きたいでは30mm機関きかんほう2てい)が登場とうじょうする。
War Wings
スマートフォンよう空戦くうせんゲームアプリ日本にっぽん海軍かいぐんティア7・J2M3およびティア8・J2M5がプレイ可能かのう
艦隊かんたいこれくしょん -かんこれ-
基地きち航空こうくうたい局地きょくち戦闘せんとうとして登場とうじょう
荒野あらののコトブキ飛行ひこうたい 大空おおぞらのテイクオフガールズ!
かくキャラクターの搭乗とうじょう可能かのう機体きたいとして登場とうじょう

アニメ[編集へんしゅう]

荒野あらののコトブキ飛行ひこうたい
ラハマに保管ほかんされていた町長ちょうちょう専用せんようとしていちがた登場とうじょう。ラハマに戦力せんりょくとなる航空機こうくうききゅうななしき戦闘せんとうと、あかとんぼ(きゅうさんしき中間ちゅうかん練習れんしゅう)しかないためたか火力かりょく速力そくりょくほん貴重きちょう戦力せんりょくとなる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ おも航空こうくう母艦ぼかんから運用うんようされる艦上かんじょう戦闘せんとうとはことなり、陸上りくじょう基地きちからの運用うんよう前提ぜんていとし、基地きち防空ぼうくうおも任務にんむとする迎撃げいげき戦闘せんとう
  2. ^ 日本にっぽん海軍かいぐん分類ぶんるいでは速度そくど攻撃こうげきりょく重視じゅうしした機体きたいおも局地きょくちせん該当がいとうする。陸軍りくぐんではじゅうせん分類ぶんるいされる。
  3. ^ 渡辺わたなべ洋二ようじによれば、主翼しゅよく製造せいぞう日本にっぽんたててつ胴体どうたい製造せいぞう高座こうざ工廠こうしょう分担ぶんたんしており、べいぐん調査ちょうさだん資料しりょうではやく130高座こうざ工廠こうしょう飛行機ひこうき技手ぎしゅ早川はやかわ金治きんじ回想かいそうでは50~60海軍かいぐんしょう軍需ぐんじゅしょう資料しりょう突合つきあわせではやく90高座こうざ工廠こうしょう生産せいさんされた。[1]
  4. ^ ただしみずメタノール噴射ふんしゃ装置そうち燃料ねんりょう噴射ふんしゃ装置そうち搭載とうさいしない。性能せいのうは1そく全開ぜんかい 1,680 馬力ばりき高度こうど 2,100 m)、2そく全開ぜんかい 1,510 馬力ばりき高度こうど 5,700 m)と試算しさん
  5. ^ これは事前じぜん実機じっき使用しようした実験じっけんおこなわれたほど開発かいはつ当初とうしょから懸念けねんされていた。
  6. ^ これは発動はつどうがわいち振動しんどう抑制よくせいはかられていなかったためである。日本にっぽんふくれつ発動はつどうしゅれんぼう前後ぜんごで180°配置はいちとなっていたが、これはいち振動しんどうもっとつよまる配置はいちであった。P&W R-2800をはじめとする欧米おうべい発動はつどうしゅれんぼう隣接りんせつ配置はいちとしていち振動しんどう解消かいしょうぎゃくつよまる振動しんどうたいしては発動はつどう回転かいてんすう倍速ばいそくのバランサをもうけることによって解消かいしょうしている。これらには高次こうじ振動しんどうたいするダイナミック・バランサが装備そうびされていたが、日本にっぽんではほまれ限定げんていてき装備そうびしたのみであった。
  7. ^ 実際じっさいには「そうりゅうつばさだから失速しっそく特性とくせいわるかった」のではなく、「そうりゅうつばさをとられて失速しっそく特性とくせいのよくないつばさがたになっていた」ためだといわれている。
  8. ^ そうりゅうつばさ問題もんだい他国たこくでも発生はっせいしており、P-51ではノースアメリカンNACA共同きょうどう開発かいはつしたそうりゅうつばさ(NAA/NACA 45–100)を採用さいようしたことで速度そくど性能せいのうすぐ高速こうそくにも運動うんどう性能せいのう低下ていかしない利点りてんがあったが、失速しっそく特性とくせいわる低速ていそくでの格闘かくとう性能せいのうひくかった。このため開発かいはつには大型おおがた風洞ふうどう実験じっけんかえして形状けいじょう最適さいてき生産せいさんにはリベットパテめてけずるなど表面ひょうめん処理しょり徹底てってい、マニュアルで失速しっそく挙動きょどう着陸ちゃくりく注意ちゅうい事項じこう詳細しょうさい解説かいせつするなどの対策たいさくっている。
  9. ^ きゅうきゅうしきごうじゅう4てい統一とういつしたかた存在そんざいするが、このかた試作しさくだけ、または極少きょくしょうすう生産せいさんされたのみとされている。
  10. ^ 防弾ぼうだんガラスの追加ついか既存きそんにも実施じっしされた。ただし、重量じゅうりょうぞう視界しかい悪化あっかから実施じっし部隊ぶたいはずされてしまう場合ばあいもあった。
  11. ^ 強制きょうせい冷却れいきゃくファンの直径ちょっけいが850 mm に拡大かくだいされている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 世界せかい傑作けっさく No.61 1996ねん11月、17-19ぺーじ
  2. ^ れいせん搭乗とうじょういんかい海軍かいぐん戦闘せんとうたい』(はら書房しょぼう)P.276
  3. ^ 『[歴史れきしぐんぞう]太平洋たいへいよう戦史せんしシリーズ29 局地きょくち戦闘せんとう 雷電らいでん』(学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ)P.121
  4. ^ 世界せかい傑作けっさく No.61 1996ねん11月、13-14ぺーじ
  5. ^ まる 2021ねん2がつ、74ぺーじ
  6. ^ まる 2021ねん2がつ、71-74ぺーじ
  7. ^ 坂上さかがみ茂樹しげき 2021, pp. 634–657.
  8. ^ 世界せかい傑作けっさく No.61 1996ねん11月、12ぺーじ
  9. ^ a b 世界せかい傑作けっさく No.61 1996ねん11月、14ぺーじ
  10. ^ まる 2021ねん2がつ、73ぺーじ
  11. ^ 坂上さかがみ茂樹しげき 2021, pp. 459–461.
  12. ^ 朝日あさひソノラマ 局地きょくち戦闘せんとう雷電らいでん渡辺わたなべ洋二ようじ P.57~58
  13. ^ a b 世界せかい傑作けっさく No.61 1996ねん11月、10-21ぺーじ
  14. ^ まる 2021ねん2がつ、71ぺーじ
  15. ^ a b まる 2021ねん2がつ、82-83ぺーじ
  16. ^ a b 世界せかい傑作けっさく No.61 1996ねん11月、12ぺーじ
  17. ^ 出射しゅっしゃ忠明ただあき飛行機ひこうきメカニズム図鑑ずかん』 1985ねん6がつ、93ぺーじ
  18. ^ 社団しゃだん法人ほうじん 日本航空にほんこうくう技術ぎじゅつ協会きょうかい しん航空こうくう工学こうがく講座こうざ⑦プロペラ P.21 プロペラりゅうによる抗力こうりょく増加ぞうか
  19. ^ やしなえ賢堂かしこどう 飛行機ひこうき設計せっけいろん P.290 P.292
  20. ^ 日本航空にほんこうくう技術ぎじゅつ協会きょうかい 飛行ひこう力学りきがく実際じっさい P.74
  21. ^ やしなえ賢堂かしこどう 飛行機ひこうき設計せっけいろん P.300
  22. ^ 飛行ひこう力学りきがく実際じっさい P.101 だい5B・3 きゅう海軍かいぐん最大さいだい速度そくど
  23. ^ 飛行機ひこうき設計せっけいろん P.586 B7・3
  24. ^ a b 世界せかい傑作けっさく No.61 1996ねん11月、13ぺーじ
  25. ^ たけなわとうしゃ られざる軍用ぐんよう開発かいはつ 下巻げかん P66
  26. ^ たけなわとうしゃ 設計せっけいしゃ証言しょうげん 下巻げかん P296
  27. ^ たけなわとうしゃ 設計せっけいしゃ証言しょうげん 下巻げかん P295
  28. ^ 光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ 海軍かいぐん戦闘せんとう列伝れつでん P.264~P.265
  29. ^ 朝日あさひソノラマ 局地きょくち戦闘せんとう雷電らいでん渡辺わたなべ洋二ようじ P.99~P.100
  30. ^ 渡辺わたなべ洋二ようじ局地きょくち戦闘せんとう雷電らいでん」- 本土ほんど防空ぼうくうのヒーロー』サンケイ出版しゅっぱんだい世界せかい大戦たいせんブックス 98〉1984ねん6がつ、P.165
  31. ^ 佐原さはらあきら日本にっぽん陸軍りくぐん試作しさく計画けいかく 1943〜1945』イカロス出版いかろすしゅっぱん、2006ねん、61ぺーじISBN 978-4-87149-801-2 
  32. ^ [1]
  33. ^ 高野たかのはなめぐみ 日本にっぽんわたしたちをわすれなかった」台湾たいわんもと少年しょうねんこう勲章くんしょう伝達でんたつ 中央ちゅうおうどおり訊社(2013ねん6がつ17にち)2020ねん2がつ9にち閲覧えつらん
  34. ^ きゅう日本にっぽんぐん戦闘せんとう部品ぶひん寄贈きぞう 市民しみん神奈川かながわけん座間ざまに」 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん ニュースサイト(2020ねん1がつ17にち)2020ねん2がつ9にち閲覧えつらん
  35. ^ 開運かいうんなんでも鑑定かんていだん 2021ねん6がつ1にち放送ほうそう 戦闘せんとう雷電らいでん」の計器けいきばん”. テレビ東京てれびとうきょう. 2021ねん6がつ2にち閲覧えつらん
  36. ^ A6M232・中村なかむら泰三たいぞう [@A6M232] (2021ねん6がつ1にち). "解禁かいきんとなりましたので、番組ばんぐみ製作せいさくがわにはまったって目標もくひょうちがいますから、ちがこと色々いろいろもうとしていてもうわけないですが、わたし採用さいようしていただきたかったものをば". X(きゅうTwitter)より2021ねん6がつ2にち閲覧えつらん

参考さんこう資料しりょう[編集へんしゅう]

  • 渡辺わたなべ洋二ようじ局地きょくち戦闘せんとう雷電らいでん」』文春ぶんしゅん文庫ぶんこ 2005ねん ISBN 978-4167249137
  • 世界せかい傑作けっさく No. 61『三菱みつびし海軍かいぐん局地きょくち戦闘せんとう雷電らいでんぶん林堂はやしどう 1996ねん11月 ISBN 978-4893190581
  • いかり義朗よしろう迎撃げいげき戦闘せんとう雷電らいでん」―B29搭乗とうじょういん震撼しんかんさせた海軍かいぐん局地きょくち戦闘せんとう始末しまつ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ 2006ねん ISBN 978-4769822622
  • はやし篤志あつし台湾たいわん少年しょうねんこう 戦闘せんとうつくったどもたち』日本橋にほんばし出版しゅっぱん 2022ねん ISBN 978-4434302206
  • まる』74かん2ごう しお書房しょぼう 2021ねん2がつ
  • 坂上さかがみ茂樹しげきだいIII 固定こてい気筒きとう空冷くうれい発動はつどう進化しんか三菱みつびし航空機こうくうき三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう - モングースから金星かなぼしファミリーまで」『三菱みつびし発動はつどう技術ぎじゅつ - ルノーから三連星さんれんせいまで(訂正ていせい補足ほそくばん)』〈大阪市立大学おおさかいちりつだいがく大学院だいがくいん経済けいざいがく研究けんきゅう Discussion Paper No.79〉2021ねん8がつdoi:10.24544/ocu.20171211-021 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]