この項目 こうもく では、戦闘 せんとう 機 き について説明 せつめい しています。その他 た の用例 ようれい については「雷電 らいでん 」をご覧 らん ください。
三菱 みつびし J2M 雷電 らいでん
試製 しせい 雷電 らいでん 改 あらため (二 に 一 いち 型 がた の試作 しさく 機 き )
この記事 きじ は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "雷電 らいでん " 航空機 こうくうき – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2016年 ねん 2月 がつ )
このページのノート に、このページに
関 かん する
問題 もんだい 提起 ていき があります。
(2023年 ねん 5月 がつ ) 問題 もんだい 提起 ていき の
要約 ようやく :
翼 つばさ 根 ね 翼 つばさ 型 がた は
設計 せっけい 変更 へんこう されたのか
雷電 らいでん (らいでん )は、大 だい 東亜 とうあ 戦争 せんそう (太平洋戦争 たいへいようせんそう 、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん )後期 こうき に大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん が運用 うんよう した局地 きょくち 戦闘 せんとう 機 き [注釈 ちゅうしゃく 1] (乙 おつ 戦 せん [注釈 ちゅうしゃく 2] )。略 りゃく 符号 ふごう はJ2M。
帝国 ていこく 陸軍 りくぐん の戦闘 せんとう 機 き とは異 こと なり、「雷電 らいでん 」の名称 めいしょう は愛称 あいしょう ではなく制式 せいしき 名称 めいしょう であり、乙 おつ 戦 せん の場合 ばあい は「雷 かみなり 」または「電 でん 」の字 じ を含 ふく むことと定 さだ められていた。連合 れんごう 軍 ぐん のコードネーム はJack (ジャック)。
日 にち 中 ちゅう 戦争 せんそう (支 ささえ 那 な 事変 じへん )の戦 せん 訓 くん により陸上 りくじょう 基地 きち 防空 ぼうくう のため、速度 そくど 、上昇 じょうしょう 力 りょく 、火力 かりょく を重視 じゅうし して開発 かいはつ されたが、初 はつ 飛行 ひこう 後 ご の不具合 ふぐあい 解消 かいしょう に手間取 てまど り実用 じつよう 化 か が遅 おく れ、生産 せいさん は縮小 しゅくしょう され生産 せいさん 数 すう は比較的 ひかくてき 少数 しょうすう にとどまった。しかし南方 なんぽう や本土 ほんど における防空 ぼうくう 戦闘 せんとう に投入 とうにゅう され、一定 いってい の戦果 せんか を挙 あ げている。
大型 おおがた 爆 ばく 撃 げき 機 き の迎撃 げいげき を主 おも 任務 にんむ とする局 きょく 戦 せん に要求 ようきゅう される性能 せいのう は、爆 ばく 撃 げき 機 き が飛行 ひこう している高度 こうど に短時間 たんじかん で到達 とうたつ する上昇 じょうしょう 力 りょく 、敵 てき 爆撃 ばくげき 機 き に追 お い付 つ く速力 そくりょく 、そして一瞬 いっしゅん のチャンスに敵 てき 爆撃 ばくげき 機 き へ致命傷 ちめいしょう を与 あた え得 え る火力 かりょく の三 みっ つである。これらを重視 じゅうし して開発 かいはつ されたのが雷電 らいでん である。雷電 らいでん の開発 かいはつ は困難 こんなん で時間 じかん がかかり、任務 にんむ に就 つ いた後 のち でも全 すべ ての技術 ぎじゅつ 的 てき な問題 もんだい が解決 かいけつ された訳 わけ ではなかった。戦歴 せんれき を通 とお してエンジン に起因 きいん する問題 もんだい を終始 しゅうし 抱 かか えており、三菱 みつびし で476機 き 、高座 こうざ 海軍 かいぐん 工廠 こうしょう (神奈川 かながわ 県 けん 高座 こうざ 郡 ぐん 相模原 さがみはら 町 まち (現 げん ・座間 ざま 市 し )、跡地 あとち は現在 げんざい 日産自動車 にっさんじどうしゃ 座間 ざま 事業 じぎょう 所 しょ )および日本 にっぽん 建 たて 鐵 てつ (千葉 ちば 県 けん 船橋 ふなばし 市 し 、2015年 ねん 1月 がつ に解散 かいさん 。跡地 あとち には現在 げんざい イオンモール船橋 ふなばし が存在 そんざい )で若干 じゃっかん 数 すう [注釈 ちゅうしゃく 3] が生産 せいさん されたのみに終 お わった[2] 。
支 ささえ 那 な 事変 じへん 時 とき 、中華民国 ちゅうかみんこく 空軍 くうぐん の爆 ばく 撃 げき 機 き 隊 たい により陸上 りくじょう 基地 きち に被害 ひがい を受 う けた海軍 かいぐん は、十 じゅう 二 に 試 ためし 艦上 かんじょう 戦闘 せんとう 機 き (零 れい 式 しき 艦上 かんじょう 戦闘 せんとう 機 き )試作 しさく 一 いち 号機 ごうき を領収 りょうしゅう した直後 ちょくご の1939年 ねん (昭和 しょうわ 14年 ねん )9月 がつ に三菱 みつびし 単独 たんどく 指名 しめい で「十 じゅう 四 よん 試 ためし 局地 きょくち 戦闘 せんとう 機 き 」(以下 いか 、「十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん 」と略 りゃく )を提示 ていじ 、翌 よく 1940年 ねん (昭和 しょうわ 15年 ねん )4月 がつ に「十 じゅう 四試局地戦闘機計画要求書」を交付 こうふ した[3] 。計画 けいかく 書 しょ に記載 きさい されていた海軍 かいぐん の要求 ようきゅう 値 ち は、概 おおむ ね以下 いか の様 よう なものであったとされる。
最高 さいこう 速度 そくど
高度 こうど 6,000 m において325ノット (約 やく 601.9 km/h )以上 いじょう 。340ノット(約 やく 629.7 km/h)を目標 もくひょう とする。
上昇 じょうしょう 力 りょく
高度 こうど 6,000 m まで5分 ふん 30秒 びょう 以内 いない 、上昇 じょうしょう 限度 げんど 11,000 m 以上 いじょう 。
航続力 こうぞくりょく
最高 さいこう 速 そく (高度 こうど 6,000 m)で0.7時間 じかん 以上 いじょう (正規 せいき )。
武装 ぶそう
20 mm 機銃 きじゅう 2挺 てい 、7.7 mm 機銃 きじゅう 2挺 てい 。
その他 た
操縦 そうじゅう 席 せき 背面 はいめん に防弾 ぼうだん 板 いた を装備 そうび すること。
これを受 う けた三菱 みつびし では零 れい 式 しき 艦上 かんじょう 戦闘 せんとう 機 き と同 おな じく堀越 ほりこし 二郎 じろう を設計 せっけい 主務 しゅむ 者 しゃ とした設計 せっけい 陣 じん を組 く み、開発 かいはつ に取 と り組 く んだ。
1940年 ねん (昭和 しょうわ 15年 ねん )7月 がつ 下旬 げじゅん から設計 せっけい 作業 さぎょう が本格 ほんかく 化 か し、12月26日 にち に第 だい 1次 じ 木型 きがた 審査 しんさ (実物 じつぶつ 大 だい 模型 もけい による審査 しんさ )、翌 よく 1941年 ねん (昭和 しょうわ 16年 ねん )初頭 しょとう にかけて第 だい 2次 じ 、第 だい 3次 じ 審査 しんさ が行 おこな われた。2月からは実機 じっき 製作 せいさく 用 よう 図面 ずめん の出 だし 図 ず と部品 ぶひん 製作 せいさく が始 はじ まり12月 がつ に1号機 ごうき の組 く み立 た てが完了 かんりょう 、2度 ど の構造 こうぞう 審査 しんさ を経 へ て1942年 ねん (昭和 しょうわ 17年 ねん )2月 がつ 28日 にち に1号機 ごうき 完成 かんせい となった。3月20日 にち に初 はつ 飛行 ひこう し、三菱 みつびし テストパイロットによる試験 しけん 飛行 ひこう の後 のち に5月 がつ 下旬 げじゅん からは海軍 かいぐん による性能 せいのう 試験 しけん が行 おこな われた。その後 ご 8月 がつ 末 まつ までにかけて、十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん (J2M1)の試作 しさく 機 き は合計 ごうけい 8機 き が製作 せいさく されている。[4] [5]
この中 なか で、1942年 ねん (昭和 しょうわ 17年 ねん )2月 がつ 2日 にち に海軍 かいぐん と三菱 みつびし の合同 ごうどう で十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん の性能 せいのう 研究 けんきゅう 会 かい が開 ひら かれている。この会 かい で提出 ていしゅつ された性能 せいのう 推算 すいさん 書 しょ によれば、火星 かせい 一 いち 三 さん 型 がた を搭載 とうさい する J2M1(十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん )の最大 さいだい 速度 そくど は 323 ノット(598 km/h)、MK4C性能 せいのう 向上 こうじょう 型 がた (火星 かせい 二 に 三 さん 型 がた 相当 そうとう [注釈 ちゅうしゃく 4] )を搭載 とうさい する J2M2(十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん 改 あらため )の最大 さいだい 速度 そくど は 342 ノット(633 km/h)となっており、十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん 1号機 ごうき 初 はつ 飛行 ひこう 以前 いぜん のこの時点 じてん で要求 ようきゅう 性能 せいのう の未 ひつじ 達 たち と性能 せいのう 向上 こうじょう 型 がた の製作 せいさく が考慮 こうりょ されていたことが伺 うかが える。また同年 どうねん 4月 がつ の曽根 そね 嘉 よしみ 年 ねん 技師 ぎし のノートには J2M2 3号機 ごうき 以降 いこう も含 ふく めた表面 ひょうめん 仕上 しあ げに関 かん する記述 きじゅつ があり、性能 せいのう 試験 しけん が行 おこな われる以前 いぜん から性能 せいのう 向上 こうじょう 型 がた に製作 せいさく を移行 いこう する予定 よてい だったことがわかる。[6]
1942年 ねん (昭和 しょうわ 17年 ねん )5月 がつ に行 おこな われた性能 せいのう 試験 しけん では十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん (J2M1)の最大 さいだい 速度 そくど は 310 ノット(574 km/h)程度 ていど と推算 すいさん をさらに下回 したまわ り、また10月 がつ に完成 かんせい した十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん 改 あらため (J2M2)1号機 ごうき の最大 さいだい 速度 そくど も 10 ノット(18 km/h)程度 ていど の向上 こうじょう しか見 み られない有様 ありさま だった。さらに最大 さいだい 出力 しゅつりょく 発揮 はっき 時 じ に激 はげ しい振動 しんどう が発生 はっせい して大 だい 問題 もんだい となった。
振動 しんどう は低 てい 周期 しゅうき のものと高 こう 周期 しゅうき のものが指摘 してき されたが、前者 ぜんしゃ は発動 はつどう 機 き の二 に 次 じ 振動 しんどう とプロペラ の四 よん 次 じ 振動 しんどう による「うなり 」が原因 げんいん と判明 はんめい 、プロペラ減速 げんそく 比 ひ を0.54から0.5に変更 へんこう し振動 しんどう 周期 しゅうき を一致 いっち させることで解決 かいけつ した。しかし高 こう 周期 しゅうき のものは原因 げんいん がわからず、防 ぼう 振 ふ ゴム の改良 かいりょう 等 とう の対策 たいさく にも関 かか わらず解消 かいしょう にはほど遠 とお い状態 じょうたい であった。また試験 しけん 中 ちゅう に引込 ひきこめ 脚 あし の設計 せっけい 不備 ふび 、整備 せいび 不良 ふりょう に起因 きいん する帆足 ほあし 工 こう 大尉 たいい が殉職 じゅんしょく する墜落 ついらく 事故 じこ が発生 はっせい したこともあり、この振動 しんどう 問題 もんだい が解決 かいけつ されるまでに1年 ねん 以上 いじょう を要 よう し雷電 らいでん の実用 じつよう 化 か を大幅 おおはば に遅 おく らせることになった。
延長 えんちょう 軸 じく による振動 しんどう の誘発 ゆうはつ [注釈 ちゅうしゃく 5] 、発動 はつどう 機 き とプロペラの共鳴 きょうめい 、発動 はつどう 機内 きない での共鳴 きょうめい などが疑 うたが われたが、解析 かいせき の結果 けっか 、発動 はつどう 機 き の一 いち 次 じ 振動 しんどう がプロペラ翼 つばさ の曲 ま げ方向 ほうこう 二 に 次 じ 振動 しんどう と共鳴 きょうめい して機体 きたい の前後 ぜんご 方向 ほうこう の振動 しんどう となったのではないかと推測 すいそく された。そこで空 そら 力 りょく 特性 とくせい を犠牲 ぎせい にプロペラ翼 つばさ の厚 あつ みを増 ま し、固有 こゆう 振動 しんどう 数 かず をずらすことによってこれを解消 かいしょう した[注釈 ちゅうしゃく 6] 。振動 しんどう 問題 もんだい 解決 かいけつ の過程 かてい で潤滑油 じゅんかつゆ 温 ゆたか の過 か 昇 のぼり による潤滑油 じゅんかつゆ 冷却 れいきゃく 器 き の容量 ようりょう 増大 ぞうだい 、視界 しかい 不良 ふりょう に対 たい する風防 ふうぼう 拡大 かくだい 等 とう が実施 じっし されている。
制式 せいしき 採用 さいよう を待 ま たずに1943年 ねん (昭和 しょうわ 18年 ねん )9月 がつ から量産 りょうさん が始 はじ められ、試製 しせい 雷電 らいでん として海軍 かいぐん への引渡 ひきわた しが始 はじ まったが、部隊 ぶたい 配属 はいぞく 後 ご も高 こう 高度 こうど において定 てい 格 かく 通 どお りの出力 しゅつりょく が出 で ない、電動 でんどう 式 しき の引込 ひきこめ 脚 あし が動 うご かないなど問題 もんだい が多 おお かった。高 こう 高度 こうど での出力 しゅつりょく 低下 ていか は全開 ぜんかい 高度 こうど を引 ひ き上 あ げた火星 かせい 二 に 六 ろく 型 がた への換 かわ 装 そう などで一応 いちおう の解決 かいけつ を見 み たが、電動 でんどう 機構 きこう の不調 ふちょう は最後 さいご まで解決 かいけつ しきれないままであった。試製 しせい 雷電 らいでん が雷電 らいでん 一 いち 一 いち 型 がた として制式 せいしき 採用 さいよう されるのは、計画 けいかく 要求 ようきゅう 書 しょ 交付 こうふ から実 じつ に5年 ねん 後 ご の1944年 ねん (昭和 しょうわ 19年 ねん )10月 がつ である。1944年 ねん (昭和 しょうわ 19年 ねん )後半 こうはん より既存 きそん 機 き や新造 しんぞう 機 き の双方 そうほう に対 たい して高 こう 高度 こうど で有利 ゆうり (最高 さいこう 速度 そくど の面 めん では不利 ふり )な付 つ け根 ね までブレードの太 ふと いプロペラに変更 へんこう するという対策 たいさく が施 ほどこ されている。
プレーンズ・オブ・フェイム航空 こうくう 博物館 はくぶつかん に展示 てんじ されている雷電 らいでん 二 に 一 いち 型 がた の紡錘形 ぼうすいけい エンジンカウル。プロペラはブレードが付 つ け根 ね まで広 ひろ い高 こう 高度 こうど 用 よう 。
速度 そくど と上昇 じょうしょう 力 りょく を確保 かくほ するためには大 だい 馬力 ばりき エンジンが必要 ひつよう であり、本来 ほんらい 大型 おおがた 機 き 用 よう に開発 かいはつ された大 だい 直径 ちょっけい ではあるが大 だい 馬力 ばりき の「火星 かせい 」が選定 せんてい されている。大 だい 直径 ちょっけい を補 おぎな うために採用 さいよう された紡錘形 ぼうすいけい の胴体 どうたい (後述 こうじゅつ )に適合 てきごう するよう延長 えんちょう 軸 じく とプロペラ軸 じく 直結 ちょっけつ の強制 きょうせい 冷却 れいきゃく ファンを追加 ついか した火星 かせい 一 いち 三 さん 型 がた が用意 ようい されている。強制 きょうせい 冷却 れいきゃく ファンは機首 きしゅ を絞 しぼ ったことによるエンジン冷却 れいきゃく 用 よう 空気 くうき 流入 りゅうにゅう 量 りょう の減少 げんしょう による冷却 れいきゃく 効率 こうりつ の悪化 あっか を補 おぎな うために装備 そうび されたが、冷却 れいきゃく 用 よう 空気 くうき 流入 りゅうにゅう 量 りょう が減少 げんしょう する上昇 じょうしょう 時 じ の冷却 れいきゃく 効率 こうりつ を上 あ げる効果 こうか も期待 きたい されていた[要 よう 出典 しゅってん ] 。[8]
十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん 改 あらため (J2M2)以降 いこう では火星 かせい 二 に 三甲 さんこう 型 がた を装備 そうび した。これは水 みず メタノール噴射 ふんしゃ 装置 そうち によって出力 しゅつりょく を引 ひ き上 あ げた二 に 〇型 がた に延長 えんちょう 軸 じく と増 ぞう 速 そく 式 しき の強制 きょうせい 冷却 れいきゃく ファンを装備 そうび し燃料 ねんりょう 噴射 ふんしゃ 装置 そうち を備 そな えたもの[9] である。また雷電 らいでん 三 さん 三 さん 型 がた (J2M5)および二 に 三 さん 型 がた (J2M7)で装備 そうび された火星 かせい 二 に 六 ろく 型 がた は、過 か 給 きゅう 器 き 増 ぞう 速 そく 比 ひ を増 ま して全開 ぜんかい 高度 こうど を引 ひ き上 あ げたもの[10] である。なお、火星 かせい エンジン自体 じたい は電動 でんどう 慣性 かんせい 始動 しどう 器 き に対応 たいおう したエンジンではあるが、雷電 らいでん では発動 はつどう 機 き 搭載 とうさい 方法 ほうほう の関係 かんけい で手動 しゅどう 慣性 かんせい 始動 しどう 器 き が装備 そうび されている。
プロペラのピッチ変更 へんこう 機構 きこう は、当初 とうしょ ドイツ VDM社 しゃ 開発 かいはつ の電動 でんどう 式 しき ガバナー搭載 とうさい モデルを住友金属 すみともきんぞく (現 げん ・日本 にっぽん 製鉄 せいてつ )がライセンス生産 せいさん したものが用 もち いられた。これはピッチの変更 へんこう 速度 そくど はハミルトン・スタンダード 開発 かいはつ の油圧 ゆあつ 式 しき に劣 おと るが変更 へんこう 角度 かくど が大 おお きいため適応 てきおう する高度 こうど 域 いき が広 ひろ くなるという利点 りてん があった。しかし故障 こしょう が多発 たはつ したため、十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん 改 あらため (J2M2)以降 いこう はハミルトンの油圧 ゆあつ 機構 きこう を組 く み込 こ んだ折衷 せっちゅう 型 がた を使用 しよう した。[9]
なおプロペラ枚数 まいすう は十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん (J2M1)が三 さん 翅(直径 ちょっけい 3.2m)、十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん 改 あらため (J2M2)以降 いこう は四 よん 翅(直径 ちょっけい 3.3m)である。また後期 こうき では高空 こうくう 性能 せいのう 改善 かいぜん のため幅広 はばひろ のものが装備 そうび された。
強制 きょうせい 冷却 れいきゃく ファンは十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん (J2M1)が直結 ちょっけつ 22枚 まい 羽根 はね 、十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん 改 あらため (J2M2)以降 いこう は増 ぞう 速 そく 式 しき 14枚 まい 羽根 ばね で増 ぞう 速 そく 比 ひ はプロペラ軸 じく の3倍 ばい 以上 いじょう となり、これを回 まわ す分 ぶん の馬力 ばりき が削 けず られた。[12]
アメリカ軍 ぐん に接収 せっしゅう された雷電 らいでん の上面 うわつら 写真 しゃしん
火星 かせい の直径 ちょっけい は 1,340 mm と、零 れい 戦 せん に搭載 とうさい された栄 さかえ と比 くら べて 200 mm 近 ちか く大 おお きい。そこで空気 くうき 抵抗 ていこう を可能 かのう な限 かぎ り減少 げんしょう させるために、エンジンに延長 えんちょう 軸 じく を装着 そうちゃく してプロペラを前方 ぜんぽう に出 だ した上 うえ で機首 きしゅ を絞 しぼ り込 こ み、エンジンよりも後 うし ろの操縦 そうじゅう 席 せき 付近 ふきん で最 もっと も太 ふと くなる紡錘形 ぼうすいけい の胴体 どうたい が採用 さいよう された。これは空 そら 技 わざ 廠 しょう の風洞 ふうどう 実験 じっけん データに基 もと づいており、同 どう 時期 じき に開発 かいはつ が進 すす んでいた十 じゅう 五 ご 試 ためし 水上 すいじょう 戦闘 せんとう 機 き でも採用 さいよう されているが、実機 じっき のレイノルズ数 すう では層 そう 流 りゅう を維持 いじ できず風洞 ふうどう 模型 もけい のような効果 こうか は出 で なかった。また風防 ふうぼう は前面 ぜんめん を曲面 きょくめん ガラスとした上 うえ で高 たか さをごく低 ひく くし、形状 けいじょう もファストバック 型 かた として抗力 こうりょく 減少 げんしょう を図 はか った。[13] [14]
ただし代償 だいしょう として前 ぜん 下方 かほう 及 およ び後方 こうほう 、側 がわ 下方 かほう 視界 しかい が悪 わる く、曲面 きょくめん ガラスによって風景 ふうけい が歪 いが んで見 み えるという問題 もんだい が発生 はっせい したため、十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん 改 あらため (J2M2)以降 いこう ではそれ以前 いぜん と比較 ひかく して機首 きしゅ を 205 mm 短 みじか く、風防 ふうぼう をやや高 たか くして前面 ぜんめん ガラスの平面 へいめん 部 ぶ を増 ふ やし、側面 そくめん ガラスを下 した 方向 ほうこう に大 おお きくする設計 せっけい 変更 へんこう が行 おこな われている。量産 りょうさん 後 ご も三 さん 三 さん 型 がた (J2M5)、三 さん 一 いち 型 がた (J2M6)でさらに風防 ふうぼう の高 たか さを幅 はば を増 ま し、風防 ふうぼう 前 まえ の上部 じょうぶ 胴体 どうたい を斜 なな めにそぎ落 お とす改 あらため 設計 せっけい が行 おこな われたものの速度 そくど 低下 ていか をきたし、高座 こうざ 工廠 こうしょう は視界 しかい 改善 かいぜん 策 さく を行 おこな わない二 に 一 いち 型 がた (J2M3)の胴体 どうたい のまま生産 せいさん を続 つづ けた。[13] [15]
なお三 さん 三 さん 型 がた (J2M5)、三 さん 一 いち 型 がた (J2M6)で行 おこな われた視界 しかい 改善 かいぜん 策 さく について古 こ 峰 みね 文三 ぶんぞう は、1944年 ねん (昭和 しょうわ 19年 ねん )度 ど に基地 きち 航空 こうくう 隊 たい 主力 しゅりょく 機 き として大量 たいりょう 生産 せいさん される予定 よてい だったためであり、高座 こうざ 工廠 こうしょう 生産 せいさん 機 き に視界 しかい 改善 かいぜん 策 さく が導入 どうにゅう されなかったのは減産 げんさん が決定 けってい (主力 しゅりょく 機 き 化 か の断念 だんねん )していた状態 じょうたい で既 すで に稼働 かどう している量産 りょうさん ラインを阻害 そがい しないためであるとしている。[15]
胴体 どうたい 部 ぶ だけの風洞 ふうどう 模型 もけい を用 もち いた実験 じっけん では、紡錘形 ぼうすいけい の胴体 どうたい そのものの抗力 こうりょく は低 ひく かった[16] が、実際 じっさい の飛行機 ひこうき ではプロペラ後 ご 流 りゅう が絞 しぼ り込 こ むように流 なが れるため、エンジン後方 こうほう から胴体 どうたい を絞 しぼ っていく設計 せっけい (例 たと えば二 に 式 しき 単座 たんざ 戦闘 せんとう 機 き やフォッケウルフ Fw190 )の方 ほう が少 すこ し抗力 こうりょく が低 ひく かった事 こと が後 こう から判明 はんめい している。[17]
表面積 ひょうめんせき の広 ひろ さに比例 ひれい する摩擦 まさつ 抵抗 ていこう にいおいて雷電 らいでん の太 ふと い胴体 どうたい は損 そん であり、外気 がいき 流 りゅう より流 なが れが速 はや いプロペラ後 ご 流 りゅう 圏内 けんない ではその影響 えいきょう が強 つよ まる[18] 。また主翼 しゅよく と胴体 どうたい の干渉 かんしょう 抵抗 ていこう は、正面 しょうめん から見 み た主翼 しゅよく と胴体 どうたい 側面 そくめん のなす角度 かくど が大 おお きいほど有利 ゆうり [19] で、Me262 、Do17 、F6F 、XP67 等 ひとし はこれを汲 く んだ設計 せっけい だが、楕円 だえん 断面 だんめん の胴体 どうたい に低 てい 翼 つばさ とした雷電 らいでん はこの角度 かくど が狭 せま く翼 つばさ 胴 どう の干渉 かんしょう 抵抗 ていこう が大 おお きい。
プロペラ効率 こうりつ を抗力 こうりょく 係数 けいすう で割 わ った数値 すうち η いーた /Cd について、内藤 ないとう 子生 こなじ は「高速 こうそく 飛行 ひこう 値 ち 」と呼 よ び[20] 、山名 やまな 正夫 まさお は「最大 さいだい 速度 そくど 時 じ のη いーた /Cdは高速 こうそく 性能 せいのう から見 み た飛行機 ひこうき の洗 あらい 練度 れんど を示 しめ す」と書 か いている[21] 。この数値 すうち はグラフ化 か されており[22] [23] 、雷電 らいでん の数値 すうち は液 えき 冷 ひや 彗星 すいせい 、彩雲 さいうん 、零 れい 戦 せん 、空冷 くうれい 彗星 すいせい 、流星 りゅうせい に劣 おと っている。
主翼 しゅよく の翼 つばさ 型 がた には1940年代 ねんだい 当時 とうじ 、高速 こうそく 機 き に有利 ゆうり として着目 ちゃくもく され始 はじ めていた層 そう 流 りゅう 翼 つばさ を胴体 どうたい 側 がわ に、外 そと 翼 つばさ 側 がわ を従来 じゅうらい 翼 つばさ 型 がた とした半 はん 層 そう 流 りゅう 翼 つばさ を採用 さいよう している。これは当時 とうじ 、層 そう 流 りゅう 翼 つばさ は失速 しっそく 特性 とくせい が良 よ くないとされたためで[注釈 ちゅうしゃく 7] 、外 そと 翼 つばさ をより失速 しっそく 特性 とくせい の良好 りょうこう な従来 じゅうらい 翼 つばさ 型 がた とすることで翼 つばさ 端 はし 失速 しっそく を防 ふせ ぐ意図 いと があった。[24]
ただし層 そう 流 りゅう 翼 つばさ は表面 ひょうめん の凹凸 おうとつ にデリケートで、塗装 とそう 膜 まく の気泡 きほう や昆虫 こんちゅう の衝突 しょうとつ による付着 ふちゃく 物 ぶつ でも後方 こうほう 三角形 さんかっけい 状 じょう に層 そう 流 りゅう が崩 くず れ、乱 らん 流 りゅう に遷移 せんい して摩擦 まさつ 抵抗 ていこう が増加 ぞうか する[25] 。偵察 ていさつ 機 き 彩雲 さいうん も同 おな じく層 そう 流 りゅう 翼 つばさ 型 がた を採用 さいよう しているが主翼 しゅよく の外 そと 板 ばん を厚 あつ くし鋲 びょう 数 すう も減 へ らして表面 ひょうめん の凹凸 おうとつ を最小限 さいしょうげん に抑 おさ え[26] 、主 しゅ 脚 あし も桁 けた 前 まえ ではなく桁 けた 間 あいだ に引 ひ き込 こ んで前 ぜん 縁 えん 部 ぶ の強度 きょうど を上 あ げている[27] 。残念 ざんねん ながら雷電 らいでん ではこの点 てん に留意 りゅうい した設計 せっけい にはなっていないが重量 じゅうりょう の増加 ぞうか は見 み ずに済 す んだ。[注釈 ちゅうしゃく 8]
主翼 しゅよく 面積 めんせき は零 れい 戦 せん 二 に 一 いち 型 がた と比 くら べて約 やく 10%小 ちい さくなっており、全幅 ぜんぷく が1.2m短縮 たんしゅく されたために中 なか ・高速 こうそく 域 いき では零 れい 戦 せん よりも横転 おうてん 性能 せいのう は良好 りょうこう だったといわれる。引 ひ き換 か えに日本 にっぽん 海軍 かいぐん 機 き としてはかなりの高 こう 翼 つばさ 面 めん 荷重 かじゅう となったため、フラップ は九 きゅう 六 ろく 艦 かん 戦 せん や零 れい 戦 せん が装備 そうび した単純 たんじゅん なスプリット式 しき ではなく、高揚 こうよう 力 りょく 装置 そうち としての能力 のうりょく が高 たか く空戦 くうせん フラップとしても利用 りよう できるファウラー式 しき を採用 さいよう している。[24]
上 うえ が九 きゅう 九 きゅう 式 しき 一 いち 号 ごう 二 に 〇粍 みりめーとる 機銃 きじゅう 、下 した が九 きゅう 九 きゅう 式 しき 二 に 号 ごう 二 に 〇粍 みりめーとる 機銃 きじゅう 。
一 いち 一 いち 型 がた までの武装 ぶそう は零 れい 戦 せん と同 おな じく翼 つばさ 内 ない に20mm機銃 きじゅう 2挺 てい 、胴体 どうたい に7.7mm機銃 きじゅう 2挺 てい であったが、二 に 一 いち 型 がた 以降 いこう は胴体 どうたい の7.7mm機銃 きじゅう を廃止 はいし し20mm機銃 きじゅう 4挺 てい を翼 つばさ 内 ない に装備 そうび している。しかし二 に 一 いち 型 がた の開発 かいはつ 時期 じき と九 きゅう 九 きゅう 式 しき 20mm機銃 きじゅう の生産 せいさん が短 たん 銃身 じゅうしん の一 いち 号 ごう 銃 じゅう から長 ちょう 銃身 じゅうしん の二 に 号 ごう 銃 じゅう に移行 いこう する時期 じき が重 かさ なり、二 に 号 ごう 銃 じゅう を必要 ひつよう 数 すう 確保 かくほ 出来 でき ない恐 おそ れがあったために外 そと 翼 つばさ 側 がわ に一 いち 号 ごう 銃 じゅう 、内 うち 翼 つばさ 側 がわ に二 に 号 ごう 銃 じゅう を混載 こんさい するという妥協 だきょう 案 あん が採 と られている(紫電 しでん 一 いち 一 いち 型 がた の初期 しょき 生産 せいさん 型 がた も、二 に 号 ごう 銃 じゅう ではなく一 いち 号 ごう 銃 じゅう を装備 そうび している)。一 いち 号 ごう 銃 じゅう と二 に 号 ごう 銃 じゅう は同 おな じ九 きゅう 九 きゅう 式 しき ながら構造 こうぞう がかなり異 こと なり、また弾薬 だんやく 包 つつみ も互換 ごかん 性 せい がないため、機銃 きじゅう そのものの整備 せいび や補給 ほきゅう に支障 ししょう をきたし、また弾道 だんどう にバラツキが出 で るなどという結果 けっか となった[注釈 ちゅうしゃく 9] 。なお、B29への直 ちょく 上方 かみがた 攻撃 こうげき 時 じ 、視界 しかい の悪 わる さから目標 もくひょう が胴体 どうたい に隠 かく れて照準 しょうじゅん が困難 こんなん になるのを改善 かいぜん するため20mm機銃 きじゅう を4度 ど 上向 うわむ きに調整 ちょうせい したという[28] [29] 。
少数 しょうすう ではあるが30mm機銃 きじゅう を装備 そうび した機体 きたい が存在 そんざい し、実戦 じっせん に参加 さんか している。
防弾 ぼうだん 装備 そうび として操縦 そうじゅう 席 せき 背後 はいご に8mm厚 あつ 防弾 ぼうだん 鋼板 こうはん を装備 そうび している他 ほか 、一 いち 一 いち 型 がた 以降 いこう は翼 つばさ 内 ない タンクに自動 じどう 消火 しょうか 装置 そうち を装備 そうび 、二 に 一 いち 型 がた 以降 いこう は前部 ぜんぶ 風防 ふうぼう 内 ない に防弾 ぼうだん ガラス を追加 ついか し[注釈 ちゅうしゃく 10] 、胴体 どうたい タンクを自動 じどう 防 ぼう 漏 も 式 しき としている。
フラップと脚 あし の駆動 くどう には油圧 ゆあつ ではなく電動 でんどう 機構 きこう を採用 さいよう した。構造 こうぞう が複雑 ふくざつ 化 か しやすく油 あぶら 漏 も れの要因 よういん にもなる高 こう 圧 あつ 油 ゆ 配管 はいかん を廃 はい することで生産 せいさん 性 せい と信頼 しんらい 性 せい を向上 こうじょう させる意図 いと があった。[16]
大 だい 馬力 ばりき エンジンを装備 そうび し、更 さら に大 だい 火力 かりょく を持 も つ雷電 らいでん は海軍 かいぐん の大 おお きな期待 きたい を集 あつ め、1943年 ねん (昭和 しょうわ 18年 ねん )頃 ごろ には零 れい 戦 せん に替 か わる海軍 かいぐん の主力 しゅりょく 戦闘 せんとう 機 き として大 だい 増産 ぞうさん 計画 けいかく が立 た てられた。この計画 けいかく では雷電 らいでん の増産 ぞうさん に併 あわ せて零 れい 戦 せん は減産 げんさん し、1944年 ねん (昭和 しょうわ 19年 ねん )には三菱 みつびし は零 れい 戦 せん の生産 せいさん を終了 しゅうりょう (中島 なかじま 飛行機 ひこうき では空母 くうぼ 搭載 とうさい 用 よう の零 れい 戦 せん を僅 わず かに生産 せいさん )して雷電 らいでん のみを生産 せいさん する予定 よてい であったが、上記 じょうき の諸 しょ 問題 もんだい により実用 じつよう 化 か が遅 おく れたことから計画 けいかく は白紙 はくし に戻 もど され、雷電 らいでん はほぼ同 どう 時期 じき に実用 じつよう 実験 じっけん が行 おこな われていた紫電 しでん 改 あらため と比較 ひかく され、特 とく に紫電 しでん 改 あらため に比 くら べ対 たい 戦闘 せんとう 機 き 戦闘 せんとう 能力 のうりょく が低 ひく いことが指摘 してき された。
海軍 かいぐん における新型 しんがた 機 き の審査 しんさ を受 う け持 も つ横須賀 よこすか 航空 こうくう 隊 たい は、両者 りょうしゃ の試作 しさく 機 き を比較 ひかく テストした上 うえ 「紫電 しでん 改 あらため は対 たい 戦闘 せんとう 機 き 戦闘 せんとう も可能 かのう だが、雷電 らいでん は零 れい 戦 せん と組 く み合 あ わせなければ性能 せいのう を活 い かすのは難 むずか しい」と結論 けつろん し、雷電 らいでん の生産 せいさん を中止 ちゅうし して紫電 しでん 改 あらため の生産 せいさん に集中 しゅうちゅう すべきだという報告 ほうこく 書 しょ を海軍 かいぐん 航空 こうくう 本部 ほんぶ に提出 ていしゅつ した。しかし、期待 きたい された紫電 しでん 改 あらため も誉 ほまれ 発動 はつどう 機 き の不調 ふちょう に悩 なや まされており、その解決 かいけつ に要 よう する間隙 かんげき を埋 う める機体 きたい が必要 ひつよう であったこと、また雷電 らいでん の太 ふと い胴体 どうたい はアメリカ陸軍 りくぐん 航空 こうくう 軍 ぐん のB-29 爆 ばく 撃 げき 機 き に対抗 たいこう するために必須 ひっす と考 かんが えられていた排気 はいき タービン過 か 給 きゅう 器 き (ターボチャージャー )と中間 ちゅうかん 冷却 れいきゃく 機 き (インタークーラー )の搭載 とうさい に有利 ゆうり と考 かんが えられたことから、少数 しょうすう ではあるが生産 せいさん と改良 かいりょう 型 がた 開発 かいはつ の継続 けいぞく が決定 けってい され、拠点 きょてん 防衛 ぼうえい 部隊 ぶたい を中心 ちゅうしん に配備 はいび されることになった。
最初 さいしょ の雷電 らいでん 配備 はいび 部隊 ぶたい として、バリクパパン にある日本 にっぽん の油田 ゆでん 防衛 ぼうえい 部隊 ぶたい である第 だい 三 さん 八 はち 一 いち 海軍 かいぐん 航空 こうくう 隊 たい が編成 へんせい されたが、雷電 らいでん の生産 せいさん がはかどらないため零 れい 戦 せん を装備 そうび してスピンガンに進出 しんしゅつ している。後 のち にスピンガンへ空輸 くうゆ された雷電 らいでん を受 う け取 と った第 だい 三 さん 八 はち 一 いち 航空 こうくう 隊 たい は、製油 せいゆ 所 しょ から豊富 ほうふ に産出 さんしゅつ される高 こう 品質 ひんしつ 燃料 ねんりょう を使 つか って訓練 くんれん を積 つ み、短期間 たんきかん ではあるが油田 ゆでん 攻撃 こうげき に飛来 ひらい するアメリカ軍 ぐん や、イギリス空軍 くうぐん のB-24 、P-38 、P-47 を迎撃 げいげき して少 すく なくない戦果 せんか を挙 あ げた。その他 た の部隊 ぶたい では、本土 ほんど 防空 ぼうくう 専任 せんにん 部隊 ぶたい として編成 へんせい された第 だい 三 さん 〇二 に 航空 こうくう 隊 たい (厚木 あつぎ )、第 だい 三 さん 三 さん 二 に 航空 こうくう 隊 たい (岩国 いわくに 、鳴尾 なるお )、第 だい 三 さん 五 ご 二 に 航空 こうくう 隊 たい (大村 おおむら )台湾 たいわん の台 たい 南 みなみ 航空 こうくう 隊 たい (台 たい 南 みなみ )に主 しゅ として配備 はいび され、特 とく に神奈川 かながわ 県 けん 厚木 あつぎ 飛行場 ひこうじょう 所属 しょぞく の小園 こぞの 安 やすし 名 めい 大佐 たいさ 率 ひき いる第 だい 三 さん 〇二 に 航空 こうくう 隊 たい の乙 おつ 戦 せん (雷電 らいでん )隊 たい は、東京 とうきょう ・京浜 けいひん 地区 ちく に侵入 しんにゅう するB-29 爆 ばく 撃 げき 機 き 迎撃 げいげき で最 もっと も戦果 せんか を挙 あ げた。雷電 らいでん 隊 たい の赤松 あかまつ 貞明 さだあき 中尉 ちゅうい は厚木 あつぎ 基地 きち でのエース・パイロット であった。
変 か わったところでは、輸送 ゆそう 機 き 部隊 ぶたい であった第 だい 一 いち 〇〇一海軍航空隊 (第 だい 二 に 鈴鹿 すずか )において、第 だい 一 いち ・第 だい 二 に 鈴鹿 すずか 飛行場 ひこうじょう に併設 へいせつ されていた三菱重工 みつびしじゅうこう 三重 みえ 工場 こうじょう で製造 せいぞう ・整備 せいび された雷電 らいでん を実戦 じっせん 部隊 ぶたい に空輸 くうゆ するまでの間 あいだ 、一 いち 〇〇一空隊員が乗 の ってB-29爆撃 ばくげき 機 き の迎撃 げいげき にあたった[30] 。1944年 ねん (昭和 しょうわ 19年 ねん )12月に名古屋 なごや 空襲 くうしゅう が始 はじ まると臨戦 りんせん 態勢 たいせい に付 つ き、佐々木 ささき 原 はら 正夫 まさお 飛 ひ 曹長 そうちょう がB-29を1機 き 撃墜 げきつい したほか、宮田 みやた 房治 ふさじ 中尉 ちゅうい の三 さん 号 ごう 爆 ばく 弾 だん による攻撃 こうげき などの戦闘 せんとう 記録 きろく を残 のこ している。
十 じゅう 四 よん 試 ためし 局地 きょくち 戦闘 せんとう 機 き (J2M1)
火星 かせい 一 いち 三 さん 型 がた を搭載 とうさい した試作 しさく 型 がた 。初期 しょき は曲面 きょくめん ガラスを使用 しよう した背 せ の低 ひく い風防 ふうぼう を装備 そうび していたが、後 のち に背 せ を高 たか くして視界 しかい を改善 かいぜん 。武装 ぶそう は翼 つばさ 内 ない 20 mm 機銃 きじゅう 2挺 てい 、胴体 どうたい 7.7 mm 機銃 きじゅう 2挺 てい 。
十 じゅう 四 よん 試 ためし 局地 きょくち 戦闘 せんとう 機 き 改 あらため /試製 しせい 雷電 らいでん (J2M2)
発動 はつどう 機 き を水 みず メタノール噴射 ふんしゃ 装置 そうち と燃料 ねんりょう 噴射 ふんしゃ 装置 そうち を追加 ついか した火星 かせい 二 に 三甲 さんこう 型 がた に換 かわ 装 そう 、排気 はいき 管 かん を集合 しゅうごう 式 しき から推力 すいりょく 式 しき 単 たん 排気 はいき 管 かん に変更 へんこう し、20 mm 機銃 きじゅう を銃身 じゅうしん の長 なが い九 きゅう 九 きゅう 式 しき 二 に 号 ごう 銃 じゅう 三 さん 型 がた に換 かわ 装 そう した型 かた 。主翼 しゅよく 上下 じょうげ 面 めん に大型 おおがた のドラム弾倉 だんそう を覆 おお うための涙 なみだ 滴 しずく 型 がた の突出 とっしゅつ 部 ぶ がある。
一 いち 一 いち 型 がた (J2M2)
十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん 改 あらため /試製 しせい 雷電 らいでん の生産 せいさん 型 がた 。生産 せいさん 途中 とちゅう から機首 きしゅ 下部 かぶ の潤滑油 じゅんかつゆ 冷却 れいきゃく 器用 きよう 空 そら 気取 きどり 入口 いりくち 、翼 つばさ 内 ない タンクに自動 じどう 消火 しょうか 装置 そうち を追加 ついか 。20 mm 機銃 きじゅう を二 に 式 しき 30 mm 機銃 きじゅう に換 かわ 装 そう した機体 きたい も少数 しょうすう 存在 そんざい する。
二 に 一 いち 型 がた (J2M3)
武装 ぶそう を翼 つばさ 内 ない 20 mm 機銃 きじゅう 4挺 てい (ベルト給 きゅう 弾 だん )に強化 きょうか 、胴体 どうたい 燃料 ねんりょう タンクを自動 じどう 防 ぼう 漏 も 式 しき に変更 へんこう した主 しゅ 生産 せいさん 型 がた 。試作 しさく 名称 めいしょう は「試製 しせい 雷電 らいでん 改 あらため 」。20 mm 機銃 きじゅう を二 に 号 ごう 銃 じゅう に統一 とういつ した二 に 一 いち 甲 かぶと 型 がた (J2M3a)も試作 しさく された。最 もっと も多 おお く生産 せいさん された(三菱 みつびし だけで約 やく 280機 き )。
三 さん 二 に 型 がた (J2M4)
排気 はいき タービン過 か 給 きゅう 器 き を搭載 とうさい した高 こう 高度 こうど 型 がた で、三菱 みつびし と空 そら 技 わざ 廠 しょう で試作 しさく が行 おこな われた。
三菱 みつびし 機 き は二 に 一 いち 型 がた をベースとし発動 はつどう 機 き を火星 かせい 二 に 三 さん 型 がた 丙 へい [注釈 ちゅうしゃく 11] に換 かわ 装 そう 、発動 はつどう 機 き 架 か を200 mm 延長 えんちょう 、潤滑油 じゅんかつゆ 冷却 れいきゃく 器 き を発動 はつどう 機 き 覆 くつがえ 前部 ぜんぶ に移動 いどう 、カウリング開口 かいこう 部 ぶ 拡大 かくだい などかなり手 て が加 くわ えられたのに対 たい し、空 そら 技 わざ 廠 しょう 機 き は一 いち 一 いち 型 がた 、後 のち に三 さん 一 いち 型 がた をベースとし最低限 さいていげん の改造 かいぞう で排気 はいき タービンを搭載 とうさい した。第 だい 二 に 一 いち 海軍 かいぐん 航空 こうくう 廠 しょう でも簡易 かんい 改造 かいぞう 型 がた の製作 せいさく が行 おこな われており、排気 はいき タービンの搭載 とうさい 位置 いち は全 すべ て発動 はつどう 機 き 直後 ちょくご の胴体 どうたい 右側 みぎがわ 面 めん である。
完成 かんせい した機体 きたい は厚木 あつぎ の三 さん 〇二 に 空 そら 、大村 おおむら の三 さん 五 ご 二 に 空 そら にて実戦 じっせん 投入 とうにゅう されたが、尾翼 びよく のバフェッティング(胴体 どうたい 側面 そくめん に整流 せいりゅう 板 ばん を取 と り付 つ けることで解決 かいけつ )、重量 じゅうりょう バランスの悪化 あっか 、着陸 ちゃくりく 速度 そくど の増大 ぞうだい など問題 もんだい が多 おお く大量 たいりょう 生産 せいさん は断念 だんねん された。
三 さん 三 さん 型 がた (J2M5)
発動 はつどう 機 き を火星 かせい 二 に 六 ろく 型 がた に換 かわ 装 そう 、機首 きしゅ 下部 かぶ の潤 じゅん 油 ゆ 冷却 れいきゃく 器 き 用 よう 空 そら 気取 きどり 入口 いりくち を半 はん 埋 う め込 こ み式 しき とし、風防 ふうぼう の高 たか さを50 mm 、幅 はば を80 mm 増 ま し、風防 ふうぼう 前部 ぜんぶ の胴体 どうたい 上面 うわつら を斜 なな めにそぎ落 お とし視界 しかい 改善 かいぜん を実施 じっし した型 かた 。高 こう 高度 こうど 性能 せいのう を確保 かくほ するため、機械 きかい 式 しき 過 か 給 きゅう 器 き 用 よう の空気 くうき 吸入 きゅうにゅう 通路 つうろ が拡大 かくだい されている。大戦 たいせん 末期 まっき に少数 しょうすう ながら三 さん 〇二 に 空 あき や三 さん 三 さん 二 に 空 そら 等 とう に配備 はいび された。二 に 一 いち 型 がた ・三 さん 一 いち 型 がた と同様 どうよう 、20 mm 機銃 きじゅう を二 に 号 ごう 銃 じゅう に統一 とういつ した三 さん 三甲 さんこう 型 がた (J2M5a)も試作 しさく された他 ほか 、20 mm 機銃 きじゅう 4挺 てい を五 ご 式 しき 30 mm 機銃 きじゅう 2挺 てい に換 かわ 装 そう した機体 きたい も少数 しょうすう 存在 そんざい する。
三 さん 一 いち 型 がた (J2M6)
二 に 一 いち 型 がた に三 さん 三 さん 型 がた と同 おな じ視界 しかい 改善 かいぜん だけを実施 じっし した型 かた 。昭和 しょうわ 19年 ねん (1944年 ねん )末 まつ 以降 いこう の三菱 みつびし 生産 せいさん 機 き は主 おも にこの型式 けいしき 。二 に 一 いち 型 がた ・三 さん 三 さん 型 がた と同様 どうよう 、20 mm 機銃 きじゅう を二 に 号 ごう 銃 じゅう に統一 とういつ した三 さん 一 いち 甲 かぶと 型 がた (J2M6a)も試作 しさく された。
二 に 三 さん 型 がた (J2M7)
二 に 一 いち 型 がた のエンジンを火星 かせい 二 に 六 ろく 型 がた に換 かわ 装 そう した型 かた 。機首 きしゅ 下部 かぶ の潤滑油 じゅんかつゆ 冷却 れいきゃく 器用 きよう 空 そら 気取 きどり 入口 いりくち は半 はん 埋 う め込 こ み式 しき だが、風防 ふうぼう と胴体 どうたい 形状 けいじょう は二 に 一 いち 型 がた と同 おな じ。高座 こうざ 工廠 こうしょう で生産 せいさん 予定 よてい であったが極少 きょくしょう 数 すう 機 き が完成 かんせい したのみ。
キ65
陸軍 りくぐん が計画 けいかく していた機体 きたい 。メーカーへの要求 ようきゅう が二 に 転 てん 三 さん 転 てん する中 なか で、小 しょう 改造 かいぞう による十 じゅう 四 よん 試 ためし 局 きょく 戦 せん の陸軍 りくぐん 型 がた となっていた時期 じき が存在 そんざい する[31] 。
制式 せいしき 名称 めいしょう
雷電 らいでん 二 に 一 いち 型 がた
雷電 らいでん 三 さん 三 さん 型 がた
機体 きたい 略号 りゃくごう
J2M3
J2M5
全幅 ぜんぷく
10.8 m
全長 ぜんちょう
9.695 m
9.945 m
全 ぜん 高 こう
3.945 m
主翼 しゅよく 面積 めんせき
20 m2
自重 じちょう
2,539 kg
2,510 kg
正規 せいき 全備 ぜんび 重量 じゅうりょう
3,507 kg
3,482 kg
翼 つばさ 面 めん 荷重 かじゅう
175.35 kg/m2
174.1 kg/m2
発動 はつどう 機 き
火星 かせい 二 に 三甲 さんこう 型 がた (離 はなれ 昇 のぼり 1,800馬力 ばりき )
火星 かせい 二 に 六 ろく 型 がた (離 はなれ 昇 のぼり 1,800馬力 ばりき )
最高 さいこう 速度 そくど
596.3 km/h(高度 こうど 5,450 m)
614.5 km/h(高度 こうど 6,585 m)
上昇 じょうしょう 力 りょく
6,000 m まで5分 ふん 38秒 びょう
6000mまで6分 ふん 20秒 びょう /8,000 m まで9分 ふん 45秒 びょう
降下 こうか 制限 せいげん 速度 そくど
740.8 km/h
航続 こうぞく 性能 せいのう
1,898km(機内 きない 燃料 ねんりょう )2,519 km(増 ぞう 槽 そう あり)
全力 ぜんりょく 0.5時 じ 間 あいだ + 巡航 じゅんこう 2.4時 じ 間 あいだ
武装 ぶそう
20mm機銃 きじゅう 4挺 てい (九 きゅう 九 きゅう 式 しき 二 に 〇粍 みりめーとる 一 いち 号機 ごうき 銃 じゅう 四 よん 型 がた 190発 はつ ×2 九 きゅう 九 きゅう 式 しき 二 に 〇粍 みりめーとる 二 に 号機 ごうき 銃 じゅう 四 よん 型 がた 210発 はつ ×2)
爆 ばく 装 そう
30または60kg爆 ばく 弾 だん 2発 はつ
アメリカ軍 ぐん によるテスト飛行 ひこう 。イギリス軍 ぐん も随伴 ずいはん している(1945年 ねん )
イギリス軍 ぐん によるテスト飛行 ひこう (1945年 ねん 12月 がつ )
日本 にっぽん 軍 ぐん のパイロットが低速 ていそく での運動 うんどう 性 せい が高 たか い機体 きたい に慣 な れていたこともあり、着陸 ちゃくりく などの低速 ていそく 時 じ に前 まえ 触 ふ れなく失速 しっそく する雷電 らいでん では墜落 ついらく 事故 じこ が多発 たはつ し、格闘 かくとう 戦 せん に向 む かない雷電 らいでん は不評 ふひょう であったが、日本 にっぽん 軍機 ぐんき の中 なか では高速 こうそく ・高 こう 高度 こうど での運動 うんどう 性 せい が確保 かくほ されているため爆撃 ばくげき 機 き の迎撃 げいげき では一定 いってい の評価 ひょうか を受 う けている。
戦中 せんちゅう 戦後 せんご にテスト飛行 ひこう したアメリカ軍 ぐん のパイロット には好評 こうひょう であった。これは紡錘形 ぼうすいけい の胴体 どうたい によって日本 にっぽん 機 き にしてはコックピットが広 ひろ く、大柄 おおがら なアメリカ人 じん にとっても乗 の り心地 ごこち が良 よ かったからと言 い われる。日本 にっぽん では問題 もんだい 視 し された着陸 ちゃくりく 性能 せいのう の悪 わる さも、アメリカの基準 きじゅん ではさして問題 もんだい とされなかった。
フィリピン でアメリカ軍 ぐん に接収 せっしゅう された二 に 一 いち 型 がた 初期 しょき 生産 せいさん 機 き (製造 せいぞう 番号 ばんごう 3008号機 ごうき )である鹵獲 ろかく 機 き 「S12」を用 もち いたテストの結果 けっか として、鹵獲 ろかく 機 き の調査 ちょうさ 結果 けっか を記録 きろく したTAIC Manualには、最高 さいこう 速度 そくど 671 km/h(高度 こうど 5,060 m)、上昇 じょうしょう 力 りょく 5分 ふん 10秒 びょう /高度 こうど 6,100 m と日本 にっぽん 側 がわ の諸 しょ 元 もと 値 ね を大幅 おおはば に上回 うわまわ る数値 すうち が記載 きさい されている。しかしこれは同 どう マニュアル冒頭 ぼうとう の記述 きじゅつ にあるとおり推定 すいてい 値 ち であり、実際 じっさい に飛行 ひこう させて出 だ した記録 きろく ではない。この製造 せいぞう 番号 ばんごう 3008号機 ごうき は元々 もともと バリクパパンの381空 そら に配備 はいび 予定 よてい だったもので、不調 ふちょう のため中継 ちゅうけい 地点 ちてん のマニラ郊外 こうがい の野戦 やせん 飛行場 ひこうじょう に残置 ざんち されていたところを鹵獲 ろかく された物 もの だった。修理 しゅうり してクラークフィールド飛行場 ひこうじょう で飛行 ひこう 試験 しけん を行 おこな う前日 ぜんじつ 、地上 ちじょう での運転 うんてん 中 ちゅう に油圧 ゆあつ 系 けい が故障 こしょう 、更 さら に修理 しゅうり したものの予備 よび 部品 ぶひん も無 な く、実際 じっさい に全 ぜん 速 そく 飛行 ひこう 試験 しけん が行 おこな われることは無 な かった。
(
試験 しけん 環境 かんきょう における
燃料 ねんりょう は、92
オクタン の
燃料 ねんりょう に
水 みず メタノール噴射 ふんしゃ を
組 く み
合 あ わせたものである。
試験 しけん 時 じ の
重量 じゅうりょう は、7,320
lb (3,315 kg)であり、これは180 kg ほど
軽 かる い。
旧 きゅう 日本 にっぽん 海軍 かいぐん でいう「
軽 けい 荷重 かじゅう 量 りょう 」のデータである。
増 ぞう 槽 そう を
装備 そうび した
重量 じゅうりょう 8,130 lb(3,682 kg)のOverload
状態 じょうたい でも、385
mph 弱 じゃく (383 mph として616 km/h)と
海軍 かいぐん 航空 こうくう 本部 ほんぶ の
公称 こうしょう 速度 そくど を
上回 うわまわ る
数値 すうち を
出 だ している)
[32] 。
イギリス軍 ぐん もフィリピンに残 のこ された2機 き を接収 せっしゅう して日本人 にっぽんじん に操縦 そうじゅう させテスト飛行 ひこう を行 おこな っているが、特 とく に興味 きょうみ は引 ひ かれず本国 ほんごく へは持 も ち帰 かえ らなかった。
2013年 ねん (平成 へいせい 25年 ねん )には戦時 せんじ 中 なか に少年 しょうねん 工 こう として雷電 らいでん 製造 せいぞう に携 たずさ わった台湾 たいわん 人 じん への叙勲 じょくん が行 おこな われ、少年 しょうねん 工 こう たちは2000年 ねん (平成 へいせい 12年 ねん )に雷電 らいでん をモチーフにあつらえたそろいのネクタイ を締 し めて式典 しきてん に集 たか った[33] 。
現存 げんそん する機体 きたい ・部品 ぶひん [ 編集 へんしゅう ]
プレーンズ・オブ・フェイム航空 こうくう 博物館 はくぶつかん 所蔵 しょぞう の雷電 らいでん 二 に 一 いち 型 がた
フィリピンで鹵獲 ろかく された第 だい 三 さん 八 はち 一 いち 航空 こうくう 隊 たい 所属 しょぞく の二 に 一 いち 型 がた 「81-124号機 ごうき (製造 せいぞう 番号 ばんごう 3014号機 ごうき )」がアメリカ・カリフォルニア州 しゅう チノ のプレーンズ・オブ・フェイム航空 こうくう 博物館 はくぶつかん に静態 せいたい 保存 ほぞん されている。塗装 とそう は太平洋戦争 たいへいようせんそう 後 のち に再 さい 塗装 とそう されたもので、胴体 どうたい は三 さん 五 ご 二 に 空 そら 戦闘 せんとう 六 ろく 〇一小隊長機の稲光 いねみつ マークを模 も した塗装 とそう が施 ほどこ されているが、機 き 番 ばん は三 さん 〇二 に 空 そら (厚木 あつぎ )所属 しょぞく を示 しめ す「ヨD-1158」になっている。
高座 こうざ 海軍 かいぐん 工廠 こうしょう で製造 せいぞう されたとみられる部品 ぶひん が2020年 ねん (令 れい 和 わ 2年 ねん )1月 がつ 17日 にち 、座間 ざま 市役所 しやくしょ へ寄贈 きぞう された[34] 。
アメリカの調査 ちょうさ 団 だん 関係 かんけい 者 しゃ が持 も ち帰 かえ った後 のち に日本 にっぽん に戻 もど った計器 けいき 板 ばん も現存 げんそん している。[35] [36]
登場 とうじょう 作品 さくひん [ 編集 へんしゅう ]
松本 まつもと 零 れい 士 し
『勇者 ゆうしゃ の雷鳴 らいめい 』(戦場 せんじょう まんがシリーズ )
陸 りく 爆 ばく 銀河 ぎんが を護衛 ごえい する。
『潜水 せんすい 航法 こうほう 1万 まん メートル』(戦場 せんじょう まんがシリーズ)
小林 こばやし よしのり
『新 しん ゴーマニズム宣言 せんげん 』
少年 しょうねん 期 き の石原 いしはら 慎太郎 しんたろう に向 む かって機銃 きじゅう 掃射 そうしゃ をかけた米 べい 軍機 ぐんき を追 お い払 はら った戦闘 せんとう 機 き として描 えが かれている。
『ブレイジング・エンジェル 』(Blazing Angels:Squadrons of WWII)
尾翼 びよく 番号 ばんごう ヨD-151を持 も つ。スキンを変更 へんこう することができ、色 いろ はデフォルト(緑 みどり )とエース(白 しろ )の2パターン。
『零 れい 式 しき 艦上 かんじょう 戦闘 せんとう 記 き 』
通常 つうじょう の雷電 らいでん の他 ほか に米 べい 軍 ぐん の鹵獲 ろかく 仕様 しよう のS-12が登場 とうじょう する。
『War_Thunder 』
コンバットフライトシミュレーターゲーム。プレイヤーの操縦 そうじゅう 機体 きたい として、一 いち 一 いち 型 がた (試製 しせい 雷電 らいでん )(20mm機関 きかん 砲 ほう 2艇 てい 、7,7ミリ機銃 きじゅう 2艇 てい )
二 に 一 いち 型 がた ・三 さん 二 に 型 がた ・三 さん 三 さん 型 がた (20mm機関 きかん 砲 ほう 4挺 てい 、課金 かきん 機体 きたい では30mm機関 きかん 砲 ほう 2挺 てい )が登場 とうじょう する。
『War Wings 』
スマートフォン 用 よう 空戦 くうせん ゲームアプリ 。日本 にっぽん 海軍 かいぐん 機 き ティア7・J2M3及 およ びティア8・J2M5がプレイ可能 かのう 。
『艦隊 かんたい これくしょん -艦 かん これ- 』
基地 きち 航空 こうくう 隊 たい の局地 きょくち 戦闘 せんとう 機 き として登場 とうじょう 。
『荒野 あらの のコトブキ飛行 ひこう 隊 たい 大空 おおぞら のテイクオフガールズ! 』
各 かく キャラクターの搭乗 とうじょう 可能 かのう 機体 きたい として登場 とうじょう 。
『荒野 あらの のコトブキ飛行 ひこう 隊 たい 』
ラハマに保管 ほかん されていた町長 ちょうちょう 専用 せんよう 機 き として二 に 一 いち 型 がた が登場 とうじょう 。ラハマに戦力 せんりょく となる航空機 こうくうき が九 きゅう 七 なな 式 しき 戦闘 せんとう 機 き と、赤 あか とんぼ(九 きゅう 三 さん 式 しき 中間 ちゅうかん 練習 れんしゅう 機 き )しかないため高 たか い火力 かりょく と速力 そくりょく を持 も つ本 ほん 機 き は貴重 きちょう な戦力 せんりょく となる。
^ 主 おも に航空 こうくう 母艦 ぼかん から運用 うんよう される艦上 かんじょう 戦闘 せんとう 機 き とは異 こと なり、陸上 りくじょう 基地 きち からの運用 うんよう を前提 ぜんてい とし、基地 きち の防空 ぼうくう を主 おも 任務 にんむ とする迎撃 げいげき 戦闘 せんとう 機 き 。
^ 日本 にっぽん 海軍 かいぐん の分類 ぶんるい では速度 そくど や攻撃 こうげき 力 りょく を重視 じゅうし した機体 きたい で主 おも に局地 きょくち 戦 せん が該当 がいとう する。陸軍 りくぐん では重 じゅう 戦 せん に分類 ぶんるい される。
^ 渡辺 わたなべ 洋二 ようじ によれば、主翼 しゅよく 製造 せいぞう を日本 にっぽん 建 たて 鐵 てつ 、胴体 どうたい 製造 せいぞう を高座 こうざ 工廠 こうしょう で分担 ぶんたん しており、米 べい 軍 ぐん 調査 ちょうさ 団 だん の資料 しりょう では約 やく 130機 き 、高座 こうざ 工廠 こうしょう 飛行機 ひこうき 部 ぶ 技手 ぎしゅ の早川 はやかわ 金治 きんじ の回想 かいそう では50~60機 き 、海軍 かいぐん 省 しょう と軍需 ぐんじゅ 省 しょう の資料 しりょう の突合 つきあわ せでは約 やく 90機 き が高座 こうざ 工廠 こうしょう で生産 せいさん された。[1]
^ ただし水 みず メタノール噴射 ふんしゃ 装置 そうち も燃料 ねんりょう 噴射 ふんしゃ 装置 そうち も搭載 とうさい しない。性能 せいのう は1速 そく 全開 ぜんかい 1,680 馬力 ばりき (高度 こうど 2,100 m)、2速 そく 全開 ぜんかい 1,510 馬力 ばりき (高度 こうど 5,700 m)と試算 しさん 。
^ これは事前 じぜん に実機 じっき を使用 しよう した実験 じっけん が行 おこな われたほど開発 かいはつ 当初 とうしょ から懸念 けねん されていた。
^ これは発動 はつどう 機 き 側 がわ に一 いち 次 じ 振動 しんどう の抑制 よくせい が図 はか られていなかったためである。日本 にっぽん の複 ふく 列 れつ 発動 はつどう 機 き の主 しゅ 連 れん 棒 ぼう は前後 ぜんご で180°配置 はいち となっていたが、これは一 いち 次 じ 振動 しんどう が最 もっと も強 つよ まる配置 はいち であった。P&W R-2800 をはじめとする欧米 おうべい の発動 はつどう 機 き は主 しゅ 連 れん 棒 ぼう を隣接 りんせつ 配置 はいち として一 いち 次 じ 振動 しんどう を解消 かいしょう 、逆 ぎゃく に強 つよ まる二 に 次 じ 振動 しんどう に対 たい しては発動 はつどう 機 き 回転 かいてん 数 すう の倍速 ばいそく のバランサを設 もう けることによって解消 かいしょう している。これらには高次 こうじ 振動 しんどう に対 たい するダイナミック・バランサが装備 そうび されていたが、日本 にっぽん では誉 ほまれ が限定 げんてい 的 てき に装備 そうび したのみであった。
^ 実際 じっさい には「層 そう 流 りゅう 翼 つばさ だから失速 しっそく 特性 とくせい が悪 わる かった」のではなく、「層 そう 流 りゅう 翼 つばさ に気 き をとられて失速 しっそく 特性 とくせい のよくない翼 つばさ 型 がた になっていた」ためだといわれている。
^ 層 そう 流 りゅう 翼 つばさ の問題 もんだい は他国 たこく でも発生 はっせい しており、P-51 ではノースアメリカン がNACA と共同 きょうどう 開発 かいはつ した層 そう 流 りゅう 翼 つばさ (NAA/NACA 45–100)を採用 さいよう したことで速度 そくど 性能 せいのう が優 すぐ れ高速 こうそく 時 じ にも運動 うんどう 性能 せいのう が低下 ていか しない利点 りてん があったが、失速 しっそく 特性 とくせい が悪 わる く低速 ていそく での格闘 かくとう 性能 せいのう は低 ひく かった。このため開発 かいはつ 時 じ には大型 おおがた の風洞 ふうどう で実験 じっけん を繰 く り返 かえ して形状 けいじょう を最適 さいてき 化 か 、生産 せいさん 時 じ にはリベット をパテ で埋 う めて削 けず るなど表面 ひょうめん 処理 しょり を徹底 てってい 、マニュアルで失速 しっそく 時 じ の挙動 きょどう や着陸 ちゃくりく 時 じ の注意 ちゅうい 事項 じこう を詳細 しょうさい に解説 かいせつ するなどの対策 たいさく を取 と っている。
^ 九 きゅう 九 きゅう 式 しき 二 に 号 ごう 銃 じゅう 4挺 てい に統一 とういつ した型 かた も存在 そんざい するが、この型 かた は試作 しさく だけ、または極少 きょくしょう 数 すう が生産 せいさん されたのみとされている。
^ 防弾 ぼうだん ガラスの追加 ついか は既存 きそん 機 き にも実施 じっし された。但 ただ し、重量 じゅうりょう 増 ぞう や視界 しかい 悪化 あっか から実施 じっし 部隊 ぶたい で取 と り外 はず されてしまう場合 ばあい もあった。
^ 強制 きょうせい 冷却 れいきゃく ファンの直径 ちょっけい が850 mm に拡大 かくだい されている。
戦闘 せんとう 機 き 一覧 いちらん
XP-42 - 雷電 らいでん 開発 かいはつ 開始 かいし 前年 ぜんねん の1939年 ねん に、P-36を改造 かいぞう して製造 せいぞう された試作 しさく 機 き 。空気 くうき 抵抗 ていこう 減少 げんしょう のために、空冷 くうれい エンジン機 き P-36のエンジンカウリングを前方 ぜんぽう に伸 の ばして直径 ちょっけい を絞 しぼ り、延長 えんちょう 軸 じく で大型 おおがた スピナー付 つ きプロペラを駆動 くどう したが、延長 えんちょう 軸 じく の振動 しんどう 問題 もんだい やエンジン冷却 れいきゃく 問題 もんだい が発生 はっせい し、速度 そくど もたいして向上 こうじょう しなかったため、開発 かいはつ 中止 ちゅうし 。