F-117 ナイトホーク
F-117 とは、ロッキード 社 しゃ (現 げん ロッキード・マーティン 社 しゃ )が開発 かいはつ した、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく のステルス 攻撃 こうげき 機 き 。英語 えいご ではエフ・ワン・セブンティーン と呼 よ ばれ、愛称 あいしょう はナイトホーク (Nighthawk)。
配備 はいび されるF-117
世界 せかい 初 はつ の実用 じつよう 的 てき なステルス機 き として1981年 ねん に初 はつ 飛行 ひこう を行 おこな った、アメリカ空軍 くうぐん の攻撃 こうげき 機 き である。レーダー から発見 はっけん されにくくするため、平面 へいめん で構成 こうせい された独特 どくとく の多面体 ためんたい の機体 きたい 形状 けいじょう をしている。これにより空気 くうき 力学 りきがく 的 てき に不安定 ふあんてい な形状 けいじょう となっているが、操縦 そうじゅう にフライ・バイ・ワイヤ を採用 さいよう し、姿勢 しせい 制御 せいぎょ にコンピュータ を介在 かいざい させることで安定 あんてい 性 せい を確保 かくほ した。1982年 ねん には部隊 ぶたい 配備 はいび が始 はじ まっていたが、アメリカ国防総省 こくぼうそうしょう が1988年 ねん 11月に不鮮明 ふせんめい な写真 しゃしん を公開 こうかい するまで、詳細 しょうさい はおろか存在 そんざい 自体 じたい が極秘 ごくひ 扱 あつか いとされていた。
機体 きたい は黒 くろ 一色 いっしょく に塗装 とそう され、主 おも に夜間 やかん 作戦 さくせん に使用 しよう されることから、アメリカヨタカ を意味 いみ する「ナイトホーク(Nighthawk)」の愛称 あいしょう が与 あた えられた[注釈 ちゅうしゃく 1] 。
1983年 ねん に実戦 じっせん 配備 はいび がスタートし、1990年 ねん までに全 ぜん 59機 き の配備 はいび が完了 かんりょう した。攻撃 こうげき 機 き として主 おも に重要 じゅうよう 施設 しせつ への空爆 くうばく を任務 にんむ としており、湾岸 わんがん 戦争 せんそう をはじめいくつかの実戦 じっせん で使用 しよう されたが、撃墜 げきつい による損失 そんしつ はコソボ紛争 ふんそう における1機 き のみとされている。
運用 うんよう ・維持 いじ コストの高 たか さから2008年 ねん 4月 がつ 22日 にち をもって全 ぜん 機 き が退役 たいえき し、現在 げんざい は研究 けんきゅう や訓練 くんれん サポート等 とう の限 かぎ られた用途 ようと で使用 しよう されている。
2016年 ねん 12月23日 にち に米国 べいこく 議会 ぎかい で可決 かけつ された2017年 ねん 国防 こくぼう 授権法 ほう (NDAA)により、今後 こんご 毎年 まいとし 4機 き のペースで廃棄 はいき 処分 しょぶん することが決定 けってい 、飛行 ひこう 可能 かのう な機体 きたい を残 のこ しつつ、部品 ぶひん の取 と り卸 おろ しを行 おこな いながら段階 だんかい 的 てき に廃棄 はいき を進 すす めていくことが明 あき らかになった。[1]
1機 き 当 あ たりの価格 かかく は約 やく 4,500万 まん ドル(2006年 ねん 上半期 かみはんき )。技術 ぎじゅつ 流出 りゅうしゅつ を防 ふせ ぐため、輸出 ゆしゅつ は行 おこな われなかった。
1970年代 ねんだい 中期 ちゅうき 、国防 こくぼう 高等 こうとう 研究 けんきゅう 計画 けいかく 局 きょく (DARPA)は、アメリカ国内 こくない の航空機 こうくうき メーカー5社 しゃ に対 たい しステルス戦闘 せんとう 機 き 形態 けいたい の研究 けんきゅう 契約 けいやく を締結 ていけつ した。当初 とうしょ ロッキード 社 しゃ は、1960年代 ねんだい 以降 いこう 戦闘 せんとう 機 き の開発 かいはつ 経験 けいけん が皆無 かいむ であったことを理由 りゆう に参入 さんにゅう を見送 みおく られていたが、同社 どうしゃ のスカンクワークス 部長 ぶちょう ベン・リッチの主導 しゅどう のもと自主 じしゅ 開発 かいはつ 研究 けんきゅう を行 おこな い、国防 こくぼう 高等 こうとう 研究 けんきゅう 計画 けいかく 局 きょく に働 はたら きかけ追加 ついか 参入 さんにゅう を成功 せいこう させた。
1975年 ねん 8月 がつ にノースロップ およびロッキード社 しゃ が招聘 しょうへい され、XST:Experimental Survivable Testbedのプランが提示 ていじ された。これに応 おう じてロッキード社 しゃ スカンクワークス のトップであったディック・シーラーは電磁気 でんじき 学 がく のスペシャリストのデニス・オーバーホルザーに"見 み えない戦闘 せんとう 機 き "の開発 かいはつ が可能 かのう であるかどうか打診 だしん 。オーバーホルザーは可能 かのう であるとの見解 けんかい を示 しめ し、コードネーム「Echo1」と言 い われるレーダー波 は の物体 ぶったい 表面 ひょうめん での反射 はんしゃ を計算 けいさん するソフトウェアを作 つく り上 あ げ、引退 いんたい していたスカンクワークスの数学 すうがく 者 しゃ であったビル・シュローダーからのアドバイスと、50年 ねん 前 まえ のソビエト連邦 れんぽう でピョートル・ユフィンチェフによって発表 はっぴょう されていた電磁波 でんじは の進行 しんこう 方向 ほうこう を反射 はんしゃ 面 めん の形状 けいじょう から予測 よそく する論文 ろんぶん を基 もと にプロトタイプ機 き を開発 かいはつ した[2] 。
ノースロップとロッキード両社 りょうしゃ のプロトタイプは小型 こがた の単座 たんざ 式 しき という共通 きょうつう 点 てん はあったが外観 がいかん は大 おお きく異 こと なり、ノースロップ社 しゃ の物 もの はレーダー波 は の乱反射 らんはんしゃ を低減 ていげん させるために丸 まる みを帯 お び機体 きたい に鋭角 えいかく を生 しょう じさせない形状 けいじょう で、当時 とうじ からサンディエゴ のシーパークで有名 ゆうめい だったシャチに似 に ていることから"Shamu"とあだ名 な されたのに対 たい し、ロッキード社 しゃ の物 もの は当初 とうしょ からレーダーを特定 とくてい 方向 ほうこう にのみ反射 はんしゃ させるために角張 かくば った形状 けいじょう を持 も っていた。軍配 ぐんばい はロッキードに上 あ がり、1976年 ねん の4月 がつ から開発 かいはつ が開始 かいし された[3] 。多面体 ためんたい から構成 こうせい された機体 きたい の形状 けいじょう はその飛行 ひこう 特性 とくせい を危惧 きぐ されたが、風洞 ふうどう での実験 じっけん では予想 よそう 外 がい に良好 りょうこう な結果 けっか が得 え られた[4] 。
開発 かいはつ 時 じ の考慮 こうりょ 事項 じこう
ロッキード 社 しゃ によれば、F-117を開発 かいはつ する際 さい に以下 いか の点 てん が考慮 こうりょ された。
目視 もくし による発見 はっけん
レーダー による探知 たんち
飛行 ひこう 時 じ の騒音 そうおん
自身 じしん からの電波 でんぱ 放射 ほうしゃ
赤外線 せきがいせん による探知 たんち
排気 はいき ガスや飛行機雲 ひこうきぐも やボルテックスによる発見 はっけん
ステルス性能 せいのう を語 かた るとき2.と5.が注目 ちゅうもく されがちだが、他 た の性能 せいのう も必要 ひつよう とされる。1.に関 かん しては機体 きたい を黒色 こくしょく に塗 ぬ り夜間 やかん のみ飛行 ひこう する、4.に関 かん してはレーダーを搭載 とうさい せず、離陸 りりく 後 ご は無線 むせん 交信 こうしん も行 おこ なわない、6.に関 かん しては雨天 うてん を含 ふく む高 こう 湿度 しつど 環境 かんきょう で飛行 ひこう しない、といったものである。F-117を昼間 ひるま 作戦 さくせん に投入 とうにゅう する実験 じっけん として灰色 はいいろ 迷彩 めいさい に塗装 とそう した"デイホーク"による試験 しけん 飛行 ひこう も行 おこな われたが、結局 けっきょく 運用 うんよう コストに見合 みあ うだけの成果 せいか を得 え られず、全 ぜん 機 き 退役 たいえき への道 みち を歩 あゆ むこととなった。
Have Blue
F-117との各所 かくしょ 寸法 すんぽう の違 ちが いの比較 ひかく
試作 しさく 機 き の開発 かいはつ には、国防 こくぼう 高等 こうとう 研究 けんきゅう 計画 けいかく 局 きょく の予算 よさん から約 やく 3,000万 まん ドルが支出 ししゅつ された。性質 せいしつ 上 じょう 、この予算 よさん は公 おおやけ にする必要 ひつよう がないものとされた。試作 しさく 機 き には「ハブ・ブルー(Have Blue)」のコードネームが与 あた えられ、飛行 ひこう テストではT-2Bバックアイ のゼネラル・エレクトリック 社 しゃ 製 せい のJ85-GE-4A エンジン を転用 てんよう した。
最初 さいしょ の飛行 ひこう 空 そら 力 りょく 実験 じっけん 機 き HB1001(1号機 ごうき )は、J85-GE-4Aエンジンの排気 はいき 口 こう からの赤外線 せきがいせん 放射 ほうしゃ を最小 さいしょう にすることに主眼 しゅがん を置 お いて設計 せっけい された。細長 ほそなが い形状 けいじょう を持 も っていたが、全体 ぜんたい 的 てき に細身 ほそみ で大 おお きさが量産 りょうさん 機 き の約 やく 60%の縮小 しゅくしょう モデルであったため重量 じゅうりょう は4,173-5,669Kgと爆 ばく 撃 げき 機 き としては軽 かる く、垂直 すいちょく 尾翼 びよく が内側 うちがわ に傾斜 けいしゃ する等 ひとし 、量産 りょうさん 型 がた とは形状 けいじょう がやや異 こと なる。F-5 の着陸 ちゃくりく 用 よう ギアやF-16 のFBW が転用 てんよう されたことで、試作 しさく 機 き 2機 き に要 よう した予算 よさん は3,700万 まん ドルに抑 おさ えられたという。
ハブ・ブルーのスペックは以下 いか の通 とお り。
全長 ぜんちょう :38ft(約 やく 11.6m)
全幅 ぜんぷく :22ft(約 やく 6.7m)
主翼 しゅよく 前 ぜん 縁 えん 後退 こうたい 角 かく :72.5度 ど (F-117は67.5度 ど )
総 そう 重量 じゅうりょう :約 やく 12,000ポンド(5,433kg)級 きゅう
乗員 じょういん :1名 めい
飛行 ひこう 試験 しけん と試作 しさく 機 き の損失 そんしつ [ 編集 へんしゅう ]
1977年 ねん 11月4日 にち に、ロッキード 社 しゃ のバーバンクの施設 しせつ で最初 さいしょ のエンジン テストが行 おこな われた。その後 ご も空港 くうこう が閉鎖 へいさ された真夜中 まよなか に限定 げんてい したうえで、カモフラージュ用 よう のネットがかぶせられて実験 じっけん が繰 く り返 かえ された。近隣 きんりん からはその騒音 そうおん による苦情 くじょう があったが機密 きみつ は保持 ほじ され、後 のち にネバダ のグルーム乾 いぬい 湖 こ にその場 ば は移 うつ された。
契約 けいやく 締結 ていけつ からわずか20ヶ月 かげつ しか経 た っていない1977年 ねん 12月1日 にち に初 はつ 飛行 ひこう テストが敢行 かんこう される。35回 かい のテスト飛行 ひこう が無事 ぶじ 行 おこな われたが、1978年 ねん 5月6日 にち に行 おこな われた36回 かい 目 め のテストで着陸 ちゃくりく に失敗 しっぱい 。右 みぎ 主 ぬし 脚 あし が途中 とちゅう まで引 ひ き込 こ み、ロックができないと判断 はんだん されたため、高度 こうど 3,000mまで上昇 じょうしょう したのち燃料 ねんりょう を完全 かんぜん に消費 しょうひ しパイロット は射出 しゃしゅつ 座席 ざせき により脱出 だっしゅつ した。エンジンが停止 ていし したHB1001は、背面 はいめん 姿勢 しせい のまま地上 ちじょう に落下 らっか し大破 たいは した。また、ロッキード社 しゃ のテストパイロットのビル・パークは射出 しゃしゅつ 座席 ざせき が正常 せいじょう に分離 ぶんり せず降下 こうか 時 じ に重傷 じゅうしょう を負 お い、引退 いんたい を余儀 よぎ なくされた。
事故 じこ 前 まえ から製作 せいさく が始 はじ まっていた2機 き 目 め のHB1002が、1978年 ねん 7月 がつ 20日 はつか (同年 どうねん 3月 がつ から4月 がつ には既 すで に初 はつ 飛行 ひこう を行 おこ なったとの説 せつ あり)に初 はつ 飛行 ひこう し、試験 しけん 飛行 ひこう を引 ひ き継 つ いだ。後 のち に52回 かい の飛行 ひこう が行 おこな われたが53回 かい 目 め の飛行 ひこう 中 ちゅう に油圧 ゆあつ 系統 けいとう の故障 こしょう によりエンジンから発火 はっか 、炎上 えんじょう した。この2機 き の破損 はそん した実験 じっけん 機 き は極秘 ごくひ 裏 うら に処分 しょぶん され、F-117およびB-2 といったステルス機 き が公開 こうかい されるようになった現在 げんざい でもトップシークレット扱 あつか いで、わずかに公開 こうかい された写真 しゃしん を除 のぞ き、その詳細 しょうさい は不明 ふめい のままである[3] 。
両機 りょうき とも失 うしな われたハブ・ブルーであったが、飛行 ひこう 試験 しけん 中 ちゅう はアメリカ空軍 くうぐん が誇 ほこ るE-3 早期 そうき 警戒 けいかい 管制 かんせい 機 き ですら極 きわ めて近距離 きんきょり での状況 じょうきょう 以外 いがい 、探知 たんち はできなかったなど、ステルス機 き としての性能 せいのう を見 み せつけた。
1978年 ねん 11月、アメリカ議会 ぎかい は極秘 ごくひ に実用 じつよう 型 がた ステルス戦闘 せんとう 機 き の開発 かいはつ を承認 しょうにん 、本格 ほんかく 的 てき な開発 かいはつ に移行 いこう した。
F-117の誕生 たんじょう [ 編集 へんしゅう ]
爆 ばく 弾 だん を投下 とうか するF-117
実用 じつよう 機 き であるF-117の初 はつ 飛行 ひこう は、1981年 ねん 6月18日 にち にグルームレイクで行 おこな われた。ロッキード 社 しゃ はF-117を、カリフォルニア州 しゅう パームデール のスカンクワークスがアメリカ空軍 くうぐん 工場 こうじょう 42号 ごう (ロッキード工場 こうじょう 10号 ごう )で製作 せいさく した後 のち 、極秘 ごくひ にグルームレイクに輸送 ゆそう 、組 く み立 た てを行 おこ なっている。
機体 きたい の形状 けいじょう は、レーダー 波 なみ を特定 とくてい 方向 ほうこう に反射 はんしゃ させる反射 はんしゃ 角 かく を持 も たせるためひし形 がた になっている。当時 とうじ のコンピュータの能力 のうりょく では曲面 きょくめん のシミュレートは事実 じじつ 上 じょう 無理 むり があり、シミュレーションが容易 ようい な角 かく ばった機体 きたい となった。航空 こうくう 力学 りきがく 的 てき には飛行 ひこう に不向 ふむ きな形状 けいじょう であるため、飛行 ひこう 姿勢 しせい は4重 じゅう に管理 かんり されたデジタル・フライ・バイ・ワイヤ によりコンピュータ制御 せいぎょ されることにより初 はじ めて飛行 ひこう 可能 かのう な機体 きたい といえる。
直線 ちょくせん 基調 きちょう の機体 きたい であり最初 さいしょ に公表 こうひょう された1枚 まい きりの写真 しゃしん が機体 きたい 各部 かくぶ の角度 かくど を読 よ み取 と りにくい方向 ほうこう から撮影 さつえい されていたため、それを元 もと に作成 さくせい された非公式 ひこうしき な三面 さんめん 図 ず は、実機 じっき とはかなり違 ちが う寸詰 すんづ まりなものとなっていた。のちに正式 せいしき な三面 さんめん 図 ず が発表 はっぴょう されて、やっとその間違 まちが いに気付 きづ くほど、当時 とうじ は情報 じょうほう 公開 こうかい が少 すく なかった。
F-117の実機 じっき が完成 かんせい すらしていなかった1980年 ねん (1981年 ねん 説 せつ あり)から、既 すで にアメリカ空軍 くうぐん は戦術 せんじゅつ 航空 こうくう 軍団 ぐんだん 直轄 ちょっかつ 部隊 ぶたい としてトノパー・テストレンジ (Tonopah Test Range:TTR)にステルス戦闘 せんとう 機 き 部隊 ぶたい 「第 だい 4450戦術 せんじゅつ 群 ぐん (the 4450th Tactical Group)」を編成 へんせい している。この第 だい 4450戦術 せんじゅつ 群 ぐん の下 した に第 だい 4450戦術 せんじゅつ 戦闘 せんとう 飛行 ひこう 隊 たい を編成 へんせい し、F-117の随伴 ずいはん 機 き (英語 えいご 版 ばん ) A-7D 攻撃 こうげき 機 き を配置 はいち した。
当初 とうしょ はF-16 の配置 はいち が予定 よてい されたが、機体 きたい 価格 かかく の高 たか さからA-7Dに決定 けってい された。これは同時 どうじ に、まだステルス機 き の存在 そんざい が秘密 ひみつ であった初期 しょき のころは第 だい 4450戦術 せんじゅつ 部隊 ぶたい を"A-7飛行 ひこう 隊 たい "として秘匿 ひとく することにも役立 やくだ った。カモフラージュとして用 もち いられたA-7Dは後 のち により安 やす い経費 けいひ で維持 いじ 可能 かのう なT-38タロン に置 お き換 か えられたが、転換 てんかん 訓練 くんれん を行 おこ なうパイロット はA-7Dで慣熟 かんじゅく 飛行 ひこう を行 おこ なっていた[3] 。
最初 さいしょ のF-117の配属 はいぞく が決定 けってい したのは1982年 ねん 5月 がつ であり、ジェームス S. アレン大佐 たいさ が指揮 しき を執 と ることとなった。大佐 たいさ は1983年 ねん 8月 がつ 23日 にち の部隊 ぶたい によるF-117の初 はつ 飛行 ひこう も自身 じしん で行 おこ なっている。部隊 ぶたい は1983年 ねん 10月28日 にち に稼働 かどう したが、十分 じゅうぶん なF-117はまだ配備 はいび されていなかった。このためパイロットの飛行 ひこう 時間 じかん を維持 いじ することが課題 かだい となり、飛行 ひこう 特性 とくせい が似 に ていると言 い われるA-7Dを使 つか ってパイロットの飛行 ひこう 時間 じかん を延 の ばした。
公 おおやけ となったステルス機 き [ 編集 へんしゅう ]
1988年 ねん 1月 がつ 、アメリカの老舗 しにせ 軍事 ぐんじ 情報 じょうほう 誌 し である『Armed Forces Journal』(英語 えいご 版 ばん ) は同月 どうげつ に発行 はっこう された号 ごう [5] にて「"F-19"として存在 そんざい が噂 うわさ されている機体 きたい は実際 じっさい に存在 そんざい しているが、形式 けいしき 名 めい はF-19ではなく"F-117"であり、“ナイトホーク(Night Hawk)”というニックネームも与 あた えられている 」との記事 きじ を掲載 けいさい した。
それまでも1980年代 ねんだい を通 とお して「アメリカ軍 ぐん ではレーダーに映 うつ らない特殊 とくしゅ な性能 せいのう を持 も った戦闘 せんとう 機 き が"F-19"の名称 めいしょう で極秘 ごくひ に開発 かいはつ されている」として様々 さまざま な推測 すいそく や憶測 おくそく がマスメディアを中心 ちゅうしん に語 かた られていたが(後述 こうじゅつ 「#「F-19」とプラスチックモデル 」の節 ふし 参照 さんしょう )この時期 じき になると、メディアに掲載 けいさい される推測 すいそく も多分 たぶん に実態 じったい に迫 せま ったものになってきており、更 さら には並行 へいこう して開発 かいはつ が進 すす められていたATB(Advanced Technology Bomber. 先進 せんしん 技術 ぎじゅつ 爆撃 ばくげき 機 き (B-2ステルス爆撃 ばくげき 機 き として結実 けつじつ したもの)および新 あら たなステルス戦闘 せんとう 機 き の開発 かいはつ 計画 けいかく であるATF(先進 せんしん 戦術 せんじゅつ 戦闘 せんとう 機 き 計画 けいかく )の両 りょう 計画 けいかく が情報 じょうほう 非公開 ひこうかい の状態 じょうたい で進 すす めることが難 むずか しい段階 だんかい に進 すす んでおり、B-2の公表 こうひょう も決断 けつだん されていたため、既 すで に実戦 じっせん 配備 はいび されているF-117の存在 そんざい と併 あわ せて“ステルス機 き ”についての情報 じょうほう を秘匿 ひとく することが不可能 ふかのう だと判断 はんだん したアメリカ国防総省 こくぼうそうしょう は、情報 じょうほう の公開 こうかい を決定 けってい した[6] 。
ステルス機 き についての情報 じょうほう を公開 こうかい するにあたり、国防総省 こくぼうそうしょう は当初 とうしょ は発表 はっぴょう 時期 じき を1988年 ねん 10月 がつ 内 ない に予定 よてい していたが、この年 とし は大統領 だいとうりょう 選挙 せんきょ (1988年 ねん アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 大統領 だいとうりょう 選挙 せんきょ )が行 おこな われるため、上院 じょういん 軍事 ぐんじ 委員 いいん 会 かい (SASC. United States Senate Committee on Armed Services)からは情報 じょうほう 公開 こうかい による政治 せいじ 的 てき 混乱 こんらん を回避 かいひ することが求 もと められ、選挙 せんきょ の終了 しゅうりょう する同年 どうねん 11月 がつ 8日 にち 以降 いこう が情報 じょうほう 公開 こうかい の時期 じき として定 さだ められた。国防総省 こくぼうそうしょう は事前 じぜん に与野党 よやとう 議員 ぎいん やNATOを始 はじ めとする同盟 どうめい 各国 かっこく 等 とう の関係 かんけい 各 かく 方面 ほうめん に内密 ないみつ に打診 だしん した上 うえ で準備 じゅんび を進 すす め、1988年 ねん 11月10日 にち に会見 かいけん が行 おこな われた[6] 。
この時 とき 明 あき らかにされた項目 こうもく は以下 いか の通 とお りである。
アメリカ空軍 くうぐん とロッキード 社 しゃ による開発 かいはつ で、F-117はすでに実用 じつよう 段階 だんかい となり昼間 ひるま 飛行 ひこう を行 おこな う段階 だんかい に達 たっ したこと
開発 かいはつ 計画 けいかく は1978年 ねん に開始 かいし されたこと
初 はつ 飛行 ひこう 日時 にちじ と1983年 ねん に初期 しょき 運用 うんよう 段階 だんかい に達 たっ したこと
この計画 けいかく は終始 しゅうし 、アメリカ議会 ぎかい 委員 いいん 会 かい の特 とく に超党派 ちょうとうは から支持 しじ を受 う けたこと
機体 きたい はV字 じ 型 がた 尾翼 びよく を有 ゆう する双発 そうはつ 機 き であること
59機 き の発注 はっちゅう がなされ、すでに52機 き が納入 のうにゅう 済 ず み
トノパー基地 きち の第 だい 4450戦術 せんじゅつ 群 ぐん に配備 はいび され、運用 うんよう 段階 だんかい に移行 いこう していること
第 だい 4450戦術 せんじゅつ 群 ぐん には練習 れんしゅう 機 き としてA-7D が20機 き 配備 はいび ・使用 しよう されていること
過去 かこ に2機 き が墜落 ついらく し、乗員 じょういん 2名 めい が死亡 しぼう していること
この乏 とぼ しい内容 ないよう に記者 きしゃ たちは質問 しつもん を浴 あ びせたが、国防総省 こくぼうそうしょう の報道 ほうどう 官 かん は「ノーコメント」を連発 れんぱつ している。回答 かいとう を拒否 きょひ した項目 こうもく は以下 いか の通 とお りであった。
下請 したう け会社 かいしゃ ・エンジン メーカー
搭載 とうさい 兵 へい 装 そう ・搭載 とうさい 電子 でんし 機器 きき
第 だい 4450戦術 せんじゅつ 群 ぐん の任務 にんむ 内容 ないよう
複 ふく 座 ざ 型 がた の有無 うむ
外国 がいこく での作戦 さくせん 参加 さんか の有無 うむ
下請 したう け会社 かいしゃ を秘匿 ひとく としたのは、そこから情報 じょうほう が漏 も れることを危惧 きぐ したためとされる。また、戦術 せんじゅつ 戦闘 せんとう 機 き という抽象 ちゅうしょう 的 てき な任務 にんむ しか公表 こうひょう していないため、搭載 とうさい 兵 へい 装 そう や部隊 ぶたい の任務 にんむ などは当然 とうぜん ながら極秘 ごくひ とされた。
この発表 はっぴょう は「実際 じっさい の“ステルス戦闘 せんとう 機 き ”はこれまで推測 すいそく されていたものとは全 まった く異 こと なる外形 がいけい をしている 」ことがメディアを始 はじ めとした各 かく 方面 ほうめん に大 おお きな衝撃 しょうげき を与 あた えた。なお、F-117の情報 じょうほう が公開 こうかい された際 さい 、アメリカ軍 ぐん は軍事 ぐんじ 専門 せんもん 家 か にF-117の機体 きたい 形状 けいじょう からレーダー反射 はんしゃ 効率 こうりつ を推計 すいけい することを依頼 いらい したが、いずれの専門 せんもん 家 か の回答 かいとう も実際 じっさい のF-117のものよりも遥 はる かに大 おお きく見積 みつ もられた数値 すうち が提示 ていじ されていたという[7] 。これはアメリカ軍 ぐん が「限定 げんてい 的 てき な情報 じょうほう 公開 こうかい であればF-117の性能 せいのう や“ステルス機 き ”についての正確 せいかく な技術 ぎじゅつ 情報 じょうほう を秘匿 ひとく し続 つづ けられる」として情報 じょうほう 公開 こうかい に問題 もんだい なしと判断 はんだん する根拠 こんきょ になった[7] 。
実戦 じっせん 初 はつ 参加 さんか は1989年 ねん 12月19日 にち に行 おこな われた「ジャスト・コーズ作戦 さくせん (Operation Just Cause) 」の支援 しえん である。当初 とうしょ この作戦 さくせん はパナマ で一大 いちだい 麻薬 まやく 組織 そしき と結託 けったく する独裁 どくさい 者 しゃ マヌエル・ノリエガ の誘拐 ゆうかい であり、2機 き のF-117が参加 さんか したが途中 とちゅう で作戦 さくせん 目標 もくひょう がリオ・ハトのパナマ防衛 ぼうえい 軍 ぐん (PDF:Panamanian Defence Force)を混乱 こんらん させることに変更 へんこう され、バックアップのために急遽 きゅうきょ 別 べつ の2機 き が作戦 さくせん に参加 さんか 。最終 さいしゅう 的 てき に更 さら に2機 き が追加 ついか され、合計 ごうけい 6機 き が作戦 さくせん に加 くわ わった。この編隊 へんたい はネバダ のトノパーから出撃 しゅつげき し、5回 かい の空中 くうちゅう 給油 きゅうゆ を受 う けて目標 もくひょう へ飛行 ひこう 、2,000lb GBU-27A/B およびBLU-109B /I-2000を投下 とうか したが目標 もくひょう の兵舎 へいしゃ から数 すう 百 ひゃく フィートも外 はず れて着弾 ちゃくだん し、作戦 さくせん は後 のち に議会 ぎかい から失敗 しっぱい だったと叩 たた かれた。なお、このとき最初 さいしょ の爆 ばく 弾 だん 投下 とうか を行 おこ なったのはグレッグ・フィースト少佐 しょうさ で、後 のち に「砂漠 さばく の嵐 あらし 」作戦 さくせん に参加 さんか し、イラク での爆 ばく 撃 げき も行 おこ なっている[3] 。
F-117が一躍 いちやく 有名 ゆうめい となったのは1991年 ねん の湾岸 わんがん 戦争 せんそう の際 さい である。爆 ばく 弾 だん が命中 めいちゅう するシーンの映像 えいぞう などが連日 れんじつ テレビで流 なが され、ハイテク戦争 せんそう を印象 いんしょう 付 つ けた戦争 せんそう ではあったが、実際 じっさい にはF-117以外 いがい の一般 いっぱん の部隊 ぶたい はコストの問題 もんだい から誘導 ゆうどう 爆 ばく 弾 だん が使 つか われた比率 ひりつ は少 すく なく、ほとんどは無 む 誘導 ゆうどう 爆 ばく 弾 だん が使 つか われた。一方 いっぽう 、F-117の部隊 ぶたい においては終始 しゅうし GBU-27誘導 ゆうどう 爆 ばく 弾 だん を使用 しよう している。湾岸 わんがん 戦争 せんそう では44機 き が参加 さんか 。42日間 にちかん 、合計 ごうけい 1,271ソーティの爆 ばく 撃 げき を遂行 すいこう し、1機 き も被害 ひがい を出 だ さなかった[3] 。
唯一 ゆいいつ の被 ひ 撃墜 げきつい 例 れい [ 編集 へんしゅう ]
展示 てんじ される撃墜 げきつい されたF-117のキャノピーと搭乗 とうじょう 員 いん のヘルメット
コソボ空爆 くうばく において、1999年 ねん 3月27日 にち にセルビアの首都 しゅと ベオグラード近郊 きんこう 上空 じょうくう [8] で米 べい 空軍 くうぐん 第 だい 49戦闘 せんとう 航空 こうくう 団 だん [8] に所属 しょぞく する1機 き 、コールサイン「ヴェガ31」[9] 、シリアルナンバー「82-0806」(1982年 ねん 度 ど 会計 かいけい 発注 はっちゅう の22号機 ごうき )[8] [9] が撃墜 げきつい されている。同機 どうき は、1984年 ねん 8月 がつ 20日 はつか に進 すすむ 空 むな して同年 どうねん 9月12日 にち に空軍 くうぐん へ引 ひ き渡 わた されており[8] 、湾岸 わんがん 戦争 せんそう では第 だい 415戦術 せんじゅつ 戦闘 せんとう 飛行 ひこう 隊 たい に所属 しょぞく し39回 かい 出撃 しゅつげき している[8] 。撃墜 げきつい 当日 とうじつ 、同機 どうき は僚機とともにネヴァダの基地 きち から発進 はっしん し大西洋 たいせいよう を横断 おうだん し、数 すう 回 かい の空中 くうちゅう 給油 きゅうゆ の後 のち 、地中 ちちゅう 海上 かいじょう で最後 さいご の空中 くうちゅう 給油 きゅうゆ の後 のち ベオグラード近郊 きんこう まで進 すす んだところで撃墜 げきつい された。撃墜 げきつい 後 ご パイロット は緊急 きんきゅう 脱出 だっしゅつ し、数時間 すうじかん 後 ご に救助 きゅうじょ されている。同機 どうき のキャノピー のフレームには「ケン・"ウィズ"・デュエル大尉 たいい 」と記載 きさい されているが[9] 、同 どう パイロットは当時 とうじ 除隊 じょたい を控 ひか えているためアメリカ本土 ほんど に居 い た[8] 。当初 とうしょ はパイロットの名前 なまえ 、階級 かいきゅう は公表 こうひょう されなかったが、Dale Selko(デール・ゼルコ)大尉 たいい (当時 とうじ 。2007年 ねん 時 とき 中佐 ちゅうさ )が当日 とうじつ 操縦 そうじゅう していたことが明 あき らかになっている[8] [9] 。また、撃墜 げきつい された時 とき にパイロットが、僚機(「ヴェガ32」)等 ひとし 及 およ び管制 かんせい 機 き に向 む けて発 はっ した、「Mayday! Mayday! Mayday! Vega 31 …」との連呼 れんこ した救助 きゅうじょ コールと、それに呼応 こおう する音声 おんせい 、及 およ び続 つづ いて発信 はっしん されたF-117の遭難 そうなん 信号 しんごう 音 おん 等 とう も傍受 ぼうじゅ され録音 ろくおん が残 のこ っている。自 じ 機 き のレーダーも外 はず し、僚機との交信 こうしん も控 ひか えて隠密 おんみつ 作戦 さくせん をするF-117であるが、墜落 ついらく 時 じ には敵 てき 側 がわ にも傍受 ぼうじゅ 可能 かのう なウォーキートーキー を使 つか って救助 きゅうじょ 発信 はっしん を行 おこ なった。
事件 じけん 当初 とうしょ 、様々 さまざま な説 せつ があったものの、その後 ご 、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 、セルビア 側 がわ の双方 そうほう で公表 こうひょう され、当事 とうじ 者 しゃ のインタビュー記事 きじ などもあり、概容 がいよう は判明 はんめい している[8] 。
迎撃 げいげき したのはユーゴスラビア防空 ぼうくう 軍 ぐん 第 だい 250地 ち 対空 たいくう ミサイル旅団 りょだん (セルビア語 ご 版 ばん 、英語 えいご 版 ばん ) 第 だい 三 さん 中隊 ちゅうたい [8] で、同 どう 部隊 ぶたい は開戦 かいせん と同時 どうじ に従来 じゅうらい のミサイル基地 きち から秘密 ひみつ 基地 きち に移動 いどう しており、開戦 かいせん 後 ご 数日 すうじつ で従来 じゅうらい のミサイル基地 きち にやってきた3発 はつ の巡航 じゅんこう ミサイルからの被爆 ひばく を回避 かいひ していた。F-117の撃墜 げきつい 時刻 じこく に任務 にんむ 分担 ぶんたん についていた8名 めい の班 はん の指揮 しき 官 かん 名 な はダニ・ゾルタン中佐 ちゅうさ [8] 。撃墜 げきつい に利用 りよう された兵器 へいき は1960年代 ねんだい 初期 しょき に登場 とうじょう した中 なか 低 ひく 高度 こうど 用 よう 対空 たいくう ミサイルS-125N ネヴァー (西側 にしがわ 名称 めいしょう SA-3ゴア)[8] である。当時 とうじ のS-125の射撃 しゃげき 管制 かんせい システム は、目標 もくひょう 捕捉 ほそく レーダー 、追跡 ついせき 管制 かんせい レーダー、高角 こうかく レーダー、TV追跡 ついせき システムからなり[8] 、この第 だい 三 さん 中隊 ちゅうたい では西側 にしがわ の新鋭 しんえい 軍用 ぐんよう 機 き に対応 たいおう するために射撃 しゃげき 管制 かんせい システムを改良 かいりょう しており、レーダーの送受信 そうじゅしん 機 き を改造 かいぞう して長波 ちょうは 長 ちょう 、低 てい 周波数 しゅうはすう の電波 でんぱ を利用 りよう してF-117の探知 たんち を可能 かのう にしていたとされる[8] 。F-117に対 たい して発射 はっしゃ された2発 はつ の対空 たいくう ミサイル の内 うち 、一発 いっぱつ がF-117の左翼 さよく を直撃 ちょくげき し、F-117は墜落 ついらく した[8] 。パイロットは当日 とうじつ の作戦 さくせん について最初 さいしょ から撃墜 げきつい されることを危惧 きぐ しており、当日 とうじつ の現地 げんち の天候 てんこう が雨 あめ 模様 もよう だったことも、撃墜 げきつい された原因 げんいん の一 ひと つとして挙 あ げている。いずれにせよ「見 み えないはずの爆 ばく 撃 げき 機 き 」を「狙 ねら い撃 う ち」できたわけである。この教訓 きょうくん からか最近 さいきん のロシア戦闘 せんとう 機 き は、Su-57 を始 はじ めとして、機首 きしゅ に装備 そうび しているXバンド レーダーだけでなく、主翼 しゅよく 前 ぜん 縁 えん スラットにLバンド レーダー(N036L-1-01)を装備 そうび し、対 たい ステルス対策 たいさく としているとの説 せつ もある[要 よう 出典 しゅってん ] 。
セルビアの山中 さんちゅう に墜落 ついらく した機体 きたい の残骸 ざんがい は、ベオグラードの航空 こうくう 博物館 はくぶつかん に展示 てんじ されている。紛争 ふんそう 当時 とうじ のクロアチア陸軍 りくぐん 参謀 さんぼう 総長 そうちょう だったドマゼット=ロソ (クロアチア語 ご 版 ばん ) は、一部 いちぶ の残骸 ざんがい はスロボダン・ミロシェヴィッチ 政権 せいけん 時代 じだい からセルビアと友好国 ゆうこうこく である中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく に提供 ていきょう され、殲20 といったステルス戦闘 せんとう 機 き などが開発 かいはつ されたと主張 しゅちょう した[10] 。これについて「撃墜 げきつい されたF-117の部品 ぶひん を入手 にゅうしゅ した中国 ちゅうごく にとって、最大 さいだい のステルス技術 ぎじゅつ の収穫 しゅうかく は、F-117が木製 もくせい の飛行機 ひこうき だったことだ。」との笑 わら い話 ばなし も中国 ちゅうごく 情報 じょうほう 部 ぶ で囁 ささや かれたという[11] [12] 。
退役 たいえき と一部 いちぶ 運用 うんよう 復帰 ふっき [ 編集 へんしゅう ]
高 たか いステルス性 せい を持 も つF-22 ラプター 、B-2 スピリット が配備 はいび されたことに加 くわ え、高 たか い機動 きどう 性 せい を持 も つステルス戦闘 せんとう 機 き であるF-35 ライトニング II も将来 しょうらい 配備 はいび される予定 よてい であることと、これらのステルス機 き が「1時間 じかん 飛 と ぶと30時 じ 間 あいだ メンテナンスが必要 ひつよう 」と米 べい 議会 ぎかい で質問 しつもん されたように、F-117も機体 きたい 表面 ひょうめん のステルス能力 のうりょく の維持 いじ に時間 じかん がかかり、費用 ひよう も高 たか くつくことから、2008年 ねん 4月 がつ 22日 にち をもって全 ぜん 機 き が退役 たいえき した。
退役 たいえき 後 ご はネバダ州 しゅう にあるトノパー・テストレンジ でモスボール にて保管 ほかん され、必要 ひつよう が生 しょう じれば復帰 ふっき することもあるという[13] 。また、機密 きみつ 情報 じょうほう を保持 ほじ したまま解体 かいたい する最適 さいてき な方法 ほうほう を探 さぐ るため、2008年 ねん 8月 がつ 26日 にち に1機 き が同 どう 実験 じっけん 場 じょう で解体 かいたい 実験 じっけん に供 きょう された[14] 。
しかし、2014年 ねん 頃 ごろ にアメリカ・ネバダ州 しゅう のトノパ・テストレンジにてF-117が飛行 ひこう しているところを目撃 もくげき されたことから、米 べい 空軍 くうぐん はいまだなんらかの用途 ようと で飛行 ひこう 可能 かのう なF-117を数 すう 機 き 保存 ほぞん している可能 かのう 性 せい が浮上 ふじょう [15] 。2018年 ねん 7月 がつ にはネバダ州 しゅう の空軍 くうぐん 飛行場 ひこうじょう で飛行 ひこう している機体 きたい が目撃 もくげき されたほか[16] 、2019年 ねん 2月 がつ 26・27日 にち にもカリフォルニア州 しゅう パナミント山脈 さんみゃく 近 ちか くのパナミント・バレーで、2機 き のF-16と共 とも に飛行 ひこう している姿 すがた が撮影 さつえい されており、レーダ反射 はんしゃ 断 だん 面積 めんせき のデータ収集 しゅうしゅう をしているものと推測 すいそく された[17] 。
2021年 ねん 7月 がつ にはネリス空軍 くうぐん 基地 きち およびネリス試験 しけん 訓練 くんれん 場 じょう で開催 かいさい されているレッドフラッグ 21-3 演習 えんしゅう にて、垂直 すいちょく 尾翼 びよく に「TR」のテールコードが記 しる された2機 き のF-117が飛行 ひこう している姿 すがた が鮮明 せんめい に撮影 さつえい されており、現在 げんざい でもステルス能力 のうりょく を持 も つ仮想 かそう 敵 てき 機 き として運用 うんよう されていると考 かんが えられていた[18] 。
その後 ご 、米 べい 空軍 くうぐん は2021年 ねん 9月 がつ 20日 はつか に「現在 げんざい でもF-117を研究 けんきゅう や訓練 くんれん サポートなどの限 かぎ られた目的 もくてき で使用 しよう している」とした上 うえ で、同月 どうげつ 13日 にち に2機 き のF-117をフレズノ・ヨセミテ国際 こくさい 空港 くうこう (フレズノ空軍 くうぐん 基地 きち )へ展開 てんかい し、異 い 機種 きしゅ 間 あいだ 空戦 くうせん 訓練 くんれん を行 おこな っていると発表 はっぴょう した[19] 。
今後 こんご は概要 がいよう の項目 こうもく で既 すんで 述 じゅつ の通 とお り、博物館 はくぶつかん への収蔵 しゅうぞう 等 とう の目的 もくてき で保存 ほぞん される機体 きたい を除 のぞ いて全 ぜん 機 き が廃棄 はいき 処分 しょぶん されることが決定 けってい している。オハイオ州 しゅう デイトンのライトパターソン空軍 くうぐん 基地 きち に隣接 りんせつ する国立 こくりつ アメリカ空軍 くうぐん 博物館 はくぶつかん に1機 き が収蔵 しゅうぞう 、展示 てんじ されている。
それまでの航空機 こうくうき にはない、独特 どくとく な形状 けいじょう である
F-117は敵 てき のレーダー に発見 はっけん されにくいステルス技術 ぎじゅつ を全面 ぜんめん 的 てき に取 と り入 い れた世界 せかい 初 はつ の航空機 こうくうき であり、従来 じゅうらい の航空機 こうくうき のイメージを覆 くつがえ す多面体 ためんたい の形状 けいじょう をしているのが特徴 とくちょう であるが、一部 いちぶ においては既存 きそん のジェット機 じぇっとき の技術 ぎじゅつ が採用 さいよう されており、操縦 そうじゅう 系統 けいとう はF-16 から、コックピット の機能 きのう はF/A-18 から、ナビゲーションシステムはB-52 から採用 さいよう している。
レーダーや赤外線 せきがいせん などではできるだけ敵 てき に発見 はっけん されないように以下 いか の対策 たいさく が施 ほどこ されている。
敵 てき レーダー 波 なみ を照射 しょうしゃ 源 げん 方向 ほうこう に反射 はんしゃ させないために、いくつかの工夫 くふう が行 おこ なわれている。
形状 けいじょう 制御 せいぎょ
敵 てき レーダーに発見 はっけん されにくくするために多面体 ためんたい の形状 けいじょう をしている。機体 きたい 全体 ぜんたい は平 ひら たいエイ のような形 かたち で機体 きたい 下面 かめん はほぼ1枚 まい の平面 へいめん で構成 こうせい されている。操縦 そうじゅう 席 せき やエンジン を含 ふく めた機体 きたい 中央 ちゅうおう 部 ぶ は多角 たかく 形状 けいじょう に上方 かみがた に膨 ふく らんでいる。これはステルス技術 ぎじゅつ の形状 けいじょう 制御 せいぎょ から生 う まれた形 かたち であり、レーダー入射 にゅうしゃ 波 は を散乱 さんらん 及 およ び後方 こうほう 背面 はいめん 波 は とすることによってレーダー反射 はんしゃ 断 だん 面積 めんせき (RCS)を下 さ げる機体 きたい 形状 けいじょう となっている。機体 きたい 表面 ひょうめん から突起 とっき 物 ぶつ を可能 かのう な限 かぎ り減 へ らしたり、エンジンの吸入 きゅうにゅう 効率 こうりつ を下 さ げてまでエアインテーク に電波 でんぱ の侵入 しんにゅう を防 ふせ ぐ金属 きんぞく 製 せい グリッドを装着 そうちゃく して内部 ないぶ の多様 たよう な反射 はんしゃ 面 めん の露出 ろしゅつ を抑 おさ えている。
兵 へい 装 そう の機内 きない 搭載 とうさい
形状 けいじょう 制御 せいぎょ の一環 いっかん として、兵 へい 装 そう は機体 きたい 下部 かぶ 2箇所 かしょ の兵器 へいき 倉 くら に収納 しゅうのう する。搭載 とうさい 可能 かのう な兵器 へいき はMk.84 2,000lb の通常 つうじょう 爆 ばく 弾 だん 、もしくはGBU-27 またはGBU-10の二 に 種類 しゅるい のレーザー誘導 ゆうどう 爆 ばく 弾 だん を各 かく 兵器 へいき 倉 くら に1発 はつ ずつ搭載 とうさい できるが、GBU-29,30,31,32JDAM やAGM-154 JSOW など他 た の爆 ばく 弾 だん の搭載 とうさい も可能 かのう 。他 た 、AGM-65 空 そら 対地 たいち ミサイル やAGM-158 巡航 じゅんこう ミサイル 、AGM-88 対 たい レーダーミサイル やAIM-9L 空 そら 対空 たいくう ミサイル なども運用 うんよう 出来 でき るとされる。
RAM
機体 きたい 表面 ひょうめん はRAM (Radar Absorbent Material)と呼 よ ばれるレーダー波 は を吸収 きゅうしゅう する材料 ざいりょう であるグラファイト/エポキシ複 ふく 合 ごう 材 ざい で覆 おお われており、機体 きたい 内部 ないぶ にも電波 でんぱ 反射 はんしゃ の少 すく ない非金属 ひきんぞく 素材 そざい が使用 しよう されている。
キャノピー
いかにステルスを重視 じゅうし した形状 けいじょう であってもパイロットが乗 の り込 こ み様々 さまざま な機器 きき が配置 はいち されているコックピットは、レーダー波 は が飛 と び込 こ むと乱反射 らんはんしゃ を繰 く り返 かえ した挙句 あげく に不用意 ふようい な方向 ほうこう へそれを返 かえ してしまいかねない。たとえばパイロット が装着 そうちゃく するヘルメット は球体 きゅうたい に近 ちか く、あらゆる方向 ほうこう にレーダー波 は を反射 はんしゃ しうる。
そこでF-117では機体 きたい の延長線 えんちょうせん に沿 そ った(曲面 きょくめん ではない)板 いた 状 じょう のキャノピー パネルを採用 さいよう し意図 いと した方向 ほうこう へとレーダー波 は を逸 そ らすように設計 せっけい され、また、金 かね を蒸着 じょうちゃく することでコックピット内部 ないぶ にレーダー波 は が入 はい り込 こ むことを防 ふせ いでいる。しかし、この形状 けいじょう のために視界 しかい 前方 ぜんぽう に四 よん 本 ほん の太 ふと いピラー(柱 はしら )が設 もう けられているため、前方 ぜんぽう 視界 しかい は他 た の戦闘 せんとう 機 き と比 くら べて劣悪 れつあく を極 きわ める。後方 こうほう 視界 しかい は全 まった く無 な い。
これらの工夫 くふう によって高 たか いステルス性能 せいのう を獲得 かくとく できた一方 いっぽう で、ステルス性 せい を最 さい 重視 じゅうし した機体 きたい 形状 けいじょう は空 そら 力学 りきがく 的 てき に優 すぐ れた形状 けいじょう とは言 い えず、最高 さいこう 巡航 じゅんこう 速度 そくど もF-4 などの主力 しゅりょく 戦闘 せんとう 機 き と比 くら べて劣 おと る。1997年 ねん 9月14日 にち にアメリカのメリーランド州 しゅう のボルチモア 航空 こうくう ショーでのデモ飛行 ひこう の際 さい 、アクロバティックな旋回 せんかい や機動 きどう を繰 く り返 かえ したために主翼 しゅよく に過 か 負荷 ふか が掛 か かり、飛行 ひこう 中 ちゅう に突然 とつぜん 左 ひだり 主翼 しゅよく が取 と り付 つ け部分 ぶぶん で大破 たいは し機体 きたい は近隣 きんりん の住宅 じゅうたく 地 ち に墜落 ついらく 、パイロットは脱出 だっしゅつ したものの住宅 じゅうたく 二 に 棟 むね が全焼 ぜんしょう するという被害 ひがい を起 お こしている。[20] これをカバーするため、四 よん 重 じゅう のデジタル・フライ・バイ・ワイヤ 技術 ぎじゅつ により安定 あんてい した飛行 ひこう を可能 かのう としている。また特殊 とくしゅ な形状 けいじょう の機体 きたい であるがゆえに、他 た の戦闘 せんとう 機 き に設 もう けられている格納 かくのう 式 しき のラダー(梯子 はしご )を機体 きたい に組 く み込 こ むことができず、導入 どうにゅう に当 あ たってはパイロットの乗降 じょうこう や整備 せいび のために専用 せんよう のタラップを運用 うんよう する基地 きち で調達 ちょうたつ する必要 ひつよう に迫 せま られるなどの弊害 へいがい も生 しょう じた。
赤外線 せきがいせん 対策 たいさく [ 編集 へんしゅう ]
F-117ではレーダー 以外 いがい のセンサー に対 たい するステルス性 せい も考慮 こうりょ されている。例 たと えばエンジンはアフターバーナー 非 ひ 搭載 とうさい のF404-GE-F1D2を使用 しよう し、排気 はいき 口 こう を機体 きたい 上面 うわつら に設 もう けるなど、できるだけ赤外線 せきがいせん によって発見 はっけん される危険 きけん を減 へ らす工夫 くふう を行 おこ なっている。
レーダー能力 のうりょく の放棄 ほうき [ 編集 へんしゅう ]
使用 しよう していない間 あいだ でも外部 がいぶ からの電波 でんぱ をよく反射 はんしゃ させ、使用 しよう すれば敵 てき のレーダー警戒 けいかい 装置 そうち (RWR) によって探知 たんち される危険 きけん が高 たか いために、F-117ではあえて機上 きじょう レーダー を搭載 とうさい せず、目標 もくひょう の探知 たんち や捕捉 ほそく などには、機体 きたい 下面 かめん の前 ぜん 脚 あし 部 ぶ にある目標 もくひょう 指示 しじ 用 よう のレーザー目標 もくひょう 指示 しじ 装置 そうち や機首 きしゅ 最前 さいぜん 部 ぶ にあるFLIR (前方 ぜんぽう 監視 かんし 赤外線 せきがいせん 装置 そうち )、機首 きしゅ 下 か にある引 ひ き込 こ み式 しき のDLIR (下方 かほう 監視 かんし 赤外線 せきがいせん 装置 そうち )などを使用 しよう している。
夜間 やかん 飛行 ひこう 専用 せんよう [ 編集 へんしゅう ]
機体 きたい が黒 くろ いのは夜間 やかん に飛行 ひこう することで人 ひと の肉眼 にくがん での視認 しにん も避 さ けるよう、夜間 やかん 飛行 ひこう に特 とく 化 か した塗装 とそう が行 おこ なわれているためである。
また、2003年 ねん 12月23日 にち にはシリアルナンバー「85-0835」(1985年度 ねんど 会計 かいけい 発注 はっちゅう の51号機 ごうき )が試験 しけん 的 てき にコンパス・ゴーストグレイ主体 しゅたい の昼間 ひるま ロービジ塗装 とそう を施 ほどこ してロールアウトし、2004年 ねん 5月から第 だい 53航空 こうくう 団 だん (英語 えいご 版 ばん ) 第 だい 53試験 しけん 評価 ひょうか 航空 こうくう 群 ぐん (英語 えいご 版 ばん ) 第 だい 1分遣 ぶんけん 隊 たい ドラゴンチームで運用 うんよう 評価 ひょうか 試験 しけん が行 おこな われたこともあり、評価 ひょうか 試験 しけん 中 ちゅう の機体 きたい は俗 ぞく に「Dayhawk」(昼 ひる の鷹 たか )やドラゴンチームに因 ちな んで「Grey Dragon」(灰色 はいいろ の竜 りゅう )と呼 よ ばれた[21] 。
量産 りょうさん 体制 たいせい に移行 いこう する前 まえ に試作 しさく された機体 きたい の内 うち 、一 いち 号機 ごうき は当初 とうしょ スカンクワークスのベン・リッチの発案 はつあん によって迷彩 めいさい 塗装 とそう が施 ほどこ されていたが、後 のち に明 あきら 灰色 はいいろ に塗 ぬ り替 か えられた。その後 ご F-117Aが夜間 やかん に運用 うんよう されることが決 き まった際 さい に黒 くろ 一色 いっしょく に塗 ぬ り替 か えられている[注釈 ちゅうしゃく 2] 。
2008年 ねん 3月11日 にち にエドワーズ空軍 くうぐん 基地 きち で開催 かいさい された航空 こうくう ショーで、退役 たいえき に際 さい して行 おこな われたF-117Aの退役 たいえき セレモニーでは、機体 きたい 底面 ていめん にアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の国旗 こっき である星条旗 せいじょうき をペイントした特別 とくべつ 塗装 とそう の機体 きたい がデモ飛行 ひこう を行 おこな い、引退 いんたい に花 はな を添 そ えている。
対地 たいち 攻撃 こうげき 飛行 ひこう [ 編集 へんしゅう ]
対地 たいち 攻撃 こうげき 任務 にんむ の多 おお くの時間 じかん は、あらかじめ設定 せってい されたルートを自動 じどう 操縦 そうじゅう 装置 そうち により飛行 ひこう する。編隊 へんたい 飛行 ひこう はせずに、原則 げんそく として単独 たんどく 飛行 ひこう で任務 にんむ 遂行 すいこう する。
全般 ぜんぱん 的 てき な特性 とくせい はデルタ翼 つばさ 機 き のそれとほぼ同 おな じである。その形状 けいじょう により空 そら 力 りょく 特性 とくせい は悪 わる く、一般 いっぱん 的 てき な戦闘 せんとう 機 き や攻撃 こうげき 機 き と比 くら べて機動 きどう 性 せい に劣 おと り、フライ・バイ・ワイヤの使用 しよう によって無理 むり に飛 と ばしているとも言 い える。そのため離着陸 りちゃくりく の速度 そくど は比較的 ひかくてき 高 たか く、長 なが い滑走 かっそう 路 ろ を必要 ひつよう とする。そのため、着陸 ちゃくりく 時 じ にはドラッグシュートを用 もち いてタッチダウン後 ご の着陸 ちゃくりく 速度 そくど を下 さ げている。亜 あ 音速 おんそく では機首 きしゅ が上 あ がり、急 きゅう 旋回 せんかい すると速度 そくど が大幅 おおはば に低下 ていか して高度 こうど が下 さ がり、墜落 ついらく 事故 じこ も起 お こしている。また前述 ぜんじゅつ の通 とお り、アクロバット飛行 ひこう で主翼 しゅよく に過 か 負荷 ふか を掛 か けたために主翼 しゅよく を破損 はそん して墜落 ついらく する事故 じこ も起 お きていることから、機動 きどう 特性 とくせい は良 よ くないと考 かんが えられている。
エンジン 整流 せいりゅう 板 ばん が付 つ いているので飛行 ひこう 音 おん は非常 ひじょう に静 しずか か。また、前述 ぜんじゅつ の理由 りゆう と、アフターバーナー を装備 そうび していないために超 ちょう 音速 おんそく 飛行 ひこう はできない。
空 そら 対空 たいくう ミサイル については、自衛 じえい 用 よう としてAIM-9L サイドワインダー を搭載 とうさい 可能 かのう ではあるが、機体 きたい 試験 しけん で搭載 とうさい と発射 はっしゃ をしたのみで、F-117の訓練 くんれん にAIM-9の発射 はっしゃ 訓練 くんれん は含 ふく まれておらず、実戦 じっせん 部隊 ぶたい で装備 そうび された記録 きろく も無 な い。また、機関 きかん 砲 ほう などは搭載 とうさい されていない。
この
節 ふし には
複数 ふくすう の問題 もんだい があります。
改善 かいぜん や
ノートページ での
議論 ぎろん にご
協力 きょうりょく ください。
F-117は戦闘 せんとう 機 き を表 あらわ すFナンバーを冠 かん している。しかし当時 とうじ の技術 ぎじゅつ 力 りょく でステルス性 せい を限界 げんかい まで優先 ゆうせん した機体 きたい 設計 せっけい のために厳 きび しい機動 きどう 制限 せいげん があり、また最 さい 高速度 こうそくど も亜 あ 音速 おんそく に留 と まるため、実戦 じっせん での空戦 くうせん 能力 のうりょく は無 な いに等 ひと しい。このため、F-15 やF-16 のような制 せい 空 そら ・迎撃 げいげき ではなく、対地 たいち 攻撃 こうげき や偵察 ていさつ に用 もち いられる。そのため、本 ほん 項目 こうもく では戦闘 せんとう 機 き と明記 めいき したが、実際 じっさい の運用 うんよう 上 じょう は攻撃 こうげき 機 き に分類 ぶんるい される。
命名 めいめい 当時 とうじ のアメリカ空軍 くうぐん に攻撃 こうげき 機 き を示 しめ すAナンバーを使 つか う習慣 しゅうかん がなかった[注釈 ちゅうしゃく 3] という説明 せつめい がなされているものの、米 べい 空軍 くうぐん は既 すで にA-10 サンダーボルトII というAナンバーを持 も つ機体 きたい も導入 どうにゅう しているため、信憑 しんぴょう 性 せい は低 ひく い[注釈 ちゅうしゃく 4] 。
一説 いっせつ には、このような最 さい 新鋭 しんえい 機 き を操縦 そうじゅう するようなパイロット は軍用 ぐんよう 機 き の花形 はながた たる戦闘 せんとう 機 き に乗 の りたがる傾向 けいこう があり、鋭 するど くとがった近 きん 未来 みらい 的 てき な形状 けいじょう と合 あ わせて「F」ナンバーを付 つ けたという談話 だんわ があるとされている。
さらにF-117という制式 せいしき コードも、センチュリーシリーズにおいて直前 ちょくぜん の機体 きたい はF-111 であって、112-116までの番号 ばんごう を飛 と ばしてこの名称 めいしょう にしている。これについては、117の名称 めいしょう を持 も つ偵察 ていさつ 衛星 えいせい や音響 おんきょう 監視 かんし システムなどの画期的 かっきてき な製品 せいひん にあやかってあえてこの番号 ばんごう をつけたという説 せつ がある。もしくは、アメリカ が秘密裏 ひみつり に保有 ほゆう するソビエト 製 せい 戦闘 せんとう 機 き にF-112-116が割 わ り当 あ てられており、万 まん が一 いち 外部 がいぶ に情報 じょうほう が漏 も れた時 とき 、F-117もまた、そういう機体 きたい だとミスリードするのが目的 もくてき だったなど、いろいろな説 せつ がある。
航空 こうくう 関係 かんけい 者 しゃ の間 あいだ では、F-117は政治 せいじ 的 てき な偽装 ぎそう 名称 めいしょう で真実 しんじつ の制式 せいしき コードはF-19 であることに疑 うたが いを持 も つ者 もの はほとんど居 い ないと言 い われるほどだが、今 いま のところ当事 とうじ 者 しゃ の米 べい 空軍 くうぐん からは両者 りょうしゃ の関係 かんけい についてなんの説明 せつめい もない。117という数字 すうじ は搭載 とうさい エンジン の型式 けいしき だという説 せつ もある。
正式 せいしき 公開 こうかい 以前 いぜん は、同 おな じく欠番 けつばん になっている「F-19」がこのステルス機 き ではないかとする説 せつ が有力 ゆうりょく だった。また、この機体 きたい (F-117またはF-19)の姿 すがた が公表 こうひょう されるまでは、実際 じっさい の機体 きたい とは正 せい 反対 はんたい に電波 でんぱ を特定 とくてい 方向 ほうこう に反射 はんしゃ しない曲面 きょくめん で構成 こうせい されていると言 い われ、丸 まる い曲面 きょくめん からなる想像 そうぞう 図 ず がいくつか流布 るふ した。これを基 もと にしたプラモデル (イタレリ社 しゃ の「F-19 Stealth」など)も発売 はつばい され、「フリスビー 」という愛称 あいしょう もつけられた。後 ご の小説 しょうせつ で、当該 とうがい 機 き を取 と り上 あ げる際 さい に「フリスビー部隊 ぶたい 」と呼 よ ぶものがある。
F-117N シーホーク
ロッキード から提案 ていあん されたF-117の海軍 かいぐん 型 がた 。エンジンをF414 に変更 へんこう 、バブルキャノピー の採用 さいよう 、尾翼 びよく 追加 ついか 、主翼 しゅよく の大型 おおがた 化 か 、着 ちゃく 艦 かん 装置 そうち および構造 こうぞう 強化 きょうか がされる予定 よてい であった。しかし、この型 かた は不 ふ 採用 さいよう [22] となっている。
レーダーの乱反射 らんはんしゃ [ 編集 へんしゅう ]
存在 そんざい が発表 はっぴょう される以前 いぜん はステルス機 き はレーダー に映 うつ らないと言 い われていた。レーダーは照射 しょうしゃ した電波 でんぱ が物体 ぶったい に反射 はんしゃ されて返 かえ ってくるのを感知 かんち して対象 たいしょう の大 おお きさや距離 きょり などを測定 そくてい するので、ステルス機 き は照射 しょうしゃ された電波 でんぱ をさまざまな方向 ほうこう に乱反射 らんはんしゃ させてレーダーに映 うつ らない程度 ていど に弱 よわ める、丸 まる みを帯 お びた形状 けいじょう であると想像 そうぞう されていた。
しかし、実際 じっさい は電波 でんぱ を特定 とくてい 方向 ほうこう にのみ反射 はんしゃ させることで探知 たんち 方向 ほうこう を制限 せいげん させるという、予想 よそう とは全 まった く逆 ぎゃく の方式 ほうしき を用 もち いていた。つまりレーダーに全 まった く映 うつ らないのではなく、偶然 ぐうぜん にも特定 とくてい 方向 ほうこう に反射 はんしゃ したレーダー波 は がキャッチされてしまう場合 ばあい もありえる。しかしそれはごく短時間 たんじかん で終 お わってしまい、レーダー上 じょう に反映 はんえい される機 き 影 かげ は飛行機 ひこうき と判別 はんべつ されないほど全 まった く異 こと なったものとなってしまう。この関係 かんけい からレーダー上 じょう での機 き 影 かげ は数 かず あるアメリカ空軍 くうぐん の機密 きみつ の中 なか でも最 さい 重要 じゅうよう 軍事 ぐんじ 機密 きみつ となっている。これはF-117に限 かぎ った事 こと ではなく、B-2 やF-22 などの他 ほか のステルス機 き についても同様 どうよう である。
また、特定 とくてい 方向 ほうこう 以外 いがい に反射 はんしゃ されるレーダー波 は も皆無 かいむ という訳 わけ ではなく、極 きわ めて微弱 びじゃく でRCSが極端 きょくたん に小 ちい さいというだけである。そのため湾岸 わんがん 戦争 せんそう 時 とき には単機 たんき で侵入 しんにゅう したF-117も、ユーゴスラビア 介入 かいにゅう の際 さい にはソ連 それん 製 せい の濃密 のうみつ な防空 ぼうくう システムをかいくぐるためにEA-6B 電子 でんし 戦機 せんき の電子 でんし 戦 せん 支援 しえん を受 う けていたといわれる。また、この事実 じじつ は、「さまざまな方向 ほうこう に乱反射 らんはんしゃ 」という手法 しゅほう では、ステルス能力 のうりょく が不十分 ふじゅうぶん であることを示 しめ している(反射 はんしゃ するレーダー波 は の総量 そうりょう が同 おな じであれば、当然 とうぜん ながら『さまざまな方向 ほうこう に乱反射 らんはんしゃ させたレーダー波 は 』と『特定 とくてい 方向 ほうこう にのみ反射 はんしゃ を制限 せいげん し、その方向 ほうこう 以外 いがい への微弱 びじゃく な反射 はんしゃ レーダー波 は 』を比較 ひかく すれば、前者 ぜんしゃ のレーダー波 は のほうが強 つよ くなる)。
自 じ 機 き のレーダー がないため単独 たんどく では周辺 しゅうへん の他 た 機 き の飛行 ひこう が全 まった くわからない。平時 へいじ にこのまま飛行 ひこう すれば友軍 ゆうぐん 機 き や民間 みんかん 航空機 こうくうき などもF-117のステルス特性 とくせい のためにお互 たが いがレーダーで見 み えないので非常 ひじょう に危険 きけん である。このため基地 きち から基地 きち へのフェリー時 じ など非 ひ 戦闘 せんとう 行動 こうどう 時 じ には、レーダー・リフレクター と呼 よ ばれる突起 とっき を胴体 どうたい 側面 そくめん に取 と り付 つ け、レーダーへの反射 はんしゃ を確保 かくほ する。
エンジン 排気 はいき 口 こう は機密 きみつ とされ、従来 じゅうらい は後方 こうほう からの撮影 さつえい が禁止 きんし されていたが、現在 げんざい では一般 いっぱん 雑誌 ざっし などでも見 み ることが出来 でき る。排気 はいき 口 こう は押 お しつぶされたように極端 きょくたん に横 よこ 方向 ほうこう へ押 お し広 ひろ げられており、整流 せいりゅう フィンが内部 ないぶ に並 なら んだハーモニカ の吹 ふ き口 こう のような形状 けいじょう を成 な している。これに加 くわ えて排気 はいき 口 こう の真下 ました に吸熱タイルを配置 はいち して排気 はいき 温度 おんど を下 さ げる工夫 くふう がされている[2]
レーダー 探知 たんち を極力 きょくりょく 避 さ けるために非金属 ひきんぞく 素材 そざい が多用 たよう されていると言 い われ、コソボ紛争 ふんそう で撃墜 げきつい された機体 きたい 片 へん の写真 しゃしん では木材 もくざい が使 つか われているのが確認 かくにん できる。
ステルスと直線 ちょくせん デザイン [ 編集 へんしゅう ]
F-117の直線 ちょくせん 的 てき デザインは今 いま までの航空機 こうくうき には無 な いものであり、各 かく 方面 ほうめん に大 おお きな衝撃 しょうげき を与 あた えた。そのため一 いち 時期 じき は、この独特 どくとく な形状 けいじょう はステルス設計 せっけい に必須 ひっす のものであると解釈 かいしゃく されたこともある。ただし上記 じょうき でも述 の べた通 とお り、これは当時 とうじ の設計 せっけい 用 よう コンピューターの能力 のうりょく による限界 げんかい のため、このような単純 たんじゅん な設計 せっけい でしかレーダー 波 なみ の反射 はんしゃ のシミュレーションができなかったからである。
ノースロップのステルス技術 ぎじゅつ の原型 げんけい となったタシット・ブルー
一方 いっぽう 、ロッキードほどのコンピューターを持 も たなかったノースロップは、ステルス技術 ぎじゅつ の開発 かいはつ は元 もと ヒューズ社 しゃ のレーダー技術 ぎじゅつ 者 しゃ であるジョン・キャッセンの経験 けいけん により乱反射 らんはんしゃ の低減 ていげん を主 おも 目的 もくてき にし機体 きたい に凹凸 おうとつ や鋭角 えいかく を作 つく らないことを根幹 こんかん として、粘土 ねんど を使 つか った模型 もけい による実験 じっけん により行 おこな われ、さらにノースロップB-2 爆 ばく 撃 げき 機 き の設計 せっけい 時 じ には技術 ぎじゅつ が進歩 しんぽ したコンピューターを使用 しよう し、曲面 きょくめん でのシミュレーションを可能 かのう にしている。
ただし、表面 ひょうめん 形状 けいじょう を維持 いじ するための整備 せいび は平面 へいめん よりも曲面 きょくめん のほうが遥 はる かに困難 こんなん になるため、B-2の曲面 きょくめん 設計 せっけい は同時 どうじ に整備 せいび コストが大 おお きくなるという問題 もんだい を生 しょう じさせた。
実戦 じっせん で使用 しよう される戦闘 せんとう 機 き ・攻撃 こうげき 機 き にはパーソナルマークやパイロット のTACネームを機体 きたい にペイントする慣例 かんれい があるが、F-117ではステルス性 せい を損 そこ なうことを理由 りゆう に上層 じょうそう 部 ぶ から許可 きょか がおりなかった。しかし現場 げんば の兵 へい は、色々 いろいろ と思案 しあん した末 すえ に爆 ばく 弾倉 だんそう のドア内面 ないめん にペイントを施 ほどこ した。ステルス性 せい を重視 じゅうし して作 つく られたF-117とはいえ、爆 ばく 弾倉 だんそう の内側 うちがわ の塗装 とそう はごく普通 ふつう のオフホワイト塗装 とそう になっていたからである。
また、F-117退役 たいえき セレモニーの際 さい には多 おお くの関係 かんけい 者 しゃ 達 たち がこのドア内側 うちがわ にサインやメッセージを書 か き込 こ んだ。
湾岸 わんがん 戦争 せんそう においてF-117パイロット は非常 ひじょう な負担 ふたん を強 し いられたが、これはその秘匿 ひとく 性 せい 及 およ び整備 せいび 性 せい とその長時間 ちょうじかん 飛行 ひこう に拠 よ るところが大 おお きい。
通常 つうじょう の攻撃 こうげき 機 き ならば押 お し上 あ げられる戦線 せんせん にともなって発進 はっしん する基地 きち も前方 ぜんぽう に移動 いどう できるため、爆 ばく 撃 げき ポイントと基地 きち での距離 きょり がそう変 か わることはないが、F-117の場合 ばあい は機密 きみつ と整備 せいび を満足 まんぞく できる基地 きち がそう多 おお くあるわけもなく、結果 けっか として開戦 かいせん 当初 とうしょ から戦闘 せんとう 終結 しゅうけつ まで同 おな じ基地 きち を使用 しよう せざるを得 え なかった。
F-117につきまとう単座 たんざ ・亜 あ 音速 おんそく 飛行 ひこう そして夜間 やかん 限定 げんてい という条件 じょうけん と共 とも に、日々 ひび 爆 ばく 撃 げき ポイントが遠 とお ざかってゆくなかで一 いち 回 かい の攻撃 こうげき にかかる時間 じかん は延 の びていき、最終 さいしゅう 的 てき には5時 じ 間 あいだ を超 こ える長時間 ちょうじかん ミッションになってしまった。
その後 ご GPS 誘導 ゆうどう システムなどを充実 じゅうじつ させることで負担 ふたん は軽減 けいげん されたものの、パイロット不足 ふそく などの関係 かんけい から近年 きんねん F-15E でも同種 どうしゅ の長時間 ちょうじかん ミッション問題 もんだい が発生 はっせい している。
「F-19」とプラスチックモデル [ 編集 へんしゅう ]
実機 じっき こそ確認 かくにん されていなかったが、「アメリカ軍 ぐん は秘密裏 ひみつり にステルス戦闘 せんとう 機 き を開発 かいはつ しており、既 すで に実用 じつよう 機 き も存在 そんざい している」として、その存在 そんざい は1980年代 ねんだい 半 なか ばには公然 こうぜん の秘密 ひみつ となっていたため、各 かく 軍事 ぐんじ 関係 かんけい 書籍 しょせき などでは「F-19 」と仮定 かてい されたステルス機 き の想像 そうぞう 図 ず が数種類 すうしゅるい 発表 はっぴょう されていた。共通 きょうつう していたのは、機体 きたい の各部 かくぶ が曲線 きょくせん で構成 こうせい されており垂直 すいちょく 尾翼 びよく が内側 うちがわ に向 む いているといった点 てん で、同 おな じロッキード 製 せい 軍用 ぐんよう 機 き であるSR-71 を小型 こがた 化 か したようなデザインであった。
テスター/イタレリ版 ばん の「F-19のプラモデル」を元 もと に描 えが かれた"F-19"の3面 めん 図 ず この図 ず は多少 たしょう 簡略 かんりゃく 化 か されているが、一見 いっけん してわかるように実際 じっさい のF-117とは全 まった く似 に ておらず、共通 きょうつう 点 てん がない
「F-19」という名 な が一人 ひとり 歩 ある きを始 はじ めた原因 げんいん の一 ひと つが、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく イリノイ州 しゅう に本拠 ほんきょ をおく模型 もけい メーカー、テスター(Testor) 社 しゃ が同社 どうしゃ のデザイナーによって創作 そうさく して模型 もけい 化 か した[23] 、「F-19」のプラスチック製 せい スケールモデルキット の存在 そんざい である[24] 。このキットは、「アメリカ の開発 かいはつ した極秘 ごくひ のステルス機 き を独自 どくじ の情報 じょうほう 源 げん により再現 さいげん した」とうたわれていた。また、当時 とうじ 漏 も れ伝 つた えられていたステルス技術 ぎじゅつ を反映 はんえい して、「ミサイル などは機体 きたい 内 ない に搭載 とうさい する」、「機体 きたい は曲線 きょくせん で構成 こうせい され、二 に 枚 まい の垂直 すいちょく 尾翼 びよく は内側 うちがわ に傾斜 けいしゃ している」といった形状 けいじょう をしていた。上記 じょうき のようなステルス戦闘 せんとう 機 き に対 たい する関心 かんしん や憶測 おくそく もあり、このモデルはマスコミ などに持 も て囃 はや され、発売 はつばい 年 ねん のクリスマス 商戦 しょうせん の目玉 めだま 商品 しょうひん となったことから、ベストセラーとなった。
このモデルは実際 じっさい のF-117とは全 まった く似 に ていなかったが、これについて記者 きしゃ が国防総省 こくぼうそうしょう のスポークスマンにコメントを求 もと めたところ、「ある程度 ていど の航空機 こうくうき についての知識 ちしき を有 ゆう する者 もの ならば、この程度 ていど の形状 けいじょう は想像 そうぞう し得 え るだろう 」という、肯定 こうてい も否定 ひてい もしない返答 へんとう であった。この「否定 ひてい 」されない返答 へんとう が売 う り上 あ げ増 ぞう に拍車 はくしゃ をかけたとされる。この"F-19"について、F-117の開発 かいはつ を行 おこな っていた時期 じき にスカンクワークス の責任 せきにん 者 しゃ だったベン・リッチは引退 いんたい 後 ご 、自著 じちょ の中 なか で「このインチキ戦闘 せんとう 機 き と社内 しゃない の内紛 ないふん のせいで、ロッキード社 しゃ の機密 きみつ 保持 ほじ に問題 もんだい があるとしたアメリカ議会 ぎかい の公聴 こうちょう 会 かい に呼 よ び出 だ されそうになった 」(本人 ほんにん の出席 しゅっせき は免 まぬか れたが、当時 とうじ のロッキード社 しゃ の社長 しゃちょう が出席 しゅっせき している)と記載 きさい している。
上述 じょうじゅつ のプラモデル はテスター社 しゃ の他 ほか に同社 どうしゃ と提携 ていけい 関係 かんけい にあったイタリア のイタレリ 社 しゃ からも発売 はつばい され、両者 りょうしゃ の製品 せいひん はパッケージ以外 いがい は同一 どういつ のものであったが[注釈 ちゅうしゃく 5] 、イタレリ社 しゃ の方 ほう が世界 せかい 的 てき に見 み て販路 はんろ が広 ひろ かったため、このF-19のプラモデルは“イタレリの製品 せいひん ”として著名 ちょめい である。この他 ほか 、宇宙 うちゅう 開発 かいはつ 技術 ぎじゅつ 企業 きぎょう で人工 じんこう 衛星 えいせい の製造 せいぞう を手掛 てが けるロラール 社 しゃ [注釈 ちゅうしゃく 6] が広報 こうほう 用 よう イラストに描 えが いたものを基 もと にしたプラスチックモデルキットもモノグラム 社 しゃ から発売 はつばい されていた。日本 にっぽん ではアリイ がテスター/イタレリのモデルのデザインを元 もと に独自 どくじ のデザインとして商品 しょうひん 化 か したものを発売 はつばい しており、同社 どうしゃ 独自 どくじ の「訓練 くんれん 用 よう 複 ふく 座 ざ 型 がた 」といったバリエーションモデルも発売 はつばい されていた。
F-117の公表 こうひょう 後 ご は実機 じっき の資料 しりょう に基 もと づいたF-117のモデルキットが航空機 こうくうき モデルを扱 あつか う各 かく 模型 もけい メーカーより発売 はつばい され、上述 じょうじゅつ の「F-19のプラモデル」はいずれも廃 はい 版 ばん もしくは絶版 ぜっぱん となり、商品 しょうひん によってはプレミア価格 かかく で取引 とりひき されている。
全長 ぜんちょう :19.4m
全幅 ぜんぷく :13.2m
全高 ぜんこう :3.9m
最高 さいこう 速度 そくど :M 0.85
航続 こうぞく 距離 きょり :1,200km
エンジン:F404-GE-F1D2 ターボファン ×2基 き
推力 すいりょく :4,990kg×2
空虚 くうきょ 重量 じゅうりょう :13,380kg
最大 さいだい 離陸 りりく 重量 じゅうりょう :23,625kg
ペイロード:2,000kg
乗員 じょういん :1名 めい
製造 せいぞう 単価 たんか :3,800万 まん ドル
登場 とうじょう 作品 さくひん [ 編集 へんしゅう ]
脚注 きゃくちゅう ・出典 しゅってん [ 編集 へんしゅう ]
^ アメリカヨタカ亜 あ 目 め (New World nighthawks )に由来 ゆらい するもので、鷹 たか (タカ目 め )との関係 かんけい は無 な い。英名 えいめい で言 い うGrey nightjarに当 あ たる日本 にっぽん の夜鷹 よたか とは同類 どうるい ではあるが別種 べっしゅ の鳥 とり である。
^ この機体 きたい はアメリカ空軍 くうぐん に納入 のうにゅう される前 まえ にグルームレイクでのテスト中 ちゅう にトラブルで墜落 ついらく し、現存 げんそん しない。
^ もともと攻撃 こうげき 機 き :Aナンバーは海軍 かいぐん が使用 しよう しており、空軍 くうぐん は爆 ばく 撃 げき 機 き :Bナンバーを使用 しよう していた(1963年 ねん から空軍 くうぐん もAカテゴリーを導入 どうにゅう )
^ 元 もと は海軍 かいぐん 機 き であるA-7 攻撃 こうげき 機 き を近接 きんせつ 航空 こうくう 支援 しえん の目的 もくてき で空軍 くうぐん も導入 どうにゅう することとなり、その後継 こうけい 機 き であるA-10にも空軍 くうぐん 機 き でありながらAナンバーが付与 ふよ された
^ テスター社 しゃ のF-19の生産 せいさん はイタレリ社 しゃ がイタリア国内 こくない で行 おこな っていた。
^ 綴 つづ りは"Loral"で、日本 にっぽん では「ローラル」と表記 ひょうき されている例 れい もある。
^ 52機 き も存在 そんざい する伝説 でんせつ のF-117が本当 ほんとう に引退 いんたい へ
^ a b "Modern Marvel: Stealth Technology," A&E Television Networks, 2005, ISBN 0-7670-9118-3
^ a b c d e The Encyclopedia of Modern Military Aircraft. ISBN 1-904687-84-9
^ ディスカナリーチャンネル F-117 ナイトホーク
^ "Armed Forces Journal. January 1988"
^ a b Airpower Journal - Fall 1991 Volume V, No. 3|JIM CUNNINGHAM|CRACKS IN THE BLACK DIKE SECRECY, THE MEDIA, AND THE F-117A. The F-117A Moves Out of the Black - ウェイバックマシン (2008年 ねん 3月 がつ 6日 にち アーカイブ分 ぶん ) ※2022年 ねん 1月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん
^ a b Airpower Journal - Fall 1991 Volume V, No. 3|JIM CUNNINGHAM|"CRACKS IN THE BLACK DIKE SECRECY, THE MEDIA, AND THE F-117A." - "Did Published Reports on the Stealth Fighter Compromise Its Operational Capability? - ウェイバックマシン (2008年 ねん 3月 がつ 6日 にち アーカイブ分 ぶん ) ※2022年 ねん 2月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん
^ a b c d e f g h i j k l m n 『航空 こうくう ファン 』No.680(2009年 ねん 8月 がつ 号 ごう ) 文 ぶん 林堂 はやしどう pp60-63
^ a b c d 『JWings』2003年 ねん 8月 がつ 号 ごう p48
^ “China stealth fighter 'copied parts from downed US jet' ”. BBC (2011年 ねん 1月 がつ 24日 にち ). 2019年 ねん 9月 がつ 21日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 中国 ちゅうごく のステルス戦闘 せんとう 機 き 、米 べい 軍 ぐん の撃墜 げきつい 機 き から情報 じょうほう 入手 にゅうしゅ ? AP通信 つうしん が報道 ほうどう - MSN産経 さんけい ニュース 2011年 ねん 1月 がつ 24日 にち (2011年 ねん 1月 がつ 28日 にち 時点 じてん のアーカイブ )
^ "Russia Offers India $8 Billion Weapons Deal ," NewsMax.com, Dec. 12 2001(2007年 ねん 7月 がつ 16日 にち 時点 じてん のアーカイブ )
^ "F-117が全 ぜん 機 き 引退 いんたい 、米 べい 空軍 くうぐん にとっては重荷 おもに だった理由 りゆう とは? ,"Technobahn 2008年 ねん 3月 がつ 14日 にち
^ "F-117ステルス戦闘 せんとう 機 き の解体 かいたい シーン ",GIZMODO JAPAN 2008年 ねん 9月 がつ 24日 にち
^ “New Photos of the F-117 Black Jet flying over Tonopah Test Range in 2014 ”. 2014年 ねん 10月 がつ 8日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 「Chris Cavas on Twitter 」『Twitter』。2018年 ねん 7月 がつ 31日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 写真 しゃしん :Yas・suchiya「退役 たいえき したはずのF―117 カリフォルニアデザートを飛 と ぶ」 『航空 こうくう ファン 』通巻 つうかん 797号 ごう (2019年 ねん 5月 がつ 号 ごう )文 ぶん 林堂 はやしどう P.127
^ “F-117 Aggressors Photographed Low Over The Nevada Desert During Red Flag War Games ”. 2021年 ねん 7月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “引退 いんたい したんじゃ!? 米 べい ステルス戦闘 せんとう 機 き F-117「ナイトホーク」訓練 くんれん にカムバック ”. 乗 の りものニュース. 2021年 ねん 9月 がつ 23日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 1997年 ねん 9月 がつ 14日 にち 、「ボルチモア航空 こうくう ショー」F-117墜落 ついらく 事故 じこ 動画 どうが
^ イカロス出版 いかろすしゅっぱん JWing No.81 2005年 ねん 5月 がつ 号 ごう 16頁 ぺーじ -18頁 ぺーじ 石川 いしかわ 潤一 じゅんいち 「ナイトホークからデイホークへ 変貌 へんぼう するステルス機 き F-117Aナイトホーク」
^ "Lockheed F-117N Seahawk "
^ Ciotti, Paul (1986年 ねん 10月 がつ 19日 にち ). “Tempest in a Toy Box : The Stealth Fighter Is So Secret the Pentagon Won't Admit It Exists. John Andrews Shocked Everyone by Building a Model of It. To Tell the Truth, He Says, It Wasn't All That Much Trouble.” (英語 えいご ). Los Angeles Times . https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1986-10-19-tm-5852-story.html 2020年 ねん 4月 がつ 1日 にち 閲覧 えつらん 。
^ ワールドフォトプレス(編 へん )『ステルス (光文社 こうぶんしゃ 文庫 ぶんこ ―ミリタリー・イラストレイテッド)』光文社 こうぶんしゃ 、1991年 ねん 、51頁 ぺーじ 。ISBN 978-4334713843 。