F-4 (戦闘 機 )
F-4 ファントムII(McDonnel F-4 Phantom II)は、
概要 [編集 ]
アメリカ
ベトナム
マクドネル
開発 経緯 [編集 ]
開発 の背景 [編集 ]
1950
このため、アメリカ
F-4
開発 前史 [編集 ]
1952
この
マクドネル
原型 機 発注 [編集 ]
1954
マクドネル
1955
-
試作 機 のYF4H-1主翼 形状 などにおいて量産 機 との差異 が確認 できる
初 飛行 [編集 ]
1958
それぞれの
飛行 テスト[編集 ]
アメリカ
これらに
特徴 [編集 ]
基本 構成 [編集 ]
F-4の
また、アメリカ
コックピット
-
キャノピーを
開 いた状態 -
前 席 コックピット上 から順 に、光学 照準 器 と水平 儀 、戦闘 用 レーダースコープ(オレンジ色 のモニター)、航空 計器 盤 -
後 席 にあるレーダースコープ -
後 席 にあるレーダー操作 用 のスティック
エンジン[編集 ]
エンジンは
2
この
スプリッターベーンには
- [1] - F-4AとF-4Bのスプリッターベーン
比較
「J79」を
-
エンジンノズル
-
F-4Fのスプリッターベーン(2007
年 )
主翼 ・尾翼 [編集 ]
また、
その
レーダー[編集 ]
降着 装置 [編集 ]
ホイールベース7.01mトレッドベース5.46mと
-
前 脚 部 (F-4EJ) -
着陸 後 にドラッグシュートを開 いたF-4E(1983年 ) -
空中 給油 を受 けるF-4C -
F-4Cと
搭載 可能 な兵 装 -
無 誘導 爆 弾 を投下 するF-4E
改良 [編集 ]
1963
アメリカ
1967
62-12200号機 [編集 ]
- 5,000
機 近 く生産 されたF-4の中 でも特 にその姿 を幾度 も変 えたのが62-12200号機 だった。元々 はアメリカ海軍 向 けF-4Bの一 機 として生産 された機体 だが後 にアメリカ空軍 からの発注 を受 けてF-4C型 にして納入 された後 、機首 部分 に偵察 カメラや機材 が積 まれて戦術 偵察 型 RF-4Cの原型 機 となった。 - RF-4C
原型 機 は試験 終了 後 に今度 はF-4Eの原型 機 として使用 された。この改修 ではカメラ搭載 スペースに機関 砲 を搭載 しレーダーを小型 のものに変更 している。F-4Eの原型 機 テストの終了 時 には62-12200号機 をF-4Cに戻 して実働 部隊 へ復帰 させることは不可能 となったため、「ボロン」「ベリリウム」などの新 素材 の検証 や耐 性 強度 テストなどに転用 された。 更 に同機 は「アジャイル・イーグル計画 」にも使用 され、戦闘 機 の空戦 時 の運動 能力 向上 のための前 縁 スラットを取 り付 けられた。アジャイル・イーグル計画 の終了 後 は当時 実験 段階 だった「フライ・バイ・ワイヤ」のテスト機 として改修 を受 けている。この時 エアインテーク部分 にカナード翼 が取 り付 けられた。- 62-12200
号機 は1979年 1月 に退役 、オハイオ州 のアメリカ空軍 博物館 に展示 されることとなった。度重 なる改良 で得 られたデータはその後 の様々 な新型 機 開発 に役立 てられている。
スーパーファントム・プロジェクト[編集 ]
- 1983
年 にボーイング社 は比較的 酷使 されていないF-4に、当時 の最新 技術 を投入 し改修 する計画 、スーパーファントムを発表 した。 当時 、2,700機 近 くが運用 されていたF-4は2000年 においても2,000機 近 くが飛行 可能 と予測 されていた。また、21世紀 の空戦 は早期 警戒 管制 機 とのデータリンクや当時 はまだ開発 段階 だった撃 ちっ放 し能力 を有 するAIM-120 AMRAAM空 対空 ミサイルの実用 化 など、F-4の開発 された時代 では想定 されていない技術 が前提 となるとされた。この予測 を基 に、主 にレーダーなどのアビオニクス及 びエンジンの換 装 、コンフォーマル・フューエル・タンクの追加 が計画 された。- レーダー
類 はウエスチングハウス社 製 「AN/APG-66」へ換 装 してルックダウン能力 (低 高度 目標 の捕捉 能力 )とシュートダウン能力 (低 高度 目標 の撃墜 能力 )向上 を図 った。合 わせてコックピット計器 類 もスペリー社 製 多 機能 ディスプレイ(MFD)や、GEC製 HUD等 F-16のものに換 装 され、慣性 航法 装置 (INS)にはF-20用 に開発 されたハネウェル社 製 423(リングレーザージャイロ方式 )が搭載 予定 であった。 - エンジンはF-15やF-16が
搭載 するプラット・アンド・ホイットニー F100を改良 したプラット・アンド・ホイットニー PW1120(アフターバーナー推力 9.5t)へ換 装 するとした。このエンジンはJ79に比 べ25%近 く軽量 で推力 は20%増 し、燃料 消費 率 も5%から15%低 いとされた。胴体 下面 に搭載 するコンフォーマル・フューエル・タンクは4,164Lの燃料 を追加 搭載 でき、後端 部 のフェアリングにはAN/ALE-40チャフ・フレアディスペンサーが装備 されていた。さらにCFTに4箇所 のハードポイントが設 けられ、うち2箇所 にAIM-7を装着 可能 となっていた。 - この
計画 には当時 200機 近 いF-4を保有 していたイスラエルや約 260機 保有 していた西 ドイツが興味 を示 したとされている。ただし、両国 ともこのボーイング社 案 をそのまま使用 してはいない。イスラエルはエンジンこそPW1120を搭載 するもののHUDを含 むアビオニクス類 は国産 品 を搭載 する独自 計画 「F-4Eクルナス2000」(後述 )を立案 した。西 ドイツは本 計画 に対抗 する形 で「ICE(Improved Combat Efficiency:戦闘 効率 改善 )計画 」(後述 )を立案 した。 空軍 航空 システム部門 は1986年 2月 にボーイング社 の改修 計画 の続行 を承認 したが、これらの機能 をF-4ファントムIIに付加 するには多大 なコストを必要 としたことから採用 国 からの発注 はなかった。また、1991年 のソ連 崩壊 とワルシャワ条約 機構 消滅 により、計画 は立 ち消 えとなった。
標的 機 としての運用 [編集 ]
- アメリカ
海軍 は初期 に生産 され老朽 化 したF-4Bを標的 機 へ改造 する計画 を立案 しペンシルベニア州 ウォーミンスターにあるNADC(海軍 航空 開発 センター)で標的 機 への改造 研究 と設計 を実施 した。同 センターは空 対空 ・地 対空 ミサイルの試験 や濃密 な対空 防御 を有 する地域 への電波 妨害 による模擬 侵入 を可能 とするRPV(遠隔 操作 機 )の研究 を行 っていた。 - NADCは
老朽 化 したF-4B一 機 を入手 し、操縦 系統 をすべて無線 を経由 して操作 するように改造 した。完成 した無人 標的 機 は「QF-4B」と名付 けられ、視認 性 を良 くするために真 っ赤 に塗装 されたが機首 にアンテナが二 本 増 えている他 は外見 的 な違 いはなかった。コックピット内 の操縦 装置 は人間 による操作 を可能 としたままで全 操縦 系統 を無線 操作 で作動 させるためのトグル・スイッチを多数 追加 している。これは駐 機 場 と滑走 路 間 の往復 と滑走 路 と空中 の往復 間 の操縦 という別種 の操作 を地上 のパイロットと空中 の誘導 母 機 「DF-4J」(別名 フォックス:F-4Bの改造 機 )から遠隔 操作 を行 うパイロットで分担 することで改造 内容 や遠隔 操作 手順 を単純 なものとすることを意図 したものである。 - QF-4Bの
操作 は機上 コマンドコントロール受信 機 で受信 する406MHz~550MHzの帯域 中 の20チャンネルの信号 を使用 する。20チャンネルの信号 はブレーキのオン・オフ、降着 装置 の上下 、上昇 降下 、推力 の上昇 下降 、フラップ・方向 舵 ・エアブレーキの作動 、搭載 物 の投棄 、アフターバーナーの点火 と停止 、拘束 フックの上下 、ドラッグシュートの作動 、記録 カメラの作動 など、飛行 に必要 な役割 にそれぞれ割 り付 けられる。 - アメリカ
海軍 は原型 機 を含 めた44機 のF-4BをQF-4Bに改造 し標的 機 としてミサイル実験 部隊 で運用 した。以降 、老朽 化 ・余剰 となったF-4E/N/S/Gも無人 標的 機 に改修 されている。
記録 への挑戦 [編集 ]
F-4が
- トップ・フライト
- 1959
年 7月 14日 にソビエトはSu-15の原型 と言 われる当時 最 新鋭 の実験 機 Tu-431により28,852mの上昇 記録 を記録 した。これに対 してアメリカ海軍 は「トップ・フライト計画 」として原型 機 の「XF4H-1」による高度 記録 更新 を行 った。同年 12月6日 、エドワーズ空軍 基地 を離陸 したローレンス・E・フリント中佐 操縦 のXF4H-1は高度 30,040mにまで上昇 記録 を更新 させた。 - なお、その
一 週間 後 の12月14日 にはアメリカ空軍 のF-104CがJ・B・ジョーダン空軍 大尉 の操縦 により高度 31,513m(103,389ft)の高度 記録 を更新 した。これは、初 めて10万 フィートを突破 した記録 ともなった。 - LANA[
注 10]計画
- アメリカ
海軍 航空 50周年 に当 たる1961年 を記念 してアメリカ大陸 横断 飛行 の速度 記録 に挑戦 した。 - アメリカ
海軍 は当時 最新 の「F4H-1」つまりF-4の原型 機 を5機 (予備 機 2機 )用意 した。横断 計画 はカリフォルニア州 ロサンゼルスのオンタリオ・フィールド飛行場 からニューヨーク州 ロングアイランドのフロイド・ベネット飛行場 まで無 着陸 飛行 を行 うものとされた。 飛行 士 として後 にジェミニ11号 で宇宙 飛行 を経験 し、アポロ12号 に乗 り込 み、司令 船 パイロットを務 めたリチャード・F・ゴードンJr中尉 (当時 ) を含 む計 6名 のパイロットが抜擢 された。1番 機 には指揮 をとるJ・S・ラモール中佐 とT・J・ジャクソン大尉 の二 名 、3番 機 にゴートン中尉 とB・R・ヤング中尉 が搭乗 した。- 5月24
日 、5機 のF-4がオンタリオ・フィールド飛行場 を時間 を隔 てて飛 び立 った。1番 機 ・2番 機 ・3番 機 にトラブルがないことを確認 した予備 の2機 はすぐに引 き返 している。3機 はそれぞれ単独 飛行 を行 いニューメキシコ州 ・ミズーリ州 ・オハイオ州 の上空 で空中 給油 を受 けニューヨークを目指 した。 最初 にフロイド・ベネット飛行場 の上空 を通過 したのは1番 機 で離陸 より3時 間 と5分 が経過 していた。続 いて到着 したのは2番 機 で所要 時間 は2時 間 50分 だった。最後 に到着 した3番 機 は2時 間 47分 を記録 し、最短 記録 を残 したゴートン・ヤング両 中尉 がベンデックス・トロフィーを受賞 した。- セージバーナー
- 1961
年 8月 28日 、3マイル(4.82km)の区間 内 で125ft(40m)以下 の高度 を維持 してマッハ1を超 える平均 902.769mph(1,452.826km/h)の速度 記録 を樹立 した。しかし、これに先立 つ5月 18日 の最初 の試行 でピッチダンパーの故障 による空中 分解 でパイロットのJ.L.フェルトマン海軍 中佐 が殉職 している。 - スカイバーナー
- 1961
年 12月22日 、水 噴射 装置 を追加 したF-4により1,606.342mph(2,585.086km/h)の絶対 世界 記録 速度 を記録 している。その直前 の12月5日 には同 計画 の別 の機体 が 66,443.8ft(20,252.1m)での水平 飛行 高度 を記録 している。 - ハイジャンプ
- 1962
年 、アメリカ海軍 はF-4の上昇 性能 を誇示 する目的 で「ハイジャンプ計画 」に着手 する。これは指定 された高度 までの上昇 時間 を競 うもので「トップ・フライト」と異 なり、到達 時間 を競 うものである。基地 にはメーン州 ブランズウィックとカリフォルニア州 ポイント・マグーが選 ばれた。 本 計画 では、後 にジェミニ3号 、ジェミニ10号 、アポロ10号 で宇宙 飛行 を経験 後 、アポロ16号 で月面 の「デカルト高地 」に着陸 し、1981年 のスペースシャトルの第 1回 目 と9回 目 の飛行 の船長 に選 ばれることになるジョン・W・ヤング中佐 (当時 )、D・M・ロントン少佐 、D・W・ノードバーグ少佐 、F・T・ブラウン少佐 、海兵 隊 のW・C・マクグロー中佐 の5名 がそれぞれの高度 の記録 を更新 した。詳細 は以下 の通 りである。
パイロット | |||
---|---|---|---|
ジョン・W・ヤング |
3,000m | 43.52 |
2 |
25,000m | 230.4 |
3月31 | |
D・M・ロントン |
6,000m | 48.79 |
2 |
D・W・ノードバーグ |
15,000m | 114.54 |
3月1 |
30,000m | 371.34 |
||
F・T・ブラウン |
20,000m | 178.5 |
3月31 |
W・C・マクグロー |
9,000m | 61.62 |
3月1 |
- この
時 、ヤング中佐 はマニュアルを無視 してフラップを上 げたまま推力 100%で離陸 し、車輪 が滑走 路 を離 れると同時 に車輪 を引 き上 げ、そのまま加速 し十分 な速度 に達 してから機首 を引 き揚 げるという操縦 を行 った。教本 にはない手順 だったが、後 の上昇 記録 更新 でも踏襲 されるようになった。これによりヤング中佐 は腕 のいいテストパイロットとして知 られるようにもなり、同年 9月 に第 二 次 宇宙 飛行 士 選抜 に名 を挙 げられている。 - なお、
本 計画 の記録 は1973年 にソ連 (当時 )のMiG-25の特殊 改造 機 「E266」が20,000mから30,000mまでの記録 を更新 することになるが、アメリカ空軍 のストリーク・イーグル計画 によってF-15が破 るまで、その記録 を更新 されることはなかった。
マクドネル社 の躍進 とマクドネル・ダグラス社 への発展 [編集 ]
マクドネル
だが、
その
部隊 配備 [編集 ]
アメリカ海軍 ・海兵 隊 への配備 [編集 ]
1959
アメリカ
アメリカ
アメリカ空軍 での採用 [編集 ]
- C
型 から主 脚 のタイヤを、従来 の海軍 型 の幅 の薄 い高圧 タイヤから、幅 を広 げた厚 い低圧 タイヤに変更 (幅 を19.5㎝から29㎝へ変更 )。そのため、主翼 の主 脚 収納 部 の上面 に膨 らみを設 けた。また、同 時期 に生産 開始 された海軍 型 のJ型 でも、生産 の効率 化 のために、降着 装置 共々 、空軍 型 と共通 化 したため、膨 らみが付 いた。さらに、イギリス海軍 型 も、空軍 型 共々 、膨 らみが付 いた。 後 席 のコンソールの設計 変更 と位置 を低 くして、後 席 での前方 視界 を確保 。- レーダーを、F-4Bで
使用 されているAN/APQ-72を改良 したAN/APQ-100に変更 。 爆 撃 システムをAN/AJB-7全 高度 核 爆 撃 制御 システムとし、全高 度 での核 爆 撃 を可能 した。新 たにAN/ASN48慣性 航法 装置 (INS)を装備 。空中 給油 装置 をブローブ・アンド・ドローグからフライング・ブームに変更 、胴体 背部 に受油口 が取付 けられた。- エンジンは、
推力 は変 わらないものの、火薬 カートリッジ・スターターを付 けたJ79-GE-15に変更 。 主翼 の折 り畳 み機構 を手動 に変更 。- アレスティングフックは
着陸 した際 の非常時 の事故 に備 えて残 された。
F-4が
また、アメリカ
ブルーエンジェルス[編集 ]
1969
サンダーバーズ[編集 ]
ブルーエンジェルスと
ベトナム戦争 [編集 ]
F-4は
しかし、F-4
とはいえ、
- アメリカ
海軍
- アメリカ
海軍 のF-4が初 めて実戦 参加 を果 たしたのは、1965年 3月 の「ローリング・サンダー作戦 」だった。それ以前 にもF-4飛行 隊 が乗艦 する空母 が北 ベトナム沿岸 に展開 していたが、北 ベトナムの航空 戦力 はほぼゼロに等 しいので最 新鋭 のF-4の実戦 投入 は不要 として見送 られていた。 - 3月29
日 には第 151戦闘 飛行 隊 のF-4B、2機 が北 ベトナム上空 で撃墜 され初 損失 となっている。4月 29日 には中華人民共和国 の領空 を侵犯 した第 96戦闘 飛行 隊 のF-4Bが中国 人民 解放 軍 空軍 の戦闘 機 に撃墜 されている。 同年 6月17日 、空母 「ミッドウェイ」の第 21戦闘 飛行 隊 のF-4B二 機 がハノイの南方 80kmで遭遇 したMiG-17の4機 中 2機 をすれ違 いざまにAIM-7で撃墜 し、はじめてF-4の火器 管制 能力 を発揮 するに至 った。これは全 アメリカ軍 を通 じてベトナム戦争 初 の撃墜 記録 となった。以降 、アメリカ海軍 のF-4BとF-4Jは北 ベトナム軍 戦闘 機 を36機 撃墜 しているものの、ほとんどがサイドワインダーによるものだった。
- アメリカ
海兵 隊
- ベトナム
戦争 開始 後 、在日 アメリカ海兵 隊 にも前線 への出撃 命令 が下 され、F-4飛行 隊 も南 ベトナムのダナン基地 やチュライ基地 に進出 した。後 に激戦 期 と呼 ばれることになる1968年 末 における任務 は南 ベトナム国内 で活動 する共産 軍 の制圧 のための通常 爆 弾 やナパーム弾 、ロケット弾 、ガンポッドによる対地 攻撃 であり、空中 戦 とは無縁 の日々 が続 いたという。それでも、展開 するF-4飛行 隊 は五 個 に増強 されていた。当時 2機 のF-4を失 ったものの乗員 は全員 救助 されている。 - 1972
年 以降 、攻撃 目標 が南 ベトナムから北 ベトナム、特 にラオスを経由 し南 ベトナムに伸 びる大 補給 ルート「ホーチミン・ルート」に移 ると損害 は増加 した。北 ベトナム軍 正規 軍 の装備 する対空 砲 や対空 ミサイルにより、3機 のF-4の損失 と2名 のパイロットの行方 不明 という損失 を蒙 っている。
- アメリカ
空軍 - アメリカ
空軍 はF-105やF-111などの戦闘 爆撃 機 を次々 と投入 した。だが爆 弾 を満載 し機動 性 の低下 したF-105などにとっては、北 ベトナムの主力 戦闘 機 MiG-17は旧式 機 と言 えども侮 り難 い敵 だった。格闘 戦 に巻 き込 まれ爆 装 を投棄 した時点 で、「爆 撃 の阻止 」という相手 の戦術 目標 は達成 しており、熱帯 雨林 という精密 機械 には適 さない環境 によりミサイルを武器 とする戦闘 機 はその能力 を著 しく落 としていた。 - 1965
年 4月 3日 、2機 のF-105がMiG-17に撃墜 されたことを受 け、空軍 はミグ戦闘 機 の掃討 任務 の為 にF-4C飛行 隊 七 個 を南 ベトナムに、三 個 飛行 隊 をタイ王国 にあるアメリカ軍 の基地 に駐留 させた。 - しかしながら、1965
年 から1966年 までのわずか一 年 の間 に撃墜 や事故 など様々 な原因 で54機 のF-4Cを損失 している。初期 トラブルの顕現 と対応 が不十分 なままで実戦 投入 されたため戦場 で燃料 漏 れや主翼 への亀裂 が生 じたこと、ミサイルの使用 に様々 な制限 や問題 があったこと、機関 砲 を装備 していなかったことが挙 げられる。 - 1967
年 3月 10日 にはジョン・パルド大尉 とスティーブ・ウェイン中尉 のF-4が、対空 砲火 で損傷 した僚機を安全 なラオス領空 まで押 して移動 させた「パルド・プッシュ」(Pardo's Push)と呼 ばれる事例 が発生 している。 - D
型 ・E型 の登場
- 1966
年 2月 からマクドネル社 の生産 ラインはF-4CからF-4Dに移行 した。また、1968年 11月からはF-4として初 めて固定 武装 として機首 にM61A1機関 砲 を搭載 し、主翼 前 縁 へのスラットの付加 によって運動 性 を高 め、より格闘 戦 に優 れたF-4Eの部隊 配備 を開始 している。
損害 - F-4Eが
格闘 戦 に何 とか対応 できる機体 として配備 されたといっても状況 は厳 しかった。1971年 末 までに361機 のF-4C/D/Eが対空 砲 や地 対空 ミサイル、ミグ戦闘 機 により撃墜 されており、停戦 が発効 する1973年 までも損害 は拡大 している。
湾岸 戦争 [編集 ]
1991
アメリカ軍 からの退役 [編集 ]
アメリカ
アメリカ
アメリカ
-
離陸 を待 つQF-4(2015年 ) -
着陸 したQRF-4C(2013年 )
現在 の運用 状 況 [編集 ]
アメリカ
※
-
デビスモンサン
空軍 基地 にてモスボールされているRF-4C(1992年 )
アメリカ軍 の採用 と形式 一覧 [編集 ]
アメリカ海軍 ・海兵 隊 航空 団 [編集 ]
- XF4H-1
原型 機 。2機 製造 された。- YF4H-1
試作 機 。5機 製造 。- F4H-1F
命名 規則 変更 によりF-4Aに名称 を改 めた。45機 製造 された。前述 の通 り、R&D作業 のために製造 された最初 の21機 の内 、16機 目 (18号機 )以前 と17機 目 (19号機 )以降 とでレドームと風防 (キャノピー)の形状 が異 なる。これ以降 の形式 は17機 目 (19号機 )のものを基 としている。- F4H-1
命名 規則 変更 によりF-4Bに名称 変更 。F-4初 の量産 型 で合計 684機 が製造 された。- F-4G
生産 中 のF-4Bに自動 迎撃 データリンクと自動 着 艦 用 の機材 を搭載 した機体 。- 12
機 が改修 されて実戦 投入 され、同 時期 に行 われた新型 迷彩 塗装 の実験 が原因 (新型 迷彩 塗装 を施 した機体 の被害 増大 )と言 われる被弾 により1機 を失 っている。改修 機 は短期間 でF-4Bに仕様 変更 されたが同機 で開発 されたシステムはF-4Jに反映 されている。また、G形式 名 は短期間 で消滅 したので空軍 がF-4Eを改修 したSEAD(防空 網 制圧 )機 で再 利用 した。 - F-4J
- F-4Bの
改良 型 として522機 製造 された。 - レーダーにパルスドップラー
処理 を導入 したAN/AWG-10を搭載 し、戦闘 機 として初 めてルックダウン能力 を獲得 した。また、F-4C用 のメインギア回 りと主翼 、海軍 型 F-4Gで開発 した機材 に加 えてエンジンを従来 のJ79-GE-8から出力 を強化 したJ79-GE-10に変更 した。 空軍 が採用 したAN/AJB-7全 高度 核 爆 撃 制御 システムを装備 しており、目視 目標 捕捉 システム(VTAS)、サイドワインダー拡張 捕捉 モード(SEAM)、AN/ASW-25A一方 向 データリンクを装備 している。またスタビレーター(水平 尾翼 )には、前 縁 に固定 スロットが取付 けられており、低速 時 の操縦 性 が改善 されている。- アメリカ
海軍 のベトナム戦争 中 唯一 のエース、カニンガム/ドリスコル組 が使用 したが、5機 目 を撃墜 後 の帰還 中 に北 ベトナム軍 の地 対空 ミサイルを被弾 、海上 で脱出 したため実機 は現存 していない。
- F-4N
- F-4Bの
搭載 電子 機器 をF-4J相当 にアップグレードした機体 。 改修 内容 はF-4Jと同 じだが、機首 下面 にAN/AAA-4赤外線 センサーを取付 け、AN/ALQ-126欺瞞 ECMを装備 しており、機体 寿命 (飛行 時間 )を3500時 間 から5000時 間 に延長 している。F-4B自体 が実戦 で酷使 されていたため生産 機 数 に対 して改修 実施 機 は少 なく、改修 機 数 は227機 と言 われている[注 14]。- F-4S
- F-4Jの
近代 化 と寿命 延長 型 。 - レーダーをAN/AWG-10Bに
変更 、AN/ALQ-126欺瞞 ECM、AN/ALR-46またはAN/APR-32レーダー警戒 装置 を装備 しており、レーダー警戒 装置 のアンテナを取付 けている。 空戦 時 の運動 能力 向上 を意図 してF-4E同様 に前 縁 フラップをスラットに変更 したが、離着陸 時 の安定 性 が従来 の機体 より悪化 している。スラットの形状 はF-4Eに比 べ若干 分厚 く先端 部 が角張 っている他 、主翼 折 りたたみ部 のフェンスの背 が若干 高 くなっている。後継 機 たるF/A-18の就役 までの中継 ぎの機体 として、248機 が改修 された。
アメリカ空軍 [編集 ]
- F-4C
- F-4Bを
空軍 の要求 に合 わせて改修 した型 で、583機 製造 。採用 当初 はF-110A スペクター(Spectre)と呼 ばれていたが、命名 規則 変更 に伴 いF-4Cに改称 され、愛称 も海軍 型 と同 じ「ファントムII」に変更 された。 変更 点 としてはAIM-4 ファルコン、AGM-12 ブルパップ、核 爆 弾 の運用 、ブーム式 空中 給油 装置 、200psiの低圧 タイヤの搭載 が挙 げられる。特 に海軍 型 との大 きな違 いとしては複 操縦 装置 の搭載 があり後 席 にもパイロット資格 を持 つ要員 が乗 り込 む。以降 の空軍 型 も同様 である。複 操縦 式 にすることで、機体 の生存 性 が高 まるだけでなく、新 たに練習 機 を作 る必要 がない等 、運用 上 のメリットももたらした。また、主翼 の折 り畳 み機構 はコストを下 げるために手動 に変更 されている。アレスティングフックは残 されていて、滑走 路 の着陸 距離 を短縮 する目的 を与 えた。もちろん外形 やシステムも海軍 型 と大差 ないため、空母 からの発着 艦 や適合 も同 じである。- EF-4C
- F-105Gの
後継 機 としてF-4Cを改修 したSEAD(敵 防空 網 制圧 )機 (ワイルド・ウィーゼル)だが、AGM-78 スタンダードARMの運用 能力 が無 いなど、SEAD機 として限定 的 な能力 しか持 たず兵器 搭載 能力 や運用 面 でも制約 があった。36機 がF-4Cを改修 する形 で製造 された。 - F-4D
- F-4Cの
改良 型 で825機 が製造 された。 空軍 の要求 を元 に設計 された本格 的 なタイプであり、C型 の機首 下面 に取付 けられていたAAA-4赤外線 探知 器 をレーダー警戒 受信 器 に変更 。サイドワインダーの搭載 機能 を削除 しファルコンのみ搭載 としたがファルコンの成績 不良 からサイドワインダー搭載 機能 を追加 している。レーダーを測 距機能 付 きのAN/APQ-109Aに換 装 して低空 目標 の探知 能力 を向上 している。また、東南 アジアでの運用 の為 LORANという長距離 航法 システムを追加 した機体 もあった。AN/ASQ-91爆 撃 計算 機 をAN/AJB-7全 高度 核 爆 撃 制御 システムに組 み合 わせることで誘導 爆 弾 の誘導 機能 を追加 した。ASQ-91自体 も対地 攻撃 を簡略 して、かつ精度 を著 しく向上 させている。- このD
型 ではSEA迷彩 (東南 アジア迷彩 )、俗 に言 うベトナム迷彩 が生産 段階 からの標準 塗装 になった。
- EF-4D
- F-4Dを
改修 したSEAD(防空 網 制圧 )機 のテストベッド機 で、4機 がF-4Dより改修 された。EF-4Dとしては採用 されなかったもののこの機体 で開発 された機材 がF-4Gの信頼 性 向上 に繋 がった。 - F-4E
- F-4Dの
改良 型 。1,387機 製造 。対地 攻撃 能力 強化 のためのC型 からD型 への改良 に比 べて、変更 内容 はかなり多 い。 - エンジンはドライ
時 推力 52.53kN、アフターバーナー時 推力 79.62kNのJ79-GE-17に換 装 、偵察 型 に倣 い延長 した機首 (この機首 延長 型 を「ロングノーズ」と呼称 。偵察 型 とE~G型 (EJ型 、EJ改 型 含 む)が相当 。それに対 し、機首 の短 い型 は「ショートノーズ」と呼称 )にM61A1 20mmバルカン砲 を固定 装備 し[注 15]、このため、FCSを従来 より小型 で振動 に強 いAN/APQ-120レーダーに換 装 しているが、APQ-120開発 の遅 れから初期 の30機 はレーダー無 しで配備 され、後 に追加 搭載 されている。主翼 には、E前期 型 、EJ型 、EJ改 型 の、前 縁 フラップ付 きのハードウイング(J/C/D型 と同 じ)と、E後期 型 、G型 、F型 の、可動 式 前 縁 スラット付 きウイングがある。- F-4は
改良 を重 ねるごとに総 重量 が増 えていき、それに対応 するために、高揚 力 装置 の装備 と離陸 時 に高 仰角 (高 AOA)をとる必要 があるが、高 仰角 をとると翼 面 から気流 が剥離 し失速 するという問題 が発生 する。離陸 時 の「スタビレーター(水平 尾翼 )下面 の失速 (スタビレーターは離陸 時 にダウンフォースを発生 させることで機 尾 を下 げ、機首 上 げを行 う)と機首 下 げモーメント」の問題 (急激 な上昇 あるいは機首 上 げ操作 をすると、スタビレーターが急 角度 で下 を向 き、スタビレーター下面 の気流 が剥離 してしまうため、効 きが悪 くなってしまう)を解決 するために、E前期 型 からスタビレーター(水平 尾翼 )を固定 式 前 縁 スラット(スロット)付 きに変更 (スラットは前方 への張 り出 しのことで、スロットはスラットによって作 られた隙間 のこと)、E後期 型 から主翼 の前 縁 フラップを廃止 し、可動 式 前 縁 スラットに変更 。これらの改良 を「空戦 時 の運動 能力 向上 を図 るため」とする説 は結果 論 (副 次 目的 )である。これらの改良 は、海軍 型 のJ/S型 やイギリス海軍 のK型 にも取 り入 れられた。 - E
後期 型 から、バルカン砲 のフェアリングの前 端 を、細長 いフラッシュハイダーに改良 - E
後期 型 から、胴体 下 の600Gal増加 燃料 タンクをハイ-Gタンクに変更 - AN/APS-107レーダー
警戒 装置 を装備 しており、そのアンテナが垂直 尾翼 上端 に取付 けられていたが、E後期 型 ではAN/ALR-46となり、アンテナ取付 け位置 は主翼 端 に変更 されている。また一部 のE後期 型 では、左 主翼 内 翼 部 前 縁 に電子 光学 式 目標 識別 センサー(TISEO)が取付 けられている。 - ロングノーズでは
内 翼下 面 内側 のパイロンにはTER(トリプルエジェクターラック)を、外側 のパイロンにはMER(マルチエジェクータラック)を使用 可能 。MER使用 時 には、搭載 武装 が主 脚 等 に干渉 しないよう、外側 に角度 の付 いた傾斜 パイロンを使用 する。
- F-4は
- F-4G
- F-105Gの
本格 的 な後継 機 としてF-4Eをアメリカ空軍 の要求 に合 わせ改修 したSEAD(敵 防空 網 制圧 )機 (ワイルド・ウィーゼル)で対 レーダーミサイルを主 武装 とする。134機 がF-4Eより改修 された。 機首 下面 と垂直 安定 板 上部 に、敵 レーダー波 を警戒 ・補足 ・分析 するための、AN/APR-38統合 型 制御 /指示 セット(CIS)のセンサー類 を装備 するため、機首 のM61A1 20mmバルカン砲 は撤去 されている。CISは7つのモジュールで構成 されており、敵 のSAM(地 対空 ミサイル)サイトの追跡 /誘導 レーダーまたはレーダーサイトから発射 されるレーダー波 (電波 )を、周波数 0.01-25GHzの間 で脅威 電波 輻射 として探知 し、後 席 に設置 されたCISのシステムの専用 装置 を操作 する電子 戦士 官 が、内蔵 された脅威 ライブラリーと比較 して探知 したレーダー波 を識別 すると、その位置 を測定 して、200nm(370km)の範囲 でコックピットのPPIスコープ(平面 位置 表示 機 )に位置 を表示 するものであり、搭載 された対 レーダーミサイルのAGM-45・AGM-78・AGM-88を、探知 した位置 にある追跡 /誘導 レーダーまたはレーダーサイトに向 けて発射 することができる。- また、
電子 対抗 手段 (ECM)として、電子 妨害 装置 (ECMポッド)が、初期 にはAN/ALQ-119、後期 には新型 のAN/ALQ-184が、また、USAFE(在 欧 アメリカ空軍 )のみ、AN/ALQ-131ポットが、主 に使用 され、スパローミサイルが取付 けられる機体 前方 の兵 装 ステーションに搭載 される。 胴体 下 の兵 装 ステーションには、AIM-7 スパローを最大 4発 搭載 できるが、通常 は後部 のSta.3/7に2発 を搭載 し、機首 下 左側 のSta.4にECMポッドを搭載 する。主翼 下 パイロンには、対 レーダーミサイルを2発 (最大 4発 )とAIM-9 サイドワインダーを4発 搭載 できる。
偵察 型 [編集 ]
- RF-4B
- F-4Bの
機首 を延長 し、拡張 した空間 に偵察 装備 を施 した機体 。開発 当初 からF-4の原型 機 をベースとした偵察 型 が海軍 に提案 されていたものの、RF-8を保有 し、後継 機 としてA-5を改修 した偵察 型 (RA-5C)の採用 を決定 していた海軍 からは関心 を得 られなかったが、海兵 隊 が保有 するRF-8の更新 機 として採用 した。生産 末期 にF-4B規格 の機体 からF-4J規格 の機体 に変更 されている。 上記 の経緯 から、生産 機 数 は46機 にとどまる。- RF-4C
- RF-4Bと
同 時期 に空軍 へ提案 されていた偵察 型 で、RF-101の後継 として採用 され、505機 が生産 された。F-4自体 の採用 は海軍 や海兵 隊 が先行 していたがF-4の偵察 型 は空軍 の方 が先 に発注 していたため、「RF-4BはRF-4Cを海兵 隊 向 けに改修 した」と言 う説 が一般 化 している。 飛行 中 に敵 のレーダー波 や通信 を傍受 して、受信 した情報 をデ ータ通信 により送信 が可能 な、ALQ-125戦術 電子 偵察 装置 を搭載 しており、マッピングと地形 回避 用 のAN/APQ-99レーダーが搭載 されたため、機首 のレーダードームが小型 化 されている。機首 下部 には前方 レーダー警戒 器 と前方 ・後方 ・垂直 方向 の撮影 ができる偵察 用 のKS-87カメラ機材 を搭載 しており、そのため、機首 下部 に前方 と後方 、機首 両 側面 にカメラ窓 が取付 けられている。その後方 には、APQ-102R/TSLAR(側 方 機上 監視 レーダー)の装置 とアンテナ、ASS-18A赤外線 偵察 装置 が搭載 されており、それらの電子 画像 と赤外線 写真 をフィルムに記録 することができる。その他 にも、前 席 のコックピットとその前方 には、LA-313A光学 ファインダーとそのペリスコープが装備 されている。- RF-4Bが
兵器 運用 能力 を持 たなかったのに対 して配備 当初 から核兵器 の運用 能力 を持 っており、さらにベトナム戦争 後 に自衛 用 のAIM-9搭載 能力 を追加 された。 - アメリカ
空軍 で採用 された以外 にも、スペインと韓国 がアメリカ空軍 の中古 機 を導入 した。 - RF-4E
- F-4Eの
機体 に、RF-4Cの偵察 装備 を取 り付 けた偵察 型 。152機 が製造 された。 - アメリカ
空軍 では採用 されず、生産 機 は全 て外国 (西 ドイツ、イラン、イスラエル、日本 、ギリシャ、トルコ)へ輸出 された。 - ベースとなった
戦闘 機 型 のF-4Eと異 なり、偵察 型 であるRF-4Eの水平 尾翼 (スタビレーター)には、固定 式 前 縁 スラットが無 い。日本 の航空 自衛隊 のRF-4Eも同様 である。F-4EJを改造 したRF-4EJの水平 尾翼 には固定 式 前 縁 スラットがある。 水平 尾翼 の固定 式 前 縁 スラットには、運動 性 を高 めるメリットがあるが、デメリットもあり、飛行 中 は常 に抵抗 となり、加速 性 や最高 速度 が犠牲 となる。偵察 型 であるRF-4Eの水平 尾翼 に固定 式 前 縁 スラットが無 いのは、任務 を終 えた後 、迅速 に戦地 を離 れて、逃 げ帰 ってくる、あるいは、尾行 から逃 げ切 るために、運動 性 よりも加速 性 や最高 速度 を重視 したためである。- スラット
有 り/無 しでの旋回 性能 、加速 性能 の違 いは、操縦 士 が体感 できるほど明瞭 なものであり、戦闘 機 部隊 から偵察 部隊 へ転属 してきたF-4乗 りは、スラットを持 たないRF-4Eの加速 性 の良 さに驚 き、旋回 性能 の悪 さに苦戦 した。
標的 機 [編集 ]
- QF-4B
老朽 化 し余剰 となったF-4Bを改造 した標的 機 。44機 のF-4Bが改造 を受 けた。- QF-4E
老朽 化 し余剰 となったF-4Eを改造 した標的 機 。- QF-4G
老朽 化 し余剰 となったF-4Gを改造 した標的 機 。- QF-4N
老朽 化 し余剰 となったF-4Nを改造 した標的 機 。- QF-4S
老朽 化 し余剰 となったF-4Sを改造 した標的 機 。
計画 機 その他 [編集 ]
- NF-4E
- エドワーズ
空軍 基地 にあるアメリカ空軍 テストパイロット学校 のテストパイロット養成 課程 で使用 する機体 。武装 を撤去 し計測 用 センサーを搭載 している。NF-104の老朽 化 を受 けて導入 された。 空軍 から退役 した機体 を使用 しているため年 によって機体 が異 なり、以前 はC型 やD型 なども使用 していた。老朽 化 により退役 し各地 の博物館 で展示 されている。- F-4H
原形 機 のF4Hとの混同 を避 ける目的 で欠番 となったため、存在 しない。- F-4VG
主翼 を可変 翼 に改修 したF-4。計画 のみ。- F-4T
- 1970
年代 後半 に立案 ・計画 された制 空 戦闘 機 型 F-4E。デジタル化 した火器 管制 装置 を持 ち、すべての対地 攻撃 能力 を省略 してM61A1 20mmバルカン砲 と胴体 下 にAIM-7を主翼 下 にAIM-9を各 4発 搭載 する純粋 な戦闘 機 任務 (制 空 戦闘 および要撃 )に特 化 させた機体 だった。しかし、F-4の性能 を上回 るF-15やF-16などの新型 機 の登場 で採用 する国 もなく中止 となった。 - F-4X/RF-4X
- イスラエル
空軍 の要望 に応 えるべくシリアで運用 されているMiG-25に対抗 するための発展 型 。イスラエルはRB-47Fに搭載 されていたHIAC-1 LOROPカメラのF-4への搭載 を、アラブ諸国 偵察 のために要求 していたが、都度 却下 されていた。しかし1971年 にアメリカは態度 を変 え、F-4の胴体 下 パイロンに搭載 可能 な同 カメラ収納 ポッド(G-139)の開発 を許可 した。このポッドは22ft以上 の長 さと4,000lb以上 の重量 を持 つためアメリカ空軍 とイスラエル政府 出資 によりピースジャック計画 としてF-4の性能 向上 を図 ることとなった。水 メタノール噴射 装置 により150%に推力 されることを想定 して機体 各部 を修正 し、最大 速度 M3.2、巡航 速度 M2.7を発揮 するものとされ非公式 にF-4Xとして知 られるようになった。 - しかし
当時 アメリカ自身 が保有 していないマッハ3級 戦闘 機 をイスラエルが保有 する可能 性 から、関連 技術 のイスラエルへの禁輸 を決定 した。これに対 して、ポッドの空気 抵抗 も考 えてカメラを機首 搭載 として無 武装 化 した(戦闘 機 としては使用 できない)RF-4Xとすることで一旦 は計画 が再開 したものの、F-4の高性能 化 が可能 であるという事実 がF-15に与 える影響 と水 噴射 の安全 性 と信頼 性 を憂慮 したアメリカ空軍 が計画 から離脱 。結果 、イスラエルだけで計画 を継続 できずに自然 消滅 することとなった。
海外 の採用 国 と派生 型 一覧 [編集 ]
F-4は
F-4を
日本 [編集 ]
概要 - 1966
年 (昭和 41年 )に第 2次 F-XによりF-86Fの後継 機種 として、F-4Eを日本 での運用 に不 必要 な装備 を取 り除 き、データ・リンクを載 せて要撃 戦闘 機 タイプにしたF-4EJを選定 した[12]。導入 時 の際 の2機 はマクドネル社 セントルイス工場 製 の輸入 [13]、続 く12機 分 は部品 で輸入 し三菱重工業 でのノックダウン生産 、それ以降 を同社 によるライセンス生産 と決定 した。加 えて、1974年 (昭和 49年 )よりRF-4Eを14機 輸入 しており、1981年 (昭和 56年 )の生産 終了 までに日本 が調達 したF-4の総数 は154機 となる。また、F-4のライセンス生産 が許可 されたのは日本 が唯一 となる。 - F-15Jが
導入 されるまで主力 戦闘 機 として防空 任務 を担当 した。出自 が艦上 機 であるために陸上 機 としては大 きな構造 重量 (着 艦 の衝撃 に耐 えるため、足 周 りが頑丈 であった)への批判 や、採用 後 も1976年 (昭和 51年 )のベレンコ中尉 亡命 事件 で低空 目標 の探知 能力 (ルックダウン能力 )不足 が明 らかになるなど、課題 も抱 えた[注 18]。 - F-104J/DJが
実戦 部隊 から退 いた1986年 (昭和 61年 )からは数 の上 でもF-15Jが主力 戦闘 機 となるが、1989年 (平成 元年 )より延命 ・能力 向上 目的 の改修 を受 けた90機 が「F-4EJ改 」となり防空 任務 に就 いた[14]。また、RF-4E偵察 機 2機 の事故 減 に対 して、1990年 (平成 2年 )より15機 の近代 化 改修 対象 外 の初期 型 F-4EJを偵察 型 「RF-4EJ」に改修 した。三沢 基地 の第 3航空 団 第 8飛行 隊 はF-2の配備 遅延 のために1997年 (平成 9年 )から繋 ぎとしてF-1の代 わりにF-4EJ改 を支援 戦闘 機 として運用 していた。 - 2020
年 (令 和 2年 )、F-4EJ改 を戦闘 機 部隊 として最後 まで運用 していた第 301飛行 隊 が茨城 県 百里基地 の第 7航空 団 から青森 県 三沢 基地 の第 3航空 団 に移動 し、F-35Aに機種 更新 した。翌 2021年 (令 和 3年 )3月 17日 に飛行 開発 実験 団 所属 のF-4EJとF-4EJ改 が退役 し、航空 自衛隊 に於 ける全 てのF-4の運用 は終了 した。ただし、博物館 に寄贈 された以外 、多数 の機体 が自衛隊 に残 されている。
- また、RF-4E/EJ
改 を運用 している百里基地 偵察 航空 隊 第 501飛行 隊 を、偵察 型 に改修 したF-15Jで更新 する計画 があった。しかし2020年 (令 和 2年 )現在 、計画 は凍結 となっている。 第 2次 F-X選定 航空 自衛隊 では最初 の主力 機 F-86Fの老朽 退役 が始 まることから、1966年 (昭和 41年 )より後継 機 選定 を開始 した。だが、前回 のF-Xでの汚職 事件 を受 け、今回 の選定 作業 は極秘 裏 に行 われることとなった。- 1967
年 (昭和 42年 )10月よりの選定 で以下 の9機種 の名 が挙 げられた[15]。
F-111 | ゼネラル・ダイナミックス |
F-4E | マクドネル・ダグラス |
P-530(F-18の |
ノースロップ |
F-5 | ノースロップ |
CL-1010-2(F-104の |
ロッキード |
ジャギュア | イギリス・フランスの |
サーブ37 | SAAB |
ミラージュF1 | ダッソー |
ライトニング | イングリッシュ・エレクトリック |
更 なる選定 により1968年 (昭和 43年 )7月 の第 二 次 調査 結果 までにF-4E、CL-1010-2、ミラージュF1の三 機種 までに絞 られた。CL-1010-2は実機 が存在 しないこと、ミラージュF1は導入 経験 のない欧州 機 だったことから、F-4Eの導入 が最 有力 とされ、航空 自衛隊 の現場 からも「F-4しかない」との声 も挙 がっていたという。同年 11月 、F-4E導入 を決定 し、翌年 の1969年 (昭和 44年 )1月 10日 の国防 会議 でF-4E(104機 )の導入 を正式 決定 し閣議 了承 を受 けた。この時点 でのF-4EJ一 機 当 たりの価格 は、20億 円 だった。導入 計画 当初 の第 3次 防衛 力 整備 計画 ではF-4EJ四 個 飛行 隊 分 (104機 )の編成 を予定 した。しかし、1967年 (昭和 42年 )の国会 で日本 社会党 や日本 共産党 などの野党 の追及 を受 けた防衛庁 長官 の「周辺 国 の脅威 になる爆 撃 機能 (対地 攻撃 能力 )を持 たせない」との答弁 を受 けて、核兵器 制御 装置 (DCU-9/A)、爆 撃 コンピュータ(ASQ-91)、空 対地 ミサイル・ブルパップ制御 装置 (ARW-77)、空中 給油 装置 を省略 した機体 をF-4EJとして採用 した。後 に対地 攻撃 能力 はF-4EJ改 への改修 の際 に追加 されている。なお、AN/APR-36/-37についてはライセンス生産 が認 められなかったため、国産 のJ/APR-2が開発 されて装備 されている。- これに
加 え、沖縄 返還 による戦闘 機 部隊 増強 のために24機 、さらに第 三 次 FXの選定 の1年 延長 による12機 の追加 をうけて、最終 的 に140機 を導入 した。また、1974年 (昭和 49年 )にはRF-4Eを14機 輸入 し、追加 配備 している(後述 ) 最初 の2機 が完成 品 輸入 、続 いて11機 がノックダウン生産 、残 りの127機 が三菱重工業 でのライセンス生産 で調達 された[注 19]。当初 、大蔵省 (当時 )は米 軍 調達 価格 とライセンス生産 の価格 差 に難色 を示 していたが、全 機 完成 品 輸入 であった西 ドイツなどと比較 して、機体 あたり2億 円 程度 の差 であることから、保守 運用 の利便 性 や貴重 な外貨 の流出 を抑 える効果 を認 めてライセンス生産 に同意 した。結果 として、F-4のライセンス生産 (自国 生産 )[注 20]が行 われたのは日本 のみであるが、日本 は研究 開発 費 分担 金 として機体 単価 17億 円 の0.8パーセント、約 1400万 円 の104機 分 、計 18億 円 をアメリカ政府 に支払 っている。機体 の旧式 化 による性能 向上 が必要 となったため90機 をF-4EJ改 に改修 し一部 の機体 を支援 戦闘 機 として運用 した。また、偵察 機 としてRF-4EとF-15配備 で余剰 となったF-4EJを偵察 機 に改造 したRF-4EJも運用 している。全 世界 通算 での最終 号 機 は第 7航空 団 第 301飛行 隊 所属 の「17-8440」である。海上 自衛隊 も第 4次 防衛 力 整備 計画 (4次 防 )に於 いて、敵 の制空権 下 で洋上 哨戒 を行 い、艦隊 の上空 援護 や洋上 攻撃 を行 う「高速 哨戒 機 」としてF-4EJを導入 する計画 を立 てていた[18]。機 数 は海上 自衛隊 の1飛行 隊 として、9機 から11機 の導入 が計画 されていた[19]。機体 航空 自衛隊 では、4種類 のF-4を運用 していた。2020年 3月 末 時点 のF-4EJ/EJ改 の保有 数 は26機 、RF-4E/EJは6機 であった[20]。- F-4EJ
- ベースとなったF-4E
前期 型 から対地 攻撃 能力 や空中 給油 能力 を除去 し、スクランブル発進 時 の加速 力 を重視 して、前 縁 フラップ付 きのハードウイングを採用 。他国 のF-4E後期 型 の主翼 が持 つ空戦 能力 を重視 した可動 式 前 縁 スラットは省略 されている(というより、E前期 型 がベースなので、元々 付 いていない)。スタビレーター(水平 尾翼 )は固定 式 前 縁 スラット(スロット)付 きであり、空中 戦闘 における良好 な旋回 性能 を確保 している。エンジンはF-4Eが搭載 したJ79-GE-17とほぼ同型 のJ79-GE(IHI)-17を搭載 。MXU-4/A火薬 カートリッジスターターによる自力 始動 が可能 。F-4EJ/EJ改 は米 空軍 型 のF-4Eに準 ずるので、後 席 にも操縦 桿がある。F-4EJ/EJ改 専用 トラベルポッド(Cargo Pod)は、不要 になったF-104J用 の翼 端 燃料 タンクを改造 して作 られており、航空 祭 などで他 の基地 へ移動 する際 にパイロットの私物 や展示 用 の備品 、帰 りのドラッグシュートなどを収納 するための装備 である。左翼 のインボードパイロンに吊 られるのが一般 的 であるが、両翼 に吊 られる場合 もある。 - 1971
年 (昭和 46年 )7月 25日 に2機 (1・2号機 )を完成 輸入 し、続 く11機 (3~13号機 )を三菱重工業 でノックダウン生産 、127機 (14~140号機 )をライセンス生産 により国産 とした。1981年 (昭和 56年 )5月 20日 に最終 140号機 (#440) を納入 している。 - 1972
年 (昭和 47年 )8月 1日 臨時 第 301飛行 隊 を編成 。4号機 墜落 事故 (1973年 (昭和 48年 )5月1日 )による2ヵ月 半 の飛行 停止 措置 を経 て1973年 (昭和 48年 )10月16日 に同隊 は臨時 が取 れ正式 発足 。その後 1981年 (昭和 56年 )までに302から306SQまでの計 6個 飛行 隊 が編成 された。1975年 (昭和 50年 )11月1日 より302SQに対 領空 侵犯 措置 任務 が付与 されアラート待機 を開始 した。 国産 機 中 90機 を戦力 向上 と寿命 延長 を目的 としてF-4EJ改 に改装 し、F-15導入 で余剰 となった15機 は偵察 機 RF-4EJに改装 している。改修 対象 外 の機体 は各 飛行 隊 で標的 曳航 などの訓練 支援 や運用 試験 に用 いられてきたが次第 に運用 の幅 は狭 まり、1999年 (平成 11年 )に12機 を小牧 基地 の簡易 格納庫 に保管 することとなった。2020年 の時点 で可動 状況 にあるF-4EJは飛行 開発 実験 団 の数 機 のみとなっていた。2021年 3月 に全 機 退役 。- F-4EJ
改
- F-4EJ
国産 機 の機体 寿命 延長 と能力 向上 を目的 とした改修 を行 った機体 。レーダー、FCS(火器 管制 システム)の近代 化 、航法 、通信 能力 の向上 、搭載 ミサイルの近代 化 、爆 撃 機能 の向上 が図 られ、前 席 は計器 盤 中央 上部 にあるレーダースコープと光学 照準 器 もF-4EJから大 きく変更 され、後 席 もレーダースコープとレーダーアンテナコントローラーの位置 や形状 がF-4EJと異 なる。 - 1980
年 (昭和 55年 )からF-4EJの延命 ・能力 向上 研究 を開始 し、1981年 (昭和 56年 )度 に改修 設計 作業 を開始 した。1982年 (昭和 57年 )2月 20日 に航空機 構造 保全 プログラム(ASIP)検査 方式 による機体 寿命 の延長 [注 21] と戦闘 能力 の向上 が可能 であると判断 し、昭和 57年度 に07-8431号機 を三菱重工 へ引 き渡 し改装 、1984年 (昭和 59年 )7月 17日 に初 飛行 、12月13日 に航空 自衛隊 へ引 き渡 された。 改修 は下記 の通 り、アビオニクス類 を中心 としている。- セントラルコンピュータとしてJ/AYK-1
搭載 による、兵 装 システムの統合 とASM-1/ASM-2空 対 艦 ミサイル運用 能力 の獲得 。無 誘導 爆 弾 による対地 攻撃 能力 の付与 。操作 方式 が、F-4EJの手動 式 から自動 式 になり、対地 /対 艦 攻撃 能力 が向上 している。 - APQ-120レーダーをAPG-66J(F-16A/Bで
使用 のAPG-66改造 型 )に換 装 し、目標 探知 距離 を80nm (148km) まで延伸 した上 、ルックダウン・シュートダウン能力 (下方 低空 の目標 を探知 ・攻撃 する能力 )を改善 - F-15J
用 の誘導 指令 装置 を追加 し、APG-66J搭載 のみでは失 うAIM-7Fスパロー空 対空 ミサイルの運用 能力 を付与 - レーダー
警戒 装置 (RWR)をJ/APR-6に更新 。脅威 レーダーの受信 周波数 域 が拡大 され、新 しい世代 のレーダーに対応 が可能 となった。表示 の面 では、電波 源 の方向 を8方位 から、電波 源 からの距離 (電波 の強 さ)を3段階 で表示 するものだったのが、CRTによるデジタル式 表示 となった。 - AN/ASR-63 アナログ
式 慣性 航法 装置 をデジタル式 のJ/ASN-4に更新 。誤差 を1/3に改善 のほか、目視 確認 による位置 のアップデート機能 と12ヶ所 の目標 場所 と3ヶ所 の目標 座標 を記録 できるターゲット・マーク機能 を有 する。 - IFF
敵 味方 識別 装置 をAN/APX-76Aに更新 。従来 のものは、地上 のレーダーや他 の航空機 からの質問 信号 に対 して応答 信号 しか送信 できなかったが、更新 されたものは、前者 の機能 の他 に、自 機 から他 の航空機 に質問 信号 を送信 することが可能 となった。 - AN/ASC-26
光学 照準 機 をカイザー社 製 HUDに変更 、機能 はF-4EJ改 独自 のものとなっている[注 22]。 - レーダーディスプレイをJ/AVQ-3に
変更 - AN/ALQ-131(V)ECMポッドの
搭載 能力 の追加 。RF-4EとRF-4EJにも搭載 可能 。通常 はF-4G ワイルドウィーゼルのように、機首 下 左側 のSta.4に搭載 する。左翼 のインボードパイロンに搭載 することもある。 - HOTAS
概念 の導入 。スロットル・レバーに8個 のスイッチ類 が付 いており、スロットル・レバーと操縦 桿に手 を置 いたまま各種 の操作 が可能 となった。 - レドームにライトニング・アレスター(ライトニング・ストリップ)を7
本 追加 胴体 下 の 600Gal増加 燃料 タンクをハイ-Gタンクに変更 。これにより、ACM(空戦 機動 =Air Combat Maneuver)訓練 でも、増 槽 搭載 時 で最大 7Gまでかかる機動 が可能 となった。通常 、胴体 下 に600Gal(正確 には610Gal) ハイ-Gタンクが搭載 される場合 は、両 翼下 の370Gal タンクは搭載 されない。ただし、偵察 機 は燃費 の悪 い低空 を飛 ぶことが多 いため、通常 3本 の増 槽 を吊 ってフライトする。機内 燃料 タンク容量 は約 1,400Gal、主翼 内 は約 640Galなので、総 容量 は2,000Galを超 えるが、2基 の搭載 エンジンの燃費 から、機内 燃料 での飛行 時間 は2時 間 にも満 たない。航空 自衛隊 のF-4にシャークティースが最初 に描 かれたのは、1998(平成 10)年 の第 301飛行 隊 または第 302飛行 隊 であった。その後 、RF-4にも描 かれるようになった。
- セントラルコンピュータとしてJ/AYK-1
- なお、
改修 時 に放置 した配線 が原因 となりM61A1を誤 射 する事故 (不時 発射 事故 ・後述 )が発生 したため後 に対策 が施 された。 - F-4EJとの
外見 的 な差異 は、胴体 の上 に付 いているTACAN(戦術 航法 装置 )のアンテナがVHF/UHF無線 機 用 に大型 化 され、両 主翼 端 や垂直 尾翼 上端 に新型 RWR(レーダー警報 受信 機 )のJ/APR-6の半円 球 のアンテナが付 き、これにより、尾翼 上端 の尾灯 に死角 ができたため、機体 尾端 のポップアップドアにも尾灯 を追加 、コックピットの照準 装置 がHUDに変 わった、等 が挙 げられる。一部 の機体 では、水平 尾翼 (スタビレーター)の上下 面 にアロー型 の補強 板 を追加 。
- [2] - F-4EJとF-4EJ
改 の主 な外見 上 の違 い
- 1987
年 (昭和 62年 )度 予算 で量産 改修 が認 められ、1989年 (平成 元年 )に量産 改修 1号機 が小松 基地 第 306飛行 隊 に配備 、1993年 (平成 5年 )までに第 301・302飛行 隊 がF-4EJ改 に改編 と続 き90機 が改修 配備 された。次期 支援 戦闘 機 計画 (FS-X)での機種 決定 の遅 れから、F-2の配備 開始 がF-1支援 戦闘 機 の退役 開始 時期 に間 に合 わなくなった。そのためF-15を追加 購入 し、小松 基地 の第 306飛行 隊 をF-15J/DJに改編 して捻出 した機体 をF-2配備 までの繋 ぎとして三沢 基地 第 3航空 団 第 8飛行 隊 に配備 することとした。[注 23]結果 1996年 (平成 6年 )にF-1からの機種 更新 を完了 している。その後 、第 8飛行 隊 は2009年 (平成 13年 )にF-2への機種 更新 を完了 している。2021年 3月 に最後 の1機 が運用 を終 え、全 機 退役 。 - 2011
年 に茨城 空港 利用 促進 協議 会 が航空 自衛隊 百里基地 から退役 機 を借 り受 けてRF-4EJとともに小美 玉 市 与沢 の茨城 空港 公園 (航空 広場 )に展示 している[21]。 - RF-4E
- アメリカの
開発 した輸出 用 の偵察 機 。地形 回避 機能 付 き前方 監視 レーダー装備 による全天候 作戦 能力 を有 しているのに加 え、光学 カメラだけでも各種 焦点 距離 のものを4基 搭載 可能 であり、赤外線 スキャナーや側 視 レーダーまで備 える。偵察 部隊 は、共通 のスローガン“Alone, Unarmed and Unafraid”(単機 、非 武装 、恐 れなし)が示 すとおり、機首 のM61A1やAIM-9などの防御 武装 を持 たず、単機 で敵 地 に乗 り込 むことが多 いため、サバイバビリティの高 さが求 められる。偵察 訓練 を続 ける傍 ら、自然 災害 や航空機 ・船舶 の遭難 や氷 状 観察 等 、民生 上 の情報 収集 にも出動 することが多 い。 - RF-86Fの
後継 機 導入 計画 の立案 段階 では、三菱 製 のF-4EJにマクドネル・ダグラス製 の偵察 型 機首 を取 り付 けることが検討 されていたが、全 機 完成 機 を輸入 することになり、1974年 (昭和 49年 )12月3日 から1975年 (昭和 50年 )6月8日 にかけて14機 を導入 した。全 機 が百里基地 偵察 航空 隊 第 501飛行 隊 に配備 。2機 が事故 で失 われ、2機 が退役 、2010年 現在 10機 を保有 。 - レーダー
警戒 装置 等 一部 搭載 機器 をF-4EJ改 と同 じ物 に替 えたために非公式 には「RF-4E改 」とも呼 ばれている。 - 2020
年 3月 に全 機 退役 。 - RF-4EJ
- RF-4Eを2
機 事故 で失 い12機 となった第 501飛行 隊 の偵察 力 の増強 のため、F-4EJ改 への改修 を行 わない初期 型 F-4EJに偵察 ポッドを運用 できるように改修 した機体 。 - 1990
年 (平成 2年 )に改造 が始 まり、試 改修 1号機 (87-6406)は1992年 (平成 4年 )2月 4日 に初 飛行 した。量産 改修 は1991年 (平成 3年 )から1993年 (平成 5年 )にかけて行 い、計 15機 改修 、百里基地 第 501飛行 隊 が運用 している。計画 当初 は17機 を改修 する予定 だったが15機 時点 で予算 計上 中断 、そのまま実質 終了 となった。 - RF-4EJでは
偵察 機器 をセンターラインポッドに搭載 して運用 するため、機首 のM61A1をそのまま維持 している点 がRF-4Eとの顕著 な差 となっている。 - RF-4EJは
有事 の場合 、上記 の理由 により、戦闘 機 として運用 することが可能 である。 - 15
機 のうち、2号機 から8号機 は長距離 斜 め写真 (LOROP)撮影 用 ポッド運用 能力 しか持 たない限定 改修 型 、1号機 と9~15号機 はLOROPに加 えて戦術 偵察 (TAC)ポッド及 び戦術 電子 偵察 (TACER)の運用 能力 の追加 と慣性 航法 装置 とレーダー警戒 装置 をF-4EJ改 規格 のJ/ASN-4とJ/APR-6Aに変更 したため量産 改修 型 と呼 ばれたが、後 に限定 改修 型 も3種類 のポッドが運用 できるように再 改修 された。 - 2020
年 3月 に全 機 退役 。 - 2011
年 に茨城 空港 利用 促進 協議 会 が航空 自衛隊 百里基地 から退役 機 を借 り受 けてF-4EJ改 とともに小美 玉 市 与沢 の茨城 空港 公園 (航空 広場 )に展示 している[21]。 配備 部隊 - F-4EJ
第 7航空 団 -第 301飛行 隊 (後 に第 5航空 団 に移駐 し、EJ改 に機種 更新 )・第 305飛行 隊 (F-15Jに機種 更新 )第 2航空 団 -第 302飛行 隊 (後 に第 83航空 隊 に移駐 し、EJ改 に機種 更新 )第 6航空 団 -第 303飛行 隊 (F-15Jに機種 更新 )・第 306飛行 隊 (EJ改 に機種 更新 )第 8航空 団 -第 304飛行 隊 (F-15Jに機種 更新 )実験 航空 隊 (航空 実験 団 を経 て現在 の飛行 開発 実験 団 )第 1術 科 学校
- F-4EJ
改
三沢 基地 :第 3航空 団 -第 8飛行 隊 (F-2に機種 更新 )百里基地 :第 7航空 団 -第 302飛行 隊 (第 3航空 団 に移駐 し、F-35に機種 更新 )百里基地 :第 7航空 団 -第 301飛行 隊 (第 3航空 団 に移駐 し、F-35に機種 更新 )小松 基地 :第 6航空 団 -第 306飛行 隊 (F-15Jに機種 更新 )岐阜 基地 :飛行 開発 実験 団 浜松 基地 :第 1術 科 学校
- RF-4E/EJ
誤 射 事故 (不時 発射 事故 )- 2001
年 (平成 13年 )6月25日 、北海道 の島松 射撃 場 上空 で、対地 攻撃 訓練 中 の第 83航空 隊 (当時 )第 302飛行 隊 所属 のF-4EJ改 が、ロケット弾 を用 いた実弾 射撃 訓練 後 に右 旋回 したところM61A1を不意 に発砲 した。約 2秒間 に渡 って弾倉 内 の訓練 弾 (インターネットなどで「発射 されたのだから訓練 弾 ではなく実弾 ではないか」という意見 が散見 されるが、訓練 弾 は実弾 と同様 に火薬 により発射 されるが着弾 時 に炸裂 しない砲弾 で、訓練 でのみ使用 される専用 弾 である。)188発 が発射 され[注 24]、弾丸 は射撃 場外 に飛翔 して演習 地 北方 に位置 する北広島 市 冨 ヶ岡 の北広島 リハビリセンターの敷地 内 に着弾 、施設 や駐車 車両 に損害 を与 えた。 当該 機 のパイロットは「操縦 桿の引 き金 には触 れておらず、引 き金 の安全 ピンも抜 いていない」との事 であり、その後 の調査 にてEJからEJ改 への改修 の際 に撤去 されずにいた不要 配線 が外装 板 の取 り付 け作業 のドリルによる穿孔 で損傷 、それがロケット弾 用 の配線 と接触 して通電 したのが原因 と判明 した。後継 機
- F-4EJ
改 の後継 となる次期 主力 戦闘 機 (F-X)の選定 が防衛 省 にて行 われ、2008年 (平成 20年 )度 に機種 決定 の予定 だった。しかし、防衛 省 が最 有力 候補 としていたF-22が技術 流出 を懸念 したアメリカ議会 から禁輸 措置 を受 けたため、平成 23年 (2011年 )度 からの中期 防衛 力 整備 計画 での決定 に延期 された。候補 はユーロファイター タイフーン、F/A-18E/F、F-35の三 機種 に絞 られ、2011年 12月20日 にF-35が次期 主力 戦闘 機 として正式 に選定 された。F-35の配備 は開発 の遅延 等 から2017年 以降 とされているため、F-4EJ改 の運用 スケジュールを耐用 年数 見直 しの上 で変更 する可能 性 もあるとされる。最終 組 み立 てを日本 国内 で行 ったF-35Aの機体 が2017年 6月 13日 に初 テストフライトを実施 した[22]。支援 戦闘 機 隊 はF-2の配備 を受 けて2008年度 末 に機種 更新 した。偵察 機 RF-4は偵察 部隊 の縮小 を受 けて、F-X配備 後 に余剰 となったF-15の改修 機 によりRF-4EJのみ代替 する予定 であったが、主 契約 会社 の東芝 が要求 性能 を満 たせず防衛 省 が東芝 との契約 を解除 したため今後 の予定 は未定 。 退役 機 の取 り扱 い自衛隊 では退役 機 をスクラップにしていたが、近年 の防衛 費 増大 による世論 の批判 なども考慮 し、操縦 席 や操縦 桿などを愛好 家 に売却 することが検討 されている[23]。- 2021
年 7月 に防衛 省 から福岡 県 築上 郡 築上 町 へ貸与 という形 で「メタセの杜 (築上 町 物産 館 )」にF-4EJ改 が屋外 展示 されている。
韓国 [編集 ]
1968
1978
1980
2007
イスラエル[編集 ]
イスラエルは
1968
1969
1970
1969
第 四 次 中東 戦争
- 1973
年 10月6日 というユダヤ人 にとって大祭 日 (ヨム・キプール,贖罪 日 )を狙 った奇襲 攻撃 から第 四 次 中東 戦争 が勃発 した。アラブ側 との緊張 の高 まりからF-4には通例 通 り爆 装 が施 されていたが、エジプト空軍 の奇襲 を受 けたF-4飛行 隊 は爆 弾 を抱 えたまま離陸 し地中海 に爆 弾 を全 発 投棄 したのちにスエズ運河 へ向 かっている。その日 の戦闘 でイスラエル空軍 は1機 のF-4を含 む6機 を損失 しながらも、MiG-21などのエジプト空軍 機 16機 を撃墜 した。シナイ半島 南端 のオフィラ空軍 基地 (現在 のシャルム・エル・シェイク国際 空港 )に駐留 していた第 107飛行 隊 は奇襲 に向 かってきた計 27機 のエジプト空軍 航空 部隊 を2機 のF-4Eで迎撃 し、空中 戦 で計 7機 のエジプト空軍 機 を撃墜 しこれを退 けた。この戦闘 はオフィラの空戦 として知 られている。 翌 10月7日 、イスラエルはF-4を中心 とした攻撃 隊 によりエジプト領内 の7つの空軍 基地 への空爆 を実施 したが、エジプト側 の空爆 を予測 しての対空 ミサイルの増強 などもあり、イスラエル空軍 は3機 のF-4Eを失 った。- 10月8
日 は攻撃 目標 をシリアの空軍 基地 5つに絞 り、F-4を中心 とした攻撃 隊 がシリア空軍 機 を空中 戦 で21機 と地上 に待機 中 の11機 を破壊 したが、F-4を4機 損失 した。 - 10月22
日 の停戦 までに両 軍 は117回 の空中 戦 [注 26] を行 った。総 参加 機 数 450機 のうちアラブ側 は277機 墜落 、イスラエルは6機 墜落 、キル・レシオに換算 すると46.1:1となった。実際 には両者 とも空中 戦 よりも地 対空 ミサイルによる被害 が大 きくイスラエルのF-4Eは27機 が地 対空 ミサイルで撃墜 されている。イスラエルがアメリカにパイロットを派遣 していた時期 の情報 がベトナム戦争 におけるSA-2などレーダーに頼 る地 対空 ミサイルに対 する内容 に終 わっていたのに対 して、第 四 次 中東 戦争 で本格 的 に使用 されたソ連 製 地 対空 ミサイルはSA-3、SA-6、SA-7など光学 照準 や赤外線 追尾 方式 を併用 した改良 型 であったため、戦 訓 が通 じずに苦戦 させられたことによる。この損耗 を補 うため、10月14日 から11月14日 にかけて行 われたニッケル・グラス作戦 (アメリカ軍 からの緊急 供与 )により、アメリカ空軍 から32機 のF-4Eが供与 された。 - F-4E"クルナス2000"
- 1980
年代 になり、機体 寿命 延長 と能力 向上 を目的 としてF-4Eの近代 化 改修 計画 が進 められた。当初 はエンジンのプラット・アンド・ホイットニー PW1120(推力 A/B時 9.5t)への換 装 やレーダーのA-6F用 に開発 されていたAN/APG-76への換 装 を始 めとし、カイザー製 広角 HUDやHOTASの導入 、パイソン、 シャフリルといた国産 ミサイルの運用 能力 の付加 、ポップアイ運用 能力 の付加 、ミッションコンピュータの換 装 (エルビット製 ACE-3)などが計画 されていた。試作 機 は1986年初 飛行 し1987年 のパリ航空 ショーにも展示 された。しかしエンジン換 装 は出力 増加 に伴 う発熱 の機体 への影響 の技術 的 解決 の失敗 と予算 面 の都合 により、また、レーダーは開発 自体 をアメリカ海軍 が中止 してしまったことにより実現 できず、アビオニクスとコクピットの近代 化 のみの小規模 な改修 になっている[28]。 - その
後 の運用 状 況 近代 化 改修 された"クルナス2000"は1991年 に実戦 投入 された。しかしながら1990年代 中頃 からはF-16やF-15、F-15Iの導入 により実戦 配備 されているF-4は段階 的 に退役 を始 めた。最終 的 にF-4は2004年 にイスラエル空軍 から退役 した[29]。配備 部隊 および配備 基地
第 201飛行 隊 - ザ・ワン・スコードロン。1969年 9月 より運用 開始 [26]。ハツォール空軍 基地 (~1992年 )、テルノフ空軍 基地 (1992年 ~)所属 。2004年 頃 にF-4の退役 に伴 い活動 停止 したが、2008年 7月 9日 にF-16I "Sufa"を運用 する4番目 の飛行 隊 として再編 された。第 69飛行 隊 - ハンマーズ・スコードロン。1969年 10月 より運用 開始 [27]。ラマト・ダヴィド空軍 基地 (~1980年代 )、ハツェリム空軍 基地 (1980年代 ~)所属 。1994年 頃 にF-4の運用 を停止 し、1998年 頃 からF-15I"ラーム"を集中 運用 する飛行 隊 として再編 された。第 119飛行 隊 - バット・スコードロン。1970年 後半 頃 より運用 開始 [30]。テルノフ空軍 基地 所属 。2004年 の年末 頃 までF-4の運用 を続 けた最後 の飛行 隊 となった。2004年 12月28日 にF-16I "Sufa"を運用 する2番目 の飛行 隊 として再編 された。第 107飛行 隊 - ナイツ・オブ・ザ・オレンジ・テイル。1971年 2月 より運用 開始 [31]。ハツェリム空軍 基地 所属 。1997年 頃 にF-4の運用 を停止 し、2006年 7月 5日 になってF-16I "Sufa"を運用 する3番目 の飛行 隊 として再 編成 された。第 105飛行 隊 - スコーピオン・スコードロン。1975年 3月 より運用 開始 [32]。ハツォール空軍 基地 所属 。1991年 に運用 機 を"ピース・マーブルIII"により導入 されたF-16C/D Block40 "Barak"に更新 した。
エジプト[編集 ]
エジプト
その
F-16C/Dの
イラン[編集 ]
1968
ただし
しかしながら、1979
1980
2014
配備 基地 正確 な現有 機 数 は不明 だがF-4D/Eを50~60機 、RF-4Eを6機 程度 、実働 状態 にして部隊 編成 しているとみられる[24]。
トルコ[編集 ]
1974
トルコ
2012
- F-4E 2020
- トルコ
空軍 がIAIに開発 を依頼 し、自国 で改修 したトルコ版 クルナス2000と言 える機体 である。「ターミネーター(Terminator)」の名 を持 つ。計画 はF-4 ICEの改修 を行 ったドイツのDASA社 案 とイスラエルのIAI社 案 との比較 で、1995年 8月 に決定 した。クルナス2000で見送 られたレーダーの変更 (エルタEL/M-2032)、トルコがライセンス生産 しているF-16に準 ずるアビオニクスへ変更 に加 え、機材 間 の電気 配線 をMIL-STD-1553Bデジタルデータバスに交換 する等 の大 規模 改修 が行 われている。この改修 によってクラスター爆 弾 の搭載 能力 を獲得 するなど電子 機器 類 が大幅 に性能 向上 した。
配備 基地 - 2007
年 現在 、52機 のF-4E 2020に加 え、未 改修 のF-4Eを110機 とRF-4E 38機 を保有 - エスキシェヒル
基地 (第 1主 ジェット基地 ):111.Filo”Panterler”(F-4E 2020) - 112.Filo”Şeytan”(F-4E) - マラティヤ
基地 (第 7主 ジェット基地 ):171.Filo”Korsanlar”(F-4E 2020) - 173.Filo”Şafak”(RF-4E) - コンヤ
基地 (第 3主 ジェット訓練 基地 ):132.Filo”Hançerler”(F-4E)
- エスキシェヒル
スペイン[編集 ]
1971
F-4Cは1989
配備 基地
トレホン
イギリス[編集 ]
機体
- F-4K(ファントム FG.1)
- F-4Jをイギリス
海軍 向 けに改修 した型 。「F-4K」とはマクドネル社内 での呼 び名 でイギリス海軍 では「ファントム FG.1」と呼 んだ。 - エンジンをロールス・ロイスRB-168-25RスペイMk.202(
後 にMk.203)ターボファンエンジンに変更 し、それに伴 いインテークを横 方向 へ15センチ大型 化 、レーダーをAN/AWG-11に変更 した。発 艦 を容易 にするために前 脚 が原型 のF-4Bより40インチも伸 ばせるようになり迎 え角 を大 きくしている。米 空母 に比 べ小型 の英 空母 のエレベーターのサイズに合 わせるため機首 レドームを折 り畳 み式 にしている。エンジン換 装 により加速 性能 と航続 距離 は向上 したが高空 での速度 は少 し遅 くなった。この種 の超 音速 機 では最高 速度 性能 は大 した意味 がなく、概 ね性能 向上 したとみてよいと思 われる。ただし、スペイ・エンジンは原型 のJ79より重 く、テイル・ヘビーの傾向 があったため、スパロー・ミサイルなどを装備 しない場合 でも、機体 前部 の兵 装 ステーション(No.4/6)に死 重 を搭載 する必要 があった。 一方 、空母 の廃止 で生産 数 を削減 されたことでイギリス製 部品 シェアも40%強 にとどまり当初 計画 の50%は達成 できなかった。新規 部品 開発 コストもかさんだため『世界 で最 も高価 なファントム』になったと言 われている。- F-4Kは1966
年 に初 飛行 し、1968年 4月 に初号 機 が引 き渡 された。当初 計画 では140機 を導入 予定 だったが当時 の労働党 政権 は1966年 に空母 戦力 の大幅 削減 (最終 的 に通常 空母 は全廃 )を決定 。F-4Kの搭載 工事 も「アーク・ロイヤル」1隻 のみに施 されることになった。F-4Kの調達 数 も削減 された結果 、1969年 の最終 号 機 引 き渡 しまでに52機 (試作 機 2機 を含 む)の生産 にとどまった。 - 「アーク・ロイヤル」の
改装 中 (1967年 3月~1970年 2月 )に空母 「イーグル」で行 われたF-4Kのテストの結果 はアーク・ロイヤルの改装 にフィードバックされた。1972年 の「イーグル」の退役 によりF-4が搭載 される空母 は「アーク・ロイヤル」のみとなり、飛行 隊 も2個 から1個 へと削減 され、52機 のF-4K中 19機 が空軍 へと移管 され、第 43飛行 隊 に配備 された。1979年 12月の「アーク・ロイヤル」退役 後 のイギリス海軍 ではスキージャンプ装備 の軽 空母 とBAe シーハリアーの組 み合 わせだけとなり、全 機 が空軍 に移管 され、新 たに第 111飛行 隊 がFG.1を受領 した。 移管 後 、F-4Kは防空 戦闘 機 として北海 上空 の防衛 の任 に就 いた。- F-4M(ファントム FGR.2)
海軍 と同様 にイギリス空軍 向 けに改修 した型 。「F-4M」はマクドネル社 、「ファントム FGR.2」がイギリス空軍 での呼 び名 である。多 くの部分 がF-4Kに準 じているが、エンジンをロールス・ロイスRB-168-25RスペイMk.202(後 にMk.204)、レーダーをAN/AWG-12に変更 されている。- F-4Kと
比 べて戦術 (対地 )攻撃 能力 が強化 され偵察 ポッドの運用 能力 も追加 されている[注 31]。また、SUU-23/Aガンポッド用 の配線 も当初 から用意 されている[注 32]。他 にも、電源 車 など地上 設備 がなくとも、内蔵 バッテリーでエンジンスタートできるなど、他 のF-4にはないユニークな特徴 もあった。 - F-4Mは
合計 118機 が発注 され、1個 転換 訓練 部隊 (Operational Conversion Unit:略称 OCU)と7個 実戦 飛行 隊 が編成 された。その内 の3個 飛行 隊 はイギリス本土 に配備 されたが、残 る4個 飛行 隊 が西 ドイツ駐留 部隊 の任 に就 いた。 - 1970
年代 中 ごろからF-4Mは後継 の戦術 攻撃 機 ・戦闘 爆撃 機 、ジャギュアGR.1への転換 が始 められた。同 時期 に防空 戦闘 機 BAC ライトニングの退役 が始 まっており、その後継 のトーネードF.3の開発 が手間取 っていたことから、1970年代 後半 から1990年代 初頭 までファントムFGR.2はトーネードF.3の戦力 化 までのつなぎとして、防空 戦闘 を担当 する6個 飛行 隊 (うち2個 飛行 隊 は西 ドイツに駐留 、このほか1個 飛行 隊 が海軍 で余剰 化 したFG.1に機種 転換 した)に配備 された。 - その
後 は老朽 化 とトーネードF.3への転換 により、1992年 に全 機 退役 した。 - F-4J(UK)(ファントム F.3)
- フォークランド
紛争 後 の1984年 に、第 23飛行 隊 がフォークランド諸島 に派遣 されたことで生 じた防空 網 の穴埋 めのために、アメリカ海軍 の余剰 F-4Jの中古 機 を導入 、新 たに編成 された第 74飛行 隊 に配備 した。アメリカ海軍 保有 のF-4Jから改修 は最小限 で、『女王 陛下 のF-4』としてはもっとも改修 点 が少 ない。 性能 面 ではF-4K/Mと遜色 なかったがスペイを搭載 したF-4に慣 れ親 しんだ整備 兵 達 からは不評 で結局 F-4Mより一足 先 に1991年 退役 している(F-4Mの退役 は1992年 )
配備 部隊 一覧
ドイツ (旧 西 ドイツ)[編集 ]
1968
また、
1976
- F-4F
- F-4Eを
西 ドイツ空軍 (当時 )の要求 に合 わせ改修 。F-104Gの後継 機 (戦術 攻撃 機 )として導入 した為 、主翼 は可動 式 前 縁 スラット付 き、スタビレーターは固定 式 前 縁 スラットが無 い在来 型 の組 み合 わせとなり、スパローの運用 能力 の割愛 といった改修 が加 えられている。 - F-4F ICE
- F-4Fに、
西 ドイツ空軍 (当時 )の要求 に合 わせた「ICE(Improved Combat Efficiency,戦闘 効率 改善 )」と称 する改修 プランを施 した能力 向上 型 。 - レーダーを
従来 のAN/APQ-120からF/A-18で使用 されていたAN/APG-65に変更 し、AIM-120の運用 能力 を付与 した。また、慣性 航法 装置 はハネウェルH-243レーザーINSに、レーダー警戒 受信 機 はAN/ALR68(V)2に更新 され、その他 にも、MIL-STD-1553Bデータバス、新型 エア・データ・コンピュータの装備 、IFFの更新 などの改修 が行 われた[25]。1983年 より研究 が開始 され1992年 より配備 が開始 された。
配備 部隊
その | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
Aufklärungsgeschwader 51 „Immelmann“ |
ブレムガルテン(Bremgarten) |
1971 |
RF-104G | 1993 |
1993 2013 | ||
Aufklärungsgeschwader 52 |
レック(Leck) |
1993 | |||||
Jagdgeschwader 71 „Richthofen“ |
ヴィットムントハーフェン |
1973 |
F-104G | 2013 |
ユーロファイター タイフーン | 2013 2016 | |
Jagdgeschwader 74 „Mölders“ |
ノイブルク(Neuburg) |
1974 |
2008 |
2005 2013 | |||
Jagdbombergeschwader 35 → Jagdgeschwader 73 „Steinhoff“[ |
プファードスフェルト(Pferdsfeld) →ラーゲ |
1975 |
G.91R/3 [ |
2002 |
1993 2013 | ||
Jagdbombergeschwader 36 → Jagdgeschwader 72 „Westfalen“[ |
ホプシュテン(Hopsten) |
1975 |
F-104G | 2002 |
2002 |
オーストラリア[編集 ]
オーストラリア
しかし1960
配備 部隊
アンバーレー |
1970 |
キャンベラB.20 | 1973 |
F-111C | ||
ギリシャ[編集 ]
1974
1987
2007
2017
- F-4E PI2000(F-4E
AU P) - ギリシャ
空軍 がEADSに開発 を依頼 し自国 で改修 した、ギリシャ版 F-4F ICEと言 える機体 。「F-4EAU P」との名称 でも呼 ばれる。計画 は「ピース・イカロス2000」と呼 ばれる[35]。AIM-120に加 えAGM-130やレーザー誘導 爆 弾 の運用 の運用 能力 の追加 等 、大 規模 な改修 が行 われている。
配備 基地
n/a | (110 Πτέρυγα Μάχης) |
ラリッサ |
(337 Μοίρα) |
1978 |
F-5A/B | F-4E | 2005 |
F-16C/D | [38] |
(348 Μοίρα) |
RF-84F /RT-33A |
RF-4E | 2017 |
[37] | |||||
(117 Πτέρυγα Μάχης) |
アンドラビーダ |
(338 Μοίρα) |
1975 |
F-84F | F-4E →F-4E AUP |
[39] | |||
(339 Μοίρα) |
1974 |
2017 |
[40] |
運用 国 [編集 ]
仕様 (F-4E)[編集 ]
乗員 : 2名 全長 : 19.20m (63ft 0in)全高 : 5.02m (16ft 6in)翼 幅 : 11.71m(38ft 4.5in)翼 面積 : 49.2m2 (530.0ft2)翼 型 : NACA エアフォイル 0006.4-64 ルーフ, NACA 0003-64 チップ空虚 重量 : 13,757kg (30,328lb)運用 時 重量 : 18,825kg (41,500lb)動力 : GE J79-GE-17軸 式 圧縮 機 ターボジェット- ドライ
推力 : 52.53kN (5,360kg) × 2 - アフターバーナー
使用 時 推力 : 79.62kN (8,120kg) × 2
- ドライ
最大 着陸 重量 :16,706kg(36,831lb)零 揚 抗力 係数 (Zero-lift drag coefficient):0.0224抗力 面積 :1.10m2(11.87ft2)- アスペクト
比 :2.77(翼 面 ) 燃料 容量
最大 速度 : M2.23 (2,370km/h ,1,472mph)高度 12,190m(40,000ft)時 巡航 速度 : 585mph ,940km/h (506 knots)戦闘 行動 半径 : 422mi,680km (367nm)- フェリー
飛行 時 航続 距離 : 3,184km外部 タンク搭載 時 実用 上昇 限度 : 62,253ft (18,975m)上昇 率 : 210m/s (41,300ft/min)翼 面 荷重 : 383kg/m2 (78lb/ft2)推力 重量 比 : 0.86- *
揚 抗 比 :8.58 離陸 滑走 距離 :1,370m(4,490ft),24,410kg(53,814lb)時 着陸 滑走 距離 :1,120m(3,680ft),16,706kg(36,831lb)時 兵 装 類 機外 最大 搭載 量 :7,258kg
固定 兵 装 :M61A1 20mmバルカン砲 ×1(弾 数 639発 )搭載 兵 装 胴体 下 ステーション:AIM-7×4主翼 下 パイロン(空 対空 ミサイル用 ステーション):AIM-9×4胴体 中心線 下 /主翼 下 パイロン(主翼 下 は空 対空 ミサイル用 ステーション以外 )に最大 重量 8,480kg(18,650 lb)までの兵 装 を搭載 可能 。空 対地 ミサイル:AGM-65 マーベリック×6 AGM-62 ウォールアイ×4 AGM-45 シュライク×4 AGM-88 HARM×4 AGM-78 スタンダードARM×4誘導 爆 弾 :GBU-15×4 GBU-12×18 GBU-10×5 GBU-14×5無 誘導 爆 弾 :Mk.82×18 Mk.84×5- クラスター
爆 弾 :CBU-87×18 CBU-89×18 CBU-58×18 戦術 核 爆 弾 :B28 B61 B43 B57など各 1発 - その
他 武装 :対 滑走 路 兵器 、ロケット弾 ポッド - その
他 装備 :ターゲッティングポッド、偵察 ポッド、電子 戦 ポッド、2271L増 槽 、1400L増 槽 等
- アップグレード
機 - イギリスの
機体 はスカイフラッシュ、ドイツのF-4F ICEはAIM-120、ギリシャのF-4Eはそれに加 えてIRIS-T、日本 のF-4EJ改 はAAM-3・ASM-1・ASM-2、トルコのF-4E2020はポップアイ、イランのF-4はロシアや中国 製 のミサイルを搭載 可能 。
登場 作品 [編集 ]
脚注 [編集 ]
注釈 [編集 ]
- ^
複 座 型 の全天候 型 艦載 機 としてF3D スカイナイトが採用 された前例 があるが、結局 は艦載 機 としては使用 されず、陸上 基地 からの出撃 に留 まっている - ^ マクドネル
社 の前作 のF-101もJ57エンジン双発 の大 推力 ながら同様 の問題 で最高 速度 はマッハ1.7に留 まっている - ^ F-3H、F-101、
本 機 F-4、そして次代 のF-15と、歴代 のマクドネル(ダグラス)社 の戦闘 機 を見比 べると、後退 翼 から徐々 にクリップト・デルタ翼 へと翼 平面 形 が変化 していくことを見 て取 れる - ^
高 迎 角 時 に渦 流 を発生 させることで翼 端 失速 を押 さえる効果 がある - ^ マクドネルの
前作 ・F-101戦闘 機 の場合 は、ピッチ・コントロール・システムが付加 され、機体 の運動 を制限 しており、大 きな欠点 となっている - ^ F-4より
先行 して開発 ・配備 されているF-100戦闘 機 は主翼 位置 が尾翼 より高 く、前後 に開発 された多 くの機体 が悩 まされたピッチアップの問題 とは無縁 であった - ^
中国 が90年代 以降 に配備 しているJH-7戦闘 爆撃 機 は、F-4の派生 型 であるブリティッシュ・ファントムと同 じエンジンを搭載 し主翼 面積 や機体 重量 も近似 しており、しばしばF-4と比較 されるが、主翼 は高 翼 配置 である - ^
主翼 の内 翼 部 と外 翼 部 に分 けて装備 されている。 - ^
高 さ5.28mから自由 落下 させた際 の接地 速度 に相当 - ^ L(=ローマ
数字 の50) Anniversary of Naval Aviation - ^
当時 のレーダー誘導 ミサイルは、運用 する機体 からレーダー波 を照射 し続 ける必要 があり、戦闘 機 どうしの格闘 戦 には不向 きであった。また、赤外線 誘導 ミサイルは、エンジンの廃 熱 を追 うために敵 機 の背後 から撃 つ必要 があり、運動 性 に劣 る機体 では不利 となった - ^ ミサイルには
最低 射程 があるため、敵 機 と急 接近 した際 には使用 できなかった - ^
実 はF-106戦闘 機 が、低 翼 面 荷重 、高 推力 重量 比 で、運動 性 や加速 性 に優 れた機体 だったが、アメリカ本土 防空 が目的 で、高度 な電子 機器 を搭載 する高価 な機体 だったため、ベトナム戦争 において制 空 任務 に用 いる事 はできなかった。ただし仮想 敵 機 としてF-4パイロットの訓練 に用 いられ、大 いに手 こずらせ、技量 向上 に貢献 した。 - ^
横須賀 を母港 とした空母 「ミッドウェイ」に艦載 されていた - ^ これについては「ベトナムでの
戦 訓 から空中 戦 での必要 性 が高 まったため」と語 られることが多 いが、実際 にはそれよりも前 から空軍 は戦術 戦闘 任務 用 として機関 砲 の搭載 を要求 していた - ^
航空 自衛隊 仕様 のF-4EJや西 ドイツ空軍 仕様 のF-4F、輸出 用 偵察 型 のRF-4Eも含 む。 - ^
米 空軍 中古 のF-4C/Dの供与 を受 けたのはスペイン(F-4C)と韓国 (F-4D)だけで、イラン向 けのF-4Dは新造 機 である。また、スペインと韓国 は同 じく米 空軍 中古 の偵察 型 RF-4Cも供与 されている。 - ^ ちなみにF-4は、
米 海軍 向 け後期 型 のF-4Jにおいて戦闘 機 として世界 ではじめてルックダウン能力 を備 えた機体 であり、第 2次 FXの選定 時 の1966年 (昭和 41年 )にはこれよりルックダウン能力 に優 れた機体 は存在 しなかった。この亡命 事件 で地上 のレーダーとF-4EJの双方 が領空 侵犯 機 を見失 うという事態 が発生 したことで、航空 自衛隊 への早期 警戒 機 「E-2C」の導入 が決定 する - ^
完成 品 輸入 の2機 のほか、ノックダウン生産 の10機 にもアメリカ空軍 によるブロックナンバー「F-4EJ-45/-47」が与 えられている - ^
国産 比率 (ライセンス生産 含 む)は90%、輸入 比率 は10%である[16][17]。 - ^
個々 の機体 を、飛行 実績 により管理 して、それをコンピューター処理 することにより、より正確 な疲労 度 と疲労 限界 を個々 の機体 に決定 する機体 の管理 方式 である。これで、一括 で定 められていた機体 寿命 を個々 の機体 で設定 することが可能 となり、約 2000飛行 時間 の寿命 延長 が可能 となった、それにより、3000飛行 時間 とされていたF-4EJの機体 寿命 が5000飛行 時間 へと延 び、年間 飛行 時間 を200時 間 とした場合 には、10年 の延命 が可能 となった。 - ^ HUDユニット
自体 はアルファジェットで使用 されているのと同 じであるが、機能 はコンピューターのソフトウェアにより変更 されている。 - ^
当初 の計画 では第 304飛行 隊 のF-4EJ時代 の施設 が残 されており、施設 流用 可能 でF-4運用 実績 のある築城 基地 第 8航空 団 第 6飛行 隊 へ配備 する計画 だったが西方 への「政治 的 配慮 」で三沢 基地 第 3航空 団 第 8飛行 隊 になった - ^ なお、その
後 の捜索 では弾丸 は18発 しか発見 されておらず、発射 されたもののうち約 9割 が行方 不明 となった - ^ この
時 無事 脱出 した計 5名 のパイロットは全員 捕虜 となった - ^ シリア
対 イスラエル65件 エジプト対 イスラエル52件 - ^ 1982
年 の時点 で80%の機体 が飛行 可能 な状態 になかったとされる - ^ これらに
加 え、偵察 型 であるRF-4Eを27機 発注 するが、第 1陣 の16機 が引 き渡 された時点 でイラン革命 が起 こり、第 2陣 以降 は未 引 き渡 しとなった - ^
一説 では、YJ-8対 艦 ミサイルの運用 能力 が付加 されているとされる - ^
輸入 した航空機 の一部 を国産 品 に交換 することは、航空機 製造 技術 を持 つ国 が他国 機 を導入 した際 に、自国 航空 産業 の育成 などを目的 として、あるいは販売元 が技術 供与 を拒否 した場合 の対処 などで、普通 に行 われている事 である。ただし本 機 のケースにおいては、著 しくコストが増大 し、部品 の国産 化 は失敗 だったとの評 があった事 から、「F-4Jをそのまま導入 しなかったのは、イギリス帝国 のある種 のメンツがそれを許 さなかった」という民族 性 ジョークに近 い俗説 が語 られた。 - ^ イギリス
側 呼称 FGR.2の「R」は「偵察 」を意味 する - ^ F-4Kも
空軍 への移管 時 に追加 された - ^ 1972
年 に移転 - ^
同隊 の解 隊 で余剰 化 したFG.1は空軍 が受領 し、第 111飛行 隊 に配備 された。 - ^
空母 「HMS イーグル」へのファントム配備 計画 中止 により余剰 化 した機体 を受領 。 - ^
第 228作戦 転換 部隊 (No. 228 Operational Conversion Unit)のシャドー・スコードロン。 - ^ 1987
年 4月 22日 付 で移転 。 - ^
第 74飛行 隊 は1971年 に解 隊 されたが、ファントム装備 のために再 編成 された。 - ^ 1971
年 に解 隊 された時点 での装備 。 - ^ 1991
年 に機種 転換 。 - ^ 1975
年 11月3日 付 で移転 。 - ^ 1979
年 に機種 転換 。空母 「HMS アーク・ロイヤル」の退役 により海軍 で余剰 化 した機体 を受領 。 - ^ 1993
年 5月 31日 付 で改名 - ^ F-4Fへの
機種 転換 以前 は第 42軽 攻撃 航空 団 (Leichtes Kanpfgeschwader 42)と呼 ばれていたが、機種 転換 に伴 い1975年 4月 に改名 。 - ^ MiG-29は2004
年 にポーランド空軍 に引 き渡 された。 - ^ 1991
年 1月 1日 付 で改名
出典 [編集 ]
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物語 」』ワールドフォトプレス編 ISBN 4-334-70355-0 月刊 『JWings』2007年 9月 号 「世界 で飛 び続 けるファントムたち」p59~p62- 『
戦闘 機 年鑑 2013-2014年度 版 』イカロス出版 ISBN 978-4-86320-703-5