メッサーシュミット Me262

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Me 262 シュヴァルベ /
シュトゥルムフォーゲル

アメリカ軍に鹵獲された後に飛行するMe 262A-1a 111711号機 (1945年撮影)

アメリカぐん鹵獲ろかくされたのち飛行ひこうするMe 262A-1a 111711号機ごうき
(1945ねん撮影さつえい)

Me 262 シュヴァルベドイツ: Messerschmitt Me 262 Schwalbe)は、ドイツメッサーシュミットしゃ開発かいはつだい世界せかい大戦たいせん末期まっきドイツ空軍くうぐん運用うんようされたジェット戦闘せんとう世界せかいはつ実戦じっせん配備はいびおよび実戦じっせんおこなったジェット機じぇっときである。主任しゅにん設計せっけいしゃヴォルデマール・フォークト技師ぎし

愛称あいしょうかたによってことなり、戦闘せんとうがたの「シュヴァルベ (Schwalbe)」は、ドイツツバメ[注釈ちゅうしゃく 1]戦闘せんとう爆撃ばくげきかたの「シュトゥルムフォーゲル (Sturmvogel)」はミズナギドリである。

開発かいはつ[編集へんしゅう]

ジェット戦闘せんとう開発かいはつだい世界せかい大戦たいせんはじまる1ねんまえ1938ねんからはじまっていたが、実用じつよう終戦しゅうせん直前ちょくぜんとなった。1939ねんにはハインケルしゃジェット機じぇっときはつ飛行ひこう成功せいこうほんさきんじてターボジェットエンジン製作せいさくBMWしゃおよユンカースしゃはじまっていた。

1939ねん1がつ4にち航空こうくうしょうからメッサーシュミットしゃにジェット戦闘せんとう仕様しよう提示ていじされた、その仕様しよう単発たんぱつ戦闘せんとう高度こうどで30ぶん滞空たいくう時間じかん戦闘せんとう要求ようきゅうしており、メッサーシュミットしゃ技術ぎじゅつじん単発たんぱつでレシプロ戦闘せんとうおおきく上回うわまわ性能せいのうるには推力すいりょく650kgのエンジンが必要ひつようだと計算けいさんして、推力すいりょく315kg程度ていどのエンジンを2装備そうびした双発そうはつ機体きたいほう重量じゅうりょうかる生産せいさん容易よういであることから、1939ねん6がつ7にち、メッサーシュミットしゃ双発そうはつ仕様しようのP1065の設計せっけいあん航空こうくうしょう提出ていしゅつした。これは、全幅ぜんはば9.40m、全長ぜんちょう9.30mとMe262よりいちまわちいさく、主翼しゅよく直線ちょくせんつばさちゅうつばさ配置はいちとし、エンジンを主翼しゅよくなかばにしゅけた貫通かんつうするかたち装備そうびし、着陸ちゃくりく装置そうちしきしゅあし主翼しゅよく取付とりつけて内側うちがわ胴体どうたいないしゅやく50°ねじって収納しゅうのうするあんであり、それに先立さきだ研究けんきゅうあんでは、主翼しゅよく直線ちょくせんつばさていつばさ配置はいちとし、エンジン配置はいち主翼しゅよくなかばのしゅけた貫通かんつうするかたち装備そうびし、着陸ちゃくりく装置そうちしきしゅあし主翼しゅよく取付とりつけて内側うちがわ前後ぜんご左右さゆうたがちがいにしゅ胴体どうたい下部かぶ収納しゅうのうするあんであったが機構きこう複雑ふくざつ構造こうぞうてきにも問題もんだいがあった。

その胴体どうたい胴体どうたい下部かぶはばひろげて三角形さんかっけいちか断面だんめんとし、主翼しゅよくていつばさ配置はいちとして着陸ちゃくりく装置そうちしゅあし内側うちがわ胴体どうたいない収納しゅうのうする方式ほうしきとなり、これにくわえてエンジンの配置はいち主翼しゅよく下部かぶ変更へんこうして主翼しゅよくそとつばさに18.5後退こうたいかくける変更へんこうをしている。これは、装備そうび予定よていしていたBMWエンジンが開発かいはつちゅう次第しだい大型おおがた重量じゅうりょう増加ぞうかして、主翼しゅよくなかばのしゅけた貫通かんつうするかたち装備そうびすると、主翼しゅよく構造こうぞう重量じゅうりょうし、そのエンジンナセルと胴体どうたいはさまれた主翼しゅよくうちつばさ(エンジンと胴体どうたいあいだ部分ぶぶん)の空気くうきりゅう干渉かんしょうするおそれがあるのと、そのまま装備そうびすると機体きたい重心じゅうしんおおきくくるわす結果けっかになり、主翼しゅよくがいつばさ後退こうたいかくけることで主翼しゅよくそらりょく中心ちゅうしん移動いどうさせ機体きたい重心じゅうしんわせることにしたためであり、臨界りんかいマッハすうげる後退こうたいつばさ効果こうか認識にんしきっての設計せっけい変更へんこうではない。また、主翼しゅよく下面かめんにエンジンを取付とりつけることで、将来しょうらいのエンジンの寸法すんぽうわり、そのエンジンを装備そうびすることになっても対応たいおうしやすい利点りてんもあった。エンジンの大型おおがた推力すいりょく増加ぞうかすすんだため、機体きたい大型おおがたしており、これにより、武装ぶそうは20mm機関きかんほう3もんから30mm機関きかんほう4もん変更へんこうとなり、燃料ねんりょう搭載とうさいりょう増加ぞうかして滞空たいくう時間じかんも30ふんから1あいだへとしており、先行せんこうしていたハインケルのHe280おさえて空軍くうぐん採用さいようされる要因よういんひとつとなった。

1940ねん3がつ1にち航空こうくうしょうは3原型げんけい製作せいさくさせる方針ほうしんめ、1940ねん5がつ15にち提出ていしゅつされた設計せっけいあん承認しょうにんして、原型げんけい製作せいさく開始かいしされたが、装備そうびされるはずのBMW003エンジンの試作しさくおくれにおくれ、目標もくひょうとする推力すいりょくは700kgとしていたが、1940ねん8がつ最初さいしょ試運転しうんてんでは150kgしかせず、そのあらため設計せっけいで1941ねんなつにはやく450kgまで推力すいりょくしており、Bf110戦闘せんとうをテストベッドとして使用しようして空中くうちゅうテストが開始かいしされたが、まだまだ問題もんだいおおかった。

Me262の原型げんけい1号機ごうきであるMe262V1は完成かんせいしていたが、BMW003エンジンは上記じょうき理由りゆう到着とうちゃくせず、仕方しかたなく機首きしゅに2まいプロペラとそれを駆動くどうする倒立とうりつVかたちえきひやしきのユモ210Gレシプロ・エンジンを装備そうびして基本きほんてき飛行ひこう特性とくせいをテストすることになり、1941ねん4がつ18にちはつ飛行ひこうした。水平すいへい最大さいだい速度そくどは420km/hであったが操縦そうじゅう特性とくせい良好りょうこうであり、1940ねん11月には、ようやくBMW003エンジンが到着とうちゃくし、主翼しゅよく翼下よくか装備そうびして、1942ねん3がつ25にちにジェット・エンジンを使用しようしてのはつ飛行ひこうおこなったが、離陸りりくして高度こうど50m程度ていど左側ひだりがわのエンジンが停止ていしし、つづいて右側みぎがわのエンジンが停止ていししてしまい、機首きしゅのユモ210Gレシプロ・エンジンを始動しどうさせてプロペラだけで飛行ひこうして無事ぶじ着陸ちゃくりくした。原因げんいんはエンジンの圧縮あっしゅく(コンプレッサー)のブレードが破損はそんして停止ていししたことであり、さい設計せっけい必要ひつよう判断はんだんされたため、計画けいかくはさらにおくれる結果けっかとなったが、1942ねん12月にBMW003よりも保守ほしゅてき設計せっけいで1941ねん8がつには推力すいりょく600kgまで記録きろくしていたユンカースのユモ004エンジンを代替だいたいとして使用しようすることがまり、Me262の原型げんけい3号機ごうきであるMe262V3にユモ004A-0が装備そうびされ1942ねん7がつ18にちにジェット・エンジンだけの飛行ひこう成功せいこうし、Me262の原型げんけい2号機ごうきであるMe262V2にもユモ004A-0が装備そうびされ、1942ねん10がつ1にちはつ飛行ひこうしている。

その飛行ひこうにより、機体きたい左右さゆうにバンクをると主翼しゅよくうちつばさつばさ上面うわつらから気流きりゅうがれることがかり、そとつばさけられていた後退こうたいかくうちつばさにもけて、この部分ぶぶん主翼しゅよくつばさつるちょう主翼しゅよくはば)を拡大かくだいするとともにつばさあつし、そとつばさぜんえん取付とりつけられていたぜんえんスラットをうちつばさにも取付とりつけることで解決かいけつしており、その結果けっか主翼しゅよく揚力ようりょくが30%結果けっかとなった。また、ぜんえんスラットは着陸ちゃくりく速度そくどげるのにやくっていた。

ジェット・エンジンからのジェット排気はいき滑走かっそうめてしまうほか、離陸りりく離陸りりく滑走かっそう開始かいししても、水平すいへい尾翼びよく主翼しゅよくかげはいって昇降しょうこうかじかないことがかり、速度そくどが190km/hにたっした時点じてんしゅあしのブレーキをみこめば瞬時しゅんじてき尾翼びよくがり、昇降しょうこうかじくようになり、そのとき離陸りりく操作そうさすればいと技術ぎじゅつしゃ示唆しさしていたが、これはだれでも真似まねできるわけでもなく、空軍くうぐんのレヒリン・テストセンターから空軍くうぐんのパイロットがメッサーシュミットしゃのテストパイロットからコツをおそわって離陸りりくしようとしたが、3かい失敗しっぱいしたのち、滑走かっそうからしてしゅあしとエンジンがもぎられる事故じここしており、Me262V5から着陸ちゃくりく装置そうちしきから前輪ぜんりんしき変更へんこうすることで解決かいけつしている。しきへの固執こしつ前輪ぜんりんしきが「アングロアメリカの発明はつめいひんであるから」というナチてきイデオロギーに由来ゆらいしていた。

試作しさく[編集へんしゅう]

搭載とうさいされていたJumo 004ジェットエンジン。右側みぎがわ下部かぶ空気くうきこう先頭せんとう取付とりつけられているものは、エンジン始動しどうようのスターター。
試作しさく1号機ごうき Me 262 V1
機体きたい1941ねんはじめに完成かんせいした。BMW 003が完成かんせいだったため、ユンカースしゃせいJumo 210Gレシプロエンジンおよびプロペラ機首きしゅ装備そうびされ、4がつ18にち試験しけん飛行ひこうおこなった。操縦そうじゅうせいきわめて良好りょうこうで、のちにBMW 003が搭載とうさいされたのちも、信頼しんらいせいたかいJumo 210Gは機首きしゅのこされた。
1942ねん3月25にち、BMW 003エンジンを使用しようしてのはつ飛行ひこうちゅう、エンジン2停止ていしし、機首きしゅのJumo 210Gのみで緊急きんきゅう着陸ちゃくりくした。信頼しんらいせいひくいBMW 003エンジンははずされ、ユンカースしゃJumo 004Aジェットエンジンにかわそうされた。機首きしゅのJumo 210Gも撤去てっきょされ、MG 151/20機関きかんほう3搭載とうさいされた。
ほんは1944ねん6がつ7にち試験しけん飛行ひこう損傷そんしょう飛行ひこう不能ふのうとなった。
試作しさく2号機ごうき Me 262 V2
当初とうしょからJumo 004Aが設置せっちされ、1942ねん10月1にちはつ飛行ひこう成功せいこう翌年よくねん4がつ18にち事故じこうしなわれた。
試作しさく3号機ごうき Me 262 V3
1942ねん7がつ18にち、ドイツ南部なんぶのギュンツブルク地区ちく・ライプハイム空軍くうぐん基地きちにおいてフリッツ・ヴェンデル操縦そうじゅうによりはつ飛行ひこう成功せいこうした。
試作しさく4号機ごうき Me 262 V4
後述こうじゅつアドルフ・ガーランドによる評価ひょうか存在そんざいする。
試作しさく5号機ごうき Me 262 V5
着陸ちゃくりく装置そうちしきから固定こていしき前輪ぜんりんしきさん車輪しゃりんしき)に変更へんこうした機体きたい
試作しさく6号機ごうき Me 262 V6
さい設計せっけいされた機体きたい着陸ちゃくりく装置そうち油圧ゆあつ引込ひきこめしき前輪ぜんりんしき変更へんこう、エンジン内側うちがわ主翼しゅよく後退こうたいかくして、主翼しゅよくぜんえんには全幅ぜんぷくぜんえんスラット追加ついかされた。
1943ねん11月に完成かんせいし、同月どうげつ26にちには、ヒトラーのまえでデモンストレーション飛行ひこうおこなった。
機体きたい調整ちょうせいは1942ねんちゅう完了かんりょうしたがJumo 004エンジンの信頼しんらいせい改善かいぜんせず、量産りょうさんにおいてもほん欠点けってんとなった(後述こうじゅつ)。

ぐん首脳しゅのうじん評価ひょうか経緯けいい[編集へんしゅう]

夜間やかん戦闘せんとう仕様しようのMe 262B-1a/U1

1943ねん試作しさく4号機ごうき空軍くうぐん首脳しゅのう披露ひろうされ、同年どうねん5がつ22にちアドルフ・ガーランド少将しょうしょう当時とうじ)がMe 262 V4に試乗しじょうした。ガーランドは「天使てんし後押あとおししているようだ」と絶賛ぜっさんして、レシプロからの転換てんかん言明げんめいした。さらにJumo 004B-0搭載とうさい前輪ぜんりんしき降着こうちゃく装置そうち油圧ゆあつ引込ひきこめしき改良かいりょうした試作しさく6号機ごうきMe 262 V6が、7がつ25にち航空こうくうしょうヘルマン・ゲーリング国家こっか元帥げんすいエアハルト・ミルヒ空軍くうぐん元帥げんすいまえでデモンストレーション飛行ひこうおこなった。

1943ねん11月26にち、インスターブルク航空こうくうセンターで地上ちじょう展示てんじされたMe 262 V6をアドルフ・ヒトラーは、ゲーリングにたいばくだん搭載とうさい可能かのうかどうか質問しつもんした。ゲーリングは理論りろんてき可能かのう回答かいとうした(回答かいとう事前じぜんにメッサーシュミット博士はかせ打診だしん用意よういされた)。

ヒトラーは「電撃でんげき爆撃ばくげき誕生たんじょうした!」と宣言せんげんして、Me 262を高速こうそくばくげきとして生産せいさんするようめいじた。これはMe262のこう高度こうどでの優位ゆういせい無視むしした指令しれいであった。連合れんごうこくぐんだい規模きぼ爆撃ばくげきがドイツ各地かくち被害ひがいあたえ、ヒトラーはそれらへの報復ほうふくと、ヨーロッパ大陸たいりくへの侵攻しんこうそな集結しゅうけつしていた連合れんごうぐんへの攻撃こうげきかんがえていた。当時とうじ世界せかい戦闘せんとうしゅ任務にんむ用途ようとそら対空たいくう戦闘せんとうから地滑じすべてき戦術せんじゅつ支援しえんへの転移てんいしょうじており、ヒトラーはこの動向どうこう認識にんしきしていたという考察こうさつ存在そんざいする[1]。ゲーリングの回答かいとう機種きしゅ全体ぜんたい開発かいはつ計画けいかく推進すいしん目的もくてきとしたものだったが、戦闘せんとうとしての実戦じっせん投入とうにゅう遅滞ちたいさせる結果けっかとなった。

ほんは、機首きしゅ下面かめんに1tまでのへいそう外部がいぶ搭載とうさい可能かのうであったが、これにより、離陸りりく距離きょり大幅おおはばび、機体きたい重心じゅうしん位置いち移動いどうする問題もんだいがあった。テストで500kgばくだん2機首きしゅ下面かめん搭載とうさいして投下とうかしたさいには、投下とうかおおきな機首きしゅげモーメントが発生はっせいして、機首きしゅやく50°もがり、投下とうかするには後部こうぶ燃料ねんりょうタンクの燃料ねんりょう使つか重心じゅうしん調整ちょうせいする必要ひつようがあった。そのためばくげき任務にんむはきわめて危険きけん任務にんむとなり、実戦じっせんでは、その防止ぼうしのため、250kgばくだんを2はつしか搭載とうさいできず、ばくげき照準しょうじゅん装備そうびしていないため、ばくげきとしては不満足ふまんぞくなものであった。Me262の戦闘せんとう爆撃ばくげきがたであるA-2aがたは1944ねん8がつまつきたフランスにおいて作戦さくせん開始かいしし、そのアルデンヌ攻勢こうせいにも参戦さんせんしたが、満足まんぞく戦果せんかげていない、だが、戦闘せんとう爆撃ばくげきがた戦闘せんとう爆撃ばくげき部隊ぶたいにより敗戦はいせんまで細々こまごまつづけられた。

ガーランドはジェット機じぇっとき開発かいはつ計画けいかく初期しょき段階だんかいである1942ねんはる会議かいぎではMe 262を戦闘せんとうとするか爆撃ばくげきとするか、いちめんてき開発かいはつすすめるべきではないと発言はつげんし、メッサーシュミット博士はかせどう意見いけんであったという。ガーランドはMe 262を本土ほんど防空ぼうくうよう戦闘せんとう位置いちづけて編成へんせいすすめていた。ヒトラーはばくげきがた生産せいさん支障ししょうがない範囲はんいでの戦闘せんとうがたのテストを許可きょかしたため、1943ねん12月にガーランドにより、ジェット戦闘せんとう戦術せんじゅつ開発かいはつする目的もくてき実験じっけん部隊ぶたい編成へんせい命令めいれいした。これにより、Me410装備そうびして、ドイツ本土ほんど爆撃ばくげきするB-17などの4はつばくげき迎撃げいげき夜間やかんえい本土ほんどばくげき任務にんむとしていただい51ばくげき航空こうくうだん(KG51)のだいI飛行ひこうたい実験じっけん部隊ぶたい設立せつりつして、そのだい3中隊ちゅうたい選抜せんばつパイロットが実験じっけん部隊ぶたい機種きしゅ転換てんかん訓練くんれんけることになり、実験じっけん部隊ぶたい指揮しきかんにはヴォルフガング・シェンク少佐しょうさ任命にんめいされ、実験じっけん部隊ぶたいはシェンク実験じっけんたいまたはE-51特別とくべつ分遣ぶんけんたいばれた。1944ねん6がつ6にち連合れんごうぐんノルマンディー上陸じょうりく作戦さくせんはじまったときには、実験じっけん部隊ぶたい訓練くんれんはまだ未完みかん状態じょうたいであり、12めいのパイロットが各人かくじん4あいだ程度ていど訓練くんれんけて作戦さくせん可能かのうとし、7がつ20日はつかに9がフランスのシャトーダンに進出しんしゅつしたが、その連合れんごうぐん進攻しんこうはやく、エタンプ、クレー、ジュビンクールと基地きち移動いどうしながら撤退てったいしていき、8がつにはベルギーのアティーシュープル、オランダのフォルケル、アイントホーフェンに基地きち移動いどう、9月にはドイツ本土ほんど帰還きかんするありさまで、ジュビンクールでセーヌがわ沿いなどを目標もくひょう散発さんぱつてき出撃しゅつげきこころみたものの、機密きみつ保持ほじ理由りゆう高度こうど4000m以下いかでの攻撃こうげき禁止きんしばくげき照準しょうじゅんなしでの攻撃こうげきのため効果こうかはなかった。7月26にちには、えい空軍くうぐんモスキート撃墜げきついしてジェット戦闘せんとうはつ戦果せんか記録きろくしているが(実際じっさいはモスキートの側面そくめんとびら風圧ふうあつ破壊はかいされ、んでったものをMe262のパイロットが誤認ごにんしただけであった)、8がつ28にちにはべいぐんの2P-47われて胴体どうたい着陸ちゃくりくしてはつ撃墜げきついされている。その実験じっけん部隊ぶたいは、ドイツ本土ほんど帰還きかんかいたいされてKG51のだいI飛行ひこうたい併合へいごうされることになり、KG51のだいI飛行ひこうたいだいII飛行ひこうたいはMe262に機種きしゅ転換てんかんして、だいI飛行ひこうたいはライネ、だいII飛行ひこうたいはヘゼペに展開てんかいするとともにKG51の指令しれいには中佐ちゅうさ進級しんきゅうしたシェンクが就任しゅうにんして、9がつ下旬げじゅんから、ベルギー・オランダにあるえい空軍くうぐん基地きち・カナダ空軍くうぐん基地きち地上ちじょう部隊ぶたい攻撃こうげき開始かいししている。

ヒトラーは戦闘せんとうがたのみ生産せいさんされていることをミルヒの報告ほうこくからって激怒げきどし、1944ねん5月23にち会議かいぎで、Me262を戦闘せんとうこときんじ、ばくげきがたのみ生産せいさんさせた(ただし1944ねん6がつ会議かいぎ記録きろくでは、それはジェット爆撃ばくげきであるAr 234の生産せいさん軌道きどうるまでの暫定ざんていてきなものとされている)。しかし、アメリカ陸軍りくぐん航空こうくうたいえい空軍くうぐんのドイツ本土ほんど爆撃ばくげきがさらにはげしくなり、石油せきゆ施設しせつねらわれて石油せきゆ生産せいさんやストックがみ、燃料ねんりょう不足ふそく深刻しんこくになり、それにより、訓練くんれん部隊ぶたいはもとより実戦じっせん部隊ぶたいまでもが出撃しゅつげき制限せいげんくわわるようになりはじめ、さすがのヒトラーも1944ねん8がつ30にちに20に1割合わりあい戦闘せんとうがた生産せいさんみとめる生産せいさん許可きょかした。

戦闘せんとうがたのA-1aがたは、1944ねん8がつから空軍くうぐん引渡ひきわたしが開始かいしされた。9月25にちには、実験じっけん部隊ぶたい基本きほんとしたヴァルター・ノヴォトニー少佐しょうさ隊長たいちょうとしたMe262の実戦じっせん部隊ぶたい「コマンド・ノヴォトニー」が編成へんせいされ、9月29にちには2中隊ちゅうたいかれ、ドイツ北西ほくせいのアハマーとヘゼベに展開てんかいしてやく30配備はいびされ、10月から作戦さくせん開始かいしした。どう部隊ぶたいはアメリカのだい8航空こうくうぐん爆撃ばくげきたい護衛ごえい戦闘せんとう迎撃げいげき目的もくてきとしており、ばくげきたいばくげき迎撃げいげきにはレシプロ戦闘せんとう対処たいしょするろんであった。しかし、エンジンの脆弱ぜいじゃく燃料ねんりょう不足ふそくによるパイロットの訓練くんれん不足ふそくからの故障こしょう事故じこおおく、ほん弱点じゃくてんである離陸りりく攻撃こうげきされて撃墜げきついされたりしたため、飛行場ひこうじょう直衛なおえのレシプロ戦闘せんとうたい配備はいびするなどしたが、11月8にちには、隊長たいちょうであるノヴォトニー少佐しょうさが、どう部隊ぶたい視察しさつおとずれたガーランドの眼前がんぜん撃墜げきついされ戦死せんししてしまう。そのどう部隊ぶたいはレヒフェルトに後退こうたいさせて訓練くんれんもどったが、戦果せんか撃墜げきつい22、確実かくじつ4にたいして配備はいびされた30ちゅう26うしなっている。

ノヴォトニー少佐しょうさ戦死せんしすこまえの11月4にちにヒトラーは全面ぜんめんてき戦闘せんとうがた生産せいさんみとめ、「コマンド・ノヴォトニー」部隊ぶたいだい3戦闘せんとう航空こうくうだん(JG3)とだい54戦闘せんとう航空こうくうだん(JG54)とのあいだ再編さいへんされ、はつのMe262戦闘せんとう航空こうくうだんであるだい7戦闘せんとう航空こうくうだん(JG7)のだいIII飛行ひこうたいとなり、ブランデンブルクに基地きち移動いどうして作戦さくせん開始かいししているが、戦死せんししたノヴォトニー少佐しょうさしのんで部隊ぶたいめいを「ノヴォトニー」としている。また、連合れんごうぐん制空権せいくうけんでは従来じゅうらいのレシプロ爆撃ばくげきでは作戦さくせん行動こうどうはほぼ不可能ふかのうとなったため、かいたいされたばくげき航空こうくうだんのパイロットをMe262の戦闘せんとうたいのパイロットとして活用かつようすべく、ばくげき航空こうくうだんさい編成へんせいはじまり、11月まつだい54ばくげき航空こうくうだん(KG54)がだい54ばくげき航空こうくうだん戦闘せんとう部隊ぶたい(KG(J)54)となり、だいI飛行ひこうたい中部ちゅうぶドイツのビュルツブルグにちかいベルシュタットを基地きちとしている。そのだい6・27・55の3つのばくげき航空こうくうだんをMe262の戦闘せんとうたい改変かいへんする予定よていであったが、1945ねん4がつだい6ばくげき航空こうくうだんのみ作戦さくせん可能かのうとなっただけであった。

1944ねんまつには、Me262を夜間やかん戦闘せんとうとして使用しようする飛行ひこうたい編成へんせいされ、夜戦やせんのエースであったクルト・ヴェルター中尉ちゅうい隊長たいちょうとしたヴェルターたいてき爆撃ばくげき上空じょうくうから爆撃ばくげきする実験じっけん担当たんとうするハルト・シュタンプ少佐しょうさ隊長たいちょうとしたシュタンプたい、Me262にカメラを装備そうびして偵察ていさつとして使用しようするヘルワルト・ブラウェク中尉ちゅうい隊長たいちょうとしたブラウェクたい編成へんせいされた。ヴェルターたいは、1945ねん2がつまつだい11あいだ戦闘せんとう航空こうくうだん(NJG11)のだい10飛行ひこうたい編入へんにゅうされたが、配備はいびされたすう常時じょうじ4であり、単座たんざ戦闘せんとうがた機首きしゅにFuG218ネプトゥーンレーダーを装備そうびした実験じっけんMe262V56とおなじく機首きしゅにFuG218を装備そうびしたふく夜間やかん戦闘せんとうがたのMe262B-1a/U1を装備そうびして使用しようしていたが、後者こうしゃは7製造せいぞうとどまったため、レーダーなしの単座たんざ昼間ひるま戦闘せんとうがた併用へいようされ、ベルリン西方せいほうのブルク基地きちから首都しゅとベルリンの防空ぼうくうせん出撃しゅつげきして、出撃しゅつげき160かいやく45撃墜げきつい記録きろくしている。シュタンプたいは1944ねん12月から時限じげん信管しんかんけたばくだんてき爆撃ばくげき編隊へんたい上空じょうくうから20°のなる降下こうか接近せっきんして、そのばくだん投下とうか炸裂さくれつさせててき爆撃ばくげき撃墜げきついする実験じっけん開始かいししたが、ツァイスしゃせい照準しょうじゅん試用しようしたり、時限じげん信管しんかんを2びょう設定せっていしたりしたが、結論けつろんない実験じっけんとなり、1945ねん3がつたいかいたいされている。ブラウェクたい近距離きんきょり偵察ていさつグループのNAG6のだいII飛行ひこう中隊ちゅうたい配属はいぞくされ、終戦しゅうせんまで任務にんむいていたが、配備はいびしたすうが5-6すくなく、本来ほんらい写真しゃしん偵察ていさつがたのMe262-1a/U3やA-4aはさらにすくなく、単座たんざ昼間ひるま戦闘せんとうがたおお配備はいびされ、これを使用しようした偵察ていさつ任務にんむおこなわれている。

空軍くうぐん上層じょうそうとの対立たいりつはげしくなったガーランドはのち戦闘せんとうたい総監そうかん地位ちい解任かいにんされたが、大戦たいせん末期まっき1945ねん1がつにはMe262が優先ゆうせんてき配備はいびされただい44戦闘せんとうだん(JV44)を編成へんせいしてその司令しれいかんとなり、メッサーシュミットしゃ故郷こきょうであるバイエルンしゅう中心ちゅうしん作戦さくせん開始かいししている。

へいそう[編集へんしゅう]

機関きかんほう
MK 108 30mm機関きかんほうを4もん装備そうびしていた。強力きょうりょく連合れんごうぐんがわ爆撃ばくげき容易ようい撃墜げきついできた。しかし弾丸だんがんおもいため発射はっしゃ初速しょそくおそ弾道だんどう直進ちょくしんせいひくかったため、命中めいちゅうさせるには目標もくひょうにかなり接近せっきんする必要ひつようがあった。
ロケットだん
戦争せんそう末期まっきにはR4M ロケットだん搭載とうさい配備はいびされた。このR4Mはヒトラーの「そらでのたたか自体じたいだいいち大戦たいせん時代じだい同様どうよう機銃きじゅうたがいに方法ほうほうからまったく進歩しんぽがない」なる主張しゅちょうもとづき開発かいはつされた。R4Mは12はつずつ木製もくせいラックにおさめられ、両方りょうほう主翼しゅよくに1ラックずつ、いちけい24はつけられた。
R4Mの直進ちょくしんせいひく運用うんようじょうのリスクがしょうじた。たか命中めいちゅうりつるためには編隊へんたい飛行ひこうちゅうの4はつじゅう爆撃ばくげきに800メートルの距離きょりまで接近せっきんする必要ひつようがあった。命中めいちゅうから爆発ばくはつまでにタイムラグをもうけ、てき内部ないぶ爆発ばくはつする仕様しよう破壊はかい効果こうかたかめた。1、2はつ命中めいちゅうすればばくげき撃墜げきついできたとされる。
R4M搭載とうさいのMe262により、終戦しゅうせん直前ちょくぜん1かげつあいだに500もの連合れんごうこく軍機ぐんき稼動かどう不能ふのうにしたとされる。当時とうじ最高さいこう速度そくどせたMe262の存在そんざいと、短時間たんじかんいち発射はっしゃできる装置そうち発明はつめいにより、末期まっきのドイツがわ数少かずすくない効果こうかてき攻撃こうげき方法ほうほうとなった。

利点りてん[編集へんしゅう]

すぐれた速度そくど上昇じょうしょうりょくこう高度こうどにおける一方いっぽうてき優位ゆういせい
想定そうていじょう戦域せんいきでは性能せいのう十分じゅうぶん発揮はっきすることができた。高度こうど6,000mでの水平すいへい飛行ひこうで870km/h、なる降下こうかにおいては900km/h以上いじょう飛行ひこう速度そくどどう時代じだい航空機こうくうきより150km/h以上いじょうはやかった。これは、当時とうじアメリカやイギリスで登場とうじょうしたおなだい1世代せだいジェット戦闘せんとうP-59グロスター ミーティアくらべてまさり、戦後せんご世代せだいであるアメリカのP-80匹敵ひってきした。これは、主翼しゅよくつばさ面積めんせきが21.7㎡とちいさく(P-80は22.1㎡)、よってつばさめん荷重かじゅうおおきいこと、主翼しゅよくあつさがうすく、その目安めやすであるつばさあつは11%(P-80は13.5%)であり、高速こうそく追求ついきゅうした設計せっけいであった。上昇じょうしょうりつでは、初期しょき上昇じょうしょうりつは20m/secとレシプロ戦闘せんとう大差たいさをつけるほどではないが、高度こうどたかくなっても上昇じょうしょうりつがさほど低下ていかせず、6000mで11m/sec、9000mで5.5m/secの上昇じょうしょうりつられている。戦後せんごにエンジンがおな推力すいりょくつミーティアF.3と比較ひかく試験しけんをしたときも、Me262のほうが32km/hもはや結果けっかており、P-80との比較ひかく試験しけんでは、Me262が速度そくど加速かそくせいまさり、上昇じょうしょう性能せいのうではほぼ同等どうとうとの結果けっかている。
当時とうじ空戦くうせんでは速度そくどてきより30km/hはやいだけで一方いっぽうてき優位ゆうい維持いじできたが、アメリカ陸軍りくぐん航空こうくうたいばくげき護衛ごえい主力しゅりょくとしていたP-51D最高さいこうでも708 km/hであり、追従ついしょうすらむずかしかった。
フランス空軍くうぐんエース・パイロットとしてられるピエール・クロステルマンは、片方かたがたのエンジンが停止ていししたMe262をテンペスト追跡ついせきしたが、まったくいつけなかったとかたっている。
特徴とくちょうてき運用うんよう
速度そくど性能せいのうかし、一撃いちげき離脱りだつ戦法せんぽうてっする運用うんようおこなわれ、熟練じゅくれんしたパイロットが操縦そうじゅうした場合ばあいてき護衛ごえい戦闘せんとう回避かいひ爆撃ばくげき集中しゅうちゅうてき攻撃こうげきすることが可能かのうとなった。

欠点けってん[編集へんしゅう]

エンジンの信頼しんらいせいひく
ジェットエンジン黎明れいめいであり、とく過酷かこく運用うんようもとめられる戦闘せんとうけの導入どうにゅう時期じき尚早しょうそうだった。性能せいのう信頼しんらいせい両面りょうめん多数たすう技術ぎじゅつてき課題かだい解決かいけつのままのこされ、Me262の欠陥けっかんとなった。エンジンのスロットルたいする応答おうとうせいわるく、操縦そうじゅうせきのスロットル・レバーによる急激きゅうげきなスロットル操作そうさこう高度こうどでは、エンジン燃焼ねんしょうしつフレームアウト(燃焼ねんしょう停止ていし)が発生はっせいしエンジン停止ていしすることがあった。また、エンジン故障こしょうりつたかく、事故じこ喪失そうしつおおかった。
エンジン寿命じゅみょう最大さいだいで70あいだじつ運用うんようでは平均へいきん25~30あいだで、戦闘せんとうちゅう片方かたがたまたはりょうエンジン故障こしょう頻発ひんぱつした。戦闘せんとう破壊はかいされるよりも耐用たいよう時間じかんえて稼動かどう不能ふのうとなる機体きたいほうはるかにおおかった。離陸りりくおおきな推力すいりょくるためにスロットル・レバーをひらき、燃料ねんりょう過大かだい燃焼ねんしょうさせても機体きたい劇的げきてき加速かそくさせることはできず、その状態じょうたいではエンジン燃焼ねんしょうしつねつおおきく損傷そんしょうした。ばくげきにしようというヒトラーの意見いけんは、それなりに卓見たっけんであった。
これら欠点けってん機動きどうせい加速かそくせい悪化あっかつながり、事実じじつじょうドッグファイト不可能ふかのうとなった。また、離陸りりく直後ちょくご速度そくどがおそくてきることも出来できなかった。このためアメリカぐん護衛ごえい戦闘せんとうは、接近せっきんちゅうのMe262を発見はっけんした場合ばあい護衛ごえい対象たいしょうばくげきからはなれて早期そうき攻撃こうげきするという戦術せんじゅつえた。これにより多数たすう被害ひがい発生はっせいした。
燃費ねんぴわる
当時とうじのレシプロ比較ひかく燃費ねんぴ劣悪れつあくだった。機体きたいない前部ぜんぶしゅ燃料ねんりょうタンクと後部こうぶ補助ほじょ燃料ねんりょうタンクでけい2,570リットルの燃料ねんりょう搭載とうさいでき、さらに機体きたいがい前部ぜんぶラックに300リットルぞうそうを2搭載とうさいできたが、それでも航続こうぞく距離きょり高度こうど6,000m~9,000mで飛行ひこうしてやく850km~1,050km程度ていどであり、わずか30ぶん作戦さくせんでもすべての燃料ねんりょうタンクを活用かつようする必要ひつようせまられた。
この制約せいやくにより、かいてきした時点じてんすで充分じゅうぶん速度そくどという理想りそう状態じょうたいつくためには運用うんようじょう制約せいやくしょうじた。充分じゅうぶん速度そくどるためにはある程度ていど戦場せんじょうからはなれた飛行場ひこうじょうから離陸りりくしなければならないが、航続こうぞく距離きょりみじかいためあまりとおくからは出撃しゅつげきできない。補給ほきゅう短時間たんじかんわらせたいが着陸ちゃくりくリスクが過大かだいになるなど、基本きほん性能せいのう不足ふそくからいくつものトレードオフしょうじ、運用うんよう支障ししょうしょうじた。また攻撃こうげき失敗しっぱい再度さいどねらいをさだめる時間じかんすくなく、未熟みじゅくなパイロットにとって心理しんりてき負担ふたんした。
着陸ちゃくりくのリスク
貧弱ひんじゃく推力すいりょく機体きたい構造こうぞう着陸ちゃくりくのリスクを増大ぞうだいさせた。三角形さんかっけい断面だんめん機体きたい形状けいじょう影響えいきょう操縦そうじゅうせきから下方かほうえにくく、エンジンの反応はんのうにぶいため滑走かっそうへのアプローチちゅうなに問題もんだいしょうじても臨機応変りんきおうへん対処たいしょができなかった。連合れんごうぐんパイロットはこの弱点じゃくてん利用りようし、着陸ちゃくりく攻撃こうげきするようになった。そのためドイツ空軍くうぐんは、Me262の出撃しゅつげき帰還きかん滑走かっそう周辺しゅうへん護衛ごえい戦力せんりょく展開てんかいさせる必要ひつようせまられた。また、着陸ちゃくりく装置そうち強度きょうどよわ折損せっそん事故じこ頻発ひんぱつした、これは、生産せいさんせい軽量けいりょうねらって比較的ひかくてきてい品質ひんしつてつざい使用しようしたためであり、エンジンの故障こしょうならんで事故じこ原因げんいんの1つとなっている。
滑走かっそう制約せいやく
運用うんようじょうコンクリート舗装ほそう滑走かっそう必要ひつようだった。ジェットエンジンは異物いぶつ混入こんにゅうすると破損はそんし、アスファルト舗装ほそう滑走かっそうではジェット噴流ふんりゅうによって路面ろめんいたためだった。前輪ぜんりんしき降着こうちゃく装置そうち強度きょうど不足ふそくやすく、整地せいち野戦やせん飛行場ひこうじょうでの運用うんよう不可能ふかのうだった。
戦況せんきょう悪化あっかした大戦たいせん末期まっきではコンクリート舗装ほそう滑走かっそうのドイツ本土ほんど飛行場ひこうじょうからしか出撃しゅつげきできず、滑走かっそう制約せいやく結果けっかてきにあまり問題もんだいとならなかった。しかしMe262の運用うんよう場所ばしょ連合れんごうぐんられていたため、護衛ごえいからはなれたP-51機銃きじゅう掃射そうしゃによって離陸りりくまえ破壊はかいされる被害ひがい発生はっせいした。

実戦じっせんでの使用しよう[編集へんしゅう]

こまかい操舵そうだをすると速度そくど高度こうど容易よういうしなうが、低速ていそくからの加速かそくりょくひくいため戦闘せんとうちゅうさい高速度こうそくどまでもどすのは不可能ふかのう主翼しゅよく下部かぶにエンジンをつるした双発そうはつであるため、旋回せんかい性能せいのう単発たんぱつレシプロ戦闘せんとうおとり、ドッグファイト禁止きんしされ一撃いちげき離脱りだつ戦法せんぽう前提ぜんていとした操縦そうじゅう要求ようきゅうされた。このため当初とうしょはドイツ空軍くうぐん精鋭せいえいパイロットのみ搭乗とうじょうゆるされた。圧倒的あっとうてき速度そくどであるため、編隊へんたい飛行ひこう距離きょりをとっての編隊へんたいとなる。

速度そくど優位ゆういせいたもつために精鋭せいえいパイロットはゆるやかに旋回せんかいしてねらいをさだめ、ばくげき編隊へんたい一撃いちげき離脱りだつ戦法せんぽう攻撃こうげきすることで成果せいかげた。R4Mが装備そうびされてからは、護衛ごえい戦闘せんとう射程しゃていはいまえ速度そくどている状態じょうたい調整ちょうせいばくげき上方かみがたからなる降下こうかしてぞうはやしつつロケットを発射はっしゃ、そのまま護衛ごえい離脱りだつするという戦法せんぽうとなった。

Me262の特性とくせい存在そんざい意義いぎ理解りかいしたパイロットは、砲火ほうか護衛ごえい隙間すきまってばくげき選択せんたくてき攻撃こうげきし、無傷むきず離脱りだつすることができた。しかし戦争せんそう末期まっき配属はいぞくされた未熟みじゅくなパイロットらは、進路しんろ選択せんたくわる前方ぜんぽう弾幕だんまくられたり、攻撃こうげきをやりなおすため急減きゅうげんはやうしろにかれドッグファイトにまれたりするなど、速度そくど優位ゆういせい発揮はっきできずに撃墜げきついされていった。

評価ひょうか[編集へんしゅう]

はげしい空襲くうしゅうため地下ちか工場こうじょう生産せいさんされるMe 262

戦争せんそう末期まっきになると稼動かどう燃料ねんりょう枯渇こかつし、物量ぶつりょう優位ゆうい連合れんごうぐん空戦くうせんりょくまえにドイツ空軍くうぐん自体じたい有名ゆうめい無実むじつしていった。

1945ねん3月18にち、37のMe262が1,221ばくげき護衛ごえい632戦闘せんとうだい編隊へんたい迎撃げいげきし、12ばくげきと1戦闘せんとう撃墜げきついしたが、みずからも3うしなった。この戦闘せんとうキルレシオはおよそ4たい1で、これはドイツ空軍くうぐん想定そうていしていたとおりの比率ひりつであるが、てきがわからすると全体ぜんたいの1%の損害そんがいでしかなかった(故障こしょう喪失そうしつほうおおかったとされる)。

最終さいしゅうてきに、Me262は撃墜げきついすう撃墜げきついすう上回うわまわった枢軸すうじくこくがわ数少かずすくない戦闘せんとうの1つとなった。速度そくど性能せいのうにおいては当時とうじさい新鋭しんえいのレシプロ凌駕りょうがしていたが、数多すうた欠点けってん運用うんようじょう重大じゅうだいリスクをかかえ、実際じっさい空戦くうせんではおおきなアドバンテージを発揮はっきできず、戦況せんきょうおおきな影響えいきょうおよぼすことはなかった。

だい世界せかい大戦たいせんほんソビエト連邦れんぽうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく戦利せんりひんとしてられ、両国りょうこくジェットエンジン搭載とうさい戦闘せんとうF-86およSu-9)のいしずえとなった。ほん実戦じっせん配備はいび主導しゅどうしたアドルフ・ガーランドは戦犯せんぱんとしてイギリスに5ねんほど収容しゅうようされたのち[2]、イギリス空軍くうぐん戦術せんじゅつ教官きょうかんとして採用さいようされた。

バリエーション[編集へんしゅう]

大戦たいせんちゅう[編集へんしゅう]

Me 262 A-1a
A-0
戦闘せんとうがたAシリーズの先行せんこう生産せいさんがた
A-1a
生産せいさんがたMK 108 30mm機関きかんほう×4もん装備そうびイェーガーJäger戦闘せんとう)、ヤーボJabo戦闘せんとう爆撃ばくげき)がある。ニックネームはシュヴァルベ(ツバメ)。
A-1a/R-1
R4Mロケットだん運用うんよう能力のうりょくつ。
A-1a/u1 Mk103 30mm機関きかんほう×2 Mk108 30mm機関きかんほう×2 MG151 20mm機関きかんほう×2
A-1a/U3
短距離たんきょり偵察ていさつがた、Rb50/30カメラとMK 108 30mm機関きかんほう1もん装備そうび
A-1a/U5
機首きしゅ武装ぶそうMK 108機関きかんほう4もんから6もんにし、携行けいこうだんすうを100はつが2もん、85はつが2もん、65はつが2もんとした。
A-1b
エンジンがBMW 003にかわそうされた以外いがいは、A-1a同型どうけい少数しょうすうのみ生産せいさん
A-2a
30mm機銃きじゅうを2もんのみ装備そうびしたばくげきがた。ニックネームはシュトゥルムフォーゲル(ミズナギドリ)。
A-2a/U2
高速こうそく爆撃ばくげきがた機首きしゅばくげきしゅせき新設しんせつし、1号機ごうきロトフェ 7 H3ばくげき照準しょうじゅん装備そうび、2号機ごうきはロトフェ・カンツェルII照準しょうじゅん装備そうび
A-3a
地上ちじょう攻撃こうげきがた
A-4a
偵察ていさつがた
A-5a
偵察ていさつがた最終さいしゅうがた戦争せんそう末期まっき少数しょうすうのみ生産せいさん
Me 262 B-1a/U1
B-1a
二人ふたりりの訓練くんれん
B-1a/U1
夜間やかん戦闘せんとうがた機首きしゅにFuG218ネプトゥーンレーダーを装備そうび装備そうびしたヒルシュゲヴァイアンテナの空気くうき抵抗ていこう最大さいだい速度そくどが60km/h低下ていかして810km/hとなっている。
B-2
胴体どうたいばした夜間やかん戦闘せんとうがた
D-1
上向うわむきにけられ、センサーによりばくげき感知かんち自動じどう発射はっしゃされる5センチ反動はんどうほう SG500 Jagdfaustを装備そうびする特殊とくしゅがた
E-1
A-1a/U4もと機関きかんほう装備そうびした特殊とくしゅがた
E-2
R4M ロケットだんを24はつ搭載とうさいする特殊とくしゅがたで、活躍かつやくしたのは敗戦はいせん直前ちょくぜんの1ヶ月かげつあいだみじかいが、おそれるべき戦果せんかげた
S
Me262A-1aの初期しょき生産せいさんがた

試作しさく[編集へんしゅう]

A-1a/U1
先端せんたんに2もん全部ぜんぶで6もん機銃きじゅう装備そうびした試作しさく(1
A-1a/U2
全天候ぜんてんこう対応たいおうするための航空こうくう電子でんし機器きき搭載とうさいした試作しさく(1)。FuG220リヒテンシュタインレーダー、SN-290 290MHzレーダー放送ほうそう受信じゅしん、ヒルシュゲヴァイ(鹿しかかく)アンテナを装備そうび
A-1a/U4
機首きしゅにMK214A 50mm 機関きかんほう装備そうびした試作しさく(2
A-2a/U1
改良かいりょうされたばくげき照準しょうじゅん設置せっちした試作しさく(1
C-1a
にヴァルターHW109-509ロケットブースターをけた迎撃げいげき戦闘せんとうよう試作しさく(1
C-2b
エンジンのナセル(エンジンの収納しゅうのうとう)にBMWのロケット・ブースターをけた迎撃げいげき戦闘せんとうよう試作しさく(1
C-3a
胴体どうたい下部かぶにヴァルター・ロケットをんだ迎撃げいげき戦闘せんとうよう試作しさく(1

計画けいかく[編集へんしゅう]

Me 262Aとユンカース ユモ 004
Lorin
直径ちょっけい1.15m、全長ぜんちょう5.9mのラムジェットエンジンをJumo004のうえんだ高速こうそくがた
シュネルボマー 1
高速こうそく爆撃ばくげきあん。4,050リットルの燃料ねんりょう搭載とうさいし1,000kgのばくだん搭載とうさいできる。
シュネルボマー 1a
コクピットを機首きしゅ移動いどうさせ胴体どうたいに5燃料ねんりょうタンクをもうけた高速こうそく爆撃ばくげき
シュネルボマー 2
胴体どうたいあらたに設計せっけいし4,450リットルの燃料ねんりょう搭載とうさいし1,000kgのばくだん胴体どうたいない搭載とうさい
Aufklärer 1
写真しゃしん偵察ていさつ。A-1a/U3の機首きしゅ武装ぶそう撤去てっきょし500リットルの燃料ねんりょうタンクとRb75/30カメラおよびRb20/30カメラを搭載とうさい
Aufklärer 1a
Schnellbomber 1aの胴体どうたい流用りゅうようし、Rb75/30カメラ2胴体どうたい中央ちゅうおう装備そうび
Aufklärer 2
Schnellbomber 2の胴体どうたい流用りゅうようし、5,450リットルの燃料ねんりょう搭載とうさい機種きしゅにRb75/30カメラ2、Rb20/30カメラを1搭載とうさい
HG1
レーシングキャノピーとばれる小型こがた流線型りゅうせんけいキャノピーにし、水平すいへい尾翼びよく後退こうたいかくけるとともに、水平すいへい尾翼びよくおおきくした高速こうそく計画けいかく1段階だんかい
HG2
HG1とどう程度ていど改造かいぞう平行へいこうして、主翼しゅよくつばさつるちょうの25%の位置いちで35後退こうたいかくきに変更へんこうした高速こうそく計画けいかく2段階だんかい
HG3
Me262の胴体どうたい利用りよう大幅おおはば設計せっけい変更へんこうをした夜間やかん戦闘せんとうがた主翼しゅよくしん設計せっけいの45後退こうたいかくき、エンジンはHeS011の2主翼しゅよく収納しゅうのうしゅあし主翼しゅよくけ、尾翼びよく・キャノピーはHG1と同等どうとうのものに変更へんこう機首きしゅにはFuG240ベルリンレーダーを収納しゅうのうし、乗員じょういんは3めい機首きしゅMK 108機関きかんほうを4もん、コクピットさい後尾こうびせき左右さゆうシュレーゲムジークMK 108機関きかんほう2もん装備そうび

大戦たいせん[編集へんしゅう]

Me262 A-1c(A-1aのさい生産せいさん機体きたい記号きごうD-IMTT)
アヴィア S-92
A-1a同型どうけいチェコスロバキア生産せいさん
アヴィア CS-92
B-1a同型どうけい、チェコスロバキアが生産せいさん
さい生産せいさん(レプリカ)
アメリカのMe 262 Projectという会社かいしゃ飛行ひこう可能かのうなレプリカを製造せいぞうしており、レプリカにはメッサーシュミットしゃ(EADSしゃ)の承認しょうにんによりA-1c (単座たんざがた)と B-1cふくがた)という型式けいしき番号ばんごうてられている。それぞれA-1aとB-1aのさい生産せいさんであるが、オリジナルのJumo004エンジンにえてゼネラル・エレクトリックしゃCJ610エンジン(J85エンジンの民間みんかんばん)が採用さいようされており、また現代げんだい航空こうくうほうわせて安全あんぜん装置そうち追加ついかあし強化きょうかなどもおこなわれている。

たちばなはなりゅう[編集へんしゅう]

Me262の資料しりょう図面ずめんが、Me163資料しりょうともに、にちどくあいだ連絡れんらく潜水せんすいかん便びんどく潜水せんすいかん作戦さくせん)で日本にっぽんおくられた(ただし実際じっさいにはおおくの資料しりょう輸送ゆそうちゅううしなわれた)。これを参考さんこう中島なかじま飛行機ひこうき海軍かいぐんけに特殊とくしゅ攻撃こうげきたちばなはな」を開発かいはつし、終戦しゅうせん直前ちょくぜんの1945ねん8がつ7にちはつ飛行ひこう成功せいこうした。しかし2度目どめ試験しけん飛行ひこう離陸りりくまえにオーバーランして故障こしょうし、修理しゅうりちゅう終戦しゅうせんむかえた。

なお中島なかじま飛行機ひこうきは、おなじくMe262を参考さんこうにして陸軍りくぐんけの戦闘せんとう襲撃しゅうげきキ201「りゅう計画けいかくしていた。りゅう完成かんせいいたらず終戦しゅうせんむかえている。

また、1944ねん9がつごろには陸軍りくぐんによって、Me262Aのエンジンを国産こくさんじくりゅうターボジェットである中島なかじま日立ひたちTR230」(静止せいし推力すいりょく885 kg)または三菱みつびしTR330」(静止せいし推力すいりょく1,300 kg)に変更へんこうした仮称かしょう川崎かわさきロケット」を、川崎かわさき航空機こうくうき国産こくさんすることが計画けいかくされた。1号機ごうき完成かんせいは1945ねん12がつ予定よていしていたが、キ201に計画けいかく変更へんこうされるかたち中止ちゅうしされた[3]

スペック (Me 262A-1a)[編集へんしゅう]

Me 262の三面図
Me 262の三面さんめん
  • 乗員じょういん:1 めい
  • 全長ぜんちょう:10.58 m
  • つばさちょう:12.5 m
  • 全高ぜんこう:3.83 m
  • つばさ面積めんせき:21.73 m2
  • 自重じちょう:3,795 kg
  • 空虚くうきょ装備そうび重量じゅうりょう:4,413 kg
  • 最大さいだい離陸りりく重量じゅうりょう:6,387 kg
  • 動力どうりょくユンカース Jumo 004B-1 ターボジェットエンジン ×2
  • 推進すいしんりょく:8.83 kN × 2
  • 最高さいこう速度そくど:869 km/h(高度こうど6,000 m)
  • 航続こうぞく距離きょり:1,050 km
  • 上昇じょうしょう限度げんど:12,190 m以上いじょう高度こうど9,000 m)
  • 上昇じょうしょうりつ:1,200 m/ぶん
  • 着陸ちゃくりく速度そくど:175 km/h
  • 主翼しゅよくぜんえん後退こうたいかく:18°32'[4]
  • 武装ぶそう
    • 固定こてい武装ぶそう:30mmMK 108機関きかんほう×4 装弾そうだんすう360はつ
    • ロケットほう:55mm R4M ロケットだん×24

現存げんそんする機体きたい[編集へんしゅう]

  • 番号ばんごうはWerk Number(WkNr.)。
型名かためい      番号ばんごう   機体きたい写真しゃしん     国名こくめい 所有しょゆうしゃ 公開こうかいじょうきょう 状態じょうたい 備考びこう
Me262A-1a 112372
VK893
イギリス シュロップシャーしゅう イギリス空軍くうぐん博物館はくぶつかんコスフォードかん [1] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [2]
Me 262A-1a/R7 500071 ドイツ バイエルンしゅう ドイツ博物館はくぶつかん[3] シュライスハイム航空こうくうかん英語えいごばん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [4]
Me 262A-1a/U3 500453 写真しゃしん アメリカ ワシントンしゅう フライング・ヘリテージ・空中くうちゅうせん兵器へいき博物館はくぶつかん[5] 公開こうかい 修復しゅうふくちゅう [6]
Me 262A-1a/R7 500491 アメリカ ワシントンD.C. 国立こくりつ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん[7] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [8]
Me 262A-1a 501232 アメリカ オハイオしゅう 国立こくりつアメリカ空軍くうぐん博物館はくぶつかん[9] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [10]
Me 262A-2a 500200 オーストラリア 首都しゅと特別とくべつ地域ちいき オーストラリア戦争せんそう記念きねんかん[11] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [12]
Me 262B-1a/U1 110305
A.M.50
VH519
みなみアフリカ共和きょうわこく ハウテンしゅう みなみアフリカ国立こくりつ軍事ぐんじ歴史れきし博物館はくぶつかん英語えいごばん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [13]
Me 262B-1a 110639 アメリカ フロリダしゅう 国立こくりつ海軍かいぐん航空こうくう博物館はくぶつかん[14] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [15]
Me 262B-1c 501241
N262AZ
アメリカ マサチューセッツしゅう コリングス財団ざいだん英語えいごばん[16] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう [17]
Me 262A-1c 501242 アメリカ オレゴンしゅう エヴァーグリーン航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん[18] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 110999号機ごうき塗装とそうがされている。[19][20]
Me 262A/B-1c 501243
N262MF
アメリカ ヴァージニアしゅう 軍事ぐんじ航空こうくう博物館はくぶつかん[21] 公開こうかい 飛行ひこう可能かのう [22]
Me 262A-1c 501244
D-IMTT
ドイツ バイエルンしゅう メッサーシュミット航空こうくう博物館はくぶつかん [23]
(Flugmuseum Messerschmitt)
公開こうかい 飛行ひこう可能かのう [24]
Me 262B-1c 501245 ドイツ 不明ふめい 不明ふめい 飛行ひこう可能かのう

登場とうじょう作品さくひん[編集へんしゅう]

映画えいが[編集へんしゅう]

レッド・テイルズ
アフリカけいアメリカじん航空こうくう部隊ぶたいタスキーギー・エアーメン」の物語ものがたり。ドイツを空爆くうばくするため飛来ひらいしたばくげき迎撃げいげきするが、P-51Dで護衛ごえいする主人公しゅじんこうらにドッグファイトへまれ撃墜げきついされる。
撮影さつえいにはCG使つかわれている。

アニメ・漫画まんが[編集へんしゅう]

RAISE
主人公しゅじんこう所属しょぞくするB-17ばくげき部隊ぶたい攻撃こうげきする。
宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマト2199
Me262をモデルとした宇宙うちゅう戦闘せんとうDWG262 ツヴァルケ」が登場とうじょうする。
いぬおおかみ伝説でんせつ
航空こうくう自衛隊じえいたい使用しよう
ストライクウィッチーズ2
Me262をモデルとした試作しさくがたジェットストライカーユニット「Me262v1」が登場とうじょうだい4にてゲルトルート・バルクホルン大尉たいいじょうし、実戦じっせん使用しようする。
戦場せんじょうまんがシリーズ
どうシリーズの複数ふくすう作品さくひん登場とうじょうしており、なかでも「ベルリンのくろ騎士きし」や「双発そうはつ騎士きし」では主人公しゅじんこうじょうとなっている。
戦場せんじょうロマン・シリーズ
電光でんこうたか」に登場とうじょうモスキートタイフーンP-51圧倒あっとうするも、バードストライクで墜落ついらくする。
独立どくりつ戦車せんしゃたい
「Jungle Express」にて、有村ありむら大尉たいいらがドイツから潜水せんすいかん使つかってはこんで物資ぶっしとしてほん登場とうじょうする。攻撃こうげきけたさい潜水せんすいかん故障こしょう日本にっぽんまでかえることが不可能ふかのうになり、ビルマ一時いちじ上陸じょうりくするが、空襲くうしゅう潜水せんすいかん撃沈げきちんされたため、ビルマでたてて、日本にっぽんまではこぶことをめる。
日本にっぽんまで外山とやま大尉たいい操縦そうじゅうし、有村ありむら大尉たいいらがれいしき輸送ゆそう分乗ぶんじょうするという方式ほうしきるが、道中どうちゅうイギリスぐんデ・ハビランド モスキート 2れいしき輸送ゆそうおそわれたため、外山とやま大尉たいいはつ操縦そうじゅうながら交戦こうせんし、これを撃墜げきついするという戦果せんかげる。

小説しょうせつ[編集へんしゅう]

1940年代ねんだいとしては先進せんしんてき兵器へいきであったため、ナチス・ドイツ史実しじつより優勢ゆうせい架空かくう戦記せんきおお登場とうじょうし(横山よこやま信義のぶよし蒼海そうかい尖兵せんぺい』『鋼鉄こうてつ海嘯つなみ』など)、日本にっぽんへの派遣はけん国産こくさん実現じつげんする作品さくひんもある。佐藤さとう大輔だいすけレッドサン ブラッククロス』や副田そえだまもるだい反攻はんこう ジェット航空こうくう艦隊かんたい』などでは空母くうぼにも搭載とうさいされる。

ゲーム[編集へんしゅう]

R.U.S.E.
ドイツ戦闘せんとうとして登場とうじょう
Aces High
A-1aがた登場とうじょう。プレイヤーが操縦そうじゅう可能かのう
『Gunship Sequel: WW2』
Me262-A1として登場とうじょう。プレイヤーが操作そうさ可能かのう
War Thunder
A-1a・A-2a・C-1a・C-2b・A-1a/U4がた登場とうじょう。プレイヤーが操縦そうじゅう可能かのう
War Wings
A-1a・V7が取得しゅとく可能かのう(Me262A-1aはドイツぐん開発かいはつラインから、Me262 V7は伝説でんせつきゅう投下とうか物資ぶっしから取得しゅとく)。
World of Warplanes
ドイツツリーのTierVIII-TierXに登場とうじょう。Me262はA-1AがたとA-2Aがたにそれぞれ変更へんこう可能かのう
HG1・HG2がTierIXに登場とうじょうし、HG3もTierXに登場とうじょうする。すべてのタイプはばくそう可能かのうだが、HG3以外いがいR4Mを24はつまで装備そうび可能かのう
あお英雄えいゆう
A-1aが登場とうじょう。プレイヤーが操縦そうじゅう可能かのう
『ブレイジングエンジェルⅡ:シークレットミッションオブWWⅡ』
特定とくていのミッションでの操縦そうじゅう可能かのう

音楽おんがく[編集へんしゅう]

べいハードロックバンド、ブルー・オイスター・カルト1974ねんのアルバム『Secret Treaties(邦題ほうだい『オカルト宣言せんげん』)』に「ME 262」というきょくがあり、アルバムジャケットにはほんえがかれている。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Robert Forsyth: 『だい44戦闘せんとうだん ザ・ガーランド・サーカス』、岡崎おかざき 淳子じゅんこやくだい日本にっぽん絵画かいがISBN 4-499-22840-9
  • 渡辺わたなべ洋二ようじ: 『ジェット戦闘せんとうMe262 ドイツ空軍くうぐん最後さいごかがやき』、光人みつひとしゃISBN 978-4769823100
  • 世界せかい傑作けっさく No.115 メッサーシュミットMe262』、ぶん林堂はやしどうISBN 978-4893191366
  • だい2大戦たいせん 欧州おうしゅう戦史せんしシリーズ『ベルリン攻防こうぼうせん学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、1999ねんISBN 4-05-602060-4

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ Schwalbeは「いちみにしろ」という意味いみにもなる。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 別冊べっさつ歴史れきし読本とくほん 『ヒトラー神話しんわ復活ふっかつ』、新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、2000ねん、190ぺーじ
  2. ^ 鈴木すずき五郎ごろう撃墜げきついおう列伝れつでん 大空おおぞらのエースたちの生涯しょうがい光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ138ぺーじ
  3. ^ 秋本あきもとみのる日本にっぽん陸軍りくぐん試作しさく大鑑たいかんたけなわとうしゃ、2008ねん、105,166,239ぺーじISBN 978-4-87357-233-8 
  4. ^ ジム ウインチェスター (2013-12-20). 世界せかい戦闘せんとう図鑑ずかん (JET FIGHTERS INSIDE OUT). イカロス出版しゅっぱん. p. 10. ISBN 4863208243 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]