P-61 (航空機こうくうき)

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P-61 / F-61 / F2T ブラックウィドウ

飛行するP-61A-1-NO 42-5507号機 (第419夜間戦闘飛行隊所属、1944年撮影)

飛行ひこうするP-61A-1-NO 42-5507号機ごうき
(だい419あいだ戦闘せんとう飛行ひこうたい所属しょぞく1944ねん撮影さつえい)

P-61 ブラックウィドウNorthrop P-61 Black Widow )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくノースロップしゃ開発かいはつだい世界せかい大戦たいせんなかアメリカ陸軍りくぐん航空こうくうぐん運用うんようしたおも武装ぶそう夜間やかん戦闘せんとうのち改称かいしょうされF-61 ブラックウィドウとなる。

愛称あいしょうの「ブラックウィドウ(Black Widow)」は、直訳ちょくやくするとくろ未亡人みぼうじんとなるが、日本語にほんご文献ぶんけんでは「黒衣くろご喪服もふく)の未亡人みぼうじん」と意訳いやくして紹介しょうかいされることがある。アメリカ大陸あめりかたいりく棲息せいそくするクモ一種いっしゅクロゴケグモしているというせつもあるが、機体きたい夜間やかん戦闘せんとうためおもくらいろ塗装とそうされていたことによるとされる。海軍かいぐんではF2T ブラックウィドウとして練習れんしゅう任務にんむいた。

開発かいはつ[編集へんしゅう]

ドイツ空軍くうぐんによるロンドン空襲くうしゅうで、夜間やかん爆撃ばくげき対抗たいこうできる専用せんよう夜間やかん戦闘せんとう必要ひつようせいかんじていたアメリカ陸軍りくぐん航空こうくうぐんは、ノースロップしゃたいして夜間やかん戦闘せんとう開発かいはつもとめた。ノースロップしゃそうどうしき大型おおがた計画けいかく提出ていしゅつし、これにたいして1941ねん試作しさく発注はっちゅうされ、試作しさく1942ねん5月にはつ飛行ひこうした。部隊ぶたいへのわたしは1943ねん10月に開始かいしされ、1944ねんから実戦じっせん配備はいびについた。

設計せっけい[編集へんしゅう]

P-38そうどう形式けいしきのユニークな機体きたいであり、強力きょうりょくな2,000馬力ばりききゅうエンジンを2搭載とうさいしている。夜戦やせん必須ひっすレーダーは、機首きしゅ搭載とうさいしている。武装ぶそう非常ひじょう強力きょうりょくであり、胴体どうたい下部かぶ前方ぜんぽうけた固定こてい機銃きじゅう(20mm機銃きじゅう4もん)、胴体どうたい後部こうぶ上方かみがた遠隔えんかく旋回せんかいしき機銃きじゅうM2 12.7mm機銃きじゅう4もん)をそなえている。しかし遠隔えんかく旋回せんかいしき機銃きじゅう機体きたいじょう突起とっきぶつとなることから気流きりゅう剥離はくりでの機体きたい振動しんどう(バフェッティング)の原因げんいんとされ、またおな旋回せんかいしき機銃きじゅうB-29機体きたい上部じょうぶ前方ぜんぽう使つかわれており、こちらへの供給きょうきゅう優先ゆうせんされたことから、のち廃止はいしされている。

運用うんよう[編集へんしゅう]

強力きょうりょく武装ぶそうとレーダーを搭載とうさいした重量じゅうりょうきゅう機体きたいながら双発そうはつとしては運動うんどうせい軽快けいかいではあったが、それでも単発たんぱつくらものにはならないレベルであり、また配備はいびされたころにはドイツ空軍くうぐんによる本格ほんかくてき空襲くうしゅうりをひそめており、連合れんごうこくぐん夜間やかん戦闘せんとう任務にんむ連合れんごうぐん攻撃こうげきたいしてってきた枢軸すうじくこくぐん夜間やかん迎撃げいげき戦闘せんとうとのたたかい、もしくは少数しょうすう進入しんにゅうしてくるてき爆撃ばくげきたいする迎撃げいげきとなってしまい活躍かつやく機会きかいすくなかった。もっともP-61が存在そんざいかんしめしたのが、イギリス本土ほんど上空じょうくうでのV1飛行ひこうばくだん迎撃げいげきであり、終戦しゅうせんまでに18のV1飛行ひこうばくだん撃墜げきついしている。また、バルジのたたかのときには、だい101空挺くうてい師団しだんまも要衝ようしょうバストーニュ上空じょうくうせいそら戦闘せんとうおこない、ドイツぐん戦闘せんとう爆撃ばくげきMe 410空戦くうせんひろげて、バストーニュの防衛ぼうえい貢献こうけんしている。これらの戦闘せんとうによって、ヨーロッパ上空じょうくうてき戦闘せんとう撃墜げきついされたP-61はなかった[2]

また、太平洋たいへいよう戦線せんせんにも投入とうにゅうされ、おも沖縄おきなわせん夜間やかん侵攻しんこうしてくる特攻とっこう飛行場ひこうじょう爆撃ばくげきしようとする戦闘せんとうばくげきなどの迎撃げいげきたった。日本にっぽん国内こくないにおいても、伊江島いえじま進出しんしゅつしたP-61が夜戦やせんけん地上ちじょう襲撃しゅうげき「P61 ブラック・ウィドー」として新聞しんぶん紙上しじょう紹介しょうかいされていた[3]。まともな夜間やかん戦闘せんとうのない日本にっぽん軍機ぐんきたいしてP-61は非常ひじょうなんてきであり、沖縄おきなわ上空じょうくうだけでもP-61のパイロットで何人なんにんものエースした。一方いっぽうでヨーロッパ戦線せんせん同様どうよう太平洋たいへいよう戦線せんせんにおいても、空戦くうせん撃墜げきついされたP-61はなかった。日本にっぽん海軍かいぐん夜間やかん戦闘せんとう部隊ぶたい芙蓉ふよう部隊ぶたい」が夜間やかん戦闘せんとう彗星すいせいでP-61の撃墜げきつい主張しゅちょうしているが、その撃墜げきついしたと主張しゅちょうするにP-61は戦闘せんとう戦闘せんとう要因よういんいずれも損失そんしつした機体きたいはなく、「芙蓉ふよう部隊ぶたい」の誤認ごにん戦果せんかぎない[4]

しかし、多数たすう撃墜げきついすうほこったアメリカぐんほか戦闘せんとう比較ひかくすると、P-61の戦果せんか見劣みおとりするものであり、終戦しゅうせんまでに127(うち18はV1飛行ひこうばくだん)を撃墜げきついしたにぎなかった[5]。また搭載とうさいりょくかして夜間やかん侵攻しんこうよう戦闘せんとう爆撃ばくげきとして利用りようされることもおおかった。

海兵かいへいたい夜間やかん戦闘せんとうとして使用しようしていたPVF4UF6F後継こうけいとしてP-61をほっしたが、陸軍りくぐんけの装備そうび優先ゆうせんされていたためにたされて、結局けっきょくF7F夜戦やせんがた使つかわれることになったのと終戦しゅうせんにより、12がF2Tとして訓練くんれんよう使用しようされただけであった。また海軍かいぐん開発かいはつ実験じっけん目的もくてき少数しょうすうのP-61を使用しようした。

戦後せんご、F-61(1947ねん改称かいしょう)はF-82順次じゅんじ交代こうたいしていった。また偵察ていさつ気象きしょう観測かんそく少数しょうすう利用りようされた。なお、写真しゃしん偵察ていさつがたF-15 リポーターぶ。

派生はせいがた[編集へんしゅう]

P-61A-1ブラックウィドウ
攻撃こうげきがた
P-61A-5ブラックウィドウ
防衛ぼうえいがた
P-61A-10ブラックウィドウ
機動きどうせい向上こうじょうがた
P-61A-11ブラックウィドウ
火力かりょく重視じゅうしがた
P-61B-1ブラックウィドウ
迎撃げいげき戦闘せんとうがた
P-61B-2ブラックウィドウ
追尾ついびがた
P-61B-10ブラックウィドウ
防御ぼうぎょりょく重視じゅうしがた
P-61B-11ブラックウィドウ
武装ぶそう一部いちぶ変更へんこう
P-61B-15-NO
P-61B-15ブラックウィドウ
機動きどうせい軽視けいしがた
P-61B-16ブラックウィドウ
奇襲きしゅう作戦さくせんがた
P-61B-20ブラックウィドウ
要撃ようげき戦闘せんとうがた
P-61B-25ブラックウィドウ
防衛ぼうえい戦型せんけい
P-61Cブラックウィドウ
防弾ぼうだんせい強化きょうか
P-61Gブラックウィドウ
索敵さくてきがた
F-15 リポーター
偵察ていさつがた

しょもと[編集へんしゅう]

P-61B 三面さんめん
P-61B
  • 全長ぜんちょう:15.12m
  • 全高ぜんこう:4.34m
  • 全幅ぜんぷく:20.12m
  • つばさ面積めんせき:61.53m2
  • 自重じちょう:9,979kg
  • 全備ぜんび重量じゅうりょう:12,610kg
  • エンジン:P&W R-2800-65 空冷くうれいほしがた18気筒きとう 2,250hp ×2
  • 最大さいだい速度そくど:589 km/h
  • 航続こうぞく距離きょり:4,828km
  • 実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど:10,090m
  • 乗員じょういん:3めい
  • 武装ぶそう

現存げんそんする機体きたい[編集へんしゅう]

型名かためい     番号ばんごう    機体きたい写真しゃしん    国名こくめい 所有しょゆうしゃ 公開こうかいじょうきょう 保存ほぞん状態じょうたい 備考びこう        
P-61B-1-NO 42-39445
964
アメリカ ミッドアトランティック航空こうくう博物館はくぶつかん[1] 公開こうかい 修復しゅうふくちゅう 飛行ひこう可能かのう状態じょうたい修復しゅうふくしている。[2]
P-61B-15-NO 42-39715
1234
中国ちゅうごく 北京ぺきん航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ
P-61C-1-NO 43-8330
1376
アメリカ 国立こくりつ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん別館べっかん
スティーヴン・F・ウドヴァーヘイジーセンター
[3]
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [4]
P-61C-1-NO 43-8353
1399
アメリカ 国立こくりつアメリカ空軍くうぐん博物館はくぶつかん[5] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [6]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Knaack, M.S. Post-World War II Fighters, 1945–1973. Washington, D.C.: Office of Air Force History, 1988. ISBN 0-16-002147-2.
  2. ^ Northrop P-61 Black Widow”. 2023ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  3. ^ 「これがP61」 昭和しょうわ20ねん7がつ12にちづけ朝日新聞あさひしんぶん
  4. ^ Jeff Kolln 2008, p. 141
  5. ^ Northrop P-61 Black Widow”. 2023ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Kolln, Jeff (2008). Northrop's Night Hunter: The P-61 Black Widow. Specialty Pr Pub & Wholesalers. ISBN 978-1580071222 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]