ジ・アンダーテイカー

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アンダーテイカーから転送てんそう
ジ・アンダーテイカー
ジ・アンダーテイカーの画像
2014ねん
プロフィール
リングネーム ジ・アンダーテイカー
ケイン・ジ・アンダーテイカー
パニッシャー・ダイス・モーガン
マスター・オブ・ペイン
ザ・パニッシャー
ミーン・マーク・キャラス
テキサス・レッド
本名ほんみょう マーク・ウィリアム・キャラウェイ
ニックネーム デッドマン
怪人かいじん
暗黒あんこく魔王まおう
アメリカン・バッド・アス
地獄じごくはかほりじん
ラスト・アウトロー
身長しんちょう 203cm[1] - 208cm[2]
体重たいじゅう 136kg[2] - 140kg[1]
誕生たんじょう (1965-03-24) 1965ねん3月24にち(59さい
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
テキサス州の旗 テキサスしゅうヒューストン
所属しょぞく WWE
スポーツれき バスケットボール
トレーナー ドン・ジャーディン[3]
バズ・ソイヤー[3]
デビュー 1984ねん
引退いんたい 2020ねん6がつ20日はつか
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ジ・アンダーテイカーThe Undertaker本名ほんみょうMark William Calaway1965ねん3月24にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくもとプロレスラーテキサスしゅうヒューストン出身しゅっしん[4]

概要がいよう[編集へんしゅう]

ギミックうえ出身しゅっしんたにとされている。リングネームの "Undertaker" ははかほりじん本来ほんらい意味いみ葬儀そうぎ)を意味いみし、てんじて「地獄じごくはかほりじん」とあらわされることもある[5]。TV中継ちゅうけいでは「テイカー」ともりゃくされた。

その豊富ほうふ経験けいけん実績じっせきでバックステージでの同僚どうりょうのレスラーのリスペクトはたかく、リーダーかく地位ちいにある。入場にゅうじょう試合しあいとうでは、ヒールえんじていてもブーイング歓声かんせいにかきされるほどであった[6]。スーパーヘビーきゅうにふさわしいちからわざ大柄おおがら肉体にくたいとは裏腹うらはらのフットワークのはやさ、安定あんていしたレスリングテクニックもさることながら、たりはずれのおおきい怪奇かいきギミックを完璧かんぺきにこなし、WWE人気にんきるための重要じゅうよう要素ようそであるマイクアピールをほとんどせずとも、入場にゅうじょうするだけで自分じぶんのペースにむことができた。

WWE最大さいだい祭典さいてんレッスルマニアでは出場しゅつじょうした21大会たいかいすべてで勝利しょうりおさめ、無敗むはい記録きろく更新こうしんつづけていたが、2014ねんレッスルマニアXXXブロック・レスナー敗北はいぼく無敗むはい記録きろくまった。はかほりじんギミックのときは「かみなりとす」「てき背後はいご姿すがたあらわし、うしろをかえった瞬間しゅんかんふたた姿すがたす」「てき友人ゆうじんかお突然とつぜんだらけになるまぼろしえる」などのちょうつね現象げんしょうあやつれる魔力まりょくつというギミックがあり、魔力まりょくてき翻弄ほんろうすることから「心理しんりせん達人たつじんmaster of mind games)」ともばれた。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

初期しょき[編集へんしゅう]

ドン・ジャーディンバズ・ソイヤーのコーチをけて、1984ねんダラスのWCCW(フリッツ・フォン・エリック主宰しゅさい)にてブルーザー・ブロディ相手あいてにデビュー[4]当時とうじリングネームテキサス・レッドTexas Red)だった。そのメンフィスCWAのちにWCCWと合併がっぺいしてUSWA改称かいしょう)に転戦てんせんし、マスター・オブ・ペインThe Master of Pain)のリングネームで活動かつどう[4]1989ねん4がつ1にちにはジェリー・ザ・キング・ローラーやぶりUSWA統一とういつ世界せかいヘビーきゅう王座おうざ獲得かくとく[7]同年どうねん10がつ5にち覆面ふくめんレスラーザ・パニッシャーThe Punisher)に変身へんしんしてUSWAテキサス・ヘビーきゅう王座おうざ奪取だっしゅした[8]

その初期しょきWCW移籍いせきポール・E・デンジャラスリーテディ・ロングマネージャーに、ミーン・マーク・キャラス"Mean" Mark Callous)のダニー・スパイビーとのザ・スカイスクレイパーズThe Skyscrapers[9]などで活動かつどうロード・ウォリアーズスタイナー・ブラザーズとも対戦たいせんし、シングルではスティングNWA世界せかいヘビーきゅう王座おうざレックス・ルガーNWA USヘビーきゅう王座おうざ挑戦ちょうせんしたが[10][11]成功せいこうすることなく退団たいだん。このあいだ1990ねん3がつパニッシャー・ダイス・モーガン"Punisher" Dice Morgan名義めいぎしん日本にっぽんプロレスはつ来日らいにち広島ひろしま県立けんりつ体育館たいいくかんにてスコット・ホールみ、マサ斎藤さいとう&橋本はしもとしんIWGPタッグ王座おうざ挑戦ちょうせんしている[12]当時とうじはショートパンツにセミロングと、後年こうねんとはまったくことなるいでたちだった[1]

1990ねん-1994ねん[編集へんしゅう]

WCW退団たいだんハルク・ホーガン主演しゅえん映画えいが "Suburban Commando"(邦題ほうだいマイホーム・コマンドー) に出演しゅつえんしたことから、ホーガンの紹介しょうかいWWF契約けいやくふる西洋せいよう映画えいが葬儀そうぎをベースにした怪奇かいきヒールケイン・ジ・アンダーテイカーKane the Undertaker)に変身へんしんし、1990ねん11月22にちサバイバー・シリーズにてテッド・デビアスぐんのメンバーとしてデビュー[13]以降いこうはリングネームをジ・アンダーテイカーThe Undertaker)と簡略かんりゃくする。当初とうしょ言葉ことばはなさない設定せっていであったためブラザー・ラブがマネージャーにき、のちにWCCW時代じだいからの間柄あいだがらであるポール・ベアラーわった。1991ねんからはハルク・ホーガンアルティメット・ウォリアーなどトップ選手せんしゅのライバルに抜擢ばってきされ、同年どうねんサバイバー・シリーズではリック・フレアー介入かいにゅうもあってホーガンをやぶWWF世界せかいヘビーきゅう王座おうざ獲得かくとく。これは当時とうじ最年少さいねんしょう記録きろくであった。しかし6にちにはフレアーやベアラーの介入かいにゅうがえしたホーガンに王座おうざもどされている。

そのかれ出現しゅつげん以前いぜんのWWFいち怪奇かいきであったジェイク・ロバーツみ、ランディ・サベージなどと抗争こうそう1992ねんにロバーツと仲間割なかまわれしてベビーフェイス転向てんこう、4がつWrestleMania VIIIにてロバーツを撃破げきはした。このころより、骨壷こつつぼからはっせられるパワーがいとちから発揮はっきできない、というギミックくわわる。同年どうねん下期しもきにはカマラとのこうそうにおいて、かれ代名詞だいめいしとなる棺桶かんおけマッチも実現じつげんした。当時とうじのアンダーテイカーは1991ねん12月から1993ねん9がつまでのあいだはシングルせんでは無敗むはいであり、これは1990年代ねんだいのWWE最長さいちょう記録きろくとなった。

1994ねん1がつロイヤルランブルでWWF世界せかいヘビーきゅう王者おうじゃヨコズナとの棺桶かんおけせん圧倒あっとうするものの、ヨコズナの配下はいかのヒール・レスラーやく30にん襲撃しゅうげきされて敗北はいぼく。その直後ちょくご会場かいじょうのスクリーンに棺桶かんおけないのテイカーがうつり、棺桶かんおけ爆発ばくはつするとともにテイカーが「昇天しょうてん」してしばらく姿すがたした(実際じっさいには背中せなか怪我けが治療ちりょうのため)。

1994ねん-1996ねん[編集へんしゅう]

同年どうねんサマースラム復帰ふっきし、当時とうじデビアスの配下はいかとして出現しゅつげんしていたにせアンダーテイカーEvil Undertaker)をくだし、そのヨコズナとの棺桶かんおけせんでの再戦さいせんにも勝利しょうり。この94ねん復帰ふっきさい、それまで灰色はいいろだった手袋てぶくろとブーツが紫色むらさきいろ一新いっしんされ、また入場にゅうじょうさい青色あおいろ照明しょうめい使つかわれるようになった。この演出えんしゅつはその20ねん以上いじょうてもわらず、アンダーテイカーの入場にゅうじょう象徴しょうちょうするものとして定着ていちゃくした。

94ねんまつから1995ねん大半たいはんは、キングコング・バンディカマなどデビアス派閥はばつのミリオンダラー・コーポレーションと抗争こうそうした。95ねんサバイバー・シリーズでは、鼻骨びこつ骨折こっせつ影響えいきょうで『オペラ怪人かいじんふうのフェイスマスクをけて復帰ふっきした。よく1996ねんロイヤル・ランブルでのブレット・ハートとのWWF王座おうざせんにてマスクをがされ、勝利しょうりしかけるがディーゼル妨害ぼうがいされこうそう勃発ぼっぱつWrestleMania XII対戦たいせん勝利しょうりした。

WrestleMania XII翌日よくじつRAWにてハードコア・マッチげたミック・フォーリー怪奇かいきギミックのマンカインドとしてWWFに登場とうじょうしてにんこうそうはじまり、マネージャーのベアラーの裏切うらぎり、サマースラムでの通称つうしょう「ボイラールームでの決闘けっとう」をて、イン・ユア・ハウス史上しじょうはつベリード・アライブ・マッチおこなわれた。試合しあいには勝利しょうりしたものの直後ちょくごジ・エクスキューショナーおそわれめにされる。しかしそのかみなりち、なかからあらわれるというホラー映画えいがさながらのシーンがえんじられた。

そのサバイバー・シリーズにて復活ふっかつ全身ぜんしんくろ統一とういつしたコスチュームと派手はで装飾そうしょくのコートで会場かいじょう天井てんじょうからワイヤーでりてくる衝撃しょうげきてき復帰ふっきたすと、WWFの路線ろせん変更へんこう影響えいきょうして翌年よくねん以降いこうはかほりじん」から「暗黒あんこく魔王まおう」へと徐々じょじょ過激かげきしていった。

1997ねん-1999ねん[編集へんしゅう]

1997ねん

1997ねんWrestleMania 13のメインイベントではサイコ・シッドくだ度目どめのWWF王座おうざ獲得かくとく。サマースラムでショーン・マイケルズ誤爆ごばくによってブレット・ハートに王座おうざうばわれ、以降いこうはマイケルズとのこうそう発展はってん史上しじょうはつヘル・イン・ア・セル決着けっちゃくはかられたが、試合しあいちゅう以前いぜんよりベアラーによって存在そんざいのみがかされていた、『火事かじんだとおもわれていたテイカーのおとうとケイン乱入らんにゅう敗北はいぼく1998ねんWrestleMania XIVでのケインせんではツームストーン・パイルドライバーさん連発れんぱつすえ勝利しょうり。そのはマンカインドとのこうそう復活ふっかつし、キング・オブ・ザ・リングおこなわれたヘル・イン・ア・セルせんではマンカインドを金網かなあみうえから転落てんらくさせ、さらに大量たいりょう画鋲がびょううえにチョークスラムでたたおとし、最後さいごはツームストーン・パイルドライバーでフォふぉル勝るがちをうばうという、プロレス史上しじょうのこ壮絶そうぜつ試合しあいとなった。

そのはマンカインドがケインと結託けったくしたため、ケインと抗争こうそうちゅうだったストーン・コールド・スティーブ・オースチンとタッグをんで7がつにケイン&マンカインドをやぶってWWF世界せかいタッグ王座おうざはつ戴冠たいかん。タッグ王座おうざ陥落かんらくは、テイカーがWWF王者おうじゃオースチンへのだいいち挑戦ちょうせんしゃとなり、並行へいこうしてケインとブラザーズ・オブ・デストラクションBrothers of Destruction和名わみょう破壊はかい兄弟きょうだい」)を結成けっせい。サマースラムでオースチンに挑戦ちょうせんするにあたり、ケインがテイカーを援護えんごしようとするがテイカーは援護えんご拒否きょひして一対一いちたいいちいどみ、オースチンがレフェリーのぬすんではなったローブローをくらい、スタナーをびてやぶれたが、試合しあいにオースチンと握手あくしゅをかわした。

サマースラム久々ひさびさにヒールしていき、オースチン、ケインとのどもえのWWF王座おうざせんではケインとともにオースチンをフォールするが、ビンス・マクマホンが同時どうじフォールはみとめないとして王座おうざ空位くういとなった。10月18にちジャッジメント・デイでオースチンが特別とくべつレフェリーをつとめるテイカーたいケインのWWF王座おうざせんでは、ポール・ベアラーとともにケインを椅子いす殴打おうだし、フォールをうばおうとするが、オースチンがカウントをらずにテイカーを襲撃しゅうげきし、両者りょうしゃカウントアウトとなる。以後いご、オースチンとケインとのこうそうふかめ、十字架じゅうじかしたテイカーのシンボルにオースチンをはりつけにして生贄いけにえにするという凶行きょうこうにでる。12月13にちのPPV『ロック・ボトム』にて、オースチンとのベリードアライブ・マッチでケインの乱入らんにゅうによってやぶれ、めにされた。

よく99ねんに「死去しきょした歴代れきだいもとWWFレスラーたち怨霊おんりょう吸収きゅうしゅうした」ことによって暗黒あんこく魔王まおうLord Of Darkness)のギミックで復活ふっかつミニストリー・オブ・ダークネスMinistry of Darkness)なる怪奇かいきユニットを組織そしき団体だんたい掌握しょうあく目論もくろビンス・マクマホンひきいるコーポレーションとのこうそう開始かいし。コーポレーションのメンバーであるビッグ・ボスマンこうそうをし、レッスルマニアXVでのヘル・イン・ア・セルせん勝利しょうり試合しあいボスマンを首吊くびつにした。のちステファニー・マクマホン誘拐ゆうかいアングルにビンスとコーポレート・ミニストリーThe Corporate Ministry)を結成けっせい自身じしんもオースチンをくだしてさん度目どめのWWF王座おうざ獲得かくとくビッグ・ショーとのタッグでタッグ王座おうざ獲得かくとくなどトップ・ヒールとして君臨くんりんしたが、股関節こかんせつ故障こしょうにより9月より長期ちょうき離脱りだつ、しばらくおもて舞台ぶたいから姿すがたした。

2000ねん-2003ねん[編集へんしゅう]

2000ねん5月21にちジャッジメント・デイにてアメリカン・バッドアスというアメリカの不良ふりょう中年ちゅうねんギミックでさい登場とうじょう。これまでの怪奇かいきから大型おおがたバイクにっての入場にゅうじょうや、バンダナ着用ちゃくようなど、まったぎゃく不良ふりょう中年ちゅうねんスタイルがけ、ベビーフェイス地位ちい確立かくりつ。なおこのギミックは本人ほんにんによれば「自分じぶん普段ふだんのライフスタイル」とのことで、バイクも自前じまえだったそうである。ケインとブラザーズ・オブ・デストラクションさい結成けっせいし、エッジ&クリスチャン勝利しょうりしてWWFタッグ王座おうざ獲得かくとくした。2001ねんにはトリプルHとの抗争こうそうし、WrestleMania X-Sevenでは歴史れきしのこめい勝負しょうぶすえ勝利しょうりどう大会たいかいでストーン・コールド・スティーブ・オースチンがビンス・マクマホンと結託けったくして衝撃しょうげきのヒール・ターンをたし、翌日よくじつにはトリプルHとも結託けったくして、オースチンとトリプルHのタッグ『パワー・トリップ』がWWFを掌握しょうあくするなか、テイカーはケインとのタッグ破壊はかい兄弟きょうだい復活ふっかつさせて対抗たいこうふたたびエッジ&クリスチャンに勝利しょうりしてWWFタッグ王座おうざ獲得かくとくバックラッシュではオースチンのつWWF王座おうざとトリプルHのインターコンチネンタル王座おうざ破壊はかい兄弟きょうだいつタッグ王座おうざけたタッグマッチでパワー・トリップと対戦たいせんし、こうそうちゅう負傷ふしょうしたケインの左腕さわんへの集中しゅうちゅう攻撃こうげきと、ビンスとステファニーの乱入らんにゅうもあってやぶれたものの、5月5にちの『Insurrextion 2001』では、ケインの欠場けつじょうによっていちたいのハンディ・キャップ形式けいしきWWF王座おうざせん(オースチンからフォールをうばったときのみテイカーがWWF王座おうざ獲得かくとく)でパワー・トリップと対戦たいせんし、ビンスとステファニーの乱入らんにゅうをものともしない無双むそうつよさでトリプルHからフォールをうばって勝利しょうりした。アライアンスとのこうそうでは破壊はかい兄弟きょうだいとしておもにタッグ部門ぶもん活躍かつやくし、はじめてWWE・WCWりょうタッグ王座おうざ同時どうじ保持ほじした。

アライアンスとのこうそう終結しゅうけつした同年どうねん11がつジム・ロスおそいヒール・ターン。ロブ・ヴァン・ダムからハードコア王座おうざうば防衛ぼうえいつづけていたが、リック・フレアーの介入かいにゅう王座おうざから陥落かんらくするとフレアーとのこうそう開始かいしし、当時とうじOVW所属しょぞくしていた息子むすこデビッド・フレアー襲撃しゅうげきするなど極悪ごくあくぶりを発揮はっきWrestleMania X8でフレアーに勝利しょうりし、レッスルマニア無敗むはい記録きろくを10しょう無敗むはいとした。2002ねんのWWEのテレビ番組ばんぐみ分割ぶんかつにはフレアーによってRAWにドラフト1指名しめい加入かにゅう。4月21にちBacklash 2002でストーン・コールド・スティーブ・オースチンに勝利しょうりしてWWE統一とういつ世界せかい王座おうざへの挑戦ちょうせんけん獲得かくとく、さらに同日どうじつのトリプルHたいハルク・ホーガンのWWE統一とういつ世界せかい王座おうざせん乱入らんにゅうしてトリプルHを襲撃しゅうげきして結果けっかてきにホーガンの王座おうざ獲得かくとく援護えんご。5月19にちジャッジメント・デイ 2002ではまたもハルク・ホーガンからWWE統一とういつ世界せかい王座おうざ奪取だっしゅした。このこうそうでもホーガンをバイクにしばりつけきずったままはしまわるなど、この時期じきかれのヒールとしての迫力はくりょく特筆とくひつあたいする。6月23にちキング・オブ・ザ・リング 2002でトリプルHと対戦たいせんし、ザ・ロック襲撃しゅうげきいながらも勝利しょうり。7月1にちのRAWでジェフ・ハーディーとのラダー・マッチ歴史れきしのこめい勝負しょうぶひろげて王座おうざ防衛ぼうえいしたのちにはヒールでありながらジェフのだい健闘けんとうたたえるなど、男気おとこぎあふれるいちめんせた。

7がつ21にちヴェンジェンスでのザ・ロックとカート・アングルとのどもえせんで、ロックがカートからフォールをうばったため、やぶれずして統一とういつ王座おうざから陥落かんらく王座おうざスマックダウン所属しょぞくだったロックにうばわれたため、わりに移籍いせき移籍いせきはベビーターンししんWWE王者おうじゃブロック・レスナー抗争こうそうし、ポール・ヘイマンの介入かいにゅうによってプロパンタンクでなぐられて右手みぎて骨折こっせつするアングルのなかヘル・イン・ア・セルせん死闘しとうすえやぶれ、そのビッグ・ショーの襲撃しゅうげきによって怪我けが休養きゅうよう翌年よくねん復帰ふっき番組ばんぐみGMステファニー・マクマホンんでビッグ・ショー、Aトレイン、ブロック・レスナー、ビンス・マクマホンとのこうそう再燃さいねん。9月4にちのSmackdownでWWE王者おうじゃカート・アングルとめい勝負しょうぶひろげるもレスナーの乱入らんにゅう無効むこう試合しあいとなり、そのWWE王者おうじゃとなったレスナーに挑戦ちょうせんするもビンスの乱入らんにゅうによって敗北はいぼく。「テイカーがてば自身じしん試合しあい自由じゆうにマッチメイクできる」という条件じょうけんでWWE王者おうじゃレスナー・US王者おうじゃビッグ・ショーとのいちたいのハンデせんたたかい、GMのポール・ヘイマンの策略さくりゃくで、なん勝利しょうりしても「わすれてたが、この試合しあいは2ほん先取せんしゅせいだったから試合しあい再開さいかい」「わすれたがこの試合しあい反則はんそく裁定さいていしだからテイカーの反則はんそくちはし」などとかえされたが、つい勝利しょうりサバイバー・シリーズでのビンスとのベリードアライブ・マッチをマッチメイクし、試合しあいでも勝利しょうり寸前すんぜんだったが暴走ぼうそうしたケインの乱入らんにゅうによりめにされ、ふたた姿すがたす。

2004ねん[編集へんしゅう]

イラク慰問いもんのアンダーテイカー
写真しゃしん手前てまえ左端ひだりはし

2004ねんのロイヤルランブル以降いこう、ケインの先々さきざきでテイカー復活ふっかつ示唆しさする怪奇かいき現象げんしょうこっていき、WrestleMania XXにて、ふたたはかほりじんギミックでポール・ベアラーとともさい登場とうじょうしてケインに勝利しょうり同年どうねんよりフルタイムではなく実質じっしつてきにはスポット参戦さんせんになったが、おもダッドリー・ボーイズJBLハイデンライクなどと抗争こうそう。ダッドリー・ボーイズとのこうそうではポール・ヘイマンの策略さくりゃくでベアラーが誘拐ゆうかいされてしまい、ヘイマンからダッドリーズとのハンデせんけなければベアラーをコンクリートでめると脅迫きょうはくされるが、それを拒否きょひして勝利しょうり、さらにテイカーみずからレバーをいてベアラーをコンクリートでめた。

2005ねん[編集へんしゅう]

2005ねんWrestleMania 21でテイカーのレッスルマニア連勝れんしょう記録きろくランディ・オートンいどんで以降いこう、2005ねんはオートン親子おやことのこうそうつづいた。ノー・マーシーにおけるランディ・オートン、カウボーイ・ボブ・オートンとのハンディキャップ形式けいしき棺桶かんおけせんでオートン親子おやこ敗北はいぼく試合しあい、ランディに棺桶かんおけごとガソリンでやされ、姿すがたす。オートンは翌月よくげつサバイバー・シリーズにて、エディ・ゲレロ急死きゅうしともな代役だいやくとしてRAWたいスマックダウン番組ばんぐみ対抗たいこうせん出場しゅつじょうのこりをたした。この試合しあい棺桶かんおけ登場とうじょう稲妻いなづまち、がる棺桶かんおけなかからテイカーが登場とうじょう復帰ふっき。オートンを「ガラスをふとるとテイカーがうつっていて、かえるとだれもいない」「突然とつぜんちちボブのかおだらけになるようにえる」などの得意とくいちょうつね現象げんしょう翻弄ほんろうし、アルマゲドンにおけるオートンとのヘル・イン・ア・セルせんでは親子おやこ共々ともどもツームストーン・パイルドライバーをあた勝利しょうり

2006ねん[編集へんしゅう]

その姿すがたしていたが2006ねんロイヤルランブル登場とうじょう王座おうざ防衛ぼうえいした直後ちょくごカート・アングルまえあらわれ、かみなりはなってアングルのるリングを破壊はかい王座おうざ挑戦ちょうせん表明ひょうめいするも、ノー・ウェイ・アウトでの王座おうざせんでは激闘げきとうすえアングルに敗北はいぼく翌々週よくよくしゅうのアングルとの再戦さいせんではまえせんをさらに上回うわまわ壮絶そうぜつ死闘しとうすえ勝利しょうり寸前すんぜんだったが、マーク・ヘンリー乱入らんにゅう王座おうざのがした。WrestleMania 22でヘンリーと棺桶かんおけマッチをたたかい、体重たいじゅう180kgのヘンリーにツームストーン・パイルドライバーをびせて勝利しょうり。そのザ・グレート・カリとのこうそうラストマン・スタンディング・マッチ勝利しょうりMr.ケネディとのこうそうではアルマゲドンでのラスト・ライド・マッチでケネディをくだす。

2007ねん[編集へんしゅう]

2007ねんロイヤルランブルでWWE在籍ざいせき17ねんにしてはつ優勝ゆうしょうWrestleMania 23バティスタくだし、はじめて世界せかいヘビーきゅう王座おうざ獲得かくとくした。ところが5がつにバティスタと金網かなあみせんからくも防衛ぼうえい成功せいこうした直後ちょくごにマーク・ヘンリーの不意打ふいうちをらい、さらにその直後ちょくごマネー・イン・ザ・バンクの権利けんり行使こうししたエッジ王座おうざうばわれ戦線せんせん離脱りだつ。そのとしアンフォーギヴェン復活ふっかつしマーク・ヘンリーに勝利しょうりサイバー・サンデーでは、バティスタとの王座おうざせんいどんだがのバティスタ・ボムを敗北はいぼくサバイバー・シリーズでもバティスタにヘル・イン・ア・セルせんいどみ、勝利しょうり寸前すんぜんだったがリングサイドのカメラマンにふんしていたエッジの乱入らんにゅう敗北はいぼくアルマゲドンではバティスタ、エッジとのどもえせんのぞむが今度こんどはエッジの手下てしたジ・エッジヘッズ乱入らんにゅう敗戦はいせん

2008ねん[編集へんしゅう]

破壊はかい兄弟きょうだい(2008ねん6がつ

2008ねんノー・ウェイ・アウトにてエリミネーション・チェンバー・マッチ勝利しょうりし、レッスルマニアでの世界せかい王座おうざ挑戦ちょうせんけん獲得かくとくすると本格ほんかくてきにエッジやスマックダウンのGMでエッジのギミックじょう恋人こいびとだったヴィッキー・ゲレロ一味いちみ"ラ・ファミリア"とこうそう開始かいしWrestleMania XXIVではエッジとの王座おうざせんヘルズゲート勝利しょうりし、世界せかいヘビーきゅう王座おうざ獲得かくとく、レッスルマニアでの連勝れんしょう記録きろくを16にばした。しかし5がつヴィッキーにヘルズゲートを禁止きんしわざにされたうえ王座おうざ剥奪はくだつされてしまう。剥奪はくだつされた王座おうざワン・ナイト・スタンドにてエッジと自身じしんはつTLCせんあらそうも、ラ・ファミリアの襲撃しゅうげき敗北はいぼく、WWEから追放ついほうされ姿すがたす。そのエッジの浮気うわきめぐ激怒げきどしたヴィッキーがエッジを制裁せいさいするべくサマースラムでのエッジとのヘル・イン・ア・セルせんでの復帰ふっき決定けってい。これに勝利しょうりし、試合しあいにはハシゴの頂上ちょうじょうからのチョークスラムでリングを貫通つらぬきとおさせ、ほのおがらせてエッジを火葬かそうした。そのはヴィッキーやビッグ・ショーと抗争こうそうノー・マーシーではショーにノックアウトけをきっするがサイバー・サンデーではラストマン・スタンディング・マッチで勝利しょうり。さらにサバイバー・シリーズおこなわれた棺桶かんおけせんでも勝利しょうりした。

2009ねん[編集へんしゅう]

2009ねん

2009ねんロイヤルランブルでもビッグ・ショーに邪魔じゃまをされ敗退はいたいノー・ウェイ・アウトでのエリミネーション・チェンバー形式けいしきWWE王座おうざせんではトリプルHに敗北はいぼく。そのレッスルマニアでの連勝れんしょう記録きろくJBLショーン・マイケルズウラジミール・コズロフ挑戦ちょうせんもうるが1たい1でマイケルズが2人ふたり退しりぞけ、WrestleMania XXVにて『ミスター・レッスルマニア』の異名いみょうつマイケルズの挑戦ちょうせんけた。壮絶そうぜつ激闘げきとうすえマイケルズをくだし、レッスルマニア連勝れんしょう記録きろくを17にばす。その股関節こかんせつ手術しゅじゅつなどで長期ちょうき休養きゅうようはいる。サマースラムジェフ・ハーディーたいCMパンクせんにて復帰ふっきすると世界せかいヘビーきゅう王座おうざ戦線せんせんんだ。ブレーキング・ポイントではパンクに挑戦ちょうせんするも、モントリオール事件じけんのような結末けつまつになり敗北はいぼく。10月ヘル・イン・ア・セル再戦さいせん世界せかいヘビーきゅう王座おうざ獲得かくとく以降いこうパンク、クリス・ジェリコ、ビッグ・ショー、バティスタ、レイ・ミステリオひとし挑戦ちょうせん退しりぞけた。

2010ねん[編集へんしゅう]

2010ねん前年ぜんねんのレッスルマニアではいったショーン・マイケルズから再三さいさんレッスルマニアでのリマッチを要求ようきゅうされ、エリミネーション・チェンバーでの世界せかい王座おうざ防衛ぼうえいせんでは終盤しゅうばんにそのマイケルズの襲撃しゅうげき王座おうざうしなう。翌日よくじつのRAWに登場とうじょうしたテイカーはマイケルズがければ引退いんたいするという条件じょうけんWrestleMania XXVIでの再戦さいせんける。そしてむかえた『連勝れんしょう記録きろくvsキャリア』と銘打めいうたれた試合しあいでは前年ぜんねんまさるともおとらない激闘げきとう展開てんかいし、ジャンピング・ツームストンという最上級さいじょうきゅうのフィニッシュでマイケルズをくだす。試合しあい、テイカーからあゆかたちでマイケルズと抱擁ほうようわし健闘けんとうとなえた。5月28にちのSmackDown!の放送ほうそうおとうとケインにより意識いしき不明ふめい植物しょくぶつ状態じょうたい発見はっけんされ(実際じっさいには同日どうじつおこなわれたレイ・ミステリオとのいちせん顔面がんめん負傷ふしょうしたため)しばらく休養きゅうようはいる。そのサマースラムにて復帰ふっき自身じしん襲撃しゅうげきした真犯人しんはんにんであるケインと抗争こうそうし、ブラッギング・ライツ世界せかいヘビーきゅう王座おうざをかけてのベリード・アライブ・マッチにいどむが、これにやぶ以降いこう欠場けつじょうとなる(実際じっさい欠場けつじょう要因よういんかた古傷ふるきず悪化あっかである)。

2011ねん[編集へんしゅう]

2011ねんWrestleMania XXVII目前もくぜんにした2がつ21にちのRAWで復帰ふっき同時どうじ復帰ふっきしたトリプルHの挑戦ちょうせんけて、レッスルマニアで対戦たいせんすることになった。そしてむかえた当日とうじつ試合しあい死闘しとうぶに相応ふさわしい内容ないようとなりペディグリー3はつ、さらにおきてやぶりのツームストンをらいながらもヘルズ・ゲートでトリプルHからタップをうばいレッスルマニア連勝れんしょう記録きろくを19にばした。しかしその代償だいしょうとしてがることもままならないほどのダメージをい、救護きゅうごようのカートにせられて退場たいじょうし、以降いこうふたた欠場けつじょうすることとなった。これ以降いこうフルタイムでWWEに登場とうじょうすることはくなり、おもにレッスルマニアの時期じきのみ参戦さんせんというかたちをとっている。

2012ねん[編集へんしゅう]

2012ねんWrestleMania XXVII

2012ねん1がつに、WrestleMania XXVIIではったものの、がれないほどいためつけられたことで「昨年さくねん勝利しょうり意味いみがない」としてアンダーテイカーはトリプルHに再戦さいせん要求ようきゅう。しかし、トリプルHは「試合しあいったのはおまえだが、戦争せんそうったのはおれだ。再戦さいせんすれば尊敬そんけいしているおまえつぶすことになる。それにおれはWWEのCOOだから、会社かいしゃのためにもアンダーテイカーというブランドをうしないたくない」と再戦さいせん拒否きょひ。これによってテイカー、さらにトリプルHの親友しんゆうショーン・マイケルズまでもがトリプルHを臆病者おくびょうものばわりして対戦たいせん受諾じゅだくさせようとしても固辞こじされるが、テイカーが「おまえはショーンがやりのこした仕事しごとげる自信じしんいのだ。なぜなら、ショーンはおまえよりかくじょうだからだ」とったことでついにキレたトリプルHがレッスルマニアXXVIIIでのヘル・イン・ア・セルせんでの対戦たいせん受諾じゅだく。また、マイケルズが特別とくべつレフェリーとなった。

『END OF AN ERA(1時代じだいわり)』としょうされたこの試合しあいで、テイカーははかほりじんギミックのトレードマークだった長髪ちょうはつをバッサリととした決意けつい姿すがた登場とうじょう試合しあい死闘しとうきわめ、中盤ちゅうばんからトリプルHにパイプ椅子いすとスレッジハンマーでなん殴打おうだされてテイカーが意識いしき朦朧もうろうとなり、テイカーの状態じょうたい確認かくにんしようとマイケルズがちかづいたところで、トリプルHがちかづいたと勘違かんちがいしたテイカーがヘルズゲートをマイケルズに誤爆ごばく。トリプルHにハンマーで殴打おうだされ、さらにおこったマイケルズからスウィート・チン・ミュージックをびてさらにトリプルHのペディグリーをびるという二人ふたり最強さいきょう必殺ひっさつわざ連続れんぞくでくらうが、それでもテイカーはキックアウト。最終さいしゅうてきにアンダーテイカーがツームストーンパイルドライバーを勝利しょうり連勝れんしょう記録きろくを20にばした。試合しあい終了しゅうりょう自力じりきがれなくなったトリプルHをショーン、テイカーがかたをかし、最後さいごさんにんい、退場たいじょうした。

2012ねん7がつ23にちおこなわれたRAW1000かい放送ほうそうでは、ジンダー・マハルヒース・スレイタードリュー・マッキンタイアタイラー・レックスカート・ホーキンスフニコかこまれるケインを援護えんごするかたち登場とうじょうし、一夜いちやかぎりのブラザーズ・オブ・デストラクションが復活ふっかつ、カート・ホーキンスとフニコににんそろってチョークスラムとツームストンドライバーをめた。

2013ねん[編集へんしゅう]

2013ねん3がつに、RAWオールド・スクールで復帰ふっき。このおこなわれたフェイタル4ウェイせんでCMパンクがレッスルマニア29での対戦たいせん相手あいてまった。翌週よくしゅうのRAWはくなったばかりのポール・ベアラーへの追悼ついとう興行こうぎょうとなり、番組ばんぐみ冒頭ぼうとうでベアラーをしのんでいたところでパンクがあらわれてテイカーとベアラーを侮辱ぶじょく。ベアラーの息子むすこであるケインがこれに激怒げきどし、同日どうじつのケインたいパンクせんではケインがベアラーの骨壷こつつぼをおわりに持参じさんしてのぞみ、勝利しょうり試合しあいにテイカーとともにベアラーをしのんでいたところで背後はいごからパンクがケインを骨壷こつつぼなぐり、骨壷こつつぼぬすんで逃走とうそう以後いご骨壷こつつぼをわざとゆかとすなどテイカーとベアラーに侮辱ぶじょくつづけられた。試合しあい攻防こうぼうせんになるもツームストーン・パイルドライバーを見事みごと勝利しょうり連勝れんしょう記録きろくを21とし、試合しあい骨壷こつつぼかえし、ベアラーにたい敬意けいいあらわした。

翌日よくじつのRAWではシールドおそわれかけたが、ケインとダニエル・ブライアン(ヘル・ノー)けつけことなきをる。それをきっかけに祭典さいてん週間しゅうかんのRAWにて、ヘル・ノーとの6にんタッグせんでシールドと対戦たいせん。3ねんぶりにRAWで試合しあいおこなった(結果けっか敗戦はいせん)。そのつぎのスマックダウンではシールドのディーン・アンブローズとシングルせんおこない、ヘルズ・ゲートでタップ勝利しょうりしたものの3にんがかりの暴行ぼうこう最終さいしゅうてき合体がったいパワーボムで実況じっきょうせきしずめられた(ケインによれば怪我けがをしたとのこと)。

2014ねん[編集へんしゅう]

2014ねん2がつ24にちのRAWにて、WWE・世界せかいヘビーきゅう王座おうざへのだいいち挑戦ちょうせんしゃ自称じしょうしてロイヤルランブル2014のランブルせんにも参戦さんせんしなかったブロック・レスナーとレスナーのマネージャーのポール・ヘイマンが、レッスルマニアXXXでの王座おうざ挑戦ちょうせんをトリプルHとステファニーに要求ようきゅうするも拒否きょひされ、わりに史上しじょうはじめて王座おうざせん以外いがいのレッスルマニアでの対戦たいせん相手あいて自由じゆうえらべる権利けんりあたえられるも、「WWE・世界せかいヘビーきゅう王座おうざ挑戦ちょうせんできないのであれば意味いみがない。レスナーに相応ふさわしい歴史れきしてき試合しあいめないのであればWWEを退団たいだんする!」と宣言せんげんしてていこうとしたところでテイカーが登場とうじょう。テイカーのレッスルマニア無敗むはい記録きろくへの挑戦ちょうせんであればWWE・世界せかいヘビーきゅう王座おうざせん以上いじょう価値かちがあると納得なっとくしたレスナーとヘイマンは傲慢ごうまん態度たいどでテイカーに対戦たいせん契約けいやくしょにサインするようせまると、テイカーがレスナーのにペンをしたのち、チョークスラムでつくえ撃沈げきちんさせた。そして、4がつ6にちのレッスルマニアXXXでレスナーとたたかうも敗北はいぼくし、レッスルマニア無敗むはい記録きろく途絶とだえることになった。

2015ねん[編集へんしゅう]

2015ねん3月29にちWrestleMania 31にてブレイ・ワイアット対戦たいせん試合しあい序盤じょばんより劣勢れっせいとなり満身まんしん創痍そうい状態じょうたいおちいるもツームストーン・パイルドライバーで逆転ぎゃくてんはかるがかえされ、ワイアットのフィニッシャーであるシスター・アビゲイルけようとしたところをかえしてふたたびツームストーン・パイルドライバーをめて勝利しょうりした[14]。8月23にちSummer Slam 2015にてWrestleManiaで因縁いんねんのあったレスナーと再戦さいせん序盤じょばんからはげしい攻防こうぼう展開てんかいしてツームストーン・パイルドライバー、ラストライドを仕掛しかけレスナーもF5なんすなど大技おおわざ応酬おうしゅうとなる。終盤しゅうばんにヘルズゲートでらえたところへキムラロックかえされるとレスナーにタップして試合しあい終了しゅうりょうしたかにおもわれたがレフェリーが死角しかくえなかったことから試合しあい再開さいかいされ試合しあい終了しゅうりょううったえるレスナーの背後はいごから金的きんてき攻撃こうげきからヘルズゲートでらえるとレスナーは中指なかゆびてたのち、失神しっしんしたため勝利しょうりした[15]。10月25にちHell in a Cell 2015にてレスナーとヘル・イン・ア・セル・マッチ再戦さいせん中盤ちゅうばんには両者りょうしゃとも出血しゅっけつしてレスナーがリングをやぶ中身なかみしになった状態じょうたいげられようとするがかえしてチョークスラムでたたきつけるとツームストーン・パイルドライバーをめるがカウント2でかえされ、めをそうと首斬くびきりのポーズをしたところへ金的きんてき攻撃こうげきらうとF5をめられ敗戦はいせんした[16]。11月、ワイアット・ファミリーとのこうそう開始かいし。9にちのRAWではケインとのブラザーズ・オブ・デストラクションさい結成けっせいして撃退げきたい同月どうげつ22にちSurvivor Series 2015にてワイアット・ファミリー(ブレイ・ワイアット & ルーク・ハーパー)と対戦たいせん序盤じょばんおそってきたエリック・ローワンをダブルチョークスラムでたたきつけ、中盤ちゅうばんにはセコンドで介入かいにゅうしてきたブラウン・ストローマン実況じっきょうせきへダブルチョークスラムでたたきつけて破壊はかい。リングへもどるとワイアットとハーパーから攻撃こうげきけてたおれるが瞬時しゅんじがると両者りょうしゃともチョークスラムをめ、最後さいごにハーパーにツームストーン・パイルドライバーをめて勝利しょうりした[17]

2016ねん[編集へんしゅう]

2016ねん4がつ3にちWrestle Mania 32にてシェイン・マクマホンヘル・イン・ア・セル対戦たいせん序盤じょばんにはヘル・イン・ア・セルでありながら関節かんせつわざ応酬おうしゅうとなり、中盤ちゅうばんよりシェインがかねりバサミ金網かなあみっているところに襲撃しゅうげきしてやぶ場外じょうがいせんへと展開てんかい工具こうぐばこやモニターで殴打おうだされ、実況じっきょうせきよこたわるとシェインがやく6メートルある金網かなあみうえからエルボードロップ投下とうかするがける。この誤爆ごばくだいダメージをけたシェインをリングないへとみ、ツームストーン・パイルドライバーめて勝利しょうり[18]

2017ねん[編集へんしゅう]

2017ねん1がつ29にちRoyal Rumble 2017にてロイヤルランブルマッチの29番目ばんめ登場とうじょうゴールドバーグはつ対戦たいせんとなり、スピアーをけたがルーク・ハーパーとし油断ゆだんしていたゴールドバーグに背後はいごからおそ脱落だつらくさせた。そして30番目ばんめ登場とうじょうしたロマン・レインズにより脱落だつらくさせられた[19]

4がつ2にちWrestleMania 33にてロマン・レインズ対戦たいせん終盤しゅうばん満身まんしん創痍そうい状態じょうたいおちいるがレインズのスーパーマンパンチスピアーなんえたものの、最後さいごにスピアーをめられ敗戦はいせん試合しあい会場かいじょう見渡みわたすとオープンフィンガーグローブ、ジャケット、帽子ぼうしをリング中央ちゅうおうくとリングをのちにした[20]

2018ねん[編集へんしゅう]

2018ねん4がつ8にちWrestleMania 34にてアライアスらしてリングをのちにしようとしたジョン・シナたいし、リングにかれたコスチューム一式いっしき稲妻いなづまち、復活ふっかつげる。そしてシナと対戦たいせん終盤しゅうばんにチョークスラムをけられ、スープレックスからファイブ・ナックル・シャッフルをらいそうになるが、回避かいひがるとチョークスラムからツームストン・パイルドライバーへとつなげて勝利しょうりした[21]

2019ねん[編集へんしゅう]

2019ねん6月7にちSuper ShowDown 2019ゴールドバーグ対戦たいせん終盤しゅうばんにスピアーからジャック・ハマーらうがフォールをかえし、パワースラム要領ようりょうげられるとかえしてチョークスラムをめて勝利しょうりした[22]

2020ねん[編集へんしゅう]

レッスルマニア36にて、AJスタイルズとボーンヤードせんおこなう。試合しあいでははかひとギミックと往年おうねん不良ふりょう中年ちゅうねんギミックをわせたギミックをもちいた。途中とちゅう、AJの一味いちみであるカール・アンダーソンルーク・ギャローズ邪魔じゃまはいるも一蹴いっしゅうし、最後さいごはAJを埋葬まいそうして勝利しょうり。バイクにってそのっていった。

6がつ20日はつか、WWEネットワークで配信はいしんちゅうのドキュメンタリー映画えいが「ラストライド」のインタビューのなかで「リングにもど意欲いよくがない」と現役げんえき引退いんたいかし、べいえいメディアが一斉いっせい現役げんえき引退いんたいほうじた[23]

2022ねん [編集へんしゅう]

2022年度ねんどWWE殿堂でんどう選出せんしゅつしゃとしてアナウンスされた[24]

2024ねん[編集へんしゅう]

2024ねんおこなわれたレッスルマニアXLの2にちのメインイベントに登場とうじょうドウェイン・ジョンソンチョークスラムをして姿すがたした

得意とくいわざ[編集へんしゅう]

ツームストーン・パイルドライバー
チョークスラム
ラスト・ライド
ヘルズ・ゲート

フィニッシュ・ホールド[編集へんしゅう]

ツームストーン・パイルドライバー
WWE入団にゅうだん当時とうじから使つかつづけている必殺ひっさつわざくび動作どうさ合図あいず。このわざから相手あいてをフォールするときは、相手あいて両手りょうてむねまえませ(葬送そうそうのイメージである)、みずからは柔道じゅうどううえ四方しほうかたのような体勢たいせいから上半身じょうはんしんり、白目しろめいておおきくしたすのが一連いちれん動作どうさである。レスト・イン・ピースばれることがあるが、正式せいしきめいではない。初期しょき相手あいて片腕かたうでかかんでなな気味ぎみとすかたおおかったほか、レッスルマニア26などでごくまれにジャンピングしき使用しようしたことがある。同系どうけいわざ負傷ふしょうしゃ続出ぞくしゅつした経緯けいいがあり、バッド・アス時代じだいではWWEにおいて禁止きんしわざにされており、レッスルマニアなどのだい試合しあいでのみ使用しようしていた。現在げんざいではテイカーとケインのみが使用しよう許可きょかされている。
チョークスラム
めるまえおおきく右手みぎてりかぶるのが合図あいず。90年代ねんだい中盤ちゅうばんまではひざをついてたたきつけたり、みずからもたおみながら相手あいてたたきつけることがおおかった。バッド・アス時代じだいには相手あいてたかくホールドしてからとすなど、フィニッシュ・ホールドとして使つかっていた時期じきもあった。
ラスト・ライド(Last Ride)
アメリカン・バッド・アス時代じだい使つかはじめた必殺ひっさつわざみぎげるのが合図あいず。メインの必殺ひっさつわざをツームストーンにもどしてからはニア・フォールやカウンターをらうことがおおい。
コーナーにまれ相手あいてがコーナーじょうからパンチを連発れんぱつしている場面ばめんへのカウンターとして使つかわれることもある。とく大型おおがた選手せんしゅ相手あいてにラストライドをめる場合ばあいはこのパターンがおおい。
レイ・ミステリオなど小型こがた選手せんしゅ相手あいてのときは、んできた相手あいて空中くうちゅうつかまえ、そのままラストライドに移行いこうすることもある。
ヘルズ・ゲート(Hell's Gate)
2008ねん1がつから使つかうようになった必殺ひっさつわざ必殺ひっさつわざくらべ「おく」のようなあつかいであり、使つか頻度ひんどすくない。ツームストーンがめられないような大型おおがた選手せんしゅ相手あいて使つかわれることがおおい。使つかはじめてからしばらくのあいだは、このわざけた相手あいてかならくちから吐血とけつしていた(ギミックじょう演出えんしゅつ)ほか、そのままゴゴプラッタとばれたり、デビルズ・トライアングルとばれていたこともある。このわざ使用しようはじめるまえはトライアングルチョーク(三角さんかく)を時折ときおり使用しようしていた。
ドラゴン・スリーパー・ホールド
基本きほんてきにはった状態じょうたいわざう。バッド・アス時代じだい使用しよう一時期いちじきは「Take care of buisiness」の名前なまえ使用しようしていた。
ロープあるきからのダイビング・エルボー
ミーン・マーク・キャラスやマスター・オブ・ペインなどの名前なまえ活動かつどうしていた若手わかて時代じだいからWWFでアンダーテイカーとしてデビューしたごく初期しょきまで使つかっていたわざで、相手あいてがリング中央ちゅうおう付近ふきんたおれているさいにコーナーをのぼりトップ・ロープじょうあるいて接近せっきんしてからダイビング・エルボードロップはなわざ若手わかて時代じだいには下記かきオールド・スクール同等どうとう以上いじょう頻度ひんど使用しようしており、必殺ひっさつわざになることもおおかった。ヒート・シーキング・ミサイルねつ探知たんちミサイル)という名称めいしょうばれたこともある[25]相手あいて位置いちによっては通常つうじょうのコーナーじょうからのダイビング・エルボーも使用しようしていた。このわざられなくなってからもごくまれにコーナーからのダイビング・エルボーをこころみることがあるが相手あいて対処たいしょされ失敗しっぱいすることがおおい。
ハート・パンチ
WCWなどで活躍かつやくした若手わかて時代じだい必殺ひっさつわざスタン・スタージャックオックス・ベーカー使用しようし、リングきたことでも有名ゆうめいわざ相手あいて左腕さわん左手ひだりてねじげてわきけさせてから心臓しんぞう付近ふきんみぎストレートをむ。けた相手あいてむねさえくるしみながらたおれたり、またくるしむ相手あいてあたまばしたたきつける連携れんけい使用しようした。またこのわざのち上記じょうきのダイビング・エルボーで試合しあいめることもおおかった。

その得意とくいわざ[編集へんしゅう]

オールド・スクール
がり
相手あいて大技おおわざ使つかってテイカーをダウンさせ油断ゆだんしていると上体じょうたいこしがり、おどろ相手あいて逆襲ぎゃくしゅうするのが得意とくいわざひとつであった。バッド・アスにはられず。このほかにも相手あいて打撃だげきたいしてノーリアクションでおどろ相手あいて逆襲ぎゃくしゅうすることも特徴とくちょうてきだった。
オールド・スクール
相手あいて片腕かたうでをねじりげつつ、自身じしんはコーナーからのぼりトップ・ロープじょうあるき、りざまにチョップをてる。師匠ししょうドン・ジャーディン直伝じきでんのムーブ[26]試合しあい序盤じょばんはこのわざ布石ふせきとして相手あいてうでねじったりかたをぶつけるなどうでめをすることがおおかった。
うでねじげてからとす
おも序盤じょばんうでめのなかで、とく自分じぶんより軽量けいりょう相手あいてたいしてまれ使用しようした。
スネーク・アイズ
相手あいてボディスラム のようにうつせにかたかついで中空ちゅうくうげ、顔面がんめんをターンバックルにたたける。こののちランニング・ビッグ・ブート、レッグドロップをはなつ。
サイドウォーク・スラム
片腕かたうで相手あいてかかげることがおおい。
びつきしきDDT
ロープワークの攻防こうぼうから、フライング・クローズラインを警戒けいかいしてかがめた相手あいてくびらえてDDTめる。近年きんねん使用しよう機会きかいすくなくなった。
トップロープえのノータッチ・トペ
レッスルマニアなど、だい勝負しょうぶときにだけられる大技おおわざ場外じょうがい相手あいてけて助走じょそうをつけてトップロープをえ、あたまから体当たいあたりしていく。そのジャンプりょくみの軽量けいりょうきゅうレスラーをも上回うわまわるもので、かれ驚異きょういてき身体しんたい能力のうりょく如実にょじつ物語ものがたわざである。
ヘル・イン・ア・セルせんでは、ロープのあいだくぐける通常つうじょうのトペ・スイシーダをせたこともある。
パンチ
おおきくんだパンチで、打撃だげきせんになると実況じっきょうからは「The best pure striker in WWE history (WWE史上しじょう最高さいこうのストライカー)」とばれることがおおかった。アンダーテイカーとしてデビューしてから1997ねんごろまでの時期じきのぞいて、若手わかて時代じだいからキャリア晩年ばんねんいたるまでMMAなどの影響えいきょうからオープンフィンガーグローブ着用ちゃくようしていた。
アッパーカット
地獄じごくとっ気味きみはなつ。ケインとのこうそうではおたがうことがおおかった。怪奇かいきしょくつよかった初期しょきのアンダーテイカーはあまり通常つうじょうのパンチをせず地獄じごくとっ気味ぎみ打撃だげきをよく使用しようした。
ボディブロー
相手あいてがコーナーでダウン状態じょうたい連続れんぞくでボディブローをむ。またがりさい近寄ちかよってきた相手あいてにボディブローを連発れんぱつしてからアッパーカットで逆襲ぎゃくしゅうする連携れんけい頻繁ひんぱん使用しようした。
エルボー・スタンプ
バック・エルボー
通常つうじょうのバック・エルボー、コーナーで連続れんぞくはなつバック・エルボーの2種類しゅるい使用しようする。
ビッグ・ブーツ
カウンターしき、ランニングしき使用しよう
クローズライン
フライング・クローズライン
210cmちか巨体きょたいでリングを俊敏しゅんびんまわり、おおきくジャンプして相手あいてクローズライン見舞みまう。WWEでアンダーテイカーとしてデビューする以前いぜんからキャリア晩年ばんねんまでほぼまい試合しあい使つかっていたわざひとつ。
ダイビング・クローズライン
コーナーじょうからのクローズライン。1993ねんジャイアント・ゴンザレスとの試合しあい使用しようしたのち、90年代ねんだい後半こうはんには頻繁ひんぱん使用しようしていたが、97ねんにケインがデビューしダイビングクローズラインを得意とくいにしはじめてから徐々じょじょ使用しよう頻度ひんどっていきバッド・アス時代じだいにはまった使用しようしなくなっていた。
エルボー・ドロップ
レッグ・ドロップ
ランニング・ビッグ・ブートののちちをかけたり、ボトム・ロープのした相手あいて固定こていエプロン使用しようすることがおおい。
スープレックス
スーパープレックス
リバースSTO
2004ねんから2006ねんにかけてわずかに使用しようした。こののちバタフライ・ロックつなげたこともあったが定番ていばんわざには定着ていちゃくしなかった。

獲得かくとくタイトル[編集へんしゅう]

世界せかいヘビーきゅう王座おうざ

台詞ぜりふ[編集へんしゅう]

Rest in peace
レスト・イン・ピース、「やすらかにねむれ」の欧米おうべい墓碑ぼひかれる慣用かんよう
This is my yard!
「ここ(リング)はおれにわだ」バッドアス時代じだいからの台詞せりふはかほりじんギミックにもどって以降いこうまれ使つかう。
Deadman walkin'
直訳ちょくやくすると「テイカーがあるいている」だが、ここでは「テイカーが死刑しけいしゅう対戦たいせん相手あいて)を処刑しょけいする」の。バッドアス時代じだい入場にゅうじょうのイントロでテイカーがうセリフ(入場にゅうじょうきょくが「American Bad Ass」のころのぞく)で、ここでの「walkin'」は死刑しけいしゅう処刑しょけいじょうかってあるくことをしている。なおバッドアス時代じだいのテイカーはあるかずにバイクにって入場にゅうじょうすることがおおかった。
Try me, I'll make you famous!
「かかってこい! おれがおまえ有名ゆうめいにしてやる!」これはミック・フォーリーなどに代表だいひょうされるようにテイカーにボコボコにされることによって有名ゆうめいになったレスラーがおおくいたことからきている。

入場にゅうじょうきょく[編集へんしゅう]

  • Miracle Man (Ozzy Osbourne) - しん日本にっぽんプロレス時代じだい使用しよう
  • China White (Scorpions) - NWA/WCW時代じだい使用しよう
  • Funeral Dirge - 原曲げんきょくショパンピアノソナタだい2ばん葬送そうそう。ジ・アンダーテイカーとしてデビューした1990ねんから1991ねんまで使用しよう
  • Funeral March -前述ぜんじゅつのFuneral Dirgeのアレンジバージョン。1994ねんの1がつまで使用しようされた。いまではおなじみとなったテイカー入場にゅうじょう合図あいずかねおとなどが追加ついかされた。
  • Grim Reaper -1994ねんのサマースラムでの復帰ふっきから1995ねんごろにかけて使用しようされた、Funeral Marchのアレンジバージョン。メロディに若干じゃっかん変更へんこうくわえられた。
  • Graveyard Symphony -1995ねんから1998ねん初頭しょとうにかけて使用しようされた、Grim Reaperのさらなるアレンジバージョン。1999ねん暗黒あんこく魔王まおうとして復活ふっかつしたはじめも度々たびたび使用しようしていた。ちなみにこのきょく当初とうしょはGrim Reaperにちかきょくであったが、のち製作せいさくなおされ、コーラスなどがくわえられた。
  • Dark Side - 1998ねんなつから使用しよう。これまでとはちがい、「葬送そうそう」を原曲げんきょくとしておらず、ロック調ちょう入場にゅうじょうきょくである。
  • Ministry - 1999ねんのレッスルマニア15から使用しようされたDark Sideのアレンジバージョン。変更へんこうてんは、前奏ぜんそう部分ぶぶんにテイカーがとなえる呪文じゅもんこえることである。ちなみにレッスルマニア15では、Dark Sideとおなじキーであったが、その登場とうじょうしたさいには、キーがひくくなっていた。
  • The Unholy Alliance - 1999ねんのビッグ・ショーとのタッグで使用しよう
  • American Bad Ass (Kid Rock) - はかほりじんからバイカーギミックにターンするさい使用しよう。イメージチェンジに一役ひとやくった。
  • Rollin' (Limp Bizkit) - 2000ねんまつから2002ねん5がつまで使用しよう特別とくべつに2003ねんの「WrestleMania XIX」ではテイカーの入場にゅうじょうにリンプ・ビズキットがこのきょくなま演奏えんそうした。
  • Dead Man - 2002ねん途中とちゅう使用しよう
  • You're Gonna Pay - 2002ねんから2003ねん使用しよう
  • Rest in Peace - 2004ねんのレッスルマニアXXではかほりじんギミックにもどったときから2020ねん2がつまで使用しようしていた。ベースのきょくふたたび「葬送そうそう」となり、はかひととしてのテイカーの復帰ふっきをよりきたせることとなった。
  • Ain't No Grave(Johnny Cash) - 2011ねん3月4にち放送ほうそうぶんのSmackDown!からWrestleManiaXXVIIまで使用しようした入場にゅうじょうきょく
  • Now That We’re Dead(Metallica)-2020ねんAJスタイルズせん使用しよう

エピソード・その[編集へんしゅう]

2008ねん

試合しあい関連かんれん[編集へんしゅう]

  • レッスルマニア13というだい舞台ぶたい前日ぜんじつ交通こうつう事故じこにより怪我けがをしていたという。それでもなお試合しあい勝利しょうり王座おうざ獲得かくとくしている。
  • かの有名ゆうめいマンカインドとのヘル・イン・ア・セルせんにおいても、足首あしくび剥離はくり骨折こっせつした状態じょうたい出場しゅつじょうしている。
  • 2010ねん2がつ21にちエリミネーション・チェンバーせん入場にゅうじょうにパイロ(演出えんしゅつよう花火はなび)が誤作動ごさどうこし、アンダーテイカーはほのおつつまれた。入場にゅうじょうコスチュームはえ、テイカー自身じしんも1〜2火傷かしょうったが、応急おうきゅう処置しょちけたのち、何事なにごともなかったように試合しあい参加さんかした[27]
  • おとうとであるケインとのアングル人気にんきひとつである。なかでももっと支持しじされているアングルのひとつに破壊はかい兄弟きょうだい(Brothers of Destruction)がげられる。そのギミックあいまって通常つうじょうタッグ戦線せんせん活躍かつやくするタッグチームとは一線いっせんかくする、あるしゅ別格べっかく存在そんざいかんはなっており、団体だんたいからも一目いちもくかれており(このタッグが復活ふっかつするとほぼかならずアナウンスがはいり、注目ちゅうもくカードとしてあつかわれることからもその存在そんざいおおきさが垣間見かいまみえる)、ひとつの重要じゅうようなパーソンといえる。タッグだけでなく二人ふたりこうそう幾度いくどおこなわれており有名ゆうめいものにリングのまわりをほのおかこったインフェルノマッチなどがある。また、兄弟きょうだい(ギミック)ということもありこうそう理由りゆうも「両親りょうしんはかけて」など非常ひじょう独特どくとくである。この兄弟きょうだいギミックは以降いこうつづいている。
  • 2015ねん8がつ現在げんざい、20ねん以上いじょうにわたるながいレスラー人生じんせいにおいて、タップ関節かんせつわざ仕掛しかけてきた相手あいてたいして、相手あいてからだかマットをはた降参こうさん申告しんこくする行為こうい、つまりギブアップ)をして敗北はいぼくしたこといちもない。ただし、タップをせずに関節かんせつわざ敗北はいぼくしたことや、ぎゃくに、タップをしたが敗北はいぼくしなかったことすうれいある。以下いか事例じれいしめす。
    • 1996ねん6月23にちキング・オブ・ザ・リングたいマンカインドせん - マンカインドがしたマンディブルクローけて、アンダーテイカーは失神しっしんしてしまった。試合しあいはマンカインドのKOちとなったが、このときアンダーテイカーはタップしていない[28]
    • 2002ねん7がつ4にちスマックダウンたいカート・アングルWWE統一とういつ世界せかい王座おうざせん - アンダーテイカーはラストライドでアングルを仕留しとめようと、アングルをリフトアップしてかたかついだ。しかし、アンダーテイカーがアングルをとそうとげた瞬間しゅんかん、アングルはたくみにアンダーテイカーのくび片腕かたうで捕獲ほかくし、三角さんかく仕掛しかけることに成功せいこうした。アングルの三角さんかくめは完全かんぜんきわまっており、脱出だっしゅつできないアンダーテイカーはくるしむが、わざけながらもそのままの体勢たいせいでアングルのりょうかたをマットにけ、ピンフォールうばうことに成功せいこうした。しかし、レフェリーが3カウントをったその瞬間しゅんかん、アンダーテイカーはれず、マットをタップしてしまっていた。協議きょうぎ結果けっか、フォール成立せいりつとタップは同時どうじであり、試合しあい、アンダーテイカーの王座おうざ防衛ぼうえいとなった。こうして、公式こうしき記録きろくじょうは、アンダーテイカーはタップしていないことになった[28][29]
    • 2009ねん9月13にちブレーキング・ポイントたいCMパンク、サブミッション・マッチ形式けいしきWWE・世界せかいヘビーきゅう王座おうざせん - アンダーテイカーはパンクにヘルズゲートを仕掛しかけ、パンクをタップさせることに成功せいこうした。しかし、セオドア・ロングあらわれ、ヘルズゲートはヴィッキー・ゲレロ禁止きんしわざ指定していしたことを指摘してきした。パンクのタップは取消とりけしになり、試合しあい続行ぞっこうめいじられた。試合しあい再開さいかい、パンクは即座そくざにアンダーテイカーにアナコンダバイス仕掛しかけた。その瞬間しゅんかん不可解ふかかいなことに、ゴングらされ、アンダーテイカーの敗北はいぼく宣告せんこくされた。アナコンダバイスをくと、王座おうざ防衛ぼうえいしたパンクはげるように退場たいじょうした。モントリオール事件じけん再現さいげんしたロングの策略さくりゃくであった。公式こうしき記録きろくに、アンダーテイカーの関節かんせつわざによる敗北はいぼくのこったが、ここでもなお、アンダーテイカーはタップはしていない[30]
    • 2015ねん8がつ23にちサマースラムたいブロック・レスナーたたかえ、レスナーのはなったキムラロックくるしむなか、あといちのところでレスナーをフォールできそうなところを、アンダーテイカ―はえきれず、タップしてしまった。しかし、このとき、レフェリーはアンダーテイカ―がタップした瞬間しゅんかんておらず、試合しあい続行ぞっこう。アンダーテイカ―はその、レスナーがったことにひたっているところをすかさずローブロー。そのながれでヘルズ・ゲートをめ、レスナーが中指なかゆびてながら失神しっしんしていくところを見届みとどけ、勝利しょうりした。
  • 210cmの巨体きょたいにもかかわらず非常ひじょう身体しんたい能力のうりょくたかく、ロープのうえわたったりトップロープえのノータッチトペをめたり出来できるなど長身ちょうしんレスラーにはあまりられないうごきをすることが出来できる。
  • また、全盛期ぜんせいきからのおとろえはられるものの、ロープワークの俊敏しゅんびんさもアピールポイントのひとつである。
  • ながいキャリアのなかで、90年代ねんだい以降いこうWWEに所属しょぞくしたほぼすべての一線いっせんきゅうのスーパースターと対戦たいせんした経験けいけんがあるが、唯一ゆいいつクリス・ジェリコとの1たい1での対戦たいせんはジェリコが1999ねんにWWE入団にゅうだんして以降いこうなが実現じつげんせず、それから10ねんの2009ねんはじめてとなった。
  • 公式こうしきのデビューは先述せんじゅつとおり、1984ねんダラスWCCWでのブロディせんだが、本人ほんにんによるとドン・ジャーディンのしたでトレーニングをはじめてまだ1〜2ヵ月かげつしかっていないときに、みなみアフリカ共和きょうわこくのダーバンで2試合しあいたたかっている。
  • 2020ねん、ドキュメンタリー映画えいが「ラストライド」ないで、自身じしん好敵手こうてきしゅとしてブレット・ハートカート・アングルバティスタリック・フレアートリプルHショーン・マイケルズ名前なまえげている。

バックステージ[編集へんしゅう]

  • 伝説でんせつてき実績じっせきくわえ、選手せんしゅ上層じょうそう双方そうほうからあつ信頼しんらいておりレスラーのなか非常ひじょう重要じゅうよう地位ちい保持ほじしている。そのため、怠慢たいまん試合しあいつづけたビッグ・ショーをロッカールームでしかばしたり、入団にゅうだん当初とうしょ挨拶あいさつかず会場かいじょうあるまわっていたショーン・オヘアて「あの小僧こぞう挨拶あいさつもできねえのか」と愚痴ぐちをこぼし、その結果けっかオヘアがしばらされたことがある。さらには若手わかてレスラーたちのよき相談そうだん相手あいてにもなっており、かれ発言はつげん行動こうどうのレスラーにすくなからぬ影響えいきょうあたえることがある。また、レスラーにたいする理不尽りふじんあつかいをきらうことでも有名ゆうめいで、たびたびいかりをあらわにしている(モントリオール事件じけんボブ・オートン参照さんしょう)。
  • 鈴木すずき浩子ひろこゲイシャガールとしてデビューがまったさい格闘技かくとうぎのバックグラウンドが皆無かいむかれみずかすすんで彼女かのじょのトレーナーに名乗なのりをげ、技術ぎじゅつを1からつたえた。
  • トリプルHステファニー・マクマホンとの結婚けっこんについておもりがつかなかったとき、テイカーに相談そうだんした。
  • 過去かここうそう相手あいてとしてあらわれたにせテイカー(ブライアン・ハリス)はかれ親友しんゆうである。
  • 2010ねん6がつ交際こうさいしていたWWEディーヴァのミシェル・マクール再婚さいこんした。

その[編集へんしゅう]

  • バイクが趣味しゅみであり欠場けつじょうちゅうなどはバイクラリーに参加さんかしているという。また、バッドアスギミック時代じだい試合しあい前後ぜんこうかれまわしていたバイクは一見いっけんハーレーダビッドソンえるが、実際じっさいはそれらをオーダーメイドで職人しょくにんがカスタムしたタイタンというバイクで、値段ねだんいちだい10まんドル単位たんいであるらしい[31]。ちなみにバイクはテイカー自身じしん私物しぶつである。なお、このバイクはテイカーのこうそう相手あいてにネタに使つかわれることがある。(カート・アングル大事だいじなバイクを牛乳ぎゅうにゅうよごされて、わりにアングルからスクーターをプレゼントされたり[32]ハルク・ホーガンにバイクをぬすまれ、そのうえ、バイクをトレーラーかれて大破たいはさせられたりしている[33]
  • MMAだいファンであり、プライベートでUFC観戦かんせんている姿すがた頻繁ひんぱんにテレビにうつっている。自身じしんのプロレスの試合しあいでもつねオープンフィンガーグローブ着用ちゃくようして、まれにMMAのわざ使つかっている。もとUFC世界せかいウェルターきゅう王者おうじゃマット・ヒューズとはなかいらしく、ヒューズを激励げきれいしにひかしつおとずれたことがあった。また、ボクシング世界せかい王者おうじゃマニー・パッキャオ応援おうえんのため、一緒いっしょ入場にゅうじょうしたこともある。
  • 2007ねんにビジネスパートナーとともコロラドしゅうのラブランドに270まんドルのビルを建設けんせつした(引退いんたい不動産ふどうさんぎょうばす予定よていであるとのこと)。
  • うでタトゥー左腕さわんしろへびみぎ髑髏しゃれこうべさんにん老人ろうじん喉元のどもとには前妻ぜんさいであるサラの名前なまえのタトゥーがられていたが離婚りこんしている。
  • はかじんギミックはほとんど言葉ことばはっさず、ぎゃくにバッドアスギミックはマイクアピールを頻繁ひんぱんった。例外れいがいてきに2004ねん日本武道館にほんぶどうかん大会たいかいにおいて、当時とうじはかじんとして復活ふっかつげたばかりだったが、エディ・ゲレロ触発しょくはつされるかたちでマイクをにぎり、「ハロー・トーキョー。昨年さくねんきみたちのまえあらわれることができなくてもうわけなかった。次回じかい来日らいにちまではそれほどきみたちをおたせしないと約束やくそくしよう。どうかそのまで、レスト・イン・ピース!」とアピールし、武道館ぶどうかん観衆かんしゅうから万雷ばんらい喝采かっさいびた。

レッスルマニア無敗むはい伝説でんせつ[編集へんしゅう]

レッスルマニア20のファンアクセスにて会場かいじょうかれたケインの墓石はかいし

前述ぜんじゅつのように、テイカーははつ登場とうじょう以来いらい、2014ねんのレスナーせんまでレッスルマニアにおいてけたことがない。テイカーのレッスルマニア無敗むはい記録きろく(The Undefeated Streak)をけた試合しあいは、WWE王座おうざたたかえ以上いじょうあつかいや注目ちゅうもくびることもおおく、事実じじつじょうのレッスルマニアのメインせんひとつとなっていた。

実況じっきょうなどで「テイカーはXかち0はいで、Xじんのスーパースターがテイカーにいどんでやぶれた」などとよくいわれたが、これは単純たんじゅんに「毎年まいとし1試合しあいで1めいずつたおした」ともれる表現ひょうげんである。しかし、ケインとショーン・マイケルズは2かい、トリプルHは3かいたたかっており重複じゅうふくする。一方いっぽう、Aトレイン&ビッグ・ショーとは1たい2のハンディキャップせんであった。結果けっかとして、テイカーとレッスルマニアで対戦たいせんした選手せんしゅは19めいである。

テイカーはインタビューで「おれのレッスルマニア連勝れんしょう記録きろく可能かのうかぎつづけたいとおもっているが、記録きろくはいつかまるものだ」と常々つねづねかたっており、かつてはケインとカート・アングルに連勝れんしょう記録きろくめられることを希望きぼうする発言はつげんをしたこともあった。しかし、両者りょうしゃからは「偉大いだいなテイカーの伝説でんせつてき連勝れんしょう記録きろくめるなんておそおおくて出来できない」とわれている。

その、WWE入団にゅうだん当初とうしょからテイカーにたか評価ひょうかされていたブロック・レスナーがレッスルマニア30でテイカーのレッスルマニア連勝れんしょう記録きろくめた。テイカーがけることを試合しあいまえっていたのは試合しあいをした二人ふたり以外いがいではビンス、ステファニー、トリプルH、ポール・ヘイマンのみであり、レフェリーすららされておらず、さらにテイカーがけるとまったのは試合しあい当日とうじつという極秘ごくひ事項じこうであった。このことからもいかにテイカーのレッスルマニア無敗むはい記録きろく重要じゅうようあつかいをされていたかがあらわれている。ただし、このけんについて「レスナーを評価ひょうかしていたテイカーがみずかけること希望きぼうした」などとわれることがあるが、テイカー自身じしん試合しあい当日とうじつにブックの変更へんこうらされており、すでにトップ選手せんしゅ地位ちいれていたレスナーには必要ひつよう勝利しょうりだったと明言めいげんしている[34]

なお、テイカーたいレスナーは当初とうしょレッスルマニア27でも計画けいかくされており、このときはテイカーがつブックがまれることがまっていた。当時とうじUFC世界せかいヘビーきゅう王者おうじゃだったレスナーの防衛ぼうえいせんおこなわれたUFC 121をテイカーやストーンコールドらWWEの大物おおものがオクタゴンサイドで観戦かんせんしており、メインイベント終了しゅうりょうにインタビューちゅうのテイカーのよことおったレスナーがにらうシーンがあり、そのシーンをおさめたビデオは1週間しゅうかんで300まんかい以上いじょう再生さいせい回数かいすう記録きろくするなどおおきな話題わだいんだ[35]。UFCは所属しょぞく選手せんしゅたいして独占どくせん契約けいやくむすんでおり、所属しょぞく選手せんしゅ団体だんたい場合ばあい打撃だげきりの試合しあい完全かんぜん禁止きんし、グラップリングやプロレスの試合しあいさいにもUFCがわ許可きょか必要ひつようとなっており、ビンスはUFC代表だいひょうダナ・ホワイトに「レッスルマニア27でテイカーたいレスナーせんおこないテイカーが勝利しょうり、そのわりに、ビンス・マクマホンたいダナ・ホワイトでダナが勝利しょうり」というブックのオファーをした。真剣しんけん勝負しょうぶリアル・ファイトの世界せかい最強さいきょうめることが代名詞だいめいし総合そうごう格闘技かくとうぎUFCと、プロレスがショーであることを前面ぜんめんしたWWEとでは対極たいきょく存在そんざいであり、ダナがイメージ悪化あっかきらってプロレスの試合しあいをやりたがらなかった場合ばあいには、当時とうじすでに65さいのビンスがダナとリアル・ファイトで対戦たいせんすることにもおうじるというオファーであった。しかし、結局けっきょくUFCがわ許可きょかせずに白紙はくしとなった[36]

以下いかは2014ねんにブロック・レスナーに敗退はいたい不敗ふはい神話しんわ途切とぎれるまでのレッスルマニアにおける戦歴せんれきである。

かい たおした相手あいて 決着けっちゃく
WrestleMania VII1991ねん ジミー "スーパーフライ" スヌーカ ピンフォール
WrestleMania VIII1992ねん ジェイク "ザ・スネーク" ロバーツ ピンフォール
WrestleMania IX1993ねん ジャイアント・ゴンザレス 反則はんそく
WrestleMania XI1995ねん キングコング・バンディ ピンフォール
WrestleMania XII1996ねん ディーゼル ピンフォール
WrestleMania 131997ねん サイコ・シッド ピンフォール
WrestleMania XIV1998ねん ケイン ピンフォール
WrestleMania XV1999ねん ビッグ・ボスマン ピンフォール
WrestleMania X-Seven2001ねん トリプルH ピンフォール
WrestleMania X82002ねん リック・フレアー ピンフォール
WrestleMania XIX2003ねん Aトレイン&ビッグ・ショー ピンフォール
WrestleMania XX2004ねん ケイン ピンフォール
WrestleMania 212005ねん ランディ・オートン ピンフォール
WrestleMania 222006ねん マーク・ヘンリー 棺桶かんおけ
WrestleMania 232007ねん バティスタ ピンフォール
WrestleMania XXIV2008ねん エッジ サブミッション
WrestleMania XXV2009ねん ショーン・マイケルズ ピンフォール
WrestleMania XXVI2010ねん ショーン・マイケルズ ピンフォール
WrestleMania XXVII2011ねん トリプルH サブミッション
WrestleMania XXVIII2012ねん トリプルH ピンフォール
WrestleMania 292013ねん CMパンク ピンフォール
WrestleMania XXX2014ねん ブロック・レスナー ピンフォール

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c しん日本にっぽんプロレス 来日らいにち外国がいこくじん選手せんしゅ PERFECTカタログ』P45(2002ねん日本にっぽんスポーツ出版しゅっぱんしゃ)。
  2. ^ a b Undertaker”. WWE.com. 2016ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  3. ^ a b The Spoiler Don Jardine: The Man Who Trained the Undertaker”. Pro Wrestling Stories. 2020ねん1がつ27にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c The Undertaker”. Online World of Wrestling. 2017ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  5. ^ 地獄じごくはかほりじん」ジ・アンダーテイカーなみだやすらかにねむる」WWE殿堂でんどう式典しきてんスピーチ”. 日刊にっかんスポーツ (2022ねん4がつ2にち). 2022ねん8がつ24にち閲覧えつらん
  6. ^ 絶大ぜつだい人気にんきほこハルク・ホーガン敵対てきたいする極悪ごくあく非道ひどうのヒールをえんじる場合ばあいでさえも、ブーイングを上回うわまわだい歓声かんせいけた。また、カート・アングルは「プロレスの歴史れきしにおいてハルク・ホーガン、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンザ・ロックをはじめ、ショーン・マイケルズトリプルHエディ・ゲレロクリス・ベノワ、そしてぼくもトップリストにはいる。だがテイカーは別格べっかくだ。かれらもぼく素晴すばらしいが、ぼくかぎりアンダーテイカーこそが史上しじょう最高さいこうのレスラーだ。テイカーの存在そんざいすべてがWWEを特別とくべつなものにしているんだ。これほどながあいだWWEが成功せいこうしているのは長年ながねんテイカーがトップでWWEをひきいてきたからだ」とだい絶賛ぜっさんしている。
  7. ^ a b USWA Unified World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  8. ^ a b USWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  9. ^ Tag Team Profiles: The Skyscrapers”. Online World of Wrestling. 2015ねん12月6にち閲覧えつらん
  10. ^ WCW at Greensboro 1990/09/01”. Wrestlingdata.com. 2015ねん6がつ23にち閲覧えつらん
  11. ^ NWA The Great American Bash 1990 "New Revolution"”. Cagematch.net. 2015ねん6がつ23にち閲覧えつらん
  12. ^ NJPW Big Fight Series 1990”. Cagematch.net. 2015ねん6がつ23にち閲覧えつらん
  13. ^ WWF Survivor Series 1990”. Cagematch.net. 2023ねん10がつ31にち閲覧えつらん
  14. ^ The Undertaker def. Bray Wyatt”. WWE.com. 2015ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  15. ^ WWE SummerSlam PPV Results - 8/23/15 (Lesnar vs. Taker)”. Wrestleview.com. 2015ねん8がつ23にち閲覧えつらん
  16. ^ WWE Hell in a Cell PPV Results - 10/25/15 (Lesnar vs. Taker)”. Wrestleview.com. 2015ねん10がつ25にち閲覧えつらん
  17. ^ WWE Survivor Series PPV Results - 11/22/15 (New Champion)”. Wrestleview.com. 2015ねん11月22にち閲覧えつらん
  18. ^ WWE WrestleMania 32 Results – 4/3/16 (Live in Dallas, Triple H vs. Roman Reigns, The Undertaker vs. Shane McMahon)”. Wrestleview.com. 2016ねん4がつ3にち閲覧えつらん
  19. ^ WWE Royal Rumble Results – 1/29/17 (30 Man Royal Rumble, title matches)”. Wrestleview.com. 2017ねん1がつ29にち閲覧えつらん
  20. ^ WrestleMania 33 Results – 4/2/17 (The Undertaker vs. Roman Reigns)”. Wrestleview.com. 2017ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  21. ^ WrestleMania 34 Results – 4/8/18 (Reigns vs. Lesnar, Styles vs. Nakamura, Rousey debut)”. Wrestleview.com. 2018ねん4がつ8にち閲覧えつらん
  22. ^ WWE Super Showdown 2019 Results: Winners, Grades And Highlights From Saudi Arabia”. Forbes. 2019ねん6がつ7にち閲覧えつらん
  23. ^ WWE「地獄じごくはかほりじん」アンダテイカーが現役げんえき引退いんたい日刊にっかんスポーツ2020.6.22(2020.6.22lastaccess)
  24. ^ WWE official Twitter”. 2022ねん2がつ19にち閲覧えつらん
  25. ^ Mean Mark Callous' Heat Seeking Missile Compilation - YouTube”. www.youtube.com. 2023ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  26. ^ Wrestler Profiles: The Spoiler”. Online World of Wrestling. 2011ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  27. ^ The Undertaker Burned During Accident at Elimination Chamber” (2010ねん2がつ22にち). 2010ねん7がつ21にち閲覧えつらん
  28. ^ a b Update: Has The Undertaker Ever Tapped Out In The Past”. Wresle Zone. 2013ねん8がつ18にち閲覧えつらん
  29. ^ WWE SMACKDOWN! RESULTS”. Obsessed With Wrestling. 2013ねん8がつ18にち閲覧えつらん
  30. ^ ブレーキング・ポイント09 ヘルズ・ゲートvsアナコンダヴァイス!”. WWE. 2013ねん8がつ18にち閲覧えつらん
  31. ^ 2002ねん5がつ19にちWWE Judgment Dayにおける実況じっきょうより
  32. ^ KURT ANGLE IT'S TRUE IT'S TRUE. 白夜書房びゃくやしょぼう. (2002). pp. ちゅうめんカラー. ISBN 978-4893678126 
  33. ^ WWE Judgment Day 2002直前ちょくぜん
  34. ^ アンダーテイカーが連勝れんしょう途絶とだえたレスナーせんについてかた”. WWEの最新さいしん情報じょうほう USA (2020ねん11月30にち). 2020ねん12月26にち閲覧えつらん
  35. ^ WWE's Undertaker, Brock Lesnar Exchange Words Following UFC 121 YouTube 2010ねん10がつ24にち
  36. ^ Story behind Vince McMahon's challenge to Dana White MMA Fighting 2013ねん3がつ19にち

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]