豊川信用金庫とよかわしんようきんこ事件じけん

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豊川信用金庫とよかわしんようきんこ事件じけん(とよかわしんようきんこじけん)は、1973ねん昭和しょうわ48ねん)12月、あやまった内容ないよううわさにより豊川信用金庫とよかわしんようきんこたいするさわ発生はっせいした事件じけん

概要がいよう[編集へんしゅう]

1973ねん昭和しょうわ48ねん)12月、愛知あいちけん宝飯ほいぐん小坂井こざかいまちげん豊川とよかわ)を中心ちゅうしんに「豊川信用金庫とよかわしんようきんこ倒産とうさんする」というデマながれたことからさわ発生はっせいし、短期間たんきかん週間しゅうかんじゃく)でやく14おくえんもの預貯金よちょきんされ、倒産とうさん危機ききこした事件じけんである。

警察けいさつ信用しんよう毀損きそん業務ぎょうむ妨害ぼうがいうたがいで捜査そうさおこなった結果けっか女子高じょしこうせい3にん雑談ざつだんをきっかけとした自然しぜん発生はっせいてき流言りゅうげん原因げんいんであり、犯罪はんざいせいがないことが判明はんめいした。デマがパニックこすまでの詳細しょうさい過程かてい解明かいめいされためずらしい事例じれいであるため、心理しんりがく社会しゃかいがく教材きょうざいとしてげられることがある。

事件じけん経緯けいい[編集へんしゅう]

1にち
12月8にち

登校とうこうちゅう国鉄こくてつ飯田線いいだせん列車れっしゃないで、高校生こうこうせいBとCが、豊川信用金庫とよかわしんようきんこ就職しゅうしょくまった友人ゆうじん女子じょし高校生こうこうせいAにたいし「信用金庫しんようきんこあぶないよ」とからかう[1]。この発言はつげん信用金庫しんようきんこ経営けいえいじょうきょう指摘してきしたものではなく、「信用金庫しんようきんこ(などの金融きんゆう機関きかん)には強盗ごうとうはいるため危険きけん[注釈ちゅうしゃく 1]という意味いみ冗談じょうだんだった[2]。しかしAはそれをしんけ、そのよる、Aは親戚しんせきDに「信用金庫しんようきんこあぶないのか?」とたずねた。Aは具体ぐたいてき信用金庫しんようきんこ名称めいしょうわなかったものの、Dは豊川とよかわ信金しんきんのことだと自分じぶん判断はんだんしてどう信金しんきん本店ほんてんちかくに親戚しんせきEに「豊川とよかわ信金しんきんあぶないのか?」と電話でんわわせた[1]

2にち
12月9にち

Eは美容びよういん経営けいえいしゃのFに、「豊川とよかわ信金しんきんあぶないらしい」とはなした[1]

3にち
12月10日とおかつき

Fが親戚しんせきGにこのはなしをしたさい居合いあわせたクリーニングぎょうHのみみはいり、かれつまIにつたわる[3]

4にち
12月11にち

小坂井こざかいまち主婦しゅふらのあいだ豊川とよかわ信金しんきんうわさ話題わだいとなり、とおりがかりの住民じゅうみんみみにもはい[WEB 1]。このころうわさは「豊川とよかわ信金しんきんあぶない」と断定だんてい調ちょうになる[WEB 1]

6にち
12月13にち

Hのみせ電話でんわりたJが「豊川とよかわ信金しんきんから120まんえんおろせ」と電話でんわ相手あいて指示しじした[4]。Jはうわさまったらず、ただ仕事しごと支払しはらいでかねろす指示しじをしただけだった。しかし、これをいたIはどう信金しんきん倒産とうさんするので預金よきんをおろそうとしていると勘違かんちがいし、あわててどう信金しんきんから180まんえんをおろした[4]。その、HとIは知人ちじんにこのはなし喧伝けんでん、これをいたアマチュア無線むせん愛好あいこうが、無線むせんもちいてうわさ広範囲こうはんいひろめる[4]。こののちどう信金しんきん窓口まどぐち殺到さっとうした預金よきんしゃ59にんによりやく5000まんえんされる[4]どう信金しんきん小坂井こざかい支店してんきゃくはこんだタクシー運転うんてんしゅ証言しょうげんによると、ひるごろせたきゃくは「どう信金しんきんあぶないらしい」、1430ぶんきゃくは「あぶない」、1630ふんごろきゃくは「つぶれる」、よるきゃくは「明日あしたはもうあそこのシャッターはがるまい」と時間じかんつにつれてうわさ誇張こちょうされていく[4]

7にち
12月14にちかね

事態じたい収拾しゅうしゅうのため、どう信金しんきんした声明せいめい曲解きょっかいされ、パニックに拍車はくしゃかる[5]はらもど処理しょり迅速じんそくのための措置そち曲解きょっかいした「1まんえん以下いかてられる」「利子りしはらえないのはやはり経営けいえいがおかしいせいだ」「(雑踏ざっとう警備けいびをしている警察官けいさつかんて)豊川とよかわ信金しんきん強制きょうせい捜査そうさをしている」などのデマがながれる。「倒産とうさん整理せいり説明せつめいかいをしているといた」とわせるものや、整理せいりけんわたされて「こんなものをもらってなにになる」と怒鳴どなものあらわれるなど、事態じたい深刻しんこくする[6]

その、「職員しょくいん使つかみが原因げんいん」、「5おくえん職員しょくいんげした」、「理事りじちょう自殺じさつ」というデマがさらに発生はっせいする[5][6]信金しんきんがわ依頼いらいけたマスコミ各社かくしゃは、14にち夕方ゆうがたから15にちあさにかけて、デマであることを報道ほうどう騒動そうどう沈静ちんせいはかる。新聞しんぶん見出みだしは、朝日新聞あさひしんぶん「5000にん、デマにおど[新聞しんぶん 1]」、読売新聞よみうりしんぶん「デマにおどらされ信金しんきんさわ[新聞しんぶん 2]」、毎日新聞まいにちしんぶん「デマにつられてはし[新聞しんぶん 3]」、などである。

事態じたいけた日本銀行にっぽんぎんこうは、考査こうさきょくげん金融きんゆう機構きこうきょく考査こうさ運営うんえいグループ)ちょう記者きしゃ会見かいけんおこない、どう信用金庫しんようきんこ経営けいえいについて「問題もんだいない」と発言はつげんするとともに、混乱こんらんけるため日銀にちぎん名古屋なごや支店してんつうじて現金げんきん手当てあてをおこなったことをあきらかにした[新聞しんぶん 2]。また預金よきんしゃへのアピールとして、本店ほんてんだい金庫きんこまえに、日銀にちぎんから輸送ゆそうされた大量たいりょう現金げんきんたかさ1m、はば5m)を窓口まどぐちからもえるように山積やまづみした[新聞しんぶん 4]

8にち
12月15にち

店頭てんとう全国ぜんこく信用金庫しんようきんこ連合れんごうかい全国ぜんこく信用金庫しんようきんこ協会きょうかい連名れんめいのビラがされ、常務じょうむ理事りじによる預金よきんしゃへの説得せっとく活動かつどうおこなわれた。これらの対策たいさくにより、騒動そうどう沈静ちんせいかう[7]。その一方いっぽうで、新聞しんぶん報道ほうどうによってはじめてさわぎをり、預金よきんくだすためけたひともいた[7]

9にち
12月16にち

警察けいさつがデマの伝播でんぱルートを解明かいめいし、発表はっぴょうする[8]同日どうじつよるNHK警察けいさつ発表はっぴょうのデマ伝播でんぱルートを報道ほうどうした。

10日とおか
12月17にちつき

新聞しんぶん各紙かくし朝刊ちょうかん警察けいさつ発表はっぴょう報道ほうどうする。しかし、そのの22にちになっても「豊川とよかわ信金しんきんつぶれたのではないか」「3にんのうわさばなしがここまでおおきくなるはずはない。うら組織そしきてき陰謀いんぼうがあり、警察けいさつ発表はっぴょう政治せいじてきなものだ」などと主張しゅちょうするものもおり、デマはすぐには消滅しょうめつしなかった[7]

事態じたいがパニックに発展はってんした要因よういん[編集へんしゅう]

このように伝言でんごんゲームしきにデマが形成けいせいされ、事態じたいがパニックに発展はってんした理由りゆうとして、つぎのような要因よういん存在そんざいした[WEB 1]

  • 事件じけん発生はっせいした1973ねん当時とうじ、10月にはトイレットペーパー騒動そうどう発生はっせいするなど、オイルショックによる不景気ふけいきという社会しゃかい不安ふあん存在そんざいし、デマがながれやすい下地したじがあった[WEB 1]
  • くちコミ情報じょうほうつたわるうちに、情報じょうほう変容へんようした[WEB 1]
  • 事件じけんの7ねんまえの1966ねん小坂井こざかいまちとなり豊橋とよはし金融きんゆう機関きかん倒産とうさんし、出資しゅっししゃ手元てもと出資しゅっしきんがほとんどもどってこないというおおきな被害ひがいした事件じけん発生はっせいしていた[WEB 1]。デマの伝播でんぱ経路けいろなかのクリーニングぎょうのHもこの7ねんまえ倒産とうさん被害ひがいしゃであり、そのまえでJが大金たいきんをおろすよう指示しじしたため、デマがリアリティを獲得かくとくした[WEB 1]。またHは、善意ぜんい周囲しゅうい人間にんげんにデマをひろめてしまった[WEB 1]
  • せま地域ちいき社会しゃかいなかで、別々べつべつひとからおな情報じょうほうくことで信憑しんぴょうせいがあるものとおもむ「交差こうさネットワークによる効果こうか」の現象げんしょう発生はっせいした[WEB 1]
  • 日本にっぽんでは、この事件じけんよりまえの1971ねん成立せいりつした預金よきん保険ほけんほうで、預金保険機構よきんほけんきこう裏付うらづけのもと、100まんえんまで(当時とうじ)のペイオフ(預金よきん保護ほご制度せいど施行しこうされていたが、一般いっぱん認知にんち十分じゅうぶんではなかった。預金よきん保護ほご制度せいどっていて渦中かちゅう預金よきんをしにひとは、少数しょうすうたものの、大方おおかた預金よきんしゃはパニックにながされて預金よきんしにはしった。

事件じけん解決かいけつ[編集へんしゅう]

昭和しょうわ48ねん1973ねん)12月13にち木曜日もくようび旅行りょこうさきにいた城南信用金庫じょうなんしんようきんこ当時とうじ理事りじちょう全国ぜんこく信用金庫しんようきんこ連合れんごうかいげん信金しんきん中央金庫ちゅうおうきんこ)と全国ぜんこく信用金庫しんようきんこ協会きょうかいりょう会長かいちょうだった小原おはら鐵五郎てつごろう全国ぜんこく信用金庫しんようきんこ連合れんごうかいげん信金しんきん中央金庫ちゅうおうきんこ)から「豊川信用金庫とよかわしんようきんこさわぎがきている」と本部ほんぶから連絡れんらくけた。

小原おはらは、ひとつでも対応たいおうあやまると周囲しゅうい信用金庫しんようきんこにまでしかねないと判断はんだんし、事態じたい解決かいけつするためできるだけ情報じょうほうあつめ、おもいたことはなんでも実行じっこうした。

  • 札束さつたば展示てんじ
    大量たいりょう現金げんきんをカウンターからよくえるところにかせた。
  • あえて出金しゅっきんすすめる告知こくち
    豊川信用金庫とよかわしんようきんこにはおや機関きかん全国ぜんこく信用金庫しんようきんこ連合れんごうかいがついております。おかねがご入用にゅうようなら、いくらはらもどしてもかまいません。ご遠慮えんりょなくおもうください」というがみ豊川信用金庫とよかわしんようきんこ本支店ほんしてんじゅうしょ)の店頭てんとう店内てんないさせた。
  • 財務局ざいむきょくとのやりりを放送ほうそう
    執拗しつよう説明せつめいもとめるきゃくには「そんなにご心配しんぱいなら、大蔵省おおくらしょうなり、日銀にちぎんなりにご自分じぶんいてみてください」とい、東海とうかい財務局ざいむきょく電話でんわし、実際じっさいたしかめてもらった。また、そのやりとりを録音ろくおん店内てんないながさせた。
  • 15閉店へいてんしない
    午後ごご3閉店へいてん時間じかんぎてもまだのこっているきゃくのために「一人ひとりでもお客様きゃくさまのこってるかぎり、絶対ぜったいみせめてはならないように。めると現金げんきんそこをついたとおもわれるから」と指示しじした。
  • 窓口まどぐち職員しょくいん安心あんしんさせる
    職員しょくいん金庫きんこなかせ、こんなにおかねがあるということを認識にんしきさせた。そうした職員しょくいんかえったあとに近所きんじょひとが「本当ほんとうはどうなの」とたずねるのはかりったことであったので、そのさいには「十分じゅうぶんあります」と自信じしんをもってえるようにした。
  • マスコミの協力きょうりょくによるPR

こうして小原おはら指示しじのもと社員しゃいんたちの奮闘ふんとうにより、人々ひとびと不安ふあんのぞき、けの危機ききった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 特命とくめいリサーチ200X』では、この発言はつげんは「田舎いなか信用金庫しんようきんこ都市とし銀行ぎんこうくらべると経営けいえい不安定ふあんていではないか」という意味いみだったとしている[WEB 1]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

WEB[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h i j F.E.R.C Research Report - File No.0063 デマ・パニックの正体しょうたいえ!”. 日本にほんテレビ (1998ねん12月6にち). 2006ねん10がつ5にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん9がつ13にち閲覧えつらん

新聞しんぶん[編集へんしゅう]

  1. ^ 「5000にん、デマにおどる 14おくえんさわ愛知あいち 信金しんきん10てんよる行列ぎょうれつ」『朝日新聞あさひしんぶん 夕刊ゆうかん』、1973ねん12月15にち、19めん2015ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 「デマにおどらされ信金しんきんさわ愛知あいち日銀にちぎんがみひとしんもフェーン現象げんしょう」『読売新聞よみうりしんぶん 朝刊ちょうかん』、1973ねん12月15にち、19めん2015ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  3. ^ 豊川信用金庫とよかわしんようきんこさわぎ デマにつられてはしる」『毎日新聞まいにちしんぶん 朝刊ちょうかん』、1973ねん12月15にち、19めん2015ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  4. ^ 戦後せんご70ねん よみがえ経済けいざい秘史ひし だい5 危機ききえて(2) 不安ふあん連鎖れんさ デマさわぎ」『中日新聞ちゅうにちしんぶん 朝刊ちょうかん』、2015ねん11月11にち、6めん

書籍しょせき雑誌ざっし[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん資料しりょう[編集へんしゅう]

論文ろんぶん[編集へんしゅう]

  • 伊藤いとう陽一よういち小川おがわ浩一こういちさかき博文ひろぶみデマの研究けんきゅう--愛知あいちけん豊川信用金庫とよかわしんようきんこ"け"さわぎの現地げんち調査ちょうさ(概論がいろんしょ事実じじつ稿こう)」『総合そうごうジャーナリズム研究けんきゅうだい11かんだい3ごう東京とうきょうしゃ、1974ねん6がつ、70–80ぺーじISSN 0387334XNAID 40002225700 
  • 伊藤いとう陽一よういち小川おがわ浩一こういちさかき博文ひろぶみデマの研究けんきゅう--愛知あいちけん豊川信用金庫とよかわしんようきんこ"け"さわぎの現地げんち調査ちょうさ(考察こうさつ分析ぶんせきへん)」『総合そうごうジャーナリズム研究けんきゅうだい11かんだい4ごう東京とうきょうしゃ、1974ねん9がつ、100–111ぺーじISSN 0387334XNAID 40002225718 
  • 沼田ぬまたけん流言りゅうげん社会しゃかい心理しんりがく」『桃山学院大学ももやまがくいんだいがく社会しゃかいがく論集ろんしゅうだい22かんだい2ごう桃山学院大学ももやまがくいんだいがく総合そうごう研究所けんきゅうじょ、1989ねん3がつ、97–117ぺーじISSN 02876647NAID 110004700817 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]