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「フォーラムシアターから考える多様性」実施レポート – mafga

(公財)箕面市国際交流協会MAFGA

2021.08.26

「フォーラムシアターからかんがえる多様たようせい実施じっしレポート

(めろんNo.168掲載けいさい
2021 ねん 7 がつ 22 にち開催かいさい @箕面みのお市立しりつ文化ぶんか交流こうりゅうセンター

 多様たようせいってなに?多様たようせい尊重そんちょうするってどういうこと?大事だいじにしたい視点してん配慮はいりょしてほしいポイントはひとそれぞれ。だからこそむずかしくかんじ、すこ身構みがまえてしまう多様たようせいについて、フォーラムシアターというあたらしい手法しゅほうれながらかんがえている。

フォーラムシアターとは?

 あまりきなれない「フォーラムシアター」。これは 1970 年代ねんだい、ブラジルの演出えんしゅつアウグスト・ボアールがした「抑圧よくあつしゃ演劇えんげき」のいち手法しゅほうで、対話たいわがた問題もんだい解決かいけつさぐるプログラムだ。社会しゃかい問題もんだいかず

ぶんみじかげきとして上演じょうえんし、それを参加さんかしゃ一緒いっしょ討論とうろん(フォーラム)とげき(シアター)をかえす。観客かんきゃく一度いちどげきのち役者やくしゃ 1 にん交代こうたいし、自分じぶんがそのにいた場合ばあいどのように振舞ふるまうかをえんじてせ、解決かいけつさく実践じっせんする。演劇えんげきというフィクションので、日常にちじょう遭遇そうぐうする可能かのうせいのある状況じょうきょうについてかんがえ、行動こうどうすることで、実際じっさいにそのような場面ばめん遭遇そうぐうしたとき、意識いしきてき能動のうどうてきにその状況じょうきょうかかわるちからがつくことが期待きたいされている。社会しゃかい問題もんだいなどの討論とうろん解決かいけつ目的もくてきとして、ヨーロッパやアメリカとう実施じっしされている手法しゅほうだ。

身体しんたい概念がいねん表現ひょうげんする

 日本にっぽんではまだみのすくないフォーラムシアターを実施じっししてくれたのは、多様たようせい文化ぶんか共生きょうせい促進そくしんするプロジェクト「Bridge Project」を活動かつどうする内山うちやまゆいにっさん。自身じしんのルーツの ひとつであるイタリアで大学だいがくまでをごし、中国ちゅうごく大学院だいがくいんでは人類じんるいがく専攻せんこう日本にっぽんでは日本語にほんご講師こうし多様たようせいファシリテーターとして活動かつどうしている。ヨーロッパが難民なんみん危機きき直面ちょくめんしていた時期じきに、現地げんちでフォーラムシアターの手法しゅほうまなんだ。

 今回こんかいは、フォーラムシアターにはいまえにいくつかのアイスブレイクもれられた。たとえば、「生徒せいと」や「ボランティア」からおもかべるイメージを自身じしん身体しんたい使つかって表現ひょうげんしたり、「権力けんりょく」を表現ひょうげんするにあたり、まえひとあらわした「権力けんりょく」よりもさらにつよい「権力けんりょく」のイメージを表現ひょうげんしていったりという具合ぐあいだ。参加さんかしゃ協会きょうかい活動かつどうするボランティアと職員しょくいんで、年齢ねんれい立場たちばもさまざまだ。「生徒せいと」といて勉強べんきょうする格好かっこうをするひとがいれば、整列せいれつするイメージで直立ちょくりつ不動ふどうひともいる。自分じぶんこん学生がくせいだからと、とくにポーズをせずにもと自分じぶんあらわひともいた。このようなワークをかさねることで、雰囲気ふんいき参加さんかしゃ身体しんたい思考しこうがほぐれていくと同時どうじに、おな言葉ことばでもひとによってイメージされるものの多様たようさが垣間見かいまみれた。

寸劇すんげき鑑賞かんしょう討論とうろん演技えんぎ実践じっせん

 今回こんかいは、事前じぜん協会きょうかい職員しょくいん寸劇すんげき台本だいほん作成さくせいし、職員しょくいん中心ちゅうしんとする演者えんじゃ寸劇すんげき披露ひろうした。舞台ぶたいはコンビニエンスストアのバックヤード。学費がくひ生活せいかつのために深夜しんやはたらきたい女子じょし大学生だいがくせいバイトにたいして、女性じょせいにはあぶない・体力たいりょくがないからめておいたほうがいいと女子大じょしだいせいバイトをさと男性だんせい先輩せんぱいスタッフ、そしてそれを店長てんちょうのスタッフたちとのやりとりだ。先輩せんぱいかえす、「あなたを心配しんぱいしてこそ、あなたをおもってこそのアドバイス」は本当ほんとう配慮はいりょえるのか。女子じょし大学生だいがくせいバイトの希望きぼう事情じじょうはどこで消化しょうかされるのか。先輩せんぱいスタッフが危惧きぐする防犯ぼうはんめんたしかに一理いちりあるもするし、でも一方いっぽう女性じょせいをステレオタイプぎではないかなど、参加さんかしゃはそれぞれが解決かいけつさく改善かいぜんあんかんがえて意見いけん交換こうかんをしながら、演者えんじゃ交代こうたいして実際じっさいえんじてみる。それによって問題もんだいてん様子ようすにどのような変化へんかがあったか、その方法ほうほう現実げんじつてき可能かのうなのかなどをさらに議論ぎろんし、演技えんぎつづけていった。

正解せいかい」と多様たようせい

 結論けつろんとして、これで解決かいけつだと声高こわだか々に宣言せんげんできるような解決かいけつさくみちびかれたわけではない。議論ぎろん演技えんぎ実践じっせんいちとおいたのちも、実際じっさいはそんなに上手うまくいくだろうか、その職場しょくば雰囲気ふんいき人間にんげん関係かんけいわるくならないだろうかなどの意見いけんされる。また、参加さんかしゃがそれぞれのあたまにある現実げんじつ場面ばめんらしわせてかんがえている様子ようす印象いんしょうてきだった。このようなワークショップではなにもっと有効ゆうこう解決かいけつさくなのか結論けつろんすことはできないし、今回こんかいのワークもそれをめざしていたわけではない。そのため、参加さんかしゃから結論けつろん正解せいかいがないことにたいして「すっきりしない」という感想かんそうてきたのも無理むりはないことだとえる。しかし、多様たようせいむとき、「すっきりしない」感覚かんかくはとても大切たいせつだとおもう。ひとにはそれぞれの視点してんがあり、経験けいけん知識ちしきもとづいたさまざまな意見いけん価値かちかんがある。「正解せいかい」は 1 つではないこともおおく、そもそもその「正解せいかい」もこえげられないひとごえげてもいいとおしえられてこなかったひと存在そんざいないがしろにして形成けいせいされた可能かのうせいもある。

 多様たようせい文字通もじどおおおようで、面倒めんどういちめんがあるのも事実じじつだ。しかし、だからこそ自分じぶん相手あいてれられ、ゆたかで持続じぞく可能かのう社会しゃかいつくっていけるのではないだろうか。多様たようせいづきその理解りかいつとめることは、自分じぶん自分じぶんらしくきることにもつながる。多様たようせい理解りかい自分じぶん理解りかいすることともえるのかもしれない。協会きょうかいでは、今後こんご内山うちやまさんの協力きょうりょくて、フォーラムシアターをとおした多様たようせい探求たんきゅうつづけていく予定よていだ。(樋野ひの