おたく
おたく(オタクまたはヲタク)とは、
1989
その
歴史 [編集 ]
起源 [編集 ]
「おたく」の
「おたく」が「おたく」と
1982
ある
その彼 らの異様 さね。なんて言 うんだろうねぇ、ほら、どこのクラスにもいるでしょ、運動 が全 くだめで、休 み時間 なんかも教室 の中 に閉 じ込 もって、日陰 でウジウジと将棋 なんかに打 ち興 じてたりする奴 らが。(中略 )それで
それでこういった栄養 のいき届 いてないようなガリガリか、銀 ブチメガネのつるを額 に喰 い込 ませて笑 う白 ブタかてな感 じで、女 なんかはオカッパでたいがいは太 ってて、丸太 ん棒 みたいな太 い足 を白 いハイソックスで包 んでたりするんだよね。普段 はクラスの片隅 でさぁ、目立 たなく暗 い目 をして、友達 の一人 もいない、そんな奴 らが、どこからわいてきたんだろうって首 をひねるぐらいにゾロゾロゾロゾロ一 万 人 !それも普段 メチャ暗 いぶんだけ、ここぞとばかりに大 ハシャギ。(中略 )もー頭 が破裂 しそうだったよ。それがだいたいが十 代 の中高生 を中心 とする少年 少女 たちなんだよね。(中略 )人達 を、まあ普通 、マニアだとか熱狂 的 ファンだとか、せーぜーネクラ族 だとかなんとか呼 んでるわけだけど、どうもしっくりこない。なにかこういった人々 を、あるいはこういった現象 総体 を統合 する適 確 な呼 び名 がいまだ確立 してないのではないかなんて思 うのだけれど、それでまぁチョイわけあって我々 は彼 らを『おたく』と命名 し、以後 そう呼 び伝 えることにしたのだ。 — 『漫画 ブリッコ』1983年 6月 号 、『おたく』の研究 (1)街 には『おたく』がいっぱい[8]
また、
その
「おたく」という言葉 がない時代 は、いろんな種族 がいただけでした。SFファンとかアニメファンとかマンガファン、個別 の作品 とか個別 のジャンルのファンがいたわけです。それを
あるときから、「ヘンなやつら外側 からひとまとめにして、ああいう奴 らを「おたく」と言 うんだと決 めつけられてから、私 たちの民族 が発生 した。だから、正確 に言 うと民族 じゃなくて私 たちはもともとは他者 から「強制 収容 所 に入 れられた囚人 」でした。強制 収容 所 」が作 られた。そこに収容 される理由 は様々 でした。まずは「アニメ好 き」「マンガ好 き」「ゲーム好 き」という人 たちがぽんぽんと放 り込 まれた。それだけではなくて「なんか暗 い」とか「なんか社会 性 がない」という人 たちまでも、ぽんぽん放 り込 まれていった。この収容 所 の看板 が「おたく」でした。 — 『オタクはすでに死 んでいる』(新潮 新書 , 2008年 ) - p.52-53
なお、
竹 熊 中森 氏 の「おたくコラム」について、担当 者 としてはどう考 えていたんですか? そう言 えば聞 いた事 がなかったけど。小形 そうだなあ、「庇 いきれなくてごめん」って感 じだなあ。竹 熊 あれ、「差別 文章 」だとは思 いました?僕 はきついなあ、と思 ったけど、げらげら大笑 いした記憶 があります。小形 そうだなあ、きつかったよねえ。でも中森 氏 の持 ち味 だからねえ。まあ、おれが感 じたのは「中森 くんだって、この中 に書 かれているおたくじゃないのかなあ」ってことかな。そして「おれもそうだなあ」ということ。そうでしょ?竹 熊 中森 くんも小形 くんも、僕 も、大塚 さんだってオタクだよね。それで、本 が出 て2ヶ月 後 のコミケでは、もうみんな「おたく」ってい合 ってました。最初 はオタクが自分 の事 を自嘲 するスラングでしたよね。小形 そうだね。でも、中森 氏 は一貫 して「自分 はオタクじゃない」って言 ってる。すごい不思議 だけど。大塚 氏 もきっと違 うと思 っていると思 う。確 かめたことないけど。竹 熊 不思議 だよねえ。周囲 のオタクはむしろ喜 んで使 ってた感 じだったけどねえ。とにかく「あ、それ!」と膝 を打 つぴったりなネーミングだった。小形 そうね、なんとなく意識 していた程度 のものに、名前 が付 いて以降 意識 せざるを得 なくなった瞬間 。竹 熊 なんかもやもやとあったけど、名前 がついて一挙 に定着 した感 じだよね。でもオタクが一般 化 したのは、やはり7年 後 の宮崎 事件 でしたね。あれでマスコミが使 い出 して自嘲 語 から差別 語 になった印象 があります。小形 あの時 、中森 氏 が電話 かけてきたんだよね。「大塚 さんの連絡 先 教 えて」って。「悪 いけど今 は知 らないんだ」って答 えたけど。自分 から大塚 氏 に連携 を呼 びかけようとしていた。昔 打 ち切 られたのに、偉 いなあってすごく感心 した。
宮崎 勤 事件 [編集 ]
1988
この
自称 おたく評論 家 「宅 八郎 」[編集 ]
イメージの好転 [編集 ]
1990
そのような
また、『AKIRA』(1986
(オタクに対 する誤解 をなんとかするためには)2つ方法 がある。1つは魅力 そのものを伝 えてオタクというのは実 は面白 くて「こうだ」っていう方法 。もう一 つは、お前 らは知 らないだろうけど、海外 では俺 達 ちょっとしたもんだぜっていうこの二 面 作戦 でオタクって実 は大 したことあるよという底上 げ作戦 を展開 したんですね。それはその後 、海外 でのオタク評価 は本当 に上 がってきたりですね、「エヴァンゲリオン」が大 ヒットしたりですね、ものすごい後押 しがあったんですね。時代 の後押 しがあったおかげで、なんだかんだいってもオタクは80年代 の暗黒 の時代 から90年代 の後半 になるにつれて、かなり楽 な状況 になってきた。
だから僕 たちは、なんかこう「オタク」と言 えるようになったんですね、自分 のことを。ロフトプラスワンで「オタクのイベントだ」と言 って人 が来 るようになったのそれのおかげなんですよ。それまでは「オタクのイベントだ」と言 うと、何 よりもオタクが来 れなかったんですね。オタクと思 われたら困 るっていう風 に思 ってた。それがなんか90年代 半 ばのオタク状況 。(中略 )世 の中 が急激 にそのオタクを認 めるようになった。1つは、お前 らがやってることって案外 面白 いんだなってのが、ようやっと評価 されてきた。それはエヴァンゲリオンとか色 んな作品 のヒットのおかげですね。あともう一 つ、海外 で一流 の監督 とかが皆 オタクだと自分 のことを言 ったり、よその国 ではセーラームーンとかそういうコスプレしてる奴 がガンガン出 てきて、僕 らのヘンテコさがなんとなく相対 化 されたんですね。僕 らが相変 わらずヘンテコなのは当 たり前 なんですけども、海外 にもヘンテコな奴 がいるからなんだこれ?って。日本 の中 の変 な奴 じゃなくて、世界 でいえば普遍 的 な奴 なんだ。あいつら面白 かもわかんないなみたいな目線 で見 てもらえるようになったのが僕 らがちょっとだけ生 きやすくなった理由 ですね。 — 『オタク・イズ・デッド』(新宿 ロフトプラスワン, 2006年 5月 24日 )
また、
日本人 は、日本 発 のものは世界 に評価 されるはずはないと思 っている。桂 離宮 から浮世絵 まで、外国 人 が評価 したものだけを日本 文化 と称 してきたが、それは違 うのではないか。
インターネットの
漫画 こそ、日本 が世界 に誇 りうる独自 の文化 で、これからもっと世界 に浸透 していくだろう。マルチメディア時代 になれば、コンビューターソフトと結 びついておもしろい社会 をつくると思 う。世界 に広 がる漫画 が、管理 教育 、官僚 文化 に風穴 を開 けてほしいものだ。
他 、ますます複雑 ・高度 化 する情報 ネットワーク網 の中 で作品 を作 り続 け、ヒットさせる実力 を持 つ者 はオタク・クリエイターしかいない。現 に、日本 のアニメーターたちは日本 よりもアメリカ等 海外 での評価 が高 い。本当 の国際 競争 力 を持 つクリエイターとは、オタクの中 からしか生 まれないのだ。 —岡田 斗 司 夫 『オタク学 入門 』[18]
2000年代 オタクのカジュアル化 [編集 ]
2005
この
2000
2007
また、2007
2007
「おたく」なる語 が「オタク」と片仮名 に書 き換 えられるあたりから文部 科学 省 や経済 産業 省 や、ナントカ財団 の類 がちょっとでもうっかりするとすり寄 ってくる時代 になった。ぼくのところでさえメディアなんとか芸術 祭 という国 がまんがやアニメを勝手 に「芸術 」に仕立 て上 げようとするばかげた賞 がもう何 年 も前 から「ノミネートしていいか」と打診 の書類 を送 ってくるし(ゴミ箱 行 き)、そりゃ村上 隆 や宮崎 アニメは今 や国家 の誇 りってことなんだろうが、しかし「オタク」が「おたく」であった時代 をチャラにすることに加担 はしたくない。国家 や産業 界 公認 の「オタク」と、その一方 で見 せしめ的 な有罪 判決 が出 ちまった「おたく」なエロまんがはやっぱり同 じなんだよ、と、その始 まりの時 にいたぼくは断言 できる。国家 に公認 され現代 美術 に持 ち上 げられ「おたく」が「オタク」と書 き換 えられて、それで何 かが乗 り越 えられたとはさっぱりぼくは思 わない。 —大塚 『「おたく」の精神 史 一 九 八 〇年代 論 』著者 からのコメント[25]
2010年代 大衆 文化 との逆転 現象 [編集 ]
2010
2010
オタクという
2010
また、
オタク
2016
おたくの変遷 [編集 ]
「おたく」の
オタク以前 [編集 ]
- おたくという
言葉 が生 まれる以前 は、おたくの同義語 として、主 に「マニア」やきちがいを略 して「○○キチ」(釣 りキチ等 )「ファンダム」等 と呼 ばれていた。 基本 的 にはSFと特撮 ファンが中心 で、流行 した作品 に『キング・コング』(1933年 )や『原子 怪獣 現 わる』(1953年 )初代 『ゴジラ』(1954年 )『キングコング対 ゴジラ』(1962年 )『大 魔神 』(1966年 )『2001年 宇宙 の旅 』(1968年 )「猿 の惑星 シリーズ」(1968年 ~1973年 )や、『鉄人 28号 』等 がある。
オタク第 一 世代 (1960年 前後 生 まれ)[編集 ]
- テレビの
発展 と共 に育 った世代 で、アニメに抵抗 のない最初 の世代 といえる。 幼少 期 、少年 期 に流行 したテレビ番組 に第 1期 『ウルトラシリーズ』(Q・マン・セブン)のほか、『オバケのQ太郎 』(モノクロ版 )、『魔法使 いサリー』、『巨人 の星 』、『8時 だョ!全員 集合 』、『仮面 ライダー』、『天才 バカボン』、『世界 名作 劇場 』シリーズ、『ルパン三 世 』、『マジンガーZ』、『宇宙 戦艦 ヤマト』などがある。怪獣 ブーム・変身 ブームを体験 した世代 であり、特撮 オタクとなった者 も多 い。- いわゆる
断層 の世代 (概 ね中期 しらけ世代 の世代 )、もしくは新人 類 (概 ね後期 しらけ世代 から前期 バブル世代 までの世代 )である。 - 「
大人 になったらアニメや漫画 は卒業 する」という考 え方 がまだ根強 い時代 でもあったため、同 世代 の大半 はインドアなオタク文化 ではなく、主 に電通 などの広告 代理 店 やフジテレビやホイチョイ等 が主導 していた、ネアカな恋愛 至上 主義 的 文化 や、スキーブーム等 のアウトドアを消費 するのが主流 であった。そのため、オタク文化 がまだ珍 しいサブカルチャーとしてネクラ扱 いされつつも容認 されていた時代 に青年 期 を過 ごしている。 - しかし、1989
年 に発生 した東京 ・埼玉 連続 幼女 誘拐 殺人 事件 の犯人 が同 世代 であったため、主 に年長 者 やオタク趣味 を持 たない同 世代 から、偏見 や差別 を受 ける原因 にもなった。
オタク第 二 世代 (1970年 前後 生 まれ)[編集 ]
前 の世代 が作 り上 げた爛熟 し細分 化 したオタク系 文化 を10代で享受 した世代 [33]。- いわゆる
後期 バブル世代 から団塊 ジュニア・氷河期 世代 である。 代表 的 な出来事 として、『週刊 少年 マガジン』『週刊 少年 サンデー』『週刊 少年 ジャンプ』などの少年 漫画 誌 の隆盛 、『機動 戦士 ガンダム』や『銀河 鉄道 999』『うる星 やつら』に代表 されるアニメブームやガンプラブーム、「ファミリーコンピュータ」(1983年 )の大 ヒットによる家庭 用 ゲーム機 の普及 、『ゼビウス』(1983年 )などのアーケードゲームのブーム、「PC-9800」や「MSX」等 のホビーパソコン(マイコン)ブーム、『スター・ウォーズ』(1977年 )『E.T.』(1982年 )『ターミネーター』(1984年 )『ブレードランナー』(1982年 )などのSF映画 やサイバーパンク作品 の世界 的 なブームなどが挙 げられる。- アニメ
雑誌 の相次 ぐ創刊 、「アニメイト」などの専門 店 の創業 、コミックマーケットの大 規模 化 、美少女 ゲームやアダルトゲームの登場 など、オタク文化 や二 次元 文化 が急速 に発展 する一方 で、オタク第 一 世代 と同様 に、青年 期 に発生 した東京 ・埼玉 連続 幼女 誘拐 殺人 事件 によってオタクバッシングが激化 し、偏見 ・差別 に晒 された世代 であった。
オタク第 三 世代 (1980年 前後 生 まれ)[編集 ]
後期 ポスト団塊 ジュニア世代 ~プレッシャー世代 。彼 らの少年 期 は、1990年代 初頭 にかけて前述 の連続 幼女 誘拐 殺人 事件 によるオタクバッシングの余波 が続 き、神戸 連続 児童 殺傷 事件 以降 の少年 犯罪 報道 の激化 などいくつかの動 きと重 なってアニメの性的 表現 、残虐 ・暴力 描写 の自主 規制 が行 われる時代 であった[34]。またキレる17歳 論 やゲーム脳 論 などにも晒 された。- 1980
年代 から盛 んに行 われた小説 、漫画 、アニメ、ゲームなどの複数 のメディアを通 じて展開 する“メディアミックス”が主流 となり、ヒット作 が複数 のメディアに派生 し、一 つのメディアだけにとどまることが少 なくなった。 - 『
新 世紀 エヴァンゲリオン』(1995年 )や「PlayStation」(1994年 )の大 ヒットで、アニメやコンピュータゲームが趣味 の一 つとして市民 権 を得 るようになり、メインカルチャーとサブカルチャーの差 が薄 れ始 めた世代 といえる。 - 「Windows 95」の
日本語 版 発売 もこの時期 で、インターネットが個人 にも普及 し始 めた世代 でもある。 - ゲームでは『ストリートファイター2』(1991
年 )などの格闘 ゲームや、『ときめきメモリアル』(1994年 )などの恋愛 シミュレーションゲームが多数 ヒットするようになり、ゲームのキャラクターがアニメや漫画 のキャラクターと同等 の人気 を博 すようになった時代 である。
オタク第 四 世代 (1990年 前後 生 まれ)[編集 ]
- ブロードバンドが
普及 し、家庭 でのインターネット利用 が一般 的 な環境 の中 に育 った。「Windows XP」(2001年 )世代 でもある。 - この
世代 はゆとり世代 論 により年少 期 からバッシングに晒 され、また地上波 テレビ等 で自主 規制 が強 まった後 に育 っている。 一方 で、インターネットにより「2ちゃんねる」(1999年 )、2000年代 前半 から中盤 のFlash動画 黄金 期 、深夜 アニメの隆盛 、「YouTube」(2005年 )や「ニコニコ動画 」(2006年 )などの動画 投稿 サイトの台頭 、実況 プレイなどのネット動画 ブーム、『初 音 ミク』(2007)等 のVOCALOIDブーム、「ハルヒダンス」などの「踊 ってみた」ブーム等 、ネット発 の様々 な流行 を体験 した。- 2005
年 には、おたくを肯定 的 に描 いた、2ちゃんねる発 の恋愛 作品 『電車 男 』が映画 化 ・ドラマ化 され共 に大 ヒットしたことや、同年 の流行 語 大賞 に「萌 え」及 び「メイドカフェ」がノミネートされるなど、一般 社会 へオタク文化 が急速 に浸透 し、10代でオタク趣味 に傾倒 する人 が増 えた。学校 でアニメやゲームが話題 に上 がることも多 く、宮崎 事件 の後 に産 まれていることもあって、オタク趣味 やオタク文化 に対 する恥 や後 ろめたさがほとんどないことが特徴 で、オタクの低 年齢 化 が一気 に進 んだ。このため、かつてのトレンディドラマやJ-POP、洋画 、スポーツ、車 等 といった、一般 的 な大衆 文化 (メインカルチャー)やアウトドア等 と並 んでオタク文化 もごく普通 に消費 されるようになり、オタク文化 が大衆 文化 やメインカルチャーに内包 されるようになった最初 の世代 であるといえる。
おたくを題材 とした作品 [編集 ]
脚注 [編集 ]
出典 [編集 ]
- ^
大塚 英志 「特集 ・真 説 おたくの精神 史 ──解題 」『comic新 現実 』第 4巻 、角川書店 、2005年 4月 、76-77頁 。 - ^
飯間 浩明 . “「おたく」分 け入 っても分 け入 っても日本語 ”.新潮社 . 2022年 11月23日 閲覧 。 - ^
小林 信彦 『日本人 は笑 わない』新潮 文庫 、1994年 、pp.45-46 - ^ 「オタク」と
司法 内田 樹 の研究 室 - ^ a b
岡田 斗 司 夫 (1996). “オタクの正体 ”. オタク学 入門 .太田 出版 . ISBN 4-87233-279-2. オリジナルの2000-12-16時点 におけるアーカイブ。 - ^ おたく/ オタク/ Otaku
同人 用語 の基礎 知識 - ^
遠藤 諭 (2013年 5月 16日 ). “おたく30周年 、発祥 の地 をご案内 しましょう”.週刊 アスキー.角川 アスキー総合 研究所 . 2020年 6月 24日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2020年 6月 25日 閲覧 。 “「いまから30年 前 、私 は、『東京 おとなクラブ』という雑誌 を作 っていて、本 の町 こと神田 神保 町 のはずれにあるビルのワンルームの部屋 を借 りていた。/当時 は、『宝島 』や『ポパイ』の元気 があったし、『本 の雑誌 』や『広告 批評 』なんかも頑張 っていた時代 である。源 喜 堂 でまとめ買 いした『WET』や『Whole Earth Catalog』(スティーブ・ジョブズのスタンフォードでの講演 の“Stay hungry,stay foolish”はこれからの引用 なのですよ)を見 ると、米国 でも好 きなように雑誌 を作 っている。新宿 の紀伊國屋 書店 や神保 町 の書 泉 ブックマートなど、全国 の30くらいの書店 が置 いてくれた。そこで、もう少 し真面目 にやろうかなと思 って、オフィスを借 りたのだった。/ここの家賃 を稼 ぎだすために商業 誌 や自販機 本 のページ編集 なんかをやることになった。その頃 、ここによくいた数 人 の間 でだけ使 われていたのが『おたく』という言葉 だった。それを、“東京 おとなクラブ Jr.”という連載 をやらせてもらっていた『漫画 ブリッコ』に、中森 明夫 が“おたくの研究 ”というのを書 いたのだ。/クラスターとしてのおたくというのは、この部屋 から広 がったんだよ」” - ^ 『おたく』の
研究 第 1回 漫画 ブリッコの世界 (再 録 サイト) - ^ 『おたく』の
研究 第 2回 漫画 ブリッコの世界 (再 録 サイト) - ^ 『おたく』の
研究 への反応 と反論 新宿 マイナークラブ1983年 9月 号 漫画 ブリッコの世界 (再 録 サイト) - ^
小形 克宏 「山田 さんが声 をかけてくれなかったら、今日 の僕 はなかった」『川本 耕 次 に花束 を』迷路 '23、2023年 、16-30頁 。 - ^ 『おたく』の
研究 「妥協 の森 」1984年 6月 号 漫画 ブリッコの世界 (再 録 サイト) - ^ オタク・イズ・デッド
岡田 斗 司 夫 クロニクル2006/5/24 - YouTube - ^
森川 嘉一郎 2003, p. 181-182. - ^ a b
菊池 聡 、金田 茂 裕 、守 一 雄 「FUMIEテストを用 いた「おたく」に対 する潜在 的 態度 調査 」『人文 科学 論集 人間 情報 学科 編 』第 41号 、信州大学 人文学部 、2007年 4月 、105-115頁 、ISSN 1342-2782、NAID 110006389058。 - ^ “オタク
史 に咲 いた、宅 八郎 というあだ花 ノンフィクション作家 ・大泉 実成 さんと振 り返 る”.好 書 好日 (朝日新聞 ). (2021年 1月 16日 ) 2021年 11月22日 閲覧 。 - ^
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岡田 斗 司 夫 『オタク学 入門 』新潮社 、pp.11-12. - ^ Mammo.tv >>
今週 のインタビュー(2002.05.27-06.03号 Part1)東 浩 紀 さん - ^ a b
京都精華大学 〈サブカルチャー論 〉講義 録 第 18回 「世界 の終 わり」という想像 力 の敗北 ――東日本 大震災 と『Show must go on』(PLANETSアーカイブス) | PLANETS/第 二 次 惑星 開発 委員 会 - ^ 「オタクの
力 を上手 に使 え」,野村 総研 が研究 発表 |日経 クロステック(xTECH) - ^ ガルバレス・パトリック・ウィリアム「
公 の「オタク」のイメージを左右 する秋葉原 」2009年 1月 、 オリジナルの2009年 10月 8日 時点 におけるアーカイブ。 - ^ asahi.com(
朝日新聞社 ):アニメバブル崩壊 DVD不振 、新 番組 も減 - マンガ+ -映画 ・音楽 ・芸能 - ^ Wen Wei Po New Media Center (2008
年 9月 23日 ). “「御 宅 族 」行 「漫畫 外交 」受年輕 人 追 捧 -香港 文匯報 ”. 2022年 10月 22日 閲覧 。 - ^
著者 からのコメント(空白 修正 ) - ^ “「オタク」になりたい
若者 たち。倍速 でも映画 やドラマの「本数 をこなす」理由 (稲田 豊 史 )”.現代 ビジネス. (2021年 6月 7日 ) 2021年 10月 23日 閲覧 。 - ^ “「オタク」になりたい
若者 たち。倍速 でも映画 やドラマの「本数 をこなす」理由 (稲田 豊 史 )”.現代 ビジネス. (2021年 6月 7日 ) 2021年 10月 23日 閲覧 。 - ^ “
若者 の間 に「エセオタク」が激増 しているワケ”.東洋 経済 オンライン. (2015年 12月2日 ) 2021年 10月 23日 閲覧 。 - ^ 「
私 の戦闘 力 は53万 です」表現 規制 反対 派 ・山田 太郎 氏 が当選 SNSフル活用 、“オタク層 ”の支持 集 める - ITmedia NEWS - ^
“マンガ、アニメ、コミケ…“オタク”
集 票 力 は宗教 以上 漫画 家 の自民 議員 「もはや無視 できない政治 勢力 」〈dot.〉”. AERA. (2022年 8月 14日 ) 2022年 8月 14日 閲覧 。 - ^ “ドラマよりもアニメ”
若者 のテレビの好 みが変 わった!~若者 のテレビ番組 の好 み過去 と現在 を比較 して~ - 『R&D若者 ハンドブック2017』より(第 2弾 リリース)- - ^ “オタク4
世代 論 アキバ王 が語 るオタクの“ライト化 ””. ITmedia NEWS. (2008年 3月 19日 ) 2021年 10月 21日 閲覧 。 - ^
東 浩 紀 2001, p. 13. - ^
榎本 秋 2009, p. 58.
参考 文献 [編集 ]
東 浩 紀 『動物 化 するポストモダン オタクから見 た日本 社会 』講談社 〈講談社 現代新書 〉、2001年 11月20日 。ISBN 978-4061495753。森川 嘉一郎 『趣 都 の誕生 -萌 える都市 アキハバラ-』幻冬舎 、2003年 。ISBN 9784344002876。岡田 斗 司 夫 『オタクはすでに死 んでいる』新潮社 〈新潮 新書 , 258〉、2008年 。ISBN 9784106102585。榎本 秋 『オタクのことが面白 いほどわかる本 日本 の消費 をけん引 する人々 』中 経 出版 、2009年 。ISBN 9784806133582。別冊 宝島 編集 部 編 『おたくの本 』宝島社 〈別冊 宝島 104号 〉、1989年 12月別冊 宝島 編集 部 編 『「おたく」の誕生 !!』宝島社 〈宝島社 文庫 〉、2000年 3月