おたく

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東京とうきょう秋葉原あきはばら電気でんきがい中央ちゅうおうどお万世橋まんせいばしからだいいち半田はんだビルのぞむ(2013ねん
秋葉原あきはばら駅頭えきとう改装かいそうまえ秋葉原あきはばらラジオ会館かいかんえる(2003ねん

おたくオタクまたはヲタク)とは、愛好あいこうしゃ呼称こしょうで、1980年代ねんだい日本にっぽんサブカルチャーからひろまった言葉ことばである。元来がんらいの「おたく」は相手あいていえ家庭かてい敬称けいしょう二人称ににんしょう代名詞だいめいしであるが、ある特定とくていサブカルチャー愛好あいこうしゃしめす、現在げんざい使つかわれている言葉ことばとしての「おたく」の起源きげんは、1983ねんコラムニスト中森なかもり明夫あきおが「コミックマーケット」につどSF漫画まんがアニメなどのわかファンいたるがおたがいを「おたく」とっていた現象げんしょう揶揄やゆして、かれらを「おたく」として分類ぶんるいしたことにある。

1989ねん発覚はっかくした東京とうきょう埼玉さいたま連続れんぞく幼女ようじょ誘拐ゆうかい殺人さつじん事件じけんにおいて、犯人はんにん収集しゅうしゅうしていたアニメ特撮とくさつひとし多数たすうビデオテープ漫画まんが雑誌ざっしを、マスコミ事件じけん関連付かんれんづけてさかんに報道ほうどうしたことで、なかでオタクバッシングがこり、皮肉ひにくにもその「おたく」の存在そんざい世間せけん一般いっぱんひろられるようになった。そのため、当初とうしょ漫画まんがアニメコンピュータゲームアイドルなどの趣味しゅみひとたちと、社会しゃかいせい欠如けつじょしている人間にんげん対人たいじんコミュニケーションが不得意ふとくいひととうを、十把一絡じっぱひとからげにしてしめ否定ひていてき意味合いみあいを言葉ことばとして使用しようされることがおおかった。

その1990年代ねんだい後半こうはんからのインターネット普及ふきゅうやアニメや漫画まんが、コンピュータゲーム、アイドルの社会しゃかいてき地位ちい向上こうじょうによりおたくへのわる印象いんしょううすれ、現在げんざいではたんなる「ファン」や「マニア」と同義どうぎ使つかわれることもおおい。

歴史れきし[編集へんしゅう]

起源きげん[編集へんしゅう]

最初さいしょのロリコン同人どうじんあい栗鼠りす』『シベール』『幼女ようじょ嗜好しこう』を創刊そうかんし、1980年代ねんだい前半ぜんはんコミックマーケット変質へんしつしゃのコスプレで出没しゅつぼつしていたひるかみけん大塚おおつか英志えいじは「中森なかもり明夫あきおが『おたく』のかたりをもってそとからコミケにつど人々ひとびとをカリカチュアライズするよりまえひるかみけんそうすでにおたく自身じしんによる『批評ひひょう』としてあった」とひょうしている[1]

「おたく」のもと語源ごげんは、相手あいていえ敬称けいしょうである「たく」であり、てんじて相手あいて家庭かていおっと二人称ににんしょう代名詞だいめいしとして使つかわれた[2]。1950年代ねんだいからの学生がくせい運動うんどうにより、青年せいねんそう中心ちゅうしんに、相手あいて個人こじん敬称けいしょうとしても使つかわれはじめた。「あなた」や「きみ」とくらべて距離きょりをおいたびかけ[3]としてその若者わかもの言葉ことばのようなかたち一般いっぱんてき使つかわれるようになった。

「おたく」が「おたく」とばれる以前いぜん歴史れきしは、それほど研究けんきゅうされていない。内田うちだいつきは、「SF」から「オタク」へのテイクオフは1960年代ねんだい後期こうき少年しょうねん文化ぶんかの「政治せいじ」にたいする反動はんどうであり、閉的で自分じぶん位置いちについて客観きゃっかんてきかたることができないとしている[4]

1982ねんから放送ほうそうされたロボットアニメちょう時空じくう要塞ようさいマクロス』のなかで、主人公しゅじんこう一条いちじょうあきらリン・ミンメイ相手あいてに「たく(おたく)」という二人称ににんしょう使つか場面ばめんがあり、ファンがコミケやSF大会たいかいなどでこのかた真似まねたことで[5][6] 、アニメファンのなか相手あいてしめさいの「おたく」という言葉ことば用法ようほうひろまったとされる。

ある特定とくていのジャンルのサブカルチャーをきなひとそのものをしめす、現在げんざい使つかわれている意味いみ言葉ことばとしての「おたく」は、日本にっぽんで2番目ばんめとなるロリコン漫画まんが雑誌ざっし漫画まんがブリッコ』(白夜書房びゃくやしょぼう当時とうじはセルフ出版しゅっぱん1983ねん6がつごうから8がつごうまで中森なかもり明夫あきお連載れんさいした『東京とうきょうおとなクラブ』の出張しゅっちょうコーナー『東京とうきょうおとなクラブJr.』[7]うちのコラム「『おたく』の研究けんきゅう」が初出しょしゅつとされている。中森なかもりコミックマーケット(コミケ)にあつまる人々ひとびとを「おたく」として活字かつじつぎのように表現ひょうげんした。

そのかれらの異様いようさね。なんてうんだろうねぇ、ほら、どこのクラスにもいるでしょ、運動うんどうまったくだめで、やす時間じかんなんかも教室きょうしつなかもって、日陰ひかげでウジウジと将棋しょうぎなんかにきょうじてたりするやつらが。(中略ちゅうりゃく

それで栄養えいようのいきとどいてないようなガリガリか、ぎんブチメガネのつるをがくませてわらしろブタかてなかんじで、おんななんかはオカッパでたいがいはふとってて、丸太まるたぼうみたいなふとあししろいハイソックスでつつんでたりするんだよね。普段ふだんはクラスの片隅かたすみでさぁ、目立めだたなくくらをして、友達ともだち一人ひとりもいない、そんなやつらが、どこからわいてきたんだろうってくびをひねるぐらいにゾロゾロゾロゾロいちまんにん!それも普段ふだんメチャくらいぶんだけ、ここぞとばかりにだいハシャギ。(中略ちゅうりゃく)もーあたま破裂はれつしそうだったよ。それがだいたいがじゅうだい中高生ちゅうこうせい中心ちゅうしんとする少年しょうねん少女しょうじょたちなんだよね。(中略ちゅうりゃく

それでこういった人達ひとたちを、まあ普通ふつう、マニアだとか熱狂ねっきょうてきファンだとか、せーぜーネクラぞくだとかなんとかんでるわけだけど、どうもしっくりこない。なにかこういった人々ひとびとを、あるいはこういった現象げんしょう総体そうたい統合とうごうするてきかくがいまだ確立かくりつしてないのではないかなんておもうのだけれど、それでまぁチョイわけあって我々われわれかれらを『おたく』と命名めいめいし、以後いごそうつたえることにしたのだ。 — 『漫画まんがブリッコ』1983ねん6がつごう、『おたく』の研究けんきゅう(1)まちには『おたく』がいっぱい[8]

また、中森なかもりはコミケにあつまる人々ひとびとほか特徴とくちょうとして、「ブルトレりにって線路せんろじょうでひきころされそうになるやつ」(当時とうじは「てつ」という呼称こしょうはなかった)、「アニメ映画えいが公開こうかい前日ぜんじつならんでやつ」、「マイコンショップでたむろってる牛乳ぎゅうにゅうビンそこメガネの理系りけい少年しょうねん」、「S-Fマガジンのバックナンバーとハヤカワ・SF・シリーズ本棚ほんだなにビシーッとそろってるやつ」、「有名ゆうめい進学しんがくじゅくかよってて、勉強べんきょうっちゃったらたんイワシ愚者ぐしゃになっちゃうオドオドした態度たいどのボクちゃん」などをげ、そうした普段ふだんくらいのにコミケだとやたらにはしゃぐ少年しょうねん少女しょうじょ理系りけいガリつとむ、そして対人たいじんコミュニケーションが不得意ふとくいひとらをいちくくりにして、「おたく」と命名めいめいした。

中森なかもりどう連載れんさいで「中学生ちゅうがくせいぐらいのガキがコミケとかアニメ大会たいかいとかで友達ともだちに「おたくら さぁ」なんてびかけてるのってキモイとおもわない」「けどあのスタイルでしょ、あのしゃべりでしょ、あのセーカクでしょ、おんななんか出来できるわきゃないんだよね」[9]といった差別さべつてき文章ぶんしょういたことで、読者どくしゃからいかり・反感はんかん投書とうしょ殺到さっとうした。編集へんしゅうとしても静観せいかんするわけにもいかず、1983ねん8がつごうで「『おたく』の研究けんきゅう」は休止きゅうしとなり、1983ねん9がつごう読者どくしゃ投稿とうこうらん新宿しんじゅくマイナークラブ」では、代表だいひょうてき読者どくしゃ反応はんのう掲載けいさいするとともに、編集へんしゅう大塚おおつか英志えいじは「相手あいて立場たちばをからかうなら自分じぶん立場たちばをふまえてからでないと、たんなる誹謗ひぼう中傷ちゅうしょうわってしまいます。その意味いみ生産せいさんてき中森なかもりくん文章ぶんしょうこまったものだとおもい、改善かいぜんもとめておりました」と中森なかもり非難ひなんした[10]一方いっぽう雑誌ざっしない雑誌ざっし東京とうきょうおとなクラブJr.』の担当たんとう編集へんしゅうしゃであった小形おがた克宏かつひろきゅう緒方おがた源次郎げんじろう)は「ちょっと後味あとあじわるいけど、まあべつにいいんじゃないっておもったのに、相棒あいぼうだった大塚おおつか英志えいじさんがゆるさず、かれとのあいだ議論ぎろんになりました。『ブリッコ』はぼく大塚おおつかさんとできっちり担当たんとうけていたので、ぼくのページにくちされるのは心外しんがいだったんですけど、結局けっきょく大塚おおつかさんに『読者どくしゃ悪口わるぐちせられない』とかされました」と同人どうじんのインタビューで証言しょうげんしており、大塚おおつか一連いちれん言動げんどうは、担当たんとうしゃわくえた越権えっけん行為こういまがいの容喙ようかいであったとしている[11]

その、「『おたく』の研究けんきゅう」は1984ねん1がつごう終了しゅうりょうしたが、大塚おおつかは1984ねん6がつごう読者どくしゃ投稿とうこうらん再度さいど、「おたく」についての立場たちば表明ひょうめいおこない、「中森なかもりの『おたくの研究けんきゅう』についてぼくは担当たんとう緒方おがたたい毎回まいかい、『不快ふかいかん』を表明ひょうめいしてきました。中森なかもり文章ぶんしょうは<健全けんぜん批判ひはん>ではなく<差別さべつ>を目的もくてきとしたものとうつったからです」とあらためて非難ひなんしたが、その一方いっぽうで「最終さいしゅうてきには登場とうじょうをご遠慮えんりょねがうことになったのですが、意外いがいだったのは中森なかもり文章ぶんしょう読者どくしゃふくめて、相当そうとう支持しじしゃがいたことです。たしかに感情かんじょうてき文章ぶんしょうと<おたく>というかたり差別さべつ用語ようごとしての秀逸しゅういつさ(?)は無責任むせきにんにおもしろがるには充分じゅうぶんのものだったといえます。結局けっきょくのところ、<おたく>なるかたりはすっかり定着ていちゃくしてしまいました」とべた[12]

岡田おかだおっとは、おたくを「収容しゅうようしょれられた囚人しゅうじん」であるとしてこうかたっている[13]

「おたく」という言葉ことばがない時代じだいは、いろんな種族しゅぞくがいただけでした。SFファンとかアニメファンとかマンガファン、個別こべつ作品さくひんとか個別こべつのジャンルのファンがいたわけです。

それを外側そとがわからひとまとめにして、ああいうやつらを「おたく」とうんだとめつけられてから、わたしたちの民族みんぞく発生はっせいした。だから、正確せいかくうと民族みんぞくじゃなくてわたしたちはもともとは他者たしゃから「強制きょうせい収容しゅうようしょれられた囚人しゅうじん」でした。

あるときから、「ヘンなやつら強制きょうせい収容しゅうようしょ」がつくられた。そこに収容しゅうようされる理由りゆう様々さまざまでした。まずは「アニメき」「マンガき」「ゲームき」というひとたちがぽんぽんとほうまれた。それだけではなくて「なんかくらい」とか「なんか社会しゃかいせいがない」というひとたちまでも、ぽんぽんほうまれていった。この収容しゅうようしょ看板かんばんが「おたく」でした。 — 『オタクはすでにんでいる』(新潮しんちょう新書しんしょ, 2008ねん) - p.52-53

なお、たけぐま健太郎けんたろうと『漫画まんがブリッコ』もと編集へんしゅう小形おがた克宏かつひろは、当時とうじかえって「おたく」という造語ぞうごがシニカルながらも秀逸しゅういつなネーミングであったことをみとめつつ、命名めいめいしゃ中森なかもり明夫あきおたいして、あるしゅ違和感いわかんいていたことをつぎのようにかたっている。

たけぐま 中森なかもりの「おたくコラム」について、担当たんとうしゃとしてはどうかんがえていたんですか? そうえばいたことがなかったけど。
小形おがた そうだなあ、「かばいきれなくてごめん」ってかんじだなあ。
たけぐま あれ、「差別さべつ文章ぶんしょう」だとはおもいました? ぼくはきついなあ、とおもったけど、げらげら大笑おおわらいした記憶きおくがあります。
小形おがた そうだなあ、きつかったよねえ。でも中森なかもりあじだからねえ。まあ、おれがかんじたのは「中森なかもりくんだって、このなかかれているおたくじゃないのかなあ」ってことかな。そして「おれもそうだなあ」ということ。そうでしょ?
たけぐま 中森なかもりくんも小形おがたくんも、ぼくも、大塚おおつかさんだってオタクだよね。それで、ほんて2ヶ月かげつのコミケでは、もうみんな「おたく」っていいあってました。最初さいしょはオタクが自分じぶんこと自嘲じちょうするスラングでしたよね。
小形おがた そうだね。でも、中森なかもり一貫いっかんして「自分じぶんはオタクじゃない」ってってる。すごい不思議ふしぎだけど。大塚おおつかもきっとちがうとおもっているとおもう。たしかめたことないけど。
たけぐま 不思議ふしぎだよねえ。周囲しゅういのオタクはむしろよろこんで使つかってたかんじだったけどねえ。とにかく「あ、それ!」とひざつぴったりなネーミングだった。
小形おがた そうね、なんとなく意識いしきしていた程度ていどのものに、名前なまえいて以降いこう意識いしきせざるをなくなった瞬間しゅんかん
たけぐま なんかもやもやとあったけど、名前なまえがついて一挙いっきょ定着ていちゃくしたかんじだよね。でもオタクが一般いっぱんしたのは、やはり7ねん宮崎みやざき事件じけんでしたね。あれでマスコミが使つかして自嘲じちょうから差別さべつになった印象いんしょうがあります。
小形おがた あのとき中森なかもり電話でんわかけてきたんだよね。「大塚おおつかさんの連絡れんらくさきおしえて」って。「わるいけどいまらないんだ」ってこたえたけど。自分じぶんから大塚おおつか連携れんけいびかけようとしていた。むかしられたのに、えらいなあってすごく感心かんしんした。

おたくの語源ごげん―”大塚おおつか英志えいじ史観しかんの『漫画まんがブリッコ』さい検証けんしょう

宮崎みやざきつとむ事件じけん[編集へんしゅう]

1988ねんから1989ねんにかけて発生はっせいした東京とうきょう埼玉さいたま連続れんぞく幼女ようじょ誘拐ゆうかい殺人さつじん事件じけん以下いかみや﨑勤事件じけん」)において、犯人はんにん宮崎みやざきつとむ収集しゅうしゅうしていた特撮とくさつアニメホラー映画えいがビデオテープ漫画まんがアニメ雑誌ざっしなどをマスコミメディアげ、「現実げんじつ虚構きょこう区別くべつかなくなり犯行はんこうおよんだ」として、センセーショナルほうじた。そのさい宮崎みやざき個室こしつ部屋へや報道ほうどうされ、4だいビデオデッキと6000ほんちかVHSビデオテープが万年床まんねんどこ乱雑らんざつかこんだその部屋へやは、犯人はんにん異常いじょうせいしめすものとして注目ちゅうもくびた。当時とうじまだ一般いっぱん浸透しんとうしていなかった“おたく”という人格じんかく類型るいけい呼称こしょう定着ていちゃくしたのも、この事件じけんによるものだった。ただ、宮崎みやざき部屋へや殺人さつじんはん特有とくゆう特殊とくしゅなものというよりは、オタクの部屋へやにしばしばみられる傾向けいこうとして、オタクたち自身じしんにも認識にんしきされている[14]

この事件じけんにより、「おたく=変質へんしつしゃ犯罪はんざいしゃ予備よびぐん」というイメージが定着ていちゃくし、おたくは印象いんしょうわる言葉ことばとしてひろまった。この時期じき、「おたく」という言葉ことばNHKでは放送ほうそう禁止きんし用語ようごとされ、使用しようできない言葉ことばであった[5]現在げんざいでもこの影響えいきょうのこっており、おたくをせい犯罪はんざいむすびつける報道ほうどうがなされることがある[15]

自称じしょうおたく評論ひょうろんたく八郎はちろう[編集へんしゅう]

宮崎みやざきつとむ事件じけんによって「おたく」に注目ちゅうもくあつまるなか署名しょめい活動かつどうしていたフリーライターが1990ねんに『週刊しゅうかんSPA!じょうで、おたく評論ひょうろんたく八郎はちろう」としてデビュー。翌年よくねんの1991ねんワンレングス長髪ちょうはつ銀縁ぎんぶち眼鏡めがねマジックハンドアイドルフィギュア手提てさ紙袋かみぶくろつという姿すがたでテレビ番組ばんぐみ出演しゅつえんし、強烈きょうれつなインパクトをのこした。いわゆるオタクなか位置いちづけとして、たく八郎はちろう宮崎みやざきつとむ事件じけんならんで「オタクのあいだちがったイメージをひろめた」存在そんざいとしてかたられることがおおい。たく八郎はちろう長年ながねん交流こうりゅうのあった大泉おおいずみ実成さねなりは、たくについて、「かれにはオタクのプラスめんをアピールしたいというおもいがあった。ただ、その擁護ようご仕方しかたがめちゃくちゃで、誤爆ごばくのようなところがあった」とかえっている。たくのメディアでの風貌ふうぼうつくられたものであり、オタクにえるふくて、おたくをえんじていた。大泉おおいずみは、「オタクとばれていた当事とうじしゃたちからは、えんじていることはバレバレ。迷惑めいわくでもあっただろう」「オタクの歴史れきしかたるうえでは、あだばなのような存在そんざいでしょう」とかた一方いっぽうで、たく著書ちょしょ『イカす!おたく天国てんごく』について、「まけのイメージがつよかったオタクを、特定とくてい分野ぶんやとくした優秀ゆうしゅう存在そんざいとして社会しゃかいつたえた。その意味いみはあるとおもう」とひょうしている[16]

イメージの好転こうてん[編集へんしゅう]

1990年代ねんだい前半ぜんはんには、依然いぜんとして「おたく=変質へんしつしゃ犯罪はんざいしゃ予備よびぐん社会しゃかい適応てきおうしゃ」とみなす論調ろんちょうがあり、1991ねんにはコミケ幕張まくはりメッセ追放ついほう事件じけんきた。

一方いっぽうで1990年代ねんだい後半こうはんからは、海外かいがい日本にっぽん漫画まんがやアニメ、ゲームとう流通りゅうつうしていることが徐々じょじょられるようになり、1995ねんから放送ほうそうされた『しん世紀せいきエヴァンゲリオン』が、社会しゃかい現象げんしょうひょうされるほどのヒットとなっておおくのメディアでげられたことや、一般いっぱん作品さくひんではあるが1997ねんスタジオジブリ作品さくひん宮崎駿みやざきはやお監督かんとくの『もののけひめ』が、当時とうじアニメ映画えいがとしては異例いれい興行こうぎょう収入しゅうにゅう193おくえんのメガヒットを記録きろくするなど、アニメや漫画まんがなどが公平こうへい報道ほうどう評価ひょうかされることもえつつあった。

そのようなながれもあり、1996ねんにはNHKBS2で、漫画まんが紹介しょうかい解説かいせつする『BSマンガ夜話やわ』が放送ほうそう開始かいしするなど、漫画まんがやアニメといったサブカルチャーが、小説しょうせつ実写じっしゃ映画えいがひとしといったメインカルチャーおな土俵どひょうかたられることも徐々じょじょはじめた。

また、『AKIRA』(1986ねん)や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊こうかくきどうたい』(1995ねん)といったアニメや漫画まんが海外かいがいクリエイターにもおおきな影響えいきょうあたえ、さらにはその作品さくひんにも影響えいきょうけた、1999ねん公開こうかいハリウッド映画えいがマトリックス』が、世界せかいてきだいヒットを記録きろくしたことなどがきっかけで、日本にっぽんでも「ジャパニメーション(Japanimation)」がぎゃく輸入ゆにゅうてきかたち評価ひょうかされはじめた。

岡田おかだおっとは、1980年代ねんだい後半こうはんから1990年代ねんだいまでのオタクを状況じょうきょうについて、こうかたっている。

(オタクにたいする誤解ごかいをなんとかするためには)2つ方法ほうほうがある。1つは魅力みりょくそのものをつたえてオタクというのはじつ面白おもしろくて「こうだ」っていう方法ほうほう。もうひとつは、おまえらはらないだろうけど、海外かいがいではおれたちちょっとしたもんだぜっていうこのめん作戦さくせんでオタクってじつたいしたことあるよという底上そこあ作戦さくせん展開てんかいしたんですね。それはその海外かいがいでのオタク評価ひょうか本当ほんとうがってきたりですね、「エヴァンゲリオン」がだいヒットしたりですね、ものすごい後押あとおしがあったんですね。時代じだい後押あとおしがあったおかげで、なんだかんだいってもオタクは80年代ねんだい暗黒あんこく時代じだいから90年代ねんだい後半こうはんになるにつれて、かなりらく状況じょうきょうになってきた。
だからぼくたちは、なんかこう「オタク」とえるようになったんですね、自分じぶんのことを。ロフトプラスワンで「オタクのイベントだ」とってひとるようになったのそれのおかげなんですよ。それまでは「オタクのイベントだ」とうと、なによりもオタクがれなかったんですね。オタクとおもわれたらこまるっていうふうおもってた。それがなんか90年代ねんだいなかばのオタク状況じょうきょう。(中略ちゅうりゃく
なか急激きゅうげきにそのオタクをみとめるようになった。1つは、おまえらがやってることって案外あんがい面白おもしろいんだなってのが、ようやっと評価ひょうかされてきた。それはエヴァンゲリオンとかいろんな作品さくひんのヒットのおかげですね。あともうひとつ、海外かいがい一流いちりゅう監督かんとくとかがみなオタクだと自分じぶんのことをったり、よそのくにではセーラームーンとかそういうコスプレしてるやつがガンガンてきて、ぼくらのヘンテコさがなんとなく相対そうたいされたんですね。ぼくらが相変あいかわらずヘンテコなのはたりまえなんですけども、海外かいがいにもヘンテコなやつがいるからなんだこれ?って。日本にっぽんなかへんやつじゃなくて、世界せかいでいえば普遍ふへんてきやつなんだ。あいつら面白おもしろかもわかんないなみたいな目線めせんてもらえるようになったのがぼくらがちょっとだけきやすくなった理由りゆうですね。 — 『オタク・イズ・デッド』(新宿しんじゅくロフトプラスワン, 2006ねん5がつ24にち

また、岡田おかだはこのようなおたくへの評価ひょうか好転こうてんした要因よういんとして、「オタクたちの努力どりょくだけではなく、日本にっぽん経済けいざいまっていたこともげられる」とべている[17]

日本人にっぽんじんは、日本にっぽんはつのものは世界せかい評価ひょうかされるはずはないとおもっている。かつら離宮りきゅうから浮世絵うきよえまで、外国がいこくじん評価ひょうかしたものだけを日本にっぽん文化ぶんかしょうしてきたが、それはちがうのではないか。

漫画まんがこそ、日本にっぽん世界せかいほこりうる独自どくじ文化ぶんかで、これからもっと世界せかい浸透しんとうしていくだろう。マルチメディア時代じだいになれば、コンビューターソフトとむすびついておもしろい社会しゃかいをつくるとおもう。世界せかいひろがる漫画まんがが、管理かんり教育きょういく官僚かんりょう文化ぶんか風穴かざあなけてほしいものだ。

インターネットのほか、ますます複雑ふくざつ高度こうどする情報じょうほうネットワークもうなか作品さくひんつくつづけ、ヒットさせる実力じつりょくものはオタク・クリエイターしかいない。げんに、日本にっぽんのアニメーターたちは日本にっぽんよりもアメリカとう海外かいがいでの評価ひょうかたかい。本当ほんとう国際こくさい競争きょうそうりょくつクリエイターとは、オタクのなかからしかまれないのだ。 — 岡田おかだおっと『オタクがく入門にゅうもん[18]

批評ひひょうあずまひろし1990年代ねんだいきょう関連付かんれんづけて分析ぶんせきをしている。

消費しょうひ社会しゃかいくところまでった今日きょう日本人にっぽんじんが「日本にっぽんてきである」とおも風景ふうけいは、もはやフジヤマゲイシャではないでしょう。(中略ちゅうりゃく)1990年代ねんだいながきょうのなかで、のこったのはコンビニケータイぐらい。『アキラ』のような格好かっこういいサイバーシティはやってこなかった。そういう絶望ぜつぼう正面しょうめんからってきたのが、オタクたちだったわけです。ニセモノとサブカルチャーしかない世界せかいでどのようにほこりをもってきていけばいいのか。オタクたちはそんな物語ものがたりばかりつむいでいる。そしてそれはいまでは日本にっぽん全体ぜんたい問題もんだいでもある。 — あずまひろし、2002ねん[19]

2000年代ねんだい オタクのカジュアル[編集へんしゅう]

2005ねん平成へいせい17ねん)には、アキバけいアニメオタクの青年せいねん主人公しゅじんこうである、2ちゃんねるはつ恋愛れんあい小説しょうせつ電車でんしゃおとこ』が映画えいがおよフジテレビゴールデンタイムでドラマされ、女性じょせいそう若年じゃくねんそう中心ちゅうしんにヒットしたことで、宮崎みやざき事件じけん以降いこうながらくつづいていた、オタクへの否定ひていてきなイメージが払拭ふっしょくされるきっかけとなった。このころにようやく、変質へんしつしゃ犯罪はんざいしゃ予備よびぐんなどといった、マイナスイメージではないオタクぞう世間せけん一般いっぱんひろ認知にんちされるようになり、マンガアニメといった次元じげん文化ぶんかが、カジュアルな趣味しゅみとして市民しみんけんるようになったといえる[20]。その市場いちば規模きぼについては、2005ねん時点じてんで4110おくえん野村のむら総研そうけん調しらべ)と推定すいていされ、有望ゆうぼう市場いちばとしても注目ちゅうもくあつまった[21]

さらには同年どうねん流行りゅうこう大賞たいしょうに「」や「メイドカフェ」がノミネートされるなど、オタク文化ぶんか世間せけん一般いっぱんひろまりはじめた[22][15]

一方いっぽうで、それまで副次的ふくじてき要素ようそにすぎなかった「え」文化ぶんかも、おたく文化ぶんか主要しゅよう要素ようそとみなされるようになり、「おたく=なにかにえているひと」「おたく=秋葉原あきはばらにいるひと」という偏見へんけんまれ、「オタク=アニメ・アイドルのオタク」というイメージがより一層いっそうつよまる結果けっかとなった。

このころには日本にっぽんのアニメや漫画まんがつよ影響えいきょうされた外国がいこくじん存在そんざい徐々じょじょられるようになり、おたく文化ぶんか外国がいこくじんから注目ちゅうもくされていることがられるようになったため、その評価ひょうかぎゃく輸入ゆにゅうされるかたちでも地位ちい向上こうじょうした。2003ねん平成へいせい15ねん)には、おたく文化ぶんかつよ影響えいきょうけた外国がいこくじんによって英語えいごけん最大さいだい匿名とくめい掲示板けいじばん4chan」が開設かいせつされ、アニメや漫画まんがとくしただい規模きぼコミュニティ英語えいごけんにもまれた。

2000年代ねんだい後半こうはんからは動画どうが投稿とうこうサイトにより、ゲームの「実況じっきょうプレイ」や、『はつおとミク』を使用しようしたVOCALOID楽曲がっきょくなどが流行りゅうこうし、どう時期じき深夜しんやアニメバブルをかぜに、2006ねんの『りょうみやハルヒの憂鬱ゆううつ』などの深夜しんやアニメ作品さくひんがインターネットで人気にんきはくした[20][23]

2007ねん平成へいせい19ねん)に大学生だいがくせい対象たいしょうおこなわれた調査ちょうさによると[よう出典しゅってん]、おたくが受容じゅようされる傾向けいこうにあることがしめされ、オタク文化ぶんかへの認知にんちすすんだ。調査ちょうさでは、みずからがおたくであるとおもたるフシがある、したしい友人ゆうじんにおたくてきひとがいるとこたえたものが増加ぞうかしており、おたくのうち集団しゅうだんすすんだとされる。

また、2007ねんには、麻生あそう太郎たろう外務がいむ大臣だいじん当時とうじ)がサブカルチャー利用りようして日本にっぽん代表だいひょうする外交がいこう活動かつどうおこない、外国がいこくじん漫画まんがおくられる「国際こくさい漫画まんがしょう」を創設そうせつした[24]

2007ねん放送ほうそうの『らき☆すた』では、所謂いわゆる聖地せいち巡礼じゅんれい」がブームとなり、それを地元じもと自治体じちたいまちおこし活用かつようするという現象げんしょうまれた。そうした一連いちれんながれを「えおこし」としょうすることもあり、以降いこう、このような聖地せいち巡礼じゅんれいえおこしは作品さくひんでも一般いっぱんしていくことになる。

一方いっぽう大塚おおつか英志えいじは、世間せけんのオタクかんをこう批判ひはんしている。

「おたく」なるかたりが「オタク」と片仮名かたかなえられるあたりから文部もんぶ科学かがくしょう経済けいざい産業さんぎょうしょうや、ナントカ財団ざいだんるいがちょっとでもうっかりするとすりってくる時代じだいになった。ぼくのところでさえメディアなんとか芸術げいじゅつさいというくにがまんがやアニメを勝手かってに「芸術げいじゅつ」に仕立したてげようとするばかげたしょうがもうなんねんまえから「ノミネートしていいか」と打診だしん書類しょるいおくってくるし(ゴミ箱ごみばこき)、そりゃ村上むらかみたかし宮崎みやざきアニメいま国家こっかほこりってことなんだろうが、しかし「オタク」が「おたく」であった時代じだいをチャラにすることに加担かたんはしたくない。国家こっか産業さんぎょうかい公認こうにんの「オタク」と、その一方いっぽうせしめてき有罪ゆうざい判決はんけつちまった「おたく」なエロまんがはやっぱりおなじなんだよ、と、そのはじまりのときにいたぼくは断言だんげんできる。国家こっか公認こうにんされ現代げんだい美術びじゅつげられ「おたく」が「オタク」とえられて、それでなにかがえられたとはさっぱりぼくはおもわない。 — 大塚おおつか『「おたく」の精神せいしん いちきゅうはち年代ねんだいろん著者ちょしゃからのコメント[25]

2010年代ねんだい 大衆たいしゅう文化ぶんかとの逆転ぎゃくてん現象げんしょう[編集へんしゅう]

2010年代ねんだい以降いこうiPhoneAndroid普及ふきゅうし、PCよりもスマートフォンインターネットぜん世代せだいれるようになった。テレビ、電子でんし掲示板けいじばん動画どうが共有きょうゆうサイトTwitterなどのSNSなどでオタク文化ぶんか拡散かくさんしたことで、マニアックな話題わだい交流こうりゅうおこなうことがひろ理解りかいされた。

2010ねんごろから、「AKB48」や「ももいろクローバーZ」などのブレイクによりアイドルブームがこった。AKB48のヒットにより、「」という言葉ことば一般いっぱんし、女性じょせいアイドルだけではなく男性だんせいアイドルやアニメのキャラクターなど、様々さまざまなジャンルでも使用しようされるようになった。

オタクという呼称こしょうそのものもなか陳腐ちんぷし、「オタ」と気軽きがるかた使用しようされたほか、「てつオタ」「特撮とくさつオタ」のようにファンやマニアと同義どうぎ使つかわれることがえた。

2010年代ねんだい後半こうはんから、「Netflix」や「Amazonプライム・ビデオ」をはじめとした定額ていがく制動せいどう配信はいしんサービス台頭たいとうで、映像えいぞう作品さくひんれる機会きかいおおくなってきたことからオタクにあこがれる若者わかものえてきている。その背景はいけいとして、博報堂はくほうどうDYメディアパートナーズ森永もりなが真弓まゆみは、世間せけんからの「個性こせいてきでなければいけない」という外圧がいあつにより、「無理むりして個性こせいつくらなければいけない」とこげ若者わかものえているとして、その理由りゆうを「カルチャーシーンから“メジャー”がえてしまったから」だと分析ぶんせき[26]、「ぞくするだけで安心あんしんできていたメジャーがえてしまったいまかれらがさがしているのは、ようは“りどころ”なんだとおもいます。自分じぶんぞくしているだけで、たのしいとおもえる場所ばしょ。それが、オタクという属性ぞくせいです。(中略ちゅうりゃく活動かつどうをしているオタクはすごくかがやいているから、自分じぶんもああなりたいと切望せつぼうする。もしそうなれて、オタクという属性ぞくせいれられれば、結果けっかてき自分じぶんは“個性こせいてき”にもなれる、ととらえている。だから正確せいかくえば、“オタクになりたい”んじゃなくて、“りどころになりうる、きなものがしい”だし、それは“個性こせいてき自分じぶんでありたい”だし、一番いちばん正直しょうじきうなら“自己じこ紹介しょうかいらん要素ようそしい”なんですよね」とかたっている[27]

原田はらだ曜平は、非常ひじょうおおくの若者わかものたちが、自分じぶんのことを「オタク」と自称じしょうするようになっていることをげ、本来ほんらいであれば、サブカルチャーきを言葉ことばである「オタク」というワードが、メジャーなカルチャーにまで使つかわれるようになってきていることにおどろいたとべている。また、話題わだいになった作品さくひんだけをチェックしており、オタク知識ちしきそうじてそうふかくない「エセオタク」がえており、濃度のうどたかいオタク(ガチオタ)からは「にわかオタク」と揶揄やゆされることもある[28]

また、日本にっぽん政府せいふ観光かんこう資源しげん一環いっかんとして、国策こくさくで「クールジャパン戦略せんりゃくおこなうようになったのも2010年代ねんだいからであり、迫害はくがいから一転いってんし、おたく文化ぶんか政府せいふ墨付すみつきの“体制たいせいがわ”の文化ぶんかになったともえる。

オタクそう選挙せんきょうごきも左右さゆうするほどになっており、だい25かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょ自民党じみんとう山田やまだ太郎たろう当選とうせんしたさいには、オタクひょう味方みかたにつけたことが勝因しょういんひょうされた[29]だい26かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょでは漫画まんが赤松あかまつけん自民党じみんとう)が比例ひれいトップ当選とうせんし、自民党じみんとうない組織そしきひょうけい候補者こうほしゃすらかる上回うわまわっている[30]

2016ねんおこなわれた調査ちょうさによると、18さいから29さいあいだきなテレビ番組ばんぐみのうち、10ねんまえからおおきくびているジャンルが「アニメ」であり、20pt以上いじょう増加ぞうかしているのにたいして、「音楽おんがく」「スポーツ」が10pt以上いじょう低下ていかしている。また、若者わかもの女性じょせい男性だんせい同様どうように、おおきくびているのは「アニメ」で、「音楽おんがく」「現代げんだいドラマ」がやく10ptダウンするなど、若者わかものきなテレビ番組ばんぐみを2006ねん比較ひかくすると、男女だんじょともに「アニメ」がおおきく上昇じょうしょうしている。一方いっぽうで、「バラエティ番組ばんぐみ」「音楽おんがく」「スポーツ」「テレビドラマ」が低下ていかするなど、テレビ番組ばんぐみたいするこのみが10年間ねんかんおおきく変化へんかしており[31]、アニメとスポーツやテレビドラマとうといった大衆たいしゅう文化ぶんかメインカルチャー)との、人気にんき逆転ぎゃくてん現象げんしょう見受みうけられる。

おたくの変遷へんせん[編集へんしゅう]

「おたく」の意味いみ定義ていぎ世代せだいによっておおきくことなる。そのため、おたくを題材だいざいとした評論ひょうろんでは、1960ねん前後ぜんこうまれをだいいち世代せだいとして10ねんごとに1970ねん前後ぜんこうまれをだい世代せだい、1980ねん前後ぜんこうまれをだいさん世代せだいと、世代せだい分類ぶんるいすることがおおい。世代せだいがるにつれて「ライトなオタクがえている」との指摘してきもある[32]。ここでは個人こじんちがいは捨象しゃしょうし、世代せだいごとのおおまかな傾向けいこう概観がいかんする。

オタク以前いぜん[編集へんしゅう]

おたくという言葉ことばまれる以前いぜんは、おたくの同義語どうぎごとして、おもに「マニア」やきちがいりゃくして「○○キチ」(りキチひとし)「ファンダムとうばれていた。
基本きほんてきにはSF特撮とくさつファンが中心ちゅうしんで、流行りゅうこうした作品さくひんに『キング・コング』(1933ねん)や『原子げんし怪獣かいじゅうげんわる』(1953ねん初代しょだいゴジラ』(1954ねん)『キングコングたいゴジラ』(1962ねん)『だい魔神まじん』(1966ねん)『2001ねん宇宙うちゅうたび』(1968ねん)「さる惑星わくせいシリーズ」(1968ねん~1973ねん)や、『鉄人てつじん28ごうとうがある。

オタクだいいち世代せだい(1960ねん前後ぜんこうまれ)[編集へんしゅう]

テレビ発展はってんともそだった世代せだいで、アニメ抵抗ていこうのない最初さいしょ世代せだいといえる。
幼少ようしょう少年しょうねん流行りゅうこうしたテレビ番組ばんぐみだい1『ウルトラシリーズ』Qマンセブン)のほか、『オバケのQ太郎たろう』(モノクロはん)、『魔法使まほうつかいサリー』、『巨人きょじんほし』、『8だョ!全員ぜんいん集合しゅうごう』、『仮面かめんライダー』、『天才てんさいバカボン』、『世界せかい名作めいさく劇場げきじょう』シリーズ、『ルパンさんせい』、『マジンガーZ』、『宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマト』などがある。
怪獣かいじゅうブーム変身へんしんブーム体験たいけんした世代せだいであり、特撮とくさつオタクとなったものおおい。
いわゆる断層だんそう世代せだいおおむ中期ちゅうきしらけ世代せだい世代せだい)、もしくは新人しんじんるいおおむ後期こうきしらけ世代せだいから前期ぜんきバブル世代せだいまでの世代せだい)である。
大人おとなになったらアニメや漫画まんが卒業そつぎょうする」というかんがかたがまだ根強ねづよ時代じだいでもあったため、どう世代せだい大半たいはんインドアなオタク文化ぶんかではなく、おも電通でんつうなどの広告こうこく代理だいりてんフジテレビホイチョイひとし主導しゅどうしていた、ネアカ恋愛れんあい至上しじょう主義しゅぎてき文化ぶんかや、スキーブームひとしアウトドア消費しょうひするのが主流しゅりゅうであった。そのため、オタク文化ぶんかがまだめずらしいサブカルチャーとしてネクラあつかいされつつも容認ようにんされていた時代じだい青年せいねんごしている。
しかし、1989ねん発生はっせいした東京とうきょう埼玉さいたま連続れんぞく幼女ようじょ誘拐ゆうかい殺人さつじん事件じけん犯人はんにんどう世代せだいであったため、おも年長ねんちょうしゃやオタク趣味しゅみたないどう世代せだいから、偏見へんけん差別さべつける原因げんいんにもなった。

オタクだい世代せだい(1970ねん前後ぜんこうまれ)[編集へんしゅう]

まえ世代せだいつくげた爛熟らんじゅく細分さいぶんしたオタクけい文化ぶんかを10代で享受きょうじゅした世代せだい[33]
いわゆる後期こうきバブル世代せだいから団塊だんかいジュニア氷河期ひょうがき世代せだいである。
代表だいひょうてき出来事できごととして、『週刊しゅうかん少年しょうねんマガジン』『週刊しゅうかん少年しょうねんサンデー』『週刊しゅうかん少年しょうねんジャンプ』などの少年しょうねん漫画まんが隆盛りゅうせい、『機動きどう戦士せんしガンダム』や『銀河ぎんが鉄道てつどう999』『うるせいやつら』に代表だいひょうされるアニメブームガンプラブーム、「ファミリーコンピュータ」(1983ねん)のだいヒットによる家庭かていようゲーム普及ふきゅう、『ゼビウス』(1983ねん)などのアーケードゲームのブーム、「PC-9800」や「MSXとうホビーパソコンマイコン)ブーム、『スター・ウォーズ』(1977ねん)『E.T.』(1982ねん)『ターミネーター』(1984ねん)『ブレードランナー』(1982ねん)などのSF映画えいがサイバーパンク作品さくひん世界せかいてきなブームなどがげられる。
アニメ雑誌ざっし相次あいつ創刊そうかん、「アニメイト」などの専門せんもんてん創業そうぎょうコミックマーケットだい規模きぼ美少女びしょうじょゲームアダルトゲーム登場とうじょうなど、オタク文化ぶんか次元じげん文化ぶんか急速きゅうそく発展はってんする一方いっぽうで、オタクだいいち世代せだい同様どうように、青年せいねん発生はっせいした東京とうきょう埼玉さいたま連続れんぞく幼女ようじょ誘拐ゆうかい殺人さつじん事件じけんによってオタクバッシングが激化げきかし、偏見へんけん差別さべつさらされた世代せだいであった。

オタクだいさん世代せだい(1980ねん前後ぜんこうまれ)[編集へんしゅう]

後期こうきポスト団塊だんかいジュニア世代せだい~プレッシャー世代せだい
かれらの少年しょうねんは、1990年代ねんだい初頭しょとうにかけて前述ぜんじゅつ連続れんぞく幼女ようじょ誘拐ゆうかい殺人さつじん事件じけんによるオタクバッシングの余波よはつづき、神戸こうべ連続れんぞく児童じどう殺傷さっしょう事件じけん以降いこう少年しょうねん犯罪はんざい報道ほうどう激化げきかなどいくつかのうごきとかさなってアニメの性的せいてき表現ひょうげん残虐ざんぎゃく暴力ぼうりょく描写びょうしゃ自主じしゅ規制きせいおこなわれる時代じだいであった[34]。またキレる17さいろんゲームのうろんなどにもさらされた。
1980年代ねんだいからさかんにおこなわれた小説しょうせつ漫画まんが、アニメ、ゲームなどの複数ふくすうのメディアをつうじて展開てんかいする“メディアミックス”が主流しゅりゅうとなり、ヒットさく複数ふくすうのメディアに派生はせいし、ひとつのメディアだけにとどまることがすくなくなった。
しん世紀せいきエヴァンゲリオン』(1995ねん)や「PlayStation」(1994ねん)のだいヒットで、アニメやコンピュータゲームが趣味しゅみひとつとして市民しみんけんるようになり、メインカルチャーサブカルチャーうすはじめた世代せだいといえる。
Windows 95」の日本語にほんごばん発売はつばいもこの時期じきで、インターネット個人こじんにも普及ふきゅうはじめた世代せだいでもある。
ゲームでは『ストリートファイター2』(1991ねん)などの格闘かくとうゲームや、『ときめきメモリアル』(1994ねん)などの恋愛れんあいシミュレーションゲーム多数たすうヒットするようになり、ゲームのキャラクターがアニメや漫画まんがのキャラクターと同等どうとう人気にんきはくすようになった時代じだいである。

オタクだいよん世代せだい(1990ねん前後ぜんこうまれ)[編集へんしゅう]

ブロードバンド普及ふきゅうし、家庭かていでのインターネット利用りよう一般いっぱんてき環境かんきょうなかそだった。「Windows XP」(2001ねん)世代せだいでもある。
この世代せだいゆとり世代せだいろんにより年少ねんしょうからバッシングにさらされ、また地上波ちじょうはテレビひとし自主じしゅ規制きせいつよまったのちそだっている。
一方いっぽうで、インターネットにより「2ちゃんねる」(1999ねん)、2000年代ねんだい前半ぜんはんから中盤ちゅうばんFlash動画どうが黄金おうごん深夜しんやアニメ隆盛りゅうせい、「YouTube」(2005ねん)や「ニコニコ動画どうが」(2006ねん)などの動画どうが投稿とうこうサイト台頭たいとう実況じっきょうプレイなどのネット動画どうがブーム、『はつおとミク』(2007)とうVOCALOIDブーム、「ハルヒダンス」などの「おどってみた」ブームとう、ネットはつ様々さまざま流行りゅうこう体験たいけんした。
2005ねんには、おたくを肯定こうていてきえがいた、2ちゃんねるはつ恋愛れんあい作品さくひん電車でんしゃおとこ』が映画えいが・ドラマされともだいヒットしたことや、同年どうねん流行りゅうこう大賞たいしょうに「および「メイドカフェ」がノミネートされるなど、一般いっぱん社会しゃかいへオタク文化ぶんか急速きゅうそく浸透しんとうし、10代でオタク趣味しゅみ傾倒けいとうするひとえた。学校がっこうでアニメやゲームが話題わだいがることもおおく、宮崎みやざき事件じけんのちまれていることもあって、オタク趣味しゅみやオタク文化ぶんかたいするはじうしろめたさがほとんどないことが特徴とくちょうで、オタクのてい年齢ねんれい一気いっきすすんだ。このため、かつてのトレンディドラマJ-POP洋画ようがスポーツくるまひとしといった、一般いっぱんてき大衆たいしゅう文化ぶんかメインカルチャー)やアウトドアひとしならんでオタク文化ぶんかもごく普通ふつう消費しょうひされるようになり、オタク文化ぶんか大衆たいしゅう文化ぶんかやメインカルチャーに内包ないほうされるようになった最初さいしょ世代せだいであるといえる。

おたくを題材だいざいとした作品さくひん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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  8. ^ 『おたく』の研究けんきゅう だい1かい漫画まんがブリッコの世界せかいさいろくサイト)
  9. ^ 『おたく』の研究けんきゅう だい2かい 漫画まんがブリッコの世界せかいさいろくサイト)
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  11. ^ 小形おがた克宏かつひろ山田やまださんがこえをかけてくれなかったら、今日きょうぼくはなかった」『川本かわもとこうつぎ花束はなたば迷路めいろ'23、2023ねん、16-30ぺーじ
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  28. ^ 若者わかものあいだに「エセオタク」が激増げきぞうしているワケ”. 東洋とうよう経済けいざいオンライン. (2015ねん12月2にち). https://toyokeizai.net/articles/-/92036 2021ねん10がつ23にち閲覧えつらん 
  29. ^ わたし戦闘せんとうりょくは53まんです」 表現ひょうげん規制きせい反対はんたい山田やまだ太郎たろう当選とうせん SNSフル活用かつよう、“オタクそう”の支持しじあつめる - ITmedia NEWS
  30. ^ “マンガ、アニメ、コミケ…“オタク”しゅうひょうりょく宗教しゅうきょう以上いじょう 漫画まんが自民じみん議員ぎいん「もはや無視むしできない政治せいじ勢力せいりょく」〈dot.〉”. AERA. (2022ねん8がつ14にち). https://dot.asahi.com/articles/-/14948?page=1 2022ねん8がつ14にち閲覧えつらん 
  31. ^ “ドラマよりもアニメ” 若者わかもののテレビのこのみがわった!~若者わかもののテレビ番組ばんぐみこの過去かこ現在げんざい比較ひかくして~ - 『R&D若者わかものハンドブック2017』より(だい2だんリリース)-
  32. ^ “オタク4世代せだいろん アキバおうかたるオタクの“ライト””. ITmedia NEWS. (2008ねん3がつ19にち). https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/19/news027.html 2021ねん10がつ21にち閲覧えつらん 
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  34. ^ 榎本えのもとあき 2009, p. 58.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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  • 森川もりかわ嘉一郎かいちろうおもむき誕生たんじょう-える都市としアキハバラ-』幻冬舎げんとうしゃ、2003ねんISBN 9784344002876 
  • 岡田おかだおっと『オタクはすでにんでいる』新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう新書しんしょ, 258〉、2008ねんISBN 9784106102585 
  • 榎本えのもとあき『オタクのことが面白おもしろいほどわかるほん 日本にっぽん消費しょうひをけんいんする人々ひとびとちゅうけい出版しゅっぱん、2009ねんISBN 9784806133582 
  • 別冊べっさつ宝島たからじま編集へんしゅうへん『おたくのほん宝島社たからじましゃ別冊べっさつ宝島たからじま104ごう〉、1989ねん12月
    • 別冊べっさつ宝島たからじま編集へんしゅうへん『「おたく」の誕生たんじょう!!』宝島社たからじましゃ宝島社たからじましゃ文庫ぶんこ〉、2000ねん3がつ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]