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史記 : 本紀 : 秦本紀 - 中國哲學書電子化計劃
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はた本紀ほんぎ

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1 はた本紀ほんぎ:
はたこれさきみかど顓頊苗裔びょうえいまご曰女おさむおんなおさむげんとり隕卵,じょおさむ吞之,生子おいご大業おおわざ大業おおわざしょうてん之子ゆきこ,曰女はな女華じょはななまだいあずか平水へいすいやめなりみかどすずげんけい。禹受曰:「能成よしなりまただいため輔。」みかどしゅん曰:「咨爾さん禹功,其賜なんじ皁游。爾後じご嗣將大出おおいで。」乃妻姚姓たまおんなだい拜受はいじゅしゅん調ちょう馴鳥じゅう鳥獸ちょうじゅう馴服,ためかしわかげしゅんたまものせい嬴氏。

2 はた本紀ほんぎ:
だい生子おいごにんいち曰大れんじつとりぞく若木わかぎ實費じっぴ。其玄孫げんそん曰費あきら子孫しそんある在中ざいちゅうこくあるざい夷狄いてきあきらとうなつ桀之なつしょうため,以敗桀於鳴じょうだいかど玄孫げんそん曰孟おどけちゅう衍,とりじんげんみかどふとしつちのえ聞而ぼく使つかいよしとげ致使而妻ふとしつちのえ以下いかちゅう衍之とげ有功ゆうこう,以佐いんこく嬴姓おおあらわとげため諸侯しょこう

3 はた本紀ほんぎ:
玄孫げんそん曰中潏,ざい西戎せいじゅう西にしたれなま蜚廉。蜚廉せいあくらいあくらい有力ゆうりょく,蜚廉ぜんはし父子ふし俱以ざいりょくごといん紂。しゅうたけしおう紂,并殺あくらい蜚廉ため紂石北方ほっぽうかえしょむくいためだん太山たいざん而報,とく石棺せっかんめい曰「みかどれいしょちちあずかいんらんたまものなんじ石棺せっかん以華」。とげそう於霍太山たいざん。蜚廉ふく有子ゆうこ曰季しょうかちせいはじめぞうはじめ增幸ますゆき於周なりおうためたく皋狼。皋狼せい衡父,衡父せいづくりちちみやつこちち以善御幸みゆき於周繆王,とく驥、ゆたか驪、驊騮、騄耳西にしじゅんかりらく而忘じょ偃王さくみだれみやつこちちため繆王長驅ちょうくしゅういちにち千里せんり以救らん。繆王以趙じょうふうづくりちちみやつこちちぞくよし此為ちょう蜚廉せいしょうやめせいいたりづくりちち別居べっきょちょうちょうおとろえ其後也。あくらいかわしゃ,蜚廉也,のみ有子ゆうこ曰女ぼうおんなぼうせいつくり皋,つくり皋生ふといくふとしいくなまだい駱,だい駱生。以造ちちちょうみなこうむちょうしろせいちょう

4 はた本紀ほんぎ:
きょけんおかこううま及畜,ぜんやしなえいきいぬおかじんげんしゅうたかしおうこうおう召使めしつかいぬし于汧渭之あいだうまだいしげるいきこうおうよく以為だい駱適嗣。さるこうじょためだい駱妻,生子おいごなりためてきさるこう乃言こうおう曰:「むかし我先われさき酈山おんなためえびす胥軒つまなまちゅう潏,以親しゅう西にしたれ西にしたれ以其和睦わぼくいまわがふくあずかだい駱妻,なまてきなりさる重婚じゅうこん西戎せいじゅうみなふく所以ゆえんためおうおう其圖。」於是こうおう曰:「むかしはくかげためしゅんしゅ畜,畜多いきゆうたまものせい嬴。こん後世こうせいまたためちんいきちん其分ためいさお。」邑之しん使つかいふくぞく嬴氏まつごう曰秦嬴。またはいさるこう女子じょしため駱適しゃ,以和西戎せいじゅう

5 はた本紀ほんぎ:
はた嬴生しんこうしんこうりつじゅうねんそつなまおおやけはくおおやけはくりつさんねんそつなまはたなか

6 はた本紀ほんぎ:
はた仲立なかだちさんねんしゅう厲王無道むどう諸侯しょこうある叛之。西戎せいじゅうはん王室おうしつめつけんおかだい駱之ぞくしゅうせんおう即位そくい,乃以はたなかため大夫たいふ,誅西戎せいじゅう西戎せいじゅうころせはたなかはた仲立なかだちじゅうさんねん於戎。有子ゆうこにん,其長しゃ曰莊こうしゅうせんおう乃召そうこうこんおとうとにんあずかへいななせんにん使つかい西戎せいじゅうやぶこれ。於是ふくはたなか,及其さきだい駱地けんおか并有ため西にしたれ大夫たいふ

7 はた本紀ほんぎ:
そうこうきょ其故西にしけんおか生子おいごさんにん,其長男ちょうなんちちちち曰:「えびすころせわが大父おおぶなかわがころせえびすおうそく敢入邑。」とげはたげきえびすゆずる其弟じょうおおやけじょうおおやけため太子たいしそう公立こうりつよんじゅうよんねんそつ太子たいしじょう公代きみよりつじょうおおやけ元年がんねん,以女おとうと繆嬴ためゆたかおうつまじょうおおやけねんえびすかこえいぬおか,(ちちちちげきためえびすじんしょとりことしあまり復歸ふっきちちななねんはるしゅうかそけおうよう褒姒はい太子たいしたて褒姒ためてきかず欺諸こう諸侯しょこう叛之。西戎せいじゅうけんえびすあずかさるこうしゅうころせかそけおう酈山。而秦じょうおおやけ將兵しょうへいすくいしゅうせん甚力,有功ゆうこうしゅう避犬えびすなんひがし徙雒邑,じょうおおやけ以兵おく周平しゅうへいおうひらおうふうじょうおおやけため諸侯しょこうたまもの岐以西之にしの。曰:「えびす無道むどうおかせだつわが岐、ゆたかこれはたのうおさむ逐戎,そくゆう其地。」あずかちかいふう爵之。じょうおおやけ於是はじめこくあずか諸侯しょこうどおり使聘享れい,乃用騮駒、黃牛あめうし、羝羊かくさんほこら上帝じょうてい西にし畤。じゅうねんえびす而至岐,そつなまぶんこう

8 はた本紀ほんぎ:
ぶんこう元年がんねんきょ西にしたれみやさんねんぶんこう以兵ななひゃくにんひがしりょうよんねんいたり汧渭これかい。曰:「むかししゅう邑我さきしん嬴於此,そつため諸侯しょこう。」乃卜居ぼっきょうらない曰吉,そく營邑じゅうねんはつため鄜畤,ようさんろうじゅうさんねんはつ有史ゆうし以紀ごとみんしゃじゅうろくねんぶんこう以兵えびすえびす敗走はいそう。於是ぶんこうとげおさむしゅうあまり民有みんゆういたり岐,岐以東いとうけんじこれしゅうじゅうきゅうねんとくひねたからじゅうねんほうはつゆうさんぞくつみじゅうななねん南山大なんざんだいあずさゆたかだいとくよんじゅうはちねんぶんこう太子たいしそつたまもの謚為竫公。竫公長子ちょうしため太子たいしぶん公孫こうそん也。じゅうねんぶんおおやけそつそう西山にしやま。竫公子こうしりつためやすしおおやけ

9 はた本紀ほんぎ:
やすしおおやけねんおおやけ徙居ひらへいとろけしゃさんねんあずか亳戰,亳王奔戎,とげめつとろけしゃよんねん,魯公子こうし翬弒其君かくれこうじゅうねんとろけこれやすし公生きみおじゅうさいりつたてじゅうねんそつそう西山にしやま生子おいごさんにん長男ちょうなんたけこうため太子たいしたけこうおとうととくこう同母どうぼ魯姬生出おいでやすしおおやけそつだい庶長どるるい、三父廢太子而立出子為君。だしろくねん,三父等復共令人賊殺出子。だし子生こなじさいりつたてろくねんそつ。三父等乃復立故太子武公。

10 はた本紀ほんぎ:
たけこう元年がんねん彭戲いたり于華山下やました居平いだいらふうみやさんねん,誅さんちちとう而夷さんぞく,以其ころせ也。ていだかみぞ瞇殺其君あきらおおやけじゅうねん邽、冀戎,はつけんじゅういちねんはつけんもりていめつしょう虢。

11 はた本紀ほんぎ:
じゅうさんねんひとしじんかんいたりちちれんしょうとうころせ其君じょうおおやけ而立じりつ公孫こうそん無知むちすすむめつ霍、、耿。ひとし雍廩ころせ無知むちかんいたりちちとう而立じりつひとし桓公かんこうひとしすすむためつよしこく

12 はた本紀ほんぎ:
じゅうきゅうねんすすむきょく沃始ためすすむこうひとし桓公かんこうはく於鄄。

13 はた本紀ほんぎ:
じゅうねんたけこうそつそう雍平はつ以人したがえしたがえ死者ししゃろくじゅうろくにん有子ゆうこ一人ひとりめい曰白,しろだてふうひらたて其弟とくこう

14 はた本紀ほんぎ:
とくこう元年がんねんはつきょ雍城だいていみや。以犧さんひゃくろうほこら鄜畤。卜居ぼっきょ雍。こう子孫しそんいん於河。はりはく、芮伯來朝らいちょうねんはつふく,以狗蠱。とく公生きみおさんじゅうさんさい而立じりつたてねんそつ生子おいごさんにん長子ちょうしせんこう中子なかごなりこう少子しょうしきよしおおやけ長子ちょうしせん公立こうりつ

15 はた本紀ほんぎ:
せんこう元年がんねんまもるつばめしゅうめぐみおうたて王子おうじ穨。さんねんていはく、虢叔ころせ穨而にゅうめぐみおうよんねんさくみつ畤。あずかすすむせん河陽かわよう勝之かつゆきじゅうねんせんこうそつ生子おいごきゅうにん,莫立,たて其弟なりこう

16 はた本紀ほんぎ:
なりこう元年がんねんりょうはく、芮伯來朝らいちょうひとし桓公かんこうやまえびす于孤ちく

17 はた本紀ほんぎ:
なり公立こうりつよんねんそつななにん,莫立,たて其弟繆公。

18 はた本紀ほんぎ:
繆公にんこう元年がんねんはたちがや勝之かつゆきよんねんむかい於晉,すすむ太子たいしさるせい姊也。其歲,ひとし桓公かんこうすわえいたり邵陵。

19 はた本紀ほんぎ:
ねんすすむけんじこうめつおそれ、虢,とりこおそれくんあずか大夫たいふひゃくさと傒,以璧まいない於虞也。すんでとりこひゃくさと傒,以為しん繆公夫人ふじん媵於しん。百里傒亡秦走宛,すわえひなじんこれ。繆公聞ひゃくさと傒賢,よくしげる贖之,おそれすわえじんあずか,乃使じんいいすわえ曰:「われ媵臣ひゃくさと傒在焉,請以羖羊がわ贖之。」。すわえじんとげもとあずかこれとう百里ひゃくり傒年やめななじゅうあまり。繆公しゃく其囚,與語よご國事こくじしゃ曰:「しん亡國ぼうこくしんなんそくとい!」繆公曰:「おそれくん不用ふようほろびざい也。」かたといさんにち,繆公だいせつ,授之國政こくせいごう曰五羖大夫たいふ百里ひゃくり傒讓曰:「しん及臣ともあしなえ叔,あしなえ叔賢而世莫知。しんつねゆうこま於齊おさい而乞しょく铚人,あしなえ叔收しんしんいん而欲ごとひとしくん無知むちあしなえ叔止しんしんとくだっひとしむずかしとげこれしゅうしゅう王子おうじ穨好うししん以養うしこれ。及穨ほっようしんあしなえ叔止しんしんとく誅。ことおそれくんあしなえ叔止しんしんおそれくん不用ふようしんしんまこと私利しり祿ろく爵,且留。さいよう其言,とくぬげいち不用ふよう,及虞くんなん以知其賢。」於是繆公使こうしじんあつぬさむかえあしなえ叔,以為じょう大夫たいふ

20 はた本紀ほんぎ:
あき,繆公はたすすむせん於河きょくすすむ驪姬さくみだれ太子たいしさる生死せいし新城しんじょうじゅうみみえびすわれ出奔しゅっぽん

21 はた本紀ほんぎ:
きゅうねんひとし桓公かんこうかい諸侯しょこう於葵おか

22 はた本紀ほんぎ:
すすむけんじおおやけそつたて驪姬奚齊,其臣さとかつころせ奚齊。荀息りつ卓子たかこかつまたころせ卓子たかこ及荀いきえびすわれ使じん請秦,もとめにゅうすすむ。於是繆公許こうきょ使つかい百里傒將兵送夷吾。えびすわれいい曰:「まこととくりつ,請割すすむ河西かさい八城やしろあずかしん。」及至,やめりつ,而使丕鄭しゃはたやく與河よこう西城にししろ,而殺うらかつ。丕鄭聞之,おそれいんあずか繆公はかりごと曰:「すすむじんよくえびすわれじつよくじゅうみみこんしんやく而殺うらかつみなりょおい、郤芮けい也。ねがいくん以利きゅう召呂、郤,りょ、郤至,のりさらにゅうじゅうみみ便びん。」繆公許こうきょ使つかいじんあずか丕鄭,召呂、郤。りょ、郤等うたぐ丕鄭有閒あんま,乃言えびすわれころせ丕鄭。丕鄭丕豹奔秦,せつ繆公曰:「すすむくん無道むどう百姓ひゃくしょうおや也。」繆公曰:「百姓ひゃくしょう茍不便びん何故なぜのう誅其大臣だいじんのう誅其大臣だいじん,此其調ちょう也。」聽,而陰ようひょう

23 はた本紀ほんぎ:
じゅうねんひとしかんなか、隰朋

24 はた本紀ほんぎ:
すすむひでりらい請粟。丕豹せつ繆公勿與,いん其饑而伐。繆公とい公孫こうそんささえささえ曰:「ひだるみのるさらごとみみ不可ふかあずか。」といひゃくさと傒,傒曰:「えびすわれとくざい於君,其百姓ひゃくしょうなんざい?」於是ようひゃくさと傒、公孫こうそんささえげんそつあずかこれあわ。以船こげしゃてん雍相もちいたり絳。

25 はた本紀ほんぎ:
じゅうよんねんはたひだる,請粟於晉。すすむくんはかりごと群臣ぐんしん。虢射曰:「いん其饑これゆう大功たいこう。」すすむくんしたがえこれじゅうねんきょうへいはたおさむしん。繆公はつへい使つかい丕豹はた往擊九月くがつみずのえいぬあずかすすむめぐみおおやけえびすわれ合戰かっせん於韓すすむくん棄其ぐんあずかしんそうかえ而馬騺。繆公あずか麾下きかはせおい不能ふのうとくすすむくんはんためすすむぐんしょかこえすすむげき繆公,繆公きず。於是岐下しょくぜんしゃさんひゃくにんはせおかせすすむぐんすすむぐんかいかこえとげだつ繆公而反生得しょうとくすすむくんはつ,繆公ほろびぜん,岐下野人やじんどもとく而食これしゃさんひゃく餘人よにん,吏逐よくほう。繆公曰:「君子くんし畜產ちくさんがいじんわれ聞食ぜん馬肉ばにく飲酒いんしゅきずじん。」乃皆たまものしゅ而赦さんひゃくにんしゃ聞秦げきすすむみなもとめしたがえしたがえ而見繆公窘,またみな推鋒そう,以報しょくとく。於是繆公とりこすすむくん以歸,れい於國,ひとし宿やどわれはた以晉くんほこら上帝じょうていしゅう天子てんし聞之,曰「すすむわが同姓どうせい」,ため請晉くんえびすわれ姊亦ため繆公夫人ふじん夫人ふじん聞之,乃衰绖跣,曰:「わらわ兄弟きょうだい不能ふのうしょうすくえ,以辱君命くんめい。」繆公曰:「わがとくすすむくん以為こうこん天子てんしため請,夫人ふじん。」乃與すすむくんめいもとさらしゃじょうしゃ,而饋ななろう十一月じゅういちがつかえりすすむくんえびすわれえびすわれけんじ其河西にし使つかい太子たいし圉為しつ於秦。はた妻子さいし圉以むねおんなしんひがしいたりかわ

26 はた本紀ほんぎ:
じゅうはちねんひとし桓公かんこうそつじゅうねんはためつはり、芮。

27 はた本紀ほんぎ:
じゅうねんすすむ公子こうし圉聞すすむくんびょう,曰:「りょうわがはは也,而秦めつわが兄弟きょうだいそくくんひゃくさいはた必留わが,而晉けいまたさらりつ。」圉乃ほろびかえりすすむじゅうさんねんすすむめぐみおおやけそつ圉立ためくんはた怨圉ほろび,乃迎すすむ公子こうしじゅうみみ於楚,而妻以故圉妻。じゅうみみはつしゃ乃受。繆公えきれい厚遇こうぐうじゅうよんねんはるはた使つかいじんつげすすむ大臣だいじんよくにゅうじゅうみみすすむもと,於是使じんおくじゅうみみがつじゅうみみりつためすすむくんためぶんこうぶん公使こうしじんころせ圉。圉是ためふところこう

28 はた本紀ほんぎ:
其秋,しゅうじょうおうおとうとたい以翟伐おうおういずるきょていじゅうねんしゅうおう使つかいじんつげなん於晉、はたはた繆公將兵しょうへいじょすすむぶんこうにゅうじょうおうころせおうおとうとたいじゅうはちねんすすむぶんこうはいすわえ於城濮。さんじゅうねん,繆公じょすすむぶんこうかこえていてい使つかいじんげん繆公曰:「ほろびていあつしすすむ,於晉而得矣,而秦有利ゆうりすすむつよしはた也。」繆公乃罷へいすすむまたやめさんじゅうねんふゆすすむぶんおおやけそつ

29 はた本紀ほんぎ:
ていじんゆううりてい於秦曰:「わがしゅ其城もんていかさね也。」繆公といあしなえ叔、百里ひゃくり傒,たい曰:「みちすうこく千里せんり而襲じん希有けうとく利者きけもの。且人うりていいさお我國わがくにじんゆう以我じょうつげていしゃ乎?不可ふか。」繆公曰:「知也ともやわれやめぎま矣。」とげはつへい使つかい百里傒子孟明視,あしなえ叔子よしこ西にし乞術及白おつへい將兵しょうへいくだり百里ひゃくり傒、あしなえにん哭之。繆公聞,いか曰:「はつへい而子沮哭われぐんなに也?」ろう曰:「しん敢沮くんぐんぐんぎょう臣子しんしあずか往;しんおいおそかえこわあい哭耳。」おい退ずさいい其子曰:「なんじぐんそくはい,必於殽阨矣。」さんじゅうさんねんはるしんへいとげひがしさらすすむしゅう北門きたもんしゅうおうまご滿まん曰:「しん無禮ぶれい不敗ふはいなんまち!」へいいたりすべりてい販賣はんばい賈人つるだかもちじゅう二牛將賣之周,しんへいおそれとりこいんけんじ其牛,曰:「聞大こくはた誅鄭,ていくん謹修もり備,使臣ししん以牛じゅうろうぐん。」はたさん將軍しょうぐんしょういい曰:「はたかさねていていこんやめさとし,往無及已。」めつすべりすべりすすむこれへん邑也。

30 はた本紀ほんぎ:
とうすすむぶんこうひさしそう太子たいしじょうおおやけいか曰:「はたあなどわがいんやぶわがすべり。」とげすみおとろえ绖,はつへいさえぎしんへい於殽,げき大破たいはしんぐんいちにんとくだっしゃとりこしんさんしょう以歸。ぶんこう夫人ふじんはたおんな也,ためしんさんしゅうはた請曰:「繆公怨此さんにんいれ骨髓こつづいねがいれいさんにんれいくんかい烹之。」すすむくんもとかえりしんさんしょうさんしょういたり,繆公もとふく郊迎,こうさんにん哭曰:「以不ようひゃくさと傒、あしなえ叔言以辱さん三子みつごなんざい乎?其悉こころゆきはじ,毋怠。」とげふくさんにんかん秩如いよいよえきあつこれ

31 はた本紀ほんぎ:
さんじゅうよんねんすわえ太子たいししょうしん弒其ちちなり王代おうだいりつ

32 はた本紀ほんぎ:
繆公於是ふく使はじめ明視めいしとう將兵しょうへいすすむせん于彭衙。はた不利ふり,引兵

33 はた本紀ほんぎ:
えびすおう使よしあまり於秦。よしあまり,其先すすむじん也,ほろびにゅうえびすのうすすむげん。聞繆こうけん使つかいよしあまりかんしんはた公示こうじ以宮しつせき聚。よしあまり曰:「使つかいおに為之ためゆきのりろうしん矣。使つかい人為じんいまたみん矣。」繆公かいもん曰:「中國ちゅうごく以詩しょ禮樂れいがく法度はっと為政いせいしかひさしときみだれこんえびすえびす此,なに以為またなん乎?」よしあまりわらい曰:「此乃中國ちゅうごく所以ゆえんらん也。おっとうえきよしみかど作為さくい禮樂れいがく法度はっと以先,僅以しょう。及其後世こうせいにち以驕いん。阻法,以責とく於下おしたしたやめきょくそく仁義じんぎ怨望於上,上下じょうげ交爭怨而しょう篡弒,いたり於滅むねみな以此るい也。おっとえびすえびすしかうえ含淳とく以遇其下,しもふところ忠信ちゅうしん以事其上,一國之政猶一身之治,不知ふち所以ゆえん,此真聖人せいじん也。」於是繆公退すさ而問內史廖曰:「聞鄰國有こくゆう聖人せいじん敵國てきこく也。こんよしあまりけん,寡人がいはた奈之なに?」內史廖曰:「えびすおうしょ辟匿,未聞みもん中國ちゅうごくこえくんこころみのこ其女らく,以奪其志;ためよしあまり請,以疏其閒;とめ而莫遣,以失其期。えびすおうかい,必疑よしあまり君臣くんしん有閒あんま,乃可とりこ也。且戎おうこうらく,必怠於政。」繆公曰:「ぜん。」いんあずかよしきょくせき而坐,つて而食,もん其地がたあずか其兵ぜいつき察,而後れい內史廖以おんならくはちのこえびすおうえびすおう受而せつ終年しゅうねんかえ。於是しん乃歸よしあまりよしあまりすう諫不聽,繆公またすう使つかい人閒にんげんようよしあまりよしあまりとげくだしん。繆公以客れいれいもん戎之えびすのがた

34 はた本紀ほんぎ:
さんじゅうろくねん,繆公ふくえきあつはじめあかりとう使つかい將兵しょうへいすすむ渡河とか焚船,大敗たいはいすすむじんおうかん及鄗,以報殽之やくすすむじんみなじょうもり敢出。於是繆公乃自ちがや渡河とかふう殽中しかばねためはつ,哭之さんにち。乃誓於軍曰:「嗟士そつ!聽無譁,あまりちかいつげなんじこれにんはかりごとかみばんばんのりしょ。」以申おもえ不用ふようあしなえ叔、百里ひゃくり傒之はかりごとさく此誓,れい後世こうせい以記あまり君子くんし聞之,みなためたれ涕,曰:「嗟乎!はた繆公あずかひとしゅう也,そつとくはじめあかりけい。」

35 はた本紀ほんぎ:
さんじゅうななねんしんようよしあまりはかりごとえびすおうえきこくじゅうひらき千里せんりとげ西戎せいじゅう天子てんし使召公繆公以金さんじゅうきゅうねん,繆公そつそう雍。したがえ死者ししゃひゃくななじゅうななにんはたりょう臣子しんし輿こしさんにんめい曰奄いきなかこう、鍼虎,またざいしたがえなかしんじんあいため作歌さっか黃鳥こうちょう君子くんし曰:「はた繆公廣地ひろちえきこくひがしふくつよしすすむ西にし霸戎えびすしか不為ふため諸侯しょこう盟主めいしゅまたむべ哉。而棄みんおさむ其良しん而從。且先おうくずれなおなお遺德いとくたれほうきょうだつこれ善人ぜんにんりょうしん百姓ひゃくしょうしょあいしゃ乎?以知しん不能ふのうふく東征とうせい也。」繆公子こうしよんじゅうにん,其太子たいし嵤代りつためかんこう

36 はた本紀ほんぎ:
かんこう元年がんねん往歲おうさい繆公これそつすすむじょうこうまたそつじょうこうおとうとめい雍,はたいずる也,ざいしんすすむちょうたてほっりつ使つかいずいかい來迎らいごう雍,はた以兵おくいたりれいきつねすすむたてじょう公子こうし而反げきしんしんはいずいかいらい奔。ねんはたすすむたけじょうほうれいきつねこれやくよんねんすすむはたしょうはりろくねんはたすすむ羈馬。せん於河きょく大敗たいはいすすむぐんすすむじん患隨かいざいしんためみだれ,乃使讎餘しょうはんごうはかりごとかいいつわり而得かいかいとげかえりすすむかん公立こうりつじゅうねんそつども公立こうりつ

37 はた本紀ほんぎ:
きょうおおやけねんすすむちょう穿ほじ弒其くんれいこうさんねんすわえそうおうつよし北兵きたへいいたり雒,もんしゅうかなえきょう公立こうりつねんそつ桓公かんこうりつ

38 はた本紀ほんぎ:
桓公かんこうさんねんすすむはいわがいちしょうじゅうねんすわえそうおうふくていきたはいすすむへい於河じょうとうときすわえ霸,ためかいめいあい諸侯しょこうじゅうよんねんすすむ厲公はつだてあずかはた桓公かんこう夾河而盟。かえり而秦ばいめいあずか翟合はかりごとげきすすむじゅうろくねんすすむりつ諸侯しょこうはたしんぐん敗走はいそうついいたり涇而還。桓公かんこうりつじゅうななねんそつけい公立こうりつ

39 はた本紀ほんぎ:
けいこうよんねんすすむ欒書弒其くん厲公。じゅうねんすくいていはいすすむへい於櫟。すすむ悼公ため盟主めいしゅじゅうはちねんすすむ悼公つよしかずかい諸侯しょこうりつ以伐しんはいはたぐんしんぐんはしすすむへいおいとげわたり涇,いたり棫林而還。じゅうななねんけいこう如晉,與平よへいおおやけめいやめ而背さんじゅうろくねんすわえ公子こうしかこえ弒其くん自立じりつためれいおうけいこうははおとうと鍼有ちょうけいこうははおとうととみある譖之,おそれ誅,乃奔すすむくるまじゅうせんじょう晉平しんぺいおおやけ曰:「きさきとみ如此,なに以自ほろび?」たい曰:「はたこう無道むどうかしこ誅,よくまち後世こうせい乃歸。」さんじゅうきゅうねんすわえれいおうつよしかい諸侯しょこう於申,ため盟主めいしゅころせひとしけいふうけい公立こうりつよんじゅうねんそつあい公立こうりつきさきふくらいかえりしん

40 はた本紀ほんぎ:
あいこうはちねんすわえ公子こうし棄疾弒靈おう自立じりつ為平ためひらおうじゅういちねんすわえたいらおうらいもとめはたおんなため太子たいしけんつまいたりこくおんなこう而自めとこれじゅうねんすわえたいらおうよく誅建,けんほろび胥奔くれすすむおおやけしつ卑而ろくきょうつよしよく內相おさむ以久はたすすむあいおさむさんじゅういちねんおう闔閭與胥伐すわえすわえおうほろび奔隨,とげにゅう郢。すわえ大夫たいふさるつつみ胥來つげきゅうななにちしょくにちよる哭泣。於是しん乃發ひゃくじょうすくいすわえはいくれくれすわえあきらおう乃得ふくにゅう郢。あい公立こうりつさんじゅうろくねんそつ太子たいしえびすこうえびすこうのみとくりつたてえびす公子こうしためめぐみおおやけ

41 はた本紀ほんぎ:
めぐみおおやけ元年がんねん孔子こうしぎょう魯相ごとねんすすむきょうちゅうぎょう、范氏はんすすむすすむ使さとしちょう簡子おさむ,范、なかこうほろび奔齊。めぐみ公立こうりつじゅうねんそつ公立こうりつ

42 はた本紀ほんぎ:
悼公ねんひとししん乞弒其君孺子じゅしたて其兄せいため悼公。ろくねんはいひとしひとしじん弒悼こうたて其子簡公。きゅうねんすすむていおおやけあずかくれおうおっとめいそうちょう於黃そつさきくれつよしりょう中國ちゅうごくじゅうねん齊田さいだつね弒簡こうたて其弟たいらこうつね相之あいのじゅうさんねんすわえめつひねはた公立こうりつじゅうよんねんそつ厲共公立こうりつ孔子こうし以悼こうじゅうねんそつ

43 はた本紀ほんぎ:
厲共こうねんしょくじんらいまいないじゅうろくねん,塹河つくり。以兵まんだい荔,其王じょうじゅういちねんはつけんしきすすむたけしげるじゅうよんねんすすむみだれころせさとしはくふん其國あずかちょうかんじゅうねんさとしひらけあずか邑人らい奔。さんじゅうさんねんよしみぞとりこ其王。さんじゅうよんねん日食にっしょく。厲共おおやけそつ公立こうりつ

44 はた本紀ほんぎ:
躁公ねんみなみていはんじゅうさんねんみぞらいいたり渭南。じゅうよんねん,躁公そつたて其弟ふところこう

45 はた本紀ほんぎ:
ふところこうよんねん,庶長あさあずか大臣だいじんかこえふところこうふところこう自殺じさつふところこう太子たいし曰昭のみ大臣だいじん乃立太子たいし昭子あきこ之子ゆきこためれいこうれいこうふところ公孫こうそん也。

46 はた本紀ほんぎ:
れいこうろくねんすすむじょうしょうはりはたげきじゅうさんねんしろせきしゅうとれいおおやけそつけんじこうとくりつたてれいこうちち悼子,ため簡公。簡公,昭子あきこおとうと而懷公子こうし也。

47 はた本紀ほんぎ:
簡公ろくねんれい吏初帶劍たいけん。塹洛。しろ重泉しげいずみじゅうろくねんそつめぐみ公立こうりつ

48 はた本紀ほんぎ:
めぐみおおやけじゅうねん子生こなじじゅうさんねんしょくみなみていめぐみおおやけそつりつ

49 はた本紀ほんぎ:
ねん,庶長あらためむかえれいこう之子ゆきこけんじこう于河西にし而立じりつころせ及其はは,沈之ふちつくりはた以往いおうしゃすうえきくん君臣くんしん乖亂,すすむふくつよしだつしん河西かさい

50 はた本紀ほんぎ:
けんじこう元年がんねんとめしたがえねんしろくぬぎよんねん正月しょうがつかのえとらこう公生きみおじゅういちねん周太しゅうた儋見けんじこう曰:「しゅうあずかしんこくごう而別,べつひゃくさいふくあいごうななじゅうななさい而霸おう。」じゅうろくねんももふゆはなじゅうはちねんあめきんくぬぎじゅういちねんあずかすすむせん於石もん斬首ざんしゅろくまん天子てんし以黼黻。じゅうさんねんあずかすすむせんしょうはりとりこ其將公孫こうそん痤。じゅうよんねんけんじおおやけそつこう公立こうりつねんやめじゅういちさい矣。

51 はた本紀ほんぎ:
こうこう元年がんねん河山かわやま以東いとうつよしこくろくあずかひとしたけしすわえせんめぐみつばめ悼、かんあいちょうしげるこう并。淮泗あいだ小國しょうこくじゅうあまりすわえたかしあずかはたせっかい筑長じょうていはまらく以北いほくゆう上郡かみごおりすわえかんちゅうみなみゆうともえ、黔中。しゅうしつほろ諸侯しょこうりょくせいそうしょう併。はたへきざい雍州,あずか中國ちゅうごく諸侯しょこうかいめいえびす翟遇こうこう於是ぬのめぐみ寡,招戰あきらこうしょうしたれいこくちゅう曰:「むかしわが繆公岐雍あいだ修德しゅうとくゆきたけ東平とうへいすすむみだれ,以河ためかい西にし霸戎翟,廣地ひろち千里せんり天子てんし致伯,諸侯しょこう畢賀,ため後世こうせい開業かいぎょう,甚光かい往者おうしゃ厲、躁、簡公、やすし國家こっか內憂,外事がいじ,三晉攻奪我先君河西地,諸侯しょこう卑秦、みにく莫大ばくだい焉。けんじおおやけ即位そくい鎮撫ちんぶ邊境へんきょう,徙治くぬぎ,且欲ひがしふく繆公おさむ繆公政令せいれい。寡人思念しねんさきくんつねつう於心。賓客ひんきゃく群臣ぐんしん有能ゆうのう奇計きけいつよししんしゃわれ且尊かんあずかこれぶん。」於是乃出兵しゅっぺいひがしかこえ陜城,西にし戎之えびすの獂王。

52 はた本紀ほんぎ:
まもる鞅聞れい西入にしいりしんいんけいかんもとめこうこう

53 はた本紀ほんぎ:
ねん天子てんし致胙。

54 はた本紀ほんぎ:
さんねんまもる鞅說こうこうへんほうおさむけい,內務こう稼,そとすすむ戰死せんし賞罰しょうばつこうこう善之よしゆきあまりゅうもり摯等どるしかあいあずかそうそつよう鞅法,百姓ひゃくしょうきょさんねん百姓ひゃくしょう便びん。乃拜鞅為ひだり庶長。其事ざいしょうくんちゅう

55 はた本紀ほんぎ:
ななねんあずかめぐみおうかいもりたいらはちねんあずかせんもとうら有功ゆうこうじゅうねんまもる鞅為大良だいらづくり將兵しょうへいかこえやす邑,くだこれじゅうねん作為さくい咸陽,筑冀闕,はた徙都。并諸小鄉おごう聚,しゅうためだいけんけんいちれいよんじゅういちけん為田ためだひらく阡陌。ひがしわたりらくじゅうよんねんはつためじゅうきゅうねん天子てんし致伯。じゅうねん諸侯しょこう畢賀。しん使公子こうししょうかんりつかい諸侯しょこう逢澤,あさ天子てんし

56 はた本紀ほんぎ:
じゅういちねんひとしはいりょう

57 はた本紀ほんぎ:
じゅうねんまもる鞅擊とりこ公子こうし卬。ふう鞅為列侯れっこうごうしょうくん

58 はた本紀ほんぎ:
じゅうよんねんあずかすすむせんかりもんとりこ其將錯。

59 はた本紀ほんぎ:
こうおおやけそつめぐみぶんくんりつこれさい,誅衛鞅。鞅之はつためはたほどこせほうほうくだり太子たいしはんきん。鞅曰:「ほうくだり於貴戚。くん必欲行法ぎょうほうさき於太太子たいし不可ふか黥,黥其でん。」於是ほう大用おおゆうしんじん。及孝おおやけそつ太子たいしりつ宗室そうしつ怨鞅,鞅亡,いん以為はん,而卒しゃきれ以徇しんこく

60 はた本紀ほんぎ:
めぐみぶんくん元年がんねんすわえかんちょうしょくじん來朝らいちょうねん天子てんしさんねん王冠おうかんよんねん天子てんし文武ぶんぶ胙。ひとしためおう

61 はた本紀ほんぎ:
ねんかげすすむじんさいくびため大良だいらづくりろくねんおさめかげすすむかげすすむさらめいやすししんななねん公子こうし卬與せんとりこ其將りゅう賈,斬首ざんしゅはちまんはちねんおさめ河西かさいきゅうねん渡河とか汾陰、かわあずかおうかいおうかこえこげくだこれじゅうねんちょうただししょうしんおさめ上郡かみごおりじゅうけんじゅういちねんけんみぞかえりこげきょく沃。みぞくんためしんさらめいしょうはり曰夏じゅうねんはつ臘。じゅうさんねんよんがつつちのえうまたかしくんためおうかんまたためおう使つかいちょうただし陜,其人あずか

62 はた本紀ほんぎ:
じゅうよんねんさらため元年がんねんねんちょうただしあずかひとしすわえ大臣だいじんかいかじくわさんねんかん太子たいし來朝らいちょうちょうただししょうねんおうゆういたる北河きたがわななねんらくしょうしんかんちょうつばめひとしそち匈奴きょうどどもおさむしんしん使庶長やましあずかせんおさむぎょとりこ其將さるはいちょう公子きみこ渴、かん太子たいし奐,斬首ざんしゅはちまんせんはちねんちょうただしふくしょうしんきゅうねん司馬しば錯伐しょくめつちょうちゅう西陽にしびじゅうねんかん太子たいしあおらいしつかんせきあきらはいちょうすすむどろよしみぞじゅうしろじゅういちねん,摢裏やましおさむこげくだこれはいかんがんもん斬首ざんしゅまん,其將さいくびはし公子こうしどおりふう於蜀。つばめくんゆずる其臣じゅうねんおうあずかはりおうかい臨晉。庶長やましおさむちょうとりこちょうすすむそうちょうただししょうすわえじゅうさんねん,庶長あきらげきすわえ於丹とりこ其將こごめ丐,斬首ざんしゅはちまんまたおさむすわえかんちゅうろくひゃくおけかんちゅうぐんすわえかこえ雍氏,はた使つかい庶長やましじょかん而東おさむひとしいた滿まんじょおさむつばめじゅうよんねんすわえ召陵。、犁臣,しょくしょうたけしころせしょくこうらいくだ

63 はた本紀ほんぎ:
めぐみおうそつたけ王立おうりつかんひとしすわええつみなまろうどしたがえ

64 はた本紀ほんぎ:
たけおう元年がんねんあずかめぐみおうかい臨晉。誅蜀しょうたけしちょうただしあきらみな東出とうでよしみぞ、犁。ねんはつおけ丞相じょうしょう,摢裏やましあましげるため左右さゆう丞相じょうしょうちょうただし於魏。さんねんあずかかんじょうおうかい臨晉がいみなみこう揭卒,摢裏やましあいかんたけおういいあましげる曰:「寡人よくようしゃどおりさんがわ,窺周しつ恨矣。」其秋,使つかいあましげる、庶長ふうじむべよんねん,拔宜斬首ざんしゅろくまんわたるかわじょうたけしとげ太子たいし來朝らいちょうたけおう有力ゆうりょくこうおどけ力士りきしにんひなびがらすはじめせつみな至大しだいかんおうあずかはじめせつ舉鼎,ぜっ臏。はちがつたけおうぞくはじめせつたけおうおんなためきさきたて異母弟いぼていためあきらじょうおうあきらじょうははすわえじんせい羋氏,ごうせんふときさきたけおう死時しにどきあきらじょうおうためしつ於燕,つばめじんおくとくりつ

65 はた本紀ほんぎ:
あきらじょうおう元年がんねん嚴君げんくんやまし為相ためすけあましげねん彗星すいせい。庶長たけしあずか大臣だいじん諸侯しょこう公子こうしためぎゃくみな誅,及惠ぶんきさきみなとくりょう。悼武おうきさきかえりさんねん王冠おうかんあずかすわえおうかいとげあずかすわえうえいさおよんねんかばばん彗星すいせいねんおう來朝らいちょうおうていふくあずかがまばんろくねんしょくこう煇反,司馬しば錯定しょく。庶長奐伐すわえ斬首ざんしゅまん。涇陽くんしつ於齊おさい日食にっしょくひるみそななねん,拔新じょう。摢裏そつはちねん使つかい將軍しょうぐん羋戎おさむすわえしんひとし使つかい章子あきこ使公孫こうそんかん使暴鳶どもおさむすわえ方城ほうじょうから眛。ちょうやぶ中山なかやま,其君ほろび,竟死ひとし公子こうし勁、かん公子きみこちょうため諸侯しょこうきゅうねんはじめ嘗君薛文らいしょうしん。奐攻すわえ八城やしろころせ其將けいかいじゅうねんすわえふところおう入朝にゅうちょうはたはたとめ。薛文以金受免。ろうなるため丞相じょうしょうじゅういちねんひとしかんちょうそう中山なかやま國共こっきょうおさむはたいたりしお而還。はたあずかかん河北かほく及封りょう以和。彗星すいせいすわえふところおうはしちょうちょう受,かえはた即死そくしそうじゅうねんろうなるまぬかれみのるほうたかし冉為しょうすわえあわまんせき

66 はた本紀ほんぎ:
じゅうさんねんむかいひさしかんたけはじめひだりさらしろおこりおさむ新城しんじょう。五大夫禮出亡奔魏。にんひなためかんちゅうもりじゅうよんねんひだりさらしろおこりおさむかん於伊闕,斬首ざんしゅじゅうよんまんとりこ公孫こうそん,拔五じょうじゅうねん大良だいらづくりしろおこりおさむかきふくおさむすわえあてじゅうろくねんひだりさら錯取軹及鄧。冉免,ふう公子こうしあて公子こうし悝鄧,冉陶,ため諸侯しょこうじゅうななねん城陽じょうようくん入朝にゅうちょう,及東あまねくん來朝らいちょうはた以垣ためがまばんかわおうむべじゅうはちねん,錯攻かきかわ雍,けつきょうこれじゅうきゅうねんおうため西にしみかどひとしためひがしみかどみなふくこれりょれいひとしやぶそうそうおうざいゆたかにんひなそつじゅうねんおうかんちゅうまた上郡かみごおり北河きたがわじゅういちねん,錯攻かわ內。たかしけんじやす邑,はたいずる其人,つの徙河ひがしたまもの爵,赦罪じん遷之。涇陽くんふうあてじゅうねんこうむひとし河東かわとうためきゅうけんあずかすわえおうかいあてあずかちょうおうかい中陽ちゅうようじゅうさんねんじょう斯離與三よそうすすむつばめひとしやぶこれずみ西にしおうあずかおうかいむべあずかかんおうかい新城しんじょうじゅうよんねんあずかすわえおうかい鄢,またかいみのるはた安城あき至大しだいはりつばめちょうすくいしんぐん冉免しょうじゅうねん,拔趙しろあずかかんおうかい新城しんじょうあずかおうかい新明しんめい邑。じゅうろくねん,赦罪じん遷之みのるほう冉復しょうじゅうななねん,錯攻すわえ。赦罪じん遷之南陽なんようしろおこりおさむちょうだいひかりおおかみじょうまた使つかい司馬しば錯發隴西,よししょくおさむすわえ黔中,拔之。じゅうはちねん大良だいらづくりしろおこりおさむすわえ鄢、鄧,赦罪じん遷之。じゅうきゅうねん大良だいらづくりしろおこりおさむすわえ郢為みなみぐんすわえおうはしあまねくんらいおうあずかすわえおうかいじょうりょうしろおこりため武安たけやすくんさんじゅうねんしょく守若もりわかすわえみこぐん,及江みなみため黔中ぐんさんじゅういちねんしろおこりりょうしろすわえじんはん江南えなさんじゅうねんそうみのるほうおさむ至大しだいはりやぶ暴鳶,斬首ざんしゅよんまんとんびはしいれさんけん請和。さんじゅうさんねんきゃくきょうえびすきず)[おさむまき、蔡陽、ちょうしゃこれげきすすき華陽かようやぶこれ斬首ざんしゅじゅうまん入南にゅうなん以和。さんじゅうよんねんはたあずかかんうえいさおためいちぐん南陽なんようめんしん遷居さんじゅうねんかんすわえつばめはつおけ南陽なんようぐんさんじゅうろくねんきゃくきょう灶攻ひとしつよしことぶきみのるこうさんじゅうはちねんちゅうさらえびすきず)[おさむちょう閼與,能取のとろよんじゅうねん,悼太そう芷陽。よんじゅういちねんなつおさむ邢丘、ふところよんじゅうねん安國やすくにくんため太子たいしじゅうがつせんふときさき薨,そう芷陽酈山。九月くがつみのるこうすえよんじゅうさんねん武安たけやすくんしろおこりおさむかん,拔九じょう斬首ざんしゅまんよんじゅうよんねんおさむかんみなみぐん)[],これよんじゅうねん大夫たいふ賁攻かんじゅうしろくん悝出くにいたり而死。よんじゅうななねんはたおさむかんじょうとううえとうくだちょうはたよしおさむちょうちょうはつへいげきしんあい距。しん使武安たけやすくんしろおこりげき大破たいはちょう於長ひらめよんじゅうあまりまんつきころせこれよんじゅうはちねんじゅうがつかんけんじかき雍。しんぐんぶんため三軍さんぐん武安たけやすくんおう龁將ちょう武安たけやすかわろう,拔之。司馬しば梗北ていふとしはらつきゆうかんじょうとう正月しょうがつへいやめふくもりじょうとう。其じゅうがつ,五大夫陵攻趙邯鄲。よんじゅうきゅうねん正月しょうがつえきはつそつりょうりょうせん不善ふぜんまぬかれおう代將だいしょう。其じゅうがつ將軍しょうぐんちょうからおさむため蔡尉捐弗もりかえこれじゅうねんじゅうがつ武安たけやすくんしろおこり有罪ゆうざいため,遷陰みつちょうからおさむてい,拔之。十二月じゅうにがつえきはつそつぐん汾城つくり武安たけやすくんしろおこり有罪ゆうざい。龁攻邯鄲かんたん不拔ふばつかえ奔汾ぐんがつあまりおさむすすむぐん斬首ざんしゅろくせんすすむすわえりゅうかわまんにんおさむ汾城,そくしたがえから拔寧新中しんなかやすし新中しんなかさらめい安陽あんようはつさくかわきょう

67 はた本紀ほんぎ:
じゅういちねん將軍しょうぐん摎攻かんじょうきび斬首ざんしゅよんまんおさむちょうじゅうあまりけんしゅとりこきゅうまん西にしあまねくんしんあずか諸侯しょこうやくしたがえはた天下てんかするどへい闕攻しんれいしん毋得どおりじょう。於是しん使將軍しょうぐん摎攻西にししゅう西にしあまねくんはしらい頓首とんしゅ受罪,つきけんじ其邑さんじゅうろくしろくちさんまんしんおう受獻,かえり其君於周。じゅうねんしゅうみんひがしほろび,其器きゅうかなえいれしんしゅうはつほろび

68 はた本紀ほんぎ:
じゅうさんねん天下てんか來賓らいひんはた使つかい摎伐くれじょうかんおう入朝にゅうちょうこく聽令。じゅうよんねんおう郊見上帝じょうてい於雍。じゅうろくねんあきあきらじょうおうそつ孝文たかふみ王立おうりつみこととう八子為唐太后,而合其葬於先おうかんおうおとろえ绖入ちょうほこら諸侯しょこうみな使其將しょうらいちょうほこらごと

69 はた本紀ほんぎ:
孝文たかふみおう元年がんねん,赦罪じんおさむ先王せんおう功臣こうしん,褒厚親戚しんせきたゆえん囿。孝文たかふみおうじょじゅうがつおのれ即位そくいさんにちからしみにくそつそうじょう王立おうりつ

70 はた本紀ほんぎ:
そうじょうおう元年がんねん大赦たいしゃ罪人ざいにんおさむ先王せんおう功臣こうしんほどこせとくあつ骨肉こつにく而布めぐみ於民。あずまあまねくんあずか諸侯しょこうはかりごとしんはた使つかい相國しょうこくりょ韋誅つきにゅう其國。はたぜっ其祀,以陽じんたまものあまねくんたてまつ祭祀さいし使つかいこうむ驁伐かんかんけんじなり皋、鞏。しんかい至大しだいはりはつおけ三川さんかわぐんねん使つかいこうむ驁攻ちょうていふとしはらさんねんこうむ驁攻だか、汲,拔之。おさむちょう榆次、新城しんじょうおおかみはじめさんじゅうななしろよんがつ日食にっしょく。(よんねんおう龁攻じょうとうはつおけぶとげんぐんしょうりつこくへいげきしんはた卻於かわがいこうむ驁敗,かい而去。五月ごがつ丙午ひのえうまそうじょうおうそつせいりつためはた始皇帝しこうてい

71 はた本紀ほんぎ:
はた王政おうせいりつじゅうろくねんはつ并天ためさんじゅうろくぐんごうため始皇帝しこうてい始皇帝しこうていじゅういちねん而崩,えびすりつためせい皇帝こうていさんねん諸侯しょこう并起叛秦,ちょうだかころせせい立子たつこ嬰。嬰立月餘げつよ諸侯しょこう誅之,とげめつしん。其語ざいはじめすめらぎ本紀ほんぎちゅう

72 はた本紀ほんぎ:
ふとしおおやけ曰:はたこれさきため嬴姓。其後分封ぶんぽう,以國ためせいゆうじょ、郯氏、莒氏、おわりはじむうん奄氏、うさぎ裘氏、はたりょうこうおさむぎょしろめい、蜚廉はたしかはた以其さきづくりちちふうちょうしろためちょう

URN: ctp:shiji/qin-ben-ji