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史記 : 世家 : 魏世家 - 中國哲學書電子化計劃
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1 :
これさき,畢公だかこう也。畢公だかあずかしゅう同姓どうせいたけおう紂,而高ふう於畢,於是ため畢姓。其後ぜっふうじため庶人,ある在中ざいちゅうこくあるざい夷狄いてき。其苗裔びょうえい曰畢まんことすすむけんじこう

2 :
けんじこうじゅうろくねんちょう夙為,畢まんためみぎ,以伐霍、耿、めつ。以耿ふうちょう夙,以魏ふう畢萬,ため大夫たいふぼく偃曰:「畢萬之後必大矣,まん滿まん數也かずや大名だいみょう也。以是はじめしょう天開てんかい矣,天子てんし兆民ちょうみん諸侯しょこう萬民ばんみんこんいのちだい,以從滿まんすう,其必ゆう眾。」はつ,畢まんぼくごとすすむぐうたむろこれからし廖占,曰:「きちたむろかたいれよし孰大焉,其必蕃昌ばんしょう。」

3 :
まんふうじゅういちねんすすむけんじおおやけそつよんそうさらりつすすむらん。而畢まんこれせいわたるだいしたがえ其國めいためたかしなま武子たけし武子たけし以魏諸子しょしごとすすむ公子こうしじゅうみみすすむけんじこうじゅういちねん武子たけこしたがえじゅうみみほろびじゅうきゅうねんはんじゅうみみりつためすすむぶんこう,而令武子たけしかさねたかしのちふうじれつため大夫たいふ於魏。なま悼子。

4 :
悼子徙治霍。なま絳。

5 :
絳事すすむ悼公。悼公さんねんかい諸侯しょこう。悼公おとうと楊干亂行らんぎょう絳僇はずかしめ楊干。悼公いか曰:「ごう諸侯しょこう以為さかえいまはずかしめわれおとうと!」はた誅魏絳。あるせつ悼公,悼公どめそつにん絳政,使つかいえびす、翟,えびす、翟親。悼公じゅういちねん,曰:「われよう絳,はちねんちゅうきゅうごう諸侯しょこうえびす、翟和,力也りきや。」たまものらくさんゆずるしかこう受之。徙治安ちあん邑。絳卒,謚為昭子あきこなま嬴。嬴生けんじ

6 :
けんじごとすすむあきらおおやけあきらおおやけそつろくきょうつよしおおやけしつ卑。

7 :
すすむごろおおやけじゅうねんかん宣子のぶこおいたかしけんじため國政こくせいすすむ宗室そうしつ祁氏、ひつじしたしょうあくろくきょう誅之,つき其邑ためじゅうけん,六卿各令其子為之大夫。けんじあずかちょう簡子、ちゅう行文こうぶん、范獻并為すすむきょう

8 :
其後じゅう四歲而孔子相魯。こうよんさいちょう簡子以晉みだれ也,而與かんどもおさむ范、なかこうたかしけんじ子生こなじ侈。侈與ちょう鞅共おさむ范、なかこう

9 :
侈之まご曰魏桓子,あずかかん康子やすこちょうじょうどもめつはくふん其地。

10 :
桓子まご曰文こうぶんこう元年がんねんはたれいこう元年がんねん也。あずかかん武子たけこちょう桓子、しゅうたけしおう同時どうじ

11 :
ろくねんじょうしょうはりじゅうさんねん使つかいげきかこえしげる、龐,其民。じゅうろくねんはた,筑臨すすむもとうら

12 :
じゅうななねん中山なかやま使つかいげき守之もりゆきちょうくらからでんげき逢文こう師田もろだ子方こかた於朝,引車避,しも謁。田子たごかた不為ふためれいげきいんとい曰:「富貴ふうきしゃおごひと乎?且貧賤者おごひと乎?」子方こかた曰:「またひん賤者おごひとみみおっと諸侯しょこう而驕じんそくしつ其國,大夫たいふ而驕じんそくしつ其家。ひん賤者,ぎょうごうげん不用ふようのりこれすわえこしわかだつ屣然,柰何其同哉!」げき懌而去。西にしおさむはたいたりてい而還,筑雒かげごう

13 :
じゅうねんちょうかんれつため諸侯しょこう

14 :
じゅうよんねんはたわがいたりきつね

15 :
じゅうねんげき生子おいご罃。

16 :
ぶんこう受子なつけいげいきゃくだん其閭,嘗不軾也。はた嘗欲ある曰:「たかしくん賢人けんじんれいくに人稱にんしょうひとし上下じょうげ和合わごう也。」ぶんほうゆかり此得ほまれ於諸こう

17 :
にん西門にしもんひょうもり鄴,而河內稱

18 :
ぶんこういいかつ曰:「先生せんせい嘗教寡人曰『いえひんそくおもえ良妻りょうさいくにらんそくおもえ良相りょうしょう』。いましょおけなりそく璜,二子ふたごなん如?」かつたい曰:「しん聞之,卑不はかりごとみこと,疏不はかりごと戚。しんざい闕門そと敢當いのち。」ぶんこう曰:「先生せんせい臨事勿讓。」かつ曰:「きみ察故也。きょ其所おやとみ所與しょよたち其所舉,きゅう其所不為ふためひん其所,五者足以定之矣,なんまち克哉かつや!」ぶんこう曰:「先生せんせい就舍,寡人あいてい矣。」かつ趨而翟璜いえ。翟璜曰:「いましゃ聞君召先生せんせい而卜しょうはてだれ為之ためゆき?」かつ曰:「成子なるこ為相ためすけ矣。」翟璜忿然さくしょく曰:「以耳これしょ睹記,しんなん於魏成子しげこ西河にしかわもりしんところ進也しんやくん內以鄴為ゆうしんすすむ西門にしもんひょうくんはかりごとほし中山なかやましんしんらくひつじ中山なかやま以拔,使つかい守之もりゆきしんしん先生せんせいくん之子ゆきこでんしんしんこごめこうぶなしんなん以負於魏成子しげこ!」かつ曰:「且子げんかつ於子きみしゃあにはたしゅう以求大官たいかん哉?きみもん而置しょうなりそく璜,二子ふたごなん如』?かつたい曰:『きみ察故也。きょ其所おやとみ所與しょよたち其所舉,きゅう其所不為ふためひん其所,五者足以定之矣,なんまち克哉かつや!』以知成子なるこ為相ためすけ也。且子やすあずか成子なるこ乎?成子なるこ以食祿ろくせんかね,什九在外ざいがい,什一ざい內,以東いとうとくぼくなつ田子たつこかただん。此さんにんしゃきみみなところすすむにんしゃきみみなしんわるあずか成子なるこ也?」翟璜逡巡しゅんじゅん再拜さいはい曰:「璜,ひなじん也,しつたいねがいそつため弟子でし。」

19 :
じゅうろくねん,虢山崩やまくずれ,壅河。

20 :
さんじゅうねんていしろさんなつめはいしん于注。さんじゅうねんひとしわがじょうりょうさんじゅうろくねんはたおかせわがかげすすむ

21 :
さんじゅうはちねんしんはいわが武下たけしたとく其將識。これさいぶんこうそつげきりつためたけこう

22 :
たけこう元年がんねんちょうたかしこうはつだて公子こうしついたちためみだれかち,奔魏,あずかかさね邯鄲かんたんはい而去。

23 :
ねんしろやす邑、おうかき

24 :
ななねんひとしいたりくわおかきゅうねん,翟敗わが于澮。使つかいくれおこりひとしいたりれいおかひとしおうはつだて

25 :
じゅういちねんあずかかんちょうさんふんすすむめつ其後。

26 :
じゅうさんねんはたけんじこうけんくぬぎじゅうねんはいちょうきた

27 :
じゅうろくねんすわえ魯陽。たけこうそつ罃立,ためめぐみおう

28 :
めぐみおう元年がんねんはつたけこうそつ也,罃與こうちゅうなるそうため太子たいし公孫こうそん頎自そうにゅうちょうちょうにゅうかんいいかん懿侯曰:「罃與こうちゅうなるそうため太子たいしきみまた聞之乎?こん罃得おう錯,はさみじょうとうかたはんくに也。よし而除やぶ必矣,不可ふかしつ也。」懿侯せつ,乃與ちょうしげるこうごうぐん并兵以伐せん于濁さわたかし大敗たいはいたかしくんかこえちょういいかん曰:「じょたかしくんたておおやけちゅうなるわり而退,わが且利。」かん曰:「不可ふかころせたかしくんにん必曰暴;わり而退,にん必曰貪。如兩ぶんぶんためりょうつよし於宋、まもるのりわがおわり患矣。」ちょう聽。かんせつ,以其しょうそつよるめぐみおう所以ゆえん不死ふしくにぶんしゃいえはかりごと和也かずやわかしたがえ一家いっかはかりごとのり必分矣。曰「きみおわりてき,其國やぶ也」。

29 :
ねんはいかん于馬りょうはいちょう于懷。さんねんひとしはいかんねんあずかかんかいたくじょうたけしためしんしょはいろくねんそうただしだいきゅうねんはいかん于澮。あずかしんせんしょうはりとりこわがはた公孫こうそん痤,龐。はたけんじおおやけそつこう公立こうりつ

30 :
じゅうねんちょうかわろう彗星すいせいじゅうねんほしひる墜,ゆうごえ

31 :
じゅうよんねんあずかちょうかい鄗。じゅうねん,魯、まもるそうていくん來朝らいちょうじゅうろくねんあずかはたたかし公會こうかい(社)しゃだんほうじんもりたいらおかせそうそうふくこれ

32 :
じゅうななねんあずかしんせんもとうらはたわがしょうはりかこえちょう邯鄲かんたんじゅうはちねん,拔邯鄲かんたんちょう請救于齊,ひとし使つかいまご臏救ちょうはいかつらりょう

33 :
じゅうきゅうねん諸侯しょこうかこえわがじょうりょう。筑長じょうふさがかた

34 :
じゅうねんかえりちょう邯鄲かんたんあずかめい漳水じょうじゅういちねんあずかしんかい彤。ちょうしげるこうそつじゅうはちねんひとしおうそつ中山なかやまくんしょう

35 :
さんじゅうねんたかしちょうちょうつげきゅうひとしひとしせんおうよう孫子まごこけいすくいちょうげきたかしとげだいきょう使つかい龐涓はた,而令太子たいしさるためじょう將軍しょうぐんそとそとじょいい太子たいし曰:「しんゆうひゃくせんひゃくしょうじゅつ。」太子たいし曰:「とく聞乎?」きゃく曰:「かたねがいこう。」曰:「太子たいししょうおさむひとし大勝たいしょう并莒,のりとみゆうえきためおうわかせんかちひとしのりまんせい矣。此臣ひゃくせんひゃくしょうじゅつ也。」太子たいし曰:「だく,請必したがえこうげん而還矣。」きゃく曰:「太子たいし雖欲かえとく矣。かれすすむ太子たいしせんおさむほしすすしるしゃ眾。太子たいし雖欲かえこわとく矣。」太子たいしよしほしかえ,其御曰:「はた而還,與北よぎたどう。」太子たいしはてあずかひとしひとせんはい於馬りょうひとしとりこ太子たいしさるころせ將軍しょうぐん涓,ぐんとげ大破たいは

36 :
さんじゅういちねんはたちょうひとしきょうわがはたすすむしょうくんいつわりわが將軍しょうぐん公子こうし卬而かさねだつ其軍,やぶこれしんようしょうくんひがしいたりかわ,而齊、ちょうすうやぶわがやす邑近しん,於是徙治だいはり。以公子こうし赫為太子たいし

37 :
さんじゅうさんねんはたたかしおおやけそつしょうくんほろびはたかえりたかしいか不入ふにゅうさんじゅうねんあずかひとしせんおうかいたいら阿南あなん

38 :
めぐみおうすう於軍たび,卑禮あつぬさ以招賢者けんじゃ。鄒衍、あつし于髡、はじめ軻皆いたりはりりょうめぐみおう曰:「寡人佞,へいさんおり於外,太子たいしとりこうえすすむくに以空むなし,以羞先君せんくん宗廟そうびょう社稷しゃしょく,寡人甚丑,叟不とお千里せんりはずかしめさいわいいたる獘邑廷,はたなにわれこく?」はじめ軻曰:「きみ不可ふか以言わか夫君ふくんよく利則としのり大夫たいふよくとし大夫たいふよく利則としのり庶人よくとし上下じょうげそうくにそく危矣。ため人君じんくん仁義じんぎ而已矣,なに以利ため!」

39 :
さんじゅうろくねんふくあずかひとしおうかい甄。これさいめぐみおうそつじょう王立おうりつ

40 :
じょうおう元年がんねんあずか諸侯しょこうかいじょしゅうそうおう也。つい尊父そんぷめぐみおうためおう

41 :
ねんはたはいわがりゅう賈軍よんまんせん于雕かげかこえわがこげきょく沃。しんかわ西之にしの

42 :
ろくねんあずかしんかいおうはたわが汾陰、かわこげすわえはい陘山。ななねんたかしつきにゅう上郡かみごおり于秦。はたくだわががまはちねんはたわがこげきょく沃。

43 :
じゅうねんすわえはいわがじょうりょう諸侯しょこう執政しっせいあずかしんしょうちょうただしかいかじくわじゅうさんねんちょうただししょうゆう女子じょしため丈夫じょうぶはたわがきょく沃、たいらあまね

44 :
じゅうろくねんじょうおうそつあい王立おうりつちょうただし復歸ふっきはた

45 :
あいおう元年がんねん國共こっきょうおさむはたかち而去。

46 :
ねんひとしはいかんねんはた使つかいぶな里子さとごわがきょく沃,はしさいくびがんもんろくねんはたもとむ)[たて公子こうしせいため太子たいしあずかしんかい臨晉。ななねんおさむひとしあずかはたつばめ

47 :
はちねんまもる,拔列じょうまもるくん患之。如耳やくちょうちょうぶん而為所以ゆえん亡者もうじゃためしたがえしゅ也。いままもるやめせりほろびはた西にし請事於秦。あずか其以しん醳衛,如以醳衛,まもるくん曰:「請罷へいめんなりりょうくん乎?」まもるくん曰:「先生せんせいはてのう世世せぜ以衛ごと先生せんせい。」如耳なりりょうくん曰:「むかししゃちょうだん羊腸ようちょう,拔閼與,まもるとく必終無窮むきゅう。」なりりょうくん曰:「だく。」如耳おう曰:「しんゆう謁於まもるまもるしゅうしつべつ也,其稱小國しょうこくたからいまこくはさま於難而寶不出ふしゅつしゃ,其心以為おさむまもる醳衛以王ためぬしたから雖出必不にゅう於王也。しん竊料さきげん醳衛しゃ必受まもるしゃ也。」如耳なりりょうくんいれ,以其げんおうおう聽其せつやめ其兵,めんなりりょうくん終身しゅうしん

48 :
きゅうねんあずかしんおうかい臨晉。ちょうただしあきらみな于魏。相田あいた需死,すわえがいちょうただしさいくび、薛公。すわえしょうあきらぎょいいだい曰:「需死,われこわちょうただしさいくび、薛公有こうゆういちにんしょうしゃ也。」だい曰:「しか相者そうしゃほしだれ而君便びん?」あきらぎょ曰:「われほし太子たいしあい也。」だい曰:「請為くんきた,必相。」あきらぎょ曰:「柰何?」たい曰:「きみ其為はりおうだい請說くん。」あきらぎょ曰:「柰何?」たい曰:「だい也從すわえらいあきらぎょ甚憂,曰:『需死,われこわちょうただしさいくび、薛公有こうゆういちにんしょうしゃ也。』だい曰:『はりおうながしゅ也,必不しょうちょうただしちょうただししょう,必右しん而左さい首相しゅしょう,必右かん而左。薛公しょう,必右ひとし而左はりおうながしゅ也,必不便びん也。』おう曰:『しかのり寡人孰相?』だい曰:『莫若太子たいしそう太子たいしそう三人者皆以太子為非常相也,みなはたつとむ以其國事こくじ欲得よくとく丞相じょうしょう璽也。以魏つよし,而さんまんじょうくに輔之,必安矣。曰莫わか太子たいしあい也。』」とげ北見きたみはりおう,以此つげ太子たいしはてしょう

49 :
じゅうねんちょうただしじゅういちねんあずかはたたけしおうかいおうじゅうねん太子たいしちょう於秦。はたらいわがかわ拔而かいじゅうよんねんはたらいおうきさきじゅうろくねんはた拔我がまはんすすむふうりょうじゅうななねんあずかしんかい臨晉。はたわががまはんじゅうはちねんあずかはたすわえじゅういちねんあずかひとしかんきょうはいしんぐんはこだに

50 :
じゅうさんねんはたふくわがかわがい及封りょうためあいおうそつあきら王立おうりつ

51 :
あきらおう元年がんねんはた拔我じょうじょうねんあずかしんせんわが不利ふりさんねんかんおさむはたはたすすむしろおこりはいわがぐんじゅうよんまんろくねんしん河東かとう地方ちほうよんひゃくさとすすき以詐じゅうななねんはた拔我じょう大小だいしょうろくじゅういちはちねんはたあきらおうため西にしみかどひとし湣王ためひがしみかどがつあまりみなふくしょうおうみかどきゅうねんはた拔我新垣あらかききょくしろ

52 :
じゅうねんひとしめつそうそうおうわがぬるじゅうねんあずかはたちょうかんつばめどもひとしはいすみ西にし,湣王ほろびつばめどくにゅう臨菑。あずかしんおうかい西にししゅう

53 :
じゅうさんねんはた拔我安城あきへいいただいはりじゅうはちねんはた拔郢,すわえおう徙陳。

54 :
じゅうきゅうねんあきらおうそつ子安こやす王立おうりつ

55 :
やす釐王元年がんねんはた拔我兩城りょうじょうねんまた拔我しろぐんだいはりかんらいすくえはたあつし以和。さんねんはた拔我よんしろ斬首ざんしゅよんまんよんねんはたやぶわが及韓、ちょうころせじゅうまんにんはしわがはたすすきしょうだん請予はた南陽なんよう以和。だいいいおう曰:「よく璽者だん也,よくしゃしん也。こんおう使よくしゃせい璽,使つかいよく璽者せいたかし不盡ふじんそく不知ふちやめ。且夫以地ごとしんたとえなおだきたきぎすくいたきぎ不盡ふじん不滅ふめつ。」おう曰:「是則これのりしか也。雖然,事始ことはじめやめくだり不可ふかさら矣。」たい曰:「おうどくおっと博之ひろゆき所以ゆえんふくろうしゃ便びんのりしょく不便ふべんそくとめ矣。こんおう曰『事始ことはじめやめくだり不可ふかさら』,なんおうもちいさとし如用ふくろう也?」

56 :
きゅうねんはた拔我ふところじゅうねんはた太子たいしがいしつ於魏じゅういちねんはた拔我郪丘。

57 :
はたあきらおういい左右さゆう曰:「今時いまどきかんたかしあずかはじめ孰彊?」たい曰:「如始つよし。」おう曰:「今時いまどき如耳、ひとしあずかはじめ嘗、すすき孰賢?」たい曰:「如。」おう曰:「以孟嘗、すすき卯之うのけんりつつよしかん以攻しんなお柰寡じんなん也。こん無能むのう如耳、ひとし而率じゃくかん以伐しん,其無柰寡じんなにまたあきら矣。」左右さゆうみな曰:「甚然。」ちゅうはた馮琴而對曰:「おうこれりょう天下でんか矣。とうすすむろくきょうときともさいつよしめつ范、ちゅうゆきまたりつかんへい以圍ちょうじょう於晉けつすすむすい以灌すすむしろたたえしゃさんはんはく行水ぎょうずい桓子かん康子やすこためさんじょうはく曰:『われはじめ不知ふちすい以亡じんくに也,乃今知之ともゆき。』汾水以灌やす邑,絳水以灌ひら桓子ひじかん康子やすこかん康子やすこくつ桓子,ひじあしせっ於車じょう,而知ぶんこくほろびため天下でんかわらいこんしんへい雖彊,不能ふのうともかん雖弱,なおけん其在すすむしも也。此方こちら其用ひじあしとき也,ねがいおう勿易也!」於是しんおうおそれ

58 :
ひとしすわえしょうやく而攻使じんもとめすくい於秦,かんぶたしょうもち也,而秦すくいいたりじんゆうから雎者,ねんきゅうじゅうあまり矣,いいおう曰:「老臣ろうしん請西じょうざいせつしんおうれいへいさきしん。」おう再拜さいはいとげやくくるま而遣から雎到,にゅうしんおうしんおう曰:「丈人たけとすすきしか乃遠いたり此,甚苦矣!おっともとめすくいすう矣,寡人知じんちきゅうやめ。」から雎對曰:「大王だいおうやめきゅう而救不發ふはつしゃしん竊以ためようさくしんにん矣。おっといちまんじょうくに也,しか所以ゆえん西にしめん而事しんしょうひがしはん,受冠たいほこら春秋しゅんじゅうしゃ,以秦つよしあし以為あずか也。いまひとしすわえへいやめあい於魏郊矣,而秦すくい不發ふはつまたはたよりゆき其未きゅう也。使つかいだいきゅうかれ且割而約したがえおうしょうなにすくい焉?必待其急而救しつ一東藩之魏而彊二敵之齊、すわえのりおうなん焉?」於是はたあきらおう遽為はつへいすくいたかしふくじょう

59 :
ちょう使つかいじんいいおう曰:「ためわがころせ范痤,われ請獻ななじゅう。」おう曰:「だく。」使つかい吏捕かこえ而未ころせ。痤因上屋うわや危,いい使者ししゃ曰:「あずか其以痤市,如以せい痤市。ゆう如痤ちょう王地おうじのり王將おうしょう柰何?わかあずかせんていわりしかころせ痤。」おう曰:「ぜん。」痤因じょう書信しょしんりょうくん曰:「痤,まぬかれしょう也,ちょう以地ころせ痤而おう聽之,ゆう如彊しんまたはたかさねちょうほっのりくん且柰なに?」しんりょうくんごと於王而出

60 :
おう以秦すくいよくちかしはた而伐かん,以求いいおう曰:

61 :
はたあずかえびす翟同ぞくゆう虎狼ころうしんむさぼもどこうしんじ識禮德行とっこう。茍有利ゆうり焉,親戚しんせき兄弟きょうだいわか禽獸きんじゅうみみ,此天下之したのしょ識也,ゆうしょほどこせあつせき德也とくやふとしきさきはは也,而以ゆうみのるこうしゅうと也,こう莫大ばくだい焉,而竟逐之;りょうおとうと無罪むざい,而再だつこれこく。此於親戚しんせきわか此,而況於仇讎之こく乎?こんおうあずかしんどもかん而益きんしん患,しん甚惑。而王識則不明ふめい群臣ぐんしん莫以聞則不忠ふちゅう

62 :
こんかん以一女子奉一弱主,內有大亂たいらん外交がいこうつよしはたたかしこれへいおう以為ほろび乎?かんほろびはたゆうていあずかだいはり鄴,おう以為安乎あいがおう欲得よくとくこんまけつよししんおやおう以為乎?

63 :
はた無事ぶじくに也,かんほろびこれ必將さらごとさらごと必就えきあずか,就易あずかとぎ必不すわえあずかちょう矣。なん也?おっと越山こしやま踰河,ぜっかんじょうとう而攻つよしちょうふく閼與ことはた不為ふため也。わかみちかわ內,ばい鄴、ちょうぜっ漳滏すいあずかちょうへいけつ邯鄲かんたん郊,はくわざわい也,はたまた敢。すわえみちわたるたにぎょうさん千里せんり。而攻めい阸之ふさが所行しょぎょう甚遠,ところおさむ甚難,はたまた不為ふため也。わかみちかわがい倍大ばいだいはりみぎ(蔡左)[うえ蔡]、召陵,あずかすわえへいけつ於陳郊,はたまた敢。曰秦必不すわえあずかちょう矣,またおさむまもるあずかひとし矣。

64 :
おっとかんほろびこれへいこれにちおさむやめはた固有こゆうなつけかや、邢丘,しろ垝津以臨かわ內,かわ內共、汲必危;ゆうていとくかき雍,けつ熒澤すい灌大はりだいはり必亡。おう使者ししゃ出過ですぎ而惡やすりょう於秦,はたよく誅之ひさ矣。はたよう昆陽こんようあずかまいよう鄰,聽使しゃあくずいやすりょう而亡にょうまいきた以東いとう臨許,南國なんごく必危,くに無害むがいやめ)[乎]?

65 :
おっとにくかんあいやすりょう可也かなりおっと患秦あい南國なんごく也。にちしゃはたざい河西かさいすすむくにりょう千里せんり有河あるがさん以闌ゆうしゅうかん以閒したがえりんさとぐん以至于今,はたななおさむにゅう囿中,へんじょうつき拔,文臺ぶんだい墮,たれ焚,はやしおうしか鹿しかつき,而國つぎ以圍。また長驅ちょうくはりきたあずまいたるとうまもる郊,きたいたるひらかんところほろび於秦しゃ山南さんなん山北さんぽくかわがいかわ內,だいけんすうじゅうめいすうひゃくはた乃在河西かさいすすむりょう千里せんり,而禍わか矣,またきょう於使はたかんゆうてい河山かわやま而闌しゅうかん而閒だいはりひゃくわざわい必由此矣。

66 :
にちしゃしたがえなり也,すわえたかしうたぐ而韓不可ふかとく也。こんかん受兵さんねんはた橈之以講,識亡聽,とうしつ於趙,請為天下でんかかりぎょうひたすらすわえちょう必集へいみな識秦よく無窮むきゅう也,つきほろび天下でんかくに而臣うみ內,必不休ふきゅう矣。しんねがい從事じゅうじおうおうそく受楚ちょうやく,(ちょう)[而]はさみかんしつ以存かん,而求かん必效。此士民しみん不勞ふろう而故,其功於與しんどもかん,而又あずかつよしはた鄰之也。

67 :
おっとそんかんやす而利天下でんか,此亦おうてんやめつうかんじょうとう於共、甯,使つかいどう安成やすなり出入でいりじゅうしつかん以其じょうとう也。こんゆう其賦,そく以富こくかん必德あいじゅうかしこかん必不敢反かんそくけん也。とくかん以為けんまもるだいはりかわがい必安矣。こんそんかんしゅうやすりょう必危,すわえちょう大破たいはまもるひとし甚畏,天下てんか西鄉さいごう而馳しん入朝にゅうちょう而為しんひさ矣。

68 :
じゅうねんはたかこえ邯鄲かんたんしんりょうくん矯奪將軍しょうぐんすすむひなへい以救ちょうちょうとくぜんいんとめちょうじゅうろくねんはたあきらおうそつ

69 :
さんじゅうねんかえりりつ五國兵攻秦,はいかわがいはしこうむ驁。太子たいしぞうしつ於秦,はたいかよくしゅう太子たいしぞうあるためぞういいしんおう曰:「公孫こうそんかたいいしょう曰『請以やましげきしんしんおういか,必囚ぞうおうまたいかげきしんはた必傷』。こんおうしゅうぞうけい中也ちゅうや若貴わかたかぞう而合,以疑於齊おさいかん。」はた乃止ぞう

70 :
さんじゅういちねんはた王政おうせいはつだて

71 :
さんじゅうよんねんやす釐王そつ太子たいしぞうりつ為景ためかげ湣王。しんりょうくんそつ

72 :
けい湣王元年がんねんはた拔我じゅうしろ,以為しんひがしぐんねんはた拔我あさうたまもる徙野おうさんねんはた拔我汲。ねんはた拔我かきかばよう、衍。じゅうねんけい湣王そつおう假立かりだち

73 :
おうかり元年がんねんつばめ太子たいし使荊軻とげしんおうはたおうさとしこれ

74 :
さんねんはた灌大はりとりこおうかりとげめつ以為こおりけん

75 :
ふとしおおやけ曰:われてきだいはり墟,墟中じん曰:「はたやぶはり,引河みぞ而灌だいはりさんがつじょう壞,おう請降,とげめつ。」せつしゃみな曰魏以不ようしんりょうくんこくそぎじゃくいたり於亡,あまり以為しか天方あまがたれいはた平海ひらうみ內,其業未成みせい雖得おもね衡之,曷益乎?

URN: ctp:shiji/wei-shi-jia