ヨーロッパ [注釈 ちゅうしゃく 1] (ポルトガル語 ご ・オランダ語 ご : Europa ポルトガル語 ご : [ew.ˈɾɔ.pɐ] オランダ語 ご : [øːˈroːpaː, ʏˑˈroːpaˑ] )は六 ろく 大州 おおず の一 ひと つ。漢字 かんじ 表記 ひょうき は欧 おう 羅 ら 巴 ともみ であり欧州 おうしゅう (おうしゅう)とも呼 よ ぶ。省略 しょうりゃく する場合 ばあい は欧 おう の一 いち 字 じ を用 もち いる。
ヨーロッパの原 げん 風景 ふうけい の一 ひと つであるイギリス の世界 せかい 遺産 いさん ダラム城 じょう とダラム大 だい 聖堂 せいどう 。
国連 こくれん による世界 せかい 地理 ちり 区分 くぶん
地理 ちり 的 てき には、ユーラシア大陸 たいりく 北西 ほくせい の半島 はんとう 部 ぶ を包括 ほうかつ し、ウラル山脈 さんみゃく 及 およ びコーカサス山脈 さんみゃく の分水嶺 ぶんすいれい とウラル川 がわ ・カスピ海 かすぴかい ・黒海 こっかい 、そして黒海 こっかい とエ え ーゲ海 げかい を繋 つな ぐボスポラス海峡 かいきょう -マルマラ海 うみ -ダーダネルス海峡 かいきょう が、アジア と区分 くぶん される東 ひがし の境界 きょうかい となる[10] [11] 。
面積 めんせき から見 み るとヨーロッパ州 しゅう は世界 せかい で2番目 ばんめ に小 ちい さな大 だい 州 しゅう であり、1018万 まん km2 は地球 ちきゅう 表面積 ひょうめんせき の2%、陸地 りくち に限 かぎ れば6.8%を占 し める。アジアに跨 またが る領土 りょうど を持 も つロシア は、ヨーロッパ50か国 こく の中 なか で面積 めんせき および人口 じんこう 第 だい 1位 い の国家 こっか である。対照 たいしょう 的 てき に最 もっと も小 ちい さな国家 こっか はバチカン市 し 国 こく である。総 そう 人口 じんこう はアジア・アフリカ に次 つ ぐ7億 おく 3300万 まん である。これは地球 ちきゅう 総 そう 人口 じんこう の11%である[12] 。
ヨーロッパ、特 とく に古代 こだい ギリシア は西洋 せいよう 文明 ぶんめい 発祥 はっしょう の地 ち である[13] 。これは、16世紀 せいき 以降 いこう の植民 しょくみん 地 ち 主義 しゅぎ の始 はじ まりとともに世界中 せかいじゅう に拡散 かくさん し、支配 しはい 的 てき な役割 やくわり を果 は たした。16世紀 せいき から20世紀 せいき の間 あいだ 、ヨーロッパの国々 くにぐに はアメリカ州 しゅう 、アフリカ 、オセアニア 、中東 ちゅうとう 、アジア の大 だい 部分 ぶぶん を支配 しはい 下 か に置 お いた。2度 ど の世界 せかい 大戦 たいせん はヨーロッパを戦火 せんか で覆 おお い、20世紀 せいき 中頃 なかごろ の西 にし ヨーロッパ による世界 せかい への影響 えいきょう 力 りょく 減衰 げんすい に結 むす びつき、その地位 ちい をアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく とソビエト連邦 れんぽう に奪 うば われる結果 けっか となった[14] (のちに、ソ連 それん 崩壊 ほうかい に伴 ともな ってアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく がこの地位 ちい へ再 ふたた び戻 もど った状態 じょうたい となり、現在 げんざい まで唯一 ゆいいつ の超 ちょう 大国 たいこく となっている)。
復元 ふくげん されたヘロドトス の世界 せかい 地図 ちず 。
1472年 ねん に作成 さくせい された中世 ちゅうせい のTO図 ず 。世界 せかい を3つの大陸 たいりく として描 えが いている。
エウローパ・レーギーナ を模 も した地図 ちず 。『宇宙 うちゅう 誌 し 』から。ここでは、ブリテン諸島 しょとう とスカンディナヴィア半島 はんとう がヨーロッパとして含 ふく まれていない。
用語 ようご 「ヨーロッパ」は、歴史 れきし が展開 てんかい する中 なか で使 つか われ方 かた が様々 さまざま に発展 はってん [15] [16] 。地理 ちり 用語 ようご としてのEurṓpēの記録 きろく に残 のこ る最古 さいこ の使用 しよう 法 ほう は、エ え ーゲ海 げかい の南 みなみ 海岸 かいがん を指 さ したもので、デロス島 とう のアポローン に捧 ささ げられたホメーロス風 ふう 讃歌 さんか にある。初 はじ めてヨーロッパとアジアを区分 くぶん した地図 ちず はミレトスのヘカタイオス が作成 さくせい した[17] 。ギリシア の歴史 れきし 家 か ヘロドトス は著書 ちょしょ 『歴史 れきし 』第 だい 4章 しょう にて[17] 、世界 せかい がヨーロッパ・アジア・リビアの3箇所 かしょ に分 わ けられ、その境界 きょうかい はナイル川 がわ とリオニ川 がわ であることを示唆 しさ した。彼 かれ はさらに、ヨーロッパとアジアの境界 きょうかい はリオニ川 がわ ではなくドン川 がわ とする考 かんが えもあると述 の べている[18] 。1世紀 せいき の地理 ちり 学者 がくしゃ ストラボン も東側 ひがしがわ の境 さかい をドン川 がわ と考 かんが えた[19] 。フラヴィウス家 か (英語 えいご 版 ばん ) の人物 じんぶつ の著述 ちょじゅつ や『ヨベル書 しょ 』では、各 かく 大陸 たいりく をノア から3人 にん の息子 むすこ たちへそれぞれ与 あた えられたものと記 しる している。そこでは、ヨーロッパはリビアとの境 さかい となるジブラルタル海峡 かいきょう のヘラクレスの柱 はしら から、アジアとの境 さかい となるドン川 がわ まで広 ひろ がる地域 ちいき としている[20] 。
ヨーロッパの文化 ぶんか に言及 げんきゅう すると、まず大 おお きく東西 とうざい 2つに分 わ けられ、「西 にし ヨーロッパ」はラテン語 らてんご とキリスト教 きりすときょう 世界 せかい (英語 えいご 版 ばん ) が結合 けつごう し8世紀 せいき に形成 けいせい された地域 ちいき となり、ゲルマン民族 みんぞく の伝統 でんとう とラテン系 けい キリスト教 きりすときょう 文化 ぶんか の合流 ごうりゅう と表 あらわ され、「東 ひがし ヨーロッパ」は「ビザンティン帝国 ていこく 」となる。これらはイスラム圏 けん と対比 たいひ することもできる。西 にし ヨーロッパ地域 ちいき はイベリア半島 はんとう 北部 ほくぶ 、ブリテン諸島 しょとう 、フランス 、キリスト教化 きょうか されたドイツ 西部 せいぶ 、アルプス そして北 きた および中央 ちゅうおう イタリア が該当 がいとう する[21] 。この考 かんが えはカロリング朝 あさ ルネサンス の影響 えいきょう を受 う け継 つ いだもので、カール大帝 たいてい の文化 ぶんか 相 しょう となったアルクィン の手紙 てがみ の中 なか に、しばしば Europa の単語 たんご が見 み られる[22] 。このような文化 ぶんか 的 てき また地理 ちり 的 てき な区分 くぶん は中世 ちゅうせい 後期 こうき まで用 もち いられたが、大 だい 航海 こうかい 時代 じだい にはそぐわなくなった[23] [24] 。ヨーロッパの定義 ていぎ 問題 もんだい は最終 さいしゅう 的 てき に、スウェーデン の地理 ちり 学者 がくしゃ 兼 けん 地図 ちず 製作 せいさく 者 しゃ のフィリップ・ヨハン・フォン・シュトラーレンベルク (英語 えいご 版 ばん ) が提唱 ていしょう した、水域 すいいき ではなくウラル山脈 さんみゃく を最 もっと も重要 じゅうよう な東 ひがし の境 さかい とする1730年 ねん の案 あん がロシア・ツァーリ国 こく を皮切 かわき りにヨーロッパ各国 かっこく の支持 しじ を集 あつ め、解決 かいけつ を見 み た[25] 。
現代 げんだい では、ヨーロッパとはユーラシア大陸 たいりく の北西 ほくせい に位置 いち する半島 はんとう と認識 にんしき され、北 きた ・西 にし ・南 みなみ が大 おお きな水域 すいいき で区切 くぎ られた陸地 りくち と認識 にんしき される。東 ひがし の境界 きょうかい は通常 つうじょう ウラル山脈 さんみゃく からウラル川 がわ を経由 けいゆ してカスピ海 かすぴかい に接続 せつぞく し、そこから南東 なんとう にあるコーカサス山脈 さんみゃく を通 とお って黒海 こっかい ・ボスポラス海峡 かいきょう そして地中海 ちちゅうかい まで繋 つな がる[26] 。
社会 しゃかい 政治 せいじ 学 がく 的 てき または文化 ぶんか 的 てき な側面 そくめん を考慮 こうりょ すると、ヨーロッパの境界 きょうかい は様々 さまざま な言及 げんきゅう がなされる。例 たと えば、キプロス は小 しょう アジアのアナトリア半島 はんとう に近接 きんせつ しているが、ここはしばしばヨーロッパの一部 いちぶ とみなされ、現在 げんざい ではEUの一員 いちいん でもある。逆 ぎゃく にマルタ は長 なが い間 あいだ アフリカに属 ぞく する島 しま と受 う け止 と められていた[27] 。日本 にっぽん の外務省 がいむしょう の公式 こうしき サイトは、NIS諸国 しょこく に該当 がいとう するアルメニア 、カザフスタン などを欧州 おうしゅう に含 ふく めている[28] 。
「ヨーロッパ」という単語 たんご は、欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい (European Union, EU )のみを指 さ す地政学 ちせいがく 的 てき な制限 せいげん を加 くわ えて用 もち いられる事 こと もあり[29] 、さらに排他 はいた 的 てき な用例 ようれい や文化 ぶんか 的 てき な中心 ちゅうしん 地 ち と定義 ていぎ する場合 ばあい もある。その一方 いっぽう で、欧州 おうしゅう 評議 ひょうぎ 会 かい には47か国 こく が参加 さんか しているのに対 たい し、EU加盟 かめい 国 こく は27か国 こく に過 す ぎない[30] 。
エウローペと神聖 しんせい なる雄 ゆう 牛 うし (英語 えいご 版 ばん )
単語 たんご ヨーロッパの語源 ごげん にはさまざまな説 せつ がある。古代 こだい のギリシア神話 しんわ には、主神 しゅしん ゼウス が白 しろ い雄 ゆう 牛 うし に変化 へんか して攫 さら ったフェニキア の王女 おうじょ エウローペー (希 まれ : Ε いぷしろん ὐρώπη )が登場 とうじょう する。ゼウスは彼女 かのじょ をクレタ島 とう へ連 つ れ出 だ し、そこでミーノース ら3人 にん の子 こ どもを得 え た[31] 。このエウローペーがヨーロッパの語源 ごげん という説 せつ がある[32] 。
他 た に、「広 ひろ い・幅広 はばひろ い」を意味 いみ するギリシア語 ご の ε いぷしろん ὐρύς[注釈 ちゅうしゃく 2] [33] に「眼 め 」を意味 いみ する ὤψ ぷさい [注釈 ちゅうしゃく 3] 、「顔 かお 」を意味 いみ する ὠπ ぱい [注釈 ちゅうしゃく 4] 、「相貌 そうぼう 」を意味 いみ する ὀπ ぱい τ たう [注釈 ちゅうしゃく 5] が付加 ふか され[34] 、合 あ わせた Eurṓpē は「広 ひろ く熟視 じゅくし する」や「幅広 はばひろ い方角 ほうがく 」という意味 いみ を持 も つという。初期 しょき インドヨーロッパ語族 ごぞく の信仰 しんこう では、broad (広 ひろ い)とは地球 ちきゅう そのものを指 さ す形容詞 けいようし 句 く であった[35] 。
他 た の説 せつ ではセム語 ご 派 は の言語 げんご に源流 げんりゅう を求 もと め、アッカド語 ご の erebu [注釈 ちゅうしゃく 6] (「太陽 たいよう が沈 しず むところ」) が元 もと だとも言 い い[36] 、フェニキア語 ご の ereb [注釈 ちゅうしゃく 7] (「夕方 ゆうがた 、西 にし 」) [17] やアラビア語 ご の Maghreb [注釈 ちゅうしゃく 8] (マグリブ )やヘブライ語 ご の ma'ariv [注釈 ちゅうしゃく 9] と同根 どうこん 語 ご だと言 い う。ただし、マーチン・リッチフィールド・ウエスト (英語 えいご 版 ばん ) は、Europa とセム語 ご の単語 たんご との間 あいだ には、音韻 おんいん 論 ろん 的 てき に合致 がっち する部分 ぶぶん がほとんど無 な いと主張 しゅちょう した[37] 。
各 かく 言語 げんご での語形 ごけい [ 編集 へんしゅう ]
ヨーロッパの大半 たいはん の言語 げんご で、発音 はつおん こそ違 ちが えど綴 つづ りは Europa であるが、英語 えいご ・フランス語 ふらんすご では末尾 まつび 音 おん が脱落 だつらく し、Europe となる。英語 えいご での発音 はつおん は「ˈjʊərəp 」「ˈjɜrəp 」で、オクスフォード英語 えいご 辞典 じてん オンラインが示 しめ す「Europe 」の発音 はつおん 記号 きごう は、イギリス英語 えいご では「ˈjʊərəp 」「ˈjɔːrəp 」、アメリカ英語 えいご では「ˈjərəp 」「ˈjurəp 」である。
日本語 にほんご の「ヨーロッパ」は、何 なん らかの外国 がいこく 語 ご の発音 はつおん を直接 ちょくせつ に音 おと 写 うつ したものではない。この語 かたり は、戦国 せんごく 時代 じだい 末 すえ ~江戸 えど 時代 じだい 初期 しょき にポルトガル語 ご の Europa (エウロパ)から借用 しゃくよう され、「えうろつは」と表記 ひょうき され、「エウロッパ」と発音 はつおん された。促音 そくおん の挿入 そうにゅう は、原音 げんおん を反映 はんえい したものではなく、当時 とうじ の日本語 にほんご では促音 そくおん ・撥音 はつおん の後 のち にのみ p 音 おと が現 あらわ れたためである(capa → かっぱ もその例 れい )。その後 ご 、「エウ」が拗 こじれ 長音 ちょうおん 化 か 規則 きそく により「ヨー」に遷移 せんい し、「ヨーロッパ」となった。
漢語 かんご では「欧 おう 羅 ら 巴 ともみ (歐 おう 羅 ら 巴 ともみ )」と音 おと 写 うつ されたため、中国 ちゅうごく 語 ご では漢字 かんじ で「歐 おう 洲 しゅう 」と表 あらわ される。日本語 にほんご においても「欧州 おうしゅう 連合 れんごう 」のような漢字 かんじ 表記 ひょうき もあるが、カタカナ 「ヨーロッパ」の方 ほう が一般 いっぱん 的 てき である。ちなみに、「欧 おう (歐 おう )」という漢字 かんじ は、本来 ほんらい 「体 からだ を曲 ま げてかがむ」という意味 いみ であり、「吐 は く・もどす」「殴 なぐ る」「うたう」の意味 いみ にも用 もち いられたが、現在 げんざい ではこれらの用例 ようれい はほとんどなく、当 あ て字 じ としての「ヨーロッパ」の意味 いみ で用 もち いられている。
多 おお くの主要 しゅよう 言語 げんご では Europa から派生 はせい した単語 たんご が、大陸 たいりく (もしくは半島 はんとう )を指 さ して使 つか われる。しかしトルコ語 ご では、ペルシャ語 ご を語源 ごげん とする Frangistan (フランク人 じん の土地 とち )という単語 たんご が、正式 せいしき 名称 めいしょう の Avrupa や Evropa よりも多用 たよう される[38] 。
ヨーロッパとは歴史 れきし や伝統 でんとう 、文化 ぶんか に共通 きょうつう する地域 ちいき を類型 るいけい 化 か してできた地域 ちいき 名 めい であり、地学 ちがく 上 うえ はユーラシア大陸 たいりく 西端 せいたん の半島 はんとう にすぎない。そのため、領域 りょういき は観念 かんねん 的 てき なものである。
国際 こくさい 連合 れんごう による分類 ぶんるい [ 編集 へんしゅう ]
国際 こくさい 連合 れんごう によるヨーロッパの分類 ぶんるい
ワールド・ファクトブックによる分類 ぶんるい [ 編集 へんしゅう ]
ワールド・ファクトブック によるヨーロッパの分類 ぶんるい
冷戦 れいせん 時代 じだい の分類 ぶんるい [ 編集 へんしゅう ]
冷戦 れいせん 時代 じだい のヨーロッパの分類 ぶんるい
中立 ちゅうりつ 国 こく (※
灰色 はいいろ に
赤 あか の
斜線 しゃせん は、
東側 ひがしがわ 諸国 しょこく であったが
後 のち に
ソ連 それん と
対立 たいりつ し
孤立 こりつ 政策 せいさく を
採 と っていた
アルバニア )
ヨーロッパの衛星 えいせい 写真 しゃしん
現在 げんざい ヨーロッパ各国 かっこく の地図 ちず
ヨーロッパ大陸 たいりく の起源 きげん は、22億 おく 5000万 まん 年 ねん 前 まえ のバルト盾 たて 状 じょう 地 ち (英語 えいご 版 ばん ) (フェノスカンディア)とサルマティア・クラトン (英語 えいご 版 ばん ) 形成 けいせい まで遡 さかのぼ ることができる。その後 ご 、ヴォルガ-ウラリア盾 たて 状 じょう 地 ち も形成 けいせい され、この3つが合 あ わさり東 ひがし ヨーロッパ・クラトン (バルティカ大陸 たいりく )へ発達 はったつ した。これはさらに集積 しゅうせき し、超 ちょう 大陸 たいりく であるコロンビア大陸 たいりく の一部 いちぶ となった。約 やく 11億 おく 年 ねん 前 まえ には、バルティカとローレンシア大陸 たいりく の一部 いちぶ であったアークティカ大陸 たいりく (英語 えいご 版 ばん ) が合 あ わさりロディニア大陸 たいりく となった。約 やく 5億 おく 5000万 まん 年 ねん 前 まえ には孤立 こりつ しふたたびバルティカ大陸 たいりく となったが、約 やく 4億 おく 4000万 まん 年 ねん 頃 ごろ にまたローレンシア大陸 たいりく と衝突 しょうとつ してユーラメリカ大陸 たいりく が形成 けいせい 、後 のち にゴンドワナ大陸 たいりく と合 あ わさりパンゲア大陸 たいりく へと成長 せいちょう した。1億 おく 9000万 まん 年 ねん 前 まえ 、大西 おおにし 洋 ひろし へと成長 せいちょう する分断 ぶんだん が始 はじ まり、パンゲア大陸 たいりく はゴンドワナ大陸 たいりく とローラシア大陸 たいりく に別 わか れ始 はじ め、じきにローラシア大陸 たいりく もローレンシア(北 きた アメリカ)とユーラシアに分裂 ぶんれつ した。ただしこの2大陸 たいりく は長 なが い間 あいだ グリーンランドで繋 つな がっており、動物 どうぶつ の行 い き来 き があった。これも5000万 まん 年 ねん 前 まえ 頃 ごろ から海面 かいめん の起伏 きふく や低下 ていか 活動 かつどう を通 つう じて現在 げんざい に通 つう じるヨーロッパの姿 すがた が形成 けいせい され、アジアなどと接続 せつぞく した。現在 げんざい のヨーロッパの形 かたち は500万 まん 年 ねん 前 まえ 頃 ごろ の第 だい 三紀 みき 遅 おそ くに形成 けいせい された[39] 。
マルタ島 とう のジュガンティーヤ
ビンチャの女性 じょせい 像 ぞう (英語 えいご 版 ばん ) 。セルビア 新 しん 石器 せっき 時代 じだい の土偶 どぐう
イギリスのストーンヘンジ
ネブラ・ディスク 。ドイツ青銅器 せいどうき 時代 じだい の遺品 いひん
ヨーロッパに定住 ていじゅう した初期 しょき のヒト科 か は、約 やく 180万 まん 年 ねん 前 まえ にジョージア にいたホモ・ゲオルギクス である[40] 。他 ほか にも、スペイン のアタプエルカ からは、約 やく 100万 まん 年 ねん 前 まえ のヒト科 か の化石 かせき が発見 はっけん された[41] 。ドイツ のネアンデル谷 だに を名 な の由来 ゆらい とするネアンデルタール人 じん がヨーロッパに現 あらわ れたのは約 やく 15万 まん 年 ねん 前 まえ であり、紀元前 きげんぜん 28,000年 ねん 頃 ごろ には気候 きこう 変動 へんどう などの要因 よういん から、ポルトガル に最後 さいご の足跡 あしあと を残 のこ し絶滅 ぜつめつ した。彼 かれ らに取 と って代 か わったのがクロマニョン人 じん であり、ヨーロッパには4.3万 まん 年 ねん 前 まえ から4.0万 まん 年 ねん 前 まえ 頃 ごろ に進出 しんしゅつ した[42] 。
新 しん 石器 せっき 時代 じだい には、作物 さくもつ の栽培 さいばい や家畜 かちく 飼育 しいく の開始 かいし 、定住 ていじゅう 人口 じんこう が著 いちじる しく増 ふ え、土器 どき の使用 しよう も広範囲 こうはんい に及 およ んだ。これらは紀元前 きげんぜん 7000頃 ごろ に、農業 のうぎょう の先進地 せんしんち であるアナトリア半島 はんとう や近東 きんとう からの影響 えいきょう を受 う けたギリシア やバルカン半島 ばるかんはんとう で始 はじ まり、南東 なんとう ヨーロッパからドナウ川 がわ やライン川 がわ の渓谷 けいこく を伝 つた って線形 せんけい 陶器 とうき 文化 ぶんか (英語 えいご 版 ばん ) を形成 けいせい し、地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん 経由 けいゆ には紀元前 きげんぜん 4500年 ねん から前 まえ 3000年 ねん 頃 ごろ に伝播 でんぱ した。これら新 しん 石器 せっき 時代 じだい の文化 ぶんか は中央 ちゅうおう ヨーロッパから西 にし や北端 ほくたん まで達 たっ し、さらに銅器 どうき の製法 せいほう 技術 ぎじゅつ が伝 つた わった。新 しん 石器 せっき 時代 じだい の西 にし ヨーロッパは、大 だい 規模 きぼ な農耕 のうこう 集落 しゅうらく ではなく土手 どて 道 どう 付 つ き囲 がこ い地 ち (英語 えいご 版 ばん ) やクルガン または巨石 きょせき 古墳 こふん (英語 えいご 版 ばん ) のような遺跡 いせき で特徴 とくちょう づけられる[43] 。戦 せん 斧 おの 文化 ぶんか の隆盛 りゅうせい がヨーロッパを石器 せっき 時代 じだい から銅器 どうき 時代 じだい へと転換 てんかん させた。この期間 きかん 、マルタの巨石 きょせき 神殿 しんでん 群 ぐん やストーンヘンジ などの巨石 きょせき 遺跡 いせき が西 にし または南 みなみ ヨーロッパで建設 けんせつ された[44] [45] 。ヨーロッパの鉄器 てっき 時代 じだい は紀元前 きげんぜん 800年 ねん 頃 ごろ に、ハルシュタット文化 ぶんか が担 にな い始 はじ まった[46] 。
ヨーロッパ概念 がいねん の嚆矢 こうし [ 編集 へんしゅう ]
歴史 れきし 家 か ヘロドトスは『世界 せかい 』にて、ヨーロッパが単 たん に「西 にし 」の地 ち を指 さ すのみならず、アジアと異 こと なる世界 せかい である事 こと を記述 きじゅつ した。彼 かれ は第 だい 7章 しょう にて、ペルシア戦争 せんそう 時 どき のクセルクセス1世 せい と亡命 ぼうめい スパルタ 人 ひと デマラトス との会話 かいわ を記 しる しているが、ここでクセルクセス1世 せい は統率 とうそつ 者 しゃ 不在 ふざい で自由 じゆう 放任 ほうにん にあるギリシア人 じん がペルシアの大軍 たいぐん に反抗 はんこう するとは思 おも えないと語 かた る。それに対 たい しデマラトスは、ギリシアの自由 じゆう 民 みん は自 みずか ら定 さだ めた法 ほう に忠実 ちゅうじつ であり、降伏 ごうぶく 勧告 かんこく を受諾 じゅだく する事 こと はないであろうと返 かえ す[17] 。ヘロドトスは、神聖 しんせい 的 てき 絶対 ぜったい 君主 くんしゅ に「隷属 れいぞく 」するアジアと、国民 こくみん たちによる規律 きりつ ある「自由 じゆう 」のヨーロッパを対比 たいひ させている[17] 。しかし厳密 げんみつ にはヨーロッパではなくギリシャを対比 たいひ させている。ヨーロッパは比較的 ひかくてき 自由 じゆう だがギリシャは自由 じゆう だ、としている後代 こうだい のアリストテレスと共 とも に、ヨーロッパと自己 じこ を区別 くべつ したギリシャの自意識 じいしき がここにある。
このような対比 たいひ はアイスキュロス の『ペルシア人 じん 』にもあり、ペルシア人 じん の合唱 がっしょう 隊 たい がクセルクセス1世 せい の母 はは アトッサを神 かみ の妃 ひ であり母 はは と讃 たた えるのに対 たい し、決戦 けっせん に向 む かうギリシア人 じん が「祖国 そこく に自由 じゆう を」と叫 さけ ぶ姿 すがた を描写 びょうしゃ した[17] 。古代 こだい ギリシアでは、このように隷属 れいぞく を特徴 とくちょう とするアジアとは異 こと なる社会 しゃかい 形態 けいたい を持 も つ地 ち として、自 みずか らの社会 しゃかい を区分 くぶん する概念 がいねん を持 も っていた[17] 。
以下 いか は
ヨーロッパ文明 ぶんめい の系譜 けいふ [ 編集 へんしゅう ]
古 ふる くからヨーロッパ文明 ぶんめい の源泉 げんせん として、ギリシャ文明 ぶんめい とローマ文明 ぶんめい の存在 そんざい が語 かた られ、ヨーロッパ文明 ぶんめい は、このいわゆる「地中海 ちちゅうかい 文明 ぶんめい 」の直系 ちょっけい の子孫 しそん だとされてきた。ギリシャ文明 ぶんめい から西 にし ヨーロッパ文明 ぶんめい という直線 ちょくせん 的 てき 系譜 けいふ があると当然 とうぜん のように考 かんが えられ、ヨーロッパ文明 ぶんめい は、ギリシャ・ローマの地中海 ちちゅうかい 文明 ぶんめい に、ユダヤ教 きょう の子孫 しそん であるキリスト教 きりすときょう が合体 がったい して形成 けいせい された、「ヘレニズムとヘブライズムの統合 とうごう としてのヨーロッパ」いうイメージが一般 いっぱん に流布 るふ してきた。
しかし、このような「3000年 ねん にわたる『ヨーロッパ文明 ぶんめい 』の連続 れんぞく 性 せい のイメージ」は、真実 しんじつ とは言 い い難 がた く、西 にし ヨーロッパ文明 ぶんめい とギリシャ・ローマ文明 ぶんめい の直接的 ちょくせつてき 連続 れんぞく 性 せい は存在 そんざい しない。ギリシャの地中海 ちちゅうかい 文明 ぶんめい をそのまま連続 れんぞく 的 てき に受 う け継 つ いだのは、5世紀 せいき 以降 いこう のビザンツ帝国 ていこく 、8世紀 せいき 以降 いこう のイスラーム 世界 せかい であり、むしろ西 にし ヨーロッパ世界 せかい は、イスラーム世界 せかい の勃興 ぼっこう で地中海 ちちゅうかい 文明 ぶんめい から切 き り離 はな されることで成立 せいりつ した。ギリシャ・ローマ文明 ぶんめい はイスラーム文明 ぶんめい を経由 けいゆ し、そこでの独自 どくじ の発展 はってん を含 ふく めて12世紀 せいき を中心 ちゅうしん にヨーロッパにもたらされており、西 にし ヨーロッパ文明 ぶんめい が基盤 きばん を確立 かくりつ したのは12世紀 せいき 以降 いこう である。「ヨーロッパ文明 ぶんめい の源泉 げんせん としてのイスラーム文明 ぶんめい 」は長 なが い間 あいだ 無視 むし され、ヨーロッパ中心 ちゅうしん 主義 しゅぎ の時代 じだい には特 とく に無視 むし ・軽視 けいし されてきた。近年 きんねん では(2002年 ねん 時点 じてん )、ヨーロッパがイスラーム文明 ぶんめい を取 と り入 い れて、それを吸収 きゅうしゅう することでどのように自 みずか らの文明 ぶんめい を築 きず いていったのか、経緯 けいい が明 あき らかになりつつある。
ギリシャ・ローマ文明 ぶんめい という外部 がいぶ 的 てき 要因 よういん だけでなく、ゲルマン 的 てき 地盤 じばん に注目 ちゅうもく すべきだと力説 りきせつ する人々 ひとびと もおり、最近 さいきん ではケルト 的 てき 地盤 じばん が言及 げんきゅう されることも増 ふ えている。
ヨーロッパと周辺 しゅうへん の高低 こうてい 差 さ を表 あらわ した地図 ちず 。
タンメルコスキ川 がわ (英語 えいご 版 ばん ) , タンペレ 、フィンランド
オーデル川 がわ , シュチェチン , ポーランド
ヨーロッパは、ユーラシア大陸 たいりく 西 にし の1/5を占 し める陸地 りくち であり[26] 、アジアとの地形 ちけい 的 てき に明瞭 めいりょう な区分 くぶん がない[10] 。
ヨーロッパの主軸 しゅじく 山系 さんけい は西 にし からピレネー山脈 さんみゃく 、アルプス山脈 あるぷすさんみゃく 、カルパティア山脈 さんみゃく ・ディナル・アルプス山脈 さんみゃく がある。これらは急峻 きゅうしゅん ではあるが、古代 こだい からかなり高地 こうち にまで集落 しゅうらく がつくられ交易 こうえき が行 おこな われていたように、アジアのヒマラヤ山脈 ひまらやさんみゃく のような人跡 じんせき 未踏 みとう の地 ち にはならず、山脈 さんみゃく の両側 りょうがわ にある程度 ていど の分岐 ぶんき を施 ほどこ しながらも断絶 だんぜつ させるようなものではなかった[49] 。
河川 かせん は、ヨーロッパ大陸 たいりく が小 ちい さいため、アジアやアフリカ・アメリカのような大河 たいが が無 な い。アルプス山脈 あるぷすさんみゃく 北側 きたがわ は北 きた ヨーロッパ平野 へいや などの比較的 ひかくてき 広 ひろ い平野 へいや をゆるやかな川 かわ が流 なが れる。これらの水量 すいりょう は一 いち 年 ねん を通 とお して変化 へんか が少 すく なく、また分水嶺 ぶんすいれい が低 ひく い事 こと もあって運河 うんが 建設 けんせつ が容易 ようい な特徴 とくちょう も持 も っており、水運 すいうん を発達 はったつ させやすい性質 せいしつ を持 も っている。例 たと えば国際 こくさい 河川 かせん であるライン川 がわ は1000トンクラスの船 ふね がスイスまで曳航 えいこう 可能 かのう である[50] 。これに対 たい し、地中海 ちちゅうかい に注 そそ ぐヨーロッパの河川 かせん は、源流 げんりゅう となる山脈 さんみゃく が海 うみ に近 ちか いため短 みじか く、かつ水量 すいりょう がポ ぽ ー川 がわ を除 のぞ きおしなべて少 すく ない[50] 。
人文 じんぶん 地理 ちり 的 てき な区分 くぶん [50] をヨーロッパに施 ほどこ すと、3つの領域 りょういき に分 わ けることができる[51] 。アフリカを含 ふく めた地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん は、ナイル川 がわ 流域 りゅういき [50] やイベリア半島 はんとう の一部 いちぶ を除 のぞ き、およそ内陸 ないりく と呼 よ べる平野 へいや 部分 ぶぶん が狭 せま い。そのため、各 かく 文明 ぶんめい は海岸 かいがん 前 ぜん 沿岸 えんがん 部 ぶ に形成 けいせい され、そして発展 はってん は内陸 ないりく よりも地中海 ちちゅうかい へ漕 こ ぎ出 だ す志向 しこう を強 つよ めた[51] 。これに対 たい し、アルプス北部 ほくぶ の西 にし ヨーロッパには水運 すいうん に適 てき した河川 かせん が多 おお く見 み られる[52] 。そのため、この地域 ちいき では港湾 こうわん 都市 とし が海岸 かいがん 線 せん よりも河川 かせん 流域 りゅういき で発達 はったつ し、ケルン 、ブレーメン 、ハンブルク そしてロンドン もこの例 れい に当 あ たる。海岸 かいがん 都市 とし はオランダ など16世紀 せいき 以降 いこう にしか見 み られない[50] 。13世紀 せいき 以降 いこう は開墾 かいこん が盛 さか んになり、河川 かせん 地域 ちいき や沼沢 しょうたく 地 ち の開墾 かいこん が盛 さか んになり、海岸 かいがん 線 せん の開拓 かいたく にも着手 ちゃくしゅ されるようになった[52] 。残 のこ る東 ひがし ヨーロッパは東 ひがし ヨーロッパ平原 へいげん の平坦 へいたん で単調 たんちょう な地形 ちけい が広 ひろ がり、中央 ちゅうおう アジアの草原 そうげん 地帯 ちたい へと続 つづ いている。そのため東方 とうほう からの異 い 民族 みんぞく 侵入 しんにゅう に弱 よわ く、結果 けっか 的 てき に何 なん 度 ど も占拠 せんきょ を許 ゆる した。ヨーロッパの防衛 ぼうえい 線 せん は、事実 じじつ 上西 かみにし ヨーロッパの東 ひがし 端 はし となり、東 ひがし ヨーロッパは都市 とし 化 か が遅 おく れた[53] 。
以下 いか に、場合 ばあい によってはヨーロッパに分類 ぶんるい されることがある地理 ちり 的 てき 意味 いみ でのアジア の国々 くにぐに を示 しめ す。
以下 いか に、事実 じじつ 上 じょう 独立 どくりつ した地域 ちいき (国家 こっか の承認 しょうにん を得 え る事 こと が少 すく ない、またはない国 くに )を示 しめ す。
ヨーロッパと周辺 しゅうへん の生物 せいぶつ 群 ぐん 系 けい : ツンドラ 高山 たかやま ツンドラ(英語 えいご 版 ばん ) タイガ 山林 さんりん (英語 えいご 版 ばん ) 温帯 おんたい の広葉樹 こうようじゅ 林 りん (英語 えいご 版 ばん ) 地中海 ちちゅうかい 性 せい の森林 しんりん (英語 えいご 版 ばん ) 温帯 おんたい のステップ(英語 えいご 版 ばん ) ステップ気候 きこう
ヨーロッパは概 がい して偏西風 へんせいふう が吹 ふ き付 つ け、付近 ふきん に北大西洋 きたたいせいよう 海流 かいりゅう が流 なが れるため、温帯 おんたい 気候 きこう 領域 りょういき にある。北大西洋 きたたいせいよう 海流 かいりゅう が影響 えいきょう し、同 どう 緯度 いど の他 た 地域 ちいき よりも温暖 おんだん である[55] 。このような条件 じょうけん が働 はたら き、ナポリ の年間 ねんかん 平均 へいきん 気温 きおん は16℃(60.8°F)であり、ほぼ同 おな じ緯度 いど にあるニューヨーク の12℃(53.6°F)よりも高 たか い。ドイツのベルリンは、カナダ のカルガリー やロシア のアジア大陸 たいりく 部 ぶ の都市 とし イルクーツク とほぼ同 おな じ緯度 いど にあるが、1月 がつ の平均 へいきん 気温 きおん はカルガリーより約 やく 8℃(15°F)、イルクーツクより22℃(40°F)ちかく高 たか い[55] 。
細 こま かな差異 さい では、地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん は夏 なつ に亜熱帯 あねったい 気候 きこう 的 てき 性格 せいかく を現 あらわ して雨量 うりょう が極端 きょくたん に少 すく なくなるのに対 たい し、冬 ふゆ は温暖 おんだん で雨 あめ も多 おお い[51] 。西 にし ヨーロッパは海洋 かいよう 性 せい 気候 きこう の特徴 とくちょう を持 も ち、夏 なつ は涼 すず しく冬 ふゆ は暖 あたた かい。季 き 節 ぶし による雨量 うりょう の変化 へんか も少 すく なくほぼ一定 いってい している[52] 。これに対 たい し東 ひがし ヨーロッパは大陸 たいりく 性 せい 気候 きこう であり、夏 なつ は暑 あつ く冬 ふゆ は寒 さむ い。黒海 こっかい 沿岸 えんがん を除 のぞ き雨量 うりょう は少 すく なく、冬 ふゆ には多 おお くの河川 かせん や湖沼 こしょう が凍結 とうけつ する[53] 。
ヨーロッパおよび周辺 しゅうへん の生物 せいぶつ 地理 ちり 分布 ぶんぷ
ヨーロッパと隣接 りんせつ 地域 ちいき の植物 しょくぶつ 区 く 系 けい 。Wolfgang Frey and Rainer Lösch から。
かつて、おそらくヨーロッパの80-90%は森林 しんりん で覆 おお われていた[56] 。その姿 すがた は今 いま から1000年 ねん ほど前 まえ までは維持 いじ されていたと考 かんが えられる。花粉 かふん 学 がく 研究 けんきゅう 結果 けっか によると、太古 たいこ にはハシバミ 類 るい が主流 しゅりゅう であったが、時 とき とともにナラ 、ニレ 、シナノキ が繁 しげ り、5-6世紀 せいき 頃 ごろ にはブナ 、ツノギ、モミ 、ハリモミ 類 るい が優勢 ゆうせい になった。10世紀 せいき 末 まつ -11世紀 せいき 頃 ごろ にはこれらにシラカバ やクリ も加 くわ わり豊 ゆた かな樹 き 相 しょう を成 な していた。山岳 さんがく 地帯 ちたい や北欧 ほくおう ではハリモミ 類 るい が、南 みなみ ヨーロッパではマツ 類 るい も見 み られた[57] 。ただし乾燥 かんそう した地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん では、古 ふる くから森林 しんりん の発達 はったつ は限定 げんてい 的 てき であった[52] 。東 ひがし ヨーロッパでは北部 ほくぶ こそ針葉樹 しんようじゅ 林 りん が広 ひろ がっていたが、東 ひがし 南部 なんぶ は乾燥 かんそう したステップ地帯 ちたい が広 ひろ がり木々 きぎ の生長 せいちょう はあまり見込 みこ めなかった。黒海 こっかい 沿岸 えんがん は肥沃 ひよく な黒土 こくど 域 いき であり、古代 こだい から豊 ゆた かな穀物 こくもつ 収穫 しゅうかく があげられていた[53] 。
これらに変化 へんか が見 み られたのは12世紀 せいき 後半 こうはん 以降 いこう 、盛 さか んに広 ひろ まった羊 ひつじ の放牧 ほうぼく による森林 しんりん 伐採 ばっさい と牧草 ぼくそう 地 ち 化 か である[52] 。イギリスおよびイベリア半島 はんとう で盛 さか んになった季 き 節 ぶし 的 てき 移動 いどう 牧畜 ぼくちく 、そして11-13世紀 せいき 頃 ごろ に人口 じんこう が急激 きゅうげき に増 ふ えた影響 えいきょう から開墾 かいこん や住居 じゅうきょ 地 ち 化 か が広 ひろ がった。樹木 じゅもく の種類 しゅるい にも人間 にんげん の活動 かつどう による選別 せんべつ が加 くわ わり、ドングリ など家畜 かちく 飼料 しりょう に使 つか える種実 たねざね 類 るい をもたらすナラ・ブナ・クリ類 るい は木材 もくざい 用 よう としても珍重 ちんちょう されたが、これらに適 てき さないマツは多 おお くが伐採 ばっさい され、南欧 なんおう のステップ化 か を促進 そくしん した[57] 。現在 げんざい ヨーロッパで多 おお く見 み られるプラタナス やポプラ などは、近年 きんねん になって人間 にんげん が植 うえ 栽したものである[57] 。
ヨーロッパの現在 げんざい の政治 せいじ は、当該 とうがい 大陸 たいりく 内 ない における歴史 れきし 的 てき な事案 じあん にまで遡 さかのぼ ることが出来 でき る面 めん が強 つよ い。同様 どうよう に、当該 とうがい 大陸 たいりく 内 ない の地理 ちり や経済 けいざい 、各国 かっこく の文化 ぶんか も現在 げんざい のヨーロッパの政治 せいじ 構成 こうせい に貢献 こうけん している点 てん が見受 みう けられる[58] 。
ヨーロッパおよび周辺 しゅうへん 諸国 しょこく の一人 ひとり あたり名目 めいもく GDP (nominal)。2006年 ねん 。
大陸 たいりく という単位 たんい で見 み れば、ヨーロッパの経済 けいざい 規模 きぼ は最 もっと も大 おお きく、2008年 ねん の資産 しさん データでは32.7兆 ちょう ドルと、北 きた アメリカの27.1兆 ちょう ドルを上回 うわまわ る[59] 。2009年 ねん においてもヨーロッパは、経済 けいざい 危機 きき 前 まえ の水準 すいじゅん を上回 うわまわ る総 そう 資産 しさん 総額 そうがく 37.1兆 ちょう ドルという世界 せかい 全 ぜん 資産 しさん の1/3を確保 かくほ し、最 もっと も豊 ゆた かな地域 ちいき であり続 つづ けた[60] 。
27か国 こく で構成 こうせい される欧州 おうしゅう 連合 れんごう のうち16か国 こく が共通 きょうつう 通貨 つうか であるユーロ に移行 いこう し、世界一 せかいいち の単一 たんいつ 経済 けいざい 統合 とうごう 地域 ちいき を創設 そうせつ した。国 くに 別 べつ GDP (PPP) 比較 ひかく では、世界 せかい の上位 じょうい 10か国 こく 中 ちゅう 5か国 こく がヨーロッパ諸国 しょこく で占 し められた。『ザ・ワールド・ファクトブック 』によると、ドイツが5位 い 、イギリスが6位 い 、ロシアが7位 い 、フランスが8位 い 、イタリアが10位 い にランクインした[61] 。
ヨーロッパ内部 ないぶ では、一人 ひとり あたりの国民 こくみん 所得 しょとく に大 おお きなばらつきがある。最 もっと も高 たか いモナコは172,676USドル(2009年 ねん )、最 もっと も低 ひく いモルドバは1,631USドルに過 す ぎない[62] 。
ヨーロッパの言語 げんご 地図 ちず
ヨーロッパの言語 げんご はほとんどがインドヨーロッパ語族 ごぞく に属 ぞく すが、一部 いちぶ はウラル語族 ごぞく やカフカス諸語 しょご に属 ぞく し、バスク語 ご は孤立 こりつ した言語 げんご である。
住民 じゅうみん の遺伝子 いでんし [ 編集 へんしゅう ]
ヨーロッパ人 じん はコーカソイド に属 ぞく す。Y染色 せんしょく 体 たい ハプログループ は、西 にし ヨーロッパを中心 ちゅうしん にハプログループR1b (Y染色 せんしょく 体 たい ) が最 もっと も高 こう 頻度 ひんど にみられるほか、バルカン半島 ばるかんはんとう と北欧 ほくおう でハプログループI (Y染色 せんしょく 体 たい ) 、東欧 とうおう でハプログループR1a (Y染色 せんしょく 体 たい ) 、北西 ほくせい ヨーロッパでハプログループN (Y染色 せんしょく 体 たい ) 、南 みなみ ヨーロッパでハプログループE1b1b (Y染色 せんしょく 体 たい ) が高 こう 頻度 ひんど に見 み られる。
ドイツ、サンセバスチャンのラムサウの教会 きょうかい (英語 えいご 版 ばん ) 。
歴史 れきし 的 てき に、ヨーロッパの宗教 しゅうきょう は西洋 せいよう 美術 びじゅつ 史 し 、文化 ぶんか 、西洋 せいよう 哲学 てつがく 、EU法 ほう などに影響 えいきょう を及 およ ぼした。ヨーロッパ主要 しゅよう の宗教 しゅうきょう は、カトリック 、正教会 せいきょうかい 、プロテスタント の3様式 ようしき に分 わ かれたキリスト教 きりすときょう である。これに続 つづ き、東南 とうなん ヨーロッパ(ボスニア・ヘルツェゴビナ、アルバニア、コソボ、カザフスタン、北 きた キプロス・トルコ共和 きょうわ 国 こく 、トルコ、アゼルバイジャン)で主 おも に信仰 しんこう されるイスラム教 いすらむきょう がある。その他 た 、ユダヤ教 きょう 、ヒンドゥー教 きょう 、仏教 ぶっきょう などがあり、ロシアのカルムイク共和 きょうわ 国 こく ではチベット系 けい 仏教 ぶっきょう が主流 しゅりゅう である。一方 いっぽう で、ヨーロッパは比較的 ひかくてき 世俗 せぞく 的 てき 風潮 ふうちょう が強 つよ いところでもあり、無 む 宗教 しゅうきょう や不可知論 ふかちろん 、無 む 神 かみ 論 ろん を標榜 ひょうぼう する人々 ひとびと も西 にし ヨーロッパを中心 ちゅうしん に増加 ぞうか 傾向 けいこう にあり、実際 じっさい にチェコ、エストニア、スウェーデン、ドイツ(特 とく に旧 きゅう 東 ひがし ドイツ)、フランスなどで無 む 宗教 しゅうきょう を表明 ひょうめい している人 ひと の割合 わりあい が高 たか い[63] 。
欧州 おうしゅう 安全 あんぜん 保障 ほしょう 協力 きょうりょく 機構 きこう (OSCE)
欧州 おうしゅう 連合 れんごう と独立 どくりつ 国家 こっか 共同 きょうどう 体 たい
11世紀 せいき 以降 いこう 、ヨーロッパは各 かく 都市 とし 間 あいだ および農村 のうそん との間 あいだ を繋 つな ぐ交通 こうつう 網 もう と経済 けいざい 交流 こうりゅう が盛 さか んに行 おこな われ、日 にち 用品 ようひん や生活 せいかつ 必需 ひつじゅ 品 ひん までもの需要 じゅよう 供給 きょうきゅう 関係 かんけい が確立 かくりつ していた。そして共通 きょうつう のラテン語 らてんご を基盤 きばん とする普遍 ふへん 的 てき 文化 ぶんか に覆 おお われていた。この統一 とういつ 的 てき な状態 じょうたい を破壊 はかい したものが、近代 きんだい 的 てき な国民 こくみん 国家 こっか の成立 せいりつ と言 い える。それぞれの国 くに が個別 こべつ の言語 げんご や法律 ほうりつ などを以って政治 せいじ 的 てき 支配 しはい を施 ほどこ し、内政 ないせい 的 てき には都市 とし と農村 のうそん の対立 たいりつ 、外交 がいこう 的 てき には分断 ぶんだん された主義 しゅぎ を原因 げんいん とする争 あらそ いが激化 げきか し、ヨーロッパの近代 きんだい を「戦争 せんそう の世紀 せいき 」に陥 おちい らせた[64] 。
欧州統合 おうしゅうとうごう は通貨 つうか ・経済 けいざい から、最終 さいしゅう 的 てき には政治 せいじ 統合 とうごう までを目指 めざ す活動 かつどう であり、それは国民 こくみん 国家 こっか 樹立 じゅりつ 以前 いぜん の普遍 ふへん 的 てき なヨーロッパを現代 げんだい に復活 ふっかつ させようという動 うご きでもある。そして現代 げんだい 的 てき 視点 してん からすれば、欧州統合 おうしゅうとうごう は地方 ちほう 主義 しゅぎ そして国民 こくみん 国家 こっか の緩 ゆる やかな否定 ひてい でもある。アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく と比肩 ひけん する政治 せいじ ・経済 けいざい 共同 きょうどう 体 たい として国際 こくさい 的 てき な立場 たちば を強化 きょうか するという点 てん もさる事 こと ながら、思考 しこう 的 てき にも近代 きんだい 的 てき な政治 せいじ 区画 くかく 観念 かんねん から脱却 だっきゃく し、大陸 たいりく 主義 しゅぎ に立脚 りっきゃく したものへの転換 てんかん を迫 せま る意義 いぎ を持 も つ[64] 。
ヨーロッパにおける文化 ぶんか は多様 たよう で、数々 かずかず の伝統 でんとう をはじめ、料理 りょうり や文学 ぶんがく 、哲学 てつがく 、音楽 おんがく 、美術 びじゅつ や建築 けんちく 、映画 えいが に根 ね ざしている面 めん が多 おお い。また、その範疇 はんちゅう はこれらの枠 わく のみに止 と まらず経済 けいざい へも深 ふか い影響 えいきょう を及 およ ぼしていて、上述 じょうじゅつ の共同 きょうどう 体 たい の設立 せつりつ にも関連 かんれん 性 せい を持 も ち合 あ わせている。
被服 ひふく ・服飾 ふくしょく [ 編集 へんしゅう ]
ヨーロッパのスポーツの特徴 とくちょう は高度 こうど に組織 そしき 化 か されていて多 おお くの競技 きょうぎ がプロフェッショナルリーグを持 も っているというところだ。今日 きょう 世界 せかい 的 てき に知 し られるスポーツの多 おお くはヨーロッパ(特 とく にイギリス)の伝統 でんとう 的 てき なスポーツに起源 きげん があり、これらが近代 きんだい に整備 せいび されて誕生 たんじょう したものでありその伝統 でんとう 的 てき なスポーツはヨーロッパで盛 さか んだ。
^ 日本語 にほんご の「ヨーロッパ」の直接 ちょくせつ の原語 げんご は、『広辞苑 こうじえん 』第 だい 5版 はん 「ヨーロッパ」によるとポルトガル語 ご ・オランダ語 ご 、『デジタル大辞泉 だいじせん 』goo辞書 じしょ 版 はん 「ヨーロッパ 」によるとポルトガル語 ご 。
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^ ギリシア語 ご ラテン翻 こぼし 字 じ : ōps
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^ ギリシア語 ご ラテン翻 こぼし 字 じ : opt
^ アッカド語 ご ラテン翻 こぼし 字 じ
^ フェニキア語 ご ラテン翻 こぼし 字 じ
^ アラビア語 ご ラテン翻 こぼし 字 じ
^ ヘブライ語 ご ラテン翻 こぼし 字 じ
^ 現代 げんだい の日本 にっぽん ではここに記載 きさい した表記 ひょうき をそのまま使用 しよう することはほとんどないが、強調 きょうちょう で示 しめ した漢字 かんじ 一 いち 字 じ を略称 りゃくしょう として使用 しよう する場合 ばあい がある。以下 いか の場合 ばあい には一般 いっぱん 的 てき である。
^ ペルシア の漢字 かんじ 表記 ひょうき は「波 なみ 斯」であり、略称 りゃくしょう は同 おな じ「波 なみ 」となる。ペルシアは国名 こくめい としてはイラン の古名 こみょう だが、ペルシア語 ご など、現在 げんざい でも「ペルシア」の語 かたり を用 もち いる名称 めいしょう が存在 そんざい する。
^ 国名 こくめい の由来 ゆらい でもあるローマ の漢字 かんじ 表記 ひょうき は「羅 ら 馬 うま 」、またラテンの漢字 かんじ 表記 ひょうき は「羅 ら 甸」であり、略称 りゃくしょう は同 おな じ「羅 ら 」となる。特 とく に、言語 げんご の略称 りゃくしょう としては「羅 ら 」は通常 つうじょう ルーマニア語 ご ではなく、ラテン語 らてんご を意味 いみ する。
^ a b 通常 つうじょう 、スイスとスウェーデンの略称 りゃくしょう としてはともに「瑞 みず 」を使用 しよう する。ただし、重複 じゅうふく を避 さ け、スウェーデンの略称 りゃくしょう として「典 てん 」を使用 しよう する場合 ばあい もある。
^ 正式 せいしき 名称 めいしょう は「グレートブリテンおよび北 きた アイルランド連合 れんごう 王国 おうこく 」
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