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よくある質問 – デモクラティックスクールまんじぇ
FAQ
よくある質問しつもん

 まず、「やりたいこと」がすべてのもとだとおもいます。やりたいことを追求ついきゅうするうちにおおくのことをまなんでいきます。

 たとえばお菓子かしづくりやカードゲームから文字もじ計算けいさんおぼえたりします。ひとがやっている様子ようすてミーティングの書記しょき興味きょうみち、実際じっさいにやってみることでひとひとつの平仮名ひらがなからおぼえていったひともいます。そしてそれらはどれもやりたいとおもったことをするために必要ひつようなことなので「なにのためにこんなことをおぼえなきゃいけないんだ?」などという疑問ぎもんつこともなく、ごく自然しぜんにつけていきます。当然とうぜんのことながら、そのなかには面倒めんどうなこともありえますが、「やりたいこと」という目的もくてきがあればこそ、ちょっと大変たいへんなこともえていくのでしょう。
 つまり、やりたいことを達成たっせいするための過程かていには、「そのひとつだけをしたとしたらきっとやりたくないこと」がはいっていることがおおいのです。 ただ、そのさきおおきな「やりたいこと」があるために「やりたくないこと」だと認識にんしきされないだけだとおもいます。 もし、そういう目的もくてきもなく、100%やりたくないことなのだとしたら、それはむしろやらないほうがいいのではないでしょうか?100%やりたくないことはきっぱり拒否きょひできることも大切たいせつだとかんがえます。

 この疑問ぎもんはおそらく、社会しゃかいというものが理不尽りふじんで、ひとりひとりのこえ大切たいせつにせず、えたいとおもってもなかなかわらない、大変たいへんなことがおおい、そうかんがえているからこその疑問ぎもんではないでしょうか。
 そういった社会しゃかい存在そんざいしていること、そこにまんじぇの環境かんきょうとのギャップがあることは否定ひていはしません。ただしそんななかであるなら、どんな環境かんきょうそだったひとであってもどこかでかべにはぶつかるのではないでしょうか。問題もんだいかべにぶつかることではなく、そこからどうするか、ということだとおもいます。
 まんじぇでは、そこにあつまったひとたちで、ひとつのコミュニティーをつくっていきます。いろんなひとがいるなかでひとつのことをめようとおもうと、かんがえがぶつかることもあります。そんなときには、自分じぶん意見いけんをはっきりべたり、ときには妥協だきょうしたりしながら根気こんきつよはなっていきます。 うまくいかないことがあったときに、ではその環境かんきょう、その状況じょうきょうをどうえていこうか、どういう共通きょうつう了解りょうかいをつくっていこうかとかんがえられることが大切たいせつなのです。 ギャップをかんじて、適応てきおうしなければならない、とになると大変たいへんかもしれませんが、そこからどうするか?ということをかんがえられるならば、ギャップというものはわるいものではないとかんがえます。

 学習がくしゅう指導しどう要領ようりょうにあるような「教科きょうか」はどのようにつくられたのでしょうか?社会しゃかいたときに必要ひつようだとおもわれる知識ちしき系統的けいとうてき分類ぶんるいしたのではないかとおもいます。大勢おおぜい一斉いっせい授業じゅぎょうという形態けいたいおしえるため、そして効率こうりつ重視じゅうしすると、ベストな方法ほうほうなのかもしれませんが、本来ほんらいまなびとは、もっと包括ほうかつてきなものだとおもいます。
 たとえばお料理りょうりをするには、レシピをむなら国語こくごちから必要ひつようですし、材料ざいりょうしゅんなどをかんがえると理科りか社会しゃかい知識ちしきかかわっているでしょうし、かためたりするのにも理科りか知識ちしき関係かんけいしているかもしれません。うつくしくけるときには美術びじゅつてきセンスももとめられます。それらの要素ようそがつながりうことで、よりまなびがふかまるだけでなく、そこには教科きょうか」に分類ぶんるいできないような数々かずかずまなふくまれます。
 まんじぇのどもたちが「国語こくご」「算数さんすう」のような教科きょうか学習がくしゅうをすることは滅多めったにありませんが、教科きょうかわくとらわれないまなびを日常にちじょうてきしています。また、こうした生徒せいと自主じしゅせいまかせた学習がくしゅう一番いちばんのメリットは本来ほんらいだれもがまれながらにっている知的ちてき好奇心こうきしんそこなわないことだとおもいます。強制きょうせいされるとそれはえていってしまいますが、本当ほんとうあたらしい知識ちしきることはだれにとってもよろこのはずです。この好奇心こうきしんうしなわず、まなびたいという気持きもちからまなぶときには、ものすごい吸収きゅうしゅうりょくひとまなんでいきます。 (まんじぇには最初さいしょから用意よういされた授業じゅぎょうはないですが、生徒せいとからもとめられれば、スタッフはおしえたり、だれおしえられるひとさがしたりということももちろんできます。)

 まんじぇではミーティングにるもないも自由じゆうです。ずにミーティングの時間じかん自分じぶんのしたいことについやすということができます。
 ひとそれぞれなので、年齢ねんれい区切くぎるということは適切てきせつではないですが、年齢ねんれいひくひとはミーティングで学校がっこう運営うんえいのことをかんがえるより、自分じぶんいましたいことに集中しゅうちゅうしているひとほうおお傾向けいこうはあるかもしれません。ですが、そんなふうに自分じぶん自由じゆう尊重そんちょうされる経験けいけん十分じゅうぶんにすることで、他者たしゃ自由じゆう尊重そんちょうするということをかんがえていくのではないかとおもいます。
 また、ミーティングはおおきな特徴とくちょうではありますが、ミーティング=自治じちということではありません。ルールをまもって活動かつどうすること、かかり掃除そうじなどの役割やくわりになうこと、みんなであそなかはなうこと、それらもすべて自治じちだとえます。

 文部もんぶ科学かがくしょうの「どもの学習がくしゅう調査ちょうさ」によると、日本にっぽんどもたちの教育きょういく平均へいきんは、幼稚園ようちえんから高校こうこう年生ねんせいまでの15年間ねんかん、すべて私立しりつとおった場合ばあい総額そうがくやく1677まんえん、すべて公立こうりつ場合ばあいやく500まんえん(H24ねん調査ちょうさ)となっています。これには学年がくねんがるにれてがっていく、じゅくなどの「補助ほじょ学習がくしゅう」がふくまれます。
 まんじぇに5さいから最長さいちょうで13年間ねんかんとおった場合ばあい476まんえん。そして、まんじぇにているじゅくかよは、ほぼゼロです。 それでも、進学しんがくしていくはしていきます。そういうは、もともとあたまのいいだから?…いいえ、ちがいます。進学しんがくする目的もくてき、やりたい理由りゆうがはっきりしているからです。
 それをつけるために、まんじぇでごす時間じかん大半たいはんがあるともえます。 自分じぶんがやりたいとおもったことのためなら、おやだれかに叱咤しった激励げきれいされる必要ひつようもないし、その勉強べんきょうもマイペースでできるので、一斉いっせい授業じゅぎょうのペースにわせるために、補習ほしゅうける必要ひつようもないのです。せいぜい教材きょうざいとしてプラスすうまんえん程度ていどです。

  現時点げんじてんでは、まんじぇは法的ほうてきには無認可むにんか学校がっこうのため、小・中学校しょうちゅうがっこうのあいだは学籍がくせき地元じもと公立こうりつこうくことになり、進級しんきゅう卒業そつぎょうかく学校がっこう校長こうちょう裁量さいりょうになります。 現状げんじょうでは、基本きほんてき公立こうりつこうに1にち出席しゅっせきしなくても卒業そつぎょうみとめられているため、小学校しょうがっこう中学校ちゅうがっこうはその学校がっこう地元じもと公立こうりつこう)を卒業そつぎょうという学歴がくれきになります。
 また、教育きょういく機会きかい確保かくほほう制定せいていにより、まんじぇの出席しゅっせきがそのまま在籍ざいせきする公立こうりつこう出席しゅっせきみとめられるケースがほとんどになっています。 もし大学だいがくきたいということになれば、高卒こうそつ認定にんてい試験しけんけることで、受験じゅけん資格しかくることができます。

 まんじぇのもと生徒せいと進路しんろはさまざまです。 まだまだまんじぇでそだったひとははすうすくないのではっきりえないところもありますが、仲間なかまのデモクラティックスクールでそだったひとふくめると、どちらかというと専門せんもんしょくけいはたらいているひとおお傾向けいこうにあります。 とはいえ、有名ゆうめい大学だいがく進学しんがくしたとか、起業きぎょうしたなどという進路しんろ特別とくべつせいではなく、そのひとしあわせにきているか、自分じぶん人生じんせい自己じこ決定けっていできているかというところが大切たいせつだとかんがえています。(有名ゆうめい大学だいがくって有名ゆうめいだい企業きぎょう入社にゅうしゃしてもしあわせではないひとはたくさんいるはずです。)