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中津川フォークジャンボリーが40年ぶりに復活 フェスバブルと言われる21世紀に、どんな輝きを放ったのか - サカエ経済新聞
特集とくしゅう

中津川なかつがわフォークジャンボリーが40ねんぶりに復活ふっかつ
フェスバブルとわれる21世紀せいきに、どんなかがやきをはなったのか

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会場かいじょう開墾かいこんからはじまったイベントは、いつしか社会しゃかい現象げんしょうに。

 だいかい全日本ぜんにほんフォークジャンボリーは1969ねん8がつ9にち土曜日どようび岐阜ぎふけん恵那えなぐん坂下さかしたまち(現在げんざい中津川なかつがわ)にあるもみじみずうみ湖畔こはんにて開催かいさいされた。60年代ねんだい開催かいさいされた世界せかいてき音楽おんがくイベントとしては、アメリカのニューヨーク郊外こうがい開催かいさいされたウッドストック・フェスティバルが著名ちょめいだが、だいかい全日本ぜんにほんフォークジャンボリーが開催かいさいされたのは、そのちょうどいち週間しゅうかんまえであった。

 イベントを企画きかくしたのは、中津川なかつがわ労音ろうおん事務じむ局長きょくちょうだった笠木かさぎとおるさんや事務じむきょく次長じちょう安保あんぽようしょうさんなど。かれらは中津川なかつがわにフォークシンガーをたびたび招聘しょうへいしていたというが、そのなかで自然しぜんいてきたのが、野外やがいでのフォークコンサート開催かいさいというアイデアだったという。企画きかく演出えんしゅつ運営うんえい自分じぶんたちでおこなうだけでなく、初年度しょねんど会場かいじょう開墾かいこんすることからスタート、まさに手作てづくりのイベントだった。いまでこそ個人こじんイベンターによる野外やがい音楽おんがくイベントはめずらしくないが、当時とうじ、こうしたもよおしは大手おおて興行こうぎょう会社かいしゃ運営うんえいするのが通例つうれいだった。60年代ねんだい音楽おんがくシーンのなかで、このイベントが異彩いさいはなっていたことは想像そうぞうかたくない。いつつのあか風船ふうせん遠藤えんどう賢司けんじ岡林おかばやし信康のぶやす高田たかだわたるなどが出演しゅつえんした初年度しょねんどやく2,500にん動員どういんかいやく8せんにん最後さいご開催かいさいとなった3かいは、なんと2まんにんえる動員どういん記録きろくするまでにいたった。

 これほど若者わかもの支持しじ背景はいけいとしては、みずからの企画きかく運営うんえいまでおこなうイベント方針ほうしんがその要因よういんげられることがおおい。たしかに当時とうじ、こうした文化ぶんか活動かつどうはイデオロギーを重視じゅうししてられる傾向けいこうにあり、確固かっことしたイベント趣旨しゅしつこのフォークジャンボリーは、若者わかもの好意こういてきめられたのだろう。いまでもそのがりは、当時とうじ世相せそうあらわ社会しゃかい現象げんしょうとしてよくげられている。また岡林おかばやし信康のぶやす遠藤えんどう賢司けんじ吉田よしだ拓郎たくろうらが名演めいえんひろげ、はっぴいえんどやはちみつぱいなど、現在げんざいのシーンでもカリスマてき存在そんざいおお出演しゅつえん音楽おんがくめん世相せそうめん双方そうほうで、なか伝説でんせつした音楽おんがくイベントとしていまではひろられている。

公演こうえん途中とちゅう中止ちゅうしとなった最後さいごだい3かい

 しかしそうしたイデオロギー重視じゅうし側面そくめんが、だい3かいでは最悪さいあくのカタチであらわれてしまう。ちいさな会場かいじょうにそのキャパシティを上回うわまわ観衆かんしゅうけたこと。悪天候あくてんこうだったこと。様々さまざま要素ようそかさなり観衆かんしゅう不満ふまん爆発ばくはつ。アーティストの出演しゅつえんじゅんやステージけをめぐり、観衆かんしゅう一部いちぶがステージを占領せんりょう主催しゅさいしゃ討論とうろんする事態じたいとなってしまった。

 21世紀せいきいまとなっては、出演しゅつえんじゅんやステージけにすこしの不満ふまんかんじたとしても、それを公演こうえん途中とちゅう観衆かんしゅうう、という想像そうぞうしにくい。大人おとなになった、ファンもふくめたシーンが成熟せいじゅくしたともえるし、当時とうじのシーンにはいまわかさ、あおさがあったといういいかたもできるかもれない。

 とにもかくにもだい3かいはステージが観衆かんしゅう占拠せんきょされ、当然とうぜん、イベントの続行ぞっこう不可能ふかのうになった。このとしは3日間にちかんにわたり開催かいさいされる予定よていだったが、2にちのこの事態じたいもありイベントは中止ちゅうし。それ以来いらい、フォークジャンボリーがこの開催かいさいされることはかった。40ねんというときいまだからこそ冷静れいせいおもえることではあるが、アーティスト、運営うんえいサイド、オーディエンスの関係かんけいせいかんがえさせられる、非常ひじょう興味深きょうみぶか現象げんしょうであったとえる。

 ちなみに当時とうじは、フォークコンサートの途中とちゅうでこうした討論とうろんかい突入とつにゅうすることが、すくなからずあったという。時代じだいちがい、とうしかい。しかし全日本ぜんにほんフォークジャンボリーの場合ばあい、「よくあること」とつぎとし何事なにごともなかったかのように開催かいさいするには、あまりに規模きぼおおきく、そして影響えいきょうりょくおおきいイベントだったのだろう。フォークファンゆめ音楽おんがくイベントは、3ねん終焉しゅうえんすることとなった。

 そして、このイベントならではの後日ごじつだんがある。日本にっぽんのフォークはそののニューミュージックとのかかわりがふかく、現在げんざい音楽おんがくシーンのルーツをたどると、当時とうじのフォークシーンにたどりくことがおおい。これは団塊だんかい世代せだいばれる人々ひとびとおおくに共通きょうつうすることだが、いわば当時とうじはん体制たいせい”をかかげていたひとおおくが、いま体制たいせいがわにいることになる。しかし全日本ぜんにほんフォークジャンボリーを企画きかくした人々ひとびとは、東京とうきょうることもく、そのおなじように中津川なかつがわつづけたメンバーがおおかった。そしてじつはこれが、40ねんぶりにおなでフォークジャンボリーが復活ふっかつする布石ふせきにもなったのである。

もみじみずうみフォークジャンボリーとえての復活ふっかつ

 40ねんぶりにフォークジャンボリーが復活ふっかつするにあたり、ぼく開催かいさい間近まぢかの7がつ上旬じょうじゅん会場かいじょうであるもみじみずうみのほとりにいちあしはこんだ。写真しゃしん映像えいぞうでかつての風景ふうけいにしたことはあったが、実際じっさいあしはこんだのはこれがはじめてだ。そこは、みどりあふれるとてものんびりした場所ばしょだった。

 フォークジャンボリーが開催かいさいされた40ねんまえはまだ開墾かいこん直後ちょくごであり、完全かんぜん露出ろしゅつした地肌じはだうえ観衆かんしゅうすわんでいた。けずられたおかにも若者わかものめかけており、その頂上ちょうじょうには政治せいじてきなメッセージがかれたのぼりならべられていた。それはおおげさにえば、戦場せんじょうすら連想れんそうさせる風景ふうけいおもえた。現在げんざい会場かいじょう芝生しばふおおわれ、のぼりならんでいたおかにもおおくの木々きぎえている。とてもおだやかな風景ふうけいで、そのギャップは40ねんという月日つきひ実感じっかんさせてくれるのに充分じゅうぶんなものだった。

 当時とうじ仮設かせつのメインステージがつくられたまったおな場所ばしょに、10ねんほどまえ常設じょうせつ野外やがいステージがつくられた。今回こんかいのメインステージがここになる。おくにはちいさな広場ひろばがあり、そこにサブステージが設置せっちされた。あの吉田よしだ拓郎たくろうが1971ねんに「人間にんげんなんて」をうたった伝説でんせつのサブステージも、おなじエリアに設置せっちされていたという。なぎら健壱けんいちはこのイベントに参加さんかし、それがデビューのきっかけになったという有名ゆうめいなエピソードがあるが、今回こんかいもサブステージではアマチュアのフォークシンガーを募集ぼしゅうした。

「こういう時代じだいだから、もういちかいやってもいいんじゃないかとおもえた」

 会場かいじょうめぐりはほどほどに、主催しゅさいしゃにおはなしをうかがうことにした。今回こんかい対応たいおうしていただいたのは、実行じっこう委員いいんかいのメンバーであり、現在げんざいもみじみずうみオートキャンプじょう事務じむ局長きょくちょうつとめている古井ふるいみのるさん。古井ふるいさんはこのフォークジャンボリーを、社会しゃかいじんになったばかりの多感たかん時期じき体験たいけんした。それも客席きゃくせきがわからである。

 当時とうじ回想かいそうし、まずこうかたってくれた。「音楽おんがくイベントでもあり、ひとつの運動うんどうでもあった。当時とうじ自分じぶんたちにも無限むげん可能かのうせいがあったわけじゃない?それこそ我々われわれはバナナ一本いっぽん貴重きちょう時代じだいっていたわけだから、なか全体ぜんたいまえいていた」。そして古井ふるいさんはその現在げんざいについてこうくわえた。「いまはすべてがあった時代じだいから、くなっていく時代じだい」と。

 一番いちばんになっているてん、そんな時代じだいにもう一度いちどフォークジャンボリーを開催かいさいしようとかんがえた理由りゆうたずねてみた。「たしかにこういう時代じだいになって、経済けいざい人間にんげん元気げんきがない。でも、だからこそ40ねんたって、もういちかいやってもいいんじゃないかとおもえたんです。当時とうじなんでそんなにたのしかったのかとおもえるぐらいたのしかった。60~70年代ねんだいわかかりしころをもういちという気持きもちと同時どうじに、それをわか世代せだいつたえたいおもいもあるんですよ」。

 現在げんざい当時とうじのフォークシンガーたちによるイベントはけっしてすくなくない。偏見へんけんという意見いけんがあることを承知しょうちであえてうなら、このきょうのなか、とてもめぐまれた環境かんきょうにいるようにおもえる観客かんきゃくたちが「わかころおもせてたのしかった」と無邪気むじゃきたのしむ姿すがたに、すくなからず違和感いわかんおぼえることはたしかだ。くもわるくもあれほどイデオロギー先行せんこうで、娯楽ごらくでは片付かたづけられない存在そんざいだったもののはずが、週末しゅうまつの2あいだ手軽てがる感動かんどうするための娯楽ごらく映画えいがわらない位置付いちづけになっているようにかんじるのだ。

 しかしこのフォークジャンボリーを運営うんえいするひとたちからは、そうした雰囲気ふんいきまったかんじなかった。ぜひブログをていただきたいのだが、自分じぶんたちで会場かいじょう整備せいびし、自分じぶんたちでかざけをつくり、自分じぶんたちでTてぃーシャツをつくり、もちろん自分じぶんたちでアーティストをブッキングする。ようするに当時とうじわらないコンセプトでイベントをつくげていて、した世代せだいせたいという意思いしもある。そして面白おもしろいことにその手作てづくりな企画きかく趣旨しゅしは、近年きんねんえている全国ぜんこく各地かくち有志ゆうしたちによる音楽おんがくイベントのコンセプトとあまりわらないことでもあるのだ。時代じだい世代せだいも40ねんへだたりがありながら、嗜好しこうする音楽おんがくイベントのベクトルにそれほどちがいがいのは興味深きょうみぶかいし、音楽おんがくながれがいちまわりしたともえるかもれない。個人こじんてきにはこのきだけも、ジャンボリーがさい開催かいさいした意味いみがあるのではいかとおもう。

写真しゃしん当時とうじについてかた古井ふるいさん。マスコミの取材しゅざい依頼いらいおおさにおどろいているという)

「’09 もみじみずうみ FOLK JAMBOREE 」公式こうしきブログ

「40ねんたってなつかしいじゃ駄目だめ。それをどうつなげていくのか」

 運営うんえいコンセプトはおなじでありながら時代じだいちがう。60年代ねんだいはまだ野外やがい音楽おんがくイベントがすくなかった時代じだいだが、いま大手おおて野外やがいフェスティバルが乱立らんりつする時代じだいだ。先述せんじゅつしたように、全国ぜんこく各地かくち有志ゆうしたちによる手作てづくりイベントもおおい。それら現在げんざい音楽おんがくフェスは、ぎゃくかれらにはどううつっているのだろうか。

 「フジロックとか、すごくファッショナブルでいいよね。ているふくもみんなオシャレだし、テントも本当ほんとう色々いろいろなものがあるしね。いいよねぇ。当時とうじはアウトドアというか…本当ほんとうにおかねかっただけだから(笑)かっこわらい。みんな会場かいじょうでそのまま寝袋ねぶくろたし、えき寝袋ねぶくろでいっぱいだしもうぐちゃぐちゃだった(笑)かっこわらい。でもなんとなくだけど、ぼくは20だいたちのほうがちゃんとはなしができるがする。感覚かんかくてきう。たとえばベンツにりたいとか、そういうブランドてき発想はっそうがあまりいじゃない?アウトドアに興味きょうみがあるおおいし。じつ今回こんかいわかいスタッフもけっこういるんですよ。イベントにたいしての見方みかたちがうから、だからいろんな意見いけんがあったんです。いまわかいフォークシンガーもいっぱいいるし、そういうひとそうとか。今回こんかい出演しゅつえんしゃ当時とうじひとおおいんですが、このさきつづいていくことができるなら、そうやって変化へんかしていくのもいいとおもいますね」。

 さい開催かいさいというだけでもひとつのニュースだが、かれらがすでにそのさきていることにはおどろかされた。「40ねんたってなつかしいじゃ駄目だめですよ。それをどうつなげていくのか、それがあたらしいムーブメントにもなっていくし。正直しょうじきわかひとたちの音楽おんがくいて、ついていけなかったり、たしてこれはどうなのか、とおもうこともある。でも当時とうじもそうだったけど、おじさんたちにはからないものなんだよね(笑)かっこわらい。だからそれが時代じだいならいいとおもう。ぼくらもそうして時代じだいつくってきたわけだし」。

 もちろんこのさい開催かいさいさいして否定ひていてき意見いけんもある。こん開催かいさいしても当時とうじさはい、ただの同窓会どうそうかいになる、ぎゃくにただの同窓会どうそうかいでいい、など。しかし、とてもほがらかにかた古井ふるいさんは、そんな賛否さんぴ両論りょうろんすらもたのしんでいるようにえた。ちなみに古井ふるいさんは、わがゆめ土下座どげざとして当日とうじつのステージにもった。まだまだ元気げんきである。

写真しゃしん=イベントTてぃーシャツもすべて手作てづくり。毎日まいにちすこしずつプリントしていた)

当日とうじつはあいにくのあめ。でも’69ねんあめだった

 むかえた2009ねん8がつ1にち、このあさからあめだった。今年ことしはご存知ぞんじのように梅雨つゆけがおくれたため、行楽こうらく、フェスシーズンと完全かんぜんにかぶってしまった。じついち週間しゅうかんまえのフジロックフェスティバルで散々さんざんたれたこともあり、当日とうじつ少々しょうしょう憂鬱ゆううつ気分きぶん会場かいじょうかった。そしてフェスれしている若者わかものならまだしも、年齢ねんれいそうたかさが予想よそうされるこのイベントが中止ちゅうしにならないのか、おきゃくさんのあめ対策たいさく大丈夫だいじょうぶだろうか、などの懸念けねんもあった。

 しかし会場かいじょうくと、完全かんぜん杞憂きゆうであることに気付きづく。会場かいじょうひるからかなりの土砂降どしゃぶりだったが、開催かいさい中止ちゅうしになる気配けはいまったし。おきゃくさんもしっかりとした雨具あまぐけているほうおおかった。のちほどいたのだが、’69ねんだい1かい開催かいさい大変たいへんあめだったという。かんがえればこのフォークジャンボリーは、現在げんざい乱立らんりつするなつフェスの40ねん先輩せんぱいなのだ。ぼくのような若造わかぞう心配しんぱいなど完全かんぜんなお門違かどちがいだった。

 会場かいじょうスタッフのあめ対策たいさくはやい。雨宿あまやどりできる場所ばしょりていなければ、付近ふきんたけたててすぐさま屋根やねつくる。みちがぬかるんで歩行ほこう困難こんなんになれば、木材もくざい歩行ほこうよう通路つうろつくる。正直しょうじき現在げんざいのフェスにはられにくい対処たいしょはやさに感心かんしんしてしまった。公演こうえん自体じたいあめ影響えいきょうまったかんじさせず、スムーズにすすんでいく。おどろいたのは、わかそうのおきゃくさんが意外いがいおおかったことだ。ちなみにこのは、邦楽ほうがくフェスでは日本にっぽん最大さいだい規模きぼの「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」と同日どうじつ出演しゅつえんしゃ親類しんるいか、もしくは付近ふきん方々かたがたかもれないが、そんなわかいオーディエンスの姿すがたがこれほどあるのはおどろかされた。そしてサブステージでおこなっていた応募おうぼせいのライブにも、わか出演しゅつえんしゃおおられた。

 「中津川なかつがわフォークジャンボリー」というイベントがっていた価値かちは、古井ふるいさんのうとおりわか世代せだいのほうがむしろ共感きょうかんできるものなのかもれない。当初とうしょはのんびりしたムードですすんでいたフォークジャンボリーだが、早川はやかわ義夫よしお佐久間さくま正英まさひで登場とうじょうしたあたりから俄然がぜんねつびてくる。夕方ゆうがたごろからは奇跡きせきてきあめみ、あがたもりぎょは「赤色あかいろエレジー」で会場かいじょうかす。なぎら健壱けんいち加川かがわりょういつつのあか風船ふうせん代表だいひょうきょくをしっかりと披露ひろうし、会場かいじょうだい合唱がっしょうつつまれる。その風景ふうけい体験たいけんぼくにも、当時とうじ風景ふうけい連想れんそうさせるものだった。メインアクトてき位置いちづけだった遠藤えんどう賢司けんじは、当時とうじわらない、しかしいつの時代じだいにおいても刺激しげきてきであろうアクトを披露ひろう圧巻あっかんのパフォーマンスをけた観衆かんしゅうけた。

40ねんたったいまだからこそ、さい開催かいさいされる意味いみがある。

 やく1,200にん動員どういんした今回こんかい雨天うてんという環境かんきょうのなかおおきなトラブルもくイベントは終了しゅうりょうした。動員どういん運営うんえい、どちらのめんでも成功せいこうえるのではいだろうか。

 正直しょうじき事前じぜんにこの会場かいじょうあしはこんだときは、当時とうじ雰囲気ふんいきとあまりにかけはなれていたこともあり少々しょうしょう拍子抜ひょうしぬけした。しかし会場かいじょうにフォークファンがめかけたとき、かつてたフォークジャンボリーの映像えいぞう写真しゃしんと、なん風景ふうけいがシンクロする瞬間しゅんかんがあった。あめのなか、オーデェエンスがいつつのあか風船ふうせん楽曲がっきょくをともにくちずさんだ光景こうけいとき、このフォークジャンボリーが神話しんわせいつにいたったエネルギーがすこかったもした。

 会場かいじょうにはフォークジャンボリー資料しりょうかんつくられ、当時とうじのチケットや雑誌ざっし記事きじなどが展示てんじされていた。それも当時とうじをしのぶのに充分じゅうぶん興味深きょうみぶかいものだったが、実際じっさい当時とうじのアーティストがステージにち、当時とうじけたであろう観衆かんしゅう会場かいじょうあしはこぶ。それを体験たいけんすることにまさ資料しりょうはない。今回こんかいすくなからずけていた体験たいけん世代せだいがそれをどうかんったのかはになるし、古井ふるいさんがかたった「それをどうつなげていくのか」は、そこにポイントがあるとおもう。

 個人こじんてき感想かんそうとしては、たしかにジャンル、国際こくさいせい規模きぼでは現在げんざい野外やがいフェスの足元あしもとにもおよばないのだろうが、ひとつのアーティスト、ては1つの楽曲がっきょく全員ぜんいんあじわう一体いったいかんは、現在げんざいのフェスにはないものだった。さい開催かいさいのニュースをったときは、こころざし理解りかいするわかいアーティストをどんどんすべきとおもったが、参加さんかしたいまは、この雰囲気ふんいきこわさないことがなにより大事だいじおもえる。ただサブステージのわかいフォークシンガーに拍手はくしゅ喝采かっさいおくっていた観衆かんしゅうが、現在げんざいのフォークシンガーにどんな反応はんのうしめすのか。そんな化学かがく反応はんのうてみたい。すくなくとも、そうしたつぎへの期待きたいいだかせるイベントであったことはたしかだ。

 来年らいねん開催かいさいされるのかはまだからないが、40ねんまえとはシーンがちがうからこそ、さい開催かいさいされる意味いみおおいにあるとおもう。来年らいねん開催かいさいされるのであれば、ぜひまたあしはこんでみたい。「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」や「SUMMER SONIC」と同日どうじつであっても、またくつもりだ。

PROFILE
阿部あべ 慎一郎しんいちろう
尾張旭おわりあさひ在住ざいじゅう 音楽おんがく編集へんしゅうけんライター。ぼうチケットおも活動かつどうちゅう

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