浪費家へと舞い戻ったフリーター時代。このままではイカンと思いつつも、きっかけが見出せずにいた頃、奥さんと知り合いました。
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奥さんとの出会い
奥さんはその頃既に「学童保育」の先生として働いていました。保母さんになる夢を小さい頃から持ち続け、保母の資格を取る為に専門学校に通い、保母さんにはなれませんでしたが、それに近い職業を見つけまじめに社会人として頑張っていたのです。
お互い結婚を意識し始める年頃でした。彼女の友人は私がフリーターである事を気にかけていたようです。当然ですよね。生活力のない人間と結婚なんて考えられませんから。
フリーター生活と決別するきっかけをくれたのは間違いなく彼女だったと思います。最近聞いたら、彼女自身は私がフリーターだろうと会社員だろうと、どうでもよかったらしいですが、彼女の仕事に対する実直な姿勢を側で見ていて、「自分もちゃんとしないといけない」と強く思うようになったので、やはり彼女のおかげです。
就職そして一人暮らしへ
少しでもデザインに関係のある仕事につきたいと思い、DTPの会社に入社しました。
正社員といっても、フリーターの頃と大差がないほどの安月給で、それなのにフリーターの時以上の労働時間だったのでうれしさよりも「つらいなー」というのが正直な所でした。
年も年だったので、就職から半年くらいで一人暮らしを始める事にしました。金銭的には辛くなるのは分かっていましたが、専門学校以降から両親と折り合いが悪くなっていたので、いい機会だったので決意しました。
そして真の節約家へ
当然、家賃は勿論、光熱費に食費全てを自分の給料でやりくりしていかないといけません。しかしホントに笑えるほどの安月給でした。
昇給はほとんどしないし、ボーナスがまともに出る事もありませんでした。専門学校時代よりも厳しい状況を前に、眠っていた節約家の魂がメラメラと蘇りました。
待機電力のカットや蛍光灯の小さい方を外すなどここで紹介している節約術の一部は既にこの一人暮らしの時に始めていました。
特に食費の節約には力をいれました。御飯を冷凍する節約術も既にこの頃から実践していましたし、なるべく自炊するように心掛けていました。
まあ自炊といってもチャーハンとパスタがほとんどで、後は御飯と味噌汁とお惣菜屋さんで買ったおかず&納豆で食べてました。
やりくりをしてやっと生活ができる。そんな感じでした。でもこの経験が大事だったんだと今は思います。甘える相手もいない。お金もない。仕事を頑張っても給料は増えない。この状況が節約する事の大切さをしっかりと根付かせてくれました。
こうして、私は浪費家から節約家へと変身する事ができ、現在へと至るわけです。
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