553「民無信不立」（『論語』顔淵第十二より）

子こ貢みつぎ問とい政せい。子こ曰、足あし食しょく、足あし兵へい、民みん信之のぶゆき矣。子こ貢みつぎ曰、必不得とく已やめ而去、於斯三さん者しゃ何なん先さき。曰、去さ兵へい。子こ貢みつぎ曰、必不得とく已やめ而去、於斯二に者しゃ何なん先さき。曰、去さ食しょく。自じ古こ皆みな有ゆう死し。民みん無む信しんじ不ふ立だて。

子こ貢みつぎ政せい（まつりごと）を問とえふ。子こ曰（いは）く、食しょくを足たし、兵へいを足たし、民みん之の（これ）を信しんじにすと。子こ貢みつぎ曰いわく、必かならず已やめ（や）むことを得えずして去さらば、斯（こ）の三さん者しゃに於おいて何なにをか先さきにせんと。曰いわく、兵へいを去さらんと。子こ貢みつぎ曰いわく、必かならず已やめ（や）むことを得えずして去さらば、斯の二に者しゃに於おいて何なにをか先さきにせんと。曰いわく、食しょくを去さらん。古いにしえより皆みな死し有あり。民みん信しん無なくんば立たたずと。

※ 政せい（まつりごと）とは、国くにの政治せいじのこと。その他たの語句ごくの注釈ちゅうしゃくは、後ごの注ちゅう３、４、５をご覧らんください。

(注ちゅう)	１．	上記じょうきの「民みん無む信しんじ不ふ立だて」（『論語ろんご』子こ顔がお淵ふち第だい十じゅう二により）の本文ほんぶんは、新釈しんしゃく漢文かんぶん大系たいけい１の『論語ろんご』（吉田よしだ賢けん抗こう著ちょ、明治めいじ書院しょいん・昭和しょうわ35年ねん5月がつ25日にち初版しょはん発行はっこう）によりました。「民みん無む信しんじ不ふ立だて」という見出みだしは、引用いんよう者しゃが仮かりにつけたものです。
	２．	新釈しんしゃく漢文かんぶん大系たいけいの本文ほんぶんから、返かえり点てんを省略しょうりゃくしてあります。なお、新釈しんしゃく漢文かんぶん大系たいけいには、「通つう釈しゃく」「語釈ごしゃく」「余よ説せつ」があります。
	３．	「民みん信之のぶゆき矣」の解釈かいしゃくについて。本来ほんらいならば、朱しゅ熹を始はじめ古来こらいの注釈ちゅうしゃく書しょから引用いんようすべきところですが、取とり敢あえず手元てもとの本ほんから引ひいておきます。　〇吉田よしだ賢けん抗こう氏し……「民みんコレヲ信しんじニス」と読よめば、「之これ」は民みんを受うけて、民みんに信義しんぎあらしめるの意いとなる、「民みんコレヲ信しんじズ」とよめば、「之これ」は上うえの為政者いせいしゃを指さして、人民じんみんが為政者いせいしゃを信用しんようすることになる。共ともに通つうずるが、前説ぜんせつに従したがっておく。（新釈しんしゃく漢文かんぶん大系たいけい１『論語ろんご』）　〇諸橋もろはし轍次てつじ氏し……諸橋もろはし氏しは「民みん信之のぶゆき」を「民みんは之これ（これ）を信しんじ（しん）にす」と読よんで、「民みん信之のぶゆきの之これは、民みんを指さし、民みんをして信義しんぎあらしめるように教おしえ導みちびくことをいう。」（『掌中しょうちゅう論語ろんごの講義こうぎ』昭和しょうわ28年ねん12月25日にち初版しょはん発行はっこう、昭和しょうわ31年ねん2月がつ5日にち第だい9版はん発行はっこう）と書かいておられます。　〇吉川よしかわ幸次郎こうじろう氏し……民みん之これを信しんじず。「人民じんみんが信頼しんらいの心しんをもつこと。「民みん信しんズレ之これヲ矣」を、日本にっぽんの写本しゃほんは「令れいム二に民みんヲシテ信しんゼ一いちレ之これヲ矣」に作つくり、助動詞じょどうし「令れい」が多おおい。（新しん訂てい中国ちゅうごく古典こてん選せん『論語ろんご下か』岩波書店いわなみしょてん、昭和しょうわ41年ねん1月がつ1日にち第だい1刷さつ発行はっこう）　〇宮崎みやざき市し定じょう氏し……民みんにこれを信しんぜしむ。「人民じんみんに信用しんようされることだ。」（『論語ろんごの新しん研究けんきゅう』岩波書店いわなみしょてん、1974年ねん6月がつ20日はつか第だい1刷さつ発行はっこう）
	４．	「自じ古こ皆みな有ゆう死し」の解釈かいしゃくについて。　〇吉田よしだ賢けん抗こう氏し……「食しょくを去さったら人ひとは餓死がしすることにもなろうが、死しは人間にんげんの皆みなまぬがれぬところだ。」（新釈しんしゃく漢文かんぶん大系たいけい１『論語ろんご』）　〇諸橋もろはし轍次てつじ氏し……「食しょくを捨すて去されば、民みんは餓死がしすることにもなろうが、しかし死しということは古来こらいすべての民みんの免まぬかれぬところである。」（『掌中しょうちゅう論語ろんごの講義こうぎ』）　〇吉川よしかわ幸次郎こうじろう氏し……「人間にんげんは死しによって将来しょうらいをくくられていることは、人間にんげんの最もっとも大おおきな条件じょうけんとしてむかしから確定かくていしたことである。この大おおきな条件じょうけんが、一番いちばんの前提ぜんていとしてある以上いじょう、他たの条件じょうけんは、後退こうたいし、犠牲ぎせいになることがあろう。ただどうしても後退こうたいさせることのできない条件じょうけん、それは「信しん」である。なんとなれば人民じんみんは、信義しんぎがなければ存立そんりつしない。有限ゆうげんの人生じんせいにおいて、最後さいごの人間にんげんの条件じょうけんとなるもの、それは信義しんぎないしは信頼しんらいである。（中略ちゅうりゃく）以上いじょうの私わたしの読よみ方かたは、民みん無む信しんじ不ふ立だて、を強調きょうちょうするために、自じリレ古ふるエ皆みなナ有ゆうリレ死しという、もっとも激烈げきれつな言葉ことばを提出ていしゅつしたとして読よむのである。従来じゅうらいのおおむねの読よみかたは、「自じ古こ皆みな有ゆう死し」を上うえの去さルレ食しょくヲと密接みっせつに連続れんぞくさせ、食糧しょくりょうの充足じゅうそくを捨すてれば、死人しにんが出でるだろうが、人間にんげんはみな死しぬのがさだめだから、やむを得えない場合ばあいには、食糧しょくりょうを充足じゅうそくしなくても、やむを得えないといっているが、果はたしてそう読よむべきなのであろうか。」（新しん訂てい中国ちゅうごく古典こてん選せん『論語ろんご下か』 79～80頁ぺーじ）。　〇宮崎みやざき市し定じょう氏し……「政治せいじ家かも食くわなければ死しぬが、それは古いにしえからあったことだ。」（『論語ろんごの新しん研究けんきゅう』）
	５．	「民みん無む信しんじ不ふ立だて」の解釈かいしゃくについて。　〇吉田よしだ賢けん抗こう氏し……「人ひとの世よに信義しんぎが無なかったら、一時いちじも安全あんぜんに立たつことはできぬ。信しんは国家こっか・人生じんせいの根本こんぽんであるよ。」（新釈しんしゃく漢文かんぶん大系たいけい１『論語ろんご』）　〇諸橋もろはし轍次てつじ氏し……「死しの大事だいじであるのにもまして、もし民みんに信義しんぎがなくなれば、一瞬いっしゅん一いち刻こくも身みを立たてておることが出来できぬであろう。」（『掌中しょうちゅう論語ろんごの講義こうぎ』）　〇吉川よしかわ幸次郎こうじろう氏し……「ただどうしても後退こうたいさせることのできない条件じょうけん、それは「信しん」である。なんとなれば人民じんみんは、信義しんぎがなければ存立そんりつしない。有限ゆうげんの人生じんせいにおいて、最後さいごの人間にんげんの条件じょうけんとなるもの、それは信義しんぎないしは信頼しんらいである。（新しん訂てい中国ちゅうごく古典こてん選せん『論語ろんご下か』）　〇宮崎みやざき市し定じょう氏し……「人民じんみんに信用しんようをなくしたなら、それはもう政治せいじではない。」（『論語ろんごの新しん研究けんきゅう』）
	６．	著者ちょしゃの吉田よしだ賢けん抗こう氏しは、通つう釈しゃくで「人ひとの世よに信義しんぎが無なかったら、一時いちじも安全あんぜんに立たつことはできぬ。信しんは国家こっか・人生じんせいの根本こんぽんであるよ」と訳やくして、「余よ説せつ」で次つぎのように書かいておられます。　「程ほど子このいうように、孔あな門もんの弟子でしは善よく問とうて直ただちに到底とうていを窮きわめている。この章しょうの如ごときは、子こ貢みつぎでなくては問とうことができないし、孔子こうしでなくては答こたえることができない、すばらしい問答もんどうで、政治せいじの要よう道みちを尽つくした万世ばんせい不易ふえきの金言きんげんである。経済けいざい生活せいかつの安定あんていと、国防こくぼうの安全あんぜんと、道義どうぎ教育きょういくの徹底てっていとは、近代きんだい政治せいじといえどもこれ以外いがいに何なに物ぶつもない筈はずだ。しかも経済けいざいも国防こくぼうも、究極きゅうきょくに至いたっては信義しんぎ一ひとつにかかって初はじめて安定あんていするものであるにも拘かかわらず、今日きょうの社会しゃかいは物質ぶっしつのみに走はしって信義しんぎを軽かるんじ、自然しぜん科学かがく文明ぶんめいを強調きょうちょうして、道義どうぎの教育きょういくを軽視けいしせんとしている。経済けいざいも国際こくさい関係かんけいも一瞬いっしゅんでも信しんがなかったら存立そんりつの意義いぎを失うしなうことを知しらないところに、近代きんだい文明ぶんめいの不幸ふこうと悲哀ひあいがあるのではなかろうか。」（同書どうしょ、261頁ぺーじ）
	７．	政治せいじと「信しん」との関係かんけいについて「信しん無なくんば立たたず」とは、一般いっぱんには、人間にんげんにとって「信義しんぎ」がいかに大切たいせつなものであるか、という意味いみにとっているようである。それは、人ひとがこの世よを生いきていく上うえで信義しんぎは不可欠ふかけつのものであるからという意味いみであって、政治せいじとの関係かんけいでいえば、政治せいじは民みんが信義しんぎの心しんを持もち得えるような政治せいじを行おこなうことが極きわめて大切たいせつだ、と孔子こうしは言いっている、ということである。『掌中しょうちゅう論語ろんごの講義こうぎ』の中なかで、著者ちょしゃの諸橋もろはし轍次てつじ氏しは、次つぎのように書かいておられる。　「まことに我々われわれは、信義しんぎがお互たがいの間あいだに存そんすることの安心あんしん感かんの下したにのみ、この世よの中なかに存在そんざいし得えるのである。もし己おのれれが友ともを信しんじ得えず、友ともが己おのれれを信しんじ得えず、更さらに進すすんで、親おやが子こを信しんぜず、子こが親おやを信しんぜず、夫おっとが妻つまを信しんぜず、妻つまが夫おっとを信しんじないような社会しゃかいを想像そうぞうし、或あるいは又また、政府せいふは民みんの唯一ゆいいつのたよるべき柱はしらであるが、この政府せいふを信しんじ得えない状態じょうたいが続つづくとするならば、それは武備ぶびはいわずもがな、食糧しょくりょうの極きわめて少すくない場合ばあいの生活せいかつを想像そうぞうする以上いじょうに苦くるしいことであるに相違そういない。孔子こうしが信義しんぎを以もって人ひとのよって立たつ根本こんぽんだとし、政治せいじの要よう道みちとして民みんをして信しんじならしめることを強調きょうちょうしたのは、さすがである。」　ここでは、人間にんげんにとって大切たいせつな信義しんぎが、民みんと政府せいふとの関係かんけいにおいても同おなじように大切たいせつだ、と言いわれている。　そうした中なかで、宮崎みやざき市し定じょう氏しがこの「信しん」を政治せいじと直接ちょくせつ結むすびつけて、政治せいじにとって最もっとも大切たいせつなことは「人民じんみんに信用しんようされること」であって、「人民じんみんに信用しんようをなくしたら、それはもう政治せいじではない」とはっきり言いっておられるのが、特とくに注目ちゅうもくされる。　氏しはこの章しょうを、「子こ曰いわく、食しょくを足たらわし、兵へいを足たらわし、民みんにこれを信しんぜしむ」「古いにしえより皆みなな死しあり、民みん、信しんじなければ立たたず」と読よんで、「（政治せいじのあり方かたは）人民じんみんに信用しんようされることだ。人民じんみんに信用しんようをなくしたら、それはもう政治せいじではない」と、読よんでおられるのである。（『論語ろんごの新しん研究けんきゅう』284頁ぺーじ）

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