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BOX東中野 (港町キネマ通り)



面白おもしろいとおもった作品さくひん自分じぶんたちの判断はんだん上映じょうえいできる…そんな映画えいがかんつくりたかったんですよ」とかた代表だいひょうだいしま治彦はるひこ経営けいえいする『BOX東中野ひがしなかの』は1994ねん中央ちゅうおうせん東中野ひがしなかの駅前えきまえにオープンした。「当時とうじは、まだまだインディペンデントでつくった日本にっぽん映画えいが上映じょうえいしてくれる小屋こやすくなかったんですよね。そんなとき写真しゃしんで“アレクセイといずみ”という映画えいが監督かんとくでもある本橋もとはししげるいちがココの場所ばしょにビルをてるということで、それじゃ我々われわれ理想りそうとする映画えいがかんつくろうというのが発端ほったんだったんです」えきのホームからもえるカラフルな看板かんばん上映じょうえい作品さくひん大判おおばんポスターが特徴とくちょうてきなビルを目指めざしてあるくこと1ふんらず…階段かいだんりてくとあらわれるチケット窓口まどぐちとロビー。そしていちじょうないあしむとひろがる天井てんじょうたか開放かいほうてきなミニシアターではめずらしいスタジアム形式けいしき客席きゃくせきゆうする空間くうかんなかでも客席きゃくせきすうくらべてスクリーンのおおきさにはじめておとずれたひと圧倒あっとうされるだろう。「どうしても既存きそんのビルにはいっていると制約せいやくしょうじてますよね。天井てんじょうだか限界げんかいがあったりして。でも、地下ちかってけば天井てんじょうたか出来できるということで、どんどんふかつくってしまったわけです(笑)」


オープン当時とうじ映画えいがかんのキャッチフレーズは“一人ひとりあたりのスクリーン面積めんせき日本一にっぽんいち映画えいがかん”だったというのもうなづける。勿論もちろんいまでもその記録きろくえられていない。『BOX東中野ひがしなかの』が、こだわりつづけているのはスクリーンサイズだけではない。コチラで使用しようしているスピーカーはコンサートホールなどで使つかいかわれているアメリカのメイヤーしゃせいだけにおと再現さいげんせいぐんいている。勿論もちろん劇場げきじょうつくさいにもレコーディングスタジオと同様どうようの吸音構造こうぞう理想りそうてきおと反響はんきょう実現じつげんさせているのだ。だいとう理想りそうとする映画えいがかんがこうして誕生たんじょうしたのだが、それだけに苦労くろう並々なみなみならない。「せっかくいスピーカーを導入どうにゅうしても映画えいがひとつひとつが音量おんりょう高音こうおんてい音域おんいきちがうので、その映画えいがいている最適さいてきおと調整ちょうせいをしなくてはいけないんですよ」

たしかに映画えいが製作せいさくしている録音ろくおん・ミキシング担当たんとうおもれが表現ひょうげんできなくては本来ほんらい作品さくひんとはちがってしまうのである。「とくにウチの場合ばあい作品さくひんすうおおいのでときにはあさまでサウンドバランスの調整ちょうせいかってしまいますよ」こうしたかげ苦労くろうのおかげで最適さいてき音響おんきょう我々われわれ観客かんきゃく体験たいけん出来できているのだ。上映じょうえい設備せつびとしては通常つうじょうの35mm、16mmじゅうろくみり、ビデオプロジェクター上映じょうえいほかにスライドによる上映じょうえい可能かのうで、その特長とくちょうかして写真しゃしん音楽おんがく融合ゆうごうさせたイベントなども数多かずおおっており最近さいきんでは“アラキネマ”と銘打めいうって写真しゃしん、アラーキーの絶版ぜっぱんになった写真しゃしんしゅうからスライドをこしてトークショウをまじえたイベントを開催かいさいしている。

結局けっきょく1850年代ねんだい後半こうはん、テレビが普及ふきゅうして映画えいが産業さんぎょうはじめての岐路きろたされましたよね。80年代ねんだい以降いこうはレンタルビデオの登場とうじょうで、50年代ねんだいおな状況じょうきょうになったわけですよ。映画えいがかんあしはこんでもらうにはあたらしい仕掛しかけというのが必要ひつようになってくるだろうと…」そこでだいとうがこだわったのはライブが出来でき小屋こやなのだ。音響おんきょう照明しょうめいにこだわりトークショウから簡単かんたん映画えいが講座こうざ、そしてお芝居しばいまで対応たいおうできる映画えいがかん。「いままでみたいにたんなる受皿うけざらではなく、色々いろいろ企画きかくかんがえたりライブなどを演出えんしゅつする必要ひつようせまられてているんですよ。それは大変たいへん苦労くろうともなうんだけどね」とわらだいとうつづける「でも、それによって映画えいがかん映画えいが悦楽えつらくいまわかひとることが出来できればいいなとおもっているんです」以前いぜん、コチラの劇場げきじょうで“東京とうきょうフィスト”を上映じょうえいして以来いらい音響おんきょう素晴すばらしさから是非ぜひ自分じぶん作品さくひんはココで上映じょうえいしたいと熱烈ねつれつなラブコールをおくっている監督かんとく塚本つかもとすすむ也がいる。2000ねん大晦日おおみそかにはステージにコタツをんでカウントダウン・イベントを開催かいさいし、観客かんきゃくには年越としこしそばをうなど、言葉ことばどお映画えいがわくえた企画きかくつね提供ていきょうつづけている。






コチラの客層きゃくそう作品さくひんによってガラリとわり、わか年代ねんだいから年輩ねんぱいほうまでと幅広はばひろく、映画えいがファンだけにとどまっていない。「固定こていファンがいてくれるとウレシイのですが、それによって劇場げきじょうのカラーが固定こていされてしまうのはいやなんですよ。あえて作品さくひん固執こしつせずに色々いろいろなジャンルの作品さくひん幅広はばひろいお客様きゃくさまていただく…そのなかから劇場げきじょうのファンがまれてくればとおもっています」オールナイトイベントにはわか世代せだいのお客様きゃくさまじって年輩ねんぱい夫婦ふうふがお弁当べんとう参加さんかされている姿すがたかける。そんな様々さまざまなファンに支持しじされている『BOX東中野ひがしなかの』の会員かいいんサービスは、1500えん入会にゅうかいきんで1年間ねんかん有効ゆうこう会員かいいんしょう発行はっこうされ、チケット購入こうにゅう窓口まどぐち会員かいいんしょう提示ていじすれば当日とうじつけん前売まえうけんよりも100えんやすくなる。ほかにも特典とくてんとして毎月まいつき会報かいほう送付そうふされイベント情報じょうほうがイチはや入手にゅうしゅできるのがポイントだ。

なか々、日本にっぽんでは市民しみんけんこと出来できなかったドキュメンタリー映画えいが上映じょうえいして反響はんきょうんだ過去かこ作品さくひんても『BOX東中野ひがしなかの』でしかこと出来できない作品さくひんがラインアップされている。女性じょせいのお客様きゃくさま数多かずおお来場らいじょうした“レニ”、マスメディアだけではることが出来できなかった“天安門てんあんもん”そして記憶きおくあたらしく衝撃しょうげきてきだったオウム真理教おうむしんりきょうのドキュメント“A”などだいとうですら、どれも反響はんきょうおおきさを予測よそくできなかったほどだという。「結局けっきょく、こちらの予想よそう以上いじょうにお客様きゃくさまはそういった作品さくひんもとめているんだなと実感じっかんしました」最近さいきん予想よそうがい反響はんきょうがあったのは以前いぜんテレビで放送ほうそうされた“放送ほうそう禁止きんし”という作品さくひんにちわりでフォークシンガーをまねいてライブ上映じょうえいおこなったところ連日れんじつ満員まんいんになったという。「映画えいがかんくということはなにかを体験たいけんして、そこでもとめているものに出会であえる場所ばしょにしたい…だからワザワザあしはこんでも価値かちのある作品さくひん上映じょうえいしていきたいとかんがえています」とかただいとう最後さいごにこうめくくってくれた。「そういう場所ばしょでしたよね、ぼくらがわかころもとめてって、それを記憶きおくしてやしになったものって…」映画えいがかん映画えいがこと意味いみ、それをココにればわすれかけていたなに大切たいせつものおもさせてくれるはずだ。取材しゅざい:2002ねん3がつ


座席ざせき】102せき 【音響おんきょうDS・SR

住所じゅうしょ東京とうきょう中野なかの東中野ひがしなかの4-4-1 ポレポレすわビル地下ちか ※2003ねんがつ25にちちまして閉館へいかんいたしました。

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