GNU/Linux FAQ
リチャード・ストールマン
ほかの
もくじ
- なぜそのシステムをGNU/Linuxと
呼 びLinuxと呼 ばないのですか? - なぜ
名前 が重要 なのですか? - GNUとLinuxの
実際 の関係 はどうなんですか? - どのようにして、ほとんどの
人 がそのシステムを“Linux”と呼 ぶようになったわけでしょう? - いつも“Linux”の
代 わりに“GNU/Linux”と言 うべきでしょうか? - GNUなしでもLinuxは
同 じ成功 を達成 したのではないでしょうか? - コミュニティのためにはこの
要請 で人々 を分裂 させないほうが良 いのではないでしょうか? - GNUプロジェクトは
個人 の言論 の自由 の権利 を支持 しないのですか?個人 の選択 で、そのシステムをどのような名前 でも呼 ぶ権利 があるはずでしょう? - システムを
開発 するGNUの役割 をみんなが知 っているのだから、名前 の中 に“GNU/”はなくても良 いのではないでしょうか? - システムにおけるGNUの
役割 をわたしは知 っているのに、なぜ、どの名前 をわたしが使 うかが問題 になるのでしょう? - “GNU/Linux”を“Linux”と
短 くできませんか、ちょうど“Microsoft Windows”を“Windows”とするように? - GNUはLinuxに
含 まれるプログラミングツールのコレクションではないのですか? - オペレーティングシステムとカーネルの
違 いはなんですか? - システムのカーネルは
家 の基礎 のようなものです。家 の基礎 がないのに、家 がほとんど完成 するなんてことがあるでしょうか? - カーネルはシステムの
頭脳 というべきものではないですか? - カーネルを
書 くということがオペレーティングシステムの仕事 の中 のほとんどではないでしょうか? - オペレーティング・システムはカーネルを
必要 とします。GNUプロジェクトはカーネルを開発 したのではないのですから、そのシステムをどうしてGNUと呼 べるのですか? - なにか“GNU”と
呼 ばれるものを得 てインストールできない場合 、GNUがいったいオペレーティング・システムになり得 るのでしょうか? - わたしたちは、カーネルから
全体 のシステムをLinuxと呼 びます。カーネルからオペレーティングシステムの名前 をつけることは普通 ではないですか? 別 のシステムが“Linuxの感触 ”を持 つことがありうるでしょうか?- “GNU/Linux”の
問題 は、長 すぎることです。もっと短 い名前 を推奨 できませんか? - そのシステムを“GliNUx”(“GNU/Linux”ではなくて)と
呼 んだらどうでしょう? - “GNU/Linux”の
問題 は、長 すぎることです。“GNU”とわざわざ言 うべきでしょうか? 残念 ですが、“GNU/Linux”には、5つも音節 があります。人々 はこんなに長 い単語 を使 わないでしょう。もっと短 いのをみつけてはどうですか?- ストールマンはわたしたちに「リチャード・マシュー・ストールマン」と
呼 ぶことを毎回 は求 めていません。それなのに、なぜ“GNU/Linux”と毎回 言 うことを求 めるのですか? - Linuxは
二 次 的 な貢献 なのだから、単 に“GNU”と呼 ぶことは間違 いではないですよね? - “Linux”を
製品 の名前 に使 うのに使用 料 を払 わなければならないかもしれません。“GNU/Linux”と言 うときにもこれは適用 されるかもしれません。使用 料 を免 れるのに“Linux”なしに“GNU”と言 うのは間違 いですか? - たくさんのほかのプロジェクトが
今日 のシステムに貢献 しました。TeX, X11, Apache, Perl, そしてたくさんのプログラムです。あなたの議論 は、これらに対 する謝意 も示 すべきことを意味 しますか? (しかし、これは名前 をとても長 くしてしまい馬鹿 げています。) - systemdはGNU/Linuxシステムで、
今日 、重要 な役割 を担 っていますが、それをGNU/systemd/Linuxと呼 ばなくてはなりませんか? - たくさんのほかのプロジェクトが
今日 のシステムに貢献 しました。しかし、かれらはそれをXYZ/Linuxと呼 ぶように主張 しません。なぜ、わたしたちはGNUを特別 に扱 うべきなのでしょうか? - GNUは
近頃 ではシステムの小 さい割合 に過 ぎません。なぜ、これに触 れる必要 があるでしょうか? - たくさんの
会社 が今日 のシステムに貢献 しました。それは、わたしたちがこれをGNU/Red Hat/Novell/Linuxと呼 ぶべきことを意味 するでしょうか? - なぜ、“GNU/Linux”と
書 くのでしょう、“GNU Linux”ではなくて? - GNUにはそれ
自身 のLinuxカーネルのバージョンがありますか? - この
名称 、“GNU/Linux” はどう発音 しますか? - なぜ、“GNU
Emacs”と
書 くのでしょう、“GNU/Emacs”ではなくて? - なぜ“GNU/Linux”なんでしょう、“Linux/GNU”ではなくて?
- わたしのディストロの
開発 者 はそれを“Foobar Linux”と呼 びますが、それはシステムが何 で構成 されているかについて何 も述 べてません。かれらがやりたいように呼 べばいいのではないでしょうか? - わたしのディストロは“Foobar
Linux”と
呼 ばれますが、これは本当 はLinuxと見 せていませんか? - わたしのディストロの
公式 名称 は“Foobar Linux”です。このディストロを“Foobar Linux”以外 で呼 ぶのは間違 いではないですか? 個々人 に求 めるのではなく、むしろMandrake やRed Hat、IBMなどの会社 に対 してそのディストリビューションを“GNU/Linux”と呼 ぶように求 める方 がより効果 的 ではないでしょうか?- “GNU/Linux”の
名前 は純粋 に自由 ソフトウェアのディストリビューションのためにとっておいた方 がいいのではないでしょうか?結局 、それがGNUの理想 なのですから。 - Linux(ママ)のGNUディストリビューションを
作 ってGNU/Linuxと呼 べばいいじゃないですか? 単 に「LinuxはGNUのカーネルだ」と言 ってすでにあるどれかのGNU/Linuxを“GNU”の名前 でリリースしては?- GNUプロジェクトは、
初期 にLinuxの利用 について不適 だとして反対 していたのではないですか? 人々 にGNU/Linuxの名前 を使 うように求 めるのにそんなにも長 く待 ったのはなぜですか?- GNU/nameの
慣例 はGPLのすべてのプログラムに適用 されるべきですか? - GNUの
多 くはUnix から来 ているのですから、GNUはUnixに謝意 を表 して名前 に“Unix”を使 うべきではないですか? 同 じく“GNU/BSD”と言 うべきですか?- ウィンドウズにGNUツールをインストールする
場合 、GNU/Windowsシステムを走 らしていることになりますか? - LinuxはGNUなしで
使 えないのですか? - システムをGNU/LinuxとするのにどれくらいのGNUシステムが
必要 でしょうか? - GNUなしの
完全 なLinuxシステム[ママ]はありますか? - GNU/Linuxを
使 うこととAndroidを使 うことを指 すのに、“Linuxを使 う”と言 うのは正 しいでしょうか? - どっちにしろシステムを“Linux”と
呼 んで、わたしたちのコミュニティのためにリーナス・トーバルズの広告塔 としての役割 を強化 すれば良 いのでは? - リーナス・トーバルズの
仕事 をGNUとしてラベルを張 ることは間違 いではないですか? - リーナス・トーバルズはLinuxが
単 にカーネルだということに同意 していますか? - GNU
Hurdカーネルを
完成 させてGNUシステムを全体 としてリリースし、GNU/Linuxと呼 ぶのはなにかの問題 を忘 れませんか? - この
戦 いはすでに負 けです。社会 はすでにそれを決定 していてわたしたちはそれを変 えることはできません。なのに、なぜさらにそれを考 えるのですか? 社会 はすでにそれを決定 していてわたしたちはそれを変 えることはできません。“GNU/Linux”と言 ってなにかいいことあるのでしょうか?- システムを“Linux”と
呼 び、人々 にはその本当 の出自 を10分 の説明 で教 える方 が良 いのではないでしょうか? - GNU/Linuxとシステムを
呼 ぶようにとあなたが要求 するとき、ある人々 はあなたを笑 います。あなたがこのような扱 いを受 けるのはなぜでしょうか? - あなたがシステムをGNU/Linuxと
呼 ぶよう要求 するとき、ある人々 はあなたを非難 します。かれらと仲違 いしては損失 ではないですか? - なににあなたが
貢献 したにしろ、オペレーティング・システムを改名 することは正当 でしょうか? - システムを“GNU/Linux”と
呼 ぶように人々 に強制 することは間違 いではないでしょうか? - “Linux”と
全体 のシステムを呼 ぶ人々 を訴 えてはどうでしょう? - カリフォルニア
大学 への謝意 を示 す宣伝 の要求 があるオリジナルのBSDライセンスに、あなたは反対 したのですから、GNUプロジェクトへの謝意 を要求 するのは偽善 ではないでしょうか? - GNU
GPLになにかを
入 れて、人々 がシステムを“GNU”と呼 ぶように要求 するべきではないですか? - GNU
GPLに
人々 にシステムを“GNU”と呼 ぶようにと要求 するなにかを入 れることに失敗 したのだから、起 こったことを受 け止 めましょう。今 、なぜ文句 を言 うのでしょうか? - こんなにも
多 くの人 が信 じていることを否定 しないほうがよくないでしょうか? 多 くの人 がそれを“Linux”と言 っています。それによって正 しいということになりませんか?- ほとんどのユーザが
既 に知 っている名前 でそのシステムを呼 ぶ方 が良 くないですか? 多 くの人 は、どれが便利 か、あるいは、誰 が勝 っているかについては関心 がありますが、成否 の議論 には関心 がありません。別 の方法 でかれらの支持 を得 ようとは思 いませんか?
- なぜそのシステムをGNU/Linuxと
呼 びLinuxと呼 ばないのですか? (#why) - Linuxをカーネルとしてもとにするオペレーティング・システム・ディストリビューションは
基本 的 にGNUオペレーティング・システムの変更 版 です。わたしたちは1984年 にGNUの開発 を始 めました。リーナス・トーバルズがかれのカーネルを書 き始 める何 年 も前 です。わたしたちの目標 は完全 に自由 なオペレーティング・システムを開発 することでした。もちろん、わたしたちはすべてのパーツを自分 たちで開発 したわけではありませんが、わたしたちはその道 を先導 しました。わたしたちは中心 となるコンポーネントのほとんどを開発 し、システム全体 として見 たときに、単一 のプロジェクトとしてはもっとも大 きな貢献 をしました。基本 となるビジョンもわたしたちのものでした。公正 を鑑 みれば、少 なくとも同等 の言及 があって然 るべきでしょう。LinuxとGNUシステム と GNUについてまったく
聞 いたことのないGNUユーザにもっと詳 しい説明 があります。また、GNUプロジェクトは、その歴史 について説明 しています。 - なぜ
名前 が重要 なのですか? (#whycare) - カーネルLinuxの
開発 者 は、自由 ソフトウェア・コミュニティに貢献 していますが、そのうちの多 くの人々 は、自由 について気 にしていません。全体 のシステムがLinuxであると考 える人 は、混乱 しがちで、その開発 者 が実際 は関係 していないことをわたしたちのコミュニティにおける歴史 的 役割 として考 えてしまいます。そして、その開発 者 の見解 に必要 以上 に重 きを置 いてしまいます。システムをGNU/Linuxと
呼 ぶことは、わたしたちのコミュニティを構築 するわたしたちの理想 主義 の役割 を認識 させます。そして、この考 えの実際 の重要 性 を公衆 に認識 させるのに役立 ちます。 - GNUとLinuxの
実際 の関係 はどうなんですか?(#what) -
GNUオペレーティング・システムとLinuxと
名 づけられたカーネルは別 のソフトウェア・プロジェクトで補完 する仕事 をします。典型 的 にはGNU/Linuxディストリビューションとしてパッケージとしてまとめられ、一緒 に使 われます。 - どのようにして、ほとんどの
人 がそのシステムを“Linux”と呼 ぶようになったわけでしょう?(#howerror) - このシステムを“Linux”と
呼 ぶ混乱 は、修正 情報 よりも速 く広 まりました。LinuxをGNUシステムと
組 み合 わせた人々 は、かれらの活動 が達 するところについて知 りませんでした。かれらは注意 を一 つの部品 に集中 し、それがLinuxでした。そして、組 み合 わせの多 くがGNUであることを見出 していませんでした。かれらは、それを“Linux”と呼 び始 めました。かれらが行 ったことには、その名前 は適合 しないにもかかわらずにです。この何 が問題 なのかをわたしたちが知 り、人々 にその慣習 を改 めるようお願 いするまでには何 年 もかかりました。それまでに、混乱 は大 きく有利 なスタートをしていたのです。システムを“Linux”と
呼 ぶほとんどの人々 は、それが正 しくない理由 についてなにも聞 いたことがありません。ほかの人々 がその名前 を使 うのを見 て、正 しいに違 いないと仮定 します。“Linux”という名前 は、システムの出自 について間違 った絵 を広 めもしました。なぜなら、人々 はシステムの歴史 を名前 に適 したものと考 えがちだからです。たとえば、人々 は、リーナス・トーバルズが1991年 にその開発 を始 めたとしばしば信 じています。この間 違 った絵 は、システムを“Linux”と呼 ぶべきであるという考 えを補強 します。このファイルの
中 のたくさんの疑問 は、人々 が慣習 的 に使 ってきた名前 を正当 化 しようとする試 みを反映 しています。 - いつも“Linux”の
代 わりに“GNU/Linux”と言 うべきでしょうか?(#always) -
いつもではありません。
全体 のシステムについて語 るときだけです。カーネルについて特 に指 すときには、その開発 者 が選 んだ名前 で“Linux”と呼 ぶべきです。人々 が全体 のシステムを“Linux”と呼 ぶとき、結果 として、カーネルと同 じ名前 で全体 のシステムを呼 ぶのです。これは多 くの種類 の混乱 をもたらします。なぜならば、ある文章 がカーネルについてなのか全体 のシステムについてなのかは、専門 家 だけが言 えることだからです。全体 のシステムを“GNU/Linux”と呼 び、カーネルを“Linux”呼 ぶことにより、この曖昧 さを回避 することができます。 - GNUなしでもLinuxは
同 じ成功 を達成 したのではないでしょうか?(#linuxalone) -
そういった
別世界 では、GNU/Linuxシステムのようなものは今日 なかったでしょうし、おそらく自由 なオペレーティング・システムはまったくないでしょう。自由 なオペレーティングシステムを1980年代 に誰 も開発 しようとはしませんでした。GNUプロジェクトと(その後 )バークレイのCSRGだけが例外 でした。GNUプロジェクトはバークレイCSRGに対 し、そのコードを自由 にするよう特 に依頼 したのです。リーナス・トーバルズは1990
年 のフィンランドでのGNUについての講演 で部分 的 に影響 を受 けました。この影響 がなかったとしても、かれはUnixライクなカーネルを書 くことができたでしょうが、おそらく自由 ソフトウェアではなかったと考 えられます。1992年 にリーナスがGNU GPLのもとリリースして、Linuxは自由 となりました。(バージョン0.12のリリースノートを参照 してください。)トーバルズがLinuxをなにか
別 の自由 ソフトウェアライセンスでリリースしたとしても、自由 なカーネルそれだけでは、世界 を大 きく変 えることはできなかったでしょう。Linuxの重要 性 は、より大 きなフレームワーク、すなわち、完全 に自由 なオペレーティングシステムGNU/Linuxに適合 することから来 ているのです。 - コミュニティのためには、この
要請 で人々 を分裂 させないほうが良 いのではないでしょうか? (#divide) -
わたしたちが
人々 に“GNU/Linux”と言 うようにお願 いするとき、わたしたちは人々 を分裂 させません。わたしたちはGNUオペレーティング・システムについてGNUプロジェクトに謝意 を示 すことをお願 いしているのです。これは誰 かを批判 したり、誰 かを押 しやるのではありません。しかし、わたしたちがこのように
言 うのを嫌 う人々 がいます。時々 、そういう人々 は対応 としてわたしたちを押 しやります。ときには、そういう人々 はあまりにも無礼 で、わたしたちを脅 して黙 らせようとしているのかと考 えざるを得 ないほどです。そういう脅 しでわたしたちを黙 らせることはできませんが、コミュニティを分裂 させてしまいがちです。ですから、わたしたちは、あなたがたがかれらに(そういった脅 しを)止 めるよう、説得 できることを望 みます。しかし、これはわたしたちのコミュニティの
分裂 の二 次 的 な原因 に過 ぎません。わたしたちのコミュニティの大 きな分裂 は、自由 ソフトウェアを社会 的 かつ倫理 的 課題 として評価 しつつプロプライエタリなソフトウェアを社会 的 な問題 と考 える人々 (自由 ソフトウェア運動 の支持 者 )と、実際 的 な利益 だけと現在 の自由 ソフトウェアを効率 的 な開発 モデルを引 く人々 (オープンソース運動 )の間 にあります。この
見解 の相違 は、名前 の問題 だけではありません。基本 的 な価値 の違 いなのです。コミュニティにとって、この相違 についてよく考 えることは重要 なことです。「自由 ソフトウェア」と「オープンソース」は二 つの立場 の旗印 です。なぜ、オープンソースは自由 ソフトウェアの的 を外 すのかをご覧 ください。この
価値 に関 する見解 の相違 は、わたしたちのコミュニティにおいてGNUプロジェクトの役割 についてどれくらい注意 を払 うかどうかによって部分 的 には分 けられました。自由 に価値 を置 く人々 はそのシステムを“GNU/Linux”と呼 ぶことが多 く、システムが“GNU/Linux”であると学 んだ人々 は、わたしたちの自由 とコミュニティの理念 の議論 に注意 を払 うことが多 くあります(これがそのシステムの名前 の選択 が社会 に実際 の差異 を引 き起 こすという理由 です)。しかし、すべての人 がシステムの本当 の由来 と正 しい名前 を知 っても、おそらく、見解 の相違 は、なお、存在 するでしょう。なぜなら、この問題 は実在 のものだからです。この問題 は、自由 に重 きを置 くわたしたちがすべての人 を説得 するか(容易 なことではありません)、完全 に敗北 してしまうか(そうでないことを希望 します)、そのどちらかまでなくなりません。 - GNUプロジェクトは
個人 の言論 の自由 の権利 を支持 しないのですか?個人 の選択 で、そのシステムをどのような名前 でも呼 ぶ権利 があるはずでしょう?(#freespeech) -
まさにそうです。わたしたちはあなたが
望 む名前 でオペレーティングシステムを呼 ぶ言論 の自由 の権利 をあなたが有 すると考 えます。GNUプロジェクトへの正義 の問題 として、わたしたちは人々 にそのオペレーティングシステムをGNU/Linuxと呼 ぶことをお願 いし、GNUが表 す自由 の価値 を奨励 し、オペレーティングシステムが存在 するようにもたらした自由 の価値 を、ほかの人々 に伝 えようとするのです。 - システムを
開発 するGNUの役割 をみんなが知 っているのだから、名前 の中 に“GNU/”はなくても良 いのではないでしょうか?(#everyoneknows) 経験 によれば、システムの利用 者 とコンピュータを使 う公衆 一般 は、GNUシステムについてなにも知 らないことがしばしばです。このシステムに関 するほとんどの記事 は“GNU”の名前 あるいはGNUが表 す理想 に触 れることがありません。GNUについてまったく聞 いたことがないGNUユーザで詳 しく説明 されています。これを
言 うのはおそらく、知 りあいのギークのことを念頭 に置 くギークでしょう。ギークはGNUについてしばしば知 ってますが、多 くはGNUがなにであるかについて完全 に間違 った考 えを持 っています。たとえば、多 くは、GNUが“tools”のコレクションだと考 えていたり、ツールを開発 するプロジェクトだと考 えています。この
質問 の文言 は、典型 的 ですが、もうひとつのよくある考 え違 いを描 き出 しています。なにかを開発 する「GNUの役割 」について語 るとき、GNUが人々 のグループであることを仮定 しています。GNUはオペレーティング・システムです。開発 の活動 あるいは何 かほかの活動 についてGNUプロジェクトの役割 について語 ることは意味 がありますが、GNUの活動 については意味 をなさないでしょう。- システムにおけるGNUの
役割 をわたしは知 っているのに、なぜ、どの名前 をわたしが使 うかが問題 になるのでしょう? (#everyoneknows2) -
もし、あなたの
言葉 があなたの知識 を反映 しないのであれば、あなたはほかの人 に教 えることができないでしょう。GNU/Linuxシステムについて聞 いたことがあるほとんどの人々 は、それを“Linux”だと考 えていて、それがリーナス・トーバルズによって始 められ、「オープンソース」を意図 していたと考 えています。あなたが人々 にそれを言 わないのであれば、誰 が言 うでしょうか? - “GNU/Linux”を“Linux”と
短 くできませんか、ちょうど“Microsoft Windows”を“Windows”とするように? (#windows) -
よく
使 われる名前 を短 くすることは有用 です。しかし短縮形 が紛 らわしくない場合 です。先進 国 のほとんどの人々 は、“Windows”システムはマイクロソフトによって作 られたことを知 っています。ですから“Microsoft Windows”を“Windows”と短縮 することは、システムの性質 と出自 について誰 かを惑 わせることはないでしょう。“GNU/Linux”を“Linux”と短縮 することは、システムがどこから来 たかについて間違 った考 えを与 えてしまうでしょう。この
質問 はそれ自体 、紛 らわしいものです。GNUとマイクロソフトは同 じ種類 のものではありませんから。マイクロソフトは会社 です。GNUはオペレーティング・システムです。 - GNUはLinuxに
含 まれるプログラミングツールのコレクションではないのですか?(#tools) -
Linuxを
全体 のオペレーティング・システムと考 える人々 は、GNUについて聞 いたことがある場合 、GNUがなんであるかについてまったく間違 った考 えをしばしば持 っています。GNUはプログラムのコレクションの名前 、しばしば「プログラミング・ツール」だと言 います。なぜなら、あるわたしたちのプログラミング・ツールはそれ自身 で人気 があるものになったからです。“GNU”がオペレーティングシステムの名前 であるという考 えは、“Linux”とラベルがつけられたオペレーティング・システムの概念 のフレームワークにはなかなか適合 しません。GNUプロジェクトはGNUオペレーティング・システムから
名 づけられました。それは、GNUシステムを開発 するプロジェクトです。(1983年 の最初 の声明 を参照 ください。)わたしたちは、GCC、GNU Emacs、GAS、GLIBC、BASHなどのプログラムを
開発 しました。なぜならGNUオペレーティング・システムにはそれらが必要 だったからです。GCC(GNUコンパイラ・コレクション)はGNUオペレーティング・システムをわたしたちが書 くためのコンパイラです。わたしたち、GNUプロジェクトに働 くたくさんの人々 は、Ghostscript、GNUCash、GNU ChessそしてGNOMEもGNUシステムのために開発 しました。 - オペレーティングシステムとカーネルの
違 いはなんですか? (#osvskernel) -
オペレーティング・システムとは、わたしたちがこの
用語 を使 うとき、コンピュータを広範 なさまざまな仕事 に使 うために十分 なプログラムのコレクションを指 します。一般 目的 のオペレーティング・システムは、完全 であるために、多 くの利用 者 がやりたいと考 えるすべての仕事 を扱 えるべきです。カーネルはオペレーティング・システムのプログラムの
一 つです。マシンのリソースを実行 するプログラムに割 り当 てるプログラムです。カーネルはまた、ほかのプログラムの実行 を開始 したり、止 めたりすることを取 り扱 います。問題 を複雑 にするのは、「オペレーティング・システム」の用語 を「カーネル」を意味 して使 う人々 がいることです。この用語 の使 い方 の両方 とも何 年 も前 に遡 ります。「オペレーティング・システム」を「カーネル」を意味 するものとして使 うのは、80年代 のシステム設計 の数 多 くの教科書 に見 られます。同 じく、80年代 、「Unixオペレーティング・システム」はシステムのプログラム全体 を含 むものとして理解 されていて、バークレイ版 Unixはゲームでさえも含 んでいました。わたしたちはGNUをUnixライクなオペレーティング・システムにすると意図 していました。そして、「オペレーティング・システム」という用語 を(Unixと)同 じように使 っています。人々 が「Linuxオペレーティング・システム」について話 すほとんどの場合 、「オペレーティング・システム」をわたしたちと同 じ意味 で使 っています。つまり、プログラムのコレクション全体 を意味 しているのです。もし、それがあなたが意味 するものならば、“GNU/Linux”と呼 んでください。カーネルだけを意味 する場合 、“Linux”は正 しい名前 ですが、「カーネル」とも言 ってソフトウェアのどれを意味 しているか曖昧 さを回避 するようにしてください。プログラムのコレクション
全体 を示 すのに、「オペレーティング・システム」の代 わりにたとえば「システム・ディストリビューション」といった、ほかの用語 を用 いることを好 むのであれば、それは構 いません。その場合 、GNU/Linuxシステム・ディストリビューションについて語 ることになるでしょう。 - システムのカーネルは
家 の基礎 のようなものです。家 の基礎 がないのに、家 がほとんど完成 するなんてことがあるでしょうか?(#house) -
カーネルは
家 の基礎 には似 ていません。なぜならオペレーティング・システムの構築 は家 の構築 には似 ていないからです。家 はたくさんの小 さな一般 的 部品 から構築 され、切断 され本来 あるところへと組 み込 まれます。下 から上 へと組 み込 まれていかなければなりません。ですから、基礎 が構築 されてなければ、本質 的 な部分 は構築 されることができず、地面 の穴 だけしかできません。対 して、オペレーティング・システムは複雑 なコンポーネントからなり、どの順番 でも開発 することが可能 です。ほとんどのコンポーネントを開発 したとき、ほとんどの仕事 はなされたと言 えるでしょう。これは、家 というよりは国際 宇宙 ステーションに似 ています。宇宙 ステーションのモジュールのほとんどが軌道 に乗 り、ほかの重要 なモジュールを待 っているとき、1992年 のGNUシステムのようだと言 えるでしょう。 - カーネルはシステムの
頭脳 というべきものではないですか(#brain) -
コンピュータ・システムは
人体 とは似 ても似 つきませんし、人体 の頭脳 のように働 く部分 はどこにもありません。 - カーネルを
書 くということがオペレーティングシステムの仕事 の中 のほとんどではないでしょうか? (#kernelmost) -
いいえ、たくさんのコンポーネント(を
書 くこと)が多 くの仕事 になります。 - オペレーティング・システムはカーネルを
必要 とします。GNUプロジェクトはカーネルを開発 したのではないのですから、そのシステムをどうしてGNUと呼 べるのですか?(#nokernel) -
このようにシステムを“Linux”を
呼 ぶことについて論 じる人々 はダブルスタンダードを用 いています。オペレーティング・システムはコンパイラ、エディタ、ウィンドウ・システム、ライブラリ、そしてもっと—数 百 ものプログラムを必要 とします。1983年 にBSDシステムが搭載 していたものに匹敵 させるだけでもです。トーバルズはそのどれも開発 していないのですから、どうしてそのシステムを“Linux”と呼 べるのですか?この
基準 はとても厳 しく、どの貢献 者 の貢献 を判断 するにも正 しい方法 ではありません。リーナス・トーバルズは、わたしたちが
用 いているオペレーティング・システムに重要 な貢献 をしました。GNUプロジェクトはそれよりも早 く開始 され、より多 く貢献 しました。“GNU/Linux”の名前 はそれぞれにクレジットを与 えています。 - なにか“GNU”と
呼 ばれるものを得 てインストールできない場合 、GNUがいったいオペレーティング・システムになり得 るのでしょうか? (#notinstallable) -
たくさんのパッケージされてインストール
可能 なGNUのバージョンが利用 可能 です。そのどれもが単 に“GNU”と呼 ばれることはありませんが、それらは基本 的 にGNUです。GNUシステムをインストールのためにパッケージしてリリースしようと
期待 していましたが、その計画 はある出来事 によって追 い越 されました: 1992年 、Linuxを含 むGNUの一種 が、ほかの人々 によって、既 にパッケージされたのです。1993年 に開始 し、Debian GNU/Linuxと呼 ばれる、より良 く、より自由 なGNU/Linuxディストリビューションを作 る努力 をわたしたちはスポンサーしました。Debianの創始 者 はすでにその名前 を選択 していたのです。わたしたちはかれにそれを単 に“GNU”と呼 ぶことを要請 しませんでした。なぜなら、それは、GNU Hurdカーネル(まだできていなかった)のシステムの版 の名前 のためだったからです。GNU Hurdカーネルは、
充分 に完成 しませんでした。わたしたちは、それで作業 するのに感心 がある人々 にだけそれを推奨 します。ですから、わたしたちは、GNU HurdカーネルでGNUをパッケージしたことは決 してありません。ですが、Debianはこの組 み合 わせをDebian GNU/Hurdとしてパッケージしてます。わたしたちは
今 、先進 的 なSchemeベースのパッケージマネージャGuixと、それをベースとしたGuixシステム・ディストリビューション(GuixSD)と呼 ばれる完全 なシステム・ディストリビューションを開発 しています。そして、これにはGNUシステムの主要 な部分 を再 パッケージすることが含 まれます。わたしたちは“GNU”の
名 の元 に“GNU”をパッケージする最終 ステップを踏 み出 していません。しかし、これがGNUはどういった種類 のものかを変 えることはありません。GNUはオペレーティング・システムの一 つです。 - わたしたちは、カーネルから
全体 のシステムをLinuxと呼 びます。カーネルからオペレーティング・システムの名前 をつけることは普通 ではないですか? (#afterkernel) -
その
慣習 はとても希少 です。“Linux”の名前 の間 違 った使 い方 のほかに例 を見 つけることができません。通常 、オペレーティング・システムは単一 の統合 されたプロジェクトとして開発 されます。そして開発 者 はそのシステム全体 に名前 を選 びます。カーネルは通常 、それ自身 の名前 を持 たず、人々 は「なんとかのカーネル」、あるいは「なんとかカーネル」と言 うように言 います。この
二 つのい方 は同 じように使 われるので、「Linuxカーネル」という表現 は「Linuxのカーネル」という意味 に簡単 に誤解 されてしまい、あたかもLinuxがカーネル以上 のものに違 いないと言外 の意味 を表現 してしまいます。この誤解 の可能 性 を回避 するためには「そのカーネルLinux」あるいは「Linux、そのカーネル」というように言 ったり書 いたりすることがよいでしょう。 別 のシステムが“Linuxの感触 ”を持 つことがありうるでしょうか?(#feel)-
“Linuxの
感触 ”というようなものはありません。なぜなら、Linuxはユーザインタフェースをなにも持 たないからです。どんなモダンなカーネルとも同 じく、Linuxはプログラムを実行 するための基礎 です。ユーザインタフェースはシステムの別 のところに属 します。GNU/Linuxと人間 のインタラクションは、いつでも別 のプログラムを通 して行 われます。そして、「感触 」はそこから発 します。 - “GNU/Linux”の
問題 は、長 すぎることです。もっと短 い名前 を推奨 できませんか? (#long) -
いっとき、わたしたちは“GNU”と“Linux”“の
組 み合 わせのLiGNUx”という名前 を試 しました。反応 はとても悪 いものでした。人々 は“GNU/Linux”の方 をより認 めました。このシステムの
最短 の正 しい名前 は“GNU”ですが、下記 に示 す理由 により、わたしたちは“GNU/Linux”と呼 びます。 - そのシステムを“GliNUx”(“GNU/Linux”ではなくて)と
呼 んだらどうでしょう? (#long1) -
“GNU”が“Glinux,”のなかにははっきりと
現 れませんから、ほとんどの人 は気 がつかないでしょう。“GliNUx,”と大文字 にしたとしてもほとんどの人 は、GNUを示 すものが入 っているとわからないでしょう。これは、“GNU/Linux,”と
書 くけれども“GNU/”をとても小 さく印刷 してほとんどの人 が読 めないという状況 と同 程度 でしょう。 - “GNU/Linux”の
問題 は、長 すぎることです。“GNU”とわざわざ言 うべきでしょうか? (#long2) -
“GNU”と
言 ったりタイプするにはたった一 秒 しかかかりません。わたしたちが開発 したシステムに感謝 するなら、わたしたちの仕事 を認 めるのに一 秒 かけてもらえないでしょうか? 残念 ですが、“GNU/Linux”は、5つも音節 があります。人々 はこんなに長 い単語 を使 わないでしょう。もっと短 いのをみつけてはどうですか?(#long3)実 は、“GNU/Linux”は4音節 だけです。“Unfortunately”は5音節 ですが、人々 は、この語 を使 うのを嫌 がる兆候 をなんらみせてません。- ストールマンはわたしたちに「リチャード・マシュー・ストールマン」と
呼 ぶことを毎回 は求 めていません。それなのに、なぜ“GNU/Linux”と毎回 言 うことを求 めるのですか? (#long4) -
「マシュー」を
省略 することはストールマンの性格 、出自 、思想 、あるいは目的 について、なんら重要 なことをごまかしていません。“GNU”を省略 することはGNU/Linuxシステムについて重要 なことがらをごまかしています。これはよくある
誤信 を隠 す方法 の一 例 です:誤解 を招 くアナロジーのなかに埋 めるのです。よりよいアナロジーは「ストールマンを『トーバルズ』とよぶべきではないですか?」ではないでしょうか。 - Linuxは
二 次 的 な貢献 なのだから、単 に“GNU”と呼 ぶことは間違 いではないですよね?(#justgnu) -
事実 に対 しては間違 いではないでしょうが、最良 の方法 ではありません。わたしたちが、システムの版 を単 に“GNU”ではなく“GNU/Linux”と呼 ぶ理由 は下記 のとおりです:-
それはGNUそのものではなく
違 うカーネル(すなわちLinux)を有 します。GNUとGNU/Linuxを区別 することは有用 です。 -
リーナス・トーバルズへの
謝意 を示 すことを止 めることを人々 に要求 するのは非 紳士 的 でしょう。かれはシステムの重要 なコンポーネントを書 きました。わたしたちはシステムの開発 を開始 して継続 させてきたことに対 して謝意 を示 してもらいたいと考 えます。しかし、システムを“Linux”と呼 ぶ人々 がわたしたちに対 するのと同 じようにわたしたちがリーナスを扱 うべきであることを意味 しません。わたしたちはかれの政治 的 見解 に強 く反対 しますが、見解 の相違 を立派 にかつ、公然 と扱 います。システムに対 するかれの貢献 の謝辞 から外 すようにするのではなく。 -
たくさんの
人々 がそのシステムを“Linux”として知 っていますから、“GNU”とわたしたちが言 ったとき、わたしたちが同 じシステムについて語 っているとは人々 はすぐには認識 できないでしょう。もし、“GNU/Linux”と言 うと、人々 は、聞 いたことがあるものとつなげることができます。
-
それはGNUそのものではなく
- “Linux”を
製品 の名前 に使 うのに使用 料 を払 わなければならないかもしれません。“GNU/Linux”と言 うときにもこれは適用 されるかもしれません。使用 料 を免 れるのに“Linux”なしに“GNU”と言 うのは間違 いですか? (#trademarkfee) -
システムを“GNU”と
呼 ぶことは、なにも間違 っていません。基本 的 にそれはそうしたものです。リーナス・トーバルズに謝意 の共有 を同様 に与 えることは良 いことです。しかし、あなたはそうすることの優先 権 のために支払 う義務 はありません。ですから、“Linux”と
呼 ぶことの使用 料 を支払 うのを避 けるために、システムを単 に“GNU”として参照 したい場合 、わたしたちはあなたを批判 しないでしょう。 - たくさんのほかのプロジェクトが
今日 のシステムに貢献 しました。TeX, X11, Apache, Perl, そしてたくさんのプログラムです。あなたの議論 は、これらに対 する謝意 も示 すべきことを意味 しますか? (しかし、これは名前 をとても長 くしてしまい馬鹿 げています。) (#many) -
わたしたちが
言 いたいのは、システムの主要 な開発 者 に謝意 を表 するべきだということです。GNUプロジェクトが主要 な開発 者 、システムは基本 的 にGNUなのです。謝意 を示 すことにより強 く感 じるのであれば、システムの名前 のなかで、二 次 的 な貢献 者 について示 すことを必要 だと感 じるかもしれません。もしそうであれば、わたしたちはそれに反論 するべくもありません。X11がシステムの名前 に値 すると感 じて、GNU/X11/Linuxと呼 びたいのであれば、そうしてください。Perlについてもっと主張 すべきだと感 じて、GNU/Linux/Perlと書 きたいのであれば、そうしてください。GNU/X11/Apache/Linux/TeX/Perl/Python/FreeCivのような
長 い名前 は馬鹿 げたものになりますから、どこかの点 で、しきい値 を設定 し、たくさんのほかの二 次 的 な貢献 については省略 せざるをえないでしょう。しきい値 の設定 について明確 な正 しい点 はありませんから、どこに設定 しても、わたしたちはそれに反論 しません。異 なるしきい値 のレベルは、システムについての名前 について異 なる選択 を導 き出 すでしょう。しかし、ありうるどのしきい値 のレベルでも、公正 さの懸念 と謝意 を示 す結果 とならない一 つの名前 が、“Linux”です。主要 な貢献 (GNU)を省略 して、ひとつの二 次 的 な貢献 (Linux)にすべての謝意 を示 すというのは公正 とはなりえません。 - systemdはGNU/Linuxシステムで、
今日 、重要 な役割 を担 っていますが、それをGNU/systemd/Linuxと呼 ばなくてはなりませんか? (#others) -
systemdはたしかに
重要 なコンポーネントですが、カーネル(Linux)と同 じように重要 ではなく、全体 のシステムの基盤 (GNU)と同 じように重要 でもありません。 - たくさんのほかのプロジェクトが
今日 のシステムに貢献 しました。しかし、かれらはそれをXYZ/Linuxと呼 ぶように主張 しません。なぜ、わたしたちはGNUを特別 に扱 うべきなのでしょうか? (#others) -
今日 のGNU/Linuxには何 千 ものプロジェクトが開発 したプログラムが共通 して含 まれています。そのすべてがその貢献 について謝意 を受 けるに値 します。しかし、全体 のシステムの主要 な開発 者 ではありませんから、そのように謝意 を受 けるようには要求 しません。GNUが
異 なるのは、単 なる貢献 するプログラム以上 、単 なる貢献 するプログラムのコレクション以上 のものだということです。GNUはシステムが作 られたフレームワークなのです。 - GNUは
近頃 ではシステムの小 さい割合 に過 ぎません。なぜ、これに触 れる必要 があるでしょうか?(#allsmall) -
2008
年 において、GNUのパッケージはgNewSense GNU/Linuxディストリビューションの“main”リポジトリにおいて、15%を占 めていました。Linuxは1.5%でした。ですから、同 じ議論 を適用 すると、“Linux”と呼 ぶことについて、もっと強 く言 えることになるでしょうか。今日 ではGNUはシステムの一部 に過 ぎませんし、Linuxはそれよりもさらに小 さい部分 です。しかし、それらはシステムの中心 部分 をなします。システムはそれらを組 み合 わせて作 られるのです。ですから“GNU/Linux”の名前 は、今 もなお、適切 です。 - たくさんの
会社 が今日 のシステムに貢献 しました。それは、わたしたちがこれをGNU/Red Hat/Novell/Linuxと呼 ぶべきことを意味 するでしょうか? (#manycompanies) -
GNUは、Red Hat やNovellと
同列 ではありません。それは会社 や組織 ではなく、活動 でもありません。GNUはオペレーティング・システムです。(わたしたちがGNUプロジェクトについて話 すとき、GNUシステムを開発 するプロジェクトを参照 しています。) GNU/LinuxシステムはGNUをもとにしたものですから、その名前 にGNUがあって然 るべきです。そういった
会社 の多 くのGNU/Linuxシステムに対 する貢献 は、GCCやGNOMEを含 む、さまざまなGNUパッケージにのコードに対 して行 われています。GNU/Linuxと言 うことは、そういった会社 と同様 にほかのGNU開発 者 に謝意 を示 すことになります。 - なぜ、“GNU/Linux”と
書 くのでしょう、“GNU Linux”ではなくて?(#whyslash) -
英語 のルールにしたがうと、“GNU Linux”の構文 では“GNU”が“Linux”を修飾 します。これは、「GNU版 Linux」あるいは「GNUパッケージのLinux」を意味 するでしょう。このどちらの意味 も手元 の状況 に適合 しません。LinuxはGNUのパッケージではありません。すなわち、それはGNUプロジェクトの
保護 の元 開発 されたものではなく、あるいはGNUプロジェクトのために特 に貢献 されたものでもありません。リーナス・トーバルズはLinuxを自分 自身 のプロジェクトとして独立 して書 きました。ですから、「GNUパッケージのLinux」は意味 として正 しくありません。わたしたちはカーネルLinuxのGNUの
固有 の版 について話 しているのではありません。「標準 」版 は不自由 なファームウェア「ブロブ」を含 むため、自由 なGNU/LinuxディストロはLinuxの別 の版 を有 します。これがGNUプロジェクトの一部 であれば、それは“GNU Linux”と考 えられるでしょうが、それではあまりにも複雑 ですから、わたしたちはそのように呼 ぼうとはしません。わたしたちが
話 しているのはGNUの版 です。Linuxをカーネルとして持 つことにより区別 される、オペレーティング・システムです。スラッシュはこの状況 に適合 します。なぜなら、それは、「組 み合 わせ」を意味 するからです。(「入力 /出力 」を考 えてみてください。) このシステムはGNUシステムであり、カーネルLinuxを下層 とするもので、ですから、“GNU/Linux”なのです。「
組 み合 わせ」を表現 するにはほかの方法 もあります。プラスの記号 がより明確 だと考 えるならば、それを使 ってください。フランス語 ではハイフンで“GNU-Linux”とするのが明解 でしょう。スペイン語 では、わたしたちは時々 “GNU con Linux”と言 います。 - GNUにはそれ
自身 のLinuxカーネルのバージョンがありますか?(#linuxlibre) -
イエスでありノーです。
自由 なGNU/Linuxディストロは、すこし変更 したLinuxのバージョンを使 います。「標準 」リリースのLinuxに含 まれる不自由 なファームウェア「ブロブ」を除 くように変更 したものです。そういったディストロのうちのいくつかは、GNU Linux-Libre、GNUプロジェクトの自由 化 したバージョンのLinuxを使 っています。しかし、これはフォークではなく、Linuxのバージョンです。わたしたちは標準 Linuxのそれぞれのリリースのソースを取得 し、ブロブ除去 をするのです。そのほかの
自由 なディストロはLinuxからブロブを取 り除 くそれぞれ独自 の調整 をしています。 - この
名称 、“GNU/Linux” はどう発音 しますか? (#pronounce) -
「グヌー スラッシュ リヌックス」と
発音 してください。スラッシュを発音 しないと、人々 は “GNU Linux” と言 っていると考 えてしまいますから、このコンビネーションにはふさわしくありません。 - なぜ、“GNU Emacs”と
書 くのでしょう、“GNU/Emacs”ではなくて? (#whynoslash) -
英語 のルールにしたがうと、“GNU Emacs”の構文 では“GNU”が“Linux”を修飾 します。これは、GNUパッケージの、Emacsと呼 ばれるプログラムを述 べるのに正 しい方法 です。“GNU/Emacs”はオペレーティング・システムGNUとプログラムのEmacsの
組 み合 わせを意味 してしまうでしょう。それは、このプログラムに適合 しませんから、“GNU/Emacs”はこのプログラムを指 すのに間違 った方法 です。 - なぜ“GNU/Linux”なんでしょう、“Linux/GNU”ではなくて? (#whyorder)
-
主要 な貢献 について第 一 に触 れるのは正 しく適切 なことです。システムに対 するGNUの貢献 は単 にLinuxよりも大 きく先 んじたというだけでなく、実 に全体 の活動 をわたしたちが開始 したのです。加 えて、“GNU/Linux”はLinuxが最下位 のレベルであり、GNUが技術 的 に上位 のレベルを埋 めるという事実 をよく表 します。しかしながら、あなたがシステムを“Linux/GNU”と
呼 ぶことを好 むのであれば、通常 人々 が行 う、GNUにまったく触 れずにあたかも全体 のシステムがLinuxであるかのように扱 う方法 よりもだいぶ良 いでしょう。 - わたしのディストロの
開発 者 は、それを“Foobar Linux”と呼 びますが、それはシステムが何 で構成 されているかについて何 も述 べてません。かれらがやりたいように呼 べばいいのではないでしょうか? (#distronames0) -
システムを“Foobar
Linux”と
呼 ぶことは、それが“Linux,”の一種 であることを意味 し、人々 はその方法 で理解 することになります。もし、GNU/Linuxディストロを“Foobar BSD”と
呼 べば、あなたはそれは間違 いだと言 うでしょう。「このシステムはBSDではない」と言 うのではないでしょうか。えぇ、Linuxでもありません、よ。 - わたしのディストロは“Foobar Linux”と
呼 ばれますが、これは本当 はLinuxと見 せていませんか? (#distronames) -
それは“Foobar Linux”ディストロを
作 った人々 がよくある間違 いを繰 り返 えしたことを意味 しています。わたしたちは、Debian、Dragora、Musix、Trisquel、そしてVenenuxがGNU/Linuxをその公式 名称 の一部 として採用 したことを高 く評価 し、もしあなたが異 なるディストリビューションに関係 しているならば、あなたが同 じようにすることを推奨 するよう希望 します。 - わたしのディストロの
公式 名称 は“Foobar Linux”です。このディストロを“Foobar Linux”以外 で呼 ぶのは間違 いではないですか? (#distronames1) かれらが“GNU”を“Foobar Linux”と
変 えることによって間違 った情報 を広 め、かれらのバージョンを“Foobar Linux”と呼 ぶ際 には、あなたがそれを“Foobar GNU/Linux”と呼 ぶことによって、その間 違 った情報 を修正 することが正 しいことです。個々人 に求 めるのではなく、むしろMandrake やRed Hat、IBMなどの会社 に対 してそのディストリビューションを“GNU/Linux”と呼 ぶように求 める方 がより効果 的 ではないでしょうか? (#companies)-
これは、
一方 を選 ぶという選択 ではありません。わたしたちは会社 、組織 、そして個々人 にこれについて言葉 を触 れ回 る手助 けをお願 いしています。実際 のところ、上記 三 つの会社 に、わたしたちはお願 いしています。MandrakeはGNU/Linuxの用語 をいつか使 いたいと言 いましたが、IBMとRed Hatは協力 したくないそうです。あるエグゼクティブは「これは純粋 に商売 上 の決定 です。‘Linux’と呼 んだ方 が多 くの金 を期待 できます。」と言 いました。別 の言葉 で言 うと、その会社 はなにが正 しいかは気 にしないということです。わたしたちはかれらを
正 しいことを行 うようにさせることはできませんが、わたしたちは、道 が容易 ならざるからといって、すぐにあきらめるような類 の輩 ではありません。IBMやRed Hatのように、あなた自身 の処置 は影響 力 が大 きくないかもしれませんが、あなたはそれでも役立 つことができます。わたしたちは一緒 に状況 を変 え、会社 がシステムを“GNU/Linux”と呼 んでより多 くの利益 をあげるようにできるのです。 - “GNU/Linux”の
名前 は純粋 に自由 ソフトウェアのディストリビューションのためにとっておいた方 がいいのではないでしょうか?結局 、それがGNUの理想 なのですから。(#reserve) -
GNU/Linuxシステムに
不自由 なソフトウェアを加 える広 く行 われている慣習 は、わたしたちのコミュニティの重要 な問題 です。それは、不自由 なソフトウェアは問題 ではなく、それを使 うことは“Linux”の精神 の一部 であると教 えています。たくさんの“Linux”ユーザ・グループは、不自由 なアドオンを使 う手助 けをすることをそのミッションの一部 としています。そして、(不自由 なソフトウェアの)販売 のための営業 マンを招待 して販売 促進 活動 をさせさえもします。GNU/Linuxの「利用 者 を手助 けする」(不自由 なアプリケーションやドライバを使 うことを手助 けすることも含 めて)といった目標 、あるいは、自由 が失 われようともシステムを人気 のあるものとするといった目標 を掲 げています。問題 は、どのようにしてこれを変 えようとするかなのです。LinuxとともにGNUを
使 っているほとんどのコミュニティがシステムが何 であるかを理解 していないという状況 で、これらは実 のところGNUではないと言 って、混 ぜ物 をした版 を自分 のものでないとすることは、利用 者 に自由 により価値 を置 くことをなんら教 えることがないでしょう。かれらは意図 されたメッセージを受 けとることがないでしょう。かれらは、単 に、そのシステムがGNUであると最初 から考 えていない、と反応 するだけでしょう。こういった
利用 者 を、自由 との関連 を知 るように導 く方法 は、実 に逆 のものです。それらのシステムの版 はGNUの版 であり、利用 者 の自由 のためにまさに存在 するシステムをもとにしているのです。この理解 によって、不自由 なソフトウェアを含 めたディストリビューションを、邪道 なもの、混 ぜ物 をしたGNUの版 と認識 することができるのです。正 しく適切 な「Linuxの版 」と考 えるのではなくて。GNU/Linuxユーザ・グループを
始 めることはとても役立 ちます。システムをGNU/Linuxと呼 び、GNUプロジェクトの理想 を活動 の基礎 として掲 げるのです。あなたの地域 のLinuxユーザ・グループに上記 の問題 がある場合 、そのグループの方向 性 (と名前 )を変 えるよう運動 するか、新 しいグループを作 ることをわたしたちは提案 します。より表層 的 な目標 に焦点 を当 てる人々 は、その見解 に関 して権利 を有 しますが、かれらがあなたを引 きずるようにさせないで! - Linux(ママ)のGNUディストリビューションを
作 ってGNU/Linuxと呼 べばいいじゃないですか?(#gnudist) -
すべての“Linux”ディストリビューションは
実際 、Linuxをカーネルとして用 いるGNUシステムの版 です。“GNU/Linux”という用語 の目的 はこの点 を論 じるためのものです。新 しいディストリビューションを作 って、これだけを“GNU/Linux”と呼 ぶことはこのわたしたちが明確 にしたい点 を不明瞭 にします。GNU/Linuxのディストリビューションを
開発 することについて言 えば、Debian GNU/Linuxの初期 の開発 に資金 を投入 し、わたしたちは既 に一 度 実施 しています。今 、再度 することは、あまり有用 と思 えません。それはたくさんの仕事 で、新 しいディストリビューションが、ほかのディストリビューションよりも本質 的 な実際 の優位 性 がない限 り、どの目的 にも適合 しないでしょう。代 わりに、わたしたちはTrisquelやParabolaのような100%自由 なGNU/Linuxディストリビューションの開発 を手助 けしています。 単 に「LinuxはGNUカーネルだ」と言 ってすでにあるどれかのGNU/Linuxを“GNU”の名前 でリリースしては?(#linuxgnu)-
1992
年 の時点 でLinuxをGNUカーネルとして採用 するのは良 い考 えであったかもしれません。もし、GNU Hurdが動 かすまでどれくらいの時間 がかかるかをその時 に分 かっていたら、わたしたちはそうしたでしょう。(ああ、これはあと知恵 です。)もし、すでに
存在 するGNU/Linuxの版 を“GNU”として再 ラベルするのであれば、それは、GNUシステムの版 を“Linux”とラベルすることに似 たこととなってしまいます。これは正 しいことではありませんから、そのように行動 することはしたくありません。 - GNUプロジェクトは、
初期 にLinuxの利用 について不適 だとして反対 していたのではないですか? (#condemn) -
わたしたちは、わたしたちのカーネルとしてLinuxを
採用 しませんでした。しかし、わたしたちはそれを非難 し、反対 することはありませんでした。1993年 にDebian GNU/Linuxの開発 を後援 する打 ち合 わせを、わたしたちは始 めました。Linuxとともに使 うためにあるGNUパッケージを変更 していた人々 と協力 するよう努 めもしました。Linuxとの組 み合 わせでGNUパッケージが「箱 から出 してすぐに」動 くように、かれらの変更 を標準 リリースに取 り込 みたかったのです。しかし、変更 はしばしばアドホックで移植 性 が良 くないものでした。取 り込 むためには、それらは整理 する必要 がありました。こういった
変更 を行 った人々 は、わたしたちと協力 することについて関心 を持 ちませんでした。そのうちのひとりは、かれは「Linuxユーザ」なので、GNUプロジェクトと仕事 をすることに感心 がないと実際 言 いました。これはショックでした。GNUパッケージをほかのシステムに移植 した人々 は通常 、かれらの変更 が取 り込 まれるようにわたしたちと仕事 をしたいと考 えたからです。しかしながら、そうした人々 、主 にGNUをもととしたシステムを開発 していた人々 は、わたしたちと仕事 をしたくないという最初 の(で、現在 も実際 には唯一 の)グループでした。これが、わたしたちが
最初 に、GNUシステムの版 を“Linux”と人々 が呼 ぶのを見 た経験 です。そしてこの混乱 はわたしたちの仕事 を妨害 するものでした。システムを“GNU/Linux”と呼 ぶようにお願 いするのは、この問題 と、“Linux”という誤 称 によって引 き起 こされるほかの問題 へのわたしたちの対応 です。 人々 にGNU/Linuxの名前 を使 うように求 めるのにそんなにも長 く待 ったのはなぜですか?(#wait)-
実際 はわたしたちはそうしてません。わたしたちは開発 者 とディストリビュータに1994年 にプライベートにこの話 を始 めました。そして、1996年 に公開 のキャンペーンとしました。それが必要 な限 りわたしたちは続 けます。 - GNU/nameの
慣例 はGPLのすべてのプログラムに適用 されるべきですか?(#allgpled) -
“GNU/name”の
形 で個々 のプログラムを参照 することは決 してありません。あるプログラムがGNUパッケージの時 、わたしたちはそれを“GNU name”と呼 びます。GNU、オペレーティング・システム、はたくさんの
異 なるプログラムから構成 されます。GNUのうちのプログラムのいくつかは、GNUプロジェクトの一部 として書 かれたり、プロジェクトへの貢献 されたものです。これらはGNUパッケージで、“GNU”をしばしばその名前 に用 います。GNUプロジェクトに
貢献 し、GNUパッケージにしたいと決定 するのはプログラムの開発 者 です。あなたがプログラムを開発 し、GNUパッケージとしたいのであれば、<gnu@gnu.org>まで連絡 ください。わたしたちはそれを評価 し、わたしたちにとって必要 かどうか決定 します。GPLのもとリリースされる
個々 のプログラムのすべてにGNUの名前 をつけることは公正 とは言 えないでしょう。あなたがプログラムを書 いてGPLのもとリリースする場合 、それは、GNUプロジェクトがそのプログラムを書 いたり、あなたがわたしたちのために書 いたことを意味 しません。たとえば、カーネルLinuxはGNU GPLのもとリリースされていますが、リーナスはGNUプロジェクトの一部 としてそれを書 いたわけではありません。かれはその仕事 を独立 して実行 しました。GNUパッケージでないならば、GNUプロジェクトはその謝意 を受 けることはできませんし、“GNU”をその名前 につけることは適切 ではないでしょう。対 して、わたしたちは、それぞれのプログラム、システムに含 まれるすべてのプログラムとしてではなく、GNUオペレーティング・システム全体 として、全体 の謝意 を受 ける資格 があります。このシステムがシステムとして存在 するのは、わたしたちの決意 と根気 ゆえなのです。それは1984年 に開始 されました。Linuxが始 まる何 年 も前 です。Linuxが
人気 を得 ることになったオペレーティング・システムは、基本 的 にGNUオペレーティング・システムでした。それはカーネルが異 なるので完全 に同一 ではありませんが、ほとんど同一 のシステムでした。それはGNUの一 種 です。GNU/Linuxシステムでした。Linuxはそのシステムの
派生 に主 に用 いられ続 けています。今日 のGNU/Linuxシステムの版 にです。これらのシステムにアイデンティティを与 えるのは、その中心 であるGNUとLinuxであり、Linuxそれだけではないのです。 - GNUの
多 くはUnix から来 ているのですから、GNUはUnixに謝意 を表 して名前 に“Unix”を使 うべきではないですか?(#unix) -
実 のところ、UnixからはなにもGNUに来 ていません。Unixはプロプライエタリなソフトウェアでした(現在 もそうです)し、GNUにそのコードを使 うことは侵害 だったでしょう。これは偶然 ではありません。これがわたしたちがGNUを開発 した理由 だったからです。Unixを使用 する自由 がなかったので、あるいは当時 のどのほかのオペレーティング・システムにも自由 がなかったので、わたしたちはそれを置 き換 える自由 なシステムを必要 としたのです。わたしたちはUnixからプログラムもしくはその一部 でさえもコピーすることはできませんでした。すべては新規 に書 き直 されなければならなかったのです。GNUのコードはまったくUnixからは
来 ていませんが、GNUはUnix互換 のシステムです。ですからGNUのアイデアと仕様 の多 くはUnixから来 ています。“GNU”の名前 、「GNUはUnixではない(“GNU's Not Unix”)」は、このUnixへの謝意 を示 すおもしろい方法 で、70年代 に始 まった再帰 頭 辞 語 のハッカーの伝統 にしたがっています。そうした
再帰 頭 辞 語 の最初 は、TINT (“TINT Is Not TECO”)でした。TINTの作者 は、TECOの別 の実装 を書 き(既 に様々 なシステムに多 くの実装 がありました)、「なにかほかのTECO」というようなつまらない名前 で呼 ぶのではなく、かっこいいおもしろい名前 を考 えたのです。(これがハッキングが意味 するところ、すなわち、おちゃめな機巧 です。)ほかのハッカーがその
名前 をとても楽 しみ、この方法 を真似 しました。すでに存在 するプログラム(たとえばその名前 を“Klever”としましょう)と同 じようなプログラムを一 から書 いたとき、再帰 頭 辞 語 をその名前 とする、たとえば“MINK”(“MINK Is Not Klever”)とするのが、伝統 となりました。これと同様 の精神 で、わたしたちはUnixのわたしたちの代替 を“GNU's Not Unix”と呼 んだのです。歴史 的 に、Unixを開発 したAT&Tは、同様 なシステムの名前 に“Unix”を使 って謝意 を示 すことを誰 にも欲 しませんでした。Unixから99%コピーされたシステムにもです。AT&Tは、実際 、AT&Tへの謝意 をこの方法 で示 す人 は誰 でも訴 えると脅 しました。すべてのさまざまなUnixの変更 版 (Unixと同様 、すべてプロプライエタリです)が完全 に異 なった名前 で“Unix”を含 まないのはこのためです。 同 じく“GNU/BSD”と言 うべきですか? (#bsd)-
わたしたちはBSDシステム(FreeBSD、そのほか)を“GNU/BSD”システムとは
呼 びません。なぜなら、その用語 はBSDシステムの歴史 に適合 しないからです。BSDシステムはUCバークレイで80
年代 に不自由 なソフトウェアとして開発 されました。そして90年代 初 め自由 になりました。自由 なオペレーティングシステムとして今日 存在 するものは、ほとんどの場合 、GNUシステムの一 種 か、BSDシステムの一種 のどちらかです。人々 は時々 、BSDもGNU/LinuxのようにGNUの一 種 ですかと質問 します。BSDはGNUではありません。BSDの開発 者 は、GNUプロジェクトの例 により、コードを自由 ソフトウェアとすることに啓発 されたでしょう。また、GNU活動 家 からの明確 なアピールが、かれらが(システムを自由 ソフトウェアとすることを)始 めるべく説得 するのに役立 ったでしょう。しかし、コードはGNUと重 なるところはほとんどありません。今日 のBSDシステムはいくつかのGNUパッケージを含 みます。GNUシステムとその種 が、いくつかのBSDプログラムを含 むのと同 じようにです。しかし、全体 として見 ると、それらは二 つの異 なるシステムで別々 に発達 してきたものです。BSD開発 者 はカーネルを書 いてGNUシステムに加 えたのではありませんから、GNU/BSDといった名前 は状況 に適 さないでしょう。GNU/LinuxとGNUのつながりはもっと
近 く、これが“GNU/Linux”の名前 が適切 である理由 です。NetBSDからのカーネルを
利用 したGNUの版 があります。その開発 者 は、それを“Debian GNU/NetBSD”と呼 んでいますが、“GNU/kernelofNetBSD”のほうがより正確 でしょう。なぜなら、NetBSDは全体 のシステムで、カーネルだけではないからです。ほとんどのシステムがGNU/Linuxと同 じですから、これはBSDシステムではありません。 - ウィンドウズにGNUツールをインストールする
場合 、GNU/Windowsシステムを走 らしていることになりますか?(#othersys) -
“GNU/Linux”で
意味 するところと同 じ意味 ではありません。GNUのツールは単 にGNUソフトウェアの一部 で、GNUシステムの一部 に過 ぎません。そして、その下 には、GNUとなんらコードを共有 しないもう一 つ別 の完全 なオペレーティング・システムがあるのです。全体 から見 て、GNU/Linuxとはまったく異 なった状況 です。 - LinuxはGNUなしで
使 えないのですか? (#justlinux) -
ある
応用 機器 には、Linuxはそれ自身 で、あるいはほかの小 さいプログラムと一緒 に使 えます。そういった小 さいソフトウェアシステムは、GNU/Linuxシステムと呼 ぶには程遠 いものです。利用 者 はそういったシステムをPCにはインストールしませんし、たとえば、インストールしても失望 するようなものでしょう。そういう応用 機器 がLinuxだけを走 らせていると言 って、GNU/Linuxとそういう小 さいプラットフォームがどのように異 なるかを示 すことは有用 でしょう。 - システムをGNU/LinuxとするのにどれくらいのGNUシステムが
必要 でしょうか? (#howmuch) -
「どれくらい」は
意味 のある質問 ではありません。GNUシステムには正確 な境界 がないからです。GNUはコミュニティによって
保守 されるオペレーティング・システムです。それには、(わたしたちが具体 的 なリストを保守 している)GNUソフトウェア・パッケージよりもたくさんのものを含 み、人々 は常 にもっと多 くのパッケージを加 えます。この変更 にかかわらず、それはGNUシステムのままであり、Linuxを加 えればGNU/Linuxとなります。GNUシステムの一部 を使 い、一部 を除 いたとして、「どれくらい」使 っているとする意味 のある方法 はないでしょう。パッケージのレベルを
見 れば、LinuxはGNU/Linuxシステムの中 で一 つの重要 なパッケージです。一 つの重要 なGNUパッケージを含 めるのは、わたしたちの同等 の言及 の要求 を正当 化 するのに充分 でしょう。 - GNUなしの
完全 なLinuxシステム[ママ]はありますか? (#linuxsyswithoutgnu) -
Linuxを
含 みGNUではない完全 なシステムはあります。アンドロイドが一 つの例 です。しかし、これを“Linux”システムと呼 ぶことは間違 いで、ちょうどGNUを“Linux”システムと呼 ぶのと同 じ間違 いです。アンドロイドはGNU/Linuxシステムととても
異 なります。二 つの間 には共通 のコードは少 ししかありません。実際 、共通 にあるのはLinuxだけです。全体 のGNU/Linuxシステムを“Linux”と呼 ぶ場合 、「アンドロイドはLinuxを含 むがLinuxではない、なぜなら通常 のLinux[ママ]のライブラリとユーティリティ(GNUシステムを意味 する)を有 しないからだ」と言 う必要 があることを発見 するでしょう。アンドロイドは、GNU/Linuxがそうであるように、Linuxよりもたくさんのものを
含 みます。ないのはGNUシステムです。アンドロイドはそれをだいぶ異 なるように動 くGoogleのソフトウェアで代替 します。アンドロイドをGNU/Linuxと変 えているのはGNUの欠如 ゆえです。 - GNU/Linuxを
使 うこととAndroidを使 うことを指 すのに、“Linuxを使 う”と言 うのは正 しいでしょうか?(#usegnulinuxandandroidlinuxsyswithoutgnu) -
正解 からは、かなり遠 いと言 えましょう。その使 い方 は、かなり引 っ張 りすぎて、人々 は意図 した意味 を理解 し得 ないでしょう。公衆 はAndroidを使 うことを“Linuxを使 う”として話 すことをとても奇異 に思 うでしょう。それは、会話 をしてから、ある人 の腸 か、または、ある人 の循環 系 と会話 していた、というようなものです。公衆 は、それが本当 はGNU/Linuxなのに、“Linuxを使 う”という考 えを、通常 の誤解 (“Linux”として全体 のシステムをとらえる)で理解 してしまうでしょう。Androidの
使用 とGNU/Linuxの使用 はまったく異 なっており、自動車 に乗 るのと自転車 に乗 る違 いのように異 なります。前者 が両方 ともLinuxを含 むといっても使 うということでは二 つは関係 なく、自動車 と自転車 が両方 とも金属 の構造 を持 っているという事実 は、使 うということでは関係 ありません。自動車 と自転車 を使 うことを話 したいのであれば、読者 と言葉 遊 びでもしていない限 り、「金属 の物体 に乗 る」とは言 わないでしょう。「車 を使 う、自転車 を使 う」というでしょう。同様 に、GNU/Linuxを使 うこととAndroidを使 うことを話 すのに明確 な方法 は、「GNU/LinuxとAndroidを使 う」です。 - どっちにしろシステムを“Linux”と
呼 んで、わたしたちのコミュニティのためにリーナス・トーバルズの広告塔 としての役割 を強化 すれば良 いのでは?(#helplinus) -
リーナス・トーバルズはかれの
目標 の「広告塔 」(ほかの人々 のい方 でわたしたち自身 の選択 ではありません)であり、わたしたちの目標 のそれではありません。かれの目標 はシステムをより人気 のあるものとすることで、社会 に対 するその価値 は単 に実際 的 な優位 性 (パワー、信頼 性 、容易 な入手 性 )にあると考 えています。かれが協力 する自由 を倫理 的 な原則 として擁護 したことは一 度 としてありません。これが、公衆 が“Linux”の名前 をその原則 と結 びつけることがない理由 です。リーナスは
自由 ソフトウェア運動 の理想 について公式 にかれの見解 の相違 を表明 しています。かれは不自由 なソフトウェアを仕事 として何 年 も開発 し(“Linux”Worldショーで多 くの聴衆 に向 かってそう言 いました)、かれとともに仕事 をするために不自由 なソフトウェアを使 うようにLinuxカーネルの仲間 の開発 者 を公式 に招 きました。かれはもっと先 に行 って、技術 者 と科学 者 は技術 的 な仕事 の社会 的 な結果 について考慮 すべきだという人々 を非難 しました。原子 爆 弾 の開発 から社会 が学 んだ教訓 を拒否 したわけです。自由 なプログラムを、学 ぶためや楽 しみのためを動機 として書 くことは、なにも間違 っていません。そういった理由 のためにリーナスの書 いたカーネルは、わたしたちのコミュニティへの重要 な貢献 でした。しかし、こういった動機 は完全 に自由 なシステムであるGNU/Linuxが存在 する理由 ではなく、将来 に渡 ってわたしたちの自由 を保証 してくれるものではありません。リーナスはかれ自身 の見解 を啓発 する権利 があるでしょう、しかし、人々 は問題 のオペレーティング・システムが自由 の理想 に由来 するものであり、かれの見解 に由来 するものではないと知 るべきです。 - リーナス・トーバルズの
仕事 をGNUとしてラベルを張 ることは間違 いではないですか? (#claimlinux) -
それはまちがいでしょう。ですからわたしたちはそうしていません。トーバルズの
仕事 はカーネルLinuxで、その仕事 をGNUプロジェクトのものだとしたり、“GNU”としてラベルをはったりしないよう、わたしたちは注意 しています。わたしたちが全体 のシステムを語 るとき、“GNU/Linux”の名前 は、謝意 をかれと共有 するのです。 - リーナス・トーバルズはLinuxが
単 にカーネルだということに同意 していますか?(#linusagreed) -
彼 は最初 からこれを認識 していました。もっとも古 いLinuxのリリースノートではこう書 かれています:linuxと
一緒 に使 うほとんどのツールはGNUソフトウェアで、GNUコピーレフトの元 です。これらのツールは配布 には入 っていませんので、より多 くの情報 は僕 (あるいはGNU)に頼 んでください。 - GNU Hurdカーネルを
完成 させてGNUシステムを全体 としてリリースし、GNU/Linuxと呼 ぶのはなにかの問題 を忘 れませんか? (#finishhurd) -
どのカーネルが
使 われているにしろ、GNUオペレーティング・システムに対 するシャイを示 したいと考 えます。GNU HurdをLinuxと
競争 するに足 るに充分 に良 くすることは大 きな仕事 で、明確 に必要 というわけではありません。カーネルとしてのLinuxで倫理 上 間違 っているたった一 つのことは、ファームウェア「ブロブ」の同 梱 だけであり、この問題 に対 する最適 の修正 は、そのブロブの自由 な代替 を開発 することです。 - この
戦 いはすでに負 けです。社会 はすでにそれを決定 していてわたしたちはそれを変 えることはできません。なのに、なぜさらにそれを考 えるのですか? (#lost) -
これは
戦 いではありません。教育 の運動 です。このシステムをどのように呼 ぶかは「社会 」がある時期 に行 う単一 の決定 ではなく、それぞれの人 、それぞれの組織 がどの名前 を使 うか決定 できるのです。あなたはほかの人 が“GNU/Linux”と言 わせることはできないかもしれませんが、あなたは“GNU/Linux”とこのシステムを呼 ぶことを自分 自身 で決定 できます。そしてそうすることは、ほかの人々 を教育 する手助 けとなるのです。 社会 はすでにそれを決定 していてわたしたちはそれを変 えることはできません。“GNU/Linux”と言 ってなにかいいことあるのでしょうか?(#whatgood)-
これは、すべてか
無 かの状況 ではありません。様々 な人々 によって多 かれ少 なかれ正 しい絵 や間 違 った絵 が流布 されています。システムを“GNU/Linux”と呼 べば、システムの本当 の歴史 と由来 と存在 する理由 について人々 が学 ぶ手助 けをできるでしょう。あなた自身 がすべての誤 った呼 び方 を訂正 することはできないでしょうし、わたしたちができることにも限界 があります。しかし、あなたは手伝 うことができるのです。数 百 人 の人 があなたが“GNU/Linux”という用語 を使 うのを見 るだけでも、ほんのちょっとの努力 で実 にたくさんの人々 を教育 することができるのです。そのうちの何人 かはほかの人々 に訂正 を広 めるでしょう。 - システムを“Linux”と
呼 び、人々 にはその本当 の出自 を10分 の説明 で教 える方 が良 いのではないでしょうか? (#explain) -
あなたがほかの
人 にその方法 で説明 することによってわたしたちを手伝 うならば、わたしたちはあなたの努力 に感謝 しますが、それは最善 の方法 ではありません。このシステムを“GNU/Linux”と呼 ぶことと同 じようには効果 的 ではなく、あなたの時間 を不 効率 に費 やしてしまうでしょう。それはなかなか
人々 の意識 に入 っていかないので、効果 的 ではなく、確実 に伝搬 しないでしょう。あなたの説明 を聞 いた人々 の何人 かは注意 を引 かれ、システムの由来 について正 しい絵 を学 ぶでしょう。しかし、システムについてかれらが語 るときにいつでもほかの人 にその説明 を繰 り返 すことは期待 できません。単 に“Linux”と呼 ぶかもしれません。特 に意図 がない限 り、かれらは間違 った絵 を広 める手助 けをしてしまうでしょう。たくさんの
時間 を費 やすのでそれは不 効率 です。“GNU/Linux”と言 ったり書 いたりするのは一 日 に数 秒 で、数 分 ではありません。ですから、もっとたくさんの人々 にこのやり方 で到達 することができます。あなたが書 いたり、話 したりするときに、LinuxとGNU/Linuxの区別 をすることは、GNUプロジェクトを効果 的 に手助 けするもっとも簡単 な方法 です。 - GNU/Linuxとシステムを
呼 ぶようにとあなたが要求 するとき、ある人々 はあなたを笑 います。あなたがこのような扱 いを受 けるのはなぜでしょうか? (#treatment) -
このシステムを“Linux”と
呼 ぶことは、人々 にこのシステムの歴史 と存在 理由 に関 して間違 った絵 を与 えてしまいがちです。わたしたちの要請 を笑 う人々 はおそらく間違 った絵 を取 り上 げているのです。かれらはわたしたちの仕事 がリーナスによって実現 されたと考 え、それにわたしたちが謝辞 を要求 するとき笑 うのです。真実 を知 れば、おそらく笑 わないでしょう。なぜ、
人々 がわたしたちを笑 いものにするような結果 に時々 導 くようなお願 いをするリスクをわたしたちは取 るのでしょうか? それはGNUプロジェクトを助 ける有用 な結果 をしばしばもたらすからです。わたしたちは、わたしたちの目標 を達成 するために不当 な扱 いのリスクを享受 します。皮肉 にも不 公正 な状況 が起 こっているのを見 た場合 、だまって座 っていないでください。お願 いがなぜ正当 とされるのかを人々 が知 るとき、見識 のある人々 は笑 うのを止 めるでしょう。 - あなたがシステムをGNU/Linuxと
呼 ぶよう要求 するとき、ある人々 はあなたを非難 します。かれらと仲違 いしては損失 ではないですか? (#alienate) -
そんなに
多 くの損失 ではないでしょう。システムの開発 におけるわたしたちの役割 を評価 しない人々 が、わたしたちを手助 けする重要 な努力 をするのはありそうにないことです。もし、かれらが、わたしたちの目標 を先 に勧 める仕事 、自由 ソフトウェアをリリースするなど、をするならば、おそらくほかの関係 しない理由 からで、わたしたちがかれらにお願 いしたからではないでしょう。その間 、わたしたちの仕事 をほかの誰 かに帰 するものだとほかの人々 に教 えることで、わたしたちのほかの人々 の助力 を要請 する能力 をかれらは削 り取 っているのです。すでにほとんど
非 協力 的 な人々 を遠 ざけることについて心配 することはありません。それを続 ける人々 に対 してわたしたちが怒 らず、大 きな問題 を訂正 するのを阻止 されるままでいるのは自滅 です。ですから、わたしたちは誤 称 を訂正 するよう続 けるのです。 - なににあなたが
貢献 したにしろ、オペレーティング・システムを改名 することは正当 でしょうか?(#rename) -
わたしたちはなにも
改名 していません。わたしたちは、1983に発表 以来 、このシステムをずっと“GNU”と呼 んで来 ました。このシステムを“Linux”と改名 しようとした人々 は、そうするべきではなかったのです。 - システムを“GNU/Linux”と
呼 ぶように人々 に強制 することは間違 いではないでしょうか?(#force) -
強制 することは間違 っているでしょうし、わたしたちはそうしようとはしません。わたしたちはシステムを“GNU/Linux”と呼 び、あなたもそうしましょうとお願 いします。 - “Linux”と
全体 のシステムを呼 ぶ人々 を訴 えてはどうでしょう? (#whynotsue) -
そういった
人々 を訴 える法律 上 の要因 は何 もありませんが、わたしたちは言論 の自由 を信 じていますので、いずれにしろ訴 えようとは思 いません。それが正 しいことなので、わたしたちは人々 にシステムを“GNU/Linux”と呼 ぶようにお願 いします。 - GNU GPLになにかを
入 れて、人々 がシステムを“GNU”と呼 ぶように要求 するべきではないですか?(#require) -
GNU GPLの
目的 は、自由 ソフトウェアからプロプライエタリな版 を作 ろうとする人々 から、利用 者 の自由 を守 ることです。システムを“Linux”と呼 ぶ人々 は、しばしば利用 者 の自由 を制限 するようなこと、不自由 なソフトウェアをGNU/Linuxシステムにバンドルしたりあるいは(GNU/Linuxのための)不自由 なソフトウェアを開発 したりする、それは事実 ですが、単 にシステムを“Linux”と呼 ぶこと、それ自身 は、利用 者 の自由 を否定 するものではありません。GPLがそのシステムのために人々 が使 える名前 を制限 することは適切 とは言 い難 いと思 われます。 - カリフォルニア
大学 への謝意 を示 す宣伝 の要求 があるオリジナルのBSDライセンスに、あなたは反対 したのですから、GNUプロジェクトへの謝意 を要求 するのは偽善 ではないでしょうか? (#BSDlicense) -
GNU/Linuxの
名前 をライセンスの要求 とすることは偽善 でしょう。わたしたちはそうしていません。わたしたちは、わたしたちが受 けるべき謝意 を示 すことをお願 いしているだけです。少 なくとも二 つの異 なるBSDライセンスがあることに注意 してください。明確 にするために、どちらであるか指定 せずに「BSDライセンス」という用語 を使 わないでください。 - GNU
GPLに
人々 にシステムを“GNU”と呼 ぶようにと要求 するなにかを入 れることに失敗 したのだから、起 こったことを受 け止 めましょう。今 、なぜ文句 を言 うのでしょうか?(#deserve) -
この
質問 は、むしろ議論 を呼 ぶ一般 的 な倫理 的 論拠 を前提 としています。公正 に扱 うように人々 があなたを強制 しないならば、あなたはやりたいように人々 を利用 してよい、という考 えです。別 の言葉 で言 うと、それが正 しいことになる、と仮定 しています。わたしたちがそうするようにあなたもその
論拠 に反対 することを望 みます。 - こんなにも
多 くの人 が信 じていることを否定 しないほうがよくないでしょうか?(#contradict) -
たくさんの
人 が誤解 しているからといって、わたしたちも一緒 にそうするべきだとわたしたちは考 えません。あなたも真実 が重要 だと決定 するよう、わたしたちは望 みます。ほとんどの
人 が持 っていた、プロプライエタリなソフトウェアは正当 で容認 できるという確信 を、まず否定 することなしには、わたしたちは自由 のオペレーティング・システムを開発 することができなかったでしょう。 多 くの人 がそれを“Linux”と言 っています。それによって正 しいということになりませんか? (#somanyright)-
間 違 いの人口 がそれを真実 にする、というようにわたしたちは考 えません。 - ほとんどのユーザが
既 に知 っている名前 でそのシステムを呼 ぶ方 が良 くないですか? (#knownname) -
ユーザは
学習 できないのではありません。“GNU/Linux”は“Linux”を含 んでいますから、あなたの言 っているところをユーザは認識 するでしょう。時々 、「(しばしば、誤 って‘Linux’と参照 されます)」と加 えれば、ユーザはすべて理解 するでしょう。 多 くの人 は、どれが便利 か、あるいは、誰 が勝 っているかについては関心 がありますが、正否 の議論 には関心 がありません。別 の方法 でかれらの支持 を得 ようとは思 いませんか?(#winning)-
なにが
便利 で誰 が勝 っているかだけに関心 を払 うのは、人生 において道徳 を鑑 みないやり方 でしょう。不自由 なソフトウェアはそのような道徳 を鑑 みないやり方 の一 例 であり、それによって栄 えました。ですから、長期 的 に考 えると、そのやり方 を採用 するのはわたしたちにとっては自滅 の道 でしょう。わたしたちは、正否 の観点 で論議 を続 けます。わたしたちは、あなたが
正否 を問題 とする人 であることを希望 します。
この問題 についてもっと学 ぶには、わたしたちのページのLinuxとGNUシステムについて、なぜGNU/Linux?、GNUについてなにも聞 いたことがないGNUユーザをご覧 ください。