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教授が薦める塾生に読んでほしい「この1冊」『母よ!殺すな』横塚晃一著 生活書院 文学部社会学専攻 岡原正幸教授 |
文学部ぶんがくぶ教授きょうじゅ三田みたいえLLP。1980ねん慶大けいだい経済学部けいざいがくぶそつ、1987ねん社会しゃかいがく研究けんきゅう博士はかせ課程かてい修了しゅうりょう感情かんじょう社会しゃかいがく障害しょうがいがくをベースに理論りろん実地じっち研究けんきゅうおこなう。ゼミでは、映像えいぞう社会しゃかいがく観点かんてんからアートワークショップや映画えいが製作せいさくとうみ、あたらしい表現ひょうげんかた模索もさく。『なま技法ぎほう施設しせつらす障害しょうがいしゃ社会しゃかいがく』(藤原ふじわら書店しょてん、1990ねん)、『感情かんじょう社会しゃかいがく』(世界せかい思想しそうしゃ、1997ねん)とう著書ちょしょがある。

1975ねんにすずさわ書店しょてんより出版しゅっぱんされた本書ほんしょ生活せいかつ書院しょいんより増補ぞうほされて復刊ふっかんされた。「脳性のうせいマヒとしてきる」「差別さべつ以前いぜんなにかがある」「ある障害しょうがいしゃ運動うんどう目指めざすもの」「「さようならCP」上映じょうえい討論とうろんしゅう」というよん内容ないよう、そして本多ほんだ勝一かついち記者きしゃ作家さっか)の序文じょぶん(『貧困ひんこんなる精神せいしん所収しょしゅう母親ははおやころされるがわ論理ろんり」)はそのままに、新版しんぱんでは補遺ほいとして、収録しゅうろく文章ぶんしょう、オリジナルが出版しゅっぱんされてさん年余ねんよくなった著者ちょしゃへの追悼ついとうぶんはら一男かずお映像えいぞう作家さっか)によってられたドキュメンタリー映画えいが「さようならCP」のシナリオ、このくに障害しょうがいしゃ運動うんどう転換てんかんさせた「あおしばかい」にかかわる年表ねんぴょう、そして立岩たていわしん也氏(生命せいめいがく)による解説かいせつふくまれている。
横塚よこつか晃一こういちさん、1978ねんぼつ脳性のうせいマヒしゃであったかれは、このくに障害しょうがいしゃ運動うんどうにおいて、庇護ひごされ保護ほごされる対象たいしょうへの資源しげん投入とうにゅう可否かひでしかなかった社会しゃかい政策せいさくてき視点してんとはまったくことなる地点ちてん位置いちし、障害しょうがいつことの存在そんざい理由りゆう前面ぜんめんし、弱者じゃくしゃ救済きゅうさいかれとしていた社会しゃかいそのものに猛省もうせいうながした。
ぼくのすずさわばんほんにはみがいちはいだ。20さいぼくみ、最初さいしょ下線かせんかれた横塚よこつかさんのことば、「我々われわれ社会しゃかい不当ふとう差別さべつたたか場合ばあい我々われわれ内部ないぶにあるあかぼうせい、つまりおやのいうままにしたがうこと、いいかえればおや代表だいひょうされる常識じょうしきした差別さべつ意識いしきたいして批判ひはん従属じゅうぞくしてしまうことが問題もんだいなのである」。そこにつなげて、ニーチェ(奴隷どれい根性こんじょう)、土居どいあまえ)、フロム(自由じゆうからの逃走とうそう)といったフレーズ。あるしゅ硬質こうしつな「革命かくめい」に自分じぶんおどらせていた時代じだい障害しょうがいしゃ運動うんどうのマニフェストを自分じぶんせいのマニフェストにしようとしていたころである。健常けんじょうしゃであることの特権とっけんせい自身じしんいかけ、自分じぶんえようと模索もさくしていた年頃としごろである。
当時とうじ、ジャーナリズムといういとなみがもつ社会しゃかいへの批判ひはんせい存分ぞんぶん意識いしきさせ、取材しゅざいという作業さぎょうのもつちからをいろいろにかんじさせてくれたのが本多ほんだ一連いちれん文章ぶんしょうだったし、事実じじつるというドキュメンタリーのいいぶん否定ひていし、自分じぶんという主観しゅかんめ、主体しゅたい客体かくたい反転はんてんするまでに、被写体ひしゃたいという他者たしゃかかわらせることのあつたおせさを目撃もくげきさせてくれたのがはら作品さくひんだった。そしてもちろん横塚よこつかも、障害しょうがいという事象じしょう個人こじん還元かんげんすることなく、また社会しゃかい不備ふびだけにしつけることなく、試行しこうかえしていた。
わか注入ちゅうにゅうすべきたましい全編ぜんぺんながれる書物しょもつ一度いちどにとってしい。