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WINDOW Spring No.32
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言葉
ことば
の
壁
かべ
もなんのその(
明徳義塾
めいとくぎじゅく
高校
こうこう
での
交流
こうりゅう
会
かい
)
(財)
ざいだんほうじん
高知
こうち
県
けん
国際
こくさい
交流
こうりゅう
協会
きょうかい
2002
世界
せかい
の
笑顔
えがお
集
あつ
まれ
Spring No.32
〈
特集
とくしゅう
〉
韓国
かんこく
光州
こうしゅう
友好
ゆうこう
訪問
ほうもん
団
だん
来
らい
高
だか
◆「
国際
こくさい
技術
ぎじゅつ
・
文化
ぶんか
交流
こうりゅう
と
心
しん
と
物
もの
の
循環
じゅんかん
について…」
高知
こうち
県
けん
青年
せいねん
海外
かいがい
協力
きょうりょく
隊
たい
OB
会
かい
葛
かずら
目
め
収
おさむ
治
ち
◆「
中国
ちゅうごく
上海
しゃんはい
市
し
金山
かなやま
区
く
と
友好
ゆうこう
交流
こうりゅう
」
安芸
あき
市
し
企画
きかく
振興
しんこう
課
か
◆
民間
みんかん
国際
こくさい
交流
こうりゅう
団体
だんたい
紹介
しょうかい
「
土佐
とさ
ロシア
交流
こうりゅう
協会
きょうかい
」
◆Letters from Abroad
大原
おおはら
美智
みち
(マレーシア)
藤田
ふじた
かおり(アルゼンチン)
お
ぴ
に
お
ん
「
国際
こくさい
技術
ぎじゅつ
・
文化
ぶんか
交流
こうりゅう
と
心
しん
と
物
もの
の
循環
じゅんかん
について…」
高知
こうち
県
けん
青年
せいねん
海外
かいがい
協力
きょうりょく
隊
たい
OB
会
かい
葛
かずら
目
め
収
おさむ
治
ち
ケニアの
教
おし
え
子
ご
たち
東
ひがし
アフリカのケニア
共和
きょうわ
国
こく
に
青年
せいねん
海外
かいがい
協力
きょうりょく
隊
たい
理数
りすう
科
か
教師
きょうし
として
赴任
ふにん
したのは
昭和
しょうわ
60
年
ねん
4
月
がつ
のことでした。
現地
げんち
の
生活
せいかつ
は
物
もの
の
豊
ゆた
かな
日本
にっぽん
と
比
くら
べると
質素
しっそ
なものでしたが、
彼
かれ
らはそれを
貧困
ひんこん
とは
感
かん
じていないようでした。そこには
無
な
いものは
無
な
いとして
受
う
け
入
い
れ、ゆとりのある
生活
せいかつ
のなかで
人生
じんせい
を
楽
たの
しむケニア
人
じん
の
明
あか
るい
姿
すがた
がありました。
現地
げんち
では、「
日本
にっぽん
や
日本人
にっぽんじん
はケニアの
人々
ひとびと
から
慕
した
われ
信頼
しんらい
されている」ということを
同僚
どうりょう
の
教師
きょうし
仲間
なかま
からよく
聞
き
きました。これはケニア
人
じん
の
特質
とくしつ
と
日本人
にっぽんじん
の
性質
せいしつ
の
双方
そうほう
に
起因
きいん
していると
思
おも
います。
ある
日
ひ
、
同僚
どうりょう
のケニア
人
じん
教師
きょうし
を
訪
たず
ねた
時
とき
のこと、
彼
かれ
はちょうど
夕飯
ゆうはん
を
食
た
べていました。メニューは
一
いち
握
にぎ
りのウガリ(とうもろこしの
一種
いっしゅ
の
粉
こな
を
団子
だんご
にしたもの)とスクマ(キャベツの
仲間
なかま
)の
油
あぶら
いためです。「こっちに
来
き
て
夕食
ゆうしょく
を
一緒
いっしょ
に
食
た
べよう。」「いや、
二人
ふたり
で
食
た
べると
君
きみ
の
分
ぶん
が…。」「
気
き
にするな、
一緒
いっしょ
に
食
た
べよう。」
結局
けっきょく
、ご
馳走
ちそう
になってしまいました。ケニアの
人々
ひとびと
はどんな
時
とき
でも、ともにいる
人
ひと
と
分
わ
け
合
あ
うことが
自然
しぜん
にできるのです。
ケニアとエチオピアの
国境
こっきょう
にて
そして
日本人
にっぽんじん
のほうは、
宗教
しゅうきょう
や
肌
はだ
の
色
いろ
をこえて
相手
あいて
のことを
思
おも
いやることができます。
同僚
どうりょう
と
知
し
り
合
あ
えたらその
人
ひと
の
兄弟
きょうだい
姉妹
しまい
、
親
おや
や
配偶
はいぐう
者
しゃ
までも
知
し
りたいと
思
おも
って
相手
あいて
の
家
いえ
にまで
遊
あそ
びに
行
い
き、そこの
家族
かぞく
とも
親
した
しくなったりします。これが
日本人
にっぽんじん
の
融合
ゆうごう
、
和合
わごう
の
性質
せいしつ
ではないかと
思
おも
っています。 また
青年
せいねん
海外
かいがい
協力
きょうりょく
隊
たい
の
精神
せいしん
は、
相手
あいて
に
指示
しじ
するばかりの「
指導
しどう
」ではなく、
相手
あいて
が
自分
じぶん
で
問題
もんだい
解決
かいけつ
をしてゆくための「
支
ささえ
導
みちびけ
(ささえ、みちびく)」をするということだと
思
おも
っています。
帰国
きこく
して
十
じゅう
数
すう
年
ねん
たって
今
いま
思
おも
うことは、
世界
せかい
の
国々
くにぐに
にある「
競争
きょうそう
」という
考
かんが
え
方
かた
を「
協奏
きょうそう
」という
音色
ねいろ
に、また「
勝算
しょうさん
」を「
称賛
しょうさん
」、「
損得
そんとく
」を「
尊徳
そんとく
」へと
調律
ちょうりつ
しなおし、
違
ちが
う
思想
しそう
や
宗教
しゅうきょう
を
持
も
った
国家
こっか
としての「
一体
いったい
感
かん
」を
国家
こっか
の
集合
しゅうごう
体
たい
である
地球
ちきゅう
意識
いしき
という「
連帯
れんたい
感
かん
」へと
育
はぐく
むことの
大切
たいせつ
さです。
そして、「
今
いま
の
地球
ちきゅう
」というオーケストラのまとめ
役
やく
として
最適
さいてき
なのは
日本
にっぽん
ではないかということです。それが
出来
でき
る
知識
ちしき
、
技術
ぎじゅつ
、
経験
けいけん
、
資金
しきん
は
日本
にっぽん
にあると
思
おも
います。そんな
夢
ゆめ
をもって
青年
せいねん
海外
かいがい
協力
きょうりょく
隊
たい
OB
会
かい
会員
かいいん
として
日本
にっぽん
と
外国
がいこく
の
技術
ぎじゅつ
、
文化
ぶんか
交流
こうりゅう
にこれからも
積極
せっきょく
的
てき
にかかわってゆきたいと
思
おも
います。
さて、
十
じゅう
数
すう
年
ねん
前
まえ
に
比
くら
べ
今
いま
は
自然
しぜん
環境
かんきょう
問題
もんだい
が
顕著
けんちょ
に
現
あらわ
れてきています。このままでは「
世界
せかい
が
平和
へいわ
になっても
地球
ちきゅう
には
住
す
めない」ということにもなりかねません。
事態
じたい
は
深刻
しんこく
なところまできています。
例
たと
えば
地球
ちきゅう
の
温暖
おんだん
化
か
の
原因
げんいん
と
言
い
われるCO2の
大量
たいりょう
排出
はいしゅつ
が
始
はじ
まったのは200
年
ねん
前
まえ
です。
蒸気
じょうき
機関
きかん
が
発明
はつめい
され
大量
たいりょう
に
化石
かせき
燃料
ねんりょう
が
燃
も
やされました。そして「なんか
地球
ちきゅう
の
温度
おんど
が
上
あ
がり
始
はじ
めたな」と
気
き
づいたのは100
年
ねん
前
まえ
です。なんと
騒
さわ
ぎ
出
だ
したのは5
年
ねん
前
まえ
です。
私
わたし
たちの
自然
しぜん
環境
かんきょう
に
対
たい
する
感覚
かんかく
は、それくらい
愚鈍
ぐどん
なのです。
これからの
国際
こくさい
協力
きょうりょく
・
交流
こうりゅう
活動
かつどう
は、
自然
しぜん
環境
かんきょう
問題
もんだい
を
考
かんが
えつつ
国際
こくさい
技術
ぎじゅつ
・
文化
ぶんか
交流
こうりゅう
を
同時
どうじ
に
進
すす
めてゆくことが
必要
ひつよう
です。
個人
こじん
としても
青年
せいねん
海外
かいがい
協力
きょうりょく
隊
たい
OB
会
かい
会員
かいいん
としても、このことを
忘
わす
れず、21
世紀
せいき
の
国際
こくさい
活動
かつどう
に
取
と
り
組
く
んでゆきたいと
思
おも
っています。
協力
きょうりょく
隊
たい
時代
じだい
の
同僚
どうりょう
、ウガンダ
人
じん
夫妻
ふさい
と
現地
げんち
訓練
くんれん
の
一環
いっかん
でホームステイしたお
宅
たく
の
家族
かぞく
と(
電気
でんき
はなく、
明
あ
かりは
後
うし
ろに
写
うつし
ったランプのみ、
壁
かべ
は
土
ど
壁
かべ
でした。)
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