音楽家 おんがくか レイ・ハラカミの没後 ぼつご 10年 ねん を迎 むか えた今年 ことし 、日本 にっぽん 科学 かがく 未 み 来館 らいかん はハラカミが作中 さくちゅう 音楽 おんがく を手 て がけたプラネタリウム作品 さくひん 「暗 くら やみの色 いろ 」(2005)を約 やく 1カ月 かげつ 間 あいだ にわたってリバイバル上映 じょうえい した。同 どう 作 さく は当時 とうじ テクノ/エレクトロニカのジャンルで活躍 かつやく していたハラカミをはじめ、ナレーションにクラムボンの原田 はらだ 郁子 いくこ 、作中 さくちゅう に谷川 たにがわ 俊太郎 しゅんたろう の詩 し を盛 も り込 こ むなど、ジャンルを超 こ えたさまざまなカルチャーを融合 ゆうごう させ、宇宙 うちゅう の暗 くら やみが持 も つ神秘 しんぴ を表現 ひょうげん している。この科学 かがく と芸術 げいじゅつ の融合 ゆうごう による新 あら たな世界 せかい 観 かん の獲得 かくとく を目指 めざ した特別 とくべつ プログラムの再 さい 上映 じょうえい を記念 きねん して開催 かいさい された原田 はらだ 、谷川 たにがわ (オンライン参加 さんか )、そして企画 きかく ・プロデュースを担当 たんとう した森田 もりた 菜 さい 絵 え によるトークイベントの一部 いちぶ をレポートする。
トークのテーマは「『暗 くら やみの色 いろ 』から生 う まれることば」—— 。
宇宙 うちゅう の暗 くら やみに誘 さそ われ
提供 ていきょう :日本 にっぽん 科学 かがく 未 み 来館 らいかん
—— みなさんがこうやってお集 あつ まりになるのはいつ以来 いらい ですか。
森田 もりた この作品 さくひん が初 はじ めて公開 こうかい されたのが2005年 ねん の12月なのですが、2006年 ねん の1月 がつ 末 まつ におふたりをお招 まね きして私 わたし を含 ふく む3人 にん で、上映 じょうえい を見 み た後 のち にお話 はなし をさせていただきました。ちなみに、その様子 ようす は現在 げんざい 未 み 来館 らいかん のウェブサイト で公開 こうかい している当時 とうじ のガイドブックに掲載 けいさい されています。(*編集 へんしゅう 注 ちゅう :8月 がつ 20日 はつか まで) だから3人 にん が揃 そろ うのは約 やく 15年 ねん ぶりですね。
原田 はらだ はい。お久 ひさ しぶりです。再 さい 上映 じょうえい としてはいつぶりでしょうか?
森田 もりた ハラカミさんが亡 な くなられた2011年 ねん にもあったんですけど、その後 ご 、公開 こうかい 10年 ねん 目 め の2015年 ねん にも再 さい 上映 じょうえい の機会 きかい がありました。
原田 はらだ そうなんですね。今日 きょう レコードを持 も ってきたのですが、ハラカミさんのこの「暗 くら やみの色 いろ 」のサウンドトラックは、自分 じぶん でも今 いま でもよく聴 き いているんです。さっき久 ひさ しぶりにプラネタリムを拝見 はいけん して、やっぱりこの音楽 おんがく は未 み 来館 らいかん のこの環境 かんきょう で鳴 な らされるために作 つく られたもので、谷川 たにがわ さんの詩 し はこのコンテンツのために書 か かれたものだったんだな、と改 あらた めて思 おも いました。とても豊 ゆた かな時間 じかん でした。
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—— 同 どう 作 さく では音楽 おんがく にレイ・ハラカミさん、ナレーションに原田 はらだ 郁子 いくこ さんを起用 きよう されていますが、そこにはどのような経緯 けいい があったのでしょうか。
森田 もりた もともとこの作品 さくひん は当時 とうじ 、最 もっと も先進 せんしん 的 てき とギネスワールドレコーズにも認定 にんてい されたプラネタリウム「MEGASTAR-II cosmos」のオリジナルコンテンツ2作 さく 目 め として制作 せいさく しました。1作 さく 目 め は、このプラネタリウムならば天 あま の川 がわ までくっきり見 み える、といったように、“見 み える”ことをテーマにしていたのですが、2作 さく 目 め では逆 ぎゃく にこれだけ見 み えるにもかかわらず、“見 み えない”ものが宇宙 うちゅう には存在 そんざい すること、宇宙 うちゅう の暗闇 くらやみ の部分 ぶぶん に注目 ちゅうもく したんです。タイトルを「暗 くら やみの色 いろ 」と決 き めた後 のち 、音楽 おんがく をどうしようかなと悩 なや んだのですが、当時 とうじ 「色彩 しきさい をはらんだ電子 でんし 音 おん 」などとも評 ひょう されていたハラカミさんの音楽 おんがく にテーマとの親和 しんわ 性 せい を感 かん じたため、ハラカミさんにお願 ねが いすることにしました。ナレーションにはアナウンサーのような解説 かいせつ 的 てき な語 かた りではなく、ささやくように語 かた りかけるのに合 あ う声 こえ の女性 じょせい を探 さが していたのですが、そうした意味 いみ で原田 はらだ さんはまさにぴったりでした。
原田 はらだ おそらくこの企画 きかく は、未 み 来館 らいかん としても、プラネタリウム作品 さくひん としても、とっても挑戦 ちょうせん 的 てき な顔合 かおあ わせだったんじゃないかと思 おも います。本当 ほんとう に私 わたし でいいのかな、と思 おも うくらい。ナレーションは不慣 ふな れだったのですが、「あまりかしこまった感 かん じでなくて、耳元 みみもと で話 はな しかけているような声 こえ のトーンで」といったことを言 い っていただきながら、手探 てさぐ りで録音 ろくおん していったのを覚 おぼ えています。
—— 作中 さくちゅう 後半 こうはん 、原田 はらだ さんが谷川 たにがわ さんの「闇 やみ は光 ひかり の母 はは 」という詩 し を朗読 ろうどく されますが、谷川 たにがわ さんにはどのような経緯 けいい で詩 し を依頼 いらい されたのですか。
森田 もりた 大筋 おおすじ のシナリオの部分 ぶぶん は書 か き上 あ げていたのですが、最後 さいご の部分 ぶぶん がどうも締 し まらないと感 かん じて、そこだけがずっと空欄 くうらん になっていたんです。そんな時 とき にハラカミさんからサンプル音源 おんげん が届 とど いたのですが、それが思 おも っていた以上 いじょう に素晴 すば らしいもので。そこで、これは最後 さいご の部分 ぶぶん は谷川 たにがわ さんにお願 ねが いするしかないと決心 けっしん しました。
実 じつ は谷川 たにがわ さんの『はるかな国 くに からやってきた』という詩集 ししゅう に収録 しゅうろく されている「見 み る」という詩 し を、企画 きかく 作 づく りや作品 さくひん のイメージ作 づく りにすごく参考 さんこう にさせていただいていました。ナレーション録 ろく りの予定 よてい 日 び の1カ月 かげつ 半 はん ほど前 まえ でしょうか、谷川 たにがわ さんにお手紙 てがみ でお願 ねが いをしたら、その1週間 しゅうかん 後 ご くらいに「やってみようと思 おも います」というご返答 へんとう をいただきました。そこからさらに1カ月 かげつ 後 ご くらいにファックスで「闇 やみ は光 ひかり の母 はは 」という詩 し が届 とど いたんです。未 み 来館 らいかん のなんの変哲 へんてつ もない事務所 じむしょ に、「闇 やみ は光 ひかり の母 はは 」と書 か かれたファックスが届 とど いていて、そこには崇高 すうこう な詩 し が綴 つづ られている。なんだかその様子 ようす にくらくらしたのを覚 おぼ えています。
谷川 たにがわ 僕 ぼく が闇 やみ というものを肯定 こうてい 的 てき にとらえることができるようになったのは、この詩 し を書 か いたおかげという感 かん じがありますね。子 こ どもの頃 ころ から暗 くら いところが怖 こわ いものだから、それまでは闇 やみ というものを否定 ひてい 的 てき に考 かんが えていた部分 ぶぶん があるんです。けれども詩 し を書 か いたことで、実 じつ は闇 やみ の中 なか にも見 み えるもの、感 かん じられるものが人間 にんげん にはあるという、闇 やみ の豊 ゆた かさみたいなものに視点 してん が変 か わっていきました。僕 ぼく の「見 み る」という詩 し を読 よ んでくださっていたというのはすごく良 よ かった。あれはだいぶ前 まえ に、闇 やみ とは関係 かんけい なく書 か いた詩 し なんだけど、自分 じぶん でもとても気 き に入 い っているんです。その時 とき から人間 にんげん が「見 み る」ということは肉眼 にくがん だけじゃないという思 おも いがあったんですね。
科学 かがく から生 う まれる言葉 ことば たち
提供 ていきょう :日本 にっぽん 科学 かがく 未 み 来館 らいかん
—— 谷川 たにがわ さんはこれまで様々 さまざま なことに影響 えいきょう を受 う けながら詩 し を書 か かれてきたと思 おも うのですが、科学 かがく 的 てき なものから影響 えいきょう を受 う けることはあるのでしょうか。
谷川 たにがわ 影響 えいきょう を受 う けたというわけではないけど、僕 ぼく の最初 さいしょ の詩集 ししゅう は『二 に 十 じゅう 億 おく 光年 こうねん の孤独 こどく 』という題名 だいめい なんですよね。二 に 十 じゅう 億 おく 光年 こうねん というのは当時 とうじ の宇宙 うちゅう の大 おお きさなんです。なぜその言葉 ことば が出 で てきたのかというと、ちょうど10代の終 お わり頃 ころ に、自分 じぶん は何者 なにもの なんだろうということをみんな考 かんが えますよね。その時 とき に僕 ぼく は「座標 ざひょう 」ということを考 かんが えたんです。
自分 じぶん が今 いま 生 い きている座標 ざひょう をどのように決 き めればいいだろうと。場所 ばしょ で言 い うと僕 ぼく は東京 とうきょう の杉並 すぎなみ 区 く に住 す んでいたのですが、杉並 すぎなみ を中心 ちゅうしん にどんどん場所 ばしょ を拡大 かくだい していくと、日本 にっぽん になり、世界 せかい になり、地球 ちきゅう になって、太陽系 たいようけい となって……。そう考 かんが えると結局 けっきょく 自分 じぶん というものは、宇宙 うちゅう の中 なか のある一 いち 点 てん に存在 そんざい するんだという感覚 かんかく になったんですね。今度 こんど はそれを時間 じかん 軸 じく で考 かんが えてみたのだけど、時間 じかん のはじまりも終 お わりもわからなかったから、人間 にんげん の頭 あたま では考 かんが えられないような座標 ざひょう だと思 おも って。だからこの詩 し の最後 さいご は「二 に 十 じゅう 億 おく 光年 こうねん の孤独 こどく に 僕 ぼく は思 おも わずくしゃみをした」という、訳 わけ もわからずどうしようもなくてハクションって言 い っちゃった、というようなオチになっているんです。
僕 ぼく は科学 かがく の情報 じょうほう というものに常 つね に興味 きょうみ があってね。新 あたら しい情報 じょうほう があるとつい見 み てしまって、それが何 なに かの形 かたち で自分 じぶん の中 なか に入 はい ってきているのだと思 おも う。というのは、科学 かがく が教 おし えてくれるものは全部 ぜんぶ 自分 じぶん の外 そと にあるものなんですよ。それと同時 どうじ に人間 にんげん というのは自分 じぶん の内面 ないめん というものをどうしても考 かんが えるわけで。実際 じっさい の宇宙 うちゅう と、自分 じぶん の内面 ないめん の宇宙 うちゅう というのかな。自分 じぶん の外 そと と内 うち にあるふたつの宇宙 うちゅう というものの関連 かんれん もどうしても考 かんが えざるを得 え なくなっていますね。科学 かがく 的 てき な情報 じょうほう があるからこそ、かえってわからない自分 じぶん の内面 ないめん に気持 きも ちが行 い くんだろうなと思 おも います。先 さき ほどの「見 み る」という詩 し でも、外 そと のものを見 み ることと、自分 じぶん の内面 ないめん を見 み るということがどこかでつながっているんですね。
Vol.2へつづく
谷川 たにがわ 俊太郎 しゅんたろう
詩人 しじん 。1931年 ねん 東京 とうきょう 生 う まれ。1952年 ねん 第 だい 一 いち 詩集 ししゅう 『二 に 十 じゅう 億 おく 光年 こうねん の孤独 こどく 』を刊行 かんこう 。1962年 ねん 「月 つき 火 ひ 水木 みずき 金 きん 土日 どにち の歌 うた 」で第 だい 四 よん 回 かい 日本 にっぽん レコード大賞 たいしょう 作詩 さくし 賞 しょう 、1975年 ねん 『マザー・グースのうた』で日本 にっぽん 翻訳 ほんやく 文化 ぶんか 賞 しょう 、1982年 ねん 『日々 ひび の地図 ちず 』で第 だい 三 さん 十 じゅう 四 よん 回 かい 読売 よみうり 文学 ぶんがく 賞 しょう 、1993年 ねん 『世間 せけん 知 ち ラズ』で第 だい 一 いち 回 かい 萩原 はぎはら 朔太郎 さくたろう 賞 しょう など受賞 じゅしょう ・著書 ちょしょ 多数 たすう 。詩作 しさく のほか、絵本 えほん 、エッセイ、翻訳 ほんやく 、脚本 きゃくほん 、作詞 さくし など幅広 はばひろ く作品 さくひん を発表 はっぴょう している。
原田 はらだ 郁子 いくこ
1975年 ねん 福岡 ふくおか 生 う まれ。1995年 ねん にバンド「クラムボン」を結成 けっせい 。歌 うた と鍵盤 けんばん を担当 たんとう 。バンド活動 かつどう と並行 へいこう して、さまざまなミュージシャンとの共演 きょうえん 、共 とも 作 さく 、ソロ活動 かつどう も精力 せいりょく 的 てき に行 おこな い、舞台 ぶたい 音楽 おんがく 、CM歌唱 かしょう も多数 たすう ある。ソロアルバムは『ピアノ』『気配 けはい と余韻 よいん 』『ケモノと魔法 まほう 』『銀河 ぎんが 』を発表 はっぴょう 。2010年 ねん 、吉祥寺 きちじょうじ の多目的 たもくてき スペース&カフェ「キチム」の立 た ち上 あ げに携 たずさ わる。
http://www.clammbon.com
森田 もりた 菜 さい 絵 え
1976年 ねん 東京 とうきょう 生 う まれ。大学 だいがく 卒業 そつぎょう 後 ご 、テレビ番組 ばんぐみ 制作 せいさく 会社 かいしゃ を経 へ て、2004年 ねん より日本 にっぽん 科学 かがく 未 み 来館 らいかん にてMEGASTAR-Ⅱcosmosのコンテンツ企画 きかく に携 たずさ わる。「新 あたら しい眺 なが め」「暗 くら やみの色 いろ 」「偶然 ぐうぜん の惑星 わくせい 」「BIRTHDAY」「夜 よる はやさしい」など。2010年 ねん より渡 わたり 蘭 らん 、V2_Institute for the Unstable Mediaにて研修 けんしゅう 。2012年 ねん 、株式会社 かぶしきがいしゃ マアルトを設立 せつりつ 。現在 げんざい 、プロデュース作 さく 「ハナビリウム」が全国 ぜんこく で上映 じょうえい 中 ちゅう 。
トークイベントのアーカイブ動画 どうが を配信 はいしん 中 ちゅう !
日本 にっぽん 科学 かがく 未 み 来館 らいかん の公式 こうしき Youtubeチャンネルでは本 ほん イベントのアーカイブを8月 がつ 20日 はつか まで公開 こうかい している。ぜひこの機会 きかい をお見逃 みのが しなく。
日本 にっぽん 科学 かがく 未 み 来館 らいかん とは
提供 ていきょう :日本 にっぽん 科学 かがく 未 み 来館 らいかん
東京 とうきょう ・お台場 だいば にあり、観光 かんこう スポットから足 あし を延 の ばして、気軽 きがる に科学 かがく ・技術 ぎじゅつ に触 ふ れることのできる場所 ばしょ 。展示 てんじ をはじめ、トークセッション、ワークショップなど多彩 たさい なメニューを通 とお し、日々 ひび の素朴 そぼく な疑問 ぎもん から最新 さいしん テクノロジー、地球 ちきゅう 環境 かんきょう 、宇宙 うちゅう の探求 たんきゅう 、生命 せいめい の不思議 ふしぎ まで、さまざまなスケールで現在進行形 げんざいしんこうけい の科学 かがく 技術 ぎじゅつ が体験 たいけん できる。
https://www.miraikan.jst.go.jp