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高田渡の『イキテル・ソング』──父の歌をうたうことへの想い 高田漣インタビュー 後編|Extra便|TAP the POP 高田渡の『イキテル・ソング』──父の歌をうたうことへの想い 高田漣インタビュー 後編 - TAP the POP

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高田たかだわたるの『イキテル・ソング』──ちちうたをうたうことへのおもい 高田たかださざなみインタビュー 後編こうへん

2024.04.15

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高田たかだわたる没後ぼつご10ねんに、あらためてかれ魅力みりょくれるトリビュート特集とくしゅう。マルチ弦楽器げんがっき奏者そうしゃとして活躍かつやくする高田たかださざなみのロング・インタビュー後編こうへんは、かれはじめてギターをった少年しょうねんや、ちち先輩せんぱいたちとの共演きょうえんについて、また〈高田たかだわたるうたう〉ことへのおもいをたっぷりとかたってくれました。

【「特集とくしゅう高田たかだわたる」は こちら
高田たかださざなみインタビュー前編ぜんぺんこちら

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進行しんこう構成こうせい宮内みやうちけん



佐藤さとう音楽おんがくって、かなりおさなころ記憶きおくでものこるし、相当そうとう影響えいきょうりょくがあるとおもうんですね。さざなみくんの場合ばあい影響えいきょうりょく云々うんぬんという以前いぜん日常にちじょう音楽おんがくがあったわけじゃないですか?」

高田たかだおさなころからライブ会場かいじょうやスタジオによくれてかれてたので、あそ音楽おんがく現場げんばだったんです。よくはなすことなんですが、どもがえがときに、普通ふつうはライオンとかキリンみたいな動物どうぶつえがくとおもうんだけど、ぼく楽器がっきえがいていたそうなんですね。だけど、けっして音楽おんがく英才えいさい教育きょういくけてきたわけでもなくて」

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──そもそもさざなみさんがギターをきはじめたきっかけはなにだったんですか?

高田たかだどものころからビートルズきだったし、もっとえば保育園ほいくえんころからハリー・ニルソンが大好だいすきで、いま音楽おんがくてきには影響えいきょうけてるとおもうんだけど、そういう音楽おんがくがずっときだったことと、ギターをきたいっていうのはべつ衝動しょうどうだったんです……ぼくいま41さいなんですが、ぼくらの年代ねんだいとしてはたりまえのようにMTVや『ベストヒットUSA』で洋楽ようがく目覚めざめて、そこからローリング・ストーンズやスティーヴィー・レイ・ヴォーンをきになったことで、ギターをにとったんです。いまでもよくおぼえてるんだけど、当時とうじからっていた『ギター・マガジン』の表紙ひょうしが、ストーンズだったことがあって。その写真しゃしんのミックのうしろにうつっているキースのたたずまいがエラくカッコよくおもえて、それからキースにあこがれていったんですね」

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(*『ギター・マガジン』1989ねん9がつごう。ローリング・ストーンズが表紙ひょうしで、開放かいほうつるテクニックを紹介しょうかいする特集とくしゅうまれていた)

高田たかだ「その、キースのスタイルをさぐるうちにライ・クーダーから相当そうとう影響えいきょうけてるらしいってことをって。ライ・クーダーって……あれ? どものころ父親ちちおやれられてかんったな?とか、いえにもレコードがいっぱいあったな?とか、いろいろつながっていったんです。それまで漠然ばくぜんながめてたちちのレコードだなにあったレコードや、ちちであったり、まわりのひとたちがやっていた音楽おんがくと、自分じぶんきできはじめた音楽おんがくが、ルーツとしてリンクする部分ぶぶんがかなりあるんだと気付きづいて、その時期じきから急激きゅうげきにルーツ・ミュージックをあさるようになったんです。ましてや中学生ちゅうがくせいから高校生こうこうせいにかけてのスポンジのように吸収きゅうしゅうりょくたか時期じきに、そういった音楽おんがくまなべたのはおおきかったとおもいますね。もちろんらずらずのうちに自分じぶんなか内包ないほうしてた音楽おんがくせいとか、どものころにあった記憶きおくみたいなものも影響えいきょうしてたのかもしれないですけど」

佐藤さとう「そうやって誘発ゆうはつされて、みちびかれていくものなんだよね。音楽おんがく不思議ふしぎきつけりょくかんじるというか」

──でも高校生こうこうせいぐらいでは、まわりにたような音楽おんがくきなひとすくなかったんじゃないですか?

高田たかだ「キースにあこがれてエレキギターをって、その1ヶ月かげつにはライ・クーダーをいてたようなひとでしたからね。ギターをきはじめた直後ちょくごから、ちちのまわりにいたしょ先輩せんぱいかたからのプレッシャーといますか、洗脳せんのうがはじまったんです(笑)。いろんな先輩せんぱいミュージシャンがては、ぼくにテクニックをおしえていくわけです。当時とうじはバンド・ブームでイカてんとか流行はやってた時期じきだったんですけど、学校がっこう友人ゆうじん界隈かいわいでは、自分じぶんきな音楽おんがくや、やりたい演奏えんそう発揮はっきできるがなかなかない……そうなってくると、演奏えんそうできる場所ばしょは、ちちであったり、ちち友人ゆうじんたちのステージしかなかったんですね」

──実際じっさいさざなみさんがギタリストとして活動かつどうをはじめたのは17さいときだそうですね。

高田たかだいまかんがえると、ずいぶんフットワークかるかったなっておもいますけど、ちち西岡にしおか恭蔵きょうぞうさん、そのいろいろな先輩せんぱいかたのライブにかよってはステージにさせてもらったり、あるいはライブがわってから、仲間なかまないでセッションすることでまれていった。そんなかんじだったから、先輩せんぱいたちにかこまれて演奏えんそうしているっていう状況じょうきょうは、ぼくにとって特殊とくしゅなことではなかったんです」

──そのわたりさんとさざなみさんの共演きょうえん幾度いくどとなくありましたが、印象深いんしょうぶかいのは2003ねん公開こうかい収録しゅうろくされた、親子おやこにんだけによるライブの実況じっきょう録音ろくおんばん『27/03/03』です。

高田渡/高田漣「27/03/03」

高田たかだわたる/高田たかださざなみ
「27/03/03」

(TONETONE RECORDS)


高田たかだ映画えいが『タカダワタルてき』を撮影さつえいしてる終盤しゅうばんのあたりで、NHK-FMの番組ばんぐみのために収録しゅうろくされた音源おんげんですね。ちち晩年ばんねんなん入退院にゅうたいいんかえしていたんですけど、その収録しゅうろくがあったのはしばらく入院にゅういんしていた直後ちょくごということもあって、ちょうどおさけいていた時期じきだったんです。だからうた演奏えんそう非常ひじょう調子ちょうしがよくて、クリアだった……ぼくなんちち演奏えんそうしてきたけど、おさけのせいもあってすごく打率だりつひくいんですよ(笑)。いいライブって本当ほんとうにごくわずかだったし、一緒いっしょ演奏えんそうしてて、なぐかってやろうかっていうぐらいにはらつようなライブをなんもされたこともあった。だけどあの収録しゅうろくときは、2きょく演奏えんそうしているぐらいで『これは相当そうとういいライブになるな』っていう実感じっかんがありましたね」

──2002ねんリリースの『LULLABY』から、さざなみさんはコンスタントにソロ・アルバムを発表はっぴょうしてきましたし、さざなみさんならではのかたち自身じしんのルーツを表現ひょうげんしてきましたが、今回こんかいの『コーヒーブルース~だか田渡たわたりうたう~』のように、高田たかだわたるうたぐにうことになったのは、どういう理由りゆうからなんでしょうか?

高田たかだ「いろいろあるんですが、ちちうたうた一番いちばんのきっかけになったのは震災しんさいでした。それまでは自分じぶん主張しゅちょうがあったとしても、英語えいごにしてはぐらかしてみたり、あえて自分じぶんのルーツをのものとぜて玉虫色たまむしいろにしてみたりすることがおおかった……でも震災しんさい以降いこう直後ちょくご企画きかくされたライブも中止ちゅうしになって、わりにチャリティのイベントに参加さんかすることもおおくなったんですが、そういうイベントはPAも状況じょうきょう演奏えんそうすることがおおかったんですね。そうなってくると、いままでのようにエレクトリックな表現ひょうげん全然ぜんぜんできなくなって、結果けっかとしてうたとアコースティックギターしかのこらなかった。そこではじめて、自分じぶんちをかんがえる時間じかんができたというか」

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高田たかだ「ちょうどその時期じき、チャリティの録音ろくおんたのまれたんです。なにろくろうかかんがえたとき自分じぶんもちゃんとメッセージをはっしないといけないとおもったんですね。そのためには絶対ぜったい日本語にほんごで、きちんとおもいをつたえるべきだと……そこでさきかんだのが、ちちの〈鉱夫こうふいのり〉というきょくだった。このきょくうたって録音ろくおんしたことで、自分じぶんなかなにかがわったし、その活動かつどうにもおおきく影響えいきょうしました。それからはちちうただけじゃなくて、かれあゆんできたみちのり……このんでげた日本にっぽん詩人しじんたちの作品さくひんについてや、影響えいきょうけてきた音楽おんがくについて、いろんなことをげるようにシフトしていったんです」

──鉱夫こうふいのり」うたったことで、さざなみさん自身じしん音楽おんがく表現ひょうげんにも変化へんかまれてきた。

高田たかだうた言葉ことばにもすごくられたとおもうし、ギター1ほん出来でき表現ひょうげんにも面白おもしろさをかんじていきましたね。そうやってうたいはじめると不思議ふしぎなもので、いろんなひとたちにばれるようになって、ある意味いみ自分じぶんちがうステージに突入とつにゅうしたかんじはあります。なので、今回こんかいのこのアルバムをろくるにたっては、さほど気負きおいもないんです。リラックスしたかんじでうたえてるし、それぐらい〈高田たかだわたるうたう〉っていうことにたいして、すごくカジュアルな気持きもちにわったんです。そういう意味いみでも、10ねんぐらい時間じかん必要ひつようだったのかもしれないですけどね」

──没後ぼつご10ねんって出版しゅっぱんされる『マイ・フレンド―高田たかだわたる青春せいしゅん日記にっき1966-1969』は、高田たかだわたるさんが17さいから21さいまでの、デビューまえ時期じきいていた日記にっきをまとめたものですが、こんな日記にっきのこっていたのもすごい発見はっけんですよね。

高田たかだ故人こじん日記にっきなのですべきかさないべきかはかなりなやんだんです。日記にっき発掘はっくつした当時とうじ萩原はぎはら健太けんたさんや能地のち祐子ゆうこさん、湯浅ゆあさまなぶさんとおさけみながら相談そうだんしてたんですが、おさんぽうからは絶対ぜったいすべきだとわれて。この日記にっき高田たかだわたるっていう個人こじんはなしだけじゃなく、当時とうじフォークソングに目覚めざめた若者わかものたちの姿すがたがある。実際じっさい日記にっき内容ないようも、フォークソングってこんなに面白おもしろ音楽おんがくがあるんだと、ひとらせたいっていう衝動しょうどうからかれたものなんですね。フォークソングを紹介しょうかいする新聞しんぶん記事きじきがられていたり、ピート・シーガーに手紙てがみ下書したがきがつづられていたり、そのピートからかえってきた手紙てがみに『きみ足下あしもとには、日本にっぽんのフォークソングがころがってるはずだ』という示唆しさがあったことも記録きろくされてる。その示唆しさけて、三橋みつはし一夫かずおさんに相談そうだんったところで添田唖蝉坊そえだあぜんぼうおしえてもらって、そこから明治めいじ演歌えんかについて傾倒けいとうしていって。フォークソングと演歌えんかわせることが、自分じぶんのやるべきことだとした……と、高田たかだわたる全部ぜんぶがその当時とうじ日記にっきなかに、気持きもわるいぐらいにめられていたんですね。ぼくもその日記にっきむことで、ちち音楽おんがく体験たいけんつい体験たいけんしたというか。編纂へんさん作業さぎょうがある程度ていどわってから、トリビュートばん制作せいさくりかかれたのはよかったとおもいます」

──そうして制作せいさくされたトリビュート・アルバム『コーヒーブルース〜高田たかだわたるうたう〜』は演奏えんそううた内容ないようもさながら、録音ろくおんさにもみみきます。

高田たかだ「それは、細野ほその晴臣はるおみさんからまなんだことがおおきく反映はんえいされてるとおもいます。ちちくなってからの10ねんは、細野ほそのさんとご一緒いっしょしてきた10ねんでもあって……『FISHIN’ ON SUNDAY』(1976ねん以来いらい細野ほそのさんとちち共演きょうえんはなかったので、元気げんきなうちにもう一度いちど細野ほそのさんにちち作品さくひんつくってもらいたいって画策かくさくしていたんです。2003ねんごろはじめておいしたときから、そのはなしはずっとしていて、細野ほそのさんもだんだんになってくれていた。2005ねんに〈ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル〉という細野ほそのさんを中心ちゅうしんとしたミュージシャンが出演しゅつえんしたイベントがあったんですが、細野ほそのさんから『もう一度いちどわたりちゃんと演奏えんそうしたい』ってオファーをもらった。それがちょうどちちくなっただったんです。そこでも、自分じぶんてきにはやりのこしたことがあったんです。それから10年間ねんかんぼく細野ほその晴臣はるおみバンドに参加さんかさせてもらったりと、共演きょうえんする機会きかいもたくさんた。そこで今回こんかいのトリビュートばんでは、細野ほその晴臣はるおみさんとの共演きょうえんつちかったノウハウを、高田たかだわたるという素材そざいをつまみに使つかわせていただいたというか。レコーディングの技術ぎじゅつてきめんでいえば、ほぼ100%リボンマイクで録音ろくおんされていて。それはちちがレコーディングしていたころよりも、もっとむかし録音ろくおん方法ほうほう。アナログのテープで録音ろくおんしたりと、かなりビンテージな手法しゅほうったんですが、それこそ細野ほその晴臣はるおみバンドで録音ろくおんしていくなかまなんだ技術ぎじゅつであり、音像おんぞうなんですね」

佐藤さとう本来ほんらい細野ほそのさんにプロデュースをとおもっていたけど、それはかなわなかった。だけど、さざなみくんが細野ほそのさんからまなんだものを、細野ほそのさんりゅうにやってみたということなんですね」

高田たかだ「そういう意味いみではあるしゅのパロディみたいなかんじですけど、〈ほんとはみんな〉っていうきょくは、『Hosono House』の〈ろっかばいまいべいびい〉みたいなおとにどうやったらせられるかいろいろシミュレーションしてみたり……しあわせなことに自分じぶんには、ちち細野ほそのさんという偉大いだい先生せんせいがいて。二人ふたり自分じぶん音楽おんがくせいおおきな影響えいきょうあたえてくれていますね」

佐藤さとう「そういった影響えいきょうが、こんなにも純粋じゅんすいかたちになってる。こういったケースは、めったにこることじゃないですよ」

高田たかだ「それがまたちち在籍ざいせきした〈ベルウッド〉というレーベルからせるっていうのが、ありがたいことで。アルバム制作せいさくについてはかかわってはいないんですが、ちち作品さくひんをずっとがけていた三浦みうら光紀みつのりさんというベルウッドを設立せつりつしたほうが、ほとんどボランティアみたいなかたちでこのふたつのアルバムを各所かくしょ宣伝せんでんしてくれてるんですね。親子おやこだいにわたって世話せわになってるって、なんだか不思議ふしぎえんかんじてならないんです」

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高田たかだわたる profile
1949ねん岐阜ぎふけんまれ東京とうきょうそだつ。中学ちゅうがく卒業そつぎょう昼間ひるま印刷いんさつ会社かいしゃはたらよる定時ていじせい高校こうこうかよ生活せいかつおくなか、アメリカのフォークソングに傾倒けいとうきょくづくりを開始かいし。1968ねん、フォークキャンプで「自衛隊じえいたいにゅうろう」をうた注目ちゅうもくされ、翌年よくねん高田たかだわたるいつつのあか風船ふうせん』でレコードデビューをたす。自作じさくのほか、明治めいじ大正たいしょう昭和しょうわ演歌えんか山之口やまのくちばくをはじめとする詩人しじん現代げんだいきょくをつけたスタイルを確立かくりつ独自どくじ手法しゅほう日本にっぽんのフォークソングを次々つぎつぎつくし、40ねんちか全国ぜんこく各地かくちうたつづけた。2004ねんには音楽おんがくドキュメンタリー映画えいが『タカダワタルてき』が公開こうかい同名どうめいのサウンドトラックもリリースされる。よく2005ねん4がつ公演こうえんさき北海道ほっかいどうにて56さい急逝きゅうせい

高田たかださざなみ profile
1973ねん、フォークシンガー・高田たかだわたる長男ちょうなんとしてまれる。14さいからギターをきはじめ、17さい西岡にしおか恭蔵きょうぞうのアルバムでセッション・デビューをたす。スティール・ギターをはじめとするマルチ弦楽器げんがっき奏者そうしゃとして、YMO、細野ほその晴臣はるおみ高橋たかはし幸宏ゆきひろ斉藤さいとう和義かずよし、くるり、森山もりやまただし太朗たろう星野ほしのはじめなどのレコーディングやライヴで活躍かつやくちゅう。ソロ・アーティストとしてもいままでに6まいのオリジナル・アルバムをリリースしている。
高田たかださざなみ official website


高田渡『イキテル・ソング~オールタイム・ベスト~』

高田たかだわたる
『イキテル・ソング 〜オールタイム・ベスト〜』

(ベルウッド・レコード / キングレコード)


高田漣『コーヒーブルース ~高田渡を歌う~』

高田たかださざなみ
『コーヒーブルース〜高田たかだわたるうたう〜』

(ベルウッド・レコード / キングレコード)


高田渡『マイ・フレンド―高田渡青春日記1966-1969』

高田たかだわたるちょ高田たかださざなみへん
『マイ・フレンド―高田たかだわたる青春せいしゅん日記にっき1966-1969』

河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ


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高田たかだわたるトリビュートライブ “Just Folks” 2016 あき
2016ねん10がつ29にち徳島とくしまとら
2016ねん10がつ30にち大阪おおさかくもしゅうどう
2016ねん11月4にちかね岐阜ぎふ高山たかやま Coffee&Music ピッキン
2016ねん11月5にち石川いしかわ金沢かなざわ もっきりや
2016ねん11月6にち富山とやま・LETTER
2016ねん11月9にちみず神奈川かながわ横浜よこはま MOTION BLUE YOKOHAMA
2016ねん11月11にちかね宮城みやぎ白石しらいし カフェミルトン
2016ねん11月12にち岩手いわて盛岡もりおか きゅうじゅうきゅうくさ
2016ねん11月13にち宮城みやぎ仙台せんだい SENDAI KOFFEE
2016ねん11月27にち奈良なら・ビバリーヒルズ

高田たかださざなみofficial website

ほんコラムは2015ねん4がつ18にち初回しょかい公開こうかいされた記事きじ加筆かひつ修正しゅうせいしました。

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