2019年7月に発売されて以降、重版を繰り返し、今では7万6000部のヒットとなっている『交通誘導員ヨレヨレ日記』(発行:三五館シンシャ、発売:フォレスト出版)。“交通誘導員”といえば、深夜の工事現場などで懸命に誘導灯を振っている姿を見かけたことがある人は多いだろう。だが、彼らの仕事の内容や心情を知る人は少ない。
売れっ子編集者が出版不況で一変
『交通誘導員ヨレヨレ日記』は出版当時73歳の著者が、断続的だがトータルすると2年半もの間、交通誘導員として働いてきた中で見えた業界の実態を日記形式で綴っている。表紙に描かれた、まさに“ヨレヨレ”な姿の交通誘導員のイラストと、帯の「最底辺の職業」という文字が印象的だ。
著者の柏耕一さんの本職は、編集・ライター業だ。35歳のときに編集プロダクションを立ち上げ、25年間で300冊の本を世に生み出した。そのうち90冊近くが、10万部を超えるヒットを記録しているという。売れっ子編集者だった柏さんが交通誘導員の道に進んだきっかけは、なんだったのだろうか。
「出版の仕事は金が入るのが遅いんですよ。週刊誌などの雑誌ならまだしも、私は書籍の編集が主でしたから、原稿料は発売の3カ月後で、しかも3分割にして払います、なんてところもありました。そこに出版不況と放漫経営も重なって、その日の生活費を稼ぐためにはバイトをするほかなかったのです。68歳のときに出版業と交通誘導員の二足の草鞋を履きました」(柏氏)
柏さんが過去に出版業で稼いだお金は、放漫経営のみならず、ギャンブル(競馬)と趣味の骨董品でほとんどが消えてしまっていた。
「生きていくためには、バイトでもなんでもやるしかありませんでした。しかし、この年齢になると、採用してくれる業種が限られてくるんですね。清掃業や介護職なら高齢者でも求人がありますが、清掃は場所によっては非常に過酷だと聞いたことがあったし、介護はいつ自分がされる側になるかもわからない。タクシー運転手も考えましたが、10年ほど前に免許の更新を忘れてしまっていたので断念しました」(同)
年齢的に職業の選択肢が減っている中で、柏さんが出した最適解が「交通誘導員」だったわけだ。
「交通誘導員の仕事は常に人手不足なので、この本でも言っている通り『誰でもなれる』仕事。新しい交通誘導員を連れてきた人には7万円の紹介料を払う警備会社もあるほどです」(同)
「最底辺の職業」ゆえのひどすぎる扱い
一般社団法人全国警備業協会が2017年に発表した「基本問題諮問委員会調査部会(最終報告書)~警備員不足対策及び社会的地位の向上方策に関する取組み課題~」という報告書によると、60歳以上の警備員は約21万9230人で、全警備員のうち40.7%を占めているという。本書の中に登場する最高齢の誘導員は、発売当時で84歳だったという。
「高齢でも雇ってもらえて、すぐにでも働き始められる。これが、交通誘導員という職に高齢者が集まる理由でしょうね。それゆえに差別的な目で見られることも多いんです」(同)
本書の中で、柏さんが妻から「70を過ぎて交通誘導員をやっているなんてみっともない」となじられる場面がある。悲しいかな、世間では交通誘導員を蔑んだ目で見る人もいなくはない。
「自分よりも年下の作業員や、見ず知らずのドライバーに怒鳴られることもありました。マンション警備の際には、住民から2基あるエレベーターのうち次に来るのはどちらかを教えなかったと逆ギレされ、『オレたちの金で警備をしているんだろう、バカヤロー』と理不尽な言葉をかけられたこともあります」(同)
この他にも、本書で描かれる交通誘導員たちは、世間からお世辞にも良い扱いを受けているとは言い難い。こうした実情を知ると、交通誘導員たちが「最底辺の職業」と自嘲したくなる気持ちもうなずける。
「交通誘導員は、あくまで警備会社に雇われて給料をもらっている立場なので、会社から叱られるのは仕方ないと思えるんですけど、現場の作業員も通行人もマンションの住民も、『交通誘導員になら怒鳴ってもいいだろう』とばかりに怒りをぶつけてくるのです。これは迷惑ですね」(同)
『ヨレヨレ日記』が描く“働く高齢者の現実”
柏さんが交通誘導員として手にする月収は、平均20日間の稼働で18万円。日給換算では1万円にも満たず、現場で昼食や飲み物を買ってしまえば、手元に残る額はさらに少なくなる。会社によっては、交通費すら出ない場合もあるという。その上、業務内容も現場も共に働く人も日々変わり、対応力が求められる。肉体的にも精神的にも“ヨレヨレ”となるほど、交通誘導員はある意味で過酷な仕事なのだ。
しかし、柏さんは「私はこの本で、交通誘導員の行動や義憤をおもしろおかしく描きたかったわけではありません」と語る。
「人間関係の気苦労が絶えない環境で、日給月給で働いている高齢者が多いというのは、交通誘導員の現場だけではないと思います。それこそ、清掃業や介護の仕事でも、年下の上司から怒鳴られたり、利用者や被介護者などから理不尽な扱いを受けたりしているかもしれませんよ。私がこの本で描いたことは“働く高齢者の現実”なのです」(同)
かつては、60歳で定年を迎えたら、それ以降は退職金と年金で生活できていたが、今はそうもいかない。
「本書に書かれているのは、超高齢社会が到来する現代日本の縮図ですよ。交通誘導員の仕事は決して楽ではありませんが、それはイコール日本の現実なんです。定年後も働かずに生活できる高齢者は、現代ではごくわずかですからね。私はそういう現実を鮮明に炙り出したくて、この『交通誘導員ヨレヨレ日記』を書いたのです」(同)
本書の発売後、柏さんと同世代の読者を中心に多くの反響があったそうだ。中でも、東北在住で交通誘導員の夫を持つ66歳の女性からの手紙が印象深い、と柏さんは語る。
「その手紙には、『これまでは旦那が言う仕事の愚痴は右から左とき流していたけど、この本を読んで“大変な仕事をしていたのだな”と思いました』というようなことが書かれていました。私は『奥さまがご主人の苦労を理解してあげたら、さらにご主人は誘導員の仕事をがんばれますよ』と返事をしました」(同)
年を取っても働き続けるということは、どんな職業であれ心身の苦労はつきまとうが、尊いものなのだ。
『交通誘導員ヨレヨレ日記』は、12月にコミック化も決定している。“ヨレヨレ”になるまで奮闘する交通誘導員たち、ひいては高年齢労働者たちの悲哀が詰まった1冊を、ぜひ手にとってみてほしい。
(文=鶉野珠子/清談社)