学歴はないよりあった方がいいもの。あっても困らないもの。そして幸せな人生を送るための武器になるもの。キャリアや人生を考える時、「学歴」は依然として大きな意味を持っている。高学歴とされる経歴を手に入れられた人は、その後の華やかな人生が約束されたかのように映る。しかし、決してそんなことはない。それどころか、学歴は「烙印」にさえなりうる。
「学歴が中身と釣り合わない」高学歴難民たちの直面する現実
法科大学院などの専門職大学院への進学や海外留学は、一見、カッコよく思われますが、むしろ就職の機会を逃し、高学歴難民を生み出してしまうこともあります。
『高学歴難民』(阿部恭子著、講談社刊)の冒頭ではこんな指摘がなされている。幼少時から勉学に優れ、エリートと呼ばれ、その称号に相応しい学歴を手に入れたにもかかわらず、就職に失敗したり、研究が評価されなかったりといったことで社会で活躍することができないままでいる「高学歴難民」と呼ばれる人は決して少なくない。
たとえば、本書には誰もが知る難関有名私立大学を卒業し、大学院に進学。社会学の修士号を取得し、さらに国立大学の大学院で文学の修士号を取得し博士課程に進んだ、現在40歳の男性のエピソードが出てくる。
まさに高学歴の典型だが、その後の彼が輝かしいキャリアを歩んだかというと、決してそうではない。それどころか彼は「自分の学歴は中身と釣り合わない」と感じている。博士論文を書けないまま彼は中退してしまい、アルバイトは次々とクビになり、1000万円近い奨学金の返済もままならない。それが彼の「今」なのだ。
「ターニングポイントは大学院への進学。ここから後戻りができなくなった」と男性は語っている。今振り返ると、何年かでも会社勤めを経験しておけばよかったのかもしれない。しかし、大学3年の頃から作家になることを志していた男性は、就職の時期を逃してしまい、結果として大学院に進学することになった。
そんな彼を、両親は応援してくれたという。特に父親は「学歴至上主義者」だった。「学歴は名前と同じ、学歴で人格まで評価される」というのが口癖だった父は、定職に就かず高学歴難民生活を続ける男性を「それだけの学歴を持っている人はなかなかいないんだから、自信を持って頑張れ」と励ましたが、人間への評価の「学歴」だけではない。
学歴はそれを通して身に着けたこととセットになって初めて評価される。仕事ぶりがかんばしくなければ「無駄に高学歴」と陰口を叩かれ、職場によっては「こんな学歴なのに結局こんな会社に来ちゃうんだ」と言われてしまう。これもまた高学歴者の現実。アルバイトを通して社会のこうした洗礼を嫌というほど受けた男性はうつ病を患い、休職を余儀なくされた。
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博士課程難民、法曹難民、海外留学帰国難民など、本書にはさまざまな高学歴難民が登場する。誰もがうらやむ学歴を手にしているぶんだけ、うまく世の中を渡っていけない苦しみは深い。
当事者の苦しみの一方で、周囲からは同情を得られにくく、親身になってくれるどころか嫉妬されてしまう高学歴難民たちの姿は、学歴そのものの意義と功罪を読者に問いかけてくる。(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。