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と
じる
折々
おりおり
スケッチ
小
ちい
さなスケッチブックやハガキに
水彩
すいさい
と
鉛筆
えんぴつ
ペン
等
とう
で
描
えが
いた
絵
え
を
中心
ちゅうしん
に、
感
かん
じたこと
等
とう
日記
にっき
代
か
わりに
添
そ
えています。
虫除
むしよ
けトンボ
2024
年
ねん
07
月
がつ
24
日
にち
|
花
はな
ヒルガオ(
歩道
ほどう
の
植
う
え
込
こ
みに
咲
さき
いる)
私
わたし
が
住
す
んでいるのはマンションと
民家
みんか
が
並
なら
ぶ
地区
ちく
。
水
みず
たまり
等
とう
なさそうなのに
多分
たぶん
流
なが
れの
悪
わる
い
側溝
そっこう
から
蚊
か
が
湧
わ
く。
外
そと
で
立
た
ち
話
ばなし
などしていらた
大変
たいへん
です。それなのに
水田
すいでん
地帯
ちたい
に
行
い
くと
蚊
か
が
少
すく
ないことが
不思議
ふしぎ
で、これはきっと
農薬
のうやく
のせいだろうと
思
おも
っていました。しかし
自然
しぜん
の
中
なか
には
多
た
種類
しゅるい
の
虫
むし
が
多
おお
ければボウフラや
蚊
か
を
捕食
ほしょく
するモノたちも
多
おお
いせいかもと、
思
おも
うようにもなりました。
少
すこ
し
前
まえ
の
事
こと
、
友人
ゆうじん
から
虫除
むしよ
けになるという
作
つく
り
物
もの
の「オニヤンマ」をいただきました。
私
わたし
は
知
し
りませんでしたがテレビなどでも
話題
わだい
になったとかで、
娘
むすめ
も「
去年
きょねん
買
か
って
持
も
ってる」と。ネットには2020
年
ねん
頃
ごろ
の
記事
きじ
にも
有
あ
るのでかなり
前
まえ
から
有
あ
るもののようです。
羽
はね
の
端
はし
から
端
はし
まで11・5cm
頭
あたま
から
尾
お
の
先
さき
まで11cmそしてブローチにしてはちょっと
重
おも
い。このオニヤンマとても
良
よ
くできているとは
思
おも
いますがこれを
見
み
て
蚊
か
や
蜂
はち
が
逃
に
げるかしら?
第
だい
一家
いっか
の
周
まわ
りにオニヤンマなんてほとんど
見
み
かけないのですから、
蚊
か
にこれが
怖
こわ
いものだと
分
わ
かるのかしら?と。
信
しん
じられませんが、
折角
せっかく
いただいたのですから
庭
にわ
の
草取
くさと
りする
時
とき
に
胸
むね
ポケットに
付
つ
けてみました。
草取
くさと
りを
始
はじ
めるとすぐブーンと
数
すう
匹
ひき
・・・やっぱりね。
玩具
おもちゃ
みたいなトンボに
力
ちから
があるわけがないと
思
おも
いました。でも、よく
見直
みなお
せば
胸
むね
に
付
つ
けていては
私
わたし
が
屈
かが
めば
蚊
か
には
気
き
づかれない。で、
次
つぎ
の
日
ひ
には
帽子
ぼうし
のてっぺんに
付
つ
けてみると・・・いつもより
顔
かお
の
周
まわ
りに
飛
と
んで
来
く
る
蚊
か
が
少
すく
ない
気
き
がします。
手
て
や
足
あし
は
長袖
ながそで
と
長
ちょう
ズボンで
隠
かく
れているので
困
こま
っていたのは
顔
かお
回
まわ
り。これはよさそうな
気
き
がしました。
子供
こども
だましのようでも
害
がい
がなく
蚊
か
が
避
さ
けてくれるなら
有難
ありがた
い
事
こと
です。これが
作
つく
りものだと
蚊
か
や
蜂
はち
が
気
き
づくまで(
気
き
づくかしら?)
付
つ
けてみようと
思
おも
い、それ
以来
いらい
10
日
にち
余
あま
りトンボは
私
わたし
の
帽子
ぼうし
に
止
と
まっています。
朝
あさ
散歩
さんぽ
の
時
とき
もそのままなので
後
うし
ろを
歩
ある
く
人
ひと
は
変
へん
な
物
もの
を
付
つ
けてと
笑
わら
っているでしょう。
蚊
か
や
蜂
はち
に
見
み
つけて
欲
ほ
しいからテッペンに
付
つ
けました
このトンボが
有効
ゆうこう
なら
玄関
げんかん
や
窓辺
まどべ
に
吊
つ
るせばと
思
おも
ってネット
通販
つうはん
を
見
み
ると、
価格
かかく
は
大
おお
きく
違
ちが
いまちまち。いったいどれがいいのか・・・
迷
まよ
っています。
昨日
きのう
の
夕
ゆう
、
水
みず
を
撒
ま
こうと
庭
にわ
に
出
で
たらトンボが
低空
ていくう
を
上下
じょうげ
に
不規則
ふきそく
な
飛
と
び
方
かた
をしていて、よく
見
み
るとトンボの
少
すこ
し
前
まえ
を
蚊
か
よりは
少
すこ
し
大
おお
きなガガンボのような
虫
むし
が
追
お
われるように
飛
と
んでいて、じっと
目
め
を
凝
こ
らして
見
み
ている
間
あいだ
に
木
き
の
陰
かげ
に
入
はい
ってしまい
結果
けっか
は
不明
ふめい
。でも、トンボが
虫
むし
を
追
お
いかける
姿
すがた
を
目
め
にして、あの
玩具
おもちゃ
のようなトンボでも
小
ちい
さな
虫
むし
にとっては
怖
こわ
い
存在
そんざい
なのかもと
思
おも
えました。
虫
むし
を
追
お
いかけて
満腹
まんぷく
になったのか、その
後
ご
庭
にわ
のトンボは
私
わたし
の
近
ちか
くの
石
いし
に
止
と
まって
休憩
きゅうけい
。ネットで
調
しら
べたらムギワラトンボ(シオカラトンボ)の
雌
めす
のようでした。
石
いし
に
止
と
まったムギワラトンボのお
嬢
じょう
さん?
蚊
か
も
蜂
はち
も
避
さ
けてくれれば
庭
にわ
掃除
そうじ
も
随分
ずいぶん
楽
らく
になりますけど・・・そんなにうまくいくかしらと、まだ
少
すこ
しは
疑
うたが
ってはいます。
大相撲
おおずもう
の
幟
のぼり
(のぼり)
2024
年
ねん
07
月
がつ
20日
はつか
|
名古屋
なごや
城
じょう
愛知
あいち
県
けん
体育館
たいいくかん
(ドルフィンズアリーナ)
夏
なつ
の
太陽
たいよう
は
雲
くも
の
中
なか
7/20 5:30
7
月
がつ
18
日
にち
名古屋
なごや
も
梅雨
つゆ
が
明
あ
けました。
梅雨
つゆ
が
明
あ
ければ
酷暑
こくしょ
の
名古屋
なごや
です。
20日
はつか
の
朝
あさ
は
雲
くも
が
広
ひろ
がり
気温
きおん
も
湿度
しつど
も
高
たか
く
空気
くうき
がどんより、
清々
すがすが
しさがありません。
梅雨
つゆ
の
最中
さいちゅう
のようでした。
いつものように
名古屋
なごや
市役所
しやくしょ
の
北西
ほくせい
を
堀
ほり
に
沿
そ
って
少
すこ
し
行
い
き、
左
ひだり
に
折
お
れて
堀
ほり
を
渡
わた
れば
三
さん
の
丸
まる
。
石垣
いしがき
の
向
む
こうに
愛知
あいち
県
けん
体育館
たいいくかん
があります。
石垣
いしがき
に
挟
はさ
まれた
道
みち
を
通
とお
り
抜
ぬ
けると
最初
さいしょ
に
目
め
に
入
はい
るのが
横綱
よこづな
照
あきら
ノ
富士
ふじ
の
幟
のぼり
で、
番付
ばんづけ
通
どお
りの
順
じゅん
に
琴
きん
桜
さくら
、
豊昇
ほうしょう
龍
りゅう
、
貴
き
景勝
けいしょう
、
阿
おもね
炎
ほのお
、
霧島
きりしま
、
大
だい
の
里
さと
・・・と
立
た
てられています。
体育館
たいいくかん
の
反対
はんたい
側
がわ
には
力士
りきし
の
他
ほか
に
行司
ぎょうじ
さんや
呼
よ
び
出
だ
しさんの
幟
のぼり
もあることに
驚
おどろ
きながら
見上
みあ
げていました。
幟
のぼり
の
色
いろ
もデザインも
面白
おもしろ
く、
家
いえ
に
帰
かえ
って
検索
けんさく
してみると
大相撲
おおずもう
は
伝統
でんとう
ある
神事
しんじ
だけに
幟
のぼり
にも
決
き
まり
事
ごと
が
色々
いろいろ
ありました。
・
幟
のぼり
は
縁起
えんぎ
ものなので
大相撲
おおずもう
一
いち
場所
ばしょ
ごとに
新
あたら
しく
染
そ
める
・
力士
りきし
名
めい
に
黒色
こくしょく
は
使
つか
わない(
黒星
くろぼし
を
避
さ
ける)
・スポンサー
名
めい
に
赤色
あかいろ
は
使
つか
わない(
赤字
あかじ
を
出
だ
さない)
・
右
みぎ
上
じょう
に
書
か
く
熨斗
のし
には
茶色
ちゃいろ
、
水色
みずいろ
を
使
つか
わない(
勝負
しょうぶ
に
茶々
ちゃちゃ
を
入
い
れたり
水
すい
を
差
さ
さないため)
・
四股
しこ
名
めい
は
右肩
みぎかた
上
あ
がりに
書
か
く(
成績
せいせき
も
右肩
みぎかた
上
あ
がりになるように)
まだまだ
他
ほか
にもありましたが、
少
すこ
しは
決
き
まり
事
ごと
を
知
し
ってから
幟
のぼり
を
眺
なが
めると
楽
たの
しみも
増
ふ
えました。
愛知
あいち
県
けん
体育館
たいいくかん
北方
ほっぽう
900mの
名城公園
めいじょうこうえん
に
建設
けんせつ
中
ちゅう
の
新
しん
アリーナ
帰
かえ
り
道
みち
でお
堀
ほり
沿
ぞ
いの
柵
しがらみ
に
張
は
られたロープにセミの
抜
ぬ
け
殻
がら
が
並
なら
んでいて、この
辺
あた
りにも
木
き
は
沢山
たくさん
あるのになぜここで?と。もっとも
暗
くら
くなればこの
辺
あた
りは
人通
ひとどお
りもなくわざわざ
木
き
登
のぼ
りしなくても
安心
あんしん
して
羽化
うか
で
来
く
るのかもしれません。
珍
めずら
しいもの
気
き
になるものが
有
あ
れば
立
た
ち
止
ど
まったりちょっとスケッチ、
私
わたし
の
朝
あさ
散歩
さんぽ
は
捗
はかど
りません。
大相撲
おおずもう
名古屋
なごや
場所
ばしょ
「
土俵
どひょう
祭
さい
」
2024
年
ねん
07
月
がつ
13
日
にち
|
名古屋
なごや
城
じょう
幟
のぼり
がならぶ(
自転車
じてんしゃ
置
お
き
場
ば
から)
しばらくブログをお
休
やす
みしていましたが、
怠
なま
けていただけで
元気
げんき
でした。
自分
じぶん
でハッパかけないとズルズル
怠
なま
けてしまいそうな
夏
なつ
、
出来
でき
るだけは
頑張
がんば
ろうと
思
おも
います。
7
月
がつ
14
日
にち
から
大相撲
おおずもう
名古屋
なごや
場所
ばしょ
が
始
はじ
まります。その
初日
しょにち
の
前日
ぜんじつ
に
土俵
どひょう
を
清
きよ
める「
土俵
どひょう
祭
さい
」が
行
おこな
われるとニュースなどで
見
み
ていましたが、
今年
ことし
初
はじ
めて
実際
じっさい
に
見学
けんがく
させていただきました。
開場
かいじょう
を
待
ま
つ 7/13 8:50
7
月
がつ
13
日
にち
9
時
じ
少
すこ
し
前
まえ
に
体育館
たいいくかん
の
前
まえ
に
着
つ
くと
数
すう
十
じゅう
人
にん
の
列
れつ
ができていて、
時間
じかん
きっちりと
入場
にゅうじょう
開始
かいし
。ファンクラブなど
後援
こうえん
会
かい
の
方
ほう
は
正面
しょうめん
升席
ますせき
へ。その
他
た
一般
いっぱん
の
私
わたし
たちも
入場
にゅうじょう
は
無料
むりょう
ですが、
席
せき
は
二
に
階
かい
へ
上
あ
がって
正面
しょうめん
以外
いがい
の桝席へ。この
升席
ますせき
の
間
あいだ
の
通路
つうろ
はすれ
違
ちが
えないほど
狭
せま
いしギシギシして
繋
つな
ぐ
階段
かいだん
にも
手
て
すりは
無
な
い。
観客
かんきゃく
がいっぱいの
時
とき
に
移動
いどう
は
大変
たいへん
だろうと
思
おも
いました。
右側
みぎがわ
が
正面
しょうめん
桝席を
独
ひと
り
占
じ
めして・・・と
思
おも
ったら、
後
ご
から
来
き
た
年配
ねんぱい
のおじさまが「そこに
入
い
れてもらえるかね」と。「どうぞ・・・」。その
方
ほう
は60
年
ねん
余
あま
りも
土俵
どひょう
祭
さい
を
見
み
に
来
き
ているとかで、ウンチクの
色々
いろいろ
おしゃべりが
止
と
まらない。おしゃべりはオバサンの
専売
せんばい
特許
とっきょ
だと
思
おも
っていましたが、
今
いま
は
男女
だんじょ
の
別
べつ
は
無
な
い
時代
じだい
を
実感
じっかん
しました。
次々
つぎつぎ
と
見覚
みおぼ
えのあるような
背広
せびろ
姿
すがた
の
親方
おやかた
さん
達
たち
が
着席
ちゃくせき
されて、10
時
じ
直前
ちょくぜん
に
八角
はっかく
理事
りじ
長
ちょう
が
入場
にゅうじょう
されると
呼
よ
び
出
だ
しさんの
拍子木
ひょうしぎ
で「
土俵
どひょう
祭
さい
」の
開始
かいし
です。
祭
まつ
りは
関係
かんけい
者
しゃ
の
神事
しんじ
であり、
見学
けんがく
者
しゃ
はただ
見
み
ているだけ。
理事
りじ
長
ちょう
はじめ
関係
かんけい
者
しゃ
が
立
た
ち
上
あ
がって
礼
れい
をされても
私
わたし
たちは桝席で
足
あし
を
投
な
げ
出
だ
したリ
胡坐
こざ
をかいたり。せめて
祝詞
のりと
の
時
とき
くらいは
会場
かいじょう
に
居
い
る
者
もの
は
姿勢
しせい
を
正
ただ
しても
良
よ
いのではないかと
思
おも
うのですが・・・。
祭主
さいしゅ
は
立
たて
行司
ぎょうじ
木村
きむら
庄
しょう
之
の
助
じょ
、
力強
ちからづよ
い
祝詞
のりと
は
場所
ばしょ
中
ちゅう
の
安全
あんぜん
と、
興行
こうぎょう
の
成功
せいこう
、さらには
国家
こっか
安泰
あんたい
、
五穀豊穣
ごこくほうじょう
を
祈念
きねん
するものとか。
土俵
どひょう
の
俵
たわら
にはお
神酒
みき
を
注
そそ
ぎ、
四方
しほう
に
祈
いの
り、
土俵
どひょう
中央
ちゅうおう
の
四角
よつかど
の
穴
あな
には
縁起物
えんぎもの
を
沈
しず
められたようですが、これは
良
よ
く
見
み
えませんでした。
縁起物
えんぎもの
とは
検索
けんさく
すると
塩
しお
、
昆布
こぶ
、するめ、
勝栗
かちぐり
、
洗米
せんまい
、かやの
実
み
など。
神事
しんじ
が
終
お
われば
呼
よ
び
出
だ
しさんが
場所
ばしょ
の
開催
かいさい
を
告
つ
げる
触
ふ
れ
太鼓
だいこ
を
打
う
ち
鳴
な
らしながら
土俵
どひょう
の
周
まわ
りをまわって
場外
じょうがい
へ。
これで
約
やく
30
分
ふん
、「
土俵
どひょう
祭
さい
」は
終
お
わりです。
四方
しほう
に
御幣
ごへい
を、お
神酒
みき
を
注
そそ
ぐ
軍配
ぐんばい
を
持
も
った
木村
きむら
庄
しょう
之
の
助
すけ
の
力強
ちからづよ
い
祝詞
のりと
土俵
どひょう
中央
ちゅうおう
に
縁起物
えんぎもの
を
納
おさ
める(
正面
しょうめん
でないと
手元
てもと
は
見
み
えない)
触
ふ
れ
太鼓
だいこ
が
土俵
どひょう
を3
回
かい
廻
まわ
る
幟
のぼり
と
櫓
ろ
愛知
あいち
県
けん
体育館
たいいくかん
正面
しょうめん
会場
かいじょう
の
外
そと
には
親方
おやかた
さんたちの
帰
かえ
る
車
くるま
に
手
て
を
振
ふ
る
人
ひと
たちが
並
なら
んでいました。ほとんど
中
ちゅう
など
見
み
えない
車
くるま
なのに、はて?
会場
かいじょう
外
がい
に
立
た
てられた
色
いろ
鮮
あざ
やかな
幟
のぼり
、まだたたまれたままの
幟
のぼり
もあって、
明日
あした
の
初日
しょにち
に
向
む
けて
作業
さぎょう
が
続
つづ
いていました。
名古屋
なごや
城
じょう
石垣
いしがき
脇
わき
に
立
た
てられた
高
たか
い
櫓
ろ
、ここで
打
う
たれる
太鼓
たいこ
を
聞
き
きたいものと
思
おも
っていましたが「
上
のぼ
り
下
くだ
りが
危険
きけん
なので
今
いま
は
上
うえ
では
打
う
ちません」ですって。
残念
ざんねん
!
いつも
散歩
さんぽ
で
前
まえ
を
通
とお
るこの
体育館
たいいくかん
での
大相撲
おおずもう
は
今年
ことし
限
かぎ
り、
良
よ
い
思
おも
い
出
で
になりました。
来年
らいねん
は
新
あたら
しいアリーナでの
開催
かいさい
です。
明日
あした
からはテレビで
楽
たの
しむことにします。
7
月
がつ
3
日
にち
蝉
せみ
の
初
はつ
鳴
な
き
2024
年
ねん
07
月
がつ
03
日
にち
|
花
はな
トレニア
今朝
けさ
、
庭
にわ
の
草取
くさと
りをしていたら
突然
とつぜん
すぐ
近
ちか
くから、
大
だい
音量
おんりょう
のシャシャシャーが
降
ふ
ってきました。
今
こん
年初
ねんしょ
の
蝉
せみ
です。
今頃
いまごろ
ならアブラゼミのはずですが、あの
鳴
な
き
方
かた
はクマゼミではないかと
思
おも
っているとほんのちょっとで
初
はつ
鳴
な
きは
終了
しゅうりょう
。
地面
じめん
から
出
で
て
来
き
て
練習
れんしゅう
してみただけのようです。ブログを
見返
みかえ
すと2020
年
ねん
には7
月
がつ
2
日
にち
に
初
はつ
鳴
な
きを
聞
き
いたとあり、2024
年
ねん
の
今年
ことし
は7
月
がつ
3
日
にち
、
毎年
まいとし
この
時期
じき
らしい。もっとも
子供
こども
の
頃
ころ
クマゼミに
出会
であ
うのはお
盆
ぼん
頃
ごろ
からでしたから、これも
季
き
節
ぶし
の
巡
めぐ
りが
変
か
わってきてしまったという
事
こと
でしょう。
ここ
数日
すうじつ
の
蒸
む
し
暑
あつ
さにさえかなわないなぁと
思
おも
っているのに、この
先
さき
に
続
つづ
く
酷暑
こくしょ
の
夏
なつ
。
日
にち
中
ちゅう
は
家
いえ
籠
こも
りばかりになって、
外
そと
はセミたちの
大
だい
合唱
がっしょう
。
夏休
なつやす
みが
待
ま
ち
遠
どお
しくて
暑
あつ
さなんて
気
き
にならなかった
子供
こども
の
頃
ころ
が
懐
なつ
かしいです。
庭
にわ
のアジサイの
枝
えだ
を
整理
せいり
して
切
き
った
花
はな
鮮
あざ
やかな
空色
そらいろ
から
変化
へんか
したこの
色
いろ
も
好
す
きです
変化
へんか
朝顔
あさがお
が
芽
め
を
出
だ
した
2024
年
ねん
06
月
がつ
29
日
にち
|
花
はな
マリーゴールド
6
月
がつ
の
初
はじ
め
頃
ごろ
、
物置
ものおき
を
片付
かたづ
けていたら
昨年
さくねん
採取
さいしゅ
して
袋
ふくろ
に
入
い
れたままの「
変化
へんか
朝顔
あさがお
」の
種
たね
を
見
み
つけました。
昨年
さくねん
6
月
がつ
に
逝
い
った
兄
あに
が「これはお
前
まえ
が
好
す
きそうな
花
はな
だで」と
鉢
はち
に
植
う
えてくれた
朝顔
あさがお
が
良
よ
く
咲
さ
いて、
秋
あき
には
少
すこ
しだけできた
種
たね
を
採取
さいしゅ
したものです。
私
わたし
はごく
普通
ふつう
の
朝顔
あさがお
が
好
す
きですが、
変
か
わった
形
かたち
の
変化
へんか
朝顔
あさがお
を
育
そだ
てるのに
夢中
むちゅう
だった
兄
あに
には
言
い
えなくて、
持
も
たせてくれた
数
すう
鉢
はち
を
枯
か
らさないようにはしていました。
突然変異
とつぜんへんい
で
姿
すがた
が
変化
へんか
した
朝顔
あさがお
は
種
たね
は
出来
でき
にくいと
言
い
います。
確
たし
かに
秋
あき
まで
咲
さ
いていたのに
出来
でき
た
種
たね
は2
種類
しゅるい
でほんの
少
すこ
しでした。
せっかく
見
み
つけたのだから
植木鉢
うえきばち
に
蒔
ま
いてみました。
兄
あに
は「
種
たね
は
角
かく
をけずって、
水
みず
に
浸
ひた
してから
蒔
ま
くんだ」とか
言
い
っていた
気
き
がしますが、
気
き
の
無
な
い
私
わたし
は「うんうん」と
空
そら
返事
へんじ
していたはず。ですから
見
み
つけた
種
たね
もそのまま
直接
ちょくせつ
植木鉢
うえきばち
へ。
水
みず
だけは
他
た
の
鉢
はち
と
一緒
いっしょ
にやってはいましたが・・・やっぱりいい
加減
かげん
ではダメだろうなと
思
おも
っていました。
そして
先日
せんじつ
の
朝
あさ
、
土
ど
が
盛
も
り
上
あ
がっているのが
見
み
えて、その
翌日
よくじつ
には
双葉
ふたば
が
顔
かお
を
出
だ
しました。あら~です。
その
日
ひ
は6
月
がつ
24
日
にち
ちょうど
兄
あに
の
命日
めいにち
でした。そんな
日
ひ
に
芽
め
を
出
だ
した
朝顔
あさがお
、
花
はな
の
形
かたち
が
好
す
きとか
嫌
きら
いではなくて、この
花
はな
は
育
そだ
てなくてはと
思
おも
っていたら、その
翌日
よくじつ
からも
続
つづ
いて
発芽
はつが
して
全部
ぜんぶ
で4
本
ほん
。
兄
あに
のように
鉢
はち
にこじんまりというよりものびのび
咲
さ
かせてみようと
思
おも
っています。
二
ふた
つの
鉢
はち
にはそれぞれ
兄
けい
が
書
か
いておいてくれた
名札
なふだ
も
立
た
てました。
小
ちい
さな
名札
なふだ
に
書
か
かれた
文字
もじ
も
懐
なつ
かしいです。
↑ は6
月
がつ
29
日
にち
撮影
さつえい
こちらも29
日
にち
撮影
さつえい
双葉
ふたば
からすでにねじれたような
変化
へんか
朝顔
あさがお
育
そだ
ち
始
はじ
めたらきっとどこかで
兄
あに
が「こっちの
芽
め
を
育
そだ
てて、そっちは
切
き
った
方
ほう
がいい」と・・・。
花
はな
が
咲
さ
いたらまたご
報告
ほうこく
します。
蒔
ま
くのが
遅
おそ
かったけれどきっと
咲
さ
くと
思
おも
っています。
以下
いか
は
昨年
さくねん
咲
さ
いた
花
はな
この
花
はな
が
咲
さ
くのかどうかは
分
わ
かりません
薄紫
うすむらさき
の
花
はな
の
直径
ちょっけい
は5〜6㎝
名古屋
なごや
場所
ばしょ
も
間近
まぢか
に
2024
年
ねん
06
月
がつ
25
日
にち
|
名古屋
なごや
城
じょう
朝
あさ
散歩
さんぽ
で
休憩
きゅうけい
したいときに
バス停
ばすてい
の
椅子
いす
に
座
すわ
るとハマユウが
咲
さ
くこんな
風景
ふうけい
↑
右側
みぎがわ
の
歩道
ほどう
には
夜明
よあ
けからランニングや
散歩
さんぽ
の
人
ひと
が
多
おお
い
私
わたし
の
朝
あさ
散歩
さんぽ
のコースのひとつが
愛知
あいち
県
けん
体育館
たいいくかん
の
前
まえ
を
通
とお
るコースです。6月25
日
にち
朝
あさ
は
梅雨
つゆ
らしい
曇
くも
り
空
ぞら
。
名古屋
なごや
城
じょう
の
堀
ほり
を
渡
わた
ると
石垣
いしがき
の
横
よこ
に
高
たか
い
櫓
ろ
が
組
く
まれていて、
名古屋
なごや
場所
ばしょ
が
始
はじ
まるのももうすぐです。そして
暑
あつ
い
夏
なつ
が
来
く
るのももうすぐ。
会場
かいじょう
となる
愛知
あいち
県
けん
体育館
たいいくかん
の
広場
ひろば
には
資材
しざい
が
積
つ
み
上
あ
げられ、
広場
ひろば
の
隅
すみ
には
幟
のぼり
を
立
た
てる
柵
しがらみ
も
出来
でき
ていました。そして「
入場
にゅうじょう
券
けん
は
全日
ぜんじつ
完売
かんばい
」の
看板
かんばん
。
大相撲
おおずもう
の
初日
しょにち
は7
月
がつ
14
日
にち
、なのにもう
完売
かんばい
。
若手
わかて
の
台頭
たいとう
もあって
相撲
すもう
人気
にんき
は
盛
も
り
上
あ
がっているようです。
櫓
ろ
会場
かいじょう
設営
せつえい
の
資材
しざい
も
運
はこ
び
込
こ
まれて
今年
ことし
限
かぎ
りの
愛知
あいち
県
けん
体育館
たいいくかん
完売
かんばい
!
この
愛知
あいち
県
けん
体育館
たいいくかん
(
愛称
あいしょう
はドルフィンズアリーナ)での
開催
かいさい
は
今年
ことし
限
かぎ
りで、
来年
らいねん
の
名古屋
なごや
場所
ばしょ
はもうじき
完成
かんせい
する
新築
しんちく
の
愛知
あいち
国際
こくさい
アリーナでの
開催
かいさい
になります。
私
わたし
が
小学生
しょうがくせい
の
頃
ころ
(
昭和
しょうわ
20
年代
ねんだい
)には
名古屋
なごや
場所
ばしょ
は「
準
じゅん
本場所
ほんばしょ
」の
位置
いち
づけで
金山
かなやま
体育館
たいいくかん
での
開催
かいさい
でした。
何
なん
年生
ねんせい
の
時
とき
だったか、
学校
がっこう
の
行事
ぎょうじ
で
相撲
すもう
見物
けんぶつ
に
行
い
ったのですが、
覚
おぼ
えているのはまだテレビのない
時代
じだい
に
初
はじ
めて
見
み
たお
相撲
すもう
さんの
大
おお
きなこと、
名前
なまえ
を
憶
おぼ
えているのは
照国
てるくに
と
安
やす
念
ねん
山
やま
だけですがお
腹
なか
が
丸
まる
いのに
驚
おどろ
いたり、
通路
つうろ
に
置
お
かれた
氷柱
つらら
が
大
おお
きくて
休憩
きゅうけい
時間
じかん
にはシューッと
酸素
さんそ
の
放出
ほうしゅつ
などもあってとても
暑
あつ
かったこと
等
とう
など・・・。
名古屋
なごや
場所
ばしょ
が
本場所
ほんばしょ
に
昇格
しょうかく
した
昭和
しょうわ
33
年
ねん
から
昭和
しょうわ
39
年
ねん
までの
間
あいだ
も
会場
かいじょう
は
金山
かなやま
体育館
たいいくかん
「
南洋
なんよう
場所
ばしょ
」とも
言
い
われるほど
暑
あつ
い
場所
ばしょ
でした。
来年
らいねん
からは…
空調
くうちょう
のきいたアリーナで・・・
名古屋
なごや
場所
ばしょ
の
雰囲気
ふんいき
も
変
か
わりそうです。
毎年
まいとし
この
花
はな
が
満開
まんかい
になる
頃
ころ
大相撲
おおずもう
が
始
はじ
まります
散歩
さんぽ
の
道
みち
で
伊吹山
いぶきやま
を
見
み
に(2)
2024
年
ねん
06
月
がつ
23
日
にち
|
伊吹山
いぶきやま
と
周辺
しゅうへん
中山道
なかせんどう
柏
かしわ
原宿
はらじゅく
左
ひだり
はもぐさ
屋
や
伊吹
いぶき
堂
どう
左京
さきょう
商店
しょうてん
今
いま
も1
軒
けん
だけ
残
のこ
る
老舗
しにせ
です
伊吹
いぶき
堂
どう
左京
さきょう
商店
しょうてん
水田
すいでん
の
風景
ふうけい
を
堪能
たんのう
してJR
東海道
とうかいどう
線
せん
柏原
かしわばら
駅
えき
に
戻
もど
る。
駅近
えきちか
くにカフェがあったはずなのでお
昼
ひる
をいただいてトイレもお
借
か
りしようと
思
おも
ったらガラス
戸
ど
に「
本日
ほんじつ
臨時
りんじ
休業
きゅうぎょう
」の
表示
ひょうじ
。それはそうだろうと
思
おも
います。
歩
ある
いている
人
ひと
はめったにいないし、
国道
こくどう
からも
離
はな
れている
旧
きゅう
街道
かいどう
で
車
くるま
の
往来
おうらい
も
少
すく
ないのですから。
仕方
しかた
が
無
な
いので
駅
えき
から
西
にし
へ400mほどにある
柏
かしわ
原宿
はらじゅく
歴史
れきし
館
かん
へ。ここには
以前
いぜん
にも
来
き
たので
併設
へいせつ
された
喫茶店
きっさてん
もあると
分
わ
かっていても
疲
つか
れた
脚
あし
には
遠
とお
かった。
歩
ある
きながら
宿場
しゅくば
の
風情
ふぜい
を
残
のこ
す
建物
たてもの
につい
立
た
ち
止
ど
まるのは
脚
あし
を
休
やす
めるためもありました。
左
ひだり
の
建物
たてもの
が
柏原
かしわばら
歴史
れきし
館
かん
国
くに
の
登録
とうろく
有形
ゆうけい
文化財
ぶんかざい
指定
してい
の
建物
たてもの
で
喫茶
きっさ
も
併設
へいせつ
歴史
れきし
館
かん
併設
へいせつ
の
喫茶
きっさ
「
柏
かしわ
」にたどり
着
つ
きヤレヤレと
座
すわ
って、
先
ま
ずはアイスコーヒー。
開
あ
け
放
はな
した
窓
まど
からは
涼風
すずかぜ
が
吹
ふ
き
込
こ
んでホッと
一息
ひといき
です。この
辺
あた
りはお
灸
やいと
に
使用
しよう
するもぐさの
産地
さんち
なのでお
灸
やいと
に
見立
みた
てた「やいとうどん」とか
近
ちか
くの
川
かわ
に
蛍
ぼたる
が
飛
と
ぶ
頃
ころ
だけの「
蛍
ぼたる
うどん」が
名物
めいぶつ
とありましたが、
私
わたし
は
冷
つめ
たいざる
蕎麦
そば
を
注文
ちゅうもん
。
写真
しゃしん
を
撮
と
るのも
忘
わす
れていただきました。こうしたお
店
みせ
が
臨時
りんじ
休業
きゅうぎょう
もあり
得
え
るので、
一応
いちおう
お
握
にぎ
りとアンパンは
必
かなら
ず
持
も
って
歩
ある
き、
残
のこ
れば
夕食
ゆうしょく
に。
皇女
おうじょ
和宮
かずのみや
様
さま
が
宿泊
しゅくはく
された
本陣
ほんじん
跡地
あとち
とある
お
昼
ひる
をいただいて
休憩
きゅうけい
も
出来
でき
た
後
のち
は
碑
いしぶみ
や
説明
せつめい
板
ばん
もゆっくり
読
よ
む。
以前
いぜん
来
き
た
時
とき
よりも
説明
せつめい
板
ばん
が
分
わ
かりやすくなりました。
民家
みんか
の
日陰
ひかげ
でスケッチ
駅
えき
までのんびり
歩
ある
く
間
あいだ
に
気
き
になる
場所
ばしょ
で、
座
すわ
れる
場所
ばしょ
があればちょっとスケッチ。でも、
街道
かいどう
なので
家
いえ
の
前
まえ
ではゆっくり
座
すわ
ってはおられず、
色
いろ
は
簡単
かんたん
に。
誰
だれ
も
歩
ある
いていない。
昔
むかし
は
蔵
くら
だったらしい
建物
たてもの
が
見
み
えた(
家
いえ
で
色付
いろづ
け)
スケッチしながら
歩
ある
けば
帰
かえ
りは
駅
えき
まで
近
ちか
かった。
以前
いぜん
来
き
た
時
とき
は
大雪
おおゆき
の
後
のち
で、
足元
あしもと
が
心配
しんぱい
でしたし
家
いえ
に
近寄
ちかよ
れば落雪を
心配
しんぱい
しながらも
大好
だいす
きな
雪景色
ゆきげしき
にワクワクしながら
歩
ある
いた
道
みち
でした。
茶色
ちゃいろ
の
柏原
かしわばら
駅
えき
の
後
うし
ろは
伊吹山
いぶきやま
。
駅舎
えきしゃ
の
割
わり
に
大
おお
きな
跨線橋
こせんきょう
(エレベーターが
欲
ほ
しい!)。
柏原
かしわばら
駅
えき
に
着
つ
いたのは14
時
じ
前
まえ
、
朝
あさ
駅
えき
を
出
で
て5
時
じ
間
あいだ
半
はん
。とても
充実
じゅうじつ
した
時間
じかん
になりました。
帰
かえ
りは
東海道
とうかいどう
線
せん
大垣
おおがき
で
乗
の
り
換
か
えて
名古屋
なごや
へ。
家
いえ
に
着
つ
いたのは4
時
じ
過
す
ぎでした。こんな
良
よ
い
天気
てんき
に
夕焼
ゆうや
けも
見
み
ないで
帰
かえ
るなんて
以前
いぜん
だったらありえない
事
こと
。ま、80を
超
こ
えたのですから
無理
むり
はしない。
歩
ある
いた
距離
きょり
は7・5キロ
歩数
ほすう
は13,247
歩
ほ
階段
かいだん
を
上
あ
がった
階数
かいすう
は6
階
かい
距離
きょり
の
割
わり
に
歩数
ほすう
が
多
おお
いのはキョロキョロしたり
膝
ひざ
が
痛
いた
かったりしたためだろうと
思
おも
います。それでも
見
み
たい
所
ところ
は
見
み
られた
楽
たの
しい1
日
にち
でした。
おわり。
伊吹山
いぶきやま
を
見
み
に(1)
2024
年
ねん
06
月
がつ
22
日
にち
|
伊吹山
いぶきやま
と
周辺
しゅうへん
最初
さいしょ
の1
枚
まい
6月18
日
にち
のテレビで
天気
てんき
予報
よほう
士
し
が「
明日
あした
は
梅雨
つゆ
に
入
はい
る
前
まえ
の
貴重
きちょう
な
晴
は
れ
間
ま
になるでしょう」と。それなら
晴
は
れているうちに
何処
どこ
かへ
出
で
かけようと
色々
いろいろ
考
かんが
えて、しばらく
行
い
っていない
伊吹山
いぶきやま
を
見
み
に
行
い
くことにしました。
予報
よほう
通
どお
り19
日
にち
の
朝
あさ
は
快晴
かいせい
!
家
いえ
を6
時
じ
過
す
ぎに
出
で
てJR
東海道
とうかいどう
線
せん
名古屋
なごや
駅
えき
発
はつ
7:16の
米原
まいばら
行
ゆき
に
乗
の
る。
東海道
とうかいどう
線
せん
の
列車
れっしゃ
はほとんど
大垣
おおがき
で
乗
の
り
換
か
えになりますが
朝夕
ちょうせき
の
数少
かずすく
ない
列車
れっしゃ
は
乗
の
り
換
か
えずに
目的
もくてき
の「
柏原
かしわばら
駅
えき
」まで
行
い
ける。ただこの
時間
じかん
は
通勤
つうきん
通学
つうがく
の
人
ひと
で
混雑
こんざつ
し、のんびりと
外
そと
を
眺
なが
める
余裕
よゆう
はありません。
柏原
かしわばら
駅
えき
に
着
つ
いたのが8:30 ここから
伊吹山
いぶきやま
と
水田
すいでん
の
風景
ふうけい
を
楽
たの
しみながら、
膝
ひざ
を
気
き
にしながら
歩
ある
けるだけ
歩
ある
きました。
いつもは
駅
えき
を
出
で
ると
右
みぎ
に
進
すす
むのですが、
今回
こんかい
は
違
ちが
った
風景
ふうけい
を
求
もと
めて
左
ひだり
へ
歩
ある
く。
膝
ひざ
の
負担
ふたん
を
減
へ
らすために
荷物
にもつ
はキャリーにもなるリュックに
詰
つ
めてゴロゴロ
引
ひ
いて
歩
ある
きました。この
音
おと
がけっこう
気
き
になります。
膝
ひざ
の
負担
ふたん
軽減
けいげん
には
減量
げんりょう
が
第
だい
一
いち
だとは
分
わ
かっていてもそれはとても
無理
むり
・・・です。
青
あお
線
せん
が
前半
ぜんはん
の
水田
すいでん
地帯
ちたい
、
茶色
ちゃいろ
線
せん
が
後半
こうはん
の
柏
かしわ
原宿
はらじゅく
東海道
とうかいどう
線
せん
の
線路
せんろ
をくぐって
県道
けんどう
551
号線
ごうせん
を
進
すす
めば
目
め
の
前
まえ
に
久
ひさ
しぶりに
出会
であ
う
伊吹山
いぶきやま
!
名古屋
なごや
を
出
で
た
時
とき
は
雲
くも
一
ひと
つなかったのに
山
やま
近
ちか
くには
雲
くも
。
山
やま
が
隠
かく
れない
事
こと
を
願
ねが
いながら
水田
すいでん
と
伊吹山
いぶきやま
の
見晴
みは
らしの
良
よ
い
場所
ばしょ
を
探
さが
して
歩
ある
く。
県道
けんどう
から
折
お
れて
左手
ひだりて
には「
成
なり
菩提
ぼだい
院
いん
」。その
昔
むかし
、
家康
いえやす
の
参謀
さんぼう
といわれた
天海
あまみ
大僧正
だいそうじょう
が
住職
じゅうしょく
を
務
つと
めた
時期
じき
もあるという
寺
てら
の
小山
こやま
。その
山裾
やますそ
に
沿
そ
って
行
い
くと、そこに
私
わたし
が
見
み
たかった
風景
ふうけい
がありました。
広々
ひろびろ
した
青田
あおた
の
向
む
こうに
聳
そび
える
伊吹山
いぶきやま
。
青
あお
い
空
そら
に
白
しろ
い
雲
くも
がぽっかり
浮
う
いて、
時々
ときどき
山
やま
にかかっては
離
はな
れてまたかかる。
日陰
ひかげ
に
椅子
いす
を
置
お
いてスケッチ1
枚
まい
。その
日
ひ
最初
さいしょ
の1
枚
まい
は
気持
きも
ちばかり
入
はい
りすぎて
毎回
まいかい
面白
おもしろ
くない。これがトップの
絵
え
です。
柿
かき
の
木
き
の
日陰
ひかげ
で
太陽
たいよう
が
移動
いどう
して
日陰
ひかげ
の
位置
いち
が
変
か
わるので
私
わたし
も
移動
いどう
する。
柿木
かきのき
の
近
ちか
くは
日陰
ひかげ
があっても
伊吹山
いぶきやま
は
裾
すそ
しか
見
み
えない。でも、
日向
ひなた
では
白
しろ
い
紙
かみ
がまぶしすぎて
色
いろ
が
分
わ
からなくなるのでしばらく
日陰
ひかげ
で
休憩
きゅうけい
。
水路
すいろ
の
水音
みずおと
を
聞
き
きながら
本当
ほんとう
はこんなに
素晴
すば
らしい
風景
ふうけい
です・・・
田
た
んぼの
中
なか
の
舗装
ほそう
された
農道
のうどう
を
歩
ある
く
人
ひと
はいない。はるか
向
む
こうの
青田
あおた
の
中
なか
に
腰
こし
をかがめて
作業
さぎょう
中
ちゅう
の
人
ひと
が
見
み
えるほかは、
時折
ときおり
軽
けい
トラックが
通
とお
るだけです。
日陰
ひかげ
を
見
み
つけると
出来
でき
るだけ
隅
すみ
っこに
椅子
いす
を
置
お
いてはスケッチ・・・
期待
きたい
は
大
おお
きかったのにちっとも
思
おも
うようには
描
えが
けませんでしたが、カエルが
鳴
な
いてヒバリが
鳴
な
いて、
時折
ときおり
ウグイスも。
真夏
まなつ
のような
太陽
たいよう
の
光
ひかり
も
青田
あおた
を
渡
わた
る
風
ふう
や
水路
すいろ
を
流
なが
れる
水
みず
の
音
おと
を
聞
き
いていると
爽
さわ
やかでした。
気温
きおん
は26℃。
この
辺
あた
りは
田
た
毎
ごと
に
田植
たう
えの
時期
じき
がかなり
違
ちが
い、
青田
あおた
の
場所
ばしょ
もあれば
早苗
さなえ
を
育
そだ
てている
所
ところ
もある。まだ
田
た
に
水
みず
を
引
ひ
いていないところもあって、
稲刈
いねか
りの
時期
じき
も
田
た
んぼごとにかなり
違
ちが
う。
少
すこ
し
歩
ある
いた
先
さき
では、6
年
ねん
前
まえ
に
初
はじ
めてここを
訪
おとず
れた
時
とき
に
椅子
いす
を
置
お
いたのは、あの
木
こ
の
下
した
と
思
おも
いだした
風景
ふうけい
。
ここの1
枚
まい
もイマイチですが、またこの
場所
ばしょ
に
立
た
てただけでも
嬉
うれ
しかった。あの
日
ひ
と
同
おな
じように
伊吹山
いぶきやま
の
裾
すそ
にはひっきりなしに
新幹線
しんかんせん
が
行
い
き
交
か
い
左手
ひだりて
の
東海道
とうかいどう
線
せん
には
客車
きゃくしゃ
や
貨物
かもつ
列車
れっしゃ
が
通
とお
る。この
場所
ばしょ
は
撮
と
り
鉄
てつ
さんの
目当
めあ
ての
場所
ばしょ
でもあるのです。
">
東海道
とうかいどう
線
せん
の
下
した
のトンネルをくぐる。
水
みず
が
溜
た
まっていて
滑
すべ
らないように
気
き
を
付
つ
けて。
ブロ
友
とも
さんの
記事
きじ
から
知
し
ったこの
場所
ばしょ
、まだ
田
た
んぼはかわいたままでした。
乾
かわ
いた
田
た
の
向
む
こう
少
すこ
し
高
たか
い
場所
ばしょ
が
東海道
とうかいどう
線
せん
、その
左手
ひだりて
あたりの
下
した
をくぐってこちら
側
がわ
へ
来
き
ました。
2018
年
ねん
6
月
がつ
16
日
にち
にこの
場所
ばしょ
でスケッチした
時
とき
はもっと
丁寧
ていねい
に
描
えが
いていました。6
年
ねん
後
ご
の
今
いま
は?
見比
みくら
べてみて、あらまぁと
驚
おどろ
いて、
進歩
しんぽ
の
無
な
さを
反省
はんせい
しています。
ここまでで4.8㎞
駅
えき
を
出発
しゅっぱつ
して3
時
じ
間
あいだ
過
す
ぎました。
この
後
のち
は、
駅
えき
近
ちか
くの
中山道
なかせんどう
柏原
かしわばら
宿
やど
を
歩
ある
きました。これはまた
次回
じかい
に。
しばらくブログお
休
やす
みします
2024
年
ねん
06
月
がつ
14
日
にち
|
果物
くだもの
いただいた
山形
やまがた
のサクランボ
すでにお
休
やす
み
続
つづ
きのブログですが、この
頃
ころ
は
特
とく
にアップすることが
何
なに
も
思
おも
いつかないのです。
何
なに
か
書
か
かなくちゃ…と
悩
なや
むより、
書
か
きたくなるまでお
休
やす
みすることにしました。
特
とく
に
体調
たいちょう
不安
ふあん
があるわけではなく、ヤル
気
き
がないだけの
事
こと
、
皆様
みなさま
の
所
ところ
へは
伺
うかが
う
事
こと
もあるかと
思
おも
います。
早
はや
めの
夏休
なつやす
みと
思
おも
って、しばらくのんびり
暮
く
らすことにします。
先日
せんじつ
友人
ゆうじん
宅
たく
でいただいた
枇杷
びわ
皮
かわ
ごと
食
た
べられ
種
たね
なし オーストラリア
産
さん
のブドウ
鉢植
はちう
えの
二
に
番
ばん
花
はな
「
空蝉
うつせみ
」
果物
くだもの
ではないけれど・・・
畑
はたけ
の
応接間
おうせつま
2024
年
ねん
06
月
がつ
05
日
にち
|
果物
くだもの
頂
いただ
いた
枇杷
びわ
親友
しんゆう
のご
主人
しゅじん
から「
今年
ことし
も
枇杷
びわ
の
季
き
節
ぶし
が
来
き
ましたよ」と
誘
さそ
っていただきました。
隣
となり
の
市
し
の
郊外
こうがい
に
住
す
む
友人
ゆうじん
は
年々
ねんねん
記憶
きおく
が
衰
おとろ
えて
来
き
ていますが、
今年
ことし
も
私
わたし
だと
分
わ
かって
名前
なまえ
も
覚
おぼ
えていてくれました。
JRの
駅
えき
までご
主人
しゅじん
の
運転
うんてん
で
迎
むか
えに
来
き
ていただき、
彼女
かのじょ
の
家
いえ
まで
行
い
く
間
あいだ
にスーパーでお
弁当
べんとう
を
買
か
うのも
毎年
まいとし
の
事
こと
になりました。
家
いえ
に
着
つ
けば
家
いえ
の
前
まえ
の
畑
はたけ
に
直行
ちょっこう
。
畑
はたけ
の
中
なか
にパラソルを
立
た
ててテーブルと
椅子
いす
を
置
お
いて「
畑
はたけ
の
応接間
おうせつま
」です。
周囲
しゅうい
には
田植
たう
えが
終
お
わったばかりの
水田
すいでん
が
広
ひろ
がり
水
すい
を
渡
わた
って
吹
ふ
く
風
ふう
は
涼
すず
しくて
気持
きも
ちがいい。そこに
時々
ときどき
カエルの
声
こえ
。パラソルを
立
た
てた
周
まわ
りは
家庭
かてい
菜園
さいえん
と
言
い
うには
立派
りっぱ
なスイカの
畝
うね
、
里芋
さといも
の
畝
うね
、ナスにトマトにサニーレタスは
薹
とう
が
立
た
って
花
はな
が
咲
さ
きそうな
畝
うね
などもあって
明
あか
るく
豊
ゆた
かな
応接間
おうせつま
です。
パラソルの
下
した
で
友人
ゆうじん
はいつも
華
はな
やかな
服
ふく
「50
年
ねん
前
まえ
に
植
う
えた
時
とき
は50センチくらいだったけどね」
家
か
の
前
まえ
の
大
おお
きな
枇杷
びわ
の
木
き
は
実
み
がたわわです。「
袋
ふくろ
をかぶせないと
鳥
とり
がつついてね、かぶせない
方
ほう
が
甘
あま
いけどね」とご
主人
しゅじん
。
高
たか
い
木
き
の
上
うえ
の
方
ほう
からも
枝
えだ
ごと
切
き
って「さあ
枇杷
びわ
の
食
た
べ
放題
ほうだい
!」とお
楽
たの
しみの
時間
じかん
です。
友人
ゆうじん
は
座
すわ
っているだけでしたが
食欲
しょくよく
は
十分
じゅうぶん
なので、
枇杷
びわ
とお
弁当
べんとう
をいただきながら
繰
く
り
返
かえ
す
思
おも
い
出
で
話
ばなし
。
高校
こうこう
時代
じだい
の
記憶
きおく
は
残
のこ
っていて「そうそう…そうだったよね~」と。アルバムを
見
み
れば
思
おも
い
出
だ
すことも
多
おお
く、まだ
大丈夫
だいじょうぶ
と
思
おも
えました。
帰
かえ
りもJRの
駅
えき
まで
送
おく
っていただいて、
車
くるま
から
手
て
を
振
ふ
り
遠
とお
ざかる
彼女
かのじょ
を
見送
みおく
りながら
来年
らいねん
もその
次
つぎ
の
年
とし
も
畑
はたけ
の
応接間
おうせつま
でおしゃべりが
出来
でき
たら・・・それには
2人
ふたり
と
同
おな
い
年
どし
のご
主人
しゅじん
も
共
とも
に
元気
げんき
でいなければ、ずっと
元気
げんき
でいたいと
思
おも
った1
日
にち
でした。
彼女
かのじょ
の
家
いえ
の
近
ちか
くから
遠
とお
くに
名古屋
なごや
駅
えき
のビル
群
ぐん
が
見
み
えました。(
写真
しゃしん
ではよく
見
み
えないけれど)
わが
家
や
からは
私鉄
してつ
・JRと
乗
の
り
継
つ
いで
駅
えき
まで
迎
むか
えに
来
き
てもらいずいぶん
遠
とお
くまでと
思
おも
ったのに
意外
いがい
と
近
ちか
かった。
お
土産
みやげ
にいただいた
枇杷
びわ
は
傷
いた
みやすいので コンポートにして
少
すこ
しゼリーにも。これは
私
わたし
には
珍
めずら
しいことです。
記事
きじ
一覧
いちらん
|
画像
がぞう
一覧
いちらん
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フォロワー
一覧
いちらん
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いちらん
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