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官僚制 民主主義の敵なのか友なのか|好書好日
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官僚かんりょうせい 民主みんしゅ主義しゅぎてきなのかともなのか

ひだりから佐川さがわせん寿ことぶきぜん国税庁こくぜいちょう長官ちょうかん=18ねんがつ柳瀬やなせ唯夫ただおもと首相しゅしょう秘書官ひしょかん=18ねんがつ前川まえかわ喜平きへいぜん文科ぶんか事務次官じむじかん=17ねんがつ

 官僚かんりょうせいあらわ英語えいごbureaucracyは「事務じむしつ」を意味いみするbureauに、「支配しはい」「権力けんりょく」を意味いみするcracyが結合けつごうしてできている。このかたりまれたのは18世紀せいきちゅうごろのフランスで、基本きほんてき否定ひていてき意味いみだった。杓子定規しゃくしじょうぎ(しゃくしじょうぎ)で、融通ゆうずうがきかず、かよっていない、という役所やくしょへのわるいイメージはすでにこのときからはじまっている。バルザックも『役人やくにん生理学せいりがく』で「書類しょるいづく以外いがいになんの能力のうりょくもない人間にんげん」といている。
 この語源ごげんてき説明せつめい違和感いわかん読者どくしゃおおいかもしれない。城山しろやま三郎さぶろう官僚かんりょうたちのなつ』(新潮しんちょう文庫ぶんこ・637えん)にえがかれているような官僚かんりょうぞうのせいだろう。支持しじ基盤きばん個別こべつ利益りえき配慮はいりょせざるをえない代議士だいぎしたいして、うえから目線めせんで「国益こくえき」をかた高潔こうけつなエリート。この官僚かんりょうイメージは高度こうど経済けいざい成長せいちょうぎてもながらく維持いじされてきた。
 しかし、選挙せんきょえらばれたわけでもない官僚かんりょう政策せいさくめるというのはそもそも「民主みんしゅてき」ではない。右肩みぎかたがりの経済けいざい成長せいちょう冷戦れいせん構造こうぞうのもと、選択せんたく余地よち比較的ひかくてきせまかったので、「タテ割たてわり」の弊害へいがい顕在けんざいしにくかった。しかしもはやそうした状況じょうきょうにはない。1990年代ねんだいからの「政治せいじ主導しゅどう」のながれは、橋本はしもと龍太郎りゅうたろう内閣ないかくから民主党みんしゅとう政権せいけんて、現在げんざいまでつづいている。

そく物的ぶってき人格じんかくせい

 もっとも、政官せいかんちから関係かんけい変化へんかという説明せつめいはあまりにざつである。マックス・ウェーバーは、政治せいじ決定けっていし、責任せきにんうという「政治せいじ主導しゅどう」をつよ主張しゅちょうしたが、同時どうじ合理ごうりてき行政ぎょうせい理念りねんがたえがいて、政治せいじたが(たが)をはめてもいる。「そく物的ぶってき人格じんかくせい」が、かれの『官僚かんりょうせい』のキーワードである。行政ぎょうせいりょう増大ぞうだいしつ複雑ふくざつのなかで、パーソナルな事情じじょう恣意しい(しい)せいはいして、客観きゃっかんてきかつ公正こうせい事務じむ処理しょりすることが必要ひつようになる。ウェーバーは文書ぶんしょ主義しゅぎについてもろんじている。「った」「わない」という不毛ふもうあらそいをけるためには、文書ぶんしょ作成さくせい共有きょうゆうかせない。
 有力ゆうりょく政治せいじがパーソナルな事情じじょう形式けいしきてき基準きじゅんをないがしろにすれば、平等びょうどうもとづくデモクラシーの基盤きばんくずされる。佐川さがわせん寿ことぶきぜん国税庁こくぜいちょう長官ちょうかん証人しょうにん喚問かんもんまえにして、官邸かんていまえで「官僚かんりょうがんばれ」とのごえんだ。ここでもとめられたのはかつての官僚かんりょう優位ゆうい復活ふっかつではないだろう。デモクラシーの条件じょうけんである中立ちゅうりつ公正こうせい行政ぎょうせいたいして「がんばれ」とわれたのである。そしてこの一線いっせんまもることは、官僚かんりょうの「名誉めいよ」の問題もんだいでもある。かれらが一生懸命いっしょうけんめいはたらくのは人事じんじのため(だけ)ではなく、中立ちゅうりつ公正こうせい行政ぎょうせいに「使命しめい」をかんじているからではないのか。

中立ちゅうりつかくれみの

 もちろん、「中立ちゅうりつ公正こうせい」は政治せいじがくてきもっと注意ちゅうい必要ひつよう用語ようごひとつである。この言葉ことばかくれみのにして、責任せきにんのがれと利権りけん保持ほじがなされてきた(丸山まるやま眞男まさお軍国ぐんこく支配しはいしゃ精神せいしん形態けいたい」『ちょう国家こっか主義しゅぎ論理ろんり心理しんり はちへん岩波いわなみ文庫ぶんこ・1490えん)。そして、個人こじんほろぼして粛々しゅくしゅく仕事しごとをすることは、政治せいじ決定けっていにはらまれる「非合理ひごうり」を隠蔽いんぺい(いんぺい)し、ナチによる「行政ぎょうせいてき大量たいりょう虐殺ぎゃくさつ」にもむすびついた(ハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン』みすず書房しょぼう・4752えん)。
 さらに、透明とうめい自由じゆう競争きょうそうかかげるしん自由じゆう主義しゅぎは、公募こうぼ審査しんさ自己じこ点検てんけん評価ひょうか書類しょるいき(ペーパーワーク)でわたしたちをてている。「ちいさな政府せいふ」どころか、かえって官僚かんりょうせいのルールの強化きょうかになってはいないか。『官僚かんりょうせいのユートピア』で文化ぶんか人類じんるい学者がくしゃデヴィッド・グレーバーはこういかける。バルザックの風刺ふうし昔話むかしばなしではない。
 官僚かんりょうせいはデモクラシーのてきでもあり、ともでもある。いつなみだながしてでも抵抗ていこうすべきなのか、いつ「がんばれ」とうべきか。われているのは「わたしたち」の眼力がんりきであり、いである=朝日新聞あさひしんぶん2018ねん5がつ12にち掲載けいさい

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