世界一周の旅の中で、イスラエルに10日間ほど滞在した。渡航前は「危険な場所」というイメージが強かったし、実際、街中にいる兵士たちは自動小銃をもってウロウロしていたのを見ていたので、最初の2、3日はだいぶ緊張していた。
でも、迷路のようなエルサレムの旧市街を歩きまわるのはとても楽しかったし、ひよこ豆のペーストであるフムスや豆コロッケのファラフェルなど、食事もヘルシーでおいしかった。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教と各宗教の聖地を巡っていても、特に争いを見かけることはなかったし、むしろ世界中の人々の祈りを間近で見ることができて、幸せな気持ちになった。なんだ、イスラエル、いい国じゃない。
エルサレム最終日。一緒に旅をしていたドイツ人のトムと、乗り合いのマイクロバスで、エルサレムから南へ約10キロのところにある街ベツレヘムへ行った。ベツレヘムはイエス・キリストの生誕の地として知られており、現在パレスチナ自治区にある。
いわゆるパレスチナ問題については、教科書の中の知識ぐらいしかなかったが、イエス・キリストが生まれたとされる地に立つ教会周辺でも、地元民でにぎわうスークでも、アイーダ難民キャンプでも、普通に人が暮らしていて、イスラエルの居住地とパレスチナ自治区を隔てる巨大なコンクリート製の壁の存在を除けば、何ら私たちの日常と変わらないと思った。
ただ、パレスチナからエルサレムへ向かう帰りのバスで、それは起こった。
バスには15人ぐらいの乗客がいたのだけれど、検問所でパレスチナ人だけがバスから降ろされたのだ。私とトムは、パレスチナ人ではないと判断されたのだろう、パスポートも何も見せずに“顔パス”だったが、パレスチナ人は全員手荷物検査とボディーチェックをされていた。とあるパレスチナ女性が製図を入れるような筒状のケースを持っていて、彼女はそれを「勉強のために使う図だ」と説明していたのに、イスラエル兵は中身もろくに確認しないで、そのケースを没収していた。
私とトムは無言で顔を見合わせた。一気に「現実」に引き戻された気がして、ヒリヒリした思いが残っている。
たかのてるこの『ガンジス河でバタフライ』に、似たような場面があったことを思い出した。
この本は、20歳のときに初めて海外一人旅をした傑作エッセイで、彼女のみずみずしい感性と爆笑エピソードが売りなのだけれど、インドの旅の途中でこんな記述がある。
ドライバーのおっちゃんは、慣れた感じで乗客の男たちと談笑している。なんの話をしているんだか、肩まで叩き合って和気あいあいだ。インド人は、はたから見ている分には本当に仲が良さそうに見える。こう言う情景を見ている限り、インドにカーストなんてものが存在していること自体、信じられないくらいだ。(207ページ)
そして、インドのとある家庭でホームステイをした筆者。優しい穏やかなお母さんが、お手伝いらしき女性に向かって、ものすごい剣幕で責め立てて、怒り始めた場面を目の当たりにする。スプーンに汚れが残っていたことに腹を立てていたお母さんは、スプーンをそのお手伝いさんに投げつける。
こんなふうに、平和な光景の中では、カーストによる差別のギャップがあまりにも激しすぎた。私はほとほと、自分の無力さが嫌になってしまった。インドには、目をつぶってしまいたくなるような現実があまりにも多すぎる。でもそれを知ったところで、私にはどうすることもできないのだ。現実を知れば知るほど、虚しさが募るばかりだ。(222ページ)
パレスチナ問題とカースト制度は同等に語るつもりはないけれど、私とたかのさんがそれぞれ感じた、この旅人の虚しさは確かに共通している。何もできない無力さを感じているが、少なくとも、その現実を忘れないでいようと思っている。