(Translated by https://www.hiragana.jp/)
半端ではないラストの多幸感 山内マリコさんが中学時代に出会った映画「BeRLiN」|好書好日
  1. HOME
  2. コラム
  3. 大好だいすきだった
  4. 半端はんぱではないラストの多幸たこうかん 山内やまうちマリコさんが中学ちゅうがく時代じだい出会であった映画えいが「BeRLiN」

半端はんぱではないラストの多幸たこうかん 山内やまうちマリコさんが中学ちゅうがく時代じだい出会であった映画えいが「BeRLiN」

 いまは陽気ようきなアラフォー女性じょせいとして日々ひびたのしくきているけれど、10代のころは本当ほんとうにナイーブで、神経しんけいほそくて、毎日まいにちにそうになりながら学校がっこうっていた。とくに中学ちゅうがく時代じだいは、毎年まいとしいち段階だんかいずつくらくなる、みたいなかんじ。14さいから15さいにかけてが人生じんせいでいちばんつらくて、つまらなくて、そこから一瞬いっしゅんでもいいからしたくて、映画えいがばかりてた。

 当時とうじ東京とうきょうはミニシアターブーム。地方ちほうらすわたしにとって、映画えいがかん一人ひとりでふらりとける場所ばしょではなく、そのかわりにレンタルビデオてん衛星えいせい放送ほうそう、WOWOWが命綱いのちづなだった。「BeRLiN(ベルリン)」も、WOWOWで放送ほうそうされていたのをたまたま記憶きおくがある。利重とししげつよし監督かんとく作品さくひんで、中谷なかたに美紀みきさんのはつ主演しゅえん映画えいが。いなくなってしまったキョーコというホテトルじょう行方ゆくえを、テレビのドキュメンタリー取材しゅざいはんいかけるというちょっとわったはなしだった。タイトルは、キョーコがいつもくびからげているかわぶくろはいった、かべ欠片かけらから。ベルリンのかべ崩壊ほうかいから6ねん映画えいがである。

 キョーコの関係かんけいしゃにインタビューしているときは金属きんぞくてきなモノクロ映像えいぞう、キョーコのいる過去かこパートになるとカラーにわり、世界せかいいろであふれる。撮影さつえい篠田しのだのぼるさんによる、ふんわりしたやさしいひかりられた19さい中谷なかたに美紀みきさんの、“純粋じゅんすい”とかいう気持きもわる言葉ことば使つかわないと表現ひょうげんできないような、ピュアネス120%のうつくしさたるやぁー! キョーコは、“天使てんし”とかいう気持きもわる言葉ことば使つかわないと説明せつめいできないような存在そんざいで、ようするに「黄金おうごんのハートをった娼婦しょうふ」といったるいのキャラクターなのだけど、中谷なかたに美紀みきさんのリアリティある浮遊ふゆうかんと、奇跡きせきてきうそくささのない演技えんぎのおかげで、映画えいがているうちにこちらもキョーコをきになり、夢中むちゅうになっていく。そしてだんだん、キョーコをもとめる人々ひとびと同化どうかし、いつのにか自分じぶんもモノクロパートの一員いちいんとなり、彼女かのじょつかりさえすれば、なんだか自分じぶんすくわれるようながしてくるのだった。

 それだけに、ラストでられる多幸たこうかん半端はんぱではなく、はじめてこの映画えいがたときは、エンドロールの疾走しっそうかんいっぱいの音楽おんがくわせて、いえのリビングでまわっておどったほど。感動かんどうもとめて彷徨ほうこう映画えいが中毒ちゅうどく症状しょうじょうが、これ以降いこうさらに重症じゅうしょうしていった。「感動かんどう」が最大限さいだいげん効果こうかげるには、のコンディションとのいがきもなわけだけど、もっともばや条件じょうけんは、「10代で出会であうこと」だろう。そうかんがえるとわたし以上いじょうにこの映画えいがいたひと、この映画えいが感動かんどうできたひと世界せかい何人なんにんいたのだろうとおもう。最良さいりょう観客かんきゃくは、自分じぶんだったんじゃないかとすらおもう。

PROMOTION