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「62歳、住所不定、無職」の新人作家・赤松利市さんが小説「らんちう」で書かずにはいられなかった“ロスジェネの相対的貧困”|好書好日
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「62さい住所じゅうしょ不定ふてい無職むしょく」の新人しんじん作家さっか赤松あかまつ利市りいちさんが小説しょうせつ「らんちう」でかずにはいられなかった“ロスジェネの相対そうたいてき貧困ひんこん

ぶんしのふじゆり、写真しゃしん:タナカヨシトモ

――「らんちう」というタイトルに意表いひょうをつかれました。ランチュウとはあたまがこぶじょうになっている、わったかたち金魚きんぎょのことですね。ころされた支配人しはいにんっていたのが、2ひきのランチュウだった。なぜランチュウを作品さくひんのタイトル、そして象徴しょうちょうにしようとおもったのでしょう。

 まず、高価こうか金魚きんぎょであること。そして、奇形きけいである。わたしちいさいころからさかなきで、金魚きんぎょもさまざまな種類しゅるいいました。さかなきの人間にんげんからると、ランチュウはかわいいのですが、一般いっぱんひとかられば、かわいいと表現ひょうげんできるような金魚きんぎょではありません。

――物語ものがたり加害かがいしゃにんのモノローグですすんでいきますが、なぜかれらはそう支配人しはいにんころすにいたったのか。理不尽りふじんなリストラや長時間ちょうじかん労働ろうどうなど、ブラックな職場しょくば環境かんきょうえかねてめられていったのか。クライムノベルでもあり、ミステリーてき要素ようそもありますが、ご自身じしんは、ジャンルを意識いしきしていますか?

 意識いしきしていません。一番いちばんきたかったのは、就職しゅうしょくちょう氷河期ひょうがき正規せいき雇用こよう転々てんてんとしているロスジェネ(ロストジェネレーション)の相対そうたいてき貧困ひんこんです。いま30だいから40くらいのひとたちですが、かれらのおおくは自分じぶんたちがいろいろなかたち社会しゃかい会社かいしゃから搾取さくしゅされていることにづいていません。

――モノローグの冒頭ぼうとうにそれぞれ、「大出おおいで隆司たかし(35)厨房ちゅうぼう契約けいやく社員しゃいん」「藤代ふじしろ伸一しんいち(35)営繕えいぜん契約けいやく社員しゃいん」と、年齢ねんれい肩書かたがきかれています。それぞれさまざまな過去かこ背負せおい、事情じじょうがあってこの旅館りょかんはたらくようになった。彼等かれらはまさに、ロスジェネ世代せだい該当がいとうしますね。

 ロスジェネ世代せだいおおられる現象げんしょうですが、搾取さくしゅされているのに、へんに前向まえむきなひともいる。勘違かんちがいしているんですね。搾取さくしゅというのはおかねだけではない。時間じかんもそうだし、チャンスもそうです。搾取さくしゅするがわはどれほどひどいことをやっているか、それもきたかったことのひとつです。

――従業じゅうぎょういんたちが自己じこ啓発けいはつセミナーに洗脳せんのうされる様子ようすえがかれており、作品さくひんなか重要じゅうよう役割やくわりたしています。

 自己じこ啓発けいはつセミナーのやりかたは、作品さくひんないかれているとおりです。わたし会社かいしゃ経営けいえいしていたころ取引とりひきさき社長しゃちょうから「すごくいいから」とあつすすめられて参加さんかしたことがありますが、ばかばかしいなとかんじました。でもおおくのひとが、いとも簡単かんたん洗脳せんのうされてしまいます。しかしそれはかれらのつみではありません。エクスキューズをもとめているんです。搾取さくしゅされている現状げんじょうを、わすれさせてくれるいいわけがほしいんです。

――なぜ、ロスジェネをテーマにきたいとおもったのでしょうか。

 わたし小説しょうせつまえ住所じゅうしょ不定ふていでアルバイトを転々てんてんとしていました。そのなかでロスジェネのひとたちとせっすることもおおく、かれ自身じしんにも、そしてロスジェネの現状げんじょうらないひとにも「これが現実げんじつなんだよ」といたかった。

 でもわたしには、かれらの人生じんせい好転こうてんさせる解決かいけつさくおもかばない。こうすべきだ、とえないのです。だからあえて、三人称さんにんしょうではかなかった。三人称さんにんしょうくと、なにかしら客観きゃっかんてき立場たちばでそのあたりにれなくてはいけない。かれらのおろかさ、かなしさを際立きわだたせるために、モノローグ形式けいしきにしました。

――前作ぜんさくさば』のおびには、「62とし 住所じゅうしょ不定ふてい 無職むしょく」とあります。そもそもなぜ、住所じゅうしょ不定ふてい境遇きょうぐうになったのでしょう。

 大学だいがく新卒しんそつ消費しょうひしゃ金融きんゆう大手おおてはいり、支店してんちょう順調じゅんちょう出世しゅっせしていきました。営業えいぎょう企画きかく本部ほんぶとき上場じょうじょうするための規定きてい整備せいび担当たんとうし、毎日まいにちあさから翌朝よくあさくらいまではたらいていました。半年はんとしかけて無事ぶじ規定きていげたら、症候群しょうこうぐんになってしまった。

 まだ30まえでしたが、東京とうきょうはなれて広々ひろびろとしたところでゆっくり仕事しごとをしたい、と。それでゴルフじょう芝生しばふ管理かんり仕事しごとはじめたところ、ゴルフじょうしつげる方法ほうほうおもいついた。コース管理かんりのビジネス特許とっきょ取得しゅとくして、会社かいしゃげました。そのビジネスモデルを大手おおてゼネコンと商社しょうしゃ評価ひょうかしてくれ、おかげでぎりぎりバブル景気けいき恩恵おんけいけました。

――当時とうじはどのようなおかね使つかかたをしていましたか?

 35さい起業きぎょうしたとき年収ねんしゅう2000まんえていましたが、洋服ようふくにもくるまにもさほど興味きょうみがない。ただ、わか社員しゃいんれてみにはよくきました。いちばんで100まん使つかうこともざらでしたね。

――それがずっとつづくとおもっていたんですね。

 はい、バカですから(笑)。でもそのうちむすめ精神せいしんみ、きこもりになってしまい――むすめとワンルームマンションにげて、生活せいかつはじめました。おそれもあってはなせない状態じょうたいなので、仕事しごともままならない。だったらいえ小説しょうせついてみよう、と。ちいさいころからほん濫読らんどくしていたので、自分じぶんにもけるんじゃないかとおもったんです。

 でも当時とうじは、それほど本気ほんきではありませんでした。そのうち会社かいしゃたん。そして東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいきます。

 仙台せんだいでゼネコンとゴルフじょう開発かいはつをした経験けいけんがあったので、被災ひさいおとずれ、おどろきました。半分はんぶんは、自分じぶんきているあいだにこんなことがきてしまい、自分じぶん被災ひさいのためになにかしなくてはいけないな、とえた。もう半分はんぶんは、復興ふっこうバブルにをつけた。ここで一発いっぱつてよう、と。

 現地げんち土木どぼく作業さぎょういんを3ねんはんやりましたが、復興ふっこうバブルというほどの収入しゅうにゅうにはなりませんでした。それで福島ふくしまうつみ、除染じょせん作業さぎょうはじめたのです。純粋じゅんすいかね目当めあてです。守銭奴しゅせんど、よこしまなかんがえの人間にんげんなもので。

――そのとき経験けいけんが、のち大藪おおやぶ春彦はるひこ新人しんじんしょう受賞じゅしょうした『藻屑もくずかに』につながるわけですね。

 そうです。被災ひさいのおかね問題もんだいきたかった。実際じっさい除染じょせん現場げんばは、本当ほんとうにすさまじいものでした。ゼネコンや元請もとうけのひとたちは、除染じょせん作業さぎょういん人間にんげんあつかいしていない。作業さぎょういんも、前科ぜんかのあるひと小指こゆびがないひと全身ぜんしんすみれているひとかくせいざい影響えいきょうでフラッシュバックするひととか、けっこういるんです。

 わたし職長しょくちょうでしたから、そういうひとたちを使つかって仕事しごとをしなくてはいけない。だんだんめられ、日曜日にちようびのあるあさ荷物にもついたまま東京とうきょうかえりました。そこから住所じゅうしょ不定ふてい生活せいかつはじまった。所持しょじきんは1まんえんでしたが、東京とうきょうるまでにバスだいがかかったので、ぜん財産ざいさん5000えんからの出発しゅっぱつです。

――東京とうきょうもどって、どんなアルバイトをしていたんですか?

 あやしげな和風わふうパブとか、まぁ、いろいろです。住所じゅうしょ不定ふてい身元みもと証明しょうめいするものもないから、求人きゅうじんにエントリーしたところでやとってもらえない。日当にっとう半分はんぶんにちばらいの仕事しごとえらび、マンガ喫茶きっさごし、余裕よゆうがないときには路上ろじょうていました。

 そのうち、このままでわるのはイヤだな、と。そしてある突然とつぜん小説しょうせつこうと決心けっしんしたんです。マンガ喫茶きっさはネット環境かんきょうととのっているので、作品さくひんいて応募おうぼはできる。長篇ちょうへん無理むりなので短編たんぺんさがしたら、大藪おおやぶ春彦はるひこ新人しんじんしょうがあった。締切しめきりまで1週間しゅうかんしかありませんでした。

――受賞じゅしょう連絡れんらくけて、どうかんじましたか?

 これからは小説しょうせつ専業せんぎょうこうとおもいました。年齢ねんれい年齢ねんれいですので、そんなになが活動かつどうできるわけではない。さいわい、きたいことはたくさんあります。けるだけこう、と。いまいちにち30~50まいいています。

 はじめたらあふれてきて、ゾーンにはいると、ねむっているあいだいまいているところのつづきのゆめます。パソコンの文字もじてくるんです。その文字もじおぼえているので、めたらそれをく。そのぶんらくさせてもらっています(笑)。

――日本にっぽん暗部あんぶやみ部分ぶぶん実際じっさいあたりにしてきたことが、結果けっかてき作家さっかとしてのしになっているんですね。

 そういう意味いみではめぐまれているとおもいます。

――いま住所じゅうしょ不定ふていではないのですか?

 いのいえころがりんでいます。ただし、執筆しっぴついまもマンガ喫茶きっさです。当分とうぶん居候いそうろうしながら、ひたすらくだけです。

 こんないいかたをしたらいやらしいですが、贅沢ぜいたく大概たいがいしてきたので、もうなにをしたいというよくはありません。だから、すべてのエネルギーをくことに使つかえばいい。いままで62年間ねんかんきてきて、いま一番いちばんたのしいです。貧乏びんぼうですが、貧困ひんこんではありません。

その新人しんじん作家さっか住所じゅうしょ不定ふてい」の破天荒はてんこう 赤松あかまつ利市りいちさん「ボダ

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