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あの本をなぜ紹介できなかったのか 朝日新聞本好き記者が懺悔の気持ちで語り尽くす「とっておきすぎ読書会」前編|好書好日
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あのほんをなぜ紹介しょうかいできなかったのか 朝日新聞あさひしんぶんほん記者きしゃ懺悔ざんげ気持きもちでかたくす「とっておきすぎ読書どくしょかい前編ぜんぺん

とっておきすぎるほん、とっておきすぎたほん

山崎やまざき さあ、はじまりました。刊行かんこうから半年はんとし以上いじょうったけれど、新刊しんかんとして紹介しょうかいできなかったほんについてかたろうという企画きかくです。紹介しょうかいできなかった事情じじょう色々いろいろあるけれど、ようするに刊行かんこうペースにいついていないというのが現実げんじつ。いまにかぎらず刊行かんこう点数てんすう本当ほんとうにたくさんあって、書店しょてん新刊しんかんだなもどんどんわってしまう。一方いっぽう媒体ばいたい紙面しめんかぎられるし、ぼくたちのマンパワーにだって限界げんかいがある。現場げんば実感じっかんとして、いいほんなのにきちんと紹介しょうかいれていない。だったらもう、時間じかんってもいいじゃないか、というひらなおりからおもいつきました。ただ、ここでいいほん紹介しょうかいされればされるほど、あんたらなにをやってたんだと……。

滝沢たきざわ りこぼしかんつよくなる(笑)

山崎やまざき なるけれど(笑)。とはいえ、そこは反省はんせいしながらも、なかにはこんなにいいほんがたくさんあるんですよ、ということをかたいたいなと。

滝沢たきざわ 新刊しんかん点数てんすうは、2020ねんで6まん8せんてん。ピークよりはってるんですが、それでもおおい。たとえば朝日新聞あさひしんぶん読書どくしょめんだったら、だいたい刊行かんこうから2カ月かげつ新刊しんかんとしてあつか目安めやすになっていますよね。これはどうしてですか?

野波のなみ おそらく本屋ほんやからなくなるタイミングだよね。新刊しんかん返本へんぽんする周期しゅうきかんがえると2カ月かげつがひとつの節目ふしめ。いまはネット書店しょてんがあっていつでもえるからそんなににする必要ひつようはないかもしれないけど、「このみしょ好日こうじつ」でもそれは踏襲とうしゅうしています。記事きじ仕込しこ時間じかんもあるから、もうちょっとはばたせたとしても、結局けっきょく4、5カ月かげつまえほん新刊しんかんとしてあつか限度げんどかなと。

山崎やまざき 半年はんとし以上いじょうってから新刊しんかんとして紹介しょうかいされるというのは、まれなケースですよね。この企画きかくは、紹介しょうかいするときじくになるほん刊行かんこうから半年はんとし以上いじょうったものであれば、関連かんれんほんはそのかぎりではないというルールでやりたいです。

『オクトローグ 酉島とりしま伝法でんぼう作品さくひん集成しゅうせい』(早川書房はやかわしょぼう

山崎やまざき では早速さっそく、1さつずつ紹介しょうかいしていきましょう。いいだしっぺでもあるので、まずはぼくから。『オクトローグ 酉島とりしま伝法でんぼう作品さくひん集成しゅうせい』です。刊行かんこうが2020ねん7がつ本書ほんしょ今年ことしの「SFがみたい!2021年版ねんばん」でベストSF2020の国内こくないへん1になりました。酉島とりしまさんはこれが3さつ著書ちょしょで、はじめてのたん編集へんしゅうなんですけど、デビューさく皆勤かいきん』と2さく宿借やどかりのほし』(いずれも東京とうきょうそうもとしゃ)が、日本にっぽんSF大賞たいしょう受賞じゅしょうしています。SF大賞たいしょうほんしょうを2かいったのは、過去かこ浩隆ひろたかさんとかれ2人ふたりだけ。酉島とりしまさんは独特どくとく造語ぞうごをつかった小説しょうせつられていて、『皆勤かいきん』も『宿借やどかりのほし』も、造語ぞうごでポストヒューマン(人類じんるい以後いご)の意識いしき小説しょうせつです。

野波のなみ まず、なんで紹介しょうかいしそこねたのかというはなしをしないとね。

山崎やまざき しそこねたというか、りこぼした理由りゆうは、前作ぜんさく宿借やどかりのほし』のときにインタビューをしちゃったから、というのが(酉島とりしま伝法でんぼうさんインタビュー)。

滝沢たきざわ 前作ぜんさく掲載けいさいからある程度ていど期間きかんをあけるとか、新聞しんぶんてきなルールですよね。

野波のなみ もうひとつは、短編たんぺんつどってげにくいところがあるよね。がっつりした長編ちょうへんげたいというのが文芸ぶんげい担当たんとうってつねにあるから。たとえば、このたん編集へんしゅうが7ねんぶりの新刊しんかんとしてました、とかだったらげるけど。連作れんさく短編たんぺんとかじゃなくて、いろんなところにきましたっていうたん編集へんしゅうげにくい。

山崎やまざき とはいえランキングで1になったので、結果けっかてき注目ちゅうもくさくりこぼしてしまった。

野波のなみ ところで、それはどういう短編たんぺんあつまっているの?

山崎やまざき 初期しょきからの作品さくひんあつまっています。酉島とりしまさんを紹介しょうかいするときに、造語ぞうごいているというのがあるんですけど、個人こじんてきには「いやなかんじ」、それもイヤミスとかとはちがって、んでおぞけかんじをくのがべらぼうにうまいひとという印象いんしょうなんですね。収録しゅうろくさくに「金星きんぼしむし」という短編たんぺんがあるんですよ。これは初出しょしゅつが『なつしょく想像そうぞうりょく』という、このなりで同人どうじんなんですけど。

野波のなみ え?そうなの?(って)ほんとだ。

山崎やまざき だい53かい日本にっぽんSF大会たいかい記念きねんアンソロジーとして、2014ねん今岡いまおか正治しょうじさんというひとんだものです。がそっくりなつくもとSF文庫ぶんこ印刷所いんさつしょ製本せいほんしょおなじところでつくったそうですが、ラインナップがすごくて。目次もくじると円城えんじょうとう宮内みやうちゆうかい高山たかやま羽根はね浩隆ひろたか藤井ふじいふとしよう瀬名せな秀明ひであき……。

野波のなみ オキシタケヒコもいるじゃない。

山崎やまざき 「金星きんぼしむし」では、印刷いんさつにつかうすりばんつく工場こうじょうはたらいている「わたし」が、執拗しつよう便意べんいおそわれるんです。

滝沢たきざわ (笑)

野波のなみ はい、はい。

山崎やまざき 執拗しつよう便意べんいおそわれて、トイレにこもる。そこでなにか、えたいのれないもの排泄はいせつしてしまうんです。自分じぶんすわっている便器べんきから、すごい水音みずおとがする。〈げられたさかなはげしくっているかのような、トイレのなかではけっしてみみにするはずのない、場違ばちがいなおとつねはずれたおと〉。最初さいしょちゃいけないとおもうから、いったんみずながしたりする。でも、また便意べんいおそわれててくるから、結局けっきょくてしまう。そのいやなかんじったらない。

滝沢たきざわ なにかすごい感触かんしょくてきなものというか、ぬめぬめどろどろまとわりつくようなものをひとなのかなという印象いんしょうです。

山崎やまざき まさにそう。それは、このたん編集へんしゅうのち刊行かんこうされた『るん(笑)』(集英社しゅうえいしゃ)という小説しょうせつにもいえて。これは造語ぞうごじゃない、おびによれば「はじめて人間にんげん主人公しゅじんこうにした作品さくひんしゅう」。

野波のなみ ついに普通ふつう小説しょうせつに(笑)

山崎やまざき 普通ふつうかとおもったら、ぜんぜん普通ふつうじゃないんだけど(笑)。これも、いやをがためたような小説しょうせつで。「るん(笑)」というタイトルがなにしているかもふくめて。そこはんでいただきたいんですけど、個人こじんてきには連作れんさくのうち最初さいしょの「さんじゅうはちどおり」、これはずっと38ねつつづいている「わたし」が主人公しゅじんこうなんです。もうろうとしていて、色々いろいろあってつまかれちゃったのちに、食事しょくじつくろうとおもってこめびつをけるシーンがあるんですけど、ここがね、とにかくすごい。こめびつをけると、〈べいつぶあいだで、あかいとくずのようなちいさな幼虫ようちゅうが、なんひきびをするようにのたうって光沢こうたくをちらつかせていた〉。ようするにべいむしいている。それをのぞこうとして、最初さいしょばしでつまんでいくんだけど、たくさんいてきりがないから、今度こんどはざるでふるいにかける。するとあか幼虫ようちゅうが〈面白おもしろいようにちていく。わたしはその作業さぎょうにのめりんだ〉。いやすぎる……。

野波のなみ きてれつすぎる……。ぼくは『宿借やどかりのほし』をんで、あの造語ぞうごがだめで、みきれなかったんだよ。でも、くせになるひとには本当ほんとうくせになるんだろうなっていうタイプの作家さっかさんだよね。

滝沢たきざわ 『宿借やどかりのほし』をんだかぎりでは、造語ぞうご駆使くししてまったくべつ世界せかいつくげる、その構築こうちくりょくたかさみたいなところがつよていたとおもうんですけど、普通ふつう言葉ことばくと、地続じつづきからべつ世界せかいれていくみたいな、そういうかんじになるんですね。

山崎やまざき 日常にちじょうがどんどんゆがんでいって、いつのにかおかしな世界せかいれていかれる、という。『オクトローグ』はたん編集へんしゅうとして、その作風さくふう全体ぜんたいを1さつながめられるというか、酉島とりしま作品さくひん入門にゅうもんしょとしてよいのではないかとおもいます。

香山かやまあきら『ベルリンうわのそら』(イースト・プレス)

滝沢たきざわ これも一種いっしゅ世界せかいものみたいなかんじですが、香山かやまあきらさんというマンガがいて、この『ベルリンうわのそら』は2020ねん1がつたんですけど。

山崎やまざき このほん書店しょてんかけてになってたんですよ。

滝沢たきざわ たときは結構けっこう話題わだいになったとおもいます。が、ずっとながてきた作家さっかだからこそ、自分じぶんしか興味きょうみがないのではないかというブレーキがはたらいてしまい……。たとえば、インタビューして、いきなり「学生がくせい時代じだいからずっとんでて」とかわれてもねえ。こうてきにはどうなんだろうとか……まさに自意識じいしき邪魔じゃまをするってやつですけど(笑)

山崎やまざき おもいがつよすぎた(笑)

滝沢たきざわ そうなんですよ。新聞しんぶん雑報ざっぽうだとある程度ていど客観きゃっかんせいもとめられるなかで、この過剰かじょう勝手かっておもれをどう記事きじとしむか、勝手かってにハードルががってしまい、この作品さくひんでいいのか、自問自答じもんじとうしているうちに時期じきいっしてしまって。

野波のなみ 「このみしょ好日こうじつ」では移民いみん問題もんだいからめてインタビューをやったよ(香山かやまあきらさんインタビュー)。

滝沢たきざわ デスクに提案ていあんするとこまではいったんですけど、ぼくがうだうだいいわけくわえたせいか、「いてもいいけど、そのおもいほかのひとつたわる?」みたいなことをわれて(笑)

野波のなみ そのあたりのやりりからきたいね。

滝沢たきざわ マンガで、しかもエッセーてきなものって、コーナーをっている外部がいぶ筆者ひっしゃ面白おもしろいとおもってげる場合ばあいてきたりするんです。記者きしゃ自分じぶん記事きじ場合ばあいは、たとえば『うつヌケ うつトンネルをけたひとたち』(田中たなか圭一けいいちちょ、KADOKAWA)とか、そういう社会しゃかいせいをはらんでいるようなものだとひろいやすいんですけど、これはベルリンでらしているマンガ日常にちじょう一風いっぷうわった画風がふうえが作品さくひんで。ぜんぜんなにもしないんですよ。いちばん最初さいしょいてあるんですけど、〈(ベルリンは)パリや東京とうきょうともならぶ国際こくさい都市としだ。今日きょういそがしくいろんなことがこってる。そんなまちぼくは… ちょっといにくいんだけど ぼくは… あんまりなにもしていない!〉。

野波のなみ いいなあ(笑)

滝沢たきざわ ほんとにね、とくになにもしてないんですね。ベルリンのアートシーンとかテクノシーンとか、そういうそとからたアーティストのまちベルリンみたいなことではなくて、普通ふつうらしているとこういうことがある、みたいな。結構けっこうごみがおおくてきたない。だけど、ぼく平気へいきとか(笑)。あと、日本にっぽんひと外国がいこくじんたいしてすごく差別さべつてきだったりするけど、ベルリンはどうかっていうと、そういうひともいると。だけど、ベルリンはそれにこえげやすい環境かんきょうではある、とか。モヤモヤみたいなこともふくめて、このひとなりにかんがえたそのままいている。そういうかんじのはなしなんですよね。

山崎やまざき たしかにりこぼしそうだなあ、これ。

滝沢たきざわ 香山かやまさんはこれまで一般いっぱん流通りゅうつうしたほんは、『ランチパックのほん』(アストラ)というランチパック研究けんきゅうほんぐらい。あんまり一般いっぱん流通りゅうつうするほんつくっていない、というか、自分じぶんでレーベルをってたんですね。ドグマ出版しゅっぱんという。

野波のなみ どうやってつけたんだよ。

滝沢たきざわ 学生がくせい時代じだい古本屋ふるほんや発見はっけんしたわけです。「漫画まんが少年しょうねんドグマ」っていう香山かやまさんがやっていた同人どうじんてきなものを。

山崎やまざき すごいな。主宰しゅさいなの?

滝沢たきざわ そうそう。それで面白おもしろいなみたいなかんじでって、そのなにるとってんでたんですよね。いつか取材しゅざいしてやろうとか、そういう下心したごころはまったくなく。

山崎やまざき 『ベルリンうわのそら』が、いってみればメジャーデビューなんですか。

滝沢たきざわ マンガとしてはメジャーデビューさくっていいんじゃないですかね。ぼくかぎりは。いかけだしたときは、まだ日本にっぽんにいて、そのうちベルリンにしてっちゃって。この『しんのクウェート』っていうのも、直販ちょくはんだけですが、すごくいいほんなんです。これもベルリンからはじまるんですが、ベルリンはすごくいいかんじのところだけど、もっといいところがあるらしい、それを「しんのクウェート」という。〈え?クウェート?〉っていたら、〈ニーニー、クウェートじゃなくってしんのクウェート〉って。

山崎やまざき 〈しんのクウェートはもっといいこくだよ〉(笑)

滝沢たきざわ で、しんのクウェートをさがもとめる。途中とちゅういぬ幽霊ゆうれいてきたりとか、不思議ふしぎかんじなんですよね。自分じぶんきだけど、ほかのひとにこれをどうつたえればいいのかわからないというてんにおいて、たいへんなやましい作家さっかであると。それこそベルリンにんでいるアーティストみたいなひとってたくさんいるわけですよね。ぼくにとっては香山かやまさんを紹介しょうかいするとき、ベルリンをくちにするのは、ちょっとなにかちがうかんじがどうしてもしてしまう。

山崎やまざき そうか、自分じぶんのなかではベルリンにんでいるひとというかんじではないから……。

滝沢たきざわ そうそう。香山かやまあきら、いまベルリンにんでんだ、みたいなかんじなんですよね。香山かやまさんは、「漫画まんが少年しょうねんドグマ」ではマンガのほかに、社会しゃかいてきなこととかをいたりしてるんですよね。で、挫折ざせつしている。「グチの連載れんさい 綜括そうかつ前夜ぜんやけない」では、〈前号ぜんごうまでではなしたのは、ぼく香山かやまあきらなにをやってもみんなの関心かんしんけませんでしたというグチでした〉とか(笑)

山崎やまざき こじらせてるなあ(笑)

滝沢たきざわ 社会しゃかいてきなことをいたビラなんかをくばっていたみたいです。ベルリンにってからは、結構けっこうぐだぐだらしてるようにみえる。だけど、ゆるやかにつながって社会しゃかいえようということもしていて、それでいいじゃないかっていうほんなんですよね。そういう意味いみで、あの香山かやまさんがここまでているというのが、すごく感慨深かんがいぶかい。

山崎やまざき しかしこれ、続編ぞくへんてますね。

滝沢たきざわ 続編ぞくへんたんですよ。だから、それなりにれたんじゃないか。

野波のなみ 2かんわってるわけじゃないよね。

滝沢たきざわ わってるわけじゃないとおもいます。れればまたるんじゃないですかね。

山崎やまざき むかしだったら「ガロ」のひとだよね。

滝沢たきざわ 「ガロ」にわなかった「ガロ」のひとみたいなかんじのひとではありますね。1982ねんまれだから、もう「アックス」になっちゃってるとおもうんですけど。

山崎やまざき 2色刷いろずりの造本ぞうほんもいい。

滝沢たきざわ そうなんですよね。すごく個性こせいてき作風さくふう。ゲーム作家さっかでもあるんですよ。

山崎やまざき 属性ぞくせい渋滞じゅうたいしてきたな(笑)

滝沢たきざわ でもたぶん、ゲームてき世界せかいかんみたいなものがかされてるんだとおもいます。ダンジョン探索たんさくというか。

野波のなみ ああ、それはあるね。あるある。

滝沢たきざわ 『ベルリンうわのそら』のはなしもどると、「洋行ようこうもの」みたいなのって日本にっぽん伝統でんとうとしてあるじゃないですか。たとえば、石井いしい好子よしことか、芸術げいじゅつがヨーロッパで、いずれ日本にっぽんかえってくるための下積したづみをしてるときのエッセーとか日記にっきとか。あるいは、夏目なつめ漱石そうせきもり鷗外みたいな作家さっか学者がくしゃわかころ留学りゅうがくばなし。それって日本にっぽんもどってくる前提ぜんていはなしなんだとおもうんですよね。あるいは「紀行きこうもの」。沢木さわきこう太郎たろう深夜しんや特急とっきゅう』とか金子かねこ光晴みつはる『どくろはい』みたいな、放浪ほうろうしてたびをして、一時期いちじきここにいるみたいな。『ベルリンうわのそら』はそのどっちでもなくて、このあとうつるかもしれないけど、基本きほんはベルリンにいるひとはなしとしてえがかれているんですよね。だけど、異邦いほうじんではあるわけです。まわりのひと異邦いほうじんばっかり。それがなにか、いまっぽいなというかんじがする。

野波のなみ いまかんあるね。リサイクルとかシェアワークとか日本にっぽんらしていてもになるようなはなしと、一方いっぽうで、邦人ほうじんだからわかるちょっとしたアジアじん差別さべつみたいなはなしとを生活せいかつしゃ目線めせん描写びょうしゃしているから、日常にちじょう地続じつづきなかんじがある。非常ひじょうにいいほんだとおもいます、これは。

滝沢たきざわ 現地げんちりあったぜんぜん属性ぞくせいのちがうひと一緒いっしょに、ちょっとした社会しゃかい運動うんどうみたいなことをやる。とくに、続編ぞくへんはそういうかんじのはなしで、社会しゃかいとのつながりがある。でも、がんがんつながってくというかんじでもない。個人こじんてきにずっといかけてきたからせんでみる面白おもしろさもあるんですが、それきにしても、いまっぽさがある。

山崎やまざき 過去かこさくくらべてもあきらかにしん境地きょうちであり、飛躍ひやくさくだとおもいますね。

野波のなみ 本人ほんにんべつおおきくりかぶってるわけじゃないんだけど、日本にっぽんではあまりられない、邦人ほうじんたちがあつまる場所ばしょ雰囲気ふんいきつたえてくれる。日本にっぽんのコンビニであれだけ異邦いほうじんがふだんなにしてるのかっていうのが、日本にっぽんだとぜんぜんえてこないところを、国際こくさい都市としベルリンでアジアじんである自分じぶん国籍こくせき状態じょうたいのなかにいて、えがいてみると……。

山崎やまざき おもわぬ社会しゃかいせいびたはなしに……。

野波のなみ 結果けっかてきにそうなんだよ。いまむにはすごくいいかんじではあるんだよね。

滝沢たきざわ こうやってはなしてると、やっぱりちゃんと取材しゅざいしたほうがいいんじゃないかってになってきますね(笑)

『モリッシー自伝じでん』(上村うえむら彰子あきこやく、イースト・プレス)

野波のなみ 『モリッシー自伝じでん』が昨年さくねんがつにようやくたんですよ。原著げんちょは2013ねん。ずっとるとわれていて、ようやくた。そもそも「ザ・スミス」というバンドはごぞんじですか。これはわたしかたりになるんだけど、すごかったのよ、スミスって。かれらの活動かつどう期間きかんは1980年代ねんだいなかばでぼく高校こうこうから大学だいがくにかけてなんだけど、大学だいがくのバイトさき当時とうじのサブカル女子じょしがいっぱいいるような職場しょくばで、だれも「スミスの新作しんさくいた!?」って興奮こうふんしてるわけですよ。サードアルバムの「ザ・クイーン・イズ・デッド」が直後ちょくごです(86ねん)。ロックきだったからスミスの名前なまえってたけどアルバムはってなかった。で、カセットテープしてもらったら、たしかによくて、モリッシーのいろっぽい中性ちゅうせいてきなボーカルも、ジョニー・マーのギターもった。そこで、ようやくCDをったくらいのおくれてきたファンです。だけど結局けっきょく、スミスはつぎのアルバムをしてすぐ空中くうちゅう分解ぶんかいしちゃうから、スミスってなにがどうすごかったのかというのがよくわからないままだった。モリッシーのソロもそのなにさくいたけど途中とちゅうですっかりわなくなっていて……。でなんねんまえに、モリッシーの自伝じでん現地げんちで「チャーチル自伝じでんみの名著めいちょだとわれてる、みたいなはなしこえてきてたわけ。

滝沢たきざわ ノーベル文学ぶんがくしょうものじゃないですか(笑)

野波のなみ どんなんだよと(笑)。当然とうぜん、これはまねばとおもっていたけど、邦訳ほうやくなかった。そのあいだに、『ジョニー・マー自伝じでん ザ・スミスとギターとぼく音楽おんがく』(丸山まるやま京子きょうこやく、シンコーミュージック)がさきるんですよ。これは原著げんちょが2016ねんで、日本にっぽんでは17ねんに。みました。なるほどそんなことがあったのね、というのがなんとなくわかった。じゃあ、モリッシーのがわからはどうなっていたんだというのを、ようやく『モリッシー自伝じでん』でめたわけです。で、んでみたら、正直しょうじきスミスファン以外いがいにはつらいかなぁ(笑)

滝沢たきざわ (笑)

野波のなみ で、これをどうくか、というときに格好かっこう副読本ふくどくほんてるんですね。いまをときめくブレイディみかこさんの『いまモリッシーをくということ』(Pヴァイン、2017ねん)。このなかに、この自伝じでん特徴とくちょうはしてきしるされています。ようするに速度そくどがちがうと。〈ジョニー・マーに出会であうまでの部分ぶぶん描写びょうしゃがそれ以降いこうとまったくちがうことにづく。ジョニーにうまでの文章ぶんしょうおそいのだ。いかにも文学ぶんがくてき技巧ぎこうらして多用たようされ、芸術げいじゅつとしての価値かちはあるのだが、みにくい。が、ジョニーと出会であったところからきゅうにモリッシーの文章ぶんしょうはやくなる。みじかくキャッチーな文章ぶんしょう頻出ひんしゅつして、すいすい面白おもしろめるようになるのだ〉。しかし前半ぜんはん非常ひじょうみにくい……。

滝沢たきざわ すごいくらいですよね。とにかくあたまおおきすぎて出産しゅっさんのとき母親ははおやころしそうになったみたいなはなしから、いちいちくらいんですよ。

野波のなみ でも、スミス結成けっせいのあたりになると突然とつぜんきしはじめて、すごくみやすくなる。スミスをらないひとんでもそうだとおもう。ただ、スミス解散かいさんは、今度こんどたんなるエピソード断片だんぺんしゅうみたいな、「おれがおぼえてることを順番じゅんばんっていくよ」みたいなかんじになっていて(笑)。結局けっきょくなにがどうめい自伝じでんなのかよくわからない。たぶん、原語げんごむと感触かんしょくちがうんだろうとはおもう。

滝沢たきざわ 詩的してきかんじですよね。〈名前なまえのないがりかどさきしめしてくれない〉とか。

野波のなみ 自伝じでんというよりも叙事詩じょじしんでいるような気分きぶんになって。スミスのところだけが普通ふつう自伝じでんっぽいんだよ。すくなくともスミスファンが期待きたいしているものではないのではないかなと。ただ、文芸ぶんげい作品さくひんとしてんだときに、たぶんきなひとがいるんだろうなと。

山崎やまざき ブレイディさんは、どこが〈いま〉だといているんですか。

滝沢たきざわ 階級かいきゅうみたいなところをいているんですかね。

野波のなみ いてる。ブレイディさんらしい筆致ひっちで、英国えいこくんでいるひとならではの現地げんちのムードみたいなものと、モリッシーとをむすびつけて。まずぼくおどろいたのは、ロンドンとマンチェスターのちがい。『モリッシー自伝じでん』にもてくるんだけど、かれそだったマンチェスターからると、ロンドンってすごいとおなんだよね。とおくてキラキラしてて。「でもおれはマンチェスターみたいな、ろくでもない田舎いなかで」とぐじぐじってる。ぼくらは90ねん前後ぜんこうからの音楽おんがくにおけるマンチェスターをってるから。ストーン・ローゼスとかの「マッドチェスター」やら、オアシスとかの「ブリットポップ」とか、なんかすごいバンドが次々つぎつぎている土地とちのイメージがある。

山崎やまざき そんなにひがむほどの土地とちじゃないですよね。

野波のなみ マンチェスターで音楽おんがくをして有名ゆうめいになるなんていうのは、なんばなし?みたいなことが自伝じでん前半ぜんはんかれてます。あとは、さっきってた階級かいきゅう問題もんだいだよね。モリッシーが政治せいじてきにかみついてたのは、当時とうじ首相しゅしょうだったサッチャーなんですよ。

滝沢たきざわ しん自由じゆう主義しゅぎってことですか。

野波のなみ サッチャーのせいで格差かくさひろがったと。いまは完全かんぜんにそれが、従来じゅうらい階級かいきゅうともちがうかたちで固定こていしちゃってると、ブレイディさんはいてます。格差かくさ固定こていしてしまった時代じだいに、いまこそモリッシーをくべきだと。一方いっぽうで、モリッシーの歌詞かしって政治せいじしょくつよいから、ひだりからは極右きょくうだとおこられ、みぎからは極左きょくさだとおこられと、めちゃくちゃなんだよ。そういう政治せいじてきなイデオロギーてきなものと、モリッシーの歌詞かしについての関係かんけいせいも、ブレイディさんらしい見立みたてでいています。彼女かのじょほんんでから、もういちかい『モリッシー自伝じでん』をむと、いろんなことがさらにわかるかなと。で、なぜこれらのほんってきたかというと、音楽おんがく関係かんけいほんとか、げにくいよねというはなしです。映画えいがもそうだし、演劇えんげきもそう。日本にっぽんはなしならまだしも、外国がいこくのこのほんって、本当ほんとうげられなくて。ちょっとまえた『プリンス録音ろくおんじゅつ』(ジェイク・ブラウンちょ押野おしの素子もとこやく、DU BOOKS、2018ねん)っていうのも、いいほんなんですよ。プリンスのアルバムがどういうふうにできてきたかということを、機材きざいなんかを丁寧ていねい紹介しょうかいしながらっているほんなんだけど、プリンスきにはたまらないわけ。プリンスにあまり興味きょうみがなくても、80年代ねんだい音楽おんがくきなひとだったら、サンプリングとかみとかが一般いっぱんてきになった80年代ねんだいのポップミュージックがどうつくられていったのかの参考さんこうになる、これは名著めいちょです。でも、げにくい。

山崎やまざき 担当たんとうとしてはインタビューをするのがわかりやすいけれど、インタビューする相手あいてをどうするのかという。モリッシーというわけにはいかないし。

野波のなみ 訳者やくしゃくしかない。でも自伝じでんとか評伝ひょうでんなんて、インタビューでなにいていいかわかんないよね。だって、めばそこにいてあるんだから。

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