「英雄」 [著]真保裕一
もし、「あなたにとって、いちばん大切なものは?」と聞かれたら、おそらく多くの人が健康(命)、家族、お金のいずれかだと答えるだろう。
けれど、本当だろうか。適当な思い込みではなく、確信をもってそう言えるのか。本書を読みながら、そんなことを考え続けた。
主人公となる植松英美は中学に入る頃、自分だけ弟妹とは父親が違うと教えられた。しかしその名前も聞かされぬまま、母の秋子は七年前に他界。ところが三十歳近くなったある夜、突然ふたりの刑事が実家を訪ねてきたことを機に、実父の素性を知らされる。
一年半ほど前、東京・足立区の河川敷で胸を二発の弾丸で撃ち抜かれ死亡した男性が、その人だった。南郷英雄、享年八十七。南郷は北関東を拠点に運輸、建設、小売業を幅広く展開するグループ企業の創業者であり、亡くなった当時も主要三社を運営管理していく山藤ホールディングスの相談役を務めていた。
実父が大手企業の創業者だった驚き。射殺されたという衝撃。いくつかの事情が重なり、英美は実父の人となりや、誰に、なぜ殺されたのかを知りたいと願い動き出していく。
その合間に、バブル崩壊後の平成四年から、昭和二十五年まで時代を遡(さかのぼ)る形で南郷の半生が語られるのだが、このパートが極めて興味深く、胸に迫る。
戦争で焼き出され、生きるためだけの過酷な労働を酒と博打(ばくち)でやり過ごすだけだった十八歳の青年が、自分に「将来」があると気付いたきっかけ。仕事を得る喜び、会社を起こし大きくしていくなかで守ろうとしたもの。切り捨てたもの。
周囲の社員は、南郷の家族は、彼のなにを見て、どこまで理解していたのか。我欲と打算、媚(こ)びと甘え、情と理、諦めと覚悟。命と家族と金が天秤(てんびん)にかけられ、それぞれの心を揺らす。
令和を生きる読者の胸をも撃ち抜く「英雄」の姿がここにある。
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しんぽ・ゆういち 1961年生まれ。1991年『連鎖』で江戸川乱歩賞を受けデビュー。著書に『奪取』『灰色の北壁』など。