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「古今伝授」後の和歌600首、北野天満宮に 天皇・上皇の直筆など、道真への崇敬示す?|好書好日
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古今ここん伝授でんじゅ和歌わか600しゅ北野きたの天満宮てんまんぐうに 天皇てんのう上皇じょうこう直筆じきひつなど、道真みちざねへの崇敬すうけいしめす?

北野きたの天満宮てんまんぐうはじめて調査ちょうさした「聖廟せいびょう法楽ほうらく和歌わか」。三重みえはこれられて保存ほぞんされていた=2023ねんがつ12にち京都きょうと上京かみぎょう

 北野きたの天満宮てんまんぐう京都きょうと上京かみぎょう)は、江戸えど時代じだい天皇てんのう上皇じょうこうらから奉納ほうのうされた600しゅ和歌わかが、古今ここん和歌集わかしゅう解釈かいしゃくぐ「古今ここん伝授でんじゅ(こきんでんじゅ)」ののちおさめられたものだったことをあきらかにした。どう天満宮てんまんぐう祭神さいじんである菅原すがわら道真みちざねが、和歌わか神様かみさまとして宮中きゅうちゅう重視じゅうしされていたことがわかるという。

 どう天満宮てんまんぐうには、本殿ほんでん内陣ないじんふかくにおさめられ、昭和しょうわ初期しょき宝物殿ほうもつでんうつされた多数たすう和歌わか短冊たんざくがあるが、調査ちょうさだった。2021ねんから、京都きょうと大学だいがく藤井ふじい譲治じょうじ名誉めいよ教授きょうじゅ日本にっぽん近世きんせい)と長谷川はせがわ千尋ちひろ教授きょうじゅ日本にっぽん中世ちゅうせい文学ぶんがく)が中心ちゅうしんとなり、やくねんかけて調しらべた。

 古今ここん伝授でんじゅは、10世紀せいきはじめの平安へいあん時代じだい編纂へんさん(へんさん)された古今ここん和歌集わかしゅう解釈かいしゃくを、師匠ししょうから弟子でし秘伝ひでんとして伝承でんしょうすること。秘伝ひでんいだ天皇てんのう上皇じょうこう公家くげらは、それぞれが和歌わかんで短冊たんざくしるし、和歌わか守護神しゅごじん奉納ほうのうした。

 北野きたの天満宮てんまんぐうへの奉納ほうのうこう西にし(ごさい)上皇じょうこうによる寛文ひろふみ4(1664)ねん最初さいしょで、以後いごれいもとさくらまち桃園ももぞのこうさくらまちひかりかく仁孝にんこうかく天皇てんのうけいかい実施じっし初回しょかいと7かいが50しゅ、それ以外いがいは100しゅで、7はこけい600しゅおさめられていた。

 これまで住吉すみよし大社たいしゃ大阪おおさか住吉すみよし)、玉津島たまつしま神社じんじゃ和歌山わかやま)への和歌わか奉納ほうのうられていたが、いずれも各回かくかい50しゅで、北野きたの天満宮てんまんぐうかず上回うわまわる。

 長谷川はせがわ教授きょうじゅは「江戸えど時代じだい和歌わかさんかみといえば、住吉すみよし玉津島たまつしま柿本人麻呂かきのもとのひとまろかんがえられてきた。北野きたの天満宮てんまんぐうへの奉納ほうのうは、研究けんきゅうしゃあいだでもられていなかった」と指摘してき上皇じょうこう天皇てんのう直筆じきひつもあり、「保存ほぞん状態じょうたいもよく、近世きんせい和歌わか研究けんきゅうにおいても、非常ひじょう意味いみのある史料しりょうだ」とはなす。

 どう天満宮てんまんぐうたちばなしげるじゅうきゅう(しげとく)宮司ぐうじは「学者がくしゃ政治せいじでもあった菅原すがわら道真みちざねおおやけは、なによりも詩歌しかほうだった。和歌わか奉納ほうのうは、朝廷ちょうてい崇敬すうけいあつし(あつ)さをしめしている」とはなした。

 今回こんかい研究けんきゅう成果せいかは、「北野きたの天満宮てんまんぐう聖廟せいびょう法楽ほうらく(せいびょうほうらく)和歌集わかしゅう」として刊行かんこう和歌わか短冊たんざく写真しゃしんをすべて掲載けいさいし、くずし活字かつじにした翻刻ほんこくと、解説かいせつせた。

 7500えんわせはどう天満宮てんまんぐう(075・461・0005)。(西田にしだ健作けんさく)=朝日新聞あさひしんぶん2023ねん10がつ4にち掲載けいさい

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