新井あらい紀子のりこさん×山本やまもと康一やすいちさん対談たいだん（前編ぜんぺん）　「AI時代じだい」の辞書じしょの役割やくわりとは

新井あらい紀子のりこさん（右みぎ）と山本やまもと康一やすいちさん＝松嶋まつしま愛あい撮影さつえい

　ChatGPTなどのAI（人工じんこう知能ちのう）が台頭たいとうする時代じだいに、辞書じしょにはどのような役割やくわりがあるのか――。国立こくりつ情報じょうほう学がく研究所けんきゅうじょ教授きょうじゅで数学すうがく者しゃの新井あらい紀子のりこさんと、辞書じしょの編集へんしゅう・制作せいさくに長年ながねん携たずさわってきた三省堂さんせいどう執行しっこう役員やくいん・辞書じしょ出版しゅっぱん部長ぶちょうの山本やまもと康一やすいちさんが語かたり合あいました。新井あらいさんは読解どっかい力りょく診断しんだんの「リーディングスキルテスト」を研究けんきゅう・開発かいはつする中なかで、辞書じしょの重要じゅうよう性せいをますます実感じっかんしていると言いいます。そんなお二に人にんが辞書じしょの意義いぎについて意見いけんを交かわしました。（取材しゅざい・構成こうせい：篠原しのはら諄也、写真しゃしん：松嶋まつしま愛あい）

対談たいだんの後編こうへん　辞書じしょは民主みんしゅ主義しゅぎのよりどころ

プロフィール

新井あらい紀子のりこ(あらい・のりこ)国立こくりつ情報じょうほう学がく研究所けんきゅうじょ教授きょうじゅ・数学すうがく者しゃ

東京とうきょう都と出身しゅっしん。一橋大学ひとつばしだいがく法学部ほうがくぶおよびイリノイ大学だいがく数すう学科がっか卒業そつぎょう、イリノイ大学だいがく5年ねん一貫いっかん制せい大学院だいがくいんを経へて、東京工業大学とうきょうこうぎょうだいがくより博士はかせ（理学りがく）を取得しゅとく。専せん門もんは数理すうり論理ろんり学がく。2011年ねんから人工じんこう知能ちのうプロジェクト「ロボットは東大とうだいに入いれるか」プロジェクトディレクターを務つとめる。2016年ねんから読解どっかい力りょくを診断しんだんする「リーディングスキルテスト」の研究けんきゅう開発かいはつを主導しゅどう。主著しゅちょに『生いき抜ぬくための数学すうがく入門にゅうもん』（イースト・プレス）、『数学すうがくは言葉ことば』（東京とうきょう図書としょ）、『AI vs.教科書きょうかしょが読よめない子こどもたち』（東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ）など。

山本やまもと康一やすいち(やまもと・こういち)三省堂さんせいどう執行しっこう役員やくいん・辞書じしょ出版しゅっぱん部長ぶちょう

1966年ねん高知こうち県けん生うまれ。東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶ卒業そつぎょう。93年ねん三省堂さんせいどう入社にゅうしゃ。『大辞林だいじりん』『三省堂例解小学国語辞典』『新しん明解めいかい国語こくご辞典じてん』『新しん明解めいかい類語るいご辞典じてん』『コンサイスカタカナ語ご辞典じてん』などの辞じ事典じてんの編集へんしゅう・制作せいさくに携たずさわる。映画えいが「舟ふねを編あむ」（2013年ねん公開こうかい）、NHK BS プレミアムドラマ「舟ふねを編あむ～私わたし、辞書じしょつくります～」の制作せいさくにも協力きょうりょく。

辞書じしょを引ひいても理解りかいできない

新井あらい：読解どっかい力りょくを測はかる「リーディングスキルテスト」を2016年ねんから実施じっししているのですが、その中なかに、「定義ていぎを正ただしく読よめるか」を問とう問題もんだいがあります。その作さく問といには、三省堂さんせいどうさんの「例れい解かい小学しょうがく国語こくご辞典じてん」を参考さんこうにさせて頂いただいています。例たとえば、次つぎのような問題もんだいです。

　この「はかる」の使つかい分わけは「例れい解かい小学しょうがく国語こくご辞典じてん」のコラムに書かかれています。「学校がっこうまでの歩あるく時間じかん」や「50m走はしのタイム」は「時間じかん」だから「計はかる」になりますね。一方いっぽう、「湖みずうみの深ふかさ」や「身長しんちょう」は「長ながさ」だから「測はかる」になる。そのように考かんがえると、正解せいかいは上うえの二ふたつだとわかるはずです。説明せつめいされれば、誰だれでもわかる問題もんだいだと思おもいますが、この問題もんだいの正答せいとう率りつは大人おとなを合あわせても52.7%に過すぎません。

　私わたしたちの調査ちょうさから、小学しょうがく5年生ねんせいから中学ちゅうがく卒業そつぎょうまでは読解どっかい力りょくは伸のびるのに、高校こうこうに入学にゅうがくすると伸のびが止とまることがわかりました。どうやら、中学ちゅうがく卒業そつぎょうまでに「自己流じこりゅうの読よみ」が染しみついて、そこから抜ぬけ出だすのが難むずかしいらしい。特とくに、この「定義ていぎを正まさしく読よむ力ちから」が弱よわい人ひとは多おおいですね。「自分じぶんは普段ふだんこのように使つかっているから」と、冒頭ぼうとうに書かかれている定義ていぎを読よまずに答こたえを選えらぶ人ひとも少すくなくありません。

山本やまもと：この問題もんだいで半数はんすうの人ひとが間違まちがえるとは驚おどろきました。おっしゃるように、中学生ちゅうがくせいまでに辞書じしょ的てきな定義ていぎと用例ようれいを突合つきあわするスキルが得えられておらず、基礎きそ的てきな語彙ごいの獲得かくとくができていないのでしょうね。

新井あらい：「文章ぶんしょうに含ふくまれる言葉ことばのうち、98％を知しらないと、内容ないようを理解りかいできない」という海外かいがいの研究けんきゅうがあります。わからない言葉ことばがあって辞書じしょを引ひいても、そこにさらに知しらない言葉ことばが書かかれていたら、どうしていいかわからない。「辞書じしょを引ひきましょう」と言いう前まえに、まず、前提ぜんていとなる基本きほん語彙ごいを十分じゅうぶんに耕たがやしてあげる必要ひつようがあります。

山本やまもと：学校がっこうや家庭かていで「辞書じしょを引ひきなさい」となかば強制きょうせい的てきに言いわれるだけでは、子こどもたちはだんだん嫌いやになって辞書じしょを引ひかなくなってしまう。その背景はいけいには、引ひいても理解りかいできないからという理由りゆうがあるようですね。それでは堂々巡どうどうめぐりになってしまいます。

新井あらい：辞書じしょの使つかい方かたは小学校しょうがっこうで教おそわったきりで、それ以降いこうはもう使つかえるものだという前提ぜんていで授業じゅぎょうが進すすんでいきます。でも、中学生ちゅうがくせい用よう、高校生こうこうせい用ようと辞書じしょの説明せつめいで使つかわれる語彙ごいのレベルが上あがっていきますね。それに合あわせて何なん度ども辞書じしょの使つかい方かたは教おしえたほうがいいと思おもうんです。

山本やまもと：確たしかに辞書じしょのレベルが上あがるごとに使つかい方かたのアップデートを行おこなうような指導しどうがあるといいですね。その上うえで、辞書じしょでわからない言葉ことばを引ひくだけでなく、パラパラとページをめくって、いろんな言葉ことばに触ふれてみるのもいいと思おもいます。そのためには、読よんでいて様々さまざまに興味きょうみを引ひく辞書じしょづくりをする工夫くふうが重要じゅうようだと感かんじています。

新井あらい：そもそも学習がくしゅうする上じょうで「〜を〜といいます」という形かたちの定義ていぎ文ぶんを読よんで、新あたらしい言葉ことばを獲得かくとくする力ちからは必須ひっすです。例たとえば、地球ちきゅうから見みて月つきによって太陽たいようが隠かくされる現象げんしょうを「日食にっしょく」といいますね。新あたらしく「日食にっしょく」という語彙ごいを導入どうにゅうすることによって、同おなじ長ながい説明せつめいを繰くり返かえさなくてよくなります。これが、まさに新あらたな語彙ごい、特とくに学習がくしゅう言語げんごを獲得かくとくするということですね。

AIをどのように使つかうか

――最近さいきん、ChatGPTなどのAIが話題わだいになっていますが、新井あらい先生せんせいはどのように使つかっていますか。

新井あらい：私わたしは6年ねん半はんほど留学りゅうがくした経験けいけんがありますが、それでも英語えいごは母語ぼごではないので文章ぶんしょうを書かくときには、ChatGPTなどのAIを活用かつようしています。最初さいしょから文ぶんを書かかせるわけではなくて、自分じぶんが書かいた英語えいごがスムーズであるかを聞きいてみるんです。

　言葉ことばには「こういう文脈ぶんみゃくではこういう語彙ごいを使つかう」という統計とうけい的てきな側面そくめんがあります。例たとえば、アカデミアの人々ひとびとは論文ろんぶんでよく使つかう語彙ごいがありますが、友達ともだち同士どうしの会話かいわならばもっとカジュアルな言葉ことばを使つかいますよね。言葉ことばにはそういう文化ぶんか的てきな側面そくめんがあるので、AIに対たいして「論文ろんぶんでこのい回いまわしは妥当だとうか」などと聞きいてみるんですね。

　ただ、AIは本当ほんとうの意味いみで「記号きごう接地せっち」（言葉ことばの意味いみを現実げんじつ世界せかいの事物じぶつと結むすびつけて理解りかいすること）はしていませんし、現状げんじょうでは間違まちがったことも相当そうとう混まじっています。だから最後さいごは自分じぶんで直なおさないといけません。それでも「なるほど」と思おもわされるい回いまわしを提案ていあんできるのは、やはりAIが収集しゅうしゅうしているデータの量りょうが尋常じんじょうじゃないからでしょう。

AIを使つかいこなすためにも辞書じしょが必要ひつよう

――AIが隆盛りゅうせいする中なかで、辞書じしょはどのような役割やくわりを担になっていくでしょう。

山本やまもと：それは私わたしも非常ひじょうに気きになる大おおきな問題もんだいだと思おもっています。新井あらい先生せんせいにお目めにかかったのはもう10年ねん以上いじょう前まえでしたが、そのきっかけは人工じんこう知能ちのうプロジェクト「ロボットは東大とうだいに入いれるか」でAIの質しつを高たかめるために辞書じしょのデータを使つかいたいとお話はなしをいただいたことでした。

　それが昨年さくねんからChatGPTをはじめAIが大おおきな話題わだいとなっています。「もう辞書じしょは必要ひつようない」と言いわれることもありますが、やはり実際じっさいにAIを使つかってみると間違まちがいは多おおいですよね。だから我々われわれにはそれが間違まちがいだとわかる能力のうりょくが必要ひつようです。そのためには語彙ごいのレベルでは、まずは機会きかいあるごとに辞書じしょを確認かくにんするようにしてもらいたいと思おもいます。

新井あらい：私わたしはAIを使つかっても、最後さいごはやはり自分じぶんの目めで確認かくにんします。リーディングスキルテストで問とうてきた、「自分じぶんで読よみ、判断はんだんする力ちから」ですね。「こういう時ときはこういう使つかい方かたをするから違ちがうんじゃないかな」などと考かんがえられるリテラシーは、私わたしは辞書じしょに育そだてていただきました。

山本やまもと：AIを使つかいこなしていくためにも、辞書じしょが必要ひつようなのではないかと思おもうんです。子こどもの頃ころから基礎きそ的てきな語彙ごいを獲得かくとくし、拡張かくちょうしていく。そうすれば、言葉ことばの意味いみをしっかり捉とらえることができて、AIの生成せいせい結果けっかの正誤せいごの判断はんだんもできるでしょう。そんな基礎きそ的てきなツールとして、辞書じしょを作つくり続つづけていく必要ひつようがあると思おもいます。