(Translated by https://www.hiragana.jp/)
為末大『ぼくたちには「体育」がこう見える』 「からだと心」どう自分を扱うか|好書好日
  1. HOME
  2. コラム
  3. サンキュータツオの「かたほん」を
  4. ためまつだい『ぼくたちには「体育たいいく」がこうえる』 「からだとしん」どう自分じぶんあつかうか

ためまつだい『ぼくたちには「体育たいいく」がこうえる』 「からだとしん」どう自分じぶんあつかうか

『ぼくたちには「体育たいいく」がこうえる』

 「体育たいいくとスポーツをけ、もう一度いちど体育たいいくとらなおしてみたい」とためまつく。各所かくしょで「体育たいいく」とばれていたものが「スポーツ」にわっている。この一見いっけん差異さいのなさそうな呼称こしょう変更へんこうにも、じつは「体育たいいく」のことを国民こくみんてきにあまりかんがえていない実情じつじょうれる。

 ためまつによると、体育たいいくは「自分じぶんあつかう」ものだという。たとえば身体しんたいにしてもそうだ。大人おとなはみんな自分じぶん身体しんたいあつかいにこまっているのに、身体しんたいあつかいをまなべるはずの「体育たいいく」がうまく浸透しんとうしていない現状げんじょうたいし、このほんはその課題かだい対策たいさくほう多角たかくてきりにしていく。

 「自分じぶんをどんどん便利べんりなものにしていく競争きょうそう、みたいなところがありますよね。本当ほんとう自分じぶんはそれほど便利べんりじゃないし、そんなにうまくあつかえるものでもないのに。このように、『あつかがた自分じぶん』と『上手じょうずあつかうことを要請ようせいする社会しゃかい』とのあいだでねじれがあるとすれば、体育たいいくとおして、自分じぶん社会しゃかいわせていくことができればいいのではないかとおもうんですよね」(ためまつ

 こういう趣旨しゅしほんとなると、体育たいいく専門せんもんもと選手せんしゅたちではなすような想像そうぞうをしたが、『どもるからだ』の伊藤いとうしゃ(あさ)、『こえしてみたい日本語にほんご』の齋藤さいとうたかし、「あそがく提唱ていしょうしゃ松田まつだめぐみしめせ美術びじゅつ教師きょうし末永すえながみゆき(ゆきほ)、『数学すうがくする身体しんたい』の森田もりた真生まさお(まさお)便益べんえきシステム研究所けんきゅうじょ代表だいひょう川上かわかみ浩司こうじらと体育たいいくはなしをするという。どんなはなしをするのだろうと興味きょうみをそそられた。

 ジャンルで身体しんたいせいあそびと制限せいげん問題もんだいあつかう、こうした人々ひとびととの対談たいだんねらいは、体育たいいくとはたんなる教科きょうかではなくすべての教育きょういくのファンダメンタル(土台どだい)であることを確認かくにんしたうえで、体育たいいくになにができるのかという建設けんせつてきなアイデアをしていくことにある。どものからだ研究所けんきゅうじょ所長しょちょう野井のいわれは、「たとえば小学校しょうがっこう授業じゅぎょうは45ふん大学だいがくは90ふんですよね。なぜこんなにちがうのか。たりまえですが、小学生しょうがくせいが90ぶん授業じゅぎょうけるのはむずかしいですよね。からだとしんがそれをゆるさないから。(中略ちゅうりゃく)つまりすべての活動かつどうは、その根底こんていにあるどものからだとしんのことを考慮こうりょして展開てんかいされていて、じつはここにすごくコミットしているのが体育たいいくだとおもいます」とべる。失敗しっぱいできない状況じょうきょうと、自己じこ責任せきにんろん競争きょうそうつづけなければいけない環境かんきょうが、「からだとしん」のバランスをくずしているとも指摘してきしている。

 体育たいいくってあそびの要素ようそもあって競争きょうそうしないでもたのしいはずなんだ。でも成績せいせきをつけるから結果けっか主義しゅぎになり競争きょうそうする。だから苦手にがて意識いしきてくる。では評価ひょうかをどうするか、ルールをどうするか、おしかたをどうするか。刺激しげきてきなアイデアが豊富ほうふみながら身体しんたいうごかしたくなった。=朝日新聞あさひしんぶん2024ねん3がつ16にち掲載けいさい

    ◇

 大修館書店たいしゅうかんしょてん・1760えん編著へんちょしゃためまつだいは78ねんまれ。スプリント種目しゅもく世界せかい大会たいかい日本人にっぽんじんはつのメダル獲得かくとく著書ちょしょに『熟達じゅくたつろん ひとはいつまでもまなび、成長せいちょうできる』など。

PROMOTION