2024.04.27 「みんなのお墓はか」書評しょひょう 思考しこうの整理せいり拒こばんで踊おどりだす文章ぶんしょう 評者ひょうしゃ: 椹さわら木野この衣ころも / 朝あさ⽇新聞しんぶん掲載けいさい:2024年ねん04月がつ27日にち みんなのお墓はか 著者ちょしゃ:吉村よしむら萬まん壱いち 出版しゅっぱん社しゃ:徳間書店とくましょてん ジャンル:文学ぶんがく・評論ひょうろん ISBN: 9784198658007 発売はつばい⽇: 2024/03/27 サイズ: 18.8×1.9cm/200p 「みんなのお墓はか」 [著ちょ]吉村よしむら萬まん壱いち たちまちのうちに引ひき込こまれ、目めが小走こばしりになりそうなのを自制じせいしながら読よみ終おえた。ところが、いざ書評しょひょうを書かこうとすると言葉ことばが出でてこない。困こまった。こういう時ときわたしは机つくえに伏ふしていったん寝ねてしまい、目めが醒(さ)めると頭あたまの中なかが整理せいりされているというのを利用りようしてきた。ところが今回こんかいはそれがうまくいかない。なぜだろう。おそらく、そのような思考しこうの整理せいりを阻はばむところに本書ほんしょの読よみ応ごたえもあるのだ。 ここには文学ぶんがくが社会しゃかいを反映はんえいするとか、辛辣しんらつ(しんらつ)に批判ひはんするとか、そういう都合つごうのよい小説しょうせつの効用こうようや体裁ていさいがまったく見当みあたらない。たとえば途中とちゅう、コインランドリーで、止とまらなくなった乾燥かんそう機きの中なかで空そら焚(からだ)きとなった衣類いるいになぜか再ふたたび注水ちゅうすいされるという場面ばめんがある。その乾燥かんそう機きが「二に号機ごうき」と呼よばれていたので、つい原発げんぱつ事故じこを連想れんそうした。途端とたんに小説しょうせつがつまらなくなった。そうではなく、この小説しょうせつに書かかれていることは、なにかの比喩ひゆや寓話ぐうわ(ぐうわ)と捉とらえず、すべて書かかれているままに受うけ取とるのがよい。そうすると文ぶんが俄然がぜん(がぜん)踊おどり出だす。 本ほん作さくは、なんの変哲へんてつもない街まちに棲(す)む人じんたちをめぐる群像ぐんぞう劇げきである。本来ほんらいならまったく無縁むえんなかれらがひととき交まじわるのが町外まちはずれの共同きょうどう墓地ぼちで、だから「みんなのお墓はか」なのだが、むしろ墓はかよりも目立めだっているのは墓地ぼちの中なかにある公衆こうしゅう便所べんじょで、登場とうじょう人物じんぶつたちは不ふ特定とくてい多数たすうの人々ひとびとが排泄はいせつ(はいせつ)する体液たいえきや糞便ふんべん(ふんべん)を通つうじて活かつ(い)き活いきとした交流こうりゅうをなす。 すると、本書ほんしょのタイトルは「みんなの便所べんじょ」でもよかったのではないか。だが、そうしないところに作者さくしゃの意図いとをわたしは感かんじる。墓はかと便所べんじょは人生じんせいと生活せいかつの終着しゅうちゃく点てんという意味いみでつながりがある。だが、便所べんじょにはある排水溝はいすいこうが墓はかにはない。墓はかを地面じめんのどん詰つまりではなく「今いまという時ときを生いきる人々ひとびとがやがてそこへと戻もどっていくところの生命せいめいの川かわ」へと戻もどすこと。そこにこそわたしたちがいつか帰かえる本当ほんとうの「みんなのお墓はか」もあるのだ。 ◇よしむら・まんいち 1961年ねん生うまれ。学校がっこう教諭きょうゆを経へて作家さっかに。『ハリガネムシ』で芥川賞あくたがわしょう。『臣しん女おんな』で島しま清きよし恋愛れんあい文学ぶんがく賞しょう。