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映画監督・濱口竜介が、フレデリック・ワイズマンを観る理由 | ブルータス| BRUTUS.jp

映画えいが監督かんとく濱口はまぐち竜介りゅうすけが、フレデリック・ワイズマンを理由りゆう

精神せいしん病院びょういん高校こうこう動物どうぶつえん……。ドキュメンタリーかいの“ける伝説でんせつ”ことフレデリック・ワイズマンは、50ねん以上いじょうにわたり、こうしたさまざまな“場所ばしょ”を観察かんさつするドキュメンタリーをつくってきた。そんなワイズマンを敬愛けいあいする映画えいが監督かんとく濱口はまぐち竜介りゅうすけさんに、ワイズマンや2020ねんさく『ボストン市庁舎しちょうしゃ』の魅力みりょくいた。

ほん記事きじ掲載けいさいされている、BRUTUS特別とくべつ編集へんしゅう 合本がっぽん映画えいが鑑賞かんしょうじゅつ」は、2024ねん7がつ8にち発売はつばいです!

text: Keisuke Kagiwada

ワイズマンのドキュメンタリーのたのしさは、観客かんきゃく観察かんさつしながら想像そうぞうするという体験たいけんあたえてくれるところにあるとおもいます。ほとんどの作品さくひん病院びょういん動物どうぶつえんなど場所ばしょ組織そしきがテーマになっていますが、まずそれがどういう場所ばしょなのかよくわからない状態じょうたいつづく。

それはワイズマン自身じしんがリサーチするようにり、「ここはこういう場所ばしょなのか」と理解りかいしていく過程かていが、編集へんしゅうさい圧縮あっしゅくされて提示ていじされているから。それをながら観客かんきゃく想像そうぞうりょく作動さどうさせ、ワイズマンの理解りかいへの過程かていつい体験たいけんできる。これほどたのしいドキュメンタリーってなかなかないんじゃないかとおもいますね。

その意味いみで、ワイズマンの特徴とくちょうとしてられるナレーションやテロップを使つかわないという戦略せんりゃくは、圧倒的あっとうてきただしい。そうしたものをれてしまうと、この想像そうぞうりょく作動さどうさせるたのしみがつぶされてしまうので。

映画監督・フレデリック・ワイズマン
フレデリック・ワイズマン(映画えいが監督かんとく
1930ねんアメリカ・ボストンまれ。67ねんはつ監督かんとくさく『チチカット・フォーリーズ』を発表はっぴょう以後いご、ほぼとし1さくのペースで作品さくひん発表はっぴょうつづけている。2024ねん9がつ21にちから、『フレデリック・ワイズマン傑作けっさくせん変容へんようするアメリカ〉』が全国ぜんこく順次じゅんじ上映じょうえい

ワイズマンがあつかうテーマには、社会しゃかいてきなものがおおくありますが、かれ自身じしんがそうしたテーマに倫理りんりてき関心かんしんいているかはなぞです。たとえば、精神せいしん病院びょういんうつしたデビューさく『チチカット・フォーリーズ』は、たしかに社会しゃかいてきなテーマですが、それ以上いじょう観客かんきゃく興味きょうみちそうな“事件じけん”がこり場所ばしょえらんでいたようにかんじます。

その、ただ仕事しごとをしているひと姿すがた細分さいぶんしてれば“事件じけん”を目撃もくげきしたような感覚かんかくになれるとづいたのか、そういう方向ほうこうせい作品さくひんえていくのですが、それがまたわるのが2000ねん前後ぜんこう

“スピーチするからだ”。あたらしい被写体ひしゃたい発見はっけん

それはインターネットの台頭たいとうによって、映像えいぞう拡散かくさんりょくがこれまでとはくらべものにならなくなったことと関係かんけいしているとおもうんですが、人々ひとびとのカメラにたいする意識いしきわり、これまでとおなじようなものがれなくなってしまったからだとおもいます。それでワイズマンがえらんだのが、パブリックな肉体にくたいうごきをること。

『BALLET アメリカン・バレエ・シアターの世界せかい』のバレリーナや『ボクシング・ジム』のボクサーなどですね。だけど、それも『クレイジーホース・パリ よる宝石ほうせきたち』くらいで「もういいか」となったんでしょう、つぎかったのが、パブリックな場面ばめんでスピーチするからだること。最初さいしょからスピーチするからだられていましたが、それが前面ぜんめん作品さくひんえます。

実際じっさい、あるしゅ言語げんごでスピーチするひとっていうのは、被写体ひしゃたいとして興味深きょうみぶかいんですよ。わたしはかつてかれ故郷こきょうであるボストンに1ねんんだことがあるんですが、そのときにかんじたのは、英語えいごってはなすほどにたのしくなる言語げんごらしいということ。

ワイズマンの近作きんさくうつるスピーチするからだていてもそれはかんじます。どんなひとはなかたにも共通きょうつうしてリズムのさがあって、そのリズムによって話者わしゃ自身じしんひらかれていき、パブリックなスピーチであっても、そのひと人間にんげんせいあらわれるようなかんじがある。

それは日本語にほんご決定的けっていてきけている性質せいしつだとおもいます。日本にっぽん標準ひょうじゅんひとふうめていくタイプの言語げんごというか。それは自作じさくでセリフをあつかってても、すごくかんじます。

アメリカ ボストン市庁舎
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問題もんだいさくとしての『ボストン市庁舎しちょうしゃ

トランプ政権せいけんのボストンの市庁舎しちょうしゃ舞台ぶたいにした最新さいしんさく『ボストン市庁舎しちょうしゃ』も、まさにスピーチするからだあつかった作品さくひんですが、個人こじんてきには問題もんだいさくでした。ボストンは住民じゅうみんの90%が民主党みんしゅとう支持しじしゃみたいな場所ばしょなんですね。

わたしがボストンでらしはじめたのは、ちょうどトランプが選挙せんきょ直前ちょくぜんでしたが、かれ勝利しょうりしたことでまち全体ぜんたいちひしがれたようなムードにつつまれたのが強烈きょうれつ印象いんしょうのこっています。そんな時代じだいに、自分じぶんたちはどうしていくのか?というボストニアンのプライドがかんじられる作品さくひんだとおもいました。

ほんさくおどろいたことのひとつが、これまでのように場所ばしょるだけではなく、ほぼ主人公しゅじんこうのような人物じんぶつがいること。撮影さつえい当時とうじ市長しちょうマーティン・ウォルシュです。これでもかとかれのスピーチシーンが登場とうじょうします。これは間違まちがいなく2020ねん大統領だいとうりょうせん見据みすえていて、「しんのリーダーはどっちだ?」っていううったえがあったとはおもいます。

さきほどワイズマンはテーマにたいして倫理りんりてき関心かんしんがあるかはなぞだといましたが、もしかするといよいよ本気ほんき社会しゃかいうれはじめているのかもしれない。そうかんじさせるくらいの問題もんだいさくだなと衝撃しょうげきけました。

『ボストン市庁舎しちょうしゃ
移民いみん多様たようせいまち、ボストンの市庁舎しちょうしゃ日常にちじょうをさまざまな角度かくどからえがく。濱口はまぐちさんいわく、市長しちょうのぞほんさく登場とうじょう人物じんぶつでワイズマンがもっと興味きょうみったとおもわれるのが、大麻たいま販売はんばい是非ぜひをめぐる集会しゅうかい参加さんかしゃたち。「さまざまな人種じんしゅひとがフラットに議論ぎろんしていて、このまち象徴しょうちょうするシーンでした」。
U−NEXTなどで配信はいしんちゅう。DVD、Blu-ray発売はつばいちゅう

とはいえ、ことさらにそうしたメッセージを強調きょうちょうするわけではなく、ただ自分じぶん隅々すみずみまでっているボストンを普通ふつうっているだけともえるんですが。それはおそらくこのまちらすワイズマンの感覚かんかくとして、そのままればトランプ政権せいけんたいするアンチテーゼになるという確信かくしんがあったからでしょう。

声高こわだかにメッセージをかたることがわるいとはいませんけど、映画えいがはプロパガンダてきなものと相性あいしょうすぎるわけで、そういうものから距離きょりをとりつづけてきたひととして、プロパガンダになりらないようにしているとはかんじました。

ちなみにわたしはボストンにんでいるとき、ワイズマンのオフィスのまえまでったことがあるんです。ただわたし英語えいごりょくではたいしたことがはなせないとおもったのでノックはせずにかえったんですけど(笑)。