入団会見での村田。左は原監督
いまは
昔、というべきか……。
プロ
野球の
歴史の
中から、
日付にこだわって「その
日に
何があったのか」
紹介していく。
今回は12月13
日だ。
2012
年12月13
日は、
現在、
巨人を
自由契約となり
移籍先を
模索中の
村田修一が「
巨人に
入団した
日」だ。
03
年横浜入団。1
年目から
中心選手となり、07、08
年にはホームラン
王にも
輝いた
村田だが、チームはどん
底の
低迷期で08
年から11
年までの4
年連続を
含む7
度の
最下位。
本気で
優勝を
狙う
姿勢を
見せない
球団にもいら
立ちがあった。
それでも10
年にFA
権を
取得した
際は、
球団が
売却騒動で
揺れていたこともあり、
残留を
選択。
主将となり、「
全力疾走」を
掲げて
自らチーム
改革に
取り
組んだ。
全144
試合に
四番で
出場。
言葉で、
背中で、けん
引したが、やはり
定位置の
最下位から
抜け
出すことはできなかった。
「
息子は
僕が
出かけるときに『
今日も
打ってね』より『
今日も
勝ってよ』と
言うことのほうが
多かったんです。そういう
意味でも
勝つことが
一番大事だと
思うようになりました」
最愛の
息子の
言葉からも
優勝への
渇望が
深まった。
同時期にFAを
取得し、
移籍を
選んだ
内川聖一が
ソフトバンクで
優勝、
日本一を
手にし、うれし
涙を
流した
姿がまぶしく
映ったこともあったかもしれない。
今回はFA
権を
行使。このときも
球団売却問題が
再燃していたが、
最終的には
DeNAへの
譲渡が
決定。
新球団が
村田との
交渉の
席で「5
年後の
優勝」を
掲げたことも
村田の
移籍への
思いを
強めた。8
日、
巨人入団を
決断。「
来年から
優勝争いをしたいという
考えを
捨てきれなかった」と
胸のうちを
明かした。
13
日は
入団会見だ。
同日、まず
契約金を
含む2
年総額5
億円(
推定)で
正式契約し、
背番号も
日大、
横浜で
慣れ
親しんだ25に
決まった。
「プロ
入り
前の
気持ちを
思い
出して、これからの
野球人生を
歩みたいと
強く
思います」と
晴れ
晴れとした
笑顔を
見せた
村田。
同席した
原辰徳監督が「
素晴らしい
決断をしてくれた。
優勝を
目指して
頑張ろう」と
声を
掛けると、「3
割、30
本、100
打点、
原監督を
胴上げできるように
頑張ります」と
力強く
語った。
写真=BBM