ニューヨークで注目されている映画とは? 現地在住のライター・細木信宏が、スタッフやキャストのインタビュー、イベント取材を通じて、日本未公開作品や良質な独立系映画を紹介していきます。
ジェイク・エーデルスタインが「トウキョウ・バイス」を生み出すまで――映像化経緯も語る
アメリカではHBOで配信され、日本ではWOWOWで放映された人気シリーズ「TOKYO VICE」。物語の舞台は、1990年代末期の東京。日本の新聞社に勤務する若きアメリカ人記者が、警視庁のベテラン刑事に誘われ、ヤクザが支配する“暗黒世界”に足を踏み入れるさまを描いた作品だ。主演は「ウエスト・サイド・ストーリー」のアンセル・エルゴート。「ラスト・サムライ」の渡辺謙が共演し、マイケル・マンが製作総指揮&監督を務めている。
このほど、原案となった「トウキョウ・バイス: アメリカ人記者の警察回り体験記」の著者、ジェイク・エーデルスタインに単独インタビューを敢行する機会に巡り合った。彼はどのようにして読売新聞記者として仕事を始めたのか。そして、どのようにヤクザの取材を行っていたのか。キャスティング秘話や、シーズン3が実現した場合のアイデアなどを聞いてみた。
ミズーリ州生まれのエーデルスタイン。どのように日本文化に興味を持ち、日本の上智大学へ進学したのだろうか。
「高校の時に空手を始めたんです。空手の先生は沖縄育ちで、クラスはとても“伝統的”でした。授業前の瞑想、空手の精神的な側面、専門用語の意味をとても重視していたほどです。空手の元の文字は中国から来ているので『カンフーのようなものなのか、それとも“手ぶらで戦う”という意味なのか? “空”にはもっと難解な意味があるのだろうか?』など、そんな考えを巡らせながら、徐々に日本に興味を持つようになったんです。その後、日本の歴史や禅宗について読み漁り、大学生になる頃には、日本語を習い始めました。幸運なことに、早い時期に日本へ交換留学生として行く機会に恵まれました。当時は、いわゆるバブル期。交換留学制度があったので応募したのですが『日本語を2年間勉強しないと行けない』と言われました。私は好奇心から『来年、ミズーリ大学から日本へ行く人は何人いるのですか?』と先生に聞きました。そして『上智大学から(ミズーリ大学へは)20人来るのに、うちの大学から誰も行かないのでは交換留学の意味がない』と告げました。すると彼は『エーデルスタインさん、あなたの言うことはもっともだ』と言って、私を日本に行かせてくれました」
日本に来たばかりの頃は、海外の人々が共同で暮らす格安のシェアハウスで暮らした。その頃、禅宗の僧と出会い、大学生活のほとんどを、池袋にある禅宗の寺院で過ごしていたそう。
では、どのようにして読売新聞で働く“最初の外国人記者”になったのか?
「当時、学校新聞を既に日本語で書いていたんです。ある日、同級生が読売新聞、朝日新聞、そして日本テレビの入社の準備をしていました。当時、入社試験まであと1年の猶予があった私は『日本語を勉強するモチベーションを高めなければ』と感じ、これらのテストに合格することを目指しました。これに集中するため、教科書を何冊か買い、いくつかのクラスに登録しました。授業は朝日カルチャーセンターで受けたり、共同通信社の小論文の授業も受けたこともありましたね。当時の採用試験は、たとえばシーズン前のセミナーに見せかけて、実際にはそれが試験となっており、正式な採用に繋がるなんてこともあったんです。当時の読売の全国紙面そのものはとても保守的だったんですが、当時の『社会部』はとてもリベラルで、『社会部』の紙面に書かれていることがとても好きでした。ですから、私は読売を選ぼうと思ったんです」
その後、エーデルスタインは読売新聞の埼玉支部に配属。刑事事件を追う「警察担当」を任されることになった。読売新聞社時代は、暴力団の組織犯罪を12年近く取材・調査を行っている。読売にいた他の記者とはどのように連携をとっていたのか。
「最初の1年間は、県警本部(都道府県警察を統括・指揮する本部組織)のもとで警察記者として勤務していました。警視庁の本部廻りに相当する浦和西、大宮、川口などを取材していたのですが、突如、同僚が辞めてしまったので、膨大な数の警察署を取材することになったんです。1994年になると、私の上司の山本さんが『よし、君は組織犯罪を担当するんだ』と言ってきました。当時は『暴力団対策1課』『暴力団対策2課』がありました。『暴力団対策1課』では、組織犯罪対策の情報収集と『暴力団対策法』への対応。『暴力団対策2課』は、ヤクザが関与しているさまざまな犯罪を検挙するのですが、私はこれら2つの部署に所属し、警察記者としてヤクザに関するあらゆることを取材するというのが仕事になったんです」
「日本で組織犯罪を担当する記者のほとんどは、ヤクザと直接交流することはありません。それは普段の彼らが警察を相手にするだけだからです。ただ、私は両方(ヤクザと警察)を相手に取材していました。1999年に歌舞伎町を取材、2000年から2002年にかけては、マルチメディアセクションでYahoo!ニュースやインターネットサイトを担当。その後、東証マザーズに上場しているIT企業をヤクザが乗っ取るという事件があり、突然“犯罪とヤクザ”を担当することもありました。その後、2003年から新聞社を辞めるまで、警視庁で警察取材をしていました」
では、マイケル・マン監督をはじめとする製作チームは、どのように「トウキョウ・バイス: アメリカ人記者の警察回り体験記」のテレビシリーズ化を打診してきたのだろう。当初は、エルゴートが演じているジェイク役を「ハリー・ポッター」シリーズのダニエル・ラドクリフが演じる予定だった。
「当時、パラマウントのトップだったジョン・レッシャーが僕の原作を読んでくれました。彼は、脚本家を雇って製作しようとしていましたが、送られてきた2、3の脚本はかなりひどいものだったんです。そこで、僕は高校時代からの友人であるJ・T・ロジャースがニューヨークで脚本家をしていることを思い出しました。彼はとても優れた歴史ドラマを書いていたり、舞台設定が異国のドラマも書いていたので、そんな彼に脚本家として参加してもらいました。その脚本にジョン・レッシャーがOKを出し、主演する予定だったダニエル・ラドクリフも気に入ってくれていました。その時は、ライアン・ゴズリングも本作に興味を示していたことがありましたね。ライアン・ゴズリングが原作の映画のバージョンをやりたいとい出したり、ダニエル・ラドクリフも乗り気でしたが、日本の製作会社と提携したのが失敗でした。彼らは資金援助もなく撤退し、契約はすべて破綻してしまったんです」
2017年、J・T・ロジャースが舞台「オスロ」でトニー賞を受賞。これをきっかけに、再び歯車が動き出した。
「J・Tはハリウッドの人々から『次は何をやりたいんだ?』と聞かれるようになっていました。そこで『TOKYO VICE』シリーズを作りたいと答えてくれていたんです。J・Tは、ロンドンでたくさん芝居をやっていた渡辺謙をすでに知っていたので、彼の出演を説得してくれました。渡辺謙自身も、原作と脚本も気に入ってくれたと思います。そのほか、当時は2人の役者に注目していました。一人は『メイズ・ランナー』に出演していたディラン・オブライエン、そしてもうひとりがアンセル・エルゴート。この役は演技力だけではなく、日本語も学ばなければなりません。アンセルに『それができるのだろうか?』とも思いましたが、アンセルは本当に熱心でした。私は映像化に関しては多くの口出しをしませんでしたが、このキャスティングに関しては意見を聞かれました。『私はアンセルがそれほどの熱意を持っているのならば、彼を選ぶべきだ』と伝えたんです」
なお、エルゴートのキャスティングは「ウエスト・サイド・ストーリー」に出演する以前の話だそう。
「TOKYO VICE」は、現在2シーズンが制作されている。もし、もう1シーズンを描くとしたら、どのような内容になるのだろうか。
「シーズン3の可能性は充分にあると思います。でも、これだけは言っておきますが、もし始まるとしたら前シリーズから数年後の設定になるでしょう。たとえば、佐藤(=笠松将)が自分の組織を合法的なものにしようとする――つまり“合法的なビジネスマン”になる。ヤクザの未来が決して良くないことがわかっていますから」