不知火しらぬい海かい 劇場げきじょう公開こうかい日び:1975年ねん1月がつ23日にち 作品さくひんトップ 特集とくしゅう インタビュー ニュース 評論ひょうろん フォトギャラリー レビュー 動画どうが配信はいしん検索けんさく Check-inユーザー -全ぜん0件けん 採点さいてん- レビューを書かく レビューガイドライン Check-in X Facebook Pocket Hatena QRコード 解説かいせつ 前作ぜんさく「水俣みなまた一揆いっき」から一いち年ねん半はんぶりで土本どもと典昭のりあき監督かんとくが発表はっぴょうした二に時じ間あいだ三さん三さん分ぶんの長編ちょうへん記録きろく映画えいが。「水俣みなまた 患者かんじゃさんとその世界せかい」以来いらい四よん年間ねんかんにわたる土本どもと典昭のりあきと青あお林りん舎しゃの水俣病みなまたびょうとのかかわりあいは、「不知火しらぬい海かい」で一ひとつのサイクルを終おわったといえよう。土本どもと典昭のりあきとカメラマンの大津おおつ幸四郎こうしろうは、魚さかなと共ともに生いき死しんでゆく不知火しらぬい海かいの漁民ぎょみんたちが、水俣病みなまたびょうになることがわかっていながらも海うみに執着しゅうちゃくし、漁りょうをして魚さかなを食たべてゆかざるをえない--その姿すがたを、自分じぶんたちも有機ゆうき水銀すいぎんに汚染おせんされた美味うまい魚さかなを食たべながら、淡々たんたんと撮とり続つづける。チッソからの補償ほしょう金きんで豪邸ごうていを建たてたある患者かんじゃの一家いっかは、働はたらく喜よろこびを奪うばわれた毎日まいにちを、敗戦はいせん後ごの高度こうど経済けいざい成長せいちょうの象徴しょうちょうである最新さいしん式しきの電気でんき器具きぐに囲かこまれながら、空むなしく過すごしている。とりわけ悲惨ひさんなのは胎児たいじ性せい水俣病みなまたびょうの子供こどもたちである。子供こどもといっても、彼かれらはすでに青年せいねんと呼よぶべき肉体にくたいをもつようになってきている。ある少女しょうじょは、泣なきながら医者いしゃに頭あたまを切きって自分じぶんの脳のうを手術しゅじゅつしてほしいと言いう。しかし、この映画えいがは決けっして暗くらくはない。「不知火しらぬい海かい」を撮とり終おえた大津おおつ幸四郎こうしろうは次つぎのように語かたっている。「私わたし達たちがいつの間まにか、切きり捨すててしまった生活せいかつの記憶きおく、人々ひとびとのやさしさと生活せいかつからにじみ出でる音色ねいろが不知火しらぬいの海うみには溢あふれている。水俣みなまたの海うみは殺ころされた。しかし、水銀すいぎん毒どくにじわじわと侵おかされながらも、不知火しらぬいの海うみは生いきている。人々ひとびとは生いきている。水銀すいぎん毒どくに身みを侵おかされながら、必死ひっしに生いき抜ぬこうとしている」。(16じゅうろくミリ) 1975年ねん製作せいさく/153分ふん/日本にっぽん配給はいきゅう:その他た劇場げきじょう公開こうかい日び:1975年ねん1月がつ23日にち ストーリー ※本ほん作さくはドキュメンタリーのためストーリーはありません。 全文ぜんぶんを読よむ(ネタバレを含ふくむ場合ばあいあり) スタッフ・キャスト 監督かんとく 土本どもと典昭のりあき 小池こいけ征ただし人じん 有馬ありま澄雄すみお 一之瀬いちのせ紘子ひろこ 岡垣おかがき享とおる 製作せいさく 高木たかぎ隆太郎りゅうたろう 撮影さつえい 大津おおつ幸四郎こうしろう 一之瀬いちのせ正之まさゆき 音楽おんがく 松村まつむら禎三ていぞう 録音ろくおん 浅沼あさぬま幸一こういち 編集へんしゅう 土本どもと典昭のりあき 市原いちはら啓子けいこ 全すべてのスタッフ・キャストを見みる