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ノスタルジア(1983) : 作品情報 - 映画.com

ノスタルジア(1983)

ALLTIME BEST

劇場げきじょう公開こうかい

ノスタルジア(1983)

解説かいせつ

ロシアの巨匠きょしょうアンドレイ・タルコフスキーが、イタリアでりあげた長編ちょうへん劇映画げきえいがだい6さく自殺じさつした音楽家おんがくか足跡あしあとをたどってイタリアをおとずれたロシアじん詩人しじんたび圧倒的あっとうてき映像えいぞうえがき、1983ねんだい36かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい監督かんとくしょう国際こくさい映画えいが批評ひひょう連盟れんめいしょう、エキュメニック審査しんさいんしょう受賞じゅしょうした。

18世紀せいきロシアの音楽家おんがくかパベル・サスノフスキーの足跡あしあとたびつづけるロシアの詩人しじんアンドレイは、通訳つうやく女性じょせいエウジェニアをれてイタリアのトスカーナ地方ちほうにやってる。アンドレイはやまいおかされており、たびもなくわりをむかえようとしていた。あるあさアンドレイは、周囲しゅういから狂人きょうじんあつかいされている老人ろうじんドメニコと出会であう。世界せかい終末しゅうまつしんじるドメニコはアンドレイに1ほんのロウソクをたくし、そのさずに広場ひろばわたるよう依頼いらいする。

2024ねん1がつ日本にっぽん公開こうかい40周年しゅうねん記念きねんして4K修復しゅうふくされた「ノスタルジア 4K 修復しゅうふくばん」が公開こうかい

1983ねん製作せいさく/126ふん/G/イタリア・ソ連それん合作がっさく
原題げんだいまたはえいだい:Nostalgia
配給はいきゅう:ザジフィルムズ
劇場げきじょう公開こうかい:2024ねん1がつ26にち

その公開こうかい:1984ねん3がつ31にち日本にっぽんはつ公開こうかい

原則げんそくとして東京とうきょういち週間しゅうかん以上いじょう上映じょうえいおこなわれた場合ばあい掲載けいさいしています。
映画えいがさいでの上映じょうえい一部いちぶ特集とくしゅう上映じょうえい特別とくべつ上映じょうえい配給はいきゅう会社かいしゃ主体しゅたいではない上映じょうえい企画きかくとう公開こうかいされたものなど掲載けいさいされない場合ばあいもあります。

オフィシャルサイト

スタッフ・キャスト

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受賞じゅしょうれき

だい36かい カンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい(1983ねん

受賞じゅしょう

コンペティション部門ぶもん
国際こくさい映画えいが批評ひひょう連盟れんめい(FIPRESCI)しょう アンドレイ・タルコフスキー
監督かんとくしょう アンドレイ・タルコフスキー

出品しゅっぴん

コンペティション部門ぶもん
出品しゅっぴん作品さくひん アンドレイ・タルコフスキー
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映画えいがレビュー

4.5記憶きおくおくにあるあかいノスタルジア。

2024ねん2がつ29にち
PCから投稿とうこう

おもばなしもうわけないが、この映画えいがは30ねんくらいまえともだちの四畳半よじょうはんのアパートでともだちがっていたれそうなVHSテープでた。ほとんどなにうつってるか判別はんべつできず、タルコフスキーの映画えいがなんでストーリーをうことも至難しなんわざだったが、奇跡きせきにまつわる哲学てつがくてきなファンタジーととらえてやけに感動かんどうした。ノイズだらけの画面がめんはすっかりあかっぽく変色へんしょくしているが、それもまた、かすみがかっった神話しんわてき映像えいぞうおもわせて、しんいた。

で、30ねんて、4K修復しゅうふくばん鑑賞かんしょうすることができて、まあおどろいたのなんの、あまりにも鮮明せんめいになった画面がめんはまったくあかっぽくないし、ストーリーが明確めいかくになった以外いがい、ほとんど別物べつもののようにえた。自分じぶんなかでの神秘しんぴせいってしまったが、それでもやはり名作めいさくであり、さりとて自分じぶんなかではもっと素晴すばらしい名作めいさくとしてあのあかっぽいVHSがのこっている。そんな経験けいけんふくめて映画えいがだとおもうし、だれもがしん自分じぶんバージョンをっていていいのではないかとおもう。

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村山章

5.0タルコフスキーのこと

2024ねん2がつ13にち
iPhoneアプリから投稿とうこう
鑑賞かんしょう方法ほうほう映画えいがかん

 『ノスタルジア』が日本にっぽん公開こうかいされたのは1984ねんはるはつ鑑賞かんしょうから40ねんときぎた。さい上映じょうえい特集とくしゅうなどでなんているがその回数かいすうさだかではない。母国ぼこくはなれてイタリアをたびする詩人しじんの“郷愁きょうしゅう”をテーマにした『ノスタルジア』は、2020ねん公開こうかいの『サクリファイス』とともに、しんふかきざまれた作品さくひんだ。今回こんかい、イタリアのライシネマに保管ほかんされていたオリジナルネガと音声おんせいもとにフィルム鮮度せんどのクオリティにレストアされた4Kばんることができたのは至上しじょうよろこびだ。

 この作品さくひんには、一切いっさい無駄むだゆるさない純度じゅんどたか脚本きゃくほんがあり、フレームにたいする徹底てっていしたこだわりがあり、モノクロとカラーを使つかった精緻せいち繊細せんさい感情かんじょう表現ひょうげんがある。しぼりによって色彩しきさいがらせる撮影さつえいみょう主人公しゅじんこう脳裏のうりをよぎる心象しんしょう風景ふうけいは、完璧かんぺき配置はいちによる故郷こきょう理想りそうてきなイメージとなって画面がめんうつされ、主人公しゅじんこうおもいのふかさをつたえる。美術びじゅつ情景じょうけい小道具こどうぐ人々ひとびとうごき、言葉ことばのひとつひとつにまで、作家さっかつよ意志いし貫通かんつうしている。

 1 + 1 = 1
 水滴すいてきになぞらえた自然しぜん対峙たいじする姿勢しせい思想しそう原理げんりにもおおきな影響えいきょうけた。この呈示ていじには、映画えいがは、けっしてざんでは成立せいりつしないという、タルコフスキーの創作そうさくたいする原点げんてん宿やどる。かれ講演こうえんつづった「映像えいぞうのポエジア:刻印こくいんされた時間じかん」(ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ)にれば、映画えいが監督かんとくには必然ひつぜんしかない。監督かんとくまえで、俳優はいゆうはどこにち、なにつめているのか。そのときしん奥底おくそこにはどんなおもいがあるのか。映画えいが時間じかんきるとき俳優はいゆうはもはやかれでも彼女かのじょでもなく、映画えいが時間じかんきる固有こゆう存在そんざいとしてフィルムに定着ていちゃくしていく。幾重いくえものイメージがつなぎわされ、ひとつの物語ものがたり昇華しょうかされたときに映画えいがまれる。

 その瞬間しゅんかんのがすまいとする作家さっか妥協だきょうなき追求ついきゅうによって、綿密めんみつ計算けいさんされた映像えいぞう形作かたちづくられている。カメラアングルはもとより、フレームのなかにあるすべてのファクターが、映画えいが監督かんとくによってすでさだめられている。たりまえのことを実践じっせんすることの苛酷かこく。あくなき探求たんきゅう思索しさくが、結晶けっしょうたいのように純化じゅんかした映画えいがとなってもの凌駕りょうがする。素朴そぼくでありながらも芳醇ほうじゅんにおつような画面がめんには、こうでなければならないという作家さっかかた決意けついと、しんませればかんじとれるはずだという、観客かんきゃくへの絶大ぜつだい信頼しんらい裏打うらうちされている。それはけっして神々こうごうしいものではなく、単純たんじゅん人間にんげん生理せいりもとづいた感覚かんかく共有きょうゆうしようとする素朴そぼく意志いしである。

 映画えいがつねひらかれている。だから躊躇ちゅうちょする必要ひつようはない。むずかしくかんがえるのもやめよう。映画えいがかんだい画面がめんでこのるいまれなる傑作けっさく『ノスタルジア』にい、しんかんじるがままにたのしもうではないか。

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高橋直樹

5.0巡礼じゅんれいともびたくなるほどの幻想げんそうてき荘厳そうごんなひととき

2024ねん1がつ29にち
PCから投稿とうこう
鑑賞かんしょう方法ほうほう試写ししゃかい

あらたにまれわった4K修復しゅうふくばんた。が、本当ほんとうに「た」「理解りかいした」とれるのか。そのこたえにきゅうしてしまうほど、わたし相変あいかわらずほんさく空気くうき朝靄あさもやたましいみずしずくつつまれながらまえっていった荘厳しょうごん体験たいけんについてうまく言葉ことばにすることができずにいる。83ねん祖国そこくソ連それんをもう二度にどまぬとめたタルコフスキーがはなった、幻想げんそう陶酔とうすい狂気きょうき寂寥せきりょう映像えいぞう世界せかいわたしはつ鑑賞かんしょう学生がくせい時代じだい、VTRにて)にともしたしん蝋燭ろうそくいまなおたずさえながらこれからも126ぶん永遠えいえん一瞬いっしゅん往復おうふくなんとなくかえすのだろう。それはある意味いみ人生じんせいけた巡礼じゅんれいであり、はたまたかがみなかおのれのぞむような所業しょぎょうとさええる。ひとだれもがアンドレイとドメニコというふたつの側面そくめんかかえながらきている。自分じぶん冷静れいせいかあるいはれているのかなんて紙一重かみひとえだ。だからこそ、ただただひたすらいのつづける。その姿すがたえざる過程かていにこそ、せい色濃いろこほとばしるのかもしれない。

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牛津厚信

4.0芸術げいじゅつがいかにつたわらないかを、うつくしい映像えいぞううたげる。

2024ねん9がつ23にち
PCから投稿とうこう
鑑賞かんしょう方法ほうほう:VOD

知的ちてき

むずかしい

タルコフスキーの作品さくひんをきちんとたのははじめて。

ロシアじん詩人しじんアンドレイは、自殺じさつしたロシアの音楽家おんがくかサナノフスキーの取材しゅざいでイタリアをたびしていた。
ちいさな温泉おんせんがいで、ドメニコという奇妙きみょうおとこ出会であう。
アンドレイは、ドメニコからろうそくをわたされる。「ろうそくにをともし、みずなかわたりきることができたら世界せかいすくわれる」。アンドレイはその役割やくわりれる。

タルコフスキーは「世界せかい救済きゅうさい」をテーマに創作そうさくつづけていたとwikiにいてある。ほんさくにおいてもそういうはなしてくるが、えがかれていたのは、「芸術げいじゅつがいかに理解りかいされないか」ということだとかんじた。
冒頭ぼうとう、イタリアがわからなければイタリア文学ぶんがく理解りかいできない、というやりとりがある。また、ドメニコのはなしいたアンドレイが「よくわかるよ」とこたえると「よくないんだ!」とかえされる。芸術げいじゅつ焼身しょうしん自殺じさつをするシーンでも、まわりの人々ひとびとはぼんやりとそれをながめている。
タルコフスキーはいのちがけで映画えいがっているが、人々ひとびとはそれを理解りかいしなかったり、理解りかいしたになっているだけだ、という気持きもちが反映はんえいされているのだとおもう。と、これもまた、自分じぶん勝手かって推測すいそくでしかない。

それはともかく、映像えいぞうはすばらしい。
とく構図こうずうつくしく、絵画かいがてきなバランスになっている。
また、カラーとモノクロの画面がめん使つかけている。
カラーが現在げんざいで、モノクロは過去かこ抽象ちゅうしょうてき風景ふうけいえがくときに使つかっているようだ。

タイトルの「ノスタルジア」は、言葉ことば意味いみとしては故郷こきょうこいしがることのようだが、ほんさくのモノクロ映像えいぞう登場とうじょうする田舎いなか風景ふうけいは、宗教しゅうきょうてき意味いみでの故郷こきょう、あのしめしているのではないだろうか。おだやかでりた世界せかい人々ひとびともどっていく。

難解なんかいで、wikiをんだうえで自分じぶん推測すいそくしたが、こういう映画えいがもいい。
1980年代ねんだい初頭しょとうというと世界せかいてき経済けいざいみはじめた時期じきのようだが、タルコフスキーが影響えいきょうけているかどうかはわからなかった。

コメントする (0けん
あふろざむらい