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レイジング・ブル : 映画評論・批評 - 映画.com

劇場げきじょう公開こうかい 1981ねん2がつ14にち

レイジング・ブル : 映画えいが評論ひょうろん批評ひひょう

2020ねん7がつ14にち更新こうしん

1981ねん2がつ14にちよりロードショー

俳優はいゆう監督かんとく才能さいのううつくしい音楽おんがくとともに融合ゆうごうした、しんさる名作めいさく

Netflixオリジナル映画えいがアイリッシュマン」(2019)で、「カジノ」(1995)以来いらい9度目どめのタッグをみ、わらぬめいコンビぶりをせたロバート・デ・ニーロマーティン・スコセッシ監督かんとく。これまでにも名作めいさく傑作けっさくしているが、1980ねん製作せいさくの「レイジング・ブル」は、二人ふたりにとってそれぞれのキャリアのひとつの到達とうたつてん俳優はいゆう監督かんとく才能さいのう見事みごと融合ゆうごうした映画えいがのこ作品さくひんとなった。

1940年代ねんだいから50年代ねんだい活躍かつやくし、ミドルきゅうチャンピオンにまでのぼりつめた実在じつざいのボクサー、ジェイク・ラモッタ自伝じでんもとにその半生はんせい映画えいが栄光えいこうにしながら、次第しだいつま家族かぞくへの嫉妬しっとしん猜疑心さいぎしんつのらせて破滅はめつしていくジェイクをデ・ニーロが体現たいげん。ボクサー引退いんたい姿すがた再現さいげんするために27キロも体重たいじゅうやし、体型たいけいをも変化へんかさせるその徹底てっていしたやくづくりから「デ・ニーロ・アプローチ」という言葉ことばんだ。だい53かいアカデミーしょう主演しゅえん男優だんゆうしょう受賞じゅしょうしている。

物語ものがたり暴力ぼうりょくてき人間にんげんよわさや欠点けってんえがき、そむけたくなるシーンもおおい。いま時代じだいにはアウトな主人公しゅじんこう共感きょうかんはできないかもしれないが、スコセッシ作品さくひんつうそこする「つみ贖罪しょくざい」というテーマが次第しだいものせまってくる。当時とうじ映画えいが制作せいさくにおけるカラーフィルムの褪色たいしょく問題もんだいにも関心かんしんっていたスコセッシ監督かんとくはモノクロ作品さくひん一部いちぶカラー)として制作せいさくした。

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そして、相反あいはんさせるかのように音楽おんがくうつくしい。オープニングのタイトルシークエンスは、ピエトロ・マスカーニ作曲さっきょく歌劇かげき「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏かんそうきょくはじまり、きりがかったリングじょうで、ガウンをてシャドーボクシングしているジェイクの姿すがたがスローモーションでうつされ、な「RAGINGBULL」のタイトルがロープのあいだかびがる。

さらに、そんなドラマ演出えんしゅつ名演めいえんてるのが、意欲いよくてき撮影さつえい技法ぎほう編集へんしゅう、サウンドだ。たとえば、ボクシングの試合しあいのシーンでは、180かえしのショットやシャッタースピードをえるなど、カメラはえずうごき、パンチのおと観衆かんしゅうこえ、マスコミのカメラのフラッシュとそのおとわさった編集へんしゅうとサウンドはまるで火花ひばなのようで、自分じぶんがリングでたたかっているような錯覚さっかくおちいる。いまやスコセッシ作品さくひんにはかせないセルマ・スクーンメイカーが、だい53かいアカデミーしょう編集へんしゅうしょう受賞じゅしょうした。

その一方いっぽうで、本編ほんぺんやくあいだ18ふんあたりからはじまる試合しあい直前ちょくぜんやく1ふん30びょうのシーンはワンカットで撮影さつえい地下ちかひかしつでジェイクが、ジョー・ペシえんじるおとうとジョーイを相手あいてにウォーミングアップしている。そこからバックヤードをけてちょう満員まんいん観衆かんしゅうなかをかきけてリングへあがっていくまでのあいだうつくしいきょくかさなり、CG合成ごうせいなしのこのシーンは、なんても鳥肌とりはだつ。

ニューヨーク・ニューヨーク」(1977)で不調ふちょうおちいり、ハリウッドで最後さいご映画えいがになるかもしれないというおもい、当時とうじのスコセッシ監督かんとくのパーソナルな心境しんきょうがシンクロし、「波止場はとば」(1954)などの名作めいさく影響えいきょう反映はんえいされている。心血しんけつんだことで、しんさるもっともクリエイティブな映画えいがした。自分じぶんなかにあるおこれるたましいまされ、わったのちには、かがみなかのもうひとりの自分じぶんかたりかけることになるかもしれない。

和田わだたかし

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