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女は二度決断する : 映画評論・批評 - 映画.com

劇場げきじょう公開こうかい 2018ねん4がつ14にち

  • 予告編よこくへん

おんな決断けつだんする : 映画えいが評論ひょうろん批評ひひょう

2018ねん4がつ10日とおか更新こうしん

2018ねん4がつ14にちよりヒューマントラストシネマ有楽町ゆうらくちょう新宿しんじゅく武蔵野むさしのかん、YEBISU GARDEN CINEMAほかにてロードショー

ひとりのおんな復讐ふくしゅうげき。そのラストシーンは観客かんきゃくしん物議ぶつぎたねける

突然とつぜんばくだんテロによって、トルコけいおっとあいする息子むすこうしなったドイツじん女性じょせいのカティヤ。移民いみんねらったネオナチのカップルが容疑ようぎしゃとして逮捕たいほされて裁判さいばんはじまるが、正義せいぎ通用つうようするわけではない現実げんじつたりにした彼女かのじょは、だれげることもなく孤独こどく復讐ふくしゅう決意けついする……。

おんな決断けつだんする」は、トルコけいという出自しゅつじをベースに活動かつどうつづけてきたドイツの名匠めいしょうファティ・アキン監督かんとく最新さいしんさく移民いみんれか排斥はいせきかでれるヨーロッパのいまった切実せつじつなテーマせいは、日本にっぽんではともすれば“意識いしきたかひとたち”けという印象いんしょうあたえてしまうかもれない。

しかしファティ・アキンは“社会しゃかい”というレッテルをがすように、ほんさくカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい女優じょゆうしょうかがやいたダイアン・クルーガーふんするカティヤのパーソナルな物語ものがたり集約しゅうやくさせていく。映画えいが冒頭ぼうとうでカティヤは服役ふくえきちゅう囚人しゅうじん獄中ごくちゅう結婚けっこんするのだが、しあわせそうな花嫁はなよめ姿すがたからのぞくタトゥーなどから不安定ふあんてい内面ないめん垣間見かいまみえる。そんな彼女かのじょみ、母親ははおやとなり、出所しゅっしょしたおっと仕事しごと順調じゅんちょうでようやく安息あんそく見出みいだした――とおもった矢先やさきにテロという悲劇ひげき見舞みまわれるのだ。

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序盤じょばんでは彼女かのじょ絶望ぜつぼうかなしみを、中盤ちゅうばんでは法廷ほうていげきとして社会しゃかい不条理ふじょうりをこれでもかとせつけたのちファティ・アキンだれにもづかれることもない自然しぜんさとしずかさでもって復讐ふくしゅうのドラマへと観客かんきゃくほうむ。ヒロインがあまりにもがなく非力ひりき孤独こどく女性じょせいであるがゆえに、観客かんきゃく彼女かのじょ視点してん同化どうかせずにはいられない。

ところが、だ。結局けっきょく映画えいがているわれわれは、安全あんぜん地帯ちたいからつめている外野がいやぎないのだとおもらされることになる。いくらカティヤに感情かんじょう移入いにゅうしても彼女かのじょ絶望ぜつぼうふかさにはたどりけず、その反動はんどうともえる暴力ぼうりょく衝動しょうどうとは完全かんぜんにシンクロすることができない。われわれは外野がいやであるがゆえに、いちいたところで客観きゃっかんする視点してんとうとする。しかし当事とうじしゃであるカティヤにとって、分別ふんべつめいた客観きゃっかんなぞなん意味いみたない。観客かんきゃくは、カティヤがつぎなにをしでかすのかと固唾かたずをのんで見守みまもることしかできなくなるのだ。

物議ぶつぎかもすラスト、といういいかたはいかにもお手軽てがるだが、ほんさくはわれわれひとりひとりのしん物議ぶつぎたねける。か、はさして重要じゅうようではない。カティヤは彼女かのじょみちえらんだが、われわれは傍観ぼうかんしゃであることをやめたとき、どんな決断けつだんくだすのか? そのいちてんにおいて、ほんさく非常ひじょう個人こじんてきであり政治せいじてき問題もんだい提起ていきをしているのである。

村山むらやまあきら

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